カテゴリー「ゲーム脳」の記事

少々マニアックな喩え

森氏のゲーム脳説、ピカピカに、パール・グロス塗装をしたいのに、サフの下地が梨地のまま上塗りをした、そんな感じ。
いや、その前に、400番のペーパーでガシガシやってサフを吹き付けた、というレベルか。

一番最初の前提が間違っているから、上に何を積み上げようとも、無駄なのですよね。本来は、「話にならない」、で終わりなのですが、上塗りの、「一見ピカピカ」の所を見て、信用するのでしょう。目を凝らしたら、荒れが見えるのにね。

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ゲーム脳関連2つ

きび談語:少年事件を取材していると… /岡山 - 毎日jp(毎日新聞)

GJ。

短い記事だけど、なかなか光る。

さて、次は非GJ(tabitureさんはGJ)。

アルファ’s blog(仮

森昭雄氏の講演のレポート。詳細です。

相変わらず、同じような事を言ってまわっているのですね、森氏。

講演、年数十回、か…。悩ましいね。

内容は、相変わらず、突っ込み所満載ですね。リンク先をご覧下さい。

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批判の姿勢

私はゲームユーザーで、ゲーム脳説が流布された事で迷惑を被る当事者になり得る人間な訳ですが、そういう人間が批判活動を行う際には、えてして感情的になりがちです。

だから、それはかなり抑えて、批判を行っています。森氏に対しても、出来る限り丁寧に、人格批判に向かわないように、気を遣っています。

本当は、あれほどの説を流布した人なのだから、ある程度罵倒されても仕方が無いんじゃないか、と思うんですよね。本音としては。やっぱり、そういうのは考えます。

でも、それでは、批判としての効果が薄れる可能性があるので、自制しています。かなり強く。

当事者が批判をすると、見てる人が引くかも知れないんですよね。何でここまで? っていう感じで。私の今の態度ですら、そう受け取られる事はあると思います。でも、私としては、これくらいが限界です。これ以上感情を抑えた書き方をすると、今度は淡々とし過ぎてしまうんじゃないかな、って。

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話は替わって。

一昨日の、川端さんのブログに言及したエントリーに関して、ちょっと付け加えます。

書くべきが迷いましたが、書いてみます。

私は、元村氏が、あれほど言われる(た)のは、期待をされている(た)から、だと思います。
もっと言えば、「もし今からゲーム脳についてきちんとしたものを書けば、賞賛します」、という含みがある。少なくとも、私はそうでした。後一歩踏み出してくれたとすれば、けじめをつけたその勇気に、敬意を表したい。そして、あの連載が始まった時には、今書けばまだ間に合う、という、そういう思いがあったんじゃないかな、と。

何故、(た)と書いたか。

もはや、元村氏に強い期待は抱いていないから、です。川端さんは、数日前に、私が言及したエントリーを書かれた訳ですが(だから言及した。今更元村氏に感情的に思う所がある、と推測されると、誤解を生む虞もあるから)、元村氏が期待されていたのは、昨年の話な訳で。
そういう意味ではもう、遅きに失した、のかも知れない。

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どこまで求めるか

ちょっと気になりました⇒リヴァイアさん、日々のわざ: 理系おたく?

私は、書評をした事は無いですが、元村氏の姿勢に関しては批判的に考察しているので、ちょっと触れてみようかと。

しかし、ネットの書評ぐぐってみたけど、辛辣なのが多い。
ゲーム脳関連で、いまだに恨みを抱く人が多い模様。でもね、それをバネにして、「理系白書」などに進んだことなんぞも是非評価してください、と思いました。

確かにそうなのですが、なかなか難しい所もありますね。昨年の記事をどう評価するか、とかね。あの連載があったのは、肯定的に評価されてしかるべきだと思います。だけれど、もう一歩踏み込んで欲しかった、という思いもある。要求し過ぎでは、と言われるかも知れませんが、真っ先にゲーム脳を報道したのは、事実な訳ですからね。遊鬱さんと同じような意見です。何かに害がある、という情報の方が、それは実は妥当では無かった、という情報より、圧倒的に流布しそうですしね(妥当で無かった、というのは、害が無い、というのを意味しないし、害が無いと言うのは一般的には無理だから)。

恨み、というのは、どうなのでしょうね。積極的に書評する人が、そういった感情から、というのはあるのかな。別に自分の事を言われた訳では無いけれど、私自身は、そういう感情は持っていないです。恨み、と言うより、苛立ちとか、そっちの方が近かったかな。で、おかしいと思った所には批判はするし、それはやっぱり、必要なんじゃないかな、と。

このブログで書いた、元村氏に言及したエントリー(コメント含む)を、いくつか貼ります。

Interdisciplinary: 予測

Interdisciplinary: なにで書く?

Interdisciplinary: 理系白書にゲーム脳

Interdisciplinary: 偏った見方かも知れないけれど

当時はそうでも無いと思ってたけど、結構感情入ってますね。あんまり良くないな…。

あ、川端さんのブログ、TB閉じてるんでしたね。忘れてた…。

ところで、ゲイムマンさん、グッドアイデアですね。

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終わった

連載、キリが悪く9回で終了(笑)

ご批判、よろしく・・。

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ゲームとの付き合い方

ファミ通DS+Wii増刊 2008年4月号 ゲームスコ×ゲームスメ ファミ通DS+Wii増刊 2008年4月号 ゲームスコ×ゲームスメ
販売元:セブンアンドワイ
セブンアンドワイで詳細を確認する

画像付きのリンク無かった…。

この本、ちょっと読んでみました。

凄く良い内容だと思います。ゲームとの付き合い方を考えていきましょう、という本で、色々な親子の方針を紹介してたり。

馬場章氏が、ゲーム脳等の、ゲームが及ぼす影響について語るインタビューがあって、これも良かった。

ただ、ちょっと残念だったのが、この本、私が行った書店では、ゲームコーナーにあった所。そういうコーナーには、ゲームに興味がある人が行くでしょうから、他に、育児書のコーナーとかにも置いた方がいいんじゃないかな、と。ちょっともったいないと思いました。書店によっては違うのかも知れませんけれど。

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参考資料:『ゲーム脳の恐怖』を読む(5)

「『ゲーム脳の恐怖』を読む(5)」で紹介したグラフ(B)を引用します(P70)。

スキャナを持っていないので、携帯電話で撮影しました。見辛いかもしれません…。クリックで拡大出来ます。

Gmbg

で、何度もこれを見てみたのですが、このグラフが何を表しているのかが、よく解らないのです。という訳で、お読みの方のお知恵を拝借いたしたく…。不明な箇所(森氏がどう説明しているか、等)がありましたら、コメント欄でご質問を頂ければ、調べて引用なりをしてお知らせします。

結局、横軸の単位が間違っているのではないか、というのが、私の考えなのです(だから、何を表しているか不明、と書きました)。Aグラフをヒストグラムにしたもの、という説明がある事からも、横軸が割合を示しているのではないかと。とすれば、縦軸を度数と考えて、何とかAグラフと整合するかな。

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『ゲーム脳の恐怖』の書評に見る、ダメな批判および的外れな擁護、の例

批判というものにも当然、ダメな批判、つまり、批判自体がおかしい、という場合があります。また、批判されているものを擁護する際にも、的外れになっているものも、少なくありません。

そこで、『ゲーム脳の恐怖』の、amazonの書評を検討する事によって、それらの例を見ていきたいと思います。

amazonの書評にも、いわゆる「釣り」的なコメントがある訳ですが、そういう所は考慮せず、全て真剣に書かれたものとして捉え、検討します。

もちろん、採り上げる私の考えそのものがおかしな場合もある、という事もあるでしょう。その場合には、ご批判を頂ければありがたいです。

ゲーム脳の恐怖 (生活人新書) Book ゲーム脳の恐怖 (生活人新書)

著者:森 昭雄
販売元:日本放送出版協会
Amazon.co.jpで詳細を確認する

「評価の高い順」でソートし、星の多い方から検討します。

そこでよく見られるのが、「ゲームが有害で無いとは言えないのではないか」、とした上で、本書の擁護をする論調です。批判はあるが、ゲームの危険性に目を向けさせる役割があったので良いのではないか、という具合です。

しかしこれは、的外れです。

まず、本書を批判している人は、必ずしも、「ゲームの有害性」そのものを否定している訳ではありません。そもそも、有害性という概念自体が、どのような観点で、どう定量的に捉えるか、という所を考えなければならないものなのです。「有害性が全く無いとは言えないのではないか」、というのは、論理的にはその通りですが、それは、あらゆる物事について、言える訳ですね。

また、「森氏が言っている事はまとも」、という書き方をしているものも、あります。

これは、基本的な生活習慣に関する部分「だけ」を見て、その他の部分は捨象してしまっています。たとえば、「身体をよく動かす事が大事」、という記述があれば、そこをクローズアップして、「まともじゃないか」、と考える訳です。ところが、普通は、「全く一つもまともな事を書かない」、などというのは、あり得ないのですね。常識的な事を二つ三つ書けば、それは「まとも」と言えるのですから。本書の問題は、それを、脳波の状態などで、根拠不明確なまま説明してしまおう、という部分なのです。

他によく見られるのが、「実感」を元にした意見。

たとえば、塾の講師の意見であるとか、身近の子どもに対する「印象」によって、「ゲームは害を及ぼす」、という主張。

これは、二重に間違っています。つまり、1)自分の経験を過度に一般化している 2)仮に、子どもが変わったというのが妥当だとしても(仮定)、それが「ゲーム」のせいであるかは、また別の問題  という事です。

小さな子どもを持つ方に薦める、という意見もあります。私はこれには、明確に反対します。理由は、このカテゴリーの記事に、散々書いてありますので…。

テトリス(パズルゲーム)が、ゲームの適切なサンプルである、という意見もありますね。つまり、ゲームに共通する部分を取り出すと、パズルゲームの要素が残る、という主張。これも的外れです。何故なら、「ゲーム(コンピュータゲーム)」はそもそも、多様なあり方をしている文化現象そのものを指している概念なのですから。この例は、過度の単純化、と言えるでしょう。

次に、一つレビューを引用してみましょう。※文字修飾は、はずします。コメントの一部を引用

冷静に読めば,えるところのある本, 2007/10/22

しかし,論理に不完全な点があったり,おもいこみにもとづいて書かれた部分があるのはこの本にかぎったことではない.この本を冷静に読めば,著者がそんなにバランスを欠いた主張をしているわけではないことがわかる.

仮にも、学術的研究成果を披露する著作なのですから、論理的整合性や科学的客観性は、必須不可欠の条件であり、それを蔑ろにして良い訳がありません。また、論理的に不完全な本が他にもあるから――、というのは、おかしいですね。他に論理性の欠如した本があれば、それも批判されて然るべきである、と考えなくてはなりません。

ここから、(的外れな)批判的意見を採り上げます。※ほとんどは、妥当な批判だと思います。擁護する意見は、それ自体少ない訳ですけれど。

「ゲーム脳などあり得ない」、という意見がありますね。これは結構、難しい所。そもそもまともな定義らしきものが存在しないものなので、その意味で、そんなもんあり得ないよ、と言うのは、正しい。だけれど、それを主張する際、「ゲーム脳」に、「ゲームの有害性」という意味を含ませている場合には、それはあり得ないとは言えない、という事になります。まあ、これは、少々複雑な問題なので、立ち入るのはよしましょう…。

よく見られるのが、「自分はゲームをよくしていた(る)が、特に問題は無い」、という意見。これはまず、自身が問題無いと思っているのが妥当とは限らない、という所がポイント。で、それが妥当であると仮定しても、だからといって、それが理論の反証になる訳では無い、という事ですね。ゲームをやる人間が全ておかしくなる、という主張ならともかくも、そういうものでは無いのですから、一つの事例は、参考資料にしかならない、という事です。これは、「元々主唱者が何を言っているか」をきちんと把握していないが故の、的外れな反論と言えるでしょう。

斎藤環氏の文(正確には、インタビューの記事)を、それと明示せず抜粋しているのがあるな…。何やってんでしょ。

皮肉を含めて批判する、というのは常套の手段ですね。私もやる事があります。これは、加減が難しい。一歩間違うと、単なる罵倒になりかねないので。

標本サイズが小さい、という意見。必ずしも、人数が少ないからダメだ、という事では無いですよね。実験の内容や学問分野を検討した上で、考えなくてはならないと思います。医学や心理学等では、小サイズのサンプルというのはよくある事でしょうし、統計学的厳密な無作為抽出というのは、不可能な場合が多いだろうから。その場合には、母集団をきちんと限定したり、どのようにサンプリングしたかを明記するなりの配慮が、必要ですけれど。一事例研究のようなものもあるしね。あ、もちろん、森氏の研究では妥当だ、と言ってる訳じゃ無いですよ。

ああ、後、実験データが詳しく公開されていない、というのをどこまで突っ込むか、の部分も、結構難しいですね。新書ですから、ある程度省略して記述する、という言い分も、理解出来ますので。サンプルサイズとかサンプリングの仕方くらいは、必須だと思いますけれど。本書は、あまりにも足りない、という印象は持っています。

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大体、こんな所でしょうか。

これは、他のニセ科学に対する批判を考える際にも、敷衍出来るのではないかと思います。批判の内容は妥当か、とか、擁護の仕方がどうおかしいか、というのをきちんと考えるのも、大切ですよね。

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思案中・・・

えっと、連載の方、続きは、もうちょっと後になりそうです。

どういう風に書くかを考え中。次章以降は、生理学や心理学のテキストと森氏の主張のサンドイッチ構造のような感じなので、検討が難しいですね。教科書に書かれてあるのをそのまま持ってきたような所もあるし。

ゲーム脳の核の部分(α波とβ波の比で痴呆症が判定出来る。同様の脳波が観測されれば「ゲーム脳」と判断する、という主張)だから、丁寧に論じたい所ではありますが、神経科学的にどうおかしいかをきちんと指摘するのは、なかなか困難です。知識不足な部分もあるし。斎藤環氏の批判等へのリンクを貼って紹介し、自分では論理的な矛盾を指摘する、という方法もあるかな。

ところで。ご存知無いへの紹介がてら。

恐らく、ゲーム脳説の根源とも言えるのが、CiNii - 脳波による痴呆の解析だと思われるのですが、この論文を検討された方はいらっしゃるでしょうか。また、大友氏が医学界でどのような評価を受けているのかをご存知の方がおられたら、教えて頂ければ幸いです。※参照(いずれもコメント欄):リヴァイアさん、日々のわざ: 町田市でゲーム脳講演  リヴァイアさん、日々のわざ: 森氏の業績(?)一覧

まさに、ゲーム脳が生み出されるきっかけとなったもの言えるので、重要だと考えています。参照:Interdisciplinary: 自己中心 ←森氏と大友氏の主張が、全く同じ構造である事が、見て取れる。

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n_ohsakiさん用

以後、コメントは、こちらに書かれますよう。

他のエントリーへのコメントした場合、全て削除します。

安原さま

森氏の個々の見解についての的確さを欠いた点は同意できます。しかし問題提起としてはいいのではと思います。

川島隆太氏が自分のお子さんがビデオゲームをやる時間に制限をつけています。

ゲームをやることでどう脳に影響が出るかについてのデータを出されておりそれについて是非をいわれていませんが、子供に制限を加えています。

実験データと子供に対する態度は一致していません。周囲としては、どちらを信するのでしょうか?

様々な脳研究者にアンケートをとって実際自分の子供にどれくらいまでの時間ならやらせても大丈夫と思うか訊いてみたいです。

認知症の当事者意識ですが、自分がなったら嫌ですよね。ではどういう心がけをするかです。なってしまったら対処が難しい。だから今から心がけたいのです。

国際聖路加病院名誉医院長の日野原先生は、かなりの高齢にも拘らずそういった気配がありません。

どういう生活態度なのか是非知りたいですね。

投稿 n_ohsaki | 2008年3月 2日 (日) 01:16

別エントリーへのコメントです。こちらに置きます。元のコメントは非公開状態とします。あのエントリーは(も)、真剣に書いておりますので、このようなコメントを置いておく余地はありません。

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『ゲーム脳の恐怖』を読む(1)

先日お知らせしましたが、森昭雄氏の著作、『ゲーム脳の恐怖』の内容を検討するシリーズを、始めます。不定期の連載になると思います。

今更? と思われる方もおられるでしょうけれど、ゲーム脳説は、現在ある程度流布されており、森氏の講演会や、ゲーム脳をテーマにしたイベント等も、たびたび行われています。そういう状況を鑑みれば、森氏が著作で何を主張したか、というのを検討するのは、決して意味の無い作業では無いと考えます。

カテゴリーとして、「『ゲーム脳の恐怖』を読む」を追加します。

引用文は、特に断らない限りは、森昭雄 『ゲーム脳の恐怖』(NHK出版)からのものです。

強調部分は、引用書の見出しを示します。

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前書き

まず、ファミコンの誕生、いくつかの有名ソフトの紹介および、ゲームハードの出現の大まかな歴史を、紹介しています。その後に、ゲームの悪影響についての指摘がある事を紹介し、木村文香氏の論考を引用し、テレビゲームの真似をして傷害事件が起こった例を挙げています。

次に、森氏が、幕張メッセで行われたイベントに行き、そこで見たコスプレをした少女にショックを受けたエピソードが、紹介されています。

 昨年、幕張メッセで開催されたテレビゲームショーに行くチャンスがあり、見学してきました。その会場の異様な雰囲気に私は驚き、ショックを受けてしまいました。というのも、中学生風の女の子が、左右に立派な白い羽をつけたエンジェルの格好をして、真面目な顔で歩いているのです。しかし、会場をよく見回してみると、テレビゲームのなかに出てくるキャラクターそっくりの衣装に身を包み、無表情で歩いている小中高生が、彼女のほかにも百人前後いることに気がつき、再度ショックを受けました。(P4・5)

この引用文から、森氏が、恐らくコスプレという文化に無知である事が、窺えます。更に、印象として、「異様な雰囲気」、「無表情で歩いている」、等の表現を用いています。この後森氏は、その印象を元に、将来の日本についての危機感を表明しています。

 このとき、私はこの子たちの将来、そして日本の未来はどうなってしまうのだろうかと心配になってしまいました。本当に自分が別世界に来たみたいで、自分の意識を一瞬疑ってしまいました。(P5)

この文章から、森氏が、自身の知らない文化について、その内容を調べようともせず、「印象」のみをもって評価し、その印象を不当に一般化しているのが、見て取れます。

さて、森氏はこの後、自身の研究によって脳波が容易に記録出来るようになり、その方法によって、テレビゲームや携帯ゲーム中の前頭前野の活動を調べた結果を纏めた、と主張します。そして、その結果から、

驚くことに、テレビゲームのなかには前頭前野の脳活動をあきらかに劇的に低下させるものが多いことがわかったのです。このままこれを放置していると、テレビゲームに熱中しすぎる子どもたちは、キレやすく、注意散漫で、創造性を養えないまま大人になってしまうと思われます。さらに若年性痴呆症状態を加速する可能性が高くなるのではないかと危惧しています。(P6)

こう結論しています。ここで注目すべきなのは、キレやすい、注意散漫、創造性を養えない、という心理学的な悪影響および、「若年性痴呆症状態を加速」するという、医学的悪影響が、明確に主張されている所です。

この後には、IT革命による、「子どもたちの限りない潜在脳(ママ)力を削ぎとっている可能性」(P6)への懸念を表明し、五感を駆使し、人と触れ合う事の大切さを主張します。そして、飼育していたカブトムシが死んでしまい、親に、「電池を交換すればいい」と言う子どもの例(森氏の友人の話として紹介)が挙げられ、「この話に私は非常に強い衝撃を受けましたが、子どもの脳に異変が生じていることは現実なのです」(P7)としています。当然、生き物が死んだのを見て電池を交換すれば良いと発言する事は、脳の状態について推測する材料には、特にならない訳ですが、森氏はそこも、強引に結び付けています。

次回へ続く

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ちょっとお知らせ

その内に、再び森氏の著作を採り上げて、論評しようと思っています。多分、本を丸ごと一冊検討しますので、長~い連載になります。

随分前からやろうと考えてたのですが、なかなか手をつけられず。

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ゲーム脳の説明

興味深く、そして、悩ましくなる事例⇒完全否定されている「ゲーム脳仮説」 パラダイムシフト ~アヒルがウサギに見える日~/ウェブリブログ

これは、ゲーム脳がニセ科学と解っている方が近親者にそれを説明しようとしたが、困難だった、というケースですね。

「そんな難しいことを言われても、分かんないわよ。要は親としたら、子供がゲームをやりすぎたら不安なわけよ。その不安を解消してくれた説なんだから、みんなにウケているんじゃないの?」

「まあ、それはそうなんだけど、間違った学説を拠所にして子供をしつけるというのは、科学的な態度であるとは思えないのだけれど…」

「あなたは科学オタクだから、細かいことばっか気にするのよ。子供がゲームをやりすぎたら困るんだから、いいのいいの」

これは、養育者の立場からのゲーム脳説の見方、つまり実感なのですよね。

悩ましいなあ。

そして、この悩ましさが、ゲームをやらない人には全く理解されないであろう、というのを考えると、更に悩ましくなる。ゲーム脳説を安易に用いると、ゲームをやる事自体をネガティブに捉えたり、本来他に考える必要のあるものを見逃したり、という事をいくら言っても、でも、ゲームをやらないようになるならいい、と返されると、困るだろうなあ。

自分の好きなものと「ゲーム」を入れ替えて考えてみるように促しても、難しいのでしょうね。

私自身の考えは、「ゲームをやり過ぎるとバカになる」、というのは、「スポーツをやり過ぎると身体を壊す」という程度と同じような意味合いで用いられるならば(一般論として、何かを「やり過ぎる」と、それに用いられるものが消耗するのは当たり前だし、それ以外の事が出来ない、というのも当然なので)、ギリギリ「あり」かも知れない、というものです。だけれど、とても残念な事に、ゲームは、ファミコンがヒットした頃から、その害悪が、「本気」で指摘されてきたものなのですよね(脳が壊れる。問題行動や犯罪の原因、等)。しかも、根拠不充分に。更には、ゲーム脳説のように、「科学を装っている」ものまで現れた。だから、かなり言葉の使い方に「拘っている」と思われるような事も、書いています。実際、事件の原因をゲーム(やアニメやマンガ)に押し付ける事が、起こる訳ですからね。慎重にならざるを得ない。

スポーツばかりやると脳が破壊されてしまう、と言われたら、誰も賛同しませんよね。スポーツって言っても色々あるぞ、とか、周りにどんな人間がいるかで違うぞ、とか。そうならないのは、普及・認知の仕方が全然異なるからなんでしょうけれど。

冗談で、「ゲームばっかやってるとバカになるよ(笑)」なんて言える世の中になればいいんですけどね。そういう使い方をするのは、どっちかと言うと、ゲームのユーザーなんじゃないかな。半ば自虐的なね。それを冗談では済まさなくしようとしている人が、いるんですよね。窮屈なものです。実際、私は、ゲーム脳を冗談で使う事があります。でもそれは、ゲーム脳がニセモノだと知っている人同士の間でだけ、です(←自虐的な所もある)。それ以外の場で使えはしない。

※リンク先での例は、家庭でのやり取りの様子を書いたものなので、「親しい人同士の会話の場」であった、という事は、考慮すべきだと思います。それを文字にする事によって、実際の場の雰囲気よりも、読み手によって、印象がネガティブになってしまうおそれがあるでしょう。ですから、本エントリーはあくまで、子を持つ養育者に、ゲーム脳がどう捉えられているか、という事例を紹介するのが主旨である事を、明記しておきます。

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「上手に付き合う」?

[ゲームと上手に付き合おう 八代・宮地小 児童と保護者ら勉強会] / 熊本 / 西日本新聞

そのような煽り方をしておきながら、うまく付き合う、とは、全く不可解です。

井上会長は「大事なのは、子どもたちをゲームやテレビから無理に遠ざけるより、どうすればうまく付き合えるかを考えること。うちの子を含めて『ゲーム脳』にならないよう、家族や地域でゲームを考える機会になればいい」と話した。

ゲーム脳説を持ち出す事そのものが、「ゲームを無理に遠ざける」のと同じである所に、気付いていないのか。理解しがたいですね。

提唱者が、曖昧な態度(ゲームにもよる、という意見を主張。脳トレに関する記事にて)を示した事実すら、あるのにね。

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外食とゲームのアナロジー

ゲームは脳に悪い、と言うのは、外食は身体に悪い、と言うのに似ている、と思います。

別に、外食という名の食べ物がある訳では無いのですよね。意味としては、家の外で食事する、というものだから、食事の内容なんて、色々ある訳です。外食が、なんて、一般化出来るはずが無い。

ですから、本来は、その中身を分類し、カテゴリーごとの影響とかを調べるべきなんですよね。それをせずに、無理矢理一般化するから、おかしな事になる。そのおかしな主張を正当化するために、論理展開も強引になってしまう。

そんな感じなんじゃないかと。

※普通、外食が身体に悪い、と発言する場合には、家の外で食べるという事は、好きなものに偏りがち→栄養も偏る→身体に悪い  という感じのロジックを前提としているのだと思います。まあ、それ自体、特に妥当では無いと感じますが。家で食べる方が偏ると思うんですけどね。下手に自分で作るより、飲食店で作られた料理の方が美味しいし、バランスも考えられてるだろうし。健康に気を遣う人は、良さそうな料理を作る店に通うだろうし、無頓着な人は、家で作る時も、適当になるんじゃないかな。

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取り組み

山陰中央新報 - ノーテレビ実践 松江の家庭ルポ

 ゲーム漬けで脳機能が低下する「ゲーム脳」に警鐘を鳴らす講演を聞いたの機に、玉湯幼稚園の保護者がゲームの機会を減らそうと結束。子どもたちは最初は「なんで」と不満そうだったが、じきに外で鬼ごっこをしたり、おもちゃで遊んだりするようになった。(引用は、原文ママ)

うーむ。この時点で、何か重大な事を、見落としているような。

子どもたちは他家でゲームに触れる可能性があるため、成功のカギは一家庭にとどまらない「地域ぐるみでの取り組み」だと実感したという。

そこまでして、ゲームから離すのか…。

ゲーム時間を減らす事そのものには、別に反対はしません。リズムを作るのは、大切かも知れないし。でもそれは、地域ぐるみでやる事なのだろうか。しかも、わざわざ、ゲームとテレビに限定して。

中2は平日平均118分、休日同147分で、全国より9分と5分長かった。

9分と5分…。ばらつきは?

時間を減らすのはいいけど、せめて、「嫌わせない」ようには配慮して下さいね。積極的に遠ざけると、それを嫌悪する、というのは、往々にしてありますから。

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新説?

先生と青い鳥: ゲーム脳

これは新しい。

あまりにも新しいので、思わず唸りましたよ。

いや、似たような事を言っていた人が、いた気もしますが、ちょっと憶えて無いですね。

ともかく、新しい。

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どうしてだろう

医学の専門家の方に、ゲーム脳についてどう考えているか(理論的な考察とか、森氏の論の展開についての具体的な考察とか)、訊いてみたいですね。

と言うのも、小児科の医師とかが、ゲーム脳について肯定的に取り扱った講演会を行っているという情報を、たまに見かける事があって、「(主に生理学等の)総合科学の専門的トレーニングを積んだ人が、ゲーム脳を肯定するのは、どういう論理からなのだろう」、と考える事があるのですよね。ゲーム脳レベルの主張は、それこそ、素人でも解るような脆弱な論ですよね。専門家といっても、色々なバイアスがあるのは判るのですが、それにしても、程度というものがありますよね。免許を持っている人は、少なくともエンストはさせないだろう、というレベルの(しかも医師は、モータースポーツのプロとか、一流のタクシー運転手とかに、なぞらえられるでしょう)。ゲーム脳って、そういう段階の話では無いのですかね。

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やりとり

『お水のお店』 omizu_nooMISE 海洋深層水 マハロ:ゲーム脳と読書 ~誉めて育てる

コメント欄が興味深い。

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答えを貰った子は…

はてブ経由⇒全国こども電話相談室[にんげん・せいかつ]

…。

2002年かあ。出始めの頃ですね。

他に色々な質問がありますねえ⇒全国こども電話相談室[にんげん・せいかつ]

素晴らしい問いばっかりだ。

答えるに相応しい人を、ちゃんと選ばないとね。

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ゲーム脳は何故ニセ科学か

社会学玄論 : 疑似科学批判の基準のコメント欄で、きくちさんが、ニセ科学のパターンを、4つ挙げておられます。(Commented by きくち at 2007-08-22 23:11)

基準が多様になってしまうのは必然的で、たとえば擬似科学には(1)反証不可能でポパー的に見て科学ではないもの(2)反証可能なだけではなく、すでに反証されてしまっているもの(3)反証可能で直接には反証されていないが、他の科学知識と整合しないので反証する必要のないもの(4)反証可能だが実証も反証もされていないにも関わらず実証されたものであるかのように詐称しているもの、などさまざまなパターンがありうるからです。

さて、この例に照らすと、ゲーム脳は、どれに当てはまるでしょうか。

まず、「(1)反証不可能でポパー的に見て科学ではないもの」です。森氏の主張は、ゲームを長時間すると、前頭葉の機能が低下し、認知症と同じ様な状態になる、というものですね。その仮説に矛盾する命題は、簡単に導かれるので、反証不能であるとは言えないでしょう。長時間ゲームをやって、脳機能が低下しない事が観察出来れば、反証されます(論理を単純化すると)。

次に、「(2)反証可能なだけではなく、すでに反証されてしまっているもの」 どうでしょう。これには当てはまるでしょうか。ゲーム脳仮説そのものの検証は、長時間ゲームをやらせ、その際の脳活動のイメージングのデータを採り、認知機能のテストを行う事によって、行えると考えられますが、そういう研究は、恐らく無いと思います。松田剛氏の研究は、ゲーム中・ゲーム後の脳活動のイメージング研究ですし、その他の社会心理学的研究等も、ゲーム脳説の論証では無いので、「反証された」とは言い切れないのだろうな、と思います。間接的な反証の材料にはなるかな、とも考えますけれど。もちろん、森氏がまともな論文を出していないので、それをわざわざ検証する必要など、無い訳ですが。

「(3)反証可能で直接には反証されていないが、他の科学知識と整合しないので反証する必要のないもの」、はどうでしょう。ごく慎重に考えると、ゲームを長時間して脳機能が低下する、というのは、全く他の知識と矛盾する、とは言い切れないのかな、とは思います。ただ、現在の神経科学・心理学等の知見から、長時間の光刺激やらの悪影響を整合的に説明する仮説が、構築出来るのだろうか、というのは、疑問です。もちろん、乳幼児期に、ゲームばかりやらせていると、他の刺激が抑制され、双方向的なコミュニケーション能力が育たないため、発達に悪影響を及ぼす、という主張もある訳ですが、それが、森氏の言う「ゲーム脳」説と同じものなのか、という疑問も出てきます。そもそも森氏は、まともに概念を定義してすらいないので、ここら辺は、ややこしい所です。

「(4)反証可能だが実証も反証もされていないにも関わらず実証されたものであるかのように詐称しているもの」 これが、ゲーム脳をニセ科学と断言して良い理由の一つですね。上にも書いた様に、「反証されている/いない」は、どう判断すればいいか、ちょっと悩ましい所ですが、「実証されていない」というのは、はっきり言えます。それは、・ゲーム脳説に関するまともな論文が無い事 ・『ゲーム脳の恐怖』の内容が、論理的な矛盾、データの恣意的解釈、経験による印象の過度の一般化に満ちている事(ゲーム文化そのものに対するまともな考察も、皆無) ・森氏が、各所で、ゲーム脳説が実証されたものであるかの如く(講演会や、マスメディアのインタビュー等で)触れ回っている事――等から、導けます。

血液型性格判断は(2)、水伝は、(1)もしくは(3)ですね。マイナスイオンは(4)でしょうか。ゲーム脳は、最も慎重に考えると、(4)になりそうです。そもそも定義がはっきりしない、というのも、押さえておくべきですね。

ニセ科学と一口に言っても、色々なものがあるのですよね。もちろん、現在(4)の理由によってニセ科学と判断されているものであっても、今後、科学的知識として認められるという事は、起こり得ます。現在実証されていないにも関わらず、それがなされたかの様に主張され、流布されたものが、ニセ科学なので。

という訳で、ニセ科学と科学の間に、明確な線引きを行う事は出来ない。それは、社会状況とも関わってくる問題である、というのは、よく認識しておくべきだと思います。

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おとなのリテラシー

ちょっと不機嫌モード。

森昭雄氏に講演を依頼したり、説を肯定的に採り上げてるのって、マスメディアじゃないんですよね、今は。教育委員会だとかの、直接、教育に携わる人達なんですよね。TOSSもそうでしたね。

はっきり言って、「そっち」の人達のリテラシーはどうなっとるんだ、と思います。学力低下がどうこうとか言っときながら、ゲーム脳を(肯定的に)採り上げるなんて、噴飯物だとは思いませんか。 科学リテラシーを向上させるべきは、若い者だけか?

数ヶ月に一回のペースで、森氏の講演会が催されるなんて、どう考えても、おかしな話でしょう。主催者側は、なーんも調べて無いのでしょうね、事前に。調べた上で、「賛否両論だが…」なんて判断をしたのであれば、認識力が著しく欠落している、って事です。両論ある事だけ理解して、両論の中身を検討しないのだから。

ちゃんと理解しようともせず、直感を補強しそうだからと(これまた直感的に)飛びつく。そういう姿勢を見て、大人は解って無いな、と溜息をつく若者がいるって事に、気付いた方が良い。

ゲーム脳説を蔓延らせているのは誰だ?

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できる子

こんな本が出てたんですね⇒アスコム:できる子は10歳までに作られる

七田式も採り上げられているんですね。もちろん、一般の養育者向けの内容なんでしょうけれど。

【楽天市場】できる子は10歳までに作られる:楽天ブックス

↑ここを見ると、ゲーム脳の話が書いてあるみたいです。どんな扱われ方しているのかな。

話は替わって、いつも思うのですが、篠原氏、テレビにしても何にしても、安易に出過ぎじゃないですかね(この本は読んでいないので、内容解りませんが)。氏は「科学者」ですから、望むと望まざるとに拘らず、ある程度の権威付けがなされると思うのです。それを視聴者や制作者の責任だ、と言ってしまえばそれまでですが、もう少し、どう捉えられるかを、考えた方がいいんじゃないかなあ。川島氏にも、同じ様な印象を持つ事がありますが。

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無関心?(※消去済みです)

※言及先のブログの管理者様のご依頼により、本エントリーは、消去いたしました。

理由は、私が、誤読をした上で、的外れな批判をしてしまった事により、大変ご不快な思いをさせてしまった為です。

改めて、言及先のブログの管理者様、及び、閲覧者の皆様に、お詫び申し上げます。申し訳ありませんでした。

コメント欄も、一部非公開とします。

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ゲーム脳の恐怖(5)´

Interdisciplinary: ゲーム脳の恐怖(5)

B-1:そもそも「テレビゲームとは何であるか」という視座が無い。(「テレビゲームの心身に与える影響」等を論ずる際に、最も重要である視座)

について、です。(森昭雄:『ゲーム脳の恐怖』,2002 参照)

「ゲームが脳に悪影響を与える」とか「ゲームは人間を暴力的にする」といった主張を見聞きした時、ゲームを良くする人は、次の様に考えるでしょう。他に、ゲームは暴力性を高める、とか、ゲームをやると頭が働かなくなる、とか、色々あります。

「”ゲーム”と一口に言っても、色々なジャンルがあるし、同じジャンルでも違いがあるのに、それらを一括りにして”ゲームの影響”と短絡するのはおかしい」と。ゲームの多様さ。

これは至極もっともな反論です。しかし、この様な反論にはお構い無しに、ゲーム否定論者は、「ゲーム」の悪影響論を展開します。ゲーム批判者も、「全てのゲームでは無い」と一応断りを入れる事もありますが、それにしては、批判の仕方が扇動的であると、私には思えます。

「ゲーム」が脳に与える影響を確かめるためには、先ず「ゲームとは何か」ということを明らかにし、それがどの様な特有の性質をもっているか、を明らかにしなければなりません。即ち、「ゲームを定義する」という事です。これは重要です。そうで無いと、何について調べているのかが、判らない。

そしてその上で、ゲームのどの特性が、どの様なメカニズムで脳に影響を及ぼすか、ということを論証する事が必要なのです。詳細なメカニズムはまあ、後回しでも構わない訳ですが。言い換えると、その様な検証を行うことなく、ゲームの悪影響等を論ずる事は出来ないのです。そうであるのに、ゲーム否定論者は、「ゲームとは何か」を明らかにせず、概念を曖昧にしたまま、悪影響が云々と言います※。『ゲーム脳の恐怖』でもそれは同様です(本書を通読すれば、「書かれていない」事が解ります)。そこでは、「ゲーム」という語が、学問的に措定されていません。著者は明らかに、「コンピュータ・ゲーム」や「テレビゲーム」を念頭においていますが、「”ゲーム”脳」という語を用いています。著者の研究内容からすると、「コンピュータ・ゲーム脳」や「テレビゲーム脳」とすべきです。にも拘らず、「ゲーム脳」という語を使用するのは妥当とは言えません※2。前にFREEさんが、ゲームなのかコンピュータゲームなのか、という事に関してコメントを書いておられましたが、「”ゲーム”脳」という表現は、学術的には、あまり妥当では無いですよね。もちろん、学術的概念では無い訳です。そして、学術的専門概念であるが如く、看做される場合があるのですね。

※勿論、「ゲーム(テレビゲーム)とは何か」を定義、あるいは社会科学的に詳しく論じた研究者もいるかも知れません。私が調べた限りでは、その様な論文等は見出せませんでした。ちゃんと調べて無いんですね。ゲームに関して研究している人自体、少ないでしょうけれど。ゲームの影響について調べたと称する研究のことごとくが、森氏の様な科学的妥当性を著しく欠く研究や、ゲームの特性そのものについては詳しく論じていない社会心理学的研究(坂本章氏の研究等)でした。これは別に批判では無く、坂元氏が行っているのは社会心理学的な研究である、という事実の提示です。

※2「ゲーム」では概念の内容が広すぎます。例えば『広辞苑』(第五版)では「ゲーム」は、「1.遊戯。勝負事。2.競技。試合。」、又、ゲーム - Wikipediaによれば、「ゲームとは、勝ち負けを争う遊戯、競技もしくは賭博のこととして一般には認められているが、「ゲーム」という言葉が実際に使われている範囲は幅広く、万人に通じる定義付けは難しい。」とあります。これでは、著者がゲーム脳改善に効果的と紹介している「お手玉」等も含まれてしまいます。(それどころか、あらゆる文化が含まれてしまいます)日常的に「ゲーム」と言えば、それは、コンピュータゲーム、特にコンシューマゲームを指すとは思います。

私がこれまで、「テレビゲーム」や「コンピュータ・ゲーム」とせずに、「ゲーム」としてきたのは、この様な言語論的事情からです(テレビゲームやコンピュータ・ゲームを含めた「代名詞」として我々は「ゲーム」という語を日常的に使いますが、私もその様に用いました。勿論、学術的概念に安易に用いるべきではありません)。メール等も含めるのであれば、「テレビゲーム」や「コンピュータ・ゲーム」という概念では狭すぎます。パソコンのディスプレイや携帯電話のディスプレイを、「テレビ」と言う人は少ないでしょう。「テレビ」は、日常的には、放送の受像機、といった所でしょうか(もっとも、この境界も曖昧ですが)。「テレビ」を一般化すれば(パソコンのディスプレイ等も含むとする)、それらを含める事も可能ですが、それでも、メールやチャットを「ゲーム」には含められない、という問題があります(コンピュータ・ゲームでも同様)。著者もこの事には気付いている筈です。わざわざ(別著で、ですが)「メール脳」なる語を生み出したのですから。この様な場合、より一般的な概念を生み出す努力をすべきですが、それをしていません。これは非科学的態度であると言えます。ここら辺、概念の内容と名前の結びつきにどう整合性を保つか、という観点ですね。つまり、森氏が主張するのは、コンピュータゲームやメール(携帯電話・PC含む)、チャット等の影響な訳で、それを「ゲーム脳」と表現するのは駄目だろう、という事です。人によっては、何を細かい所をくどくどと…と思うかも知れませんが。

という事で、実は「ゲーム脳」という概念を提唱しておきながら、メール等の悪影響についても書いている時点で、論理的に整合性を欠いている訳です。森氏の『ITに殺される子どもたち 蔓延するゲーム脳』でもそれは同様です。寧ろ、苦し紛れに(ご本人はそう思っていないでしょうけれど)新しい語を生み出しだという点では、『ゲーム脳の恐怖』よりも問題であるのかも知れません。「ゲーム」に拘っているのでしょうね、森氏。ゲームを毛嫌いしている層には、インパクトを与える概念ですし。メールでも同じ状態になった、というのが見出されたとすれば(研究が妥当かは置いておいて)、じゃあゲームとメールの共通性は何だろう、という所に目を向けるのが、当然の筈なのですが。わざわざゲーム脳とメール脳という語を作ってしまっています。じゃあ、その上位概念は何だ、と疑問が出るのは、当たり前ですよね。

次回は、「ゲームとは何か」という事について具体的に考察します。ゲームという文化が、他の様々な文化を部分的に含みうる、超複雑な、総合的文化現象である、という事にも言及したいと思います(『ゲーム脳の恐怖』の内容からは殆ど離れてしまうでしょう)。次回以降も、かなり思弁的な事を書いていますが、まあ、そんなにはずれてもいないと思います。ゲームをよくする人間の、経験による考察の一つ、とでも考えて頂ければ。

続きは⇒ゲームとは何か(1)

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Interdisciplinary: ゲームとは何か(1)については、Interdisciplinary: コンピュータゲームの定義で、言及しています。

ここまで無理をして定義を試みずとも良い様な気もしますが、一般的にどの様に認識されているか、というのを考察するのも、無意味では無いかな、と。

しかし、「コンピュータゲーム」の定義の中に「ゲーム」が含まれているのですから、「ゲーム」を定義しないと駄目なんですよね、本質的には。

ちなみに、世の中には、グラフィックが表示されないゲームもあります。また、(上記リンクにも書きましたが)視覚障害者の為のゲームの様に、音のみを手がかりにして進めるものもあります。

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ゲーム脳の恐怖(4)´

Interdisciplinary: ゲーム脳の恐怖(4)

ここら辺、思いついたまま書き散らしているので、かなり解りにくく、冗漫ですね。

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B-2:「ゲーム脳」という表現の問題―メールやパソコンのディスプレイの長時間の注視でも症状?が出ると主張しているのに、「ゲーム」脳という表現をするのは妥当性に欠ける。強い光刺激の恒常的な受容とでもすればよいのに、ゲームやメール・チャットなどを出してくるのは何故か。

について、です。(森昭雄:『ゲーム脳の恐怖』,2002 参照)※B-1は後回しにします

まず、上に「メール・チャットなど」とありますが、それらの「悪影響」については、森氏の、『ITに殺される子どもたち 蔓延するゲーム脳『ゲーム脳の恐怖』の続編の様な感じです。において詳しく論じられています(チャットという語はこちらに出てきます)。『ゲーム脳の恐怖』では、仄めかす程度しか出てきませんが、『ITに殺される子どもたち 蔓延するゲーム脳』※2では、ゲーム脳を一般化して、コンピュータを使用すること自体が問題であるとしています(メール・掲示板・チャット等)。そして、「メール脳」なる語まで生み出しています。更には、テレビ観賞も問題であると論じています。(関連記事:携帯メールでも脳が壊れる? 拡大する“ゲーム脳”汚染結局、ディスプレイを用いるのは全部だめだ、という感じですね。

※2本書については、森昭雄研究所:ITに殺される子どもたち - livedoor Blog(ブログ)において、詳細に検討・批判されています。是非ご参照下さい。

「”ゲーム”脳」という語が術語であると主張するならば、先ず「ゲーム」の定義を明らかにし、その特性が脳にどのように具体的に作用し、悪影響を及ぼすのかを論証し、その上で、「ゲーム脳」という概念の定義を明確にしなければなりません。無いですよね、定義。曖昧も曖昧。メカニズムについては、ちょっと書き過ぎかな。実験的に論証されれば、当然、メカニズムについても検討すべきでしょうけれど、メカニズムを解明しなければ駄目だ、というのは、当たっていないですね。ところが著者は、その様なプロセスを踏まず、「ゲーム脳」という語を曖昧に用い、更には、ゲームをやったことが無い人間も同様の状態になり得るとして、わざわざ「メール脳」などという、これまたとても曖昧な語を造っています。以下、上記関連記事より引用。

「たとえば森教授が調べた携帯メール利用者のケースには、テレビゲームはいっさいやっておらず(強調引用者)、パソコンも所有していないが、携帯電話でメールを毎日1時間程度入力するという女子高校生がいる。この少女は、携帯メール利用時にβ波がほぼ半減しているという。」

常識的に考えても、ゲームを(持続的に)やっている人間に現れる状態が、ゲームをやったことの無い人間にも現れる、という事が明らかになった場合、「ゲーム脳」という語を破棄し、ゲームとその他のもの(メール等)に共通する部分を見出す努力をする、という事が妥当だと思われますが、著者はそれをせず、新たな語まで造っています。これはとても非科学的な態度であると言えます。色々なメディアに触れて共通の悪影響が現れるなら、それらのメディアに共通する特性を見出し、術語にもそれを入れるべきですよね。チャットやってもゲーム脳、掲示板やってもゲーム脳。メールやってもゲーム脳、て。しかも、メールやったらメール脳って、新しく語を作ってしまってるし。自分の言葉の使い方が曖昧ですよ、と言ってる様なものです。

ここで、「いや、”ゲーム脳”というのはあくまで便宜上つけた名前で、厳密な学術的概念ではないのだ。」という反論をする方がおられるかもしれません。しかし、その反論は妥当でありません。何故ならば、ゲーム以外でも同様の状態になる可能性があるのに、敢えて特定の文化の名を用語に含めることは、一般性に欠けるからです。のみならず、この様な科学的根拠の無い造語は、当該文化(ゲーム等)に関わる人々を不当に貶め、差別の対象にしてしまう可能性すら有るのです。これは、よく書く事。ゲーム脳の「ゲーム」の部分に、ご自分が好きな文化を当てはめて考えてみて下さい。「何を大袈裟な」と思われるかも知れませんが、現に著者は、『ゲーム脳の恐怖』において、

「子どもはテレビゲームをする習慣がつき、麻薬と同じようにやめられなくなっていきます。やがて、子どもの前頭前野の働きは低下し、動物脳と呼ばれる古い脳である大脳辺縁系に対して、常時動物的な行動に出ないようにする抑制がかけられなくなってくるのです。」(155頁)

「子どものころからテレビゲームをしている人は、やめようと思ってもやめられません。重症で、将来が心配です。」(158頁)

「テレビゲームをすることでは個性は生み出されません。まして幼児期にテレビゲームをさせておくのは、その子の個性や人間性がつくられないことになるのです。」(176頁)

等と書いているのです(同様の表現は、本書に無数に散りばめられています)。これ、差別的と言って構わないですよね。ゲームをさ