カテゴリー「ゲーム論」の記事

2009年5月 6日 (水)

禁ずる

ゲーム禁止を「強要」するのはおかしいと思う。 姪っ子は小学3年生。新学期に入り... - Yahoo!知恵袋

なんと言うか、愕然としますよね。

禁止の理由も、どれも主観の域を出ていないですよね。いわゆる「起こり得る」事であって、コンピュータゲームに特有のものとは言いがたい。要するに、他の文化に較べてそういう悪影響を顕著に与える、というのは明確では無い。(ゲームが視覚の機能低下をもたらすというエビデンスは充分にあるのでしたっけ?)

今までは宿題をした後、30分~1時間程度ゲームをしていた様ですが、妹は納得したのでしょう。
先日「ゲーム機」「ソフト」を全て売り払いました。

子供は泣きながら「やめて」と言ったそうですが、これは親の考えですので私は何も言えません。

これはなあ。お子さんはどんな気分だったろうなあ…。質問者さんの意見が柔軟で適切ですよね↓

が、それは各家庭で取り決めをし、子供に理解・納得をさせた上で、時間を決めてゲームをさせる。
約束を破ったら、数日禁止。

これでいいと思うのです。

担任の先生が家庭の教育方針にまで踏み込んでゲームを禁止する(させる)、というのは やり過ぎでしょう。

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2009年5月 2日 (土)

motion

BEYONETTA』のPVを観てスーパーハイテンションになった、のは先日書いた通りですが、このタイトルのスタッフブログに、こんなエントリーがありました⇒ベヨネッタのデザイン:モーション | BAYONETTA - ベヨブログ

や、開発中のタイトルに関してこういうのを紹介するブログがある、というのは素晴らしいですね。プロフェッショナルによるゲーム制作について垣間見る事が出来て、すごく興味深いです。

で、このリンク先のエントリーでは、ベヨネッタのアクションのモーションのつけかたについて説明されています。

モーション制作において一番心掛けたのはアクションゲームということもあり

レスポンスと爽快感!!いかに短いフレーム数で力の溜めと開放を表現できるかです。

ユーザーの立場からも、そうだよなあ、と思います。レスポンスそのものがいわゆる爽快感と密接に繋がっている、のもあるでしょうね。それと、後の方の、「力の溜めと開放を表現」というのは、すごく大事だと感じます。

私は武術に関心を持ってて、しかも格闘ゲームを17・18年やってきているので、そこら辺、結構気になります。

しかしベヨネッタ開発初期にはパンチやキックが1フレームで出るバージョン

(これは短期間でゲームの感じを掴む為に制作)というのを作ってテストしていたのですが

そのプレイ感覚が忘れられないらしく未だに神谷Dは『あの頃の方が良かった』って言うんですよね。

それじゃモーションいらねぇぇぇ!!って。

なるほどな、と。あまり正確に滑らかに動きをつけると、却って爽快さが損なわれたり、力を発していると言うか、攻撃が入り込んでいくような、そんな感じが少なくなってしまったり、もあるのかも知れません。

ここから私見。

上にも書いたように、格闘アクションでは、動きの滑らかさや再現の仕方、それから、力の溜め、発し方、などをよく見ます。で、ちょっと、既存の3D格闘アクションのタイトルを例にとって、自分はこう見た、というのを。

最も動きが滑らかで、動きと動きの繋がりが綺麗に見えるのは、『DEAD OR ALIVE』シリーズに思います。DOA2を観た時には、おお、と感じましたね。ただ、攻撃が当たった時が、入った感、があまり無い、と言うか。

そこら辺、いかにも力を発している感がよく出ているのが、『バーチャファイター』シリーズかな、と。特にアキラのは、なかなか。動作を止める時のモーションのつけ方が上手いのかな、なんて思ったりします。攻撃が、「バッ」と出る感じがしますですね。で、こちらの方は、動きの繋ぎ目などに、滑らかさが感じにくい。ぶつ切れのような、と言いますか。

で、こういうのって、アクションゲームだから、動きのつけ方そのものがゲームシステムと直結しているだろうから、色々トレードオフな関係があったりもするのかな、と思います。

それから、爽快感やスピード感と、攻撃の入った感(何じゃそりゃ)との関係、もありますよね。

動きのレスポンスを良くして、スピード感を出し、連続攻撃がサクサク入る、という系統のゲームだと、バッサバッサと敵をなぎ倒していくような、そういった爽快感が味わえる。無双シリーズなんかはそんな感じでしょうか。『DEVIL MAY CRY』とかもかな。

対して、なるだけ人間の動きを再現してモーションをつけるのもありますね。『モンスターハンター』辺りはそうだと思うのですが、あのゲームは、たとえば急停止のモーションがありますね。クルッと上手く回らないと、キュッ、という感じでストップする。これって、アクションゲーム的には、さくさくスピーディに動かす、という面から考えると、結構違和感を覚えたりするんですよね。だけれども、人間の動きの表現としてのリアルさを感じさせるし、やっていく内に、その動きをいかに「出さない」かがとても重要で、それがゲームシステムと密接に関わってくるのが解ってくる。ターンに失敗して急停止→レイアのブレス→死亡 というコンボとかね。

それと、モンタは、いわゆるさくさくという意味での爽快感はあまり味わえないけれども、ヒットストップを結構取ってあるから、攻撃が入った時の感じというのが、実に爽快。あのゲーム、「武器の重さ」を感じさせ、やり始めはそれが鈍重に思えたりするのですが、慣れてくると、ばしっと攻撃が入った時の感覚が堪らない。ここら辺、カプコンの2Dアクションを踏襲(ストII辺りから)しているのかな、なんて思ったりするのですが、よく知りません。

こういったのも、トレードオフ、と言うか、どういった方向性でゲームを作っていくか、で色々選択され、組み合されていくものなのでしょうね。

ところで、上でちょっと書いた、人間の動きの急停止の話ですが。

先日、FF13の体験版の映像を観たんですけど、あれも、キャラクターが方向転換する時に、キュッ、と動きが止まりますね。あれを観て、ほう、と思いました。

と言うのも……

アクションゲームでは、モンタの例のように、そういう動きが不利な状況になったり、とアクションゲームとしてのシステムに関わって面白さを演出する事になりますけれど、RPGでは、そういうモーションをつけると、逆に煩わしくなる可能性があるんですよね。

アクションゲーム性の低いRPGでは、キャラクターを動かす場面は一般に、フィールド移動などで、そういう場面では、キャラを動かしてフィールドやダンジョンを探索するのが主目的だから、動きに細かさ(人間の動きに近いという意味で)を入れると、却ってストレスが溜まる場合も考えられる。

だけれども、現在のように、キャラクターのモデリングが精密になり、あるいはフォトリアル方面になったりすると、既存の動きのままでは、「人間の動き」としての違和感を覚える。ほら、RPGって、レバーをニュートラルにした瞬間にキャラクターが直立したりするじゃないですか。それです。私の場合だと、FF10辺りからこういう事を考えていたのですが(もう8年も経つのか…)、そういうのもあって、FF13を観て、おお、と感じたのでした。入れてきたのかあ、と。いかに操作に煩わしさを感じさせずにああいったモーションを組み込んだのか、興味がありますね(やった人の感想希望)。

という訳で、モデリングが「人間らしさ」を想起させるような精密なものになってくると、「動き」の正確さの再現が低いと、ものすごく違和感を覚える場合がある、という事なんですよね。で、動きを再現しようとすると今度は、ゲームシステム上都合が悪くなったりする。そこら辺をいかに折り合いつけて演出していくか、というのが重要なんでしょうね。特に、リアル志向のFPS辺りだと、いわゆる「動きの不自然さ」というものがあると、大変目立つように思います。だからこそ、すごくモーションのつけ方が丁寧なのかな、なんて推察したりします。

そこら辺の観点で考えても、BEYONETTAはよく出来ているなあ、と直感してテンションが上がったのでありました。

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2009年4月 8日 (水)

セミナー

任天堂ゲームセミナー2009、受講生募集スタート - ファミ通.com

これは良い試みですよね。10ヶ月の講座が無料という事で、応募者が殺到するのでしょう。

任天堂ゲームセミナー

受講生の作品がDSダウンロードサービスで配信されるというのも面白い。こういうのはモチベーションが劇的に上がりそうです。

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2009年4月 7日 (火)

提言?

日々是遊戯:いっそJRPGは全部ポータブル化すべき? 海外ユーザーから大胆な提言 - ITmedia +D Games

フーン。もしこの夢想通りになったら(ならないだろう)、私などは絶望するけどね。

いちいちキャラクターがセリフを読み終えるのを待つこともない。

い、意味が解らない…。これは携帯機云々という問題じゃ無いと思うんだけど。て言うか、記事の日本語全体が変な気が。

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2009年3月26日 (木)

携帯ゲームの将来

やっぱあれですか。PSPとか、

  • 有機ELディスプレイ搭載
  • 燃料電池搭載
  • 光ディスクメディア廃止
  • ダウンロード購入が主

てな感じになるんですかね。

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2009年3月21日 (土)

ねじれている可能性

メモ

最近ちょっと話題になった、淡路恵子さんがドラクエに苦言、という記事⇒73歳女優が開発遅れのドラクエに「私はいつまでも生きているわけではない」と苦言 - ロケットニュース24(β)

はてブで、この事を採り上げた別記事を知ったのですが⇒淡路恵子さん(73歳)、開発遅れのドラクエに「私はいつまでも生きているわけではない」と苦言:ぁゃιぃ(*゚ー゚)NEWS 2nd

ここにあった画像を見て、なんとなく、あれ、と思っていました。

で、さっき、自分のブログの記事を見返してたら、これが⇒Interdisciplinary: ゲームと芸能人

そこでリンクしたのがこちら⇒女優 淡路恵子 「ドラクエ」をおおいに語る - BLUE VENUS'S BED

画像が載っていますね。そして、この画像、「ぁゃιぃ(*゚ー゚)NEWS 2nd」に貼ってあるものと同じ、と言うか、直リン。

その画像を見ると、淡路さんの年齢は73歳となっています。エントリーが上がったのが2006年。今淡路さんは75歳だそうですから、明らかに、数年前の新潮の記事(Wikipediaによれば、2007年1/4・11新年特大号の記事との事ですが、週刊新潮のオフィシャルサイトにて確認出来ないので、詳細不明)。

しかし、「ロケットニュース24(β)」の記事を見ると、最近の話のように書かれている。まるで、先日のドラクエ9の延期発表を受けて、のように。と言うか、私は全くそうだと読みました。最近新潮で淡路さんが何か書かれたのだろうな、と。でもよく見れば、リンク先に、週刊新潮のどの号に掲載されたかは載っていないのですね。最近の新潮にも載った(つまり、新潮の記事で二度淡路さんがドラクエについて語った)可能性も考えたのですが、確認出来ませんでした。

いや、お前が思い込んだだけだろう、と言われればそれまでですが、上記リンクに対する反応を見ると、私と同じような読み方をしているだろうと思われるものが散見されます。

もし、リンク先の話が数年前の新潮の記事の事を指しているのだとすれば、

女優の淡路恵子さん(73歳)が、発売を延期した『ドラゴンクエストIX 星空の守り人』(以下、ドラクエIX)や、『ドラクエ』シリーズについて語っている。

この書き方は紛らわしい。ドラクエ9が発売延期したのは事実だけれども、この書き方だと、淡路さんが、発売延期の話を受けて何か仰った、と読めるので。しかし、そもそも、ドラクエ9のDSでの開発が発表されたのは、2006年末の事(参照⇒ITmedia +D Games:「ドラゴンクエストIX」ニンテンドーDSで登場 新潮の記事とほぼ同じ時期)だから、発売延期の話など関係あるはずが無い訳ですね(最初の発売延期発表は、2007年8月。参照:スクエニのリリース⇒http://www.square-enix.com/jp/company/j/news/2007/download/20070827_40.pdf (PDF) )。少なくとも、

73歳女優が開発遅れのドラクエに

これはおかしい。なぜならば、淡路さんが73歳の当時、ドラクエ9が開発遅れ、というのはあり得ないから。過去の発売延期の事も含んでいる(つまり、ドラクエは、開発遅れによる発売延期が多い、という事実を含む)、という読解は出来なくも無いけれど、それは非常に無理があります。新潮の記事を読むと、淡路さんの仰り方は、「開発が遅れる」と言うより、「続編の発売までの期間がドラクエは長い」事について、もっと短ければ楽しめるという希望を言っている、というものだからです。別に苦言では無い(語感にもよるけれど、私はあれを苦言などとは表現出来ないです)。

これらを鑑みると、元記事の記述は、間違いとは言えないかも知れないけれど、非常に紛らわしい。と言うか、なぜあのような書き方をしているのか解らない。だって、ドラクエ9の発売延期を受けての発言だと誤解しませんか、あれじゃ。記者はどういう意図で、また、どのような過程で、あの記事をあのような書き方をするに至った、のかな。

尤も、もし、

  • 淡路さんの記事が週刊新潮に最近載った
  • そこで、以前の記事とほぼ同一の内容が書かれていた

という事実があれば、書き方の問題と言うより、私の読解の問題な訳ですけれども。そうで無いとするならば、明らかに書き方がおかしい。

情報求む。※自分は「ロケットニュース24(β)」の記事をこう読んだ。実は淡路さんの、別所での同じような記事がある。等々。

普通、記事の見出しに年齢を書く場合、現在の年齢を出すものだと思います。過去の話なら、「当時」などの記述が入るはず。ここら辺も、紛らわしいのではないでしょうか。

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2009年3月20日 (金)

接し方

web.archiveから拾ってきたページ⇒+++ 加山雄三 オフィシャルウェブサイト +++:■No.8 バイオハザード

 社会報道では、しばしばゲームソフトが子供たちに与える影響力について、さまざまな議論も持ち上がりますが、大人も体験してみてはどうでしょうか?物事の善悪や、非現実、空想娯楽ゲームの世界として認める事を子供たちに教えるのも親の責任でしょう。一緒に楽しみ、ゲームを通して内容や、操作方法、友達との情報交換などの会話が生まれ、楽しいひとときを持つことです。年齢差や社会経験差、また日常生活の時間差などあればあるほど、なんでも良いから共通の関心ごとをもつ、その一つがゲームソフトであっても、コミュニケーションをとることが僕にとっては楽しいことであり、大切な事だと思っています。

素晴らしいですね。色んな人に見せてあげたい。

加山さん、テレビ番組でも、よくゲームについて語ってますよね。前観たのでは(『ごきげんよう』だったと思うけど、記憶曖昧)、鬼武者だからバイオだかを短時間でクリアした、というのを嬉々として語っておられました。周りの人は、ちんぷんかんぷんな感じでしたが(笑)

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2009年3月 4日 (水)

ゲームが単純だと言う人。年代とか関係無くゲームをやる人

ゲームなんて単純で、特に憶える事も無く、反射的に指を動かせば上手く出来るんだろ、的な事を言う人って、やっぱりいるんですかね?

いや、森昭雄氏がそういう風な事を言っている訳ですが、幸いにしてと言うか、自分の周りでそんな楽しい発言をする人ってのは、遭遇した事無いんですね。

もしそんな人がいたら、

○MHでラージャンをノーダメージで狩ってみろ。

○MGSの最高難度で、ノーキル・ノーアラートクリアしてみろ。

○ぷよぷよで18連鎖作ってみろ。

とでも言ってあげて下さい。

話はかわって。

比較的年齢が行ってからゲームを本格的にやり始めた事例を集めてみる、というのは面白いんじゃないかな、と思っています。おそらく一般的には、ゲームといえば若い年代の人がやるもの、とのイメージがあると考えているのですが、そこで、年配でゲームやる人はどのくらいいて、どういうきっかけで始めて、等を調べるのは興味深いかな、と。やる前と後でどんなイメージの変化があったのか、とかね。

著名人で年配の方がゲームをやっている例といえば、私が知る限りでは、

  • 加山雄三さん(鬼武者とか)
  • 鈴木史朗さん(バイオとか)
  • 淡路恵子さん(ドラクエとか)
  • 養老孟司さん
  • すぎやまこういちさん
  • 小柴昌俊さん(FFをされてるというのを聞いたような。※記憶曖昧注意)

などの方々が思い浮かびます。

これは私の例ですが……

ゲームといえば、昔『バルーンファイト』や『ソロモンの鍵』をちょこちょこやった事がある程度の人に、ゲームをやらせました。当時50歳くらいで、やってもらったのはRPG。それまでは、なにやら文字が沢山出るだけのものだという事で、何が面白いのか解らん、という感じだったそうです。

手始めにやらせたのは、『マリオストーリー』。我ながら見事な選択。いきなり小難しいのをやらせれば投げ出すのは、目に見えている。

マリオストーリーはかなり難易度低めで、全く始めてやる人でも、それほど困難では無かったようですね。なんとかクリアしました。

それから、いくつもやってもらった訳ですね。FF8では3DCGムービーに驚愕し、10までやり、アバタールチューナーはやるわ、シャドウハーツはやるわ。マグナカルタもクリアし、ドラクエ8も制覇。私が手伝ったのもあるし、決して「上手い」という訳では無いのですが、大したものです。

その人は現在、P3をクリアし、P4(『ペルソナ4』)をプレイ中です。

面白いものですね。

ちなみにその人、RPGのみ。アクションをやらせようとMH2にチャレンジしてもらった所、ゲリョスで脱落しました。まあ、しょうが無いですな。

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2009年1月19日 (月)

詭弁者

はてなブックマーク - tittonのブックマーク - 2009年1月18日

titton ゲームが「学業に専念できない」という意味で有害なのは確定的に明らか。その欠点を克服しない限り有害論は栄えるであろう。それはそうと良いデータベース

画面脳レベルのダメさですね、この人。何を的外れな事を言っているのか。

追記。箇条書き。

  • 学業に専念できないとは具体的にどういう意味か。
  • 有害とはどういう意味か。
  • 確定的に明らかとはどういう意味で、根拠は何か。それは単なる主観か、実証的なデータに拠るものか。
  • 欠点を克服するとはどういう意味か。それは、ゲームによって「学業に専念できない」のを克服するという事だから、「ゲームによって学業に専念できる」のを指すのか。
  • 有害論が栄えているのが、そのゲームの欠点故なのか。
  • その欠点とやらは、ゲーム特有のものなのか。

一般的に言えば、学業そのもの以外に打ち込めば、学業には専念出来ん訳です(ちょっと考えれば、「並行」させるのは可能だけどね)。それは当たり前。スポーツだろうがケータイだろうがアニメだろうがマンガだろうが恋愛だろうが。で、そんな中学生でも解りそうな事を改めて書いている? それとも、なにがしかの根拠や考察すべき理論なりがあって書いている?

追記2

http://b.hatena.ne.jp/titton/20090119#bookmark-11722375

titton ただのオチョクリになにをマジになっているのやら。こういう余裕のない排斥姿勢が疑似科学批判自身がカルト化している証拠。いや正直こんなことにマジレスされるとは予想外。こんど水の結晶にでも相談してみよう

http://b.hatena.ne.jp/titton/20090119#bookmark-11721832

titton なにをただのネタにピリピリ神経質になってマジギレしているのやら。ネタなんだから意味不明なの当たり前じゃん。何かの宗教にでも入信して心安らかになるといいんじゃないの?

本当に面白い人ですね。

マジギレと看做してもらって結構。人が真剣に取り組んでいるものについて、ネタだのオチョクリだので訳の解らない事を言っているのを見れば、マジギレもする。

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2009年1月17日 (土)

SG

ゲームで社会問題を解決 高い教育効果、進む研究や開発(産経新聞) - Yahoo!ニュース

藤本氏や馬場氏は頑張っていらっしゃいますね。

シリアスゲーム専用のソフトっていうのは、制作が難しそうですね。特に、エンターテイメントゲームに慣れた目の肥えた人達にも高評価を受けるソフトを作るのは、困難かも。

もちろん、学術なりのシリアスな部分の学習効果をも達成させねばならない訳ですね。なんとなくシリアスとゲームを組み合わせたようなのでは、話にならない。

ゲームやる人の価値観は、ある程度はっきりしていて、「面白く無ければやらない」、ですからね。まあ、惰性でやったり義理でやったり、というのはありますけれど、ゲーム好きを自認する人には、つまらないゲームに時間を割く事が我慢ならない、という妙な感情があったりするかも。自分はつまらないゲームを見抜けるのだ、という自尊心もあったりね(笑)

理想的には、自分がシリアスゲームをやっているなどとは全く気付かないのに、クリアしたら学術的知識体系の構造が身に着いていた、というのがあればいいですね(私の持論です)。言うは易しだけどね。

この件に関しては、シリアスゲームをどう分類するか、とかのアイデアがぼんやりあったりするんですけど(主に、武術論や、高岡英夫氏の論考の概念の援用)、専門的にどういう概念があるかを押さえておかないとなあ。新しい分野なので、文献もまだまだ少ないですよね。日本語で読めるのは数冊とかかな?

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2009年1月15日 (木)

追加するかも

ゲーム脳Q&Aに、一つ書き加えるかも知れません。あるページを見て、これは書いとかなきゃいかんかな、と思ったので。

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2008年12月14日 (日)

昔書いた事:ゲーム編

子どもを拘束してしまうのは、社会だ。正しい身体運動を、体でも心でも全く認識していない者が、間違った拘束的な認識に従って、教育を施してしまうのである。そして恐ろしいことに、教育者は、自分が間違ったことを教えてしまっている等とは夢にも思っていないのだ。否それどころか、彼彼女は、自分達が手塩にかけてガチガチに固め造り上げてきた「作品」を眺め、その見事な完成度に満足さえしているのである。

どこから見ても、「わが流派の最高師範」が口癖の人が書いた文章ですが、実はこれ、自分が書いたものです。

先日、poohさんの所で、自分がゲームを嫌っていた事、それを愛好する人を見下していた事、を書きました。ここでも何度か話題には出しましたが、自分がゲームについて以前どういう事を考えていたか、というのを、覚書から引っ張ってこようと思います。

25年前からゲームをやってきた人間が、何故それを嫌悪するようになったか。それは個人史的な問題なので詳しく書く事はしませんが、ゲームについてどう思っていたかを書いてみるのは、それなりに意味があるかも知れません。

なお、ここに引用するものは、ゲーム嫌悪が完全に解消された後のものですが(なので、嫌悪していた内容はほとんど無いかも)、文献や先行研究を無視した思い込みの激しい考え、という事で、載せてみます。引用の順序は時系列に従わないので、ご了承下さい。

「ゲーム脳の恐怖」という本を読んだ。非科学的な人間が科学者になれるのだ、と思った。

強烈ですね。本当の所は、よく知らない分野について手を出したら大変な事をしでかしてしまった、という感じなのかも知れません。

TVゲームの問題点

非身体運動的であるという点。記号管理的文化の最たるもの。

ゲームとは

文化として見ると、様々な文化を(記号的)部分的に包含する。TVゲームを、人間とTV画面と操作系の三項関係と見ることが出来る。この「操作」という概念が重要(必要条件といえるだろう)。

記号管理的というのは高岡英夫氏の概念ですね。両方について、もうちょっと洗練させたかたちでここに書いていますね。初期のエントリーで。ゲームの論理構造の記述としては、さほど間違ってはいないと思います。

高度な身体運動を体現することがないと、絶対にクリアできない様なTVゲーム(たとえば、フリーフルクラムが出来た時だけ先に進める)というものは、論理的には考えることができる。しかし、技術的にも経済的にも(少なくとも現在においては)不可能。

TVゲームの宿命的問題点

働きかける対象が、「TV画面」であるということ。視覚的・聴覚的存在であって、絶対に体性感覚的存在では有り得ない。操作系は部分的には身体意識的。

この頃は、Wiiやバランスボードが出るなどとは夢想だにしておりませんでしたよ。前者は、ここでもたまに書きますね。と言うか、バランスボードが出る前に書いてた訳ですけど。後者は分析が荒い。自分でも、「存在」をどういう意味で使っているか不明確。まあ、身体に触れられたりするような情報は無い、という事で、基本的にはゲームの特性として見ても構わないとは思います。

実際に、TVゲームを通して、(「物語性」という部分を持っているから)「命の大切さ」や「思いやり」を持つこと、学ぶことはできるのである。当たり前だ。絵本を読んだり小説を読む、あるいは良い映画を見ること等と、同じことなのだから。

従って、なすべきことは、当該文化に内在する有益性・問題点を分析解明し、それを正確に記述することなのだ。特に、その文化に固有の特性を見出すこと。それが非常に重要なのである。

なんか、めちゃくちゃいい事書いてるじゃないか(笑) まあ、ここら辺が、このブログを書く動機に繋がってきている訳ですな。このスタンスは今も保っているつもりです。

「リセットして人生が初めからやり直せる」という認識について。

責任の押しつけ――正常に生活していれば、その様な価値観が形成されないという可能性。

昔の子供はその様な考えを持たなかったか?――言葉が違うだけで、同じ様なことを思っていたかもしれない。

前者はちょっと解りにくいですが、ようするに、色々な経験をして、生活の時間配分等に無理が生じていなければ、文字通りに「リセット」して云々という認識には至らないのではないか、という推察です。後者は、ゲームが無い昔の人も、人生をやり直す的な認識を持つ事はあったかもよ、という話。

ここまで、2002年頃に書いたもの。

っと、ここで、2003年に面白い事を書いているので、ちょっと番外編。

「頭の良い人」≒「メタ」な認識を持っている人。

メタを装う人→メタであると思い込もうとする。実は非常に排他的。学問的認識を中途半端に持っていたりするのでたちが悪い。

めちゃめちゃ吹いた。今も結構言ってる事じゃないか。

メタはスタート地点ね。

ここから、2005年頃に書いたもの。ブログを作るちょっと前かな。

TVゲームに影響されて殺人を犯したのだ、という主張。

それはそうなのかも知れない、と考える。しかし、「だから?」とも考える。

人は、あらゆる環境に様々な影響を受けるのだ。

例えば、バイオハザードをプレイして暴力衝動が喚起され、人を殺めたとする。←これはとても個人的なことである。この様なことがあったからといって、では販売規制をするか、というと、それは待て、と思う。

基本的には今と同じ、なのかな? ちょっと荒い気もするけど。

川島隆太さんへ

あなたの実証実験に不備は有りませんか。極く少数の実験結果を、一般化し過ぎでは有りませんか。具体的な機序は解明されたのですが。コンピュータゲームに関して研究されましたか。社会科学の勉強をされましたか。

強烈に恥ずかしい。多分これ、脳トレの本で、ゲームやっている時のPETの画像かなんかが載っていて、それについての解釈を読んで怒った、というのだったと思います。川島氏のゲーム理解が怪しいと思うのは今もそうだけど、科学に関しては理解不足だなあ。

また番外編。これはマジで面白い。

実験科学的方法を順守しようとするならば、フロイトも、ユングも、高岡も、全て疑似科学のカテゴリーに押しこめられてしまう。

これはなんというニセ科学批判批判風。もちろん、ニセ科学という概念を知らない頃です。

やばい、これも面白い。今、はてな辺りで書いたら、ブクマつきまくる事必至。2002年初めの頃。

反証もできないのに、「非科学的」という評価を下す者は、自身が最も非科学的なものの見方をしているのだということに気付いていないのである。

甘いぜ、自分…。

と、こんな所か。うーん、そもそも武術系の覚書なんで、ゲームについて書いているのは少ないのは当たり前ですけど、もうちょいネガティブな事も書いてたような気がするんだけどなあ。

まあ、自分の科学についての認識の変遷も発掘出来たので、よしとしましょうか。

ゲームを嫌悪していたと言いましたが、具体的には、ゲームによって凶悪犯罪に走る奴もいるだろうな、とか、ゲームがコミュニケーションを断絶するツールになるだろうな、とか、大人になってゲームをやる奴は幼稚だ、とか、そういう感じでした。なんか、書いてて頭が痛くなりますが…。覚書をつけ始めるより前なので、やっぱり記録はしていないみたいです。振り返って書いたものがあったかもな、と思ったのですが、ありませんでした。

認識が凝り固まっていた訳ですね。色んなもののせいにしたり、直感を一般化したり。おぞましいものですよ、そういうのって。

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2008年11月11日 (火)

詳しく調べる事を勧めます2

Interdisciplinary: 詳しく調べる事を勧めますの続きです。

(本) ゲーム脳の恐怖 - Dr ミカのメモ帳: 脳・栄養・心 (発達障害) - Yahoo!ブログにて、anomyさんや私へ返答がありました。ご自身の主張に反する意見を冷静に受け止めて頂いて、ありがたいです。

さて、森昭雄氏の論は、端的に言って、破綻しています。あらゆるレベルで矛盾や自分勝手な解釈をした部分があり、科学と呼べる代物ではありません。

コメント欄からいくつか引用します。

森昭雄教授は本の中で「ゲーム脳」の定義を説明していますが、
あなたの「ゲーム脳」の定義とは違うのでは?と感じました。

anomyさんのエントリーへの返答です。

森氏の本を読むと、ゲーム脳の明確な、定量的な定義は見出せないはずです。グラフのパターンの分類のように見えるかも知れませんが、同じようなグラフに別の解釈をしている所もあります。

「前頭前野の活動が低下」という部分、生理学的に賦活していないという意味なら、そういう研究結果はあります(ある種のゲームのプレイ時において)。しかしそれは、認知機能等の低下を即示す訳では全くありません。参照⇒テレビゲームが脳に与える影響

そして、この学生たちの80%が、自分はすぐキレる、
すぐ忘れ、忘れ物が多いなどをコメントしているとのこと。

このような、単なる自己申告では、科学的に充分とは全く言えません。仮に、忘れ物が多いというのが合っているとして、それを「脳の機能低下」に即結び付けてはなりません。

この本に対する受け止め方が、貴方と私で違うようですね。
この本を、貴方は読みましたか?

受け止め方の違い、と相対化してはいけません。森氏の論は「間違っている」のですから。

私は、森氏の本について、当ブログで詳しく検討しました。大部ですが、ご覧頂ければ幸いです⇒Interdisciplinary: 『ゲーム脳の恐怖』を読む

また、ゲーム脳論の問題点を平易にまとめたQ&Aもあります。よろしければご覧下さい⇒ゲーム脳Q&A

ゲーム脳は、まともな概念の定義も無く、科学としての方法や手続きも踏んでいないにも拘らず科学的に実証されていると謳っている説として、多数の科学者・専門家から批判を受けている説です。恐らく、批判がある事自体はご承知と思います。上に出した私のテキスト等の批判的言説も吟味して、冷静にご判断頂きたいと思います。

子ども達の健康について考えるならば、森氏の論を受け容れるというのは、良策であるとは言えないのです。

森氏の専門が「脳神経科学」であるというのは、最近森氏のプロフィールにも載っているので、あながち間違いとは言えないようです。ただ、ゲームのような文化が認知や行動にどう影響を与えるか、というのは、実験科学的な論点だけでは無く、広く文化や社会を射程にした方法を用いる必要がある訳です。その意味で言えば、全く不充分であると考えられます。もちろん、実験的な手続き自体が全く不足しているという部分は押さえておくべきで、それは、このブログの一連のエントリーで指摘しています。

ゲームによる認知や行動への影響という面を研究している科学者として、坂元章氏(お茶の水女子大学教授。社会心理学)が挙げられます。冷静で客観的にゲームの影響について研究しておられる第一人者ですので、もしゲームの影響に関心がおありでしたら、坂元氏の著作を参照するのをお勧めします。

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2008年11月10日 (月)

詳しく調べる事を勧めます

(本) ゲーム脳の恐怖 - Dr ミカのメモ帳: 脳・栄養・心 (発達障害) - Yahoo!ブログ

コメントへの反応などを見ると、強く信じ込んでいるようです。

聞き入れて頂くのは難しいでしょうけれど、いくつか事実誤認があるので、そこを指摘したいと思います。誤った情報を広めるのは良くありませんので。

森昭雄・日本大学大学院教授

えっと、「大学院教授」って肩書きは一般的なんですかね? 少なくとも、森氏はそう紹介される事は無いかと思います。

「ゲーム脳の恐怖」には、脳波データを用いて解説しています。
この本を読むことをお薦めします。(コメント欄)

ゲーム脳になっている人が、テレビゲームをしている最中の脳を
脳波計で測り、痴呆者の脳と同じようなパターンになることを
実際のデータで説明しています。(コメント欄)

森氏の用いた機器に関しては、信頼性が疑われる物であると各所で指摘されています。また、それによって認知症が診断出来るという説は、全く科学的根拠はありません。

森昭雄教授は、脳神経科学が専門で、(コメント欄)

※ここ重要。意見求む。森氏の専門は元々神経科学ではありません。尤も、今はプロフィール(日本大学文理学部 人文科学研究所:森昭雄)に書いているようですが(書かれてしまっては、業績を考慮するしかないでしょうね。Q&Aに補足しといた方がいいかな。それにしても、大学の関係者は何も言わないの?)、そちら方面でのまともな論文は無く、ゲーム脳論に関する信頼出来る論文もありません。※森氏の専攻が脳神経科学では無い、という批判の指摘の説得力が乏しくなりましたね。業績まで見る人は少ないだろうから。

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2008年11月 9日 (日)

寝屋川調査のデータとグラフ

魚住絹代 『いまどき中学生白書』より、『メディアの利用状況と認知などへの影響に関する調査』(2005)、通称「寝屋川調査」(以下、「寝屋川調査」と記述)に関するデータについて書かれている部分を検討し、掲載されているグラフについても言及します。

以下、「本書」と記述した場合、『いまどき中学生白書』を指します。

○寝屋川調査のデータ

 二〇〇五年七月に行われたアンケートには、寝屋川市、そして、講演を通じて知己を得た長崎県の教育庁、教育委員会、東京都の中学校の生徒、保護者計四千七百六十二人に協力を求め、三千五百人余が回答してくれた。(P12)

▼時期

2005年7月

▼場所・調査対象

寝屋川市・長崎県・東京都の中学生、保護者

▼調査人数

回答の依頼:4762人

回答人数:約3500人

▼調査法に関して

 精神医学の専門家などの協力を得て、調査が医学的・科学的な裏付けを持つようにした。(P12)

▼集計

寝屋川市教育委員会、寝屋川市立中学校のスタッフ

▼問題点

  • サンプルが無作為に抽出されたものでは無い。たとえば、社会調査でよく用いられるような、層化多段抽出法のような方法は採っていないようである。
  • 従って、当該調査によって得られたデータを検定した場合(本書では行われていないが、岡田の著作では、たびたび検定の結果が書かれている)の確率論的な根拠が失われる。目標母集団(調べたい全体)はおそらく、全国の中学生とでもなるであろうが、達成母集団(実際に得られた、あるいは一般化出来る集団)としては、可能な限り一般化したとしても、各地域の中学生(と保護者)総体となるだろう(これも無理な仮定であるが)。
  • 精神医学の専門家などの協力、とあるが、質問項目等、どのような専門家が関わっていたのか、甚だ疑問である(当ブログの他のエントリーを参照の事)。

○グラフの検討

本書に掲載されているグラフを、いくつか紹介する。新たに筆者が同じようなグラフを作成した。

注意点

  • 必ずしも正確な数値が書かれている訳では無いので、大体同様だと視覚的に確認出来るよう、適当に数値を入力した。
  • 本書では、グラフが掲載されてあるページに、タイトルとして、たとえば「ゲーム族には偏食が多い」などの、その節での主張とグラフの解釈の文言が当てられており、グラフによっては、下部にそのグラフを説明する文章が書かれている。本エントリーに掲載するグラフのタイトルは、そのタイトルをそのまま用い、縦軸・横軸の文もそのまま引用した。
  • 本書のグラフは、ほぼ3Dグラフである。それも再現した。
  • グラフのカテゴリーに、「3時間(くらい)以上」とあるが、これは、グラフによって、最も大きいカテゴリーが、「3時間以上」と「4時間以上」の場合があるからである。最大が「4時間以上」の場合には、「3時間くらい」とする。
  • あくまで参考として、再現したグラフを掲載するので、不正確な部分がある事をお断りしておく。
  • 「▼」の後に、「○□△(Pxxx)」と書いた場合には、文が、グラフが掲載されている節のタイトル、「Pxxx」は、節が始まるページ数。
  • グラフは、クリックで拡大。

▼ゲーム族は偏食が多い(P49)

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一日のゲーム時間が長い子どもほど、偏食が多い。三十分程度の子に比べ、三時間以上ゲームをする子は三倍以上、二時間以上の子は倍以上である。(P50)

この節、「ゲーム族の子は、なぜか肉が好きなケースが多いと感じる。もっとも、これはきちんとした統計に基づくものではなく、経験的な話である。」(P49)という記述もある。

▼落ち着きがなく、注意散漫(P51)

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長時間ゲームをする子は、注意散漫で、ミスが多くなる。一日三時間以上ゲームをする子の場合、三割以上が「注意散漫」と自己認識している。(P52)

他に、「じっと座っていることができず、たえず動きたがる」、「気が散りやすく、よくよそ見をしたり、忘れ物やミスが多い」などの質問への回答(いずれも保護者回答)を参照しているようである。

▼傷つけられると仕返ししたくなる(P55)

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ゲーム時間が長い子どもほど、傷つきやすく、それを根に持つ傾向がある。四時間以上ゲームをする子は、まったくゲームをしない子に比べ顕著にその傾向が強い。(P56)

「仕返し」と「復讐」では随分意味合いが異なるように思える。

この質問に答えた子どもについて、「全体で19.7%であったのに対し、四時間以上ゲームをやる子は約二倍だった。」(P55)とある。何が二倍だったのかすぐには解らないし、「4時間以上ゲームをする」子どものカテゴリー内の割合だとしても、全体での割合と比較して何の意味があるのか不明である。

▼無気力・無関心・投げやり(P60)

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ゲーム族は、「新しいもの」を好まない。ネット族、メール族、マンガ族らに比べ新奇なものに対する興味を持つ度合が半分程度で、目立って低い。(P62)

2倍といっても10%と20%との差。しかも標本調査であり、更には、無作為で無いので、誤差の評価、一般化も出来ない。また、保護者の回答である。「とても新しいもの」というのが何を指すのか不明。

▼人付き合いは苦手(P67)

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もともと社交的だった子どもが、長時間ゲームをすることで内向的になっていく傾向がある。ゲーム時間が長いほど対人関係に消極的になる。(P68)

心理学的に、内向性の高さと社交性の低さは同じでは無かったはずである(詳細未確認)。いずれにしても、既存の測定尺度は使われていないようである。

縦軸の説明が意味不明。質問は、「人付き合いや集団行動は苦手」(子ども回答)、「やや消極的で、人と接するのがとても苦手」(保護者回答)であるのに、何故縦軸が、時間的な変化を反映したものであるかのように説明されているのか。「幼い頃の対人関係について問うと、必ずしも消極的な子どもでなかったことがわかる。」(P69)という記述があるが、ここのグラフの割合がいかにして導き出されたのかは、全く不明である。

▼対人依存症(P105)

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ゲーム族と対照的に、メール族は人との交流を好む。ゲーム族、ネット族と比べると、「人と接するのが好き」と答えた割合が顕著に高い。(P107)

保護者回答である。横軸の「熱中しているメディア」というのがどこから導き出されたのか解らない。中学生が心理テストに答えて云々という記述があるが、寝屋川調査での話なのか、別の話なのか、不明である。

見出しに「依存症」と書くのはミスリーディングである。

▼メル友をストック(P119)

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一日にやりとりするメールの数が多い子どもは、「友達になったり、絶交したり」が激しい。とくに一日五十通以上メールをする子は、顕著にその割合が高い。(P121)

何故かここでは、他の部分では見られなかった、回答の2つのカテゴリーをグラフにしている。しかし、これも何故か解らないが、積み上げ型の棒グラフで描かれている。

「絶交」という概念は解りにくい。いわゆる「ケンカ」との境界も曖昧。

▼きまぐれで衝動的(P124)

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一日にやりとりするメールの数が増えるにつれて、気分の起伏が激しくなる。一日五十通以上メールをする子どもは、半数近くが起伏が激しいと答えている。(P126)

「差が激しい」というのも、多分に主観による違いがあるだろう。

その他に、「あまり考えず行動したり、危険なことをしてしまうことがある。」という質問もあったようである。

グラフを見ると、縦軸の目盛りは5刻みで、それほど大きく違うのか、という疑問も出る。そこで、違うグラフを作成してみた。

P126b_html_m4717075f

何件法か判らないので、便宜的に、カテゴリーを2つにして帯グラフを作成した。随分印象が変わると思うが、いかがだろうか。

それ以前に、メールの頻度に関して、何故このような階級分けをしているのか、全く意味が解らない。何故、「20通以内(この”以内”というのもよく解らないが)」の次が、「50通以内」なのか。

▼メール族の生い立ちと家族(P134)

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ゲーム族やネット族が「親に認めてもらいたい」と考えているのに対して、メール族は「友達や先輩」と答える率が高く、「親」を逆転している。(P135)

この節、「甘やかされて育ったと思う」という問いに、メール族(今更だが、「○○族」の定義は不明)の約45%がいいえと答えた事から、「メール族は親に甘えることができなかったと感じている子の割合が図抜けて高い」(P134)としているが(他に、「ほめられるより叱られることのほうが多かった」と回答した頻度が高いとしている)、「甘える」と「甘やかされる」は、異なる概念であろう。

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メール族の保護者に対するアンケートによると、小学生までに愛情不足の時期があった子どもは、「メール中毒」になりやすい傾向がみられた。(P137)

※縦軸の説明が切れているが、「就学前」である。

このグラフ、目盛りの上限が12%である。いかにも、差を強調している意図が見える。そこで再び、別のグラフを作成してみた。

P137b_html_m322f4e5_2

何度も書いているが、サンプルが無作為で無いから、このデータから、検定等によって母集団について言及する事は難しい。出来るとしても、母集団を限定する必要があるだろう。

仮に、これを記述統計的なデータと看做すとすると、調査対象の保護者の回答の構成比、としか見る事が出来ない。そこでのこの程度の差を意味あるものと看做せるかどうか、という疑問が出てくる。

肯定割合が、最大のカテゴリーでも12%以下である。従って、他の選択肢が何であったか、という所について疑問が出てくる。仮に、「肯定」、「否定」の2つであったとすると、全てのカテゴリーで90%近くがこの質問に否定的に答えたという事だから、全体としては極めて親子関係は良好である、と解釈する事も可能である(あくまで仮定)。

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どうでした?

わたし的には、こんなものが本に載り、新聞で紹介され、電子メディアの害悪を訴える著作の論拠とされる事そのものが、信じがたい話であると思うのです。

ここに載せたグラフは、あくまで一部分です。

とにかく、概念の定義が無い。何の何に対する割合かがはっきりしない。解釈が自分勝手。特に、○○族というのは、ゲーム脳や半ゲーム脳に匹敵する不明確さ。

根本的な問題として、このようなデータからは、より大きな集団について一般化するのがほとんど不可能である、と言えます。にも関わらず、魚住氏は全体の傾向であるかのごとく言い、岡田氏は、検定などしてしまっている訳です。

garbage in, garbage outみたいなもので、本来、検討にすら値しないようなものだと思うんですけどね。何故だか、鵜呑みにする人がいる。

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2008年11月 7日 (金)

岡田氏の論拠2

脳内汚染関連のエントリーを続けます。

岡田氏の主張とその論拠について、簡潔にまとめてみます。「▼」の後に、節の見出しを引用し、岡田氏が援用した論拠を示します。

▼覚醒剤の静脈注射にも匹敵(P46)

テレビゲーム中のドーパミンの分泌を調べた研究。ゲームプレイによるドーパミン放出の増加が、覚醒剤(アンフェタミン。0.2mg/kg)の静脈注射時と同等。

論拠

  • M.J.Koepp et al., "Evidence for striatal dopamine release during a video game"(nature 1998)

▼ゲーム・ネット依存は治療の対象となる病気(P52)

マレッサ・オルザックやキンバリー・S・ヤングらの診断基準を紹介。ゲームやネットの依存を治療するクリニックの増加を指摘。

論拠

  • K.S.Young, "Internet Addiction: The emergence of a new clinical disorder" CyberPsychology and Behavior, 1 (3) 1998

▼各国のゲーム、ネット依存の調査(P61)

イギリス・アメリカ・ノルウェーの調査を紹介。日本での調査として、魚住の調査を紹介。

利用実態や依存症状のみならず、認知の傾向や発達の問題、家庭環境などの背景要因にまで踏み込んで調べた点は、世界的に見ても、非常に画期的な調査である。本人のみならず、保護者からも回答を得ることで、非常に精度の高いデータとなっている。(P62)

論拠

  • M.D.Griffiths et al, "Dependence on computer games by adolescents" Psychol. Rep. 82 (2) 1998
  • A.Johansson and K.G.Götestam, "Problems with computer games without monetary reward: similarity to pathological gambling" Psychol. Rep. 95 (2) 2004
  • 魚住絹代 「メディアの利用状況と認知などへの影響に関する調査」 2005

▼恐ろしい中長期的影響(P64)

 しかし、ゲーム、ネット依存で本当に恐ろしいのは、依存症状よりも、長期間使用を続けた場合の中長期的な影響である。その点も非常に薬物中毒に似る(P64)

一般的な薬物中毒の精神医学的な解説。ゲームによる症状についての具体的記述は無し。

▼テレビが村にやってきた(P81)

テレビによる悪影響の説明。テレビが無い地域にケーブルテレビが引かれた。その前後の変化について研究(タニス・ウィリアムズらによる)。テレビが、特に子どもに悪影響(暴力性を高める等)を与える事を示唆。

▼重要な幼い日の体験(P83)

アメリカのローウェル・ヒューズマンらのコホート研究を紹介。

  1. 8歳までにどれだけテレビを見ていたかによって、30歳までに犯した犯罪行為の程度を予測出来た。
  2. 30歳の時点での攻撃性の強さや犯罪歴は、今の時点より、8歳の時点でどれだけテレビを見ていたかに左右された。
  3. 8歳の時点でテレビをよく見ていた人は、親になったときに、子どもを厳しく罰する傾向があった。

これらが示されたと主張。

論拠

  • L.R.Huesmann et al., "Longitudinal relations between children’s exposure to TV violence and their aggressive and violent behavior in young adulthood: 1977-1992" Dev. Psychol. 39 (2), 2003

▼因果関係の認定と法的規制(P84)

アメリカのブランドン・センターウォールの報告書によって、テレビの発達への影響、攻撃性・犯罪増加との因果関係が示されたと主張。

テレビ所有率と殺人率との関係を示した、何を描いているか非常に解りにくいグラフを載せている(Centerwallの原著のグラフを改変)。

岡田によれば、

 さらにセンターウォールは、さまざまな疫学的データを検証した上で、アメリカで起きる殺人の原因の半分がテレビによると因果関係を断定したのである。(P87・89)

論拠

  • B.S.Centerwall, "Television and violence The scale of the problem and where to go from here" JAMA 267 (22), 1992

▼覇気のない青年(P136)

グラフが紹介されている。魚住の著作(『いまどき中学生白書』)にも同じようなグラフが示されている。同じような種類のグラフがたびたび載っている。

ここでのグラフは、横向きの棒グラフ。縦軸:「1日平均のゲーム時間」、横軸:”「何事にも無気力で興味がわかない」と答えた子の割合”(%) となっている。縦軸は、「まったくしない」、「30分くらい」、「1時間くらい」、「2時間くらい」、「3時間くらい」、「4時間以上」。カテゴリーとして選択させたのか、自由に記述させて階級に分けたのかは不明。ヒストグラムでは無く棒グラフである事から、カテゴリーデータと思われる。「4時間以上」とまとめている所や、1時間刻みである所(何故30分刻みが混じっているのか?)の理論的根拠が不明。

質問に対する回答の選択肢(何件法か、等)も不明。

単純集計の度数分布図で無いのに、棒グラフにしている。従って、%の合計は100にならない。だから、一般的な、相対度数とカテゴリーとの関係を視覚的に把握する図では無く、帯グラフを一部切り出したような図になっていて、非常に紛らわしい(しかも、横軸は、25%までしか目盛られていない)。質的変数同士の関係なので、通常は、帯グラフやクロス集計表(分割表)が用いられる。

以前、魚住の著作を参考に作成したグラフがあるので、再掲する。全然違うグラフだったので、後で載せます。追記:岡田氏の本を元にグラフを作成(クリックで拡大)。グラフの向きを縦方向にしました。

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この右側にあるようなグラフが頻出する。そして、分母が異なるにも拘らず、「○○は□□の何倍」と記述している。意味が無い事は無いが、紛らわしい。

岡田は、このようなグラフを図示し、そこに、検定の結果を示している。多くのグラフの説明に、カイ二乗検定を行ったとある。たとえば137ページでは、有意確率は0.0001とあるが、n=1830と巨大なサンプル。それ以前に、サンプルの無作為性に疑いが持たれるので、検定の結果をどこまで一般化出来るか(目標母集団と達成母集団との違い)は疑問である。

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取り敢えず、前半はこんな感じ。後半は、発達障害との関連等について書かれています。

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2008年11月 6日 (木)

岡田氏の論拠

参考資料として、『脳内汚染からの脱出』に載っている参考文献をメモしておきます(取り敢えず、日本語のものだけ)。WEBに参照出来るページがある場合、リンクを張ります。

○書籍

○報告書、論文

情報メディア白書〈2005〉 情報メディア白書〈2005〉

販売元:ダイヤモンド社
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CESAゲーム白書〈2005〉 CESAゲーム白書〈2005〉

販売元:コンピュータエンターテインメント協会
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CESA一般生活者調査報告書―日本・韓国ゲームユーザー&非ユーザー調査〈2005〉

子どもの放課後改革がなぜ必要か―「放課後の過ごし方」で子どもの人格は変わる? (学級教育の改革シリーズ) 子どもの放課後改革がなぜ必要か―「放課後の過ごし方」で子どもの人格は変わる? (学級教育の改革シリーズ)

著者:明石 要一,川上 敬二郎
販売元:明治図書出版
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テレビ・ビデオが子どもの心を破壊している! (危険警告Books) テレビ・ビデオが子どもの心を破壊している! (危険警告Books)

著者:片岡 直樹
販売元:メタモル出版
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いまどき中学生白書 いまどき中学生白書

著者:魚住 絹代
販売元:講談社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

心が脳を変える―脳科学と「心の力」 心が脳を変える―脳科学と「心の力」

著者:ジェフリー・M. シュウォーツ,シャロン ベグレイ
販売元:サンマーク出版
Amazon.co.jpで詳細を確認する

脳内汚染 (文春文庫 お 46-1) 脳内汚染 (文春文庫 お 46-1)

著者:岡田 尊司
販売元:文藝春秋
Amazon.co.jpで詳細を確認する

脳内汚染 脳内汚染

著者:岡田 尊司
販売元:文藝春秋
Amazon.co.jpで詳細を確認する

悲しみの子どもたち―罪と病を背負って (集英社新書) 悲しみの子どもたち―罪と病を背負って (集英社新書)

著者:岡田 尊司
販売元:集英社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

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2008年11月 3日 (月)

ややこしい

脳内汚染からの脱出 (文春新書 573) Book 脳内汚染からの脱出 (文春新書 573)

著者:岡田 尊司
販売元:文藝春秋
Amazon.co.jpで詳細を確認する

図書館で借りてきて、ざっと再読しました。

やっぱり、ややこしい本ですね。

岡田氏の論は、かなりムチャクチャです。でも、知識に乏しいと、見抜くのはやっぱり難しいかも知れない。ゲーム脳本よりは圧倒的に難しい。

色々ごちゃごちゃ集めて書かれると、尤もらしく見えるんですよねえ。更に、小説風の味付けもしてあり、恐怖感を煽る内容になっている。ややこしい。

この本では、論拠として、大規模な社会調査である(と岡田氏が認識している)寝屋川調査が援用されている訳ですが、それがそもそもおかしいのですね。

岡田氏は、何回も何回も、統計的に有意である事を協調しています。しかも、寝屋川調査のデータを元にした、独立性の検定。そもそも標本の無作為性がとても怪しいのに、検定をして一般化出来るのか、という問題がありますし、また、有意確率を「関連の強さ」の度合として誤認させるような書き方が散見されます。例:「p=0.0000というのは、間違いである確率が十万分の五未満であるということである。こうした強い関連性が、偶然の支配する現実の現象で観察されることは滅多になく、その場合、そこには因果関係が存在することがおおいのである。」(P63)

寝屋川調査では、ゲーム・ネット依存についてのチェックリストが用いられていたそうですが、これも疑問を持つ内容。そもそも信頼性や妥当性が本当にきちんと確認されているのか、というのもそうですが、何よりおかしいのが、その解釈。

そのチェックリストは、全部で8項目。4件法です。一つ挙げると、「ゲームやネットができないことで、イライラしたり、落ち着かなくなることがある。」という質問。回答の選択肢は、「よくある/ときどきある/あまりない/まったくない」という具合。

それで、ですね。「ときどきある」を1点、「よくある」を2点として得点をつける訳なのですが、その解釈が非常に疑問。抜粋しましょう(P65)。

判定基準

0点  依存傾向なし  49.7%が該当
1~3点  要注意  28.6%が該当
4~7点  軽度依存レベル  16.0%が該当
8~11点  中度依存レベル  4.3%が該当
12~16点  重度依存レベル  1.4%が該当

こういう具合です。

これ、おかしいと思いませんか? だって、「ときどきある」が一つでもあれば、「要注意」であると判定されるんですよ。しかもこのチェックリスト、「依存」という精神医学的な概念を調べるものなのです。更に、です。質問項目には、こんなのもあるんです。

止めさせようとしたら、怒り出したり、暴言、暴力になったことがある。

典型的なダブル・バーレルですね。これだと、怒り出したのか暴言を吐いたのか、あるいは暴力に走ったのか、全然解らない。止めさせようとすれば怒り出すというのは、どんなものでも起こり得る訳です。それを、「暴言・暴力」というかなり強い言葉とくっつけている。

こういうのが出てきて、メディアでは数値だけ発表される訳ですね。たとえば、依存の危険がある人が半数もいた、というように。実際岡田氏自身、「逆に言うと、中学生の約半数に何らかの依存症状が認められたことになる。」(P64)と解釈しているのです。「症状」ですよ。そしてその実態は、質問に一つでも「ときどきある」あるいは「よくある」を答えた人が半数いた、という事に過ぎないのです。

岡田氏の著作や主張には、この手の論が散見されます。実にややこしい。

最後に、上で紹介したチェックリストを全部、ちょっと変えて書いてみましょう(P65を元に一部改変して書く)。

  1. ○○や□□ができないことで、イライラしたり、落ち着かなくなる。
  2. 家族や友人と過ごすよりも、○○や□□を優先することがある。
  3. ○○や□□に熱中しすぎて、学校(仕事)のことがおろそかになったことがある。
  4. 時間を決めてやろうとして、守れなかったことがある。
  5. やりすぎて、夜が遅くなったり、朝が起きられなくなったことがある。
  6. していることをごまかしたり、ウソをついたことがある。
  7. やりすぎて、手や目や頭や腰などが痛くなったり、体調が悪くなったことがある。
  8. 止めさせようとしたら、怒り出したり、暴言、暴力になったことがある。

この○○と□□の部分に、ゲームとネットが入る訳ですが……いかがですか? ゲームやネットに限らず、何かを当てはめて、0点を取れますか? 取れなければ、「要注意」だそうですよ。

その前に、「ときどきある」と「あまりない」はどう違うんでしょうね。

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2008年10月25日 (土)

出来るかも?

<大阪・中3ひき逃げ>逮捕の中3女子「ゲームで自信、初めての運転」(毎日新聞) - Yahoo!ニュース

A-WING::Frog is not Blog::リアルだけどリアルじゃないので

情報が少ないので、件の少女について具体的に何か言う、というのは出来ませんが、一般論として。

私らみたいな、ゲームを何十年もやってる人達は、知ってるんですよね。違う、という事を。いかにリアルに近づけるか、というベクトルでもゲームが進歩してきた、メーカーもユーザーもそれを志向した、というのを知っている。

だから、ゲームはリアルを再現しようとする、というのをメタに認識していて、その上で、絶対にリアルとは違う、そこにはどうしようも無い断絶がある、と常に考えてきたんですよね。

グランツーリスモシリーズみたいに、出来る限りリアルなシミュレータを目指すものもあれば、ある種のデフォルメをほどこして「ゲームらしさ」を目立たせ、「ゲームならでは」の面白さを追求する、というものもある。そういうのをひっくるめて「ゲーム」なんですよね。それがその文化の素晴らしい所でもある訳だし。

そういう意味では、少女が至ったような認識は(それが本気かは解らないですが、本当なんでしょうな。取り敢えずゲームのせいにしよう、などという知恵が働くとは考えにくいし、日本でそんな事やっても意味無いし)、まあ、未熟なのだろうな、と。本当にゲームをやって実車を運転したくなる、という人間がいたら、周りが、「お前はアホか?」と言ってやらないといけない訳で。全然違うよ、と。

すごく広く意味を取れば、こういうのも「ゲームリテラシー」と呼べるのかも知れません。

もちろん、私なんかも、別に、最初から理解出来ていたという事でもありませんが。色々学習していくのですね。ただ、今の人達とは、やっぱり状況が違う。※別に、世代の傾向として、どう考えやすいか、と決めているのでは無いです。ゲームは段階的に進歩してきて、ユーザーはそれを見てきた、という事実の話。初めからPSPやDSがあるのと、ファミコンが出てきて狂喜した時代とは、やっぱり違う。

まあ、出来るだけ、楽しみながらも勉強はして下さい、という感じです。

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こういう事件そのものについて。

この手の馬鹿は、ある程度の頻度で現れるものだと思います。事故ったら目立つ、というのはあるのかも知れません。私が高校の頃だったか、クラスメイトの(下の)きょうだいが、やはり興味を持って車を運転してしまった、というのがありましたね。きっかけは色々でしょうが。そんなに珍しい事なのだろうか、と疑問には思います。事故は起こさなかったけど見つかってこっぴどく叱られた、という事例は多そう。馬鹿だけど頻繁に出る馬鹿、という感じかな。

理論的には、ゲームは学習の般化という錯覚を起こさせる場合はあるのかも知れません。ゲームにもよるけれど、「シミュレータと誤認される」、というのは、可能性としては、あり得る。別に、絶対運転出来るかも、なんて思わなくても、ひょっとしたらいけるかも……なんて事は、まあ、あるかもね。

リズムアクションをやって楽器演奏出来るかも、と思うようなものですな。学習の般化というのは、構造が似通っていれば起こるのだろうけれど、それでも別物な訳で。別物だから別物ならではの楽しみがある、という認識を持つのがゲーム好きだったりしますが。

ただ、リズムアクションと違うのは、対象が実車である事。これはもう、ゲーム云々というよりは、あんな物体をコントロールする事そのものへの「恐怖」を覚えなくちゃならないと思います。そういう意味で、基本的な想像力の問題のようにも思います。まあ、ゲームを否定する人なら、ゲームがその想像力を欠落せしめたのだ、と言いそうですが。もちろんそんな話はナンセンスですけど。

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君は、ゲームをやって車を運転したくなったの? うん、馬鹿だね。その馬鹿さ加減が人を殺すかも知れないんだよ。

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2008年10月21日 (火)

Usain Boltとゲーム。関心持たないときちんと解らない

月刊『秘伝』の高岡英夫氏の連載に、面白い事が載っていました。なんでも、北京オリンピックで超活躍したウサイン・ボルト選手がゲーム好きとか。

で、私はそれは初耳なので、ちとググってみたところ、このような記事が⇒趣味はゲーム ボルトの素顔  - MSN産経ニュース

ほうほう。かなり好きなんですね。それにしても、これは興味深い。今存在する人間の中で、恐らく最高度の身体運動を体現しているボルトが、デジタルメディアの象徴であるコンピュータ・ゲームを愛好している。実に面白いではありませんか。

さて、高岡氏は基本、ゲームには否定的なので、秘伝誌の記事でも、ゲームの効用を最初に説明しつつ、後半ではゲームの悪影響について書いています。つまり、ゲームは一般に、大きく身体を動かす文化では無いが故に、身体を拘束する方向へ促し、それが心身に悪影響を与え、昨今問題視されている、というもの。

しかしこれは、実に惜しい理解なんですね。要するに、「問題視」されている事は、実際に悪影響があるかどうかとは、一応別の話なのです。

私は、高岡氏のゲーム批判論の一部には賛同している者です。すなわち、ゲームは一般に身体をあまり動かさないものだから、それは身体を固める方向に作用し、心身に好ましく無い影響を与える「可能性がある」、という部分。これ自体は、ゲーム文化の構造を踏まえた理論的考察なので、全く的外れ、という訳ではありません。

しかしながら、この後が問題。高岡氏は、昨今の社会問題の要因の一つとしてゲームを捉えていて、それが問題視された事も指摘してるのですが、その部分に関しては、事実を捉えていない、と言えます。一部の論者が言うようには治安は悪化していないし、ゲームの心身への強い悪影響が確認されている訳でも無い。「問題視」している意見の多くは、直感による不公平なゲーム論を展開しているのであって、エビデンスに乏しい。ゲーム脳や脳内汚染の欺瞞は言わずもがなです。

結局、高岡氏ほどの洞察力をもってしても、よく知らない文化について正確な分析は出来ない、という事なのでしょう。考えてみれば当たりまえですが。洞察力に優れているが故に、よく調べずに理解出来たように錯覚する、というのもあるのでしょうね。

科学的な実証、つまりエビデンスの重視、というのも、ゆる体操方面では意識しているようですが、ゲームに関してはそれが出来ていない。

もちろん、身体を動かさない方向へ促す、という面は、よく考えられてしかるべきで、私はそこには賛同します(このブログでもよく書いている事です)。件の記事に書いてあるゲームの効用についても、なかなかに鋭いとは思います。だから、「惜しい」訳ですな。

考えてみれば、運動も度を越せば身体を壊すように、何事もやり過ぎは良くない、という話です。一種のトートロジーですが、それをきちんと理解していないで、リスクを直感によって過大評価する、というのがしばしば見られます。つまり、ちょっとやれば「やり過ぎ」という風に、勝手に決めているんですね。リスクが大きいのだから短時間でも害になる、という直感に基づいたロジック。

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2008年10月 5日 (日)

ゲイムと学術

アルファさんのブログ経由で⇒ゲームとアカデミーの素敵なカンケイ(第1回)――東京大学 大学院情報学環 馬場章教授 (1/4) - ITmedia +D Games

良記事。

日本では、ゲームというのはあくまで娯楽であって、文化的(象徴的な意味で)、あるいは学術的研究対象としては見られない、というのがあるかも知れません。

それは、対象を無闇に高級なものと看做して特別視するというのを防ぐ事が出来るという反面、文化として見縊られる、もしくは軽く見られる、という事も起こるのでしょう。

コンピュータゲームという文化は、制作に携わる人間の数、投入される資金、産業としての巨大さ、等を考えるともはや、単なる娯楽には収まらないものとなったと言えます。金も人も、才能も動いて、注がれる訳ですね。

ゲームというのは言わば「器」だから、いかにも典型的な娯楽目的のようなものから、芸術作品と呼べるものもあり、また、直接的に教育目的を持つシリアスゲームのような分野も出てきました。従って、これらのあり方を総合的に分析・記述する必要があるでしょう。それには当然、広く学際的な視点が要求されます。

ゲームの学術的研究というのは、まだポピュラーな分野では無いと思いますが、今後益々発展していくと良いですね。

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2008年10月 2日 (木)

ニコニコにゲーム脳

こんな傑作が⇒ゲーム脳とは (ゲームノウとは) - ニコニコ大百科

誰かニコニコでゲーム脳関連の動画なりをアップしないかなあ、と思ってたのですが、大百科に出てくるとは。GJ。

やる夫(あき夫)の説明はかなり上手い。

て言うか、よく調べてるなあ…。これだけ情報を網羅しているって、なかなかですよ。もしかしてゲイムマンさんじゃないか、なんて。

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2008年9月30日 (火)

ゲームの効果とゲームに対する印象について

ゲーム関連記事2つ。

テレビゲームは子供に良い影響を与える6割。理由は家族で楽しめる6割:マーケティング - CNET Japan

テレビゲームは子供に良い影響を与える6割。理由は家族で楽しめる6割 - アイシェア リサーチ(詳細はこちらを)

マーケティング会社によるアンケート調査。対象は、会員704名。

パネル:無料メール転送サービスCLUB BBQの会員
※携帯電話個人認証を利用し個人を特定したパネル

内容は、ゲームの印象について。教育(知育)に役立つか、など。

まあ、ここから特には、一般論は導けないでしょうね。なぜか『AFRIKA』に注目している人の割合が多かった、とかくらいしか。私ならレイトン教授を挙げるかな。

任天堂の『脳を鍛える』で、算数成績が50%アップ:調査結果 | WIRED VISION

ICT in Education - Dr Kawashima's Brain Training - Outcomes and evaluation(調査結果のページへリンク)

脳トレ系のゲームによる効果についての研究。

WIRED VISIONのタイトル、「算数成績が50%アップ」となっていますけれど、これは、

そして「脳年齢チェック」と称される一連のテストを毎週やった生徒の成績は最大で50%ほども上がっていた。

とある通り、最大で、という事ですね。ちと紛らわしい(任天堂のゲームをやらせた群の平均値は、76/100→86/100)。元々のスコアは何点だったのかな。

果たして、はっきりと効果がある、と言っても良いものかな、という気もしますけれど、どうでしょう。個人的には、統制群のSelf-concept questionnaireのスコアの下がり方が興味深いな、と。算数のスコアの変化よりも、こちらが面白いかも。算数に対する印象の変化なんかを調査するのも良かったかも知れませんね。ゲームをやる事による算数的能力の学習効果と、テストに対する抵抗感の軽減のような効果が考えられると思います。

各群は、学校ごとに割り当てているんですね。

ところで、「Brain Gym」というのを知らなかったので、ちょっと調べてみたら、色々出てきたんですが、これってどういうものなのでしょうか。よく知られたメソッドなのかな。

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2008年9月18日 (木)

ゲームが社会性を…

メモです。

「ゲームは子供の社会性をはぐくむ」 米社会調査機関が報告書発表 - MSN産経ニュース

・データは社会調査的なもの。観察や実験では無く、電話での聞き取り調査のようである。

・攻撃的になる場合もあるが、それを注意する事でコミュニケーションする、という面も見出されたようだ。

・「慈善事業に寄付」を一般に向社会性の指標として捉えるのは妥当だろうか。

・聞き取り調査であるから、質問紙調査とは若干状況が異なると考えられる。質問者の違いによって、答え方も変わる可能性がある。

・サンプリングは適切か。もし適切さを欠いていれば、一般化は出来ない。また、割合の比較も慎重に行われなければならない。適切だった場合でも、割合の比較は、統計的推測の文脈になると、誤差を考慮するべきだから、数値をそのまま比較してもダメ(推定や検定を考える)。

・ジャンルの違いはどれくらい考慮されているか。

・プレイ時間はどれくらい考慮されているか。

こういう結果自体は、社会心理学的研究で見出されているものと同じですね。調査デザインが適切ならば、ゲームの好影響の傍証の一つ、として捉えられるでしょう。

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2008年8月29日 (金)

ゲーム脳Q&A:補足

ゲーム脳Q&Aの各回答について、補足。

このQ&Aでは、なるべく噛み砕いた説明を心掛けましたが、普段ニセ科学論で用いられる概念、あるいは他の色々な分野の術語とどう対応しているか、というのを書いてみます。

ゲーム脳とは、どういう意味ですか。

森氏はそれを、ゲームを長時間やることによる、人間の脳の前頭前野という場所のはたらきが低下してしまった状態前頭前野の機能低下、と説明しています。それによって、物忘れが激しくなる、すぐ感情を爆発させる、無気力になる、などの悪い影響心理学的な影響が起こる、と森氏は言っています。そして森氏は、その状態を、自分が開発に協力した脳波を測る機械脳波計(その精度には疑問がある)によって知ることが出来る、としています。

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ゲーム脳説は科学的に正しいのですか。

科学では、こうではないか、という新しい考え新奇の理論や仮説が出てきた場合、実験や観察、調査など様々な研究方法によってデータを集めて、それを処理適切なデータ解析することによって、その新しい考えが当たっているかどうかを確かめていきます。そして、研究をまとめたもの(論文)が審査査読され、審査に通ったものが、他の科学者などによっても同じように確かめられます追試。それで同じような結果が出た場合再現性、目新しいものであったその考えが、初めて科学の理論として認められます。ゲーム脳の考えは、そういう進め方が不充分で、きちんとした論文も無く、他のほとんどの科学者や研究者からは、理論としては認められていないのです。

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じゃあ、ゲーム脳はない、ということなのですか。

上で、ゲーム脳の意味はどういうものか、という質問がありましたが、本当は森氏は、「ゲーム脳がどういうものか」、その言葉の意味を、はっきりとさせていません。術語の定義の不足

どういうことかというと、森氏は、「前頭前野のはたらきが低下」とは言っていますが、それがどのくらい低下するのか、それをどうやって確かめることが出来るか、物忘れが激しいとか無気力になる、というのをどうやって調べるか、などについて、ほとんど何も書いていません。そして、それがどのくらいであれば「ゲーム脳」と言うのか、についても、はっきりとさせていません。定義・作業仮説等の不足

つまり、「ゲーム脳」という言葉が何なのか、が実はわからないのです。ですから本当は、あるかないか、自体が言えない、となります。つまり、問いの立て方の段階で誤っている

結局、ゲーム脳があるかないか、という前に、言葉の意味がちゃんとわからないので、科学として確かめようがない、と言えるのですね定義不明なので検証や追試・再現が不能。ですから、ゲーム脳説は、まず考えの出し方、確認の仕方の段階で間違ってしまっている、と言うことが出来るのです。

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「前頭前野のはたらきが低下している状態」を、確かめることは出来るのでは。

その通りです。前頭前野のはたらきが低下するとはどういうことか、とか、それをちゃんと測定出来るか、と考えて、実験や観察をしてみれば、色々な結果が得られるわけですね。前頭前野の機能低下というのは、生理学的現象なので、実現し得る。よって、神経科学的研究により検証可能

でも、前頭前野のはたらきを調べるのは、「ゲーム脳」についての話とは違う、という所に、注意しなくてはなりません。「ゲーム脳になる」、と「前頭前野が機能低下する」、はイコールでは無い。下でも説明

元々、「ゲーム脳」という言葉は、森氏が作ったものです。ですから、森氏がきちんと、この言葉はこういう意味ですよ、とはっきりさせなければならないのですそもそも森氏の造語なので、きちんと定義されねばならない。ところが、前の回答にもあるように、森氏は、それをやっていないのです。ある所では、単に前頭前野のはたらきが低下している、と言っていて、別の所では、すぐにキレるとか物忘れが激しくなる、という行動の傾向のことを指していて、また別の所では、森氏が開発に協力した機械によって出されたグラフの形の一つのことを指す、と言っている場合もあります。概念をきちんと設定していないから、多義的になり、恣意的に用いる事が可能になってしまう

つまり、実は、「ゲーム脳」イコール「前頭前野のはたらきが低下すること」、ではないのです。ですから、「ゲーム脳が正しいか間違っているか」イコール「前頭前野のはたらきが低下しているかどうか」、というわけでも無いのですね。生理学的な状態とイコールで結び付けてはいけない。その典型が、森氏の論を無視して「ゲーム脳はあるかも知れない」と語る類の主張。これは議論を混乱させる

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ゲーム脳と認知症は同じものなのですか。

森氏は元々、認知症について調べていたそうです。そこで、認知症の人はある特定の「脳波」を出すことを見つけ、脳波によって認知症を見分けることが出来ると考えて、研究したと言います。その中で、ゲームをやっている人にも同じような脳波が出てくるのを見つけ、そこからゲーム脳という考えが出てきたようです。生体信号のパターンから認知症を見分けるという研究の過程で、ゲーム脳という考えが出てきたようである。しかし、そもそも、その認知症に関する研究自体が、確立された理論では無い。以下で説明

でも、ここにはいくつかの問題があります。まず、「脳波」で認知症の見分けがつく、という方法自体が、広く認められているものではないことです。脳波で認知症が見分けられるなら、認知症の人はその脳波が出ていて、それ以外の人は出ていない、となっていなければダメですよね。そうでないと、認知症の人にも出るけど他の人でも出る、となって、結局、認知症の人を見分けることが出来ない、と考えられます。そして、実はその通りで、森氏の方法で、認知症の人をきちんと見分けられる、というのは、科学としてちゃんと確かめられていないのです。認知症以外の人でも同様の信号が見出されるならば、それは認知症診断には役立たないというのを意味する。逆に言えば、認知症以外の人にはそのような信号が現れない事をきちんと確認しなければならない

ですから、そういう方法でゲームをやっている人の脳波を測るやり方そのものが、実は誤っているのです。

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ゲーム脳を信じることにどんな問題があるのでしょうか。

ゲーム脳は、あると確かめられたものではない、その前に、それがどういう意味かもよくわからない言葉です。ですから、それを使って誰かをゲーム脳だと決め付けることは出来ない、ということです。そもそも定義が無いので、誰かをゲーム脳と判断する事自体が不可能である、という事

たとえば、何か問題行動を子どもが起こした場合、本当は別の原因があるのに、そこに目を向けさせずに、ゲームのせいにしてしまって、問題の解決が遅れたり、逆に悪化してしまうこともあるでしょう。たとえば親子関係であったり、学校での出来事が関わっていたり。それを見過ごしてゲームに注目してしまう危険性がある

お医者さんは、色々な所を診て、機械を使った検査をしたりして医師による総合的な医学的判断と、人間の観察では不可能な、精度の高い診断、よく考えながら、どういう病気かを判断して、より良い治療法を選んでいきますよね。それは、もし病気を見誤ったり、適切でない治療法を選んだりしてしまったら、大変なことになるからです。それを考えると、意味もはっきりとしてなくて、他のほとんどの科学者や医師に認められていないゲーム脳というもので軽はずみに判断してしまうのが、どれほど怖いことかが、よくわかるのではないかと思います。誤った判断によって原因をゲームと決め付けた場合、状態が悪化する虞もある

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森氏のゲーム脳の考えがもし間違っているとしても、子ども達のテレビゲームのやり過ぎを止められるならよいのではないでしょうか。

ここまでの回答で説明してきたように、森氏の考えは、最初の所で誤ってしまっているものです。ですから、ゲーム脳という言葉を使ってゲームを止めさせるのは、ウソをついて止めさせている、といえるのです。実態があやふやなものを用いて止めさせる

たとえば、とても小さい子どもに、ちょっとした迷信みたいなものを使って、やってはいけないことを教える、というのはあると思います。でも、ゲームの場合、それはこの世にいないものでもないし、それが好きでやっている人は、沢山います。ゲームをやるとゲーム脳になる、と言ってしまうのは、その人達に対しても、とても良くないことです。たとえば、ご自分が好きなものを思い浮かべて、それが悪い影響を与える、と証拠もないのに言われてしまった、とイメージしてみて下さい。そんな理不尽な話はありませんよね。ゲーム脳を使ってゲームを止めさせるのは、そういうことなんですね。ゲームは娯楽であり、一般に広く普及しているものである。よって、「ゲームをやっている人間は危険だ」、などの先入観(社会的認知)を広く形成する虞がある。ゲーム悪影響論一般なら考慮の余地があるが、ゲーム脳は立論の段階で誤っており、しかも極論であるので、極端なゲーム嫌悪を呼ぶ可能性もある。当然、根拠が無いにも拘らず非難するというのは、行ってはならない

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ゲーム脳を批判している人は、自分がゲーム好きだからそうしているのではないでしょうか。

ゲーム好きの人のほうが、ゲーム脳にも興味を持ちやすい、というのはあるかも知れません。それを考えると、ゲーム好きだからゲーム脳を批判することはありますゲームに興味を持っている人の方が、ゲームを非難する説に敏感になるというのはあるし、愛好しているものをけなされるのだから、反論を表明するのも多いと思われる。前の回答にもあるように、自分が好きなものが証拠もないのに悪いと言われているので、「それは違うよ」、と言っているのですね。

もちろん、中には、きちんと考えずに、自分が好きなものがけなされているから、という理由だけで、ゲーム脳を批判する人もいるかも知れません。色々な人がいますからね。愛好しているものが非難されているという事実そのものを、深慮する事無く否定する。対象が何であれ、そういうのは起こる

でも、ゲーム脳の考えが批判される一番の理由は、それがとても矛盾していて、きちんとした根拠がないからなのです。ですから、ゲームに関心をほとんど持たない人がゲーム脳を批判することもあるのですね。ゲーム脳が批判されるのは、その論が整合していないから。だから、ゲームをやらない人も批判を行う。陰謀論的反論としては、ゲーム会社から金を貰っているのだろう、というのが考えられるが

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ゲーム脳を批判している人は、テレビゲームをやり過ぎても悪影響はないというのでしょうか。

これまで説明してきたように、ゲーム脳が批判されているのは、説明が矛盾していたり、データのとりかたや見かたが誤っていたりするからです。ゲーム脳は、「ゲームをやり過ぎると悪影響がある」、とは同じ意味ではありませんし、ゲーム脳を批判しているからといって、「ゲームに悪影響がない」と言っている訳ではないのですね。

ゲームが悪影響を与えるかどうかは、色々な分野で調べられています。もちろん、きちんと研究して悪影響が確認されれば、それについて対処をするべきです。大切なのは、きちんと研究していかなければならない、ということで、ゲーム脳はそれが出来ていないから、批判されているのですね。

ゲームがどのように人間に影響を与えるかについて、お茶の水女子大学の坂元章氏が、とてもきちんとした研究をしています。

たいていのものごとには、良い面と悪い面がある訳ですから、それを両方きちんと考えていかなければなりません。つまり、ゲームに悪影響論があるかどうか、という問いと、ゲーム脳説は正しいか否か、という問題は、一応別の話である、という事。ゲーム脳は決して、「ゲームは心身に悪影響を与える」、などという一般論的概念では無い

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ゲーム脳を批判したいなら、森氏のように実験でデータを集めてからやるべきではないでしょうか。

科学では、新しい考え方や、それまでの考えと異なる理論を思いついた場合には、言い出した人に、それを確認する責任があります立証責任(挙証責任)。そうでないと、どんな突拍子もないものであっても、他の人がわざわざ、初めから確認しなくてはならないからですね。新奇な説を一々積極的に検証したのでは、コストが膨大になり、リソースの無駄遣いである

ですから、言い出した人がまず、きちんと実験してデータをとって、それをちゃんと処理して、論文を書く必要があります科学研究の土俵に乗せる。そして、それが審査されて、実験の方法はきちんとしているか、とか、それまでに見つかって正しいと考えられている理論と矛盾しないか、というのが確かめられなくてはなりません査読者による審査。さらに、審査に受かったものが、他の科学者によって本当かどうか確かめられて、そうして、どうやら本当のようだ他の科学者による追試。再現性の確認、となって、科学の理論として認められていくのです。これが、科学の研究の進め方です。

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テレビゲームはまだ新しい文化で、登場してからの歴史は浅いです。悪影響がないとは言い切れないのではないでしょうか。

確かに、テレビゲームの歴史はまだ浅く、内容がどんどん変わっている文化です。わずか30年足らずで一応、日本で爆発的ブームになった、ファミコンの誕生辺りの時期を想定、ファミコンからプレイステーション3まで、発展をしてきました。ですから、それがどういった影響を与えるか、という所を調べる研究は、今も続けられていますし、これからも続けていくべきことです。

また、テレビゲームは、どういう影響を与える、と言い切るのが難しいものです。なぜかというと、「ゲーム」には、色々なジャンルがあって、流行っているジャンルやソフトも変わっていって、映像の細かさや描き方の方向性、また、コントローラの形や仕組みも、めまぐるしく変わっていくものだからです。ですから、色々な角度から、慎重に研究をしていかなければならないのです。コンピュータ・ゲームは総合文化的なものだから、学際的に考究しなければならない。入力デバイスにしろ、出力される映像・音声にしろ、技術的な発展に従って変容していくものなので、変化を捉えつつ継続した研究がなされる必要がある

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ゲーム脳を批判している人は、子ども達がテレビゲームをやりすぎてもいいというのでしょうか。

もちろんそうではありません。ゲームは楽しいし、つい夢中になってしまいます。それに熱中して、他のことをやらなくなってしまうと、それは困ったことになるでしょう。そうならないようにしていくべきです。あらゆる文化について、「熱中」のプロセスについて考えていくべき

ですが、ゲームには有効な面もあります。それを通してコミュニケーションを深めたり、とても優れた作品に触れることによって感動する、というかけがえのない経験をすることもありますゲームの臨床的側面、芸術的側面。あるいは教育に応用するという観点もあるだろう(シリアスゲームなど)。なにごとにも良い面と悪い面の両方があって、それをきちんと正しく見ていかなければならないのですゲームというのはメディアだから、メディアそのものの特性とコンテンツの構造を共に見なくては、誤った分析に陥ってしまう。ゲーム脳は、そういう考え方を無視して、ゲームを根拠もないのに悪者にしてしまうものですゲーム脳は、コンピュータ・ゲームの総合的で多様な側面を捨象してしまう論である。これは、ゲームが好きな人にとってもそうでない人にとっても、不幸なことです。ですから、ゲーム脳を批判するのは何も、ゲームをいくらでもやっていいじゃないか、と言いたいからではなくて、ゲームには良い面もあるのだから、ちゃんと理解しながら付き合っていくのが、より良いやり方なのではないか、という考えからなのです。

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2008年8月23日 (土)

ゲームとの付き合い方

先週アップしたはずの記事が、投稿時刻の設定ミスで、上がって無かったようです…。

えっと、今週の日曜に上げるはずだったものかな。

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テレビ観てたら、NHK教育テレビ「土よう親じかん」 子育て応援番組という番組で、ゲームの特集をやっていました⇒土よう親じかん - 過去の放送 -

途中から観たのですが、結構良い構成だったかな、と感じました。よく付き合い方を考えていきましょう、という。細かい所で、それはどうかな、と思う部分はありましたが、まあそれは、見え過ぎるから気になるんでしょう。全体的には、良い番組だったんじゃないかな、と。

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2008年8月18日 (月)

手の表情

ゲームやってて思うのは、中手骨の運動も再現出来るようなモデリングをゲームでもやれば、「手の表情」が表現出来て、よりリアルな演出が可能なんじゃないかなあ、という事。

手というのは、「ひしゃげる」ような動きが出来る訳ですが、ゲームなんかでは、一枚の板のようなモデリングになっているのが多いようです(モデリングは細かくされていてモーションが付いていないだけかも知れないけれど)。

で、最近の3DCGは、かなり精密になっているから、手の辺りだけ「浮いてしまう」んですよね。

まあ、素人的にはそういうのを思うのですが、これは、処理的に大変だったりしてそこまで手が回らないとか、コスト的な問題だとか、そういう事なのかな、と推察します。
でも、最近は顔のモーションキャプチャなんかもやってますし(顔のモーションといえば、額の皺をテクスチャじゃ無く再現しているのがあって、結構驚いた)、手の動きを再現するのも、難しく無いんじゃないかなあ、なんて感じたりも。

視線とかを含めた顔の表情も大事ですが、手も相当物を言いますからね。

と、こんな事をよく考えるのですが、専門分野(3DCGとかゲームとか)では、ここら辺はどういう風に捉えられているのでしょうね。

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2008年8月10日 (日)

ゲーム脳Q&A:一応完成的な

ゲーム脳Q&A

誤記や文の整合性の不備の指摘を頂いたり、アクセシビリティについてアドバイスを受けたりして、何とか見られるようになったと思います。

まだ一部のブラウザで(と言うか、IEエンジン以外全部なんだけど…)、リンクで無い所に下線が出たりしますが、閲覧に大きな支障は無いかと思われます。

一応、Opera、sarari、Sleipnir、Lunascapeで確認しましたが、特に問題はありませんでした。

ブログに追加しました↓

  • 右サイドバーの、”ニセ科学関連リンク―各論:ゲーム脳”にリンク追加。
  • 右サイドバーに、マイリスト「ゲーム脳Q&A」を追加。

メールやコメント欄でご教示下さった皆様、本当にありがとうございます。とても助かりました。改めて、お礼申し上げます。

もし読む価値が認められる、と思われたら、広くご紹介して頂けるとありがたいです。

一応、コンセプトとしては、

  • なるべく噛み砕いて説明し、一般に聞き慣れないような言葉は入れないよう努めた。
  • ゲーム脳がいかに誤ったものか、というのを強調するよりは、なるべく淡々を事実を記述する事にした。
  • 情報は最小限にした。とにかく、「読み進められる」ように配慮した。
  • ゲーム脳の批判と共に、ゲームの悪影響を単に否定する訳では無い事を併記した。
  • 悪影響を云々するなら、正しい手続きに則って行うべきである、というのを説明した。
  • 「科学の手続き」を、なるべく日常的な言葉を用いて説明した。
  • 「ニセ科学」という言葉を一切用いないようにした。
  • ニセ科学という言葉を用いてはいないが、その概念を理解してもらうように書いた。つまり、
    1. 科学の手続きを説明し、ゲーム脳はそれに従っていない事を解ってもらう。
    2. そして、(この文書を読む人は、恐らくゲーム脳が流布されているのは知っているはずだから)「科学には標準的な手続きがあるがゲーム脳(森氏)はそれに従っていない。しかし、ゲーム脳は実証された説であるかのように流布されている」、という所を認識してもらうのを期待して書いた。
    3. そうすれば直観的に、「実証されていないのに実証されたかの如く流布されている主張」が存在する事に気付けるはずだと考えたからである。そしてそれは、即ち「ニセ科学」の概念である。

こんな感じです。

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2008年7月25日 (金)

今更

ここ数ヶ月の間に、産経・読売・毎日の各紙で、ゲーム脳説が紹介されました。いずれも(書き方に違いはあるけれども、ある程度傾向は一致していると言えるでしょう)、それが、他の科学的な仮説や実験研究と同等であるかのような、紹介の仕方でした。

これは実は、かなり異様な事であると言えます。

ゲーム脳は、そもそもニセ科学です。つまり、きちんとした研究を行ってすらいないのに、実証されたと言っているものです。研究は妥当だろうけれども主張が行き過ぎている、というものでも無いのです。あらゆるレベルで、科学的には「説」にすらなっていないもの。それを、中立・公平を努めようとしているのか何なのか解りませんけれど、「批判もある」、というかたちで紹介しているのです。これは、明確に「間違っている」と言える。

ゲーム脳は、ちょっと調べれば、実態が解るものです。それこそ、早ければ数十分で気付けるような代物。いや、気付かなくてはならない、と言った方が良いでしょう。何といっても、新聞記事なのですから。

ゲームの影響について、本当に中立・公平に論じたいのなら、ゲーム脳を持ち出すのは、筋が悪いのです。これは、かなり穏当な表現ですが、率直に言うと、調べるのをさぼっている、あるいは、一定水準以上の能力を持っていない、という事でしょうね。それを言い切って良いほどのものなのですよ、ゲーム脳というのは。

このような主張を、ゲームを擁護したいがための意見だ、と読むのも自由ですけれど。目を逸らせば楽だから、勝手にそうすれば良い。間違っているものには間違っていると言い続けます。まあ、文字通りにとれば、私は「ゲームを擁護している」訳ですが。不当に非難されているものを護りたいと思うのは、当たり前の心理です。

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2008年7月24日 (木)

また毎日か

27 毎日のゲームと子ども3 - アルファ’s blog(仮

新教育の森:子どもとゲーム/3 脳への影響は未解明 - 毎日jp(毎日新聞)

アルファさんのブログにコメント入れようと思ったのですが、毎日の記事への意見として、エントリーにします。

専門家の意見を都合良く持ってくると印象が誘導される、という良い(悪い、か)例ですね。

小泉氏の意見の部分には、「3.熟達化によって熟考の必要が無くなった段階」(1と2はアルファさんのブログを参照して下さい)、という読み方も出来る訳ですが、それは、ゲームをある程度知っている人でないと読み取れない部分ですよね。知らない人は、ゲームは概ね熟考しない、と言っているようにも見える。

津本氏の場合は、「相手の表情等を見ないコミュニケーションが発達を遅らせる可能性がある」、という一般的な論理から(これはある程度妥当だと思います)、ゲームもそういう可能性がある、と言っている訳ですね。この意見自体は、それほどおかしなものでは無いと思いますが(可能性がある、という意見なのだから)、しかし、この文脈で書かれると、「流れ」で読んでしまう。それに本来、ゲームはコミュニケーションツールでもある訳ですね。複数でやるゲームなど、いくらでもあるのです。もし、一人遊びが出来る可能性があるものの悪影響を言う、という事なのであれば、読書等も同様に捉えるべきなのですし。

それにしても、ゲーム脳をまた紹介するとはね。ニセ科学ですよ、あれは。記者は、そのニセ科学性に対して、あまりに素朴過ぎるでしょう。

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2008年7月22日 (火)

記事の見方

Interdisciplinary: 子どもとゲームと親の続き。

PSJ渋谷研究所X: 子どもとゲーム:実は「ゲームが問題」ではないことも-1

大変丁寧な読み解きだと思います。皆さんも読みましょう。

私が思うに、ゲーム脳を、「批判”も”ある説」として紹介するのは、100mで14秒台しか出ていない選手を、オリンピックに出られるぎりぎりの所にいる選手かのように紹介している、ようなものなのですね。そういう人を、「うーん、もう少し調整が進んでコンディションが良ければ、オリンピックも夢では無いのでは」、と紹介するようなもの。だから、そこはしっかり書く「べき」。ゲーム脳というものを紹介するのであれば。

新聞記事の評価は、2つの見方があると思います。

一つは、現状を鑑みて、どれくらいの仕事をしたか、という所。ある状況における相対的な評価、とでも言いましょうか。つまり、他の新聞記事がろくでも無い屑のような記事を書いている今の状況から考えると、バランスを取ろうという書き方が見えて、頑張っていると評価出来ます。

もう一つは、世間に情報を周知する、というメディアの基本的な役割を考えて、最低このくらいはやらなくてはならない、というラインを越えているかどうか、という見方。ゲーム脳の場合だと、それが全く考慮に値しない愚論だという事を正しく伝えるか、という所ですね。

また100m走の喩えを出すと、前者は、他の人達が11秒台で走っている所、10秒31を出した、という感じですね。当然、新聞記事のレベルとしては、10秒を切るかどうか、というパフォーマンスを見せてしかるべきなのですが(2つ目の見方)、現状では他に抜きん出ているからそれは評価しよう、という考え方。

と、そういう異なった評価軸を考えて、今の状況でああいう特集を書くのは興味深いけれども、記事そのもののレベルとしてはそれほど高いものでは無い、というのが、今の私の感想ですね。

後、思うに、「ゲームが脳に与える影響」についてどのくらい調べられているか、というのを紹介する前に、「脳に影響を与えるとはどういう事か」、というのを特集するのも良いかも知れません。新聞記事で、それ自体を検討したり、神経神話批判をするのは、それほど多くは見られない事でしょうから。

それと、ちょっと細かい所ですが。

ゲーム体験が脳に悪影響を与えるなどという学説は存在しない。そのようなことを主張しているのは、森昭雄ただひとりである。その主張も、学説の体を成していない。そのために、森とその主張は批判されている。

「ただひとり」と言うのは、ちょっと難しいですね。「脳に悪影響」、「学説」をどう捉えるか、というのがポイントなのでしょうけれど。脳内汚染なんかは、様々な研究を寄せ集めて適当に解釈し、それを一つの学説のように主張している、というものですしね。意味合いを広くとって、ゲームが脳に悪影響を与える、という趣旨の発言をしている人、あるいは、森氏の主張に賛同する人、と考えると、自分の学説に付随させるかたちでゲームの害悪を唱える人も含まれますね。大友氏なんかは、まさに森氏と軌を一にする人です。

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2008年7月21日 (月)

子どもとゲームと親

亀@渋研Xさんへのレスも兼ねて。

※これは、読売新聞紙上の特集、「子ども――ゲーム」の7/17~7/19分の記事について言及したエントリーです。引用文は、その記事より。

全体としてみれば、確かに、他の同じような記事と較べると、頑張っている方なのかな、と思いました。個人的な感想としては、「それまで不味いものばかり食べさせられてきて、その後で、美味くは無いがちょっとマシなものを食べたら、結構美味しく感じる」、というような感じかな、と。ゲーム関連の記事は、あまりにも不味いものばかりですしね。
書き方としては難しいのでしょうね。不安を感じている養育者の紹介をするのだから、その具体例を書かざるを得ない訳ですが、私などから見ると、それは「不安を煽っている」ようにも感じるんですね。

ああいう記事に関心を持つ人の中には、ゲームに対して漠然とした不安を感じている人も多いでしょうから、果たして冷静に特集全体を見渡すのだろうか、と。

ところで、第一回に、「2才からゲームをしている」という風な記述がありますが、これ、どのくらいの割合なのでしょうね。私としては、2才児がゲームを「ゲームとして」プレイする、というのは、ちょっと考えられないです。ボタンを押せばグラフィックが変化するので、その単純な変化を楽しむ、というくらいのものなのではないかなあ。リモコン押せばテレビが消えるのを憶えて、それを面白がるみたいに。

▼▼▼引用▼▼▼(第一回より)
茨城県土浦市や東京・秋葉原の連続殺傷事件などの容疑者がゲーム好きだという報道を見て、長男の姿に重ねてしまう。現実とゲームの世界の区別がつかなくなり、道徳心が育たないのではないか、と思う。
▲▲引用終了▲▲
ここなんかは、完全に報道の害ですね。現在のゲーム研究の知見から考えても、こういった無根拠な情報による不安を与える方が問題なのでは、と思います。金川はともかく、加藤は「ゲーム好き」と言えるほどかな、という気もしますし。

第二回は、上にも書いたように、論外だと言えます。記事に対する要求水準が高いのではないか、とも思われるかも知れませんけれど、私としては、ゲーム脳を一説として採り上げるのは、陰謀論を、考察すべき興味深い一説として採り上げるのと全く同レベルだと考えているので、そういう評価になります。

榊原氏のコメントは尤もだと思います。
▼▼▼引用▼▼▼(第二回より)
 お茶の水女子大学教授で小科医の榊原洋一さん(発達神経学)は「ゲーム脳の考え方がもてはやされているのは、親が子どもからゲームを取り上げる根拠が欲しかったからではないか。しかし、ゲームをやらせるかどうかは、親の価値観に従って各家庭で決めることだ」と話している。
▲▲引用終了▲▲

第三回、ゲームを持ってない事で子どもが仲間はずれにされる、という可能性について書いてあります。

私は、このロジックがよく解りません。いや、仲間はずれにされる所の懸念が解らないのでは無くて、「ゲーム」の特徴であるかのように言われるのがよく解らない。

子どもは、流行りのものを知らない、所有していない、同じような考えを持っていない、という事で爪弾きにするのは、よくある訳ですね(子どもに限らないけれど)。それは、かなり一般的な事だと思います。
で、ゲーム云々とは直接関係は無くて、もっと一般的な社会心理学的な話ですよね。贔屓とか、その辺の。

まあ、何故こんな事を書くかというと、自分は、ゲーム好きだった事で、物凄く変な目で見られていた訳です。当時は、ゲームばっかりやっているとバカになる、というのが言われていたのですが(これは、ずうっと前から言われていて、最近になってそれが、「脳」への悪影響という具体的な論になってきたのですね)、そういう所から、小馬鹿(これほどぴったりな表現は無いでしょう)にされてきた、という経験があるのです。後、当時の子どもに一般的に人気があったものに興味が無いのを馬鹿にされたり。

昔だったら、(ちょっとステレオタイプ化します)女子だったらアイドルに興味が無いのを馬鹿にされたり、男子だったら野球やサッカーに興味が無いのはダメだと思われたり、というのが、結構あったような。

そういう経験があるので、結局、ゲームがポピュラーになって、状況が逆転したのではないかな、という事なんだと考えています。ゲームがどうこうという問題じゃ無くて、同じような方向性じゃ無い子どもを爪弾きにする心理自体を見るべきなのではないかな、と。
ゲームの普及度から考えると、ゲームを持ってない事で仲間はずれにする、という頻度は高くなると思いますが、それが即、ゲームそのものに内在する問題だ、と言えるかどうかは、ちょっと疑問です。
下手すると、ゲームが薬物と同様の効果を及ぼし、その結果として、ゲームをやらない子どもに排他的になるのだ、という主張も出てきかねません。実際、岡田氏はそれに近い事を言っているのですしね。

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2008年7月13日 (日)

ゲーム性

なんか、「ゲーム性」という概念について、議論的なもの(よく知らない)があったみたいですね。昨日、こちらを読んだのです⇒「ゲーム性」の定義が曖昧になってマジックワード化しているのは、コンピュータゲーム登場以降、そこで動く娯楽ソフトはゲームではないものまで「ゲーム」と呼ばれるようになったからじゃね? - 世界のはて

こういう定義論というのは、とても難しいものがあって、ゲーム性という概念に関しても、なかなか明確な定義は出来ないだろうと思います。現在多くの人の共通認識となっているものか、それとも、用いられ始めた時の意味の分析をするか、というアプローチの違いによっても、見方は変わってくるでしょうし。

まあ、それはややこしいので措いとくとして、ゲームらしいゲームとは - はてなダイアリーの記述にはびっくりしました。

ゲーム性の強いゲーム。

「ゲーム性」の定義は人によって異なるが、ゲーマーと呼ばれる人々の中では『ファイナルファンタジー』や『真・三國無双』などといった従来の重厚長大なゲームを指し、任天堂製のゲームや任天堂ハードのゲームは「ゲームらしいゲーム」に含まれないことが多い。

Touch! Generationsの大ヒットを好ましく思わない一部ゲーマーが、これまでの「ゲームらしいゲーム」の範疇に含まれていないゲームに対して、従来の重厚長大なゲームを強調するために使われるようになった。バンダイナムコゲームス副社長など*1、メーカー側の人間が使用するケースもある。

私の認識としては、こんな定義はあり得ない、と感じました。こういう用法が本当にあるのか、と。

たとえば、ゲーム性に乏しい、と言った場合、それは、高度のグラフィックを用いた映画的演出に大部分を割いた一本道のストーリーのRPGを評価する際などに用いられる表現、だと考えていました。近年のFFなんかですね。少なくとも、「重厚長大」なゲームを「ゲーム性が高い」などと評するのは、聞いた事が無い。私は、最近この概念についてどういう議論がなされてきたのか全く知らないので、本当にそういう意味合いで用いられるかどうかも判らないのですが、もしあるのだとすると、とても違和感のある用いられ方です。どちらかというと、プレイヤーとコンピュータのインタラクティビティに関わる概念だと思います。「操作性」や「ゲームシステム」なんかと繋がる訳ですね。

て言うか、象徴的な物言いとして、最近のスクウェア(スクエニ)のRPGにはゲーム性が無く(乏しく)て、任天堂のソフトにはそれが豊かだ、という見方が一般的だと思ってたんですよ。はてなの記述には、えー、と感じました。

重厚長大なのであれば、「重厚長大」と言えばいいじゃない。何をもってそう評するのかは、さっぱり判りませんが。ゲーム時間の長さ? それとも、ストーリーに関する事? シリアスだとかコミカルで無い、とか。だとすると、「ストーリー性」とすれば良いような。

ちなみに、これは私自身の価値観ですが、私は、ゲーム性の高いゲームが優れたゲームの必要条件とは考えていません。色々な要素を総合して評価されるものであるので、選択肢を選ぶだけのゲームでも、傑作はあるのですから。ある程度複雑なシステムであるが故につまらない、と評価されるものもある訳ですね。で、その評価は、他の部分によって変わってくるのでしょう。グラフィックが優れているとか音楽が良いとか。複雑に絡み合っているのだと思います。

ところで、前に書いたのですが、私は、コンピュータ・ゲームを、相当広い概念として捉えています(定義しようとしたけれど、「ゲーム」を未定義のまま「コンピュータ・ゲーム」を定義するという、物凄く微妙な論考になってしまった。全然参考になりません⇒●Interdisciplinary: ゲームとは何か(1) ●Interdisciplinary: コンピュータゲームの定義 ●Interdisciplinary: ゲームとは何か(2)´ 寿司とゲームのアナロジー´)。ですから、リンク先で言う所の”「コンピュータ上で動くゲームではない娯楽ソフト」”も、コンピュータ・ゲームに含まれると看做します。一応私は、そのような意味合いで「ゲーム」を用います。人によっては、意味が広過ぎると捉えるでしょうね。私はこの場合には、社会的にゲームがどのように認知されているか、という観点で分析しているので、そのような考えになります。

そうすると、「ゲーム性がゼロに近いゲーム」というのも、当然、全く矛盾無く成立し得るのですね。こうなると、「ゲーム」という概念から逸脱するのではないか、という見方も出来そうです。いずれにしても、大変ややこしい問題です。

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2008年7月10日 (木)

確認

改めて、「ゲームの影響」に関して、自分の考えを述べておきたいと思います。

まず、ゲームは人間にどのような影響を与えるか、というのを、時間的な所を無視して一般的に語る事は出来ない、と考えています。何故なら、(コンピュータ)ゲームというのは、一様なものでは無く、様々なジャンルが混在しているものを総合して指す概念であり、さらに、時代によって中身がどんどん変化していくものであるから。例として、「”日本料理”の影響」というのを考えれば解りやすいでしょう。「日本料理」は、色々な料理を総合した概念であり、その内容は時代によって変化していく訳ですね。

従って、ゲームの影響は、と言う場合には、ある時点、あるいは時間的に区間を切り取って評価するのですね。

次に、ジャンルの問題。

ゲームの影響は、と言うのはちょっと単純で、本当は、各ジャンルについて考えなくてはならない。どういうジャンルのゲームはどんな影響を与えるか、という事ですね。で、「ゲームの影響」と一般論的に語る場合には、ゲームのジャンルの構成比や、売り上げの高いソフトのジャンルを考慮する必要がある。再び料理でたとえると、「”日本料理”は塩分が高い」、と主張するような感じです。これは当然、日本料理に含まれるものが全て塩分が高い、と言っているのでは無く、総体的に見てどうであるか、という主張ですね。よく食されている料理に使われる材料の内、味噌や醤油には多く塩分が含まれている、というような前提がある。

本当は、こういう所を踏まえずに、ものは言えないのです。しかるに、ゲーム批判者は特に、中身の多様性と変容の可能性に目を向けにくい。「ゲームは~」と、一般的な所を語りたがる。ジャンルに言及する意見はあるにはあるけれど、どうにも、きちんと調査した形跡が見られません。

再び、ゲームの変容の可能性について。

ゲームが変わっていく、というのは、大きく分けて、グラフィカル的な所と、入力デバイス的な所、そして、ジャンルの構成比を考える事が出来るでしょう。普通は、「音」の影響は、あまり考慮はされないと思います。

グラフィカルな部分では、それがリアルになっていく所への影響が懸念されています。つまり、高度に抽象的・記号的なグラフィックから、具体的・写実的なグラフィックになった場合、心理的な影響の与え方は異なるのではないか、という見方。

次に、入力デバイス。これは、コントローラの形状や、入力する信号の多様性が考えられます。WiiやDSが出てきて、信号入力時の身体運動のあり方も変化してきていて、影響も異なってくるのではないか、という視点です。

最後に、ジャンルの構成比。これは、解りやすく言うと、「何が流行っているか」、という観点です。RPGが数百万本売れているのか、FPSが主流なのか。家族で楽しめるゲームが売れているのか、テキストを読み込んで攻略するタイプのゲームが人気なのか。また料理の喩えを出すと、塩辛いものが好まれるのか、それとも油っこいものか、辛いものか甘いものか。そういう観点ですね。

そういった様々な観点から、ゲームの内容は常に変容する可能性がある、と考える事が出来ます。特定の化学物質の与える影響について考える場合などとは、また異なった問題なのですね。

尤も、ゲーム一般に共通する要素、つまり、ディスプレイを長時間見る事などについて考えるのも可能です。それはそれとして、きちんと研究すれば良い訳ですね。でも、それを「ゲームの影響」と絡めるには、慎重にならなくてはいけない。どのようにディスプレイを注目するか、というのも、ゲームのジャンルや映像の演出効果によって変化するのですから。

ゲームの影響について語る際、極端な条件を前提する人がいるんですよね。暴力ゲームばかりやって云々、とか。そういう場合には、ジャンルの好みにどういう要因が関わってくるのか、という考え方をしなければならないのです。そもそも一つのジャンルに没頭するのは現実にどのくらいあるのか、とかですね。

一部の論者は、暴力ゲームの特性がそうさせる、としている訳ですね。条件付けや覚醒剤のような効果がある、と。それも、他の要因とどう関わってくるか、というのを考察すべきで、それは充分に行われているとは言えないように思います。覚醒剤的な効果、というのは、明らかに行き過ぎた主張です。覚醒剤のような効果をもたらす、と言うのなら、神経伝達物質の分泌の観測だけで無く、行動の観察をするのも重要だと思います。覚醒剤使用者と精神医学的・心理学的な状態が一致するか、という所をきちんと見なければ、ものを言うべきではありません。そして、ゲーム使用時の心理学的な研究は、行われている訳です。

なんにせよ、過度に単純化して考えてはならないのです。単純化したいなら、それを正当化する確固とした根拠を提出するべきです。

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2008年7月 4日 (金)

戯言

秋葉原通り魔事件 ~ 人生はリセットできない / SAFETY JAPAN [松村 喜秀氏] / 日経BP社

本当に下らない記事。戯言です。ふざけている訳では無く本気でこのような言を撒き散らす事に、戦慄を覚える。

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2008年6月19日 (木)

因果関係?

ZAKZAK:“ゲームと無差別殺人”両者に因果関係はあるのか?

もう言っていいですよね。馬鹿であると。

一応書いておきますけど、犯行に至ったきっかけにゲームがなったか、というのは、「解らない」です。そのメカニズムの「解明」が可能なのかすら、解らない(私は不可能だと思っている)。そして、仮に、ゲームが影響を与えていたとしても、「ゲームと無差別殺人に因果関係がある」とは言えない。ものすごいミスリードです、この見出し。

ジャーナリストの井上トシユキ氏

この人も自重しようよ。

ところで、「東方」って、基本的に、シューティングを指すのですよね?(正確には、作品群を表すのかな?)「美少女らがナイフや弾丸を敵に浴びせて倒すゲーム。」なんて表現も、ミスリードだよね。ドラクエを、「剣等で怪物を殺戮し強奪し、他人の家に盗みに入りながら物資を調達していくゲーム」、と言うようなものでは?

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2008年6月13日 (金)

印象を誘導するダメなアンケートの一例

アルファさんに教えて頂きました⇒秋葉原の無差別殺傷事件「銃刀法規制に賛成?」「反対?」 - MSN産経ニュース

ひどいですね。

めちゃくちゃですね。

アンケートフォームはここです⇒産経新聞特集部 私も言いたい

ダメですね。

まず初めに、思いっ切り印象をネガティブな方向に誘導している。

全部回答必須の上、イエスかノーの2択。そして、質問がひどい。

青少年に悪影響があるゲームソフトを取り締まるべきですか

これをノーとは答えないでしょう。悪影響がある、と言ってるんですから。だから、ここに答えられない人は、回答を止めるでしょう。で、1つ回答出来なくなると、全部回答必須なのだから、送れなくなる。そうすると、質問に疑問を感じない「素直」な人はイエスと答え、イエスの割合が大きくなる。当たり前ですね。

しかも、メール等で回答を依頼するのでは無く、アンケートフォームでの募集だから、無回答というのが無い。こんなので、「n=○○」とかそれっぽい事は書くなよ。

下らないアンケートです。

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2008年6月10日 (火)

秋葉原通り魔事件について

別の件についてのエントリーのコメント欄で、秋葉原の通り魔事件について書いていましたが、別エントリーを立てます。元エントリーのコメント欄はこちら⇒Interdisciplinary: またか#comment-51059993

以下は、アルファさんへのレス。

アルファさん、今晩は。

メーカーや関係者が事件そのものについて何か言う、というのは、今の時点では無いかも知れませんね。
小島監督は、比較的、こういう事については発言される方だと思うので、ある程度時間が経って、何か発言するかも知れません(今語らない方が良いと思ってます。注目度が高過ぎて、要らぬ混乱を呼び起こしそう)。

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2008年6月 2日 (月)

法則?

<08年5月ゲーム販売>PSP3カ月連続でライバルDS撃破 モンハン効果続く(毎日新聞) - Yahoo!ニュース

へー。

今や、猫も杓子もモンタ(モンスターハンターの略称は「モンタ」でいこう委員会)ですな。←言い過ぎ

あれは、パーティを組んで楽しむという面がありますからね。そういう所と、携帯機で、手軽(アド・ホックモードで)にオンラインで出来るというので、広まっているのでしょう。

関係者は、カプコンに足を向けて寝られませんね。←適当

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2008年5月30日 (金)

またか

ニューストップ > トピックス > 政治・社会 > 23歳女性行方不明事件 > <江東女性不明>容疑者、技能高く職場転々 美少女グッズも - Infoseek ニュース - Infoseek ニュース

ま た か。

いつまで続くんだろうね。

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2008年5月27日 (火)

その場しのぎ

Interdisciplinary: キャッチーだねの続き。

退屈力読書中 - アルファ’s blog(仮

これはどういう事だっ。

なんか、ストイック氏(隠語です)みたいですね。

まあ、正当化は簡単。

ゲームが変わった、と言えば良い。

メディアの形態が変容し、コンテンツが全く一様で無い文化である、というのを都合良く利用する訳ですな。アド・ホックに。

シリアスゲーム系はホラーゲーム等とは異なっている、なんてのも言いそう。

それならば、ゲーム一般を批判するような事は謹んで欲しいものですけれど。

柔軟な文化であるだけに、適当な解釈が出来てしまったりするのですよね。何とでも言える。否定的な文脈では一緒くたにするのにねえ(「全てが悪い訳では無い」、という逃げ道を用意しつつ)。

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2008年5月22日 (木)

思い込みが激しい

美少女アダルトアニメやゲームの規制嘆願が提出される | デジタルマガジン

請願情報

このようなゲームに誘われた青少年の多くは知らず知らずのうちに心を破壊され、人間性を失っており、既に幼い少女が連れ去られ殺害される事件が起きている。

これはひどい。

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2008年5月16日 (金)

尾鰭

KOJIMA PRODUCTIONS - HIDEOBLOG

先日の、小島監督のMGS4インタビュー記事について、監督自身が説明しています。

うーむ。恐ろしいね。まさに伝言ゲーム。 前の宮本氏の例もあるしね。気を付けて読まないと…。

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asahi.com:ゲーム「メタルギアソリッド4」完成 6月世界同時発売 - コミミ口コミ

PS3の運命が左右される…。

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2008年4月22日 (火)

ブレイクは結構前

<特集>150万本突破「モンスターハンター」大ブレークの理由(1) PSP版転機に(毎日新聞) - Yahoo!ニュース

なんでまた、こんな力の入った特集(Yahoo!ニュースのトップにあった)? 記者もハマってる、とか? 内容が詳し過ぎて、知らない人にはさっぱりかも(笑)

MHP(『MONSTER HUNTER PORTABLE』)シリーズは、携帯機向けに難易度調整をしたり、他の部分でも配慮がなされていますね。Gでは更にそう。マップを簡略化したり、クエスト中にスタンバイにしたら、自動的に一時停止状態になったり。

MHシリーズの醍醐味である協力プレイが手軽に出来る、というのも大きいでしょうね。本体とソフトを持ち寄れば、アホ・ホックモードですぐに出来る。攻略法とか素材とかについて色々教え合ったり、新モンスターに挑む時はテンションが上がったり、わいわいがやがや、です。

オトモアイルーも、実に良いですね。MHって、ソロでやってると、今一つ面白さが解りにくい所があるので、擬似的なパーティプレイにもなるこのシステムは、優れていると思います。

まあ、実際、やって損は無いゲームだと思います。MHPシリーズだから、下位~上位までは難易度も抑え目で、そんなに「むずかしー」とはならないでしょうね(DOSの上位のザコ敵の多さと硬さを知ってる者としてはね…。ソロだけでずっとやってると、面白さが実感出来ないと思う)。

という訳で、ここを読んで未プレイの方は、買いましょう。某A氏も、是非こっちも買って下さい。

ああ、そうそう。このソフトの難点、というのとはちょっと違うけど、これほど「説明不足」の説明書シリーズも、なかなか無いんじゃないだろうか。ネットで情報収集とか攻略本で調べるのは必須です。それも狙いかも知れませんけれどね。コミュニケーションを促して、より盛り上がりを演出する、という。そうだとすると、なかなか上手いけど。

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※攻略本のセレクトは適当です。内容に関して、ネットや知り合いに評判を聞くのがベターですね。

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2008年4月 5日 (土)

ゲームプレイ動画

ゲーム会社も無視できないユーザー投稿「プレー動画」のクオリティー デジタル家電&エンタメ-最新ニュース:IT-PLUS

これは興味深い問題ですよね。

この間、何かオンラインゲームが、ゲームプレイ動画を許可しませんでしたっけ? ROだったかな。記憶違いかも知れないけれど。

ゲームというものの特徴として、「(基本的には)観るだけでは意味が無い」、というのがあるんですよね。一般的に、「攻略」という概念があったり、上手くなりたいというのがあったり。私が今やっているモンスターハンターなんかも、動き方の参考にしたり、たとえばニコニコ動画なら、コメントでアドバイスがあったりして、盛り上がってますね。そういうのは、コミュニケーションの場としても(カオスになったりもするけど)機能しますね。

観るだけで満足、というのは、論理的には考えにくいように思います。RPGなんかはどうか、という意見もありましたが、どうでしょうね。プレイ動画を観て「やりたくなる」、という効果はかなりありそうな気はします。もちろん、観て面白くなさそうだ、となる場合もあるでしょうけれど。少なくとも、テレビ番組を単に流したりするのとは異なっている、というのは確実に言えると思います。

こういうのをメーカーが積極的に活用するのは、有意義だと思うんですけどね。権利関係の問題もあるみたいですが。

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2008年4月 3日 (木)

見えれば安心

「漫画、アニメ、ゲームのせい」は「天狗の仕業」と同じ思考停止 - 最終防衛ライン2

何でもいいから原因を知りたい、これが原因だ、と「納得」したいのかも知れませんね。もしくは「安心」。でもそれって、不安を駆り立てる事でもあると思うのです。広く普及しているものが要因だ、と言っている訳だから。事実ならともかく、根拠が薄弱な話なので、愛好している者としては、かなり困りますが。尤も、それを言ったら、問題のあるメディアを愛好している者が困るなど構わない、と返されるのでしょう。で、何故そう思う、と訊けば、凶悪事件を起こした人間がゲームを愛好していたから、となるのかな。

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2008年3月28日 (金)

その情報は必要か

「悪いとも思っていない」金川容疑者が供述(読売新聞) - Yahoo!ニュース

 金川容疑者は、三浦さん殺害後、逃走中に購入した新作ゲームで遊んでいたと見られることも判明。忍者が刃物や飛び道具で敵を次々と倒す内容で、捜査本部はゲームが殺意を助長させ、JR荒川沖駅の8人殺傷事件につながった可能性もあるとみている。

こりゃひどいな…。可能性、と言われれば、全否定は出来ないし、ある意味極限の状態だから、何がどのような行動のトリガーになったかは、解らないと思う。ゲームが要因であったかも知れない。それはその通り。否定し切るのは、論理的に無理。

だけど。
殺意を助長した、というのをどう検証するか。そして、それをどう一般化するか、どこまで出来るか。

仮に、ゲームに影響された犯罪者がいたとして、そういう犯罪者が存在したから危ないものだ、という情報を流布する?

まだ何も解っていない状況で、ゲームが殺意を助長した可能性を積極的に報道する事に、どういう意義がある?

何故か水俣病を喩えとして出した人もいたけど、ゲームというのが文化現象だという事を、忘れているのかな。よく解らない。

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ロークオリティ

apjさんのブログのコメント欄経由で⇒週刊文春_080403(2008年4月3日号。一番上の記事)

これは素晴らしい印象誘導ですね。

得られている情報の内、ウケそうなものをクローズアップするという、実に下品なやり方。

こういう記事を好んで読んで、鵜呑みにする大人には、なりたくないものです。メディアリテラシーを鍛えるために、ダメな記事として採り上げるくらいしか、価値が無いかな。

あー、一応。

これは、記事本文を読まなくても可能な批判です。目次を見るだけでダメな記事と解る、良い例。

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2008年3月26日 (水)

勇者希望

誰か、岡田尊司氏の本を詳細に読み解くシリーズとか、やってくれないかなあ。

え、私?

うーん、引用して検討するくらいなら出来ますが…。詳細に考察するとなると、ゲーム脳本より何十倍も難しいですからねえ。

何故こんな事を書いたかと言うと、apjさんの所のコメント欄で、岡田氏の名前と本が出てきたので。少なからぬ影響は与えているだろうな、と思います。

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2008年3月25日 (火)

想像して欲しいのは

ああいう報道によって自分達が傷付くから止めてくれ、じゃ無いんですね。

ああいう報道によって謂れ無き先入観を植え付けるのを止めろ、と言っている訳です。

嫌な話ですけど、自分達がどうこう、というのは、どうでもいいんです、ある程度はね。もう慣れてしまった。ずっと昔から言われているから。激昂するのを抑えるくらいには、感情・思考をコントロール出来る。そんなのに傷付くほどナイーブでは無い。苛立ったりはしますけどね。

で、今行われているのは、ゲームをよくやる子ども達とか、ゲームを制作する人達とかに対する偏見を助長するような報道なんですよ。根拠も無いのに。

特に子どもはね。大人になった私達は、はいはい、アホな事言うなよ、で済ますのも可能。知識を蓄えて、論理的に反論する事も出来る。他人の趣味を貶すダメな人がいる、とメタに考えるのもね。だけど子どもは、そんな事は出来ない。自分が悪い事をしてしまっているんじゃ、と過度に不安になったり、クラスメイトから奇異の目で見られたりね。大人からも、おかしな子として見られる事もある。

駄目でしょ、そんなの。どう考えても。

ゲームの文化としての素晴らしさを解ってくれ、とか、そんなんじゃ無い。そんなの解りませんよ、すぐには。浅い文化じゃ無いんだから。そもそも、ちょっとやそっとで解られてたまるか、というのは、何かに強い関心を持つ人なら、ありますよね。

だから、そうじゃ無くて、自分が興味を持っているものが貶され、それに興味がある人間が普通で無い、と思われるような言い方をするのはおかしいでしょ、という話です。これは、誰にだって理解出来るもののはずです。

何故ここまで言うか、って、実際、報道が物凄いからです。この異様さは、おかしい。特定の文化を安易に犯罪行為の原因に結び付けているのだから。

ゲームに全く興味の無い人でも、想像力を働かせれば、報道のおかしさには、気付けると思います。

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2008年3月24日 (月)

またか

ゲーム好き、1人で食事=高卒後はバイト暮らし-金川容疑者・土浦死傷事件(時事通信) - Yahoo!ニュース

本当に、もう止めてくれないか。

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2008年3月11日 (火)

ゲームとの付き合い方

ファミ通DS+Wii増刊 2008年4月号 ゲームスコ×ゲームスメ ファミ通DS+Wii増刊 2008年4月号 ゲームスコ×ゲームスメ
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画像付きのリンク無かった…。

この本、ちょっと読んでみました。

凄く良い内容だと思います。ゲームとの付き合い方を考えていきましょう、という本で、色々な親子の方針を紹介してたり。

馬場章氏が、ゲーム脳等の、ゲームが及ぼす影響について語るインタビューがあって、これも良かった。

ただ、ちょっと残念だったのが、この本、私が行った書店では、ゲームコーナーにあった所。そういうコーナーには、ゲームに興味がある人が行くでしょうから、他に、育児書のコーナーとかにも置いた方がいいんじゃないかな、と。ちょっともったいないと思いました。書店によっては違うのかも知れませんけれど。

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2008年3月 3日 (月)

ゲームの応用

米国でWiiのリハビリへの応用が広がる(インサイド) - Yahoo!ニュース

興味深いですね。

「ゲーム」が、モチベーションを上げるのでしょうね。それは強みだと思います。

こういう利用法も、ゲームの可能性の一つですね。シリアスゲームの一種。その方向でも普及していくと良いですね。

下の関連記事も面白い。

Wiiフィット(「バランスWiiボード」同梱) Video Games Wiiフィット(「バランスWiiボード」同梱)

販売元:任天堂
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2008年2月25日 (月)

デザインの妙

Game Developers Conference 2008現地レポート

実に興味深い。

キャラクターのモーションの話は面白いですね。モーションキャプチャを使わずに、フィギュアを用いていたんですね。

イメージを具体的なかたちにして傑作を生み出した桜井氏だからこその、説得力がある。

「頭の中で仕様を転がして、頭の中のゲームで遊んだ上で、しっかりスタッフに指示ができるように頑張って欲しい」

なるほどねー。

大乱闘スマッシュブラザーズX Video Games 大乱闘スマッシュブラザーズX

販売元:任天堂
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2008年2月23日 (土)

子どもがやるもの? そうだよ

はてブ経由(はてなブックマーク - 代々木blog | 40歳にもなってゲームしてるやつってなんなの?)で、面白いブログを発見⇒代々木blog

ゲームが好きな事が伝わってきますね。

ところで、上の、はてブが付いたエントリー(代々木blog | 40歳にもなってゲームしてるやつってなんなの?)に関連して。

私の周りには、ゲームは子どものするもの(大人がやるようなものでは無い)だ、とか、○○歳にもなって…と言う人は、あんまりいないですね(まあ、何人かはいるでしょう)。幸いな事に。まあ、60前でドラクエ8をクリアしたりする人が、身近にいたりする訳です。

マンガとかアニメとかゲームとかって、結構冷たい目で見られがちなのかな。いや、何でも、のめりこんだらそう見られるかな。まあ、「いかにも」、というのは、あるかも。今挙げたものの他に、たとえば、模型とかね。やっぱり、サブカルチャーと繋がると、そういう傾向が強くなるのだろうか。模型でも、鉄道模型よりキャラクターモデルが、という具合に。やはり、「子どもがやりそうなもの」、というイメージが、関係しているのかな。子どもは素朴で未熟、という前提から、子どもがよくやってるものをやっている→子どもがやってるものを、いい大人が、と考える→みっともない  と、こんな感じか。

まあ、思うのは勝手ですが、そんな事で人の性質を判断したってしょうが無いよね、とは感じます。

ゲームから色々学び、得た人にとっては、あまり気分のいいものでは無いんですよね。

追記:TB、送信されました。リンクした気になってた…。手数をお掛けしました。また、教えて頂いて感謝です>佐々木さん

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2008年2月10日 (日)

殺し屋の本能?

男性の方が「ゲームによる快感」が強い:fMRIで脳を分析 | WIRED VISION

研究自体も興味深いですが、最後の方にある、

このデータに基づく結論は何だろうか?

ひとつ明らかなのは、男性は狩りがうまいという進化的特質を踏まえれば、このデータは意外なものではないということだ。いわゆる「殺し屋の本能」がまだ存在していて、ゲーム中に発揮するチャンスがあると、そうした本能が働くのだろう。

不幸なことに、この傾向は同時に、男性の方がこうした報酬に基づく神経科学的依存――いわゆる「ゲーム中毒」――になりやすい原因にもなっているかもしれない。

この記述が、なかなかに味わい深い。

紹介されている研究の結果から、こういう進化心理学的?論理を引き出すのは、ちょっと飛躍に見えますが、どうでしょうか。「殺し屋の本能」というフレーズが、なんか可笑しい。

他に、いくらでも考慮すべき変数があるようにも思えるのですが、どうなんだろう。性差があるとして、それが何に由来しているかは、きちんと考える必要がある、と感じるのだけれど。社会心理学的なメカニズムとか。

ともあれ、こういう研究は、どんどんやれば良いと思います。ただ、マスメディアは、慎重に報道すべきでしょうね。あまり期待は出来ませんけれども。

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2008年2月 6日 (水)

方針と選択

12億円を辞退、ゲームもしない:『脳トレ』の川島教授(WIRED VISION) - Yahoo!ニュース

「ゲームの恐ろしいところは、いくらでも多くの時間を注ぎ込めることだ。ゲームをすること自体が悪いとは思わない。問題なのは、ゲームをすることで子供たちが、勉強や家族との会話といった大切なことをできなくなってしまうことだ」と、川島教授は言う。

若干の異論はありますけどね。でも、全く間違った事を言っている、という訳では無いからなあ。ポイントは、ゲームで家族の会話が弾む、というのは、いくらでもある、という所。ゲームをコミュニケーションツールとして捉えるかどうかの問題。勉強の時間が無くなる、というのは、ほぼ妥当でしょう。ゲームで勉強をする、というのは、今の所は例外的だから。

後、報酬を断った、というトピックについては、それを選択する事が、自身に最もメリットになる、という合理的判断なのだろうから、外部の人間がごちゃごちゃ論評する事では無い、と思う。どっちでもいいんじゃない、という感じ。十数億の報酬の受け取りを辞退した、という事実だけから川島氏の思惑を穿鑿しても、しょうが無いんじゃないですかね。研究資金にまわすにしても、個人が受け取るにしても、いずれも、「有効な使い方」なのでしょうから。

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2008年1月26日 (土)

大雑把

「子供にゲームは好ましい? 30代は危機感、やや寛容な50代」エンタメ‐ゲームニュース:イザ!

こりゃまた、テキトーだなあ。

せめて、「どう尋ねたか」、くらい書けばいいのに。訊き方が重要な情報、とかは、考えもしないのかな。

どういうアンケートだったのか。WEBアンケートにも、色々ありますからね。「今日のアンケート」、とか書いてあって、選択肢から一つ選んで送信、という簡便なものもあれば、モニターを募集しておいて、そこから選んでし、メール等で回答を依頼する、という方法もあるし。

記事を見る限りは、マーケティングとか調査法に詳しい人がデザインしたようには、思えないですね。

調査内容がどうこうの前に、記事自体が中途半端過ぎますよね。

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2008年1月 5日 (土)

それは矛盾するのか?

遊鬱さんメソッドを使ってみます。2ちゃんねるの投稿への仮想レスですけれど、一応、全てマジレスで。

では⇒痛いニュース(ノ∀`):任天堂社長「高精細なグラフィックや壮大なストーリーではゲーム人口は増えない」

9 名前: 事情通(アラバマ州)[] 投稿日:2008/01/04(金) 09:35:40.21 ID:vMw1+o+Z0
単に作れないだけでしょ?上手い事ごまかして言ってるけど

まあ、「作”ら”ない」でしょうね。これはもう、方向性の問題だと思います。

17 名前: 車内清掃員(愛知県)[] 投稿日:2008/01/04(金) 09:37:00.12 ID:hZMutb0X0
俺は好きだけどな。繊細なグラフィックスとか壮大なストーリーとか。まあ好みの問題。
まぁ会社が傾かない程度にこれからもそういう需要に向けたゲームも出してくれたら
うれしいな。
いま体感ゲームやってゲーマーになったやつが今後好みが変わることもあるわけだし。

正論ですよね。私も賛成。売れなきゃ話にならない、という所との、バランスなんでしょうかね。

18 名前: 養豚業(北海道)[] 投稿日:2008/01/04(金) 09:37:15.70 ID:6XnHGVRs0
日本じゃ美麗グラのゲームは売れないな
日本発のゲームは全部ドット絵にしろ

これって、フォトリアルな、って事なのかな。それにしても、「ドット絵」をここに持ってくるのは、どうなんだろうか。

33 名前: 理系(アラバマ州)[] 投稿日:2008/01/04(金) 09:39:18.72 ID:dC7mm/1x0
グラフィック否定派だったけど
oblivionやってからそうでもなくなった

これって、どっちの意味なんだろう…。

45 名前: 歌手(北海道)[sage] 投稿日:2008/01/04(金) 09:40:32.87 ID:pKTn7xQn0
スーファミのマリオカート>PS3のグランツーリスモ
めんどくさいのやりたくない、というかもう気合入れてゲームやる気にならない
RPGなんて絶対無理
所詮ゲームなんだし、そんな難しくリアルにしなくていいよ

これも、方向性の異なりなので、どちらがいいとかでは無いですよね。グランツーみたいに、極限までリアルを追求するのもいいでしょうし。ただ、受け容れられるかどうかは、別問題だけれど。

74 名前: 住職(樺太)[] 投稿日:2008/01/04(金) 09:44:39.88 ID:XaLGnO4uO
低学歴が「学歴は関係ない」って言ってるようにしか聞こえない

ゲーム性が同じならグラフィックいいほうがいいに決まってるじゃん
グラフィックとゲーム性がトレードオフというミスリードするなよヤクザが

二番目と三段目の主張が矛盾してる気がする。ゲーム性が同じならグラフィックが「いいほうが」、という所が。それは別に、フォトリアルである事を意味しないでしょう?

84 名前: 張出横綱(アラバマ州)[] 投稿日:2008/01/04(金) 09:45:46.77 ID:7hPvmceQ0
きれいな画面はそれはそれでいいけれど、それだけというのは詰まらんな

「それだけ」なゲームも数多くあるのだろうな、というのは、正しいでしょうね。総体として、リアルなグラフィックを採り入れる(「リアル」をどう考えるか、という視点もあるけれど)ソフトが、増えているだろうし。

93 名前: パート(東京都)[] 投稿日:2008/01/04(金) 09:47:14.64 ID:OoWIdn0m0
高精細なグラが一番生きてくるのはFPSだしな
壮大なストーリーはどうしても万人受けになるからマンネリ

ところで、「壮大なストーリー」って、何でしょうね。壮大とは、具体的に、何に対して言っているのでしょうか。

99 名前: ぁゃιぃ医者(栃木県)[sage] 投稿日:2008/01/04(金) 09:47:41.98 ID:ups9c3E+0
どっちしか選べないと言われたらグラフィックよりはゲーム性だな。
箱○のグラフィックしかとりえのないゲームやって心底そう思った。

「どっちかしか選べない」という設定自体が、不可能です。明らかにそれは、相互関係があるでしょう。全く独立している概念、では無いですね。

125 名前: 栄養士(長屋)[] 投稿日:2008/01/04(金) 09:51:01.00 ID:YDeLSrMv0
とりあえず超美麗CGの戦争ゲームの映像よりも
なんか楽しそうなアスレチック風なステージのマリオの映像の方が
世の中の人間を多く惹き付けるのは間違いないな

根拠が不明確。ただ、ユーザーの年齢層というのを考えると、妥当かも知れない。「より多くの」、という観点ならば。

128 名前: 工学部(アラバマ州)[] 投稿日:2008/01/04(金) 09:51:34.24 ID:+qeaOEa50
まず妊娠は高画質、高解像度のゲームをやってから語って欲しい
だって体験したこと無いでしょ?やった事ないものを語るほどアホらしいことは無い

何と言う断定…。グラフィカルな観点だけでは、「それをやってから」なんて、言えるものでも無いでしょう。

142 名前: 運転士(長崎県)[sage] 投稿日:2008/01/04(金) 09:53:30.33 ID:U07RScw/0
微細なグラフィック、壮大なストーリー=開発費高
それなりのグラフィック、ゲーム性重視=開発費低
でWiiとDS、PS3と箱○でハード毎に住み分け出来てるからいいんじゃね?
数でライトユーザー>ヘヴィユーザーだからWiiが多く売れてるのは仕方無い

一理ある、と思う。※ここでは、「微細なグラフィック」:3DCGの多用 とします。で、開発費が高いソフトが売れなければ、という事なんですよね。

146 名前: 外来種(東京都)[] 投稿日:2008/01/04(金) 09:53:51.59 ID:IbRzSZAi0
Wiiだってグラフィックが進化するにこしたことない
シリーズものは特に進化が期待される
ワンピ2はグランディア風の粒っぽさが改善されててほしい

これって、結構重要な観点だと思うのだけれど、複雑な問題でもある。コストを抑えて「ゲームっぽく」しているの事自体、戦略に組み込まれているはずだし。私は、ゲームが売れるかどうかというのは、「印象」というものが、結構大きく働いているのではないかと思っています。これも印象だけど。

163 名前: 運転士(アラバマ州)[sage] 投稿日:2008/01/04(金) 09:56:56.37 ID:daFboQEE0
まあゲームの質がよかろうが悪かろうが
ハード売り上げにあまり関係ないってのは
64、GCと経験した任天堂が一番わかっているだろうな

だから路線変更したんだろうし

「頭打ち」、というのを考える必要があるかも知れないですね。SFC・PCエンジン・メガドライブ→SS・PS への進歩と、PS2・ドリームキャスト・GC→PS3・Xbox360・Wii への進歩は、同じ現象では無いです。もうこれ以上リアルで無くてもいいんじゃない、というのは、あるでしょうね。私なんかは、元々そういうのが好きだから、「どこまで行くんだろう」、という興味を持っていますが、それが平均的な認識であるとは、言えないでしょう。

189 名前: 芸人(東京都)[sage] 投稿日:2008/01/04(金) 10:01:45.28 ID:XmliDB8I0
>高精細なグラフィックや壮大なストーリーを目指すという選択肢
>出した答えが画面に入って本当にスポーツをする感覚で体を動かす、
>体感型のゲームだった。

「壮大なストーリー」はソフト側の話でハードには関係無いだろ。
体感ゲームだとゲーム人口増えるが高精細グラフィックでは人口は増えない
というのも意味がわからない。
体感型で高精細グラフィックを実現出来るハード作ればいいだけの話だろ。
要は技術力が無い会社なだけじゃん。

つーかこの社長頭悪いだろ?
こんなのがトップじゃこの会社たいしたことないなw

208 名前: 守備隊(関西地方)[sage] 投稿日:2008/01/04(金) 10:03:48.75 ID:p+Z16KAg0
>>189
ヒント:金 時間

あれもこれもは無理

リソースの問題。146氏への私の意見を参照。両方求めると、リソースを多く割く必要がある、というのは、その通りでしょう。だから、ハードのグラフィカルな性能などを、敢えて抑えてきた、と考える事も可能。

200 名前: 予備校講師(福岡県)[] 投稿日:2008/01/04(金) 10:03:11.41 ID:a/yazFFY0
任天堂社長「高精細なグラフィックや壮大なストーリーではゲーム機は売れない」

任天堂社長「だからショボいグラフィックやつまんねえストーリーならゲームが売れるんだ」

任天堂社長「ほら売れた!ボクちゃんは正しい」

この書き方はどうかと思うけれど、それは置いといて、「売れた」という結果があり、それの原因として、Wiiにあって他ハードに無い特徴を上げれば良いのだから、論理的には、後付で何でも言える、というのはある。その間の論理構造を分析するのは、異様に難しい訳だし。だが、「売れた」という事実は重い。

306 名前: 占い師(空)[] 投稿日:2008/01/04(金) 10:15:26.13 ID:QA386cpt0
>>206
ゲームって子供のための娯楽じゃん
子供に指示されてたらそれで十分じゃね?

これはまあ、認識不足としか言いようが無いかな…。ゲームを文化として高く評価している人と、あくまで(主に)低年齢層向けの娯楽と考える人とで、意見がぶつかる事はある。

211 名前: ジャンボタニシ(岐阜県)[sage] 投稿日:2008/01/04(金) 10:04:00.42 ID:+iFT+3a80
ゲーム内容が面白くてグラフィックも高繊細なのが一番だろ
手抜きの任天堂らしいな

こういう議論で、よく出てくる。「高精細」と「良い」は、一致しない。意外と、その観点が抜け落ちているなあ。

241 名前: ホテル勤務(静岡県)[sage] 投稿日:2008/01/04(金) 10:07:41.26 ID:T/0Rv5Ik0
個人的には64の時が一番面白かったな。
マリオ64とゼルダ時オカの衝撃と言ったらなかったよ

マリオ64はやってないけど、ゼルダの所には同意。激烈に面白いと思った。

252 名前: 運送業(関西地方)[sage] 投稿日:2008/01/04(金) 10:08:37.69 ID:yRLOlNS10
PS3はグラフィック偏重だから売れてないんじゃないよ
本体価格も開発費も適正じゃないから

身の丈に合った価格設定にしておけばシェアトップ取らなくても儲けられる
赤字販売なんかしてるSCEはサービスがいいんじゃなくてバカなの
そのせいでソフトも数が揃わないんだから

PS3:ロンチタイトルの不充分さと、本体価格の高さ。それまでの方向性の延長線上の発展(グラフィック・サウンドの進歩) Wii:PS3の逆。入力デバイスの変化という、ライトユーザー及び、ゲームをしない人にも「解りやすい」変わり方。後、安価。マスメディアのバラエティ番組で採り上げられたのも、結構大きい要因な気がするけれど、どうなんだろう。

284 名前: 団体役員(樺太)[] 投稿日:2008/01/04(金) 10:13:10.35 ID:GFWHXpkCO
PS3が定価29800円で発売してたらウィはボロ負けしてた
ソニーの敗因は値段設定を間違ったことだけ

299 名前: 党首(長野県)[sage] 投稿日:2008/01/04(金) 10:15:04.10 ID:oiX06C4Y0
>>284
29800円に設定(ダンピング)出来ないほど高コストのものを作っちゃったからでしょ
根本的な問題だよ

後者は正論。価格が「もしこうだったら」と言うのは、かなり無理な仮定。それが出来たらやっている。最も重要な要素の一つなのだから。

271 名前: 自販機荒らし(大分県)[sage] 投稿日:2008/01/04(金) 10:10:56.14 ID:GD657Ngt0
ちょっと慢心してるようにも受け取れるな。
売れた理由って触ってみたいってCMで思わせるのが
うまかったのと、値段が手頃だったってだけだろう。
新規開拓した層にゲームを根付かせられないと
結局一過性のブームで終わっちゃうだろう。

リップサービス、という面もあるんでしょうね。いつまで売れるかは判らない、というのは、まさにその通りだと思う。ゲームそのものが、そういう不安定な面を、元々内在している。かなり新興の文化であった訳だし。

320 名前: 通訳(チリ)[] 投稿日:2008/01/04(金) 10:16:37.34 ID:FXI4JeoK0
っつーかFFとかリメイクDSで出すくらいならPSPで出してくれよ
PSPの方が良いの出来るだろう。
そんなに利益が可愛いかよ。

個人的には同意。FFは、グラフィカルな所を突き詰めて欲しい。リメイクならPSPで、という思いはあります。DSのFF4見せて貰いましたけど、ああ、これPSPでやってくれたらなあ、って思いました。表現したいグラフィック・サウンドのクオリティと、ハードウェアの性能が、まるで釣り合っていない。ところで、スクウェアソフトを揶揄する表現として、「映画的な」、ってのがありますね。

321 名前: 学校教諭(岐阜県)[] 投稿日:2008/01/04(金) 10:16:46.62 ID:bIw4JgGZ0
任天堂はゲームを売れゲームを。
知育や健康とかそんなんに力いれすぎ。通販みたい。

私は、ゲームのジャンルをより拡張し、他の文化と交わらせたという事は、評価する所だと考えています。ただ、多過ぎる、という印象はあります。

424 名前: 理学部(神奈川県)[] 投稿日:2008/01/04(金) 10:27:38.76 ID:HoaslUNw0
WiiやDSはちょっとやる分には面白いけど、長時間やる人向けじゃないな。
腰すえてやるなら箱○が一番だな。

箱は、もっと評価されていい。

473 名前: すっとこどっこい(神奈川県)[sage] 投稿日:2008/01/04(金) 10:34:29.85 ID:KpuqAwRG0
任天堂=リアル鬼ゴッコ 美麗な文体や壮大なストーリーでは小説は売れない

499 名前: こんぶ漁師(樺太)[] 投稿日:2008/01/04(金) 10:38:06.81 ID:hk6BRCPfO
>>473
どっちか言うと表紙(グラフィック)とタイトルで売るPS3の方が近くないか

これは、結構面白い喩えかも。任天堂≒ケータイ小説 って所か。携帯電話ゲーム寄り、だと思う。ケータイでは物足りない(入力デバイス含め)が、PS3のようなハイエンドは要らない、という所に向いているのかな。

561 名前: ネットカフェ難民(中部地方)[] 投稿日:2008/01/04(金) 10:46:53.56 ID:iarPQKtE0
なんか、どんなビッグタイトルが出ようとユニークな機能が付こうと
子供の頃ほどゲームにワクワクできなくなってしまった。
昔は糞ゲーでも、家に着くまで箱から説明書出してドキドキしながら読んだのに

慣れ、でしょうね。子どもの頃のような、あの経験は、確かになかなか味わえない。いいのか悪いのか判らんけど。

583 名前: 運転士(長崎県)[sage] 投稿日:2008/01/04(金) 10:49:45.47 ID:U07RScw/0
据え置きタイプのゲームはPCに吸収されて行けば良いと思うんだけどな
PCは家庭1台置くのが主流になってきてるし
4万くらいでメモリとグラボ追加すれば
大抵のゲームは出来るだろ

ハイエンドなものは、PCゲームに吸収される、というのは、私も、そうなるかも知れないなあ、とは思っていたりします。コンシューマゲームのユーザーが何を求めるか。ハイエンドなものを求める人がどこまでやるか、といった所か。私は、コンシューマでハイエンドなものが遊べる、という事実自体が嬉しかったりします。

705 名前: 今年も留年(北海道)[] 投稿日:2008/01/04(金) 11:10:33.38 ID:zl6ipi/l0
任天堂ってファミコン時代からちょこちょこ体感ゲームに手出してたな。
マットのやつとかマイクとか。それがいまやwii fit大人気か。時代って大事だな

タイミングが良かったんでしょうね。任天堂は、失敗も色々やっちゃってきてる訳ですし。

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Wiiが売れたのは、「おもちゃ」だから、だと思います。いい意味でね。で、Wiiが貶されるのも、「おもちゃっぽい」から、なんですね。同じ面でも、光の当て方で、見え方は違う。

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2007年12月31日 (月)

ゲームで運動

遊鬱さんの所経由で⇒Wiiで子どもの肥満解消ならず、英研究チーム 国際ニュース : AFPBB News

妥当っちゃ妥当な結果でしょうね。

私としては、ゲームへの親しみの度合という変数が、結構効いてきそうにも思います。前にどこかに書きましたね。ゲームをやる人は、「仕組み」が解るので、必要最小限の動きに最適化するのですね。Wiiリモコンを「クイッ」とするだけで、充分有意味な信号を送る事が出来る、というのが解る訳ですね。対して、ゲームとかセンサーの仕組みに意識が向かない人は、思いっきりぶん回したりして、「無駄に動く」。そうすると、運動強度も上がるでしょうから、同じ「Wiiをプレイする」という現象に見えても、その実は、結構違ってくるかも知れません。

で、ちょっと話が変わりますが。
「無駄に動く」と上に書きましたけれど、これは悪い意味では無く、「楽しんでいる」って事なんですよね。ファミリーでワイワイガヤガヤやるんなら、一々細かい所に意識を向けずに、思いっきり動いて、爽快感を味わえば良い。だから、楽しみ方はそれぞれ、って事です。当然、任天堂の中の人は、ここら辺の論理を掴んだんでしょうね。

あ、私はもちろん、「クイッ」を追求する人です(笑)

いかにも「運動を頑張っている感」が無い遊戯の中で、減量効果がありそうなものとしては、サバイバルゲームとか、凄く動きそうですけど、どんなもんなんでしょ。私はやった事無いので(かなり面白そうだと思う)、よく解りませんが。サバゲーの場合、果たして、「屋外でのスポーツ」と、日本では認知されるのかな。

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2007年12月30日 (日)

バカ売れ

家庭用ゲーム機 国内販売額が過去最高を更新(毎日新聞) - Yahoo!ニュース

やりますなあ、任天堂。

Xbox360は、もっと評価されていい。

PS3……。

来年はやっぱり、バランスボードを使うゲームが増えてくるんですかね、Wii。ソフトのラインナップによっては、消え去っていくデバイスにもなりかねないですが、かといって、標準のデバイスにもなりにくいでしょうしね。あまりにも動くのは(立つというのは、動くって事です)、なかなかね。ゲームは、寝転がったり座ったりしてやるもの、とも言えるし。座って足を乗せてバランスを取る、ってのなら、アリかもしれないけれど。

Xbox360は、もっと評価されていい。

PS3は。

MGS4か、取り敢えずは。PS3専用って決まったんでしたっけ?

FFは、どうなんでしょうね。最早、強い求心力があると言えるのかどうか。

ゲーム、来年はどうなるのかなあ。

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2007年12月27日 (木)

必然

宮本茂とWiiFit - せんだって日記 - 楽天ブログ(Blog)

これは面白い。

で、こちらを読んでいて、そういえば、こんなの書いたなあ、と、このエントリーの事が、頭に浮かんだのでした⇒Interdisciplinary: 展望

まあ、予想通り、といった所でしょうか。Wiiのコンセプトを考えて推測すれば、当たり前に考え付く事でしたね。「面白いものを作りたい」と考えている人は、めざといのでしょう。これは使える、と思ったものは、どんどん柔軟に採り入れていく。

Wii Fit、かなり売れているみたいです。数は把握していないけれど、売り切れ続出とか。近所の店に行っても、品切れでしたね。

任天堂の仕掛けるタイミングが、実に上手いですね。勢いがある内に、年末商戦に合わせて、ファミリーでワイワイ参加出来てしかも「ゲーム」をあまり感じさせない(既成概念を崩し、ネガティブなイメージを持たせない)ものを出す、という。やるなあ、と。

今後はどんなのが出てくるんでしょうね。楽しみ楽しみ。

Wiiフィット(「バランスWiiボード」同梱) Video Games Wiiフィット(「バランスWiiボード」同梱)

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2007年12月25日 (火)

ゲーム感覚

とても良いエントリーをご紹介⇒PSJ渋谷研究所X: これぞ「ゲーム感覚」!?

「ゲーム感覚」というのは、とっても大事です。もちろん、ポジティブな意味で。

ところで、ゲームの話をする際(ゲームの悪影響を語る文脈でよく出てくる)、「ゲームより面白いものがある」と知らしめれば、ゲームからは離れていくよ、という言い方がなされる場合があるのですが、あんまり良く無いんですよね。そうじゃ無くて、「ゲームも面白いが、こっちも面白い」とか、「これとゲームは、実は同じ様なものなんだよ」、とか、そういう風に言わないと。
はっきり言って、ゲームより面白いものなんて、そうは無いですからね。それに、ゲームをしない人からそんな事言われたら、「ゲームの面白さを知らんでしょ?」なんて思ったりするのです。

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2007年11月25日 (日)

ゼミ

<ベネッセ>ニンテンドーDSで「進研ゼミ」 来年1月から(毎日新聞) - Yahoo!ニュース

これは、便利でいいんじゃないですかね。

スペースも取らないし、グラフィカルな表現も工夫出来るし。

色々出ますなあ↓

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2007年11月23日 (金)

イースポ

日本eスポーツ協会設立準備委員会、発足記念イベント開催決定。「ウイイレ2008」、「鉄拳5DR」、「フリスタ!」の日韓戦を実施

JESPA::日本eスポーツ協会設立準備委員会

電通スポーツ事業局竹田氏とGoodplayer.jp犬飼氏による「E-Sportsの現状と今後の展望」アジア室内競技大会のe-Sportsで金メダルを!

なかなか興味深いですね。ウイイレは、いかにも採用されそうなタイトルであります。

日本でも、どんどん普及していくといいですね。

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2007年11月12日 (月)

脳トレ批判

『週間朝日』の脳トレ特集、読みました。

批判はごもっともでしたね。

川島氏の反論と言うか釈明と言うか、は、あれはどうなんでしょう。あれほど名前を出していて、あの説明か…。うーん。言い分は、解らないでもないのだけれど。氏がかなり慎重な物言いをされるのは、解っている事ですしね。しかし、DSの脳トレ(脳年齢)はグレーだ、と言っていましたね。片や任天堂は、川島氏の研究をベースにしていると明記している、と。

Interdisciplinary: ちょっと余計な…のコメントでFREEさんが書いて下さった事が、参考になりますね。提唱者がどこまで責任を負うか、どこまで慎重になるべきか。社会にどう情報が捉えられるか、という部分に、どこまで気を遣うべきか、等々。

ポイントは、消費者が、どこまで、

  • 単なるゲームで無く、シリアスゲーム的な要素(つまり、認知機能の改善・強化等に役立つ)を認めていたか。
  • 認知症の人に対する学習療法の効果とは別に、それ以外の人にも積極的な効果があるのだと思っていたか。
  • 脳年齢なる概念が、単なるゲームのスコアの言い換えでは無く、ある程度でも科学的な根拠があるものと考えていたか。

ここら辺を認知していたか、という事でしょうね。もちろん、昔からゲームをやっている人は、脳トレが、クラシカルなゲームのエッセンスを取り出した様な構成のゲームだというのは解っているし、脳年齢が単なるスコアの言い換え(『やわらかあたま塾』の、脳の重さと同様に)だという事も、認識していたでしょうけれど、DSの脳トレは、今までにいなかった層にゲームを普及する役割を果たした訳ですね。つまり、比較的高年齢の人々(正確なデータは把握していないけれど)。そういう人達が、どのような認識を持って、脳トレを求めたか。ゲームという、そもそもライトな文化と捉えられるもののコンテンツだから、脳トレにも、「マジメな」機能を求めたのでは無く、まあ、ゲームやって、脳にそこそこ良いならやってみようかな、というくらいの気持ちだったのか、それとも、もっと積極的に、脳に良いものがゲームで手軽に出来るのか、と思ったか。ちなみに、私の知っている50代の人は、いわゆるボケ防止的な効果がある、と思っている風でした。

こういう場合の「科学性」というのは、とても難しいですね。単なる娯楽のコンテンツなのか、未科学を売りにした、グレーゾーンのものか、それとも、ニセ科学にもっと寄っているものなのか。ともかく、判断が困難なのは、確かでしょう。

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続編

映画なんかでは、大ヒット作の続編はつまらない、と言われる事が、結構ありますよね。

対してゲームでは、あまりそういう事は、言われないような気がします。続編が売れる、というのも、よくありますし。

やっぱり、ゲームの場合には、グラフィック・サウンドの表現の大きな発展に伴って続編が作られるので、そこら辺が、関係しているのかな、なんて思います。表現のレベルアップ自体がインパクトを与えている、と言うか。

でも、そういう表現の進歩があまり無い内に、ばんばん続編を出すシリーズもあったりする訳ですね。特に最近は、グラフィックやサウンドの表現が飛躍的に高まるという事は、あまり無いから、そこのインパクトは薄れて、映画と同じ様な見られ方がされているのかな、とも感じています。

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2007年10月27日 (土)

いんたびう

二次元至上主義!さんで紹介されてました⇒ゲーム研究データインデックス | テレビゲームへの正しい理解を

なんか、すっごくちゃんとした事を言ってるんですけど。

まあ、養老氏のゲーム好きは有名ですし、インタビューを受けてる媒体がCESAなので、あまり毒舌は炸裂させられないのでしょう。

養老氏は、身体を使うという事を、凄く重視しているのですよね。甲野義紀氏とも交流を持っていて、共感を表明しておられます。

しかし、身体が重要だというのには賛同するとしても(強く思いますよ、それは。ここに、武術・身体運動カテゴリーがあるのは、そういう理由からでもありますし)、その後の論理展開が良くない(ノスタル――かな)。一足も二足も飛んでいるのですよね。もっと慎重になって頂きたいものです。

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2007年10月26日 (金)

元々は

ゲームを学問的に云々するとか、そんな野暮な事してどうすんの? とか思ってたんですよね。

なんでしょう、ゲームについて、なんか思想的な事と絡めたり、そういう、無理矢理に「高尚」なものの様に持っていったりする意見とかに、凄い違和感を覚えていたのですね。(ここに関しては、未だにそう思っているのですが…)

また、もっと狭く、実証科学的に考えるという部分にも、嫌悪感を憶えていました。実証研究=現象を無理矢理切り取って解った風な事を言う不完全な考え方、という物凄い偏見を持っていたのです。これは、大変駄目な認識であるというのが、明らかになったのですが。

本当は、趣味として、カタく考えずに、楽しんでいたかったのです。

でも、色々な事を言う人が出てくるもので。

自分が好きな物事に、不当な、としか思えない批判を繰り広げる。そんな事をされると、やっぱり、どこがどうおかしいのか、という部分を、考えざるを得なくなるのですね。特にゲームの場合、初めから、バッシングされたりしていた訳で。

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2007年10月17日 (水)

シリアスゲームの本

シリアスゲーム―教育・社会に役立つデジタルゲーム Book シリアスゲーム―教育・社会に役立つデジタルゲーム

著者:藤本 徹
販売元:東京電機大学出版局
Amazon.co.jpで詳細を確認する

読みました。

実にいい本だと思います。とても読みやすくて、ゲームやシリアスゲームについて、よく纏められています。

poohさん風に言うと、「マスターピース」ですね。

ゲームの定義、それを踏まえた上でのシリアスゲームの定義の説明から始まり、シリアスゲームの開発・研究がどの様に展開されているか、というのが、丁寧に解説されています。

全てのゲームはシリアスゲームと言える、というのは、私も考えた事がありましたが、その部分についても、書かれています。

ゲームを教育に用いるとはどういう事か、という所に興味がある人にとって、必読の一冊と言えるでしょう。

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是非、遊鬱さんやたこやきさんにも読んで頂いて、書評を書いて貰いたいなあ、なんて。

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2007年10月 1日 (月)

ゲームとは○○

「ゲームとは勝利と生存の喜びを表現する装置である」脚本家・川邊一外氏による講演「ゲームとは何か?」を紹介

そんな定義じゃゲームは捉えられないぜっ! ……なーんてね。別に、定義じゃ無いしね。

映像界で骨太のドラマを構築してきた先達ならではの「ゲーム理論」が展開され

「ゲーム理論」て、なんか、激しく誤解されそうな表現だなあ。

ゲーム地図、面白いですね。ゲームの構造をある程度正確に記述するのに、良い科学的方法は無いかな。

「現在のほとんどのゲームは、『パズル系』、『戦闘系』、『達成系』、『物語系』の4つに分類される」という認識を披露。

これらを同じレベルとしてカテゴライズするのは妥当かな? パズルとかは最下層のレベルで、物語系とかは、もっと上位レベルなんじゃないかな、とも思います。

 ゲームを考えるにあたって川邊氏が提唱する根本的な要素は、「ゲームは物ではない」という点だ。ここで南方熊楠の言葉、「物と心が相交わって事が生ずる」を挙げ、ゲームはモノではないのだから、物理科学的な分析は不可能だと説明した。

これはまあ、研究のレベルによるでしょうね。ゲームは、本質的に文化現象ですから、人文・社会科学的アプローチが不可欠でしょうね。でも、

古今のゲーム研究理論のように物理的科学的に分析してみたところで意味がないと、従来の研究手法をバッサリ斬り捨てて見せた。

物理科学的アプローチって、具体的に、どういった研究を指しているのだろう。ちょっとよく解らない所。直接観測不能な不可秤量である「ゲーム」概念の分析に、物理科学的手法は合わない、という主張は、何となく見えますが。

 では正しいゲームの思考法とは何だろう。川邊氏は、それは「既成の常識を全て遮断し、それでも自分の中にある『遊び心』をありのままに見つめる」ことだという。ここで「ゲームの何が面白いのか」をあらわにしつつ、「現実に目に見える『ゲーム現象』だけを対象に情報を収集・構成し、志向にしたがってゲームを組み立てる」ということらしい。さすがにこれは抽象的すぎて、にわかには理解しがたい表現だ。

ちょっと観念的で、解りにくいかな。何となく、現象学的方法を用いる事かなあ、と思いますが、よく解らんです。

こういう理論的考察は、私も嫌いじゃ無いですが、やっぱり、実証的アプローチも必要ですよね。

でもあれだなあ。「ゲーム」を一括りにして語る人なんかは、こういう考察がある事とか、考え付きもしないんでしょうね。

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2007年9月28日 (金)

ゲームで学ぶ・学ばせる

硬い頭を軟らかく『算数パズルで磨く 学研 大人の思考センス』 / ファミ通.com

まあ、この種のゲームがよく出て、訳が解らなくなってますね(笑) でも、こういう「いわゆるゲーム性(なかなか曖昧)」には乏しいけれど、頭の体操に良さそう、というゲームが出ているのは、いいかな。そういうのは昔からありましたが、DSになって、目立ってきた、という印象。脳トレと、DSの入力デバイスのおかげ、かな。

シリアスゲームの国内外の動向と、ビジネスとしての課題

これは面白い記事。

どの対象をユーザーとして想定するかによって、ビジネスの形態も変わってくるのですね。

 ここからDSのゲームの話にうつり、「現在はブームだが、盛んに出ている知育ゲームがユーザーに飽きられてしまうのではないか」、「知育ゲームはコストが抑えられており、ゲーム性も薄く、ゲームを作りたいという開発者のモチベーションを下げかねない」、といった意見、「勉強にゲームを使うとしても、それが当たり前になったらやっぱり子供はいやがるのでは?」、「高齢者など新しいユーザー層が生まれている。もっとターゲットを絞れば企画は生まれてくるのではないか」、「知育ゲームは通常のゲーム以上に長いスパンで売れ続ける」などなど、立場に加え、家庭での体験も含めた意見が出てきた。

これらの疑問は、尤もですね。ゲームで教育、というのは、面白く無いと思い込んでいる勉強と、よく馴染んでいるゲームを結び付ける、という面がありますから、やはり、ドリルをそのまま突っ込んだ様なゲームは、すぐに飽きられるでしょう。現在売れているのは(売れているのかな? 果たして)、やはり、「目新しさ」ゆえ、という所もあるのだと思います。あるいは、「ゲーム機」という解りやすさ。携帯して持ち運び出来、カートリッジを入れ替えれば、複雑な操作をしなくても、別のコンテンツを簡単に楽しめる。つまり、「汎用性が無いがゆえの敷居の低さ」も、ポイントなのかも知れません。

で、そういうのは、いずれ飽きられるから、「ゲームならでは」、と思わせる事の出来るコンテンツが、求められるのでしょうね。ゲームのインタラクティブ性・エンターテイメント性、それとシリアスゲームに求められる要素を、どう兼ね合わせるか。

生粋のゲーム好きは、他の知識なりを学ばせる手段としてゲームを用いるのを、好まないかも知れませんね。薬を糖衣に包んで飲ませる様な、そういう「ごまかし」を感じる人も、いるかも。

私は、学校でマンガを教材に使っても良い、とか言う人間なので、色々あっていいんじゃない、という立場ですけれど。

ところで、私は、シリアスゲームについてあまり勉強していないので、よく知らないのですが(なので、適当です)、ある纏まった知識を学ばせるためにゲームを用いるとすれば、その知識そのものを前面に出して、それについて進めていくものと、「それとは知らずに」、ゲームを終わらせればいつの間にか知識が身に着いている、というタイプのものに、分けられそうな気がします。前者の例としては、レイトン教授みたいな感じで、ストーリーの合間に、色々な課題がさしはさんであって、それをクリア出来なければ先へ進めない、という構造。だから、動機付けとしては、ちょっと外発的な所があるかも。ストーリー等のエンターテイメント性に魅力が乏しければ、課題を達成しようとする意欲も喚起されない訳ですね。後者としては、私のイメージとしては、ある知識体系があるとして、その論理構造をそのままにし、それをストーリーやゲームシステムに「埋め込む」様なかたちにする、というものですね。たとえば、ミステリーで論理性が鍛えられる事がありますが、そういうのを、よりシステマティックに、構造を厳密にして、ゲームに埋め込む。そして、ゲームをクリアした頃には、知らず知らずの内に、何らかの知識が身に着いている、という。そういう要素は、今までのゲームにも、当然含まれている訳ですね。桃鉄で日本地図や地方の名産を憶えたり、『三国志』や『信長の野望』で、武将等の名前を憶える、とか。そういうのは、他の文化にも、あるでしょうね。マンガでも小説でも。それを、より正確に、厳密に、考証をしっかりして作る、という事です。

私がシリアスゲームの概念を知った際に、後者の様なゲームが出てくる可能性に期待したのですね。要するに、「勉強しているなどとはこれっぽっちも思わない」ゲーム。まあ、でも、そういうのは、「シリアスゲーム」と定義出来るのかは、判りません。それに、「面白いゲーム」と「正確な知識の伝達」を両立させるのは、とても難しいでしょうね。言うは易し、です。

もちろん、前者の様なものもあっていいし、一番上の記事で紹介されているものもあっていいと思います。色々あっていい。「勉強を毛嫌い」している人に、「ゲームという糖衣」で包んで与えるのもアリだと思うし。で、売れなきゃ消えていくだけ、ですからね。

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2007年9月23日 (日)

ゲームと教育

テレビゲーム教育論―ママ!ジャマしないでよ勉強してるんだから Book テレビゲーム教育論―ママ!ジャマしないでよ勉強してるんだから

著者:藤本 徹,マーク・プレンスキー
販売元:東京電機大学出版局
Amazon.co.jpで詳細を確認する

これは面白そう。読んでみようかな。

ここに、コンテンツ紹介が⇒Serious Games Japan: 「テレビゲーム教育論」発売開始

すごく面白そう。つい先日、脳力が低下とかなんとか言っている本が出たばかりなので(未読)、比較してみるのもいいかも知れませんね。

ところで、藤本氏と言えば、これの著者ですね↓

シリアスゲーム―教育・社会に役立つデジタルゲーム Book シリアスゲーム―教育・社会に役立つデジタルゲーム

著者:藤本 徹
販売元:東京電機大学出版局
Amazon.co.jpで詳細を確認する

こちらも未読ですが、近い内に読むつもりです。

こちらは、藤本氏のブログ。さっき見つけました⇒Another Way - 教育・学習、シリアスゲーム、留学生活のブログ

ゲームの教育への応用、シリアスゲームについては、あまり知識が無いので、色々勉強せねば、と思っています。

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2007年9月 3日 (月)

メモ:「ゲーム」研究について’

Interdisciplinary: メモ:「ゲーム」研究について

「ゲーム」についての論評――「ゲーム」を、一様な性質を持っている文化と看做し、影響が云々と論を進める。つまり、ゲーム文化の複雑さを無視している、という事。

「ゲームを対象化」する――「ゲーム」という概念の必要十分条件を明らかにする。難しい。ここで言うゲームは、コンピュータゲームの意味。幾つかの条件によって定義された、「ゲーム」概念が、どの様な広がりを持ちうるかを考察する。我々は、どこまでを「ゲーム」として認識するか。古くはゲーム&ウォッチから、現在のPS3用のハイクオリティゲームまで、含み得る。たまごっちも、アーケードゲームも、PCゲームも、「ゲーム」と言われる。多くの論評は、一部のゲームに見出される性質(つまり、必要条件では無い)を、他のゲームにも共通する性質であると看做す(過度の一般化)、という誤謬を犯している。例えば、「サッカーはスポーツである」と教えられた人が、「スポーツとはボールを扱う文化である」という誤りを犯す様なもの。この論理は、「ゲーム」だけでは無く、他の文化にもあてはまる。ゲームを全然知らない人が持つ典型的なイメージとして、昔のシューティングゲームなんかが当てはまりそうですが、どうでしょうね。後、擬音で「ピコピコ」なんてのも。今時言わないかな。過度の一般化について――よく書く事ですが、たとえば野球やサッカーについて調べて、「スポーツ」一般の話をしたら、誰だって、「スポーツにも色々あるのでは?」と思いますよね。それが、ゲームの場合には、あまりなされない。文化の普及の仕方が違う、というのもあるだろうし、「身体運動」として、変化が無い、というのも、あるかも知れません。要するに、ゲームをやらない人が、ゲームをやっている人を見ると、「ディスプレイを前にして、コントローラをかちゃかちゃやっている」、と映る訳ですね。コンテンツの違いは無視する。本を読んでる場合だと、「何を読んでるか」、というのは意識されると思うんですけどね。「漫画」も、「ゲーム」と同じ様な印象を与えるかも知れません。

「ゲームを批判する」論者と、「ゲームを批判する人を批判する」論者との視座の違い――前者は、「ゲーム」を、狭く、単純な文化であると考え、後者は、幅広く、多様性を持つ文化であると考える。認識のズレ。「一口で言えない」という所を認識しているかどうか。

「ゲーム」を取り巻くもの――ゲームの攻略記事を、雑誌やWEBで読む。ゲームについて、友人や家族と語らう。ゲームがきっかけで喧嘩する。ゲームを創る。ゲームを売る・買う。ゲームの「影響」について議論する。これ、重要。ディスプレイの前でコントローラを触るだけが、ゲームに関する行動では無い。ゲームという文化の、発達や認知に与える影響を考えるならば、無理に切り取らずに、システマティックに捉えなければなりません。単純化して考えたい人は、ゲームに「強烈な悪影響」があると論ずるのですね。それこそ、薬物に匹敵する様な。そうすれば、一般論(単純な論理で色々なものを説明出来る)を語れるから、便利なのでしょう。

文化に格付けをする事の危険性――ある文化を「劣等」と看做し、その文化を愛好する者や、当該文化の創造に関わる者を、非難・差別する。その認識を助長する概念装置が開発され、それがマスメディアに載って流布する。「ゲームばっかやってると、ゲーム脳になるぞ」、という類の言明。ゲーム脳になる、と言うのは、脳の機能が衰える、というのと同義で、それは、科学的な根拠が不明確なものなのだから、ゲーム文化に関わる色々な人に対する、謂れ無き非難です。

局面――一つのゲームソフトでも、様々な「局面」が存在する。それを無視してはならない。特に、近年のゲームはそう。RPGでも、フィールド探索・戦闘(ザコ)・戦闘(ボス)・エピソードの進行・ミニゲーム…等々、色々考えられる。たとえば、「RPGをやっている時の脳活動を…」という文章を読んだ場合、ゲームする人は、「どのソフト? それって、戦闘の時? フィールド歩いてる所?」等、沢山の疑問が出るはず。

熟達度――ゲームにも、「上手・下手」がある。上達の度合いによって、認知活動に差が出る。パズルやアクション、シューティングで顕著だと思います。2D格闘アクションを例に出すと、ある程度の水準のプレイをしながら会話する事なんて、簡単です。しかるに、初心者の場合、憶える事が一杯あるので、注意資源を、「上達」に割かなければならない。もっと解りやすい喩え。車を運転する際、助手席の人と、会話出来ますよね? その時、車の運転に対する意識は、ほとんど無いはず。

勝手な前提――ゲームについて語る際、「部屋に閉じ篭って」とか、「一人で」等の条件を、勝手に付け加える場合がある。それらは、「他の人間とコミュニケーションをとらずに」という、ネガティブな印象を含んでいる。大部分は、それらの条件を持つ(一人でプレイ出来、狭い空間でプレイ出来る)と考えられるが、それは、「一人でしかプレイ出来ない」という事を意味しない(「行動空間が狭い」事は、かなり一般的にあてはまると思われる)。多くの場合、一人でプレイ「可能」というのは、言えると思います。RPGなどは、代表かな。オンラインゲームを一人で(MMORPG等を、人間とパーティを組んで)やっているのを、「一人」と看做すかは、また別の問題でしょうけれど。小学生なんかで、一人で籠もってゲームをやってる子は、どれくらいいるかな。その場合、他の子どもとのコミュニケーションに注意した方が、良いと思います。「ゲームをやっているから」、というのでは無くて。

生活の時間配分――一日のどの程度の時間を、ゲームプレイに充てるか。置き換えの話、です。よく話が出る(最近も出た)、ゲームプレイ時間と学業成績に負相関が見出された、というのは、勉強に割く時間が少ないからだろう、という推測の方が、妥当に思います。もちろん、詳しく調べるべきですが。

積極的悪影響論と消極的悪影響論――前者は、「ゲーム脳」論に代表される、ゲームが、心理・生理的に、薬物が与える様な(悪い)効果を持つと考える。ゲーム脳や脳内汚染。後者は、運動をする時間が少なくなる。他人とのコミュニケーションの機会が減る、寝不足になる、等の主張をする。後者が主張する現象が現れる原因として、前者の主張する論を挙げる場合もある。後者は、当てはまる場合も、結構あるでしょう。しかし、マスメディアが「ゲーム」をクローズアップするのが、目立つ印象があります。スポーツに割く時間との関係なんかは、ニュースとして採り上げる事は、あまり無いと思います。つまり、ゲームを特別に採り上げる理由があるだろうか、という疑問ですね。

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2007年7月24日 (火)

方向性

痛いニュース(ノ∀`):たった1年で一変したゲーム産業…重厚ゲームから、手軽な実用ゲームやパーティーゲームばかりに

たった1年で一変したゲーム産業、E3は規模縮小 (nikkeiBP on Yahoo!ニュース)

「グラフィックが綺麗」云々という極り文句について、もっと深く考えた方がいいんじゃないですかね。

個人的に、グラフィックを「グラ」と略すのだけは、何か嫌だ…。

しかし、元ネタの記者さん、ゲームを普段、よくやる人なのかな。よく判りません。プロフィールを見ると、やってそうですが。「重厚」の使われ方が多義的過ぎて、はっきりしない。ストーリーなのか、グラフィカルなものなのか。大体、グラフィックが精緻であるだけでは、普通「重厚」とは言わないので、フォトリアルな方向性のものを、言っているのでしょうね。後、ストーリー的な事で言うと、登場人物がどんどん死んだり、裏切りがあったり。悲劇的な内容は、「重厚」と評価され易いのかな。まあ、凄く解り易いイメージを使うと、『タクティクス・オウガ』は重厚だが、『ぷよぷよ』は重厚では無い、という感じなんでしょうね(←解り易いのか?)。

ところで、痛いニュースの方、引用が、

例えるのは難しいが、重厚なCG映像にどっぷりとひたるゲームが食通向けの豪華ディナーだとしたら、「Wii Fit」や「Scene It?」「ROCK BAND」のような大勢でワイワイと楽しむソフトはラーメンのようなものだ。
これまで豪華なディナーを並べていたレストラン街が、突然ラーメンを売る屋台ばかりになった…と言っていいかもしれない。

で終わってますが、元記事を見ると、

(略)これまで豪華なディナーを並べていたレストラン街が、突然ラーメンを売る屋台ばかりになった…と言っていいかもしれない。もちろん、ラーメンでも、豪華なディナーを凌駕する味の逸品は存在しうる。どっちがいいという味覚の満足度の話ではない。スタイルが変化したのである。

って書いてあるんですよね。細かい事ですが。

売れるゲームを作る、というのは、健全な事だと思います。求める人が多くて、作り手がそれに答える。売れなきゃ作られなくなって、衰退する。そういう話だと。

超ゲーム好きの金持ちがいて、私費を何億も投じ、有能なクリエイターを使ってゲームを作らせる、なんて事があっても全然構わないのですが、起こりそうも無いですね。

色んなゲームがあれば、それでいいと思うんですけどね。やる側からすると、つまらんものはやらないし、面白いものは遊ぶ。それだけです。何が「ゲームらしい」とか、そんな事は、どうでも良いのですね。やる前からあまりそういう事を考えると、視野を狭めてしまうので。もちろん、やった後の評価として、「ゲームらしい/らしくない」と言う事は、ありますが。いわゆる「ゲーム性」ってやつですか。でも、それはあくまで、作品を評価する一要素でしかありません。歌の下手な歌手が売れる様に、画の稚拙なマンガが売れる様に、作品の価値というものは、様々な要因が絡み合って形成されるものなので。無理に分解して、重要な要素を決めなくとも良いですね。

なんて事を書いていますが、グラフィックとかには煩かったりします(笑) でも、グラフィックが駄目でも面白いゲームはある。当たり前ですが。それはそれで、認めればいい。一本道ストーリーで、自由度が低くても、美麗グラフィックで感動し(映像の効果は大きい)、高い評価を与える事もある。評価というのは、そんなものです。

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2007年7月18日 (水)

何のせい?

痛いニュース(ノ∀`):フジテレビ「ゴールデンタイムの視聴率が悪いのはゲームのせい」

イギリス生活情報週刊誌 - 英国ニュースダイジェスト - 英国における日本報道

「ゲームのせい」と書くのは、いかにも印象誘導的ですが、それはまあ置いといて(痛いニュースのタイトルは、そんなもんです)。

フジテレビの専務氏の分析、つまり、視聴率低下について、Wiiが主たる要因である、というのが正しいかは、よく解りません。テレビ以外のものに関心が分散されている、というのは、当たっているでしょうけれど、その主な対象がテレビゲーム、というのは、どうなんでしょうね。もし正しいとしても、それがどうした、という感じですよね。相対的に、テレビのコンテンツがつまらないというだけの話なので。

で、何故Wii云々という話が出てきたのかと考えると、それが、最近の流行り物を代表する商品の名で、いかにも流行に敏感であるというのを象徴する語であると認識していたから、ではないかと思います。要するに、「使ってみたかった」だけではないかと。

ソースは未確認なので、細かい意味合いが解らない所もありますが、

テレビそのものに問題があるというよりは

これはどうなんでしょうね。仮に、Wiiに関心が移ったというのが正しいならば、それは論理的に、「テレビそのものに問題がある」事になりますよね。ゲームより面白いコンテンツが作れていない、という意味で。そうでないと、テレビより面白いものがあれば、それにユーザーが流れていくのは仕方が無い、という事になりますしね。

で、2ちゃんねるの反応は、ゲームのせい云々については、ちょっと過剰な所がある様な気もしますが、他の部分には、結構賛成です。

要するに、ディスカバリーチャンネル(←スカパーの無料放送の日に観るくらいですが、素晴らしいですよね。面白い)レベルの番組を作ってみれば? という感じです。視聴者がどんなものを求めているか、というのを、マーケティングしているのかな。私はバラエティも大好きですけど、他人を見下したりして視聴者に優越感を味わわせたりする番組とか、そういうのは多いですよね。尤も、昔からなのかも知れませんが、ちとうんざりもしますよね。たとえば、芸人の身体的特徴とか家庭環境とかを貶して笑いをとる、というのは、程々にしないと。後、感動の演出。これは勘弁して欲しい。

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2007年7月15日 (日)

操作´

Interdisciplinary: 操作

ゲームにおける重要な概念として、「操作」が挙げられます。

操作とは、「(機械などを)あやつって働かせること。また、自分に都合のよいようにうまく運用・処理すること。」(『広辞苑』第五版)ですが、ゲームがテレビ等のメディアと異なるのは、画面上のキャラクターや、流れてくる音声を、直接的に操作出来る、という事でしょう(その自由度は、ゲームによって異なりますが)。テレビや映画等は、基本的には、画面上に現れる映像や、聞こえてくる音声を受け取るだけです。アクションにしろ何にしろ、キャラクターを、直接操作する訳ですね。アクションでは、かなり自由な操作が可能です。一般的なコントローラでは、動かせる自由度が大きい程、操作性が複雑になります。ゲームの特徴は、インタラクティブであるという事ですね。

操作出来る対象は、パズルゲームのピースやテーブルゲームの駒、人格を与えられたキャラクター等です。この内、後者がより重要であると考えます。

ロールプレイングやシミュレーション、アクションやアドベンチャー等では、ユニークな人格をもった主人公を操り、ストーリーを進めていきます。そこでは、プレイヤーが、物語に極めて積極的に関る、という、ゲームに独特の展開が見られます。それは恰も、プレイヤーが、観客であると同時に脚本家である様なものです。自分の判断が、主人公の行動をコントロールし、物語の展開を左右する。しかし、プレイヤーは物語の全容を知っている訳ではないので、次に何が起こるか確実には解らない、というシステムです。没入感、というやつでしょうか。自分の行動に応じてストーリーが展開する、というものですね。応じて、といっても、ソフトによって、その自由さは、様々である訳ですが。

ゲームのこの様な特徴に注目し、研究する事は、とても重要ではないでしょうか。

私は、ゲームが、「良くも悪くも認知に大きな影響を与える可能性がある」と考えています。ゲームには、クリエイターの思想が込められており、それはプレイヤーの悩みを癒す事もあれば、それを増幅し、よりネガティヴにさせるかも知れません。ゲームの「操作性」を考えれば、他の文化より大きな影響を与える事も、可能性としてはあるでしょう。ゲームの影響云々と言う人は、(ゲームに)否定的な論者も肯定的な論者も、当該文化を正しく認識しようという努力を怠っているのではないでしょうか。これは、よく感じる事です。下にも書いている様に、ゲームには大した影響は無い、という意味合いの意見を言う人もいますが、それは、認識不足なのだと思います。ゲームのインタラクティブ性が、それにどう関わってくるかは、よく判らない所ではありますが。

例えば、「ゲーム脳」を否定する学者の中には、どうせゲームなど、人間に大した影響など与えないのだ、という様な事を主張する人がいますが、これは、ゲームという文化を過小評価していると考えられます。ゲームは、映画や小説や音楽と同じく(それらを包含し得る)、思想を表現出来る文化です。そしてこの文化には、数え切れない程の人が関わり、創造力を発揮しているのです。その様な文化が、人間に大した影響など与えない、と主張するのは、「ゲーム脳」論等の単純な還元主義的理論を主張する事とは違う意味で、ゲームというものを正確に捉えていない、と言えるでしょう。つまり、文化として複雑であるという意味です。極端に言うと、何だって表現出来る。そういう豊かさを、よく考える必要があります。

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2007年7月14日 (土)

ゲームとは何か(2)´ 寿司とゲームのアナロジー´

Interdisciplinary: ゲームとは何か(2)

前回は、私達が日常的に「ゲーム」と呼んでいるものの定義を試みました。しかし、これだけでは充分ではありません。今回は、「ゲーム」という文化が、具体的にどの様な在り方をしているか、について考察します(以下、特に断らない限り、「ゲーム」は、「コンピュータ・ゲーム」を指します)。

ゲームには、様々なジャンルがあります。以下列挙してみましょう(コンピュータゲーム - Wikipediaより引用)。

※引用文は省略

実に多数の種類が挙げられます(勿論、必ずしも峻別出来るものではありませんが)。

ゲームは、テレビと同様に、専ら光と音を媒体とするので、芸能・スポーツ・経済・軍事・政治等の、様々な文化に関する情報を伝達する事が可能です。要するに、何でも表現出来る、という事です。ゲームはマルチメディアなので、大変豊かな表現が可能です。テレビと異なるのは、一つのコンテンツ内で、人間の信号の入力に応じた結果が出力される、ということでしょう※。つまり、操作出来る、という事。インタラクティブなメディア。自分が思う様にキャラクターを動かす事が出来たり。下に書いていますが、テレビのチャンネルを替えるのとは、ちょっと違います。

※テレビで、「チャンネルを変える」という操作がありますが、これは、コンテンツを選択する操作です。又、ビデオの早送りや巻き戻しの機能は、「(広義の)ゲーム」には当てはまらないでしょう。

私は前回

「ボウリング」や「パチンコ」、「麻雀」や「将棋」、「メール」や「チャット」は、「コンピュータ・ゲーム」とは言えない、となります。

と書きましが、例えば将棋では、ディスプレイ上に盤面を表示させれば、それは「(コンピュータ)ゲーム」と認識される事になります。他のゲームも同様です※2。将棋や碁等は、本質的に、駒や石の位置関係等の構造が重要であって、駒や石の材質等は、何でもいいのですね。だから、目隠し将棋というものが成立し得る訳です。もちろん、ディスプレイ上に表示されたドットの集合でも、構わない。デジタルなんですよね、将棋とかって。まあ、ホリスティックに考えると、駒の手触りがどうとか、そういう所を重視する場合もあるでしょうけれど、それは置いておきます。対して、パチンコゲームとかドライブシミュレータとかは、いかに現実の挙動を再現するか、というのが重要なのですね。だから、元々模擬なので、本物を知っていて、それと比較するという面があります。

※2ボウリングやパチンコのゲームは、広義の「シミュレーション(模擬)ゲーム」と言えるでしょう。対して、将棋やオセロやチェス等は、元のゲームそのもの(の媒体を換えたもの)と言う事が出来るでしょう(駒や盤は、木でも紙でも金属でも、何でも構わない。音声のみで進める事も出来る)。

この様に、「ゲーム」とは、様々な文化の要素を含む、とても複雑な文化現象である、と言えるでしょう。これは、無限の「ゲーム」が創造され得る、という事でもあります。論理的には、色々出来ます。教育的なゲームとかも。シリアスゲームですね。最近、DSで、そういうジャンルのソフトが結構出ているのは、興味深い所です。

何度も書きますが、ゲームの悪影響を主張する論者には、この視座が決定的に欠けているのです。そもそも多様で複雑であるものを、無理矢理一括りにして(あるいは、ごく小数の例をもって)、その影響云々を論ずるのは妥当ではありません。もし「ゲーム」が悪影響を及ぼすと言うのであれば、多様な在り方をしているゲームに共通する論理※3を明らかにし、それがどの様に悪影響※4を及ぼしているか、そのメカニズムを解明しなければならないのです。もし大部分のゲームに好ましく無い影響があるとすれば、ゲームが、ある程度一様な性質を持っていなければならない訳ですね。それは、全てのゲームに共通の構造がある、また、悪影響を与える因子を含むゲームが多く普及している、のどちらかです。

※3私は、「ゲームに何が含まれないか」を考察する事が重要であると考えています。例えば、全身的な身体運動を伴わない事、等です。勿論これは一般論ではありません。現状では比較的少ない、と言える程度です。ただ、これを基に、ゲームをやり過ぎると運動不足になる、という程度の事は言えると思います(生活の時間配分の問題なので当然です)。ですが、飛躍して、これ以上の事は言うべきではありません。一般的なゲームは身体を大きく動かさないからといって、ゲームをすると身体に悪い、と主張するのは言い過ぎだ、という事です。勉強をやっている人に、あまりやり過ぎると、運動不足になるよ、と言う事はあると思いますが、それは別に、「勉強の弊害」を述べる、という意味合いでは無いですよね。相関関係(擬似相関)と因果関係との違いも考える必要があります。

又、ゲームの特徴としては、「対象を直接的に操作出来る」という事が挙げられると思います。例えば、ゲームの世界に積極的に参加(映画等は、受動的)して、「英雄」や「支配者」を演ずることが出来ます。勿論、「大量殺戮者」でも「聖者」でも、です。この積極性というのは、小説や映画とは異なった性質と言えるかも知れません。こういうインタラクティブ性というのは、結構重要な部分だと考えています。もちろん、良くも悪くも影響する事がある、という意味ですが。

※4そもそも「悪影響」とは何か、という問題もあります。「ゲーム脳”派”」の人達は、脳の前頭前野の機能低下を主張します。ゲーム脳系。ゲームを薬物と同一視したりして、生理・生化学的論理に強引に結びつけようとする。「認知」を対象に含めている研究者は、例えば、「暴力性を高める可能性(ゲーム脳派は、前頭前野の機能低下の結果による暴力性の高まり、あるいは抑制の低下を主張します。そこに「認知」の視点は見られません)」を言います。前者は論外として、後者については良く考える必要があります。何故ならば、「暴力とは何か」という事まで考察しなければならないからです。後者は、坂元章氏等の研究の事ですね。

これは勿論、特定のジャンルのゲームをした場合に、心理学的にどの様な効果を及ぼすか、といった研究を否定するものではありません※5。寧ろ、この様な研究は、積極的に行われるべきでしょう。ただ、この様な研究を行う際、結果について安易な解釈を施すべきではないでしょう。常に、別解釈の可能性や、他の環境の影響の検討、実験環境そのものが与えるバイアス等を考慮すべきです。

※5ゲームの与える影響、についての心理学的研究としては、お茶の水女子大学の坂元章氏の社会心理学的研究が、評価出来ます。ただ、「暴力とはそもそも何か」という視座や、実験環境の与えるバイアス、他の環境の与える効果との比較、といった観点が足りない様に思われます。2006年9月24日追記:この指摘は的外れですね。坂元氏の著作を全て検討した訳では無いので、こう判断を下すのは妥当ではありませんでした。「攻撃」や「暴力」等の構成概念については、心理学的に様々な定義が為されているので、それに従って研究を進めるのは、当然の事です。定義や心理測定尺度が妥当であるかとか、それらの語が世間でどの様に使われているかという社会言語学的問題は、取り敢えずは切り離して良いと思います。ただ、研究結果を世間に公表する際には、この問題が深く関わってきますから、良く考えねばならないでしょう。追記は、茶色に変更。

これまで、「ゲーム脳」論の妥当性から、そもそも「ゲーム」とは何か、というまで、私なりに論じてきました。概念の曖昧さや、論旨の不明確な所等はあると思います。ですが、「ゲーム」というものが、そもそも複雑で、多様な文化であるという事、そして文化を解くには、広く人文・社会科学的な考察が必要である、という私の主張には、同意して頂けると考えています。同意して下さいました? 何だか解りにくいかもですが(笑) でも、ゲームをよくする人にとっては、当たり前の話を書いているだけなんですよね。

研究者は、もっと文化の複雑性というものに目を向けるべきです。複雑なものを、必要以上に単純化せず、その複雑さを充分に認識して、研究に当たるべきではないでしょうか。何らかの化学物質の影響といった話ならともかく、様々なコンテンツを表現出来るメディアについての話なのですから、これは当然の事です。

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Interdisciplinary: 寿司とゲームのアナロジー

学者が、「寿司が身体に与える影響」を研究する、と言って、トロだけ食べさせて、体調の変化等を記録し、その結果をもって、「寿司が身体に与える影響を解明した」と主張したら、皆さんはどう思われるでしょうか。

とても滑稽だとは思いませんか。

森昭雄氏等の研究は、これに似たものです。

この喩え、結構気に入っています。多分、寿司に共通するのは、「酢飯を使う」事なのだと思います(由来とか知らないので、適当)。だから、どんなネタを使うか、によって、味も違うし、栄養価も全然異なるのですよね。で、ネタを一つ用いてそれを食べさせた所で、寿司一般がどうこうとは、言えない訳です。寿司が身体に良い、というのは、結構言われる事だと感じますが、それは恐らく、寿司には魚が多く用いられる事、シャリには酢が含まれる事、等の事実から、総体的に見て、栄養学的にどうだ、というのが言われているのだと思います。なので、ゲームに関しても、同じ様なアプローチをすべきなのですよね。あるジャンルのゲームがどうこうと言うなら、それがどのくらい分布しているか、とか、ゲーム一般に共通する因子があるというなら、それを示すとか。寿司で言う「シャリ」に当たる部分は、ゲームで言うと、入出力装置ですね。「ネタ」に当たるのは、ゲームのジャンルや、各ソフトで用いられる具体的な表現方法(グラフィック。サウンド)や、コンテンツに含まれる、クリエイターの思想的な部分等でしょう。

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何故売れない? 何故売れる?

痛いニュース(ノ∀`):ピーター・ムーア氏「なぜ日本でXbox360が売れないのか…皆さんに聞きたいくらいです」

売れる・売れないに関しては、マスメディアの力は大きいと思う。

別に、ワイドショーとかで流行り物を紹介したり、というのだけでは無くて、たとえばバラエティ番組の商品で出てきたり、芸能人が、「これおもしろいんですよ~」と言ったり。
そういう効果というのは、大きいんじゃないかなあ、と。
もちろん、そこに至るまでに、何かツカミが要る訳ですが。DSだと脳トレで、Wiiだと、あのゲームスタイルそのものが、インパクトを与えたのでしょうね。バラエティのコーナー自体で使う事も出来ますし。PS3の場合、基本的には(ある程度の知識が無いと、認識出来ない)ハイスペックなのが売りなので、超強力なキラーコンテンツが出なければ、ユーザーを惹く事は出来ないのだと思っています。そして、事実、掴めなかった。BDの求心力など、全く小さいものでしょうしね。

さて、PS3、このままでは、始まる前に終わる可能性があります。それを回避出来るか。いや、もう終わっているという評価が、多数かも知れませんが。MGSやFFに、起死回生に至る程の求心力が、望めるのか。まあ、難しいですね。ハードが売れていない→メーカーが、ソフト開発を渋る→ハードの売り上げがのびない→他のハードは売れる→他のハード用のゲームを作る。PS3用のソフトには慎重になる→売り上げに差が開く……のスパイラルなので。

360については、「雰囲気」と言うか、匂いと言うか。文化的な異なりと言ってしまえばそれまでですが、合わない、というのがあるのかな。もちろん、外見のデザインや、広告の仕方、日本のメディアでの紹介のされ方等、色々な因子が絡み合っているので、これが原因、とは言いにくいものがありますが。

あ、子どもが欲しがるゲームが出ないのは、大きいでしょうね。ドラゴンボール系とかね。

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2007年6月19日 (火)

はずれてるかな?

うーん、この種(今日最初に上げたエントリーへ、GO)の話題が出るたびに思うのですが。そして、何度も書いていますが。

理科的なリテラシーが「低くなった」とか、或いは、今の若い世代は、それが低い(前の世代が若かった頃に較べて)、とか、どこまで妥当なのかな、と。こういう主張の場合は、明らかに、「比較」ですからね。以前よりどうだ、という。

私は、ニセ科学が蔓延している状況を論ずる際には、社会一般の科学リテラシーが「低下」した、という事は、前提「していない」のですよね。
私の認識としては、今も昔も、リテラシーが低い人は、一定の割合で存在する。それがどの様に推移したのかは、精確な評価は難しい。しかし、現状がどうであれ、リテラシーの底上げは必要である。という感じですね。だから、昔がどうであったとかは、論じていないです。
で、ニセ科学が流布するという現象については、情報化の進展で、時間的にも空間的にも、広がり方のスピード・範囲が、圧倒的に大きくなった、という所が問題だと思っています。そして、そういう説が、以前より圧倒的に広まっているか、また、それはリテラシーの「低下」が要因か、というのは、別の話です。もしそれを主張するなら、それこそ、科学的に精確に論ずるべきですから。

そもそも、社会総体の科学リテラシーの高低と、ニセ科学的言説の流布の程度は、相対的(あくまで相対的、です)に独立した問題であると考えています。

何か纏まって無いですね。

反論等があれば、ありがたいです。

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このコメント、apjさんのブログのエントリーの、酔うぞさんのコメントを読んだりして、考えたものです⇒水伝またきた :: 事象の地平線::---Event Horizon---

以降は、エントリーの主旨と全くはずれるので(そして、多くの人にとっては瑣末な指摘なので)、こちらに書きますが、

それが、最近では子どもたちの経験の範囲は非常に狭くなった。
そして、ゲームなどバーチャルな経験は圧倒的に増えたから、どうも高校生になっても、理科・工作といったものを楽しんだことがないらしい

ここで表現されている「バーチャル」がどういう意味なのか、ちょっと掴めないです。それと、前段と後段が、「から」で接続されているのも、変です。理科や工作を楽しんだことがない「根拠」を「ゲームなど」に求めるのが、ちょっとおかしいです。ここで、「バーチャル」に何を含意させているかが、ポイントになってくる訳ですね。もし、「現実の行為の代替」という意味を含ませてあるのであれば、文は整合します。ですが、その場合には、「バーチャル」という語を、誤解なさっている、という事になります。ゲームは単にゲームであって、それは、現実の経験を忠実に再現したものなどでは無いからです。
で、もしそういう含意が無いのであれば、わざわざ「ゲームなど」を持ってくる必要は、ありません。将棋ばかりやっていて、小説ばかり読んでいて、サッカーばかりやっていて、工作経験が殆ど無い、という様な言明と、あまり変わりませんので。

また、「ゲーム」という語が出てきたから過剰反応してるよ、と思われた方も、いらっしゃるでしょうね。そういうご指摘への返答は明快で、「その通り」、です。

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2007年6月17日 (日)

ゲーム好きなんだろうなあ

これは、なかなかの力作ですね⇒1からわかるテレビゲームの基礎知識

かなりマニアックなハードも押さえてありますね。セガ・マスターシステムとかも(個人的に、このハードには、苦い思い出があったり)。

あれだけ複雑なゲームの体系を纏めるのは、大変だったでしょうね。ゲームにそれ程詳しくない人に対するガイダンスなので、書き方にも、工夫が要りますしね。

ゲームに関する基礎的な情報を知りたいと思った時に、参考になると思います。

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2007年6月16日 (土)

ゲーム中毒?

ITmedia News:「ネット・ゲーム中毒を精神障害に分類」――米学会が推奨

先ず、基本的に言えるのは、対象がゲームでも何でも、主張が学術的に妥当なのであれば、それはそうすれば良い、という事ですね。

で、ネットやMMORPGが、他と較べて特に強調すべき(DSMに含める程の)対象であるのか、という所には、ちょっと疑問を持ちます。この分野に関しては、勉強が足りないので、あまり不用意な事は言えませんけれど、多くの文化現象が、危険性は含んでいる訳ですから、それが特に大きい事が示されなければ、強調して採り上げる必要は、無いと思います。MMORPGは、近年になって出てきた(ある程度普及してから、そんなに経っていないですね)文化ですから、それが目立っている、というのが、あるかも知れません。※JosephYoikoさんの文系白書ブログ: 毎日新聞科学環境部の皆様も、参考にしました。

同学会は、ほかのメディアと同様にビデオゲームには良い効果もあるかもしれないとしながらも、ビデオゲーム業界はプレイヤーの年齢に合わない映像やマーケティングを使う傾向があり、これがてんかんなどの身体的症状や、社会的不適応行動などの副作用への懸念につながっていると指摘。

てんかんのリスクって、そんなに大きいのでしたっけ? 社会的不適応行動についても、それ程明確な因果関係は、見出されていないですよね。日本では、成人辺りから、因果関係が見られる、という研究があったとは思いますけれど(学童期には、むしろ、良好なコミュニケーションを促す事が、見出されていますね)。

こういうニュースを見て、それ見た事か、という人が、出てきそうな予感。慎重であって欲しいですね。

ところで、この文脈で、「中毒」という比喩的表現を用いるのは、どうなんでしょうね。ちょっと紛らわしい様に思いますが。

MMORPGが特に、というのは、どういう根拠なんでしょう。プレイ人口の母数が多いから? ゲームとしての完成度が高いものが多いから?(←実態は把握していません) 直感的には、ある程度の人数がオンラインでコミュニケーションしながらプレイするゲームであれば、同じ様なものだと考えるのですけれど。

参照:

インターネット依存症 - Wikipedia

ネット中毒 - Wikipedia

オンラインゲーム依存症 - Wikipedia

オンラインゲーム - Wikipedia

MORPG - Wikipedia

MMORPG - Wikipedia

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2007年6月 9日 (土)

na…nandatteー!!

「ゲーム@小説2-恐怖の大王は、ゲーム機だった! 」 ニュースな本棚|Excite エキサイト : ブックス

これは、かなり読んでみたいですね。って言うか、もしかして、有名?

紹介を読むだけで、お腹一杯になりそうです。だって、

世界をカバーする携帯電話をさらにグレードアップしたもので、人工衛星から送られてきた電波とゲーム機が反応して、魔の霊的な波動を起こすのである。
その波動は、666であり、獣のサブリミナル・メッセージだ。(孫引き。リンク先より引用)

これですよ? わくわくせざるを得ないではありませんか。

Amazonで、同じ著者の本を調べると…。余りにご馳走過ぎて、食べ切れなそうであります。

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2007年6月 4日 (月)

きちんと

これは良いエントリー⇒Peace of mind ゲームをさせることは本当はいいのか?

不安を煽る様な説を鵜呑みにせず、きちんと考えて、ゲームに接しようとしておられますね。細かい部分で、ちょっと違うかな、という所もありますけれど、これだけ「ゲームの悪影響」が喧伝されている現状で、冷静に考えようとされる誠実さが、伝わりますね。

ゲームについての学術的な研究に触れるのに最適な本として、坂元章氏の著作をご紹介します。

テレビゲームと子どもの心―子どもたちは凶暴化していくのか? Book テレビゲームと子どもの心―子どもたちは凶暴化していくのか?

著者:坂元 章
販売元:メタモル出版
Amazon.co.jpで詳細を確認する

メディアと人間の発達―テレビ、テレビゲーム、インターネット、そしてロボットの心理的影響 Book メディアと人間の発達―テレビ、テレビゲーム、インターネット、そしてロボットの心理的影響

販売元:学文社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

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2007年5月15日 (火)

嬉しく無いニュース

遊鬱さんの所で得た情報です⇒脳内汚染からの脱出(岡田 尊司)

新書で出すか? これを…。

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脳の探求? 監修!

こどものもうそうblog | ゲームデザイナが脳波を測るイベント「ゲーム脳120%ZOKKONラブ」

おおっ、これは!

面白そう。

青山ブックセンター:麻野一哉×飯田和敏×米光一成 トークショー(本店:'07年6月2日)

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「脳トレ」で研究棟建設…川島教授、監修料から3億円 : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

川島教授は「税金を使わず、研究を発展させられる産学連携の成功例」

これって、「産学連携」って言っていいのかなあ。いや、よくは解らないのですけれど。

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2007年4月21日 (土)

何を言いたいのかな…

痛いニュース(ノ∀`):「ゲームは時間を奪う。ゲームで感動は難しい。ゲームなんて文化じゃない」… 内閣知財戦略本部コンテンツ専門委員会

はてなブックマーク - 痛いニュース(ノ∀`):「ゲームは時間を奪う。ゲームで感動は難しい。ゲームなんて文化じゃない 」… 内閣知財戦略本部コンテンツ専門委員会

知はうごく:コンテンツ力(7-3)日本の戦略|エンタメ|カルチャー|Sankei WEB

「戦略的に全部やるのは大変だ。毛沢東がいうように一転突破全面展開が望ましい。ただ、実写映画は厳しい。ハリウッドとか中国の金のかけ方とか人のかけ方はすさまじい。それで、アニメとか漫画とかということになった。ゲームについては、ぼくは異論がある。アニメや漫画は感動をもたらすけれど、ゲームは、お金だけ持っていって、子供の時間奪ってますね。その人生にプラスアルファがない。宮崎さんとか他のアニメ見て、人生変わったという人はいると思います。心ふるえるほどの感動とか、ゲームは若干難しい。ビジネスとしてはいいかもしれないが、恨みをもたれる。かつてのエコノミックアニマルのコンテンツ番みたいにね。敬意も払ってくれない」

ふうん…。

どうなんでしょう。これ⇒BIT LITERACYとかこれ⇒浜野保樹の「日本発のマンガ・アニメの行方」 : Hotwired:第8回 グローバル・コンテンツの襲来とかを読むと、別に、ゲームに関して無知である、という事でも無さそうですけれど。

「私はそう思う」が、強く出過ぎに読めてしまいますね。少なくとも、日本のゲーム文化に批判的な意味合いではありますし。どの様な根拠での発言かは、知りたい所です。現状認識が妥当か、という問題でしょうし。でも、痛いニュースのタイトルは、無茶苦茶ですね。どこにも書いてない事(「ゲームなんて文化じゃない」)をタイトルにしちゃ、いかんでしょう。

震える様な感動を覚えたゲームなんて、数え切れない程あります。他の文化より圧倒的にね。だから好きなんですよ。ちょっと、侮辱されている感じを、読んだ瞬間に覚えました。あの言い方(書き方)だとね。

懐疑的に見ると、インタビューが恣意的に編集された可能性も、あり得ますけどね。宮本茂氏の発言を曲解した情報をそのまま載せた事も、ありますし。今回は、直接のインタビューなので、考え過ぎかも知れませんけれど。

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実は最初、このエントリー、浜野氏を強く批判するものでした。記事にあるインタビューの内容が、充分批判に値する、と考えたからですね。ただ、余り知識が無いのに批判すると、以前の坂元氏への反応と同様になってしまいかねないので、慎重な表現に換えました。

とは言え、「ゲームは、お金だけ持っていって、子供の時間奪ってますね。その人生にプラスアルファがない。」←この発言ですからね。過去に何を言ったか、という事を切り離しても、充分批判の対象になるとも思います。浜野氏の立場を鑑みれば。

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2007年3月29日 (木)

いい加減、「脳に良い」は、やめませんか

某ブクマ経由⇒ラジオは脳にきく。(A)

参考:芸能問題総合研究所Journal:ラジオと「ニセ科学」(B)、放送済み「ラジオ深夜便」 曲目・演目リスト 2/01木 脳のはたらきとラジオの効用 和歌山県立医科大学教授 板倉徹

心理学的には、ラジオを聴く時間と、想像力を測定する心理検査との成績の関連を見る、等の研究を、すべきかと思います。それで関連が見出されたとしても、「ラジオが脳に良い」なんて事は、直ぐには言えない訳ですが。

板倉氏は、「聴くだけで」(Bより引用)とか、「音だけの情報のため、足りない情報を想像力で補おうとし」(Bより引用)と主張していますが、”「本格的に脳を鍛えたければ、紙と鉛筆を用意してラジオを聴くことです」”(Bより引用)ともしています。ラジオを聴けば受動的に想像力が鍛えられると言っていると思いきや、内容に注意しながら聴くと良い、とも言っている訳ですね。ラジオを聴く事に、条件を付け加えています(Bで、批判されています)。心理学的な、注意の問題を、無視している様にも思えますね。たとえば、ラジオを聴きながら受験勉強をさせた直後に、番組の内容と勉強の内容について問う、という課題が与えられた場合には、認知機能のトレーニングに役立つかも知れません。結局、メディアの特性というより、取り組み方が、重要なのではないかと思います。

結局、「具体的にイメージを働かせながらラジオを聴くのが良い」、という主張に見えます。それはそうでしょう、という感じもします。そんな前提条件があれば。

思うのですが、イメージ(画像)を浮かべずに放送の内容を理解するなど、簡単な事ですよね。論理的な関係を把握するだけなら。具体的なイメージが「浮かぶ」のでは無くて、「浮かべる」のが重要なのでは?

ゲーム脳を取り上げる(Aを参照)のはいかんでしょう、どう考えても。

ゲームや漫画によく触れる人の方が、想像力に乏しい(とまでは言ってないか)、という論は、どうなんでしょう。様々な具体的イメージを観て、その経験を組み合わせたりする事で、想像力が鍛えられる気もするんですけどね。経験的には。

こういった論で、よく見られるのが、コンテンツの内容を無視しているものですよね。どんなメディアかによって、一括りにする。それじゃあ、話にならないと思います。

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2007年3月28日 (水)

ゲーム脳批判記事

気になる出来事: ゲーム脳 根拠なし!?気になる出来事: ゲーム脳 親子でルール作りを

「日大大学院泰羅教授」といえば⇒日大医学部・泰羅助教授に聞く(1)[www.tv-game.com]

随分、トーンが違うなあ、という感じ。尤も、インタビューから数年経っているので、意見が変わるというのは、あるでしょうけれど。いや、泰羅氏の意見そのものは、極めて真っ当です。しかし、森昭雄氏に対する評価は、現時点で判断すると、余り当たっていなかった様に思われます。それと、学者が世間に研究内容を発信するやり方への認識にも、ちょっと違和感を覚えますね。まあ、穿った見方をすれば、他にも解釈は出来ますが、憶測になっちゃいますね。

北海道新聞の記事の内容によれば(ソース未確認。上記リンク参照)、ゲームのジャンルによって、イメージング結果に違いが見出された、という事の様ですね。どういった研究なのかな。

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2007年3月27日 (火)

フィールドワーク

テレビゲームを批判する人は、ゲームをすべきなのですよね。「やっていない人間が口を出すな」と言うのは、余り宜しくないですが、事は、ある文化が人間に害を及ぼすか否か(その定量的評価)、という問題ですからね。その対象をしっかり分析しないと、話にならない訳です。

どの様なゲームがあって、それがどういった分布をしているか。ヒットしているゲームはどんなジャンルか。(ユーザーの)年代によって、どう異なるか、等々。それを、きちんと分析する必要があります。ゲームという文化自体、他の文化の要素が複雑に絡み合い、形成されているものですから、そこを考えないと。

『テトリス』と『ドラクエ』が全然違うのは、それこそ、低学年の小学生でも、容易に解る事です。そういう違いを論ずる事も無く、一括りにして扱うのがどれ程乱暴か…それは、ゲームをちょっと知っていれば、簡単に理解出来ます。にも拘らず、ゲーム脳等に乗っかる人が、結構います。他の、「暴力ゲームの影響」に関しても、そうですよね。実際、「心理学的」には、悪影響を及ぼす可能性が見出されている訳ですが、ゲームをする人は、一種類のジャンルのゲームをやる訳ではありません。ゲームがこれ程社会に浸透したのは、その多様性にも拠ると、考える事が出来ます。ソフトを交換する事で、全く異なるコンテンツを楽しめる、という構造です。そう、そもそも、圧倒的に「多様」なのです。

これは、半ば本気なのですが、岡田尊司氏や森昭雄氏やヤンキー先生に、あらゆるジャンルの代表的なゲームを、一通り、やらせて見れば良いのです。そうすれば、解る筈です。いかに自身が浅はかであったかが。ホラーアクションと思しきゲームを「ロールプレイング」などと表現する事の、駄目さが。

もし、それでも、「ゲームは単純」云々と言うのであれば、基本的な認識力が、不足していると言えますから、その場合には、論理的なやり取りが全く通用しないという事が、はっきりと論証された、となるでしょう。

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2007年3月12日 (月)

メモ:ゲーム脳が仮説から脱却するには

ちょっと視点を変えて。例によって、走り書き。整理されていないし、重複部分もあります。

  1. 脳機能イメージングによって、高い確度で認知症が診断できる事を、論証する。
  2. ゲームによって、同様の脳活動が見出される事を、論証する。
  3. 或いは、ゲームプレイ時間と、認知機能に関する心理尺度のスコアとの相関関係を、論証する。
  4. ゲームプレイ中に賦活しない事が見出されたとすれば、それが恒常的である事を論証する。
  5. あらゆるゲームにそれが見られるか、それとも特定のゲームで起こるかを、論証する。
  6. あらゆるゲームで起こるならば、そこに共通する要因を見出す。
  7. 特定の種類のゲームで起こるとするならば、普及しているゲームの大部分が、それと同様の特性を持っていなければならない。そうでなければ、ゲームをやると脳機能が低下する、という仮説が成り立たないからである。
  8. ゲーム以外では起こらない、或いは、ゲームプレイによって著しく起こる事を論証する。そうでなければ、「ゲーム」を術語に含めるのが不適当だからである。

せめて、これくらいは、やって下さいね。

そもそも、ゲーム脳に定義がありませんからねえ…。森氏のロジックは、認知症がイメージングの結果によって診断出来るらしい→ゲームをやると、同じ様な結果になるらしい→ある脳波の状態を「ゲーム脳」と名付けた→ゲーム脳人間は、色々問題がある(悉く主観)。というものですから、論理的に批判する事自体が、難しいんですよね。

端的に書けば、脳の「機能が低下」する事を「ちゃんと測れる」方法を用いて、それが「ゲームによって」引き起こされる事実を見出して、「ゲーム以外では起こらない」と論証しなければ、ならないのです。

ところで、『ゲーム脳の恐怖』をお読みになっていない方の為に、本の腰巻に書かれている文章を引用します。※著者がその内容に関わっているという事では無いでしょうから、本そのものへの批判と取って下さい。

テレビゲームが、子どもたちの脳を壊す!

脳波データの解析で、その恐ろしさが明らかに。

まあ、これ程あからさまに、特定の文化を否定するものも、そんなに無いでしょう。駄目ですよね、どう考えても。

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2007年3月11日 (日)

苦言か

「マリオ」生みの親・宮本茂氏、安易な暴力ゲームに苦言|エンタメ|カルチャー|Sankei WEB

宮本氏の発言という事で、注目すべきですね。詳細な内容が解らないので、何とも言えない所もありますが。要約の仕方によって、ニュアンスも出てくるでしょうし。

色々な捉え方があるでしょう。2ちゃんねるでは、予想通りと言うか、宮本氏に批判的な意見も多く見られます。

追記:これは、記事の要約の仕方が違うとかいうレベルでは無いので、是非、コメント欄もお読み下さい。

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2007年2月21日 (水)

動き

ゲーム規制について、とても気になるニュースあり。

実証研究が、まだ充分に蓄積されていない段階で、規制を断行するという事に、危機感を覚えます。

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2007年2月20日 (火)

シリアスゲーム解説書

シリアスゲームの本格的解説書「シリアスゲーム-教育・社会に役立つデジタルゲーム」2月20日に発売:Garbagegames.com

大変興味深いですね。読もうと思います。

関連サイト:Serious Games Japan

Book シリアスゲーム

著者:藤本 徹
販売元:東京電機大学出版局
Amazon.co.jpで詳細を確認する

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2007年2月17日 (土)

ゲームで賢くなる

私の周りのゲーム好きは、総じて、認識力が高く、冷静に物事を考えます。

詳しくは、「ゲーム」の中でも、RPGやSLG、ADVGが好きな人、ですね。

推測するに、比較的テキスト量の多い、RPGやらをやる事によって、人物の相関を把握したり、マップの形や、街や城の位置などを憶える事によって、論理的認識力が、鍛えられるのではないでしょうか。又、戦闘シーンにおいては、ターン毎に、受けるダメージや与えるダメージを計算し(リアルタイムバトルの場合は瞬時に)、回復魔法や補助魔法を使うタイミングを、考える訳です。素早さのパラメータは、行動順位に関わりますから、もっと複雑になります。ADVにおいては、そのまま「テキストを読む」という部分がありますし、推理系では、ナゾを解く為のヒントを見出すべく目を光らせ、キャラクターの言葉に矛盾を探し出そうとします。ゲームは、基本的に、それらの課題をこなさないと、「先に進まない」訳です。従って、数多の種類のゲームをクリアしてきた人達は、そういう課題を達成してきて、認識力を鍛えた人だと考える事が、出来るのです。

とまあ、ゲームはどんな構造か、という事を考えると、こんな意見も言える訳です。勿論、「周りのゲーム好きは賢い」という主張は、一般化出来ません。私が「賢さ」を判定出来るのか疑問ですし、そもそも賢さとは何か? という問いも含まれる訳です。そして何より、サンプルサイズが一桁ですから(笑) 説得力が無い。

自分の経験を基にして物を言うと、何とでも語れる所がありますね。

最近は、ここら辺の論理を実証的に研究するものも、あるみたいですね。どんどんやって貰いたいです。

わざわざロールプレイングやシミュレーションに限定していますけれど、他のジャンルでは見られない、という事では無いです。

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2007年2月 7日 (水)

説明

大和但馬屋日記の迷宮物件:政治的に正しいかどうかも本当にどうでもよくて

何か、凄い誤解を与えてしまっていたみたいです…。

えっと、前のエントリー(Interdisciplinary: ゲーム脳と脳トレ)で書いたのは、ブログ紹介と、そのブログについての感想を書いた上で、脳トレに対する、ゲームユーザーとしての、個人的な意見を主張しました(一応、”ユーザーとして、かなり個人的な意見を書きますけれど(敢えて一般化して書きます)”と、書きました)。なので、yms-zunさんに対する直接の批判では、無かったのですが…。というか、個人としての意見は、多分、同じ様なものだと思います。ゲーム脳やゲーム論のカテゴリーを読んで頂けると、判って下さるかと(TBしたエントリーでお書きになっている事と、同様の主張をしてあると思います)。たまに、「ゲーム脳を批判するなら脳トレも同じく批判す”べき”だ」と、主張する人がいます。私が書いたのは、そういう人に対する批判ですね。なので、A-WINGさんと徳保さんのやり取りを、例に出した訳で(いや、ちゃんと書いていませんでしたね…。こちらです⇒Frog is not Blog::なぜゲーム脳を批判するのかFrog is not Blog::ひとつの旗の下に)。

川島氏について言及したエントリーを、挙げておきます。

Interdisciplinary: 脳をきたえる?

Interdisciplinary: 過度な依拠

Interdisciplinary: メモ:川島隆太氏の研究について

Interdisciplinary: 学習療法

Interdisciplinary: 色々考えるなあ

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2007年2月 5日 (月)

ビッグバン?

特集:DS・脳トレ“ビッグバン” ある天才の挑戦 (まんたんウェブ)

学習療法による脳機能改善を促進する「脳イメージング理論」の提唱者・川島隆太・東北大教授。

…大丈夫ですか? 誰も突っ込まなかったのだろうか。何重にも間違ってますけど。統語も…。

「ゲーム脳」の提唱者である森は「自分で歯止めをかけるのは難しい子供に安易に与えるのは良くない」と前置きしながら、「まだ実験をしていないので、確かなことはいえないが、良い効果を与える可能性はある」とDSに一定の評価を与えている。

私がよく言及する、「良いゲームが出てきた(出てくる可能性がある)」論です。『ゲーム脳の恐怖』においても、体感ゲーム(古い表現ですが)では好ましい脳波が出る、という事を、仄めかしています。要するに、「当時言っていた事を否定する訳では無い」という論理です。元々森氏の主張は、論理的整合性を、著しく欠いていますから、色々な言い逃れをされる可能性があります。

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2007年2月 4日 (日)

ゲームの解釈

テレビゲーム解釈論序説/アッサンブラージュ Book テレビゲーム解釈論序説/アッサンブラージュ

著者:八尋 茂樹
販売元:現代書館
Amazon.co.jpで詳細を確認する

グッドタイミングというか。丁度、昨日のエントリーと関連する内容の著書を、図書館で偶然見つけたので、読んでいます(存在は知っていたのですが、未読でした)。

テレビゲームを、人文科学的に読み解こうとする労作ですね。

まだ少ししか読んでいませんが、amazonにあるレビューの内容には、頷ける所もあります。とは言え、テレビゲーム文化の複雑さ、奥深さを垣間見るには良いかな、という感想です。

私はどちらかと言うと、ゲームを実証科学的に研究する方に、興味のウエイトを置いていて、本書の様な本は、殆ど読んだ事が無かったので、なかなか新鮮な感じです。現代思想とか文学の表現が多用されていて(そう私には読めます)、難解な気がしますが。

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2007年2月 3日 (土)

シンボル

Interdisciplinary: 展望に頂いた、ドラゴンさんのコメントを受けて。

もしかすると、的外れな意見かも知れませんが。

恐らく、ゲームに否定的な人は、それらの文化を、「子どもがやるもの」、言い方を換えると、「よい大人がやるようなものでは無い」と、看做しているのではないかと思います。「テレビゲーム」を、「幼稚」を象徴する記号と看做している、とも言えます。又、何の役にも立たない、という見方もあるかも知れません。

ゲーム脳は、それらの認識を正当化する装置なのだと思います。そもそもゲームに否定的な人は、森氏の言説に触れて、(潜在的にしろ)それが、自らの認識を客観的に証明する概念だと考え、「飛びついた」のだと思われます。で、そういう人は、たとえば「脳トレ」の様なゲームが出てくると、今までのゲームは駄目だったが、脳トレが出てきて、状況が良くなってきた、と考える、という事もあります。これも結局、権威に頼るという部分がありますね。

ゲームをやる人間として、自分の経験を振り返ってみると、ゲームは、仲間とのコミュニケーションを深めるツールであり、ゲームのストーリー、つまり、映画や小説と同様の、クリエイターの創造性が表現されたものを楽しむメディアであり、(結果的に)記号操作などを鍛え、論理的認識力を高める(あくまで経験的に、ですが)道具でもありました。そして、「大人に馬鹿にされる」文化でもあり、大人がやるものでは無いと、(こんな文章を書いているのに)私自身、思っていました。

メディアそのものメッセージ性というのは、「どの媒体で表現されているか」、という事実が形成するバイアス、と考えてよいと思いますが、今後、それがどの様に変化していくかは、なかなか予想しづらい所ですね。色々な分野の人の取り組み次第、だと思います。実際、川島氏の脳トレは、(過程はどうであれ)ゲームのイメージアップには、大きく貢献したと思います。それによって、「脳にも良いゲームがあるのだ」という認識は、ある程度は広まったと言えるでしょう(それが妥当かどうかは別にして)。もしかすると、教育目的で制作されたシリアスゲームが登場し、それが大きな成果を上げ、注目されるかも知れません。そうすれば、否定的な人も、評価を替えざるを得ないかも知れません。業界の取り組み、マスメディアの取り上げ方、等々が関わってくる、複雑な問題ですね。

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2007年2月 1日 (木)

牽強付会

就活応援、社長のブログ: ゲーム会社のこれからの役目

ゲーム会社は嫌いだ。誤解を恐れずに言わせてもらえば、「子供の小遣いかすめ取って、株式上場もねーだろう。」..と思う。

ゲーム会社を批難すると共に、他人の趣味にまで首を突っ込んで、文句を仰る。「誤解を恐れずに」と書いておられますが、誤解とは何でしょうね。単純な、心情の吐露にしか読めませんが。

その末路は、ゲームオタクだった。親の目から見れば、ゲーム屋さえなければ..と思ってしまう。

これは、ある趣味に時間を費やす人間に対する侮辱ではありませんか? ご家族に対しての感情というのは判りますが、それにしても、この書き方はないと思います(この前に、ご子息について語っておられますが、具体的な事情が判らないので、言及出来ません)。

ところが、すこしゲーム屋さんを見直す出来事が起きている。例えば、「もっと脳を鍛える大人のXXトレーニング」のような、いわゆるピコピコやるゲームとは違うソフトがヒットしている。大人の懐を狙った物だが、なかなかねらいは面白い。こんなソフトなら支持できる。

こういう意見もあるだろうという事は、予想していました。つまり、脳トレ系のゲームが流行り、ゲームは別に、脳に悪影響を与えないのではないか、という認識が広まると、今度は、以前のゲームではゲーム脳になる危険性があったが、脳トレ系のゲームが出てきて、状況は改善された、という論理が現れてくるのです。結局の所、ゲームを批難する事に、変わりは無い訳です。「いわゆるピコピコやるゲーム」とは何でしょう。ゲーム好きに、脳トレについて感想を求めてみると良いと思いますよ。勿論、色々な意見があるでしょうけれど、個人的には、「ゲームとして単純過ぎる」という感想です。ああいった記号操作に適度にエンターテイメント性を纏わせ、仕立て上げたものが、良いゲームなのです。そういう所を詳しく吟味しないから、

ゲーム脳の子供を量産し日本を破滅に導くようなソフトばかりでなく

こんな滅茶苦茶な、暴論が出てくるのです。Wikipediaの項目をリンクするくらいなのですから、ゲーム脳のニセ科学性は、ご存知でも良さそうなものですが。

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2007年1月31日 (水)

展望

適当に考えてみました。

「ゲームの進歩」、というのを想像してみると、それは、大きく、高画質化・高音質化、そして、入力デバイスの形態の変化、に分けられると思います。この内、画質と音質については、想像がつき易い所です。グラフィック面では、フォトリアリスティックなものが追求され、より精緻になっていくでしょうし、音質は、オーディオ技術の発展を、そのまま取り入れていくでしょう。それは、一つの方向性ですね。では、入力形態はどうなるでしょう。現在は、Wiiが、赤外線ポインタと加速度センサーをリモコンに組み込み、二つのリモコンを同時に操作するという、新しいゲームスタイルの可能性を拓きました(それを標準デバイスとした点が大きい)。この先は、どの様な展開が考えられるでしょう。もしかしたら、現在バイオメカニクス研究や3DCG制作で用いられているレベルのモーションキャプチャが安価になり、ゲーム用のデバイスとして採用されるかも知れません(場所の問題あり)。フォースプレート(圧力板)を用いて、荷重を入力信号とするものが、現れるかも知れません(より精緻なものが、という意味です)。その様な入力機器と、それらからの信号を充分に処理出来るハードウェアが安価で供給されれば、極めて多様な情報を入力出来るゲームが、誕生する事になります。

こういった事を踏まえると、ゲームの進歩というのは、近い内に、「行き着く」と考えられます。そうなると、私達は、「ゲーム」に、何を求めるでしょうか。私達は、少なからず、ゲームに対して、「技術の進歩の反映」を期待する所があると思います。ある程度先が見えた所で、皆がゲームに「飽きる」か、それとも、ある時点で、メディアとして完成形と看做されて、安定した状態になるか。或いは、徹底的に人工現実を求めていくのか。

果たして、どうなっていくのでしょうね。結局、売れなければ話になりませんから、ユーザーが何を求めるかというのが、大きく関わってくるでしょうね。現在大学で研究されている様なVR(AR)技術が、ゲームに取り入れられたとして、それを受け容れるかどうかは、よく判らない所ではあります。

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2007年1月26日 (金)

気になるニュース

残虐ゲーム:ローマ法王が非難、規制運動に拍車-IT:MSN毎日インタラクティブ

早速、色々反応が上がっていますね。

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2007年1月14日 (日)

ゲームの影響

「テレビゲームと子供たち ―社会心理学の立場から―」取材ノート 3of3 【今後の課題】:Slash Games (オンラインゲーム総合サイト) 2003/12/13

坂元章氏のゲームに対するスタンスが、簡潔に纏められていて、よく解る記事です。

・有効利用できる、いいゲームを作る
・悪影響への対応
 ・対応しておくことが無難
 ・悪影響がないとは言えない
 ・法的規制はあくまで最後の手段であり、可能な限り回避すべき

 法的規制の導入は、言論の自由を侵すものというだけでなく、メディアリテラシー教育(より狭く言えばゲームリテラシー教育)などの努力を放棄し、法規制の強化に任せようとする思考停止の傾向を生む。

この考えに、異論は無い筈です。ゲームは、メディアです。様々な表現が可能で、色々なメッセージを伝達出来るものです。それは結局、常にコンテンツが変化する可能性があるという事です。どういった表現が可能か、現状ではどうなっているか、今後どうすべきか、それを考え続けていくのが、大切なのではないでしょうか。

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2007年1月 3日 (水)

読み方

Interdisciplinary: 問題点の指摘の問題点の指摘で言及したブログで、私のエントリーに対して、回答(?)して下さっていました。全然気付かなかった…⇒template <class kuenishi> - スルーちからが たりない

うーん、何でそうなるのでしょう。よく解りませんね。このタイトルは、私へ向けてのものかな? それもちょっと判らないです。

概ねは、記事の書き方についての批判であるのは判っていましたが、そもそも私は、あの記事自体、どちらかというと好意的に読んだのですね。これは明らかに、坂元氏についてある程度知っていたから、でしょうけれど。でも、そういうバイアスを取り除いても、あの記事は、ゲーム批判には読めないと思うのですが、それは、私の読みが甘いのでしょうか? (痛いニュースのタイトルは論外ですが。「ゲームが暴力を助長」などとは、元記事のどこにも書いていません)

まあ、確かに、記事を読む人にとっては、坂元氏の研究の詳細などどうでも良い訳ですから、私の指摘も、的はずれと言えば的外れなのかも知れませんね。

積み重ねられた調査結果の上に考察を重ねているだけで、ゲーム、映画(などのメディア)、VR、どれについても本質的な考察がなされていない。それが難しいことは分かってはいるが、仮説を立てて検証するというアプローチも統計的な検証も何もあったもんじゃないので全然納得できそうもない。

むう、解らない。そもそも坂元氏は、社会心理学的に電子メディアの影響を研究する学者なのですから、そこを考えるべきでは? 「本質的な考察」というのは、どういうレベルでの話なのでしょうか。勿論、心理学的方法そのものを批判的に検討する、という視点はありますが。

参考になるサイト・文献を挙げておきます。あと、私が個人的に考えている事を適当に綴ったものは、こちらに⇒Interdisciplinary: メモ:「ゲームは暴力性を高めるか」という問題について

一番良いのは、バーチャル以下略の議事録を読む事です。それに尽きます。これを知っているといないとでは、捉え方に大きく違いが出るでしょう。

『すばる書店』公式ブログ | ゲームリテラシーという言葉(後半の論評は、とても妥当だと思います)

テレビゲームと子どもの心―子どもたちは凶暴化していくのか? Book テレビゲームと子どもの心―子どもたちは凶暴化していくのか?

著者:坂元 章
販売元:メタモル出版
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メディアと人間の発達―テレビ、テレビゲーム、インターネット、そしてロボットの心理的影響 Book メディアと人間の発達―テレビ、テレビゲーム、インターネット、そしてロボットの心理的影響

販売元:学文社
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電子メディアのある「日常」―ケータイ・ネット・ゲームと生徒指導 Book 電子メディアのある「日常」―ケータイ・ネット・ゲームと生徒指導

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攻撃の心理学 Book 攻撃の心理学

著者:B. クラーエ
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2006年12月29日 (金)

問題点の指摘の問題点の指摘

template <class kuenishi> - ゲームリテラシーだってよ

1. 記事の事実関係では、シューティングゲームの実験結果についてのみ言及されているのに対し、記事の論調はゲームの全てを批判するように書かれている

「ゲームの全てを批判するように」というのは、主観的評価なので、読み手の解釈によるだろうから、一概には言えないけれども、記事では、「主人公が魅力的に描かれている場合、個人差はあるものの、暴力シーンが多いシューティングゲーム」と書かれている。ここでは、シューティングゲームに、「主人公が魅力的」、「個人差はあるものの」、「暴力シーンが多い」等の条件が追加されている。これは、慎重な指摘に努めた、と見るべきである。ただ、恰もそれが、ゲーム一般に当てはまるかの如く読まれる、という所に関しては、もっと配慮が必要であったと思われる。

2. 「シューティングゲーム」や「暴力」、「暴力的傾向」など、曖昧な言葉が定義なしに用いられている

これは当たらない。心理学的研究においては、測定したい概念は、そもそも直接的に観察不能(構成概念)であるから、それを定義しなければ、研究自体が始まらない。ただし、記事において、「暴力」や「暴力傾向」の定義なりが触れられていないのは、配慮不足であったと言えるかも知れない。「暴力」とは、日常的に用いられる言葉であり、読む側が、学術概念として捉える事は、少ないであろう。注意深さを求めるならば、注釈を設けるなりして、誤解を解くべく努力すべきだろう。尤もこれは、記事の書き方の問題であるので、どこまで求めるか、というのは、又別に考えなければならないだろう。

3. センセーショナルなゲーム批判とは一線を隔(引用者註:原文ママ)しているように見えるが、実際はセンセーショナルなゲーム批判でしかない

記事そのものの評価であれば別だが、もし坂元氏に対する評価だとすれば、これは全く当たらない。坂元氏は、「バーチャル社会のもたらす弊害から子どもを守る研究会」の委員であり、早計な表現規制に対して、学者としての誠実さを以って、歯止めを掛ける役割を果たされているのである。又、著作を参照すれば解るが、ゲーム等のメディアが及ぼす悪影響に関しては、努めて慎重な書き方をされている。それらを踏まえれば、「センセーショナルなゲーム批判でしかない」とは、全く不当な評価であると言わざるを得ない。

4. 『暴力が正当化される理由は何か▽なぜ、主人公は暴力を振るわないといけないのか▽倒された者の家族はどんな気持ちか??など、「ゲームに描かれていないもの」を考える』など、ゲームの実態を理解しているかどうか疑わしい記述がされている

これは、ゲーム一般に当てはまる論理を記述しているのでは無い。坂元氏の真意は結局、保護者と子どもが共に考える事が重要だ、というものである。「なぜ、主人公は暴力を振るわないといけないのか」等の問いには、様々な次元での答えが用意される。これは、もし、暴力が正当化される様なゲームがあったら、そう疑われる様な言動を子どもが行ったら、という場合に対して、保護者がちゃんと教えてあげられるのが望ましい、という事であろう。子どもが「単なるゲーム(微妙な表現だが)」としてやっている所に、わざわざストーリーの深い所を考えさせる、という意味では無いと考えられる。即ち、ケース・バイ・ケースだという事である。ゲームに関しては、「ゲームに子守をさせて云々…」という文脈で、ネガティブに語られる事もあるから、坂元氏の発言は、そういう批判を受けない様に、親子で共に楽しみましょう、という意図からであったと思われる。そういう意味では、ゲーム文化擁護(不当な批判からの)の発言とも取れるであろう。

僭越ながら、「ショッボイ研究にしか見えない」(template <class kuenishi> - ゲームについて)などと評するのであれば、坂元氏の活動なり著作なりを参照してから仰るべきであると思うのだが、いかがだろうか。

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2006年12月28日 (木)

誤解では?

痛いニュース(ノ∀`):「ゲームが暴力を助長。"倒された者の家族の気持ち"などを考えさせるゲームリテラシー教育を」…専門家

【こども 生活改革】「ゲームリテラシー」教育を-リビングニュース:イザ!

坂元氏に批判的なレス、ちょいと曲解誤解してませんか?(いや、2ちゃんのレスなので、こういう書きぶりなのは、しょうがないですけれど。←批判にあらず)

結局、ゲームをやる時(と言うか、ゲームについて)に認識すべきなのは、それが単なる記号である事、物語は仮構であって、それは現実生活とは全く異なる、という事でしょう。それは、メタな視点として身に着けるべきだと考えます。しかし、それと共に、物語に没頭し、キャラクターに感情移入する事もある訳ですよね。実際の生き方に示唆を与える場合もあるでしょう。それは、どんなメディアも一緒です。子どもがゲームについてどう考えるかは、それぞれの子ども次第だと思います。だから、それを踏まえた上で、保護者が子どもと共に考えていく、というのは、妥当だし、望ましい事だと思うのですが。坂元氏の真意は、どんなゲームにも物語性があって、それを考えさせるべきだ、というのでは無く、保護者も一緒に考えましょう、という一般論の主張でしょう(これは推測ですね。坂元氏が具体的にどう考えているかは、解りません)。確かに、格闘アクションをやっている時に、「このキャラクターには家族がいて…」と言う必要は無いとは思います。この場合は、真似するなよ、程度で良いでしょうね。坂元氏が仰りたいのも、そういう事なのでは?

坂元氏の主張に対してこういう批判が出るのは、予想出来た事ですが。だから、

暴力シーンが多いシューティングゲームをやることで、プレーヤーの暴力的傾向が助長されるという。

この様な言い方をする場合にも、気を付けないといけないのですよね。ここで坂元氏は、心理学的概念として「暴力」を用いている訳ですが、読む側は、そうは取らないでしょう。自分が「暴力的」だと感じる人なりを思い浮かべて、それに当てはめて認識するでしょうから。

ところで皆さん、表現規制に歯止めを掛けているのは、他ならぬ、坂元氏ですよ…。

見出しをもうちょっと考えて欲しい。

2006年12月29日追記:イザ! の記事に、TBを送りました。坂元氏については、Interdisciplinary: ゲーム・ゲーム脳関連リンク集に、関連するリンクがありますので、ご参照下さい。「曲解」を「誤解」に訂正。「曲解」だと、意図的な、という意味合いを持つので、替えました。

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2006年12月20日 (水)

ゲーム・ゲーム脳関連リンク集

ゲーム脳や、他のゲームに関連するWEBページで、参考にしたものを集めてみました(というか、ブックマークしていたものです)。リンク切れがあれば、教えて頂けるとありがたいです。

○ゲーム一般

○ゲーム脳関連(否定的)

○ゲーム脳関連(肯定的)

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2006年12月10日 (日)

脳内汚染の書評集め

『脳内汚染』は、『ゲーム脳の恐怖』と異なり、ある程度広い領域に亘って論が展開されており、先行研究も引用されているので、なかなか、詳細な論評が難しいですね。引用の仕方が妥当か、という問題等がありますし。著者の岡田氏の主張を腑分けし、個別に検討する必要があると思いますが、個人の思い込みも交えて、ごちゃごちゃ絡み合っているので、解きほぐしにくいです。

という訳で、個人があれこれ論ずるより、色々な所で論評されたものを集めた方が、参考になると思ったので、書評のリンク集を作ってみました。否定・肯定、両方取り上げてあります。結構長いです。

・肯定的

ゲンダイネット:【著者インタビュー】:岡田尊司氏(岡田氏へのインタビュー記事)

鐘の声 ブログ: 「脳内汚染」を読んで--心理、教育、社会性の発達(16)(プロフィールによると、情報系の専門家の様です)

香取俊介の道草日誌 : 深刻な「脳内汚染」のもととなっているメディア(「営利企業の「金儲けの元」なので、研究者の声も封殺されているようだが」←こういう事は、不用意に言ってはいけないかと)

☆その時、心が動いた!☆: 『脳内汚染』(「中毒性」という言葉を、安易に使ってよいかどうか、とも思います。尤も、ゲームをよくやる人の間では、「ハマる」とほぼ同義だったりしますが)

脳内汚染 - 活字Holic - livedoor Wiki(ウィキ)(懐疑的な感想もお持ちの様ですが。テレビの内容を話題にしてコミュニケーションを取るのも、良いのではないかと思います)

Dr.森川の人間風車(中立的。「水中毒」は、DHMOの事ですね。「物心ついた時から周りにある」様になった、という環境の変化は、考える必要はあると思います)

福岡県弁護士会 弁護士会の読書: 脳内汚染(うーん、もう少し、懐疑的に読まれた方がよいのでは? 鵜呑みにし過ぎですよ)

『脳内汚染』やはり犯人は… - 原田誉一の電脳掲示板 - 楽天ブログ(Blog)(書評の評。こちらも素直に受け取り過ぎです)

おやこdeてらこや:【本の紹介】:脳内汚染(この追記は何でしょうか。皮肉のつもりかなあ)

暮らし・世界を脅かすゲーム・ネット中毒:岡田氏、警鐘を鳴らす(そんな事例を出されても、という感じ。大体、最初の方のケースは、ゲームの話すら出てないし。大学の教員なのですから、本は批判的に読む事を教えた方が宜しいかと)

今井宏 衆議院議員 公式ウェブサイト | きままに書評(確かに、「恐ろしい警告」です。ゲーム等を、麻薬と同等に捉えるのですから。それらを愛好する人達に対しての「雰囲気」の形成を心配します)

・否定的

らっぱ王子:脳内汚染(CGがフォトリアリスティックになったからといって、それは必ずしも、ハマる要因とはならないのですよね。CGムービーばかりが目立ってゲーム性を蔑ろにしたソフトは、批判の対象になりますし)

脳内汚染とゲーム脳 - マダム・ロハスの楽天的生活 - 楽天ブログ(Blog)(子どもの内には余りやらせない様にしよう、という態度で充分なのだと、私は思っています。それと、養育者が一緒にやるのが重要かな、と。「ゲームに子守をさせる」のが良くないのは、ある意味当たり前の話ですし、それに反対する人も、そんなにいないとは思います←引用先への意見では無いです)

シム宇宙の内側にて ゲーム脳の信者は子育て失敗の言い訳が欲しいだけ。(至極科学的な態度だと思います。要は、科学的に妥当と認められる方法による研究を行うべきだという事です)

ほどほどにね…[脳内汚染] しげのんnoカケラ/ウェブリブログ(実際、読むのに疲れる本です。あの、小説仕立ての表現は、明らかに問題ですよね。恐怖と不安を煽るだけでしょう)

シンさんの偽哲学の小部屋: 脳内汚染(岡田氏は、因果関係と相関関係との違いは、当然、解っておられると考えられますが、それを混同するのが、意図的なのかそうでないのかは、判断しにくい所です。寝屋川調査の質問紙調査で、妥当性・信頼性が認められた測定尺度を使用しているかどうかは、何とも言えないですね)

Stack-Style: ゲーム脳の次は脳内汚染だそうな(妥当な指摘ですね。この問題を捨て置いてしまった事は、とてもマイナスだと思います)

こどものおいしゃさん日記 おおきくなりたいね : 「脳内汚染」岡田尊司 文藝春秋 いささかセカイ系すぎるのでは?(的確な論評。ニセ科学の主唱者にありがちな、飛躍の構造。「自分だけが真理に気付いた」という実感は、いびつな自尊心を肥大させます)

PSJ渋谷研究所X: 「ゲーム脳」「脳内汚染」など:相関と因果(交絡を考慮せず、相関関係を因果関係の如く看做す誤謬を犯しているものは、結構見かけます。リンク先で紹介されている、きくちさんが出された練習問題、面白いですよ)

脳内汚染 「はげひげ」の脳的メモ/ウェブリブログ(論文を引用された学者のブログ。コメント欄にある、「データにはデータで」はその通り。でもなあ、テレビで実験を披露する際には、もう少し気を付けて頂きたいですね)

ネトゲ研究日誌:脳内汚染について - livedoor Blog(ブログ)(私は、本書は、確証バイアスで出来た本だと考えています)

草莽崛起 ーPRIDE OF JAPAN 凶悪な少年犯罪-「脳内汚染」ゲームが脳を汚染する草莽崛起 ーPRIDE OF JAPAN 切れる子どもたちと「脳内汚染」について(以前ご紹介しました。コメント欄が盛り上がっています)

オンライン書店ビーケーワン:脳内汚染「信頼に値しない資料の用い方」(bk1の書評。寝屋川調査の詳細って、全く明らかになってないですね…)

リヴァイアさん、日々のわざ: 岡田尊司氏の「脳内汚染」について(3月2日追記)(川端さんの読み方は、流石、という感じです。慎重に読み解かなければならないという事を、強く主張されています。確かに、森氏の本とは、ちょっと違いますからね。それだけに難しい、という)

サイコドクターぶらり旅(2006-02-02)(”単なる「変化」であってそれ自体では善でも悪でもないと思うのだけど。”これは重要な指摘ですね。「悪影響」に振れた主張が目立ちます。わざわざ良い影響を語っても、見向きもされない、という事もあるのでしょう)

医学都市伝説: なんだかなぁ「脳内汚染」(鹿島氏の書評は、伝説的ですね。ネットのどこかに残ってるかも知れません)

Frog is not Blog::なぜゲーム脳を批判するのか(その通りで、ゲームの愛好家は、案外醒めた眼で見ているのですよね。メタな視点というやつです。害悪を吹聴するより、外から眺める事を教える方が、余程重要です)

たこの感想文: (書評)脳内汚染(詳細な書評。こういう本って、比較対照を出さないのですよね。じゃあ、他のものはどうなの? と問われれば、どう答えるのでしょうか)

読書日録(香山リカさんも、書評を書かれていたのですね。何か、戸惑い気味の様です)

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2006年12月 7日 (木)

Eスポーツ

2ちゃんねるのスレ経由で⇒asahi.com:「ゲームもスポーツ」種目採用 来年のアジア室内大会 - スポーツ

こりゃあ面白い。

JOCの反応も、解らないでもないですが。

ただ、大会の規模が大きくなると、用いられるゲームのレベルも、高いものが求められますね。ゲームバランスを、完璧(と言うと、アレですが)なものにしなければなりません。それに、既成のスポーツを再現したコンピュータゲームで良いのか? という疑問も出そうな感じも。超高難度のアドベンチャーを解かせるとか。そうなると、益々スポーツとは遠ざかる気もしますが。じゃあ、『バーチャファイター』辺りで…。

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2006年12月 4日 (月)

ゲーム研究

ゲーム関連で、いくつかご紹介します。

東京大学馬場研究室/ゲーム研究プロジェクト(東京大学の、馬場章氏の研究室)

openlesson:学際情報学概論II:歴史情報論からコンテンツ創造科学へ(馬場章教授)(馬場氏による講義のストリーミング。iii onlineには、他にも、興味深い講義がいくつもあります。身体運動好きには、深代千之氏の講義がお薦め。佐倉統氏の講義は、とても解り易いです)

大阪電気通信大学 総合情報学部 大学院 総合情報学研究科大阪電気通信大学 総合情報学部 デジタルゲーム学科(数少ない、大学でのゲーム研究の学科。もっと増えればよいですね。学部の方には、別のWEBサイトへのリンクがあります)

DS de イングリッシュ 発進! - 大阪電気通信大学 情報処理教育センター学園広報-紹介ページ(教育用のシリアスゲームは、どんどん出てきて欲しいです。確か、スクエニがどこかと協力して、制作をするのでしたよね)

PlayStation2 大量導入のお知らせ - 大阪電気通信大学 情報処理教育センター(オマケ。なかなか壮観です。他の大学では考えられませんね)

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2006年11月19日 (日)

家庭用ゲーム機症候群

ちょっと古いですが⇒Amazon.co.jp: ファミコン・シンドローム: 本: 深谷 昌志,深谷 和子

タイトルから推察されるような、テレビゲームの悪影響を論じ、不安を駆り立てる、という内容ではありませんでした。

ただ、全体的に、事例報告や調査に対する、著者の恣意的解釈が目立っている様に感じられました。

ゲームやコンピュータと、それに関わっている人を外から眺め、感想文を書いた、といった所でしょうか。

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2006年11月17日 (金)

いじめ調査

冬枯れの街経由で、こういう調査があると知ったのですが、またか、という感じです。

精神的いじめ:高校生「加害も、被害も」最多--京大・PTA調査-話題:MSN毎日インタラクティブ

asahi.com: いじめ、テレビやゲーム漬けが影響か 京大など調査 - 関西

室蘭民報:FLASH24:主要ニュース:友いないといじめ2倍に 人間関係の希薄さ背景か

ZAKZAK:ゲーム、TV、ネット使用時間長いといじめ助長!?

もうちょっと、詳細な数字は出せないのでしょうか。

(情報が少ないので、記事からの推測ですが)「いじめ」を、「しつこいからかいや無視など自分なら不愉快になるようなこと」(毎日)と操作的に定義するのは、妥当でしょうか。質問紙の詳細が判らないので、何とも言えませんが、「自分なら不愉快になるようなこと」というのは、「自分なら」という部分を含んでいるので、自分がされて嫌な事を他人にした場合に、「いじめをした」となると思うのですが、いじめというのは、された側がどう感じるか、という事なので、実態とずれてしまう可能性があります。人により、いじめと感じる閾値は異なります。

ゲームやメール云々というのは、そもそも実数が書かれていないので、具体的に論ずるのは難しいですが、仮に(仮に、です)、相関関係が見出されたとしても、偽相関(他の変数が干渉)の可能性があるので、直ちに、ゲームやメールをよくする「から」いじめをする、等とは言えません。

今回の研究を行ったのは、疫学研究者の様ですから、そんな事は、百も承知のはずです、しかし、

「テレビやゲーム漬けの状態が攻撃性を育て、人間的なつながりの薄さが精神的不安定を引き起こすことで、いじめが生まれる可能性があるのではないか」(朝日―関西)

と言われています。という事は、それなりの根拠があるのだと看做してもよいでしょう。そうでなければ、疫学の専門家が、対した証拠も無しに、発言している事になります。という訳で、木原氏には、詳細なデータを公開する義務があると言えます。報告書を纏められるという事なので、それを待ちたいと思います。

それから、「精神的いじめ」という表現はおかしいと思うのは、私だけでしょうか。

追記:とても参考になる記事がありました⇒H-Yamaguchi.net: いじめもゲームのせいになる、という話朝日新聞に見る『ダメな議論』 - ある日ぼくがいた場所 - 楽天ブログ(Blog)

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コンピュータゲームの定義

Wikipediaの、コンピュータゲーム - Wikipediaを覗いたら、記事が保護されていた事に、初めて気付きました…。

それはともかくとして、ちょっと気になったのが、コンピュータゲームの定義。

コンピュータゲームとは、プレイヤーの行動(入力)以外の全てをコンピュータによって処理されるゲーム。(引用者註:強調等ははずしました)

論理的には正しいのですが、何となく違和感が。コンピュータの構成を知らない人にとっては、意味が解らない、という気が。一般的過ぎて。

私は以前(ゲームとは何か(1)←改めて読むと、ツッコミ所満載ですね。その内書き直すかも知れません)、

ゲームの内、人間による信号の入力がコンピュータによって処理され、その結果が表示装置(ディスプレイ)やスピーカー等へ出力されるもの。出力された信号は、次の入力の手掛かりであり、操作の直接の対象である

という定義をしてみましたが、こちらの方は、論理的におかしいですね。「その結果が表示装置(ディスプレイ)やスピーカー等へ出力されるもの」を、「新たな情報が、人間が知覚可能な信号として出力されるもの」とでもすべきでしょうか。こうすると、遠い将来に出てくるかもしれない「におい」を使ったゲームとか、振動や圧力を信号とするもの等も、包含できますし。それと、「操作の直接の対象」というのも、ちょっと変ですね。必ずしもそうとは限らないですね。光信号くらいでしょうか。うーん、難しい。

人間によって入力された信号がコンピュータで処理され、次の入力の手掛かりとなる情報が、人間が知覚可能な信号として出力されるゲーム。

こんな感じでどうでしょう。入出力について具体的に記述しているので、解り易いかと(入出力装置を、「コンピュータ」概念に含めていません。「電子的に処理され」としようとも思ったのですが)。「人間が知覚可能な」は、光信号に限らない、という強調です。物凄く不毛な事の様な気もしますが…。結局の所、言い換えに過ぎませんし。

根本的な事として、「コンピュータゲーム」を、そもそも、一般的な「ゲーム」の部分集合として良いのか、という疑問もあったりします。

こういうのは、色々な論者が、様々な説を出しているのでしょうけれども、なかなか難しい問題ですね(前、「ゲーム」の定義が書いてあるのを見た事が無い、と書きましたが、自分が読んだ、社会科学・心理学系の本では、という意味です。そもそも、ゲームそのものを論じている本を、余り見た事が無いので、そちらは、良く知らないです←それじゃ駄目だろう、という感じですが…)。

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2006年11月16日 (木)

動向

図解入門業界研究 最新ゲーム業界の動向とカラクリがよーくわかる本 Book 図解入門業界研究 最新ゲーム業界の動向とカラクリがよーくわかる本

著者:橘 寛基
販売元:秀和システム
Amazon.co.jpで詳細を確認する

なかなか面白そうです。

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2006年11月15日 (水)

マルチメディア情報

ご紹介。

マルチメディア時代における『表現の自由』─脳科学からの再検討─(PDF)

「青少年社会環境対策基本法」を支持する

青少年保護と表現の自由について

実証的根拠の無い、主観の一般化が目立ちます。他の部分は、何が仰りたいのか、よく解らないです。

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2006年11月 9日 (木)

日本ぽい

MrJohnnyさんの、吹風日記内、「ぱふぱふ」はなぜ消えたのか、聞こえない音、エロい日本のドラクエを読んで。

いやあ、面白い。熱く語っておられます(笑)

そういえば、「マホカンタ」って、「魔法のカウンター」って意味でしたよね(うろ覚え。間違っていたら済みません…)。なかなか絶妙な命名ではありませんか。

手塚治虫が考案したと言われる無音を表す擬音「シーン」です。

この話、知りませんでした。へえ。

RPGの設定って、思い切り「日本的」ですよね。と言うか、そうでないものは、「受けない」と思います。そもそも、開発者の思想の表現でもある訳ですから、当然という感じもします。

ところで、海外版では、

へんじがない ただのしかばねのようだ

この傑作メッセージ、どう訳されているのでしょうね。そのままなのかな?

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2006年11月 4日 (土)

慎重に考える

以前ご紹介した松田剛氏による、文章です⇒テレビゲームが脳に与える影響

現時点において本研究によって判明したことは、(1)テレビゲームの種類によって脳の活動部位が異なること、(2)テレビゲームをしているときは前頭前野正中部の活動が低下すること、(3)そしてそれは一連の動作の学習に関連がありそうだということ、その3点のみです。それ以上のこともそれ以下のことも言えないのが現状です。脳科学によるテレビゲームへのアプローチはまだ始まったばかりです。今後もこうした地道な調査を進め、テレビゲームが私たちの脳に与える影響を丹念に見つけ出していくつもりです。少ないデータから結論を急ぐよりも、まずは実証的なデータの蓄積が大切ではないでしょうか。

これが、学者としての誠実な態度であると思います。しかし、こんなに当たり前の事を解っていない人が、学者と称する人々の中にもいるのですね。残念な事ですが。

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2006年11月 2日 (木)

リセット、かあ

2ちゃんねるより⇒ゲーム脳の危険性

かなり面白い議論が展開されています。

これ、今思いついた事なので、ツッコミ所満載かも知れませんが…。

  • ゲームをする際に、リセットをためらわない人は、そもそも、ゲームは単にゲームだ、と割り切っている。元々、ゲームに深く没入していない。
  • ゲームをする際に、リセットをためらう人は、ゲームを単なるゲームとは割り切っていない、つまり、リセットしてやり直せばいいや、という軽い考えは、そもそも無い。言い換えると、リセットという行為が、かなり重要な事だと考えている。
  • よって、リセットばかりするから命を軽視する事になる云々、というのは、詭弁である。

うーん、我ながら、微妙。

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2006年10月30日 (月)

ちょっと驚いた

1.【話題】「ゲーム脳」異説 (澤口俊之の脳育成学入門)、2.【話題】再び「ゲーム脳」について (澤口俊之の脳育成学入門)

以下、あくまで、私が澤口氏のブログのエントリーをいくつか読んだ上での感想、という程度でお考え下さい。

あれ、とてもまともな事が書いてある…。何が起こったのでしょうか。

だって、

3.「ゲーム脳」の影響はここまで来た!? 女たちはなぜパンツを見せるのか

こういう事を仰った方ですよ。

とは言え、

4.【10/16】「ゲーム脳」の行方 (澤口俊之の「不良脳科学者のつぶやき」)(前半部参照。後半も、とても興味深い内容。どう考えても、某脳科学者への批判です)

こうも書かれています。

うーん、私は、澤口氏の言説を、余り詳しくは知らないので、何とも言えないのですが(澤口氏の著書を参照した事が無い、という事。氏に対する批判はよく目にします。テレビで、血液型性格判断に、肯定的評価を与えていたのを観た事もあります。ソース失念)、これは、どういう事なのでしょうね。これ程しっかりとした科学的認識を持っていながら、何故に、3.の記事にある様なコメントをしたりするのか、よく解りません(もしかすると、現在も、3.の記事のコメントや、批判されている著書に書いてある事と同様の認識を持っておられるのかも知れません。自然科学的方法については真っ当な考えを持っていても、人文・社会科学については妥当性を欠く認識を持っている、という事もあり得ます)。

「脳年齢」概念等に対しても、極めて真っ当な批判をされています。

皆さん、どう思われますか? ざっと読んだだけなので、私の考えが的外れであるのかも知れません。

※2.の記事に、

「創造力などの活動低下」は全く意味不明である。創造力(creativity)をいかに定義して使っているのか?どう定量化して調べるのか?

とありますが、確か、創造力を測定する心理尺度はあります。勿論、森氏がその様な尺度を用いている訳では無いでしょうけれど。

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2006年10月26日 (木)

「ゲーム脳系」のロジック

「ゲーム脳」と、それに類似する主張をまとめて、「ゲーム脳系」とします。

  1. 人間の脳には、攻撃衝動を抑制する、即ち、「人間らしさ」を司る部分がある。
  2. ゲームを長時間行うと、その「人間らしさを司る部分」に、深刻なダメージを受ける。
  3. ゆえに、ゲームを長時間行うと、「人間らしさ」が失われる。

この様なロジックを、ゲーム脳系の論者は主張する訳ですが、2の部分をしっかり検証する事なく、結論(3の部分)を肯定するのです。これは、明らかに飛躍ですが、ゲーム脳系の支持者は、なかなかこの事に気付かない(或いは、意図的に無視する)様です。そもそも、「ゲームを長時間行う」という文自体が、ゲームという文化を単純化しているのですが。「テレビの前に座ってコントローラをガチャガチャやっている」という場面を観察して、全てのゲームは同じ様なものであると短絡しているのでしょう。例えば、「ゲーム」の部分に「スポーツ」を代入すると、「いや、スポーツと一括りにされても…」と、大部分の人は感じると思いますが、自分のよく知らない文化に対しては、そう考えないのですね。自分にとって未知の領域を単純であると看做すのは、一つの社会心理学的バイアスかも知れません。

何度も書いていますが、もし、「ゲームが脳に与える影響」を考察するのであれば、ゲーム一般に共通する因子を明らかにし、それが脳にどの様な影響を与えるのかを、調べるべきなのです。そうでは無く、一部のゲームをプレイしている際の脳活動の変化を調べた場合には、過度の一般化を避け、その結果がどれだけ他のゲームについても敷衍出来るかを、よく吟味する必要があります。又、条件を統制した状況での実験的研究によって得られた結果が、どの程度、実際の生活状況に一般化出来るか(生態学的妥当性)、という事も、よく考えなければなりません。

大体、文化現象が脳にどの様に影響を与えるか、という事を、神経科学的実験の結果のみを以って判断するという認識自体、かなり素朴であると思うのです…。

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2006年9月30日 (土)

電子メディアと発達

メディアと人間の発達―テレビ、テレビゲーム、インターネット、そしてロボットの心理的影響 Book メディアと人間の発達―テレビ、テレビゲーム、インターネット、そしてロボットの心理的影響

販売元:学文社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

電子メディアが発達に与える影響、を考察する本として、お勧めの一冊です。現在再読中。

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2006年9月25日 (月)

メモ:寝屋川調査

WEBで色々調べてみましたが、調査の具体的な内容については、知る事が出来ませんでした。これでは、調査が妥当であるかを検討するのが難しいですね。勿論、魚住氏の著作から、調査の仕方に問題があるのではないか、と指摘する事は出来ますが、どこがどの様に妥当で、又、どこがどうおかしいかを詳しく論評するには、情報が少なすぎます。本来、この様な場合は、信頼性を欠く、として、見向きもされないはずですが、寝屋川調査においては、数千人規模で調査が行われたという事と、電子メディアが少なからぬ悪影響を及ぼすという結果が出た(と調査者が主張している)、という情報が独り歩きしてしまっている様です(『脳内汚染』の影響も大きいかも知れません)。

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2006年9月19日 (火)

注目

遊鬱さんの、冬枯れの街:「ただいま…まだ言ってなかったよね?」経由で⇒注意欠陥、学習障害の子ども TVゲームで改善

シリアスゲームの応用の一端ですね。とても興味深いものだと思います。

「ゲームを安易に悪者だと決めつける必要はない。来院する子どもの親が『ゲームばかりしていて心配』と訴えるが、『そんなにゲームが好きなの?』と子どもたちに聞くと、『別に』という。ゲームに逃げ込むしかない家庭環境に問題があることも少なくない」

ここは押さえておくべきですね。ゲームに原因を押し付けて、他の諸々の条件を無視してしまうのは、危険です。

身体的に悪影響を及ぼすほどゲームを行えばよくない。ほどほどにすることが大切

(「ほどほど」がどの程度なのか、というのは、議論のある所でしょうけれど)、妥当だと思います。一部の論者は、「そもそもゲームは危険なものである」と主張している訳ですが。それは早計です。

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2006年9月13日 (水)

いまどき中学生

いまどき中学生白書 Book いまどき中学生白書

著者:魚住 絹代
販売元:講談社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

遅ればせながら、読みました。各所で批判されている通り、とても問題のある内容でした。著者は、「プロローグ」において、「精神医学の専門家などの協力を得て、調査が医学的、科学的な裏付けを持つようにした」(P12)と書いていますが、本書を読む限りでは、その様な裏付けがあるとは、到底思えません。特に、グラフの書き方などは、根本的に間違っています。例えば、横軸に、一日平均のゲーム時間をとり、縦軸に、「傷つけられるとこだわり、仕返ししたくなると答えた子の割合(%)」(P56)をとった棒グラフがあります(P56)※こちらに、図が載っています⇒中学生のTVゲーム 長時間で暴力的傾向 : ニュース : 教育 : YOMIURI ONLINE(読売新聞) これは、各項目における基準の量が異なるので、棒グラフにして比較するのは、完全におかしいです。「全くゲームをしない生徒の内、18%」と、「4時間以上する生徒の内、35%」(数値は、asahi.com:朝日新聞関西ニュース:朝日わくわくネットを参照。不明な項目については、グラフより推定しました)を並べて、「4時間以上する生徒は2倍」と判断するのが、いかにナンセンスであるかは、お判り頂けるかと思います。又、目盛りの最大値を、出来るだけ下げる(最も大きな項目の値に合わせる)事によって、割合の大きさを、グラフの高さとして視覚的に印象付けています。本書に掲載してあるグラフは、ほぼこのようなものです。著者は、実数を示さずに、「何倍」とか「何%」という書き方を、よくしています。それによって、いかにも差があるのだ、と印象付けようとしているのでしょう。文章だと解りにくいかも知れませんので、試しに、ちょっとグラフを作ってみました。書き方によって、随分、印象が異なると思います。

G1200613G1200615 

 

※不明な箇所は、グラフを参照して推定。縦軸の最大値が異なるグラフを、二種類作りました。

アンケート調査を行った、としていますが、それがどの様なものなのかが、明らかにされていません。質問項目も、選択肢も、具体的内容が書かれていません。これでは、調査が妥当であったかどうかを判断する事が出来ません。又、保護者に対してもアンケートを行っていますが、こちらも同様に、具体的内容は書かれていません。

ところどころに著者の事例報告がさしはさんであり、それを著者が主観的に分析しているのですが、各ケースの原因を、メディアへの依存であると短絡しています。良く読むと、家族間のコミュニケーションや、学校でのいじめなどによって、不登校になった、というケースもありますが、何故かそれらも、ゲームやメールに耽溺しているのがそもそもの原因である、と論理を展開しています。事例報告は、具体的なケースがどの様なものであるかを知る事が出来ますし、それを分析する事も意義があると思いますが、一部の事例を以って、それを一般化するのは頂けません。

他にも、色々おかしな点があるのですが、キリが無いので、この辺にしておきます。この種の本は、全体的に破綻しているので、どこをどう批判すれば良いか、困ってしまいます。恰も、デタラメにピースがはめ込まれたジグソーパズルを見て、どこがおかしいかを指摘する様なものです。

私は、本書を読んで、考えようによっては、これは『ゲーム脳の恐怖』よりも酷いと言えるかも知れない、と感じました。何千人もの生徒や保護者にアンケートを取り、それをグラフにして、いかにゲームやメールがおそろしいものであるか、という事を印象付ける(しかし、その調査は、とても学術的水準を満たしているとは言えず、解釈も恣意的なものである)。間に著者の生々しい実体験を入れ、読者の共感をさそう。このインパクトは大きいのではないかと思います。

本書に言及しているブログ等を、色々見てみたのですが、データを詳しく検討する事も無く、肯定的に評価している所もありました。自分が予め持っていた考えを補強するものとしか映らなかったのでしょう。残念な事です。

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2006年9月 6日 (水)

メモ:「ゲームは暴力性を高めるか」という問題について

例によって、なぐり書きです(この表現、正しいのかな)。

  • 多様性を無視している。「ゲーム」と一括りにするのは妥当ではない。
  • 「暴力性」という概念を明らかにする必要がある。どの様な行為を「暴力」と認識するか。一般の人が「暴力性」と聞いた際、どの様な意味に取るか。学術的定義と、社会一般的に使われる意味にズレは無いか。良く考えなければならない。(「暴力」については、高岡の、武道の科学化と格闘技の本質が参考になる)
  • ゲーム内での表現と、現実を、どの様に結び付けるか。ゲームの中で起こっている事が、つまる所、単なる記号の操作である事を、理解しているか。ゲーム中で、暴力行為が正当化される様な表現があったとして、それを肯定的に受け取るかどうか。
  • 養育者が暴力行為に対してどの様な認識を持っているか。暴力によって問題を解決する事を、どの程度許容するか。それは、子どもの暴力性に影響を与えるか。それは、許容か嫌悪か。例えば、養育者に暴力を振るわれたと認識した子どもが、他人に暴力行為を加える事を極端に嫌悪する場合もある。自分がやられて嫌だったから、他人には絶対やらない、という具合に。
  • ゲーム中の暴力行為を正当化する表現を受け入れる子どもに対して、養育者がどの様な態度を取るか。放っておくか。その様な認識は良くないものだ、という事を教えようと試みるか。
  • 例えば、幼児が格闘ゲームをプレイして、動作(蹴ったり殴ったり)を模倣する事がある。これは間違いなく、闘作(格闘的動作。高岡英夫による)の学習であるが、それを以って、「暴力性が高まった」と言えるかどうか。
  • 暴力表現を含み、それを肯定的に評価するゲームに触れる事は、その他の暴力を否定するものに触れない事を、意味しない。
  • 暴力表現とは、グラフィカルなものだけを指すのか。例えば、『ドラゴンクエスト』シリーズ(と言うより、RPGの多く)は、モンスターを殺戮し、金品を奪いとり、社会的に賞賛を受ける、というシステムである(書き方によって、この様なネガティブな印象を与える事が出来る)。だが、グラフィック的には、血も出ないし、モンスターもコミカルなものである(これは、堀井雄二氏の、意図的な表現(ソース失念)。敢えて記号らしさを強調しているのだと考えられる。という事は、堀井氏は、リアルな表現が、余り良くない影響を与える事がある、という自覚をお持ちなのだろう)。これを「暴力の容認」と考えるかどうか(そう捉える論者はいるだろう)。もし、そう捉えるとすれば、『アンパンマン』を、高度に暴力的である、と言う事も可能である。バイキンマンをぶっ飛ばして、街の人達に感謝されるのであるから。※個人的な話を。私は、子どもの頃、ゲームのキャラ対して、「この人達、他人の家に入ってタンスを漁ったりして、駄目だろう。」と、何気無く考えたりもしましたが、結局は、「まあ、ゲームだからね。」と、割り切っていました。ですから、反社会な行為を表現するのは怪しからん、という意見に対しては、「何言ってんの?」という感じです。余り、子どもを馬鹿にしないでくれ、と思います。
  • 「ゲームとは何か」、「暴力とは何か」、「暴力性とは何か」、「暴力性が高まるとはどういう事か」、等を、良く考える。

激しく解りにくいですね。

暴力というのは、殴ったり蹴ったりといった、物理的に攻撃する行為だ、と考えるのが一般的だろうと思います。で、ゲームにおける暴力表現とは、それ(暴力行為)をグラフィカルに描いたものの事を指しているのでしょう。しかし、グラフィックで暴力行為を描いているといっても、それにはかなりバラツキがある訳です。例えば、戦争を写実的に描いたものから、スーパーマリオの様な(良く考えてみて下さい、亀を踏んだり、火の玉を投げたり、かなり「暴力的」です)、コミカルなキャラまで、色々あります。そのバラツキの中に適当に線引きをして、ここからは暴力表現、ここからはそうでない、と判断するのです。GTAの表現が暴力的でない、と考える人はいないでしょうし、マリオがノコノコを踏みつけるのを暴力的だと看做す人は、殆どいないでしょう。ドラクエで、勇者がモンスターを薙ぎ倒していくのも、充分「暴力」ですが、それに「暴力的」だ、と目くじらを立てる人も、少ないのではないかと思います。だから、ゲームにおける暴力表現とは何か、という事を、ちゃんと考えなければならないのです。ハードの処理性能が向上し、グラフィックが写実的になればなる程、それを暴力的だと看做すか、そしてそれが、よりプレイヤーの「暴力性」を高めるものなのか。それともそうでは無いのか(因みに、グラフィカルな表現が殆ど無くとも、テキストによって、暴力行為を表現する事は出来ます。小説がそうですね。ゲームでは、アドベンチャーですね)。

社会心理学の研究では、ゲームによって暴力性が高まる場合がある、という結果が見出されたものもある様ですが、当たり前ですね。暴力行為に報奨が与えられたりする場面を見て、それを肯定的に学習する、というのは、有り得る事です(問題は、それを一般化してしまう事ですね。「ゲームは暴力性を高める」という様に)。そしてそれは、他の文化でも起こりうる事でしょう。漫画でもテレビでも小説でも。熱血教師もののドラマを観て感動し、「時には殴って解らせてやらなくてはいかんのだ!」と考えたとすれば、それは、「影響を受けた」と言えます。悪影響かどうかはともかくとして。そして、「暴力的になった」とも言えるでしょう。でも、「それは”暴力的”とは言えないのでは」と考える人もいるでしょうね。だから、「暴力」とは何か、という事を、良く考えなければならないのです。暴力は、多分、殆どネガティブな意味でとられると思います。ですから、研究の為に、「暴力」の概念を定義したとしても、一般の使い方とはズレがでます。

何か、ごちゃごちゃしてますね…。まあ、私が言いたいのは、そもそも、問題が滅茶苦茶複雑なのだから、単純な対応関係を考えずに、複雑なまま理解しようと努力すべきではないか、という事ですね。

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2006年9月 5日 (火)

ちょっとメモ

何となく考えている事を書きますので、ツッコミ所があるかも知れませんが(笑)

ゲームで長時間遊ぶ子どもは、人付き合いが苦手、という説、ありますよね(asahi.com:朝日新聞関西ニュース:朝日わくわくネットとか。この調査については、壱眞さんの、御鏡壱眞右往左往:「元法務教官が中学生調査」に思う が参考になります)。でも、これって、ゲームをやるから、というより、単に、「他人とコミュニケーションを取る時間が少ないから」、だと思うのです。ゲームを長時間やる、という事と、人と接する時間が少ない、というのは、時間の配分の問題ですから、関係があるのは当たり前です。元々ゲームは、一人でも出来る様に作られているものが多いのですから。

コミュニケーションが苦手(どう苦手なのかも、考えなければならないと思います。クラスで爪弾きされている可能性もあります)な子どもが、ゲームを好む様になるのかも知れませんしね(確か、坂元章氏が、言及なさっていたと思います)。

どういうゲームをやっているか、という事も、考える必要があると思います。パーティゲームを、多人数でわいわい言いながらやるのと、RPG等をじっくりやるのとでは、全然違いますし。

例えば、読書時間との関係とか、(学校の)勉強時間との関係とか、ゲームと較べて明らかに異なるのか、疑問です。そういう研究はあるのでしょうか。

一般化して、一人でいる時間の長さと、人付き合いについての関係を、調べれば良いと思います。そういう研究は、既にあるでしょうけれど。

「無い」事を批難する人って、いますよね。例えば、「ゲームは一人で部屋に篭ってやるものだから(つまり、他人数で協力しあう事が”無い”から。←この理解自体、一面的ですが)、コミュニケーション能力が育たない」とか。そういう論理だと、あらゆる文化を批難する事が出来ます。勉強は筋力が鍛えられないから駄目だ、とか、筋力トレーニングでは計算力が鍛えられないから駄目だ、とか。変な事を書いていますけれど、この手の批難をする人は、結構いると思います。そういう人は、自分が好ましく思っている文化が、いかに「役立っているか」を力説したりします。

そもそも、「人付き合いが苦手」って、どういう概念でしょうね。

一部の人は、「ゲームは、人付き合いを苦手にさせる効果がある」と考えてしまうのでしょうね。その極論の一つが、「ゲーム脳」なのでしょう。でも、それは、ちょっと単純に過ぎるのではないかと思うのです。他に色々の要因があるかも知れないのに、ある特定の文化が原因と決め付けて、それから遠ざければ問題は解決の方へ向かう、というのは、悪い意味で、とても楽観的ではないでしょうか。(これは何度か書いていますけれど)その様な短絡的な、原因―現象の図式を作ってしまえば、それ以上考える必要が無いから、楽なのでしょうね、しかしそれは、思考停止(或いは放棄)だと考えます。

例えば、ゲームは良くない、と考えて、子どもから取り上げたら、どんな事になるでしょうね。頭ごなしに、ゲームをしている子どもを叱りつけたらどうなるでしょうね(すみません、ちょっと飛躍してますね)。それ、養育者が、コミュニケーションを放棄しているのではないかと思います。

かなり支離滅裂ですが、いつもの事なので、ご容赦下さい(笑)

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2006年8月31日 (木)

産業

ゲイムマンさんの、ゲイムマンのブログ:砧公園秘密基地 [ITmedia +D Blog]経由で。

「ゲーム産業戦略 ~ゲーム産業の発展と未来像~ 」の公表について 報道発表(METI/経済産業省)

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2006年8月30日 (水)

教育

「オンラインゲームが教育に与える影響は?」研究成果が中間発表!! / ファミ通.com

こういった研究を、どんどん進めていって欲しいですね。

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2006年8月10日 (木)

注目の研究2

以前紹介させて頂いた(注目の研究)、松田剛氏(と開一夫氏)の論文を見つけましたので、ご紹介します⇒インタラクティブゲームにおける脳血流変化(PDFファイルです)

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2006年3月28日 (火)

実感

どうして、「ゲーム脳」論等に、過剰ともいえる反応をするのか。それは、「実感」に基づいているからです。小学校低学年の頃、『ドラゴンクエスト』をクリアして涙した思い出。ゲーム音楽に感動して、サウンドトラックを何百回も、繰り返し聴いた思い出。友人と、ゲームの貸し借りをした思い出。ゲームが好きだという事実だけで、揶揄され、白い目で見られ、悲しむという実感(今の子どもに、あんな思いはさせたく無いのです)。欲しかったゲームソフトを買ってもらった時の、心躍る感じ。そういった、数々の実感に対して、良くゲームを知りもしない人が、的外れな非難を展開しているのです。思い出を、踏みにじられている様な感じを覚えるのです。あの様な主張をする人達は、子どもを馬鹿にしている様に思います。子どもは、色々考えるのです。自分が好きなものが、実は悪いものなのだ、と言われたら、どんな気持ちになるか、考えるべきです。よかれと思っての事でも、それが、どれ程子どもの心を傷つけるか…。

ここまで読まれて、「たかがゲームの事で、何をムキになっているのだ。」と思われた方は、既に、ゲームという文化を下に見ています。上の、「ゲーム」の部分に、色々な語を入れて、適当に、文章を組み立て直してみて下さい。何でも構いません。小説・映画・漫画・アニメ・模型・学問・音楽・絵画・料理……。自分が好きなものに関しては、共感するでしょうし、そうでないものに対しては、引いてしまうでしょう。そういうものなのです。知らず知らずの内に、文化に優劣を付けているのです。そしてそれは、その文化に関わる人間そのものへの評価にも、反映されるのです。その認識が、人を差別してしまう根拠になりうる、という事を、自覚すべきです。

本当に、そう思います。

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2006年3月27日 (月)

注目の研究

川端裕人さんのブログ(リヴァイアさん、日々のわざ: 三月のうちに一段落を……)で、興味深い資料が紹介されていました。東京大学の松田剛氏の博士論文:『テレビゲーム使用時における前頭葉の血流変化:近赤外分光法による検討』です。論文紹介ページ⇒東京大学 大学院総合文化研究科・教養学部

研究に用いたゲームが、「シューティング, リズムアクション, ブロック落とし, サイコロパズル」、「ブロック落とし, 乱闘アクション, 太鼓ゲーム」(上記リンク先より引用。概要には、具体的なタイトルは挙げてありません)と、ジャンルが偏っている事(ロールプレイングやシミュレーションゲームが無い)等、気になる点はありますが、短時間のゲーム使用時における、脳活動の変化の研究としては、(結果の解釈を含めて)かなり妥当なものであると思います。

以下、論文の要旨について、考察します(註:本文は、読んでいません)。

・実験1と実験2

上にも書きましたが、ジャンルに偏りがあります。本研究において、シューティングゲームやアクションゲーム等を用い、他のジャンル(ロールプレイングやシミュレーション)のゲームを用いない事の妥当性については、書かれていません(本文で、言及されている可能性はあります)。実験2の説明で、

子どもも成人と同様に、ゲーム開始直後からDFCの血流が低下する傾向にあり、その範囲や程度は素早い反応を必要とするゲームの方が大きいことが示された。以上の結果から、ゲーム使用時におけるDFCの血流低下は、年齢に依存しない現象であることが示唆された。

ここでの「ゲーム」は、実験に用いられた物(即ち、多種多様のゲームの、ほんの一部分)であるという事に、注意をする必要があります。つまり、この実験結果から言える事は、「ゲームをすると、一般的に、前頭前野の血流低下が起こる」、では無く、せいぜい、「ゲームには、前頭前野の血流低下を起こさせるものがある」という程度です。実験に用いられたゲームが、ゲームを代表するものであるかどうか、という事を、考えなければなりません(ゲームはそもそも多様なものですから、「代表的なゲーム」など、決められませんが。それが、ゲーム文化の特性であると思います)。

・実験3と実験4

実験3は、

実験1に参加した被験者のうち6名(男5, 女1, 22-28歳)が、実験1と同じ4種類のテレビゲームの映像と、2種類のゲーム以外の映像(自然風景, モザイク映像)を受動的に観察した。その結果、ゲーム以外の映像を見ているときよりも、ゲームの映像を見ているときの方が血流低下の範囲や程度が大きいことが示された一方で、ゲームの種類による血流変化の違いは認められなかった。

との事ですが、「ゲーム以外の映像を見ているときよりも、ゲームの映像を見ているときの方が血流低下の範囲や程度が大きいことが示された」、「ゲームの種類による血流変化の違いは認められなかった。」という部分は、ある意味当然の結果と言えます。被験者に見せた映像が、実験1で用いられたゲームの物であり、被験者が、実験1に参加した中から選ばれたのですから、実験1を再び行っている様なものです。この実験では、併せて、ゲーム以外の映像を見せて比較する、という目的がありますが、「自然風景, モザイク映像」の2種類の映像が比較対照というのは、妥当なのでしょうか。又、非ゲーム映像の観察時の内観報告は、無いのでしょうか。

実験4は、極めて単純化した選択反応課題を行わせるという、心理学的実験で、結果も妥当なものであると思います。この実験から言えるのは、この課題に類似した構造を持つゲームを行えば、同様の結果が得られるだろう、という事です。

・実験5と6

本論文で、最も重要な部分であると考えます。実験5は、

ゲーム使用時においても心的状態に関する認知活動が要求される場合には、DFCが活性化する可能性

を確かめる実験です。この実験結果から、松田氏は、

同じプログラムであるにもかかわらず、HL条件の方が面白いと評価した高評価群は、HL条件のときに対戦者が本物の人間であることを強く意識し、対戦者の心的状態に関する認知活動をより盛んに行っていた可能性が高い。

という推測を導いています。同一ソフトでも、状況によって、脳活動に異なりが見出されたという事は、とても重要です(高評価群のDFCが活性化した、という所にも注目です)。ここから、

1、2のように、テレビゲームを単独で使用する場合には、他者の心的状態に関する処理は必要ないため、当該処理を担うDFCが活性化する必要性はより減少すると考えられる。

という考えが導かれますが、言い換えると、「他者の心的状態に関する処理の必要の無いゲームは、他者の心的状態に関する処理を担うDFCを活性化させない」となります。これは、テレビゲームは、他者の心的状態に関する処理が必要無い、という前提条件から導かれたものですが、その前提条件が、ゲームの大部分に当てはまるものなのか、そうでは無いのか、という事を、考えなければなりません(少なくとも、実験1・2に用いたゲーム使用時には、その様な事が見出される、という事は言えるでしょう)。オンラインゲーム等では、明らかに、「他者の心的状態に関する処理」が必要な為、実験5の様な結果が見出される事が推測されます。物語が展開する、ロールプレイングやアドベンチャーゲームも、そうではないかと思います。ただし、これらのゲームを、単にクリアする事は簡単です。登場人物の心情等に、思いを馳せる事も無く、ただ記号の操作のみで進めていくのは、容易です。これは、小説を読んで、登場人物の名前やあらすじだけを何となく憶えていて、キャラクターの心理など、考えもしない、という状況に、似ています。ロールプレイングやアドベンチャーの、クリアのタイムアタックや、いわゆる「やりこみ」等は、この様なプレイスタイルでしょう(難度は全く異なりますが)。それらは、操作を洗練させ、いかに無駄なく進めていくか、という所に価値がある訳です。その様なプレイを行っている人の脳活動を測定すれば、実験1・2と同様の結果が得られるかも知れません。ただし、その様なプレイを達成するには、ゲームをする以外の時間に、色々活動を行わなければならないのですが。

実験6は、

視覚刺激に対する反応手順の学習過程において、学習初期には学習後期よりも高次運動野と前頭前野がより活性化しているという先行研究に注目し、同じく視覚刺激に対する反応手順を学習する必要があるテレビゲームにおいても、学習前後でDFCの活動が変化するか否かを検討した。成人6名(男5, 女1, 25-28歳)を対象に、レーシングゲームの練習前と練習後のDFCの活動を比較した結果、練習前の方が練習後よりも補足運動野に相当すると思われるDFC後方の部位が活性化していた(図5)。この結果は、ゲームに熟達することで運動の学習に関するDFCの活動が不要になったことを示唆している。

という内容です。これは、習熟度によって、脳活動に異なりがある、という事を示しています。

・結論部分

全く妥当な解釈であると考えます。特に、

したがってDFCの血流低下は視覚運動処理の効率化が求められるあらゆる作業において生じうるものであり、テレビゲームに固有の現象ではない可能性が考えられる。

この部分は重要です。一部の学者は、同様の実験結果を以って、ゲームは前頭前野の機能を低下せしめる、という主張を行っている訳ですが、これは、論理の飛躍です。

又、

本論文では取り上げることができなかった長期的なゲーム使用が人間の認知発達に与える影響や、その影響の個人差について検討したい。

とあります。本論文は、比較的短期的なゲーム使用、それも、かなり限定されたジャンルのゲームを用いて行われた実験である、という事を、念頭に入れておくべきでしょう。実証科学的方法を、文化現象の研究に用いる場合、どうしても、条件を統制して、状況を切り取らなければなりません。その切り取り方が妥当であるかどうかは、常に反省されるべきであると考えます。

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2006年3月23日 (木)

シリアスゲーム

ITmedia +D Games:「学び」をゲームに──「シリアスゲーム」市場開拓へスクエニと学研が提携を読んで。

以前から、「哲学や数学等をテーマにした、面白いゲームが開発されないかな。」という事は考えていました。フリーウェア等では見かける事はありますが(あっても、タイピングゲームが多いですね)、大手メーカーが開発したソフトは、今は余り無いですね。そういえば、昔、ファミコンの、『ドンキーコングJR.の算数遊び』とかありましたね。ですから、「脳トレ」等を見て、「今更…。」とも思いましたね。スクウェア・エニックスの参入により、程よくエンターテイメント性を付加した、面白い、教育ゲーム等のシリアスゲームが開発される事を期待します。

歴史シミュレーション等は、シリアスゲームとしての側面を持っています。『三国志』や『信長の野望』をプレイして、武将の名前を沢山憶えている人がいます。漫画やアニメのキャラクターを憶えるのと同じですね。興味を持った対象であれば、「記憶しよう」と強く意識せずとも、すんなり憶える事が出来ます。試験前に、憶えよう憶えようと、ウンウン唸って記憶して、試験後にはすっかり忘れている、という事がありますが、それとは大違いです。『ドラゴンクエスト』の呪文や、『ファイナルファンタジー』の魔法の、名称と効果を憶えるのも、良く考えれば、結構大変な事ですが、特に苦労せずに憶えます。それらを憶えない事には、ゲームを進められない、という条件があるのですから、憶えざるを得ない訳です。人間には、「教育」や「学習」等を意識すると、反発や嫌悪を覚えるという心理が働きますから(一概には言えませんが)、それを感じさせないゲームデザインをする事が重要です。単にディスプレイに試験問題を表示し、答えをキーボードやマウス等で入力する、という形態のゲーム(とは認識されないとは思いますが)を作っても、誰も見向きもしないでしょうから。ゲームは、プレイヤーが積極的に参加出来る所が特徴ですから、「面白い」教育ゲームが出来たら、その教育効果は大きいと思います。その「面白さ」は、キャラクターやストーリー等の、エンターテイメント性によって付加されます。ですから、様々なエンターテイメントゲームを創ってきた実績のあるスクウェア・エニックスが、シリアス・ゲームに、積極的に取り組む、という事は、とても興味深いです。そういえば、何かのスポーツ選手が、ゲームを用いてトレーニングしている、という話を聞いた事がありますが(F1の佐藤琢磨選手だったと思いますが、記憶違いかも知れません)、これは、既存のゲームを、シリアスゲームとして用いている、という例ですね。

主人公が、(具体的な)物理学的知識を駆使してトリックを解いていくアドベンチャーゲーム、等があれば面白いですね(ジャスパー・プロジェクトのゲーム版を作るとか。その様なゲームは、既にあるのかも知れませんが)。小説等だと、先を読み進める事は容易ですが、ゲームでは、「解かなければ先に進めない」という条件を設定出来ます。「先に進む為には問題を解かなければならない」という状況は、ゲームに一般的なものですが、その「問題」を、具体的学問的知識に設定する事によって、高い学習効果が期待出来るかも知れません。

根本的な問題として、勉強(学問を追求する)はつまらないものだ、とか、社会的に成功する為に「だけ」必要なものなのだ、といった価値観を、無くす事が重要だと思います。これは、心理社会的な事です。言わば、「勉強は面白く無いものである、と教育している」、という事です。その先入観を見直させる手段として、ゲームを用いられれば、それは良い事だと考えます。学問は、ゲームと同じ位、「面白い」ものですから。ただし、上にも書きましたが、試験問題をディスプレイに表示して、有名キャラクターがそれを解説する、といった程度のデザインでは、ユーザーからは、つまらないものとして、見向きもされないでしょうね。

※エンターテイメント性を付加したら、「シリアスゲーム」と呼べない、とか言われそうですが…。まあ、それをゼロにしたら、「ゲーム」としての面白さが損なわれるので(単なるシミュレーションになってしまうので。「ゲーム」概念を、どの様に捉えるか、にもよりますが)、程度問題でしょうね。ジャンル(ゲームのジャンルでは無く、教育すべき対象のジャンル)にもよるでしょう。

参考:シリアスゲームについての記事

ITmedia ライフスタイル:米国で研究進む「シリアスゲーム」、応用範囲広がる――東大ゲーム研究プロジェクト

今、子供が熱中する「シリアスゲーム」【コラム】 デジタル家電&エンタメ-最新ニュース:IT-PLUS

ファミ通.com / 東大でゲームの社会利用研究(シリアスゲーム)の講演を開催

ゲーム技術を広く活用する「シリアスゲーム」とは:Slash Games (オンラインゲーム総合サイト)

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2006年3月15日 (水)

勲章

Yahoo!ニュース - 共同通信 - マリオ生みの親に仏勲章 任天堂専務の宮本氏

ゲーム文化に批判的な人は、このニュースに対し、どの様な感想を持つでしょうか。

授章理由について文化省は「芸術と科学技術が融合する中で生み出された創造性と、デジタル技術に関する創意工夫を称賛したい」としている。

との事です。まさに、適切な評価です。

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2006年3月14日 (火)

不用意

経団連の奥田会長が、残虐シーンが含まれるゲームソフトと、ニート増大が関連している、という趣旨の発言をされた様です。(本田由紀さんのブログ⇒もじれの日々の、2006年3月12日分のエントリー経由で知りました。)

経団連の会長が、明確な根拠を示さずにこの様な発言をされる、というのは、全く軽率です。

本田さんは、

<「ニート」と関わらせれば、因果関係も何も証明されていないことでも恣意的にやりたい放題>という状況は着実に進行している。

と仰っていますが、その通りだと思います。

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2006年2月11日 (土)

メモ:「ゲーム」研究について

「ゲーム」についての論評――「ゲーム」を、一様な性質を持っている文化と看做し、影響が云々と論を進める。

「ゲームを対象化」する――「ゲーム」という概念の必要十分条件を明らかにする。幾つかの条件によって定義された、「ゲーム」概念が、どの様な広がりを持ちうるかを考察する。多くの論評は、一部のゲームに見出される性質(つまり、必要条件では無い)を、他のゲームにも共通する性質であると看做す(過度の一般化)、という誤謬を犯している。例えば、「サッカーはスポーツである」と教えられた人が、「スポーツとはボールを扱う文化である」という誤りを犯す様なもの。この論理は、「ゲーム」だけでは無く、他の文化にもあてはまる。

「ゲームを批判する」論者と、「ゲームを批判する人を批判する」論者との視座の違い――前者は、「ゲーム」を、狭く、単純な文化であると考え、後者は、幅広く、多様性を持つ文化であると考える。認識のズレ。

「ゲーム」を取り巻くもの――ゲームの攻略記事を、雑誌やWEBで読む。ゲームについて、友人や家族と語らう。ゲームがきっかけで喧嘩する。ゲームを創る。ゲームを売る・買う。ゲームの「影響」について議論する。

文化に格付けをする事の危険性――ある文化を「劣等」と看做し、その文化を愛好する者や、当該文化の創造に関わる者を、非難・差別する。その認識を助長する概念装置が開発され、それがマスメディアに載って流布する。

局面――一つのゲームソフトでも、様々な「局面」が存在する。それを無視してはならない。

熟達度――ゲームにも、「上手・下手」がある。上達の度合いによって、認知活動に差が出る。

勝手な前提――ゲームについて語る際、「部屋に閉じ篭って」とか、「一人で」等の条件を、勝手に付け加える場合がある。それらは、「他の人間とコミュニケーションをとらずに」という、ネガティブな印象を含んでいる。大部分は、それらの条件を持つ(一人でプレイ出来、狭い空間でプレイ出来る)と考えられるが、それは、「一人でしかプレイ出来ない」という事を意味しない(「行動空間が狭い」事は、かなり一般的にあてはまると思われる)。

生活の時間配分――一日のどの程度の時間を、ゲームプレイに充てるか。

積極的悪影響論と消極的悪影響論――前者は、「ゲーム脳」論に代表される、ゲームが、心理・生理的に、薬物が与える様な(悪い)効果を持つと考える。後者は、運動をする時間が少なくなる。他人とのコミュニケーションの機会が減る、寝不足になる、等の主張をする。後者が主張する現象が現れる原因として、前者の主張する論を挙げる場合もある。

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2006年2月 5日 (日)

ブログ紹介

斉藤由多加さん(『シーマン』等の開発者)の、斉藤由多加のBlogです。

中でも、中学生のためのゲームクリエーター講座 in 斉藤由多加のBlogは、実に興味深い内容です。斉藤さんの言葉には、実際にゲーム開発に関わってこられた方の、「重み」が感じられます。

一読をお薦めします。

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2006年1月12日 (木)

寿司とゲームのアナロジー

学者が、「寿司が身体に与える影響」を研究する、と言って、トロだけ食べさせて、体調の変化等を記録し、その結果をもって、「寿司が身体に与える影響を解明した」と主張したら、皆さんはどう思われるでしょうか。

とても滑稽だとは思いませんか。

森昭雄氏等の研究は、これに似たものです。

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資料紹介

ゲームについて考察する際、とても参考になるサイトをご紹介します。

ゲーム研究データインデックスです。

こちらには、ゲームの影響を社会学的に検討した論文、財団法人イメージ情報科学研究所による、ゲームソフトの影響を、主に心理学・社会学の観点から考察した論文(有識者へのインタビューもあります)等のファイルがあります。

どちらも学問的に詳細に論じられており、読み応えのある内容です。

是非、ご参照下さい。

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2005年12月29日 (木)

操作

ゲームにおける重要な概念として、「操作」が挙げられます。

操作とは、「(機械などを)あやつって働かせること。また、自分に都合のよいようにうまく運用・処理すること。」(『広辞苑』第五版)ですが、ゲームがテレビ等のメディアと異なるのは、画面上のキャラクターや、流れてくる音声を、直接的に操作出来る、という事でしょう(その自由度は、ゲームによって異なりますが)。テレビや映画等は、基本的には、画面上に現れる映像や、聞こえてくる音声を受け取るだけです。

操作出来る対象は、パズルゲームのピースやテーブルゲームの駒、人格を与えられたキャラクター等です。この内、後者がより重要であると考えます。

ロールプレイングやシミュレーション、アクションやアドベンチャー等では、ユニークな人格をもった主人公を操り、ストーリーを進めていきます。そこでは、プレイヤーが、物語に極めて積極的に関る、という、ゲームに独特の展開が見られます。それは恰も、プレイヤーが、観客であると同時に脚本家である様なものです。自分の判断が、主人公の行動をコントロールし、物語の展開を左右する。しかし、プレイヤーは物語の全容を知っている訳ではないので、次に何が起こるか確実には解らない、というシステムです。

ゲームのこの様な特徴に注目し、研究する事は、とても重要ではないでしょうか。

私は、ゲームが、「良くも悪くも認知に大きな影響を与える可能性がある」と考えています。ゲームには、クリエイターの思想が込められており、それはプレイヤーの悩みを癒す事もあれば、それを増幅し、よりネガティヴにさせるかも知れません。ゲームの「操作性」を考えれば、他の文化より大きな影響を与える事も、可能性としてはあるでしょう。ゲームの影響云々と言う人は、(ゲームに)否定的な論者も肯定的な論者も、当該文化を正しく認識しようという努力を怠っているのではないでしょうか。

例えば、「ゲーム脳」を否定する学者の中には、どうせゲームなど、人間に大した影響など与えないのだ、という様な事を主張する人がいますが、これは、ゲームという文化を過小評価していると考えられます。ゲームは、映画や小説や音楽と同じく(それらを包含し得る)、思想を表現出来る文化です。そしてこの文化には、数え切れない程の人が関わり、創造力を発揮しているのです。その様な文化が、人間に大した影響など与えない、と主張するのは、「ゲーム脳」論等の単純な還元主義的理論を主張する事とは違う意味で、ゲームというものを正確に捉えていない、と言えるでしょう。

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2005年12月25日 (日)

教える

ゲームを好む者を軽蔑する養育者が、子どもを教育する際、ゲームをする人間には碌な者がいない、等と教え込んだらどうなるでしょうか。

 その様な教育を受けて育った人は、ゲーム好きと知り合った場合に、ゲーム好きというだけで、相手を軽蔑するかも知れません。

めでたく差別主義者の出来上がり、という訳です。

勿論、「ゲーム」の部分には、色々な物事が当てはまります。「アニメ」でも「漫画」でも、「野球」でも「サッカー」でも。

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2005年12月22日 (木)

ゲームとは何か(2)

前回は、私達が日常的に「ゲーム」と呼んでいるものの定義を試みました。しかし、これだけでは充分ではありません。今回は、「ゲーム」という文化が、具体的にどの様な在り方をしているか、について考察します(以下、特に断らない限り、「ゲーム」は、「コンピュータ・ゲーム」を指します)。

ゲームには、様々なジャンルがあります。以下列挙してみましょう(コンピュータゲーム - Wikipediaより引用)。

・アクションゲーム (シューティングゲームに属さない、反射神経を求められるゲーム)

  ・対戦型格闘ゲーム (1対1で格闘するゲーム・人間のプレーヤー同士でも対戦できる)

・シューティングゲーム (ボタンを押すことで弾丸を発射、これで敵を撃破しながら進むゲーム)

  ・ファーストパーソン・シューティングゲーム (主観視点で操作する3Dシューティング)

  ・ガンシューティングゲーム (銃型コントローラーを使うシューティングゲーム)

・ロールプレイングゲーム (役割を演じるゲーム)

  ・アクションロールプレイングゲーム (RPGにアクションゲームの要素が加えられた物)

  ・シミュレーションロールプレイングゲーム (ステラジー(原文ママ)要素などが加えられたRPG)

・シミュレーションゲーム (コンピュータ上で再現された仮想空間で様々な体験をできるもの)

  ・ウォー・シミュレーションゲーム (軍隊の指揮官になるなどして、戦争を行うシミュレーション)

    ・歴史シミュレーションゲーム (実史上の出来事などを題材にしたシミュレーション)

    ・リアルタイムストラテジー (時間経過と共に状況が変化して行く中で、複数の味方に指示を出していくゲーム)

  ・経営シミュレーションゲーム (経営者となって、企業などを運営して行くゲーム)

  ・育成シミュレーションゲーム (仮想的にキャラクターや自分自身を成長させ、仮想環境との関係を築くゲーム)

・アドベンチャーゲーム (様々な謎を解き明かし、先へ進むゲーム)

  ・サウンドノベル(ビジュアルノベル)

・パズルゲーム (パズルを解くゲーム)

  ・アクションパズル (パズルゲームにリアルタイム性を持たせた物)

    ・落ち物パズル (落下するという特性でリアルタイム性を持たせたパズル・テトリスを原型とする)

・テーブルゲーム (コンピュータ)

  ・コンピュータ将棋

  ・コンピュータ囲碁

  ・コンピュータチェス

・レースゲーム

・音楽ゲーム (所定の操作をして行くと、音楽となるゲーム・楽器などを模したコントローラーが多い)

実に多数の種類が挙げられます(勿論、必ずしも峻別出来るものではありませんが)。

ゲームは、テレビと同様に、専ら光と音を媒体とするので、芸能・スポーツ・経済・軍事・政治等の、様々な文化に関する情報を伝達する事が可能です。テレビと異なるのは、一つのコンテンツ内で、人間の信号の入力に応じた結果が出力される、ということでしょう※。

※テレビで、「チャンネルを変える」という操作がありますが、これは、コンテンツを選択する操作です。又、ビデオの早送りや巻き戻しの機能は、「(広義の)ゲーム」には当てはまらないでしょう。

私は前回

「ボウリング」や「パチンコ」、「麻雀」や「将棋」、「メール」や「チャット」は、「コンピュータ・ゲーム」とは言えない、となります。

と書きましが、例えば将棋では、ディスプレイ上に盤面を表示させれば、それは「(コンピュータ)ゲーム」と認識される事になります。他のゲームも同様です※2。

※2ボウリングやパチンコのゲームは、広義の「シミュレーション(模擬)ゲーム」と言えるでしょう。対して、将棋やオセロやチェス等は、元のゲームそのもの(の媒体を換えたもの)と言う事が出来るでしょう(駒や盤は、木でも紙でも金属でも、何でも構わない。音声のみで進める事も出来る)。

この様に、「ゲーム」とは、様々な文化の要素を含む、とても複雑な文化現象である、と言えるでしょう。これは、無限の「ゲーム」が創造され得る、という事でもあります。

何度も書きますが、ゲームの悪影響を主張する論者には、この視座が決定的に欠けているのです。そもそも多様で複雑であるものを、無理矢理一括りにして(あるいは、ごく小数の例をもって)、その影響云々を論ずるのは妥当ではありません。もし「ゲーム」が悪影響を及ぼすと言うのであれば、多様な在り方をしているゲームに共通する論理※3を明らかにし、それがどの様に悪影響※4を及ぼしているか、そのメカニズムを解明しなければならないのです。

※3私は、「ゲームに何が含まれないか」を考察する事が重要であると考えています。例えば、全身的な身体運動を伴わない事、等です。勿論これは一般論ではありません。現状では比較的少ない、と言える程度です。ただ、これを基に、ゲームをやり過ぎると運動不足になる、という程度の事は言えると思います(生活の時間配分の問題なので当然です)。ですが、飛躍して、これ以上の事は言うべきではありません。

又、ゲームの特徴としては、「対象を直接的に操作出来る」という事が挙げられると思います。例えば、ゲームの世界に積極的に参加(映画等は、受動的)して、「英雄」や「支配者」を演ずることが出来ます。勿論、「大量殺戮者」でも「聖者」でも、です。この積極性というのは、小説や映画とは異なった性質と言えるかも知れません。

※4そもそも「悪影響」とは何か、という問題もあります。「ゲーム脳”派”」の人達は、脳の前頭前野の機能低下を主張します。「認知」を対象に含めている研究者は、例えば、「暴力性を高める可能性(ゲーム脳派は、前頭前野の機能低下の結果による暴力性の高まり、あるいは抑制の低下を主張します。そこに「認知」の視点は見られません)」を言います。前者は論外として、後者については良く考える必要があります。何故ならば、「暴力とは何か」という事まで考察しなければならないからです。

これは勿論、特定のジャンルのゲームをした場合に、心理学的にどの様な効果を及ぼすか、といった研究を否定するものではありません※5。寧ろ、この様な研究は、積極的に行われるべきでしょう。ただ、この様な研究を行う際、結果について安易な解釈を施すべきではないでしょう。常に、別解釈の可能性や、他の環境の影響の検討、実験環境そのものが与えるバイアス等を考慮すべきです。

※5ゲームの与える影響、についての心理学的研究としては、お茶の水女子大学の坂元章氏の社会心理学的研究が、評価出来ます。ただ、「暴力とはそもそも何か」という視座や、実験環境の与えるバイアス、他の環境の与える効果との比較、といった観点が足りない様に思われます。2006年9月24日追記:この指摘は的外れですね。坂元氏の著作を全て検討した訳では無いので、こう判断を下すのは妥当ではありませんでした。「攻撃」や「暴力」等の構成概念については、心理学的に様々な定義が為されているので、それに従って研究を進めるのは、当然の事です。定義や心理測定尺度が妥当であるかとか、それらの語が世間でどの様に使われているかという社会言語学的問題は、取り敢えずは切り離して良いと思います。ただ、研究結果を世間に公表する際には、この問題が深く関わってきますから、良く考えねばならないでしょう。

これまで、「ゲーム脳」論の妥当性から、そもそも「ゲーム」とは何か、というまで、私なりに論じてきました。概念の曖昧さや、論旨の不明確な所等はあると思います。ですが、「ゲーム」というものが、そもそも複雑で、多様な文化であるという事、そして文化を解くには、広く人文・社会科学的な考察が必要である、という私の主張には、同意して頂けると考えています。

研究者は、もっと文化の複雑性というものに目を向けるべきです。複雑なものを、必要以上に単純化せず、その複雑さを充分に認識して、研究に当たるべきではないでしょうか。

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2005年12月21日 (水)

ゲームとは何か(1)

今回は、「ゲーム」とは何か。について考察していきたいと思います。

(今回から、『ゲーム脳の恐怖』の内容から大分離れるので、タイトルとカテゴリーを変えます。前回までは⇒ゲーム脳。『ゲーム脳の恐怖』については、今後改めて、詳しく論ずるかも知れません。)

先ず、「コンピュータ・ゲーム」の辞書的な定義をみてみましょう。コンピュータゲーム - Wikipediaには、

「コンピュータゲームとは、プレイヤーの行動(入力)以外の全てをコンピュータによって処理されるゲーム。ゲーム画面をビデオモニターに出力するためビデオゲームとも呼ばれる。また、いわゆるLSIゲームも含めて電子ゲームと呼ばれる場合もある。」

とあります。

上記の定義を見ると、「プレイヤーの行動(入力)」とあります。ここがとても重要です。何故ならば、これが、ゲームと言える為の必要条件の一つであると考えられるからです(人間の入力が反映されないのであれば、それを「ゲーム」と呼ぶ事は出来ないでしょう)。私達が種々の入力装置(キーボード、マウス、マイク、家庭用ゲームに用いられる所謂「コントローラ」、タッチパネル等)を用いて信号を入力し、それがコンピュータで変換・処理され、その結果が出力されます。勿論、それだけでは定義としては不十分なので、「コンピュータによって処理されるゲーム」と説明されています。そうしなければ、人間の入力の結果が反映される全てを、「コンピュータ・ゲーム」と看做さなければならなくなるからです。そして、「ゲーム画面をビデオモニターに出力」とあります。これにより、携帯電話を用いたゲームや、『たまごっち』などの小型ディスプレイを用いたゲームにまで一般化出来ます※

※「ビデオモニター」という語が妥当かどうか、という問題もあります。「表示装置」や「ディスプレイ」とするべきかも知れません。「テレビ」という語は、前回書いた理由により、不適当であると考えます。たまごっちの画面を「テレビ」という事は、一般的には無いでしょう。

ただ、注意しなければならないのは、視覚的な出力(即ち光信号の出力)は、必要条件ではない、という事です。視覚障害者用のゲームは、まさに「コンピュータ・ゲーム」ですが、プレイする際の出力(入力の手掛かり)は、一般的には、「音」の信号です。そこは踏まえておく必要があります。

ここで「コンピュータ・ゲーム」を、「ゲームの内、人間による信号の入力がコンピュータによって処理され、その結果が表示装置(ディスプレイ)やスピーカー等へ出力されるもの。出力された信号は、次の入力の手掛かりであり、操作の直接の対象である」としましょう。

この定義は、ある程度妥当なのではないでしょうか。

上の説明であれば、「テレビゲーム」も「携帯ゲーム」も、「携帯電話のゲーム」も「アーケードゲーム」も、『太鼓の達人』も『ダンスダンスレボリューション』も含まれます。そして、「ボウリング」や「パチンコ」、「麻雀」や「将棋」、「メール」や「チャット」は、「コンピュータ・ゲーム」とは言えない、となります。

この定義を用いる事によって、「ゲーム(あるいはテレビゲーム)が与える影響」や、「ゲームが脳に悪影響を及ぼす」という主張をする人々の「ゲーム」が、「(上記の定義による)コンピュータ・ゲームの内、表示装置を(主な)出力装置として用いるもの」である、と推測する事が出来ます。これはそれ程的外れではない筈です。ゲーム否定論者が、視覚野の活動に言及している事からも、それが窺えます。そして、「ゲーム」だけではなく、「メール」や「チャット」、「掲示板」等(の悪影響)に言及する論者は、上記の定義から、「ゲームの内」という部分を捨象し、表示装置を(主な)出力装置として用いる、という概念※2を想定しているのでしょう。『ゲーム脳の恐怖の』著者である森氏は、この様な概念を対象としていると思われます。即ち氏は、(上記の定義に従えば)『ゲーム脳の恐怖』において、「コンピュータ・ゲーム」の悪影響を「発見」したと主張し、他の著作等によって、※2にまでそれを拡張出来る、と主張したと言えます(それは、『ゲーム脳の恐怖』で仄めかされていた)。そして、その拡張した概念を、「ゲーム脳」という、狭い概念を示す語をそのまま用いて説明したのです。

※2「人間による信号の入力がコンピュータによって処理され、その結果が表示装置(ディスプレイ)に出力されるもの。出力された信号は、次の入力の手掛かりであり、操作の直接の対象である」の様になります。

さて、私は前回、「ゲームという文化が、他の様々な文化を部分的に含みうる、超複雑な、総合的文化現象である」と書きました。この事については次回論じます(今回言及する予定でしたが、長くなってしまったので、後回しにします)。

2006年11月29日追記:コンピュータゲームの定義を追加

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