カテゴリー「ゲーム脳」の記事

2009年5月22日 (金)

GJな記事

id:kamezoさんにもGJと言う他ありますまい。

ゲーム脳と脳波 - 教育プロジェクト 脳の迷信・うそ - 大阪大学大学院 認知脳科学研究室:藤田研究室

ゲーム・漫画の好きな自分としてはゲーム脳仮説はいい気がしなかった、というと実はそうでもなく、大してその中身については理解していませんでした。これを書くにあたって、初めてその大本の主張を知ったほどです。今回の調査を通して、脳波の検査などで脳波と実際の現象とを結びつけるのはまだ安全かもしれないけれども、そこから何かしらの意味付け(アルファ波はリラックス、ベータ波は集中、そしてゲーム脳など)を行うのは危険である、するべきではないという印象を持ちました。参考文献の中には「脳波についてはまだはっきりしたことが分かっていない」(例えば、上では触れませんでしたが、何がアルファ波を発生させているのか、など)と書かれているものもあり、ホットではないにしてもまだまだ知るべきことの多い分野であるように感じました。今後もこの分野に対する興味を持ち続けていきたいと思います。

同意。森氏は、「結びつけ」を非常に安易に行っているんですよね。

しかし読みやすい文章ね。

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2009年4月18日 (土)

続き

以前にコメント欄かどっかで触れた、小学生が(今は中学生なのかな)ゲーム脳について肯定的に書いていた、というブログですが。(私がゲーム脳Q&Aを紹介した)

ふと思い立って、再び覗いたら、コメントで、支持するような意見を書いている方が。

うーん。記事が書かれてから一月以上後に書かれたコメントなのですが、それにわざわざ説明をする、というのもなあ。ブログ主さんはおそらく、もらった意見をひとまず好意的に受け止める、という方のようなので(新しいコメントも、素直に受け取っている様子。少なくとも表面上はね)、あまり何度もやると、却って負担をかけてしまいますね。

なんで改めて採り上げたか、と言うと。

ニセ科学を信じたりする人に対して、必ずしも全く同じ態度をとる訳でも無いし、必ずしもリンクを張って報告する事も無い、のは知って欲しいと思ったからでした。「やり方が一様で無い」事は特に理解してもらいたいです。※一様で無いから良いのだ、という話ではありません。一様だと看做すのは適切じゃ無いですよ、という事

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2009年2月24日 (火)

様子

ゲーム脳Q&Aのアクセス状況。

大体、一日20前後のユニークアクセスですね。基本的に内容が変わらないコンテンツなので、これくらい一日にアクセスがあるのは、結構良い感じなのかも知れません。

アクセス元は、Yahoo!の「ゲーム脳」検索からが多い(ほとんど)です。知恵袋で紹介してリンクを張って下さる方がおられるので、そこからのアクセスもあります。Yahoo!検索で上位に出てくるので、そこそこ参照されやすいのでしょう。

ブログからのアクセスは、ここを除いて全然無いですね。検索で見つけてブログで紹介、というのもちょっと期待しているのですが(どういう風に読んでくれたか参照出来るので)。

あ、そうそう。

キッズgooからのアクセスも、ちらほらあります。これは何を物語っているのか…。保護者や教師にゲーム脳だと言われたから調べた、とかじゃ無ければいいのだけど…。もしそうだとして、あのテキストを読んでどういう感想を持たれたか、というのも気になる所ではあります。

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2009年1月19日 (月)

詭弁者

はてなブックマーク - tittonのブックマーク - 2009年1月18日

titton ゲームが「学業に専念できない」という意味で有害なのは確定的に明らか。その欠点を克服しない限り有害論は栄えるであろう。それはそうと良いデータベース

画面脳レベルのダメさですね、この人。何を的外れな事を言っているのか。

追記。箇条書き。

  • 学業に専念できないとは具体的にどういう意味か。
  • 有害とはどういう意味か。
  • 確定的に明らかとはどういう意味で、根拠は何か。それは単なる主観か、実証的なデータに拠るものか。
  • 欠点を克服するとはどういう意味か。それは、ゲームによって「学業に専念できない」のを克服するという事だから、「ゲームによって学業に専念できる」のを指すのか。
  • 有害論が栄えているのが、そのゲームの欠点故なのか。
  • その欠点とやらは、ゲーム特有のものなのか。

一般的に言えば、学業そのもの以外に打ち込めば、学業には専念出来ん訳です(ちょっと考えれば、「並行」させるのは可能だけどね)。それは当たり前。スポーツだろうがケータイだろうがアニメだろうがマンガだろうが恋愛だろうが。で、そんな中学生でも解りそうな事を改めて書いている? それとも、なにがしかの根拠や考察すべき理論なりがあって書いている?

追記2

http://b.hatena.ne.jp/titton/20090119#bookmark-11722375

titton ただのオチョクリになにをマジになっているのやら。こういう余裕のない排斥姿勢が疑似科学批判自身がカルト化している証拠。いや正直こんなことにマジレスされるとは予想外。こんど水の結晶にでも相談してみよう

http://b.hatena.ne.jp/titton/20090119#bookmark-11721832

titton なにをただのネタにピリピリ神経質になってマジギレしているのやら。ネタなんだから意味不明なの当たり前じゃん。何かの宗教にでも入信して心安らかになるといいんじゃないの?

本当に面白い人ですね。

マジギレと看做してもらって結構。人が真剣に取り組んでいるものについて、ネタだのオチョクリだので訳の解らない事を言っているのを見れば、マジギレもする。

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2009年1月15日 (木)

追加しました

ゲーム脳Q&Aに、新しい質問を追加しました。

質問:ゲームをやめさせたら子どもがおとなしくなり、勉強も出来るようになりました。これはゲーム脳があって、それが治ったということではないのでしょうか。

回答:そうではありません。ゲームをやめたら勉強が出来るようになったり、性格が変わったように見えたり、といったことがあった場合、ゲームをやめさせただけではなくて、他のことも変わった可能性があります。たとえば、ゲームが怖いと思って、勉強しないと脳が壊れてしまう、という気持ちになって、勉強の時間が増えたり、ということもあるかも知れません。ですから、何かをやめたら良いことが起こった、という時に、そのやめさせたものが原因だったと、すぐに言うことは出来ないんですね。

そもそも性格の変化等が気のせいである可能性も考えられる訳ですが、それは書きません。

ここら辺、三た論法と関わる部分ですね。

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追加するかも

ゲーム脳Q&Aに、一つ書き加えるかも知れません。あるページを見て、これは書いとかなきゃいかんかな、と思ったので。

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2008年12月24日 (水)

学会

これ、書いといた方がいいかも。

えっと、森昭雄氏が理事長をされていた(現在は理事)「日本健康行動科学会」、Wikpedia(2008/12/24 現在)では(ゲーム脳 - Wikipedia)、

なお、同会の名称に「学会」を含んでいるが、日本学術会議に登録されている正式な学会ではない。

と書いてありますが、実は…⇒日本学術会議協力学術研究団体の称号の付与について

 このたび、平成17年12月に日本学術会議協力学術研究団体に申請しておりました結果が通知されました。平成18年4月13日付けで日本学術会議協力学術研究団体の称号が付与されました。

既に、日本学術会議に登録されているんですね。ここも⇒日本学術会議|日本学術会議協力学術研究団体一覧:日本ケ(下の方にあります)

森氏の専門分野の記述に関しても、Wikipediaは情報が古いです。

博士論文は脳神経ではなく筋肉に関する論文であり、現在も専門は運動生理学である。

日大のWEBサイトにおいて、森氏の専門分野として「脳神経科学」が書かれているのは、以前ご紹介した通りです。

Wikpediaの情報をそのまま信用して、当該学会が日本学術会議協力学術研究団体では無い、と思っている方が、もしかすると結構おられるかも知れないので、書いておきます。

もちろん、日本学術会議協力学術研究団体に指定されているからといって、活動の実態の質を保証するものでは無い、というのは言うまでもありませんが。

ここも参照(PDF)⇒http://www.scj.go.jp/ja/info/iinkai/kanji/siryo13.pdf

日本学術会議の第13回幹事会資料。日本健康行動科学会への称号付与に関する記述があります。

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2008年12月22日 (月)

YouTubeでゲーム脳

某ブクマ経由↓

日大のPRのはずなのに、恥を発信するのですね。素晴らしい。

YouTubeのチャンネル作成を担当した人は、もしかしたら、「これもかよ…」とか思ったかも知れませんな。

一応言っときますけど、作成にあたって、元々あるコンテンツを移すだけなんだから仕方無いだろう、とか、特定のコンテンツだけを削除するのはいかがなものか、とか、そっち方面の事情は全く考慮する必要はありません。どうでも良い。重要なのは、(YouTubeにおける)日本大学の公式のチャンネルから「ゲーム脳」の情報が発信されている、という事。

参考⇒日本大学 Nihon University Official Home Page/NEWS

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2008年12月13日 (土)

根深いねえ

ゲーム脳はしぶとい。

学校の先生が授業で使おうとしたり、香川県議会議員が勉強会に森氏を呼んだりね。

別に調べていない訳じゃ無いんですよね。だから、「批判もあるが」的な言い方になる。

でも、中身をちゃんと確認していないんでしょうね。

まあ、直感を補強するような情報を選択的に採り入れる、というのは往々にしてある事です。むしろ、それがニセ科学を信ずる心性の本質的な問題、とも言えるかも知れません(ニセ科学を信じるかどうかは、論理的にものを考える事が出来るかどうかとは一応別の話、というのはそういう事です)。

要するに、冷静に情報を吟味する所に持っていく事がそもそも難しい、と言うか。

誰にだって、何でこんな考え持ってたんだろう、という経験、ありますよね。バイアスってのは非常に強力。

本当は、そういうバイアスを失くすように誘導していくのが重要なんでしょうね。

もちろん、議員が肯定的に採り上げている、という場合だと、強く批判されてしかるべきでしょうが。バイアスがあろうが無かろうが、そんなのは関係無い。調査不足としか言いようがない訳で。「ちゃんと」調べなかった、は通用しない。

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2008年12月11日 (木)

伸びてる

ここ数日、ゲーム脳Q&Aのアクセスが、少し多くなっているようです。

多分、きっかけとしては、あの先生のブログ(事情をご存知で無い方は無視して下さい)での出来事があるのだと思いますが、アクセスログを見てみると、Yahoo!やらgoogleやらからのアクセスが結構ありました。

それで、ちょっとググったりヤフったりしてみたんですが、「ゲーム脳」で検索して上位に出るようになってますね、いつの間にか。

自分が書いたものとしては珍しく、なるだけ多くの人に読んでもらいたい、と思っているものなので、少しでもアクセスが増えているのは嬉しい事です。

知恵袋での紹介も大きいですね。ホント、紹介してくれでありがとうです。深謝。

参考までに ※クリックで拡大

Kaiseki200811

↑2008年11月

Kaiseki200812

↑2008年12月

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2008年11月11日 (火)

詳しく調べる事を勧めます2

Interdisciplinary: 詳しく調べる事を勧めますの続きです。

(本) ゲーム脳の恐怖 - Dr ミカのメモ帳: 脳・栄養・心 (発達障害) - Yahoo!ブログにて、anomyさんや私へ返答がありました。ご自身の主張に反する意見を冷静に受け止めて頂いて、ありがたいです。

さて、森昭雄氏の論は、端的に言って、破綻しています。あらゆるレベルで矛盾や自分勝手な解釈をした部分があり、科学と呼べる代物ではありません。

コメント欄からいくつか引用します。

森昭雄教授は本の中で「ゲーム脳」の定義を説明していますが、
あなたの「ゲーム脳」の定義とは違うのでは?と感じました。

anomyさんのエントリーへの返答です。

森氏の本を読むと、ゲーム脳の明確な、定量的な定義は見出せないはずです。グラフのパターンの分類のように見えるかも知れませんが、同じようなグラフに別の解釈をしている所もあります。

「前頭前野の活動が低下」という部分、生理学的に賦活していないという意味なら、そういう研究結果はあります(ある種のゲームのプレイ時において)。しかしそれは、認知機能等の低下を即示す訳では全くありません。参照⇒テレビゲームが脳に与える影響

そして、この学生たちの80%が、自分はすぐキレる、
すぐ忘れ、忘れ物が多いなどをコメントしているとのこと。

このような、単なる自己申告では、科学的に充分とは全く言えません。仮に、忘れ物が多いというのが合っているとして、それを「脳の機能低下」に即結び付けてはなりません。

この本に対する受け止め方が、貴方と私で違うようですね。
この本を、貴方は読みましたか?

受け止め方の違い、と相対化してはいけません。森氏の論は「間違っている」のですから。

私は、森氏の本について、当ブログで詳しく検討しました。大部ですが、ご覧頂ければ幸いです⇒Interdisciplinary: 『ゲーム脳の恐怖』を読む

また、ゲーム脳論の問題点を平易にまとめたQ&Aもあります。よろしければご覧下さい⇒ゲーム脳Q&A

ゲーム脳は、まともな概念の定義も無く、科学としての方法や手続きも踏んでいないにも拘らず科学的に実証されていると謳っている説として、多数の科学者・専門家から批判を受けている説です。恐らく、批判がある事自体はご承知と思います。上に出した私のテキスト等の批判的言説も吟味して、冷静にご判断頂きたいと思います。

子ども達の健康について考えるならば、森氏の論を受け容れるというのは、良策であるとは言えないのです。

森氏の専門が「脳神経科学」であるというのは、最近森氏のプロフィールにも載っているので、あながち間違いとは言えないようです。ただ、ゲームのような文化が認知や行動にどう影響を与えるか、というのは、実験科学的な論点だけでは無く、広く文化や社会を射程にした方法を用いる必要がある訳です。その意味で言えば、全く不充分であると考えられます。もちろん、実験的な手続き自体が全く不足しているという部分は押さえておくべきで、それは、このブログの一連のエントリーで指摘しています。

ゲームによる認知や行動への影響という面を研究している科学者として、坂元章氏(お茶の水女子大学教授。社会心理学)が挙げられます。冷静で客観的にゲームの影響について研究しておられる第一人者ですので、もしゲームの影響に関心がおありでしたら、坂元氏の著作を参照するのをお勧めします。

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森氏の専門分野について

昨日も書きましたが、改めてエントリーを。

森昭雄氏に関して、これまで、森氏は脳神経科学者だと本に書いてあり、メディアでも紹介される事があるが、実はそうでは無い、という批判がなされてきました。

しかし現在、日本大学のサイトの教員情報に、専門分野が「脳神経科学」と明記されています⇒日本大学文理学部 人文科学研究所

いつ頃書かれたかは定かではありません。私は日大のサイトを、一年に数回はチェックしているはずなので、それほど以前では無いとは思うのですが、いつの間にか追加されていて、驚きました。

さて、今までは、森氏は脳神経科学者では無い、日大のサイトを参照の事、と言ってきた訳ですが、これからは、単純にそう言うだけでは不充分であり、情報としても不正確なものである、と考えられます。

教えて頂いたところ、専門分野を大学のサイトで謳う事等は自己申告で、関連の研究者の弟子筋であったりすれば、特に問題も無く名乗れるという事だそうです。従って、これからは、森氏は脳神経科学者では無い、と言うのではなくて、森氏は脳神経科学専門と言っているが、実は業績的には……と説明するのが正確であると思います。実際、公式の場でそれが専門であると謳っている所を鑑みても、「脳神経科学者では無い」と端的に言って批判するのは妥当では無くなった、と考えて良いでしょう。公的な資格のような、明確に判断出来るものでも無いですしね。

いくらおかしな事を言っているとしても、批判は、正確な情報に基づいて行われなければならないので、ここら辺は押さえておくべきだと考えます。

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2008年11月10日 (月)

詳しく調べる事を勧めます

(本) ゲーム脳の恐怖 - Dr ミカのメモ帳: 脳・栄養・心 (発達障害) - Yahoo!ブログ

コメントへの反応などを見ると、強く信じ込んでいるようです。

聞き入れて頂くのは難しいでしょうけれど、いくつか事実誤認があるので、そこを指摘したいと思います。誤った情報を広めるのは良くありませんので。

森昭雄・日本大学大学院教授

えっと、「大学院教授」って肩書きは一般的なんですかね? 少なくとも、森氏はそう紹介される事は無いかと思います。

「ゲーム脳の恐怖」には、脳波データを用いて解説しています。
この本を読むことをお薦めします。(コメント欄)

ゲーム脳になっている人が、テレビゲームをしている最中の脳を
脳波計で測り、痴呆者の脳と同じようなパターンになることを
実際のデータで説明しています。(コメント欄)

森氏の用いた機器に関しては、信頼性が疑われる物であると各所で指摘されています。また、それによって認知症が診断出来るという説は、全く科学的根拠はありません。

森昭雄教授は、脳神経科学が専門で、(コメント欄)

※ここ重要。意見求む。森氏の専門は元々神経科学ではありません。尤も、今はプロフィール(日本大学文理学部 人文科学研究所:森昭雄)に書いているようですが(書かれてしまっては、業績を考慮するしかないでしょうね。Q&Aに補足しといた方がいいかな。それにしても、大学の関係者は何も言わないの?)、そちら方面でのまともな論文は無く、ゲーム脳論に関する信頼出来る論文もありません。※森氏の専攻が脳神経科学では無い、という批判の指摘の説得力が乏しくなりましたね。業績まで見る人は少ないだろうから。

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2008年10月30日 (木)

情報の与え方

ゲーム脳でしょうか? - Yahoo!知恵袋

質問者は中学生。母親にゲーム脳と言われ、ゲームを禁止されたという事例です。

質問文を読む限りでは、母親がゲーム脳という言葉の用いられ方を知っていたかは判りません。よく解らないがゲーム禁止の方便として用いたのか、それとも、森氏の主張を知っていて鵜呑みにしたか。

さて、質問者が中学生という事で、「どういう風に情報を与えるか」というのが重要な点であろうと思います。知恵袋に投稿するくらいだから(騙っている系の可能性は除外)、それなりのリテラシーを持っていて、WEBを通して相談する、という志向になった。

情報としては、ゲーム脳批判の基本的な所を踏まえて書かれたものが多く、有用な回答がいくつかありますが、ベストアンサーに選ばれたのは、

あなたが勉強のするゲームソフトを母親に提案する事がいかがですか。

これ。この回答は、簡潔過ぎるので、単純に「ゲームで勉強する」のを薦めているのか、他の含意(相手が中学生だから、回答は簡潔にしつつも、親のゲーム忌避を回避するように誘導した、とか。深読みし過ぎだけど)があるのかは判然としませんけれども、それをベストに選んだというのは、象徴的な事なのかも、と感じました。

table_tennis_311さんの回答なんかは、なるだけフレンドリーに接しながらもWikipediaのリンクを貼って、情報を得る方向へも誘導する、という気配りが見られます。

akio_no_no_kyofuさん(解りやすいIDだ…)の回答は、ちょっと複雑で、情報が多い気もします。平均的な中学生には、あの回答は読めないかも知れないな、と。大人が読んでもすぐさま理解するのは難しいかも。もちろん、周りがフォローするのを期待する、というのもあるかもですが。内容としては、とてもよく調べていて丁寧に書かれているので、優れたものと思います。いや、と言うか、あそこまできちんと書ける人はそうはいない。『脳内汚染』の根拠の論文への言及だし。他のゲーム悪影響論系の回答を見てみたけど、かなり調べていて非常に的確な回答をつけておられます。ここも読んでいる方かも知れない。いや、思い切り心当たりが……あんまり書かない方がいいかな。

まあ、私が思うのは、他の回答者も言っているように、ゲームをやる事より、他の事が疎かになる所を考えた方が良いのだろうなあ、と。これは率直な意見ですが、「勉強をゲーム感覚でやってみたら?」と思いますね。勉強もゲームだよ。←本気ですよ

このページを見て、どういう情報を欲しているか、どんな情報をどのように与えるべきか、というのを考えながら接するのがやはり重要なのだろうな、と。どの包丁を用いるのが適切か、という文脈ですね。

余談。回答の一つを見て思った事。

ゲームをやってるのを見てかわいそうだと感じるって、すごく余計なお世話。

そういう人には、この文章を捧げましょう

実際、私がゲーム周辺から得た人的および知的財産は膨大で、コンピューターの知識はもちろんのこと、クリエイティビティやマネージメント、デザインと社会との関わり、社会奉仕とは何かなど、全てゲーム周辺から得たものです。そういうものを否定するような説を、無視することはあっても、肯定するわけがないです。

むしろ子供たちのためには、ゲームはなくなってはいけないものだと思います。私は、中学生ぐらいになったら、学校の授業の一環として、ビデオゲームの歴史や、その背景にあるクリエイター達の苦悩、社会、経済との関わりなどを教えるような授業があっても、良いのではないかとさえ思っています。

そんな覚めた目ではゲームを楽しめなくなるのではないかと言う意見もあるかもしれませんが、そんなことはありません。事実私はゲームを楽しんでますし、ほとんどのコアゲーマーは、同じセンスを持っています。むしろ上のようなセンスを持つことで、「つまらないという楽しさ」を発見したりします。(A-WING::Frog is not Blog::なぜゲーム脳を批判するのか

余談2。ゲーム脳Q&Aを参考資料として紹介して下さる方もいて(他の質問でも見かけた)、ありがたい事です。

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2008年10月 2日 (木)

ニコニコにゲーム脳

こんな傑作が⇒ゲーム脳とは (ゲームノウとは) - ニコニコ大百科

誰かニコニコでゲーム脳関連の動画なりをアップしないかなあ、と思ってたのですが、大百科に出てくるとは。GJ。

やる夫(あき夫)の説明はかなり上手い。

て言うか、よく調べてるなあ…。これだけ情報を網羅しているって、なかなかですよ。もしかしてゲイムマンさんじゃないか、なんて。

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2008年9月24日 (水)

ひど過ぎてやばい

これはもう、すぐにエントリーを上げざるを得ません。

元ネタ⇒ちょwwww食育冊子wwwww - 荻上式BLOG(はてブ激増中)

説明は要りません。とにかく読んで下さい。

そして。

美健ガイド社 マンガ・WEBコミック- 三代先の子どもたちのために -

美健ガイド社 - 三代先の子どもたちのために

はい、ゲーム脳・脳内汚染・インフォドラッグきたー↓

WEBコミック図書館 - 37℃のふしぎ(ページタイトルミス?)

これもなかなかだぜ…⇒”真弓定夫” - Google 検索

これほどの破壊力は、そう無いね。ニセ科学の満漢全席。

追記

著者・監修者一覧

  • 真弓定夫
  • 池川明
  • 安保徹
  • 大野秀隆
  • 平田喜代美
  • 正食協会

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2008年9月23日 (火)

考えられない表現

もう、ね。

勘弁して欲しい。

http://www.sendai-c.ed.jp/~nanzai/2008/koutyou/koutyo47.swf(要FLASH PLAYER)

子どもたちを守るために(その1) - 生かされて

人は前頭葉を使ってものごとを考えますが、ゲームをしているときは後頭葉しか働いていないそうです。前頭葉の機能の低下は最新の脳科学機器で証明されています。まさに「脳みそがくさる」状態ですね。

”「脳みそがくさる」”

Naritarianの成田的生活  20070929(google cache)

PTA主催の講演会「テレビ・ゲームで脳みそがくさる」の参加のためだ。

テレビゲームで脳がくさる!? - 阿部清人のオフエアブログ - 楽天ブログ(Blog)

http://kinomi-hoikuen.com/kinomi-otayori200802.html

 さて、先日保護者会の最後の行事として“テレビ・ビデオ・ゲームの影響を考えよう” ~脳みそがくさる?~ と題された講演会が、木の実西部保育園と合同で開催されました。

ゲームの恐怖を煽る言葉としては最高の選択だ。という事は、最悪の言葉遣いだと言える。

田澤雄作でググると、色々出てきますね。anomyさんやたこやきさんも採り上げておられる。ゲーム脳的概念を広めている人間の一人のようです。

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2008年9月21日 (日)

調べてみた

PSJ渋谷研究所X: 国土交通省にも神戸市にも「水伝」汚染?を読んで、私も「ゲーム脳」で調べてみました。

肯定的に採り上げているものだけ載せます。

○ac.jp

帯広ひまわり幼稚園>通信『ゆりかご』

比較的穏当にも見えるけれど、ゲーム脳については疑い無く受け容れている様子。

過保護・過干渉・TVゲーム (めるへんの森幼稚園【園長室から~園だより】)

 三つ目に、「TVゲーム」についてだが、TVゲームをしょっちゅうやっている子は、大脳の前頭前野といわれる知性や情緒を司る部分の発達に影響がある、ということを多くの脳学者が指摘している。いわゆる「ゲーム脳」といわれる現象だ。特に、暴力や戦争を扱ったゲームは、子ども達の仮想体験によって、「暴力や死」に対する抵抗感を少なくし、命の尊厳への想像力を失わせる。人々に求められる想像力とは、他者の気持ちや立場を考え、理解することができる力ということだ。そのことからも、幼児期にこそ豊かな想像力を育てることが大事で、そのためには童話を聞かせたり絵本を読んでやることが有効だと考えている。
 なお、中学生くらいまでは、ゲームをさせてはだめだ、ということを主張する学者もいることを付言しておきたい。

典型的な受け容れ方。”この演題としてあげた「過保護」「過干渉」「TVゲーム」の言葉を、私は子どもを育てるうえでの「三大悪」と、独断的に決めつける。”だそうです。

ウェブの囲碁対局にはまる(@沼津高専電気電子工学科

一応、批判があった事も書いてあります。でも、コンピュータ・ゲームへの強烈な偏見が…。

情報系大学生の心理的特性理解と指導、援助技術に関する研究(2) ~「デジタルホーリック」の概念と属性の検討を中心として~(@東京情報大学総合情報センター 電子文献サービス

画面脳の人とかanomyさんのような視点ですかね。ゲーム脳に肯定的、という訳ではありませんが。

テクノストレス等の概念とゲーム脳を安易に結び付けてはならない、というのは私が何度も書いている通りです。

帝京科学大学附属図書館 - 図書館だより 第23号 2003.1.17(@帝京科学大学附属図書館

見事にゲーム脳本を鵜呑み。書いた方のプロフィール⇒小川家資 | アニマルサイエンス学科 | 生命環境学部 | 帝京科学大学

あーゆす12号2頁(@京都文教大学図書館

タイトルが、「感性を磨く ~ゲーム脳にならないために~」。

現在の人間は感性が失われて云々、という言い方は結構見るのですが、果たしてそれに、どれほどの根拠があるのでしょうね。それこそ直感でしょう。

テレビゲームが子供に与える影響についての一考察 ~ゲーム脳を中心に~(@国際学院埼玉短期大学)       

論文(卒論かな)の概要。

『ゲーム脳』とは一体何なのか。「人間らしい感情や創造性をつかさどる大脳の前頭前野の活動が、テレビゲームをするときに目立って低下する」という記事を読み、今の子供たちの脳に異変が起きていることがわかった。

記事を読んで解ってはいけないと思います。全体的に突っ込み所満載だけど…。取り敢えず、ゲーム脳論そのものについてきちんと調べれば良かったのに。

こんな本読みました(その5)(@のぞみ幼稚園(高松市)

原典を読んでこの感想というのは、ゲームへの先入観が働いているのかなあ。ゲーム脳本は、かなり解りやすい破綻なのですが、途中で脳の生理学についての教科書的な記述を挟んでいたりするから、そこら辺は巧妙かも。

子どもの身体活動を考える~体ほぐしの運動から~welcome to nao's Home Page筑波大学 体育専門学群 運動学体操方法論研究室

運動の量の不足が心身に好ましく無い影響を与えているのでは、というのは確かに尤もらしい。でも、飛躍してはいけないのです。

 すでに数多くの識者が指摘しているように、こうした小さな画面の中に身をおく遊びが、感受性豊かな子どもたちの心や体を様々な形で蝕んでいることは否めない事実である。最近話題の「ゲーム脳」は、その恐ろしさを示す事例のひとつ。この造語を考え出した森昭雄によれば、長時間、ゲーム漬けになっていると、意欲、判断、情動抑制など、人間らしさを保つために重要な働きをする前頭前野が平常時から機能しなくなってしまうという。「キレる」子どもたちを生み出している背景には、テレビゲームに浸り続ける子どもたちのライフスタイルがあると警告する。

科学的思考を鍛えたはずの人々がこのような飛躍に陥っているのは、対象についての先入観・無知が関係しているのでしょうか。

理想学園 ひかりのいずみ幼稚園 つみき幼稚園:テレビゲーム(@理想学園 ひかりのいずみ幼稚園 つみき幼稚園

ゲーム脳と『脳内汚染』のコンボ。

幼児教育に対する意識が強いが故に、というのもあるのかも知れません。「しかし、上記両著によって、テレビやビデオ、特にテレビゲームが子供の心と脳を蝕んでいることがはっきりと分かりました。」と書いています。つまり、科学者の御墨付と看做しているようなものですね。ゲームの悪影響が科学的に明らかにされたのだ、と。ニセ科学が存在するという事実を知らねば、そうなるのも仕方無い部分があるのかも。

学長式辞(@東京学芸大学-TOKYO GAKUGEI UNIVERSITY-

感性の重要さを説く人が、非常に不寛容である場合があるのは、興味深い所です。

 急速な技術進歩や生活様式の変貌によって、これまで人間が積み上げてきた経験則は次第に忘れ去られ、無化されます。便利さと安易さの中で、人間生活にとって重要な側面が捨象され、人間形成の上の大きなゆがみが指摘されています。例えば最近話題になったゲーム脳など一つの典型かもしれません。テレビゲームをやりすぎると、精神活動を司る前頭葉の機能が低下し、認知症というのか痴呆症というのか、それと同じ脳になるという指摘です。
 「見るとは、像を殺すことである」。ドイツの劇作家ハイナー・ミュラーはこう言いました。見ることは、像を、イメージを殺すのだろうか。いや逆だろう。見ることによってイメージは豊かになるのではないか。普通はそのように考えます。しかしそうではないと言うのです。今はまさに映像の時代、ビジュアルの時代です。見ることは大きな比重を占め、そこから啓発されること大です。しかしよくよく考えてみますと、見ることによって、与えられた像やイメージは、思考や想像の回路を経ることなく、そのままインプットされた形で固定化されてしまいます。見た印象が強ければ強いだけ、その直接性に大きく規定されます。その結果、多様に想像し、自らの像をイメージすることが出来なくなるでしょう。

大学の学長式辞でこれは、頂けないなあ。想像力というものについてもっと想像した方が良いのではないでしょうか。

http://www.kogakuin.ac.jp/mado/mado134.pdf※PDFファイル(@学園広報誌「窓」 | 工学院大学

附属中学・高校の入学式での、校長の式辞の模様。完全に鵜呑みにしています。科学的に解明、と言っていますね。入学式でねえ…。

http://www.taiiku.tsukuba.ac.jp/sc/5_1/01/intro.html(@筑波大学体育系Web

こちらも、体育教育を重視する立場から、ゲーム脳に肯定的な内容が書かれています。子どもがキレやすいか、とかは、総体的な傾向の話で、本来疫学的な方法等によって解明すべき事柄なのですが、強く主張している割りにはそこら辺に無頓着なように見えますね。

基調講演「親が変われば子が変わる」※PDFファイル(@学校法人 浦山学園 | TOPPAGE

来ました、「親学」。

 これは朝日新聞が取り上げたものですが、ゲームにずっとのめりこんでいる子は、その書いた絵の中に、キャラクターと実際の家族が混在している。つまり、仮想と現実が一緒になってしまっている。最近、モリアキオという方の「ゲーム脳の恐怖」という本が出ました。小さい頃からずっとゲームにのめり込んでいる子は、前頭ぜんやという頭の中の人間らしさを扱う、激しい情をコントロールする場所があるんですが、その機能の低下を起こしてしまう。そこで、ムカつき、キレるということが起きてんだということを詳しく書いています。

典型的な、「仮想と現実の混同」論。

2005年4月のあらきけいすけの研究日誌

もしこれが、 ビデオ・ゲームに熱中してフィジカルな体験の時間が奪われている結果だとするなら、 この未経験のまま年をとる状態を「ゲーム脳」と呼んでも良いかもしれない。

ダメですよー。

※あらきけいすけさんがゲーム脳に肯定的、という事では全くありません。そこはよろしく。「ゲーム脳」の再解釈・再定義になっているので、そこは注意した方がいいかな、という事です。あれは森氏の造語だ、というのは押さえとかなくてはならないので。

○go.jp

ヒット数も少なく、肯定的に採り上げているのは特に見当たりませんでした。

○ed.jp(PDFファイルが多いです)

▼http://www.nagasaki-city.ed.jp/nishikita-e/nishikitadayori/h18/gakkou%20dayori/2gou-2.pdf※PDFファイル(@西北小学校

見事に鵜呑み。しかも、結構具体的。こういうのが配られたり、読まされたのだというのを考えると、残念ですね。

ゲーム脳とその予防(@市場小ホームページ

一番最後に、取って付けたような、小さい文字の注意書きがあります。バランスを取ろうという意図からなのでしょうけれど、そうはなっていないですね。

▼http://www.machida-tky.ed.jp/e-machida1/hokensitu/hoken0712.pdf※PDFファイル(@町田市立町田第一小学校

保健室便り。イラストを多用してチェックリストまで作り、凝った内容……って、ダメじゃないか。熱意があるのはいいのだけど…。

▼http://www.miyoshi-yasuda-e.hiroshima-c.ed.jp/19nendo/tayori2.pdf※PDFファイル(@三次市立安田小学校

今年の2月。「サインズ・オブ・タイムズ」というのが何なのか解らなかったので調べたら⇒福音社:サインズ

これはなかなか…。

それにしても、こういうのって、安易にお手玉を奨励したりしてる訳で、それはそれでまずいですね。

▼http://www.tym.ed.jp/sc138/hoken_hp/gakkouhokeniinnkai.htm(@射水市立小杉小学校

ゲーム脳は、小児科医や保健関連の人の支持がよく見られますね。とても安易にメカニズムを前提として、そこからロジックを組み立てています。その前に調べるべき事が沢山あるのですが。

▼http://www.fuchumidorigaoka-j.hiroshima-c.ed.jp/02osirase/01tayori/hotstation/17/hotstation1213.pdf※PDFファイル(@府中緑ケ丘中学校

「恐ろしい話」って…。あんまりですよ。根拠無いのに恐怖を煽ってどうするんですか(もちろん、根拠があると思っている訳だけど)。

▼http://www.onomichi.ed.jp/shigei-j/h19/h19.9gakkoudayori.pdf※PDFファイル(@広島県尾道市立重井中学校

来ました、片岡直樹氏。心を「魂」と結び付けるのは、どうでしょうか。非常に危うい表現だと思います。科学者としてはかなり不用意なような。

メルマガ@かかみはら 第9号(@岐阜県立各務原高等学校

森氏の講演を聴講して書かれたようです。主催は、「岐阜県教育研究会保健部会」。むう…。

高校生くらいになると、何言ってんだよ、的な反応もあったりしそうですが。

▼http://www1.sakai.ed.jp/weblog/data/sakai054/14536/kouhou%20fuyuyasumi061222.pdf※PDFファイル(@堺市立宮園小学校

ゲームを単純化して見ているんだなあ、という印象。子どもがやっているのをもっと見てみればいいのに、とも思いますが、バイアス掛かったまま見ると、暴力描写がクローズアップされたりするかも知れないので、難しい所。

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取り敢えずこのくらい。実際検索すると解りますが、「ゲーム脳 site:ed.jp」でググると、170件くらいヒットして、ほぼ、ゲーム脳をそのまま受け容れています。キリが無い。

WEBを活用している学校でこれくらいヒットしたので、学校便りや保健室等で、ゲーム脳について肯定的な採り上げ方をしているのは、潜在的にかなりあると推測されます。

それにしても、ゲーム脳はニセ科学ですよ、的な記述が皆無というのは…。しかも、つい最近書かれたものもありますしね。やはりゲーム脳は根深い。こういうのを、蔓延と言うのかな。

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えー、感想。

頭が痛い。

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2008年8月29日 (金)

ゲーム脳Q&A:補足

ゲーム脳Q&Aの各回答について、補足。

このQ&Aでは、なるべく噛み砕いた説明を心掛けましたが、普段ニセ科学論で用いられる概念、あるいは他の色々な分野の術語とどう対応しているか、というのを書いてみます。

ゲーム脳とは、どういう意味ですか。

森氏はそれを、ゲームを長時間やることによる、人間の脳の前頭前野という場所のはたらきが低下してしまった状態前頭前野の機能低下、と説明しています。それによって、物忘れが激しくなる、すぐ感情を爆発させる、無気力になる、などの悪い影響心理学的な影響が起こる、と森氏は言っています。そして森氏は、その状態を、自分が開発に協力した脳波を測る機械脳波計(その精度には疑問がある)によって知ることが出来る、としています。

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ゲーム脳説は科学的に正しいのですか。

科学では、こうではないか、という新しい考え新奇の理論や仮説が出てきた場合、実験や観察、調査など様々な研究方法によってデータを集めて、それを処理適切なデータ解析することによって、その新しい考えが当たっているかどうかを確かめていきます。そして、研究をまとめたもの(論文)が審査査読され、審査に通ったものが、他の科学者などによっても同じように確かめられます追試。それで同じような結果が出た場合再現性、目新しいものであったその考えが、初めて科学の理論として認められます。ゲーム脳の考えは、そういう進め方が不充分で、きちんとした論文も無く、他のほとんどの科学者や研究者からは、理論としては認められていないのです。

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じゃあ、ゲーム脳はない、ということなのですか。

上で、ゲーム脳の意味はどういうものか、という質問がありましたが、本当は森氏は、「ゲーム脳がどういうものか」、その言葉の意味を、はっきりとさせていません。術語の定義の不足

どういうことかというと、森氏は、「前頭前野のはたらきが低下」とは言っていますが、それがどのくらい低下するのか、それをどうやって確かめることが出来るか、物忘れが激しいとか無気力になる、というのをどうやって調べるか、などについて、ほとんど何も書いていません。そして、それがどのくらいであれば「ゲーム脳」と言うのか、についても、はっきりとさせていません。定義・作業仮説等の不足

つまり、「ゲーム脳」という言葉が何なのか、が実はわからないのです。ですから本当は、あるかないか、自体が言えない、となります。つまり、問いの立て方の段階で誤っている

結局、ゲーム脳があるかないか、という前に、言葉の意味がちゃんとわからないので、科学として確かめようがない、と言えるのですね定義不明なので検証や追試・再現が不能。ですから、ゲーム脳説は、まず考えの出し方、確認の仕方の段階で間違ってしまっている、と言うことが出来るのです。

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「前頭前野のはたらきが低下している状態」を、確かめることは出来るのでは。

その通りです。前頭前野のはたらきが低下するとはどういうことか、とか、それをちゃんと測定出来るか、と考えて、実験や観察をしてみれば、色々な結果が得られるわけですね。前頭前野の機能低下というのは、生理学的現象なので、実現し得る。よって、神経科学的研究により検証可能

でも、前頭前野のはたらきを調べるのは、「ゲーム脳」についての話とは違う、という所に、注意しなくてはなりません。「ゲーム脳になる」、と「前頭前野が機能低下する」、はイコールでは無い。下でも説明

元々、「ゲーム脳」という言葉は、森氏が作ったものです。ですから、森氏がきちんと、この言葉はこういう意味ですよ、とはっきりさせなければならないのですそもそも森氏の造語なので、きちんと定義されねばならない。ところが、前の回答にもあるように、森氏は、それをやっていないのです。ある所では、単に前頭前野のはたらきが低下している、と言っていて、別の所では、すぐにキレるとか物忘れが激しくなる、という行動の傾向のことを指していて、また別の所では、森氏が開発に協力した機械によって出されたグラフの形の一つのことを指す、と言っている場合もあります。概念をきちんと設定していないから、多義的になり、恣意的に用いる事が可能になってしまう

つまり、実は、「ゲーム脳」イコール「前頭前野のはたらきが低下すること」、ではないのです。ですから、「ゲーム脳が正しいか間違っているか」イコール「前頭前野のはたらきが低下しているかどうか」、というわけでも無いのですね。生理学的な状態とイコールで結び付けてはいけない。その典型が、森氏の論を無視して「ゲーム脳はあるかも知れない」と語る類の主張。これは議論を混乱させる

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ゲーム脳と認知症は同じものなのですか。

森氏は元々、認知症について調べていたそうです。そこで、認知症の人はある特定の「脳波」を出すことを見つけ、脳波によって認知症を見分けることが出来ると考えて、研究したと言います。その中で、ゲームをやっている人にも同じような脳波が出てくるのを見つけ、そこからゲーム脳という考えが出てきたようです。生体信号のパターンから認知症を見分けるという研究の過程で、ゲーム脳という考えが出てきたようである。しかし、そもそも、その認知症に関する研究自体が、確立された理論では無い。以下で説明

でも、ここにはいくつかの問題があります。まず、「脳波」で認知症の見分けがつく、という方法自体が、広く認められているものではないことです。脳波で認知症が見分けられるなら、認知症の人はその脳波が出ていて、それ以外の人は出ていない、となっていなければダメですよね。そうでないと、認知症の人にも出るけど他の人でも出る、となって、結局、認知症の人を見分けることが出来ない、と考えられます。そして、実はその通りで、森氏の方法で、認知症の人をきちんと見分けられる、というのは、科学としてちゃんと確かめられていないのです。認知症以外の人でも同様の信号が見出されるならば、それは認知症診断には役立たないというのを意味する。逆に言えば、認知症以外の人にはそのような信号が現れない事をきちんと確認しなければならない

ですから、そういう方法でゲームをやっている人の脳波を測るやり方そのものが、実は誤っているのです。

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ゲーム脳を信じることにどんな問題があるのでしょうか。

ゲーム脳は、あると確かめられたものではない、その前に、それがどういう意味かもよくわからない言葉です。ですから、それを使って誰かをゲーム脳だと決め付けることは出来ない、ということです。そもそも定義が無いので、誰かをゲーム脳と判断する事自体が不可能である、という事

たとえば、何か問題行動を子どもが起こした場合、本当は別の原因があるのに、そこに目を向けさせずに、ゲームのせいにしてしまって、問題の解決が遅れたり、逆に悪化してしまうこともあるでしょう。たとえば親子関係であったり、学校での出来事が関わっていたり。それを見過ごしてゲームに注目してしまう危険性がある

お医者さんは、色々な所を診て、機械を使った検査をしたりして医師による総合的な医学的判断と、人間の観察では不可能な、精度の高い診断、よく考えながら、どういう病気かを判断して、より良い治療法を選んでいきますよね。それは、もし病気を見誤ったり、適切でない治療法を選んだりしてしまったら、大変なことになるからです。それを考えると、意味もはっきりとしてなくて、他のほとんどの科学者や医師に認められていないゲーム脳というもので軽はずみに判断してしまうのが、どれほど怖いことかが、よくわかるのではないかと思います。誤った判断によって原因をゲームと決め付けた場合、状態が悪化する虞もある

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森氏のゲーム脳の考えがもし間違っているとしても、子ども達のテレビゲームのやり過ぎを止められるならよいのではないでしょうか。

ここまでの回答で説明してきたように、森氏の考えは、最初の所で誤ってしまっているものです。ですから、ゲーム脳という言葉を使ってゲームを止めさせるのは、ウソをついて止めさせている、といえるのです。実態があやふやなものを用いて止めさせる

たとえば、とても小さい子どもに、ちょっとした迷信みたいなものを使って、やってはいけないことを教える、というのはあると思います。でも、ゲームの場合、それはこの世にいないものでもないし、それが好きでやっている人は、沢山います。ゲームをやるとゲーム脳になる、と言ってしまうのは、その人達に対しても、とても良くないことです。たとえば、ご自分が好きなものを思い浮かべて、それが悪い影響を与える、と証拠もないのに言われてしまった、とイメージしてみて下さい。そんな理不尽な話はありませんよね。ゲーム脳を使ってゲームを止めさせるのは、そういうことなんですね。ゲームは娯楽であり、一般に広く普及しているものである。よって、「ゲームをやっている人間は危険だ」、などの先入観(社会的認知)を広く形成する虞がある。ゲーム悪影響論一般なら考慮の余地があるが、ゲーム脳は立論の段階で誤っており、しかも極論であるので、極端なゲーム嫌悪を呼ぶ可能性もある。当然、根拠が無いにも拘らず非難するというのは、行ってはならない

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ゲーム脳を批判している人は、自分がゲーム好きだからそうしているのではないでしょうか。

ゲーム好きの人のほうが、ゲーム脳にも興味を持ちやすい、というのはあるかも知れません。それを考えると、ゲーム好きだからゲーム脳を批判することはありますゲームに興味を持っている人の方が、ゲームを非難する説に敏感になるというのはあるし、愛好しているものをけなされるのだから、反論を表明するのも多いと思われる。前の回答にもあるように、自分が好きなものが証拠もないのに悪いと言われているので、「それは違うよ」、と言っているのですね。

もちろん、中には、きちんと考えずに、自分が好きなものがけなされているから、という理由だけで、ゲーム脳を批判する人もいるかも知れません。色々な人がいますからね。愛好しているものが非難されているという事実そのものを、深慮する事無く否定する。対象が何であれ、そういうのは起こる

でも、ゲーム脳の考えが批判される一番の理由は、それがとても矛盾していて、きちんとした根拠がないからなのです。ですから、ゲームに関心をほとんど持たない人がゲーム脳を批判することもあるのですね。ゲーム脳が批判されるのは、その論が整合していないから。だから、ゲームをやらない人も批判を行う。陰謀論的反論としては、ゲーム会社から金を貰っているのだろう、というのが考えられるが

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ゲーム脳を批判している人は、テレビゲームをやり過ぎても悪影響はないというのでしょうか。

これまで説明してきたように、ゲーム脳が批判されているのは、説明が矛盾していたり、データのとりかたや見かたが誤っていたりするからです。ゲーム脳は、「ゲームをやり過ぎると悪影響がある」、とは同じ意味ではありませんし、ゲーム脳を批判しているからといって、「ゲームに悪影響がない」と言っている訳ではないのですね。

ゲームが悪影響を与えるかどうかは、色々な分野で調べられています。もちろん、きちんと研究して悪影響が確認されれば、それについて対処をするべきです。大切なのは、きちんと研究していかなければならない、ということで、ゲーム脳はそれが出来ていないから、批判されているのですね。

ゲームがどのように人間に影響を与えるかについて、お茶の水女子大学の坂元章氏が、とてもきちんとした研究をしています。

たいていのものごとには、良い面と悪い面がある訳ですから、それを両方きちんと考えていかなければなりません。つまり、ゲームに悪影響論があるかどうか、という問いと、ゲーム脳説は正しいか否か、という問題は、一応別の話である、という事。ゲーム脳は決して、「ゲームは心身に悪影響を与える」、などという一般論的概念では無い

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ゲーム脳を批判したいなら、森氏のように実験でデータを集めてからやるべきではないでしょうか。

科学では、新しい考え方や、それまでの考えと異なる理論を思いついた場合には、言い出した人に、それを確認する責任があります立証責任(挙証責任)。そうでないと、どんな突拍子もないものであっても、他の人がわざわざ、初めから確認しなくてはならないからですね。新奇な説を一々積極的に検証したのでは、コストが膨大になり、リソースの無駄遣いである

ですから、言い出した人がまず、きちんと実験してデータをとって、それをちゃんと処理して、論文を書く必要があります科学研究の土俵に乗せる。そして、それが審査されて、実験の方法はきちんとしているか、とか、それまでに見つかって正しいと考えられている理論と矛盾しないか、というのが確かめられなくてはなりません査読者による審査。さらに、審査に受かったものが、他の科学者によって本当かどうか確かめられて、そうして、どうやら本当のようだ他の科学者による追試。再現性の確認、となって、科学の理論として認められていくのです。これが、科学の研究の進め方です。

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テレビゲームはまだ新しい文化で、登場してからの歴史は浅いです。悪影響がないとは言い切れないのではないでしょうか。

確かに、テレビゲームの歴史はまだ浅く、内容がどんどん変わっている文化です。わずか30年足らずで一応、日本で爆発的ブームになった、ファミコンの誕生辺りの時期を想定、ファミコンからプレイステーション3まで、発展をしてきました。ですから、それがどういった影響を与えるか、という所を調べる研究は、今も続けられていますし、これからも続けていくべきことです。

また、テレビゲームは、どういう影響を与える、と言い切るのが難しいものです。なぜかというと、「ゲーム」には、色々なジャンルがあって、流行っているジャンルやソフトも変わっていって、映像の細かさや描き方の方向性、また、コントローラの形や仕組みも、めまぐるしく変わっていくものだからです。ですから、色々な角度から、慎重に研究をしていかなければならないのです。コンピュータ・ゲームは総合文化的なものだから、学際的に考究しなければならない。入力デバイスにしろ、出力される映像・音声にしろ、技術的な発展に従って変容していくものなので、変化を捉えつつ継続した研究がなされる必要がある

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ゲーム脳を批判している人は、子ども達がテレビゲームをやりすぎてもいいというのでしょうか。

もちろんそうではありません。ゲームは楽しいし、つい夢中になってしまいます。それに熱中して、他のことをやらなくなってしまうと、それは困ったことになるでしょう。そうならないようにしていくべきです。あらゆる文化について、「熱中」のプロセスについて考えていくべき

ですが、ゲームには有効な面もあります。それを通してコミュニケーションを深めたり、とても優れた作品に触れることによって感動する、というかけがえのない経験をすることもありますゲームの臨床的側面、芸術的側面。あるいは教育に応用するという観点もあるだろう(シリアスゲームなど)。なにごとにも良い面と悪い面の両方があって、それをきちんと正しく見ていかなければならないのですゲームというのはメディアだから、メディアそのものの特性とコンテンツの構造を共に見なくては、誤った分析に陥ってしまう。ゲーム脳は、そういう考え方を無視して、ゲームを根拠もないのに悪者にしてしまうものですゲーム脳は、コンピュータ・ゲームの総合的で多様な側面を捨象してしまう論である。これは、ゲームが好きな人にとってもそうでない人にとっても、不幸なことです。ですから、ゲーム脳を批判するのは何も、ゲームをいくらでもやっていいじゃないか、と言いたいからではなくて、ゲームには良い面もあるのだから、ちゃんと理解しながら付き合っていくのが、より良いやり方なのではないか、という考えからなのです。

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2008年8月10日 (日)

ゲーム脳Q&A:一応完成的な

ゲーム脳Q&A

誤記や文の整合性の不備の指摘を頂いたり、アクセシビリティについてアドバイスを受けたりして、何とか見られるようになったと思います。

まだ一部のブラウザで(と言うか、IEエンジン以外全部なんだけど…)、リンクで無い所に下線が出たりしますが、閲覧に大きな支障は無いかと思われます。

一応、Opera、sarari、Sleipnir、Lunascapeで確認しましたが、特に問題はありませんでした。

ブログに追加しました↓

  • 右サイドバーの、”ニセ科学関連リンク―各論:ゲーム脳”にリンク追加。
  • 右サイドバーに、マイリスト「ゲーム脳Q&A」を追加。

メールやコメント欄でご教示下さった皆様、本当にありがとうございます。とても助かりました。改めて、お礼申し上げます。

もし読む価値が認められる、と思われたら、広くご紹介して頂けるとありがたいです。

一応、コンセプトとしては、

  • なるべく噛み砕いて説明し、一般に聞き慣れないような言葉は入れないよう努めた。
  • ゲーム脳がいかに誤ったものか、というのを強調するよりは、なるべく淡々を事実を記述する事にした。
  • 情報は最小限にした。とにかく、「読み進められる」ように配慮した。
  • ゲーム脳の批判と共に、ゲームの悪影響を単に否定する訳では無い事を併記した。
  • 悪影響を云々するなら、正しい手続きに則って行うべきである、というのを説明した。
  • 「科学の手続き」を、なるべく日常的な言葉を用いて説明した。
  • 「ニセ科学」という言葉を一切用いないようにした。
  • ニセ科学という言葉を用いてはいないが、その概念を理解してもらうように書いた。つまり、
    1. 科学の手続きを説明し、ゲーム脳はそれに従っていない事を解ってもらう。
    2. そして、(この文書を読む人は、恐らくゲーム脳が流布されているのは知っているはずだから)「科学には標準的な手続きがあるがゲーム脳(森氏)はそれに従っていない。しかし、ゲーム脳は実証された説であるかのように流布されている」、という所を認識してもらうのを期待して書いた。
    3. そうすれば直観的に、「実証されていないのに実証されたかの如く流布されている主張」が存在する事に気付けるはずだと考えたからである。そしてそれは、即ち「ニセ科学」の概念である。

こんな感じです。

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2008年8月 7日 (木)

ゲーム脳Q&A:β版くらい

取り敢えず、作ってみました⇒ゲーム脳Q&A:トップページ

質問は、最小限に。あまり多いと、却って解りにくくなるかも、と思ったので。今後増えるかも知れません。

デザインは、その内変えると思います。

誤字脱字衍字があれば、教えて頂ければ嬉しいなあ、なんて。

正直、カテゴリー分けは、かなり無理矢理です。「ゲーム脳を批判したいなら、森氏のように実験でデータを集めてからやるべきではないでしょうか。」が何故そこなんだ、と私も思ったりします。

リンク集とか置くかも知れません。でも、簡潔で完結なコンテンツの方が良いかも、と思わないでもありません。

ぶっちゃけ、htmlをちゃんと使うのは、初めてだったりします。もしかすると、やっちゃいけない事とかやってるかも知れないので、教えて頂ければありがたいなあ、なんて。

質問を考えて下さった皆さん、超ありがとう。

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2008年8月 2日 (土)

質問系サイトでゲーム脳を調べてみた

ユーザーが質問を投稿し、それに別のユーザーが回答するサイトで、「ゲーム脳」で検索してみました。結構沢山ヒットして、やはり情報としてはかなり流布しているのかなあ、と感じます。以下、その内いくつかを拾って紹介してみます。どのようにゲーム脳が理解されているか、また、質問についてどのような回答のパターンがあるか、というのを見るのも有意義でしょう。ダメな批判、というのもあるので、ちょっと細かい突っ込みモードで行きます。

質問するならOKWave

ゲーム脳にならないの? -OKWave

ゲーム脳を受け容れている人が、じゃあ脳トレではどうなの、という疑問を持たれたようです。回答によって質問者さんは、ゲーム脳のニセ科学性を理解したみたいですね。

テレビゲームって脳に悪いの? -OKWave

質問者さんは、ゲーム脳という言葉は出していませんが、ゲームは脳に悪影響を及ぼすという説を知り、ゲームを止めたとの事。恐らく、ゲーム脳か脳内汚染の知識を聞いたのでしょう。

回答では、ジャンルの多様性について言及されています。後、RPG等のゲームの構造を分析し、それは認知を働かせるものだ、というロジックですね。それは特に、ゲームの脳への悪影響を直接云々するようなものではありませんが、「ゲームはものを考えずに出来る」的な意見に対しての反論にはなります。

ただ、成長過程でのやりすぎは多少の問題を含んでいるようです。
RPGなど「死んでもすぐ生き返る」もののやりすぎで小動物を簡単に殺してしまう子供や
「失敗してもセーブしたとこからのやりなおし」のため、取り返しの付かないことを平気でしてしまう子。
あとは「負けることが絶対イヤ」(ゲームは機械相手なので勝てるようにできているから)で負けを認められない子供が増えているみたいです。
そのあたりは親御さんがきちんと管理する必要はありますね。(回答者:Mizyu)

これは誤っていますね。小動物を殺す事と、RPG等のゲームとの関連は、明らかにされていないはずです。全体的に、新聞等で適当に主張されるゲームの悪影響。「増えている」とする根拠もありません。

ゲーム脳について -OKWave

ゲーム脳を受け容れた上で、そうすれば最もなりやすいか、という質問。回答では、森氏の論の誤謬を指摘。短いですが、とても良く纏められた回答です。ただ、質問者さんの回答者への返答を見ると、ちょっと理解が足りていないかも、という感じ。

ゲーム脳??? -OKWave

一番シンプルでありがちな質問。しかし、回答者の、

(本当に学説として認められるには10年以上の地道な基礎研究と最低3万人以上の実証実験のデータが不可欠です)

この部分は、的外れの感があります。最低3万人のデータが必要、というのは言い過ぎでしょう。データが多ければ色々ものを言える、というのは一般的にそうでしょうけれど、別に3万という具体的な数字を出す事でも無いと思います。

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…。

……。

上に纏めたものの4倍くらいの文章があったんですが、消滅しちゃいました。泣きたくなりますよね。

という訳で、もう一度まとめる気力はさすがに無いので、このまま上げます。Yahoo!知恵袋にも面白い質問・回答があるので、参照してみて下さい。

私が見つけたベストアンサー↓

「ゲーム脳」ってよく言うけど、どうゆう意味ですか?どうゆう脳なんですうか? - Yahoo!知恵袋(タイトル原文ママ)

hosiken2001さん(多分、id:hosikenさん)の回答です。お見事。と言うか、回答としてほとんど完璧だと思います。

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2008年7月25日 (金)

今更

ここ数ヶ月の間に、産経・読売・毎日の各紙で、ゲーム脳説が紹介されました。いずれも(書き方に違いはあるけれども、ある程度傾向は一致していると言えるでしょう)、それが、他の科学的な仮説や実験研究と同等であるかのような、紹介の仕方でした。

これは実は、かなり異様な事であると言えます。

ゲーム脳は、そもそもニセ科学です。つまり、きちんとした研究を行ってすらいないのに、実証されたと言っているものです。研究は妥当だろうけれども主張が行き過ぎている、というものでも無いのです。あらゆるレベルで、科学的には「説」にすらなっていないもの。それを、中立・公平を努めようとしているのか何なのか解りませんけれど、「批判もある」、というかたちで紹介しているのです。これは、明確に「間違っている」と言える。

ゲーム脳は、ちょっと調べれば、実態が解るものです。それこそ、早ければ数十分で気付けるような代物。いや、気付かなくてはならない、と言った方が良いでしょう。何といっても、新聞記事なのですから。

ゲームの影響について、本当に中立・公平に論じたいのなら、ゲーム脳を持ち出すのは、筋が悪いのです。これは、かなり穏当な表現ですが、率直に言うと、調べるのをさぼっている、あるいは、一定水準以上の能力を持っていない、という事でしょうね。それを言い切って良いほどのものなのですよ、ゲーム脳というのは。

このような主張を、ゲームを擁護したいがための意見だ、と読むのも自由ですけれど。目を逸らせば楽だから、勝手にそうすれば良い。間違っているものには間違っていると言い続けます。まあ、文字通りにとれば、私は「ゲームを擁護している」訳ですが。不当に非難されているものを護りたいと思うのは、当たり前の心理です。

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2008年7月24日 (木)

また毎日か

27 毎日のゲームと子ども3 - アルファ’s blog(仮

新教育の森:子どもとゲーム/3 脳への影響は未解明 - 毎日jp(毎日新聞)

アルファさんのブログにコメント入れようと思ったのですが、毎日の記事への意見として、エントリーにします。

専門家の意見を都合良く持ってくると印象が誘導される、という良い(悪い、か)例ですね。

小泉氏の意見の部分には、「3.熟達化によって熟考の必要が無くなった段階」(1と2はアルファさんのブログを参照して下さい)、という読み方も出来る訳ですが、それは、ゲームをある程度知っている人でないと読み取れない部分ですよね。知らない人は、ゲームは概ね熟考しない、と言っているようにも見える。

津本氏の場合は、「相手の表情等を見ないコミュニケーションが発達を遅らせる可能性がある」、という一般的な論理から(これはある程度妥当だと思います)、ゲームもそういう可能性がある、と言っている訳ですね。この意見自体は、それほどおかしなものでは無いと思いますが(可能性がある、という意見なのだから)、しかし、この文脈で書かれると、「流れ」で読んでしまう。それに本来、ゲームはコミュニケーションツールでもある訳ですね。複数でやるゲームなど、いくらでもあるのです。もし、一人遊びが出来る可能性があるものの悪影響を言う、という事なのであれば、読書等も同様に捉えるべきなのですし。

それにしても、ゲーム脳をまた紹介するとはね。ニセ科学ですよ、あれは。記者は、そのニセ科学性に対して、あまりに素朴過ぎるでしょう。

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2008年7月22日 (火)

記事の見方

Interdisciplinary: 子どもとゲームと親の続き。

PSJ渋谷研究所X: 子どもとゲーム:実は「ゲームが問題」ではないことも-1

大変丁寧な読み解きだと思います。皆さんも読みましょう。

私が思うに、ゲーム脳を、「批判”も”ある説」として紹介するのは、100mで14秒台しか出ていない選手を、オリンピックに出られるぎりぎりの所にいる選手かのように紹介している、ようなものなのですね。そういう人を、「うーん、もう少し調整が進んでコンディションが良ければ、オリンピックも夢では無いのでは」、と紹介するようなもの。だから、そこはしっかり書く「べき」。ゲーム脳というものを紹介するのであれば。

新聞記事の評価は、2つの見方があると思います。

一つは、現状を鑑みて、どれくらいの仕事をしたか、という所。ある状況における相対的な評価、とでも言いましょうか。つまり、他の新聞記事がろくでも無い屑のような記事を書いている今の状況から考えると、バランスを取ろうという書き方が見えて、頑張っていると評価出来ます。

もう一つは、世間に情報を周知する、というメディアの基本的な役割を考えて、最低このくらいはやらなくてはならない、というラインを越えているかどうか、という見方。ゲーム脳の場合だと、それが全く考慮に値しない愚論だという事を正しく伝えるか、という所ですね。

また100m走の喩えを出すと、前者は、他の人達が11秒台で走っている所、10秒31を出した、という感じですね。当然、新聞記事のレベルとしては、10秒を切るかどうか、というパフォーマンスを見せてしかるべきなのですが(2つ目の見方)、現状では他に抜きん出ているからそれは評価しよう、という考え方。

と、そういう異なった評価軸を考えて、今の状況でああいう特集を書くのは興味深いけれども、記事そのもののレベルとしてはそれほど高いものでは無い、というのが、今の私の感想ですね。

後、思うに、「ゲームが脳に与える影響」についてどのくらい調べられているか、というのを紹介する前に、「脳に影響を与えるとはどういう事か」、というのを特集するのも良いかも知れません。新聞記事で、それ自体を検討したり、神経神話批判をするのは、それほど多くは見られない事でしょうから。

それと、ちょっと細かい所ですが。

ゲーム体験が脳に悪影響を与えるなどという学説は存在しない。そのようなことを主張しているのは、森昭雄ただひとりである。その主張も、学説の体を成していない。そのために、森とその主張は批判されている。

「ただひとり」と言うのは、ちょっと難しいですね。「脳に悪影響」、「学説」をどう捉えるか、というのがポイントなのでしょうけれど。脳内汚染なんかは、様々な研究を寄せ集めて適当に解釈し、それを一つの学説のように主張している、というものですしね。意味合いを広くとって、ゲームが脳に悪影響を与える、という趣旨の発言をしている人、あるいは、森氏の主張に賛同する人、と考えると、自分の学説に付随させるかたちでゲームの害悪を唱える人も含まれますね。大友氏なんかは、まさに森氏と軌を一にする人です。

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2008年7月21日 (月)

子どもとゲームと親

亀@渋研Xさんへのレスも兼ねて。

※これは、読売新聞紙上の特集、「子ども――ゲーム」の7/17~7/19分の記事について言及したエントリーです。引用文は、その記事より。

全体としてみれば、確かに、他の同じような記事と較べると、頑張っている方なのかな、と思いました。個人的な感想としては、「それまで不味いものばかり食べさせられてきて、その後で、美味くは無いがちょっとマシなものを食べたら、結構美味しく感じる」、というような感じかな、と。ゲーム関連の記事は、あまりにも不味いものばかりですしね。
書き方としては難しいのでしょうね。不安を感じている養育者の紹介をするのだから、その具体例を書かざるを得ない訳ですが、私などから見ると、それは「不安を煽っている」ようにも感じるんですね。

ああいう記事に関心を持つ人の中には、ゲームに対して漠然とした不安を感じている人も多いでしょうから、果たして冷静に特集全体を見渡すのだろうか、と。

ところで、第一回に、「2才からゲームをしている」という風な記述がありますが、これ、どのくらいの割合なのでしょうね。私としては、2才児がゲームを「ゲームとして」プレイする、というのは、ちょっと考えられないです。ボタンを押せばグラフィックが変化するので、その単純な変化を楽しむ、というくらいのものなのではないかなあ。リモコン押せばテレビが消えるのを憶えて、それを面白がるみたいに。

▼▼▼引用▼▼▼(第一回より)
茨城県土浦市や東京・秋葉原の連続殺傷事件などの容疑者がゲーム好きだという報道を見て、長男の姿に重ねてしまう。現実とゲームの世界の区別がつかなくなり、道徳心が育たないのではないか、と思う。
▲▲引用終了▲▲
ここなんかは、完全に報道の害ですね。現在のゲーム研究の知見から考えても、こういった無根拠な情報による不安を与える方が問題なのでは、と思います。金川はともかく、加藤は「ゲーム好き」と言えるほどかな、という気もしますし。

第二回は、上にも書いたように、論外だと言えます。記事に対する要求水準が高いのではないか、とも思われるかも知れませんけれど、私としては、ゲーム脳を一説として採り上げるのは、陰謀論を、考察すべき興味深い一説として採り上げるのと全く同レベルだと考えているので、そういう評価になります。

榊原氏のコメントは尤もだと思います。
▼▼▼引用▼▼▼(第二回より)
 お茶の水女子大学教授で小科医の榊原洋一さん(発達神経学)は「ゲーム脳の考え方がもてはやされているのは、親が子どもからゲームを取り上げる根拠が欲しかったからではないか。しかし、ゲームをやらせるかどうかは、親の価値観に従って各家庭で決めることだ」と話している。
▲▲引用終了▲▲

第三回、ゲームを持ってない事で子どもが仲間はずれにされる、という可能性について書いてあります。

私は、このロジックがよく解りません。いや、仲間はずれにされる所の懸念が解らないのでは無くて、「ゲーム」の特徴であるかのように言われるのがよく解らない。

子どもは、流行りのものを知らない、所有していない、同じような考えを持っていない、という事で爪弾きにするのは、よくある訳ですね(子どもに限らないけれど)。それは、かなり一般的な事だと思います。
で、ゲーム云々とは直接関係は無くて、もっと一般的な社会心理学的な話ですよね。贔屓とか、その辺の。

まあ、何故こんな事を書くかというと、自分は、ゲーム好きだった事で、物凄く変な目で見られていた訳です。当時は、ゲームばっかりやっているとバカになる、というのが言われていたのですが(これは、ずうっと前から言われていて、最近になってそれが、「脳」への悪影響という具体的な論になってきたのですね)、そういう所から、小馬鹿(これほどぴったりな表現は無いでしょう)にされてきた、という経験があるのです。後、当時の子どもに一般的に人気があったものに興味が無いのを馬鹿にされたり。

昔だったら、(ちょっとステレオタイプ化します)女子だったらアイドルに興味が無いのを馬鹿にされたり、男子だったら野球やサッカーに興味が無いのはダメだと思われたり、というのが、結構あったような。

そういう経験があるので、結局、ゲームがポピュラーになって、状況が逆転したのではないかな、という事なんだと考えています。ゲームがどうこうという問題じゃ無くて、同じような方向性じゃ無い子どもを爪弾きにする心理自体を見るべきなのではないかな、と。
ゲームの普及度から考えると、ゲームを持ってない事で仲間はずれにする、という頻度は高くなると思いますが、それが即、ゲームそのものに内在する問題だ、と言えるかどうかは、ちょっと疑問です。
下手すると、ゲームが薬物と同様の効果を及ぼし、その結果として、ゲームをやらない子どもに排他的になるのだ、という主張も出てきかねません。実際、岡田氏はそれに近い事を言っているのですしね。

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2008年7月20日 (日)

ナンセンス

アルファさんのブログによると、18日の読売新聞に、森昭雄氏が登場した模様⇒森昭雄 読売新聞に登場 - アルファ’s blog(仮

WEBの方には上がっていないようで、私はソース確認出来ていません。

それにしても、(読売に限りません)未だに森氏の意見を専門家のものとして紹介するって、どういう了見なんでしょうね。可能性としては、ゲームの印象を悪くしようと故意にやっているか、記者が馬鹿であるかのどちらかですが。ああ、前者だとしても、馬鹿ですね。いずれにしても、馬鹿です。

ゲーム脳って、それに反論がある、という説と同時に紹介して、それを両論併記と言える、という代物ですら無い訳です。それを、一説として紹介する事自体がナンセンス。そこら辺の所が理解されていないようで。

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2008年7月 9日 (水)

案の定

来て欲しくは無かったけど来るかも知れないと思ってたものが来た⇒【秋葉原通り魔事件】暴発は脳の機能不全? 脚光浴びる脳科学 (1/2ページ) - MSN産経ニュース

 『ゲーム脳の恐怖』の著書がある森昭雄日本大教授は「人を殺すことの善悪がつかないのは記憶、感情などを司る前頭前野が機能障害を起こしているからではないか。同種の事件は今後増えるだろう」と懸念。「茨城県土浦市の8人殺傷事件の容疑者はゲーム中毒だった。格闘ゲームをはじめとしたゲームは反射神経で反応するだけで、思考能力が働かなくなる。凶悪犯罪を起こした容疑者の脳の状態を科学的に分析する必要がある」と指摘する。

どこまでやらかすのですかね、産経は。5流の週刊誌レベルの記事ばかり。

 文科省がNPO法人「子どもとメディア」に委託した調査によると

(内容はリンク先をご覧下さい)気になる。そのNPO法人とやらはこれか⇒子どもとメディア

調査の詳細はWEBでは参照出来ないようですね。

それにしても、森・高橋・柳田の各氏とは、解りやすいものです。産経らしい。

はてブにも書いたんですけどね。神経科学の人達は、もうちょっと積極的に、何らかのリアクションをした方がいいんじゃないですかね。このままだと、科学を知らない人は、森氏の意見のごときものを妥当なものとして鵜呑みにし、少し懐疑的な人からは、脳科学とはこんなものなのか、と思われて、どんどん誤解が広まるようにも思います。

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2008年6月26日 (木)

ゲーム脳と物差しと弓矢

森昭雄氏がやった(やってしまった)事は、「間違った(もしくは不正確な)物差しを作った」事、と言えるでしょう。

まず、認知症を判断する方法として、脳波の出方に着目した。そして、その脳波の出方と、ゲームをしている人の脳波の出方が似ていたと感じた。で、脳波計を開発し、それを用いてゲーム中の人の脳波を測定したら、やはり認知症の人と同様のものだった。そして、それを「ゲーム脳」と名付けた。

このロジックが適切であるためには、

  • 脳波によって正確に認知症を判別出来る事。

が必要な訳ですね。そしてそれには、認知症以外の人にはその脳波が出ない、という条件も要るのです。「リンゴを食べたら甘かった」、から、「食べて甘いものはリンゴだ」、と判断するのがおかしいのと一緒です。ブドウもミカンも甘いのですから。

で、森氏の論、実はその段階で、とても怪しいのですね。もしかすると、認知症の人に多く見られるが、必ずしも特有のものとは言えない変化を拾っている可能性がある。たとえば、表情の変化であるとか。

そこら辺の検証が全く不充分なままに、つまり、物差しが正確であるかを確かめるのを怠って、「ゲーム脳を調べる物差し」として使ってしまっている訳ですね。

結局、不正確な物差しで色々計測して、これはゲーム脳だ、ビジュアル脳だ、とやっている、という事です。

たとえば、心理学で、色々な心理検査があります。これも、心のありようを調べる物差しと言えます(心理測定尺度)。

それで、その物差し、測ろうとしているものがきちんと測れているか(妥当性。つまり偏り)、また、安定して測る事が出来るか(信頼性。つまり精度)、というのを、きちんと確かめるんですね。正確さが確認された他のテストとの相関を調べたり、何回かテストして結果が安定しているかを調べたり。

よく使われる、解りやすい喩えを用いてみると。

弓で的を射る、という状況を思い浮かべて下さい。和弓でもアーチェリーでも構いません。

何度も何度も的を射た後に、的を見てみます。そうすると、

  • どれだけ的の中心に近いか。
  • どれだけ矢が集まっているか。

という観点で、弓矢の正確さと射手の腕前を考える事が出来ます。

つまり、中心に近ければ、当てたい所に当てられた、という事で、遠ければ、文字通りに「的外れ」という事。矢が狭い領域に集まっていれば、矢がばらついていないのを意味するし、広ければ、あちこち矢が飛んで定まらない、という事になる。つまり、前者が妥当性(当てたい所に当てられたか)で、後者が信頼性(ばらつき無く安定して当てられたか)。

科学的な「物差し」も、色々な方法によって、それが確かめられなければならないのですね。でも、森氏はそれをやっていない。科学者は、それを論文にして、他の科学者から、その物差しが正確であるかを確かめられなければならない(追試)にも拘らず、です。

結局の所森氏は、正確で無い矢をデタラメに撃って、あれもこれもゲーム脳だ、と言って回っているのです。ですから、本来は、弓の調整と撃ち方からやらなくちゃならない訳です。

そこら辺を見ていない賛同者は、森氏が「優秀な射手」、脳波が「正確な弓矢」だと誤解している、と言えるでしょう。だから、ゲームをやる人がある種の脳波を出していて、それは認知症の人と同様ものである、というのを鵜呑みにしているのですね。

もしかすると森氏は、ただ的に当たっただけなのに、中心に当たったのだと錯覚しているのかも知れませんね。矢を撃った時の「手応え」だけ感じて、的をきちんと確認しなかったのかも知れません。

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一応、解りやすさを重視してみました。

追記:ちょこっと修正。「で、」が多過ぎた。

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2008年6月24日 (火)

ゲーム脳Q&A:回答例

昨日のエントリーのコメント欄で、いくつか質問例を頂きました。ありがとうございます。引き続き募集しますので、よろしくです。

さて、そこで亀@渋研Xさんに頂いた質問例を、採り上げてみたいと思います。

ありそうな「ゲーム脳批判」批判なものを。

Q.「ゲーム脳」を批判している人は、子供たちがコンピュータ・ゲームをやりすぎても構わないと言うのですか?
Q.仮に森氏の「ゲーム脳」説が間違っているとしても、子供たちのコンピュータ・ゲームのやり過ぎを止められるならよいのではありませんか?
Q.「ゲーム脳」を批判している人って、自分がゲーム好きだからじゃないの?
Q.「ゲーム脳」を批判している人は、コンピュータ・ゲームをやり過ぎても悪影響なんか受けないって言うの?
Q.コンピュータ・ゲームをやりすぎれば悪影響が出るなんて、当たり前じゃない。なにがおかしいっていうの?
Q.「ゲーム脳」を批判したいなら、森氏のように実験でデータを集めるべきなのでは?
Q.ほかの脳科学者はゲーム脳や、コンピュータ・ゲームの子供への影響について、どう言っているのですか。
Q.コンピュータ・ゲームが登場してからの歴史は浅いです。悪影響がないなんて言いきれるのでしょうか。

これは、「ゲーム脳は何か」、という系の質問では無く、ゲーム脳を批判する人への懐疑、といった所でしょうか。何かを批判する場合に、必ず出てくる疑問です。ニセ科学批判論でもよく見られます。

この種の質問では、「答え方」も重要になってくると思いますが、ちょっと書いてみます。

Q.「ゲーム脳」を批判している人は、子供たちがコンピュータ・ゲームをやりすぎても構わないと言うのですか?

A.違います。

ゲーム脳説は、ゲームをやり過ぎると脳の一部の機能が低下してしまう、というものです。そして、その説は根拠不充分です(その部分についての説明は済んでいると仮定)。

ゲーム脳説を批判しているのは、根拠が不充分できちんと定義されてないものが、科学的に証明されたように言われてしまっているからです。ゲーム脳を批判するのは、「ゲームに害が無い」と言っているのと同じではありません。

Q.仮に森氏の「ゲーム脳」説が間違っているとしても、子供たちのコンピュータ・ゲームのやり過ぎを止められるならよいのではありませんか?

A.難しい…。取り敢えず思いつくものを、箇条書きにします。この質問については、これまでにも回答がいくつかありますが、ゲーム脳でゲームを止めさせられるという「実用性」を評価している人を説得するのは難しい。

  • ウソを元にして何かをさせる(止めさせる)というのがまずい。
  • ゲーム脳説は、ゲームをやり過ぎると脳の機能が低下するという説だから、ゲームをやる人に対して間違った印象を与える。
  • 子どもが、ゲーム脳が間違っている、と知った際の対処はどうするか。間違いと知っていても、それを「手段」として用いるのは許されるべきか。

取り敢えずは、こんな所。

Q.「ゲーム脳」を批判している人って、自分がゲーム好きだからじゃないの?

A.違います(要書き方の工夫)。

ゲームに関心を持っている人がゲーム脳についても興味を持ちやすい、というのはあるかも知れません。その意味では、ゲーム好きだからゲーム脳を批判する、という事はあります。自分が愛好しているものが不当に扱われているのですから。一部には、きちんと考えず、自分が愛好しているものが不当に評価されているからという理由だけでゲーム脳説を批判する、という人もいるでしょう。批判の仕方は様々ですから、それは否定出来ません。

しかし、ゲーム脳が批判されるのは、主に、その説が矛盾していて、きちんとした科学的な根拠が無いからなのです。ゲームに関心をほとんど持たない人も、ゲーム脳を批判する事があるのです(きくちさんとか)。

Q.「ゲーム脳」を批判している人は、コンピュータ・ゲームをやり過ぎても悪影響なんか受けないって言うの?

A.違います。

上にも書いたように、ゲーム脳が批判されているのは、それが矛盾していたり、データの解釈が誤っていたりするからです。ゲーム脳は、「ゲームをやり過ぎると悪影響がある」、というものでは無いので(説明済みと仮定)、ゲーム脳を批判する事は、「ゲームに悪影響が無い」と言っている訳ではありません。

ゲームが悪影響を及ぼすかどうかは、色々な分野で研究されています。きちんと研究して悪影響が確認されれば、それについての対処を取るべきです。要は、きちんと正確に研究していかなければならない、という事であって、ゲーム脳はそれが出来ていないから、批判されているのです。

※ここで、坂元章氏の論考を紹介する、とか。

Q.コンピュータ・ゲームをやりすぎれば悪影響が出るなんて、当たり前じゃない。なにがおかしいっていうの?

これは…。これは、質問として採り上げるには難しいですねえ。批判で返していく、という性質のものですよね。たとえば、

  • 何故「当たり前」か。
  • やり過ぎるとはどういう事か。
  • それは主観、つまり単なる「印象」である。
  • 印象を相対化して客観的な論を構築するために、科学的研究方法がある。

Q&A向きの答えじゃ無いなあ。

Q.「ゲーム脳」を批判したいなら、森氏のように実験でデータを集めるべきなのでは?

A.

科学では、ある仮説なり理論なりを考え付いた人に、それを証明する責任があります。そうで無いと、どんな説であっても、他の人が初めから確認しなくてはならないからです。ですから、言い出した人が、きちんと実験してデータを取り、それを適切に処理して、論文を書く必要があります。そして、それが審査され、実験の方法等が適切かとか、他の理論と矛盾が無いかが確かめられなくてはなりません。さらに、審査に受かったものが、他の科学者によって確かめられ、それがまた検討されます。これが、科学の手続きです。

ですから、批判をする側としては、森氏のやっている事の矛盾等を指摘すれば良い、という事です。

メモ:立証責任・査読・追試(再現性)・他の諸理論との整合性

※松田剛氏の論文とか紹介

Q.ほかの脳科学者はゲーム脳や、コンピュータ・ゲームの子供への影響について、どう言っているのですか。

※川島氏・久保田氏・現在の泰羅氏等の見解を紹介。説明として、「他の著名な脳科学者がこういっているから」、というのはダメ。ある程度ロジカルに批判しているものを紹介。

Q.コンピュータ・ゲームが登場してからの歴史は浅いです。悪影響がないなんて言いきれるのでしょうか。

A.無いとは言い切れません。

確かに、コンピュータ・ゲームの歴史は浅く(40年前後?)、内容が常に変化している文化です。ですから、どういった影響があるかの研究は、今も続けられています。また、どういう影響がある、と断言するのも難しい領域です。何故かというと、「ゲーム」というものは、色々なジャンルがあり、流行っているジャンルも変わっていき、映像やコントローラー等もめまぐるしく変化していくものだからです。ですから、色々な角度から、慎重に研究を進めていく必要があります。

※坂元氏の社会心理学的研究を紹介。暴力シーンに関しては、悪影響を与えうる可能性がある、というのはきちんと書くべき。ただし、定量的な評価の重要性の説明を重視する。「悪影響」という言葉は強いので、それがどういう意味かをちゃんと書く。

------

こんな感じですかね。

それにしても、なかなか鋭い質問をして下さいました。答える方は結構頭を使いますね(笑)

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2008年6月23日 (月)

質問募集。後、ゲーム脳Q&A:α版くらい

質問募集。

テーマは、「ゲーム脳」について。

ゲーム脳のQ&Aっぽいものを作ろうと考えています。

そこで、皆さんから、ゲーム脳に関しての疑問・質問を受け付けます。

自分では思い付きに限界があるので、皆さんのお力をお借りしたいです。

出来れば、ゲーム脳という言葉と危険性(が主張されている事実)は知っているが、具体的には全然解っていない、という立場からの質問も欲しいです。詳しい方も、知らない人ならこういう質問するんじゃないか、という風に想像して書いて頂くのもいいですね。もちろん、少しは調べたがここら辺が解らない、というのでもOK。

完成までにはどのくらい掛かるか解りません。もしかすると、Q&A形式にはならないかも知れません。気長にお待ち下さい…。今の所は、どういう問いが考え得るか、というのを知りたいですね。どんな視点からのものでも結構です。たとえば、小学生が言いそうな、ストレートだが本質的な質問、みたいなのも。ゲーム脳を知っているお子さんがいらっしゃれば、リアルな質問が得られるかも。WEBから拾ってくるのでも、何でも構わないです。100でも200でも、いくらでも。

是非、よろしく…。

コメント欄は、レスせずに後で纏めてエントリーにするか、一つ一つレスしていって、説明について指摘を頂くか、どちらかにしようと思ってます。まだ決めていません。

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以下は、自分でちょこっと考えたものです。論理的に込み入り過ぎていて、重複も多く、Q&Aとして今一つ。ただ、ゲーム脳=前頭前野機能低下  では無い、というのは、どうしても説明しておきたい所だから、あまり極端に単純には出来ないですね。ゲーム脳は間違っているんですよ、と言うだけの答えでは話にならないし、実証とはどういう事か、というのも、少しは入れておきたい。なかなか悩ましい所。まあ、以前に断念したもの(某遊鬱氏に軽く催促されたあれです)ですから、一筋縄では行かないのは覚悟しています。

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Q.ゲーム脳とは何ですか。

A.ゲーム脳とは、日本大学の教授である森昭雄氏が考えた言葉です。

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Q.ゲーム脳とは、どういう意味ですか。

A.森氏は、ゲームを長時間やる事によって、人間の脳の、前頭前野という場所の機能が低下してしまった状態、としています。それによって、物忘れが激しくなる、すぐ感情を爆発させる、無気力になる、等の悪影響が惹き起こされる、と森氏は言います。そして森氏は、その状態が、自身が開発に携わった脳波計によって判別出来る、としています。

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Q.ゲーム脳説は科学的に正しいのですか。

A.科学では、こうではないか、という仮説があった場合、実験や観察、または調査によってデータを集めて、それを適切に処理して、仮説が当たっているかどうか、というのを判断します。そして、研究を纏めた論文が審査され。審査に通ったものが、他の研究者によって確かめられ、同じような結果が安定して得られた場合、仮説であったものが、科学の理論として認められます。ゲーム脳説は、それらの手続きが不充分で、きちんとした論文も無く、他の研究者からは、全く理論として認められていません。

---

Q.という事は、ゲーム脳は無い、という意味ですか。

A.上で、ゲーム脳説がどういうものか、というのがありますが、実は森氏は、「ゲーム脳」がどういうものか、きちんと言葉の意味を明らかにしていません。「前頭前野の機能が低下」と言った場合、どのくらい低下するのか、それはどうやって確かめる事が出来るか。また、物忘れが激しいとか無気力になる、というのをどうやって調べるか、等について、ほとんど何も書いていません。そして、それがどのくらいであれば「ゲーム脳」と言うのか、というのも明らかではありません※ つまり、正確に言うと、「ゲーム脳」とは何なのかが実は解らない、という事です。ですから、間違っているか正しいか、自体が言えない、となります。

※森氏は、自分が開発に携わった「脳波計」というもので得られたグラフを読み取る事で、ゲーム脳等のタイプが判別出来る、と言っているのですが、この脳波計についても、きちんと信頼出来るものか、という所に疑問が出されています。森氏の著書では、その脳波のグラフのパターンの一種を「ゲーム脳」としている箇所もあります。ですが、そのグラフの読み方の矛盾も指摘されています。たとえば、同じようなグラフであるのに、何をやった時のグラフかによって、解釈を変えてしまいます。

結局、ゲーム脳があるか無いか、という以前に、言葉の意味がちゃんと解らないので、科学の仮説として取り上げようが無い、と言えるでしょう。ですから、ゲーム脳というものは、仮説の出し方、確認の仕方の段階で「間違っている」、とも言えます。

---

Q.でも、「前頭前野が機能低下している状態」を指す、と言っている所を確かめる事は出来るのでは。

A.それはその通りです。きちんと、前頭前野が機能低下するとはどういう意味か、とか、それをちゃんと測定出来るか、というのを考えて、実際に実験や観察をしてみれば、色々な結果が得られるでしょう。

ただ、注意しなくてはならないのが、それは「ゲーム脳」についてどうこう、という話とは異なる、という所です。元々ゲーム脳という言葉は、森氏が作ったものです。だから、森氏がきちんと、この言葉はこういう意味である、というのを明らかにしなければなりません。ところが、上にも書いたように、森氏は、それをやっていません。ある所では、単に前頭前野の機能が低下している、と言い、別の所では、すぐにキレるとか物忘れが激しくなる、等の傾向を言い、また別の所では、森氏の脳波計によって出されたグラフのパターンの一種を指す場合もあります。

つまり、正確に言うと実は、「ゲーム脳」=「前頭前野の機能低下」では無い、という事です。ですから、「ゲーム脳が正しいか間違っているか」=「前頭前野の機能が低下しているかどうか」、という事でも無いのです。

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2008年6月16日 (月)

あるとか無いとかじゃあ

「ゲーム脳」ってですね。

あるか無いか、では無くて。

「間違っている」のです。

問題設定の仕方の不備や定義の不明確さ、恣意的なデータの解釈、全体的な論旨の破綻。

森氏は、ゲーム脳とはこれこれこういう状態である、というのは、厳密には定義していないんですね。文脈によって、担わせている意味が異なっているし。※詳細は、当ブログの、ゲーム脳本を読むシリーズを参照して下さい。

だから、たまに見られる、「ゲーム脳」が無いと確かめられた訳では無いのでは、とか、「実はあるのかも知れない」、という意見は、あまり当たらないんですね。

たとえば、わざわざ森氏の主張を解釈し直して、ゲーム脳を、ゲームが心理学的に与える影響と看做したりする意見も見る事がありますが、それも違うんです。同じように、定性的に、「前頭前野の機能低下」をゲーム脳としたり、「ゲームのやり過ぎで認知症状態になる」のをゲーム脳としたりするのもそう。

そういう、森氏の主張から一部を切り取って「ゲーム脳」を論ずるのは、実は良くない。何しろ「ゲーム脳」は、そもそも森氏の造語なのだから。造語したのに明確な定義が存在しない、というのがゲーム脳論の肝である、と私は考えています。

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2008年4月27日 (日)

少々マニアックな喩え

森氏のゲーム脳説、ピカピカに、パール・グロス塗装をしたいのに、サフの下地が梨地のまま上塗りをした、そんな感じ。
いや、その前に、400番のペーパーでガシガシやってサフを吹き付けた、というレベルか。

一番最初の前提が間違っているから、上に何を積み上げようとも、無駄なのですよね。本来は、「話にならない」、で終わりなのですが、上塗りの、「一見ピカピカ」の所を見て、信用するのでしょう。目を凝らしたら、荒れが見えるのにね。

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2008年4月18日 (金)

ゲーム脳関連2つ

きび談語:少年事件を取材していると… /岡山 - 毎日jp(毎日新聞)

GJ。

短い記事だけど、なかなか光る。

さて、次は非GJ(tabitureさんはGJ)。

アルファ’s blog(仮

森昭雄氏の講演のレポート。詳細です。

相変わらず、同じような事を言ってまわっているのですね、森氏。

講演、年数十回、か…。悩ましいね。

内容は、相変わらず、突っ込み所満載ですね。リンク先をご覧下さい。

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2008年3月23日 (日)

批判の姿勢

私はゲームユーザーで、ゲーム脳説が流布された事で迷惑を被る当事者になり得る人間な訳ですが、そういう人間が批判活動を行う際には、えてして感情的になりがちです。

だから、それはかなり抑えて、批判を行っています。森氏に対しても、出来る限り丁寧に、人格批判に向かわないように、気を遣っています。

本当は、あれほどの説を流布した人なのだから、ある程度罵倒されても仕方が無いんじゃないか、と思うんですよね。本音としては。やっぱり、そういうのは考えます。

でも、それでは、批判としての効果が薄れる可能性があるので、自制しています。かなり強く。

当事者が批判をすると、見てる人が引くかも知れないんですよね。何でここまで? っていう感じで。私の今の態度ですら、そう受け取られる事はあると思います。でも、私としては、これくらいが限界です。これ以上感情を抑えた書き方をすると、今度は淡々とし過ぎてしまうんじゃないかな、って。

------------

話は替わって。

一昨日の、川端さんのブログに言及したエントリーに関して、ちょっと付け加えます。

書くべきが迷いましたが、書いてみます。

私は、元村氏が、あれほど言われる(た)のは、期待をされている(た)から、だと思います。
もっと言えば、「もし今からゲーム脳についてきちんとしたものを書けば、賞賛します」、という含みがある。少なくとも、私はそうでした。後一歩踏み出してくれたとすれば、けじめをつけたその勇気に、敬意を表したい。そして、あの連載が始まった時には、今書けばまだ間に合う、という、そういう思いがあったんじゃないかな、と。

何故、(た)と書いたか。

もはや、元村氏に強い期待は抱いていないから、です。川端さんは、数日前に、私が言及したエントリーを書かれた訳ですが(だから言及した。今更元村氏に感情的に思う所がある、と推測されると、誤解を生む虞もあるから)、元村氏が期待されていたのは、昨年の話な訳で。
そういう意味ではもう、遅きに失した、のかも知れない。

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2008年3月22日 (土)

どこまで求めるか

ちょっと気になりました⇒リヴァイアさん、日々のわざ: 理系おたく?

私は、書評をした事は無いですが、元村氏の姿勢に関しては批判的に考察しているので、ちょっと触れてみようかと。

しかし、ネットの書評ぐぐってみたけど、辛辣なのが多い。
ゲーム脳関連で、いまだに恨みを抱く人が多い模様。でもね、それをバネにして、「理系白書」などに進んだことなんぞも是非評価してください、と思いました。

確かにそうなのですが、なかなか難しい所もありますね。昨年の記事をどう評価するか、とかね。あの連載があったのは、肯定的に評価されてしかるべきだと思います。だけれど、もう一歩踏み込んで欲しかった、という思いもある。要求し過ぎでは、と言われるかも知れませんが、真っ先にゲーム脳を報道したのは、事実な訳ですからね。遊鬱さんと同じような意見です。何かに害がある、という情報の方が、それは実は妥当では無かった、という情報より、圧倒的に流布しそうですしね(妥当で無かった、というのは、害が無い、というのを意味しないし、害が無いと言うのは一般的には無理だから)。

恨み、というのは、どうなのでしょうね。積極的に書評する人が、そういった感情から、というのはあるのかな。別に自分の事を言われた訳では無いけれど、私自身は、そういう感情は持っていないです。恨み、と言うより、苛立ちとか、そっちの方が近かったかな。で、おかしいと思った所には批判はするし、それはやっぱり、必要なんじゃないかな、と。

このブログで書いた、元村氏に言及したエントリー(コメント含む)を、いくつか貼ります。

Interdisciplinary: 予測

Interdisciplinary: なにで書く?

Interdisciplinary: 理系白書にゲーム脳

Interdisciplinary: 偏った見方かも知れないけれど

当時はそうでも無いと思ってたけど、結構感情入ってますね。あんまり良くないな…。

あ、川端さんのブログ、TB閉じてるんでしたね。忘れてた…。

ところで、ゲイムマンさん、グッドアイデアですね。

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2008年3月19日 (水)

終わった

連載、キリが悪く9回で終了(笑)

ご批判、よろしく・・。

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2008年3月11日 (火)

ゲームとの付き合い方

ファミ通DS+Wii増刊 2008年4月号 ゲームスコ×ゲームスメ ファミ通DS+Wii増刊 2008年4月号 ゲームスコ×ゲームスメ
販売元:セブンアンドワイ
セブンアンドワイで詳細を確認する

画像付きのリンク無かった…。

この本、ちょっと読んでみました。

凄く良い内容だと思います。ゲームとの付き合い方を考えていきましょう、という本で、色々な親子の方針を紹介してたり。

馬場章氏が、ゲーム脳等の、ゲームが及ぼす影響について語るインタビューがあって、これも良かった。

ただ、ちょっと残念だったのが、この本、私が行った書店では、ゲームコーナーにあった所。そういうコーナーには、ゲームに興味がある人が行くでしょうから、他に、育児書のコーナーとかにも置いた方がいいんじゃないかな、と。ちょっともったいないと思いました。書店によっては違うのかも知れませんけれど。

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2008年3月 7日 (金)

参考資料:『ゲーム脳の恐怖』を読む(5)

「『ゲーム脳の恐怖』を読む(5)」で紹介したグラフ(B)を引用します(P70)。

スキャナを持っていないので、携帯電話で撮影しました。見辛いかもしれません…。クリックで拡大出来ます。

Gmbg

で、何度もこれを見てみたのですが、このグラフが何を表しているのかが、よく解らないのです。という訳で、お読みの方のお知恵を拝借いたしたく…。不明な箇所(森氏がどう説明しているか、等)がありましたら、コメント欄でご質問を頂ければ、調べて引用なりをしてお知らせします。

結局、横軸の単位が間違っているのではないか、というのが、私の考えなのです(だから、何を表しているか不明、と書きました)。Aグラフをヒストグラムにしたもの、という説明がある事からも、横軸が割合を示しているのではないかと。とすれば、縦軸を度数と考えて、何とかAグラフと整合するかな。

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2008年3月 5日 (水)

『ゲーム脳の恐怖』の書評に見る、ダメな批判および的外れな擁護、の例

批判というものにも当然、ダメな批判、つまり、批判自体がおかしい、という場合があります。また、批判されているものを擁護する際にも、的外れになっているものも、少なくありません。

そこで、『ゲーム脳の恐怖』の、amazonの書評を検討する事によって、それらの例を見ていきたいと思います。

amazonの書評にも、いわゆる「釣り」的なコメントがある訳ですが、そういう所は考慮せず、全て真剣に書かれたものとして捉え、検討します。

もちろん、採り上げる私の考えそのものがおかしな場合もある、という事もあるでしょう。その場合には、ご批判を頂ければありがたいです。

ゲーム脳の恐怖 (生活人新書) Book ゲーム脳の恐怖 (生活人新書)

著者:森 昭雄
販売元:日本放送出版協会
Amazon.co.jpで詳細を確認する

「評価の高い順」でソートし、星の多い方から検討します。

そこでよく見られるのが、「ゲームが有害で無いとは言えないのではないか」、とした上で、本書の擁護をする論調です。批判はあるが、ゲームの危険性に目を向けさせる役割があったので良いのではないか、という具合です。

しかしこれは、的外れです。

まず、本書を批判している人は、必ずしも、「ゲームの有害性」そのものを否定している訳ではありません。そもそも、有害性という概念自体が、どのような観点で、どう定量的に捉えるか、という所を考えなければならないものなのです。「有害性が全く無いとは言えないのではないか」、というのは、論理的にはその通りですが、それは、あらゆる物事について、言える訳ですね。

また、「森氏が言っている事はまとも」、という書き方をしているものも、あります。

これは、基本的な生活習慣に関する部分「だけ」を見て、その他の部分は捨象してしまっています。たとえば、「身体をよく動かす事が大事」、という記述があれば、そこをクローズアップして、「まともじゃないか」、と考える訳です。ところが、普通は、「全く一つもまともな事を書かない」、などというのは、あり得ないのですね。常識的な事を二つ三つ書けば、それは「まとも」と言えるのですから。本書の問題は、それを、脳波の状態などで、根拠不明確なまま説明してしまおう、という部分なのです。

他によく見られるのが、「実感」を元にした意見。

たとえば、塾の講師の意見であるとか、身近の子どもに対する「印象」によって、「ゲームは害を及ぼす」、という主張。

これは、二重に間違っています。つまり、1)自分の経験を過度に一般化している 2)仮に、子どもが変わったというのが妥当だとしても(仮定)、それが「ゲーム」のせいであるかは、また別の問題  という事です。

小さな子どもを持つ方に薦める、という意見もあります。私はこれには、明確に反対します。理由は、このカテゴリーの記事に、散々書いてありますので…。

テトリス(パズルゲーム)が、ゲームの適切なサンプルである、という意見もありますね。つまり、ゲームに共通する部分を取り出すと、パズルゲームの要素が残る、という主張。これも的外れです。何故なら、「ゲーム(コンピュータゲーム)」はそもそも、多様なあり方をしている文化現象そのものを指している概念なのですから。この例は、過度の単純化、と言えるでしょう。

次に、一つレビューを引用してみましょう。※文字修飾は、はずします。コメントの一部を引用

冷静に読めば,えるところのある本, 2007/10/22

しかし,論理に不完全な点があったり,おもいこみにもとづいて書かれた部分があるのはこの本にかぎったことではない.この本を冷静に読めば,著者がそんなにバランスを欠いた主張をしているわけではないことがわかる.

仮にも、学術的研究成果を披露する著作なのですから、論理的整合性や科学的客観性は、必須不可欠の条件であり、それを蔑ろにして良い訳がありません。また、論理的に不完全な本が他にもあるから――、というのは、おかしいですね。他に論理性の欠如した本があれば、それも批判されて然るべきである、と考えなくてはなりません。

ここから、(的外れな)批判的意見を採り上げます。※ほとんどは、妥当な批判だと思います。擁護する意見は、それ自体少ない訳ですけれど。

「ゲーム脳などあり得ない」、という意見がありますね。これは結構、難しい所。そもそもまともな定義らしきものが存在しないものなので、その意味で、そんなもんあり得ないよ、と言うのは、正しい。だけれど、それを主張する際、「ゲーム脳」に、「ゲームの有害性」という意味を含ませている場合には、それはあり得ないとは言えない、という事になります。まあ、これは、少々複雑な問題なので、立ち入るのはよしましょう…。

よく見られるのが、「自分はゲームをよくしていた(る)が、特に問題は無い」、という意見。これはまず、自身が問題無いと思っているのが妥当とは限らない、という所がポイント。で、それが妥当であると仮定しても、だからといって、それが理論の反証になる訳では無い、という事ですね。ゲームをやる人間が全ておかしくなる、という主張ならともかくも、そういうものでは無いのですから、一つの事例は、参考資料にしかならない、という事です。これは、「元々主唱者が何を言っているか」をきちんと把握していないが故の、的外れな反論と言えるでしょう。

斎藤環氏の文(正確には、インタビューの記事)を、それと明示せず抜粋しているのがあるな…。何やってんでしょ。

皮肉を含めて批判する、というのは常套の手段ですね。私もやる事があります。これは、加減が難しい。一歩間違うと、単なる罵倒になりかねないので。

標本サイズが小さい、という意見。必ずしも、人数が少ないからダメだ、という事では無いですよね。実験の内容や学問分野を検討した上で、考えなくてはならないと思います。医学や心理学等では、小サイズのサンプルというのはよくある事でしょうし、統計学的厳密な無作為抽出というのは、不可能な場合が多いだろうから。その場合には、母集団をきちんと限定したり、どのようにサンプリングしたかを明記するなりの配慮が、必要ですけれど。一事例研究のようなものもあるしね。あ、もちろん、森氏の研究では妥当だ、と言ってる訳じゃ無いですよ。

ああ、後、実験データが詳しく公開されていない、というのをどこまで突っ込むか、の部分も、結構難しいですね。新書ですから、ある程度省略して記述する、という言い分も、理解出来ますので。サンプルサイズとかサンプリングの仕方くらいは、必須だと思いますけれど。本書は、あまりにも足りない、という印象は持っています。

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大体、こんな所でしょうか。

これは、他のニセ科学に対する批判を考える際にも、敷衍出来るのではないかと思います。批判の内容は妥当か、とか、擁護の仕方がどうおかしいか、というのをきちんと考えるのも、大切ですよね。

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2008年3月 4日 (火)

思案中・・・

えっと、連載の方、続きは、もうちょっと後になりそうです。

どういう風に書くかを考え中。次章以降は、生理学や心理学のテキストと森氏の主張のサンドイッチ構造のような感じなので、検討が難しいですね。教科書に書かれてあるのをそのまま持ってきたような所もあるし。

ゲーム脳の核の部分(α波とβ波の比で痴呆症が判定出来る。同様の脳波が観測されれば「ゲーム脳」と判断する、という主張)だから、丁寧に論じたい所ではありますが、神経科学的にどうおかしいかをきちんと指摘するのは、なかなか困難です。知識不足な部分もあるし。斎藤環氏の批判等へのリンクを貼って紹介し、自分では論理的な矛盾を指摘する、という方法もあるかな。

ところで。ご存知無いへの紹介がてら。

恐らく、ゲーム脳説の根源とも言えるのが、CiNii - 脳波による痴呆の解析だと思われるのですが、この論文を検討された方はいらっしゃるでしょうか。また、大友氏が医学界でどのような評価を受けているのかをご存知の方がおられたら、教えて頂ければ幸いです。※参照(いずれもコメント欄):リヴァイアさん、日々のわざ: 町田市でゲーム脳講演  リヴァイアさん、日々のわざ: 森氏の業績(?)一覧

まさに、ゲーム脳が生み出されるきっかけとなったもの言えるので、重要だと考えています。参照:Interdisciplinary: 自己中心 ←森氏と大友氏の主張が、全く同じ構造である事が、見て取れる。

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2008年3月 2日 (日)

n_ohsakiさん用

以後、コメントは、こちらに書かれますよう。

他のエントリーへのコメントした場合、全て削除します。

安原さま

森氏の個々の見解についての的確さを欠いた点は同意できます。しかし問題提起としてはいいのではと思います。

川島隆太氏が自分のお子さんがビデオゲームをやる時間に制限をつけています。

ゲームをやることでどう脳に影響が出るかについてのデータを出されておりそれについて是非をいわれていませんが、子供に制限を加えています。

実験データと子供に対する態度は一致していません。周囲としては、どちらを信するのでしょうか?

様々な脳研究者にアンケートをとって実際自分の子供にどれくらいまでの時間ならやらせても大丈夫と思うか訊いてみたいです。

認知症の当事者意識ですが、自分がなったら嫌ですよね。ではどういう心がけをするかです。なってしまったら対処が難しい。だから今から心がけたいのです。

国際聖路加病院名誉医院長の日野原先生は、かなりの高齢にも拘らずそういった気配がありません。

どういう生活態度なのか是非知りたいですね。

投稿 n_ohsaki | 2008年3月 2日 (日) 01:16

別エントリーへのコメントです。こちらに置きます。元のコメントは非公開状態とします。あのエントリーは(も)、真剣に書いておりますので、このようなコメントを置いておく余地はありません。

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2008年2月26日 (火)

『ゲーム脳の恐怖』を読む(1)

先日お知らせしましたが、森昭雄氏の著作、『ゲーム脳の恐怖』の内容を検討するシリーズを、始めます。不定期の連載になると思います。

今更? と思われる方もおられるでしょうけれど、ゲーム脳説は、現在ある程度流布されており、森氏の講演会や、ゲーム脳をテーマにしたイベント等も、たびたび行われています。そういう状況を鑑みれば、森氏が著作で何を主張したか、というのを検討するのは、決して意味の無い作業では無いと考えます。

カテゴリーとして、「『ゲーム脳の恐怖』を読む」を追加します。

引用文は、特に断らない限りは、森昭雄 『ゲーム脳の恐怖』(NHK出版)からのものです。

強調部分は、引用書の見出しを示します。

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前書き

まず、ファミコンの誕生、いくつかの有名ソフトの紹介および、ゲームハードの出現の大まかな歴史を、紹介しています。その後に、ゲームの悪影響についての指摘がある事を紹介し、木村文香氏の論考を引用し、テレビゲームの真似をして傷害事件が起こった例を挙げています。

次に、森氏が、幕張メッセで行われたイベントに行き、そこで見たコスプレをした少女にショックを受けたエピソードが、紹介されています。

 昨年、幕張メッセで開催されたテレビゲームショーに行くチャンスがあり、見学してきました。その会場の異様な雰囲気に私は驚き、ショックを受けてしまいました。というのも、中学生風の女の子が、左右に立派な白い羽をつけたエンジェルの格好をして、真面目な顔で歩いているのです。しかし、会場をよく見回してみると、テレビゲームのなかに出てくるキャラクターそっくりの衣装に身を包み、無表情で歩いている小中高生が、彼女のほかにも百人前後いることに気がつき、再度ショックを受けました。(P4・5)

この引用文から、森氏が、恐らくコスプレという文化に無知である事が、窺えます。更に、印象として、「異様な雰囲気」、「無表情で歩いている」、等の表現を用いています。この後森氏は、その印象を元に、将来の日本についての危機感を表明しています。

 このとき、私はこの子たちの将来、そして日本の未来はどうなってしまうのだろうかと心配になってしまいました。本当に自分が別世界に来たみたいで、自分の意識を一瞬疑ってしまいました。(P5)

この文章から、森氏が、自身の知らない文化について、その内容を調べようともせず、「印象」のみをもって評価し、その印象を不当に一般化しているのが、見て取れます。

さて、森氏はこの後、自身の研究によって脳波が容易に記録出来るようになり、その方法によって、テレビゲームや携帯ゲーム中の前頭前野の活動を調べた結果を纏めた、と主張します。そして、その結果から、

驚くことに、テレビゲームのなかには前頭前野の脳活動をあきらかに劇的に低下させるものが多いことがわかったのです。このままこれを放置していると、テレビゲームに熱中しすぎる子どもたちは、キレやすく、注意散漫で、創造性を養えないまま大人になってしまうと思われます。さらに若年性痴呆症状態を加速する可能性が高くなるのではないかと危惧しています。(P6)

こう結論しています。ここで注目すべきなのは、キレやすい、注意散漫、創造性を養えない、という心理学的な悪影響および、「若年性痴呆症状態を加速」するという、医学的悪影響が、明確に主張されている所です。

この後には、IT革命による、「子どもたちの限りない潜在脳(ママ)力を削ぎとっている可能性」(P6)への懸念を表明し、五感を駆使し、人と触れ合う事の大切さを主張します。そして、飼育していたカブトムシが死んでしまい、親に、「電池を交換すればいい」と言う子どもの例(森氏の友人の話として紹介)が挙げられ、「この話に私は非常に強い衝撃を受けましたが、子どもの脳に異変が生じていることは現実なのです」(P7)としています。当然、生き物が死んだのを見て電池を交換すれば良いと発言する事は、脳の状態について推測する材料には、特にならない訳ですが、森氏はそこも、強引に結び付けています。

次回へ続く

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2008年2月24日 (日)

ちょっとお知らせ

その内に、再び森氏の著作を採り上げて、論評しようと思っています。多分、本を丸ごと一冊検討しますので、長~い連載になります。

随分前からやろうと考えてたのですが、なかなか手をつけられず。

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2008年2月18日 (月)

ゲーム脳の説明

興味深く、そして、悩ましくなる事例⇒完全否定されている「ゲーム脳仮説」 パラダイムシフト ~アヒルがウサギに見える日~/ウェブリブログ

これは、ゲーム脳がニセ科学と解っている方が近親者にそれを説明しようとしたが、困難だった、というケースですね。

「そんな難しいことを言われても、分かんないわよ。要は親としたら、子供がゲームをやりすぎたら不安なわけよ。その不安を解消してくれた説なんだから、みんなにウケているんじゃないの?」

「まあ、それはそうなんだけど、間違った学説を拠所にして子供をしつけるというのは、科学的な態度であるとは思えないのだけれど…」

「あなたは科学オタクだから、細かいことばっか気にするのよ。子供がゲームをやりすぎたら困るんだから、いいのいいの」

これは、養育者の立場からのゲーム脳説の見方、つまり実感なのですよね。

悩ましいなあ。

そして、この悩ましさが、ゲームをやらない人には全く理解されないであろう、というのを考えると、更に悩ましくなる。ゲーム脳説を安易に用いると、ゲームをやる事自体をネガティブに捉えたり、本来他に考える必要のあるものを見逃したり、という事をいくら言っても、でも、ゲームをやらないようになるならいい、と返されると、困るだろうなあ。

自分の好きなものと「ゲーム」を入れ替えて考えてみるように促しても、難しいのでしょうね。

私自身の考えは、「ゲームをやり過ぎるとバカになる」、というのは、「スポーツをやり過ぎると身体を壊す」という程度と同じような意味合いで用いられるならば(一般論として、何かを「やり過ぎる」と、それに用いられるものが消耗するのは当たり前だし、それ以外の事が出来ない、というのも当然なので)、ギリギリ「あり」かも知れない、というものです。だけれど、とても残念な事に、ゲームは、ファミコンがヒットした頃から、その害悪が、「本気」で指摘されてきたものなのですよね(脳が壊れる。問題行動や犯罪の原因、等)。しかも、根拠不充分に。更には、ゲーム脳説のように、「科学を装っている」ものまで現れた。だから、かなり言葉の使い方に「拘っている」と思われるような事も、書いています。実際、事件の原因をゲーム(やアニメやマンガ)に押し付ける事が、起こる訳ですからね。慎重にならざるを得ない。

スポーツばかりやると脳が破壊されてしまう、と言われたら、誰も賛同しませんよね。スポーツって言っても色々あるぞ、とか、周りにどんな人間がいるかで違うぞ、とか。そうならないのは、普及・認知の仕方が全然異なるからなんでしょうけれど。

冗談で、「ゲームばっかやってるとバカになるよ(笑)」なんて言える世の中になればいいんですけどね。そういう使い方をするのは、どっちかと言うと、ゲームのユーザーなんじゃないかな。半ば自虐的なね。それを冗談では済まさなくしようとしている人が、いるんですよね。窮屈なものです。実際、私は、ゲーム脳を冗談で使う事があります。でもそれは、ゲーム脳がニセモノだと知っている人同士の間でだけ、です(←自虐的な所もある)。それ以外の場で使えはしない。

※リンク先での例は、家庭でのやり取りの様子を書いたものなので、「親しい人同士の会話の場」であった、という事は、考慮すべきだと思います。それを文字にする事によって、実際の場の雰囲気よりも、読み手によって、印象がネガティブになってしまうおそれがあるでしょう。ですから、本エントリーはあくまで、子を持つ養育者に、ゲーム脳がどう捉えられているか、という事例を紹介するのが主旨である事を、明記しておきます。

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2008年1月14日 (月)

「上手に付き合う」?

[ゲームと上手に付き合おう 八代・宮地小 児童と保護者ら勉強会] / 熊本 / 西日本新聞

そのような煽り方をしておきながら、うまく付き合う、とは、全く不可解です。

井上会長は「大事なのは、子どもたちをゲームやテレビから無理に遠ざけるより、どうすればうまく付き合えるかを考えること。うちの子を含めて『ゲーム脳』にならないよう、家族や地域でゲームを考える機会になればいい」と話した。

ゲーム脳説を持ち出す事そのものが、「ゲームを無理に遠ざける」のと同じである所に、気付いていないのか。理解しがたいですね。

提唱者が、曖昧な態度(ゲームにもよる、という意見を主張。脳トレに関する記事にて)を示した事実すら、あるのにね。

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2008年1月 7日 (月)

外食とゲームのアナロジー

ゲームは脳に悪い、と言うのは、外食は身体に悪い、と言うのに似ている、と思います。

別に、外食という名の食べ物がある訳では無いのですよね。意味としては、家の外で食事する、というものだから、食事の内容なんて、色々ある訳です。外食が、なんて、一般化出来るはずが無い。

ですから、本来は、その中身を分類し、カテゴリーごとの影響とかを調べるべきなんですよね。それをせずに、無理矢理一般化するから、おかしな事になる。そのおかしな主張を正当化するために、論理展開も強引になってしまう。

そんな感じなんじゃないかと。

※普通、外食が身体に悪い、と発言する場合には、家の外で食べるという事は、好きなものに偏りがち→栄養も偏る→身体に悪い  という感じのロジックを前提としているのだと思います。まあ、それ自体、特に妥当では無いと感じますが。家で食べる方が偏ると思うんですけどね。下手に自分で作るより、飲食店で作られた料理の方が美味しいし、バランスも考えられてるだろうし。健康に気を遣う人は、良さそうな料理を作る店に通うだろうし、無頓着な人は、家で作る時も、適当になるんじゃないかな。

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2007年12月18日 (火)

取り組み

山陰中央新報 - ノーテレビ実践 松江の家庭ルポ

 ゲーム漬けで脳機能が低下する「ゲーム脳」に警鐘を鳴らす講演を聞いたの機に、玉湯幼稚園の保護者がゲームの機会を減らそうと結束。子どもたちは最初は「なんで」と不満そうだったが、じきに外で鬼ごっこをしたり、おもちゃで遊んだりするようになった。(引用は、原文ママ)

うーむ。この時点で、何か重大な事を、見落としているような。

子どもたちは他家でゲームに触れる可能性があるため、成功のカギは一家庭にとどまらない「地域ぐるみでの取り組み」だと実感したという。

そこまでして、ゲームから離すのか…。

ゲーム時間を減らす事そのものには、別に反対はしません。リズムを作るのは、大切かも知れないし。でもそれは、地域ぐるみでやる事なのだろうか。しかも、わざわざ、ゲームとテレビに限定して。

中2は平日平均118分、休日同147分で、全国より9分と5分長かった。

9分と5分…。ばらつきは?

時間を減らすのはいいけど、せめて、「嫌わせない」ようには配慮して下さいね。積極的に遠ざけると、それを嫌悪する、というのは、往々にしてありますから。

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2007年10月23日 (火)

新説?

先生と青い鳥: ゲーム脳

これは新しい。

あまりにも新しいので、思わず唸りましたよ。

いや、似たような事を言っていた人が、いた気もしますが、ちょっと憶えて無いですね。

ともかく、新しい。

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2007年10月12日 (金)

どうしてだろう

医学の専門家の方に、ゲーム脳についてどう考えているか(理論的な考察とか、森氏の論の展開についての具体的な考察とか)、訊いてみたいですね。

と言うのも、小児科の医師とかが、ゲーム脳について肯定的に取り扱った講演会を行っているという情報を、たまに見かける事があって、「(主に生理学等の)総合科学の専門的トレーニングを積んだ人が、ゲーム脳を肯定するのは、どういう論理からなのだろう」、と考える事があるのですよね。ゲーム脳レベルの主張は、それこそ、素人でも解るような脆弱な論ですよね。専門家といっても、色々なバイアスがあるのは判るのですが、それにしても、程度というものがありますよね。免許を持っている人は、少なくともエンストはさせないだろう、というレベルの(しかも医師は、モータースポーツのプロとか、一流のタクシー運転手とかに、なぞらえられるでしょう)。ゲーム脳って、そういう段階の話では無いのですかね。

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2007年9月16日 (日)

やりとり

『お水のお店』 omizu_nooMISE 海洋深層水 マハロ:ゲーム脳と読書 ~誉めて育てる

コメント欄が興味深い。

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2007年8月27日 (月)

答えを貰った子は…

はてブ経由⇒全国こども電話相談室[にんげん・せいかつ]

…。

2002年かあ。出始めの頃ですね。

他に色々な質問がありますねえ⇒全国こども電話相談室[にんげん・せいかつ]

素晴らしい問いばっかりだ。

答えるに相応しい人を、ちゃんと選ばないとね。

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2007年8月23日 (木)

ゲーム脳は何故ニセ科学か

社会学玄論 : 疑似科学批判の基準のコメント欄で、きくちさんが、ニセ科学のパターンを、4つ挙げておられます。(Commented by きくち at 2007-08-22 23:11)

基準が多様になってしまうのは必然的で、たとえば擬似科学には(1)反証不可能でポパー的に見て科学ではないもの(2)反証可能なだけではなく、すでに反証されてしまっているもの(3)反証可能で直接には反証されていないが、他の科学知識と整合しないので反証する必要のないもの(4)反証可能だが実証も反証もされていないにも関わらず実証されたものであるかのように詐称しているもの、などさまざまなパターンがありうるからです。

さて、この例に照らすと、ゲーム脳は、どれに当てはまるでしょうか。

まず、「(1)反証不可能でポパー的に見て科学ではないもの」です。森氏の主張は、ゲームを長時間すると、前頭葉の機能が低下し、認知症と同じ様な状態になる、というものですね。その仮説に矛盾する命題は、簡単に導かれるので、反証不能であるとは言えないでしょう。長時間ゲームをやって、脳機能が低下しない事が観察出来れば、反証されます(論理を単純化すると)。

次に、「(2)反証可能なだけではなく、すでに反証されてしまっているもの」 どうでしょう。これには当てはまるでしょうか。ゲーム脳仮説そのものの検証は、長時間ゲームをやらせ、その際の脳活動のイメージングのデータを採り、認知機能のテストを行う事によって、行えると考えられますが、そういう研究は、恐らく無いと思います。松田剛氏の研究は、ゲーム中・ゲーム後の脳活動のイメージング研究ですし、その他の社会心理学的研究等も、ゲーム脳説の論証では無いので、「反証された」とは言い切れないのだろうな、と思います。間接的な反証の材料にはなるかな、とも考えますけれど。もちろん、森氏がまともな論文を出していないので、それをわざわざ検証する必要など、無い訳ですが。

「(3)反証可能で直接には反証されていないが、他の科学知識と整合しないので反証する必要のないもの」、はどうでしょう。ごく慎重に考えると、ゲームを長時間して脳機能が低下する、というのは、全く他の知識と矛盾する、とは言い切れないのかな、とは思います。ただ、現在の神経科学・心理学等の知見から、長時間の光刺激やらの悪影響を整合的に説明する仮説が、構築出来るのだろうか、というのは、疑問です。もちろん、乳幼児期に、ゲームばかりやらせていると、他の刺激が抑制され、双方向的なコミュニケーション能力が育たないため、発達に悪影響を及ぼす、という主張もある訳ですが、それが、森氏の言う「ゲーム脳」説と同じものなのか、という疑問も出てきます。そもそも森氏は、まともに概念を定義してすらいないので、ここら辺は、ややこしい所です。

「(4)反証可能だが実証も反証もされていないにも関わらず実証されたものであるかのように詐称しているもの」 これが、ゲーム脳をニセ科学と断言して良い理由の一つですね。上にも書いた様に、「反証されている/いない」は、どう判断すればいいか、ちょっと悩ましい所ですが、「実証されていない」というのは、はっきり言えます。それは、・ゲーム脳説に関するまともな論文が無い事 ・『ゲーム脳の恐怖』の内容が、論理的な矛盾、データの恣意的解釈、経験による印象の過度の一般化に満ちている事(ゲーム文化そのものに対するまともな考察も、皆無) ・森氏が、各所で、ゲーム脳説が実証されたものであるかの如く(講演会や、マスメディアのインタビュー等で)触れ回っている事――等から、導けます。

血液型性格判断は(2)、水伝は、(1)もしくは(3)ですね。マイナスイオンは(4)でしょうか。ゲーム脳は、最も慎重に考えると、(4)になりそうです。そもそも定義がはっきりしない、というのも、押さえておくべきですね。

ニセ科学と一口に言っても、色々なものがあるのですよね。もちろん、現在(4)の理由によってニセ科学と判断されているものであっても、今後、科学的知識として認められるという事は、起こり得ます。現在実証されていないにも関わらず、それがなされたかの様に主張され、流布されたものが、ニセ科学なので。

という訳で、ニセ科学と科学の間に、明確な線引きを行う事は出来ない。それは、社会状況とも関わってくる問題である、というのは、よく認識しておくべきだと思います。

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2007年8月18日 (土)

おとなのリテラシー

ちょっと不機嫌モード。

森昭雄氏に講演を依頼したり、説を肯定的に採り上げてるのって、マスメディアじゃないんですよね、今は。教育委員会だとかの、直接、教育に携わる人達なんですよね。TOSSもそうでしたね。

はっきり言って、「そっち」の人達のリテラシーはどうなっとるんだ、と思います。学力低下がどうこうとか言っときながら、ゲーム脳を(肯定的に)採り上げるなんて、噴飯物だとは思いませんか。 科学リテラシーを向上させるべきは、若い者だけか?

数ヶ月に一回のペースで、森氏の講演会が催されるなんて、どう考えても、おかしな話でしょう。主催者側は、なーんも調べて無いのでしょうね、事前に。調べた上で、「賛否両論だが…」なんて判断をしたのであれば、認識力が著しく欠落している、って事です。両論ある事だけ理解して、両論の中身を検討しないのだから。

ちゃんと理解しようともせず、直感を補強しそうだからと(これまた直感的に)飛びつく。そういう姿勢を見て、大人は解って無いな、と溜息をつく若者がいるって事に、気付いた方が良い。

ゲーム脳説を蔓延らせているのは誰だ?

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2007年7月22日 (日)

できる子

こんな本が出てたんですね⇒アスコム:できる子は10歳までに作られる

七田式も採り上げられているんですね。もちろん、一般の養育者向けの内容なんでしょうけれど。

【楽天市場】できる子は10歳までに作られる:楽天ブックス

↑ここを見ると、ゲーム脳の話が書いてあるみたいです。どんな扱われ方しているのかな。

話は替わって、いつも思うのですが、篠原氏、テレビにしても何にしても、安易に出過ぎじゃないですかね(この本は読んでいないので、内容解りませんが)。氏は「科学者」ですから、望むと望まざるとに拘らず、ある程度の権威付けがなされると思うのです。それを視聴者や制作者の責任だ、と言ってしまえばそれまでですが、もう少し、どう捉えられるかを、考えた方がいいんじゃないかなあ。川島氏にも、同じ様な印象を持つ事がありますが。

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2007年7月14日 (土)

無関心?(※消去済みです)

※言及先のブログの管理者様のご依頼により、本エントリーは、消去いたしました。

理由は、私が、誤読をした上で、的外れな批判をしてしまった事により、大変ご不快な思いをさせてしまった為です。

改めて、言及先のブログの管理者様、及び、閲覧者の皆様に、お詫び申し上げます。申し訳ありませんでした。

コメント欄も、一部非公開とします。

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2007年7月13日 (金)

ゲーム脳の恐怖(5)´

Interdisciplinary: ゲーム脳の恐怖(5)

B-1:そもそも「テレビゲームとは何であるか」という視座が無い。(「テレビゲームの心身に与える影響」等を論ずる際に、最も重要である視座)

について、です。(森昭雄:『ゲーム脳の恐怖』,2002 参照)

「ゲームが脳に悪影響を与える」とか「ゲームは人間を暴力的にする」といった主張を見聞きした時、ゲームを良くする人は、次の様に考えるでしょう。他に、ゲームは暴力性を高める、とか、ゲームをやると頭が働かなくなる、とか、色々あります。

「”ゲーム”と一口に言っても、色々なジャンルがあるし、同じジャンルでも違いがあるのに、それらを一括りにして”ゲームの影響”と短絡するのはおかしい」と。ゲームの多様さ。

これは至極もっともな反論です。しかし、この様な反論にはお構い無しに、ゲーム否定論者は、「ゲーム」の悪影響論を展開します。ゲーム批判者も、「全てのゲームでは無い」と一応断りを入れる事もありますが、それにしては、批判の仕方が扇動的であると、私には思えます。

「ゲーム」が脳に与える影響を確かめるためには、先ず「ゲームとは何か」ということを明らかにし、それがどの様な特有の性質をもっているか、を明らかにしなければなりません。即ち、「ゲームを定義する」という事です。これは重要です。そうで無いと、何について調べているのかが、判らない。

そしてその上で、ゲームのどの特性が、どの様なメカニズムで脳に影響を及ぼすか、ということを論証する事が必要なのです。詳細なメカニズムはまあ、後回しでも構わない訳ですが。言い換えると、その様な検証を行うことなく、ゲームの悪影響等を論ずる事は出来ないのです。そうであるのに、ゲーム否定論者は、「ゲームとは何か」を明らかにせず、概念を曖昧にしたまま、悪影響が云々と言います※。『ゲーム脳の恐怖』でもそれは同様です(本書を通読すれば、「書かれていない」事が解ります)。そこでは、「ゲーム」という語が、学問的に措定されていません。著者は明らかに、「コンピュータ・ゲーム」や「テレビゲーム」を念頭においていますが、「”ゲーム”脳」という語を用いています。著者の研究内容からすると、「コンピュータ・ゲーム脳」や「テレビゲーム脳」とすべきです。にも拘らず、「ゲーム脳」という語を使用するのは妥当とは言えません※2。前にFREEさんが、ゲームなのかコンピュータゲームなのか、という事に関してコメントを書いておられましたが、「”ゲーム”脳」という表現は、学術的には、あまり妥当では無いですよね。もちろん、学術的概念では無い訳です。そして、学術的専門概念であるが如く、看做される場合があるのですね。

※勿論、「ゲーム(テレビゲーム)とは何か」を定義、あるいは社会科学的に詳しく論じた研究者もいるかも知れません。私が調べた限りでは、その様な論文等は見出せませんでした。ちゃんと調べて無いんですね。ゲームに関して研究している人自体、少ないでしょうけれど。ゲームの影響について調べたと称する研究のことごとくが、森氏の様な科学的妥当性を著しく欠く研究や、ゲームの特性そのものについては詳しく論じていない社会心理学的研究(坂本章氏の研究等)でした。これは別に批判では無く、坂元氏が行っているのは社会心理学的な研究である、という事実の提示です。

※2「ゲーム」では概念の内容が広すぎます。例えば『広辞苑』(第五版)では「ゲーム」は、「1.遊戯。勝負事。2.競技。試合。」、又、ゲーム - Wikipediaによれば、「ゲームとは、勝ち負けを争う遊戯、競技もしくは賭博のこととして一般には認められているが、「ゲーム」という言葉が実際に使われている範囲は幅広く、万人に通じる定義付けは難しい。」とあります。これでは、著者がゲーム脳改善に効果的と紹介している「お手玉」等も含まれてしまいます。(それどころか、あらゆる文化が含まれてしまいます)日常的に「ゲーム」と言えば、それは、コンピュータゲーム、特にコンシューマゲームを指すとは思います。

私がこれまで、「テレビゲーム」や「コンピュータ・ゲーム」とせずに、「ゲーム」としてきたのは、この様な言語論的事情からです(テレビゲームやコンピュータ・ゲームを含めた「代名詞」として我々は「ゲーム」という語を日常的に使いますが、私もその様に用いました。勿論、学術的概念に安易に用いるべきではありません)。メール等も含めるのであれば、「テレビゲーム」や「コンピュータ・ゲーム」という概念では狭すぎます。パソコンのディスプレイや携帯電話のディスプレイを、「テレビ」と言う人は少ないでしょう。「テレビ」は、日常的には、放送の受像機、といった所でしょうか(もっとも、この境界も曖昧ですが)。「テレビ」を一般化すれば(パソコンのディスプレイ等も含むとする)、それらを含める事も可能ですが、それでも、メールやチャットを「ゲーム」には含められない、という問題があります(コンピュータ・ゲームでも同様)。著者もこの事には気付いている筈です。わざわざ(別著で、ですが)「メール脳」なる語を生み出したのですから。この様な場合、より一般的な概念を生み出す努力をすべきですが、それをしていません。これは非科学的態度であると言えます。ここら辺、概念の内容と名前の結びつきにどう整合性を保つか、という観点ですね。つまり、森氏が主張するのは、コンピュータゲームやメール(携帯電話・PC含む)、チャット等の影響な訳で、それを「ゲーム脳」と表現するのは駄目だろう、という事です。人によっては、何を細かい所をくどくどと…と思うかも知れませんが。

という事で、実は「ゲーム脳」という概念を提唱しておきながら、メール等の悪影響についても書いている時点で、論理的に整合性を欠いている訳です。森氏の『ITに殺される子どもたち 蔓延するゲーム脳』でもそれは同様です。寧ろ、苦し紛れに(ご本人はそう思っていないでしょうけれど)新しい語を生み出しだという点では、『ゲーム脳の恐怖』よりも問題であるのかも知れません。「ゲーム」に拘っているのでしょうね、森氏。ゲームを毛嫌いしている層には、インパクトを与える概念ですし。メールでも同じ状態になった、というのが見出されたとすれば(研究が妥当かは置いておいて)、じゃあゲームとメールの共通性は何だろう、という所に目を向けるのが、当然の筈なのですが。わざわざゲーム脳とメール脳という語を作ってしまっています。じゃあ、その上位概念は何だ、と疑問が出るのは、当たり前ですよね。

次回は、「ゲームとは何か」という事について具体的に考察します。ゲームという文化が、他の様々な文化を部分的に含みうる、超複雑な、総合的文化現象である、という事にも言及したいと思います(『ゲーム脳の恐怖』の内容からは殆ど離れてしまうでしょう)。次回以降も、かなり思弁的な事を書いていますが、まあ、そんなにはずれてもいないと思います。ゲームをよくする人間の、経験による考察の一つ、とでも考えて頂ければ。

続きは⇒ゲームとは何か(1)

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Interdisciplinary: ゲームとは何か(1)については、Interdisciplinary: コンピュータゲームの定義で、言及しています。

ここまで無理をして定義を試みずとも良い様な気もしますが、一般的にどの様に認識されているか、というのを考察するのも、無意味では無いかな、と。

しかし、「コンピュータゲーム」の定義の中に「ゲーム」が含まれているのですから、「ゲーム」を定義しないと駄目なんですよね、本質的には。

ちなみに、世の中には、グラフィックが表示されないゲームもあります。また、(上記リンクにも書きましたが)視覚障害者の為のゲームの様に、音のみを手がかりにして進めるものもあります。

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2007年7月12日 (木)

ゲーム脳の恐怖(4)´

Interdisciplinary: ゲーム脳の恐怖(4)

ここら辺、思いついたまま書き散らしているので、かなり解りにくく、冗漫ですね。

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B-2:「ゲーム脳」という表現の問題―メールやパソコンのディスプレイの長時間の注視でも症状?が出ると主張しているのに、「ゲーム」脳という表現をするのは妥当性に欠ける。強い光刺激の恒常的な受容とでもすればよいのに、ゲームやメール・チャットなどを出してくるのは何故か。

について、です。(森昭雄:『ゲーム脳の恐怖』,2002 参照)※B-1は後回しにします

まず、上に「メール・チャットなど」とありますが、それらの「悪影響」については、森氏の、『ITに殺される子どもたち 蔓延するゲーム脳『ゲーム脳の恐怖』の続編の様な感じです。において詳しく論じられています(チャットという語はこちらに出てきます)。『ゲーム脳の恐怖』では、仄めかす程度しか出てきませんが、『ITに殺される子どもたち 蔓延するゲーム脳』※2では、ゲーム脳を一般化して、コンピュータを使用すること自体が問題であるとしています(メール・掲示板・チャット等)。そして、「メール脳」なる語まで生み出しています。更には、テレビ観賞も問題であると論じています。(関連記事:携帯メールでも脳が壊れる? 拡大する“ゲーム脳”汚染結局、ディスプレイを用いるのは全部だめだ、という感じですね。

※2本書については、森昭雄研究所:ITに殺される子どもたち - livedoor Blog(ブログ)において、詳細に検討・批判されています。是非ご参照下さい。

「”ゲーム”脳」という語が術語であると主張するならば、先ず「ゲーム」の定義を明らかにし、その特性が脳にどのように具体的に作用し、悪影響を及ぼすのかを論証し、その上で、「ゲーム脳」という概念の定義を明確にしなければなりません。無いですよね、定義。曖昧も曖昧。メカニズムについては、ちょっと書き過ぎかな。実験的に論証されれば、当然、メカニズムについても検討すべきでしょうけれど、メカニズムを解明しなければ駄目だ、というのは、当たっていないですね。ところが著者は、その様なプロセスを踏まず、「ゲーム脳」という語を曖昧に用い、更には、ゲームをやったことが無い人間も同様の状態になり得るとして、わざわざ「メール脳」などという、これまたとても曖昧な語を造っています。以下、上記関連記事より引用。

「たとえば森教授が調べた携帯メール利用者のケースには、テレビゲームはいっさいやっておらず(強調引用者)、パソコンも所有していないが、携帯電話でメールを毎日1時間程度入力するという女子高校生がいる。この少女は、携帯メール利用時にβ波がほぼ半減しているという。」

常識的に考えても、ゲームを(持続的に)やっている人間に現れる状態が、ゲームをやったことの無い人間にも現れる、という事が明らかになった場合、「ゲーム脳」という語を破棄し、ゲームとその他のもの(メール等)に共通する部分を見出す努力をする、という事が妥当だと思われますが、著者はそれをせず、新たな語まで造っています。これはとても非科学的な態度であると言えます。色々なメディアに触れて共通の悪影響が現れるなら、それらのメディアに共通する特性を見出し、術語にもそれを入れるべきですよね。チャットやってもゲーム脳、掲示板やってもゲーム脳。メールやってもゲーム脳、て。しかも、メールやったらメール脳って、新しく語を作ってしまってるし。自分の言葉の使い方が曖昧ですよ、と言ってる様なものです。

ここで、「いや、”ゲーム脳”というのはあくまで便宜上つけた名前で、厳密な学術的概念ではないのだ。」という反論をする方がおられるかもしれません。しかし、その反論は妥当でありません。何故ならば、ゲーム以外でも同様の状態になる可能性があるのに、敢えて特定の文化の名を用語に含めることは、一般性に欠けるからです。のみならず、この様な科学的根拠の無い造語は、当該文化(ゲーム等)に関わる人々を不当に貶め、差別の対象にしてしまう可能性すら有るのです。これは、よく書く事。ゲーム脳の「ゲーム」の部分に、ご自分が好きな文化を当てはめて考えてみて下さい。「何を大袈裟な」と思われるかも知れませんが、現に著者は、『ゲーム脳の恐怖』において、

「子どもはテレビゲームをする習慣がつき、麻薬と同じようにやめられなくなっていきます。やがて、子どもの前頭前野の働きは低下し、動物脳と呼ばれる古い脳である大脳辺縁系に対して、常時動物的な行動に出ないようにする抑制がかけられなくなってくるのです。」(155頁)

「子どものころからテレビゲームをしている人は、やめようと思ってもやめられません。重症で、将来が心配です。」(158頁)

「テレビゲームをすることでは個性は生み出されません。まして幼児期にテレビゲームをさせておくのは、その子の個性や人間性がつくられないことになるのです。」(176頁)

等と書いているのです(同様の表現は、本書に無数に散りばめられています)。これ、差別的と言って構わないですよね。ゲームをさせておいたら”個性や人間性がつくられない”というのは、とんでも無い言いがかりです。

これらは、特定の文化に関わったことのある子どもやその養育者、或いは開発者等に対する極めて重大な差別表現であり、その文化に関わっていない人々に対する恫喝の表現でもあります。そして、「ゲーム脳」がその認識を助長する言語装置として作用するのです。いやしくも科学者たるもの、この様な、非科学的認識に基づいた造語をするべきではありません。未だ、その様な差別的とも言える表現は、ネットでも見られます。テクノラティ等で検索してみても、ゲームを絶対やらせちゃいけない、とか、そういう事を平気で書いてあるブログを、見たりします。

さて、ゲーム(をプレイしている状況)で見出された状態が、他の状況でも見出されたのであれば、

  1. そもそもその様な状態は、人間に、一般的に見出されるものである。どんな人間にも見出される、という事。
  2. ゲームに特有ではない条件が、その様な状態を作り出している。ゲームだから出るという事では無い、という意味。
  3. ゲームをプレイしている時間、常にその様な状態になるわけではない。ゲームと一言で言っても、色々な局面があり、種類も豊富なので、ずっと同じ様な状態になるという事自体、考えにくい。
  4. そもそも実験が間違っていた(実験器具の不具合、あるいは、脳科学(神経科学)的知識の不足等)。あるいは、統計解析における誤謬等。

等の、様々な解釈が出来るはずです(1.2.3.は、それぞれ関連する)が、著者はそう考えなかった様です。

森氏の一連の著作やインタビュー等を基に推測すれば、どうやら氏は、ディスプレイを注視する文化が、脳に悪影響を与えていると考えている様です。即ちテレビ・(コンピュータ)ゲーム・メール・チャット・掲示板等々。森氏の著作を読んだりすると、そう考えているとしか思えないです。もしそう考えているのであれば、(ディスプレイから発せられる)光刺激の生理・心理に与える影響とでも一般化すれば良いのに(これは重要な研究だと思われます)こういうのは、心理学的・生理学的な問題として、重要ですよね。3D酔いなんかは、そういった研究の一端なのでしょうけれど。 、何故か、複数の異なる文化を、「ディスプレイを用いる」という共通性で(他にもあるかも知れませんが)一括りにして、その影響を論じています。恐らく氏にとっては、メールも、チャットも、ゲームも、全部「同じ物」なのでしょう(それなのに、文化内の差異をある程度認めている様でもある。そうすると、前提と矛盾するはずなのだが…)。しかも、その「同じ物」によって引き起こされる(と著者が確信している)状態(これも著者が確信している)を、「”ゲーム”脳」と表現しているのです。結局、よく解らないまま、問題を切り分けないまま、「ゲーム脳」という語を作ったのでしょうね。ここら辺、森氏がどういういきさつでゲーム脳を発想するに至ったか、という部分の推測です。

ある文化の「影響」というものを考える際、その文化とはどの様なものであるかを詳細に考察するのが先決ですが、森氏や同調者は、それを全く行っていません。ここに、彼・彼女達の、ゲーム等にたいする「みくびり」が見てとれます。ゲームなど、真面目に考察するに値しない、単純な文化であると考えているのでしょう。もしかすると、文化ですらない、と考えているかも知れません。これも、よく書きますね。本質的に娯楽であり、社会に必要であるとは言えない文化。そして、当該文化の複雑さに対する無知。取るに足らない、と考えているのでしょう。

私は、その様な考えは間違っていると考えています。ゲームというのは途轍もない複雑さを持った文化であり、それを科学的に分析する事は、非常に困難な事であると認識しています。次回以降、この事について書きたいと思います。

殆ど資料も参考にせず、思いついたまま書いているので、かなり甘い部分もありますね。次回以降は、主に、ゲームとは何か、という事を中心に論じているのですが、そちらも同様です。今読むと、かなり駄目な部分もあります。それを自分で見ていくのは、意味のある事と考えます。

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2007年7月11日 (水)

ゲーム脳の恐怖(3)´

Interdisciplinary: ゲーム脳の恐怖(3)

A-3:2.に関連して、データの恣意的な解釈、見落とし、あるいは意図的な無視が見られる。

A-4:主観的印象・既成観念の過度の一般化、つまり、そもそもゲームは良くないものだと思い込んでおり、それを正当化するために論述をすすめている。

について、です。(森昭雄:『ゲーム脳の恐怖』,2002 参照)

これらについては、各所で痛烈に批判されています。

例えば、まえがきにおいて、ゲームのキャラクターと同じ格好をしている(コスプレ)人をみて「ショックを受け」(5頁)たことや(しかも、何故か「無表情で歩いている」(5頁)という表現をしている)、(その経験を基にしての)日本の未来に対する危惧が書かれています。その後も、「異様な雰囲気」(5頁)等の、極めて主観的な、「印象」が語られています。即ち、ある特定の文化に対するネガティブな評価が先にあり、それを正当化するために論述が進められている、ということです。森氏の論、びっくりする様な記述ですよね。要するに、自分が知らない世界の人を見て、「異様」だと言っているに、等しい訳です。というか、実際に書いているのです。ある印象を持つ事自体は、好き嫌いの問題にも関わるので構わないのですが、それを科学と結びつけようとする所が、よろしくないです。

経験的な認識を基にして、仮説を構築すること自体は、特に問題はありませんが、その仮説を検証(あるいは反証)する際に、著者は、とても科学的妥当性が充分とはいえないプロセスを踏んでいます。

例えば1章には、

「高齢者における痴呆を、おでこに相当する前頭前野領域の頭皮上から記録されるα波とβ波の比を求めることで、約85(引用者註:原典は漢数字)パーセント判定できる機器とその方法を確立してきたのです。」(21頁)

とあります。ここで、痴呆(認知症)を「約85パーセント判定できる」としていますが、まずその主張が妥当であるかどうか、という問題があります。脳波から認知症であることを判定出来るということは、認知症の人に特異的にその脳波のパターンが現れることを実証しなければならないはずですが、そのことについては言及されていません(この主張の妥当性については、各所で批判されています)。大友氏との共著論文には書かれているのかな。「85%」というのは、何に対する割合なのでしょうね。もし、この様な簡便な方法で、高い確度で認知症が判定出来るなら、広く普及していても良さそうなものですが。

更に、この主張を前提として、ソフトウェア開発者(8人)の脳波を測り、「痴呆者と同じ脳波を示した」(21頁)と言っています(どの様な状況で脳波を測定したかは書かれていない)。研究のとっかかりとして、ある興味深い現象が見られたから仮説を立ててみた、というのは、妥当だと思います。しかしこの場合、前提となる認知症判定の方法が、そもそも疑わしい訳で。ちなみに、21-22頁では、開発者(の仕事)に対して、「ひらめいたり、集中しているのはわずかな時間で、ただ画面をみている時間のほうが圧倒的に長いのです。」と評価しています。この記述は、仕事の「慣れ」等について全く考慮されていません。常識的に考えて、毎日数時間する仕事には、創造的な思考を働かせる場面や、殆ど何も考えずに身体を動かす時間もあるでしょう。そしてそれは、どの様な仕事でも同様です。常に強力に集中し、創造力を働かせる、ということ自体が、かなり特殊な状況でしょう。もし、ソフトウェア開発者(プログラマー等)の仕事が、他の仕事に比べて集中力も創造力も少なくてすむ、と主張するのであれば、それを社会科学的に研究する必要がありますが、それもありません。著者は、脳波を計測して、良くない(と著者が主張する)波形が見出されたから、開発者の仕事は、脳をあまり使わなくても出来るのだろう、という誤謬をおかしたのではないでしょうか。一日の大半の時間を占める労働の内、大部分を創造的な作業に費やすという事自体、考えにくいと思います。ルーチンワークもあるでしょう。「馴れた」作業で、脳が最適化された活動を行っている、と考えれば、それは合理的だと考えるのが、妥当です。そもそも、こんな書かれ方をすれば、プログラマー等は、憤るでしょうね。

25頁には、以下の様な記述があります。

「前頭前野の機能低下と思われる身近な例も挙げてみましょう。たとえば、人目を気にせず電車内で化粧をしている人、公衆の面前で抱き合っているカップルなど。人間らしさを表現する場所である前頭前野が働かず、理性、道徳心、羞恥心、こんなことをしたら周囲がどう思うだろうということを、考えられなくなってしまっているのです。」

ここでは、著者や、著者に類似の主張をする人に共通する論理の展開がみられます。即ち、「価値」や「認知」の問題を、即座に「脳機能の低下」に結び付ける、という誤謬です。いわゆる「俗流若者論」者に共通する論理です。その中には、自己の価値観を正当化するために、安易に科学的概念を用いる、という論者もいるのですね。

価値観の違いを、脳機能の「異なり」に拠る、と看做すことは出来るでしょう。認知が脳の神経細胞の活動パターンであると考えれば、当然その様な見方をすることは出来ます。思考が脳活動によって生み出されるとするなら、当然の帰結ですね。しかし、「電車内で化粧をする」ことや、「公衆の面前で抱き合」うことが、脳の「機能低下」の結果である、と言うのは間違っています。各文化で構成された価値体系を、生物学的因子に結びつけるのは、どれ程妥当なのでしょうね。進化心理学等では、色々な議論があるのでしょうか。私は詳しくありません。ただ、少なくとも、脳が機能低下しているから電車内で化粧をする、という類の言明は、かなりおかしいと思っていますが。自分が「道徳的であると思う」ことを普遍的な価値だと決めつけ、それを他人に押し付ける、そして、その価値観に合わない言動を、「非常識」だと看做し、マイナスの評価を下します。あまつさえ、その根拠を、脳波(やMRIやMEGやPET)の測定結果に求めます。「非常識な行動をとる人は、脳がおかしくなっているのだ」と。脳科学者等が、この様な主張をしているのを見かけることがあります(森氏はその筆頭と言えるでしょう)。このような主張に、私は恐ろしさを覚えます。これは、水伝に通ずる所があります。即ち不寛容・排他的・過度の自尊。

価値観などというものは、相対的なものです。それは、文化毎に差異があり、どれが「正しい」とはそもそもいえないのです。森氏と同様の主張を展開する人々には、広い人文・社会科学的(記号論や文化人類学、社会心理学等の)認識が足りないのでしょう。これらの分野の入門書を何冊かでも読めば、自分の認識が、いかに狭い範囲で閉じてしまっていたかが、解ると思います。

26-28頁では、睡眠時間減少とテレビゲームの関係について論じられていますが、ここでも、睡眠時間が減少しているというNHKの調査が紹介されているだけで、それが、テレビゲームをやる時間が長くなったから、という主張と無理矢理結び付けられています。あるのは、テレビゲームをする「頻度」についてのデータで、睡眠時間減少とテレビゲームをやる時間との因果関係については、論じられていません。例えば、学校の勉強をする時間の増加と睡眠時間の減少に有意の関係が見出されたとして、「勉強時間を減らせ!」と、「テレビゲームをする時間を減らせ!」という時と同じ調子で、言うのでしょうか。恐らく言わないでしょう。初めから、勉強=役に立つもの、テレビゲーム等=役に立たないもの、という前提があるでしょうから。ここに書いてある「頻度」は、森氏の本からの引用です。ここにも書いていますが、勉強するから睡眠時間が減った、と言われれば、「熱心」だと評価される気がしますが、どうでしょうか。文化に対する評価の違いが、影響すると思います。

又、そもそも睡眠時間が減ることが悪い事なのかどうか、についても何も語られていません。どの位睡眠をとれば良いのか、それはどの様なメカニズムに拠るものなのか、等についてです。これは、どうなんでしょうね。

以上の様な誤謬は、本書の到る所に見られ、枚挙に遑がありません。

それを、著者が意図的に(嫌いなものを攻撃しようとして)行っているのか、あるいは確信犯的に(正しいと信じて)行っているのかは、知る由もありませんが、著者に、社会科学的認識が足りないのは確かだといえるでしょう。「認知」に対する考察なくして、文化と行動の関係など、論ずることは出来ないのです。森氏はどちらでしょう。自分の正しさを、確信しているのでしょうか。社会科学的な認識は、不足しているとしか言いようが無いです。認知についても、ナイーブだと感じます。それを考えなくともよくする為に、「ゲームは脳を破壊する」という論を展開している、とも言えます。

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ゲーム脳の恐怖(1)´ ゲーム脳の恐怖(2)´

追記:日付を、7/11に変更しました。元々7/10付けのエントリーだったのですが、奇跡のメンテがあったので、変更。

私が以前書いた記事を採り上げ、それを自分で批評する、というシリーズをやってみようと思います。

今とは認識が違う所、論理的に不明確な所、知識不足故の的外れな意見もあるでしょうから、それを指摘するのは、意味がある事だと考えます。また、まだお読みで無い方もいらっしゃって、そういう方に、過去にこんな記事を書いていたのだという事をお見せするのも、面白いと思います。ログが膨大で、全部の記事を読んだ人は、多分私しかいないでしょうしね。

自分の記事なので、全文そのまま載せて(アフィリエイトリンクは除く)、それを読んだ感想を、青文字で書きます。

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Interdisciplinary: ゲーム脳の恐怖(1)

さて、「ゲーム脳の恐怖」についてです。

その前に、お断りしておきます。

これから書く内容は、『ゲーム脳の恐怖』を読まれた方を対象にしています。従って、読んでいることを前提として論を進めていきますので、その点はご了承下さい。未読の方には、是非原典に当たられることをお勧めします。(私は、本書を初めて読んだ時に、目から鱗が落ちました。「この様な非科学的な本を公刊することが出来るのか。」と。何か凄い事書いてますね

閑話休題。本題に戻ります。

まず、本書全体に亘る問題点を列挙してみましょう。(類似の主張の殆どに当てはまることでもあります)

  1. 「ゲーム脳」という概念の学術的定義が為されていない。 これは、私がよく書く事ですね。未だ、明確な定義がなされているのを、見た事が無いです。
  2. 統計学的(社会調査的)妥当性に乏しい。 社会調査と書いてあるので、寝屋川調査の様なものを想定していたのでしょう。森氏の主張は、自然科学的なものですので、実験科学的根拠が少ない事を挙げれば、充分な批判になります。
  3. 2.に関連して データの恣意的な解釈、見落とし、あるいは意図的な無視が見られる。 これは、各所で指摘されています。
  4. 主観的印象・既成観念の過度の一般化、つまり、そもそもゲームは良くないものだと思い込んでおり、それを正当化するために論述をすすめている。これは、著作を読んだ上での推測です。

以下は、批判者もあまり指摘しない点です。

  1. そもそも「テレビゲームとは何であるか」という視座が無い。(「テレビゲームの心身に与える影響」等を論ずる際に、最も重要である視座) これも、よく書く事です。ゲームに関する研究なのだから、ゲームについて、ある程度考察すべき。
  2. 「ゲーム脳」という表現の問題―メールやパソコンのディスプレイの長時間の注視でも症状?が出ると主張している※のに、「ゲーム」脳という表現をするのは妥当性に欠ける。強い光刺激の恒常的な受容とでもすればよいのに、ゲームやメール・チャットなどを出してくるのは何故か。スポーツにおける肘の障害を、全て「テニス肘」と呼ぶ様なものか? 何か違うかな。森氏としては、最初にゲームで見出されたから、「ゲーム脳」という概念にしたのだ、という認識なのかも知れません。

等です。

※この主張は、『ゲーム脳の恐怖』の著者である森昭雄氏の、『ITに殺される子どもたち 蔓延するゲーム脳』等によって展開されています。

次回以降、上記について、一つ一つ具体的に見ていきたいと思います。特に、今までの批判者が余り具体的に論じていない、B-1の「そもそもテレビゲームとは何であるか」ということについて、又、その心身に与える影響について考察するには、どの様にすれば良いか、ということについては、詳細に書きます。

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ゲーム脳の恐怖(2)

A-1:「ゲーム脳」という概念の学術的定義が為されていない。

A-2:統計学的(社会調査的)妥当性に乏しい。

について、です。(森昭雄:『ゲーム脳の恐怖』,2002,第3章を参照)

本書を通読すれば解りますが、「ゲーム脳とは何々である」という明確な説明がありません。あるのは、ゲームを普段、長時間している人に現れる特有の脳波パターンに対して、「ゲーム脳タイプ」と名付ける、という記述です(78頁)。そして、主観に基づいた「傾向」らしきものを、並べるのですね。

さて、ここで問題があります。

上に「特有の」と書きましたが、ゲーム脳タイプの脳波(と名付けられたもの)が、果たして著者が言う様に、ゲームを長時間する人間に、特異的に現れるものであるか、ということです。ゲームを長時間する人によく現れ、それ以外の人には現れにくいか、という事。

脳波のパターンが、脳活動を反映したものであることは当然ですが(著者が用いた脳波計が正確であったかどうか、という重要な問題はありますが)、それが果たして「テレビゲームを長時間(習慣的に)しているから」かどうかは、又別の問題です。仮に、計測機器がある程度正確だとしても、条件を統制して実験を行わなければならないですね。

脳波計測の際に用いられたゲーム(おそらく「テトリス」と思われる)に対する興味、ゲームに対する慣れ、実験に協力する際の取り組み方等を考慮せずに、無理矢理短絡されている様に読み取れます。様々な条件をコントロールして考えないと、変数の交絡を見過ごす場合があります。相関関係を見出して、そこから干渉変数の存在の可能性を考慮せずに、因果関係を論ずる等。

又、実験に協力した対象を、どの様にして抽出し、得られたデータにどの様な統計学的操作を加えたか、等については、殆ど書かれていません(「多くの大学生」(72頁)としか書かれていない)、サンプルサイズなど、書かれてすらいません。森氏に好意的に見れば、新書だからしょうが無い、となるでしょうか。もちろん、森氏は、まともな論文自体、出していない訳ですが。

社会調査において、これらについて明記することは必須の条件ですが、本書では、この点がとても曖昧です。社会調査に限らず、統計解析を行った場合には、記述すべきですね。せいぜい、サンプルサイズと採り方、母集団についての説明は欲しいものです。

仮に、(統計学的に)充分な妥当性を備えた研究によって、ある脳波と、テレビゲームをする時間との相関が見出されたとしても、テレビゲームが特有の脳活動を引き起こすメカニズムを、明らかにしなければなりません。これは言い過ぎですね。メカニズムが解らなくとも、統計学等の方法によって、ものを言う事は出来ると思います。問題は、どの様な方法を用いたか、という事。即ち、「テレビゲーム」という文化の、どの部分が、どの様に作用し、脳の特有な活動を生み出すか、ということの因果関係を、明確に記述する必要がある、ということです。同上。そして、その考察を進めるためには、「テレビゲームとは何か」という視座が欠かせないものとなります(このことについては、後日詳述します)。ここでは、単なる統計学的認識ではなく、広く社会科学的な認識が必要とされます。ここら辺は、ゲーム脳云々より、ちょっと視点を広げています。ゲームという文化にどう関わるか、という問題なので、社会科学的な視座も、大変重要です。

勿論、そもそも本書で「ゲーム脳タイプ」とされる脳波が、「悪い(という言い方もおかしいですが)」脳波であるかどうか、という問題もあります。この点については、斉藤環氏等が、批判を加えています。(参考:斎藤環氏に聞く ゲーム脳の恐怖1[www.tv-game.com]

森氏を初めとした、森氏と類似の主張をする人々は、物事を単純化し、複雑な「認知」の問題を棚上げにして、結論を短絡します。彼・彼女等は、行動主義的人間観を持っているのかも知れません。ここで行動主義という概念を持ち出すのは、ちょっとまずいですね。行動主義者が単純にものを見る、という様にしか読めない。ゲーム脳系の人達が、認知の問題についてあまり考えていない様に見えるのは、今も変わらないです。それはもちろん、単純な認知を想定する事も含みます。たとえば、ホラー系のゲームをやると、身を守ろうとしてナイフを持ち出すかも…等の、憶測としか言い様の無い考え。

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2007年7月 8日 (日)

色々な使われ方

「ゲームをよくする人間の心性」、という意味で、「ゲーム脳」という語を用いる人もいますね。特にネガティブな意味を含めている訳では無く、新しいタイプのものの考え方、という感じで捉えているのですね。もっと敷衍して、昨今の若者の心性、という意味で使う事もあるみたいです(「今の若い人は概ねゲームをやる」→「今の若い人のものの考え方を象徴する語として、”ゲーム脳”を用いる」、というロジック。「ケータイ世代」とか、「アニメ・漫画で育った世代」←こういう表現と、同様ですね)。って、これ、ブログが何かで見たので、一般的な表現では、全く無いとは思いますが。

ゲームをやっている人が、自虐的に用いたり、ゲームをやり過ぎた時に冗談ぽく使う事もあります。「あー、今週、ちょっとやり過ぎたなあ。もしかして、ゲーム脳か(笑)」とか、「ゲームのやり過ぎを注意された…はいはい、どうせゲーム脳ですよ。」とか。

こんな風に、言葉は広がっていく訳ですね。それが良いのか悪いのか、今一つ判りませんが(ゲーム脳の出自と、それに関して起こった議論を考えると、あまり好ましく無い気もします)、少なくとも、森氏が使った意味からは、大分はずれていますね。と言うか、森氏自身、定義らしいものも書いていないし、どういう現象を「ゲーム脳」としているのか、全く判然としないのですが。

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2007年6月29日 (金)

どうすりゃいいのか

ゲーム脳とかゲーム依存について、色々論じているブログを見つけました。

最近見た中でも、なかなか凄い内容。正論氏や有害図書氏に匹敵する。

文章から、議論には絶対応じてくれないだろうというのが解るので(これは一般論ですが、批判の対象を「一括り」にして論じたり、人格を非難したりするのは、ダメですね。ロジックはこんな感じ――ゲーム脳は問題だ→ゲームを批判すると、感情的な反発を食らう→反発する人は、ゲーム脳なのだ・・・・・・批判を回避する、無敵のロジック)、紹介はしません(他の事も懸念しています)。ブログ検索すれば、見つかるかも。

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2007年6月25日 (月)

集中

「ゲームに熱中すると、集中力が無くなる」、って、矛盾してるんですよね。だって、ゲームに集中している訳ですから。

で、この矛盾を解消すべく、「ゲームへの熱中」を、「依存」やら「中毒」の、物騒な言葉で置き換える、また、置き換える為の根拠を論ずるのです。あれは集中しているのでは無く、反射的に手を動かして、何も考えていないのだ。そうなるのは、ゲームに強い中毒性があるからだ、という様に。

勿論、それが事実であれば、由々しき事なのですが、ゲーム脳系の人達の主張は、いかにも根拠が薄い。だから、慎重に論ずる必要があるのですね。ゲーム脳などは、理論的な考察も、全く足りないですしね。←ゲームの、文化としての多様性を、基本的に無視している。無視しても構わない様に、どんなゲームにも中毒性がある、と強く論じている、とも言える。そうすれば、ゲーム文化の構造を分析する必要が無くなるから。

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2007年6月24日 (日)

脳ブームって、まだ続いてるかな

NIKKEI NET:おとなのOFF

はてブが結構ついていて、あれ、何で今になって、と思ったら、WEB記事として、再録されたんですね(元の記事はこちら⇒日経おとなのOFF:2006年10月号 読んだのですが、所有していないので、WEB記事と全く同じかは判らないです)。

ただで読めるし、参考になるので、オススメです。

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2007年6月22日 (金)

ばらばら

解り易い「デジタル」の用い方を見つけました⇒ビートルズ '67 ☆Sgt. Pepper's 40周年☆: パソコン、携帯依存症

ところで、この手の主張をする人に、よくあるロジック。

  • 以前、○○という説が提唱された。
  • その説は、科学的根拠が無いと、批判を受けた。
  • しかし、△△(身近の人)を見ると、それはあると考えざるを得ない(あると思われる)。

だから、身近の人間の話を一般化しちゃいけませんて。それに、ある特性の要因が、想定しているものである確証は、あるのでしょうか。もしかするとそれは、バイアスによって形成された信念なのかも知れませんよ。

そういえば、殺人を犯す若い人たちは、共通してパソコンや携帯に依存しているとのこと。

とのこと、って…。

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2007年6月 9日 (土)

na…nandatteー!!

「ゲーム@小説2-恐怖の大王は、ゲーム機だった! 」 ニュースな本棚|Excite エキサイト : ブックス

これは、かなり読んでみたいですね。って言うか、もしかして、有名?

紹介を読むだけで、お腹一杯になりそうです。だって、

世界をカバーする携帯電話をさらにグレードアップしたもので、人工衛星から送られてきた電波とゲーム機が反応して、魔の霊的な波動を起こすのである。
その波動は、666であり、獣のサブリミナル・メッセージだ。(孫引き。リンク先より引用)

これですよ? わくわくせざるを得ないではありませんか。

Amazonで、同じ著者の本を調べると…。余りにご馳走過ぎて、食べ切れなそうであります。

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2007年6月 4日 (月)

きちんと

これは良いエントリー⇒Peace of mind ゲームをさせることは本当はいいのか?

不安を煽る様な説を鵜呑みにせず、きちんと考えて、ゲームに接しようとしておられますね。細かい部分で、ちょっと違うかな、という所もありますけれど、これだけ「ゲームの悪影響」が喧伝されている現状で、冷静に考えようとされる誠実さが、伝わりますね。

ゲームについての学術的な研究に触れるのに最適な本として、坂元章氏の著作をご紹介します。

テレビゲームと子どもの心―子どもたちは凶暴化していくのか? Book テレビゲームと子どもの心―子どもたちは凶暴化していくのか?

著者:坂元 章
販売元:メタモル出版
Amazon.co.jpで詳細を確認する

メディアと人間の発達―テレビ、テレビゲーム、インターネット、そしてロボットの心理的影響 Book メディアと人間の発達―テレビ、テレビゲーム、インターネット、そしてロボットの心理的影響

販売元:学文社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

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「ウソ・ホント」

深夜のシマネコBlog: 誰に議論を届けるのかによると、ガツンと貯まる成功家計100の知恵|おはよう奥さん 食費節約・家計やりくりに役立つ暮らし情報雑誌|kurasse(リンクは「今月号」紹介のページ。7月号の紹介を参照の事)に、安原さんの記事が載っているようです。

「子供の安全安心はほんとうのところどうなのか?」なんて感じの見出しがあって、どうせ「子供は危険に晒され続けているから、安心携帯とかココセコムと契約しろ」なんていう脅迫記事なんだろ。なんて思って読んでみると、いきなり「子供が他者によって殺される件数は減っている」と、真っ当なデータを元に浜井浩一が書いていた。
 他にも、ゲーム脳言説に対しては坂元章、環境問題に対しては渡辺正と、主婦誌にはありえないメンツが、学者の立場から極めて真っ当な批判を行っている優秀な記事だった。

という記事だそうです(「深夜のシマネコBlog」より引用)。この種の雑誌に、そういう内容の記事が載るのは、珍しいんじゃないでしょうか。いや、何となく、そう思うだけですが。やはり、インターネットが拡大してきたとはいえ、誰しもが、WEBで情報を集める訳では無いのですから、こういった記事が、主婦層向けの雑誌に載るのは、良い事だと思います。これは、読んでみようかな。

追記:安原さんのブログで紹介されていました⇒『危ない』ニュースのウソ★ホント|女子リベ 安原宏美--編集者のブログ

おはよう奥さん 2007年 07月号 [雑誌] Book おはよう奥さん 2007年 07月号 [雑誌]

販売元:学習研究社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

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2007年6月 1日 (金)

くおりあ

これはなかなか面白いです⇒書籍出版 双風舎:【連載】「脳は心を記述できるのか」:第1信  「価値のクオリア」は存在するか?(斎藤環)

疑似科学、ゲーム脳や水伝の話まで、出てきたりします。

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2007年5月15日 (火)

嬉しく無いニュース

遊鬱さんの所で得た情報です⇒脳内汚染からの脱出(岡田 尊司)

新書で出すか? これを…。

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脳の探求? 監修!

こどものもうそうblog | ゲームデザイナが脳波を測るイベント「ゲーム脳120%ZOKKONラブ」

おおっ、これは!

面白そう。

青山ブックセンター:麻野一哉×飯田和敏×米光一成 トークショー(本店:'07年6月2日)

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「脳トレ」で研究棟建設…川島教授、監修料から3億円 : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

川島教授は「税金を使わず、研究を発展させられる産学連携の成功例」

これって、「産学連携」って言っていいのかなあ。いや、よくは解らないのですけれど。

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2007年5月12日 (土)

言ってみるものですね

kikulogより⇒ゲーム脳:PseuDoctor — May 2, 2007 @22:40:22ゲーム脳:PseuDoctor — May 11, 2007 @21:56:22ゲーム脳:TAKESAN — May 2, 2007 @17:49:49を受けてのコメントです)

いやあ、PseuDoctorさん、GJです。編集部の対応は、妥当なものでしょうね。尤も、そもそも何故載せたか、というツッコミは、ありますが。

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2007年4月27日 (金)

ラジオが効くかはともかくとして

ラジオは脳にきく―頭脳を鍛える生活習慣術 Book ラジオは脳にきく―頭脳を鍛える生活習慣術

著者:板倉 徹
販売元:東洋経済新報社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

別の本を探していたら、偶然目に入ったので(Interdisciplinary: いい加減、「脳に良い」は、やめませんかで触れたので、目に付いたのでしょうね)、序章を読んでみました。

案の定、ゲーム脳について、言及してありました。

ゲーム脳を森昭雄氏が提唱し、それに対する批判がある事は認識していながら、敢えてそれには触れないと言い、結局、ゲーム脳の様な現象はあるかも知れない、と主張する論理の展開。この手の論者にありがちですが、ゲームの内容には触れていません。

更には、「犯罪の増加」や「ニート」の問題とも結び付けて、論じられていました。

他の部分は読んでいませんが、序章だけでも、充分批判に値します。

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2007年4月25日 (水)

前提

新米家庭教師の独り言: ゲーム脳の弊害について

引用は前後します。

『ゲームはどんどんやっていい。そのかわり同じ時間は勉強しなさい』

これは、とても、良い指導の仕方なのではないかと思います。

ですが、ゲーム脳については、もうちょっと、慎重にお考えになった方が、よろしいのではないでしょうか。

直観力のみに頼る、答えは誰かが教えてくれる、

深く物事を考えない、などといった弊害が予測されます。

いや、予測されるどころか、実際に生徒と接しているとそう感じます。

これは主観ですよね。単なる主観は、妥当であるとは限りませんよね。たとえ、その見方がある程度正しかったとしても、それが、ゲームをやったからだとは、断言出来ないと思いますが、いかがでしょうか。「感じ」た事が、一般的にも見出されるかどうかを確かめるには、科学的に分析されなければなりません。

その他の部分は、とても共感出来ます。子ども達の身になった指導をしておられる事が、文面から推測されます。ですが、ゲーム脳という概念を肯定的に受け取って(たとえ、保護者や子どもの前で、その語を口にしないとしても)、それを前提にするのは、妥当では無いと、私は考えます。

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2007年4月24日 (火)

正論?

週刊正論 ゲーム脳を病んだアダルトチルドレンたち

えっと、本気なのですよね? 縦読みでも無さそうだし。

何がどう正論なのか、さっぱり解らないのですが。そもそも、文章が、破綻しきってますけど。自分が正論だと思ってる事が正論なんでしょう、多分。

腹が立つとかじゃ無いですね、これは。ちょっと違う感情ですね。

これ程のレベルの文章は、スルーすべきなんでしょうが、不特定の人間の目に触れる訳ですからね…。

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2007年4月23日 (月)

教科書に…

南山堂/新保育学

コラムも「ゲーム脳」「受精卵診断」等の今日的な話題を多数掲載.

むう…。

南山堂/新保育学/目次

コラム:メディアに蝕まれる子どもの生活
コラム:携帯電話による健康被害
コラム:ゲーム脳
コラム:性的虐待を予防するには
コラム:心的外傷後ストレス障害(PTSD)

むむう…。これだけでは断定出来ないですが、この「並び」だと、ゲーム脳を肯定的に扱っていると、推測出来ます。新保育学 :: ActionBrowserで内容を読むと、「コラム:メディアに蝕まれる子どもの生活」は、テレビの影響の弊害を説いています。とすると、ゲーム脳についても、そうでしょうね。

医学関連の教科書ですからねえ…。肯定的な紹介とすれば、激しくまずいでしょう。機会があれば、内容を調べてみようかな。

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2007年4月20日 (金)

VODで、ニセ科学批判

ミランカ内のコンテンツ、『博士も知らないニッポンのウラ』を観ました(要無料会員登録。ページ、かなり重いです)。追記:corvoさんに教えて頂きましたが、再生は、Windowsのみで出来ます。残念。

これは、必見であります。

前半は、堀江貴文被告についてですが(個人的には、これも、興味深く観ました)、その後は、ニセ科学やスピリチュアルについて、宮崎哲弥氏、唐沢俊一氏と共に、語られています。血液型性格判断・水伝・ゲーム脳から、細木氏や江原氏の番組まで、広く扱っています。

全部で90分で、かなり濃い内容です。

絶対に、地上波では流せない(笑)

しかし、改めて思ったのですが、博士さんは、かなり勉強しておられますね。感心しました。

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2007年4月13日 (金)

読書とゲームと漫画と

Yahoo!ブログ - らくだい魔女の秘密の部屋2007年5月7日追記:リンクした記事は、削除されました。コメント欄をお読み下さい。

まず、「ゲーム脳」について調べてみた方が、良いと思います。

こういった子どもたちの感性を磨き、物事を豊かに表現する力をつけることのできる最も身近で
簡単な行動、それが「読書」なのだそう。
確かに本を読むと、想像力や表現力がつくと思いますね~~。

物事には、「接し方」、というものが、あります。又、どういうきっかけか、というのもありますね。「読書」と、一口では、言えないのではないでしょうか。「何を」、「誰と」、「いつ」、「どの様に」、「どれくらいの時間で」、読むのが良いのでしょう。「想像力」や「表現力」は、「つく」ものなのでしょうか。そこに、能動的な取り組みは、必要無いのでしょうか。

マンガやテレビの視界では得られないものを得られる気がします。
文庫本よりマンガ買って欲しいって小さい頃は思ってたけど

漫画やテレビでは得られないものが、確かにあるのかも知れませんね。文字だけの内容から、色々なものを想像する、という部分は、あると思います。でも、漫画やテレビ(この並べ方は、ちょっと変)でこそ得られるものも、あるのでは。色々な人が、想像力・創造力を振り絞って、作品を創り上げているのですから。そういった作品に触れるのも大切だと、私は思います。

小さい頃に読んだ漫画で、今の自分に大きく影響を与えたものとか、ありませんか。それは、貴重な経験では。

読書(細かい事を言うと、漫画を読むのも、「読書」です。雑誌を読むのもそうですね)が大切だ、というのは、私も、大いに頷ける所です。でも、それを主張するのに、他の文化を引き合いに出すのは、宜しくないですよね。

「ゲームが悪い影響を与える」、という説が、まことしやかに流れて、それを鵜呑みにする人がいて、「ゲームを好きな人」に、どういう印象を持つでしょうか。「ゲームを好きな人」が、そういう説を知って、どう思うでしょうか。ある程度、ものを解った大人なら、そんなのは、ものともしないかも知れません。でも、子ども達は、そうは思わないかも知れませんよ。深く傷つくかも知れません。

少しで良いので、「言われた側」の事も、考えてみて下さい。言う前に、それは本当の事だろうか、と、疑いの目を向けてみて下さい。

「ゲームをやる事」と、「本を読まない事」は、違いますよね。

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2007年3月29日 (木)

いい加減、「脳に良い」は、やめませんか

某ブクマ経由⇒ラジオは脳にきく。(A)

参考:芸能問題総合研究所Journal:ラジオと「ニセ科学」(B)、放送済み「ラジオ深夜便」 曲目・演目リスト 2/01木 脳のはたらきとラジオの効用 和歌山県立医科大学教授 板倉徹

心理学的には、ラジオを聴く時間と、想像力を測定する心理検査との成績の関連を見る、等の研究を、すべきかと思います。それで関連が見出されたとしても、「ラジオが脳に良い」なんて事は、直ぐには言えない訳ですが。

板倉氏は、「聴くだけで」(Bより引用)とか、「音だけの情報のため、足りない情報を想像力で補おうとし」(Bより引用)と主張していますが、”「本格的に脳を鍛えたければ、紙と鉛筆を用意してラジオを聴くことです」”(Bより引用)ともしています。ラジオを聴けば受動的に想像力が鍛えられると言っていると思いきや、内容に注意しながら聴くと良い、とも言っている訳ですね。ラジオを聴く事に、条件を付け加えています(Bで、批判されています)。心理学的な、注意の問題を、無視している様にも思えますね。たとえば、ラジオを聴きながら受験勉強をさせた直後に、番組の内容と勉強の内容について問う、という課題が与えられた場合には、認知機能のトレーニングに役立つかも知れません。結局、メディアの特性というより、取り組み方が、重要なのではないかと思います。

結局、「具体的にイメージを働かせながらラジオを聴くのが良い」、という主張に見えます。それはそうでしょう、という感じもします。そんな前提条件があれば。

思うのですが、イメージ(画像)を浮かべずに放送の内容を理解するなど、簡単な事ですよね。論理的な関係を把握するだけなら。具体的なイメージが「浮かぶ」のでは無くて、「浮かべる」のが重要なのでは?

ゲーム脳を取り上げる(Aを参照)のはいかんでしょう、どう考えても。

ゲームや漫画によく触れる人の方が、想像力に乏しい(とまでは言ってないか)、という論は、どうなんでしょう。様々な具体的イメージを観て、その経験を組み合わせたりする事で、想像力が鍛えられる気もするんですけどね。経験的には。

こういった論で、よく見られるのが、コンテンツの内容を無視しているものですよね。どんなメディアかによって、一括りにする。それじゃあ、話にならないと思います。

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2007年3月28日 (水)

ゲーム脳批判記事

気になる出来事: ゲーム脳 根拠なし!?気になる出来事: ゲーム脳 親子でルール作りを

「日大大学院泰羅教授」といえば⇒日大医学部・泰羅助教授に聞く(1)[www.tv-game.com]

随分、トーンが違うなあ、という感じ。尤も、インタビューから数年経っているので、意見が変わるというのは、あるでしょうけれど。いや、泰羅氏の意見そのものは、極めて真っ当です。しかし、森昭雄氏に対する評価は、現時点で判断すると、余り当たっていなかった様に思われます。それと、学者が世間に研究内容を発信するやり方への認識にも、ちょっと違和感を覚えますね。まあ、穿った見方をすれば、他にも解釈は出来ますが、憶測になっちゃいますね。

北海道新聞の記事の内容によれば(ソース未確認。上記リンク参照)、ゲームのジャンルによって、イメージング結果に違いが見出された、という事の様ですね。どういった研究なのかな。

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2007年3月27日 (火)

フィールドワーク

テレビゲームを批判する人は、ゲームをすべきなのですよね。「やっていない人間が口を出すな」と言うのは、余り宜しくないですが、事は、ある文化が人間に害を及ぼすか否か(その定量的評価)、という問題ですからね。その対象をしっかり分析しないと、話にならない訳です。

どの様なゲームがあって、それがどういった分布をしているか。ヒットしているゲームはどんなジャンルか。(ユーザーの)年代によって、どう異なるか、等々。それを、きちんと分析する必要があります。ゲームという文化自体、他の文化の要素が複雑に絡み合い、形成されているものですから、そこを考えないと。

『テトリス』と『ドラクエ』が全然違うのは、それこそ、低学年の小学生でも、容易に解る事です。そういう違いを論ずる事も無く、一括りにして扱うのがどれ程乱暴か…それは、ゲームをちょっと知っていれば、簡単に理解出来ます。にも拘らず、ゲーム脳等に乗っかる人が、結構います。他の、「暴力ゲームの影響」に関しても、そうですよね。実際、「心理学的」には、悪影響を及ぼす可能性が見出されている訳ですが、ゲームをする人は、一種類のジャンルのゲームをやる訳ではありません。ゲームがこれ程社会に浸透したのは、その多様性にも拠ると、考える事が出来ます。ソフトを交換する事で、全く異なるコンテンツを楽しめる、という構造です。そう、そもそも、圧倒的に「多様」なのです。

これは、半ば本気なのですが、岡田尊司氏や森昭雄氏やヤンキー先生に、あらゆるジャンルの代表的なゲームを、一通り、やらせて見れば良いのです。そうすれば、解る筈です。いかに自身が浅はかであったかが。ホラーアクションと思しきゲームを「ロールプレイング」などと表現する事の、駄目さが。

もし、それでも、「ゲームは単純」云々と言うのであれば、基本的な認識力が、不足していると言えますから、その場合には、論理的なやり取りが全く通用しないという事が、はっきりと論証された、となるでしょう。

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2007年3月25日 (日)

ラジオでゲーム脳批判

kikulogでも紹介したのですが、文化放送の『吉田たかよし プラス!』で、ゲーム脳について取り上げられました(水道橋博士氏が参加のコーナー)。ポッドキャストで聴く事が出来ます⇒たかよしの神出鬼没: ゲーム脳論争(リンク切れ)

これは、マスメディア上でのゲーム脳批判として、重要だと思います。森氏の論文についても検討しており、大変興味深いです。

しかも、来週は、水伝についても取り上げるそうです。関係者の中に、ニセ科学に関心を持っている人がいるのでしょうね。ゲーム脳は、水道橋博士氏が、関心を持たれた様ですね。

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どうでも良いですが、「博士氏」って、何か変ですね(笑) 「デーモン小暮閣下氏」とかと一緒か…。

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2007年3月23日 (金)

ボタン社会とは

いきなりリンクを羅列して、何事か、と思われたでしょうね。

このリンクは、某ブクマ経由で知ったブログの記事(市井のディレッタント 冒険記 - 脳の退化から格差社会、プチ奴隷制へ……?)を読み、『AERA』に、「ボタン社会」なる概念で、「脳の退化」を説明した記事が載った事を知り、その説を論じた寺沢宏次氏と、説明の根拠に用いられた「GO/NO-GO課題」について、関連がありそうなものを上げたものです。

疑問なのが、脳の活動の仕方に、年代によって有意差が見出されたとして、それが実際の社会行動と、どの様に結びついているだろうか、という事です。つまり、一般化の問題です。課題の成績から、実際の生活状況に、どの程度敷衍出来るのでしょうか。又、あの様な研究結果から、「脳の退化」などという表現を、安易に用いて良いものでしょうか。反社会的行為とも結び付けて論じるには、社会学や社会心理学的研究とも突き合わせて、慎重に論じるべきです。

因みに、寺沢氏は、「ゲーム脳」の存在にも、ある程度肯定的な様です。記事では、森昭雄氏の説は、研究方法等が批判されている。だが、ゲーム脳があるか無いかはよく解っていない、と論じた上で、寺沢氏の、ゲーム脳はあるかも知れない、という意見を紹介しています。

そして、「ボタン社会」です。つまり、技術の発展によって、便利な道具が普及し、ものの仕組みを理解しなくとも、ボタン一つで何でも出来るので、深く考えたり、コミュニケーションを取ったりという事が、少なくなってきた。従って、脳が退化してきた、というロジックです。

私が考えるのは、ものの仕組みを理解するには、そのメカニズムが複雑過ぎる、という事です。道具の仕組みがブラックボックス化してきた、と言えるかも知れません。しかしそれを、思考を疎かにする事と結び付けるのは、どれ程妥当でしょうか。又、その事と、ゲームの普及とを関連付けるのも、早計だと思います。何故ならば、ゲームは、ボタン一つでどうこうする、という構造では無いからです。コントローラの各ボタンに恣意的に割り当てられた操作系を憶え、それを駆使していく訳ですから、そもそも、ボタン一つで便利に云々という、操作の簡素化とは、全然違う話です。

後、よく出る話ですが、「インターネットの普及で、検索が簡単になって、手っ取り早く、情報が得られる様になった」というのを、ネガティブな文脈で語る場合がありますね。これも、色んな事を、ごっちゃにしていませんか。何か情報を得たい場合に、手間が掛からない方が良いのは、当たり前だと思うのですが。重要なのは、得た情報をどう取り扱うか、なのですから(こちらの問題が、圧倒的に重要)。象徴的にこういう物言いをするのは、全く妥当では無いでしょう。と言うかですね。WEBで、本気で調べ物をしてみて下さい。1クリックで答えが出るとか、そういう問題では無いのが、よく解りますから。様々な情報が錯綜していて、それを取捨選択するのに、ある程度の認識力が、要求されますので。

この記事の最後辺りに、久保田競氏のコメントがありましたが、どういう意図からの発言でしょうね。捉え方によっては、結構凄い主張だと思いますが。

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メモ:

寺沢氏(他)の研究は、『脳内汚染』の元ネタの一つですね。上の、篠原氏のブログも参照。

上にも書きましたが、GO/NO-GO課題の結果を一般化する妥当な根拠は、心理学的に見出されているのでしょうか。

「ボタン一つで」云々という物言い自体が、現代社会を非難する陳腐な象徴表現だと思うのは、私の偏見でしょうか。

社会状況の変化(ネガティブな)の説明の根拠に、自身の研究結果を持ち出しておられる訳ですが、その前に、その社会状況の変化についての解釈が妥当であるかを、考察したのでしょうか。その前提が誤っていた場合、話にならないと思います。

ボタン一つで、って、電化製品でもイメージしているのかなあ。テレビ等のリモコンを見ると、「ボタン数十個で」、ですが。入力系は、寧ろ複雑になっている気もします。ネットは云々というのも、単なる印象ではないですかね。

身の回りの道具がブラックボックス化(言い方を換えると、分解した所で、メカニズムは解らない、という事です)する事と、その仕組みに関心を持つかどうかは、全然別の話ですよね。家族でテレビを観ていて、「テレビはどうして映るの?」という話題が出る事なんかは、考えていないのかな。

運動が重要なのは、私もその通りだと思います。人間も、自然科学のメカニズムに従う存在な訳ですから。でも、それを主張する余り、他の文化を非難する論調は、頂けません。

何か、神経神話って、脅迫に近いものを感じるんですよね。研究者の意図が、善意からのものであっても、です。脳のイメージング結果とか、課題遂行の成績のグラフとかを見せつけられれば、怯みますよね。だから、出来る限り慎重に、情報発信して頂きたいものです。

色々調べていたら、こんなページを見つけました⇒テレビ・ビデオ・ゲームの影響を考えよう …むう。

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2007年3月22日 (木)

同じか

遊鬱さんに、教えて頂きました⇒横浜市 緑区 報道発表「緑区健康づくり特別講演会」 福祉保健課

ふう…。

岡田氏が「ゲーム脳」をテーマに講演で、しかも主催が、「緑区医師会、緑区福祉保健センター」ですか。

レポートとか上がってないかな。岡田氏が、どういった内容の事を喋るのか、興味深い所です。

講演タイトルを何とかしてくれ。

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2007年3月12日 (月)

メモ:ゲーム脳が仮説から脱却するには

ちょっと視点を変えて。例によって、走り書き。整理されていないし、重複部分もあります。

  1. 脳機能イメージングによって、高い確度で認知症が診断できる事を、論証する。
  2. ゲームによって、同様の脳活動が見出される事を、論証する。
  3. 或いは、ゲームプレイ時間と、認知機能に関する心理尺度のスコアとの相関関係を、論証する。
  4. ゲームプレイ中に賦活しない事が見出されたとすれば、それが恒常的である事を論証する。
  5. あらゆるゲームにそれが見られるか、それとも特定のゲームで起こるかを、論証する。
  6. あらゆるゲームで起こるならば、そこに共通する要因を見出す。
  7. 特定の種類のゲームで起こるとするならば、普及しているゲームの大部分が、それと同様の特性を持っていなければならない。そうでなければ、ゲームをやると脳機能が低下する、という仮説が成り立たないからである。
  8. ゲーム以外では起こらない、或いは、ゲームプレイによって著しく起こる事を論証する。そうでなければ、「ゲーム」を術語に含めるのが不適当だからである。

せめて、これくらいは、やって下さいね。

そもそも、ゲーム脳に定義がありませんからねえ…。森氏のロジックは、認知症がイメージングの結果によって診断出来るらしい→ゲームをやると、同じ様な結果になるらしい→ある脳波の状態を「ゲーム脳」と名付けた→ゲーム脳人間は、色々問題がある(悉く主観)。というものですから、論理的に批判する事自体が、難しいんですよね。

端的に書けば、脳の「機能が低下」する事を「ちゃんと測れる」方法を用いて、それが「ゲームによって」引き起こされる事実を見出して、「ゲーム以外では起こらない」と論証しなければ、ならないのです。

ところで、『ゲーム脳の恐怖』をお読みになっていない方の為に、本の腰巻に書かれている文章を引用します。※著者がその内容に関わっているという事では無いでしょうから、本そのものへの批判と取って下さい。

テレビゲームが、子どもたちの脳を壊す!

脳波データの解析で、その恐ろしさが明らかに。

まあ、これ程あからさまに、特定の文化を否定するものも、そんなに無いでしょう。駄目ですよね、どう考えても。

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2007年3月 8日 (木)

ロールプレイング?

これは、森昭雄氏が批判される際に、よく触れられるのですが、森氏は、ゲームのジャンルも、ろくに把握していないのですよね。『ゲーム脳の恐怖』を未読の方もおられると思うので、引用します。

 ロールプレイングゲームにもいろいろな種類がありますが、前頭前野の活動を増大させたソフトは、単にファンタジー的なものではなく、ホラー映画のような、スリルと恐怖感を抱かせるものでした。自分が敵にみつかって殺されないように敵陣に進入し、相手を威嚇しながら画面上で突き進んでいくというゲームだったのです。(P104)

ゲームをしない人にはピンと来ないかも知れませんが、よくやる人は、「この人は何を言ってるんだ?」となると思います。勿論、各ジャンルを厳密に定義するのは、大変難しいのですが、共通了解として、「ホラー映画のような、スリルと恐怖感を抱かせるものでした。自分が敵にみつかって殺されないように敵陣に進入し、相手を威嚇しながら画面上で突き進んでいくというゲーム」、というくだりを読んで、「ああ、RPG(ロールプレイングゲーム)ね」、と感じる人は、いないでしょう。恐らく殆どの人は、『バイオハザード』の様なゲーム(ジャンルとしては、「アクションアドベンチャー」等でしょうか。RPGに含める人は、いないでしょう。バイオハザードで、HPとか、各パラメータを数値で表したりしたら、「アクションRPG」にはなり得ますが、RPGの典型例としては、ドラクエやFFでしょう)を、イメージした筈です(実際に何を用いたかは不明。情報希望)。

まあ、「単なる勘違いかも知れないし、それ程本質的な問題では無い」、という見方もあるかも知れませんが、ゲームプレイの脳に与える影響を研究すると主張するならば、その程度の知識くらいは、当然、身に着けておくべきだと思います。

これは何度も書いていますが、「ゲーム」が与える影響を調べるのなら、ゲームそのものを分析するべきです。もし、ジャンルを全く問わず、ゲームに普遍的に共通する要素が悪影響を与えると主張するのだったら、それを明らかにすべきです。しかし、森氏は、ゲームによって差があると、自ら言っているのですよね(最近の、DSに関する発言にしても)。そういう所も、矛盾している訳です。

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上にも書きましたが、ジャンル分けは、難しいですよね。『モンスターハンター』シリーズは、「アクション」ではあっても、「RPG」に含める人はいないでしょうし、『ゼルダの伝説』シリーズの場合は、もうちょっと曖昧ですね。シリーズのどれを見るかによっても違いますし。『聖剣伝説』シリーズは、アクションRPGと捉える人が多いでしょう。色々な要素が絡み合って、認知されるのですよね。いわゆる「ストーリー性」を重視するかにもよるでしょうし、そもそも、メーカーの発表の影響も受けるでしょう。そういった意味で、大変曖昧です。ただ、『探偵 神宮寺三郎』シリーズをアクションと考える事はあり得ないし、『バーチャファイター』をサウンドノベル(これはそもそも、テキストと音声をベースにしてグラフィカルな情報を制限して、プレイヤーの想像に任せる、というコンセプトな訳ですから)と見る事も、あり得ません(笑) そういう意味では、はっきりと区別出来るものも、あります。

そう言えば、昔は、『グーニーズ』(古っ)なんかを、「アドベンチャー」と、言ってませんでしたっけ? 記憶違いの可能性大、ですが。

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2007年3月 6日 (火)

脳トレ批判

以前もご紹介したブログに、かなり興味深いエントリーが上がっていました⇒大「脳」洋航海記 » 脳ブームへの懸念:Nature NeuroscienceのEditorialより

こちらも興味深いです⇒『脳トレ』ブームと川島隆太さん:生命の理解、そして「理解」の理解。冗談を休み休み言いたい。 - 批判力を鍛える大人のおもちゃ

やはり、専門的に勉強されている方の分析は、とても、参考になります。

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2007年3月 4日 (日)

100%忘れる? 詭弁 15分

SSTさんに頂いた情報で、以前ご紹介した、森昭雄氏の講演会に参加された方の記事に、追記があったのを知りました⇒たこの感想文: 潜入! ゲーム脳洗脳セミナー!!

これは貴重な情報ですね。引用します。

 本文にも書きましたけれども、いきなり司会の男性の紹介から「ゲームの悪影響を」と始まり、幼稚園協会会長は「教育に生かして欲しい」と挨拶。さらに、講演後にも肯定的な言葉で締める、と完全に好意的に扱っていました。もしこれが「こんな考え方もある。自分で判断して欲しい」という主旨ならば、もっと言うべき事は沢山あるはず。この内容が「こんな考え方があることを紹介する講演会」で通るのであれば、集会を行っての実演販売であるとかも通ります(実際、会場で森氏の著書を売っており、黒山の人だかりができていました)。流石に、このコメントには呆れました。

これは、理系白書(理系白書’07:第1部 科学と非科学/5 過熱、脳ブーム)の、

市教委は「(ゲーム脳という)考え方があることを紹介する講演会。判断は聞いた人にゆだねたい」と話した。

この部分を受けてのものです。まさに詭弁。

次に、”「15年間、ゲームを毎日7時間やってきた大学生は無表情で、約束が100%守れない」”の部分。ちょっと細かいですが、これについて感じる疑問。

  • ゲームを毎日7時間というのは、どの様にして調べたか。自己申告か。家族や友人に聞き取りを行ったのか。
  • 小・中・高時代に毎日7時間ゲームをするのは、時間的に、とても困難である。通学しながらも、それ程長時間行ったのか。
  • 毎日とは、文字通り「毎日」か。ゲームをやらない日はどの程度あったのか。
  • 「約束が100%守れない」とは、どういう意味か。約束を忘れるという事か。憶えていて守らないという事か。誰に対してもそうなのか。「100%」とは、「忘れる事がある(100%”は”守らない)」という意味か、それとも「守る事が無い(100%”を”守らない)」という意味か。
  • そもそも「約束」とは、何を指しているか。森氏との約束か。友人やアルバイト先、家族との約束にまで亘るのか。森氏と5回約束して5回忘れても、「100%」ですよね。

大体、「100%○○だ」、なんて、日常会話では、誇張表現として用いられるのが一般的、ですよね。普通、冗談でしょう。それを講演会とかで、真面目に紹介するなんて…。尤も、聴衆がどの様に受け取ったかは、よく判りませんが。

で、このエピソードは、森氏の話で、結構出てくるものですが、記事によって、表現が微妙に異なります。

  • たとえば私が調べたある青年は小学生のころから毎日7時間ゲームをやってきたが、約束はほぼ100%忘れる。アルバイトもゲームセンターで、就職はゲーム関連の会社を受けたが、すべて落ちてしまった。いまは音信不通」という。(携帯メールでも脳が壊れる? 拡大する“ゲーム脳”汚染
  • 脳波の検査をするといっても、約束をすぐに忘れてしまう。小学一年から毎日7時間ゲームをしてきた学生は、約束は100%忘れてしまう。(第6回読売NIEセミナー

森氏が、どれ程とんでも無い事を言っているかは、VOD Service:教職員登場・森昭雄教授「ゲーム脳からの解放」を観れば、よく解りますよ(13分30秒辺りに、「小学生の場合、ゲームは15分くらい」という発言あり)。

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2007年3月 1日 (木)

理系白書にゲーム脳

ついに、理系白書において、ゲーム脳が取り上げられました⇒理系白書’07:第1部 科学と非科学/5 過熱、脳ブーム

私は以前、どの様に取り上げられるかを予測したのですが(Interdisciplinary: 予測)、初めに予測した通りの内容になり、後から立てた予測は、はずれました。

さて、記事の内容ですが、私は、全く不充分であったと考えています。以下、ゲーム脳に関して書かれた部分を引用して、考察します。

単純明快なストーリーはマスコミに乗って広がり

マスメディアは時折、この様な、まるで、自分達が含まれないかの如き書き方をします。一因として、元村氏の記事があった事を、説明すべきです。あれ程指摘されたにも拘らず、その事には触れていません(後で、理系白書ブログのコメントに言及します)。

市教委は「(ゲーム脳という)考え方があることを紹介する講演会。判断は聞いた人にゆだねたい」と話した。

市教委のコメントですが、これは話になりません。この論法だと、どの様な暴論でも、「教育委員会主催・後援」において、流布される事が可能になってしまいます。聞いた人に判断を委ねるというのは、自分達がその説を支持している訳では無い、という正当化でしょう。では何故、その様な説を主張する論者に講演を依頼したのでしょうか。対象がどの様な評価を受けているかを調べるのは、余りにも当然の事です。

科学界からの声に森教授は「脳波を知らない人や、ゲーム業界の支援を受けている人の主張だ」と反発する。「電極を増やした精密計測も進めており、論文はいずれ書く」とも話した。最近になって「ゲームはいけない」との主張を「1日15分なら大丈夫。共存も考えなければ」と変えた。こうした一貫性のなさも不信を持たれる一因だ。

前半は、『サンデー毎日』の記事、後半は、まんたんウェブの記事(特集:脳トレ・DS“ゲーム脳理論”の森昭雄教授に聞く「良い効果の可能性も」 (まんたんウェブ))の参照でしょう。しかし、この書き方は、恰も、最近森氏が主張したかの様です。詳しく知らない人は、新たに森氏に取材をした、と誤解するかも知れません。脳波を知らない~、論文はいずれ書く(こちらは、もっと以前から言っていたはずです。記事なりが見つからないですが)、の部分は、昨年のインタビュー、「ゲームを一日15分」と言い出したのは、特に最近ではありません。余りにも、取材不足です。ゲーム脳に関して書かれた物に当たって書いただけ、としか思えません。

理系白書ブログ: 3月

こちらにある、一技術屋さんのコメントが、適切な批判です。

そして、元村氏のコメントです。

本当にそうだと思います。あの頃は科学記者として未熟でした。科学は万能・・・とまでは思ってませんでしたが、「いい加減な科学」が、自分の取材する範囲にあるとは思っていなかったところがありました。だまされるのは自分に科学や研究のバックグラウンドがないからだ、記者として失格だと思ったことが何度もあります。

 宗教団体による「クローン赤ちゃん誕生」報道も含めて、科学記者としての能力の限界を感じ、反省することばかりです。いくつかの失敗経験を通して、よい意味で「疑う」作法を学んでいるところです。
 「一技術者」さんにも、長い目で見ていただけたらと思うのですが・・・。
先ず、何故この内容を、新聞記事に書かないのでしょうか。一見、過去を反省している殊勝な態度に思えますが、無理に一般論に転換しています。「科学や研究のバックグラウンドがない」とは、どういう意味でしょうか。元村氏が指摘されているのは、ゲーム脳について、具体的な釈明をすべきだ、という事です。何故、「仄めかす」様な書き方しかしないのでしょうか。また、「長い目で見ていただけたら」という部分も、おかしい。これは、「記者としての見識が身に着くまで見守ってくれ」、という事なのでしょうか。駄目でしょう、これは。ある意味、「長い目で見た」から、ゲーム脳がこれ程蔓延した、というのも言える訳です。
正直な所、(ある意味予測通りだったとはいえ)大変腹立たしいです。ここまではぐらかすとは。今後、元村氏は、徹底的に批判されるでしょう。それも、仕方が無い事です。

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2007年2月28日 (水)

ゲーム脳が授業参観に

del.icio.us/cactus_f経由⇒専業主婦のトモ:授業参観で「ゲーム脳」登場(1) - livedoor Blog(ブログ)

むう、水伝(水伝関連記事は必読です)に続いてゲーム脳も、ですか…。大変ですよね。

専業主婦のトモ:授業参観で「ゲーム脳」登場(2) - livedoor Blog(ブログ)

8つのグループのうち6つに「ゲーム脳」が
書いてありました。
例えば・・・
・ゲームをずっとしているとゲームのうになる
みたいに書いてありました。
中には「のうみそが少なくなる」って書いてあるのも!

…。もう、何と言うか。戦慄です。授業にゲーム脳が出てきた事はともかくとして(これが問題であるのは当然として)、子ども達に、これ程ゲーム脳が知れ渡っている(と言い切るのには注意が必要ですが)という事実に、驚きました。これは推測でしかありませんが、保護者の方の、ゲームを長時間させない方便として、それが用いられているのでしょう。科学的根拠があるか無いかは、重視していないかも知れません。

これは、とてもまずい状況です。

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2007年2月19日 (月)

「老婆心」、というか…。後、水伝肯定とか

ゲームの危険性|キッズルームのお姉さん

ゲームの危険性をきちんと認識するのは必要なのですが、その根拠に「ゲーム脳」を持ち出されると、堪らない訳ですよ。

因みに、「コミュニケーション能力など使う場面もない」って、大きな誤解ですよ。一面を捉えているだけです。他者とコミュニケーションを取らなくとも完結するゲームが多いのは事実ですが、だからといって、ゲームをする人間がコミュニケーションを取らない、という訳ではありません。

と言うか、一人でゲームやっている子どもがいたら、「何やってるの?」と声でも掛けて、コミュニケーションを取ろうとする方が良いのでは? 子どもは、嬉々として、自分がやっているゲームについて、語るかも知れませんよ。その方が、遠くから眺めて(曖昧な)危険性を案ずるより、遥かに良くありませんか?

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kikulog&某ブクマ経由で。

科学技術振興機構 新しい物理現象や動作原理に基づくナノデバイス・システムの創製研究領域・研究事務所:コラム 技術参事 篠原紘一:109. 水の不思議

これはまずいのでは…。どこまで本気なんだろう。

寺石研究室(「もっと知りたい人のために」を参照)

経歴を見ると、哲学の講義を持ったりしてるみたいです。言語論を教えたりは、しないのでしょうか。と言うか、哲学やってる人が、江本氏を薦めたら、駄目でしょう。

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成城トランスカレッジ! ―人文系NEWS & COLUMN― - 『水は語る―魂をうつしだす結晶の真実』で意気投合する江本勝さん&窪塚洋介さん

そういえば、この対談を読んだのは、初めてでした。しかし、これ程とは。

自分の脳内辞書で完結している人同士が対談すると、こんな感じになるのですね。言葉を精確に使おうとか、微塵も思っていないのですかね。いや、本人達は、言葉の「本質」とやらが解っている、と感じているのでしょう。

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ガードナーの本を読んだ直後に見たので、眩暈を禁じえなかったり(ちょっと言い過ぎですが)。

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2007年2月 8日 (木)

子育て

続きです - 一粒の麦・・・主とともに、どんぐり倶楽部とともに - 楽天ブログ(Blog)

…何というか。ブログの書き手さんでは無く(取り敢えず置いておいて)、お知り合いの発言が、余りにも…。

ところで、「どんぐり倶楽部」というのがあるのですね。初めて知りました。有名なのかな? オフィシャルサイトを見てみましたが、いまいちよく解りませんでした。現在流行っている教育法の弊害を危惧しているという点は、見て取れましたが。

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2007年2月 7日 (水)

説明

大和但馬屋日記の迷宮物件:政治的に正しいかどうかも本当にどうでもよくて

何か、凄い誤解を与えてしまっていたみたいです…。

えっと、前のエントリー(Interdisciplinary: ゲーム脳と脳トレ)で書いたのは、ブログ紹介と、そのブログについての感想を書いた上で、脳トレに対する、ゲームユーザーとしての、個人的な意見を主張しました(一応、”ユーザーとして、かなり個人的な意見を書きますけれど(敢えて一般化して書きます)”と、書きました)。なので、yms-zunさんに対する直接の批判では、無かったのですが…。というか、個人としての意見は、多分、同じ様なものだと思います。ゲーム脳やゲーム論のカテゴリーを読んで頂けると、判って下さるかと(TBしたエントリーでお書きになっている事と、同様の主張をしてあると思います)。たまに、「ゲーム脳を批判するなら脳トレも同じく批判す”べき”だ」と、主張する人がいます。私が書いたのは、そういう人に対する批判ですね。なので、A-WINGさんと徳保さんのやり取りを、例に出した訳で(いや、ちゃんと書いていませんでしたね…。こちらです⇒Frog is not Blog::なぜゲーム脳を批判するのかFrog is not Blog::ひとつの旗の下に)。

川島氏について言及したエントリーを、挙げておきます。

Interdisciplinary: 脳をきたえる?

Interdisciplinary: 過度な依拠

Interdisciplinary: メモ:川島隆太氏の研究について

Interdisciplinary: 学習療法

Interdisciplinary: 色々考えるなあ

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2007年2月 6日 (火)

講演会感想

さっそくリポートが上がってました⇒たこの感想文: 潜入! ゲーム脳洗脳セミナー!!

ちょっとしか読んでいませんが、取り敢えず、ご紹介まで。

さっき上げた毎日(まんたん)の記事と、同じ日かあ。

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インタビュー

特集:脳トレ・DS“ゲーム脳理論”の森昭雄教授に聞く「良い効果の可能性も」 (まんたんウェブ

特に書く事は無いですね。余りにも予想通りですし。

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2007年2月 5日 (月)

ビッグバン?

特集:DS・脳トレ“ビッグバン” ある天才の挑戦 (まんたんウェブ)

学習療法による脳機能改善を促進する「脳イメージング理論」の提唱者・川島隆太・東北大教授。

…大丈夫ですか? 誰も突っ込まなかったのだろうか。何重にも間違ってますけど。統語も…。

「ゲーム脳」の提唱者である森は「自分で歯止めをかけるのは難しい子供に安易に与えるのは良くない」と前置きしながら、「まだ実験をしていないので、確かなことはいえないが、良い効果を与える可能性はある」とDSに一定の評価を与えている。

私がよく言及する、「良いゲームが出てきた(出てくる可能性がある)」論です。『ゲーム脳の恐怖』においても、体感ゲーム(古い表現ですが)では好ましい脳波が出る、という事を、仄めかしています。要するに、「当時言っていた事を否定する訳では無い」という論理です。元々森氏の主張は、論理的整合性を、著しく欠いていますから、色々な言い逃れをされる可能性があります。

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2007年2月 4日 (日)

ゲーム脳と脳トレ

ゲーム脳・脳トレ関連のブログを幾つか。

放送済み「ラジオ深夜便」 曲目・演目リスト 2/01木 脳のはたらきとラジオの効用 和歌山県立医科大学教授 板倉徹

・テレビゲームをすると、脳は物を動かす所と見る所のみがうごいている。前頭葉ははたらいていない。
・前頭全野がはたらいていないので他人を思いやることができなくなるという説もある。

もろにゲーム脳ですね。説もある、なんて言い方ではありますが。ワープロを使ったら漢字を書けなくなる、というのは、よく見かける意見ですけれど、ある意味当たり前です。そもそも、思考を素早く出力する為のツールなのですから。わざわざ複雑な文字を書いていられないから、キーと文字が対応している道具を使うのです。そもそも、「脳に役立つ」というのは、どういう意味なのでしょうね。それ自体が、とても曖昧ですから、何とでも言える所があります。

大和但馬屋日記の迷宮物件(2007年02月02日)、←経由で⇒数学教育研究会:科学の先端にある脳科学者の古風な教育観を批判する

大和但馬屋日記の迷宮物件さん、何か面白い文章ですね。で、ですね。ユーザーとして、かなり個人的な意見を書きますけれど(敢えて一般化して書きます)、ゲームをやる人は、『脳トレ』を、「単なるゲーム」としか見てないのですよ。乱暴に書くと、「んなもんで、脳が鍛えられるか」って感じです。多分、あれに、何らかの教育効果を求めて飛びつく人は、元々、余り、ゲームに関心が無い人なんですね。テレビゲームのソフトとして出された時点で(シリアスゲームの様に、明確に教育目的を謳わない限り)、「ゲーム」なんです。脳に良いとか、どうでもいいんです。ゲームは、面白いからやるんですね。だから本来、それが科学的に妥当かどうかは、本当に、どっちでもいいんです。基本的にエンターテイメント性を含む、「テレビゲーム」には。まあ、ユーザーとしては、そんな感じです。

で、ゲーム脳を批判して川島氏を批判しないのはどうなんだ、という意見については、A-WINGさんがブログに書かれていた通り、森氏の説が、ゲーム業界やユーザーを貶める、途轍も無い暴論であるのに対し、川島氏のゲームは、数多発売される内の、単なる一ソフトです。元々、比較の対象では無いのです。結局、そもそも、ゲームでの脳トレに「科学性」を求めるかどうか、という所が重要でしょうか。ところで、ゲーム脳を批判する人は、脳トレを好意的に受け取っているのですか? あくまで印象ですが、ゲーム脳を信用しかける人が、脳トレの登場によって、ゲームを「見直す」というのが、結構見られるのですが。ゲーム脳を批判する人が、脳トレを好意的に捉えるという事は、特に無いと思います。

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2007年2月 3日 (土)

シンボル

Interdisciplinary: 展望に頂いた、ドラゴンさんのコメントを受けて。

もしかすると、的外れな意見かも知れませんが。

恐らく、ゲームに否定的な人は、それらの文化を、「子どもがやるもの」、言い方を換えると、「よい大人がやるようなものでは無い」と、看做しているのではないかと思います。「テレビゲーム」を、「幼稚」を象徴する記号と看做している、とも言えます。又、何の役にも立たない、という見方もあるかも知れません。

ゲーム脳は、それらの認識を正当化する装置なのだと思います。そもそもゲームに否定的な人は、森氏の言説に触れて、(潜在的にしろ)それが、自らの認識を客観的に証明する概念だと考え、「飛びついた」のだと思われます。で、そういう人は、たとえば「脳トレ」の様なゲームが出てくると、今までのゲームは駄目だったが、脳トレが出てきて、状況が良くなってきた、と考える、という事もあります。これも結局、権威に頼るという部分がありますね。

ゲームをやる人間として、自分の経験を振り返ってみると、ゲームは、仲間とのコミュニケーションを深めるツールであり、ゲームのストーリー、つまり、映画や小説と同様の、クリエイターの創造性が表現されたものを楽しむメディアであり、(結果的に)記号操作などを鍛え、論理的認識力を高める(あくまで経験的に、ですが)道具でもありました。そして、「大人に馬鹿にされる」文化でもあり、大人がやるものでは無いと、(こんな文章を書いているのに)私自身、思っていました。

メディアそのものメッセージ性というのは、「どの媒体で表現されているか」、という事実が形成するバイアス、と考えてよいと思いますが、今後、それがどの様に変化していくかは、なかなか予想しづらい所ですね。色々な分野の人の取り組み次第、だと思います。実際、川島氏の脳トレは、(過程はどうであれ)ゲームのイメージアップには、大きく貢献したと思います。それによって、「脳にも良いゲームがあるのだ」という認識は、ある程度は広まったと言えるでしょう(それが妥当かどうかは別にして)。もしかすると、教育目的で制作されたシリアスゲームが登場し、それが大きな成果を上げ、注目されるかも知れません。そうすれば、否定的な人も、評価を替えざるを得ないかも知れません。業界の取り組み、マスメディアの取り上げ方、等々が関わってくる、複雑な問題ですね。

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2007年2月 1日 (木)

牽強付会

就活応援、社長のブログ: ゲーム会社のこれからの役目

ゲーム会社は嫌いだ。誤解を恐れずに言わせてもらえば、「子供の小遣いかすめ取って、株式上場もねーだろう。」..と思う。

ゲーム会社を批難すると共に、他人の趣味にまで首を突っ込んで、文句を仰る。「誤解を恐れずに」と書いておられますが、誤解とは何でしょうね。単純な、心情の吐露にしか読めませんが。

その末路は、ゲームオタクだった。親の目から見れば、ゲーム屋さえなければ..と思ってしまう。

これは、ある趣味に時間を費やす人間に対する侮辱ではありませんか? ご家族に対しての感情というのは判りますが、それにしても、この書き方はないと思います(この前に、ご子息について語っておられますが、具体的な事情が判らないので、言及出来ません)。

ところが、すこしゲーム屋さんを見直す出来事が起きている。例えば、「もっと脳を鍛える大人のXXトレーニング」のような、いわゆるピコピコやるゲームとは違うソフトがヒットしている。大人の懐を狙った物だが、なかなかねらいは面白い。こんなソフトなら支持できる。

こういう意見もあるだろうという事は、予想していました。つまり、脳トレ系のゲームが流行り、ゲームは別に、脳に悪影響を与えないのではないか、という認識が広まると、今度は、以前のゲームではゲーム脳になる危険性があったが、脳トレ系のゲームが出てきて、状況は改善された、という論理が現れてくるのです。結局の所、ゲームを批難する事に、変わりは無い訳です。「いわゆるピコピコやるゲーム」とは何でしょう。ゲーム好きに、脳トレについて感想を求めてみると良いと思いますよ。勿論、色々な意見があるでしょうけれど、個人的には、「ゲームとして単純過ぎる」という感想です。ああいった記号操作に適度にエンターテイメント性を纏わせ、仕立て上げたものが、良いゲームなのです。そういう所を詳しく吟味しないから、

ゲーム脳の子供を量産し日本を破滅に導くようなソフトばかりでなく

こんな滅茶苦茶な、暴論が出てくるのです。Wikipediaの項目をリンクするくらいなのですから、ゲーム脳のニセ科学性は、ご存知でも良さそうなものですが。

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予測

理系白書でゲーム脳が取り上げられるかどうかに、注目しています。
初回は、波動商法が取り上げられた訳ですが(含む水伝)、今後、ゲーム脳を取り上げるかどうかについて、色々パターンが考えられます。つまり、

  • ゲーム脳を取り上げ、毎日が最初期に紹介したことについて、何らかの釈明がある。→最も望ましい展開。たとえ、謝罪に近い釈明があったとしても、なぜ今まで放っておいたのだ、という批判は免れるものではありませんが。
  • ゲーム脳が取り上げられ、元村氏の記事については触れない。→個人的には、最も可能性が高いと思います。大顰蹙を買うでしょう。
  • ニセ科学の代表格と目されるものの内、ゲーム脳だけ取り上げられない。→不誠実。あからさま過ぎて、批判されるでしょう。「紙面の都合があるから、網羅的に取り上げる訳にはいかない」という言い逃れは通用しません。ゲーム脳をニセ科学の代表として取り上げないというのは、余りにも、記事として妥当さに欠けますから。
  • いかにも代表格と考えられるものを、「いくつか」取り上げ「ない」。→狡猾。正当化の理由としては、上のものと同じ。たとえば、あえて、血液型性格判断とゲーム脳を取り上げない、という場合。

果たして、どの様な展開になるでしょうか。

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2007年1月30日 (火)

原点

Interdisciplinary: 自己中心の続き。

大友氏の著書を書店で見つけたので、ゲームに言及した部分(携帯電話等のメディアにも言及)と、他に数ページだけですが、読んでみました。こちらの著書です↓

ぼけになりやすい人、なりにくい人 Book ぼけになりやすい人、なりにくい人

著者:大友 英一
販売元:栄光出版社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

ゲームについて書かれた部分を、要約します。引用では無いので、詳細は、原典をご確認下さい。

  • 認知症例は、β波が消失する。
  • 森昭雄氏から、ゲームをやる人のβ波が低下するという、連絡があった。
  • 調べた結果、ゲームをやる人は、β波が低下する事が判明した。又、それは、ゲーム時間に比例する事も判った。
  • この事から、ゲームをする子どもは、何も考えずに、手を反射的に動かしていると、明らかになった。
  • アルツハイマー病に、子どもの頃のゲーム体験が一役買っているのかも知れない(記憶が曖昧です)。

他の部分は読んでいませんので、全体としての内容(医学的な部分の)が、どの程度妥当なのかは判りませんが、いわゆる若者たたき的な表現が、いくつか見られました。ご紹介したエッセイと、似たようなものです。後は、少年犯罪が増えている、という、お決まりの内容ですね。

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2007年1月29日 (月)

自己中心

2ちゃんねる(誰だよ"ゲーム脳"とか意味不明な事言った野郎は)経由で⇒リレーエッセイ13 大友英一(後でゲームリンク集に追加します)

中でもゲームが有害であることを繰り返し声を大にして主張していきたいと思う。テレビゲームをやる子供の脳は、異常に気づかれた日大文学部森昭雄教授が私と二人で痴呆老人の脳波とテレビゲームをやる子供の脳波の比較を行ったところ、子供の脳波が痴呆老人のそれに似ており、ゲームをやる時間に比例してより近づくことを確かめたのである。大人も子供も夢中にさせる麻薬のようなゲームというものは、勉強、読書の妨げとなるのは確実。まず学校で禁止すべきである。

 最近脳血管障害がアルツハイマー病の発現に関与する可能性を示す論文発表が海外で行われている。また最近の調査では10数年前に比し、30才代の人々の動脈硬化が増強している由。これは脳血管障害の増加につながることである。

  21世紀最大の課題は老年痴呆症の抑制である。その予防の為に脳の老化を抑える(遅くする)ことが必要となってくる。

 自分の世界に閉じ込もり、周囲への気配りを忘れさせるゲームは、痴呆予防の大敵であると喧伝したいのである。

喧伝したいそうです。というか、共同研究者なのですね(CiNii - 脳波による痴呆の解析)。「森昭雄教授が私と二人で痴呆老人の脳波とテレビゲームをやる子供の脳波の比較を行った」と、はっきり書いています。尚、近著でも、ゲーム脳説を支持する意見を書いているとの事(※私はソース未確認です)。

他にも、自己の価値観を押し付ける意見に満ち満ちています。

引用して批判しようかと思いましたが、全体的に酷いので、やめます。要するに、この方は、「自分が不快だと思う事を社会全体がやらない」のがマナーだと思っておられるのでしょうね。それは、冒頭で引用されている、

マナーとは、周りの他人を不快にさせないための気配りである。(引用者註:強調ははずしました)

の、捻じ曲がった解釈です。

自分が嫌いだと思っている行動をしている人が増えている様に見えたからといって、マナーが悪くなったとか、羞恥心が消失した等とは、言えないのです。本当にそれを確かめたいのなら、大規模な、心理学的研究なりをすべきでしょう。

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2007年1月25日 (木)

メモ:ゲーム脳仮説の検討

既に論破されている所についても、敢えて書いておきます。走り書きですので、重複等、不充分な所もあると思います(相当読みにくいです)。論理的な不備等あれば、ご指摘頂ければありがたいです。

  • そもそも「ゲーム脳説が妥当」と言える為には、どの様な条件を満たせば良いか。
  • ゲーム脳は定義されているか。明確な定義が無ければ、反証が難しい。著作に書かれている内容を分析して、それを部分的に検証する事しか出来ない。だから、「ゲーム脳が無いと証明された訳では無い」という反論が出る。
  • 森氏は、ゲームプレイ中に認知症と同様の脳活動が見出されると主張しているが、それは妥当か。妥当であるとして、それは、認知症に特有のものか。即ち、認知症を高い精度で診断出来る程の信頼性があるのかどうか。※この部分を、「ゲーム脳」とするのが妥当でしょうね。であれば、反証は容易いです。ただ、森氏は、明確に定義してはいませんね。
  • 森氏は、もの忘れが激しい、とか、無気力とか、そういう「印象」を語っているが、本来これらは、心理学的に測定すべきものである。心理学的根拠の無い主観的評価や単なる自己申告に基づいて論を展開するのは飛躍であり、極めて不当である。
  • 森氏の主張は、極めて「強い」ものである。即ち、「ゲーム」をすれば、脳のある部分の機能が低下する、という主張。「ゲーム」には、全て、もしくは大部分という意味が含まれている。そうで無ければ、ゲーム一般に成り立つという前提が崩れるので、ゲームソフトによってまちまち、という事になり、主張が弱まってしまう。であれば、ゲーム一般に共通する論理を考察すべきである。そして、条件を統制し、実験的に、「ゲームに共通する部分」の影響を確かめるべきであろう。その場合は、条件を統制した為に、そもそも「日常生活でゲームをする」という状況とはかけ離れてしまう可能性(一般化可能性があるかどうか)がある事を、念頭におくべきである。勿論、森氏の主張は強いものであるから、どんな状況でも、どんなゲームをやっても、脳の機能低下が認められねばならない、という考え方も出来る。
  • 森氏は、全身運動の効用を語り、ゲームと対比している。しかし、全身運動が生理・心理学的に有用であるとしても、その他の文化を批判する論拠にはならない。文化には、それぞれ様々な特性があるのだから、安易に効用の面で分類すべきでは無い。※発達心理学等の知見を踏まえても、小さい内に、色々な体験をさせるのは、重要なのだと思います。ゲーム脳を批判する人は、必ずしも運動の効用を否定しないのです。余談ですが、「運動」と一言で済ますのも問題です。どの様な運動が効果的か、という視点もありますので。現代の体育教育は妥当か、とかも。個人的な意見を言うと、身体運動は、圧倒的に重要だと考えています。身体と脳は、相互作用している訳ですから。
  • そもそも、「前頭前野の機能低下」とは、いかなる現象を指すのか。それは、神経科学的に妥当なのか。学者のコンセンサスを得ているものなのか。それは、ブレイン・イメージング研究だけで判断出来るものなのか。心理学的測定によっても検証されるべきか。※脳画像だけ見て、その人の心理特性を云々する神経科学者なんて、いないとは思います。そもそも森氏は、運動生理学が専門ですし。
  • 森氏は、「キレる」事とゲームとの関連も指摘している。ここで考えなければならないのは、「キレる」とはいかなる現象か。それは定量化出来るか。定義したとして、それは以前と較べて増えているのか。それとゲームの関係を、どう論証するか。※マクロな視点で見ると、犯罪統計とゲームの普及との関係を統計解析すれば、ある程度の事は言えるのではないかと思います。ところで、「キレる」を、少年犯罪の推移等と絡めて論ずる人がいますが、「キレる」って、独特の言葉ですよね。
  • 森氏は、一部例外のソフト(ダンスゲームやRPG ※RPGは、恐らく『バイオハザード』と思われます。多くの人は、あの記述を読んだ時点で、森氏の無知さを確信したはずです)のプレイ中には、脳波が「ゲーム脳」状態では無いとしているが、それは殆ど無視して(理由をこじつけて)しまっている。これは不当である。
  • 前頭前野があまり活性化しないという事が見出されたとして、それは問題であるのか。つまり、「そうなってはいけない」のか。※川島隆太氏か誰かが仰っていました。いつも活性化していたら、疲れてしまう、と。それを踏まえて、ゲームにはリラックス効果があるから良い、と言った訳ですが、それも、どこまで一般化出来るか、という疑問はあります。そういえば、脳トレ系が脳に効く事が判った、という研究を、最近見かけた気が。

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2007年1月23日 (火)

人のふり見て

「あるある」捏造はなぜ:39.JosephYoiko January 23, 2007 @ 12:21am経由⇒理系白書ブログ: ないない大事典 別に、以前ゲーム脳を肯定的に紹介したという事実のみで、他を批判してはいけない、というつもりはありません(元村氏を批判する方も、そう考えておられると思います)。しかし、何か、納得がいかない感じもします。 こういう書き方を見ると⇒

あるある大事典の過去の内容は大丈夫なんだろうか?そこに登場する科学者、医者のみなさんは本物だろうか?と思うのは私だけじゃないと思う。ちゃんと検証してもらいたい。

余り品が宜しく無いかも知れませんが、元村氏のコメント(1月21日 18:21 )にツッコミを入れます(一部を省略。原文は、リンク先をご参照下さい)。

「簡単に乗せられる消費者も、行動を見直したほうがいい」と思う気持ちもありますが、3パック100円の納豆で3キロやせる、と言われたら、試したくなるのが人情ってやつでしょうかね。新聞で、「ゲームをやり過ぎると脳波が認知症の人と同様になる」という説が紹介されているのを読んだら、ゲームを忌避するのが人情、という事でしょうか。

だからやっぱり、製作側の倫理観が一番重要だと思っています。←全くそう思います。新聞においても同様でしょう。

昨夕、一報を聞いて偶然、この事件を思い出しました←最も初期に、ゲーム脳を紹介した新聞記事を思い出しました。

あの時は大きな騒ぎにならないのが不思議で←「騒ぎ」という訳ではありませんが、その後森氏は、精力的に、講演等を行っておられる様です。影響という点では、大きなものだと思います。

「民放だったらこれぐらいやると思う人が多いのかな」と思ったのですが、「再犯」だったわけ。←ほう…。

放映後の騒ぎぶりも、ばれた後の騒がれぶりも、やはり視聴率に比例する?←この書き方は、とても嫌な感じがします。何でしょうね、一体。

そうそう、話は替わって、コメント欄で、「日本人は影響され易い。ミーハーだ」、「日本人が特にミーハーなのか?」というやり取りがありますが、日本人がミーハーだ、と言うのは、必ずしも、他の国の人のリテラシーが高い、と言っている訳では無いのですよね。勿論、そういう意味を含める事はありますが、それは、書き手側の認識の問題ですね。

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2007年1月17日 (水)

調べてから呼んでいるのかな

森昭雄氏の講演会についての情報です。

7635log | 森昭雄講演会情報

リヴァイアさん、日々のわざ: 町田市でゲーム脳講演

川端さんのブログで、森氏の書かれた論文等が紹介されていますが、CiNiiで調べても、色々出てきます。これだけゲーム脳について語ってるのか、という感じですよ。CiNii (NII論文情報ナビゲータ)で、「森昭雄」や「ゲーム脳」で検索してみて下さい。

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2007年1月 9日 (火)

ニセ科学批判

まだ、『論座』最新号をお読みになっていない方に⇒OPENDOORS:雑誌:論座:ゲーム脳のすすめと人類の進歩 人類文化が進歩をとげてきたのは何故か(ウェブ魚拓)

きくちさん、田崎さん、左巻さんの文章も、必読です。

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2006年12月29日 (金)

博士、ありがとうございます!

わしの大発明(ニセ科学判別装置)を見るのじゃ:匿名じゃ(研究会から戻った)さん(←バレバレ)のコメント。

最後辺りにご注目。

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2006年12月24日 (日)

元村有希子氏関連リンク集

毎日新聞記者、元村有希子氏(ゲーム脳関連の記事を書いた方です)についての関連記事を集めました(ゲーム脳関連のみ上げます)。元村氏のブログはこちら⇒理系白書ブログ

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2006年12月22日 (金)

森昭雄氏の講演@世田谷区

2006年3月に行われた、森昭雄氏の講演、「テレビゲームと子どもの脳」についてのリンク集です。実際に参加された方が書かれたものを載せます。後、私が書いた記事にもリンクしておきます。

リヴァイアさん、日々のわざ: 世田谷ゲーム講演について、ブログ内のリンクをまとめます(作家の川端裕人さんのブログ。こちらで取り上げられたのが、この講演会が話題になったきっかけです。関連エントリーのリンク集です)

森昭雄日大教授講演会「テレビゲームと子どもの脳」(講演会のレポート。かなり詳細です)

森昭雄博士の講演「テレビゲームと子どもの脳」@世田谷に行ってきました - せんだって日記 - 楽天ブログ(Blog)科学者ではない、あるいは科学者の風上にも置けない拾遺、あるいは森昭雄博士のゲーム脳講演に対する私の印象(講演の総括と、自身の感想を纏めたもの。参加した人がどの様に「感じた」か、というのは重要です)

All Tomorrow’s Girls:3/6の「ゲーム脳 講演会」の感想3/6の「ゲーム脳 講演会」の感想:続き3/6の「ゲーム脳 講演会」の感想:続きの続き(実際に参加された親御さんの感想。コメント欄も必読。「拍手」については、色々な感じ方があるでしょうね。バイアスもかかるでしょうし)

――――――――――――

以下は、私が書いたエントリーです。

Interdisciplinary: またしてもゲーム脳!!

Interdisciplinary: 森昭雄氏の講演会

Interdisciplinary: 続・森昭雄氏の講演会

Interdisciplinary: 森昭雄氏の講演会(3)

Interdisciplinary: 森昭雄氏の講演会(4)

Interdisciplinary: 森昭雄氏の講演会(5)

Interdisciplinary: 森昭雄氏の講演会(6)

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2006年12月20日 (水)

ゲーム・ゲーム脳関連リンク集

ゲーム脳や、他のゲームに関連するWEBページで、参考にしたものを集めてみました(というか、ブックマークしていたものです)。リンク切れがあれば、教えて頂けるとありがたいです。

○ゲーム一般

○ゲーム脳関連(否定的)

○ゲーム脳関連(肯定的)

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2006年12月19日 (火)

蔓延

NHKの『視点・論点』で、大阪大学の菊池誠氏(きくちさんです)が、ニセ科学について論じておられました。

個人的には、ゲーム脳が取り上げられていたのが、良かったと思います。ゲーム脳批判がマスメディアに乗る事は、滅多に無いですから(私は、観た事無かったです)。

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そんなもんやってて何になるんだバイアス

アトミスティックに頂いたコメントに関連して。

スポーツは一般的には批判されないけれど、ゲーム等は…、という話については、確か、以前書いたのですが、やはり、(物凄く単純化して書きます)「飯のタネになるかどうか」というのが、大きいと思います。

ゲームを「やる」とか、漫画を「読む」事は、結局、生産的な行為として看做されない訳で、それが褒められないというのは、ある意味当然ですね。ゲームのプロというのも認知されておらず、それをやっていても意味が無い、という認識が、一般にはあるのでしょう。だから、攻撃し易いのだと思われます。対してスポーツは、マスメディアでスポーツ選手が取り上げられたり、年俸がどうだと騒がれる、言わば、「華やか」な世界です。又、ゲームをやった事が無い人は沢山いても、スポーツをやった事が無い人は殆どいません(スポーツの定義にもよります)から、よく知っている、という所もあるでしょう。そして、ゲーム等は、「訳が解らない」世界、と看做している、という。そういう認識を持っている人は、文化内の差異に目を向けません。同じスポーツでも、野球とサッカーとテニスとバスケットボールが全く違うという事は、誰でも知っていますが、それが自分の知らない世界になると、一緒くたにしてしまうのです。『ドラゴンクエスト』と『バーチャファイター』と『バイオハザード』と『ぷよぷよ』と『ファイヤーエムブレム』と『逆転裁判』と『ときめきメモリアル』と『グラディウス』は全く違うのに、理解しようともしない(知っていても、大した違いは無いと看做す)のですね。

たとえば、運動系の部活で問題行動が発覚しても、それは、そのスポーツをやる事によって促されたのだ、と考える人は、恐らくそれ程いないでしょう。寧ろ、その様な部活において形成される人間関係の歪み等に焦点が当てられます。そういう意味で、至極真っ当な認識です。しかるに、何か行動を起こした人間が、ゲームや漫画を好きだったという事実が明らかになると、途端に注目されます。それが「心の闇」を作り出したのだ、とか。これは、文化に対するイメージの違いを表す、端的な事例でしょう。

訳の解らないものに、好ましくないレッテルを貼るのは、まさしく差別の構造ですが、それに気付かず、確信犯的に、ゲーム等の害悪を流布する人がいるというのは、嘆かわしい事態です。

勿論、自分が知らない文化に対して、こういう安直な見方をしてはならない、という自戒も込めて、書いています。私は以前、偏見の塊の様な人間だったので、いかにそれが他人を傷つけ、歪んだ自尊心を大きくさせるかを、知っています。だから、客観的に物を見つめ、冷静に判断出来ているかどうかを、常に省みなければならないと考えています。

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2006年12月18日 (月)

アトミスティック

1So-net blog:エゾ狂人日記:「『ゲーム脳』脳」の恐怖、2エゾ狂人日記:桑原清四郎先生へ

(こういう話題では、コメントしたのが本人か、というのが問題になったりしますが、一応、そうであると判断します。リンク先のブログでのやり取りについての感想なので、どちらでも構いません)ぱらいそさんの丁寧な説明にも拘らず、今一つ、議論が噛み合っていない様に思われます。桑原氏は、コメントで、森昭雄氏を擁護なさっていますが、果たして、森氏の各所での発言をご存知か、或いは、そもそも『ゲーム脳の恐怖』をお読みになったのか、疑問です。森氏の経歴等は、ここでは全く関係の無い事です。問題は、ゲーム脳などという、およそ学術的概念とは言えない説を提出し、それを新書で一般に流布し、更には、講演会等で自説を広めている、その事なのです(桑原氏の活動については、詳細が判らないので書けません)。桑原氏は、神経科学の成果を基に教育方法を組み立てる事を企図されている様ですが(1のコメント欄より)、これは、悪い意味での要素還元主義(アトミスムの方法自体の批判ではありません。念の為)に陥る可能性があるでしょう。即ち、○○をやらせたら脳波(PETでもfMRIでも)がこうなった、から、○○は脳に良い/悪いと、短絡してしまう危険性を秘めているという事です。そこの所は、考えておくべきでしょう。文化の良し悪しが、脳の活動の仕方によって根拠付けられるというのは、怖い事ではないでしょうか。

そもそも人間にとって、どの様な能力を高める(あるいは「高めない」)のが「良い」事なのか、それを考えれば、問題の複雑さが、判ってくると思います。

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2006年12月13日 (水)

先生の話とか、自分の事とか、ステレオタイプの事とか

(1)ゲーム脳の恐怖・「硫黄島からの手紙」 - みなみっ子6松あつまれ - 楽天ブログ(Blog)、(2)週刊こどもニュース・原爆の被害・ケイドロ・またまた中学生が - みなみっ子6松あつまれ - 楽天ブログ(Blog)

またまた,その後に「ゲーム脳」の話もしました。実際の脳波データも見せて,ゲームばかりしていると,本当に使いものにならない人間になってしまうぞと,つよく戒めておきました。※(2)より引用

何かをやり過ぎるのを戒める為に、極めて論拠の疑わしい「ゲーム脳」の概念など、持ち出さないで下さい。「本当に使いものにならない人間になってしまうぞ」という脅しの言葉を用いて、特定の文化を貶める様な事を、言わないで下さい。大体、「使いものにならない人間」って、何ですか。

「コンピュータは非常にくわしいです。歴22年。一時はプログラムも組んでいました。 」(Profileより)というのであれば、ゲーム脳がどの様な評価を受けているのか、少し調べれば、判る事です。それをされたのでしょうか。もし、それを知った上で、上記の様な指導をしているのだとすれば、科学的認識力に欠けていると言わざるを得ませんし、調べてすらいないのであれば、軽率であると言えるでしょう。

反論に、個人的経験を持ち出すのは、余り良くないのかも知れませんが(結局は個人差の問題、或いは、個人の主観を書いただけだ、と言われるので)、参考にはなると思いますので、私の事を書きます。

私は、小学生から高校生時代にかけて、恐らく、一日平均2時間以上は、ゲームをしていたと思います。ですが、他人の言う事を聞けなかったり、物忘れが激しかったり、という事は、全くありませんでした。運動が極度に苦手でしたが、これには、ゲームをよくやっていたのが、間違いなく関係しています(ある程度、です。ゲーム時間と運動時間は、負相関するでしょうから。勿論、可処分時間の割り当ての問題ですから、一概には言えません。ゲームとスポーツばかりやって、勉強を全くしなければ、運動の得意なゲーム好きという事にもなります)。人格傾向については、認知的な問題が、大部分を占めていたと思います。身内や友人とのコミュニケーション等々。ゲームをやったから云々、などという、シンプルな論理では、全く説明出来ないです。私がいた環境で、「ゲーム好きを小馬鹿にする」という時期もありましたが、これは、他者にもネガティブなイメージを持ちますし、自身を苛む場合もあります。私は、こういうステレオタイプが作り出す「雰囲気」というのが、とても重要だと考えています。

あるステレオタイプの対象に含まれる人が持つ認識として、「そんな事は無い、それを自分が証明してやる」というのは、結構ある様な気がします。スポーツをやる人は勉強が出来ないとか、ゲームをやると馬鹿になる、とか、そういう言い掛かりを払拭する為に、そうでない事を示そう、という。中にいる人間にとっては、「こういう場合がある」というのを、「(必ず・殆ど・大概)こうなる」と言われるのは、とても困るのです。そんな事を根拠にしてコミュニケーションを取られるのは、たまったものではありません。「自分を見てくれよ」と思うのですよね。だから、「○○は△△だ」という、ステレオタイプ的な見方は、余りすべきでは無いと考えるのです。ステレオタイプを形成したとしても、それが妥当な見方であるかを常に考え、仮にそうであるとしても、それを個人に安易に当てはめてはいけないという事を、自覚すべきではないでしょうか。

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2006年12月10日 (日)

脳内汚染の書評集め

『脳内汚染』は、『ゲーム脳の恐怖』と異なり、ある程度広い領域に亘って論が展開されており、先行研究も引用されているので、なかなか、詳細な論評が難しいですね。引用の仕方が妥当か、という問題等がありますし。著者の岡田氏の主張を腑分けし、個別に検討する必要があると思いますが、個人の思い込みも交えて、ごちゃごちゃ絡み合っているので、解きほぐしにくいです。

という訳で、個人があれこれ論ずるより、色々な所で論評されたものを集めた方が、参考になると思ったので、書評のリンク集を作ってみました。否定・肯定、両方取り上げてあります。結構長いです。

・肯定的

ゲンダイネット:【著者インタビュー】:岡田尊司氏(岡田氏へのインタビュー記事)

鐘の声 ブログ: 「脳内汚染」を読んで--心理、教育、社会性の発達(16)(プロフィールによると、情報系の専門家の様です)

香取俊介の道草日誌 : 深刻な「脳内汚染」のもととなっているメディア(「営利企業の「金儲けの元」なので、研究者の声も封殺されているようだが」←こういう事は、不用意に言ってはいけないかと)

☆その時、心が動いた!☆: 『脳内汚染』(「中毒性」という言葉を、安易に使ってよいかどうか、とも思います。尤も、ゲームをよくやる人の間では、「ハマる」とほぼ同義だったりしますが)

脳内汚染 - 活字Holic - livedoor Wiki(ウィキ)(懐疑的な感想もお持ちの様ですが。テレビの内容を話題にしてコミュニケーションを取るのも、良いのではないかと思います)

Dr.森川の人間風車(中立的。「水中毒」は、DHMOの事ですね。「物心ついた時から周りにある」様になった、という環境の変化は、考える必要はあると思います)

福岡県弁護士会 弁護士会の読書: 脳内汚染(うーん、もう少し、懐疑的に読まれた方がよいのでは? 鵜呑みにし過ぎですよ)

『脳内汚染』やはり犯人は… - 原田誉一の電脳掲示板 - 楽天ブログ(Blog)(書評の評。こちらも素直に受け取り過ぎです)

おやこdeてらこや:【本の紹介】:脳内汚染(この追記は何でしょうか。皮肉のつもりかなあ)

暮らし・世界を脅かすゲーム・ネット中毒:岡田氏、警鐘を鳴らす(そんな事例を出されても、という感じ。大体、最初の方のケースは、ゲームの話すら出てないし。大学の教員なのですから、本は批判的に読む事を教えた方が宜しいかと)

今井宏 衆議院議員 公式ウェブサイト | きままに書評(確かに、「恐ろしい警告」です。ゲーム等を、麻薬と同等に捉えるのですから。それらを愛好する人達に対しての「雰囲気」の形成を心配します)

・否定的

らっぱ王子:脳内汚染(CGがフォトリアリスティックになったからといって、それは必ずしも、ハマる要因とはならないのですよね。CGムービーばかりが目立ってゲーム性を蔑ろにしたソフトは、批判の対象になりますし)

脳内汚染とゲーム脳 - マダム・ロハスの楽天的生活 - 楽天ブログ(Blog)(子どもの内には余りやらせない様にしよう、という態度で充分なのだと、私は思っています。それと、養育者が一緒にやるのが重要かな、と。「ゲームに子守をさせる」のが良くないのは、ある意味当たり前の話ですし、それに反対する人も、そんなにいないとは思います←引用先への意見では無いです)

シム宇宙の内側にて ゲーム脳の信者は子育て失敗の言い訳が欲しいだけ。(至極科学的な態度だと思います。要は、科学的に妥当と認められる方法による研究を行うべきだという事です)

ほどほどにね…[脳内汚染] しげのんnoカケラ/ウェブリブログ(実際、読むのに疲れる本です。あの、小説仕立ての表現は、明らかに問題ですよね。恐怖と不安を煽るだけでしょう)

シンさんの偽哲学の小部屋: 脳内汚染(岡田氏は、因果関係と相関関係との違いは、当然、解っておられると考えられますが、それを混同するのが、意図的なのかそうでないのかは、判断しにくい所です。寝屋川調査の質問紙調査で、妥当性・信頼性が認められた測定尺度を使用しているかどうかは、何とも言えないですね)

Stack-Style: ゲーム脳の次は脳内汚染だそうな(妥当な指摘ですね。この問題を捨て置いてしまった事は、とてもマイナスだと思います)

こどものおいしゃさん日記 おおきくなりたいね : 「脳内汚染」岡田尊司 文藝春秋 いささかセカイ系すぎるのでは?(的確な論評。ニセ科学の主唱者にありがちな、飛躍の構造。「自分だけが真理に気付いた」という実感は、いびつな自尊心を肥大させます)

PSJ渋谷研究所X: 「ゲーム脳」「脳内汚染」など:相関と因果(交絡を考慮せず、相関関係を因果関係の如く看做す誤謬を犯しているものは、結構見かけます。リンク先で紹介されている、きくちさんが出された練習問題、面白いですよ)

脳内汚染 「はげひげ」の脳的メモ/ウェブリブログ(論文を引用された学者のブログ。コメント欄にある、「データにはデータで」はその通り。でもなあ、テレビで実験を披露する際には、もう少し気を付けて頂きたいですね)

ネトゲ研究日誌:脳内汚染について - livedoor Blog(ブログ)(私は、本書は、確証バイアスで出来た本だと考えています)

草莽崛起 ーPRIDE OF JAPAN 凶悪な少年犯罪-「脳内汚染」ゲームが脳を汚染する草莽崛起 ーPRIDE OF JAPAN 切れる子どもたちと「脳内汚染」について(以前ご紹介しました。コメント欄が盛り上がっています)

オンライン書店ビーケーワン:脳内汚染「信頼に値しない資料の用い方」(bk1の書評。寝屋川調査の詳細って、全く明らかになってないですね…)

リヴァイアさん、日々のわざ: 岡田尊司氏の「脳内汚染」について(3月2日追記)(川端さんの読み方は、流石、という感じです。慎重に読み解かなければならないという事を、強く主張されています。確かに、森氏の本とは、ちょっと違いますからね。それだけに難しい、という)

サイコドクターぶらり旅(2006-02-02)(”単なる「変化」であってそれ自体では善でも悪でもないと思うのだけど。”これは重要な指摘ですね。「悪影響」に振れた主張が目立ちます。わざわざ良い影響を語っても、見向きもされない、という事もあるのでしょう)

医学都市伝説: なんだかなぁ「脳内汚染」(鹿島氏の書評は、伝説的ですね。ネットのどこかに残ってるかも知れません)

Frog is not Blog::なぜゲーム脳を批判するのか(その通りで、ゲームの愛好家は、案外醒めた眼で見ているのですよね。メタな視点というやつです。害悪を吹聴するより、外から眺める事を教える方が、余程重要です)

たこの感想文: (書評)脳内汚染(詳細な書評。こういう本って、比較対照を出さないのですよね。じゃあ、他のものはどうなの? と問われれば、どう答えるのでしょうか)

読書日録(香山リカさんも、書評を書かれていたのですね。何か、戸惑い気味の様です)

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2006年11月24日 (金)

テレビ番組での批判

前にもご紹介しましたが、今一度⇒「時流」 TVゲームと少年犯罪の関係(2005/04/01)

マスメディアが「ゲーム脳」を批判的に紹介した、数少ないケースだと思われます。

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2006年11月21日 (火)

解剖

「ゲーム脳」論の、「どこが」、「どの様に」おかしいかを、簡潔かつ充分に纏める必要があると思っています。森氏の主張は、論理的に矛盾だらけで、交錯しており、又、ゲーム文化そのものの複雑さもあるので、それを解きほぐして整理するというのは、なかなか難しい事ではありますが。

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2006年11月16日 (木)

推薦図書

リヴァイアさん、日々のわざ: トンデモ科学ネタ、ふたつ

森昭雄氏の著作(私は読んでいませんが。書評で、内容を確認しました)が、「日本PTA全国協議会推薦図書」になったそうです。これは、かなりまずいのではないかと思います。

それから、コメント欄で、水伝を何となく信じかけていたが、田崎さんのテキストを読んで考えが変わった、という方のコメントもあります、大変興味深いです。

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2006年11月15日 (水)

マルチメディア情報

ご紹介。

マルチメディア時代における『表現の自由』─脳科学からの再検討─(PDF)

「青少年社会環境対策基本法」を支持する

青少年保護と表現の自由について

実証的根拠の無い、主観の一般化が目立ちます。他の部分は、何が仰りたいのか、よく解らないです。

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2006年11月 4日 (土)

慎重に考える

以前ご紹介した松田剛氏による、文章です⇒テレビゲームが脳に与える影響

現時点において本研究によって判明したことは、(1)テレビゲームの種類によって脳の活動部位が異なること、(2)テレビゲームをしているときは前頭前野正中部の活動が低下すること、(3)そしてそれは一連の動作の学習に関連がありそうだということ、その3点のみです。それ以上のこともそれ以下のことも言えないのが現状です。脳科学によるテレビゲームへのアプローチはまだ始まったばかりです。今後もこうした地道な調査を進め、テレビゲームが私たちの脳に与える影響を丹念に見つけ出していくつもりです。少ないデータから結論を急ぐよりも、まずは実証的なデータの蓄積が大切ではないでしょうか。

これが、学者としての誠実な態度であると思います。しかし、こんなに当たり前の事を解っていない人が、学者と称する人々の中にもいるのですね。残念な事ですが。

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2006年11月 3日 (金)

教育を考える?

森昭雄氏の講演会があった様ですね⇒市ノ沢充、堺から政治を斬る!: 10月29日、子どもの教育を考える講演会に参加して10・29子どもの教育を考える講演会:西村眞悟と行動する「真悟の会・堺」

森氏に講演して貰おうという企画が出た際に、WEBで調べてみよう、という事にはならないのですかね。批判されていると知っていながら呼んだのではないか、とすら思ってしまいます。

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2006年11月 2日 (木)

リセット、かあ

2ちゃんねるより⇒ゲーム脳の危険性

かなり面白い議論が展開されています。

これ、今思いついた事なので、ツッコミ所満載かも知れませんが…。

  • ゲームをする際に、リセットをためらわない人は、そもそも、ゲームは単にゲームだ、と割り切っている。元々、ゲームに深く没入していない。
  • ゲームをする際に、リセットをためらう人は、ゲームを単なるゲームとは割り切っていない、つまり、リセットしてやり直せばいいや、という軽い考えは、そもそも無い。言い換えると、リセットという行為が、かなり重要な事だと考えている。
  • よって、リセットばかりするから命を軽視する事になる云々、というのは、詭弁である。

うーん、我ながら、微妙。

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2006年10月30日 (月)

ちょっと驚いた

1.【話題】「ゲーム脳」異説 (澤口俊之の脳育成学入門)、2.【話題】再び「ゲーム脳」について (澤口俊之の脳育成学入門)

以下、あくまで、私が澤口氏のブログのエントリーをいくつか読んだ上での感想、という程度でお考え下さい。

あれ、とてもまともな事が書いてある…。何が起こったのでしょうか。

だって、

3.「ゲーム脳」の影響はここまで来た!? 女たちはなぜパンツを見せるのか

こういう事を仰った方ですよ。

とは言え、

4.【10/16】「ゲーム脳」の行方 (澤口俊之の「不良脳科学者のつぶやき」)(前半部参照。後半も、とても興味深い内容。どう考えても、某脳科学者への批判です)

こうも書かれています。

うーん、私は、澤口氏の言説を、余り詳しくは知らないので、何とも言えないのですが(澤口氏の著書を参照した事が無い、という事。氏に対する批判はよく目にします。テレビで、血液型性格判断に、肯定的評価を与えていたのを観た事もあります。ソース失念)、これは、どういう事なのでしょうね。これ程しっかりとした科学的認識を持っていながら、何故に、3.の記事にある様なコメントをしたりするのか、よく解りません(もしかすると、現在も、3.の記事のコメントや、批判されている著書に書いてある事と同様の認識を持っておられるのかも知れません。自然科学的方法については真っ当な考えを持っていても、人文・社会科学については妥当性を欠く認識を持っている、という事もあり得ます)。

「脳年齢」概念等に対しても、極めて真っ当な批判をされています。

皆さん、どう思われますか? ざっと読んだだけなので、私の考えが的外れであるのかも知れません。

※2.の記事に、

「創造力などの活動低下」は全く意味不明である。創造力(creativity)をいかに定義して使っているのか?どう定量化して調べるのか?

とありますが、確か、創造力を測定する心理尺度はあります。勿論、森氏がその様な尺度を用いている訳では無いでしょうけれど。

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2006年10月26日 (木)

「ゲーム脳系」のロジック

「ゲーム脳」と、それに類似する主張をまとめて、「ゲーム脳系」とします。

  1. 人間の脳には、攻撃衝動を抑制する、即ち、「人間らしさ」を司る部分がある。
  2. ゲームを長時間行うと、その「人間らしさを司る部分」に、深刻なダメージを受ける。
  3. ゆえに、ゲームを長時間行うと、「人間らしさ」が失われる。

この様なロジックを、ゲーム脳系の論者は主張する訳ですが、2の部分をしっかり検証する事なく、結論(3の部分)を肯定するのです。これは、明らかに飛躍ですが、ゲーム脳系の支持者は、なかなかこの事に気付かない(或いは、意図的に無視する)様です。そもそも、「ゲームを長時間行う」という文自体が、ゲームという文化を単純化しているのですが。「テレビの前に座ってコントローラをガチャガチャやっている」という場面を観察して、全てのゲームは同じ様なものであると短絡しているのでしょう。例えば、「ゲーム」の部分に「スポーツ」を代入すると、「いや、スポーツと一括りにされても…」と、大部分の人は感じると思いますが、自分のよく知らない文化に対しては、そう考えないのですね。自分にとって未知の領域を単純であると看做すのは、一つの社会心理学的バイアスかも知れません。

何度も書いていますが、もし、「ゲームが脳に与える影響」を考察するのであれば、ゲーム一般に共通する因子を明らかにし、それが脳にどの様な影響を与えるのかを、調べるべきなのです。そうでは無く、一部のゲームをプレイしている際の脳活動の変化を調べた場合には、過度の一般化を避け、その結果がどれだけ他のゲームについても敷衍出来るかを、よく吟味する必要があります。又、条件を統制した状況での実験的研究によって得られた結果が、どの程度、実際の生活状況に一般化出来るか(生態学的妥当性)、という事も、よく考えなければなりません。

大体、文化現象が脳にどの様に影響を与えるか、という事を、神経科学的実験の結果のみを以って判断するという認識自体、かなり素朴であると思うのです…。

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2006年10月 2日 (月)

いつ

ゲーム脳のウソを暴く』という本が、ソフトバンク新書で刊行予定(SOFTBANK Creative:ソフトバンク クリエイティブ会社案内)だそうですが、まだ発売されていませんね。結構楽しみにしているのですが。

著者は篠原一之氏。恐らくこちらの方だと思われます⇒長崎大学大学院医歯薬学総合研究科:生理学第二教室  -教員紹介-

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2006年9月13日 (水)

いまどき中学生

いまどき中学生白書 Book いまどき中学生白書

著者:魚住 絹代
販売元:講談社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

遅ればせながら、読みました。各所で批判されている通り、とても問題のある内容でした。著者は、「プロローグ」において、「精神医学の専門家などの協力を得て、調査が医学的、科学的な裏付けを持つようにした」(P12)と書いていますが、本書を読む限りでは、その様な裏付けがあるとは、到底思えません。特に、グラフの書き方などは、根本的に間違っています。例えば、横軸に、一日平均のゲーム時間をとり、縦軸に、「傷つけられるとこだわり、仕返ししたくなると答えた子の割合(%)」(P56)をとった棒グラフがあります(P56)※こちらに、図が載っています⇒中学生のTVゲーム 長時間で暴力的傾向 : ニュース : 教育 : YOMIURI ONLINE(読売新聞) これは、各項目における基準の量が異なるので、棒グラフにして比較するのは、完全におかしいです。「全くゲームをしない生徒の内、18%」と、「4時間以上する生徒の内、35%」(数値は、asahi.com:朝日新聞関西ニュース:朝日わくわくネットを参照。不明な項目については、グラフより推定しました)を並べて、「4時間以上する生徒は2倍」と判断するのが、いかにナンセンスであるかは、お判り頂けるかと思います。又、目盛りの最大値を、出来るだけ下げる(最も大きな項目の値に合わせる)事によって、割合の大きさを、グラフの高さとして視覚的に印象付けています。本書に掲載してあるグラフは、ほぼこのようなものです。著者は、実数を示さずに、「何倍」とか「何%」という書き方を、よくしています。それによって、いかにも差があるのだ、と印象付けようとしているのでしょう。文章だと解りにくいかも知れませんので、試しに、ちょっとグラフを作ってみました。書き方によって、随分、印象が異なると思います。

G1200613G1200615 

 

※不明な箇所は、グラフを参照して推定。縦軸の最大値が異なるグラフを、二種類作りました。

アンケート調査を行った、としていますが、それがどの様なものなのかが、明らかにされていません。質問項目も、選択肢も、具体的内容が書かれていません。これでは、調査が妥当であったかどうかを判断する事が出来ません。又、保護者に対してもアンケートを行っていますが、こちらも同様に、具体的内容は書かれていません。

ところどころに著者の事例報告がさしはさんであり、それを著者が主観的に分析しているのですが、各ケースの原因を、メディアへの依存であると短絡しています。良く読むと、家族間のコミュニケーションや、学校でのいじめなどによって、不登校になった、というケースもありますが、何故かそれらも、ゲームやメールに耽溺しているのがそもそもの原因である、と論理を展開しています。事例報告は、具体的なケースがどの様なものであるかを知る事が出来ますし、それを分析する事も意義があると思いますが、一部の事例を以って、それを一般化するのは頂けません。

他にも、色々おかしな点があるのですが、キリが無いので、この辺にしておきます。この種の本は、全体的に破綻しているので、どこをどう批判すれば良いか、困ってしまいます。恰も、デタラメにピースがはめ込まれたジグソーパズルを見て、どこがおかしいかを指摘する様なものです。

私は、本書を読んで、考えようによっては、これは『ゲーム脳の恐怖』よりも酷いと言えるかも知れない、と感じました。何千人もの生徒や保護者にアンケートを取り、それをグラフにして、いかにゲームやメールがおそろしいものであるか、という事を印象付ける(しかし、その調査は、とても学術的水準を満たしているとは言えず、解釈も恣意的なものである)。間に著者の生々しい実体験を入れ、読者の共感をさそう。このインパクトは大きいのではないかと思います。

本書に言及しているブログ等を、色々見てみたのですが、データを詳しく検討する事も無く、肯定的に評価している所もありました。自分が予め持っていた考えを補強するものとしか映らなかったのでしょう。残念な事です。

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2006年8月 9日 (水)

授業?

「ゲーム脳」を学活で授業するというページを見つけました。

『脳内汚染』を参照しているので、比較的最近行われた授業の様です。

内容は、・・・取り敢えず、ご覧下さい。

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2006年7月 1日 (土)

いっしょくた

成城トランスカレッジ! ―人文系NEWS & COLUMN― - たいそうな管理。経由で知りました⇒草莽崛起 ーPRIDE OF JAPAN 切れる子どもたちと「脳内汚染」について草莽崛起 ーPRIDE OF JAPAN 凶悪な少年犯罪-「脳内汚染」ゲームが脳を汚染する

相変わらずです。他の様々な因子を無視して、ゲームが悪の根源であるかのごとく、論を展開しておられます。

コメント欄で、至極真っ当な批判が展開されています。

「ゲーム脳」や、それに類似する論を主張される人々は、ゲームの「何が」悪い影響を及ぼすか、という事を、仮説としても出していません。あれほどゲームの悪影響を断定的に語っているのですから、何らかの仮説はありそうなものですが。そもそも「ゲーム」の定義すら明らかにしていないのですから、無いのでしょうね。

リンク先にある、

― つまり、ファミコンのゲームばかりやっている子供は、人格を司る脳の部位が鍛えられないまま、大人になってしまうということですね。

この部分(インタビュアーの発言)。コメント欄でも指摘されていましたが、テレビゲーム全般の代名詞として「ファミコン」という語を用いるとは、お話にならない認識です。これだけで、テレビゲームについて知識を殆ど持ち合わせていないという事が、推測出来ます。ゲームをよくする人は、何でもかんでもファミコンと言う人に対して、ああ、この人は、あまり知らないのだな、と思うものです。

ゲームを批判する人は、もっと、ゲームについて勉強なさるべきです。

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2006年5月31日 (水)

解明だって?

菊池誠さんの、kikulog内、ゲーム脳授業経由で知りました⇒「"ゲーム脳"注意を」 森日大教授迎え特別授業

「テレビゲームが脳の機能低下を引き起こすことを発見」とか、「テレビゲームによって意欲や判断、情動抑制など人間らしさを保つために重要な働きをする「前頭前野」が機能低下することを解明」等と、恰もそれが、科学者の共同体において、コンセンサスを得た定説であるかの如く書いています。「ゲーム脳」論に、様々な(妥当な)反論がある事は、今更言うまでもありませんが、森氏に授業を依頼した小学校は、その様な事実を確認しなかったのでしょう(知った上での事、というのは、ちょっと考えにくいと思われます)。講師について、どの様な主張をしており、どの様な反論・批判があるか、という事くらいは、調べるべきです。WEBを検索してみれば、様々な意見を、手軽に参照出来るのですから。

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2006年5月11日 (木)

何だこれ

子どもの『ゲーム脳』共同研究提案へ(遊鬱さんの、冬枯れの街経由で知りました)

細かい指摘は置いといて(超強力に、バイアスが掛かっている様です)、…何故見出しが”『ゲーム脳』”なのですか。

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2006年4月17日 (月)

脳年齢?

とても興味深いブログを見つけたので、ご紹介します。

Don't be memo内、Don't be memo: ゲーム脳否定が目的化してる人ってのはそんなもんです

vikingさんの、大「脳」洋航海記内、反駁できなければ真実か?

どちらも、非常に参考になるエントリーです。

上記エントリーに、ほんのちょっと関連して。

私は、ゲームに親しんでいる人は、「脳年齢」なるものを、単なるゲームのスコアとしか看做さないのではないか(パズルゲームやシューティングゲーム等の「スコア」を、「脳年齢」と入れ換えただけ、と考える)、と思っているのですが、どうでしょう。ゲームをよくする人は、「脳年齢という言葉を作って、プレイヤーのやる気をださせるのか、なかなか上手いな。」と思ったのではないでしょうか。

これは、『マジカル頭脳パワー!!』で、「頭脳指数」という語が使われた事等と、同様であると思います。ただ、「脳年齢」が問題なのは、脳科学者が開発に携わっていて、しかも、ゲームのタイトルに名前が入っている、という事ですね。

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2006年4月 8日 (土)

ゲーム脳論に関する記事

川端裕人さんのブログで、ゲーム脳等に関する、若狭毅記者の記事が紹介されていましたので、こちらでもご紹介します⇒リヴァイアさん、日々のわざ: サンデー毎日若狭記者による「ゲーム脳批判」まとめ(他の方の別エントリーへのコメントと、川端さんのエントリーで紹介されています)

毎日インタラクティブの記事はこちら⇒ゲーム脳:高次脳機能障害3年半 早期教育検証を-ゲーム:MSN毎日インタラクティブ

毎日インタラクティブといえば、『脳内汚染』についての凄まじい書評がありましたが、同じ媒体に、今回紹介した記事が載ったというのは、興味深い事です。

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2006年4月 1日 (土)

森昭雄氏のセミナー

森昭雄研究所:脳科学を教育に活かす!「ゲーム脳への対応」(その1) 経由で知りました⇒日本財団図書館(電子図書館) 脳科学を教育に活かす!「現場からの教育改革」/「ゲーム脳への対応」

内容は、今まで著作に書かれている事についての、詳細な解説、といった所です。相変わらず、個人の印象を、過度に一般化して論じておられます。

その内、論評するかも知れません。

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2006年3月11日 (土)

森昭雄氏の講演会(6)

川端裕人さんが、ブログで紹介されていたのですが、三崎尚人さんの、同人誌生活文化総合研究所にて、森氏の講演会について、詳細に纏められています⇒森昭雄日大教授講演会「テレビゲームと子どもの脳」

講演の内容は、概ね、森氏の著作に書かれてある事や、インタビューでの回答と同様です。

読書してるときは、脳は非常に働く。携帯メールをしているときは働かない。まんがを読んでも働かない。歴史まんか(引用者註:原文ママ)のようにものを覚えるようなものは働く。(強調引用者)

等という事を仰ったのですね。自身で、自説に反証している様なものです。そもそも歴史漫画というのは、「ものを覚えるようなもの」なのですかね。それ以外の漫画は、「ものを覚えるようなものでは無い」、という事なのでしょうか。

漢字が書けなくなる原因は、長時間のパソコン、ケータイでのメール打ち込み、コンピュータゲームで会話時間が減少し、言語能力が低下しているから。

西洋人にはパソコンは大いにいい。日本人は確実に漢字を忘れる。

漢字が書けなくなるのは、一般的には、「漢字を憶える気が無いから」だと考えられます。そもそも漢字を書けなければならないのか、という考えもある訳です。手書きをする機会が減り、コンピュータの変換機能を使っていて、漢字を書く必要性自体が少なくなっているのですから、漢字を書けない人が増えるのは、ある意味で、「当たり前」の事です。これを、「言語能力が低下」と言えるか、というのは、又別の問題です。当然、調査がそもそも妥当であったか、という問題もありますが。「西洋人にはパソコンは大いにいい。日本人は確実に漢字を忘れる。」という部分は、森氏の(「日本人は、沢山漢字を憶えるべきである」という)価値観を反映しています。「西洋人にはパソコンは大いにいい。」という部分は、おかしいですね。コンテンツに関係無く、ディスプレイを用いる事が良くない、というのが、森氏の主張であった筈ですが。

韓国で200時間や86時間や56時間でゲームやりつつづけて死んだ例もある。これは、前頭前野の働きが悪くて抑制がきかないから。

これ程長時間、ゲームをやり続ける人間が、どれ程いるのか、という事が、疑問です。「抑制がきかない」ならば、その様な人が、かなりの割合で見出される筈ですが、その事についての言及はない様です(著作でも、見た事はありません)。それから、死因についても言及されていません(新聞記事を読んだ事はあるのですが、詳細は憶えていません)。本当に、200時間続けてプレイしたか、どの程度休憩したか、等の疑問もあります。50時間ゲームをしろ、と言われても、難しいな、というのが、個人的な感想です。

朝から晩までメールをしている女子高生は朝ご飯・前の日の晩ご飯覚えていない(原文ママ)。

認知症と一緒。

そもそも、本日の朝食・前日の夕食のメニューを憶えている人が、どれ程いるでしょう。少なくとも私は、毎日は憶えていません。理由は、「そんな事を憶える必要が全く無い」からです。その様な記憶は、食事(や料理)に対する興味・関心によって、変わるものだと思われます。自分で料理を作る人は、比較的憶えが良い(忘れにくい)、という気もします。私も、自分で作った場合は、結構記憶しているものです。認知症の人が食事のメニューを憶えていない事は、食事のメニューを憶えていない人が認知症である、という事を、意味していません。ところで、皆さんは、昨日の夕食のメニュー、憶えていらっしゃいますか?

川端裕人さんの出された質問に対しての、森氏の回答について。

川端さんの質問に対して、正面から答えておられません。ゲーム会社との関連を仄めかす発言などは、とても問題です。京大や任天堂に対する誹謗です。川端さんは、少年犯罪が激増していない事を指摘されたのに、森氏は、「私は日本人として子どもがおかしいのを憂えている。逆にあなたの方がおかしいのではないかと思う。」と、論点をずらして回答されています。川端さんに、「あなたこそ日本人として非常に恥ずかしい。」と、文字通り(一字一句違わず)発言されたかは判りませんが(録音は禁止だったそうです)、この様な趣旨の事を言われたというのは、あきらかに、筋違いです。川端さんは、論理的な反論に対して開かれている質問をされたのです。森氏は、それに、感情的に応酬した事になります。科学者としては、宜しくない態度です。

レジュメ(の一部分)について。

明らかに、ゲームに対するネガティブな印象付けを行っています。

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2006年3月10日 (金)

森昭雄氏の講演会(5)

リヴァイアさん、日々のわざ: 「わたしも検索をしていただきたい」と主催者は言った(世田谷区のゲーム脳講演リポート3)を読んで。

川端さんが仰る様に、世田谷区健康づくり課の課長が、検索をして云々と言われたのは、一定の効果があったのではないかと考えます。講演を主催した側の人間が、その様な事を発言する、という事は、一般的には、余り無い事だと思いますので、聴衆の印象に残ったのではないでしょうか。

「カルト的」であったかどうか、ですが、これは、実際に聴講された方がどう実感したか、という事ですので、当然、推測も出来ません。森氏を支持している人が、森氏に対してどの様な感情を持っているか、という事も、解りません(森氏を支持している人に、森氏への反論を聞かせ、その反応を見れば、ある程度は解るのでしょうけれど)。仮に、森氏の論に対し、信奉に近い感情を持った人がいるとしても、講演会にどの位いたか、などという事は、知りようがありません。

・fumi_oさんの、Not My Cup of Tea内、3/6の「ゲーム脳 講演会」の感想3/6の「ゲーム脳 講演会」の感想:続きを読んで。

講演会に参加された方のレポートです。

(3月8日分)こちらには、(開催にあたって)主催者側も揉めた、という事が書かれています。揉めたのが、川端さん等からの抗議を受けた後か、講演会の企画の段階かは定かではありませんが、この事は(揉めたという事)、賛否両論あった事を意味しています。誰が企画して、森氏を招こうと提案したか、というのが、興味深い所です。

気になったのは、fumi_oさんが聞かれたという、他の聴講者の、

「息子に止めなさいといっても聞かないから、森教授の「ゲーム脳」を口実に使って、脳に色が*1つかなくなるのよ!って説得するの」

という発言です。何度も書きますが、ゲームをやらせないために、科学的に検証が充分で無い論を、口実として用いるのは、絶対にやるべきではありません。これは、ゲームを開発する人達、ゲームを愛好する人達を、不当に貶める事であるからです。子どもの頃感じた(別に、子どもの頃とは限りませんが)、「恐怖心」や、「嫌悪感」を、思い出すと良いと思います。大人から、「あれは悪い事だ。」、「○○になるぞ(○○の部分には、”馬鹿”とか、”頭が悪くなる”とか、ネガティブなイメージの語が入ります)」と教えられたものに対し、「怖い」とか、「嫌い」という印象を持ちます。そしてその印象が、それに「関わる人」にまで一般化される可能性が、ありえます。「自分が嫌いな物事を好きな人を、嫌いになる」、という事です。そういう印象を形成した人から、不当に貶される事が、どれ程恐ろしいか…。元々ゲームを好きだった人が、この様な論に触れて、「自分はいけない事をしているのではないか?」、と、苦しむ事もあるでしょう。これらは、とても重大な問題です。

「拍手喝采」というのは、川端さんのブログにも、ゲイムマンさんのブログにも、書かれていましたが、森氏の発言の、どの部分に共感して拍手したのか、という事も考えるべきかな、とも思います。「今の子ども達は乱れている」と、確信している人にとっては、森氏の主張は、目から鱗を落とさせるものだったのかも知れません。問題は、「今の子どもは本当に乱れているのか?」という事なのですが、(乱れていると)確信している人にとっては、そこに目を向けるのは、難しいのかも知れません。

(3月9日分)聴講された方(の一部)の感想が書かれています。

ただあの後、一緒に行った保育仲間と講演会の内容についておしゃべりした時に、皆が一致した意見は、電極をたくさんつけられた子どもや色つきの脳を見せられたりして、科学的かな?と思って聞いていたのに、最後の質問の答えって全然科学的じゃない根拠の無い説明だった。途中眠くなっちゃったし、最初の部分と最後の質疑応答部分だけで良かった。

これは、森氏のプレゼンテーションに対して、どの様に感じたか、という事を知る上で、とても興味深いものだと思います。やはり、実際に話を聞いた人の感想は、貴重です。当たり前ですが、色々な感想を持つ人がいるでしょう。講演の後、アンケートでも取ればよかったのではないか、と思います。そうすれば、どれ位の人が、どの様な感想を持ったか、という事が、ある程度解りますから。2006年3月30日追記:川端裕人さんのブログによると、アンケートはあった様ですね。又、動画撮影も行われていたそうです⇒リヴァイアさん、日々のわざ: ゲーム脳講演をめぐって、区との意見交換・要望をしてきた

前段の話(チラシの貼ってある場所の話)については、どういう考えで、その場所に貼ったのだろう、という事を思いました。

個人的に気になるのは、子どもがゲームをやる事を不安がる養育者の中に、ゲームをやる人がどの位いるか、という事です。自分でやってみて、ここが良くない、これが問題だ、と、認識した上で、不安に思っているのでしょうか。ゲームそのものを知ろうともせずに、「ゲーム脳」等の、インパクトが大きく、解りやすい(「ゲームは脳を壊すのだ」という論理は、とても解り易いです。それは、単純であるが故に解り易いのですが。)概念に頼って、ちゃんと考えずに済まそうとはしていないでしょうか。「ゲーム脳」等を支持するという事は、特定の文化を批判する事です。それを、しっかりと認識すべきだと考えます。

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2006年3月 8日 (水)

森昭雄氏の講演会(4)

川端裕人さんが、森昭雄氏の講演会について、レポートの続きをアップされました⇒リヴァイアさん、日々のわざ: 「あなたの方がおかしい」と森昭雄氏に言われるの巻(世田谷区のゲーム脳講演リポートその2)

川端さんも書いておられる通り、完全な「アウェイ」の立場であったと思います。区が主催する講演会に招かれた講師への、一質問者としての川端さんの批判は、ゲーム脳に対して肯定的な印象を持っていた他の聴衆にとっては、単なる、「文句」や、「難癖」と受け取られたのかも知れません。川端さんの反論が、全く正論であるだけに、残念な事です。

例えば、凶悪犯罪が激増している訳では無い、という川端さんの反論に対しては、メディアの報道を視聴して、(凶悪犯罪は増えているという)印象を強化した人にとっては、「何を言っているのだろう。」と、受け取られた可能性があります。「成る程、そうだったのか。」と思う様な人は、少数であったかも知れません。

他の森氏の回答について、ですが、聞かれていない事を言い、聞かれた事には答えないという、論点ずらしを行っています。これも、森氏に好意的な人にとっては、「わざわざ相手にしていない」と受け取られた、という事もありえます。

そして、

「わたしは、日本の子どもが、笑わなくなり、キレるようになり、おかしくなっているのを見て、日本のためにやっている。川口市の小学校でも、2年間の取り組みで不登校児がゼロになる(元々二人の不登校児がいたらしい)といういい結果が出た。そういうのを問題にするあなたの方がおかしい」と述べる。そして、会場からは拍手喝采が湧き起こる。(上記エントリーより引用)

「拍手喝采」だそうです。これは、森氏に少なからず好意的である事を示しています。
自己の、「子ども達がおかしくなっている」という「印象」が強く、川端さんの真っ当な反論は、受け入れられなかった、という事でしょうか。

やはり、世田谷区の講演会のデザインは、まずかったと言えます。残念な事ですが、発言者の属性によって、受け取り方が変わる、という事が、あるのでしょう。講演者と一聴衆、大学教授と一市民(川端さんが、ご自身が小説家である事を言われたかは判りません。それを仰っていれば、展開は異なったかも知れません。それはそれで、属性によって受け取り方が変わる、という点で、問題ですが。追記(2006年3月8日):川端さんは、職業を仰ったそうです。川端さんのブログのコメント欄で確認)という構図の中で、反論を受け入れて貰う、というのは、困難な事である、と言えるでしょう。対等な立場(ここでは大学教授)の論者による、シンポジウム等を行うべきであった、と考えます。

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2006年3月 7日 (火)

森昭雄氏の講演会(3)

続・森昭雄氏の講演会の続きです。

川端裕人さんの、リヴァイアさん、日々のわざ: 森昭雄氏の世田谷区講演リポート、せんだって日記さんの、せんだって日記内、森昭雄博士の講演「テレビゲームと子どもの脳」@世田谷に行ってきました科学者ではない、あるいは科学者の風上にも置けない 、ゲイムマンさんの、ゲイムマンのブログ:砧公園秘密基地 [ITmedia +D Blog]内、ゲイムマンが世田谷のゲーム脳講演会に行ってきたを読んで。

私は参加出来なかったので、引用先のブログのレポートが、どの程度正確であるかは判りません(レポートをアップされた方々には失礼ですが…。講演の音声を収録してあれば良いのですが、今の所、それがあるかどうかは不明なので、この様な、慎重な書き方をせざるを得ません。ご了承下さい)ので、あまり断定的な事は言えませんが、どうやら私が、森昭雄氏の講演会で書いた不安が、的中してしまった様です。私は、森氏のインタビューを、テレビで何度か観た事があるので、世田谷区主催で講演会が行われる、という情報を得た時、とても心配したのです。あの様なものの言い方で、ゲーム脳論を主張されたら、又、不正確な情報が広まってしまう、と。なかでも酷いと感じたのは、科学者の反論に対して、ゲーム業界との関係を仄めかして非難する、という態度です。これが事実であれば、科学者として失格であると思います。

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続・森昭雄氏の講演会

2月15日分エントリー⇒森昭雄氏の講演会の続きです。

私は遠方に住んでいますので、森氏の講演会は、聴講出来ませんでしたが、参加された方が、ブログに関連エントリーをアップされています。こちらでも、ご紹介しようと思います。

収録した音声なり、映像なりがあれば良いのですが、そうで無い場合は、実際に講演に参加された方の伝聞を参照する、という事になります。その意味では、客観性は低くなります。それは、認識しておくべきだと考えています。

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2006年3月 6日 (月)

いよいよ

本日、渋谷区で、森昭雄氏の講演会が催されます。参加された方が、講演の様子を、ブログ等に書かれるかも知れません。川端裕人さん等の抗議を受けて、区が、どの様に講演会をデザインしたか、興味深い所です。

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2006年2月21日 (火)

メモ:「ゲーム脳」論の問題点3

  • ゲームを、複雑な認知活動が余り介在しない、単純な文化であると看做している。比較的単純な、アクションゲームやパズルゲームを対象にしていると思われる。
  • 「ゲーム」はどの様な文化であるか、という事への、具体的な言及が無い。どのジャンルのゲームがどの程度売れているか、という事についても、詳しく言及されていない。
  • 「ゲーム」のどの因子が問題であるかが、詳しく言及されていない(ディスプレイの光刺激か?)。
  • 興味・価値観・意欲・動機等の因子が考慮されていない。被験者は、ゲームがどの程度好きか・嫌いか。好きなジャンルは何か。ゲームを上達したい、という意志があるか。そのゲームは、どの程度の難易度か(操作性の複雑さ等)。実験室でのゲームプレイに、不安は無いか。実験者についての印象はどうか、等。それらについて、心理学的な研究・考察を行ったか。

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2006年2月18日 (土)

メモ:「ゲーム脳」論の問題点2

  • マスメディアによる「ゲーム脳」概念の流布。科学社会学的対象。
  • 「ゲーム脳」論の不備を理解するには、ある程度の科学的認識力が必要。
  • 「ゲーム」を、単純な、条件反応的動作のみで成り立つ文化である、と看做す誤謬。
  • ディスプレイのテキストを読む事と、紙に印刷されたテキストを読む事が、学習効果に違いをもたらすとしている。それは妥当か。示差的特徴を論理的に見出し、実験的に考察をしたか。文章は、紙に手書きした方が良い、とも主張する。それは妥当か。認知科学的に考察をしたか。
  • 専門家から、まっとうな反論が数多く出されたとしても、その正しい情報を流布する事は難しい。社会への情報伝達能力が高い(影響が大きい。特にテレビは、受像機があれば、放送は無料で視聴出来る)、新聞・テレビ等で、正しい情報が伝えられる事が望ましいが、そもそも「ゲーム脳」を無批判に流布したのが、マスメディアである事を考える。
  • ゲームを実際にプレイしている時間以外にも、攻略法を考える等、知的な作業を行う場合がある。現象を無理矢理切り取って、実験を行う。要素還元主義的認識。
  • ゲームをプレイする際、思考を最適化させるべく努力する。無駄な事を考えないで済む様、事前にイメージトレーニングを行い、戦略を練る。単純な脳活動を実現すべく、複雑な脳活動を行う、という事。
  • 対照の不足。他の文化についての研究結果も、充分な量提示する必要がある。他の文化を研究する際にも、これまでの論理は当てはまる。
  • 測定によるバイアスは考慮されているか。頭部に装置を取り付ける事への不安。自分の脳の状態が可視化される事への不安。研究者への信頼感。実験室の雰囲気。ゲームに対する興味の度合いが、実験者への態度を変化させる因子になり得る。
  • 例えば、スポーツをプレイしている時の脳波を測るとする。その選手はどの程度のレベルか。地方大会レベルか、全国レベルか、オリンピックレベルか。計測時は、どの様な局面であるか。比較的時間に余裕があり、戦略を練っていられる状況か。一瞬の判断と運動が勝敗を左右する、重要な局面か。実際にスポーツをプレイしていない場合でも、当該文化に関わる行動は必ずあるが、それをどの様に考察すべきか。
  • 「ゲームをする」という事は、本質的に娯楽であるから、他の文化より劣等であると看做しているかも知れない。漫画や映画も同様。スポーツ等には、「プロ」があるので、それが少ないのではないか。ゲーム(プレイヤー)にもプロはいるが、一般には殆ど認知されていないと思われる(対象を、ゲーム一般にまで広げれば、将棋や碁のプロが、社会的に高い評価を得ている、という事もある)。(コンピュータ)ゲーム文化と、映像・音声メディアの発達とは、密接に関係しているので、特定のゲームが、多数の人間に長期でプレイされる、という事は起こりにくいとも考えられる。
  • 「ゲーム脳」論によってバイアスを形成した人が、ゲームの愛好者の人格を非難する危険性。

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2006年2月17日 (金)

メモ:「ゲーム脳」論の問題点

箇条書きします。思いついたまま、羅列していますので、内容が重複する場合もあります。

  • 「ゲーム」の定義が無い。
  • 「ゲーム脳」の明確な定義が無い。
  • ゲームのどの部分が悪影響を及ぼすのかを、明確にしていない。
  • ジャンルに関しての詳しい考察が無い。
  • 局面についての詳しい考察が無い。
  • 熟達度についての詳しい考察が無い。
  • 「ゲーム脳」という概念を設定する事。メールやテレビにまで敷衍出来るならば、「ゲーム」を術語に含める事は妥当では無い。
  • ジャンルについての誤解。
  • 価値観の問題を、脳機能の低下と安易に結び付けている。
  • 個人的な印象を、安易に一般化する記述が見られる。
  • 被験者の、ゲームへの興味、について、考察されていない。

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2006年2月16日 (木)

ゲーム脳についての講習会

興味深いサイトを発見しました⇒各務原市公式ウエブサイト内、各務原市役所/講習「ゲーム脳・ケータイ脳を考える」に参加しませんか【総合教育メディアセンター】

紹介ページには、講習の内容が具体的に書かれていないので、「ゲーム脳」に肯定的なのか批判的なのか、はっきりとは判りません。講師の今井氏(東海女子短期大学教授)は、ITを、積極的に教育に取り入れておられる様ですから(WEBで検索して調べてみました。市民の情報リテラシー向上のためのNPOの、理事長もなさっている様です⇒K-ITシティーコンソーシアム)、批判的立場かも知れません。いずれにしろ、情報が少ないので、何ともいえないですね。

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あーあ…

TBS系の番組、『緊急大激論スペシャル“子供たちが危ない”こんな日本に誰がした!?全国民に“喝”!!』を観て。

現在の若者が悪であると決め付け、どの様にすればそれが改善されるか、という番組構成でした。

案の定、草薙厚子氏が、「ゲーム脳」論を開陳されていました。草薙氏が明言された訳ではありませんが、他のゲストの人達から、「ゲーム脳」という声が上がっていました。やはり、知識としては広まっているという事です。実に残念です。

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2006年2月15日 (水)

森昭雄氏の講演会

川端裕人さんの、リヴァイアさん、日々のわざ: 世田谷区からゲーム脳講演について回答が届くを読んで(2月4日分のエントリー⇒またしてもゲーム脳!!の続きです)。

この川端さんのエントリーについて、チェシャ猫(>_<)。 さんが、考察されています⇒So-net blog:白の女王内、ゲーム脳と世田谷区

チェシャ猫(>_<)。 さんは、

彼の人のみを講演に招くだけでなく、斎藤環氏のような、アンチ・ゲーム脳の人も招いて、両方の情報を均等に提供するのが区の姿勢としては正しいのではないか。

同等に権威付けされた「アンチ・ゲーム脳」の情報を同時に与えて、
取捨選択させるようにすれば、その流布もある程度はくい止められるわけだが。
それでも「ゲーム脳」に傾倒する保護者がいるとは思うがね。

と言われています。確かにその通りだと思います。講演会では無く、シンポジウム形式にする事や(これは現段階では無理でしょうが)、質疑応答に多くの時間を割いて、講演者と聴衆のコミュニケーションの機会を設ける事等、色々考えられます(勿論、批判的質問も受け付ける、という条件で)。世田谷区が現在、具体的に、どの様な段取りを計画しているかは、詳しくは判りませんが、充分な配慮をして頂きたいものです。

又、チェシャ猫(>_<)。 さんは、

下手に権威付けされた間違った情報でも、それが都合が良ければ
思考放棄してる保護者はそれに固執するから。
否定意見が如何に正しくても理解放棄して、都合のいい情報のみに固執するからなヽ(´д`)ノ

この様にも仰っています。講演会のタイトルが、「テレビゲームと子どもの脳」であり、演者が、『ゲーム脳の恐怖』の著者であるので、ゲームに対してネガティブなバイアスを掛けた人の認識を、益々強化してしまう可能性を懸念します。

世田谷区(世田谷保健福祉センター)は、文書で、

現時点では川端様が危惧されている「ゲーム脳」の概念を広めたり、啓発するという方針は無く、今後も次世代を育成していく上で家庭や地域でどのような取り組みが必要か、様々な視点から考えていきたいと思っております。
今回の講演会でも「ゲーム脳」という悪い面のみに焦点を当てた内容にせず、区が主催するという意味の大きさを講師に理解していただいた上で、当日の講演については打ち合わせを密にして、内容については慎重にしていく予定です。(川端さんのエントリーより、一部を引用)

という回答を出したそうですが、森氏は、「ゲーム脳を主張する学者」であり、「ゲームやPCやメールの弊害について、警鐘を鳴らす学者」です。その様な学者に講演を依頼しながら、”「ゲーム脳」の概念を広めたり、啓発するという方針は無く”と言うのは、納得しかねます。森氏の研究の骨子は、「ゲームをする人間には、前頭葉の機能低下が起こる」というものですから、講演で、それを主張しない事は考えにくいでしょう。たとえ、「ゲーム脳」という語を講演中には用いなかったとしても、森氏が『ゲーム脳の恐怖』の著者である事は、周知の事実です(講演のチラシにも書かれています)。そこから、「ゲーム脳」という語が広まるのは、充分に想像出来る事だと考えます。それを私は危惧します。”「ゲーム脳」の概念を広めたり、啓発”しない森氏、が、私には想像出来ません。

「ゲーム脳」論には、特定の文化に携わる人を、不当に貶める危険性があります。それがとても重要な問題なのです。言論を封じ込める必要はありませんが、せめて、自治体には、ある主張と、その反対意見とを、同時に収集出来るような場を設定して頂きたいですね。

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2006年2月 7日 (火)

ゲーム脳、かな?

川端裕人さんの、リヴァイアさん、日々のわざ: 川淵さん、あなたものですか……(註:タイトルは原文のまま)を読んで。

川端さんが言及されている記事はこちら⇒スポーツナビ | ニュース | サッカー通じて道徳教育 日本協会プロジェクト発足

共同通信によると、川淵三郎氏は、

テレビゲームが脳の発育に与える悪影響を指摘した上で「子供たちの人間性を培う部分で、もっとサッカー協会がかかわった方がいいと思う」と説明した。

との事です(上記リンク参照)。

注目すべきは当然、「テレビゲームが脳の発育に与える悪影響を指摘した上で」という部分ですが、この記事だけでは、川淵氏が、具体的にどの様に発言されたは解りません。議事録等があれば、発言内容は明らかになりますが、記事の内容だけでは、川淵氏が、「ゲーム脳」等に具体的に言及されたか、川島隆太氏の研究等を念頭に置いた上での発言をされたか、はっきりとは解りません。ニュースサイトをいくつか検索してみましたが、詳細な発言内容を紹介した記事は見つけられませんでした。川淵氏が、「悪影響」とはっきり発言されたかどうか、というのも、重要なポイントであると思われます。

ただ、この記事からは、川淵氏が、テレビゲームにネガティブな印象をお持ちである、という事は伺えます。そして、その印象を、サッカーによる道徳教育を推進する、という文脈に埋め込んで発言された事には、違和感を感じます。「テレビゲーム」という具体的なものについて発言されたという事は、件の記事からはっきりしていますが、それを、「道徳教育」との比較の対象として持ってくる事は、妥当では無いと言えるでしょう。わざわざ「テレビゲーム」を比較対象とした事は、ゲームに相当のマイナスイメージを持っているのではないか、と推測する根拠にはなるかも知れません。

川端さんのエントリーで面白かったのが、

ということは、ゲームばかりやっているやつは、ゲームでできる道徳教育やら、「人間性を培う」諸々をすることも考えたほうがいいのか?? なんて、一瞬考えた。

この部分。これは、結構興味深い問題ですね。「道徳とは何ぞや」という事や、それを教育するとはどういう事か、という事まで含みますからね。難しい話です。個人的には、「道徳心を育成する為のゲーム」等が発表されたら、嫌悪感を覚えるでしょうね。

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2006年2月 6日 (月)

ちょっと意外

朝日放送の、『NEWSゆう』という番組のサイト(NEWSゆう)の記事⇒「時流」 TVゲームと少年犯罪の関係(2005/04/01)を読んで。

私は放送は観ていないのですが、マスメディアがゲーム脳に関して、記事にある様な、冷静で妥当な内容の報道を行った、という事に驚きました。

他の報道機関にも見習って頂きたいものです。

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2006年2月 4日 (土)

またしてもゲーム脳!!

川端裕人さんの、リヴァイアさん、日々のわざ内、うわっ、ゲーム脳の講演会!を読んで。

川端さんによると、世田谷区主催で、森昭雄氏の講演会が行われる様です(チラシの内容を確認出来ます)。世田谷区教育委員会と共催、という事も驚きです。

川端さんが教育委員会に宛てた手紙の内容は、全く妥当なものですが、受け取った関係者は、どう反応するでしょうか。さすがに、講演を中止する、という事は無いでしょうけれど。

この様な講演会に出席する人は、「ゲームと脳の関係」に興味を持っていて、尚且つ、ゲームにネガティブな印象を持っている、と推測出来ます(『ゲーム脳の恐怖』を読んでいて、その非科学性を認識している人は、わざわざ行かないでしょう。公演内容をチェックする為に行く、という事はあるかも知れませんが)。聴講して、森氏の論に胡散臭さを感じるか、自らの直感(ゲームは脳に悪いのではないか)を補強する理論として、肯定的に受け取るか…。せめて、講演中に、聴講者の質問を受け付ける時間を設けて欲しいものです。質問はシンプルに、「森先生、ゲームってそもそも何ですか?」で充分です。

川端さんも手紙に書かれていますが、

単にゲーム好きというだけで「キレる子」というレッテルを貼られるような差別につながりかねないとも懸念します。

これはとても重要な事です。ある説(「ゲームは脳に悪い」という説。しかも主張者は、これが科学的真理であるかのごとく吹聴しています。つまり、森氏にとっては、「仮説では無い」、という事です)を無批判に受け入れて(「大学の先生が仰る事だから、真実に違い無い。」と考えて)、その認識を基にしてレッテルを貼る、という事は、明確な差別です。

「嫌いなもの」を、「悪いもの」に短絡してしまえば、楽なのです。自分が嫌いなものは、人間に害悪を与えるものだったのだ、と認識すれば、あとはそれを遠ざければ済むからです。自分があるもの(ここではゲーム)を嫌いだったのは、ちゃんと理由があったのだ、と正当化出来るのです。「ゲーム脳」等は、その様な認識を形成する為の、恰好の言語装置なのでしょう。

何度も書きますが、「ゲームが人間に与える影響」、というものは、人文・社会科学的にも(こそ)考察すべきであって、自然科学的実験のみで解ける様な単純な現象ではありません。その事を、念頭に置くべきであると考えます。

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2006年1月11日 (水)

又ゲーム脳!?

以前(⇒ゲーム脳の恐怖(4))ご紹介した、森昭雄研究所 - livedoor Blog(ブログ)、が、久しぶりに更新されました。

最新エントリー(1/11)によると、『ゲーム脳の恐怖』の著者、森昭雄氏に関する興味深い資料を手に入れられたとの事。ブログで検証されるそうなので、楽しみですね。

ついでに、

件の資料、『脳の力を高める―脳を育てる睡眠 脳を脅かす電磁波汚染』を検索してみた所、書評をされているブログを発見しました⇒たこの感想文: (書評)脳の力を高める 脳を育てる睡眠・脳を脅かす電磁波汚染

こちらのブログを読む限りでは、かなりの悪書の様ですね(勿論、私は読んでいないので、断定は出来ませんが、ゲーム脳を取り扱っているというのは事実です)。予防原則を過度に主張し、不安を煽りたてる書物、といった所でしょうか。

「安全性が確認されていない」事と、「危険性が確認された」という事は、等価ではありませんが、そこを誤って認識する人はいますね。科学的に乏しい根拠をもって、危険性を立証した、という人もいます(「ゲーム脳」はその代表です)。

因みに、電磁波の影響等については、BEMSJ電磁波健康影響講座で詳しく考察されています。ご参照下さい。

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2006年1月 7日 (土)

脳科学的方法の考察

脳科学者が、ゲームをプレイしている人の脳の活動を計測する、という実験を行う際、たった数種類のゲームしか用いず、しかもゲームのどの様な局面であるか、という事を殆ど無視しています(森昭雄氏や川島隆太氏等の研究)。又、習熟の度合いについても余り言及しません。

例えば、ロールプレイングゲームには、基本的に、フィールド移動・戦闘・ストーリーの展開を観る、等の様々な局面があります、フィールドの移動にも、一度行った事のある場所と、初めて訪れた場所、或いは、ダンジョンで謎を解きながら探索する、といった異なる局面があります。何度も訪れた場所であれば、操作は直感的に行われ、一々細かく認知する事はありません。つまり、「慣れる」という事です。しかし、初めて来た場所では、店等の位置を憶えたり、他のキャラクターの話を聞きに行ったり、他の場所での依頼を遂行したり、等といった事をしなければならず、かなり考えなければ、先へ進む事が出来ません。又、ダンジョンでは、様々な仕掛けが施されています。それは、パズルの要素が強いもので、行き当たりばったりでは解けません(勿論ゲームによりますが)。戦闘の場面でも、いわゆる「ザコ」戦と「ボス」戦、では、局面が異なると言えます。レベルを上げる事が目的で弱い敵と戦う、という場面では、操作は殆ど自動的です。実際に自動的に戦闘を進めてくれる機能があるゲームが殆どですし、全部自分でコマンドを入力する場合(キャラクターの行動を自分で選択する場合)でも、一々確認をする事は少なく、コマンドの場所を記憶して、それをボタンの入力と直接対応させて、直感的に行います(ボタンの入力のパターンを記憶し、それを押すだけで戦闘に勝利出来る様にする)。ボス戦では、(標準的なレベルで挑んだとして。高レベルであれば、余り考えなくとも簡単に勝てる場合があります)相手の攻撃のパターンを認識し、どこでどの様なコマンドを入力するか、どの程度ダメージを受ければ回復を行うか、等の、高度な認知活動が必要とされます。プレイヤーに「優しく無い」、「シビア」なゲームでは、これが顕著です。次に、ストーリーの展開を観る、とう局面ですが、ここでは、ゲーム内のキャラクターの関係を把握したり、次の目的地のヒントを得たり、といった事を考えなければなりません(表現は、音声・文字・グラフィックの組み合わせ)。この様に、「ロールプレイングゲーム」と一口に言っても、様々な局面があります。勿論これは、他のジャンルにも当てはまります。シミュレーションゲーム等では、高度の戦略的な思考が必要とされる場面もあり、余り考えずに進めていく場面もあります。又、アドベンチャーゲームでは、小説と同様、「読む」事が必要です。情景の描写を何となく読む場面もありますし、推理を働かせて主人公の行動を選択する場面もあります。にも拘らず、研究者は、この様な論理を踏まえず、ただゲームを数十分やらせて脳波等を測定する、という事をしています。これでは、研究方法が妥当ではない、と言わざるを得ません。

次に、習熟の度合い、についてです。当たり前ですが、ゲームにも他の文化と同様、上達という現象があります。将棋等では、先ず駒の名前やルールを憶え、そして定石を学んで上達していく、という過程があります。初心の内は、どの駒がどの様な動きをするか、打ってはいけない所はどこか、等を一々考えながら進めて行きますが、ある程度慣れると、その様な事は考えず、より「良い手」を打つ事を心掛ける様になります。更に、定石という「型」を憶え、より合理的に思考を進める事が出来ます。他のゲームでもこれは同様です。パズルゲームにしてもシューティングゲームにしても、先ず、ルールを憶え、それを確認しながらプレイする、という段階から、次第に操作が直感的になります。言語的な認知から、ヴィジュアルなイメージに変化していく、とも言えるでしょう。格闘ゲーム等では、複雑なコマンドを憶える必要がありますが(上手になる為には)、初めは「えっと…、下、右下、右…」と、言語的に認識してボタンを押しますが、上達するに従って、それが単なる「指の運動」に変化します。何かの技を出そうと考えた瞬間、条件反応的に指が運動する様になります(上達するに従って、というより、この様に変化する事を「上達する」と言う、と考えた方が良いかも知れません)。勿論これは、格闘ゲームそのものを全くやった事の無い人を想定した話です、格闘ゲームに慣れている人は、「この技は波動拳コマンドだ」という指示を受けただけで、一瞬にして「上達」します。推測ですが、森昭雄氏が言う「ゲーム脳」の状態とは、この様な「上達を遂げた」人の脳の状態ではないかと考えられます。ゲームに慣れた人は、新しいゲームをプレイしても、他のゲームの経験を応用して、より短時間で適応出来た、と考えられます。従って、森氏に言わせると、「ゲーム脳」の人が新しいゲームをすると、初めはある程度脳が活発に働くが、すぐに元に戻る(即ち「ゲーム脳」)、という事になるのでしょう。一方、(森氏の言う)ノーマルな人間は、なかなかゲームに慣れる事が出来ないので、脳を最適に使っていない、と考えられます。それを森氏は、脳が活発に働いたままの状態が持続している、と解釈したのでしょう。そして、ゲーム初心者がゲームに慣れて、脳を最適に使う様になれば、その人が「ゲーム脳になった」、と言うのです。実験結果を、どの様にでも恣意的に解釈出来る、という事です。

他に挙げられる研究方法上の問題としては、無理矢理に状況を切り取って実験を行う、という事があります。ゲームに関わる活動は、ゲームをプレイしている時だけではなく、説明書を読んだり、雑誌の攻略記事をチェックしたり、他の人とゲームについて語ったり、といった、様々なものがあります、それを考察する事無く、実験室でゲームをやらせてゲームの影響云々と言うのは、やはり妥当では無いでしょう。格闘ゲームやパズルゲーム(勿論他のゲームも)では、いちいち考えていては相手に負けてしまいます。「考えないですむ」様に、ゲームをしていない時に色々と「考えている」のです。

脳(特に前頭前野)活動が活発で無い(他の部分が強力に働く)からといって、それが「良くない」、「頭を使っていない」、或いは、「優れた文化では無い」と断定出来るかどうか、という問題もあります。他の人が一々脳の全体を使って行っている事を、脳の一部分を使って短時間で出来る、という事は、脳を最適化してうまく使っている、という事も言えるからです。例えば、社会的に高い評価を得ている人(例えばノーベル賞受賞者)の脳活動を測定し、(脳科学者の言う)「良くない結果」が出たら、研究者はどの様に解釈し、説明するでしょうか。その人に対する評価が間違っている、と言うか、その人が関わる文化はレベルが低いのだ、と言うか…。そこまでいくと、ブレイン・イメージングの結果で文化の優劣を決めるという、「ブレイン・イメージング主義」と言えるかも知れません。

ここで考察した論理は、他の文化を研究する際にも当てはめられます。各文化にはどの様な局面があるか、又、各局面や習熟度(少なくとも、初級・中級・上級・達人、の様な段階に分けて研究するべきです。勿論これは、他人の「評価」です)によってどの様な脳活動の異なりが見出されるか。脳科学者は、それを対象化し、詳細に研究しなければなりません。ただそこら辺の人を集めて脳波を測り、何々は脳を活性化させる(させない)、と主張しても、科学的には何も言った事にはならないのです。

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2005年12月30日 (金)

森氏の研究に意味はあったか

「ゲーム脳」論に批判的な学者は多いですが、その中にも、「森氏の研究には意味があった。」という学者がいます。論調は、研究内容には不備があるが、研究結果を発表した事には、一般の人に問題提起を行った、という意味で、社会的な意義があったのだ、という具合です。

しかし私は、この様な意見には、到底首肯出来ません。

何故ならば、科学的妥当性を欠いた研究を行い、その結果をもって特定の文化を非難する、という事自体が、科学者としての基本的な行動規範を逸脱している、と考えるからです。

「マスメディアが騒ぎ過ぎた。」という意見を言う学者もいます。

これは確かにその通りだと考えますが、だからといって、森氏に責任が無い、という事は言えません。現に森氏は、再三、マスメディアのインタビューに答える等して、ゲーム脳論を開陳しているのです(例えば、ZAKZAK:運転士、異常行動“ゲーム脳”の特徴(リンク切れ)、携帯メールでも脳が壊れる? 拡大する“ゲーム脳”汚染ゲーム脳 神経回路の形成に影響)。

件の学者達は、この様な事情を知っていながら、「意味があった」というのでしょうか。

もしそうであるなら、科学社会学的な認識が足りない、と言えるでしょう。

※補足

私は、「意味があった」と言った事を批判している、というよりも、森氏の研究を強く非難しなかった事、を批判しているのです。例えば、「ゲームをしている人間の脳活動を、神経科学的に研究する事は意味があるけれども、森氏の研究は妥当性を欠いており、その結果を安易に新書に掲載して出版するというのは、問題である。」の様に言うべきであったと考えています。

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2005年12月24日 (土)

相対化

「ゲーム脳」に類似する主張をする人に共通するのは、「文化を相対化する」視点が欠落している、という事でしょう。

文化というものが、恣意性に支配された価値の体系である、という事に対する認識が足りないのです。

例えば、「電車内で化粧をする事」を、「だらしなさ」を象徴する記号と看做し、それを非難します。それだけならまだ問題は少ないと言えます。好き嫌いは誰にもあるものですし、ある行動に不快感を覚える事も、それ自体は特に責められる事でも無いでしょう。

しかし、この様な認識が進んでしまうと、この「だらしなさ」という意味が、次第に「人間として未成熟な」とか、「文化的に劣っている」といった、より積極的に差別的なものに変わってしまうのです。そして遂には、「脳の機能が低下している」という、自然科学的な概念と無理矢理に結び付けてしまうのです(そもそも、「脳の機能低下」に、差別的なニュアンスが込められています)。

後はもう独擅場です。

彼・彼女には、大義名分が出来たのです。即ち、「自分達は、文化的に劣等である人間の脳波を発見した。これは由々しき事態であって、我々専門家は、この様な恐ろしい事態を改善する為の、社会的責任を果たさなければならないのだ。」という、「正義感」に目覚めるのです。そこには、自分達のものの見方それ自体が、恣意的な意味の網の目によって形成された、相対的なものである、という自覚は、微塵も見出されません。

自己の主観的認識を正当化する為に、ブレイン・イメージングの結果という、自然科学的概念を持ち出して解釈し、それがさも科学的真理であるかの様に主張するのです。そして、同じ様な結果が出れば、それに「異常」のレッテルを貼り、思い煩うのです。「これはどうしたものか」と。そこにあるのは、専門家としての自惚れと、自分が文化的に高等であるという思い込み、そして、「無知な大衆」に対する「啓蒙精神」です。

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2005年12月20日 (火)

ゲーム脳の恐怖(5)

B-1:そもそも「テレビゲームとは何であるか」という視座が無い。(「テレビゲームの心身に与える影響」等を論ずる際に、最も重要である視座)

について、です。(森昭雄:『ゲーム脳の恐怖』,2002 参照)

「ゲームが脳に悪影響を与える」とか「ゲームは人間を暴力的にする」といった主張を見聞きした時、ゲームを良くする人は、次の様に考えるでしょう。

「”ゲーム”と一口に言っても、色々なジャンルがあるし、同じジャンルでも違いがあるのに、それらを一括りにして”ゲームの影響”と短絡するのはおかしい」と。

これは至極もっともな反論です。しかし、この様な反論にはお構い無しに、ゲーム否定論者は、「ゲーム」の悪影響論を展開します。

「ゲーム」が脳に与える影響を確かめるためには、先ず「ゲームとは何か」ということを明らかにし、それがどの様な特有の性質をもっているか、を明らかにしなければなりません。即ち、「ゲームを定義する」という事です。

そしてその上で、ゲームのどの特性が、どの様なメカニズムで脳に影響を及ぼすか、ということを論証する事が必要なのです。言い換えると、その様な検証を行うことなく、ゲームの悪影響等を論ずる事は出来ないのです。そうであるのに、ゲーム否定論者は、「ゲームとは何か」を明らかにせず、概念を曖昧にしたまま、悪影響が云々と言います※。『ゲーム脳の恐怖』でもそれは同様です(本書を通読すれば、「書かれていない」事が解ります)。そこでは、「ゲーム」という語が、学問的に措定されていません。著者は明らかに、「コンピュータ・ゲーム」や「テレビゲーム」を念頭においていますが、「”ゲーム”脳」という語を用いています。著者の研究内容からすると、「コンピュータ・ゲーム脳」や「テレビゲーム脳」とすべきです。にも拘らず、「ゲーム脳」という語を使用するのは妥当とは言えません※2。

※勿論、「ゲーム(テレビゲーム)とは何か」を定義、あるいは社会科学的に詳しく論じた研究者もいるかも知れません。私が調べた限りでは、その様な論文等は見出せませんでした。ゲームの影響について調べたと称する研究のことごとくが、森氏の様な科学的妥当性を著しく欠く研究や、ゲームの特性そのものについては詳しく論じていない社会心理学的研究(坂本章氏の研究等)でした。

※2「ゲーム」では概念の内容が広すぎます。例えば『広辞苑』(第五版)では「ゲーム」は、「1.遊戯。勝負事。2.競技。試合。」、又、ゲーム - Wikipediaによれば、「ゲームとは、勝ち負けを争う遊戯、競技もしくは賭博のこととして一般には認められているが、「ゲーム」という言葉が実際に使われている範囲は幅広く、万人に通じる定義付けは難しい。」とあります。これでは、著者がゲーム脳改善に効果的と紹介している「お手玉」等も含まれてしまいます。(それどころか、あらゆる文化が含まれてしまいます)

私がこれまで、「テレビゲーム」や「コンピュータ・ゲーム」とせずに、「ゲーム」としてきたのは、この様な言語論的事情からです(テレビゲームやコンピュータ・ゲームを含めた「代名詞」として我々は「ゲーム」という語を日常的に使いますが、私もその様に用いました。勿論、学術的概念に安易に用いるべきではありません)。メール等も含めるのであれば、「テレビゲーム」や「コンピュータ・ゲーム」という概念では狭すぎます。パソコンのディスプレイや携帯電話のディスプレイを、「テレビ」と言う人は少ないでしょう。「テレビ」は、日常的には、放送の受像機、といった所でしょうか(もっとも、この境界も曖昧ですが)。「テレビ」を一般化すれば(パソコンのディスプレイ等も含むとする)、それらを含める事も可能ですが、それでも、メールやチャットを「ゲーム」には含められない、という問題があります(コンピュータ・ゲームでも同様)。著者もこの事には気付いている筈です。わざわざ(別著で、ですが)「メール脳」なる語を生み出したのですから。この様な場合、より一般的な概念を生み出す努力をすべきですが、それをしていません。これは非科学的態度であると言えます。

という事で、実は「ゲーム脳」という概念を提唱しておきながら、メール等の悪影響についても書いている時点で、論理的に整合性を欠いている訳です。森氏の『ITに殺される子どもたち 蔓延するゲーム脳』でもそれは同様です。寧ろ、苦し紛れに(ご本人はそう思っていないでしょうけれど)新しい語を生み出しだという点では、『ゲーム脳の恐怖』よりも問題であるのかも知れません。

次回は、「ゲームとは何か」という事について具体的に考察します。ゲームという文化が、他の様々な文化を部分的に含みうる、超複雑な、総合的文化現象である、という事にも言及したいと思います(『ゲーム脳の恐怖』の内容からは殆ど離れてしまうでしょう)。

続きは⇒ゲームとは何か(1)

ゲーム脳の恐怖 Book ゲーム脳の恐怖

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2005年12月19日 (月)

ゲーム脳の恐怖(4)

B-2:「ゲーム脳」という表現の問題―メールやパソコンのディスプレイの長時間の注視でも症状?が出ると主張しているのに、「ゲーム」脳という表現をするのは妥当性に欠ける。強い光刺激の恒常的な受容とでもすればよいのに、ゲームやメール・チャットなどを出してくるのは何故か。

について、です。(森昭雄:『ゲーム脳の恐怖』,2002 参照)※B-1は後回しにします

まず、上に「メール・チャットなど」とありますが、それらの「悪影響」については、森氏の、『ITに殺される子どもたち 蔓延するゲーム脳』において詳しく論じられています(チャットという語はこちらに出てきます)。『ゲーム脳の恐怖』では、仄めかす程度しか出てきませんが、『ITに殺される子どもたち 蔓延するゲーム脳』※2では、ゲーム脳を一般化して、コンピュータを使用すること自体が問題であるとしています(メール・掲示板・チャット等)。そして、「メール脳」なる語まで生み出しています。更には、テレビ観賞も問題であると論じています。(関連記事:携帯メールでも脳が壊れる? 拡大する“ゲーム脳”汚染

※2本書については、森昭雄研究所:ITに殺される子どもたち - livedoor Blog(ブログ)において、詳細に検討・批判されています。是非ご参照下さい。

「”ゲーム”脳」という語が術語であると主張するならば、先ず「ゲーム」の定義を明らかにし、その特性が脳にどのように具体的に作用し、悪影響を及ぼすのかを論証し、その上で、「ゲーム脳」という概念の定義を明確にしなければなりません。ところが著者は、その様なプロセスを踏まず、「ゲーム脳」という語を曖昧に用い、更には、ゲームをやったことが無い人間も同様の状態になり得るとして、わざわざ「メール脳」などという、これまたとても曖昧な語を造っています。以下、上記関連記事より引用。

「たとえば森教授が調べた携帯メール利用者のケースには、テレビゲームはいっさいやっておらず(強調引用者)、パソコンも所有していないが、携帯電話でメールを毎日1時間程度入力するという女子高校生がいる。この少女は、携帯メール利用時にβ波がほぼ半減しているという。」

常識的に考えても、ゲームを(持続的に)やっている人間に現れる状態が、ゲームをやったことの無い人間にも現れる、という事が明らかになった場合、「ゲーム脳」という語を破棄し、ゲームとその他のもの(メール等)に共通する部分を見出す努力をする、という事が妥当だと思われますが、著者はそれをせず、新たな語まで造っています。これはとても非科学的な態度であると言えます。

ここで、「いや、”ゲーム脳”というのはあくまで便宜上つけた名前で、厳密な学術的概念ではないのだ。」という反論をする方がおられるかもしれません。しかし、その反論は妥当でありません。何故ならば、ゲーム以外でも同様の状態になる可能性があるのに、敢えて特定の文化の名を用語に含めることは、一般性に欠けるからです。のみならず、この様な科学的根拠の無い造語は、当該文化(ゲーム等)に関わる人々を不当に貶め、差別の対象にしてしまう可能性すら有るのです。「何を大袈裟な」と思われるかも知れませんが、現に著者は、『ゲーム脳の恐怖』において、

「子どもはテレビゲームをする習慣がつき、麻薬と同じようにやめられなくなっていきます。やがて、子どもの前頭前野の働きは低下し、動物脳と呼ばれる古い脳である大脳辺縁系に対して、常時動物的な行動に出ないようにする抑制がかけられなくなってくるのです。」(155頁)

「子どものころからテレビゲームをしている人は、やめようと思ってもやめられません。重症で、将来が心配です。」(158頁)

「テレビゲームをすることでは個性は生み出されません。まして幼児期にテレビゲームをさせておくのは、その子の個性や人間性がつくられないことになるのです。」(176頁)

等と書いているのです(同様の表現は、本書に無数に散りばめられています)。

これらは、特定の文化に関わったことのある子どもやその養育者、或いは開発者等に対する極めて重大な差別表現であり、その文化に関わっていない人々に対する恫喝の表現でもあります。そして、「ゲーム脳」がその認識を助長する言語装置として作用するのです。いやしくも科学者たるもの、この様な、非科学的認識に基づいた造語をするべきではありません。

さて、ゲーム(をプレイしている状況)で見出された状態が、他の状況でも見出されたのであれば、

  1. そもそもその様な状態は、人間に、一般的に見出されるものである。
  2. ゲームに特有ではない条件が、その様な状態を作り出している。
  3. ゲームをプレイしている時間、常にその様な状態になるわけではない。
  4. そもそも実験が間違っていた(実験器具の不具合、あるいは、脳科学(神経科学)的知識の不足等)。

等の、様々な解釈が出来るはずです(1.2.3.は、それぞれ関連する)が、著者はそう考えなかった様です。

森氏の一連の著作やインタビュー等を基に推測すれば、どうやら氏は、ディスプレイを注視する文化が、脳に悪影響を与えていると考えている様です。即ちテレビ・(コンピュータ)ゲーム・メール・チャット・掲示板等々。もしそう考えているのであれば、(ディスプレイから発せられる)光刺激の生理・心理に与える影響とでも一般化すれば良いのに(これは重要な研究だと思われます)、何故か、複数の異なる文化を、「ディスプレイを用いる」という共通性で(他にもあるかも知れませんが)一括りにして、その影響を論じています。恐らく氏にとっては、メールも、チャットも、ゲームも、全部「同じ物」なのでしょう(それなのに、文化内の差異をある程度認めている様でもある。そうすると、前提と矛盾するはずなのだが…)。しかも、その「同じ物」によって引き起こされる(と著者が確信している)状態(これも著者が確信している)を、「”ゲーム”脳」と表現しているのです。

ある文化の「影響」というものを考える際、その文化とはどの様なものであるかを詳細に考察するのが先決ですが、森氏や同調者は、それを全く行っていません。ここに、彼・彼女達の、ゲーム等にたいする「みくびり」が見てとれます。ゲームなど、真面目に考察するに値しない、単純な文化であると考えているのでしょう。もしかすると、文化ですらない、と考えているかも知れません。

私は、その様な考えは間違っていると考えています。ゲームというのは途轍もない複雑さを持った文化であり、それを科学的に分析する事は、非常に困難な事であると認識しています。次回以降、この事について書きたいと思います。

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ゲーム脳の恐怖(3)

A-3:2.に関連して、データの恣意的な解釈、見落とし、あるいは意図的な無視が見られる。

A-4:主観的印象・既成観念の過度の一般化、つまり、そもそもゲームは良くないものだと思い込んでおり、それを正当化するために論述をすすめている。

について、です。(森昭雄:『ゲーム脳の恐怖』,2002 参照)

これらについては、各所で痛烈に批判されています。

例えば、まえがきにおいて、ゲームのキャラクターと同じ格好をしている(コスプレ)人をみて「ショックを受け」(5頁)たことや(しかも、何故か「無表情で歩いている」(5頁)という表現をしている)、(その経験を基にしての)日本の未来に対する危惧が書かれています。その後も、「異様な雰囲気」(5頁)等の、極めて主観的な、「印象」が語られています。即ち、ある特定の文化に対するネガティブな評価が先にあり、それを正当化するために論述が進められている、ということです。

経験的な認識を基にして、仮説を構築すること自体は、特に問題はありませんが、その仮説を検証(あるいは反証)する際に、著者は、とても科学的妥当性が充分とはいえないプロセスを踏んでいます。

例えば1章には、

「高齢者における痴呆を、おでこに相当する前頭前野領域の頭皮上から記録されるα波とβ波の比を求めることで、約85(引用者註:原典は漢数字)パーセント判定できる機器とその方法を確立してきたのです。」(21頁)

とあります。ここで、痴呆(認知症)を「約85パーセント判定できる」としていますが、まずその主張が妥当であるかどうか、という問題があります。脳波から認知症であることを判定出来るということは、認知症の人に特異的にその脳波のパターンが現れることを実証しなければならないはずですが、そのことについては言及されていません(この主張の妥当性については、各所で批判されています)。

更に、この主張を前提として、ソフトウェア開発者(8人)の脳波を測り、「痴呆者と同じ脳波を示した」(21頁)と言っています(どの様な状況で脳波を測定したかは書かれていない)。ちなみに、21-22頁では、開発者(の仕事)に対して、「ひらめいたり、集中しているのはわずかな時間で、ただ画面をみている時間のほうが圧倒的に長いのです。」と評価しています。この記述は、仕事の「慣れ」等について全く考慮されていません。常識的に考えて、毎日数時間する仕事には、創造的な思考を働かせる場面や、殆ど何も考えずに身体を動かす時間もあるでしょう。そしてそれは、どの様な仕事でも同様です。常に強力に集中し、創造力を働かせる、ということ自体が、かなり特殊な状況でしょう。もし、ソフトウェア開発者(プログラマー等)の仕事が、他の仕事に比べて集中力も創造力も少なくてすむ、と主張するのであれば、それを社会科学的に研究する必要がありますが、それもありません。著者は、脳波を計測して、良くない(と著者が主張する)波形が見出されたから、開発者の仕事は、脳をあまり使わなくても出来るのだろう、という誤謬をおかしたのではないでしょうか。

25頁には、以下の様な記述があります。

「前頭前野の機能低下と思われる身近な例も挙げてみましょう。たとえば、人目を気にせず電車内で化粧をしている人、公衆の面前で抱き合っているカップルなど。人間らしさを表現する場所である前頭前野が働かず、理性、道徳心、羞恥心、こんなことをしたら周囲がどう思うだろうということを、考えられなくなってしまっているのです。」

ここでは、著者や、著者に類似の主張をする人に共通する論理の展開がみられます。即ち、「価値」や「認知」の問題を、即座に「脳機能の低下」に結び付ける、という誤謬です。

価値観の違いを、脳機能の「異なり」に拠る、と看做すことは出来るでしょう。認知が脳の神経細胞の活動パターンであると考えれば、当然その様な見方をすることは出来ます。しかし、「電車内で化粧をする」ことや、「公衆の面前で抱き合」うことが、脳の「機能低下」の結果である、と言うのは間違っています。自分が「道徳的であると思う」ことを普遍的な価値だと決めつけ、それを他人に押し付ける、そして、その価値観に合わない言動を、「非常識」だと看做し、マイナスの評価を下します。あまつさえ、その根拠を、脳波(やMRIやMEGやPET)の測定結果に求めます。「非常識な行動をとる人は、脳がおかしくなっているのだ」と。脳科学者等が、この様な主張をしているのを見かけることがあります(森氏はその筆頭と言えるでしょう)。このような主張に、私は恐ろしさを覚えます。

価値観などというものは、相対的なものです。それは、文化毎に差異があり、どれが「正しい」とはそもそもいえないのです。森氏と同様の主張を展開する人々には、広い人文・社会科学的(記号論や文化人類学、社会心理学等の)認識が足りないのでしょう。

26-28頁では、睡眠時間減少とテレビゲームの関係について論じられていますが、ここでも、睡眠時間が減少しているというNHKの調査が紹介されているだけで、それが、テレビゲームをやる時間が長くなったから、という主張と無理矢理結び付けられています。あるのは、テレビゲームをする「頻度」についてのデータで、睡眠時間減少とテレビゲームをやる時間との因果関係については、論じられていません。例えば、学校の勉強をする時間の増加と睡眠時間の減少に有意の関係が見出されたとして、「勉強時間を減らせ!」と、「テレビゲームをする時間を減らせ!」という時と同じ調子で、言うのでしょうか。恐らく言わないでしょう。初めから、勉強=役に立つもの、テレビゲーム等=役に立たないもの、という前提があるでしょうから。

又、そもそも睡眠時間が減ることが悪い事なのかどうか、についても何も語られていません。どの位睡眠をとれば良いのか、それはどの様なメカニズムに拠るものなのか、等についてです。

以上の様な誤謬は、本書の到る所に見られ、枚挙に遑がありません。

それを、著者が意図的に(嫌いなものを攻撃しようとして)行っているのか、あるいは確信犯的に(正しいと信じて)行っているのかは、知る由もありませんが、著者に、社会科学的認識が足りないのは確かだといえるでしょう。「認知」に対する考察なくして、文化と行動の関係など、論ずることは出来ないのです。

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2005年12月18日 (日)

ゲーム脳の恐怖(2)

A-1:「ゲーム脳」という概念の学術的定義が為されていない。

A-2:統計学的(社会調査的)妥当性に乏しい。

について、です。(森昭雄:『ゲーム脳の恐怖』,2002,第3章を参照)

本書を通読すれば解りますが、「ゲーム脳とは何々である」という明確な説明がありません。あるのは、ゲームを普段、長時間している人に現れる特有の脳波パターンに対して、「ゲーム脳タイプ」と名付ける、という記述です(78頁)。

さて、ここで問題があります。

上に「特有の」と書きましたが、ゲーム脳タイプの脳波(と名付けられたもの)が、果たして著者が言う様に、ゲームを長時間する人間に、特異的に現れるものであるか、ということです。

脳波のパターンが、脳活動を反映したものであることは当然ですが(著者が用いた脳波計が正確であったかどうか、という重要な問題はありますが)、それが果たして「テレビゲームを長時間(習慣的に)しているから」かどうかは、又別の問題です。

脳波計測の際に用いられたゲーム(おそらく「テトリス」と思われる)に対する興味、ゲームに対する慣れ、実験に協力する際の取り組み方等を考慮せずに、無理矢理短絡されている様に読み取れます。

又、実験に協力した対象を、どの様にして抽出し、得られたデータにどの様な統計学的操作を加えたか、等については、殆ど書かれていません(「多くの大学生」(72頁)としか書かれていない)、サンプルサイズなど、書かれてすらいません。

社会調査において、これらについて明記することは必須の条件ですが、本書では、この点がとても曖昧です。

仮に、(統計学的に)充分な妥当性を備えた研究によって、ある脳波と、テレビゲームをする時間との相関が見出されたとしても、テレビゲームが特有の脳活動を引き起こすメカニズムを、明らかにしなければなりません。即ち、「テレビゲーム」という文化の、どの部分が、どの様に作用し、脳の特有な活動を生み出すか、ということの因果関係を、明確に記述する必要がある、ということです。そして、その考察を進めるためには、「テレビゲームとは何か」という視座が欠かせないものとなります(このことについては、後日詳述します)。ここでは、単なる統計学的認識ではなく、広く社会科学的な認識が必要とされます。

勿論、そもそも本書で「ゲーム脳タイプ」とされる脳波が、「悪い(という言い方もおかしいですが)」脳波であるかどうか、という問題もあります。この点については、斉藤環氏等が、批判を加えています。(参考:斎藤環氏に聞く ゲーム脳の恐怖1[www.tv-game.com]

森氏を初めとした、森氏と類似の主張をする人々は、物事を単純化し、複雑な「認知」の問題を棚上げにして、結論を短絡します。彼・彼女等は、行動主義的人間観を持っているのかも知れません。

ゲーム脳の恐怖 Book ゲーム脳の恐怖

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ITに殺される子どもたち 蔓延するゲーム脳 Book ITに殺される子どもたち 蔓延するゲーム脳

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「社会調査」のウソ―リサーチ・リテラシーのすすめ Book 「社会調査」のウソ―リサーチ・リテラシーのすすめ

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2005年12月17日 (土)

ゲーム脳の恐怖(1)

さて、「ゲーム脳の恐怖」についてです。

その前に、お断りしておきます。

これから書く内容は、『ゲーム脳の恐怖』を読まれた方を対象にしています。従って、読んでいることを前提として論を進めていきますので、その点はご了承下さい。未読の方には、是非原典に当たられることをお勧めします。(私は、本書を初めて読んだ時に、目から鱗が落ちました。「この様な非科学的な本を公刊することが出来るのか。」と。)

閑話休題。本題に戻ります。

まず、本書全体に亘る問題点を列挙してみましょう。(類似の主張の殆どに当てはまることでもあります)

  1. 「ゲーム脳」という概念の学術的定義が為されていない。
  2. 統計学的(社会調査的)妥当性に乏しい。
  3. 2.に関連して データの恣意的な解釈、見落とし、あるいは意図的な無視が見られる。
  4. 主観的印象・既成観念の過度の一般化、つまり、そもそもゲームは良くないものだと思い込んでおり、それを正当化するために論述をすすめている。

以下は、批判者もあまり指摘しない点です。

  1. そもそも「テレビゲームとは何であるか」という視座が無い。(「テレビゲームの心身に与える影響」等を論ずる際に、最も重要である視座)
  2. 「ゲーム脳」という表現の問題―メールやパソコンのディスプレイの長時間の注視でも症状?が出ると主張している※のに、「ゲーム」脳という表現をするのは妥当性に欠ける。強い光刺激の恒常的な受容とでもすればよいのに、ゲームやメール・チャットなどを出してくるのは何故か。

等です。

※この主張は、『ゲーム脳の恐怖』の著者である森昭雄氏の、『ITに殺される子どもたち 蔓延するゲーム脳』等によって展開されています。

次回以降、上記について、一つ一つ具体的に見ていきたいと思います。特に、今までの批判者が余り具体的に論じていない、B-1の「そもそもテレビゲームとは何であるか」ということについて、又、その心身に与える影響について考察するには、どの様にすれば良いか、ということについては、詳細に書きます。

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ゲーム脳等

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今日から、「ゲーム脳」等について、書いてみようと思います。

もはや、論破され尽くした感のあるゲーム脳論なので、今更、と思われるかも知れませんが、他の批判者の方々とはちょっと違う視点からの批判も試みたいと考えています。

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