カテゴリー「文化論」の記事

2009年5月 6日 (水)

禁ずる

ゲーム禁止を「強要」するのはおかしいと思う。 姪っ子は小学3年生。新学期に入り... - Yahoo!知恵袋

なんと言うか、愕然としますよね。

禁止の理由も、どれも主観の域を出ていないですよね。いわゆる「起こり得る」事であって、コンピュータゲームに特有のものとは言いがたい。要するに、他の文化に較べてそういう悪影響を顕著に与える、というのは明確では無い。(ゲームが視覚の機能低下をもたらすというエビデンスは充分にあるのでしたっけ?)

今までは宿題をした後、30分~1時間程度ゲームをしていた様ですが、妹は納得したのでしょう。
先日「ゲーム機」「ソフト」を全て売り払いました。

子供は泣きながら「やめて」と言ったそうですが、これは親の考えですので私は何も言えません。

これはなあ。お子さんはどんな気分だったろうなあ…。質問者さんの意見が柔軟で適切ですよね↓

が、それは各家庭で取り決めをし、子供に理解・納得をさせた上で、時間を決めてゲームをさせる。
約束を破ったら、数日禁止。

これでいいと思うのです。

担任の先生が家庭の教育方針にまで踏み込んでゲームを禁止する(させる)、というのは やり過ぎでしょう。

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2008年11月11日 (火)

詳しく調べる事を勧めます2

Interdisciplinary: 詳しく調べる事を勧めますの続きです。

(本) ゲーム脳の恐怖 - Dr ミカのメモ帳: 脳・栄養・心 (発達障害) - Yahoo!ブログにて、anomyさんや私へ返答がありました。ご自身の主張に反する意見を冷静に受け止めて頂いて、ありがたいです。

さて、森昭雄氏の論は、端的に言って、破綻しています。あらゆるレベルで矛盾や自分勝手な解釈をした部分があり、科学と呼べる代物ではありません。

コメント欄からいくつか引用します。

森昭雄教授は本の中で「ゲーム脳」の定義を説明していますが、
あなたの「ゲーム脳」の定義とは違うのでは?と感じました。

anomyさんのエントリーへの返答です。

森氏の本を読むと、ゲーム脳の明確な、定量的な定義は見出せないはずです。グラフのパターンの分類のように見えるかも知れませんが、同じようなグラフに別の解釈をしている所もあります。

「前頭前野の活動が低下」という部分、生理学的に賦活していないという意味なら、そういう研究結果はあります(ある種のゲームのプレイ時において)。しかしそれは、認知機能等の低下を即示す訳では全くありません。参照⇒テレビゲームが脳に与える影響

そして、この学生たちの80%が、自分はすぐキレる、
すぐ忘れ、忘れ物が多いなどをコメントしているとのこと。

このような、単なる自己申告では、科学的に充分とは全く言えません。仮に、忘れ物が多いというのが合っているとして、それを「脳の機能低下」に即結び付けてはなりません。

この本に対する受け止め方が、貴方と私で違うようですね。
この本を、貴方は読みましたか?

受け止め方の違い、と相対化してはいけません。森氏の論は「間違っている」のですから。

私は、森氏の本について、当ブログで詳しく検討しました。大部ですが、ご覧頂ければ幸いです⇒Interdisciplinary: 『ゲーム脳の恐怖』を読む

また、ゲーム脳論の問題点を平易にまとめたQ&Aもあります。よろしければご覧下さい⇒ゲーム脳Q&A

ゲーム脳は、まともな概念の定義も無く、科学としての方法や手続きも踏んでいないにも拘らず科学的に実証されていると謳っている説として、多数の科学者・専門家から批判を受けている説です。恐らく、批判がある事自体はご承知と思います。上に出した私のテキスト等の批判的言説も吟味して、冷静にご判断頂きたいと思います。

子ども達の健康について考えるならば、森氏の論を受け容れるというのは、良策であるとは言えないのです。

森氏の専門が「脳神経科学」であるというのは、最近森氏のプロフィールにも載っているので、あながち間違いとは言えないようです。ただ、ゲームのような文化が認知や行動にどう影響を与えるか、というのは、実験科学的な論点だけでは無く、広く文化や社会を射程にした方法を用いる必要がある訳です。その意味で言えば、全く不充分であると考えられます。もちろん、実験的な手続き自体が全く不足しているという部分は押さえておくべきで、それは、このブログの一連のエントリーで指摘しています。

ゲームによる認知や行動への影響という面を研究している科学者として、坂元章氏(お茶の水女子大学教授。社会心理学)が挙げられます。冷静で客観的にゲームの影響について研究しておられる第一人者ですので、もしゲームの影響に関心がおありでしたら、坂元氏の著作を参照するのをお勧めします。

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2008年11月 6日 (木)

岡田氏の論拠

参考資料として、『脳内汚染からの脱出』に載っている参考文献をメモしておきます(取り敢えず、日本語のものだけ)。WEBに参照出来るページがある場合、リンクを張ります。

○書籍

○報告書、論文

情報メディア白書〈2005〉 情報メディア白書〈2005〉

販売元:ダイヤモンド社
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CESAゲーム白書〈2005〉 CESAゲーム白書〈2005〉

販売元:コンピュータエンターテインメント協会
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CESA一般生活者調査報告書―日本・韓国ゲームユーザー&非ユーザー調査〈2005〉

子どもの放課後改革がなぜ必要か―「放課後の過ごし方」で子どもの人格は変わる? (学級教育の改革シリーズ) 子どもの放課後改革がなぜ必要か―「放課後の過ごし方」で子どもの人格は変わる? (学級教育の改革シリーズ)

著者:明石 要一,川上 敬二郎
販売元:明治図書出版
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テレビ・ビデオが子どもの心を破壊している! (危険警告Books) テレビ・ビデオが子どもの心を破壊している! (危険警告Books)

著者:片岡 直樹
販売元:メタモル出版
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いまどき中学生白書 いまどき中学生白書

著者:魚住 絹代
販売元:講談社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

心が脳を変える―脳科学と「心の力」 心が脳を変える―脳科学と「心の力」

著者:ジェフリー・M. シュウォーツ,シャロン ベグレイ
販売元:サンマーク出版
Amazon.co.jpで詳細を確認する

脳内汚染 (文春文庫 お 46-1) 脳内汚染 (文春文庫 お 46-1)

著者:岡田 尊司
販売元:文藝春秋
Amazon.co.jpで詳細を確認する

脳内汚染 脳内汚染

著者:岡田 尊司
販売元:文藝春秋
Amazon.co.jpで詳細を確認する

悲しみの子どもたち―罪と病を背負って (集英社新書) 悲しみの子どもたち―罪と病を背負って (集英社新書)

著者:岡田 尊司
販売元:集英社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

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2008年10月 5日 (日)

ゲイムと学術

アルファさんのブログ経由で⇒ゲームとアカデミーの素敵なカンケイ(第1回)――東京大学 大学院情報学環 馬場章教授 (1/4) - ITmedia +D Games

良記事。

日本では、ゲームというのはあくまで娯楽であって、文化的(象徴的な意味で)、あるいは学術的研究対象としては見られない、というのがあるかも知れません。

それは、対象を無闇に高級なものと看做して特別視するというのを防ぐ事が出来るという反面、文化として見縊られる、もしくは軽く見られる、という事も起こるのでしょう。

コンピュータゲームという文化は、制作に携わる人間の数、投入される資金、産業としての巨大さ、等を考えるともはや、単なる娯楽には収まらないものとなったと言えます。金も人も、才能も動いて、注がれる訳ですね。

ゲームというのは言わば「器」だから、いかにも典型的な娯楽目的のようなものから、芸術作品と呼べるものもあり、また、直接的に教育目的を持つシリアスゲームのような分野も出てきました。従って、これらのあり方を総合的に分析・記述する必要があるでしょう。それには当然、広く学際的な視点が要求されます。

ゲームの学術的研究というのは、まだポピュラーな分野では無いと思いますが、今後益々発展していくと良いですね。

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2008年9月24日 (水)

開かれろ

コメント欄でcomplex_catさんともやり取りした事。

今は、ネットが拡大し、多くの人がWEBを使うようになってきて、色々な情報が色々な人に、大きく広まるようになりました。

で、それは、沢山の批判にさらされる可能性も高まる、という事でもあるのですよね。

動画配信サイトなんかで、動きを公開する。その情報は長く残るし、多数の人の目に触れる。中にはゴミみたいな非難もあるけれど、見る目がある人から苛烈な(かつ妥当な)批判を食らう場合もある。その道で神格化されているような人にも容赦は無いですからね。

そういうのは、良い事でもあると思うのです。武術の世界には、「神話」がありますからね。そういったものを解体していくのは、むしろ健全であるとすら言えます。

異なった分野の人が交流して情報を交換し合ったりね。どうしても体験出来ない部分はあるにしても、情報の性質をきちんと捉えていれば、有意義なやり取りが可能。

もちろん、上にも書いたように、悪い面もありますけどね。2ちゃんねるの武術関連のスレを見れば、それは解りやすいです。

なんにせよ、どんな立場の人でも等しく批判される状況というのを作っていくのが良いと思います。

多分、私の意見は、武術関連の人にはあまり受け容れられないでしょうけど。擁護システムは固いしね。

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2008年9月 2日 (火)

良い教材

思うんですけど、こういうのって、理科の教材としても有用なんじゃないですかね⇒鳴るほど♪楽器解体全書 掲載楽器一覧 | YAMAHA

楽器という身近で興味を持ちやすい道具と関連させて、楽器から音が出るのはその構造故である事を教え、説明された側は、楽器の合理的な仕組みに感動し、自然科学のメカニズムについての知識も得られる。実に良いのではないかな、と。

それにしても、YAMAHAのサイトは、コンテンツが充実していますよね。デザインも良いし。

余談。

昨日、こんな楽器があるのを知りました⇒ヴィオリラ | YAMAHA

いや、実に面白い。

楽器って、感性と経験と科学と技術の粋ですよね。素晴らしいと思います。

最近、MIDIやシンセサイザーの仕組みについても調べていて、その面白さに驚嘆している所です。

物事の仕組み、構造と機能について関心を持つと、あらゆる文化が繋がってきます。そして、それには自然現象のメカニズムが通底している事が、見えてきます。これほど楽しい事は無いですね。文化の間に壁を作る人には絶対到達出来ない。

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2008年8月24日 (日)

必修化2

<武道必修化>中学校に道場新設へ 来年度予算要求60億円(毎日新聞) - Yahoo!ニュース

関連エントリー⇒Interdisciplinary: 必修化

そんなに予算を割いてまでやる事なの?

武道というのは本質的に、暴力的な要素を含むものだから、高い精神性を持った指導者が丹念に指導していくのが重要でしょう。それをきちんと考察・研究せずに、まるで、「武道を経験する事そのものが、精神性を高める」、というのが自明であるかのように、安易に決定されているように思います。

まあ、必修化はもう決まったようなので、高度に記号化、あるいは様式的であって、競技の色合いが薄いのをやらせるのが良さそうに思います。型武道とかね。「簡単には使えない」ものをやらせる。日本剣道形とか柔道の型だけやる、とかどうでしょう。剣術の型ならば、たこやきさんも仰ったように体育館で出来ますし、木刀を使うので、慎重に道具を扱う、というのを学ばせる程度は出来るかも知れませんよ。高度に記号化されていれば、それを憶えるというプロセスも入りますし。

ところで、体育で柔道・剣道をやった方、それを体育の時間でだけやる事によって、何がしかの良い影響を実感しました? 後になって、やって良かった、と思った事はあります?

体力的に優位な子どもがそうで無い子どもを技の「実験台」にする事とか、ありますからね。ちゃんと考慮してるかな。週にたかが数時間やる程度で、武道の特徴を学ばせる、というのが可能なのでしょうか。

そもそも、この件に関して、武道・武術の専門家の意見をどのくらい取り入れたのでしょうね。凄く疑問。

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2008年8月23日 (土)

ゲームとの付き合い方

先週アップしたはずの記事が、投稿時刻の設定ミスで、上がって無かったようです…。

えっと、今週の日曜に上げるはずだったものかな。

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テレビ観てたら、NHK教育テレビ「土よう親じかん」 子育て応援番組という番組で、ゲームの特集をやっていました⇒土よう親じかん - 過去の放送 -

途中から観たのですが、結構良い構成だったかな、と感じました。よく付き合い方を考えていきましょう、という。細かい所で、それはどうかな、と思う部分はありましたが、まあそれは、見え過ぎるから気になるんでしょう。全体的には、良い番組だったんじゃないかな、と。

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2008年7月 4日 (金)

戯言

秋葉原通り魔事件 ~ 人生はリセットできない / SAFETY JAPAN [松村 喜秀氏] / 日経BP社

本当に下らない記事。戯言です。ふざけている訳では無く本気でこのような言を撒き散らす事に、戦慄を覚える。

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2008年6月19日 (木)

適当な

マンガ脳 (内田樹の研究室)

なんでこのエントリーが受けるのか、よく解らなかったりするけれど。

言語論的な所は、id:dlitさんにお任せするとして。

というのは、マンガ家を見て知れることの一つは、「画力のあるマンガ家は、話も面白い」ということだからである。
絵はめちゃめちゃうまいが、話は穴だらけ、とか、ストーリーは抜群だが、デッサンがどうも狂っている・・・というようなマンガ家は(あまり)いない(青木雄二くらいである)。

なんという適当な。世の中に、どのくらいのマンガがあるのかと。当然、「売れている(売れた)マンガ」と「面白いマンガ」は同義では無いですよね?

ところで、私なんかは、「そういえば、”デッサン”てよく聞くけど、実際はどういう意味なんだろうな。」という風に思ったりします。何となくイメージは出来るけれど、専門的にどう使われているかは、全然知らないんですよね。

大友克洋、鳥山明、井上雄彦・・・ワールドワイドに画風のフォロワーを有しているマンガ家たちは、いずれも創造性あふれる抜群のストーリーテラーである。

で、内田氏が、「画力」をどれくらい判断する事が出来るんだろうな、なんて。その前に、「画力」とはなんでしょうね。話の流れ的に、「デッサン」の巧緻さと同義なのかな? 通常、こういうメタフォリカルな表現(○○力とか)は、色々な要素を複合させた概念として用いるけれど。整っていなくても「画力がある」というのもあるって事? それとも、「デッサン」が巧みである事が、高い「画力」の必要条件って意味なのかな。もちろん、「面白い」も複雑な概念である事は、言うまでもありませんが。

あ、「○○脳」というのをエントリーのタイトルにするのも、流行を押さえてますね。もう過ぎ去った感も無きにしも非ず、だけれど。

だ、だめだ。一部のコメントの意味が全く解らない…(なんかカオスだなあ)。

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