カテゴリー「文化論」の記事

2009年5月 6日 (水)

禁ずる

ゲーム禁止を「強要」するのはおかしいと思う。 姪っ子は小学3年生。新学期に入り... - Yahoo!知恵袋

なんと言うか、愕然としますよね。

禁止の理由も、どれも主観の域を出ていないですよね。いわゆる「起こり得る」事であって、コンピュータゲームに特有のものとは言いがたい。要するに、他の文化に較べてそういう悪影響を顕著に与える、というのは明確では無い。(ゲームが視覚の機能低下をもたらすというエビデンスは充分にあるのでしたっけ?)

今までは宿題をした後、30分~1時間程度ゲームをしていた様ですが、妹は納得したのでしょう。
先日「ゲーム機」「ソフト」を全て売り払いました。

子供は泣きながら「やめて」と言ったそうですが、これは親の考えですので私は何も言えません。

これはなあ。お子さんはどんな気分だったろうなあ…。質問者さんの意見が柔軟で適切ですよね↓

が、それは各家庭で取り決めをし、子供に理解・納得をさせた上で、時間を決めてゲームをさせる。
約束を破ったら、数日禁止。

これでいいと思うのです。

担任の先生が家庭の教育方針にまで踏み込んでゲームを禁止する(させる)、というのは やり過ぎでしょう。

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2008年11月11日 (火)

詳しく調べる事を勧めます2

Interdisciplinary: 詳しく調べる事を勧めますの続きです。

(本) ゲーム脳の恐怖 - Dr ミカのメモ帳: 脳・栄養・心 (発達障害) - Yahoo!ブログにて、anomyさんや私へ返答がありました。ご自身の主張に反する意見を冷静に受け止めて頂いて、ありがたいです。

さて、森昭雄氏の論は、端的に言って、破綻しています。あらゆるレベルで矛盾や自分勝手な解釈をした部分があり、科学と呼べる代物ではありません。

コメント欄からいくつか引用します。

森昭雄教授は本の中で「ゲーム脳」の定義を説明していますが、
あなたの「ゲーム脳」の定義とは違うのでは?と感じました。

anomyさんのエントリーへの返答です。

森氏の本を読むと、ゲーム脳の明確な、定量的な定義は見出せないはずです。グラフのパターンの分類のように見えるかも知れませんが、同じようなグラフに別の解釈をしている所もあります。

「前頭前野の活動が低下」という部分、生理学的に賦活していないという意味なら、そういう研究結果はあります(ある種のゲームのプレイ時において)。しかしそれは、認知機能等の低下を即示す訳では全くありません。参照⇒テレビゲームが脳に与える影響

そして、この学生たちの80%が、自分はすぐキレる、
すぐ忘れ、忘れ物が多いなどをコメントしているとのこと。

このような、単なる自己申告では、科学的に充分とは全く言えません。仮に、忘れ物が多いというのが合っているとして、それを「脳の機能低下」に即結び付けてはなりません。

この本に対する受け止め方が、貴方と私で違うようですね。
この本を、貴方は読みましたか?

受け止め方の違い、と相対化してはいけません。森氏の論は「間違っている」のですから。

私は、森氏の本について、当ブログで詳しく検討しました。大部ですが、ご覧頂ければ幸いです⇒Interdisciplinary: 『ゲーム脳の恐怖』を読む

また、ゲーム脳論の問題点を平易にまとめたQ&Aもあります。よろしければご覧下さい⇒ゲーム脳Q&A

ゲーム脳は、まともな概念の定義も無く、科学としての方法や手続きも踏んでいないにも拘らず科学的に実証されていると謳っている説として、多数の科学者・専門家から批判を受けている説です。恐らく、批判がある事自体はご承知と思います。上に出した私のテキスト等の批判的言説も吟味して、冷静にご判断頂きたいと思います。

子ども達の健康について考えるならば、森氏の論を受け容れるというのは、良策であるとは言えないのです。

森氏の専門が「脳神経科学」であるというのは、最近森氏のプロフィールにも載っているので、あながち間違いとは言えないようです。ただ、ゲームのような文化が認知や行動にどう影響を与えるか、というのは、実験科学的な論点だけでは無く、広く文化や社会を射程にした方法を用いる必要がある訳です。その意味で言えば、全く不充分であると考えられます。もちろん、実験的な手続き自体が全く不足しているという部分は押さえておくべきで、それは、このブログの一連のエントリーで指摘しています。

ゲームによる認知や行動への影響という面を研究している科学者として、坂元章氏(お茶の水女子大学教授。社会心理学)が挙げられます。冷静で客観的にゲームの影響について研究しておられる第一人者ですので、もしゲームの影響に関心がおありでしたら、坂元氏の著作を参照するのをお勧めします。

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2008年11月 6日 (木)

岡田氏の論拠

参考資料として、『脳内汚染からの脱出』に載っている参考文献をメモしておきます(取り敢えず、日本語のものだけ)。WEBに参照出来るページがある場合、リンクを張ります。

○書籍

○報告書、論文

情報メディア白書〈2005〉 情報メディア白書〈2005〉

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CESAゲーム白書〈2005〉 CESAゲーム白書〈2005〉

販売元:コンピュータエンターテインメント協会
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CESA一般生活者調査報告書―日本・韓国ゲームユーザー&非ユーザー調査〈2005〉

子どもの放課後改革がなぜ必要か―「放課後の過ごし方」で子どもの人格は変わる? (学級教育の改革シリーズ) 子どもの放課後改革がなぜ必要か―「放課後の過ごし方」で子どもの人格は変わる? (学級教育の改革シリーズ)

著者:明石 要一,川上 敬二郎
販売元:明治図書出版
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テレビ・ビデオが子どもの心を破壊している! (危険警告Books) テレビ・ビデオが子どもの心を破壊している! (危険警告Books)

著者:片岡 直樹
販売元:メタモル出版
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いまどき中学生白書 いまどき中学生白書

著者:魚住 絹代
販売元:講談社
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心が脳を変える―脳科学と「心の力」 心が脳を変える―脳科学と「心の力」

著者:ジェフリー・M. シュウォーツ,シャロン ベグレイ
販売元:サンマーク出版
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脳内汚染 (文春文庫 お 46-1) 脳内汚染 (文春文庫 お 46-1)

著者:岡田 尊司
販売元:文藝春秋
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脳内汚染 脳内汚染

著者:岡田 尊司
販売元:文藝春秋
Amazon.co.jpで詳細を確認する

悲しみの子どもたち―罪と病を背負って (集英社新書) 悲しみの子どもたち―罪と病を背負って (集英社新書)

著者:岡田 尊司
販売元:集英社
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2008年10月 5日 (日)

ゲイムと学術

アルファさんのブログ経由で⇒ゲームとアカデミーの素敵なカンケイ(第1回)――東京大学 大学院情報学環 馬場章教授 (1/4) - ITmedia +D Games

良記事。

日本では、ゲームというのはあくまで娯楽であって、文化的(象徴的な意味で)、あるいは学術的研究対象としては見られない、というのがあるかも知れません。

それは、対象を無闇に高級なものと看做して特別視するというのを防ぐ事が出来るという反面、文化として見縊られる、もしくは軽く見られる、という事も起こるのでしょう。

コンピュータゲームという文化は、制作に携わる人間の数、投入される資金、産業としての巨大さ、等を考えるともはや、単なる娯楽には収まらないものとなったと言えます。金も人も、才能も動いて、注がれる訳ですね。

ゲームというのは言わば「器」だから、いかにも典型的な娯楽目的のようなものから、芸術作品と呼べるものもあり、また、直接的に教育目的を持つシリアスゲームのような分野も出てきました。従って、これらのあり方を総合的に分析・記述する必要があるでしょう。それには当然、広く学際的な視点が要求されます。

ゲームの学術的研究というのは、まだポピュラーな分野では無いと思いますが、今後益々発展していくと良いですね。

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2008年9月24日 (水)

開かれろ

コメント欄でcomplex_catさんともやり取りした事。

今は、ネットが拡大し、多くの人がWEBを使うようになってきて、色々な情報が色々な人に、大きく広まるようになりました。

で、それは、沢山の批判にさらされる可能性も高まる、という事でもあるのですよね。

動画配信サイトなんかで、動きを公開する。その情報は長く残るし、多数の人の目に触れる。中にはゴミみたいな非難もあるけれど、見る目がある人から苛烈な(かつ妥当な)批判を食らう場合もある。その道で神格化されているような人にも容赦は無いですからね。

そういうのは、良い事でもあると思うのです。武術の世界には、「神話」がありますからね。そういったものを解体していくのは、むしろ健全であるとすら言えます。

異なった分野の人が交流して情報を交換し合ったりね。どうしても体験出来ない部分はあるにしても、情報の性質をきちんと捉えていれば、有意義なやり取りが可能。

もちろん、上にも書いたように、悪い面もありますけどね。2ちゃんねるの武術関連のスレを見れば、それは解りやすいです。

なんにせよ、どんな立場の人でも等しく批判される状況というのを作っていくのが良いと思います。

多分、私の意見は、武術関連の人にはあまり受け容れられないでしょうけど。擁護システムは固いしね。

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2008年9月 2日 (火)

良い教材

思うんですけど、こういうのって、理科の教材としても有用なんじゃないですかね⇒鳴るほど♪楽器解体全書 掲載楽器一覧 | YAMAHA

楽器という身近で興味を持ちやすい道具と関連させて、楽器から音が出るのはその構造故である事を教え、説明された側は、楽器の合理的な仕組みに感動し、自然科学のメカニズムについての知識も得られる。実に良いのではないかな、と。

それにしても、YAMAHAのサイトは、コンテンツが充実していますよね。デザインも良いし。

余談。

昨日、こんな楽器があるのを知りました⇒ヴィオリラ | YAMAHA

いや、実に面白い。

楽器って、感性と経験と科学と技術の粋ですよね。素晴らしいと思います。

最近、MIDIやシンセサイザーの仕組みについても調べていて、その面白さに驚嘆している所です。

物事の仕組み、構造と機能について関心を持つと、あらゆる文化が繋がってきます。そして、それには自然現象のメカニズムが通底している事が、見えてきます。これほど楽しい事は無いですね。文化の間に壁を作る人には絶対到達出来ない。

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2008年8月24日 (日)

必修化2

<武道必修化>中学校に道場新設へ 来年度予算要求60億円(毎日新聞) - Yahoo!ニュース

関連エントリー⇒Interdisciplinary: 必修化

そんなに予算を割いてまでやる事なの?

武道というのは本質的に、暴力的な要素を含むものだから、高い精神性を持った指導者が丹念に指導していくのが重要でしょう。それをきちんと考察・研究せずに、まるで、「武道を経験する事そのものが、精神性を高める」、というのが自明であるかのように、安易に決定されているように思います。

まあ、必修化はもう決まったようなので、高度に記号化、あるいは様式的であって、競技の色合いが薄いのをやらせるのが良さそうに思います。型武道とかね。「簡単には使えない」ものをやらせる。日本剣道形とか柔道の型だけやる、とかどうでしょう。剣術の型ならば、たこやきさんも仰ったように体育館で出来ますし、木刀を使うので、慎重に道具を扱う、というのを学ばせる程度は出来るかも知れませんよ。高度に記号化されていれば、それを憶えるというプロセスも入りますし。

ところで、体育で柔道・剣道をやった方、それを体育の時間でだけやる事によって、何がしかの良い影響を実感しました? 後になって、やって良かった、と思った事はあります?

体力的に優位な子どもがそうで無い子どもを技の「実験台」にする事とか、ありますからね。ちゃんと考慮してるかな。週にたかが数時間やる程度で、武道の特徴を学ばせる、というのが可能なのでしょうか。

そもそも、この件に関して、武道・武術の専門家の意見をどのくらい取り入れたのでしょうね。凄く疑問。

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2008年8月23日 (土)

ゲームとの付き合い方

先週アップしたはずの記事が、投稿時刻の設定ミスで、上がって無かったようです…。

えっと、今週の日曜に上げるはずだったものかな。

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テレビ観てたら、NHK教育テレビ「土よう親じかん」 子育て応援番組という番組で、ゲームの特集をやっていました⇒土よう親じかん - 過去の放送 -

途中から観たのですが、結構良い構成だったかな、と感じました。よく付き合い方を考えていきましょう、という。細かい所で、それはどうかな、と思う部分はありましたが、まあそれは、見え過ぎるから気になるんでしょう。全体的には、良い番組だったんじゃないかな、と。

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2008年7月 4日 (金)

戯言

秋葉原通り魔事件 ~ 人生はリセットできない / SAFETY JAPAN [松村 喜秀氏] / 日経BP社

本当に下らない記事。戯言です。ふざけている訳では無く本気でこのような言を撒き散らす事に、戦慄を覚える。

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2008年6月19日 (木)

適当な

マンガ脳 (内田樹の研究室)

なんでこのエントリーが受けるのか、よく解らなかったりするけれど。

言語論的な所は、id:dlitさんにお任せするとして。

というのは、マンガ家を見て知れることの一つは、「画力のあるマンガ家は、話も面白い」ということだからである。
絵はめちゃめちゃうまいが、話は穴だらけ、とか、ストーリーは抜群だが、デッサンがどうも狂っている・・・というようなマンガ家は(あまり)いない(青木雄二くらいである)。

なんという適当な。世の中に、どのくらいのマンガがあるのかと。当然、「売れている(売れた)マンガ」と「面白いマンガ」は同義では無いですよね?

ところで、私なんかは、「そういえば、”デッサン”てよく聞くけど、実際はどういう意味なんだろうな。」という風に思ったりします。何となくイメージは出来るけれど、専門的にどう使われているかは、全然知らないんですよね。

大友克洋、鳥山明、井上雄彦・・・ワールドワイドに画風のフォロワーを有しているマンガ家たちは、いずれも創造性あふれる抜群のストーリーテラーである。

で、内田氏が、「画力」をどれくらい判断する事が出来るんだろうな、なんて。その前に、「画力」とはなんでしょうね。話の流れ的に、「デッサン」の巧緻さと同義なのかな? 通常、こういうメタフォリカルな表現(○○力とか)は、色々な要素を複合させた概念として用いるけれど。整っていなくても「画力がある」というのもあるって事? それとも、「デッサン」が巧みである事が、高い「画力」の必要条件って意味なのかな。もちろん、「面白い」も複雑な概念である事は、言うまでもありませんが。

あ、「○○脳」というのをエントリーのタイトルにするのも、流行を押さえてますね。もう過ぎ去った感も無きにしも非ず、だけれど。

だ、だめだ。一部のコメントの意味が全く解らない…(なんかカオスだなあ)。

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2008年6月12日 (木)

マスメディアの反応

秋葉原の事件に関して書かれたWEB上の記事を、調べてみました。

ここでは、ゲーム等のサブカルチャー、あるいはインターネットに言及していたり、「識者」と呼ばれる人のコメントが載っているものを、ピックアップしました。※ゲームという単語が入っているものも貼ります。「ゲームのような」、というアナロジーを用いて犯人の心理を推測している記事もありました。

新聞社の記事なので、その内削除されるものもあると思います。

社説 - [秋葉原通り魔]動機の解明を急ぎたい : 南日本新聞

 さらに、インターネットの携帯電話サイトの掲示板に犯行を予告する書き込みをしていたという。その内容は「途中で捕まるのが1番しょぼいパターンかな」などとゲームを楽しんでいるようだ。人を殺すことへのためらいがまるで感じられない。

自身の状態をゲームに擬えていた、というのはあるかも知れない(単なるアナロジーだから)。だが、「ゲームを楽しむ」というのと同様の心情であっただろうか。

福井新聞 - 論説(6/10分を参照)

仮想現実と孤独がミックスしたような世界で現実とのギャップを感じたとき、私たちが想像もできない行動に出る。

意味がよく解らない。

福井新聞 - 越山若水(6/10分を参照)

最近相次ぐ無差別殺人に、生身の命とゲームの命の区別も付かないのかとがく然とする。

区別がつかないのに、何故生身の人間を狙うのだろうか。違いが判別出来ない、というのでは無く、重み付けの話か。

東京新聞:現実の世界で生きているようで、実は携帯サイトの掲示板の世界…:社説・コラム(TOKYO Web)

匿名化を広範に許すネット社会では自分の行為に対する倫理的判断が麻痺(まひ)状態になる。作家の柳田邦男さんはこう分析している。思いやりの心の摩耗と言ってもよかろう。自分はどうか。心に尋ねている。

この文脈で匿名性云々を出す意味が解らない。

福島民報 | 論説・あぶくま抄:無差別殺傷 動機解明を(6月10日) 

子どもはテレビゲームでの殺傷場面に慣れ親しむあまり、仮想現実と現実との区別がつきにくくなるケースもあるという。

ケースもあるという、とする根拠は? その前に、仮想現実と現実との区別がつきにくいというのは、どういう状態なのだろうか。本当に虚構と現実の区別がつきにくいという状態なら、全く文脈が異なってくるはず。

さきがけonTheWeb|北斗星(6月10日付)(秋田魁新報社)

▼凶器はダガーナイフだった。ダガーとは英語で「短剣」を意味する。過去に欧米で決闘用に使われ、アニメゲームにも頻繁に登場する武器という。男がアニメマニアだったかどうかは不明だが、どこかおぞましいものを感じる

アニメやゲームに頻繁に登場する、と言い切れるかも疑問だが、「男がアニメマニアだったかどうは不明」というのは何を意味するのか。そうだったと判明した場合、アニメやゲームと凶器の選択が密接に関連していた、という事か。

【秋葉原通り魔事件】凶器のダガーナイフ 高い殺傷力 - MSN産経ニュース

ダガーナイフは、有名なゲームソフト「ドラゴンクエスト」などにも“アイテム”として登場、ゲーム好きの面を見せる加藤智大容疑者(25)をひきつけた可能性もある。

ダガーと聞いて『ドラゴンクエスト』を思い浮かべる人が多いほど、当該ゲームにおいて「ダガー」などという語は頻出しないと思われる。出てくるだけでよいのなら、無数のゲームが挙げられる。そもそも、『ドラゴンクエスト』では、武器のグラフィックはほとんど登場しない。武器の構造的な特性も同様。

※他ページからのリンクは、「【秋葉原通り魔事件】凶器のダガーナイフ ドラクエの“アイテム”にも」となっている。

Sknc

「ダガーナイフ」銃刀法改正も検討へ : 秋葉原無差別殺傷 : 特集 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

 東京・秋葉原の無差別殺傷事件で使われた「ダガーナイフ」は、人気ゲームで主人公が使う武器として登場するなど、若者の人気アイテム。

ダガーというゲーム中のアイテムが人気なのか、実際のダガーナイフが人気なのか。人気だからダガーがゲームに使われるのか。ゲームに使われているから実際のダガーナイフも人気なのか。そもそも、ゲーム中で注目されるアイテムとしてダガーが位置付けられているなど、ゲームユーザーの立場からすると全く考えられないし、聞いた事も無い。若者にダガーナイフが人気だという話も初めて目にした。

人気ゲームで使われている=それ自体が人気  には全くならない。

文章が読解不能。

asahi.com(朝日新聞社):使用ナイフは人を刺す武器用 規制は一部 秋葉原殺傷 - 社会

 ゲームでも武器として登場し、若者にも人気がある。

読売の記事と同様。「人気」とはどういう概念なのか。

○ZAKZAK(夕刊フジ)

秋葉原無差別殺人、男の素顔…ロリコン、スピード狂

秋葉原無差別殺人男のオタク執着…独特のこだわりも

アニメやゲーム、オタク等の言葉をネガティブな印象に誘導している。情報として書くべきものなのか疑問。

凶器のナイフ6本所有…福井市の軍用品販売店で購入

ダガーナイフは、中世ヨーロッパの騎士が身につけていた両刃のナイフ。俗に言うドスなどに近いサイズ。大ヒットゲーム「バイオハザード」で敵キャラを倒す武器として登場。キャラクターの成長を楽しむロールプレイングゲームの草分け「ドラゴンクエスト」では、ゲーム内の仮想ショップで自由に購入できる。

 加藤容疑者が犯行当日に友人に送った萌え系ロールプレイングゲームにもダガーナイフに似た両刃のナイフが登場していた。

ゲーム内だから「仮想ショップ」なのは当たり前。そもそも、ゲーム内の店で武器が購入出来るなど、大部分のRPG(ロールプレイングゲーム)に共通している事だ。意味不明な言葉の使い方。

萌え系のRPGとは何だろうか。「ダガーナイフに似た」、とすれば、どうとでも言えるのでは。諸刃の短剣ならば、全部似ていると言える。鞘付きの短剣等は、よく出てくる。

「自己愛強すぎる」加藤容疑者“心の闇”専門家が分析

秋葉原殺人男“女”と劣等感「幸せ者は死んでしまえ」

少ない情報から犯人の心理状態・精神構造を論じている。推測の域を出ない。心理臨床においては、様々な検査・面接等の方法を組み合わせて用いて対象にアプローチしていく。それも、妥当性や信頼性を科学的な手続きによって確認した方法によって、である。

このような、「識者」による心理の分析もどきが、果たしてどれほど有用なものとなるだろうか。ある特徴を持っている人が何かをしたとして、その特徴を持っている全ての人がそうである、とはならない。また、「何かをした」のはその特徴を持っているからだ、と断定は出来ない。

こういった分析は、様々な前提・仮説が全て正しい場合に成り立つ推測であって、それ以上のものでは無い。偶然当たる事もあるし、全く合っていなくとも、情報が少なかったという言い訳が出来る。

本当に真摯に考える人ならば、「情報が少なくて何も言えない」、となるはずだろう。「ネット事情に詳しいジャーナリスト」が、何故精神分析のような発言をしているのだろう。

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2008年6月 3日 (火)

ユーモラス?

某ブクマ経由⇒【Re:社会部】夢を推したアニメ - MSN産経ニュース

 その意味で、現在のアニメが将来の科学技術力を占うのかもしれません。しかし、近年話題に上るのは、いわゆる美少女系ばかり。若者の理工系離れの一因は、案外こんな所にあるのかもしれません。

劇的に噴いた。

いや、何を目指すか、というのに、好きだったフィクションが影響するのはあり得るのかも知れませんけれど、それにしても、後半は、飛躍し過ぎじゃないかな。

そもそも、「近年話題に上るのは、いわゆる美少女系ばかり。」、という部分の意味が…。美少女系って何、とか、話題に上ってるのか、とか。しかも、それが理工系離れの一因て…。

居酒屋談義ならともかくねえ。ジョークの類じゃないですか、これ。

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2008年5月 3日 (土)

違い

ニセ科学に関して、「呪術」という概念からアプローチされているエントリーがあって、はてブも結構ついていたり、poohさんが言及なさっていたりしますね(元々poohさんは、こっち方面のアプローチをよくされる)。それについて(分野としては、人類学とか民俗学とかになるのかな?)の知識が無い私は、読んで、なるほどなあ、と思います。

重要なのは、合理的・論理的であるからといって、即、それが科学的である訳では無い、という所かと思います。これは結構前から、何回か書いています。

Interdisciplinary: 科学的、合理的、論理的(他にもいくつか書いたはずだけれど、見つけるのが面倒…)

コメント欄に、「木を切ったら風が止むのでは」、という推論を子どもがした、というエピソードを書いていますが、これは、実に「合理的」な思考だったりする訳です。ですが、「科学的」では無い。それまでに実証的(実証という概念をどう考えるか、というのも、物凄く重要なトピックだと思いますけれど)に確認された知識と整合するか否か、という点を考えなければならないからですね。それぞれの分野が完全に独立している訳では全く無いのですから。

超能力捜査も水伝も、それなりに論理的ではあるのです。他の物事を無視すればね。

科学って、やっぱり優れているのですね。現象の構造を解明したり、予測や制御に応用したり、という目的を考えると、やはり、他の文化とは違う、と言っていいかと思います。それをまず認識するべきなんじゃないかな。

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2008年4月29日 (火)

寂しい?

ケータイが鳴らなくて寂しくなるまでの時間は?(+D Mobile) - Yahoo!ニュース

ほう。

ケータイが鳴らなくて寂しいと感じる事があるのか。そんなの思った事無いなあ。電話嫌いだし。

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2008年4月 3日 (木)

見えれば安心

「漫画、アニメ、ゲームのせい」は「天狗の仕業」と同じ思考停止 - 最終防衛ライン2

何でもいいから原因を知りたい、これが原因だ、と「納得」したいのかも知れませんね。もしくは「安心」。でもそれって、不安を駆り立てる事でもあると思うのです。広く普及しているものが要因だ、と言っている訳だから。事実ならともかく、根拠が薄弱な話なので、愛好している者としては、かなり困りますが。尤も、それを言ったら、問題のあるメディアを愛好している者が困るなど構わない、と返されるのでしょう。で、何故そう思う、と訊けば、凶悪事件を起こした人間がゲームを愛好していたから、となるのかな。

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2008年4月 2日 (水)

歌ったり演奏したり

ニコニコ動画、JASRAC曲の演奏動画が投稿可能に(ITmediaニュース) - Yahoo!ニュース

これで、ニコニコで「歌ってみた」とか「演奏してみた」系の動画が、「やっても良い事」になるのかな。で、いつから?

ニコニコ外部プレイヤーがココログにも対応したら、何か貼り付けてみますかね。2008年4月3日追記:どうやら、ブログに埋め込むのはダメみたいです。コメント欄をどうぞ。

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2008年3月31日 (月)

情報・影響

はてなブックマーク - 痛いニュース(ノ∀`):突き落とし少年の自宅から「ひぐらしのなく頃に」、「DEATH NOTE」など押収 …犯行動機との関連性調べる

たく脊髄反射が多いな。進学を諦めるほど経済的に困窮していたのにマンガを持っているのはおかしい。通常の人よりその内容に傾倒していた可能性は否定できない。動機に結び付き得るものを調べるのが警察の仕事だ。(hogawaさん)

違う、と言うか、論点が異なっているように思える。

この件で問題になっているのは、現時点であのような情報を報道する事に、一体どういう合理性があるか、という所なのではないかな。つまり、アニメやゲームをわざわざクローズアップする事に、どういった意義があるか。それは結局、先入観があるからではないか(あのようなメディアや作品は、特段の良くない影響を及ぼす)、という、そういう話だと思う。

今私達に、犯人が所持していたマンガの種類が明かされたとして、それをどう活用しますか?
ワイドショーや居酒屋談義で、推理小説ごっこが展開されるくらいでしょう。そして、マンガやゲームに対するネガティブな社会的認知が形成される可能性がある。そういう事なんじゃないと。

「影響」というのは大きさであって、方向では無いんじゃないかなあ、なんて。殊更に「悪」影響ばかりを仄めかされれば、反発もしますよ、そりゃあ。

影響が無い、なんてのはあり得ないですからね。なんの影響も無い(もしくは、考慮の必要が無いほど少ない)文化を擁護する、というのはおかしい訳で。自分に「影響を与えてくれた」素晴らしい文化だから、それによく解らない(根拠薄弱な)評価がなされると、黙っていられないのです。

これは付け加えておかないといけないかな。

『DEATH NOTE』は、確信犯の物語だから、読者が思想的なものを受け取るという、そういう可能性は、あります。それは当然。「子どもがこういうの読んでアホな考え持ったりしてね」、って思った事はありません? 私はあります。

だけれど、実際に個人の心理にどう影響したか、というのは、様々でしょう。他にどういうメディアやコンテンツに触れているか、というのもあるし。警察がそれを調べるのは、当たり前の話。でも、それを報道するのにどういう意味があるんだろうな、という所は、考えなくちゃならない。

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2008年2月15日 (金)

鉛筆と太刀

はてなブックマーク - 小学生に鉛筆を使わせていた理由

あれですよね。自分が鉛筆使ってる時は、シャーペンに憧れましたね。

何て言うか、そう……

メカニカル。

うん、あの金属感とか、手にずっしりくる重さとかが、なんか良かった。高級な感じがしたしね。カチカチやって芯を出したり、足りなくなったら装填するっていうのが、カッコイイじゃないですか。なんかハイレベルなアイテムを使いこなしてるぜっ、て感じで。

コンパスなんかもそうでしたねえ。メカってますよ。子どもはそういう所に惹かれるんですって。

シャーペンを使い出したのは、いつだったかな……中学かな。大人になった気分でしたね。うむ、大人。いや、実はあんまり憶えて無いんですけどね。

成人してからは、ノートにものを書く時は、鉛筆でもシャーペンでも無く、ボールペンになっちゃいました。何となく。

で、今は、手書きをする事自体、ほとんど無いですねえ。いいのか悪いのか知りませんが。

増田で紹介されている話は(やっと本題かよ)、つまり、「型」論のようなものですよね。鉛筆という、(多分)メーカー等の違いによるばらつきの小さい形状で、「鉛筆という道具」を用いる「基本」を身に着けさせる、という事なんでしょうね。それから応用と言うか、基本的な道具の使い方を学んで慣れてから、色々な形の物を扱わせる、という、そういう流れなんでしょう。大きな形状の変化は、長さの違いくらい、という事で。

はてブにありましたが、筆記具と書字の関係についての研究があるようで。それはそうですよね。メーカーも、そういうのを研究してデザインを行うのでしょうし。

あれですかね。

木剣と杖(棒)をしっかり扱う事が出来れば、鉄扇やら小太刀やら槍やらの操作に適応が可能、みたいな。一部の人にしか解らない喩えだけど。

うーん、何というアホ丸出しの文章。

そういえば、「万年筆」という、オトナの領域もありますね。お金が有り余るほどあれば、一本イイのを置いておきたいですね。あの製造工程とか細工の美しさは、ぐっとくる。

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↑何かミラクルな値段なので、貼ってみた。

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2008年1月17日 (木)

色々

やっぱ、「色々ある」のを知る方が、「正しい事だけを知らせる」とか、「有害な情報をシャットアウトする」、よりも、妥当だし、現実的だと思うんですよね。別に、何でも無責任に与えていい、と言いたい訳では、全く無いですけれど。

私は、多分5才くらいの頃に、こち亀やら『エコエコアザラク』やら奇面組やら『恐怖新聞』やら水島新司作品やら藤子不二雄作品やら手塚治虫作品やら、物凄く幅広く読んできたのですよね。もちろん、ちっちゃい頃なので、選んで読む、というより、そこにあるものを読む、という感じでした。

そうすると、色々あるのが解るんですよね。だって、奇面組と魔太郎って、まるで正反対の種類じゃないですか。知識も「広く」なるし(ギャグとホラーで、ベクトルの向きが違う)、いいんじゃないかな。幼児の頃から(記憶が曖昧なので、実際は、就学後かも知れないけど)漫画雑誌を講読していた様なものなのですよね。

なんか、有害情報を! と声高に叫んでいる人の言い分を見ると、細い道を作って、その上だけを歩かせようとしている様な、そんな印象。そんな事は無理だし、実現させようとすると、途轍も無く拘束的な環境を作り上げなきゃなりませんからね。いつまでも閉じた環境にいられるなら、まあ良いかも知れませんが、現代のような情報化社会では、かなり難しい気もします。

もし、触れたものの内容が、社会的に好ましく無い行為を正当化するように誤解させるようなものだったら、その時には、内容について話すなりすべきで。そういう時に、そんな下らないものを、と言ってしまうと、最悪ですよね。

どうして、「細く」、「狭く」しようとするんでしょうね。それより、色んなものに触れさせた方が、「豊かな想像力」が得られるんじゃないかな。「はみ出す」ものを恐れているのかも知れない。何からでしょうね。

……おっと。

最初は、子どもの頃から色んなものを読んだりした方が、物事を相対化出来て、メタな認識を鍛える素養になるのではないか、という話を書こうとしたのだけれど、微妙に寄り道してしまった。

やっぱ、一本道を歩くのは苦手みたいです。

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2008年1月15日 (火)

視点

はてなブックマーク - いっそひぐらしのせいでもいいんじゃないのか、もう。フィクションは現実に影響するよ。 - HINAGIKU 『らめぇ』

含みなどは考慮せず(ここ重要)、書かれたものを、ある程度ストレートに読むならば。

そもそも、マンガやゲーム、アニメ等は、「胡散臭い」文化と思われている訳です。強いバイアスが掛かっている。

だから、もし、関係者・原作者なりが、「影響したと認めた」と取られる発言なりをしたとすれば、何が起こるかは、明確です。特に、発言が原作者のものであればね。

戦略的にも全くまずい、という事です。

書かれてある内容は、概ね正当であると感じます。あらゆる文化は、人間の認識に、なにがしかの影響を与える、と考えるのが、むしろ当然。はっきり言って、ある作品が引き金となって、何らかの悲劇を惹き起こす事は、充分あり得る。それを否定出来るはずが無い。それは、どんな文化でも、です。

だけれど、その「正論」を、社会が冷静に受け容れてくれるか、というと、こういう(新聞記事の様な)話題が出る事自体が、それを否定する証左である、と言える訳ですね。大した根拠も無いのに「原因」として論うのが、まかり通っている。それが実際なのです。残念ながら。

○○のせいかもね。と言ってしまうのは、ある種の開き直りであって、自分が携わっている文化の影響力に無頓着である、というメッセージになり得るのですよね。

だからこそ、冷静で、論理的で、科学的な検討が、なされなければならないのです。あの研究会での坂元章氏の態度に倣うべき、だと考えます。

度を越した報道に怒る、というのは、態度としては、全く正当なものだと思います。もちろん、的外れな反論・反発もある訳ですが。y_arimさんは、そこの所を危惧なさっているのかも知れません。

端的に言うと、(批判されている文化に関わる人によって)安易な言い方がなされてしまうと、文化が破壊される虞がある、という事なのですね。情報が社会一般に(マスメディア等を通じて)フィードバックされ、どの様な社会的認知が形成されるか。それがどの様な影響をもたらすか。そういった所を慎重に考える必要があると、考えます。

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2007年11月25日 (日)

ゼミ

<ベネッセ>ニンテンドーDSで「進研ゼミ」 来年1月から(毎日新聞) - Yahoo!ニュース

これは、便利でいいんじゃないですかね。

スペースも取らないし、グラフィカルな表現も工夫出来るし。

色々出ますなあ↓

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2007年11月23日 (金)

イースポ

日本eスポーツ協会設立準備委員会、発足記念イベント開催決定。「ウイイレ2008」、「鉄拳5DR」、「フリスタ!」の日韓戦を実施

JESPA::日本eスポーツ協会設立準備委員会

電通スポーツ事業局竹田氏とGoodplayer.jp犬飼氏による「E-Sportsの現状と今後の展望」アジア室内競技大会のe-Sportsで金メダルを!

なかなか興味深いですね。ウイイレは、いかにも採用されそうなタイトルであります。

日本でも、どんどん普及していくといいですね。

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2007年11月21日 (水)

当たり前、に

ドラゴンさんのコメントへのレスも兼ねて。

私は、典型的な、学校の授業が嫌いな人間で、「微積分なんかやって何の役に立つのだ」、という考えを持っていました。

で、後になって、数学の凄さとか、面白さに、気付いてきたのですよね。それと、「役に立っている」という事に。

そういう経験から、自分が子どもの頃に、どういうものがあれば良かったか、とか、養育者や、学校の教員に、どういう教えられ方をすれば、興味を持てただろうか、というのを、よく考えます。

それにはまず、「嫌わせない」のが重要かな、と思っています。これは、経験的な、感想ですが、社会一般的に、「わざわざ嫌わせている」、という所が、ある気がしています。別に出来なくてもいい、とか、ああいうのは一部の「アタマのイイ」人がやるものなのだ、とか。

頭の体操とかパズルとか、そういうのを好きでやる人は、結構いるのに、数学という抽象的な知識の体系になった途端に、尻込みしてしまう。そんな事がありますね。具体的な現象と結び付けられるかどうか、というのが、ポイントなのかも知れません。前にも書きましたが、学校用のテキストって、綺麗過ぎるのですよね。解る人が見れば、すっきり良く纏まっているのは解るけれど、今から学ぼうという人が読むと、恐ろしく難しい。もちろん、教科書というのはそういうものだ、という見方も出来ますけれど。でも、特に数学なんかでは、あまりにも抽象的ですよね。一般化・抽象化した概念の汎用性とか凄さを本当に「解る」には、もっと身近の現象に結び付けるなり、した方が良いと思うのですよね。学習科学なんかで研究されている教材等は、そういう風にデザインされていますよね。

真面目な話、今の、ヨガやらピラティスやらの教室みたいな感じで、大人に算数から教える教室が、広く普及すればいいのにな、とか思っています。通信教育とか社会人向けの大学とかだと敷居が高いし、そもそもある程度の知識が要求されるので、ライトな感じのがあっても良いかな、と。大人になってから、「やっていれば良かったなあ」、と後悔する人は、いると思うんですよね。私もそうですが。しかし、よしやってみよう、と思い立っても、なかなか。独学より、他人と一緒にやったり、教師に教えて貰う方が、圧倒的に合理的ですものね。大人の場合には、一応、語は憶えたりしている訳だから、「あー、そういう意味だったのね。」となって、理解も早いでしょうし。

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2007年11月 7日 (水)

批判を受け容れる事

遊鬱さんのブログでのやり取りを見てました。
で、こちらのブログをご紹介⇒Tsukasa Blog | 湊屋さんとふみこの、ちょっといい関係

批判を受け容れて、それに対して誠実な態度をとったという、一つの事例なのではないかと思います。※ただ、「申し訳無い」というのを仰り過ぎな気もします。遊鬱さんも仰っていますし、私も別の所で、似たような事を書きましたが、批判の根拠というのは、自分が愛好しているものを非難されたから「だけ」では無いので。

そういう意味で、藁人形ばかり攻撃する人とは正反対かな、と。

坂元氏や浜井・芹沢氏の本を基にした記事などを書かれるのを、期待します。厳しい見方をすると、「単に謝意を表明した」、というだけに見られる可能性もありますので…。

※なんだかんだ言って、批判を受け容れるというのは、かなり難しい事です。

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超余談。

ツカサ社長さんのブログを見てみて下さい。これ以上は説明しないけど…。

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2007年10月31日 (水)

印度式

まだまだブーム続行!脳トレ最新アイテム(日刊ゲンダイ) - Yahoo!ニュース

インド式計算、って、最近よく聞きますが、内容を全く知らなかったりします。

で、そういうのが流行るのは、別にいいと思いますが、やっぱり、脳トレ的なものと結び付けて捉えられるものなんですねえ。

みんな、そんなに脳を活性化させたいのかな。

て言うか、本当に、脳を活性化させるという売りに乗って、ドリルなりを買っているのかな。計算の効率化が出来る、という事なんじゃないか、という気もしますけれど。それは実は、元祖脳トレにも言えるのかも。なんだかんだ言って、脳を鍛えるという部分より、やってて面白いから、というのがあるんじゃないかと。

でもあれですね。脳トレ系のゲームが流行るというのは、総合的に見ると、有益な事かも知れません。それらには、ほぼ必ず、計算問題とか、図形処理の問題が入っているので、そこら辺のセンスを磨くのに、なかなか良いツールなのかも。頭の体操の本が流行るのと同じ様な意味で。DSとかWiiの普及率を考えると、ケタ違いですしね。かなり贔屓目に見ると、ですが。

そういえば、近所の本屋で、インド式の本のコーナーがあって、何故かそこに、カレーの本がありました…。単に、「インド」って括りなのか。

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2007年10月20日 (土)

生き死に

Interdisciplinary: スイッチは余り関係無いんじゃ?のコメントに投稿しようと思ったけど、長くなったので、エントリー上げます。軽くガラが悪いです。

掘り出しニュース:中学生の2割「死んでも生き返る」 - 毎日jp(毎日新聞)

この調査については、別の所に書いた気もするけど、どこか忘れたので(もしかしたら、全然違う話かも。似たようなのが多いので)、ここへ。

なんか、本になったそうで。

2割って、めちゃくちゃ少ないよね。(調査対象の)8割の人が、人間は死んでも生き返らないと考えているのが、ある意味脅威的だ。

▽ゲームを毎日3時間以上する小学校低学年児童は「死んでも生き返る」と答える割合が多い

勘弁してよ。なんでいきなり、こんな話が出るの? どう見ても、印象誘導じゃないか。
ゲームに全く興味の無い人にも聞きたいけど、こういうのって、おかしいと思いません? だって、「だからどうした」、としか言いようが無い話じゃないですか。

復活とか輪廻とか、死=自我の消滅とか、そういうのって、そんな簡単に、どっちが良い、とかいう問題じゃ無いだろうに。そもそも、皆が思ってる「生き返る」って、全部おんなじ意味なの?

こういった調査からは、一般論は引き出しにくいと思う。どういう属性の人はこういう傾向がある、という類のね。で、そんな調査の対象の内部で見られたデータにおける傾向の話をしてどうするの、という感じです。大体、ゲームを3時間やる人は、全体の何割なんだろうね。で、その中の何割が、死んでも生き返る、と答えたのかな。

仮に、一般的に、ゲームをやる時間が長い人は、生き返りを信じている、という傾向があったとして、それをどう解釈するかは、また別問題。

東京大名誉教授で解剖学者の養老孟司さんが「命の大切さを実感させるには、死んだ人を見せればよい。『理解』するのではなく『実感』させることに意味がある」などと説いた提言も盛り込まれている。

そんな単純な問題か? いや、死を身近に感じさせるのが重要という意見には、特に反対はしないんだけど。まあ、抜粋された文なので、このくらいで。

あ、ふと思いついたけど。
「命の大切さを実感する」事と、「生き返りを信じる/信じない」って、関係あるのかな。そもそも、「命の大切さを実感する」とは、どういう意味?

死生観ってのは、単に科学の問題では無く、様々な、思想的・宗教的なものが、関わっているはずで、それは、とても複雑な事だ。調査を行うのは意味が無い、なんて言わないけど、やるんなら、しっかりやるべきだよね。

こんな書き方をしていると、「もし、しっかりとした研究がなされていても、難癖をつけるに違いない」、と思われそうですが、そんな事は、全くありませんので。ただ、ゲームという「メディア」の影響というものは、コンテンツを考慮しなければ論じられないので、少なくとも、ゲームはこうだ、という、時間的に普遍な、固定した影響を言う事は、不可能です。メディアそのものの特性の影響力を論じないのであれば。そこら辺が、化学物質の生体に与える影響等の現象との違い、なんでしょうけれど。

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2007年9月16日 (日)

何で調べるか

漢字の調べ方、辞書より携帯…10~30代で多数派に : ニュース : ネット&デジタル : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

文化庁のサイトにはまだ上がって無いようなので(国語に関する世論調査)、詳細が解らないのですが、記事を読んでの感想をちょっと。詳細不明なので、誤解が含まれるかも知れないです。

わからない漢字を調べる場合、何を使うかを聞いたところ

とありますが、どの様に訊いたのでしょうね。文字通り、「あなたは、わからない漢字があった場合、どうやって調べますか。次の中から選んで下さい(複数回答可)。」とかかな?

で、

こうした傾向について、文化庁国語課は「携帯電話の変換機能では漢字の意味までは分からない。求めている漢字を正確に選び出せるかどうかは使う人の国語力にかかってくる」と指摘している。

という指摘が。なんか変な気がする。解らない漢字を調べる場合、普通、意味は知っているのでは? 同音異義語がそれほど多くなければ、当たりをつけるのも、そんなに難しく無いでしょうし。それから、これは、質問の仕方にも関係しますが、携帯電話で調べるというのは、変換機能だけなのかな。辞書機能のあるケータイも、沢山あるでしょう。後、複数回答ありだから、ケータイ(の変換機能)で解らなかったら辞書を引く、という事も、あると思います。「携帯電話の漢字変換機能を使う」のは、「携帯電話の漢字変換機能以外を使わない」事を、意味しないですし。

個人的には、紙の辞書は使っていられないです(調査は、なんで、辞書と電子辞書が、分けられてるんでしょうね)。アクセスに時間がかかりすぎるので。紙の辞書を引く時間があれば、ポータブルの電子辞書(広辞苑)と「goo 辞書」とWikipediaを参照出来るので。

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2007年8月12日 (日)

ケータイ小説

痛いニュース(ノ∀`):【携帯小説】“女子中高生携帯作家”の小説、「感動して一晩中泣いた」と同世代は絶賛…「援交・ホストネタばかりでバカバカしい」との批判も携帯小説サイト管理人 「どれも同じ内容でヒドい」|Ameba News

私、携帯小説とやら(表現として変だと思う。「ケータイ小説」の方がいいかな)、読んだ事無いんですよね。携帯で、WEBはほとんど使わないし。

「ワンパターン」と、「崩壊した文法」が、共通して見られるっぽいですね。山田悠介氏(ケータイ小説をよく読む層に受けているって事かな)の文章は、まとめサイトかなんかを見た事があって、衝撃を受けたのを憶えています。あと、映画化された『恋空』とか。そこまで批判しなくてもいいんじゃ? と感じるくらい、痛烈な書き方をしているまとめサイトとか、ありましたね。

まあ、中高生時代は、結構偏狭(と書くとアレだけど…)なんじゃないかなあ、と。文法的な問題は、重要かも知れないけれど、ストーリーのワンパターンとかはなあ。別にいいんじゃない、と思……うーん、そうとも言えないか(笑)

で、ケータイ小説って、そういう内容のものばかり、なんですかね? 前、森村誠一氏だかがケータイ小説を書いている、という記事を読んで、へえ、と思った記憶があります。まあ、ケータイで読むくらいなら、文庫やら電子ブックやらで読むよ、って事なのかな、と思いますけれど。

以上、昼ドラを結構観たり、映画版のセカチューが好きだったりする人間で、赤川次郎・森博嗣作品好きでもある人間の、タワゴトでした。昨年やっていた『美しい罠』(東海テレビ系)は、傑作でしたぜ。ワンパターンでもいいんですよ。役者の個性とか纏まりとかを、重視するので。

文章力とか読解力を鍛えたいなら、学術書を読むのが一番じゃないかな。たまに、中学生が書いたんじゃなかろうか、というレベルの、大学向けのテキスト(の一部)とかありますが。

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2007年8月10日 (金)

それよりも

某ブクマ経由⇒制服の子に悪い…クールビズ廃止、西岡議運委長が突然提案 : 政治 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

それより、子どもの制服を廃止すればいいんじゃない?

子どもの頃、何故自分達は自由な恰好が出来ないのだろう、という問いに、大人から与えられた、よく解らない回答(自分が言われたのを思い出して書いてます。うろ憶え)。

  • 子どもの頃は我慢が大切だ。
  • 子どもは風邪の子。冬には寒いくらいの恰好で、身体を鍛えるのが良い。
  • 服装を自由にすると、服を沢山買えない人が、白い目で見られる。
  • 子どもの分際で、贅沢を言うな。

こんな感じでしたね。

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中性化?

ニューストップ > トピックス > 芸能 > 若槻千夏 > 若槻千夏、Coccoが堂々「うんこ」発言連発のワケ - Infoseek ニュース

「女性が中性化している」と分析する。

へえ。

「女性が開放的になり中性的になっている。今どきの女子大生は男性がそばにいても平気で『おしっこ』と口にする時代。女言葉が残っているのはテレビドラマの世界だけですよ」

ホント? いや、よく知りませんが。

Coccoさんの方は、単なるメタファーじゃないですか。それくらいは使うと思いますけど。音を発する事自体が、って意味なのかな。

言葉遣いが変わったとして、それ、中性化とか、そういう問題なんですかね。

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2007年7月30日 (月)

冒険?

痛いニュース(ノ∀`):TV番組製作者「今のテレビはつまらないとは思わない」…ネットの影響だという意見もテレビってどーよ?「つまらなくない!」とTVマン|Ameba News

自然と“人気者大集合”の番組が増えるのです。冒険がし辛い時代です

ああ、自覚はしているんですね。「冒険」が何を指すのかが、よく解りませんが。って、広告代理店の人の話か。

「ゴールデンの演出も出かける30代のチーフディレクター」氏の意見、頷ける所も(少し)ありますが、開き直りと取れなくもないですね。

どうでもいいんですが、最近の『めちゃイケ』、今一つだと思うんですよね。こちらが厭きたのか、番組が以前と変わったのかは、不明ですけど。

あんまり、「つまらないもの」を採り上げて云々するべきではありませんが、細木数子さんの料理を紹介して、周りにいる芸能人が感心する、っていう図は、どうにかなりませんかね。後、「○○流」とか言って、料理をする人なら当たり前の様に知っている基本技能を、さも画期的な方法であるかの様に紹介するのは、やめて欲しい。わざとらしすぎる。白々しい。

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2007年7月28日 (土)

タブー

Book 黒人アスリートはなぜ強いのか?―その身体の秘密と苦闘の歴史に迫る

著者:ジョン エンタイン
販売元:創元社
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これは、実に興味深く、考えさせられる内容でした。オススメです。

日本に生まれ、育っていると、人種差別というものを、実感として捉える事が出来なかったりします。正直、「そういう発言まで問題になるのか」、と驚かされるくらいで。

日本人の会話では、「黒人はバネが違うから」、とか、「元々身体能力が違うんだよ」、といった評価が、よく出てきますよね。多くは、特に差別的な意味合いでは用いられないと思うのですが、その様な言明でも、問題になる場合があるみたいです。

非常に難しく、根の深いテーマですね。自分の無知さを痛感し、もっと勉強すべきだと、反省しました。

とても面白い本なので、是非お読み下さい。

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2007年7月26日 (木)

メモ:美容整形を嫌う心理についての考察

身近の人の話を聞いたり、マスメディア経由で得た情報を総合して、推測。

  • 「自然」、或いは、「手を入れていない」ものに対する志向。たとえば、「親から貰った顔に…」、「顔に異物を入れるなんて…」、「顔にメスを入れるなんて…」、「自然のままがいい」等
  • 「必要性」についての認識。上に書いた様な事を言う人でも、事故によって損傷を受けた顔を手術する事には、反対しないだろう。つまり、同じ様な行為でも、「美容」と「治療」という目的の違いによって、線引きを行う。
  • 部位。「顔」に手を加える事を忌避する。上記にも繋がるが、骨折の治療の為に、体内に金属を埋め込む事に、反対はしないだろう。二重瞼の手術や鼻を高くする手術には反対でも、審美的な歯の矯正等は許容する人もいる。どこに手を入れるのを許容するかという線引きは、恣意的である。たとえば、ピアス(耳)、刺青(全身)等。耳へのピアスを許容する人でも、鼻やヘソへのそれは、忌避する場合がある。刺青は一般的(日本では)に、許容されにくいだろう。これは、刺青が、反社会的認識の象徴と看做されるからではないか。
  • 「元に戻せるかどうか」。整形には眉をしかめる人でも、元に戻す事の出来る、いわゆる「プチ整形」は許容する場合がある。
  • 「親と似ているかどうか」。たまに、「整形した人に子どもが出来、親と似ていなかったらどうする」、という論法で、整形を非難する人がいる。これも、人工的なものに対する忌避と、繋がっているのだろう。ちなみに、その様な非難に対しては、「親と子の容姿は似ていなければならないのか?」という反論が考えられる。

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2007年7月23日 (月)

区別出来ないのはどっちだろう

PSJ渋谷研究所X: ドリームガールズと霊能捜査官

子どもだったぼくは「そんなもんを本気で現実と混同するバカな子どもなんかいない」「マンガと現実の区別がつかないマンガ読みなんかいない」なんて思ったものだった。

それと共に、「そんな混同をする奴なんて、本当のマンガ読み(今だとゲームとかも)じゃ無い」、という考えも持ったりしますね。要するに、愛好者同士でそういう共通了解を持つ事が、そんなアホな読み方するなよ、という要求にもなる訳です。

もちろん、フィクションに触れて、「そういう事はあるかも知れない」、と思うのは、大いに起こり得ます。しょっちゅう、と言ってもいいでしょうね。でもそれは、「混同」とはちょっと違う。思う事と、それを現実の生活で実行する事は、違うのですね(もっと正確に言うと、「区別が出来なくなって」実行する、という事です)。で、「そういう事はあるかも知れない」、という子どもの疑問に答えるのは、オトナの役割でしょう。でも、そのオトナが、現実と仮構を区別出来ないのだ、と騒ぎ立てたり、フィクションの、現実には起こり得ない部分についてちゃんと説明出来なかったり。時には、オトナ自体が、コロッと行っちゃう訳ですね。

バーチャルと現実との区別が出来なくて云々…と言うその口が、ニセ科学的な健康グッズについての効能を嬉々として語ったり、超能力捜査の可能性を強く信じて、その手の番組に、現を抜かしている(←敢えてこう表現)のです。これって結構、滑稽でしょう。果たして、ありそうも無い事を信じ切って、現実と混同しているのはどちらか。

私達は、知っています。フィクションにどっぷりと浸かってきたから、どんな話があるか、どういうパターンか、そういうのを、類型として捉えています。いかに現実と乖離したものを尤もらしく見せるか、というのが、クリエイターの腕の見せ所である、というのも考えます。要するに、現実を知っていないと、話にならないんですね。メタなんですね。メタで無いと、対象に振り回されているというネガティブな評価を、受けちゃいますから。そういう意味で、子どもの頃から、鍛えているのですね。

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2007年7月20日 (金)

モバイル社会

遊鬱さんの所のコメント経由で⇒モバイル社会の現状と行方 : 書評 : 本よみうり堂 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

追記:本の内容について、コメント欄で教えて頂きました。是非ご覧下さい。

ホント、こんなに批判的な書評というのも、あまり見ないですよね。面白い。

 携帯電話の普及がもたらす社会の変化も気がかりだが、携帯に対する偏見が生み出す闇もまた心配になってきた。携帯はあくまで道具。解釈よりまず取扱説明書をきちんと読んで、私もせめてメールぐらい打てるようにならねば。

素敵ですね。

しかし、何でもかんでも、「心の闇」とか言わんで欲しいですね(本にそう書いてあるのかは判りませんが、括弧で括っているので、書いてあるのかな、と思います)。

ケータイでのメールの平均が18件/日なんて、異常に多いと、直観的に思います。はずれ値がありそうな予感。サンプリングも、どうやったのだろう。「送受信件数」だから、メルマガとかも含むのでしょうか。詳細がわからないので、その内、読んでみようかな。ちなみに私、携帯電話でメールするなんて、数週間に一回とかのペースです(笑)

もちろん、このエントリーは、書評についての感想なので。本そのものについては、読んでいないので、何とも言えないです。心理学の専門家が書いた本だから、心理統計についても適当な事は書かないだろう、と思いたいのですが、著者に正高氏が入っているので、むむ、と思ったのでした。これも一つのバイアスですね。

モバイル社会の現状と行方―利用実態にもとづく光と影 Book モバイル社会の現状と行方―利用実態にもとづく光と影

著者:小林 哲生,天野 成昭,正高 信男
販売元:エヌティティ出版
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2007年7月19日 (木)

きおく

はてなブックマーク - J-CAST ニュース : 電話番号覚えられない!携帯は「バカ量産」の主犯か

J-CAST ニュース : 電話番号覚えられない!携帯は「バカ量産」の主犯か

携帯電話ユーザー、数字の記憶力が低下傾向に=調査 | 世界のこぼれ話 | Reuters

そもそも、「自宅の電話番号や家族の誕生日など単純な情報を記憶する能力が低下」(ロイター)という書き方自体が、結構微妙だと思うのですよね。「能力が低下」というのが。こういうのって、注意資源を他人の生年月日や電話番号の記憶に割く事に、重きを置くか、という問題なので。興味のある分野について、膨大な知識を持っている人がいますが、そういう人は、記憶の能力は高い訳ですよね。J-CASTで言及されているNTT-BJの調査(プレスリリース PDFファイル)の、「デジタル化による記憶力の低下」という表現も、微妙。記憶力の低下、というのは、いかにも一般化が過ぎる書き方ですし、これはむしろ、「憶えなくともよくなった」、という話だとも思います。他にも、首を捻ってしまう様な記述がちらほらと(前、別の記事で採り上げられた時に、言及しました⇒Interdisciplinary: むりやりじゃー)。

しかし、

また、読売新聞夕刊(7月10日)コラムで鈴木美潮記者は、かつては支局や警察署の電話番号を手帳を見る必要もなくプッシュボタンで押すことができたが、「今や携帯のメモリーに頼っりぱなしの自分に驚く」と明かした。「機械の記憶に頼りっぱなしのままでは、『人間力』は落ちる一方ではないだろうか」と不安をもらしている。

って(J-CASTの記事より引用)。何でここで、「人間力」なんて言葉が、いきなり出てくるんですかね。これは論理的に、「人間力」とやらには、高い記憶力が必要条件だという事になりますね。しかも、電話番号の記憶が。何だかよく解らんです。

J-CASTの記事、後段が…。何故に森昭雄氏が。”「携帯はバカを増やしているのではないか」”と発言する、「ある元大学関係者」って。わからない漢字があれば、それを調べるのは、むしろ健全だと思いますけれど。もしかして、ケータイ使ってるから、という事なのか? 国語辞典なら良いとか、それも、紙媒体の方が電子辞書より良いとか、そういう話ではありませんよねえ、さすがに。

大体、記憶を外部の媒体に頼っても、全然構わないと思います。重要なのはむしろ、記憶をどう扱っていくか、という事じゃないかなあ。

それに、記憶力そのものについて論ずるなら、心理学的な研究を行うべきでしょうね。そういう分野でも、無意味綴りを記憶する実験が、生態学的妥当性を欠く、という批判がなされていたりして、興味深いのですが。

私に言わせると、好きな歌手の詞を諳んじている方が、よっぽど凄い記憶力だと思います。そんな人、いくらでもいるでしょう? いないかな。

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2007年7月18日 (水)

メモ:蔓延する、「科学を知らない人による反科学的言説」

それは、善意に訴えかける。公害・戦争・人間性の喪失・モノ至上主義・身体性の喪失 等々を説き、科学による弊害を強調する。その際、現代の犯罪の凶悪化(これ自体、言えない事)等を持ち出す場合もある。

科学知識を持たなくても、主張を展開出来る。つまり、「楽」。知らない人に対して、詳しく説明しようとしても、聞かれない可能性がある。当然。「知らない方が良い」と考える事すら、あるのだから。

自然信仰。科学の成果を忌避する。それを「人工物嫌悪」に結びつけ、自然物を過度に信頼する様になる。

これらは、部分的な正しさを含んでいる訳だから、それが完全に的外れであるとは言えない。だが、それが一般化され、科学や技術、科学者に対する敵意が広まる場合がある。

当然これは、ニセ科学の蔓延にも繋がる(私は、何度か書いていますが、リテラシーが劣化したというより、充分に普及していないのだと考えています。これは推測です)。科学知識に対して積極的に学ぶ事をしないし、科学に対して嫌悪を覚えていながら、科学技術の産に頼り切って生きている訳である(例外もあるだろう)。だから、科学的知識の欠如・論理的思考力(これは、科学知識とは、相対的に独立である)の脆弱さにつけ込まれる余地がある。何が何でも科学に頼らない、というのは、現実的には難しいから。アンビバレンス。

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何のせい?

痛いニュース(ノ∀`):フジテレビ「ゴールデンタイムの視聴率が悪いのはゲームのせい」

イギリス生活情報週刊誌 - 英国ニュースダイジェスト - 英国における日本報道

「ゲームのせい」と書くのは、いかにも印象誘導的ですが、それはまあ置いといて(痛いニュースのタイトルは、そんなもんです)。

フジテレビの専務氏の分析、つまり、視聴率低下について、Wiiが主たる要因である、というのが正しいかは、よく解りません。テレビ以外のものに関心が分散されている、というのは、当たっているでしょうけれど、その主な対象がテレビゲーム、というのは、どうなんでしょうね。もし正しいとしても、それがどうした、という感じですよね。相対的に、テレビのコンテンツがつまらないというだけの話なので。

で、何故Wii云々という話が出てきたのかと考えると、それが、最近の流行り物を代表する商品の名で、いかにも流行に敏感であるというのを象徴する語であると認識していたから、ではないかと思います。要するに、「使ってみたかった」だけではないかと。

ソースは未確認なので、細かい意味合いが解らない所もありますが、

テレビそのものに問題があるというよりは

これはどうなんでしょうね。仮に、Wiiに関心が移ったというのが正しいならば、それは論理的に、「テレビそのものに問題がある」事になりますよね。ゲームより面白いコンテンツが作れていない、という意味で。そうでないと、テレビより面白いものがあれば、それにユーザーが流れていくのは仕方が無い、という事になりますしね。

で、2ちゃんねるの反応は、ゲームのせい云々については、ちょっと過剰な所がある様な気もしますが、他の部分には、結構賛成です。

要するに、ディスカバリーチャンネル(←スカパーの無料放送の日に観るくらいですが、素晴らしいですよね。面白い)レベルの番組を作ってみれば? という感じです。視聴者がどんなものを求めているか、というのを、マーケティングしているのかな。私はバラエティも大好きですけど、他人を見下したりして視聴者に優越感を味わわせたりする番組とか、そういうのは多いですよね。尤も、昔からなのかも知れませんが、ちとうんざりもしますよね。たとえば、芸人の身体的特徴とか家庭環境とかを貶して笑いをとる、というのは、程々にしないと。後、感動の演出。これは勘弁して欲しい。

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瓦重構造

Yahoo!ニュース - 産経新聞 - 柔道部員投げ続け重傷負わす 中学教諭を送検

武術・格闘技を行う者は須らく、それらが、「かつ暴力」というあり方をしかしない事を、肝に銘じておくべきでしょう。

教師がいかなる認識を持とうとも、柔道の投げ技というものは、実体的には即暴力なのです。本質的に、相手を攻撃するものなのです。「こう思っていたから」という理由で言い訳する、免責を求めるのは、あまりに身勝手です。その様な行為には、やる側の意味付けと、やられる側の意味付けに、ずれが生ずる事があります。だから、「やる側」は、自分の意図が伝わっているか、独善的になっていないか、という事を、常に心掛けなくてはなりません。「躾」と称した行為が、相手を服従させる装置になりかねないのですから。社会的立場、肉体的優位性を利用した行為ですからね。ちょっと間違えると、大変な事になる訳です。

他の人にこうやって上手くいったから、この人にもこうやれば良いだろう、とか、自分がこうされて良い経験になったから、他の人にもそうしよう、というのも、よーく考える必要があります。自分が信じている機能が常に発揮されるとは、限らないのですから。

こういう論理は、様々な所に見られます。「フザケかつイジメ」とかですね(下記文献を参照)。だから、自分が何をやっているか、それがどう受け取られているかを、常に考えるべきなのです。「善意かつ不寛容」なんてのも、あるかも知れません。

参考文献:光と闇―現代武道の言語・記号論序説

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2007年7月 9日 (月)

確信

NATROMの日記:信仰と狂気~吉村医院での幸せなお産

何と言うか…。

色んな感情が渦巻きますね、こういうのを見ると。

少なくとも私は、笑わなかったし、怒らなかった。呆れるのとも、ちょっと違う。そういうのとは、ちょっと異なる気がします。

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2007年6月23日 (土)

右とか左とか…

「ネトウヨ」って(実は、意味がよく解って無い)、ホントに若い人が多いんですか?

そもそも、ホントに増えてるんですか?

よく解らんです。

あ、「増えている」と言っている人がどれだけいるかも、解らんです。

何じゃそりゃ。

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2007年6月22日 (金)

ばらばら

解り易い「デジタル」の用い方を見つけました⇒ビートルズ '67 ☆Sgt. Pepper's 40周年☆: パソコン、携帯依存症

ところで、この手の主張をする人に、よくあるロジック。

  • 以前、○○という説が提唱された。
  • その説は、科学的根拠が無いと、批判を受けた。
  • しかし、△△(身近の人)を見ると、それはあると考えざるを得ない(あると思われる)。

だから、身近の人間の話を一般化しちゃいけませんて。それに、ある特性の要因が、想定しているものである確証は、あるのでしょうか。もしかするとそれは、バイアスによって形成された信念なのかも知れませんよ。

そういえば、殺人を犯す若い人たちは、共通してパソコンや携帯に依存しているとのこと。

とのこと、って…。

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2007年6月21日 (木)

華美

痛いニュース(ノ∀`):おそまつなテレビ中継がスポーツを殺す いずれテレビそのものも死んでしまう

これは、殆どの意見に同意ですね。

まあ、端的に言うと、「余計なものを付け加え過ぎ」なのです。

私は、NHKの刈屋アナウンサーの実況が、好きですね。抑制が利いていて、耳障りじゃ無いのですよね。

これは、結構書いていますが、演出ばかりして、却って空々しくなってしまっていると思います。感動を「させよう」としないで欲しいです。

あー、でも、一部のプロレスなんかは、実況と一体となって、エンタテインメントとして成立している所も、あるか。余談ですが、私は、格闘技系では、リングスの試合での、WOWOWの高柳アナウンサー(当時)の実況が、好きでした。

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2007年6月19日 (火)

はずれてるかな?

うーん、この種(今日最初に上げたエントリーへ、GO)の話題が出るたびに思うのですが。そして、何度も書いていますが。

理科的なリテラシーが「低くなった」とか、或いは、今の若い世代は、それが低い(前の世代が若かった頃に較べて)、とか、どこまで妥当なのかな、と。こういう主張の場合は、明らかに、「比較」ですからね。以前よりどうだ、という。

私は、ニセ科学が蔓延している状況を論ずる際には、社会一般の科学リテラシーが「低下」した、という事は、前提「していない」のですよね。
私の認識としては、今も昔も、リテラシーが低い人は、一定の割合で存在する。それがどの様に推移したのかは、精確な評価は難しい。しかし、現状がどうであれ、リテラシーの底上げは必要である。という感じですね。だから、昔がどうであったとかは、論じていないです。
で、ニセ科学が流布するという現象については、情報化の進展で、時間的にも空間的にも、広がり方のスピード・範囲が、圧倒的に大きくなった、という所が問題だと思っています。そして、そういう説が、以前より圧倒的に広まっているか、また、それはリテラシーの「低下」が要因か、というのは、別の話です。もしそれを主張するなら、それこそ、科学的に精確に論ずるべきですから。

そもそも、社会総体の科学リテラシーの高低と、ニセ科学的言説の流布の程度は、相対的(あくまで相対的、です)に独立した問題であると考えています。

何か纏まって無いですね。

反論等があれば、ありがたいです。

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このコメント、apjさんのブログのエントリーの、酔うぞさんのコメントを読んだりして、考えたものです⇒水伝またきた :: 事象の地平線::---Event Horizon---

以降は、エントリーの主旨と全くはずれるので(そして、多くの人にとっては瑣末な指摘なので)、こちらに書きますが、

それが、最近では子どもたちの経験の範囲は非常に狭くなった。
そして、ゲームなどバーチャルな経験は圧倒的に増えたから、どうも高校生になっても、理科・工作といったものを楽しんだことがないらしい

ここで表現されている「バーチャル」がどういう意味なのか、ちょっと掴めないです。それと、前段と後段が、「から」で接続されているのも、変です。理科や工作を楽しんだことがない「根拠」を「ゲームなど」に求めるのが、ちょっとおかしいです。ここで、「バーチャル」に何を含意させているかが、ポイントになってくる訳ですね。もし、「現実の行為の代替」という意味を含ませてあるのであれば、文は整合します。ですが、その場合には、「バーチャル」という語を、誤解なさっている、という事になります。ゲームは単にゲームであって、それは、現実の経験を忠実に再現したものなどでは無いからです。
で、もしそういう含意が無いのであれば、わざわざ「ゲームなど」を持ってくる必要は、ありません。将棋ばかりやっていて、小説ばかり読んでいて、サッカーばかりやっていて、工作経験が殆ど無い、という様な言明と、あまり変わりませんので。

また、「ゲーム」という語が出てきたから過剰反応してるよ、と思われた方も、いらっしゃるでしょうね。そういうご指摘への返答は明快で、「その通り」、です。

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2007年6月10日 (日)

バランス朝食…

TOSSウォッチング掲示板経由で⇒バランス朝食は早寝早起き…千葉大の調査 : 知恵袋 小学校入学~卒業 :育児ネット:教育 子育て : 関西発 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

この前取り上げた調査と、同じものですね。

あれですかね。「ウチの子は朝起きるのが遅いから、朝食を一品増やしてみよう」、と考える人とか、いたりするんですかね。

バランスの取れた食事も大切かも知れませんけれど、統計数字を読む力も、とても大事だと思います。

何と言うか、「数学では70点だったけど、国語は90点だった。だから、国語の方が良い成績だった。」とか、「前回は90点で今回は75点だった。今回の方が駄目だった。」と言うのと似た様な感じですよね。単純な数値の大小でしかものを考えない、という。

「早起き」の境界が「午前7時」なのは、何か根拠があるのでしょうか。

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2007年4月24日 (火)

反証と言うか

非中枢的身体論-武道の科学を求めて

つまりこの論考は「反証されること」を前提に書かれている。

「できるだけ反証が容易であるように記述する」

と書かれているわりには、殆どが、反証がしにくい、独自の言葉遣いですね。

(1)できるだけ一義的な術語を用いること(2)できるだけアクセスが容易なデータを論拠とすること(3)できるだけ単純な命題にとりまとめること。

これも、守られている様に思えないです。そもそも、どこがどう”「武道の科学を求めて」”なのかが、解りません。

「中枢からの指令抜きで、手足を動かす」ということである。身体が知覚情報を「現場で処理する」ということである。

これは、中枢神経を介さずに、反射運動が起こるという事でしょうか。武道の様な複雑な運動で。視覚情報に応じた反応をする際に、どの様に処理するのでしょうね。心理学的・生理学的に、どういったモデルを想定しているのでしょう。それが示されていないので、反証も何も無い、と思うのですが。「現場で処理」とは、科学的にどういう現象ですか。

肩に支点を作ったりする必要がない。

この「支点」とは、どういう概念でしょうか。はっきりしませんね。

 私の稽古している合気道においても、「人形のように身体を遣う」ということは身体運用のイメージをつかむ上ではきわめて効果的な比喩である。例えば、運足において、「身体を統御している私の発する指令によって足を前に進める」という意識をもって動く場合、この動きは必ず中枢的なものになる。つまり、一方の足に支点を作り、そこに重心を乗せて、そこを踏ん張るようにしてもう一方の足を前に進めるような運足になるのである。

「人形のように」という比喩、効果的な場合もあるでしょうが、私としては、身体の解剖学的構造、生体力学的メカニズムに目を向けさせなくなる、大きな弊害がある事も、認識しなくてはならないと思います。何か外的なものに動かされている、というイメージは、ほどほどにすべきでしょうね。注意の資源を、自己の身体に向けさせる事が、肝要です(つまり、自分の身体がどう動いているか、というのを、自然科学的に分析する)。それから、「必ず中枢的なものになる」、という断定的表現は、どの様な根拠からでしょうか。そもそも、「中枢的なもの」、の、意味が不明確です。何故に、一方の足に支点を作り云々という話が、「中枢的なもの」と、表現されるか、よく解りません。

身体の内側には運動の支点が存在しない。

「運動の支点」とは? 意味内容が不明確なので、「存在しない」等と言われても、解りません。

中枢的な運足では、動き始める前に支点となる蹴り足を踏ん張るので、

「支点となる蹴り足」を踏ん張る、というのは? 膝関節の伸展や、足首関節の底屈の事でしょうか。であれば、それが重心の上下動を起こし、動きが読み易い、という事はあります(更に、重心を充分前にやらないと、膝関節の伸展では、前方に移動出来ない)。で、それが何故、「中枢的運足」なる言葉で説明されるのでしょう。

「私の外部」に運動の操作主を想像的に設定し、

上にも書きましたが、ほどほどにすべきでしょうね。勿論、そういったイメージが、高い効果を生み出す事はあると思います。

「武道の科学」とは、「私はいま修業上のどの段階におり、いかなる技法的課題に直面しているのか」という技法的な問いと、「私は武道を通じてどこへ行こうとしているのか」という原理的な問いを統一的な枠組みのうちで、一義的な言語で語ることを可能にする学知である、と先に私は書いた。本論考はそのような学知を「希求する」試みの一つである。

ここで言われている「科学」という語の意味が、今一つ解らない所です。広く「学問」と同様の意味と捉えれば、理解出来なくもないですが、そもそも武術・武道とは、身体運動です。人間の身体は、解剖学的構造・生理学的機能に規定され、運動を行う、自然科学的存在です。それを踏まえるならば、内田氏の論考は、余りに思弁的に過ぎる、と言えるのではないでしょうか。そもそも思弁的仮説? なので、それに反証するのは、出来ないでしょう。思弁に思弁で返すという、無意味なやり取りになってしまいます。

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読解するのに、とても疲れる…。

この言説を「科学」だなんて言われたら、科学者は、クラクラするんじゃないですかね。

高岡英夫氏が、『武道の科学化と格闘技の本質』で論じておられましたが、武道・武術というのは、そもそも実体的・力学的現象なのですよね。実証科学的に分析しなければ、話にならない。

武術やスポーツで、無意識的に身体が動くという、レベルの高い運動は、脳に、高度な情報処理系が構造化されているから実現される訳でしょうから、脳(中枢神経)が介在しない筈は無いですよね。そういう事が言いたいんじゃ無いのかな。「現場で処理する」って、何だろう。感覚記憶とかは無視ですかね。もしかして、単なる比喩か? それだったら、こんな批判、意味が無くなっちゃいますね。と言うか、全然科学じゃ無いし。

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2007年2月 4日 (日)

ゲームの解釈

テレビゲーム解釈論序説/アッサンブラージュ Book テレビゲーム解釈論序説/アッサンブラージュ

著者:八尋 茂樹
販売元:現代書館
Amazon.co.jpで詳細を確認する

グッドタイミングというか。丁度、昨日のエントリーと関連する内容の著書を、図書館で偶然見つけたので、読んでいます(存在は知っていたのですが、未読でした)。

テレビゲームを、人文科学的に読み解こうとする労作ですね。

まだ少ししか読んでいませんが、amazonにあるレビューの内容には、頷ける所もあります。とは言え、テレビゲーム文化の複雑さ、奥深さを垣間見るには良いかな、という感想です。

私はどちらかと言うと、ゲームを実証科学的に研究する方に、興味のウエイトを置いていて、本書の様な本は、殆ど読んだ事が無かったので、なかなか新鮮な感じです。現代思想とか文学の表現が多用されていて(そう私には読めます)、難解な気がしますが。

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2007年2月 3日 (土)

シンボル

Interdisciplinary: 展望に頂いた、ドラゴンさんのコメントを受けて。

もしかすると、的外れな意見かも知れませんが。

恐らく、ゲームに否定的な人は、それらの文化を、「子どもがやるもの」、言い方を換えると、「よい大人がやるようなものでは無い」と、看做しているのではないかと思います。「テレビゲーム」を、「幼稚」を象徴する記号と看做している、とも言えます。又、何の役にも立たない、という見方もあるかも知れません。

ゲーム脳は、それらの認識を正当化する装置なのだと思います。そもそもゲームに否定的な人は、森氏の言説に触れて、(潜在的にしろ)それが、自らの認識を客観的に証明する概念だと考え、「飛びついた」のだと思われます。で、そういう人は、たとえば「脳トレ」の様なゲームが出てくると、今までのゲームは駄目だったが、脳トレが出てきて、状況が良くなってきた、と考える、という事もあります。これも結局、権威に頼るという部分がありますね。

ゲームをやる人間として、自分の経験を振り返ってみると、ゲームは、仲間とのコミュニケーションを深めるツールであり、ゲームのストーリー、つまり、映画や小説と同様の、クリエイターの創造性が表現されたものを楽しむメディアであり、(結果的に)記号操作などを鍛え、論理的認識力を高める(あくまで経験的に、ですが)道具でもありました。そして、「大人に馬鹿にされる」文化でもあり、大人がやるものでは無いと、(こんな文章を書いているのに)私自身、思っていました。

メディアそのものメッセージ性というのは、「どの媒体で表現されているか」、という事実が形成するバイアス、と考えてよいと思いますが、今後、それがどの様に変化していくかは、なかなか予想しづらい所ですね。色々な分野の人の取り組み次第、だと思います。実際、川島氏の脳トレは、(過程はどうであれ)ゲームのイメージアップには、大きく貢献したと思います。それによって、「脳にも良いゲームがあるのだ」という認識は、ある程度は広まったと言えるでしょう(それが妥当かどうかは別にして)。もしかすると、教育目的で制作されたシリアスゲームが登場し、それが大きな成果を上げ、注目されるかも知れません。そうすれば、否定的な人も、評価を替えざるを得ないかも知れません。業界の取り組み、マスメディアの取り上げ方、等々が関わってくる、複雑な問題ですね。

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2007年2月 1日 (木)

牽強付会

就活応援、社長のブログ: ゲーム会社のこれからの役目

ゲーム会社は嫌いだ。誤解を恐れずに言わせてもらえば、「子供の小遣いかすめ取って、株式上場もねーだろう。」..と思う。

ゲーム会社を批難すると共に、他人の趣味にまで首を突っ込んで、文句を仰る。「誤解を恐れずに」と書いておられますが、誤解とは何でしょうね。単純な、心情の吐露にしか読めませんが。

その末路は、ゲームオタクだった。親の目から見れば、ゲーム屋さえなければ..と思ってしまう。

これは、ある趣味に時間を費やす人間に対する侮辱ではありませんか? ご家族に対しての感情というのは判りますが、それにしても、この書き方はないと思います(この前に、ご子息について語っておられますが、具体的な事情が判らないので、言及出来ません)。

ところが、すこしゲーム屋さんを見直す出来事が起きている。例えば、「もっと脳を鍛える大人のXXトレーニング」のような、いわゆるピコピコやるゲームとは違うソフトがヒットしている。大人の懐を狙った物だが、なかなかねらいは面白い。こんなソフトなら支持できる。

こういう意見もあるだろうという事は、予想していました。つまり、脳トレ系のゲームが流行り、ゲームは別に、脳に悪影響を与えないのではないか、という認識が広まると、今度は、以前のゲームではゲーム脳になる危険性があったが、脳トレ系のゲームが出てきて、状況は改善された、という論理が現れてくるのです。結局の所、ゲームを批難する事に、変わりは無い訳です。「いわゆるピコピコやるゲーム」とは何でしょう。ゲーム好きに、脳トレについて感想を求めてみると良いと思いますよ。勿論、色々な意見があるでしょうけれど、個人的には、「ゲームとして単純過ぎる」という感想です。ああいった記号操作に適度にエンターテイメント性を纏わせ、仕立て上げたものが、良いゲームなのです。そういう所を詳しく吟味しないから、

ゲーム脳の子供を量産し日本を破滅に導くようなソフトばかりでなく

こんな滅茶苦茶な、暴論が出てくるのです。Wikipediaの項目をリンクするくらいなのですから、ゲーム脳のニセ科学性は、ご存知でも良さそうなものですが。

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2007年1月29日 (月)

自己中心

2ちゃんねる(誰だよ"ゲーム脳"とか意味不明な事言った野郎は)経由で⇒リレーエッセイ13 大友英一(後でゲームリンク集に追加します)

中でもゲームが有害であることを繰り返し声を大にして主張していきたいと思う。テレビゲームをやる子供の脳は、異常に気づかれた日大文学部森昭雄教授が私と二人で痴呆老人の脳波とテレビゲームをやる子供の脳波の比較を行ったところ、子供の脳波が痴呆老人のそれに似ており、ゲームをやる時間に比例してより近づくことを確かめたのである。大人も子供も夢中にさせる麻薬のようなゲームというものは、勉強、読書の妨げとなるのは確実。まず学校で禁止すべきである。

 最近脳血管障害がアルツハイマー病の発現に関与する可能性を示す論文発表が海外で行われている。また最近の調査では10数年前に比し、30才代の人々の動脈硬化が増強している由。これは脳血管障害の増加につながることである。

  21世紀最大の課題は老年痴呆症の抑制である。その予防の為に脳の老化を抑える(遅くする)ことが必要となってくる。

 自分の世界に閉じ込もり、周囲への気配りを忘れさせるゲームは、痴呆予防の大敵であると喧伝したいのである。

喧伝したいそうです。というか、共同研究者なのですね(CiNii - 脳波による痴呆の解析)。「森昭雄教授が私と二人で痴呆老人の脳波とテレビゲームをやる子供の脳波の比較を行った」と、はっきり書いています。尚、近著でも、ゲーム脳説を支持する意見を書いているとの事(※私はソース未確認です)。

他にも、自己の価値観を押し付ける意見に満ち満ちています。

引用して批判しようかと思いましたが、全体的に酷いので、やめます。要するに、この方は、「自分が不快だと思う事を社会全体がやらない」のがマナーだと思っておられるのでしょうね。それは、冒頭で引用されている、

マナーとは、周りの他人を不快にさせないための気配りである。(引用者註:強調ははずしました)

の、捻じ曲がった解釈です。

自分が嫌いだと思っている行動をしている人が増えている様に見えたからといって、マナーが悪くなったとか、羞恥心が消失した等とは、言えないのです。本当にそれを確かめたいのなら、大規模な、心理学的研究なりをすべきでしょう。

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2007年1月26日 (金)

自然主義的誤謬

Interdisciplinary: もやもやに追記。

kikulogの議論を読んでいて、「道徳やしつけの根拠を自然科学に求めるべきでは無い」という事について、色々考えていたのですが、やはり、とても難しい問題です。それこそ、道徳哲学や倫理学で長年論じられてきている問いの訳ですから、そう簡単に答えられるものではありません。私には、それらに関する知識が、余りに不足しています。

それを踏まえた上で、現時点での個人的な考えを言うと、ゲーム脳にしろ水伝にしろ、現にある規範や、自分が良いと思っている事を正当化する為に、自然科学的論理を、いわば「でっち上げ」ようとしている訳ですから、それは明らかに問題です。では、仮に(仮に、です)、ゲームをやれば脳が機能低下する、という事実が見出されたとして、それを根拠に「ゲームをすべきで無い」と主張するならば、それは、「道徳やしつけの根拠を自然科学に求めた」事になるのか、という疑問も湧いてきます。ただ、それは、きくちさんが仰る話とは、少し次元が異なるのではないかという気もします。規範を正当化する為に自然科学的論理を探そうとするのと、自然科学の知見を基に規範を組み立てる事とを、区別すべきなのかも知れません。

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2007年1月22日 (月)

術語

 近年,人間観を揺さぶるような不可解な行動が報じられることが多いが,そうなればますます「心理」を理解したいという気持ちが強まる。

 こうして,心理学ブームが続いている。出版される心理学書の数は増えているし,日頃マスメディアで流される話題も多い。

 しかし,このような「心理」への関心が「心理学」に対する一般の認識や理解に結びついているかとなると,疑問である。

 心理学の用語(学術語)の多くは,いわゆる日常語の転用である。だから,一見やさしく感じられるが,じつはそこに落とし穴があることに注意しなければならない。用語が日常使っているのと同じだったとしても,学術語となると厳密な定義に従って使用されている。それにもかかわらず日常語のもつ不明瞭さそのままに受け取ると,内容を正しく理解できないままに終わりかねない。(辻敬一郎・星薫 編著『心理学初歩』 放送大学教育振興会,2002 3ページ)

これは、よく心得ておかねばならない事だと思います。そうでないと、お互いに同じ語を使っていても、意味が共有出来ない、という事が起こります。そうすると、いつまでも議論が噛み合わなかったりします。文脈によっても、学術概念として用いるか、一般に広く使われている意味で用いるか、異なるでしょう。ここではどちらの意味で用いるべきか、相手はどちらの意味で使っているか、等を考えるべきでしょう。戦術として、自分が学術的な意味で用いていて、相手がそれを認識していない場合に、敢えてそのまま、コミュニケーションを進める場合がありますね。教育目的等で。

自分のよく知らない分野で、その道の専門家が議論しているのを読んだり聞いたりする場合には、日常的に使われている言葉が出てきても、それが学術的専門概念である可能性を、常に念頭に置いておくべきでしょう。

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2007年1月21日 (日)

コントラスト

Yahoo!スポーツ - ニュース - 西武「茶髪・ロン毛」に罰金100万円

Yahoo!スポーツ - ニュース - ミニスカ四元に世界が「グレ~ト」

あまりに対照的なので、笑ってしまいました。

「先生、質問です。」

「何?」

「どうして、髪を染めたり長くしたりしちゃいけないんですか?」

「うん、それはね、社会人として最低限必要な事だからだね。」

「いや、だから、何で、髪を染めたりするのが駄目なんですか?」

「ほら、問題を起こす奴を見て。髪染めたりしてるのが多いでしょ。」

「でも、そうでない人も、問題を起こす人はいると思いますけど。」

「だけど、目立つでしょ。そういう人の方が。」

「じゃあ、そういう人が髪を染めたりするのはどうしてなんですか?」

「それは、髪を染める事がいけないと知ってるから、わざとそうやってるんだよ。」

「じゃあ、髪を染めてもいい、ってした方がいいんじゃ? 髪の色と、やる事自体は、関係無いっていう事なんですよね?」

--------------

たとえ、染髪している人間と問題行動に正相関が見出されるとしても、それは単に、「髪を染めるのは良くない事だ」という合意があるからでしょう(未だにありますよね、多分)。幼稚な認識として、やってはいけない事をやる、という行動によって、自分をアピールするというのはあるでしょうから(←社会心理学的研究は無視しています。この手の分析は、数え切れない程あるでしょうし)。

勘違いして欲しく無いのですが、別に、どんな職業でも、身だしなみは全く自由にすべきだ、と言っている訳ではありません。そこに合理性(色々な次元での)があれば、それは考えられるべきでしょう。たとえば、力士は皆、長髪です。

個人的には、校則で、髪の長さや色についての制限は、設ける必要は無いと考えています。←反論あるだろうなあ…。

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2007年1月18日 (木)

ニセ科学教材

kikulogで、ニセ科学についての教材を作るという話が出ていますね。以前も、apjさんのブログで、そういう話が出ましたが、とても良い試みだと思います。

ドラゴンさんが書かれている様に、批判的にものを見る事が、大切だと思います。そして、それを醸成するには、批判や懐疑の精神が重要である事(論理的に語るのは、「理屈っぽい」とか、野暮だとか、そういうネガティブなイメージがある気がします)、批判は論理的に、冷静に行われなければならないという事を、教えるべきでしょうね。その為に、練習問題風の教材を作っておくのは、有意義ですね。

きくちさんが出された練習問題は、とても面白いものでした。私は、統計のテキストでは、大村平さんが書かれたものをよく読むのですが、そこにも、同じ様な例が載っていました(縦軸に国民総所得を取り、横軸に酒類消費量を取ってグラフを描くと、強い正相関が見られる。しかし、だからといって、皆が酒を飲めば、国民総所得が増えるという訳では無い。つまり、相関と因果の違いです)。確率・統計のテキスト等では、結構、こういう例を出すのはよく見ますね。身近な例を出して、科学的な考え方を学ばせる、というのは、良い方法だと思います。

学習科学の考えなんかも、参考になると思われます。「どの様にして学ぶか」という観点ですね。

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2007年1月17日 (水)

論理・科学・感覚

PSJ渋谷研究所X: 実のところ「ニセ科学問題」とはなにが問題なのか

仰る事に同意です。

ニセ科学的言説ってのは非論理的だというか論理的破綻がつきまとうというか不合理・非合理だというか、つまるところ「言ってることがメチャメチャ」なわけだ(部分的にであれ)。

ニセ科学は、部分的に整合性がある所が、厄介ですね。で、信じる人は、その部分に焦点を合わせて、他を無視してしまうのでしょうね。又、ニセ科学が対象にする文化に対して無知な場合、それへの分析を怠ってしまう事もあります。たとえば、ゲーム脳では、ジャンルの多様性や、ゲーム内での様々な展開があるのを知っていれば、なんかおかしいぞ、となる筈なのですが、それを知らない人は、鵜呑みにしてしまうという。そこに、元々「ゲームの時間を減らしたい」という願望があれば、そもそも、ゲームについて調べようなどという気にすらならないのでしょう。

それを「個人的信念」で留めておかない、あるいは教育の現場に持ち込む、あるいはマスメディアで普遍的事実であるかのように垂れ流すってのは、どう考えても問題ですよね(但し書きがあったって、そこに気づかない人がいっぱいいるのだけど、それはまた別の問題だろう)。

この、ニセ科学主唱者の「動機」の問題というのは、難しいですね。それが、計画的なのか、それとも確信的なのか。当然、どちらにしても、批判されてしかるべきですが。

一般に、「論理的でない」とか指摘すると「冷たい」と言われたり「理屈よりも重要なものがある」だのという反論がある。

これは、社会的認知の問題ですね。「論理より感覚を大切に」というのを、その内容も吟味せず、まるで標語の様に使っているのだと思います。これも、きっかけは様々でしょう。自分が憧れている人がそういっていたから、本に書いてあったから、等々。発言力の強い人が、生半可な知識で、科学批判等をする影響も、結構あるのではないかと思います。最近私が色々書いている事にも繋がります。これは、心理学や社会科学の対象ですね。

それも含めて「『論理的』ということへの信頼が後退している」というような問題があるようにも思う。

「後退」と言えるかどうかは、難しいですね。後退というのは相対的な評価ですので。ただ、現在、一定数そういう人がいる、とは言えますね。又、ニセ科学について言えば、「論理的」と言うより、「科学的」と言った方が適切な気もします。論理的な能力が高くても、科学的知識に乏しい場合には、ニセ科学を信用してしまう場合もあるかも知れません。又、自然観の問題もありますね。水伝の場合には、明らかに、目的論的自然観ですが、それを信ずる人は、自然科学的論理を全く無視して、水伝を信用してしまうのでしょう。

そういえば、以前、寒天が売り切れ続出になった事がありましたねえ。凄い効果だ。

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2007年1月16日 (火)

工作で教える

STUDIO J: 模型教室を開催しました

素晴らしいですね。単に模型を作って貰うのでは無く、道具の便利さと危険性を考えさせる、又、プラスチックの原料を教える事によって、環境に対して眼を向けさせる。「模型を作る」と書くと、いかにも単純ですが、工夫次第で、これ程色々な事を教え、考えさせる事が出来るのですね。

私も、工作の時間は、とても楽しかった記憶があります。何かを作るというのは、それ自体が楽しいのですよね。組み立てキットの場合は、完成形が具体的にイメージ出来て、課目として、程よいものですね。記号操作の訓練としても、結構いいですね(それが目的になったら駄目ですが)。何より、ランナーについたパーツを組み立てていく事により、少しずつ形が出来ていって、最終的に全体が完成する、あの喜びは、堪えられないものです。アニメやゲームや漫画で見ていたキャラを自分が作ったんだ、という満足感ですね。

工作の楽しみを覚えると、今度は、適当な素材を使ってオリジナルのキャラクターを作ったり、より完成度を高める為に塗装したり、どんどん可能性は広がっていきますね。

最近は、図工の時間が、どんどん蔑ろにされている様です。現場の教員の方々が、危機感を持っておられる様ですが、個人的な経験から言っても、あの楽しい時間が少なくなっていくとすれば、それは、とても残念だなあ、と思います。学生時代に、大の勉強嫌いだった人間としては、「楽しさ」というのは、とても重要な因子だと思うのです。それに、工作は、総合科学的なものですから、他の教科とも繋がります。それを、具体的な作業で、実感として認識するというのは、貴重な時間だと思います。

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2007年1月14日 (日)

ゲームの影響

「テレビゲームと子供たち ―社会心理学の立場から―」取材ノート 3of3 【今後の課題】:Slash Games (オンラインゲーム総合サイト) 2003/12/13

坂元章氏のゲームに対するスタンスが、簡潔に纏められていて、よく解る記事です。

・有効利用できる、いいゲームを作る
・悪影響への対応
 ・対応しておくことが無難
 ・悪影響がないとは言えない
 ・法的規制はあくまで最後の手段であり、可能な限り回避すべき

 法的規制の導入は、言論の自由を侵すものというだけでなく、メディアリテラシー教育(より狭く言えばゲームリテラシー教育)などの努力を放棄し、法規制の強化に任せようとする思考停止の傾向を生む。

この考えに、異論は無い筈です。ゲームは、メディアです。様々な表現が可能で、色々なメッセージを伝達出来るものです。それは結局、常にコンテンツが変化する可能性があるという事です。どういった表現が可能か、現状ではどうなっているか、今後どうすべきか、それを考え続けていくのが、大切なのではないでしょうか。

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悩ましい話

志村建世のブログ: 闘争心と暴力について、かなり長文を書いたのですが、全く纏まらなかったので、消してしまいました…。

実際、暴力を論ずるのは難しいと思います。そもそも何を暴力と看做すか、ボクシングを禁止する事が果たして妥当か、ボクシングと他の競技の区別は、明確に出来るものか、身体に対するリスクは、ボクシングが明らかに高いか、等々。

志村さんの論理で言えば、ボクシングは勿論、コンタクト空手もプロレスも、キックボクシングも、そして(リアルファイトを志向する)総合格闘技も、悉く禁止されるべきだという事です。これに私は、強烈な違和感を覚えます。ただ、反論が難しい。とても悩ましいですね。

ただ思うのは、ボクシングの方が、他の競技に較べて暴力性を明らかに向上させる、と言わんばかりの論は、安直に過ぎる、という事です。

格闘技と暴力性の関係については、高岡英夫氏の著作が参考になると思います。

光と闇―現代武道の言語・記号論序説 Book 光と闇―現代武道の言語・記号論序説

著者:高岡 英夫
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武道の科学化と格闘技の本質 Book 武道の科学化と格闘技の本質

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2007年1月10日 (水)

手間を掛けるのが良い事か?

まいまいクラブ - ネット君臨 : 掲載記事(1月9日)検索――コピー――ペースト by まいまいクラブ

いよいよ、書いてある事が、無茶苦茶になってまいりました。

山王直子院長は「画像に流れている情報を見るだけでは頭の中を素通りする」と指摘する。

「画像に流れている情報を見るだけでは」という日本語の意味が解りません。

危機感を覚えた弓山さんは、昨年度からゼミ生にブログの開設を指導した。公表しても恥ずかしくない文章を練り、他人からのコメントにも対応するうちに文章力が上がるのではないか。

あれ、手書きが良いとか、そういう話では無かったのか…。

だがその後、ブログをやめ、仲間内だけで利用できるソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)に移る学生が続出した。彼らは「知らない人のコメントが怖い」「SNSなら気軽に書ける」という。

”彼らは「知らない人のコメントが怖い」「SNSなら気軽に書ける」という。”というのは、極めて真っ当な感覚だと思うのですが。つまり、他人の目を意識出来ている訳で。私も、コメントが入っているのを見ると、未だに少し、どきりとします。基本的に、批判的な事を書いていますから、反論が来ているかな、とか考えるのですね(それ自体は歓迎ですが)。そういうのがあるからこそ、好き勝手に書かない様に、自制が働くのでは。

コピー・アンド・ペーストの要領で紙に書き写し、語尾だけ「ですます調」に変えた。先生にほめられ、学年集会の発表者に選ばれかけた。「でも苦労して調べてないし内容も理解していない」。後ろめたくて断った。

こんなのは、今も昔もあります(手軽に出来る様になった、敷居が下がった、というのはあるかも知れませんが)。先生は、内容について、質問等しなかったのですかね?

図書館に駆け込み、入門用解説書を手に取った。「読みながら自分で書いているうちに頭に入った」
 考えるには時間がかかる。だが、ネットはそれを忘れさせる。

ある分野について体系的な知識が、ある程度の分量纏められている、という点では、書籍はやはり、便利です。でも、今時は、WEBで手に入れられますけどね。紙で読みたければ、プリントアウトすれば良いだけですし。「考えるには時間がかかる。だが、ネットはそれを忘れさせる。」って、何でしょうね。時間を掛けないと、考えたとは認めない、という意味ですかね。

ネットに頼り過ぎて、モノが覚えられない健忘症になる可能性はある。

そりゃあ、可能性はあるでしょう。無いなどとは言えません。「頼り過ぎて」という前提条件になっていますし。

ネット検索が便利になって依存し過ぎると、モノをいちいち覚えておく必要がなくなる。無意識のうちに脳のこの部分をだんだん使わなくなってくる。

この部分、意味が全然解りません。検索が便利になる事と依存する事と憶える必要があるかどうかというのは、全部違う話でしょう。何故それが、繋げられているのでしょうね。大体、「モノをいちいち覚えておく必要がなくなる。」とありますが、じゃあ、何の為に検索するのでしょうね。憶える必要が無いなら、そもそも検索しない様な気もしますが。小泉氏は、WEBで検索して、情報を比較検討し、妥当そうなものを選択する、という作業をした事が無いのでしょうか。そんな筈も無いとは思いますが。

オン・オフの作業だけ続けるのも危険だ。例えば筆ペンで文字を書く時は、きれいな字体にするのに、どの程度強く押したらいいかや字のバランスを考えて線を引く。つまり脳で感じながら書いている。一方、パソコンで書く時は、キーボードをたたくオンとオフしかない。まだ実証データ不足だが、二つの動作で脳の働きは明らかに違う。

この事は、よく言われますね。これが妥当なのかは、私はよく知らないのですが、どうなのでしょうね。認知科学等で、研究はありそうですが。ただ、「脳の働きは明らかに違う。」というのは当たり前ですね。具体的運動形態が違うのですから。問題は、記憶の仕方に明らかに違いがあるかどうか、だと思います。経験的には、字を綺麗に書こうなんて考えていると、憶えはよくないと思うのですが。注意資源を、ものを憶えるのに使った方が良いのでは。認知心理学的には、そうなるのではないかと(適当です)。字を丁寧に書くなら、それ自体を課目とすれば良いでしょう。そもそもキーボードというデバイスは、思考を素早く出力する為に発明されたものだと思うのですが。丁寧に字を書いている暇などありません。ただ、手書きと「字を間違い無く書けるかどうか」は、関係ある様な気もします。でもこれは、字を書く必要があるかどうか、という事ですからね。正確な形状を記憶したいなら、手書きなり、徹底的に目で見て憶えるなりすれば良い話です。結局の所、「文字の形状を正確に憶える」事に対する重み付けの問題でしょう。それと、記憶一般の能力とを結び付けるのは、余り妥当では無いと思います。←本当は、私も、心理学的な研究を踏まえて書くべきなのだとは思いますが。

そういえば、この連載、まだ「第1部」なのですよね。一体、この先どうなるのでしょうか。

ところで、私は新聞をとっていないので判らないのですが、まいまいクラブにある取材班の意見の様なものは、記事に載っているのでしょうか? 新聞記事ではネットの負の面を強調しておいて、ブログでは、功罪両方を考えなければならないと書いているのだとすれば、かなり問題だと思うのですが。

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2007年1月 9日 (火)

ニセ科学批判

まだ、『論座』最新号をお読みになっていない方に⇒OPENDOORS:雑誌:論座:ゲーム脳のすすめと人類の進歩 人類文化が進歩をとげてきたのは何故か(ウェブ魚拓)

きくちさん、田崎さん、左巻さんの文章も、必読です。

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2007年1月 6日 (土)

君臨?

第1部・失われていくもの/4 画面でつながる「仲間」「友だち」-ネット君臨:MSN毎日インタラクティブ

メール代は定額払いにしたから月4200円で済む。そうしないと20万円にもなる。

あっはっはっは。「そうしないと20万円」って何だよ。意味が解らない。前に20万円になったって事か? 流石にそれは無いと思いますけど。

この特集、一体何が言いたいのですかね? WEBコミュニケーションがいかに危険であるかを、喧伝したいのかな。ただ単に、不安を煽っている様にしか読めませんけれど。

まいまいクラブ - ネット君臨 : 取材班です—ネット使いこなす子どもたち by まいまいクラブ

wonさんの指摘のように、「(ネットと直接的なコミュニケーションには)それぞれに一長一短があり私達はそれを理解したうえで利用することが望ましい」のだと思います。

一般論として、全くその通りですが、記事からは、それを考えていこうという積極的な姿勢は、見出せません。

吉備高原学園高校も冬休みになり、寮生たちは帰省した。入江君はオンラインゲームの仲間とチャットを始める。「やあ、お久しぶり」「お帰り」。田村さんはネットで芸能ニュースをチェックし、寮の友だちとメールを交換する。

 友だちがつながることって何だろう。(『ネット君臨:第1部・失われていくもの/4 画面でつながる「仲間」「友だち」』より引用)

この文章の繋がりが解らないです。チャットやらメールやらをしている事に対する不安の表明でしょうか。帰省した時くらい直接のふれあいをすべきだ、という。

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2007年1月 3日 (水)

読み方

Interdisciplinary: 問題点の指摘の問題点の指摘で言及したブログで、私のエントリーに対して、回答(?)して下さっていました。全然気付かなかった…⇒template <class kuenishi> - スルーちからが たりない

うーん、何でそうなるのでしょう。よく解りませんね。このタイトルは、私へ向けてのものかな? それもちょっと判らないです。

概ねは、記事の書き方についての批判であるのは判っていましたが、そもそも私は、あの記事自体、どちらかというと好意的に読んだのですね。これは明らかに、坂元氏についてある程度知っていたから、でしょうけれど。でも、そういうバイアスを取り除いても、あの記事は、ゲーム批判には読めないと思うのですが、それは、私の読みが甘いのでしょうか? (痛いニュースのタイトルは論外ですが。「ゲームが暴力を助長」などとは、元記事のどこにも書いていません)

まあ、確かに、記事を読む人にとっては、坂元氏の研究の詳細などどうでも良い訳ですから、私の指摘も、的はずれと言えば的外れなのかも知れませんね。

積み重ねられた調査結果の上に考察を重ねているだけで、ゲーム、映画(などのメディア)、VR、どれについても本質的な考察がなされていない。それが難しいことは分かってはいるが、仮説を立てて検証するというアプローチも統計的な検証も何もあったもんじゃないので全然納得できそうもない。

むう、解らない。そもそも坂元氏は、社会心理学的に電子メディアの影響を研究する学者なのですから、そこを考えるべきでは? 「本質的な考察」というのは、どういうレベルでの話なのでしょうか。勿論、心理学的方法そのものを批判的に検討する、という視点はありますが。

参考になるサイト・文献を挙げておきます。あと、私が個人的に考えている事を適当に綴ったものは、こちらに⇒Interdisciplinary: メモ:「ゲームは暴力性を高めるか」という問題について

一番良いのは、バーチャル以下略の議事録を読む事です。それに尽きます。これを知っているといないとでは、捉え方に大きく違いが出るでしょう。

『すばる書店』公式ブログ | ゲームリテラシーという言葉(後半の論評は、とても妥当だと思います)

テレビゲームと子どもの心―子どもたちは凶暴化していくのか? Book テレビゲームと子どもの心―子どもたちは凶暴化していくのか?

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メディアと人間の発達―テレビ、テレビゲーム、インターネット、そしてロボットの心理的影響 Book メディアと人間の発達―テレビ、テレビゲーム、インターネット、そしてロボットの心理的影響

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電子メディアのある「日常」―ケータイ・ネット・ゲームと生徒指導 Book 電子メディアのある「日常」―ケータイ・ネット・ゲームと生徒指導

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2006年12月31日 (日)

理屈・理論・理合

古流武道を後世に伝える難しさ 3 - 一 樂 庵 - 楽天ブログ(Blog)

実際に動く事を疎かにして、考えるばかりではいけない、というのを戒める、その気持ちは解るのです。しかし、それを主張する余り、科学的分析に対して、嫌悪の様な感情を抱くべきでは無いと考えます。以下、引用文は、強調等ははずします。「ある剣術流派の故ご宗家」の発言は茶色で。

現代武道だけでなく古流においても技一つ一つ科学的な分析をして理論を確立させないと受け入れられないのが現状です。

「理論を確立させないと受け入れられない」のが本当かどうかは、よく知りませんけれど(そうであれば、好ましいです)、何かをやるに当たって、それが論理的に体系づけられているか、又、それが科学的に妥当であるか、という所を確認するのは、極めて健全な態度と言えます。

最近の若い方々は、このようにした方が有効なのではないかとか、こうした方が理にかなっていると言って、勝手に理合いを無視して技を変えてしまっています。

古流の技は先人たちが自分の命を懸けて作ってきたものであり、長い年月をかけて研ぎ澄ませて理合いとして私たちに伝えられているものです。

中途半端に理解している段階で、自分勝手に技を変えたり、というのが駄目だというのは、確かにその通りなのですよね。それは、どんな文化だって同じです。一般論ですから。ただ、ですね。それを言う為に、「理合」を用いて、とにかくやっていればいずれ解る(出来る)、とするのが、果たして妥当か、という事なのです。つまり、間違っている事をやっているのを見て、それをちゃんと指摘出来るか、又、その指摘は正しいか、それは、何を根拠とするか、という意味です。

物事には必ず順序があります。
そしてその順序に従って進んでいかなければ必ず間違った所へ到達してしまいます。
また順序を飛び越えて進んでいくと落とし穴に嵌ります。
正しい順序で確実に進んでいかない限り、決して正しい結果には辿り着けません。

それはそうです。正しい順序を守らなければ正しい結果にならない、というのは、当たり前です。ですから、正しい順序とは、何を以って正しいと言えるのか、他に合理的なやり方は無いのか、という事を、考えなければならないのです。果たして、武術関係者の中に、それをやっている(やろうとしている)人が、どれ程いるでしょうか。

古流武道では理論・理屈は必要ありません - 一 樂 庵 - 楽天ブログ(Blog)

古流武道は”理論・理屈”ではありません。

こういう事は、書くべきでは無いのですよね。恐らく、「理論・理屈」と「理合」は違う、という意味なのでしょうけれど、科学的分析をすべきでは無い、という文脈での使用なので、どちらにしても、妥当ではありません。

今、昔から伝えられてきた武術が科学的に研究されるようになって、それぞれ理論が確立されることによって非合理的な点が少なくなり、合理的になって発展してきているように言われているようです。

これは、今一つ意図を掴みにくい文章ですが。「非合理的な点が少なくなり、合理的になって」というのは、体系が洗練されて、より優れたものになった、という意味でしょうか。それとも、武術のメカニズムが科学的に解明されてきている、という事でしょうか。

また現代武道の技術は、一つ一つ科学的な分析をして理論を確立させないと、世間には受け入れられない状態です。
そのため自分の体を動かして覚えることが少なくなり、頭を使って「力学的に考えると、こうした方が良いはずだ。」とか「こうした方が合理的だ。」と考え、先人たちが命を懸けて作り出してきた技を変えてしまっています。

上にも書きましたが、「一つ一つ科学的な分析をして理論を確立させないと、世間には受け入れられない状態」なら、それは望ましいと思います。多分、そういう傾向にはなっていると思われます。ここでは、先人が作り上げた体系が、そもそも高い合理性を持っている、という前提があります。本来、それ自体を論ずるべきであり、それを分析するのが、他ならぬ、科学です。ところで、頭を使う事と、身体を動かす事は、相反しません。時間配分の問題なので、そういう傾向にはあるかも知れませんが。しかしそもそも、「頭を使わずに、身体だけ動かしていれば良いのか?」という疑問が出てくる訳で。

でもいざお互いに真剣を持って命懸けの真剣勝負を行うとしたらどうでしょうか。

これは、全くナンセンスな喩えです。現代剣道は、そもそも「真剣を持って命懸けの真剣勝負」など想定していません(この様な議論が成立するのは、現代剣道家が、現代剣道の体系の学習によって真剣の扱い方も習熟出来る、と主張した場合ですが、その様に言う剣道家がどのくらいいるかは、判りません)。又、現代社会において、真剣での戦いを想定するなどというのは、武術に全く関心の無い人からすると、かなり困惑する文章でしょうね。

古流武道では”理論・理屈”を二の次にして、とにかく師の教えるままにひたすら稽古をします。
そのため”理論・理屈”は知らなくても自分の身を守る技術は完全に身に付けることが出来ます。

ここなのです。ここに、擁護システムの存在を窺う事が出来るのです。即ち、「師の教えるままにひたすら」、「”理論・理屈”は知らなくても」、等の教示によって、修行者の分析的・反省的思考を鈍麻させ、上位者の教授方法、又、体系そのものに対する懐疑的精神を、失わせるのです(高岡英夫氏の著作参照)。「知らなくても自分の身を守る技術は完全に身に付けることが出来ます。」ならば、論理的には、稽古したものは、全員正しい技術を身に着けた、と言えますが、果たしてそうでしょうか? 勿論、そんな事はありません。それは、承知している事でしょう。では、「何故身に着けられないのですか?」と問われれば、上記の様な認識を持っている人は、どう答えるでしょうか。簡単です。「修行が足らんのだ。」、「やり方が違っていたのだ。」です。ね、恐ろしい矛盾でしょう? 理屈を知れば身に着けられないと言い、身に着けられない人には、「稽古が足りない」、「頭で考えているだろう」と言うのです。

私は、頭で考えもせず、ひたすら身体を動かす稽古、というのが、最も駄目な稽古だと考えます。それだと、センスの良い人が、「たまたま」上達する、という事になります。それでは、何のために武術をやるのでしょう?

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2006年12月29日 (金)

問題点の指摘の問題点の指摘

template <class kuenishi> - ゲームリテラシーだってよ

1. 記事の事実関係では、シューティングゲームの実験結果についてのみ言及されているのに対し、記事の論調はゲームの全てを批判するように書かれている

「ゲームの全てを批判するように」というのは、主観的評価なので、読み手の解釈によるだろうから、一概には言えないけれども、記事では、「主人公が魅力的に描かれている場合、個人差はあるものの、暴力シーンが多いシューティングゲーム」と書かれている。ここでは、シューティングゲームに、「主人公が魅力的」、「個人差はあるものの」、「暴力シーンが多い」等の条件が追加されている。これは、慎重な指摘に努めた、と見るべきである。ただ、恰もそれが、ゲーム一般に当てはまるかの如く読まれる、という所に関しては、もっと配慮が必要であったと思われる。

2. 「シューティングゲーム」や「暴力」、「暴力的傾向」など、曖昧な言葉が定義なしに用いられている

これは当たらない。心理学的研究においては、測定したい概念は、そもそも直接的に観察不能(構成概念)であるから、それを定義しなければ、研究自体が始まらない。ただし、記事において、「暴力」や「暴力傾向」の定義なりが触れられていないのは、配慮不足であったと言えるかも知れない。「暴力」とは、日常的に用いられる言葉であり、読む側が、学術概念として捉える事は、少ないであろう。注意深さを求めるならば、注釈を設けるなりして、誤解を解くべく努力すべきだろう。尤もこれは、記事の書き方の問題であるので、どこまで求めるか、というのは、又別に考えなければならないだろう。

3. センセーショナルなゲーム批判とは一線を隔(引用者註:原文ママ)しているように見えるが、実際はセンセーショナルなゲーム批判でしかない

記事そのものの評価であれば別だが、もし坂元氏に対する評価だとすれば、これは全く当たらない。坂元氏は、「バーチャル社会のもたらす弊害から子どもを守る研究会」の委員であり、早計な表現規制に対して、学者としての誠実さを以って、歯止めを掛ける役割を果たされているのである。又、著作を参照すれば解るが、ゲーム等のメディアが及ぼす悪影響に関しては、努めて慎重な書き方をされている。それらを踏まえれば、「センセーショナルなゲーム批判でしかない」とは、全く不当な評価であると言わざるを得ない。

4. 『暴力が正当化される理由は何か▽なぜ、主人公は暴力を振るわないといけないのか▽倒された者の家族はどんな気持ちか??など、「ゲームに描かれていないもの」を考える』など、ゲームの実態を理解しているかどうか疑わしい記述がされている

これは、ゲーム一般に当てはまる論理を記述しているのでは無い。坂元氏の真意は結局、保護者と子どもが共に考える事が重要だ、というものである。「なぜ、主人公は暴力を振るわないといけないのか」等の問いには、様々な次元での答えが用意される。これは、もし、暴力が正当化される様なゲームがあったら、そう疑われる様な言動を子どもが行ったら、という場合に対して、保護者がちゃんと教えてあげられるのが望ましい、という事であろう。子どもが「単なるゲーム(微妙な表現だが)」としてやっている所に、わざわざストーリーの深い所を考えさせる、という意味では無いと考えられる。即ち、ケース・バイ・ケースだという事である。ゲームに関しては、「ゲームに子守をさせて云々…」という文脈で、ネガティブに語られる事もあるから、坂元氏の発言は、そういう批判を受けない様に、親子で共に楽しみましょう、という意図からであったと思われる。そういう意味では、ゲーム文化擁護(不当な批判からの)の発言とも取れるであろう。

僭越ながら、「ショッボイ研究にしか見えない」(template <class kuenishi> - ゲームについて)などと評するのであれば、坂元氏の活動なり著作なりを参照してから仰るべきであると思うのだが、いかがだろうか。

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博士、ありがとうございます!

わしの大発明(ニセ科学判別装置)を見るのじゃ:匿名じゃ(研究会から戻った)さん(←バレバレ)のコメント。

最後辺りにご注目。

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2006年12月28日 (木)

お笑いとバーチャル

たかぎFさん、GJです⇒WEBダ・ヴィンチ 水道橋博士の「本、邪魔か?」(25)いじめ問題

前に言及した、北野武氏のエッセイの文章が、引用されています。

で、前半の、お笑いの構造の解説については、特に異論はありません。自分も、そう思って楽しんでいますし(だから、そうなんだよ、と教えるのが重要でしょう)。ただ、問題なのは、後半。えー、という感じです。昔(←曖昧)の人はそれが解っていた、今の人はゲームをやっていて、バーチャルと本物の違いがわからない云々、というのは、何か、確たる根拠でもあるのですか? そういう意味では、お笑いがいじめの原因だと言う事と、余り変わらないでしょう。

個人的には、バラエティを見慣れていると言っても、こりゃいかんだろう、と思う様な、やり過ぎ感みたいなものを覚えるものはあります。それは、一部のゲームなり小説なりを見て、嫌悪感を覚えるのと同じです。そういう事では? バーチャルと現実がどうのこうのと言う前に、どうなっているのかを教えればいいでしょう。その方が、余程現実的ですよ。

余談。以前、遊鬱さんのブログに、最近のバラエティの作り方が気になる、と書いたのですが、これは、そもそもバラエティ(お笑い芸人が出るもの)は、人の欠点を笑ったりするのを楽しむ構造を持っていますから、そこは、ちゃんとメタにみるべきだろう、という意味ですね。

※水道橋博士さんの文章へのリンクですが、それ自体の趣旨に賛同しているという事では、全くありません。念の為。

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誤解では?

痛いニュース(ノ∀`):「ゲームが暴力を助長。"倒された者の家族の気持ち"などを考えさせるゲームリテラシー教育を」…専門家

【こども 生活改革】「ゲームリテラシー」教育を-リビングニュース:イザ!

坂元氏に批判的なレス、ちょいと曲解誤解してませんか?(いや、2ちゃんのレスなので、こういう書きぶりなのは、しょうがないですけれど。←批判にあらず)

結局、ゲームをやる時(と言うか、ゲームについて)に認識すべきなのは、それが単なる記号である事、物語は仮構であって、それは現実生活とは全く異なる、という事でしょう。それは、メタな視点として身に着けるべきだと考えます。しかし、それと共に、物語に没頭し、キャラクターに感情移入する事もある訳ですよね。実際の生き方に示唆を与える場合もあるでしょう。それは、どんなメディアも一緒です。子どもがゲームについてどう考えるかは、それぞれの子ども次第だと思います。だから、それを踏まえた上で、保護者が子どもと共に考えていく、というのは、妥当だし、望ましい事だと思うのですが。坂元氏の真意は、どんなゲームにも物語性があって、それを考えさせるべきだ、というのでは無く、保護者も一緒に考えましょう、という一般論の主張でしょう(これは推測ですね。坂元氏が具体的にどう考えているかは、解りません)。確かに、格闘アクションをやっている時に、「このキャラクターには家族がいて…」と言う必要は無いとは思います。この場合は、真似するなよ、程度で良いでしょうね。坂元氏が仰りたいのも、そういう事なのでは?

坂元氏の主張に対してこういう批判が出るのは、予想出来た事ですが。だから、

暴力シーンが多いシューティングゲームをやることで、プレーヤーの暴力的傾向が助長されるという。

この様な言い方をする場合にも、気を付けないといけないのですよね。ここで坂元氏は、心理学的概念として「暴力」を用いている訳ですが、読む側は、そうは取らないでしょう。自分が「暴力的」だと感じる人なりを思い浮かべて、それに当てはめて認識するでしょうから。

ところで皆さん、表現規制に歯止めを掛けているのは、他ならぬ、坂元氏ですよ…。

見出しをもうちょっと考えて欲しい。

2006年12月29日追記:イザ! の記事に、TBを送りました。坂元氏については、Interdisciplinary: ゲーム・ゲーム脳関連リンク集に、関連するリンクがありますので、ご参照下さい。「曲解」を「誤解」に訂正。「曲解」だと、意図的な、という意味合いを持つので、替えました。

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2006年12月24日 (日)

脱帽

asahi.com:「塾は禁止」 教育再生会議で野依座長が強調 - 社会

第3回 規範意識・家族・地域教育再生分科会(第2分科会)(PDF)

野依氏の認識に、激しく脱帽。

委員の発言に、激しく脱帽。

思い付きの物言いが、かなり見られます。それが悪いという事ではありませんが、余りに、主観を一般化する意見が目立ちます。

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2006年12月19日 (火)

蔓延

NHKの『視点・論点』で、大阪大学の菊池誠氏(きくちさんです)が、ニセ科学について論じておられました。

個人的には、ゲーム脳が取り上げられていたのが、良かったと思います。ゲーム脳批判がマスメディアに乗る事は、滅多に無いですから(私は、観た事無かったです)。

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そんなもんやってて何になるんだバイアス

アトミスティックに頂いたコメントに関連して。

スポーツは一般的には批判されないけれど、ゲーム等は…、という話については、確か、以前書いたのですが、やはり、(物凄く単純化して書きます)「飯のタネになるかどうか」というのが、大きいと思います。

ゲームを「やる」とか、漫画を「読む」事は、結局、生産的な行為として看做されない訳で、それが褒められないというのは、ある意味当然ですね。ゲームのプロというのも認知されておらず、それをやっていても意味が無い、という認識が、一般にはあるのでしょう。だから、攻撃し易いのだと思われます。対してスポーツは、マスメディアでスポーツ選手が取り上げられたり、年俸がどうだと騒がれる、言わば、「華やか」な世界です。又、ゲームをやった事が無い人は沢山いても、スポーツをやった事が無い人は殆どいません(スポーツの定義にもよります)から、よく知っている、という所もあるでしょう。そして、ゲーム等は、「訳が解らない」世界、と看做している、という。そういう認識を持っている人は、文化内の差異に目を向けません。同じスポーツでも、野球とサッカーとテニスとバスケットボールが全く違うという事は、誰でも知っていますが、それが自分の知らない世界になると、一緒くたにしてしまうのです。『ドラゴンクエスト』と『バーチャファイター』と『バイオハザード』と『ぷよぷよ』と『ファイヤーエムブレム』と『逆転裁判』と『ときめきメモリアル』と『グラディウス』は全く違うのに、理解しようともしない(知っていても、大した違いは無いと看做す)のですね。

たとえば、運動系の部活で問題行動が発覚しても、それは、そのスポーツをやる事によって促されたのだ、と考える人は、恐らくそれ程いないでしょう。寧ろ、その様な部活において形成される人間関係の歪み等に焦点が当てられます。そういう意味で、至極真っ当な認識です。しかるに、何か行動を起こした人間が、ゲームや漫画を好きだったという事実が明らかになると、途端に注目されます。それが「心の闇」を作り出したのだ、とか。これは、文化に対するイメージの違いを表す、端的な事例でしょう。

訳の解らないものに、好ましくないレッテルを貼るのは、まさしく差別の構造ですが、それに気付かず、確信犯的に、ゲーム等の害悪を流布する人がいるというのは、嘆かわしい事態です。

勿論、自分が知らない文化に対して、こういう安直な見方をしてはならない、という自戒も込めて、書いています。私は以前、偏見の塊の様な人間だったので、いかにそれが他人を傷つけ、歪んだ自尊心を大きくさせるかを、知っています。だから、客観的に物を見つめ、冷静に判断出来ているかどうかを、常に省みなければならないと考えています。

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2006年12月18日 (月)

アトミスティック

1So-net blog:エゾ狂人日記:「『ゲーム脳』脳」の恐怖、2エゾ狂人日記:桑原清四郎先生へ

(こういう話題では、コメントしたのが本人か、というのが問題になったりしますが、一応、そうであると判断します。リンク先のブログでのやり取りについての感想なので、どちらでも構いません)ぱらいそさんの丁寧な説明にも拘らず、今一つ、議論が噛み合っていない様に思われます。桑原氏は、コメントで、森昭雄氏を擁護なさっていますが、果たして、森氏の各所での発言をご存知か、或いは、そもそも『ゲーム脳の恐怖』をお読みになったのか、疑問です。森氏の経歴等は、ここでは全く関係の無い事です。問題は、ゲーム脳などという、およそ学術的概念とは言えない説を提出し、それを新書で一般に流布し、更には、講演会等で自説を広めている、その事なのです(桑原氏の活動については、詳細が判らないので書けません)。桑原氏は、神経科学の成果を基に教育方法を組み立てる事を企図されている様ですが(1のコメント欄より)、これは、悪い意味での要素還元主義(アトミスムの方法自体の批判ではありません。念の為)に陥る可能性があるでしょう。即ち、○○をやらせたら脳波(PETでもfMRIでも)がこうなった、から、○○は脳に良い/悪いと、短絡してしまう危険性を秘めているという事です。そこの所は、考えておくべきでしょう。文化の良し悪しが、脳の活動の仕方によって根拠付けられるというのは、怖い事ではないでしょうか。

そもそも人間にとって、どの様な能力を高める(あるいは「高めない」)のが「良い」事なのか、それを考えれば、問題の複雑さが、判ってくると思います。

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2006年12月13日 (水)

先生の話とか、自分の事とか、ステレオタイプの事とか

(1)ゲーム脳の恐怖・「硫黄島からの手紙」 - みなみっ子6松あつまれ - 楽天ブログ(Blog)、(2)週刊こどもニュース・原爆の被害・ケイドロ・またまた中学生が - みなみっ子6松あつまれ - 楽天ブログ(Blog)

またまた,その後に「ゲーム脳」の話もしました。実際の脳波データも見せて,ゲームばかりしていると,本当に使いものにならない人間になってしまうぞと,つよく戒めておきました。※(2)より引用

何かをやり過ぎるのを戒める為に、極めて論拠の疑わしい「ゲーム脳」の概念など、持ち出さないで下さい。「本当に使いものにならない人間になってしまうぞ」という脅しの言葉を用いて、特定の文化を貶める様な事を、言わないで下さい。大体、「使いものにならない人間」って、何ですか。

「コンピュータは非常にくわしいです。歴22年。一時はプログラムも組んでいました。 」(Profileより)というのであれば、ゲーム脳がどの様な評価を受けているのか、少し調べれば、判る事です。それをされたのでしょうか。もし、それを知った上で、上記の様な指導をしているのだとすれば、科学的認識力に欠けていると言わざるを得ませんし、調べてすらいないのであれば、軽率であると言えるでしょう。

反論に、個人的経験を持ち出すのは、余り良くないのかも知れませんが(結局は個人差の問題、或いは、個人の主観を書いただけだ、と言われるので)、参考にはなると思いますので、私の事を書きます。

私は、小学生から高校生時代にかけて、恐らく、一日平均2時間以上は、ゲームをしていたと思います。ですが、他人の言う事を聞けなかったり、物忘れが激しかったり、という事は、全くありませんでした。運動が極度に苦手でしたが、これには、ゲームをよくやっていたのが、間違いなく関係しています(ある程度、です。ゲーム時間と運動時間は、負相関するでしょうから。勿論、可処分時間の割り当ての問題ですから、一概には言えません。ゲームとスポーツばかりやって、勉強を全くしなければ、運動の得意なゲーム好きという事にもなります)。人格傾向については、認知的な問題が、大部分を占めていたと思います。身内や友人とのコミュニケーション等々。ゲームをやったから云々、などという、シンプルな論理では、全く説明出来ないです。私がいた環境で、「ゲーム好きを小馬鹿にする」という時期もありましたが、これは、他者にもネガティブなイメージを持ちますし、自身を苛む場合もあります。私は、こういうステレオタイプが作り出す「雰囲気」というのが、とても重要だと考えています。

あるステレオタイプの対象に含まれる人が持つ認識として、「そんな事は無い、それを自分が証明してやる」というのは、結構ある様な気がします。スポーツをやる人は勉強が出来ないとか、ゲームをやると馬鹿になる、とか、そういう言い掛かりを払拭する為に、そうでない事を示そう、という。中にいる人間にとっては、「こういう場合がある」というのを、「(必ず・殆ど・大概)こうなる」と言われるのは、とても困るのです。そんな事を根拠にしてコミュニケーションを取られるのは、たまったものではありません。「自分を見てくれよ」と思うのですよね。だから、「○○は△△だ」という、ステレオタイプ的な見方は、余りすべきでは無いと考えるのです。ステレオタイプを形成したとしても、それが妥当な見方であるかを常に考え、仮にそうであるとしても、それを個人に安易に当てはめてはいけないという事を、自覚すべきではないでしょうか。

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2006年12月10日 (日)

脳内汚染の書評集め

『脳内汚染』は、『ゲーム脳の恐怖』と異なり、ある程度広い領域に亘って論が展開されており、先行研究も引用されているので、なかなか、詳細な論評が難しいですね。引用の仕方が妥当か、という問題等がありますし。著者の岡田氏の主張を腑分けし、個別に検討する必要があると思いますが、個人の思い込みも交えて、ごちゃごちゃ絡み合っているので、解きほぐしにくいです。

という訳で、個人があれこれ論ずるより、色々な所で論評されたものを集めた方が、参考になると思ったので、書評のリンク集を作ってみました。否定・肯定、両方取り上げてあります。結構長いです。

・肯定的

ゲンダイネット:【著者インタビュー】:岡田尊司氏(岡田氏へのインタビュー記事)

鐘の声 ブログ: 「脳内汚染」を読んで--心理、教育、社会性の発達(16)(プロフィールによると、情報系の専門家の様です)

香取俊介の道草日誌 : 深刻な「脳内汚染」のもととなっているメディア(「営利企業の「金儲けの元」なので、研究者の声も封殺されているようだが」←こういう事は、不用意に言ってはいけないかと)

☆その時、心が動いた!☆: 『脳内汚染』(「中毒性」という言葉を、安易に使ってよいかどうか、とも思います。尤も、ゲームをよくやる人の間では、「ハマる」とほぼ同義だったりしますが)

脳内汚染 - 活字Holic - livedoor Wiki(ウィキ)(懐疑的な感想もお持ちの様ですが。テレビの内容を話題にしてコミュニケーションを取るのも、良いのではないかと思います)

Dr.森川の人間風車(中立的。「水中毒」は、DHMOの事ですね。「物心ついた時から周りにある」様になった、という環境の変化は、考える必要はあると思います)

福岡県弁護士会 弁護士会の読書: 脳内汚染(うーん、もう少し、懐疑的に読まれた方がよいのでは? 鵜呑みにし過ぎですよ)

『脳内汚染』やはり犯人は… - 原田誉一の電脳掲示板 - 楽天ブログ(Blog)(書評の評。こちらも素直に受け取り過ぎです)

おやこdeてらこや:【本の紹介】:脳内汚染(この追記は何でしょうか。皮肉のつもりかなあ)

暮らし・世界を脅かすゲーム・ネット中毒:岡田氏、警鐘を鳴らす(そんな事例を出されても、という感じ。大体、最初の方のケースは、ゲームの話すら出てないし。大学の教員なのですから、本は批判的に読む事を教えた方が宜しいかと)

今井宏 衆議院議員 公式ウェブサイト | きままに書評(確かに、「恐ろしい警告」です。ゲーム等を、麻薬と同等に捉えるのですから。それらを愛好する人達に対しての「雰囲気」の形成を心配します)

・否定的

らっぱ王子:脳内汚染(CGがフォトリアリスティックになったからといって、それは必ずしも、ハマる要因とはならないのですよね。CGムービーばかりが目立ってゲーム性を蔑ろにしたソフトは、批判の対象になりますし)

脳内汚染とゲーム脳 - マダム・ロハスの楽天的生活 - 楽天ブログ(Blog)(子どもの内には余りやらせない様にしよう、という態度で充分なのだと、私は思っています。それと、養育者が一緒にやるのが重要かな、と。「ゲームに子守をさせる」のが良くないのは、ある意味当たり前の話ですし、それに反対する人も、そんなにいないとは思います←引用先への意見では無いです)

シム宇宙の内側にて ゲーム脳の信者は子育て失敗の言い訳が欲しいだけ。(至極科学的な態度だと思います。要は、科学的に妥当と認められる方法による研究を行うべきだという事です)

ほどほどにね…[脳内汚染] しげのんnoカケラ/ウェブリブログ(実際、読むのに疲れる本です。あの、小説仕立ての表現は、明らかに問題ですよね。恐怖と不安を煽るだけでしょう)

シンさんの偽哲学の小部屋: 脳内汚染(岡田氏は、因果関係と相関関係との違いは、当然、解っておられると考えられますが、それを混同するのが、意図的なのかそうでないのかは、判断しにくい所です。寝屋川調査の質問紙調査で、妥当性・信頼性が認められた測定尺度を使用しているかどうかは、何とも言えないですね)

Stack-Style: ゲーム脳の次は脳内汚染だそうな(妥当な指摘ですね。この問題を捨て置いてしまった事は、とてもマイナスだと思います)

こどものおいしゃさん日記 おおきくなりたいね : 「脳内汚染」岡田尊司 文藝春秋 いささかセカイ系すぎるのでは?(的確な論評。ニセ科学の主唱者にありがちな、飛躍の構造。「自分だけが真理に気付いた」という実感は、いびつな自尊心を肥大させます)

PSJ渋谷研究所X: 「ゲーム脳」「脳内汚染」など:相関と因果(交絡を考慮せず、相関関係を因果関係の如く看做す誤謬を犯しているものは、結構見かけます。リンク先で紹介されている、きくちさんが出された練習問題、面白いですよ)

脳内汚染 「はげひげ」の脳的メモ/ウェブリブログ(論文を引用された学者のブログ。コメント欄にある、「データにはデータで」はその通り。でもなあ、テレビで実験を披露する際には、もう少し気を付けて頂きたいですね)

ネトゲ研究日誌:脳内汚染について - livedoor Blog(ブログ)(私は、本書は、確証バイアスで出来た本だと考えています)

草莽崛起 ーPRIDE OF JAPAN 凶悪な少年犯罪-「脳内汚染」ゲームが脳を汚染する草莽崛起 ーPRIDE OF JAPAN 切れる子どもたちと「脳内汚染」について(以前ご紹介しました。コメント欄が盛り上がっています)

オンライン書店ビーケーワン:脳内汚染「信頼に値しない資料の用い方」(bk1の書評。寝屋川調査の詳細って、全く明らかになってないですね…)

リヴァイアさん、日々のわざ: 岡田尊司氏の「脳内汚染」について(3月2日追記)(川端さんの読み方は、流石、という感じです。慎重に読み解かなければならないという事を、強く主張されています。確かに、森氏の本とは、ちょっと違いますからね。それだけに難しい、という)

サイコドクターぶらり旅(2006-02-02)(”単なる「変化」であってそれ自体では善でも悪でもないと思うのだけど。”これは重要な指摘ですね。「悪影響」に振れた主張が目立ちます。わざわざ良い影響を語っても、見向きもされない、という事もあるのでしょう)

医学都市伝説: なんだかなぁ「脳内汚染」(鹿島氏の書評は、伝説的ですね。ネットのどこかに残ってるかも知れません)

Frog is not Blog::なぜゲーム脳を批判するのか(その通りで、ゲームの愛好家は、案外醒めた眼で見ているのですよね。メタな視点というやつです。害悪を吹聴するより、外から眺める事を教える方が、余程重要です)

たこの感想文: (書評)脳内汚染(詳細な書評。こういう本って、比較対照を出さないのですよね。じゃあ、他のものはどうなの? と問われれば、どう答えるのでしょうか)

読書日録(香山リカさんも、書評を書かれていたのですね。何か、戸惑い気味の様です)

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2006年12月 6日 (水)

メディアとは、箱の様なものですから、その箱には何が入るか、今まで何が入れられて来たか、今何が入っているか、今後何が入れられるか、そこに入っているものは、どんな特性を持っているか、性質は一様であるか、それとも、様々な種類のものが入れられるか、等を考えないと、駄目なのです。

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2006年12月 2日 (土)

ウエート

私の経験を振り返って、思った事を書きます。多分、同じ様な事を考える人は、沢山いると思います。発達心理学等でも言及されているかも知れませんが、よく知りません。

「子どもがどういう性格になるかは、養育者の育て方次第だ」という主張、ありますよね。

勿論それは、正しい部分もあるとは思うのですが、余りそれを信じ込むのも、どうかと思います。子どもは当然、養育者(一般的には親)とだけコミュニケーションを取るのでは無く、同じ年代の仲間(友達等)や、養育者以外の大人(学校や習い事の先生等)と、やり取りをする訳です。ジュディス・リッチ・ハリスが、仲間集団とのコミュニケーションが、性格形成に大きな役割を果たしている、という様な事(でしたよね?)を書いていましたが、私は、子ども(に限りませんが。と言うか、一般的に当てはまると思います)は、周りの人に「重み付け」をして、その対象によって、態度を替えるのだと考えています。同じ様な注意をされても、その相手が、幼稚園の好きな先生か、水泳教室の煩い先生かで、全く受け取り方は異なると思います。勿論、個人では無く、集団の場合もあるでしょう。「両親」という集団よりも、「友達」という集団に重きを置いていれば、親の言う事を聞かず、仲間との関係を大切にするかも知れません。「言う事を聞かない」という行動に、価値を見出す場合もあるでしょう。人によっては、ドラマや映画の主人公、カリスマ性の高い歌手、小説や漫画の登場人物、等々の行動・認識に憧れを抱き、積極的に真似る事もあるでしょう(よくある事ですね)。それは、社会的に好ましいとされる行動規範を形成するかも知れませんし、逆に、反社会的行動に走らせるかも知れません。ある意味では、養育者よりも友人と会う時間が長い人が、友人と価値観を共有する、というのは、当然とすら言えるでしょう。文学に親しむ人が、登場人物に憧れ、その人間性をなぞる、というのも、大いにあり得る事です。

当然、人はどの様に育つかは不確定だから、育て方など関係無い、と言いたい訳ではありません。ですが、性格は、養育者の育て方で、ほぼ全て決まる、という様な論理(それは、問題行動を起こした人間の原因を、養育者に帰する事になります)は、慎重に吟味する必要がある、と考えています。

上にも書いた様に、大人になっても、「憧れの人」、「信頼出来る人」というのはいるので、その重み付けによって、「話の聞き方」等に、差が出るでしょう。自分が信用していない対象に対しては、懐疑的になり、慎重に考えるかも知れません。逆に、「聞く耳を持たず」、という事もあります。相手が信頼(「心酔」とか)出来る人ならば、言う事をちゃんと考えず、「鵜呑み」にしてしまう場合もあるでしょう。それが、行動規範の変化を促す、というのは、結構、ある事なのではないでしょうか。解り易い、タイムリーな例を挙げると、某超有名アーティスト(検索・TBスパム回避)が「水伝」を軽いノリで紹介したのを「鵜呑み」にして、「何て良い話」と感じ入る人も、いるのです。そういう人は、某アーティストに対して、極めて多分の重み付けを行っているのでしょう。だから、水伝の内容(話された範囲での)を吟味もせずに、信じてしまうのだと思います。

結局何が言いたいか。要するに、人は、色々な他者(実在の人に限らず)に、色々の影響を受け、成長していく、という事です。そしてそれは、容易に分析出来ない、複雑な現象なのだと思います。

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2006年11月25日 (土)

バーチャルとかいじめとか

週間ポストの、北野武さんの連載を読んだのですが、いじめ問題に絡めて、バーチャルがどうだこうだとか、現実の痛みを知らないから云々とか、そんな事が書かれていました。それと、いじめ被害者の保護者についての批判(と言ってよいのかな)も。こんな典型的な、若者叩き的な思考を持っている人だったのか、と感じました。

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2006年11月24日 (金)

テレビ番組での批判

前にもご紹介しましたが、今一度⇒「時流」 TVゲームと少年犯罪の関係(2005/04/01)

マスメディアが「ゲーム脳」を批判的に紹介した、数少ないケースだと思われます。

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武道を読む

武道を読む Book 武道を読む

著者:高岡 英夫
販売元:恵雅堂出版
Amazon.co.jpで詳細を確認する

高岡氏の初期の本です。

内容は学術的ではありますが、インタビュー形式で書かれており、初期の著作にしては、とても読み易いと思います。高岡氏の、実践に基づいた鋭い考察もあり、興味深いです。

武道を科学的に捉えるとはどういう事か。武道は、人類の文化の内で、どの様に位置づけられるのか、等に興味がある方に、お薦めの一冊です。

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2006年11月21日 (火)

声優とか、芝居とか

声優の芝居が大根の理由 - せんだって日記 - 楽天ブログ(Blog)

【遅くなったネ】声優芝居は大根か【お返事】 - せんだって日記 - 楽天ブログ(Blog)

私は、芝居とか演劇について、殆ど調べた事も無いので、以下、単なる感想になりますが(せんだって日記さんのエントリーの内容についての意見では無いです)。激しく取りとめが無いですが、ご容赦を…。

こういう話題は、「○○とは何ぞや?」とか、色々な、大人の思惑とか、そういうのが絡むので、難しいですね。せんだって日記さんが仰る事にも、納得出来る部分はあるのですね。型に嵌ってしまっている、というか、そういう演技をしている声優さんは、いるでしょうね。人気先行で、実力が伴っていない人をキャスティングする、と言う事もあるでしょう。それは、他の世界もそうであると思います。芝居というのは、客観的に能力を評価してランクを付ける、といったものではありませんから(客観的に評価する事自体、難しい。好き嫌いも絡みますし)、そういう事は起こると考えられます(「起こり易い」かどうかは、微妙な所ですが)。総体としてどうであるかは、よく考える必要があるでしょうね。産業として注目→実力よりも売れるかどうかを重視→実力の無い人が売れる、という流れを仮定しているのでしょう。最近の女性アナウンサーについての批判とも、構造が似ている気がします。

勿論、有名若手声優⊂演技が下手、なんて事は無い訳ですけれども(どこまでを若手と言うか、という問題も)。そこは、認識すべきですね。小数の例を以って、それを一般化し、ステレオタイプを形成してしまう事はありますね。「最近の若手歌手(の中で、売れている人)は歌が下手」とか(これについては、オリコンの上位の常連の歌を聴くと、そういう傾向はあるなあ、と思っていますが)。

見る人が、芝居の上手下手をどう評価するか、又、それは妥当か、という問題もありますね。結局、最初に書いた、「○○とは何ぞや?」という話になります。

よくありますよね。あの人は歌が上手い/下手、という議論。結局、「上手い」とはどういう意味かが明らかにならないまま、議論が進んでしまうので、水掛け論に終わってしまう、という。それと、同じ様な事だと思います。仮に、それを操作的に定義して、議論をしたとしても、それが果たして、皆が思う「歌の上手さ」を過不足なく説明出来ているか、という妥当性の問題もあります。

以下、超個人的な意見。

ジブリ作品のキャスティングは、何とかして欲しいと思ったりしています。

某メーカーのRPGで、いわゆる声優は使わない、という事がありましたが、あれには参りました。

たとえば、演技の稚拙な人が、大役をあてがわれる事があります。そして、その役者さんが批判される場合があります。私は、それは違うと思います。批判するなら、キャスティングした人間を批判するべきであって、役者自体を責めるのは、筋違いであると考えています。大役を演じてくれと言われて、「自分は演技が下手だから嫌だ」等と言って断るのは、普通あり得ないですしね。そんな事をしたら、大顰蹙です。それが許容されるのは、ある程度の地位にある、大御所やスーパースターのみでしょう。

(私は)よく、「最近の若い役者は演技が…」という話を見聞きする事があります。果たしてそうでしょうか。現在大御所として活躍する役者さんの、若い頃の演技を観ると、今の若い人の方が、圧倒的に上手だと感じる事が、しばしばです。勿論、個人的感想ですが(この場合、観察対象は、「テレビや映画で活躍する人」なので、それ程多数でも無いです)。

当然、個人的に、「演技の上手な人はこうだ」という、必要条件の様なものは、考えています。誰でもそうだと思います。それを、分析的に認識しているかどうかは、人それぞれですけれど。滑舌の良さ等は、多くの人が認める必要条件だと思います。人によっては、「ハラを効かせた声」というのも、条件に含めるでしょうし(これは、滑舌と較べて、はっきりとした評価が難しかったりしますが)。声に1/fゆらぎが含まれているかどうか、なんて事を言う人もいるかも知れません。

舞台で鍛えた人が、テレビドラマに出演しているのを観て、演技が「大袈裟」に見える事があります。仕草や声の調子にメリハリがありすぎて、「浮いて」しまっている様に感じます。

この人は上手だなあ、と思う声優さんは、何人かいます。その評価が妥当かどうかは、よく判りませんが。たとえば、榊原良子さんとか、大川透さんとか。声優界の至宝、若本規夫さんとか、若本さんは、色々な意味で、次元が違う様な感じもします(笑) 一体、あの人の演技は上手いのかどうなのか、という意見もありますね。そういう評価には、多分に「好み」が介在するでしょうね。

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暴論

こんなのを見つけました⇒Yahoo!ブログ - のんびりブログ:時流自論 ―藤原新也さん―

私は、藤原氏の仰る、

評論家口調をする”タレント”が、受けねらいで教育再生会議のメンバーに任命されるような施政が行われる日本

この部分にだけ賛同します。

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2006年11月19日 (日)

家庭用ゲーム機症候群

ちょっと古いですが⇒Amazon.co.jp: ファミコン・シンドローム: 本: 深谷 昌志,深谷 和子

タイトルから推察されるような、テレビゲームの悪影響を論じ、不安を駆り立てる、という内容ではありませんでした。

ただ、全体的に、事例報告や調査に対する、著者の恣意的解釈が目立っている様に感じられました。

ゲームやコンピュータと、それに関わっている人を外から眺め、感想文を書いた、といった所でしょうか。

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2006年11月15日 (水)

マルチメディア情報

ご紹介。

マルチメディア時代における『表現の自由』─脳科学からの再検討─(PDF)

「青少年社会環境対策基本法」を支持する

青少年保護と表現の自由について

実証的根拠の無い、主観の一般化が目立ちます。他の部分は、何が仰りたいのか、よく解らないです。

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2006年11月 9日 (木)

日本ぽい

MrJohnnyさんの、吹風日記内、「ぱふぱふ」はなぜ消えたのか、聞こえない音、エロい日本のドラクエを読んで。

いやあ、面白い。熱く語っておられます(笑)

そういえば、「マホカンタ」って、「魔法のカウンター」って意味でしたよね(うろ覚え。間違っていたら済みません…)。なかなか絶妙な命名ではありませんか。

手塚治虫が考案したと言われる無音を表す擬音「シーン」です。

この話、知りませんでした。へえ。

RPGの設定って、思い切り「日本的」ですよね。と言うか、そうでないものは、「受けない」と思います。そもそも、開発者の思想の表現でもある訳ですから、当然という感じもします。

ところで、海外版では、

へんじがない ただのしかばねのようだ

この傑作メッセージ、どう訳されているのでしょうね。そのままなのかな?

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2006年10月11日 (水)

体力低下

Yahoo!ニュース - 読売新聞 - 小中高生の体力低下続く、朝食抜きの影響明らかasahi.com:寝過ぎ高校生、持久力劣る? 「不規則な生活、原因」 - 暮らし

参考:平成16年度体力・運動能力調査結果について

率直な意見として、「運動部・スポーツクラブ所属の有無と体格測定・テストの結果」、「運動・スポーツの実施状況別体格測定・テストの結果」、「1日の運動・スポーツ実施時間別体格測定・テストの結果」(各種統計情報(平成16年度 体力・運動能力調査)-文部科学省より引用。17年度も同様の調査が行われたと仮定しています。17年度の情報はまだ公開されていない様です)等との関係を分析するのが先決だと思うのですが。朝日の記事にある分析、ちょっと良く解らないですね。

「体力不足の原因は、運動不足」という仮説が、最も妥当なのではないでしょうか。

朝食については、朝食を取る人と、運動の実施状況との関係を調べるべきだと思います。経験的には、部活をやっている人等は、朝食は食べる傾向があるのではないかと考えています。朝練があったりするでしょうし(激しい運動をする前に食べる、というのは、一般的かと思います)、そもそも体力を向上させるという意欲があるはずですから、「体力を高めるには、三食キチンと食べないと」、と認識しているのかも知れません。

調査・分析に携わった順天堂大の内藤久士・助教授は「寝過ぎやテレビの見過ぎが直接の要因というよりも、そうした子供たちには規則正しい生活習慣が確立されていないからではないか」と分析している。(朝日の記事より引用)

8時間以上睡眠を取る人に、運動不足の人がいただけかと。それと、「規則正しい生活習慣」というのが、どの様な概念なのか、不明確ですね。

読売の記事の、「朝食抜きの影響明らか」という表現は、どうかな、と思います。偽相関の可能性も充分にある訳ですから。勿論、「影響」という語を、どの様な意味で用いているか、によるのですが、「朝食を取らないから体力が下がる」と読むのが妥当でしょう。

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2006年9月25日 (月)

メモ:寝屋川調査

WEBで色々調べてみましたが、調査の具体的な内容については、知る事が出来ませんでした。これでは、調査が妥当であるかを検討するのが難しいですね。勿論、魚住氏の著作から、調査の仕方に問題があるのではないか、と指摘する事は出来ますが、どこがどの様に妥当で、又、どこがどうおかしいかを詳しく論評するには、情報が少なすぎます。本来、この様な場合は、信頼性を欠く、として、見向きもされないはずですが、寝屋川調査においては、数千人規模で調査が行われたという事と、電子メディアが少なからぬ悪影響を及ぼすという結果が出た(と調査者が主張している)、という情報が独り歩きしてしまっている様です(『脳内汚染』の影響も大きいかも知れません)。

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2006年9月23日 (土)

呼び方

呼び名で分かる:地域編 出身地を推測できる「ばんそうこう」-家庭:MSN毎日インタラクティブ

面白いですね。私は、絆創膏と言うかな。なるべく一般名詞を使おうと心掛けているので。

あ、でも、ステプラーはホッチキスと言ったりしますし、そもそも、商標名だと知らずに使っている言葉も沢山あるでしょうね⇒一般化された商標一覧 - Wikipedia

最近では、携帯電話のカメラで撮影する事を、「写メ」を撮る、と言ったりしますが、あれには馴染めないなあ…。

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2006年9月16日 (土)

現場埋没

武道・武術界の議論で、古流剣術に携わる人が、現代剣道に対して、「剣道は竹刀で当てっこしているだけで、真剣を扱う事は出来ないだろう」と批判するものがあります。

しかし、この様な批判は、実は、とても的外れであるのです。剣道は、「長めの竹刀で、限定された部位を打突し、有効打を奪い合う競技」として発展したものですから、目的が違うのです。竹刀と真剣では、重量も長さも異なりますし、素材も全く違います。剣道は、限定された有効箇所を、いかに素早く正確なフォームで打突するか、という競技構造を持っている訳です。即ち、「金属で出来ており、ある程度の反りがあり、剣先から鍔元まで刃が入れてある」真剣を扱う技術を習得しようとする古流剣術とは、そもそも違うものなのです。※上では、剣術側から剣道側への批判を挙げましたが、勿論、逆のケースもあります。古流剣術のドッシリ、ガッチリとした動き方で、どうするのだ。あれじゃあ、剣道の試合に出たら、手も足も出ない筈。といった感じで。

その事を理解せずに、自らが属する体系の論理を以って、他の体系を不当に批判(つまり批難)する事を、「エティミック(正確には、その一種。後ほど説明します。参考図書もご紹介します)」(高岡英夫による)と言います。この様な認識の仕方は、色々な場面で見られます。例えば、柔術が柔道を批判したり、空手の一流派が、他の流派を批判したり、等々。

この様に、自らの拠って立つ体系内でのみ通用する論理で、他の体系を理解しようとすると、とてもおかしな事になってしまいます。格闘技や武道・武術では、結構見られる事ですが、勿論、他の文化でも見られると思います。その様な埋没的認識に陥る事なく、俯瞰する、つまり、メタなものの見方を、鍛える必要があるでしょう。

※「エティミック」には、対象を文脈から無理矢理切り離して、没価値的(エティック)に観察しようとする態度も含まれます。例えば、空手の「突き」の威力を、衝撃力測定器で測り、威力が高い低いと、安易に評価する等。「突き」動作は、間合い・体捌き・受け技、その他諸々の条件と複雑に絡み合いながら、体系を構成しています。文脈から切り離して評価する、というのは、一面的でしかありません。勿論、とても重要な事であるには違い無いのですが、それが、対象を正しく理解出来る客観的方法である、と考えるべきではありません。もう一つの「エティミック」は、最初に挙げた剣術と剣道の例の様な場合です。例えば、剣術をやっている人が、「剣道の打ち方では、人は斬れんよ。」と批判したとします。しかしそれは、「古流剣術」というシステムでは、「剣道」で用いられている様な動作は役に立たない、と評価している訳で、それを以って、剣道全体を批判するのは的外れです。つまり、ある体系内でのみ通用する価値(イーミック)で、他の体系を判断する、という事です。

参考文献:

武道の科学化と格闘技の本質 Book 武道の科学化と格闘技の本質

著者:高岡 英夫
販売元:恵雅堂出版
Amazon.co.jpで詳細を確認する

空手・合気・少林寺―その徹底比較技術論 Book 空手・合気・少林寺―その徹底比較技術論

著者:高岡 英夫
販売元:恵雅堂出版
Amazon.co.jpで詳細を確認する

空手・合気・少林寺 (続) Book 空手・合気・少林寺 (続)

著者:高岡 英夫
販売元:恵雅堂出版
Amazon.co.jpで詳細を確認する

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2006年9月13日 (水)

いまどき中学生

いまどき中学生白書 Book いまどき中学生白書

著者:魚住 絹代
販売元:講談社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

遅ればせながら、読みました。各所で批判されている通り、とても問題のある内容でした。著者は、「プロローグ」において、「精神医学の専門家などの協力を得て、調査が医学的、科学的な裏付けを持つようにした」(P12)と書いていますが、本書を読む限りでは、その様な裏付けがあるとは、到底思えません。特に、グラフの書き方などは、根本的に間違っています。例えば、横軸に、一日平均のゲーム時間をとり、縦軸に、「傷つけられるとこだわり、仕返ししたくなると答えた子の割合(%)」(P56)をとった棒グラフがあります(P56)※こちらに、図が載っています⇒中学生のTVゲーム 長時間で暴力的傾向 : ニュース : 教育 : YOMIURI ONLINE(読売新聞) これは、各項目における基準の量が異なるので、棒グラフにして比較するのは、完全におかしいです。「全くゲームをしない生徒の内、18%」と、「4時間以上する生徒の内、35%」(数値は、asahi.com:朝日新聞関西ニュース:朝日わくわくネットを参照。不明な項目については、グラフより推定しました)を並べて、「4時間以上する生徒は2倍」と判断するのが、いかにナンセンスであるかは、お判り頂けるかと思います。又、目盛りの最大値を、出来るだけ下げる(最も大きな項目の値に合わせる)事によって、割合の大きさを、グラフの高さとして視覚的に印象付けています。本書に掲載してあるグラフは、ほぼこのようなものです。著者は、実数を示さずに、「何倍」とか「何%」という書き方を、よくしています。それによって、いかにも差があるのだ、と印象付けようとしているのでしょう。文章だと解りにくいかも知れませんので、試しに、ちょっとグラフを作ってみました。書き方によって、随分、印象が異なると思います。

G1200613G1200615 

 

※不明な箇所は、グラフを参照して推定。縦軸の最大値が異なるグラフを、二種類作りました。

アンケート調査を行った、としていますが、それがどの様なものなのかが、明らかにされていません。質問項目も、選択肢も、具体的内容が書かれていません。これでは、調査が妥当であったかどうかを判断する事が出来ません。又、保護者に対してもアンケートを行っていますが、こちらも同様に、具体的内容は書かれていません。

ところどころに著者の事例報告がさしはさんであり、それを著者が主観的に分析しているのですが、各ケースの原因を、メディアへの依存であると短絡しています。良く読むと、家族間のコミュニケーションや、学校でのいじめなどによって、不登校になった、というケースもありますが、何故かそれらも、ゲームやメールに耽溺しているのがそもそもの原因である、と論理を展開しています。事例報告は、具体的なケースがどの様なものであるかを知る事が出来ますし、それを分析する事も意義があると思いますが、一部の事例を以って、それを一般化するのは頂けません。

他にも、色々おかしな点があるのですが、キリが無いので、この辺にしておきます。この種の本は、全体的に破綻しているので、どこをどう批判すれば良いか、困ってしまいます。恰も、デタラメにピースがはめ込まれたジグソーパズルを見て、どこがおかしいかを指摘する様なものです。

私は、本書を読んで、考えようによっては、これは『ゲーム脳の恐怖』よりも酷いと言えるかも知れない、と感じました。何千人もの生徒や保護者にアンケートを取り、それをグラフにして、いかにゲームやメールがおそろしいものであるか、という事を印象付ける(しかし、その調査は、とても学術的水準を満たしているとは言えず、解釈も恣意的なものである)。間に著者の生々しい実体験を入れ、読者の共感をさそう。このインパクトは大きいのではないかと思います。

本書に言及しているブログ等を、色々見てみたのですが、データを詳しく検討する事も無く、肯定的に評価している所もありました。自分が予め持っていた考えを補強するものとしか映らなかったのでしょう。残念な事です。

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2006年8月31日 (木)

産業

ゲイムマンさんの、ゲイムマンのブログ:砧公園秘密基地 [ITmedia +D Blog]経由で。

「ゲーム産業戦略 ~ゲーム産業の発展と未来像~ 」の公表について 報道発表(METI/経済産業省)

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2006年8月24日 (木)

アカデミー

Yahoo!ニュース - 読売新聞 - ゲームにアカデミー賞、ソフト制作者を表彰…経産省

審査は、誰がどの様に行うのだろう、と思ったり。

ゲーム機メーカーやソフト開発会社、ゲーム雑誌の出版社などのゲーム産業全体で選考組織を作り

ほう。

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2006年8月13日 (日)

文化の評価は慎重に

2006年10月2日追記:もう一度、トラックバックを送ってみます。追記:失敗です。

とある古流武術(千速 一樂さんは、古流武道と表現)の修行者のブログを見つけました⇒千速 一樂さんの、一 樂 庵 - 楽天広場ブログ(Blog)

色々、不可解な点や疑問点がありましたので、いくつかエントリーを挙げて、指摘させて頂きます(はっきり申し上げて、批判です)。

昔の生活様式に戻る

○ 出来る限り畳の生活にする。

生活様式の西洋化と「姿勢の悪さ」との関連を指摘しておられますが、それは妥当でしょうか。又、姿勢が悪いとは、どの様な意味でしょうか。

『終わり良ければ全て良し』はない。

しかしプロセスが大切だからといってそのプロセスを科学的に分析してはなりません。

科学的に分析されたものは頭に染込んでも体には絶対に染込みません。

率直に申し上げて、意味が全く解りません。メカニズムを論理的に認識すれば、技が身に付く事は無くなる、という意味でしょうか。

古流武道では握力を必要としない

現在、握力というと親指と人差し指を主にして握る力を指しています。

これは妥当な記述でしょうか?

また体の構造上、親指と人差し指を主に握り、力を入れていけばいくほど脇が甘くなり段々開いていきます。

ちょっと解らないのですが、ここで「脇が甘く」なるというのは、どの様な運動を指しているのでしょう。又、拇指と示指の運動が、「脇が開く/締まる」事と、どう構造的に連関しているのでしょうか。

腹式呼吸

肺式呼吸

私は「肺式」という表現を、初めて知ったのですが(ググると結構出てきますね)、腹式呼吸と対になる概念は、「胸式」呼吸の方が妥当であると思われます。というより、医学的にも胸式呼吸という概念が用いられているはずですが。腹式にしろ胸式にしろ、肺で(外)呼吸している事には変わり無い訳で。

古流武道に於ける姿勢

昔の日本の生活は”畳”の生活でしたので、自然と正しい姿勢が身に付いたものなんです。

これは少々単純な関連付けでは。生活様式が異なれば、筋肉の発達の仕方等も違うのは当然だとは思いますが、「正しい」姿勢、とするのは早計かと。この論理だと、日本間で生活する人以外は、概ね「悪い」姿勢である、という事になりますが、それは妥当でしょうか。

門下生を見れば、その指導者の力量が分かる。

指導者の力量を知りたい場合は指導者の技自体を見る必要はなく、門下生の技を見ればいいのです。

「必要はなく」とは、明らかに言いすぎです。門下生はどの程度の修行暦か、週に何回、何時間稽古をしているか、指導者に対してどれくらい信頼感を持っているか、稽古時間以外に、どれくらい勉強をしているか、等々、無数の因子が関わっています。一概には言えません。

正しい姿勢

この論理展開だと、昔の人は皆(概ね)姿勢が良かった、となりますが、それは正しいのでしょうか。

頭は大変重量があるので頭が前へ出てしまうと首に負担がかかり、その負担を軽減させるために首の周りや肩周り、いわゆる上半身を鍛えて筋肉を付けないと重量のある頭を支える事は出来ません。

まさしくこの体形は昔から椅子の生活を送ってきた西洋人(例に出して申し訳ありませんが)の体形です。

西洋人の首周り・肩周りが隆々としているのは、頭を支えるためだったのですか。私は、美観を求めての事だと思っていました。それと、椅子を用いる生活をしている人は、皆、上半身を鍛えるのでしょうか。

姿勢を正しく直してから技の稽古をした方が早道

正しい姿勢が重要だ、というのは、当たり前なのですね。語句に「正しい」という価値判断が入っているので、当然です。では、「正しい姿勢」とは、どの様な姿勢であるか、という事を、具体的に議論しなければならないと思うのですが…。(予想される反論:それは秘伝なので教えられない。言葉にするのは不可能なので、実際に修行するしかない。等)

古流武道には、研究家や評論家は必要ありません。

真実も何も、どの様な観点から、「必要ありません。」と仰っているのか、全くもって意味不明です。「真の修行者」と、「研究家」や「評論家」(武術の評論家というのは、余り聞いた事がありませんけれど)は、対立する概念なのでしょうか。「研究家」に、「まともに修行せず、理屈をこねまわしているだけの人」という意味を、勝手に付け加えている様に思われます。

うーん、やはり意味が解りません…。

でも武術においての気を科学的に分析しただけでは何ら意味がありません。

としているのに、そのすぐ後で、

武術における気というものを分析したり研究するのは良いことだと思いますが、

と書かれているのは…。

全体的に、何かを主張する際に根拠を示さず、主観を過度に一般化している記述が見られます。又、「何故」そうなるか、という事の説明が、充分に為されていません。そして、根拠が曖昧にされたまま、「日本の昔の生活様式が良かった」という趣旨の主張をなさいます。恐らく、科学的思考法を鍛えた人が読むと、絶句するでしょう。

武術雑誌等を読むと、この様な記述が散見されます。これは問題であると思います。

追記:トラックバックが送信出来ません。ココログの不具合でしょうか。

追記:自分のブログにはちゃんと送れました。何ででしょう?

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2006年7月27日 (木)

ご苦労様でした

Yahoo!ニュース - 時事通信 - 目上に「ご苦労さま」15%=「お疲れさま」を侵食-文化庁の国語世論調査

文化庁のサイトには、最新の調査結果のデータはまだアップされていないようです⇒国語に関する世論調査(文化庁のWEBサイト内)2006年7月27日追記:最新のデータが追加されています。

記事には、

仕事後、目上の人に「ご苦労さまでした」と言葉を掛ける人の割合が15%に達し、主流を占める「お疲れさまでした」を侵食していることが26日、文化庁の「国語に関する世論調査」で分かった。

とありますが、「侵食している」と言い切っている所が、なかなかナイス(笑)です。年代別のデータも書いていませんし(「侵食」なので、全体のデータでいいのかも知れませんけれど。記事には、若者云々と書かれている訳でもありませんし)、以前に同じ調査を行っていたかどうかも書いていないので、鵜呑みには出来ません。

ところで、「ご苦労様」という言い方は、本当に、目上の人に対して使ってはならないのですか?

という訳で、いつも参考にしているサイトで調べてみました⇒日本語Q&A:スペースアルク

へえ。どうやら、そもそもは、両方とも中立的な意味であったようです。結局、社会でそう使われているから、それに倣った方が無難だ、という事でしょうか。

こういう記事もありました⇒【ことばをめぐる】(990615)ご苦労さま,暮しの手帖

まあ、こういう問題は、突き詰めようとすると、収拾がつかなくなるので、この辺で。

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2006年5月 8日 (月)

いつ教えるか?

島宗理さんの自然と人間を行動分析学で科学する内、日本人はなぜ英会話が苦手なのか?を読んで。

実に見事な分析だと思います。後半部分の、

もう一つの理由はネイティブらしく話すことへの抵抗感の違いである。どうも男子はネイティブらしく話すことが恥ずかしいと感じるらしく、thの発音も上下の歯に舌をはさまず「サ」と発音してしまったりする。どうすればネイティブに近い発音になるか知っているし、できるのに、しないのだ。

 中学や高校の英語の時間を思いだしていただきたい。どこの学校にも、音読をあてられたときに、やたらネイティブっぽく発音する同級生がいなかったか。そんなとき、クラスの反応はどうだったか。少なくとも私の経験ではクスっとした笑いか、ひどいときにはそれをネタにからかったりしていた(私はからかう側だった)。

 日本人なのにネイティブっぽく発音することは、子どもの頃からこうやって社会的に弱化されてはいないだろうか? 成人してからの発音の学習を抑制している要因のひとつにこうした文化的な背景があるように思う。

この部分、成る程と思いましたね。「それらしい」発音をしようとしている人に対して、「カッコつけ」とか、「知ったかぶり」という評価を与えて、小馬鹿にする、という事は、結構あったかも知れません。それが、日本人の社会性の特徴なのかは良く判りませんが(社会心理学や社会学で、そういう事を調べる研究はなされていますけれど)。そういう経験が、「未熟であるのに”出来るかのように”振舞うのは、恥ずかしい事である」、という認識を形成するのかも知れません。それは、ポジティブに機能すれば、「謙虚さ」になり、ネガティブには、「消極性」になるのだと考えられます。

外来語をあたかも日本語のカタカナ発音することがカッコ悪くなり、ネイティブっぽく(かつ正確に)発音することがカッコ良くなる文化へと世代が変わってきているのだろうか。

ラジオを聴いていると、DJが、日本語まで「英語っぽく」発音しているのを耳にする事がありますが、あれには、個人的には違和感を覚えますね。「そこまで英語みたいにしなくても…。」という感じです。あ、全然話が違いますね(笑)

小学校で英語を習いはじめるというのは、遅いのではないか、という気がします。「気がする」だけですが。

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2006年3月23日 (木)

シリアスゲーム

ITmedia +D Games:「学び」をゲームに──「シリアスゲーム」市場開拓へスクエニと学研が提携を読んで。

以前から、「哲学や数学等をテーマにした、面白いゲームが開発されないかな。」という事は考えていました。フリーウェア等では見かける事はありますが(あっても、タイピングゲームが多いですね)、大手メーカーが開発したソフトは、今は余り無いですね。そういえば、昔、ファミコンの、『ドンキーコングJR.の算数遊び』とかありましたね。ですから、「脳トレ」等を見て、「今更…。」とも思いましたね。スクウェア・エニックスの参入により、程よくエンターテイメント性を付加した、面白い、教育ゲーム等のシリアスゲームが開発される事を期待します。

歴史シミュレーション等は、シリアスゲームとしての側面を持っています。『三国志』や『信長の野望』をプレイして、武将の名前を沢山憶えている人がいます。漫画やアニメのキャラクターを憶えるのと同じですね。興味を持った対象であれば、「記憶しよう」と強く意識せずとも、すんなり憶える事が出来ます。試験前に、憶えよう憶えようと、ウンウン唸って記憶して、試験後にはすっかり忘れている、という事がありますが、それとは大違いです。『ドラゴンクエスト』の呪文や、『ファイナルファンタジー』の魔法の、名称と効果を憶えるのも、良く考えれば、結構大変な事ですが、特に苦労せずに憶えます。それらを憶えない事には、ゲームを進められない、という条件があるのですから、憶えざるを得ない訳です。人間には、「教育」や「学習」等を意識すると、反発や嫌悪を覚えるという心理が働きますから(一概には言えませんが)、それを感じさせないゲームデザインをする事が重要です。単にディスプレイに試験問題を表示し、答えをキーボードやマウス等で入力する、という形態のゲーム(とは認識されないとは思いますが)を作っても、誰も見向きもしないでしょうから。ゲームは、プレイヤーが積極的に参加出来る所が特徴ですから、「面白い」教育ゲームが出来たら、その教育効果は大きいと思います。その「面白さ」は、キャラクターやストーリー等の、エンターテイメント性によって付加されます。ですから、様々なエンターテイメントゲームを創ってきた実績のあるスクウェア・エニックスが、シリアス・ゲームに、積極的に取り組む、という事は、とても興味深いです。そういえば、何かのスポーツ選手が、ゲームを用いてトレーニングしている、という話を聞いた事がありますが(F1の佐藤琢磨選手だったと思いますが、記憶違いかも知れません)、これは、既存のゲームを、シリアスゲームとして用いている、という例ですね。

主人公が、(具体的な)物理学的知識を駆使してトリックを解いていくアドベンチャーゲーム、等があれば面白いですね(ジャスパー・プロジェクトのゲーム版を作るとか。その様なゲームは、既にあるのかも知れませんが)。小説等だと、先を読み進める事は容易ですが、ゲームでは、「解かなければ先に進めない」という条件を設定出来ます。「先に進む為には問題を解かなければならない」という状況は、ゲームに一般的なものですが、その「問題」を、具体的学問的知識に設定する事によって、高い学習効果が期待出来るかも知れません。

根本的な問題として、勉強(学問を追求する)はつまらないものだ、とか、社会的に成功する為に「だけ」必要なものなのだ、といった価値観を、無くす事が重要だと思います。これは、心理社会的な事です。言わば、「勉強は面白く無いものである、と教育している」、という事です。その先入観を見直させる手段として、ゲームを用いられれば、それは良い事だと考えます。学問は、ゲームと同じ位、「面白い」ものですから。ただし、上にも書きましたが、試験問題をディスプレイに表示して、有名キャラクターがそれを解説する、といった程度のデザインでは、ユーザーからは、つまらないものとして、見向きもされないでしょうね。

※エンターテイメント性を付加したら、「シリアスゲーム」と呼べない、とか言われそうですが…。まあ、それをゼロにしたら、「ゲーム」としての面白さが損なわれるので(単なるシミュレーションになってしまうので。「ゲーム」概念を、どの様に捉えるか、にもよりますが)、程度問題でしょうね。ジャンル(ゲームのジャンルでは無く、教育すべき対象のジャンル)にもよるでしょう。

参考:シリアスゲームについての記事

ITmedia ライフスタイル:米国で研究進む「シリアスゲーム」、応用範囲広がる――東大ゲーム研究プロジェクト

今、子供が熱中する「シリアスゲーム」【コラム】 デジタル家電&エンタメ-最新ニュース:IT-PLUS

ファミ通.com / 東大でゲームの社会利用研究(シリアスゲーム)の講演を開催

ゲーム技術を広く活用する「シリアスゲーム」とは:Slash Games (オンラインゲーム総合サイト)

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2006年3月15日 (水)

勲章

Yahoo!ニュース - 共同通信 - マリオ生みの親に仏勲章 任天堂専務の宮本氏

ゲーム文化に批判的な人は、このニュースに対し、どの様な感想を持つでしょうか。

授章理由について文化省は「芸術と科学技術が融合する中で生み出された創造性と、デジタル技術に関する創意工夫を称賛したい」としている。

との事です。まさに、適切な評価です。

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2006年2月26日 (日)

考える

TBS | 「生命38億年スペシャル 人間とは何だ!?V」を観て。

全てを感覚に還元。箸と、フォーク・ナイフを使って食事をする際の脳活動を比較し(金魚すくいとTVゲーム、も)、日本文化は優れている、と言う。文化を切り分け、あれは脳を活性化させる/させない、と判断する(しかも、実験が杜撰)。そうやって、文化に序列をつくる。ひきこもりの青年についてのコーナー。引きこもりに対しての、ネガティブな印象付け。ひきこもりの人は、感覚の入力が乏しい、と言う。澤口俊之氏が、「傷付き易い遺伝子がある(「傷付く」とは、心が傷付くという事)」、と言う。

他に考えるべき事は無いのでしょうか。そんなに問題を単純化してどうするのでしょう。そうやって、物事を単純化してしまえば、楽だからでしょうか。そうすれば、すっきりと、納得がいくからでしょうか。複雑な事を複雑なまま理解しよう、とは思わないのでしょうか。

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2006年2月 7日 (火)

職人芸

テレビで、ソロバンが出来るまでの過程を紹介する番組を観ました。

一人の職人が、珠を一つ一つ削り、磨き上げ、軸の一本一本を丹念に削り出して、長さ太さを調えます。気の遠くなる様な作業を繰り返し、やっと一挺のソロバンが仕上がるのです。それぞれの作業には、高い精密さが要求され、ほんの僅かのズレが、失敗に繋がります。職人は、その繊細な仕事を、淡々とこなしていきます。その姿には、美しささえ感じられました。そこには、長い年月、沢山の人によって培われてきた叡智と、職人の見事な身体運動との素晴らしい融和がありました。

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2005年12月26日 (月)

運動

「ゲーム」でも「漫画」でも「アニメ」でも何でも構いませんが、それらの「悪影響」を論じる際に、「運動」する事が少なくなったからだ、と言う論者がいます。例えば、「私達の小さな頃、若い頃には、良く外で遊びまわったものだ。今の人にはそういった経験が少ない。だから、豊かな人間性が育まれず、凶悪な犯罪が起きたり、思いやりの少ない人が増えているのだ。」という様に。

私は、スポーツ・武道・各種健康法等の身体運動文化に格別な関心を持ち、それらの効用についても興味を持つ人間です。従って、「運動」の影響(勿論、悪影響についても)については、詳しく科学的に考察する必要がある、と考えています。

人間の「身体」というものを自然科学的に(即ち、物理・化学・工学等。当然、「医学」はその様な立場です。)対象化するならば、色々な身体運動文化が、どの様に力学的に作用し、又、生化学的にどの様な作用を促すか、それは健康を増進し、病気を予防するものなのか、あるいは、身体に過剰の負担を掛け、健康を損なうものなのか、等を考える事は、とても重要な視座であると言えます。勿論、それらが人文・社会科学的にどの様なメカニズムを持っているか、という事もとても重要です。

然るに、ゲーム等の文化を批判する論者は、運動の効用云々を語る際、極めて素朴な意見を開陳するに留まっています。即ち、「昔はこれこれの運動をしたから良かった」、「我々の小さい頃は快適だった」、等です。

そこに見出されるのは、

  1. 「昔は良い社会だった」
  2. 「昔は沢山身体を動かした」
  3. 「昔は沢山身体を動かしたから、良い社会だったのだ」

という、単純で根拠に乏しい論法です。

又、彼・彼女達は、「運動の悪影響」については、あまり積極的に論じようとはしません。

身体運動は、力学的な現象ですから、当然、「無理」のある運動もあるはずです。又、認識を、スポーツや武道等の、「文化」にまで広げれば、そこには当然、複雑な人文・社会科学的メカニズムが働いている筈です。そのメカニズムが、「認知」に悪い(これも一つの「価値」です)影響を与える可能性は、充分に考えられます。

批判者は、この様な論理を踏まえずに、安易に「運動不足」と「人間性の喪失」を結び付け、更にそれを、特定の文化の繁栄にまで短絡させ、その文化を積極的に非難します。

運動の効用を主張するのは構わないのです。どの様な運動が、心身にどの様な影響を与えるかどうかを、学問的に研究すれば良いのです。

しかし、単なる直感を、他の直感と安易に結び付けるべきではないのです。

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