カテゴリー「文化論」の記事

違い

ニセ科学に関して、「呪術」という概念からアプローチされているエントリーがあって、はてブも結構ついていたり、poohさんが言及なさっていたりしますね(元々poohさんは、こっち方面のアプローチをよくされる)。それについて(分野としては、人類学とか民俗学とかになるのかな?)の知識が無い私は、読んで、なるほどなあ、と思います。

重要なのは、合理的・論理的であるからといって、即、それが科学的である訳では無い、という所かと思います。これは結構前から、何回か書いています。

Interdisciplinary: 科学的、合理的、論理的(他にもいくつか書いたはずだけれど、見つけるのが面倒…)

コメント欄に、「木を切ったら風が止むのでは」、という推論を子どもがした、というエピソードを書いていますが、これは、実に「合理的」な思考だったりする訳です。ですが、「科学的」では無い。それまでに実証的(実証という概念をどう考えるか、というのも、物凄く重要なトピックだと思いますけれど)に確認された知識と整合するか否か、という点を考えなければならないからですね。それぞれの分野が完全に独立している訳では全く無いのですから。

超能力捜査も水伝も、それなりに論理的ではあるのです。他の物事を無視すればね。

科学って、やっぱり優れているのですね。現象の構造を解明したり、予測や制御に応用したり、という目的を考えると、やはり、他の文化とは違う、と言っていいかと思います。それをまず認識するべきなんじゃないかな。

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寂しい?

ケータイが鳴らなくて寂しくなるまでの時間は?(+D Mobile) - Yahoo!ニュース

ほう。

ケータイが鳴らなくて寂しいと感じる事があるのか。そんなの思った事無いなあ。電話嫌いだし。

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見えれば安心

「漫画、アニメ、ゲームのせい」は「天狗の仕業」と同じ思考停止 - 最終防衛ライン2

何でもいいから原因を知りたい、これが原因だ、と「納得」したいのかも知れませんね。もしくは「安心」。でもそれって、不安を駆り立てる事でもあると思うのです。広く普及しているものが要因だ、と言っている訳だから。事実ならともかく、根拠が薄弱な話なので、愛好している者としては、かなり困りますが。尤も、それを言ったら、問題のあるメディアを愛好している者が困るなど構わない、と返されるのでしょう。で、何故そう思う、と訊けば、凶悪事件を起こした人間がゲームを愛好していたから、となるのかな。

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歌ったり演奏したり

ニコニコ動画、JASRAC曲の演奏動画が投稿可能に(ITmediaニュース) - Yahoo!ニュース

これで、ニコニコで「歌ってみた」とか「演奏してみた」系の動画が、「やっても良い事」になるのかな。で、いつから?

ニコニコ外部プレイヤーがココログにも対応したら、何か貼り付けてみますかね。2008年4月3日追記:どうやら、ブログに埋め込むのはダメみたいです。コメント欄をどうぞ。

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情報・影響

はてなブックマーク - 痛いニュース(ノ∀`):突き落とし少年の自宅から「ひぐらしのなく頃に」、「DEATH NOTE」など押収 …犯行動機との関連性調べる

たく脊髄反射が多いな。進学を諦めるほど経済的に困窮していたのにマンガを持っているのはおかしい。通常の人よりその内容に傾倒していた可能性は否定できない。動機に結び付き得るものを調べるのが警察の仕事だ。(hogawaさん)

違う、と言うか、論点が異なっているように思える。

この件で問題になっているのは、現時点であのような情報を報道する事に、一体どういう合理性があるか、という所なのではないかな。つまり、アニメやゲームをわざわざクローズアップする事に、どういった意義があるか。それは結局、先入観があるからではないか(あのようなメディアや作品は、特段の良くない影響を及ぼす)、という、そういう話だと思う。

今私達に、犯人が所持していたマンガの種類が明かされたとして、それをどう活用しますか?
ワイドショーや居酒屋談義で、推理小説ごっこが展開されるくらいでしょう。そして、マンガやゲームに対するネガティブな社会的認知が形成される可能性がある。そういう事なんじゃないと。

「影響」というのは大きさであって、方向では無いんじゃないかなあ、なんて。殊更に「悪」影響ばかりを仄めかされれば、反発もしますよ、そりゃあ。

影響が無い、なんてのはあり得ないですからね。なんの影響も無い(もしくは、考慮の必要が無いほど少ない)文化を擁護する、というのはおかしい訳で。自分に「影響を与えてくれた」素晴らしい文化だから、それによく解らない(根拠薄弱な)評価がなされると、黙っていられないのです。

これは付け加えておかないといけないかな。

『DEATH NOTE』は、確信犯の物語だから、読者が思想的なものを受け取るという、そういう可能性は、あります。それは当然。「子どもがこういうの読んでアホな考え持ったりしてね」、って思った事はありません? 私はあります。

だけれど、実際に個人の心理にどう影響したか、というのは、様々でしょう。他にどういうメディアやコンテンツに触れているか、というのもあるし。警察がそれを調べるのは、当たり前の話。でも、それを報道するのにどういう意味があるんだろうな、という所は、考えなくちゃならない。

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鉛筆と太刀

はてなブックマーク - 小学生に鉛筆を使わせていた理由

あれですよね。自分が鉛筆使ってる時は、シャーペンに憧れましたね。

何て言うか、そう……

メカニカル。

うん、あの金属感とか、手にずっしりくる重さとかが、なんか良かった。高級な感じがしたしね。カチカチやって芯を出したり、足りなくなったら装填するっていうのが、カッコイイじゃないですか。なんかハイレベルなアイテムを使いこなしてるぜっ、て感じで。

コンパスなんかもそうでしたねえ。メカってますよ。子どもはそういう所に惹かれるんですって。

シャーペンを使い出したのは、いつだったかな……中学かな。大人になった気分でしたね。うむ、大人。いや、実はあんまり憶えて無いんですけどね。

成人してからは、ノートにものを書く時は、鉛筆でもシャーペンでも無く、ボールペンになっちゃいました。何となく。

で、今は、手書きをする事自体、ほとんど無いですねえ。いいのか悪いのか知りませんが。

増田で紹介されている話は(やっと本題かよ)、つまり、「型」論のようなものですよね。鉛筆という、(多分)メーカー等の違いによるばらつきの小さい形状で、「鉛筆という道具」を用いる「基本」を身に着けさせる、という事なんでしょうね。それから応用と言うか、基本的な道具の使い方を学んで慣れてから、色々な形の物を扱わせる、という、そういう流れなんでしょう。大きな形状の変化は、長さの違いくらい、という事で。

はてブにありましたが、筆記具と書字の関係についての研究があるようで。それはそうですよね。メーカーも、そういうのを研究してデザインを行うのでしょうし。

あれですかね。

木剣と杖(棒)をしっかり扱う事が出来れば、鉄扇やら小太刀やら槍やらの操作に適応が可能、みたいな。一部の人にしか解らない喩えだけど。

うーん、何というアホ丸出しの文章。

そういえば、「万年筆」という、オトナの領域もありますね。お金が有り余るほどあれば、一本イイのを置いておきたいですね。あの製造工程とか細工の美しさは、ぐっとくる。

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↑何かミラクルな値段なので、貼ってみた。

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色々

やっぱ、「色々ある」のを知る方が、「正しい事だけを知らせる」とか、「有害な情報をシャットアウトする」、よりも、妥当だし、現実的だと思うんですよね。別に、何でも無責任に与えていい、と言いたい訳では、全く無いですけれど。

私は、多分5才くらいの頃に、こち亀やら『エコエコアザラク』やら奇面組やら『恐怖新聞』やら水島新司作品やら藤子不二雄作品やら手塚治虫作品やら、物凄く幅広く読んできたのですよね。もちろん、ちっちゃい頃なので、選んで読む、というより、そこにあるものを読む、という感じでした。

そうすると、色々あるのが解るんですよね。だって、奇面組と魔太郎って、まるで正反対の種類じゃないですか。知識も「広く」なるし(ギャグとホラーで、ベクトルの向きが違う)、いいんじゃないかな。幼児の頃から(記憶が曖昧なので、実際は、就学後かも知れないけど)漫画雑誌を講読していた様なものなのですよね。

なんか、有害情報を! と声高に叫んでいる人の言い分を見ると、細い道を作って、その上だけを歩かせようとしている様な、そんな印象。そんな事は無理だし、実現させようとすると、途轍も無く拘束的な環境を作り上げなきゃなりませんからね。いつまでも閉じた環境にいられるなら、まあ良いかも知れませんが、現代のような情報化社会では、かなり難しい気もします。

もし、触れたものの内容が、社会的に好ましく無い行為を正当化するように誤解させるようなものだったら、その時には、内容について話すなりすべきで。そういう時に、そんな下らないものを、と言ってしまうと、最悪ですよね。

どうして、「細く」、「狭く」しようとするんでしょうね。それより、色んなものに触れさせた方が、「豊かな想像力」が得られるんじゃないかな。「はみ出す」ものを恐れているのかも知れない。何からでしょうね。

……おっと。

最初は、子どもの頃から色んなものを読んだりした方が、物事を相対化出来て、メタな認識を鍛える素養になるのではないか、という話を書こうとしたのだけれど、微妙に寄り道してしまった。

やっぱ、一本道を歩くのは苦手みたいです。

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視点

はてなブックマーク - いっそひぐらしのせいでもいいんじゃないのか、もう。フィクションは現実に影響するよ。 - HINAGIKU 『らめぇ』

含みなどは考慮せず(ここ重要)、書かれたものを、ある程度ストレートに読むならば。

そもそも、マンガやゲーム、アニメ等は、「胡散臭い」文化と思われている訳です。強いバイアスが掛かっている。

だから、もし、関係者・原作者なりが、「影響したと認めた」と取られる発言なりをしたとすれば、何が起こるかは、明確です。特に、発言が原作者のものであればね。

戦略的にも全くまずい、という事です。

書かれてある内容は、概ね正当であると感じます。あらゆる文化は、人間の認識に、なにがしかの影響を与える、と考えるのが、むしろ当然。はっきり言って、ある作品が引き金となって、何らかの悲劇を惹き起こす事は、充分あり得る。それを否定出来るはずが無い。それは、どんな文化でも、です。

だけれど、その「正論」を、社会が冷静に受け容れてくれるか、というと、こういう(新聞記事の様な)話題が出る事自体が、それを否定する証左である、と言える訳ですね。大した根拠も無いのに「原因」として論うのが、まかり通っている。それが実際なのです。残念ながら。

○○のせいかもね。と言ってしまうのは、ある種の開き直りであって、自分が携わっている文化の影響力に無頓着である、というメッセージになり得るのですよね。

だからこそ、冷静で、論理的で、科学的な検討が、なされなければならないのです。あの研究会での坂元章氏の態度に倣うべき、だと考えます。

度を越した報道に怒る、というのは、態度としては、全く正当なものだと思います。もちろん、的外れな反論・反発もある訳ですが。y_arimさんは、そこの所を危惧なさっているのかも知れません。

端的に言うと、(批判されている文化に関わる人によって)安易な言い方がなされてしまうと、文化が破壊される虞がある、という事なのですね。情報が社会一般に(マスメディア等を通じて)フィードバックされ、どの様な社会的認知が形成されるか。それがどの様な影響をもたらすか。そういった所を慎重に考える必要があると、考えます。

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ゼミ

<ベネッセ>ニンテンドーDSで「進研ゼミ」 来年1月から(毎日新聞) - Yahoo!ニュース

これは、便利でいいんじゃないですかね。

スペースも取らないし、グラフィカルな表現も工夫出来るし。

色々出ますなあ↓

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イースポ

日本eスポーツ協会設立準備委員会、発足記念イベント開催決定。「ウイイレ2008」、「鉄拳5DR」、「フリスタ!」の日韓戦を実施

JESPA::日本eスポーツ協会設立準備委員会

電通スポーツ事業局竹田氏とGoodplayer.jp犬飼氏による「E-Sportsの現状と今後の展望」アジア室内競技大会のe-Sportsで金メダルを!

なかなか興味深いですね。ウイイレは、いかにも採用されそうなタイトルであります。

日本でも、どんどん普及していくといいですね。

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当たり前、に

ドラゴンさんのコメントへのレスも兼ねて。

私は、典型的な、学校の授業が嫌いな人間で、「微積分なんかやって何の役に立つのだ」、という考えを持っていました。

で、後になって、数学の凄さとか、面白さに、気付いてきたのですよね。それと、「役に立っている」という事に。

そういう経験から、自分が子どもの頃に、どういうものがあれば良かったか、とか、養育者や、学校の教員に、どういう教えられ方をすれば、興味を持てただろうか、というのを、よく考えます。

それにはまず、「嫌わせない」のが重要かな、と思っています。これは、経験的な、感想ですが、社会一般的に、「わざわざ嫌わせている」、という所が、ある気がしています。別に出来なくてもいい、とか、ああいうのは一部の「アタマのイイ」人がやるものなのだ、とか。

頭の体操とかパズルとか、そういうのを好きでやる人は、結構いるのに、数学という抽象的な知識の体系になった途端に、尻込みしてしまう。そんな事がありますね。具体的な現象と結び付けられるかどうか、というのが、ポイントなのかも知れません。前にも書きましたが、学校用のテキストって、綺麗過ぎるのですよね。解る人が見れば、すっきり良く纏まっているのは解るけれど、今から学ぼうという人が読むと、恐ろしく難しい。もちろん、教科書というのはそういうものだ、という見方も出来ますけれど。でも、特に数学なんかでは、あまりにも抽象的ですよね。一般化・抽象化した概念の汎用性とか凄さを本当に「解る」には、もっと身近の現象に結び付けるなり、した方が良いと思うのですよね。学習科学なんかで研究されている教材等は、そういう風にデザインされていますよね。

真面目な話、今の、ヨガやらピラティスやらの教室みたいな感じで、大人に算数から教える教室が、広く普及すればいいのにな、とか思っています。通信教育とか社会人向けの大学とかだと敷居が高いし、そもそもある程度の知識が要求されるので、ライトな感じのがあっても良いかな、と。大人になってから、「やっていれば良かったなあ」、と後悔する人は、いると思うんですよね。私もそうですが。しかし、よしやってみよう、と思い立っても、なかなか。独学より、他人と一緒にやったり、教師に教えて貰う方が、圧倒的に合理的ですものね。大人の場合には、一応、語は憶えたりしている訳だから、「あー、そういう意味だったのね。」となって、理解も早いでしょうし。

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批判を受け容れる事

遊鬱さんのブログでのやり取りを見てました。
で、こちらのブログをご紹介⇒Tsukasa Blog | 湊屋さんとふみこの、ちょっといい関係

批判を受け容れて、それに対して誠実な態度をとったという、一つの事例なのではないかと思います。※ただ、「申し訳無い」というのを仰り過ぎな気もします。遊鬱さんも仰っていますし、私も別の所で、似たような事を書きましたが、批判の根拠というのは、自分が愛好しているものを非難されたから「だけ」では無いので。

そういう意味で、藁人形ばかり攻撃する人とは正反対かな、と。

坂元氏や浜井・芹沢氏の本を基にした記事などを書かれるのを、期待します。厳しい見方をすると、「単に謝意を表明した」、というだけに見られる可能性もありますので…。

※なんだかんだ言って、批判を受け容れるというのは、かなり難しい事です。

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超余談。

ツカサ社長さんのブログを見てみて下さい。これ以上は説明しないけど…。

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印度式

まだまだブーム続行!脳トレ最新アイテム(日刊ゲンダイ) - Yahoo!ニュース

インド式計算、って、最近よく聞きますが、内容を全く知らなかったりします。

で、そういうのが流行るのは、別にいいと思いますが、やっぱり、脳トレ的なものと結び付けて捉えられるものなんですねえ。

みんな、そんなに脳を活性化させたいのかな。

て言うか、本当に、脳を活性化させるという売りに乗って、ドリルなりを買っているのかな。計算の効率化が出来る、という事なんじゃないか、という気もしますけれど。それは実は、元祖脳トレにも言えるのかも。なんだかんだ言って、脳を鍛えるという部分より、やってて面白いから、というのがあるんじゃないかと。

でもあれですね。脳トレ系のゲームが流行るというのは、総合的に見ると、有益な事かも知れません。それらには、ほぼ必ず、計算問題とか、図形処理の問題が入っているので、そこら辺のセンスを磨くのに、なかなか良いツールなのかも。頭の体操の本が流行るのと同じ様な意味で。DSとかWiiの普及率を考えると、ケタ違いですしね。かなり贔屓目に見ると、ですが。

そういえば、近所の本屋で、インド式の本のコーナーがあって、何故かそこに、カレーの本がありました…。単に、「インド」って括りなのか。

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生き死に

Interdisciplinary: スイッチは余り関係無いんじゃ?のコメントに投稿しようと思ったけど、長くなったので、エントリー上げます。軽くガラが悪いです。

掘り出しニュース:中学生の2割「死んでも生き返る」 - 毎日jp(毎日新聞)

この調査については、別の所に書いた気もするけど、どこか忘れたので(もしかしたら、全然違う話かも。似たようなのが多いので)、ここへ。

なんか、本になったそうで。

2割って、めちゃくちゃ少ないよね。(調査対象の)8割の人が、人間は死んでも生き返らないと考えているのが、ある意味脅威的だ。

▽ゲームを毎日3時間以上する小学校低学年児童は「死んでも生き返る」と答える割合が多い

勘弁してよ。なんでいきなり、こんな話が出るの? どう見ても、印象誘導じゃないか。
ゲームに全く興味の無い人にも聞きたいけど、こういうのって、おかしいと思いません? だって、「だからどうした」、としか言いようが無い話じゃないですか。

復活とか輪廻とか、死=自我の消滅とか、そういうのって、そんな簡単に、どっちが良い、とかいう問題じゃ無いだろうに。そもそも、皆が思ってる「生き返る」って、全部おんなじ意味なの?

こういった調査からは、一般論は引き出しにくいと思う。どういう属性の人はこういう傾向がある、という類のね。で、そんな調査の対象の内部で見られたデータにおける傾向の話をしてどうするの、という感じです。大体、ゲームを3時間やる人は、全体の何割なんだろうね。で、その中の何割が、死んでも生き返る、と答えたのかな。

仮に、一般的に、ゲームをやる時間が長い人は、生き返りを信じている、という傾向があったとして、それをどう解釈するかは、また別問題。

東京大名誉教授で解剖学者の養老孟司さんが「命の大切さを実感させるには、死んだ人を見せればよい。『理解』するのではなく『実感』させることに意味がある」などと説いた提言も盛り込まれている。

そんな単純な問題か? いや、死を身近に感じさせるのが重要という意見には、特に反対はしないんだけど。まあ、抜粋された文なので、このくらいで。

あ、ふと思いついたけど。
「命の大切さを実感する」事と、「生き返りを信じる/信じない」って、関係あるのかな。そもそも、「命の大切さを実感する」とは、どういう意味?

死生観ってのは、単に科学の問題では無く、様々な、思想的・宗教的なものが、関わっているはずで、それは、とても複雑な事だ。調査を行うのは意味が無い、なんて言わないけど、やるんなら、しっかりやるべきだよね。

こんな書き方をしていると、「もし、しっかりとした研究がなされていても、難癖をつけるに違いない」、と思われそうですが、そんな事は、全くありませんので。ただ、ゲームという「メディア」の影響というものは、コンテンツを考慮しなければ論じられないので、少なくとも、ゲームはこうだ、という、時間的に普遍な、固定した影響を言う事は、不可能です。メディアそのものの特性の影響力を論じないのであれば。そこら辺が、化学物質の生体に与える影響等の現象との違い、なんでしょうけれど。

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何で調べるか

漢字の調べ方、辞書より携帯…10~30代で多数派に : ニュース : ネット&デジタル : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

文化庁のサイトにはまだ上がって無いようなので(国語に関する世論調査)、詳細が解らないのですが、記事を読んでの感想をちょっと。詳細不明なので、誤解が含まれるかも知れないです。

わからない漢字を調べる場合、何を使うかを聞いたところ

とありますが、どの様に訊いたのでしょうね。文字通り、「あなたは、わからない漢字があった場合、どうやって調べますか。次の中から選んで下さい(複数回答可)。」とかかな?

で、

こうした傾向について、文化庁国語課は「携帯電話の変換機能では漢字の意味までは分からない。求めている漢字を正確に選び出せるかどうかは使う人の国語力にかかってくる」と指摘している。

という指摘が。なんか変な気がする。解らない漢字を調べる場合、普通、意味は知っているのでは? 同音異義語がそれほど多くなければ、当たりをつけるのも、そんなに難しく無いでしょうし。それから、これは、質問の仕方にも関係しますが、携帯電話で調べるというのは、変換機能だけなのかな。辞書機能のあるケータイも、沢山あるでしょう。後、複数回答ありだから、ケータイ(の変換機能)で解らなかったら辞書を引く、という事も、あると思います。「携帯電話の漢字変換機能を使う」のは、「携帯電話の漢字変換機能以外を使わない」事を、意味しないですし。

個人的には、紙の辞書は使っていられないです(調査は、なんで、辞書と電子辞書が、分けられてるんでしょうね)。アクセスに時間がかかりすぎるので。紙の辞書を引く時間があれば、ポータブルの電子辞書(広辞苑)と「goo 辞書」とWikipediaを参照出来るので。

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ケータイ小説

痛いニュース(ノ∀`):【携帯小説】“女子中高生携帯作家”の小説、「感動して一晩中泣いた」と同世代は絶賛…「援交・ホストネタばかりでバカバカしい」との批判も携帯小説サイト管理人 「どれも同じ内容でヒドい」|Ameba News

私、携帯小説とやら(表現として変だと思う。「ケータイ小説」の方がいいかな)、読んだ事無いんですよね。携帯で、WEBはほとんど使わないし。

「ワンパターン」と、「崩壊した文法」が、共通して見られるっぽいですね。山田悠介氏(ケータイ小説をよく読む層に受けているって事かな)の文章は、まとめサイトかなんかを見た事があって、衝撃を受けたのを憶えています。あと、映画化された『恋空』とか。そこまで批判しなくてもいいんじゃ? と感じるくらい、痛烈な書き方をしているまとめサイトとか、ありましたね。

まあ、中高生時代は、結構偏狭(と書くとアレだけど…)なんじゃないかなあ、と。文法的な問題は、重要かも知れないけれど、ストーリーのワンパターンとかはなあ。別にいいんじゃない、と思……うーん、そうとも言えないか(笑)

で、ケータイ小説って、そういう内容のものばかり、なんですかね? 前、森村誠一氏だかがケータイ小説を書いている、という記事を読んで、へえ、と思った記憶があります。まあ、ケータイで読むくらいなら、文庫やら電子ブックやらで読むよ、って事なのかな、と思いますけれど。

以上、昼ドラを結構観たり、映画版のセカチューが好きだったりする人間で、赤川次郎・森博嗣作品好きでもある人間の、タワゴトでした。昨年やっていた『美しい罠』(東海テレビ系)は、傑作でしたぜ。ワンパターンでもいいんですよ。役者の個性とか纏まりとかを、重視するので。

文章力とか読解力を鍛えたいなら、学術書を読むのが一番じゃないかな。たまに、中学生が書いたんじゃなかろうか、というレベルの、大学向けのテキスト(の一部)とかありますが。

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それよりも

某ブクマ経由⇒制服の子に悪い…クールビズ廃止、西岡議運委長が突然提案 : 政治 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

それより、子どもの制服を廃止すればいいんじゃない?

子どもの頃、何故自分達は自由な恰好が出来ないのだろう、という問いに、大人から与えられた、よく解らない回答(自分が言われたのを思い出して書いてます。うろ憶え)。

  • 子どもの頃は我慢が大切だ。
  • 子どもは風邪の子。冬には寒いくらいの恰好で、身体を鍛えるのが良い。
  • 服装を自由にすると、服を沢山買えない人が、白い目で見られる。
  • 子どもの分際で、贅沢を言うな。

こんな感じでしたね。

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中性化?

ニューストップ > トピックス > 芸能 > 若槻千夏 > 若槻千夏、Coccoが堂々「うんこ」発言連発のワケ - Infoseek ニュース

「女性が中性化している」と分析する。

へえ。

「女性が開放的になり中性的になっている。今どきの女子大生は男性がそばにいても平気で『おしっこ』と口にする時代。女言葉が残っているのはテレビドラマの世界だけですよ」

ホント? いや、よく知りませんが。

Coccoさんの方は、単なるメタファーじゃないですか。それくらいは使うと思いますけど。音を発する事自体が、って意味なのかな。

言葉遣いが変わったとして、それ、中性化とか、そういう問題なんですかね。

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冒険?

痛いニュース(ノ∀`):TV番組製作者「今のテレビはつまらないとは思わない」…ネットの影響だという意見もテレビってどーよ?「つまらなくない!」とTVマン|Ameba News

自然と“人気者大集合”の番組が増えるのです。冒険がし辛い時代です

ああ、自覚はしているんですね。「冒険」が何を指すのかが、よく解りませんが。って、広告代理店の人の話か。

「ゴールデンの演出も出かける30代のチーフディレクター」氏の意見、頷ける所も(少し)ありますが、開き直りと取れなくもないですね。

どうでもいいんですが、最近の『めちゃイケ』、今一つだと思うんですよね。こちらが厭きたのか、番組が以前と変わったのかは、不明ですけど。

あんまり、「つまらないもの」を採り上げて云々するべきではありませんが、細木数子さんの料理を紹介して、周りにいる芸能人が感心する、っていう図は、どうにかなりませんかね。後、「○○流」とか言って、料理をする人なら当たり前の様に知っている基本技能を、さも画期的な方法であるかの様に紹介するのは、やめて欲しい。わざとらしすぎる。白々しい。

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タブー

Book 黒人アスリートはなぜ強いのか?―その身体の秘密と苦闘の歴史に迫る

著者:ジョン エンタイン
販売元:創元社
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これは、実に興味深く、考えさせられる内容でした。オススメです。

日本に生まれ、育っていると、人種差別というものを、実感として捉える事が出来なかったりします。正直、「そういう発言まで問題になるのか」、と驚かされるくらいで。

日本人の会話では、「黒人はバネが違うから」、とか、「元々身体能力が違うんだよ」、といった評価が、よく出てきますよね。多くは、特に差別的な意味合いでは用いられないと思うのですが、その様な言明でも、問題になる場合があるみたいです。

非常に難しく、根の深いテーマですね。自分の無知さを痛感し、もっと勉強すべきだと、反省しました。

とても面白い本なので、是非お読み下さい。

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メモ:美容整形を嫌う心理についての考察

身近の人の話を聞いたり、マスメディア経由で得た情報を総合して、推測。

  • 「自然」、或いは、「手を入れていない」ものに対する志向。たとえば、「親から貰った顔に…」、「顔に異物を入れるなんて…」、「顔にメスを入れるなんて…」、「自然のままがいい」等
  • 「必要性」についての認識。上に書いた様な事を言う人でも、事故によって損傷を受けた顔を手術する事には、反対しないだろう。つまり、同じ様な行為でも、「美容」と「治療」という目的の違いによって、線引きを行う。
  • 部位。「顔」に手を加える事を忌避する。上記にも繋がるが、骨折の治療の為に、体内に金属を埋め込む事に、反対はしないだろう。二重瞼の手術や鼻を高くする手術には反対でも、審美的な歯の矯正等は許容する人もいる。どこに手を入れるのを許容するかという線引きは、恣意的である。たとえば、ピアス(耳)、刺青(全身)等。耳へのピアスを許容する人でも、鼻やヘソへのそれは、忌避する場合がある。刺青は一般的(日本では)に、許容されにくいだろう。これは、刺青が、反社会的認識の象徴と看做されるからではないか。
  • 「元に戻せるかどうか」。整形には眉をしかめる人でも、元に戻す事の出来る、いわゆる「プチ整形」は許容する場合がある。
  • 「親と似ているかどうか」。たまに、「整形した人に子どもが出来、親と似ていなかったらどうする」、という論法で、整形を非難する人がいる。これも、人工的なものに対する忌避と、繋がっているのだろう。ちなみに、その様な非難に対しては、「親と子の容姿は似ていなければならないのか?」という反論が考えられる。

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区別出来ないのはどっちだろう

PSJ渋谷研究所X: ドリームガールズと霊能捜査官

子どもだったぼくは「そんなもんを本気で現実と混同するバカな子どもなんかいない」「マンガと現実の区別がつかないマンガ読みなんかいない」なんて思ったものだった。

それと共に、「そんな混同をする奴なんて、本当のマンガ読み(今だとゲームとかも)じゃ無い」、という考えも持ったりしますね。要するに、愛好者同士でそういう共通了解を持つ事が、そんなアホな読み方するなよ、という要求にもなる訳です。

もちろん、フィクションに触れて、「そういう事はあるかも知れない」、と思うのは、大いに起こり得ます。しょっちゅう、と言ってもいいでしょうね。でもそれは、「混同」とはちょっと違う。思う事と、それを現実の生活で実行する事は、違うのですね(もっと正確に言うと、「区別が出来なくなって」実行する、という事です)。で、「そういう事はあるかも知れない」、という子どもの疑問に答えるのは、オトナの役割でしょう。でも、そのオトナが、現実と仮構を区別出来ないのだ、と騒ぎ立てたり、フィクションの、現実には起こり得ない部分についてちゃんと説明出来なかったり。時には、オトナ自体が、コロッと行っちゃう訳ですね。

バーチャルと現実との区別が出来なくて云々…と言うその口が、ニセ科学的な健康グッズについての効能を嬉々として語ったり、超能力捜査の可能性を強く信じて、その手の番組に、現を抜かしている(←敢えてこう表現)のです。これって結構、滑稽でしょう。果たして、ありそうも無い事を信じ切って、現実と混同しているのはどちらか。

私達は、知っています。フィクションにどっぷりと浸かってきたから、どんな話があるか、どういうパターンか、そういうのを、類型として捉えています。いかに現実と乖離したものを尤もらしく見せるか、というのが、クリエイターの腕の見せ所である、というのも考えます。要するに、現実を知っていないと、話にならないんですね。メタなんですね。メタで無いと、対象に振り回されているというネガティブな評価を、受けちゃいますから。そういう意味で、子どもの頃から、鍛えているのですね。

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モバイル社会

遊鬱さんの所のコメント経由で⇒モバイル社会の現状と行方 : 書評 : 本よみうり堂 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

追記:本の内容について、コメント欄で教えて頂きました。是非ご覧下さい。

ホント、こんなに批判的な書評というのも、あまり見ないですよね。面白い。

 携帯電話の普及がもたらす社会の変化も気がかりだが、携帯に対する偏見が生み出す闇もまた心配になってきた。携帯はあくまで道具。解釈よりまず取扱説明書をきちんと読んで、私もせめてメールぐらい打てるようにならねば。

素敵ですね。

しかし、何でもかんでも、「心の闇」とか言わんで欲しいですね(本にそう書いてあるのかは判りませんが、括弧で括っているので、書いてあるのかな、と思います)。

ケータイでのメールの平均が18件/日なんて、異常に多いと、直観的に思います。はずれ値がありそうな予感。サンプリングも、どうやったのだろう。「送受信件数」だから、メルマガとかも含むのでしょうか。詳細がわからないので、その内、読んでみようかな。ちなみに私、携帯電話でメールするなんて、数週間に一回とかのペースです(笑)

もちろん、このエントリーは、書評についての感想なので。本そのものについては、読んでいないので、何とも言えないです。心理学の専門家が書いた本だから、心理統計についても適当な事は書かないだろう、と思いたいのですが、著者に正高氏が入っているので、むむ、と思ったのでした。これも一つのバイアスですね。

モバイル社会の現状と行方―利用実態にもとづく光と影 Book モバイル社会の現状と行方―利用実態にもとづく光と影

著者:小林 哲生,天野 成昭,正高 信男
販売元:エヌティティ出版
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きおく

はてなブックマーク - J-CAST ニュース : 電話番号覚えられない!携帯は「バカ量産」の主犯か

J-CAST ニュース : 電話番号覚えられない!携帯は「バカ量産」の主犯か

携帯電話ユーザー、数字の記憶力が低下傾向に=調査 | 世界のこぼれ話 | Reuters

そもそも、「自宅の電話番号や家族の誕生日など単純な情報を記憶する能力が低下」(ロイター)という書き方自体が、結構微妙だと思うのですよね。「能力が低下」というのが。こういうのって、注意資源を他人の生年月日や電話番号の記憶に割く事に、重きを置くか、という問題なので。興味のある分野について、膨大な知識を持っている人がいますが、そういう人は、記憶の能力は高い訳ですよね。J-CASTで言及されているNTT-BJの調査(プレスリリース PDFファイル)の、「デジタル化による記憶力の低下」という表現も、微妙。記憶力の低下、というのは、いかにも一般化が過ぎる書き方ですし、これはむしろ、「憶えなくともよくなった」、という話だとも思います。他にも、首を捻ってしまう様な記述がちらほらと(前、別の記事で採り上げられた時に、言及しました⇒Interdisciplinary: むりやりじゃー)。

しかし、

また、読売新聞夕刊(7月10日)コラムで鈴木美潮記者は、かつては支局や警察署の電話番号を手帳を見る必要もなくプッシュボタンで押すことができたが、「今や携帯のメモリーに頼っりぱなしの自分に驚く」と明かした。「機械の記憶に頼りっぱなしのままでは、『人間力』は落ちる一方ではないだろうか」と不安をもらしている。

って(J-CASTの記事より引用)。何でここで、「人間力」なんて言葉が、いきなり出てくるんですかね。これは論理的に、「人間力」とやらには、高い記憶力が必要条件だという事になりますね。しかも、電話番号の記憶が。何だかよく解らんです。

J-CASTの記事、後段が…。何故に森昭雄氏が。”「携帯はバカを増やしているのではないか」”と発言する、「ある元大学関係者」って。わからない漢字があれば、それを調べるのは、むしろ健全だと思いますけれど。もしかして、ケータイ使ってるから、という事なのか? 国語辞典なら良いとか、それも、紙媒体の方が電子辞書より良いとか、そういう話ではありませんよねえ、さすがに。

大体、記憶を外部の媒体に頼っても、全然構わないと思います。重要なのはむしろ、記憶をどう扱っていくか、という事じゃないかなあ。

それに、記憶力そのものについて論ずるなら、心理学的な研究を行うべきでしょうね。そういう分野でも、無意味綴りを記憶する実験が、生態学的妥当性を欠く、という批判がなされていたりして、興味深いのですが。

私に言わせると、好きな歌手の詞を諳んじている方が、よっぽど凄い記憶力だと思います。そんな人、いくらでもいるでしょう? いないかな。

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メモ:蔓延する、「科学を知らない人による反科学的言説」

それは、善意に訴えかける。公害・戦争・人間性の喪失・モノ至上主義・身体性の喪失 等々を説き、科学による弊害を強調する。その際、現代の犯罪の凶悪化(これ自体、言えない事)等を持ち出す場合もある。

科学知識を持たなくても、主張を展開出来る。つまり、「楽」。知らない人に対して、詳しく説明しようとしても、聞かれない可能性がある。当然。「知らない方が良い」と考える事すら、あるのだから。

自然信仰。科学の成果を忌避する。それを「人工物嫌悪」に結びつけ、自然物を過度に信頼する様になる。

これらは、部分的な正しさを含んでいる訳だから、それが完全に的外れであるとは言えない。だが、それが一般化され、科学や技術、科学者に対する敵意が広まる場合がある。

当然これは、ニセ科学の蔓延にも繋がる(私は、何度か書いていますが、リテラシーが劣化したというより、充分に普及していないのだと考えています。これは推測です)。科学知識に対して積極的に学ぶ事をしないし、科学に対して嫌悪を覚えていながら、科学技術の産に頼り切って生きている訳である(例外もあるだろう)。だから、科学的知識の欠如・論理的思考力(これは、科学知識とは、相対的に独立である)の脆弱さにつけ込まれる余地がある。何が何でも科学に頼らない、というのは、現実的には難しいから。アンビバレンス。

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何のせい?

痛いニュース(ノ∀`):フジテレビ「ゴールデンタイムの視聴率が悪いのはゲームのせい」

イギリス生活情報週刊誌 - 英国ニュースダイジェスト - 英国における日本報道

「ゲームのせい」と書くのは、いかにも印象誘導的ですが、それはまあ置いといて(痛いニュースのタイトルは、そんなもんです)。

フジテレビの専務氏の分析、つまり、視聴率低下について、Wiiが主たる要因である、というのが正しいかは、よく解りません。テレビ以外のものに関心が分散されている、というのは、当たっているでしょうけれど、その主な対象がテレビゲーム、というのは、どうなんでしょうね。もし正しいとしても、それがどうした、という感じですよね。相対的に、テレビのコンテンツがつまらないというだけの話なので。

で、何故Wii云々という話が出てきたのかと考えると、それが、最近の流行り物を代表する商品の名で、いかにも流行に敏感であるというのを象徴する語であると認識していたから、ではないかと思います。要するに、「使ってみたかった」だけではないかと。

ソースは未確認なので、細かい意味合いが解らない所もありますが、

テレビそのものに問題があるというよりは

これはどうなんでしょうね。仮に、Wiiに関心が移ったというのが正しいならば、それは論理的に、「テレビそのものに問題がある」事になりますよね。ゲームより面白いコンテンツが作れていない、という意味で。そうでないと、テレビより面白いものがあれば、それにユーザーが流れていくのは仕方が無い、という事になりますしね。

で、2ちゃんねるの反応は、ゲームのせい云々については、ちょっと過剰な所がある様な気もしますが、他の部分には、結構賛成です。

要するに、ディスカバリーチャンネル(←スカパーの無料放送の日に観るくらいですが、素晴らしいですよね。面白い)レベルの番組を作ってみれば? という感じです。視聴者がどんなものを求めているか、というのを、マーケティングしているのかな。私はバラエティも大好きですけど、他人を見下したりして視聴者に優越感を味わわせたりする番組とか、そういうのは多いですよね。尤も、昔からなのかも知れませんが、ちとうんざりもしますよね。たとえば、芸人の身体的特徴とか家庭環境とかを貶して笑いをとる、というのは、程々にしないと。後、感動の演出。これは勘弁して欲しい。

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瓦重構造

Yahoo!ニュース - 産経新聞 - 柔道部員投げ続け重傷負わす 中学教諭を送検

武術・格闘技を行う者は須らく、それらが、「かつ暴力」というあり方をしかしない事を、肝に銘じておくべきでしょう。

教師がいかなる認識を持とうとも、柔道の投げ技というものは、実体的には即暴力なのです。本質的に、相手を攻撃するものなのです。「こう思っていたから」という理由で言い訳する、免責を求めるのは、あまりに身勝手です。その様な行為には、やる側の意味付けと、やられる側の意味付けに、ずれが生ずる事があります。だから、「やる側」は、自分の意図が伝わっているか、独善的になっていないか、という事を、常に心掛けなくてはなりません。「躾」と称した行為が、相手を服従させる装置になりかねないのですから。社会的立場、肉体的優位性を利用した行為ですからね。ちょっと間違えると、大変な事になる訳です。

他の人にこうやって上手くいったから、この人にもこうやれば良いだろう、とか、自分がこうされて良い経験になったから、他の人にもそうしよう、というのも、よーく考える必要があります。自分が信じている機能が常に発揮されるとは、限らないのですから。

こういう論理は、様々な所に見られます。「フザケかつイジメ」とかですね(下記文献を参照)。だから、自分が何をやっているか、それがどう受け取られているかを、常に考えるべきなのです。「善意かつ不寛容」なんてのも、あるかも知れません。

参考文献:光と闇―現代武道の言語・記号論序説

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