カテゴリー「社会論」の記事

何故かと言うと

はてなブックマーク - なぜいつまでも水伝? - uumin3の日記

uumin3の日記:続・なぜいつまでも水伝?

ちょとよく解らないので、引用しつつ感想を。

 以下のような杜撰な実験には大した意味がないんだということは子供にもわかるのではないかと。

子どもどころか大人でさえ真面目に受け取る人がいる、という所が問題になっているように思います。それこそ、ブログ検索でもしてみれば、そこそこの数の人が肯定的に受け取っている事は、確認出来るかと。

 それから「よい言葉」をかける云々全般については、なぜ日本語に反応しているのか、というあたりで問いかけて見ればいいのではないでしょうか?

水伝は、どんな言語でも、良い意味を持つ言葉であれば水は反応する、という説明をしていますね。もちろん、それ自体無茶な設定なのですが、信ずる人はそれでも信ずるのであって…。

 そしてそれでもなお、という人が本当に今でも多いのかということについてはこれこそ検証しなければいけないことではないかとも考えます。

これは、よく出てくる事ですね。うーん、必ずしも、量的な所、つまり、「信じている人が多いから」、というのを批判の根拠にはしていないですね。教育現場に用いられた事、超有名芸能人がテレビで紹介した事、バラエティ番組で紹介された事、等が、かなり重視されていますね。それに、日本以外にも広く知れ渡っているようです。ところで、「多い」というのを、どのように評価するのでしょうね。推定をして、このくらい信じている、というのを調べる、って事なのかな。どのくらいいれば、「多い」と判定するのでしょうか。

 水伝本が売れたのはもう2、3年前の話。そして具体的な水伝を広めようとした事例も、もう1、2年前のものが多いのではないかという印象も受けました。

最近、江本氏の本が文庫化されましたね。講談社の。広めようとした事例が1・2年前のものが多い、と判断されるのが、よく解らないですね。今の方が少ないという判断は、どのようにしてなされたのでしょう。いや、まあ、印象と言っておられますけれど。

 で、その流行はどうなったかといえば、結局どれも数年で火が消えたように祀り捨てられているわけでして、もしかしたら水伝についてもその類のものではないかという感触がないではありません。

 あと1、2年も放っておけば、自然に消滅してしまうようなものではないかという印象が強いんですよ。それこそ何か陰謀的なものがない限り、私でしたらほとんど消えるほうに賭けたい話ですね。そういう妙な危惧(陰謀論につながりかねない不安みたいなもの)も批判なさる側に実はあるんじゃないかと思えたところもちょっと…ということなのでした。

まず後半。陰謀論に繋がりかねない、というのが何を指しているのか…。もしかして、玄倉川さんが書かれたような、ニセ科学を広める陰謀がある(というのを言い出す人が出てくる可能性)、的な話? 違うかな。ちょっと読み取れません。

前半に関しては、事前にそういう評価を行うのは難しいんじゃないかと。ゲーム脳も最初、ほっとけば消え去る、というように捉えられていましたよね。特に業界も動かなかったし。その結果がどうなったかは、まあ、言うまでも無い事です。ですから、放っておけば消える、という見立てには、ちょっと首を傾げてしまいます。

て言うか、水伝は、ここ2・3年で広まった訳ではありませんよね。批判活動が目立ってきたのがここ2・3年だ、という事なのでは。

水伝が採り上げられた事例としては、某ブクマ(カテゴリー:水伝)とかwiki(芸能人が紹介した例)が参考になるかと思います。

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安心したい

はてなブックマーク - 臨時ブログ 「水伝を受け入れる人」=「自然科学を絶対視する人」

絶対視している、というより、都合の良い所に科学というものを持ち込みたがる、という感じかな、と。主張が先にあって、それを正当化すべく、「科学」を恣意的に利用する訳ですね。その実態は、科学でも何でも無かったりするのですが。

やっぱり、基本的な所で、科学に対する信頼は持っているのだと思います。明確なイメージは無くとも、自身の生活が科学技術に支えられている、という直観はあるのでしょう。だから、自分が信じている説に「科学的な裏づけ」があると「聞く(見る)”だけ”」で、「安心」するのだと考えられます。ゲームばかりやる子どもに手を焼いている人が、「ゲームで前頭前野の機能が低下する」、というのを聞いただけで安心(そして、新たに不安を感ずる)するように。

水伝を受け容れる人は、「言葉を絶対視したい」人、なんじゃないかな。そして、水伝を積極的に広める人は、「言葉を絶対視出来るように自然科学を利用する」人。

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どっちか、じゃ無くて、どっちも

人間、いつ騙されるかわからない。自分は騙されないだろう、なんて考えてはいけませんね。

私、ずっと前に、友人と一緒に絵を見に行った事がありまして。

まあ、顛末はあんまり詳しくは書けませんけれど(私が絵を買った、というのは無いです)、あれです。シルクスクリーンをすっごく高く売る、ってやつです。

当時は絵画商法なんて知りませんし(て言うか、ごくごく最近知った)、数十万が相場と言われると、へえ、そういうもんか、と思う訳ですね。まあ、販売員?の巧みな事巧みな事。雰囲気に呑まれて、好きな人の絵だという先入観もあり、専門の人の言っている事だから信頼出来るのだろう、という心理を持つのですよね。

その頃は、ネットもほとんどやって無かったくらいだから(むしろ、ネットなんて危ないものだと思い込んで、避けていた)、特に調べようともしませんでした(悪マニなんて知ってるはず無い(笑) )。友人に付き合って行ったのだし、そもそも、不当に高額であるなんて、考えもしなかったのですねえ。私自身は、結構しつこく売りつけようとするものなんだなあ、とは思いましたが(疑りやすいのは前から)、まさか、金額そのものが妥当では無いなんて、ねえ…。

一緒に行った友人も私も、かなり懐疑的な人間だし、注意深く他人の言う事を聴く方ですが、それでも、気付かないのですよね。と言うか、あれは気付きようが無い。その部分に関しては、疑うなんて「微塵も」ありませんでした。後で調べると、なるほどなあ、と思えますけれどね。巧妙です。販売員は洗練された感じで、雰囲気の作り方、話術の上手さ等、なかなかのものです。

今ならね。WEBで色々調べて、適正価格はどんなものか、とか、どんな商法があるか、とか、色んな事を調べると思うんです。それは結局、「アンテナを向ける」という事だし、何かする前にワンクッション置く、という事でもあると。

ニセ科学にしても悪徳商法(こちらについての知識はほとんど持っていません)にしても、よく解らないものについては措いとく、というのが重要ですよね。でも、「よく解らないというのを”解る”」には、それなりに考えていなければならない訳です。実際、展示会に行った時の私は、絵がそもそも適正価格ですら無いなんて所は、ほとんど考える事すら出来なかったのですから。

なかなか気付けないんですよね、知識無いと。

だからね。

「知らせる事そのもの」も、重要なんだと思うんですよ。色々なパターンを示していく、というね。ちょっと調べたら情報が出てくる、という状況を作る事が。

科学や社会の基盤となる知識を蓄える事と、様々な具体的な事例を知る事。これ、両方大事なんじゃないかな。

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違い

ニセ科学に関して、「呪術」という概念からアプローチされているエントリーがあって、はてブも結構ついていたり、poohさんが言及なさっていたりしますね(元々poohさんは、こっち方面のアプローチをよくされる)。それについて(分野としては、人類学とか民俗学とかになるのかな?)の知識が無い私は、読んで、なるほどなあ、と思います。

重要なのは、合理的・論理的であるからといって、即、それが科学的である訳では無い、という所かと思います。これは結構前から、何回か書いています。

Interdisciplinary: 科学的、合理的、論理的(他にもいくつか書いたはずだけれど、見つけるのが面倒…)

コメント欄に、「木を切ったら風が止むのでは」、という推論を子どもがした、というエピソードを書いていますが、これは、実に「合理的」な思考だったりする訳です。ですが、「科学的」では無い。それまでに実証的(実証という概念をどう考えるか、というのも、物凄く重要なトピックだと思いますけれど)に確認された知識と整合するか否か、という点を考えなければならないからですね。それぞれの分野が完全に独立している訳では全く無いのですから。

超能力捜査も水伝も、それなりに論理的ではあるのです。他の物事を無視すればね。

科学って、やっぱり優れているのですね。現象の構造を解明したり、予測や制御に応用したり、という目的を考えると、やはり、他の文化とは違う、と言っていいかと思います。それをまず認識するべきなんじゃないかな。

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武器と化す言葉、壊される水:B面

物事には、色々な面があります。

調理器具である包丁は、人間を殺してしまう道具としても、使えてしまいます。

薬は、医者によって病気を治す手助けにも使われますが、身体に害を及ぼす物ともなります。麻薬なんかがそうですね。

「言葉が水に影響を与える」、という説があります。

水の入ったビンに声を掛ける、また、文字を書いたラベルを貼り付ける。そうした後にその水を凍らせれば、言葉に応じた結晶を形成する、という説です。良い言葉、たとえば「ありがとう」であれば美しい結晶が出来、「ばかやろう」という悪い言葉であれば、崩れた結晶が出来る、と主張されます。

この説を言い出した人、また、それを広めようとする人は言います。

良い言葉を用いれば、水は綺麗になる。だから、良い言葉を用いましょう、と。

つまり、言葉によって水が変わるのだから、多くの部分に水が含まれている人間にも良い言葉を掛ければ、好ましい結果になるに違い無い、という事ですね。

この説は、学校の道徳教育にも用いられるケースがあるといいます。「良い言葉を使わせよう」という目的のためにとても良い教材だ、と考えられているのでしょう。

ここでは、水が変化する、という前提があって、そこから、良い言葉を使わせるように促す、という「教育」の流れが想定されています。つまり、「いい言葉で水が綺麗になるんだから、普段きちんとした言葉遣いをしましょうね」、「乱暴な言葉では水が汚くなるから、使ってはいけませんよ」、というやり方です。

この説は、言葉が、物としての人間の身体に、直接的に影響を与える、というもので、「良い言葉は人間の身体を綺麗にする」、「悪い言葉は人間の身体を汚くする」、というのを、「喩え話では無く」主張している事になります。

AとB、2人の子どもがいる、と仮に考えてみます。

AとBはともに、水に言葉が影響を与える、という説を信じました。

Aは、良い(と社会の多くの人が考えている)言葉をどんどん使っていこう、と考えました。

Bは、自分が好きで無いと思っている人に対して使えるのではないか、と考えました。簡単に言うと、「他人を攻撃する道具」として理解した、という事です。

これは、物事の両面のどちらに光を当てるか、という違いです。でも、その違いは大きいのです。

Bのような考えを持った人が、Aのような人に対して「悪い」言葉を投げ掛けたらどうなるでしょうか。Aは、言葉が水に影響を与える、と信じている訳です。当然、良い言葉・悪い言葉、がどういうものかは、社会的に共通しているから、Bの投げ掛けた言葉は、Aにとっては「武器」として働きます。これは、普通に考えられる、「言葉で傷付く」、という話では無く、ちょっと次元が違います。水に言葉が影響を及ぼすから、水を含む、物としての人間にも影響を与えるだろう、という考えを持っているのですから、投げ掛けられた「悪い言葉」が自分の身体を直接壊してしまう、と思ってしまう可能性が考えられるのですね。

人間は、物事の片方の側面だけを見て、他の面には目が届かない事があります。

良い言葉は水を綺麗にするから良い言葉を用いましょう、というのは、人間が善意で動くという前提があるからこそ成り立つ理屈です。それは、人間が素朴であり、良いとされる事をそのまま受け容れる、という考えです。しかし、人間の心理がそのような単純なものでは無い事は、言うまでも無い事です。素朴であるからこそ、相手の心をちゃんと考えず、「無邪気」に言葉を投げ掛ける可能性があります。特に、「信じた程度」に差があった場合の事を考えてみると良いでしょう。片方は、言葉によって人間の身体が強く影響を受ける事を信じています。片方は、それほど本気で信じた訳では無く、「面白半分」で色々な言葉を投げ掛けます。さて、どのような事が起こり得るでしょうか。想像してみて下さい。

ここで採り上げた説は、昨今、ニセ科学(科学的に確認されたと言っているが、実はそうでは無いもの)であるとして批判されているものですが、それ以前に、言葉というものについての考え方としても、道徳的にも、大変に問題のある説なのです。素朴な言語観・人間観に基づいたこの説を道徳教育に用いるのは、誤っています。一見、寛容で善意に満ちた論であるようですが、その実は、言葉の特徴である「恣意性」(音や文字と意味が直接結び付いている訳では無いという性質)を無視して、言葉と意味が緊密に対応し、「”美しく無い”言葉を使うべきでは無い」という、極めて排他的・不寛容な主張なのですから。

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武器と化す言葉、壊される水

物事は悉く、両面的な価値を有している。

調理器具である包丁は、人間を殺害する道具としても機能し得る。

薬物は、医療に用いる事も出来れば、身体に重大な害を及ぼす物ともなる。

「言葉が水に影響を与える」、という説がある。

水の入ったビンに声を掛ける、また、文字を書いたラベルを貼り付ける。そうした後にその水を凍らせれば、言葉に応じた結晶を形成する、という説である。良い言葉、たとえば「ありがとう」であれば美しい結晶が出来、「ばかやろう」という悪い言葉であれば、崩れた結晶が出来る、と主張される。

この説を提唱した者、あるいは流布する者は言う。

良い言葉を用いれば、水は綺麗になる。従って、良い言葉を用いましょう、と。

即ち、言葉によって水が変わるのだから、大部分が水によって構成されている人間にも良い言葉を掛ければ、好ましい結果になるに違い無い、という事である。

この説は、学校の道徳教育にも用いられるケースがあるという。「良い言葉を使わせよう」という目的を達成するに恰好の教材である、と看做されているのであろう。

ここでは、水が変化する、という前提を置き、そこから、良い言葉を使わせるよう促す、という「教育」の流れが想定されている。つまり、「いい言葉で水が綺麗になるんだから、普段きちんとした言葉遣いをしましょうね」、「乱暴な言葉では水が汚くなるから、使ってはいけませんよ」、という説得の方法である。

この説は、言葉が実体としての人間の身体に、直接的に影響を与える、というものであり、「良い言葉は人間の身体を綺麗にする」、「悪い言葉は人間の身体を汚くする」、というのを、「比喩では無く」主張している事になる。

AとB、2人の子どもがいる、と仮定してみよう。

AとBはともに、水に言葉が影響を与える、という主張を信じた。

Aは、良い(と社会的なコンセンサスがある)言葉を積極的に用いようという意識を持った。

Bは、自分が好ましく無いと思っている人間に対して利用出来るのではないか、と認識した。端的に言えば、「他者と攻撃する道具」として認識した、という事である。

これは、物事の両面のどちらに光を当てるか、という違いである。しかし、その違いは大きい。

Bのような認識を持った者が、Aのような者に対して「悪い」言葉を投げ掛けたらどうなるであろうか。Aは、言葉が水に影響を与える、と信じている訳である。当然、良い言葉・悪い言葉、というのは、社会的にある程度共通しているから、Bの投げ掛けた言葉は、Aにとっては「武器」として機能する。これは、一般的に言う所の「言葉で傷付く」、という次元の話では無い。水に言葉が影響を及ぼすから、水を含む人間にも実体的に影響を与えるだろう、という認識を持っているのであるから、投げ掛けられた「悪い言葉」が自分の身体をダイレクトに破壊する、と認識する可能性が考えられるのである。

人間は、物事の片方の側面だけを見、他の面には目が届かない事がある。

良い言葉は水を綺麗にするから良い言葉を用いましょう、というのは、人間が善意で動くという前提があるからこそ成り立つ理屈である。それは、人間が素朴であり、良いとされる事をそのまま受け容れる、という論理だ。しかし、人間の心理がそのような単純なものでは無い事は、言うまでも無いだろう。素朴であるが故に、相手の心を忖度せず、「無邪気」に言葉を投げ掛ける可能性がある。特に、「信じた程度」に差があった場合の事を考えてみると良い。片方は、言葉によって人間の身体が強く影響を受ける事を信じている。片方は、それほど本気で信じた訳では無く、「面白半分」で色々な言葉を投げ掛ける。さて、どのような事が起こり得るであろうか。想像してみて頂きたい。

ここで採り上げた説は、昨今、ニセ科学(科学であるかのように主張されているが、実態が異なっているもの)であるとして批判されているものであるが、それ以前に、言葉というものについての考え方としても、道徳的にも、大変に問題のある説なのである。素朴な言語観・人間観に基づいたこの説を道徳教育に用いるのは、誤っている。一見、寛容で善意に満ちた論であるようだが、その実は、言語の特徴である恣意性を無視し、言葉と意味が緊密に対応し、「”美しく無い”言葉を使うべきでは無い」という、極めて排他的・不寛容な主張なのだから。

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寂しい?

ケータイが鳴らなくて寂しくなるまでの時間は?(+D Mobile) - Yahoo!ニュース

ほう。

ケータイが鳴らなくて寂しいと感じる事があるのか。そんなの思った事無いなあ。電話嫌いだし。

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フジ伝

PSJ渋谷研究所X: 「フジからの伝言」の効果

うん、やはり、ある程度の数の人が、信じていますね。放送当日に検索した時には、2つ3つしか見つけられなかったけれど。

さんまさんの番組だから、というのは多分、採り上げられた説の信憑性の評価には、それほど強く関わってこないんじゃないかな。で、江本氏に対する「専門家」という先入観が、それなりに働くかも知れない。

うーん、悩ましいものですね。

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戦慄

硫化水素を用いた自殺関連の報道を見ていて思うのですが。

戦慄を覚える。

何にって?

マスメディアの「無邪気」さに、です。

正直、気持ちの悪さを感じる。

シャレにならない悪戯をした小学生が、全く悪びれないであっけらかんとしているのを見るような、そんな感じ。

平気で他の子に責任をなすりつけているのを見ているような、そんな感じ。「知らないよ。あの子じゃないの?」と言っているような、ね。

報道を見ていると、確かに、硫化水素を用いた自殺の頻度が高いように思える。

そして、未だ、ネットで情報を得て…などという言い方をしている。

そろそろ、本気で考えた方がいいんじゃないか。

マスメディアの報道とネットの情報がネガティブな相乗効果を及ぼしているかも知れない可能性に。

いくら何でも、ひどさが過ぎるのではないだろうか。

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万能包丁

別エントリーのコメント欄にも、感想を書いたのですが⇒「トンデモ」を批判する記事を書く皆さんにお願い。

書かれてある事については、うん、そうですね、と、納得するものですね。と言うか、そうするしか出来ない。

つまり、物凄い一般論で、ある意味、「トンデモのまずさがきちんと解るような文章を書いて下さい」、と書いているに等しい訳ですよね。

個別の内容を見ても、どう考えても両立が出来ないだろうという条件が、まとめて含まれている。だって、

「美しい」って単純に言うけれどね、「美しいと思う形」を描かせたとき、皆が皆、まるで印刷したように幾何学的模様しか描かないのと、本当に一人一人が自由に様々な形を描いているのと、どちらが美しいと感じられるだろう?

これとか、凄い「婉曲表現」ではありません? 文脈による、という事なのかも知れませんけれど、そうだとしたら、「文脈によって様々な表現が考えられる」、という話になりかねませんしね。それは全く正しいけれど、あまり何も言った事にはならない。

うーん、結局、この増田を読んで、ちょっと首を傾げてしまうのは、

皆さんの記事の思惑とは全く逆に、引用されているトンデモの内容に感心して引き込まれ、皮肉なことに問題のある部分が記憶に刷り込まれてしまっています。

ここで言う「思惑」って何だろう、という所だったり(それは、書き手それぞれのものです)。そもそも、この増田を書いた方が「どういう思惑」でどのようなテキストを用いたのか、というのが解らない訳ですね。

何と言うか、材料の特性を見ずにそこら辺にある包丁を片っ端から使って切ろうとして上手くいかなかったから、どのようなものでも切れる包丁を用意して欲しい、と主張しているように、見えてしまうんですね。

やるべき事は、色々な種類の包丁を集め、それを研ぎ澄まし、きちんと使える状態にしておいて、材料に応じて適切に使っていく事、なのではないかな。

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どっち

とある10代のアイドルが、痴漢を空手の技(中段の正拳、および下段廻し蹴り)で撃退(正確には、威嚇の役割と言った方が良いかも知れません)したそうです。

さて。

このアイドルは、「暴力的」、でしょうか。

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ニセ科学批判のあり方

2008-04-12 - 理系兼業主婦日記:科学、ニセ科学、グレーゾーンについて

こちらを読みまして、コメントを入れようとしたら……長文自重>自分

という訳で、こちらに書いて、TBを送ります。引用文とか、コメント欄で書いたそのままです。

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初めまして。

大変興味深く拝読いたしました。

kikulogの当該エントリー、確かに、どういう事を議論しているのか、等が解りにくくなっている所がありますよね。深く考えると、抽象的な議論に踏み込まざるを得ないとは思うのですが、具体的な物事と結びつけて考察していくのが大切である、とも考えます。

「業界化」(きちんと意味が掴めていないかも知れませんが、ご容赦下さい)、という部分に関してですが。
多分、ある程度社会に認知され、同調する人が増えてくると、そういう印象が持たれる、というのは避けられない事なのだと思います。だからこそ、地道な議論を積み重ねて、具体的に論証をし続けていく必要がある、と考えています。
きくちさんとは、私が持っているブログでもやり取りさせて頂きましたが、そこで、
▼▼▼引用▼▼▼
ある程度広まった言葉は解釈が変えられていく宿命にあります。とはいえ、問題を社会に訴えるには、ある程度わかりやすい言葉は必要なんですよね。

「ニセ科学」という言葉が独り歩きするのを止めることはできませんが、せめて自分の言葉が届く範囲だけでも、ある程度ストイックな使い方に限定することを確認しておきたい。という感じですかねえ
▲▲引用終了▲▲(http://seisin-isiki-karada.cocolog-nifty.com/blog/2008/04/post_f244.html)より引用
と仰っていました。ですから、こちらで書かれています、
▼▼▼引用▼▼▼
そして、そのことがきくち先生たちにとっては、もしかして本意ではなかったりするのかなー、などと、僭越ながら思ったりしている今日この頃であります。
▲▲引用終了▲▲
この部分は、当たっているのではないかと、私も思っています。もし、「ニセ科学批判の権威」と言われる事があれば、きくちさんご自身はそれは受け容れられないのではないかな、というのも、これまでやり取りさせて頂いて、感じています。

ニセ科学という言葉は、インパクトが強く、ある意味「解りやすい」語であるが故に、注意深く用いていく必要があるのだと考えます。

ニセ科学を信じている人なりに、どうメッセージを届かせるか、という部分について。
これは、大変に悩ましい問題です。
私は、主に「ゲーム脳」説を批判しているのですが、その「信じられ方」には、様々なものがあります。科学者が言っているから、というものや、テレビで観て何となく信じていた、というもの等。その具体的なケースを見て、どのように対応すべきだろうか、と考えるのですね。対象の論調によっては、科学的に実証されていないと直接言う事で、強く批判をする場合もありますし(その説を広めるという事自体が批判されるべきである、という場合もありますので)、特に科学という言葉を使わずに、様子を見て行う事もあります。もちろん、「それはニセ科学と言われていて…」という言い方自体をしない場合もあります。

水伝に関しては、私は本質的に、科学以前に「言葉」の問題だと思っていて、その視点から考える文章を書いたり、リンクを集めたりしています。水伝関連を考察したサイトとしては、こういうものもあります(色々な「信じ方」を想定して書かれたものです)⇒http://kameo.jp/mizuden/faq.html

やはり、「どういう層」に向けてメッセージを届けるか、というのは、常についてまわる問題なのですよね。自分のしている事は問題があるだろうか、というのはいつも自問しています。いわゆるビリーバーなのか、もっと周辺にいる人なのか、最もコアの部分にいる人(主唱者)なのか。ある層に向けたメッセージでも、それが対象にきちんと届くか、それ以外の層の人に受け取られ、誤解されるのではないか。
等々。

いずれにしても、色々な角度から、様々な議論を積み重ねていき、批判に対しては開かれた態度を採る、というのが重要なのではないかと思います。

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コメント欄のかずえもんさんは、少し誤解なさっているかも知れませんね。うーん、水伝よりも(あれは、原典を読まないと、「科学を装っている」という所が見えにくいかも知れない)ゲーム脳の方が、解りやすいかも。あれなどは、はっきりと科学的だと言っているのですよね。そして、それが躾の根拠のように使われたりする。なので、きちんと批判しなくてはならない。

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誤解

志村けん“ブログ批判”に反論「笑いは芸で取りたい」 - ネタりか

私は件のラジオは聴いていませんでしたが(たまに聴くけれど)、どうやら、そんな事は言っていなかった、という話があるみたいですね。

残念な事ですが、ブログって、悪意のある書き込みが存在するのですよね。愉快犯的な。

今回、言ったか言わなかったかは、調べればすぐに解る事だから、その内に落ち着くでしょうね。

それにしても、これって、いわゆる炎上系の話題ですが、志村さんのブログを見ると、コメント欄が、かなり冷静ですね。中には煽りのようなのもあるけれど、全体的に落ち着いていて(比較的、ですが。充分荒れてる、という見方もあるかも知れない)、感心しました。フォローの言葉も多いですしね。

後から、何らかの説明が志村さんからあるかも知れませんね。

何にせよ、誤解というのは辛いものです。今回、発言があったかは私には解りませんが、もし誤解があったのだとすれば、早く解けるといいですね。

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ケータイバンゴー

妻・夫の携帯番号を「おぼえていない」が6割【携帯依存に関する意識調査】(MarkeZine) - Yahoo!ニュース

何で、「携帯依存」に関する、なのでしょうね。依存というのは依存症なんかを想起させるので、他の語の方がいい気もします。

家族の携帯電話の番号とか、憶えなくても良いものだし。私は、自分のケータイの番号、忘れる事あります。まあ、ほぼ何の不便も無いですが。むしろ、憶えて無い人が58%しかいないのか、という感じ(言い過ぎ…)。

また、「携帯で電話をする場合に自分の名前を名乗るか」について聞いたところ、全回答の44%が「名乗らない」と回答。相手が分かっているので名乗らないと答える人の割合が高い傾向があるようだ。

この部分を読んで思い出した。ドラマを観ていてよく覚える違和感。

ケータイ鳴ってるのに気付いて、ディスプレイを見ずにすぐ通話ボタン押して、「もしもし」って言う場面、ありますよね。

いやいや、その前に、誰からの電話か見るでしょ、普通。よほど待ち切れないとかなら、見ずにやる事もあるかも知れないけれど。

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科学とかニセ科学とかのイメージ

実は昨日、科学~非科学とニセ科学との関係を、ビジュアル的に色々考えていたのですよね。で、もう一つ、きちんと整理出来ないでいます(笑)

ニセ科学度というのは、「実際の(科学的方法を基準とした)位置づけと主張のされ方との乖離の度合い」なのかな、と思いました。

私が思いついたイメージというのは、こんな風です。※あまり厳密に考えると喩えは不可能になるので、よろしくです…。

まず、科学的方法という基準による位置づけを示す、黒~白の濃淡のある帯状の物を思い浮かべます。白は、確実に正しいと言えるもの。黒は、科学的研究対象にはなり得ないものおよび、間違っているとほぼ確実に言えるもの、です。

その上には、玉が乗せられています(形状は何でもいいけど)。その玉には、現象を説明する命題が書かれています。玉が置かれている位置は、それまで蓄積されてきた科学的・実証的方法(社会的には科学者集団のコンセンサス)によって決められています。
これらの玉には、「帯のどの部分に置かれているか」、という情報が付加されています。当然それは、研究が進んだり、それまでの研究の不備が判明する事で、変化していきます。ただし、より端に近い部分に置かれているものは、そこからシフトはしにくいと考えます。

この帯と玉の関係というのは、各専門分野ごとに存在し、専門家以外は参照が困難です。ただし、これらは完全に独立では無く、全ての分野において、最も根本には、自然科学の体系があり、それぞれの分野が立脚する基礎科学の知見があります。

さて、これらの玉がどこにあるかという情報は、色々な人によって、社会一般に伝達されます。それはもちろん、科学者であるとは限りません。
その情報が流布される際、発信者は、玉の位置情報を(意図的にしろそうで無いにしろ)偽る事があります。
元の位置情報と伝達された情報に開きがある場合、それは、はっきり指摘する必要があります。そして、その、開きが大きいものを、「ニセ科学」と呼びます。

こういう感じです。

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食べる

痛いニュース(ノ∀`):「朝からお茶漬け」のCMに違和感、栄養的にも良くはない…オーマイニュース

一日二食の私はどうすればいいんですか。

それはともかくとして。

「孤食」や「個食」を問題視するのは解らないでも無いですが(「孤食」は、各過程の事情によるだろうから、一人で食事をするのは一般的に好ましく無い、と考えるのは、私は反対です。食事以外でもコミュニケーションをとる機会はあるし、集まって食べても円滑なコミュニケーションがとれていない場合もあるし)、「粉食」はちょっと、こじつけの感が。言いたい事は何となく解りますけれど。

大食いについては、なかなか複雑な気分ですね。あのパフォーマンス自体は、凄いと思います。番組も、結構観ますし。ただ、贅沢だよなあ、とも思う。この文脈で事故(あれは大食いで無くて、早食いでしたね)の話に持っていくのは、ちょっと変な気もしますが。

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何だろう

同じような事は何回も書いてますが。

そもそも「暴力」って、何でしょうね。

そもそも「有害」って、何でしょうね。

そもそも「健全」って、何でしょうね。

そういう根本的な所から考えるべきだと思うのですが、なんだか、凄く短絡的な人もいますよね。

たとえば、「暴力」とは、客観的と言うか、没価値的な概念では無いですよね。時代によって、地域によって、状況によって、何が暴力とされるかは、異なってくるのだと思います。価値判断と切り離して論ずるのは不可能。

ゲームやらマンガで暴力性が高まる可能性がある、という話が出たら、「暴力性って何だろうな」、と考えるべきですよね。そこで単純に、「なるほど、暴力性が高まるのか」、となった場合、その人が考える「暴力」が想起されると思います。そもそも心理学的には全然違う話なのかも知れないのにね。暴力性がどうなるか、というのを考察するには、そもそもそれはどのような概念なのか、という所から検討するべきなのではないかな、と。

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見えれば安心

「漫画、アニメ、ゲームのせい」は「天狗の仕業」と同じ思考停止 - 最終防衛ライン2

何でもいいから原因を知りたい、これが原因だ、と「納得」したいのかも知れませんね。もしくは「安心」。でもそれって、不安を駆り立てる事でもあると思うのです。広く普及しているものが要因だ、と言っている訳だから。事実ならともかく、根拠が薄弱な話なので、愛好している者としては、かなり困りますが。尤も、それを言ったら、問題のあるメディアを愛好している者が困るなど構わない、と返されるのでしょう。で、何故そう思う、と訊けば、凶悪事件を起こした人間がゲームを愛好していたから、となるのかな。

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歌ったり演奏したり

ニコニコ動画、JASRAC曲の演奏動画が投稿可能に(ITmediaニュース) - Yahoo!ニュース

これで、ニコニコで「歌ってみた」とか「演奏してみた」系の動画が、「やっても良い事」になるのかな。で、いつから?

ニコニコ外部プレイヤーがココログにも対応したら、何か貼り付けてみますかね。2008年4月3日追記:どうやら、ブログに埋め込むのはダメみたいです。コメント欄をどうぞ。

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疑う事は、楽しい事

信じるな疑え! 「ニセ科学」批判の菊池教授に聞く

おおっ、画像でかっ。

書かれてある事は、言わば「基本」、ですね。とても大事な部分だから、繰り返し言い続けるべき所。

kikulogの説明をなさっている部分↓

「ひとりでに動いてくれるようになったので、ニセ科学を議論する場として機能していると思いますね。かなり見識と良識のある人たちがいてくれますから」

全くそうですね。kikulogとニセ科学論を知らなければ、私の認識は、かなり低い所に留まっていた事でしょう。

渋滞論文の話もありますね。確かに、「そんなの当たり前だろ」、という反応が多かった。私自身の感想は、「全然意味が解らなかった」、です。きちんとした所に採り上げられたんだから、多分興味深い事実が発見、あるいは確認されたのだろう、と考えて、そこで止まりましたね。説明を読んでも解らなかったので。で、解らないなら解らないままで置いとくのがいいんじゃないかなあ。ほんと、見出しと記事の一部分を見ただけで適当に言ってるだろ、という意見がありましたからね。いや、大した事無い、と言うのだったら、きちんと論文にあたって科学的論理的に批判すればいいのに、という感じ。

まあ、あれです。

重要なのは、鵜呑みにしない事と、解らない部分は置いておく、という事。「解りたい」ならきちんと調べなくちゃね。「解らなさへの耐性」というのが、ニセ科学論で出てきますが(技術開発者さんが初めに使われたのかな)、私としては、これはつまり、「解らなさを楽しめる」事なのではないか、と思っているのであります。未完成のジグソーパズルを見てワクワクするのと、根っこは一緒なんじゃないかな。

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飲みにけーしょん?

痛いニュース(ノ∀`):「飲みニケーション」をしないヤツは仕事でも使い物にならない…ゲンダイ

何で飲みュニケーションじゃないのか、というのはともかくとして(見た目が微妙だからか)。

そういうので親睦を深めるという考えはあって良いのかも知れないけれど、それに参加しない人をネガティブな目で見るような認識は控えるべきでしょうね。自分が好むものは他者も好むべきだ、的な。たまにいますからね。自分が興味を持っているものに関心を示さない人を奇異の目で見る人が。我慢しているように見られたり、とか。いやいや、好きじゃないだけですって。他にもやる事一杯あるし、的な。

アルコールを受け付けない人は、酒自体飲めないし、素面だとああいう雰囲気は嫌な人もいるでしょうし。

結局、誰と行くか、という事なんじゃないか。それじゃ話が終わっちゃうけど。

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その情報は必要か

「悪いとも思っていない」金川容疑者が供述(読売新聞) - Yahoo!ニュース

 金川容疑者は、三浦さん殺害後、逃走中に購入した新作ゲームで遊んでいたと見られることも判明。忍者が刃物や飛び道具で敵を次々と倒す内容で、捜査本部はゲームが殺意を助長させ、JR荒川沖駅の8人殺傷事件につながった可能性もあるとみている。

こりゃひどいな…。可能性、と言われれば、全否定は出来ないし、ある意味極限の状態だから、何がどのような行動のトリガーになったかは、解らないと思う。ゲームが要因であったかも知れない。それはその通り。否定し切るのは、論理的に無理。

だけど。
殺意を助長した、というのをどう検証するか。そして、それをどう一般化するか、どこまで出来るか。

仮に、ゲームに影響された犯罪者がいたとして、そういう犯罪者が存在したから危ないものだ、という情報を流布する?

まだ何も解っていない状況で、ゲームが殺意を助長した可能性を積極的に報道する事に、どういう意義がある?

何故か水俣病を喩えとして出した人もいたけど、ゲームというのが文化現象だという事を、忘れているのかな。よく解らない。

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ロークオリティ

apjさんのブログのコメント欄経由で⇒週刊文春_080403(2008年4月3日号。一番上の記事)

これは素晴らしい印象誘導ですね。

得られている情報の内、ウケそうなものをクローズアップするという、実に下品なやり方。

こういう記事を好んで読んで、鵜呑みにする大人には、なりたくないものです。メディアリテラシーを鍛えるために、ダメな記事として採り上げるくらいしか、価値が無いかな。

あー、一応。

これは、記事本文を読まなくても可能な批判です。目次を見るだけでダメな記事と解る、良い例。

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想像して欲しいのは

ああいう報道によって自分達が傷付くから止めてくれ、じゃ無いんですね。

ああいう報道によって謂れ無き先入観を植え付けるのを止めろ、と言っている訳です。

嫌な話ですけど、自分達がどうこう、というのは、どうでもいいんです、ある程度はね。もう慣れてしまった。ずっと昔から言われているから。激昂するのを抑えるくらいには、感情・思考をコントロール出来る。そんなのに傷付くほどナイーブでは無い。苛立ったりはしますけどね。

で、今行われているのは、ゲームをよくやる子ども達とか、ゲームを制作する人達とかに対する偏見を助長するような報道なんですよ。根拠も無いのに。

特に子どもはね。大人になった私達は、はいはい、アホな事言うなよ、で済ますのも可能。知識を蓄えて、論理的に反論する事も出来る。他人の趣味を貶すダメな人がいる、とメタに考えるのもね。だけど子どもは、そんな事は出来ない。自分が悪い事をしてしまっているんじゃ、と過度に不安になったり、クラスメイトから奇異の目で見られたりね。大人からも、おかしな子として見られる事もある。

駄目でしょ、そんなの。どう考えても。

ゲームの文化としての素晴らしさを解ってくれ、とか、そんなんじゃ無い。そんなの解りませんよ、すぐには。浅い文化じゃ無いんだから。そもそも、ちょっとやそっとで解られてたまるか、というのは、何かに強い関心を持つ人なら、ありますよね。

だから、そうじゃ無くて、自分が興味を持っているものが貶され、それに興味がある人間が普通で無い、と思われるような言い方をするのはおかしいでしょ、という話です。これは、誰にだって理解出来るもののはずです。

何故ここまで言うか、って、実際、報道が物凄いからです。この異様さは、おかしい。特定の文化を安易に犯罪行為の原因に結び付けているのだから。

ゲームに全く興味の無い人でも、想像力を働かせれば、報道のおかしさには、気付けると思います。

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またか

ゲーム好き、1人で食事=高卒後はバイト暮らし-金川容疑者・土浦死傷事件(時事通信) - Yahoo!ニュース

本当に、もう止めてくれないか。

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伝言ゲームのように

はてなブックマーク - 「Apple」のロゴを見るだけで創造性が上昇――デューク大学調査 - ITmedia News

元ネタ⇒「Apple」のロゴを見るだけで創造性が上昇――デューク大学調査 - ITmedia News

やっぱタイトルがおかしいよね。

最後の段落にある研究者の弁も、こういう類の研究から言うのは早計なのではないか、と思いますけれど、それにしても、

ブランドのイメージは想像以上に人々の潜在意識に大きな影響を及ぼすことが、調査から明らかになった。

という研究結果から、

「Apple」のロゴを見るだけで創造性が上昇

という見出しをつけるのは、ものを注意深く見る読者からは、懐疑の目で捉えられるでしょう。

ところで、はてブには、

あっはっは。被検者にすでにバイアスかかっとろうが(natsumotoさん)

カルトって怖いな(nam323さん)

どれだけ膨大なデータを見せられてもおそらく信じられない。(Kmusiclifeさん)

等の反応があって、かなり否定的ですが、この記事の内容からだけでは、そういう評価は導けないんじゃないかな、と思いますが、どうでしょうか。

この研究の肝は恐らく、識閾下の刺激が行動に影響を及ぼす、という所なのでしょうけれど、そういう現象自体は、あって構わない訳です。映画の途中にコーラの画像を入れたらコーラを飲みたくなる的なサブリミナル効果については、科学的には支持されていなかったと思いますが、潜在記憶等は、心理学的にも認められている訳で。改めて研究したら実は影響、というのは、あって良いですよね。

だから、この研究を批判的に検討するには、実験計画はどういうものであったか、とか、創造性を測るテストは妥当性・信頼性が確認されているものなのか、とか、そこで測られた「創造性」というものが、私達が普段用いる「創造性」と どれくらい一致するか、とか、Appleのロゴを見せた学生は、そのロゴに対して「創造的」という意味を見出していたか、とか、「創造性」を想起させる記号を見せられた人間が、課題でより創造性を発揮したのは何故か、とか(「創造的」って文字を見せたら創造的になるの? 識閾下で無い刺激を与えても創造的になる?)、群間にどれくらいの差があったのか、とか、それは実質的に意味があると言えるのか、とか、その研究からマーケティング方法まで言及するのがどれくらい妥当か、とか、そういう所から、きちんと考えなくちゃらないないのではないかな、と。

オカルトのタグつくとか、「カルト」と表現するのは、何か違うんじゃないかな。この記事だけからじゃ、そんなのは言えないと感じます。

そう思いません?

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以下、個人的な、この記事に対する感想。

「正直な」、という意味を想起させる記号が、「正直な行動」を取らせるのは、まあ、何となく、解らなくも無いです。だけど、「創造性」を想起させるものが、実験環境という限定的な場において、人間を「創造的にさせる」というのは、どう考えても意味が解らない。だって、創造性なんていうのは、そうなれと指示されてなれる、というものでは無いでしょう? 「慣習に従わない」というイメージが、「型にはまらない」行動を促し、それが結果的に、「創造性が高まった」と看做された、とか? よく解らんですが。

サブリミナル・マインド―潜在的人間観のゆくえ Book サブリミナル・マインド―潜在的人間観のゆくえ

著者:下條 信輔
販売元:中央公論社
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サブリミナル効果の科学―無意識の世界では何が起こっているか Book サブリミナル効果の科学―無意識の世界では何が起こっているか

販売元:学文社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

どっちも未読っ。

心にきく薬奏 サブリミナル効果による不安解消 Music 心にきく薬奏 サブリミナル効果による不安解消

アーティスト:植地雅哉
販売元:ダイキ
発売日:2002/03/02
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※これはネタです。上の本と対照的なので、貼ってみた。

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何の話か解らない

瀬名秀明の時空の旅: 信じぬ者は救われる

※書評および、『パラサイト・イヴ』に纏わる部分については、触れません。菊池・香山両氏の本はまだ読んでいないですし、瀬名さんの本への評価については、全然知らないので。それにしても、文体は至極丁寧だけど、内容は超苛烈ですね。

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論点が絡まっていて、何を仰りたいのかがはっきり読み取れない、という印象。

大部分は正論だと思うけれど、ニセ科学の議論と結び付けている所が、よく解らない。

是非、「ニセ科学について」の論考を、書いて頂きたい所。

あ、書評には触れないと言ったけれど、一箇所だけ。

ではその他のグレーゾーンにどう立ち向かえばいいのか、という問題に本書は回答を与えていない。

そもそも、そういう本では無いのでは?

っと、これ以上書くには、本を読まなくちゃ無理ですね。

ともかく、あまり論点が明確で無いように思います。コメント欄を開いているので、そちらでのやり取りに期待。

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余計なお節介。

瀬名さんには、「室井健亮」でググられる事を、お勧めします。コメントで相手なさるかどうかは、ご自由ですが…。

追記:当ブログの右サイドバーにあるニセ科学論の関連リンクも、参照して頂きたい所です。

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ゲームとの付き合い方

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画像付きのリンク無かった…。

この本、ちょっと読んでみました。

凄く良い内容だと思います。ゲームとの付き合い方を考えていきましょう、という本で、色々な親子の方針を紹介してたり。

馬場章氏が、ゲーム脳等の、ゲームが及ぼす影響について語るインタビューがあって、これも良かった。

ただ、ちょっと残念だったのが、この本、私が行った書店では、ゲームコーナーにあった所。そういうコーナーには、ゲームに興味がある人が行くでしょうから、他に、育児書のコーナーとかにも置いた方がいいんじゃないかな、と。ちょっともったいないと思いました。書店によっては