カテゴリー「ゲーム論」の記事

2009年5月 6日 (水)

禁ずる

ゲーム禁止を「強要」するのはおかしいと思う。 姪っ子は小学3年生。新学期に入り... - Yahoo!知恵袋

なんと言うか、愕然としますよね。

禁止の理由も、どれも主観の域を出ていないですよね。いわゆる「起こり得る」事であって、コンピュータゲームに特有のものとは言いがたい。要するに、他の文化に較べてそういう悪影響を顕著に与える、というのは明確では無い。(ゲームが視覚の機能低下をもたらすというエビデンスは充分にあるのでしたっけ?)

今までは宿題をした後、30分~1時間程度ゲームをしていた様ですが、妹は納得したのでしょう。
先日「ゲーム機」「ソフト」を全て売り払いました。

子供は泣きながら「やめて」と言ったそうですが、これは親の考えですので私は何も言えません。

これはなあ。お子さんはどんな気分だったろうなあ…。質問者さんの意見が柔軟で適切ですよね↓

が、それは各家庭で取り決めをし、子供に理解・納得をさせた上で、時間を決めてゲームをさせる。
約束を破ったら、数日禁止。

これでいいと思うのです。

担任の先生が家庭の教育方針にまで踏み込んでゲームを禁止する(させる)、というのは やり過ぎでしょう。

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2009年5月 2日 (土)

motion

BEYONETTA』のPVを観てスーパーハイテンションになった、のは先日書いた通りですが、このタイトルのスタッフブログに、こんなエントリーがありました⇒ベヨネッタのデザイン:モーション | BAYONETTA - ベヨブログ

や、開発中のタイトルに関してこういうのを紹介するブログがある、というのは素晴らしいですね。プロフェッショナルによるゲーム制作について垣間見る事が出来て、すごく興味深いです。

で、このリンク先のエントリーでは、ベヨネッタのアクションのモーションのつけかたについて説明されています。

モーション制作において一番心掛けたのはアクションゲームということもあり

レスポンスと爽快感!!いかに短いフレーム数で力の溜めと開放を表現できるかです。

ユーザーの立場からも、そうだよなあ、と思います。レスポンスそのものがいわゆる爽快感と密接に繋がっている、のもあるでしょうね。それと、後の方の、「力の溜めと開放を表現」というのは、すごく大事だと感じます。

私は武術に関心を持ってて、しかも格闘ゲームを17・18年やってきているので、そこら辺、結構気になります。

しかしベヨネッタ開発初期にはパンチやキックが1フレームで出るバージョン

(これは短期間でゲームの感じを掴む為に制作)というのを作ってテストしていたのですが

そのプレイ感覚が忘れられないらしく未だに神谷Dは『あの頃の方が良かった』って言うんですよね。

それじゃモーションいらねぇぇぇ!!って。

なるほどな、と。あまり正確に滑らかに動きをつけると、却って爽快さが損なわれたり、力を発していると言うか、攻撃が入り込んでいくような、そんな感じが少なくなってしまったり、もあるのかも知れません。

ここから私見。

上にも書いたように、格闘アクションでは、動きの滑らかさや再現の仕方、それから、力の溜め、発し方、などをよく見ます。で、ちょっと、既存の3D格闘アクションのタイトルを例にとって、自分はこう見た、というのを。

最も動きが滑らかで、動きと動きの繋がりが綺麗に見えるのは、『DEAD OR ALIVE』シリーズに思います。DOA2を観た時には、おお、と感じましたね。ただ、攻撃が当たった時が、入った感、があまり無い、と言うか。

そこら辺、いかにも力を発している感がよく出ているのが、『バーチャファイター』シリーズかな、と。特にアキラのは、なかなか。動作を止める時のモーションのつけ方が上手いのかな、なんて思ったりします。攻撃が、「バッ」と出る感じがしますですね。で、こちらの方は、動きの繋ぎ目などに、滑らかさが感じにくい。ぶつ切れのような、と言いますか。

で、こういうのって、アクションゲームだから、動きのつけ方そのものがゲームシステムと直結しているだろうから、色々トレードオフな関係があったりもするのかな、と思います。

それから、爽快感やスピード感と、攻撃の入った感(何じゃそりゃ)との関係、もありますよね。

動きのレスポンスを良くして、スピード感を出し、連続攻撃がサクサク入る、という系統のゲームだと、バッサバッサと敵をなぎ倒していくような、そういった爽快感が味わえる。無双シリーズなんかはそんな感じでしょうか。『DEVIL MAY CRY』とかもかな。

対して、なるだけ人間の動きを再現してモーションをつけるのもありますね。『モンスターハンター』辺りはそうだと思うのですが、あのゲームは、たとえば急停止のモーションがありますね。クルッと上手く回らないと、キュッ、という感じでストップする。これって、アクションゲーム的には、さくさくスピーディに動かす、という面から考えると、結構違和感を覚えたりするんですよね。だけれども、人間の動きの表現としてのリアルさを感じさせるし、やっていく内に、その動きをいかに「出さない」かがとても重要で、それがゲームシステムと密接に関わってくるのが解ってくる。ターンに失敗して急停止→レイアのブレス→死亡 というコンボとかね。

それと、モンタは、いわゆるさくさくという意味での爽快感はあまり味わえないけれども、ヒットストップを結構取ってあるから、攻撃が入った時の感じというのが、実に爽快。あのゲーム、「武器の重さ」を感じさせ、やり始めはそれが鈍重に思えたりするのですが、慣れてくると、ばしっと攻撃が入った時の感覚が堪らない。ここら辺、カプコンの2Dアクションを踏襲(ストII辺りから)しているのかな、なんて思ったりするのですが、よく知りません。

こういったのも、トレードオフ、と言うか、どういった方向性でゲームを作っていくか、で色々選択され、組み合されていくものなのでしょうね。

ところで、上でちょっと書いた、人間の動きの急停止の話ですが。

先日、FF13の体験版の映像を観たんですけど、あれも、キャラクターが方向転換する時に、キュッ、と動きが止まりますね。あれを観て、ほう、と思いました。

と言うのも……

アクションゲームでは、モンタの例のように、そういう動きが不利な状況になったり、とアクションゲームとしてのシステムに関わって面白さを演出する事になりますけれど、RPGでは、そういうモーションをつけると、逆に煩わしくなる可能性があるんですよね。

アクションゲーム性の低いRPGでは、キャラクターを動かす場面は一般に、フィールド移動などで、そういう場面では、キャラを動かしてフィールドやダンジョンを探索するのが主目的だから、動きに細かさ(人間の動きに近いという意味で)を入れると、却ってストレスが溜まる場合も考えられる。

だけれども、現在のように、キャラクターのモデリングが精密になり、あるいはフォトリアル方面になったりすると、既存の動きのままでは、「人間の動き」としての違和感を覚える。ほら、RPGって、レバーをニュートラルにした瞬間にキャラクターが直立したりするじゃないですか。それです。私の場合だと、FF10辺りからこういう事を考えていたのですが(もう8年も経つのか…)、そういうのもあって、FF13を観て、おお、と感じたのでした。入れてきたのかあ、と。いかに操作に煩わしさを感じさせずにああいったモーションを組み込んだのか、興味がありますね(やった人の感想希望)。

という訳で、モデリングが「人間らしさ」を想起させるような精密なものになってくると、「動き」の正確さの再現が低いと、ものすごく違和感を覚える場合がある、という事なんですよね。で、動きを再現しようとすると今度は、ゲームシステム上都合が悪くなったりする。そこら辺をいかに折り合いつけて演出していくか、というのが重要なんでしょうね。特に、リアル志向のFPS辺りだと、いわゆる「動きの不自然さ」というものがあると、大変目立つように思います。だからこそ、すごくモーションのつけ方が丁寧なのかな、なんて推察したりします。

そこら辺の観点で考えても、BEYONETTAはよく出来ているなあ、と直感してテンションが上がったのでありました。

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2009年4月 8日 (水)

セミナー

任天堂ゲームセミナー2009、受講生募集スタート - ファミ通.com

これは良い試みですよね。10ヶ月の講座が無料という事で、応募者が殺到するのでしょう。

任天堂ゲームセミナー

受講生の作品がDSダウンロードサービスで配信されるというのも面白い。こういうのはモチベーションが劇的に上がりそうです。

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2009年4月 7日 (火)

提言?

日々是遊戯:いっそJRPGは全部ポータブル化すべき? 海外ユーザーから大胆な提言 - ITmedia +D Games

フーン。もしこの夢想通りになったら(ならないだろう)、私などは絶望するけどね。

いちいちキャラクターがセリフを読み終えるのを待つこともない。

い、意味が解らない…。これは携帯機云々という問題じゃ無いと思うんだけど。て言うか、記事の日本語全体が変な気が。

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2009年3月26日 (木)

携帯ゲームの将来

やっぱあれですか。PSPとか、

  • 有機ELディスプレイ搭載
  • 燃料電池搭載
  • 光ディスクメディア廃止
  • ダウンロード購入が主

てな感じになるんですかね。

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2009年3月21日 (土)

ねじれている可能性

メモ

最近ちょっと話題になった、淡路恵子さんがドラクエに苦言、という記事⇒73歳女優が開発遅れのドラクエに「私はいつまでも生きているわけではない」と苦言 - ロケットニュース24(β)

はてブで、この事を採り上げた別記事を知ったのですが⇒淡路恵子さん(73歳)、開発遅れのドラクエに「私はいつまでも生きているわけではない」と苦言:ぁゃιぃ(*゚ー゚)NEWS 2nd

ここにあった画像を見て、なんとなく、あれ、と思っていました。

で、さっき、自分のブログの記事を見返してたら、これが⇒Interdisciplinary: ゲームと芸能人

そこでリンクしたのがこちら⇒女優 淡路恵子 「ドラクエ」をおおいに語る - BLUE VENUS'S BED

画像が載っていますね。そして、この画像、「ぁゃιぃ(*゚ー゚)NEWS 2nd」に貼ってあるものと同じ、と言うか、直リン。

その画像を見ると、淡路さんの年齢は73歳となっています。エントリーが上がったのが2006年。今淡路さんは75歳だそうですから、明らかに、数年前の新潮の記事(Wikipediaによれば、2007年1/4・11新年特大号の記事との事ですが、週刊新潮のオフィシャルサイトにて確認出来ないので、詳細不明)。

しかし、「ロケットニュース24(β)」の記事を見ると、最近の話のように書かれている。まるで、先日のドラクエ9の延期発表を受けて、のように。と言うか、私は全くそうだと読みました。最近新潮で淡路さんが何か書かれたのだろうな、と。でもよく見れば、リンク先に、週刊新潮のどの号に掲載されたかは載っていないのですね。最近の新潮にも載った(つまり、新潮の記事で二度淡路さんがドラクエについて語った)可能性も考えたのですが、確認出来ませんでした。

いや、お前が思い込んだだけだろう、と言われればそれまでですが、上記リンクに対する反応を見ると、私と同じような読み方をしているだろうと思われるものが散見されます。

もし、リンク先の話が数年前の新潮の記事の事を指しているのだとすれば、

女優の淡路恵子さん(73歳)が、発売を延期した『ドラゴンクエストIX 星空の守り人』(以下、ドラクエIX)や、『ドラクエ』シリーズについて語っている。

この書き方は紛らわしい。ドラクエ9が発売延期したのは事実だけれども、この書き方だと、淡路さんが、発売延期の話を受けて何か仰った、と読めるので。しかし、そもそも、ドラクエ9のDSでの開発が発表されたのは、2006年末の事(参照⇒ITmedia +D Games:「ドラゴンクエストIX」ニンテンドーDSで登場 新潮の記事とほぼ同じ時期)だから、発売延期の話など関係あるはずが無い訳ですね(最初の発売延期発表は、2007年8月。参照:スクエニのリリース⇒http://www.square-enix.com/jp/company/j/news/2007/download/20070827_40.pdf (PDF) )。少なくとも、

73歳女優が開発遅れのドラクエに

これはおかしい。なぜならば、淡路さんが73歳の当時、ドラクエ9が開発遅れ、というのはあり得ないから。過去の発売延期の事も含んでいる(つまり、ドラクエは、開発遅れによる発売延期が多い、という事実を含む)、という読解は出来なくも無いけれど、それは非常に無理があります。新潮の記事を読むと、淡路さんの仰り方は、「開発が遅れる」と言うより、「続編の発売までの期間がドラクエは長い」事について、もっと短ければ楽しめるという希望を言っている、というものだからです。別に苦言では無い(語感にもよるけれど、私はあれを苦言などとは表現出来ないです)。

これらを鑑みると、元記事の記述は、間違いとは言えないかも知れないけれど、非常に紛らわしい。と言うか、なぜあのような書き方をしているのか解らない。だって、ドラクエ9の発売延期を受けての発言だと誤解しませんか、あれじゃ。記者はどういう意図で、また、どのような過程で、あの記事をあのような書き方をするに至った、のかな。

尤も、もし、

  • 淡路さんの記事が週刊新潮に最近載った
  • そこで、以前の記事とほぼ同一の内容が書かれていた

という事実があれば、書き方の問題と言うより、私の読解の問題な訳ですけれども。そうで無いとするならば、明らかに書き方がおかしい。

情報求む。※自分は「ロケットニュース24(β)」の記事をこう読んだ。実は淡路さんの、別所での同じような記事がある。等々。

普通、記事の見出しに年齢を書く場合、現在の年齢を出すものだと思います。過去の話なら、「当時」などの記述が入るはず。ここら辺も、紛らわしいのではないでしょうか。

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2009年3月20日 (金)

接し方

web.archiveから拾ってきたページ⇒+++ 加山雄三 オフィシャルウェブサイト +++:■No.8 バイオハザード

 社会報道では、しばしばゲームソフトが子供たちに与える影響力について、さまざまな議論も持ち上がりますが、大人も体験してみてはどうでしょうか?物事の善悪や、非現実、空想娯楽ゲームの世界として認める事を子供たちに教えるのも親の責任でしょう。一緒に楽しみ、ゲームを通して内容や、操作方法、友達との情報交換などの会話が生まれ、楽しいひとときを持つことです。年齢差や社会経験差、また日常生活の時間差などあればあるほど、なんでも良いから共通の関心ごとをもつ、その一つがゲームソフトであっても、コミュニケーションをとることが僕にとっては楽しいことであり、大切な事だと思っています。

素晴らしいですね。色んな人に見せてあげたい。

加山さん、テレビ番組でも、よくゲームについて語ってますよね。前観たのでは(『ごきげんよう』だったと思うけど、記憶曖昧)、鬼武者だからバイオだかを短時間でクリアした、というのを嬉々として語っておられました。周りの人は、ちんぷんかんぷんな感じでしたが(笑)

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2009年3月 4日 (水)

ゲームが単純だと言う人。年代とか関係無くゲームをやる人

ゲームなんて単純で、特に憶える事も無く、反射的に指を動かせば上手く出来るんだろ、的な事を言う人って、やっぱりいるんですかね?

いや、森昭雄氏がそういう風な事を言っている訳ですが、幸いにしてと言うか、自分の周りでそんな楽しい発言をする人ってのは、遭遇した事無いんですね。

もしそんな人がいたら、

○MHでラージャンをノーダメージで狩ってみろ。

○MGSの最高難度で、ノーキル・ノーアラートクリアしてみろ。

○ぷよぷよで18連鎖作ってみろ。

とでも言ってあげて下さい。

話はかわって。

比較的年齢が行ってからゲームを本格的にやり始めた事例を集めてみる、というのは面白いんじゃないかな、と思っています。おそらく一般的には、ゲームといえば若い年代の人がやるもの、とのイメージがあると考えているのですが、そこで、年配でゲームやる人はどのくらいいて、どういうきっかけで始めて、等を調べるのは興味深いかな、と。やる前と後でどんなイメージの変化があったのか、とかね。

著名人で年配の方がゲームをやっている例といえば、私が知る限りでは、

  • 加山雄三さん(鬼武者とか)
  • 鈴木史朗さん(バイオとか)
  • 淡路恵子さん(ドラクエとか)
  • 養老孟司さん
  • すぎやまこういちさん
  • 小柴昌俊さん(FFをされてるというのを聞いたような。※記憶曖昧注意)

などの方々が思い浮かびます。

これは私の例ですが……

ゲームといえば、昔『バルーンファイト』や『ソロモンの鍵』をちょこちょこやった事がある程度の人に、ゲームをやらせました。当時50歳くらいで、やってもらったのはRPG。それまでは、なにやら文字が沢山出るだけのものだという事で、何が面白いのか解らん、という感じだったそうです。

手始めにやらせたのは、『マリオストーリー』。我ながら見事な選択。いきなり小難しいのをやらせれば投げ出すのは、目に見えている。

マリオストーリーはかなり難易度低めで、全く始めてやる人でも、それほど困難では無かったようですね。なんとかクリアしました。

それから、いくつもやってもらった訳ですね。FF8では3DCGムービーに驚愕し、10までやり、アバタールチューナーはやるわ、シャドウハーツはやるわ。マグナカルタもクリアし、ドラクエ8も制覇。私が手伝ったのもあるし、決して「上手い」という訳では無いのですが、大したものです。

その人は現在、P3をクリアし、P4(『ペルソナ4』)をプレイ中です。

面白いものですね。

ちなみにその人、RPGのみ。アクションをやらせようとMH2にチャレンジしてもらった所、ゲリョスで脱落しました。まあ、しょうが無いですな。

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2009年1月19日 (月)

詭弁者

はてなブックマーク - tittonのブックマーク - 2009年1月18日

titton ゲームが「学業に専念できない」という意味で有害なのは確定的に明らか。その欠点を克服しない限り有害論は栄えるであろう。それはそうと良いデータベース

画面脳レベルのダメさですね、この人。何を的外れな事を言っているのか。

追記。箇条書き。

  • 学業に専念できないとは具体的にどういう意味か。
  • 有害とはどういう意味か。
  • 確定的に明らかとはどういう意味で、根拠は何か。それは単なる主観か、実証的なデータに拠るものか。
  • 欠点を克服するとはどういう意味か。それは、ゲームによって「学業に専念できない」のを克服するという事だから、「ゲームによって学業に専念できる」のを指すのか。
  • 有害論が栄えているのが、そのゲームの欠点故なのか。
  • その欠点とやらは、ゲーム特有のものなのか。

一般的に言えば、学業そのもの以外に打ち込めば、学業には専念出来ん訳です(ちょっと考えれば、「並行」させるのは可能だけどね)。それは当たり前。スポーツだろうがケータイだろうがアニメだろうがマンガだろうが恋愛だろうが。で、そんな中学生でも解りそうな事を改めて書いている? それとも、なにがしかの根拠や考察すべき理論なりがあって書いている?

追記2

http://b.hatena.ne.jp/titton/20090119#bookmark-11722375

titton ただのオチョクリになにをマジになっているのやら。こういう余裕のない排斥姿勢が疑似科学批判自身がカルト化している証拠。いや正直こんなことにマジレスされるとは予想外。こんど水の結晶にでも相談してみよう

http://b.hatena.ne.jp/titton/20090119#bookmark-11721832

titton なにをただのネタにピリピリ神経質になってマジギレしているのやら。ネタなんだから意味不明なの当たり前じゃん。何かの宗教にでも入信して心安らかになるといいんじゃないの?

本当に面白い人ですね。

マジギレと看做してもらって結構。人が真剣に取り組んでいるものについて、ネタだのオチョクリだので訳の解らない事を言っているのを見れば、マジギレもする。

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2009年1月17日 (土)

SG

ゲームで社会問題を解決 高い教育効果、進む研究や開発(産経新聞) - Yahoo!ニュース

藤本氏や馬場氏は頑張っていらっしゃいますね。

シリアスゲーム専用のソフトっていうのは、制作が難しそうですね。特に、エンターテイメントゲームに慣れた目の肥えた人達にも高評価を受けるソフトを作るのは、困難かも。

もちろん、学術なりのシリアスな部分の学習効果をも達成させねばならない訳ですね。なんとなくシリアスとゲームを組み合わせたようなのでは、話にならない。

ゲームやる人の価値観は、ある程度はっきりしていて、「面白く無ければやらない」、ですからね。まあ、惰性でやったり義理でやったり、というのはありますけれど、ゲーム好きを自認する人には、つまらないゲームに時間を割く事が我慢ならない、という妙な感情があったりするかも。自分はつまらないゲームを見抜けるのだ、という自尊心もあったりね(笑)

理想的には、自分がシリアスゲームをやっているなどとは全く気付かないのに、クリアしたら学術的知識体系の構造が身に着いていた、というのがあればいいですね(私の持論です)。言うは易しだけどね。

この件に関しては、シリアスゲームをどう分類するか、とかのアイデアがぼんやりあったりするんですけど(主に、武術論や、高岡英夫氏の論考の概念の援用)、専門的にどういう概念があるかを押さえておかないとなあ。新しい分野なので、文献もまだまだ少ないですよね。日本語で読めるのは数冊とかかな?

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