カテゴリー「いじめ」の記事

お笑いとバーチャル

たかぎFさん、GJです⇒WEBダ・ヴィンチ 水道橋博士の「本、邪魔か?」(25)いじめ問題

前に言及した、北野武氏のエッセイの文章が、引用されています。

で、前半の、お笑いの構造の解説については、特に異論はありません。自分も、そう思って楽しんでいますし(だから、そうなんだよ、と教えるのが重要でしょう)。ただ、問題なのは、後半。えー、という感じです。昔(←曖昧)の人はそれが解っていた、今の人はゲームをやっていて、バーチャルと本物の違いがわからない云々、というのは、何か、確たる根拠でもあるのですか? そういう意味では、お笑いがいじめの原因だと言う事と、余り変わらないでしょう。

個人的には、バラエティを見慣れていると言っても、こりゃいかんだろう、と思う様な、やり過ぎ感みたいなものを覚えるものはあります。それは、一部のゲームなり小説なりを見て、嫌悪感を覚えるのと同じです。そういう事では? バーチャルと現実がどうのこうのと言う前に、どうなっているのかを教えればいいでしょう。その方が、余程現実的ですよ。

余談。以前、遊鬱さんのブログに、最近のバラエティの作り方が気になる、と書いたのですが、これは、そもそもバラエティ(お笑い芸人が出るもの)は、人の欠点を笑ったりするのを楽しむ構造を持っていますから、そこは、ちゃんとメタにみるべきだろう、という意味ですね。

※水道橋博士さんの文章へのリンクですが、それ自体の趣旨に賛同しているという事では、全くありません。念の為。

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懐古

今日、『サンデープロジェクト』を観たら、いじめや自殺について議論していて(途中から観ました)、教育再生会議の、義家弘介氏と海老名香葉子氏が出演されていました。

で、観ていて、海老名氏の発言が、余りにも、主観的価値観の一般化に思えたので、ちょっと拾ってみます。※司会の田原総一郎氏とのやり取りですが、海老名氏の発言のみを起こします。なるべく正確を心掛けましたが、聞き取りにくかった所等、細かい部分は、補いました。又、途中の細かいやり取りを省いている箇所もあります。

『簡単に死を選んでしまう。そういうような子に育ててしまうっていうのは、やっぱり親に責任があると少しは思います。』

『あのー、いじめられただけで死んだ子ばかりじゃないと思うんです。もう、世の中どうでもいいよ、っていうような感じで死んでいく子もいるだろうと思うんです。それを、いじめられたからという責任にして死んでしまう。あのー、余りにも、命の尊厳さを無くしてしまっております。簡単に死んでしまう。』

『面白くも何とも無くなった。明日の希望も無くなった。明日食べるの、何食べてもいいや、そいじゃあ、死んじゃおっかな、っていう、簡単に死んでしまう様な事を、聞きました。』

(上の発言の後、田原氏の、それを無くすにはどうすれば良いか、という問いかけを受けて)『はい、親です。親がきちんと小さい時から育てなかったからいけないんです。その親を…(田原氏「きちんと育てるにはどうすれば良いんですか?」)いやもう…あのう、生まれた時からもっと、きちっと抱いて、それで子守唄を歌って。幼児言葉を無くしてしまった、っていう事も第一違ってます。「おいちいね。おいちいおいちい。」とか、「たっちした。ああ、良かった良かった。」っていう事、全部無くしてしまいました。(田原氏「悪いのは親だ、と。」)そうです。』

――――――――――――――――

『そういう姑息なね(註:「姑息」とは、メールで「死ね」等と送り付けるいじめに対して)、やり方をする子どもに育ててしまった、っていう事。そこまで、いってしまったっていう事が、親の責任です。』

『昔はねえ、子どもの中でも、ガキ大将がいました。そいで、ちゃんと、差配(しっかり聞き取れず)しました。そいで楽しく遊ばせました。それから、社会もそうですけども、こう、そういう、陰湿な事はしなかったんですよ。チャンバラしたって、正義の味方は勝つ。悪い奴は負ける。そういう、あのう、教え方で、遊んでました(「遊べてました」かも。聞き取れず)。』

(田原氏の、今は変わってしまったが、どうすれば良い? との問いかけに)『ですから、元へ戻さなくちゃいけない。親の教育です。親がもっと、もう一度、子育てについて、研究しなくちゃいけないと思います。』

――――――――――――――――

『これだけ話題にしたら、この所、減ったじゃありませんか(註:自殺について)、これだけ。この一週間程で、大分、新聞出てないじゃありませんか。ですから、やっぱり、うんと話題にした方が良いと思いました。』

こういう意見は、子を育てた経験のある母親として持論を披露する、という事であれば、構わないと思うのです(同意は出来ませんが)。しかし、内閣によって設置された委員会の一員の発言としては、些か、思い込みが過ぎるものである、と感じました。特に、最後に引用した部分。これは、不用意な発言でしょう。話題にした、報道をしたから減った、等とは言えませんし、ここ数日の話からそう決断するのも、早計です。そもそも、報道されたから目立つようになった、と考える事も出来る訳で、「減った」、と言えるのでしょうか。

個人的な意見として、「自殺をする人は、命の大切さが解っていない」というのは、おかしいと思っています。正直、とても乱暴な主張だと考えています。

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よく解らない

Yahoo!ニュース - 読売新聞 - いじめ「見ぬ振りも加害」…教育再生会議が緊急提言

いじめを傍観した児童・生徒の指導強化も盛り込むなど、踏み込んだ内容となった。

どうやって判断するのでしょう。又、「指導強化」とは、どの様なものなのでしょう。

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バーチャルとかいじめとか

週間ポストの、北野武さんの連載を読んだのですが、いじめ問題に絡めて、バーチャルがどうだこうだとか、現実の痛みを知らないから云々とか、そんな事が書かれていました。それと、いじめ被害者の保護者についての批判(と言ってよいのかな)も。こんな典型的な、若者叩き的な思考を持っている人だったのか、と感じました。

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いじめ対策とか

原宿新聞 - 原宿エリアの最新ニュース - 「いじめ学」内藤朝雄氏に聞く、問題の深層と対策(1) 

参考になると思います。

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ちぐはぐ

クイズ!ヘキサゴンII(11/22放送分)

思うのですが。

一方で(ワイドショー等で)、「いじめは良くない」とか言っておいて、他方では、

「幸せな結婚生活を送っているアグネスさん。突然ですが、明日から旦那さんがフットボールアワーの岩尾(望)さんになります。いくらもらえばあきらめがつきますか?」

こんな事をクイズにして放送するのは、どうなんでしょう。バラエティだから良い、と言うのですかね。でも、バラエティは、フィクションではありませんからね。幾ら、当人達が割り切っているのだとしても、何か…。芸人さんが、自分達を貶めて笑いを取る、という面があるのは解るのですけどね。自虐ネタは、よくありますし。

※多分、すぐにページは更新されるでしょうから、「みどころ」を、全文引用します。

大人気の「もちろんクイズ」。今回は、アグネス・チャンには「幸せな結婚生活を送っているアグネスさん。突然ですが、明日から旦那さんがフットボールアワーの岩尾(望)さんになります。いくらもらえばあきらめがつきますか?」、アンガールズの田中卓志には「大好きな蒼井優さんと一カ月だけ付き合うことが出来るとしたらいくら払う?」、長州小力には「明日から、尊敬する長州力さんと、好きな時に本人と入れ替わることが出来ます。いくら払いますか?(ローン可)」、タカアンドトシのタカには「『大好きな牧瀬里穂さんと行く3泊4日の沖縄恋人同士の旅』が発売になりました。お部屋はジュニアスイートで、朝食つき。さて、このツアー、いくらで買いますか?」などの爆笑問題が出題される。ご期待下さい!!

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水伝といじめ

鴉工房: 「水からの伝言」って何だ

コメント欄が、実に興味深いです。

やはり、水伝が「非科学的であっても」、子どもの言葉の使い方を矯正する為には、教材として用いるのも已む無し、と考える方はおられるのですね。まさに、藁をも掴む思い、なのでしょう。教育現場に水伝を持ち込む教師は、この様に、それが科学的に根拠薄弱である事を判っていながら、やってしまう方も多いのでしょうね。

以下は、極端な例でも何でもなく、大いに起こりうる事だと思いますが。

水伝を用いた授業を受けて、その説を鵜呑みにした児童が、「バカ」とか、「ウザい」等の、「悪い」言葉を投げかけられたら、どう認識するでしょうか。その児童は、もしかすると、自分を、水伝の水と同一化してしまうかも知れません。そして、自分が、精神的にも肉体的にもボロボロになってしまうのではないか、という恐怖感に駆られるかも知れません。又、水伝を鵜呑みにした悪辣な児童が、気に食わない児童に対して、意図的に「悪い」言葉を浴びせる、という事もあるでしょう。まさに、(当人にとって)比喩で無く、「言葉を武器にする」可能性が、あるのではないでしょうか。世の中には、「自分がされて嫌な事を誰かにする」人が、残念ながら、存在するのです。そもそも、いじめを意図的に行う人間(最も典型的な、「いじめっ子」)というのは、「相手が傷つく事を選んで」実行するのです。それを考えると、対処療法的に水伝を用いる事によって、言葉によるいじめが減る、という説には、疑問を持たざるを得ません。

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いじめとか、「メディアの影響」とか

「いじめた事がある人」と問われて手を挙げるのは、何がいじめであるかを、明確に認識しているから。つまり、線引きをしている。という事は、それ以外はいじめでは無い、と考えている事も意味する。いじめのエピソードを見聞きして、それをいじめの類型と認識。

(以下、結構感情的な意見ですが)いきなり話は替わって、私は、テレビ等の情報は、「全てフィクションである」(その言い方が強過ぎるなら、制作者のフィルターに掛けられている、と言えば良いでしょうか)、というバイアスを掛けて観ています。必ず、懐疑的に見ます。報道ですら、です。メディアの悪影響がどうのこうのと言うよりも、そうする事を教えた方が、良いのでは無いかと思います。メディアの情報を鵜呑みにして、踊らされている大人を見るにつけ、そう思います。そもそもマスメディアの情報は仮構的である、という事を、認識すべきでは無いでしょうか。私は、前にも書きましたが、メディアの流す情報が与える影響は、とても大きいと思っています。勿論、良くも悪くも、です。だからこそ、それを相対化する事を、教えた方が良いと思います(規制は論外)。

最近、「今の子どもが云々…」というネガティヴな印象付けをしている番組を、よく観るので、こんな事を考えた次第。ああいった番組作りは、おかしくないですか? たとえば、テレビの情報によって、体感不安が増大したりすれば、それは、好ましくない影響だと言えると思います。

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本当なのですか?

前にも書きましたが。

「昔は、今日見られる様な、陰湿・悲惨ないじめは無かった」、と言う人がいます。

それは本当の事ですか?

いじめに、悲惨でないもの、陰湿でないものが、あるのですか? 「自分がされたら」、という考えを、根拠にしていませんか?

今の人が、昔より人間性が荒廃している、と言いたいのですか?

「いじめは良くない」と考えている人はいじめをしないのだ、と思ってはいませんか? 規範意識が強力な人でもいじめをする、という事もあるのです。結果的にいじめになっていた、という事もあるのです。

自分はいじめをした事が無い、と、断言出来ますか? 自分に自覚が無くても、思い返すと、あれはいじめだった、という行為はありませんでしたか? 知らない内に、自分(自身や)の世代を正当化してしまってはいませんか?

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想像力

元検弁護士のつぶやき: バカ教師(不登校女子生徒自殺未遂)経由で⇒奄美の不登校中1女子、教師の訪問直後に自殺未遂 : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

この教師は、生徒がどの様な心理状態にあったのかを、どう認識していたか。又、理解しようと務めたか。自分だったらどうか、という事を、他者に無理矢理当てはめたのではないか。そういう事を考えました。

とても悲しい出来事です。

追記:続報⇒Yahoo!ニュース - 西日本新聞 - 奄美の女子中学生 教諭説得後に自傷行為 不登校中 自宅で布団はぐ 読売の記事と詳細が異なっているので、貼っておきます。

2006年11月6日追記:ヤブ医者さんヤブ医者ブログによる考察マスコミの偏向煽り報道2

私も、2つの記事を挙げましたが、ヤブ医者さんの仰る様に、記事によって、かなり意味合いが異なります(上の西日本新聞の記事は、リンク切れなので、西日本新聞のサイトのリンクを貼っておきます⇒[奄美の女子中学生 教諭説得後に自傷行為 不登校中 自宅で布団はぐ] / 社会 / 西日本新聞。勿論、どの記事の内容が事実に近いのかは、知る事は出来ませんけれども(読売の記事が正確である可能性もあります)、書き方によって、件の教師に対する印象も、幾分か変わってきます。とは言え、教師のした行為が配慮を欠いている事には、変わりはありません。

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どう捉えるか

しゅう兄さんの臨床心理士的生活- 「いじめ」について-

しゅうさんに同意します。

「昔のいじめは今のように陰湿じゃなかった」から、いじめそのものが問題ではなくて、「いじめの内容が問題」というやつ。

たまに、こういう意見を見聞きする事があります(日本のいじめは陰湿だ、という意見もあります)。しゅうさんが仰っている様に、行為を正当化する、という面があるのではないかと思います。これこれをしたら陰湿で、これくらいならそうでは無い、等とは、絶対に言えません。いじめの形態が変わった、つまり、より手口が複雑・巧妙になった、という事はあり得るかも知れません(実際、増えているかは判りません。そういうケースが大々的に報道されるのが増えた、という事かも)。それを、「陰湿」としているのかも知れませんが、そんな事は、いじめられる側にとっては、関係の無い事です。

あとですね、専門家の人達がよく言うのは、「教師の指導力不足」だったり、「保護者の問題」とやらだったりですかね?

いじめというのは、顕在化し易いものと、そうではないものがあります。又、いじめる側の周到な策によって、強力に隠蔽される事もあります。「教師の指導力不足」というのは、そういう場合もある、というくらいで押さえておくべきしょうね。前にも書きましたが、「いじめられる」側が隠蔽する(いじめる側に促される――つまり「脅される」。家族に心配・迷惑を掛けたくない、等)、というケースすらあり得るのですから(教師の指導に意味は無いのか、と言われるかも知れませんが、そうではありません)。

すぐに休ませるという話がちっとも出てこないのは何でなんでしょうね。

これは、本当にそうだと思います。いじめの現場から離れる事を、もっと許容しても良いと考えます。学校には行かなくてはいけない、しかし学校ではいじめがある、等というのは、途轍もないストレスが掛かる、葛藤状況でしょう。

「いじめっ子といじめられっ子を仲直りさせる」とかいう指導であったり(仲直りって別にケンカしてるんじゃないんだからねえ…)、そこまでじゃなくても、「いじめっ子にはいじめない事を約束させて謝罪させて、いじめられっ子を励まして登校を続けさせる」とか

形だけでも解決した様にしたい、という場合、こういう方向になるのかも知れません。いじめを単純に考えているのでしょうね。

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いじめ雑感

何か、「攻撃=いじめ」と考えている人が、結構いるような気がします。そういう前提は、正しくないと考えます。

Yahoo!ニュース - 産経新聞 - いじめ 摘発165件 力が弱い/無抵抗/いい子ぶる/動作鈍い

私は、以前に書きました。「いじめられる原因は、いじめられる側にある」と。何故なら、そんなもの、いじめる側が勝手に設定するからです。つまり、どんな事でも(容姿でも、態度でも、家族構成でも、何でも)、いじめる原因になりうる、という意味です。そして、「いじめられている人間は、いじめられるに値する人間なのである」と正当化する訳です。それが最後には、「いじめられる人間が”悪い”」となるのです。

文部科学省の統計によると、いじめの発生件数自体は近年、少子化による児童生徒数の減少とともに、減少傾向にある。一方で、校内暴力の発生件数(文科省調べ)は増加しており、暴力的ないじめに特化している傾向を裏付ける。同省は「キレやすい子供」を脳の機能不全ととらえた科学的な研究も進めている。

この論理は、かなりこじつけです。というか、ちょっと意味不明です。いじめ(の報告)が減った事と、校内暴力が増えたという事から、何故、「暴力的ないじめに特化」などという結論が出てくるのでしょうか。

「いじめられっ子のサインに先生や親が早く気付き、適切に処置すれば、解決できるはず。大人の力が弱まっている」

よく聞かれる意見です。確かに、この事自体は、とても重要です。しかし、いじめられている人間の中には、全力で、「サインを出さない」努力をする人もいるのです。それは、凄まじい意志の力です。理由は、例えば、「家族に迷惑を掛けたくない」等。その事は、理解しておくべきだと思います。

404 Blog Not Found:心の傷を心の胼胝(たこ)に経由で⇒ラブラブドキュンパックリコ - いじめを受けている多感な思春期の子どもにとって自殺は最善策の1つである

多感な思春期にいじめを受けることが、どれだけ後々の人格形成に悪影響を及ぼすか。

コミュニケーションを取りにくい、生きにくさを感じる、等を「悪影響」とするならば、それは、そういう事もあるでしょう。でも、それを「悪影響」と言って良いでしょうか。

そんなことは今までの多くの前例が物語っている。

そうでない前例も、数え切れない程ある筈です。

もしかしたら、今回死んだ子は幸せだったのかも知れない。

人格が歪み

他の部分に、結構同意出来る所はあるにしても、ちょっと、踏み込みすぎな気もします。

Maybe-naさんのエントリーを私なりに要約すると、いじめられた人間は、将来の社会的適応に不便なパーソナリティを形成(悪影響)する可能性がある。その様なパーソナリティが持続して、常に苦しみながら生きるよりも、自らの命を絶つ事も、一つの方法なのではないか。という所でしょう。こういうケースもあるだろう、という記述なら、確かにそういう事は、ある程度は言えるでしょう。しかし、それを一般化してしまったり、亡くなった人の行為(つまり自殺)に対して、「最善策」とか、「幸せだったのかも」とか、やっぱりそれは、違うと思います。そんな事は、誰にも言えないし、言うべきでは無いでしょう。

生きにくい人間は、生きにくいなりに、生きようとしています。生きにくくならない様に、努力する場合もあります。絶望に押し潰されそうになる事もあります。色々です。

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いじめについて

いじめ、というのは、とても難しい問題だと思います。

ある行為を観察して、「それはいじめだ」とか、明確に判断出来る事ではありません。

やる側は、ほんのいたずら程度にしか考えていなくとも、その行為は、やられる側に、筆舌に尽くし難い苦しみを与えるのです。第三者が、「そんな事で、いじめとか騒ぐなんて大袈裟だ」、等と言う場合があります。でも、そんな単純な事では無いのです。周りから見て、些細な、「そんな事で?」と思われる様な行為でも、やられる側にとっては、重くのしかかるのです。

いじめる側は、自分のしている行為が、相手を深く傷つけているのだ、とは、なかなか考えないものです。自分は、他人を傷つける様な事はしないのだ、と自覚している人は、特にそうでしょう。そういう人は、自分の行為の重大さに気付くと、愕然とします。自分の思慮の浅さ、身勝手さを知って、後悔するのです。相手を全く慮っていなかった事が解り、自責の念にかられるのです。

相手がどうなろうが知った事では無い、と考える人もいるでしょう。この場合には、反省を求めるのは難しいでしょう。そもそも自分の行為が「悪い」のだと知っていながらやっているのですから。残念ながら、自分以外の人間がどうなっても構わない、と考える人はいます。悲しい事ですが。

自分は、いじめなどした事は無い、と、自信満々に言う人がいます。多分、そういう人は、いじめられた、或いは、誰かをいじめていた、と、昔のクラスメイト等に指摘されても、「それはいじめでは無い。ふざけていただけだ。」と言うでしょう。自分がやった事が、どう相手に響いていたか、それを考えないのです。ある行為が、「ふざけ且ついじめ」となり得るのを、理解していないのです。

いじめは、本当に、難しい問題です。

参考文献:高岡英夫著 光と闇―現代武道の言語・記号論序説

追記:TOSSウォッチング掲示板 TOSSの授業例が紹介されています。

2006年10月6日追記:uumin3の日記――いじめでの「自殺」いじめでの「自殺」(続き) まことに鋭い洞察であると思います。

言葉自体が凶器であるというよりは、関係性の中でそれが凶器にもなり得るということなのでしょう。

その通りで、「○○」という言葉に傷付いた人がいたから、○○を使わない様にしましょう、という単純な問題では無いのですね。いじめの場面で使われる言葉は、その場の雰囲気と相まって、対象を傷つけるのであって、その事を考慮せずに、特定の言葉を使ってはいけないなどというのは、妥当では無いでしょう。

女児は、とても賢い子だったのだと思います。それだけに、言葉に対して、とても繊細に反応したのでしょう。彼女にとっては、最大の罵倒語だったのでしょう。彼女の中では、様々な感情が渦巻いていた筈です。いじめた人間に対する憎しみ、何故自分が、という悲しみ。もしかすると、自分に何か非があるのではないかと、自分を責めたかも知れません。いじめる側に対して何も出来ない自分に対して、歯痒さを感じていたかも知れません。彼女にとっては、自分の命を絶つ、というのは、唯一取る事の出来る、最良の方法だったのでしょう。悲しい事です。

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いじめ

「陰湿ないじめは日本に特有」、という意見を見聞きする事があるのですが、「陰湿では無いいじめ」、なんてあるのですかね。

そもそも「いじめ」とは何でしょう。はっきりとした尺度があるのですか。それは定量化出来るものですか。これをしたらちょっといじめ、とか、ここまでいったら酷いいじめ、とか…。

いじめとは、「された方がそう感じる」事、ではないのですか。外から観察して判断する様な現象ではないのでは。

いじめが顕在化した際、加害者(第三者も)が、「いじめられる側に原因がある」と言う場合があります(被害者が、いじめられた過去を振り返って、その様に言う場合もあります)。

当たり前です。原因など、いじめる側が「勝手」に設定するのですから。仕草が気に食わない、ものの言い方が癇に障る、容姿が嫌だ、等々。そう考える事によって、自らの行いを正当化するのです。「あいつはいじめられても仕方がないのだ。」と。

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