はてな匿名ダイアリーに、このようなエントリーが上がっていました。
※以下、はてなの慣習に従い、エントリー及び書き手の事を「増田」と表記する
「ある体操法と出会って1年で人生が変わった」話を頼むから拡散してくれ
そして、ここに、はてなブックマーク(以下、はてブと略す)がたくさんついています。はてなブックマーク - 「ある体操法と出会って1年で人生が変わった」話を頼むから拡散してくれ 今見た時点で、1600近く。はてブで1000超えというのは、上位にランク入りするくらいの相当な数ですが、健康情報的なものではしばしば見られます。はてブ界隈では、体調不調を改善するメソッドに関心が大きい、という事なのでしょうか。
さて、当該エントリーでは、高岡英夫氏が創始したメソッドである「ゆる体操」が絶賛されており、自身が体験したエピソードを拡散して欲しい、とアピールされています。長年困っていた体調不良が劇的に改善されたという事で、これは是非とも広めたい、という風に考えたのでしょう。※なお、「いかにも業者っぽい」という見方はここでは措いておきます
そして、はてブでも、試してみようかな、という意見が結構見られます。もちろん、胡散臭さを読み取る人も沢山いるようです。中には、そこまで関心を持っているのでは無いが、話題にのぼっていたので取り敢えずブックマークしておこう、という人もいるでしょう。いずれにしても、はてブ界隈というローカルな空間とはいえ、ある程度注目を集めていると見る事が出来るでしょう。
このブログをご覧くださっている方はご存知の事ですが、私は以前、高岡英夫氏の論に強く影響され、ゆる体操というメソッドにも関心を持ってきました。ですので、ほんの少し知識を持っています。そこでこのエントリーでは、増田のエントリー、および「ゆる体操」について、考察してみたいと思います。
○増田氏の経緯
まず、増田氏が辿った経緯を箇条書きしてみましょう。重要と思われる所を強調します。
- 1年くらい前まで、肩凝りや頭痛、目の疲れに悩まされていた。
- 親類の不幸により、心理的にもダメージを負っていた。
- 不調の悩みから脱却すべく、筋トレや各種体操法に取り組んだ。
- それらは効果を齎さなかった。
- 体操法については、辛いと感じた。気力を消耗した。
- マッサージは経済的にコストがかかり過ぎ、効果も一過性であった。
- その後に「ゆる体操」に出会った。
- 要望として、時間を大きく割かず、高い効果を持ち、気力を使わない、というのを求めていた。
- 具体的な身体的不調は、1)強い肩凝り、呼吸がし辛いという自覚 2)目の疲労 3)腰痛や腰の重さ
- ゆる体操実施。参考書は、高岡英夫の『仕事力が倍増するゆる体操』
- 「膝コゾコゾ体操」を実施→快眠 「1日」で顕著な効果を自覚。
- 他の体操も実施。「1週間」で、目および腰の不調の改善を自覚。呼吸も改善。
- 肩凝りの改善。自覚は3ヶ月後。
- 1年経過。心身ともに改善を自覚。
こういった感じですね。このような経過を辿って増田氏は、ゆる体操に劇的な効果があると実感し、それを広めたいと認識してエントリーを書いた、という流れ。
この流れを見ると、増田氏は、不調を改善すべく、色々試したという経験があり、そしてゆる体操に「辿り着いた」という事のようです。ここでは、「他のものが効かなかった」という経験が、ゆる体操が「効いた」という認識を強く形成させるきっかけとなっているのだと思われます。そして、「短期間」である事。長年悩んでいたものが、ものによっては1日で、肩凝りも数ヶ月で改善された、という実感は、取り組んだメソッドの効果を強く印象づけたのでしょう。また、低コスト(時間や、体操としての簡便さ)という面も、簡単に出来る、という事で重要な点です。痩身法(○○する「だけで」痩せる、といった謳い文句)なども思い起こすと良いでしょう。
ここで重要なのは、個人的に色々工夫したり探求したりして、その結果見つけた、という事、つまり、「比較しふるい落としてきた」という経緯である所です。たとえば、ほとんど運動してこなかった人が ゆる体操をやってみたら改善された、という場合には、運動をする事そのものが身体的に好影響を与えた、つまり、「運動ならなんでも良かった」可能性がある訳ですが、増田氏のケースでは、色々な体操法や、筋トレを試みてきた、という事で、それらと較べてより高い効果が得られた、と主張していると。
○効果
では、その体操は、確かに増田氏に高い効果を齎したと言えるのか。……確実には言えません。
今回のケースは、一人の人間が色々試してみた、というものです。つまり、シングルケース(一事例)。科学の研究においても、シングルケース(一人、もしくはごく少数)を対象として行われる場合は当然ありますが、その際にも、色々な条件を考慮してデザインして行われます。
簡単な所で言うと、たとえば、年を取ってきて体質が変わってきた、とか、他に変化してきた要因、食生活や交友関係が変化してきたとか、あるいは、他の体操の効果が「後になって現れてきた」という可能性なども、厳密に見ると考えられます。
もちろん、食生活や交友関係などは、体調や精神に強く関わる事が簡単に推測出来るでしょうから、増田氏も強く意識していた所でしょうし、それがあれば書いていたはずです。また、体操が後になって効いたというのは、あくまでも「論理的な可能性」であって、運動生理学などから考えて、そういう事があり得そうかそうで無いか、などはまた別の話です。要するに、あるものの効果を確かめるには、そのくらい色々な事を考慮しなくてはならない、と。
参考:教育実践研究のための一事例研究法
さらに言えば、「体調が良くなった」という「実感」自体が錯誤の可能性すらあります。いわゆる「気のせい」というもの。心理的にも切羽詰まった状況であった事が、身体的な改善を誤認させる、という可能性。あるいは、体操そのものに効果が無くても、その体操が良いのだ、という思い込みが心理的に作用して、それが実際に身体に好影響を与える、という事すら考えられます。その場合には、身体が改善されたのは事実だけれども、「ゆる体操」は効かなかったと言えるのです。
もちろん、効いたという実感が錯誤である可能性というのも、論理的な可能性です。肩凝りの改善などの実感が全部誤認というのが、生理学や心理学の観点から果たしてあるのか、と見る事も出来ますので。ただ、ここで言っているのは、そういった、身体的な状態が改善されたかどうか、についても、きちんと「はかる」必要がある、という事です。たとえば、肩凝りの改善といった場合に、「実感」だけに頼るのでは無く(それも当然、主観的なものさしとして重要です)、筋肉の固さを正確に測る機械を用いたりしないと、本当に「効いた」かどうかは言えない、という意味です。つまり、ものをはかる「ものさし」が肝腎。これを「尺度」とも言います。
○効果2 他人に勧めて良いのか
ここで、仮に、ゆる体操が増田氏に「効いた」とします。つまり、本当に増田氏に効果を齎した、と「仮定」します。さて、その場合に、増田氏が「広める」事は構わない、と言えるでしょうか。……言えません。
なぜそうなるか、と言うと。もし増田氏に効いたのだとしても、それは、「増田氏だから」効いた、という可能性があるからです。増田氏は、自分に効いた(と自覚した)から勧めようとした訳ですが、もしかすると、ゆる体操が増田氏に効果を及ぼしたのは、増田氏の年齢や性別、体質などがあったからこそである、と見る事が出来るのです。
ここで、「効く」という「情報伝達」について考える必要が解ります。増田氏は、効くと感じて勧めたのですが、それはすなわち、「集団に対して効果がある」という「メッセージ」になっているのを意味します。しかも、増田では、「万人向けに作ってある」と書いてあります。つまり、かなり意図的に「メッセージ」を発信している。これにはおそらく、高岡氏の書き方が影響しているのでしょう。高岡氏は、かなり尤もらしい論を展開して、汎用性を主張するので。
○エビデンス
「メッセージ」に、「多くの人に効く」という意味合いが込められている。つまりそれは、詳しく書けば、「ゆる体操は集団に安定して効果を齎す」という含意があります。そうなれば、「増田氏に効いた」という事(もちろんこれは仮定です)だけでは、「証拠」として弱い。従って、他者に効くと広めたいなら、集団に広く安定的に効果がある、というのを示す必要があります。無ければ無責任、とも言えるでしょう。
では具体的にはどう調べるか、と言うと、それは、実際に沢山の人を集めた集団に対し、ゆる体操をやらせてみて効果を見る、となります。もちろん、先ほど書いた「ものさし」がきちんと作られているか、とか、誤差が小さくなるように沢山の人を集めるとか、他の方法などと較べて効くか、という「比較」の観点が重要です。それに関しては、以前に書いた事があるので、よければ参照下さい(超長文です)。
「効く/効かない」再び: Interdisciplinary
なお、こういった事に関して効果を確かめるのを、「効果研究」などと言います。確かめる方法や分野として、「疫学」などがあります。また、そういった方法によって得られた証拠を、カタカナで「エビデンス」と表現する場合があります。疫学や臨床によって得られたデータはどの程度のものか、という事ですね。それらを検討して、本当に効くかどうか、が確かめられる、という寸法です。
○試すのはまずいのか
では、そういった証拠、つまり効く事の「エビデンス」が無い、もしくは少ない場合、宣伝されているものを試してはいけないのか。そういう観点があります。
この事については、「ものによる」というのが適切な答えでしょう。たとえばこれが、「痩せ薬」みたいなものだとしたら、おいおいちょっと危ないぞ、となりますよね。そういうのは飲んだり食べたりする物ですから、それは身体に吸収され、色々な反応を及ぼします。そこに危険な毒物などが含まれていれば、取り返しのつかない結果になりかねません。だから、薬事法などで厳しく取り締まられている訳ですね。そこから外れている業者が摘発されるのもしばしばです。
ゆる体操に関して言えば、それは、運動療法に分類されると言えます。つまり、薬物を使ったり、電気などによって刺激を与えたりする(物理療法)のでは無く、身体運動を工夫する事で改善していくアプローチ。
従って、それが齎し得るリスクを考えるとすると、薬物中毒などでは無く、運動を行う事による、生体の疲労や破壊など、と考えられます。
増田経由で ゆる体操の映像を観た人は、おそらく、「これは簡単だ」という風に感じた事でしょう。増田でも触れられている3つのメソッドなどは、寝た状態で身体をくにゃくにゃ動かすものですし、誰にでも出来て負担は少なそう、と思うはず。
おそらく、その印象は正しいものと思われます。運動療法の場合、見た目から、身体にどのような負担がどのくらいかかるか、というのは、ある程度判断出来るでしょう。その観点から言うと、ゆる体操は、かなり負担が少ないというのは一応言えると思います。その意味では、まあやってみるのは別にいいんじゃない、と。
もう少し詳しく書けば、そもそも高岡氏が、「ゆる」の概念を提唱した当初、頭や首を激しく揺する事について、批判がありました。それでは頭部や頸部に対して非常に危険なのではないか、と。武術関連で言うと、長野峻也氏などが強く批判していました。そしてその後、高岡氏がその内容の批判を受け容れ、首は優しく揺するように、と著書で書くようになった、という経緯があります(『からだには希望がある』付近だったと記憶)。
参照:長野峻也ブログ 新体道DVDはスグレ物! ※あくまで批判例。私が長野氏の論の全体を参考にしているという事は無い。「頭蓋骨内部で脳がぶつかって非常に危険」という事が、ゆる体操程度の運動の実践でバイオメカニクス的に起こるとはっきり言って良いのかは不明。そもそも高岡氏は、色々なスポーツの運動を参考にしている、と最初に表明しているのだから、一々、元ネタ?みたいな指摘をするのは特に意味が無い
そのような流れがあり、「ゆる体操」が著書で発表されるようになった訳ですが、その体操は、元々「誰でも出来る」ように、つまり、高齢者なども安全に出来るように志向されてきた、というものです。だから、まあ体力的に大きな不安が無ければ、軽く試すくらいならいいだろう、とは言えます。もちろん、高齢であったり、強い腰痛などを持っていたりする人は、かかりつけの医師などに体操を見てもらって判断を仰ぐのが良いでしょう(普及する側もそれは奨励しているはず)。
○効果の実感
はてブは1000以上ついています。実際に読んだ人は、この数倍以上はいるものと思われます。そして、ゆる体操は見た目は簡単なので、試す人は、まあ粗く見積もって、多くて数千人はいると推定しても良いでしょう。
先にも書いたように、それまでほとんど運動をやってなかった人は、全身をゆする運動をして、実際に不調が改善される可能性があります。つまり、「運動そのもの」が効果を齎す可能性。その場合、「ゆる体操”だから”」効いた、という事実が無くても、「ゆる体操”が”効いた」と認識するかも知れません。
で、分母が数千にもなると、その実感を持つ人が数%いたとしても、その人がブログで書くなどすれば、また情報が伝播する可能性があります。分母が大きくなるのは、結構怖い事です。その中に、情報伝達という意味で影響力を持つ人などがいれば、波及の仕方は大規模になりかねません。
○効かない場合
ゆる体操が効かない場合のデメリットを考えます。
多分、増田に注目した内の多くの人は、「本当かいな」て思って見ているでしょう。まあ効かなくてもいいけどやってみるか、と考えてやる人もいるはずです。そういう人は、やってみても別に危険な訳では無いし、とも思っているでしょう。実際そうであろう事は、上でも書いた通りです。
で、増田は、肩凝りや腰痛などに効く、と紹介しているので、読み手で同様の自覚がある人が試すでしょう。それで「効かない」場合、まずあるのは、「時間を無駄にする」事。でもそれは、当然解っているはずです。ゆる体操は、一回十数分でいい、という低コストも売りですから、そのくらいなら別に捨ててもいいや、効果があれば儲け物、といった具合で。
こういう体操に目を向けるくらいだから、腰痛や肩凝りが超重度、の人はそれほど多くはいないかも知れません。重度の人は病院に行く公算が高いので。そういう人には、大きな弊害というのは無いものと思います。ただ、何をやっても駄目だった、病院にも行ったのに、という人で、もしかすれば良質な整形外科を受診すれば改善される場合などは、適切な処置を受けさせなくなる、という虞はあります。
体操そのものの害、という事で言うと、これまで説明したように、改善されてきて、より軽微な運動で整備されているので、おそらくは少ない、と考えて良いだろうと思います。ですから、効かないとしても、害も無いだろう、という事で、「風邪に砂糖玉を与える」のに似ている、とも言えるかも知れません。※ただし、風邪に砂糖玉を与える事は、「効かないのが解っている」のが異なる。体操は、生体に力学的・生理学的に働きかける、という部分が必ずある。
しかし、だからと言って、まあやってみればいいんじゃない? とすぐなるか、と問われると、そのままそうだ、とは返せません。何故ならば……
○効果の謳い方
増田では、肩凝りや腰痛、眼精疲労がクローズアップされています。ここで考えるべきは、療法の「謳う効果の範囲」です。
高岡氏は、ものすごく広く、ゆる体操の効果の範囲を謳っています。これは、書籍を参照すると解りますし、マキノ出版の雑誌などでもしばしば特集が組まれています。全体を総合すると、ほとんど「万能」を謳っているかのようです。例:マキノ出版|書籍・ムック 頭が必ずよくなる!「手ゆる」トレーニング
このような事情があるので、おいそれと、まあやってみていいんじゃない、とは言えないものがあります。言うとすれば、運動療法として、肩凝りや腰痛などに何らかの良い影響を与える事は既存の知識からはあり得そうだから、そのくらいの気持ちでやるならいいんじゃない? でも他人には勧めず、深みにも嵌らないように、とアドバイスするのが適当であると思います。特に、高岡氏の思想全体がかなり独特で、そこに嵌っていくのはとても危ういのです(深くは書きませんが、高岡氏は「身体意識」論という、現在では仮説の塊のような体系を理論的な支柱としており、ゆる体操(元々は「ゆる」という概念で、それは今は、基礎ゆる、と呼ばれているようです)も、その論と密接不可分なので、「単なる運動療法」として「切り離して」検討するのがとても重要)。
○ゆる体操の理論とエビデンス
ここからは、実際に、ゆる体操にどの程度のエビデンス――疫学や効果研究による「証拠」の事でしたね――があるのか、という事と、そもそも「ゆる」がどのようにして出てきたか、という部分の解説をします。マニアックな所なので、興味の無い方は読まなくて良いと思います。
高岡氏によれば、スポーツの動作を観察していて、ゴルフのワッグルや、水泳選手が競技前に手をプラプラ揺する事などを見て、身体を揺する事が重要だと気づき、それを「ダイナミックリラクゼーション」として位置づけたようです。そして、そのエッセンスを取り出し、身体を揺すってリラックスさせるメソッドとして体系化しました。「ゆる」という言葉は、「ゆする」→「ゆれる」→「ゆるむ」という現象のサイクルを考え、そこに含まれる「ゆ」「る」からとったらしいです。
高岡氏が重視しているのが、「ゆるむ」事。これは、筋肉などの組織が弛緩すべき時に弛緩する、という生理的な状態もですし、それ以前の、身体の状態を支配する「意識」にも働きかける、という論でもあります。だから、筋肉を弛緩させる、という事のみならず、「骨がゆるむ(ゆるませる)」みたいな事も言われます。ほゆる(骨のゆる)、ぞゆる(内蔵のゆる)、きゆる(筋肉のゆる)。
ゆる体操以前から、「声を出す」事が重視されていました。これは、発声するという運動自体(発声器官が運動するし、それによって、全身的に振動が伝達される)が良いという観点もあるし、「どういう言葉を発するか」というのも考えている。高岡氏は記号論を援用するので、言葉の持つ意味世界というのを重視しています。基礎ゆるだと、ほゆるをやる時に、「ほ~ゆ~る~」みたいに声を出したり。後、ダジャレを積極的に取り入れるのもありましたね。肋骨をゆるめる時に、「あーバラバラ」と言ったり、とか。心理的なリラックスを促す事も狙っているようです。実際、本質的に ゆる体操を、運動療法+心理療法 といった風に扱っているように思われます。
今、肋骨をゆるめる、て書きましたが、ゆる では、色々な器官をピンポイントにゆする、というのがあります。それ自体は非常に有用だろうと思います。それまでの日常生活では運動させる機会の無い筋肉などを意識(位置と知覚を結びつける)して、そこを積極的に運動させていく、というのは、生理学の観点からも着目出来るやり方だろうと思います。「意識する」というのは、古来武術でも言われてきた所ですし(意識という語は使わなくとも)、昨今の色々なメソッドでも強調されていますね。他の分野だと、楽器演奏や声楽などでもあると聞きます。
ただし、高岡氏はそこに留まりません。ゆする→ゆるむ というのは、随意的に運動させられる骨格筋の話なら、まあそれは面白いよね、となりますが、これが進んで、一つ一つの細胞までゆるめる、みたいな話になってきます。ここら辺、いかにもニューサイエンス風です。だから危うい訳です。既存の知識と証拠に基づいた堅実なアプローチをポンと飛び越えてしまう。
生理学的な見方で言うと、ゆるを行う事により、それぞれの器官が、適した機能を発揮するよう促す、のを期待しているようです。筋肉であれば、よく弛緩させ、使う時には適切に収縮させる、といったように。
どの器官を活動させているか、しているか、を常にモニタさせる、といった所でしょうか。バイオフィードバック的な面もあるのでしょう。その理論的な志向自体は面白い。
このような理論的な考えがあって、そこから、「ゆる体操」が出てきます。2000年くらいからでしょうか。より馴染みやすいように、とっつきやすいように、と工夫して、いかにも「体操」といったかたちに整備されてきた、という印象です。増田で紹介されている3点セットも、結構後に出てきたと思います。その頃から強調されてきているのが、「低コスト」で「高効果」というもの。コストは、経済的なものもですし(知識を得れば、金は全く要らない)、身体的な部分もです。つまり、「よし、やるぜ」みたいに気合を入れなくても簡単に出来る。家に帰ってきて部屋に寝転がってそのまま出来る、という簡便さがある訳です(増田氏が紹介している本で特に強調されている)。
さて、「効果」についてです。つまりエビデンス。
高岡氏の本を見ると、筑波大学の征矢英昭氏の協力を仰いだというのがよく出てきます。指標としては、各種心理学的指標。ただ、それらしい論文は出ていないようです。メディカルオンラインなどで数件見られるのみ。
また、行政とも協力して効果を検討しているのもあります。これは、運動科学総合研究所のサイトでも紹介されています。規模としてはある程度大きく、公衆衛生の専門家の協力もあるようです。
そして、RCTがあります。ゆる体操関連論文ー運動科学総合研究所・日本ゆる協会
もちろん、RCTが一件あるからといって、それで証拠が充分とは言えません。研究デザインが適切か、という観点もありますし、追試はどうなっているか、の見方もある。良い雑誌に掲載された学術論文は果たして充分か。
その意味で言うと、ゆる体操に関しては、色々な実践が行われ、学術的な研究も一部あるが、証拠の量としては充分とは言えず、効果があると自信を持って言う事は現在の所出来ない、とするのが今の所の適切な評価だと考えられます。また、これはあくまで、ゆる体操を運動療法として見たものであって、それは、高岡氏の他の思想であるとか、万能の効果を謳っている所などとは、切り離して考えるべきでしょう。
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以上、「十数年前から今に至るまで、毎日身体をゆすり続けている」私による、拙い考察でした。
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