カテゴリー「血液型性格判断」の記事

2009年4月28日 (火)

色々説明

血液型性格判断がニセ科学だなんてニセ科学だぜ - 日記

「血液型性格診断」に科学的根拠がないことは、すでに心理学の実験で証明されている」

ホントか?ソース出せよ。

→正確には、「心理学の実験で証明」、では無い(普通は、質問紙調査を「実験」とは言わない)。血液型性格判断は、大規模な社会心理学的研究などにより、反証されている。ソースは、大規模な研究では、松井や山崎・坂元 等。その他、多くの小規模な研究がある。参考資料⇒■(シリーズ)「血液型と性格」論文レビューをするにあたって|ほたるいかの書きつけ ■(シリーズ)忘却からの帰還: "Blood type and personality" に手を出したことがある研究者(1) Cattell ~ 忘却からの帰還: "Blood type and personality" に言及したことがある研究者 (4) Kosaku Yoshino

「性格」なんてものが科学で定量的に扱えるわけないだろ。

→それは性格心理学そのものの否定。質問紙調査等により性格特性を把握する事をも否定する。その立場自体はあって良いが、「仮に性格が科学的定量的に研究出来なくとも」、それは、「ニセ科学という評価が出来なくなる」条件では無い。

こんなものを科学的に反証できると考えている人間こそニセ科学の側だ。

→性格心理学や社会心理学のパラダイムに則れば、科学的に反証出来る。仮に、上の理由により、性格を定量化出来ず、従って反証出来なくとも、それは、「ニセ科学という評価が出来なくなる」条件では無い。

「血液型は単に抗原の違いを示しているに過ぎないのだから、性格とは何の関係もない」って批判は意味がない。

→それは、血液型性格判断に対する筋の悪い批判なので、そのような想定はあまり意味が無い。

そもそも科学でないことを「ニセ科学」だとか「科学的根拠がない」とか言い出すのを止めろと。

→科学で無いとして、それを「科学的根拠が無い」と評価するのは、全くおかしく無い。そして「ニセ科学」は、科学的根拠が無いにも拘らず、それが成り立っているかのように主張もしくは認識されるものである。

頭の悪い人はAが「科学的に」否定されてると思っちゃうから、警戒しないと。

→血液型性格判断は、心理学的に反証されている。繰り返し研究され、その結果強い関連が見出されなければ、反証されたと見て構わない。ごく慎重な態度を採り、それでも反証なされていない、と主張しても良いが、それは、「ニセ科学という評価が出来なくなる」条件では無い。

仮に、今までの全ての心理学における、血液型―性格 関連説の研究に不備があったとして、数十年後にそれが明らかになり、「実は血液型と性格に強い連関があった」事が解った、とする。その場合でも、「現在における、血液型性格判断を”ニセ科学”とする評価」は変わらない。確かめられていないにも拘らず、「確かめたかのように」主張してはならない。

血液型性格判断の否定と、「血液型と性格に関係が無い」、という論は必ずしも同じでは無い(文脈にもよる)。

20年前は加熱した牛からヤコブ病が感染する「科学的根拠はない」、

30年前は注射器の使い回しで病気が感染する「科学的根拠はない」って言ってましたよ。

→「科学的根拠は無い」、と、「科学的に考えてあり得ない」、は別である。現象が実証的に確認されていないなら、それは一般に「科学的根拠は無い」、と評価される。そしてそれは、必ずしも、「これまでの科学の体系から見て、原理的に成り立たない」というのを意味しない。現象が確認されていないのに「確認された」と言えば、それは批判される。「仮に成り立っているとしても」、である。成り立っている事と、それが「確かめられる」事は同じでは無い。

血液型性格判断がニセ科学だなんてニセ科学だぜ

→この文は、血液型性格判断をニセ科学と評価する事そのものが「ニセ科学」だと言っている。という事は、ニセ科学という概念を理解した上で、それに当てはまると考えた、のを意味する。では、ニセ科学概念の意味を説明出来るはずである。単なる揶揄で、特に深く考えずに使ったので無ければ。

<追記>こちらもどうぞ⇒血液型性格判断・ニセ科学・差別、あるいは「科学」と「価値」|ほたるいかの書きつけ<追記終わり>

資料

リンク集:

書籍(私が未読のもの含む):

不思議現象 なぜ信じるのか―こころの科学入門 Book 不思議現象 なぜ信じるのか―こころの科学入門

著者:菊池 聡,宮元 博章,谷口 高士
販売元:北大路書房
Amazon.co.jpで詳細を確認する

「モード性格」論―心理学のかしこい使い方 Book 「モード性格」論―心理学のかしこい使い方

著者:サトウ タツヤ,渡邊 芳之
販売元:紀伊國屋書店
Amazon.co.jpで詳細を確認する

心理学 (図解雑学) Book 心理学 (図解雑学)

著者:大村 政男
販売元:ナツメ社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

Book 血液型と性格

著者:大村 政男
販売元:福村出版
Amazon.co.jpで詳細を確認する

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2009年4月22日 (水)

よく出てくる

私は毎週、アニメ関連のWEBラジオをいくつか聴いているのですが、ほぼ確実と言っていいくらい、血液型の話をしているのを、週に一度以上耳にします。ちょっとびっくりする頻度です。

いわゆる「コミュニケーションの潤滑油」的な捉えられ方なのでしょうね。もう、「当たり前」な感じになっているようです。極めてライトで、かなり信じている、という。

インターネットラジオ・TVの番組表

↑ここから面白そうなのをチョイスして聴いているのですが、せいぜい週に10本前後かな。それでも、結構血液型性格判断の話を耳にします。少なくない人達に聞かれるものだから、その影響力は、馬鹿に出来ないでしょうね。

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2009年4月19日 (日)

そろそろ…

掲示板のあのスレが再始動するやも知れません。

一部の皆さん、準備はよろしいですか?

準備って言っても、いわゆる心の準備ですが。

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2009年3月13日 (金)

良いエントリー。フォルダ開放。自分の話

とてもいい記事だから、じっくり読んでいってね!!!⇒「血液型性格判断」批判 前編:ニセ科学批判の練習問題  - みつどん曇天日記

ちょうどいい機会なので、私の血液型性格判断関連サイトフォルダを開放。あまり知られていないサイトもあると思います。※必ずしも、内容が信頼出来て適切、というものではありませんので、よろしく

中猫さんの所から、ちょっと引用してみます。血液型性格判断のこと再び - 油小路ニュー中猫屋

 ABO式血液型によって人々の性格を分類し、判断の基準にしようという試みを批判する者は多いのです。しかしながら、その批判のなかには「駄目な」批判が含まれています。「たった四つの型に人間を分類できない」というのがそれです。四つもあれば十分に分類できるからなのです。ある分類の基準を決めさえすれば、比較的少数のカテゴリーを想定して、そのうちのどのカテゴリーにその人の性格であるとか行動パターンであるとかが含まれるのかを検討すること自体は、それほど不合理なことではないのです。「人間が四種類に分けられてたまるか、みんなひとりひとり違うんだ」のような意見は、妄信的な個性崇拝のあらわれでしょう。

私はこちらを読んでいたのですね。で、kikulogも読んだ。そして、きくちさん経由で菊池聡氏の書かれたものも読んだ。要するに、色々な方の影響がある訳で、それまでは、自分自身がダメな批判をしていたんですね。友人に対して血液型性格判断を否定する意見を言った時も、とにかく無いんだよ、的な物言いをしましたし。

そういう経験もあってか、私は、筋が悪い批判をしていたりするのを見て、ただちに強く批判したりしないんですね。必ず、「自分もしでかしている可能性がある」と考える。尤も、批判の態度というのは、対象のものの言い方や、書いた内容によって変わってはくる訳ですけれども。

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2009年1月16日 (金)

テレ朝で血液型性格判断(一応否定的)

kikulogの「血液型と性格3」で、先日(テレビ朝日の)医学系の番組で血液型性格判断が採り上げられていた事が話題になっていました。

皆さん、ゲストの女性の反応が印象に残ったようです。私もそうでした。

で、録画してましたので、ちょこっと文字起こしをば。※詳細な流れは書きませんので、先にkikulogを読んで下さい⇒血液型と性格3(785辺りから)

司会(アナウンサー):まあ、医学的にはもう関係が無いんだと。
 
女性:えー、やだあ……ショック…。

※司会の発した「もう」の部分は、「既に」の意味というよりは、単に次の言葉につなぐために発したような感じ。

途中飛ばして、コーナーの締めのナレーション。

ナレーション:とはいえ、日本では大流行の血液型性格判断。遊び感覚で楽しむ程度がいいようです。

これはひどい。「抜け抜けと」と言うのがぴったりでしょう。
 
観直してたら、太田さん、いや、根拠はあります、的な事も言ってますね。全体的に茶化している印象ではありますけれども。

でもあれですね。医師の方で、じゃあ、骨髄移植したら性格が変わるのか云々、という、ある意味定番な反論を言っている方がおられました。まあ、血液型と性格に強い関連があるのならば、というのが仰りたいのでしょうけれども。

医学の番組でしたけど、血液型と性格の問題は、多分に心理学的なものでもあるんですよね。そこら辺を総合的に扱う番組なんかがあればいいんですけど、今のテレビがそこまでは踏み込まないでしょうね。

ナレーションで、どうやら医学的には、血液型と性格に関係は無いようです、というのがあって、危ういっちゃあ危ういなあ、とも感じました。

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2008年12月31日 (水)

無理解

掲示板でABO FANさんとやり取りしていて、統計学理解のレベルが想像以上の低さだ、というのが判明して、なんだかなあ、です。

kikulogとかでは、多分理解していないだろうなあ、と思わせながらも肝心な所は はぐらかして(読解が不能になるような詭弁を弄して)いたから、もしかしてわざとやってるのかなあ、と感じていたんですが、掲示板では、面白いほどに無理解を無防備にさらけ出していますよね。なぜ? 油断しているのかな。

FSMさんの嘆きもご尤もなのであります。

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2008年12月16日 (火)

にわかにホット

dankogai氏の所とか はてブ界隈とかで、血液型性格判断関連の話題がちょこちょこ出てますね。

で、眺めていて思ったのが、これはこうなのかも、と思ったのをコメントとかで書いているけど、その先を考えていないのがあるなあ、と。

□型はどういう性格で……という知識を持っていたらそういう性格に近づくかもしれない、的な推測とかですね。

実際、心理学者は物凄く調べている訳ですよね。ちょっとググれば、WEBでも結構情報が手に入る。多分その疑問への答えは既に出ているよ、というような疑問が見られました。

私自身は、kikulogの「血液型と性格」シリーズを追っていたら、いつの間にか色々な知識を得ていたようです(それまでにも色々考えてはいましたが)。あそこは、約一名(たまにゲストが登場)による凄まじいノイズがあるけれども、血液型性格判断にまつわる様々な論に関して議論がされているので、一見の価値はあると思います。

上に書いた、多分その疑問への答えは云々、というのは、きくちさんが書かれている事でもある訳ですが。

ああ、やっぱり、血液型―性格 の連関はどのくらいか、というのと、血液型性格判断を分けて考えられていない方も散見されますね。これは非常に重要な論点なんだけどなあ。

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2008年12月 4日 (木)

信じて無いのにネタにする人ってホントにいるの?

はてなブックマーク - 10位までに血液型本4冊…書籍の年間ベストセラー(読売新聞) - Yahoo!ニュース

umaaaa これマジにとって「血液型なんて嘘っぱちだってば!」とか怒る人を見ると、皆わかってるから大丈夫だよーって慰めてあげたくなる。本気で信じてる人見たことないや/いるとこにはいるのですね、決め付けて申し訳ない 2008/12/03

このコメントを読んで、いつも考えている事を書いてみようと思いました。

umaaaaさんは、本気で信じている人を見た事が無い、と最初仰った訳ですね(ブクマコメントで指摘があって、後で後半部が追加されました)。

私はそれとは全く逆で、血液型性格判断をネタにしている人で、信じていない人を見た事が無いです。十数人はいたかな。もっといたかも。

ちょっと考えてみて、こういうネタを、間違いと完全に解りつつ使うなんてあり得るのか? と感じる訳ですね。

間違いだと解ってても場の雰囲気を壊したく無いから仕方無く乗っかる、というのはあり得ると思うのです。が、それは、間違いだと解っててネタにする、というのとは、ちと違いますよね?

ネタにするって事は、少なからず信じている、自分の経験から「ありそうだ」と思っている、という事なんじゃないのかなあ、と。たとえ言葉の上では「間違いだと解ってるよ」的な言い方をしたとしても、実は信じているんじゃないの、とか。

間違いと解りつつ積極的に用いるって事は、端的に言って嘘つきな訳で。仮に、皆が間違いと解っててネタにしてるんだとしたら、それはそれでどうなのよ、とも思いますね。

よーく考えてみて下さい。

他人とコミュニケーションをとる際に、「間違いだと解りつつも、やり取りが円滑に進むからネタにする」、なんて事、普通します? 無いですよね。せいぜい、後でネタばらしをして驚かせる、という時にやるくらいでは?

なのに、血液型性格判断に関しては、時折そういう意見が見られます。なんででしょうね。

あー、占いとか、自分は信じていないけど信じている人を喜ばせる、とかありそうだな…。

どっちにしても、間違いだと解ってて使う、という人は嫌ですね。もちろん、本当だと信じて使う人も嫌ですが。

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2008年11月20日 (木)

血液型性格判断関連2つ

いずれ劣らぬ強烈なものをば。

B型の人は英語が得意って本当?! - [英語の学びなおし]All About

[決着]なるべく回答して下さい。血液型と性格に決着をつけましょう。 Q1.血液型... - Yahoo!知恵袋

いかがですか。前者はギャグレベルの根拠でものを言っていて、後者は、結局自分の直感に合う回答に共感する、というもの。

「直感は必ずしも事実を反映しない」という「実感」を得るのが、すごく重要だと思います。その実感は、「数字を読む」事を意識したりしないと、なかなか得られないものですが…。

思えば、少年犯罪が激増していると思い込んでいた所に、それが間違いだというのをデータを示されて説明されているのを見た時には、愕然としたものです。

それから、色んな分野で、直感を相対化して「事実」を調べる事にどれだけ工夫しているか、というのを知りました。ああ、なるほどなあ、と。

それにしても、前者の記事、推定も検定も、誤差も、何も考えていないですね。このレベルのものは、さすがにそうは見かけない。どんなにダメなのでも、かたちだけ独立性の検定をしてみせたりするものですが、これは群を抜いています。

後者は、「決着」と言っているのに、自分はこういう意見を受け付けませんよ、というのを初めから書いていて、ほとんど意味が無いですよね、質問として。一体何がしたいのだか…。質の高い回答がいくつかあるのがせめてもの救い、でしょうか。

不思議現象 なぜ信じるのか―こころの科学入門 Book 不思議現象 なぜ信じるのか―こころの科学入門

著者:菊池 聡,宮元 博章,谷口 高士
販売元:北大路書房
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統計でウソをつく法―数式を使わない統計学入門 (ブルーバックス 120) Book 統計でウソをつく法―数式を使わない統計学入門 (ブルーバックス 120)

著者:ダレル・ハフ
販売元:講談社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

↑大村さんの『数字のトリック』が貼れなかったので、評判の良いロングセラーを。恥ずかしながら、読んでません。参考文献として色々な所で紹介されるので、載せます(大村さんの本でも紹介されていました)。

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2008年11月12日 (水)

今はもう大丈夫だろう的な雰囲気

『AERA』11/19:血液型性格判断を肯定|ほたるいかの書きつけ

雑誌の意見としては中立……と言えば聞こえはいいけれど、要するに、これまでの知見を無視している、という話。

これは、はてブ経由で⇒Business Media 誠:血液型で見る、歯ブラシ1本の交換期間 (1/2)

ジョンソン・エンド・ジョンソンのプレスリリース⇒プレスリリース | ジョンソン・エンド・ジョンソン

血液型別の歯ブラシの交換時期を調べたそうです。何じゃそりゃ。

なんか、今はもう、強い関連があると断言しなければ適当な事言っていい、と思ってるんじゃないですかね。かなりひどいんですが。後者は別に、性格云々と直接言っている訳ではありませんけれど、医療に関わる企業が、

歯ブラシの交換時期の目安と言われている1ヶ月以内に歯ブラシを変えているのはB型が一番で29.9%。

◆歯ブラシの交換時期は?
  1ヵ月以内に交換している割合が多いのは、B型、A型、AB型、O型の順。
  1週間以内に交換している割合が多いのは、AB型。

◆もてるためには、「白い歯」が重要?
  「重要」と感じているのは、O型女性(重要度71.0%)。
  「重要でない」と感じているのは、A型男性(重要度49.6%)。

こんなものをプレスリリースに載せてどうするんですか。誰も何も言わなかったのかな。少なからず、株を下げるでしょう。医療従事者はどう思うでしょうね。

サンプルは信頼出来るのか、というのは、いつもの通りです。

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2008年10月28日 (火)

母集団と標本

 最初に述べたように,研究の対象全体のことを母集団(population)といい,母集団について推論を行うために観測した一部の集団のことを標本(sample)という。ただし,心理学においては,研究の対象は人間全体という抽象的な存在を想定して,人間に普遍的な法則を探ろうとすることが多い。このとき,研究対象全体は,抽象的に,1つの数学的分布で表現する。実際に母集団が現実に存在する者として特定されている場合を有限母集団(finite population),モデル上想定される母集団を無限母集団(infinite population)という。「○○大学の学生」「××市の住民」などは有限母集団,「人間」「女性」「子をもつ父親」などは無限母集団として扱われる。

 一般的に用いられている統計学では,標本を用いて,母集団の平均などについて推論を行うことが多い。

 心理学の研究でなんらかの測定を行う場合,測定されている被験者そのものより,被験者を一般化した人間全体に興味があることが多い。たとえば,大学生の友人数人をつかまえてきて錯視の実験を行うとする。その目的は,特定の友人数人に対してどのような錯視が起こるかではなく,人間一般に対してどのような錯視が起こるかに関心がある。このとき,実際に測定を行う対象のことを標本という。それに対して,標本の結果を一般化できるような対象,つまり標本と交換可能な被験者の集まりのことを母集団という。

(繁桝算男・大森拓哉・橋元貴充 著 『心理統計学 データ解析の基礎を学ぶ』より引用)

現象を統計的に解析する場合、実験なり観察なりによって得られたデータを標本とし、ある全体について推測を行う、というのは基本的な論理です。

たとえば、社会学分野では、ある属性を持った有限の人間の集合を母集団として調査する事も多いと思います。いわゆる社会調査ですね。心理学では、知覚心理学等の実験心理学的領域では、人間という動物一般を母集団とするでしょうし、社会心理学なんかだと、社会学と同様に、ある時点における日本に居住する成人、というような有限母集団の場合が多いでしょう。自然科学では、無限回の実験が母集団になるでしょうし、品質管理辺りだと、あるラインで製造される工業製品全体、という無限母集団が想定される事でしょう。

さて、血液型と性格の関係、という問題でこの事を考えてみると、母集団はどのような集合と想定するべきでしょうか。色々考えられるでしょうね。

これまでも何度か書いてきましたが、私の考えを述べます。

私は、「血液型性格判断」を、シンプルに、分布の問題だと捉えています。性格判断とは論理的に、ABO式血液型の情報から高い確率で性格を言い当てる(あるいは逆)事が出来る、という現象だと考えられます。

これはつまり、血液型の情報を知る事が出来、更に、観察から人間の「性格」を分類する事が出来ると仮定すると、分布さえ偏っていれば「現象し得る」、のだと言えます。簡単に言うと、□型に○○な性格の人が著しく多い、というのが事実としてあれば、「性格判断」は成り立つ、という意味です。本質的に、社会学的・社会心理学的問題だと捉えているという事ですね。

母集団としては、有限母集団。ある時点における限定された空間に存在する人間の集合、とでも言えるでしょうか。たとえば、2008年に日本に居住する人間、というように。

もちろん、細かく考えると、標本調査論的な問題が色々ありますが、統計的な対象としては、ある程度理想化した集合を母集団と想定し、様々な誤差を考えながら調査を進めるしかない訳ですね。人間は、時を止めて全てを完全に調べる事の出来る存在では無いのですから。

さて、人間という動物全体を母集団とする訳では無いので、当然、血液型性格判断というのは、ある時には成り立たないが別の時には成り立つ、というのは、論理的にはあり得ます。性格の構成比が偏りさえすれば良い。「性格判断」というのは、(生物学的論理を基盤としながらも)多分に心理・社会的現象であるのですから。

そして、以前は見られなかったステレオタイプが見出されたようだ、というような信頼出来る研究結果が出たら、それは、血液型と性格との連関には心理・社会的因子の影響が強い事の証拠である、とも考えられる訳です。社会心理学的研究が、生物学的な連関の強さを否定する傍証になる、という事ですね。

逆の方向から考えると、仮に、生物学的に、血液型が強く性格に影響を与えるのだとすれば、研究の時期によって連関の仕方に大きな違いが出る、というのはあってはならないのだ、とも言えるでしょう。

もちろん、性格概念そのものについても色々考えがある訳で、強い状況論を採ったり強い行動主義だったりする場合には、性格という概念を、行動観察や質問紙調査で把握する、という事自体に懐疑的であるかも知れません。性格という固定的なものなど無い、という風に。当然その場合、性格判断という概念は無意味になります。性格を判断・分類出来ないのだから、血液型と性格の連関に言及しようが無い。

まあ、私は今の所、こんな感じで考えています。

そういえば、一般に母集団は想定しない、とかおかしな事を言っていた人がいましたね。

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2008年10月27日 (月)

矛盾だらけ

やっぱりこっちでやりましょう。あっちの掲示板は使いにくくてしょうが無いです。

ABO FANさんは、あまり連投しないように。いいですね。これは議論以前の問題だから。

出来ればここでは、統計と科学の話をお願いします。黒猫亭さんとABO FANさんのやり取りは、あちらで引き続き継続して頂けると助かります。

ABO FANさん用:Interdisciplinaryな掲示板:@niftyレンタル掲示板:@nifty

26.ABO FAN  2008/10/26 21:00 >>24

> まず、「帰無仮説が正しい」が「関係無い」の定義なら、

帰無仮説の定義は、要するに「差がない」ですから、確かに「関係ない」の定義と同じです。
ただし、統計的推計では、一般に「帰無仮説が正しい」とは言えません。

では何故、帰無仮説が棄却されれば「関係ある」と言えるのですか?

つまり、この定義は検証しようがないので、実質的に無意味ということになります。
私は初めからそのつもりだったのですが…。

はいはい。自分で定義したのに、実質的に無意味、とは面白い。要するに、自分の定義が実質的に無意味だと認めたという事です。これは重要なので、周りに教えてあげましょう、皆さん。実質的に無意味な定義をkikulogでも主張していたそうです。

> 「関係ある」の定義は「帰無仮説が正しくない」になります。それは、ABO FANさんが自分で言った事。

ここも同様です。

「帰無仮説の棄却」=「関係がある事の証明」という主張は撤回するのですか?

では、以前の質問にお答えします。

>>12

> なら、今ここに書いて下さい。そんなに手間じゃ無いでしょう。
> ・「血液型と性格に関係がある」の定義は何ですか?

以上のように、一般に「関係がある」という定義は統計ではできません。

定義が出来ない事を主張しているそうです。しかも、kikulogで何回も定義を書いています(私のコメント#24を参照の事)。すごいですね。周りに教えてあげましょう。

> ・「差がある」とは、何における話ですか?

心理学のデータです。

標本で差が出ればいいそうです。すごいですね。皆さん、周りに教えてあげましょう。

> ・「母集団」は何ですか?

この場合は、自然科学的な話ですから、母集団の定義は実質的には無意味です。
ですので、申し訳ありませんがお答えできかねます。

母集団を想定していないのに統計的推測をしているそうです。これはすごいですね。皆さん、ここは押さえておきましょう。しかも、血液型と性格との関連が自然科学の話だそうですよ。さらに、自然科学では母集団を想定していないそうです。これはすごいですね。

> ・帰無仮説は、何についての仮説ですか?

すみません、漠然と「何について」と言われても、抽象的で意味が分かりません。

ですので、これまた申し訳ありませんがお答えできかねます。

すごいですね。ABO FANさんは、帰無仮説が母集団(母数)についての仮説である事を知らないそうです。しかも、抽象的で意味が解らないと。

つまりABO FANさんは、血液型と性格の連関の問題と、それに関する統計的推測の問題について、

  • 母集団を想定しない。
  • 帰無仮説が何についてのものか知らない。
  • 自然科学では母集団を想定しない。
  • 血液型と性格の話が自然科学の話だと言っている。
  • 標本のデータの差が何かを意味すると言っているが、何を意味するのか説明出来ない。
  • 「帰無仮説が棄却」=「関係がある」と言ったり、それが実質的に意味が無い、と言っている。それは、考えの変遷では無く、両方を同時に主張している。

このような考えを持っているそうです。これは重要なので、周りに教えてあげましょう。

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2008年10月26日 (日)

差と関係

ABO FAN Home Page/Mystery

 つまり、サンプルに少しでも肯定論者(実際は70%程度)がいるとするなら、本当に血液型と性格に関係があるかどうかには関係なく、必ず差が出ることになります。そして、ランダムサンプリングしたかどうかや、サンプルが多いか少ないかに全く関係なく、すべてのデータに再現性があることになります。

……?

本当に血液型と性格に関係があるかどうかには関係なく、必ず差が出ることになります。

おやあ。

「関係がある」=「差がある」じゃなかったんですか?

これで、差とか関係とか、何も考えずに使っているのが明らかになりましたね。本当にありがとうございました。

で、ABO FANさんの考える「関係がある」って何? 前も質問しましたけど、まだ答えてもらってないのでもう一度。「差がある」=「関係がある」は撤回するんですか? するなら、早く「関係がある」を定義しましょう。命題形式でね。

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2008年10月23日 (木)

改めて

ABO FANさんのコメントへのレス。改めて表明してくれたので、エントリーにしましょう。

皆さん、これで、ABO FANさんは血液型性格判断の話はそもそも出来ていない、というのがはっきりしましたね。周りの人に教えてあげましょう。

つまり、ABO FANさんが、「血液型と性格に関係がある」と言った場合、それが血液型性格判断を肯定している事には「絶対にならない」、という訳です。

で、ABO FANさんが言う「関係」とやらが実質的にほぼ無意味というのは、「忘却からの帰還」(忘却からの帰還: ABOFAN fools abofans)で論証された通りです。まあ、そりゃそうですね。帰無仮説が成り立たない=関係がある とか意味の無い事言ってるんですから。

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2008年10月22日 (水)

ABO FANさんへ確認

血液型と性格 - ABO FAN Blog: 面白いブログ「忘却からの帰還」の間違いを発見!

私のエントリーへの言及から、断定しても構わないと思うのですが、直接書いておられないようなので(多分)、一応確認です。

ABO FANさんは、血液型情報から性格を当てられるほどの関係は両者に無い、という所に同意しましたよね?

出来れば答えて下さいね。

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2008年10月 7日 (火)

考え方

血液型信者の告白 - catsnratsの日記

※引用にあたり、文字修飾をはずします。

血液型と性格に関連があると思っている人を、以下、信者と呼ぶ。

まずこの言葉の選択が不適当な気もします。信者という言葉に色々な含意を読み取る人もいるでしょうから。

「性格判断」という言い方自体、ニュアンスが強すぎる。

「ニュアンスが強」いという意味がよく解りませんが、血液型の情報を知る事で性格傾向を当てられる、という話なので、性格判断という言い方をするのに問題は無いと考えています。ちなみに、私は意図的に、「性格診断」という言い方はしません。医学的な判断を連想させると思うからです。また、日によって運勢が変動する類の占いとは分けて考えています。

私にとって問題は、血液型と結びつけうる因子を操作的に定義するのが難しいことにある。

ううむ、どういう意味なのだろう…。

人間も精密にできているので、糖蛋白の微細な違いが行動に反映されやすく、またそれを観測できると憶測される。

うん、確かに憶測ですね。(自分の言葉で「憶測される」という言い方は、あまりしないと思うけれど)

私の主観データが多い。

それを「データ」と呼んで良いものか、という疑問が。

およそ世の中に、関係がないことを示すほど難しいことはないのに。そして、科学じゃないと言われても困ってしまう。

この部分については後述。ああ、困るかどうか、というのは、別に関係無いです。科学は事実を追究するものなので。困ってしまうと言われても困る、という感じでしょうか。

自分で信じるのは簡単で、人様を折伏するには根拠がいる。この簡単な原則をわきまえる理性を、信者諸兄には求めたい。

はい、「根拠」が要ります。そして、根拠を求めた人がいます。まずそれを調べてみれば良いのに、と思うのは、私だけなのでしょうか。

------

「およそ世の中に、関係がないことを示すほど難しいことはないのに。」について。

はてブ⇒はてなブックマーク - 血液型信者の告白 - catsnratsの日記

2008年10月05日  false_alarm 心理学 仮説が支持されなかったら、その仮説を棄却するのが科学なのだから、関係は認められなかったという結論になる。誰も「関係がない」ことなど証明していない。ただ、関係があるという仮説が否定され続けているだけ。

このブクマコメントに呼応したエントリー⇒あら? - Gavagai

実は、false_alarmさんのコメントを引用して、私も同じような事を書こうとしていたのでした。先に読んでおいて良かった。

ポイントは、「関係が無い」とは何か、という所。

よく、「悪魔の証明」という例が持ち出され、「無い事は普通証明出来ない」、というのが説明される事があります。それは、多くの場合は妥当な訳ですね。白いカラスの話がよく出ます。白いカラスが存在する、というのは一匹見つければ証明出来るが、白いカラスは存在しない、という命題は、全てのカラスを調べなければならないから証明不能である、という風に。

ただ、この文脈で言う「関係が無い」は、カラスの例とは少し違っている訳です。

そもそも、「関係が無い」という概念自体、何についての話なのかによって、内容が変わってくるのです。

血液型性格判断の文脈で言うと、各血液型における性格類型なりの構成比が大きく異なっていれば、血液型から性格を当てられる、という科学的命題が成り立つ、となりますが、これは裏を返すと、調査して差が小さい事が論証出来たら「関係が無い」と看做していい、とも言える訳です。

つまり、「関係が無い」=「統計的帰無仮説が正しい」では無い、という事です。

だから、帰無仮説が正しい(差が無い)かどうかを正確に知るのは全数調査するしか無いから、それを証明するのは一般には不可能、というのは妥当ですが、関係があるかどうか、というのはそもそも、実質科学的な視点によって考察されるものなので、統計解析を元に「関係無い」と結論するのは可能だ、と言えます。

そもそも血液型性格判断は、「血液型と性格はわずかでも連関するか」、という問題「では無い」のですね。たとえば、「性別と身長に関係が無い」、という命題は、普通「男女の平均身長に差が無い」と同じ意味ではありませんよね。それと似たようなものです。

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2008年9月 5日 (金)

血液型と性格 - ABO FAN Blog: TAKESANさんのInterdiscplinary (9/1付#2)

せめて、ちゃんと読解出来る日本語で書いてくれませんか。

完璧に破綻している。

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2008年9月 1日 (月)

ABO FANさんの沈黙

どうやらABO FANさんは、「血液型と性格に関係が無い」=「帰無仮説が正しい」、という部分について、沈黙なさったようです。

何か、都合が悪い事でもあるのでしょう。無ければ、フツーに答えれば良いだけですからね。

ところで皆さん。

血液型と性格 - ABO FAN Blog: ABO FANの主張?

・私自身の主張は基本的に存在せず、心理学者の否定論の否定をしているだけ

だそうです。素晴らしい日本語ですね。この部分の後には、主張が沢山並んでいる訳ですが。

・有意水準5%で性格検査の結果の検定を行い、有意差が検出されれば「血液型と性格は関係がある」と判定する

はい。という事は、「血液型と性格に関係がある」の定義は、「差が無い」の否定、ですね。

つまり、母集団にわずかでも違いがあれば(差が0で無ければ)、「関係がある」と看做すそうです。皆さん、周りの人に教えてあげましょう。

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2008年8月28日 (木)

信じ込んでいる

教えて!gooで、血液型と性格関連の質問を調べてみました。

血液型判断の好きな人への対応… - 教えて!goo

血液型で判断したくは無いのですが、私の彼氏はB型でして。。 - 教えて!goo

男性に質問です(O型の人いませんか?) - 教えて!goo

星座と血液型だけで - 教えて!goo

A型は歯止めがきくって本当ですか? - 教えて!goo

B型の男の人や付き合ったことがある方に質問です。(長文ですみません) - 教えて!goo

A型男性の方、教えてください。 - 教えて!goo

A型男とO型女って相性わるくないですか? - 教えて!goo

自分の血液型について - 教えて!goo

ややこしいねえ。ややこしい。

そして最後に、kikulog経由で知ったYahoo!知恵袋での質問。

私は今まで血液型にこだわってました。私はA型。 - Yahoo!知恵袋

憤りでは無くて、悲しみを覚えるのです。

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2008年8月27日 (水)

考察:その1

続くかどうか判らないですが、取り敢えず、その1.

田部勝也さんへのレスも兼ねています。

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TAKESANさんが“何を”「解っていて」と思っていらっしゃるのかは分かりませんけど、
Interdisciplinary: ようやく示された#comment-52253973

これは、「自覚」と言い換えた方が解りやすいのかも知れません。
つまり、ABO FANさんが、「自分の論の矛盾点」を自覚していながらやり取りしてきたのではないだろうか、という事ですね。

それは、コメントを頂いたエントリーで引用した「予防線」の部分を見ても、推測出来ます。

つまり、ABO FANさんは、「血液型と性格に関係が無い」と「血液型と性格に関係がある」が別の問題である、と主張しようとした訳ですね。これは、それが同じだとすると論が完全に崩壊するのを自覚していたからそう書いた、と見る事が可能です。要するに、あまりにもしつこく私が訊くから、それには答えつつ、でも「関係がある」とは別の話だと言い訳が出来るようにした(しようと試みた)。

私は、ABO FANさんが「答えない」所が、唯一の一貫性だったと思っています。それは、ここを答えてしまうと終わりだ、というのを理解していたからなのではないかな、と。

しかし、ABO FANさんは答えてしまった訳ですね。つまり、「定義してしまった」。これはもう、言い逃れ出来ない状況です。

当然、「関係が無い」の否定が「関係がある」ですから、ABO FANさんの定義を適用するなら、「関係がある」とは即ち、「帰無仮説が正しく無い」というのを意味します。しかし、それまでにABO FANさんが主張してきたのは、「血液型と性格は関係がある。何故かと言えば、”差が有意”だからである」、というものでした。そして、これは間違っている訳ですね。何故ならば、「帰無仮説が正しく無い」と「差が有意である」はイコールでは無いから。

ここで、完全に破綻します。ABO FANさんの主張の核心の部分の矛盾が、はっきりと示されたのですから。

帰無仮説というのは、母数についての仮説です。従って、帰無仮説が正しいというのは、母集団についての言明という事になる。今までABO FANさんは、母集団は想定していない、とひたすら私の質問に答えてきた(kikulogにて)訳ですが、それを自ら否定しました。

ABO FANさんはもう、定義を変えるか、「有意」である事が「関係ある事」の十分条件であるという意見を撤回するしか無い訳ですね。少しでも主張に整合性を与えようとするならば、そうするしかありません。

もちろん、母集団において差がわずかでもあれば「関係がある」と看做す、という定義は、誰も同意しないでしょう。その定義を今回、ABO FANさんはしました。はっきりとね。

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「解っていてやっているかも」、という推測については、もしかすると、私はABO FANさんを買い被っているのかも知れません。しかし、見縊るよりはましでしょうから、一応、そういう考えで取り組んでいます。

いずれにしても、主張の核を修正しない限り、ABO FANさんの論は、検討の価値が全く無いもの、と断言して全く差し支え無いですね。

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新しいエントリーが上がっていました⇒血液型と性格 - ABO FAN Blog: TAKESANさんのInterdisciplinary (8/26付)

案の定、私の態度に言及し、やり取りを終わらせようとしています。想定内。

まあ、よろしいです。定義をABO FANさんが示したのは事実なので、それ以上知る必要もありません。これからも、有意である=関係がある、といい続ければよろしいでしょう。めちゃくちゃな知識を流布されるのは好ましくありませんが、おかしな部分は明確に示されたので、ここを見に来る方々に対しては、それを参考にして頂きたいと思います。

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2008年8月26日 (火)

ようやく示された

ログチェックしようと思ったら、ちょうどABO FANさんから返答が。グッドタイミング。

血液型と性格 - ABO FAN Blog: TAKESANさんのInterdisciplinary (8/25付)

今後とも、一切答えるつもりがないと判断させていただきます。

あら、それは都合がよろしい。では、答える事に専念なさって下さい。私がABO FANさんの質問に答える必要など、そもそも無いのですから(何故なら、最初から、ABO FANさんの主張についてこちらが質問しているから)。

ですので、前者の定義が合意できなくとも、「血液型と性格に関係がある」の議論とは直接の関係はないはずです。

「合意」? そもそもABO FANさんは、「説明していなかった」のだから、合意など形成しようもありませんでした。

ひょっとして、TAKESANさんは、性格検査の結果が統計量ではない、と信じているのでしょうか?

私が何を考えているかと、ABO FANさんが説明するか否かは、全く別の現象です。

はい、具体的に、「比較対象となる複数の統計量」を示して下さい。

4.に帰無仮説の話がありますので、TAKESANさんが「有意な差がある」の意味を理解できないはずがないと思うんですが。
ひょっとして、理解できないふりをしているのでしょうか?
それとも、本当に理解できないんでしょうか?
万が一、本当に理解できないなら、私がいくら説明してもムダということになります。

はい、説明出来ないのですね。ありがとうございます。

------

…。

……。

「帰無仮説が正しい」が「血液型と性格に関係がない」の定義になりますから

ああ、やっと答えてくれましたね。なかなか長かったなあ。

これは、ABO FANさんとやり取りしての、最大の成果かも知れません。どうですか>皆さん

これで、ABO FANさんの主張は完全に破綻します。どうもありがとうございます。

ですので、前者の定義が合意できなくとも、「血液型と性格に関係がある」の議論とは直接の関係はないはずです。

ここが予防線のつもりでしょうが、無意味です。

ここから議論は進むかな? 特に、もう訊く事は無くなったけど…。

ああ、統計的帰無仮説をきちんと具体的に挙げてみて下さい。不可能だと思いますが。

それと、やはり、帰無仮説の棄却は帰無仮説が間違っていると確定する、と考えていますね。あ、ここには別に、答えは要りません。もはや、何を書いても無駄ですから。

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コメント欄には、ご自由に書いて頂いてOKです>皆さん

もう充分示されましたからね。

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2008年8月25日 (月)

途中経過

ABO FANさんとやり取りして明らかになった事を、いくつか。

  1. そもそも、「血液型と性格に関係が無い」を定義出来ない(にも拘らず、「血液型と性格に関係がある」と主張している)。
  2. 「比較対象となる複数の統計量」なるものを具体的に示せない。
  3. 「有意な差がある」の意味を説明出来ない。
  4. どうやら、帰無仮説が棄却出来ない場合は、帰無仮説が正しいと看做すようである。

取り敢えずこんな所ですか。

色々解りました。ありがとうございます。

1のみから、ABO FANさんの主張は根拠が無い、と断言出来ます。

もしそうで無いと言うのでしたら、1・3・4の説明をよろしく>ABO FANさん

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2008年8月23日 (土)

ABO FANさんへ質問2

TAKESANさんのInterdisciplinary (8/22付):血液型と性格 - ABO FAN Blog:So-net blog

では、引き続き質問です。

Q1 「有意な差がある」とは、何に差がある事ですか。
A1 比較対象となる複数の統計量です。

「比較対象となる複数の統計量」とは何ですか? ABO FANさんの主張は、「血液型と性格に関係がある」です。従ってABO FANさんは、その「複数の統計量」とやらを挙げる事が出来ます。過不足無く挙げて下さい。

------

Q2 真値が異なれば良い、という意味ですか?
A2 回答不能です。「真値」が既知なら統計的検定は不要と思いますが?

真値が既知でであろうが未知であろうが、同じで無ければ「関係がある」という事ですか。

それと、その前の質問部分、即ち、

真値が全く同じである、という仮説が統計的に否定されさえすれば、「関係があると言える」、とABO FANさんは主張される、という事なのですか?

ここもお答え下さい。

------

Q3 科学的に「血液型と性格に関係が無い」、という命題の定義を教えて下さい。
A3 「血液型と性格に関係が無い」という命題は“科学的”ではないと思います。

ありがとうございます。一つは はっきりしました。

お読みの皆さんへ。

ABO FANさんによれば、「血液型と性格に関係が無い」を科学的に定義する事は出来ないそうです。

科学的に「関係が無い」のはどういう事か説明出来ないのに、ABO FANさんの主張は、「関係がある」だそうです。

ここ重要。周りの人へ教えてあげましょう。

ああ、皆さんは、私が悪魔の証明の話をしていないのは、当然解っていらっしゃいますよね。何故なら私は、「血液型と性格に関係が無い事の証明」の事など言っていないからです。意味が解っていないのに、証明も何もありません。しかるにABO FANさんは、定義出来ないと仰る。そして、「関係が無い」が定義出来ないのに、その否定である所の「関係がある」を主張されている。

ここ重要。周りの人へ教えてあげましょう。

------

アメリカではドルですし、中国は元ですし、ヨーロッパはユーロです。
世界中の人を対象とするなら「2円の差があった」というのは例外ではないのですか?

あれ。質問には答えて下さるのでは。

もう一度伺います。この部分の質問は、”この場合、「所属と所持金に関係がある」、と言えるのでしょうか。”です。お答え下さい。誰も「世界中の人」などとは言っていませんよ。書かない事を読んでしまうのは、ABO FANさんらしくありませんね。

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では、どうぞ。

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2008年8月22日 (金)

ABO FANさんへ質問1

これは重要な部分なので、改めて伺いますが。

心理学と統計学がおわかりなら、「有意な差がある」だけでOKなはずです。
失礼しました。

「有意な差がある」とは、何に差がある事ですか。

後、私がコメント欄に書いた質問にも回答をお願いします。

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2008年8月20日 (水)

”純粋の「否定論者」”?

そして否定論者が、誰もいなくなった?:血液型と性格 - ABO FAN Blog:So-net blog

思い出したようにTB開いてますね。こっちにも飛ばしてますし(Jさんのコメントに見事に乗ったのが解りやす過ぎて、微笑ましい)。ようございます。

はい、意味不明な事を並び立てるのは後にして、「血液型と性格に関係がある」というのを早く定義して下さいね。「血液型と性格に関係が無い」、の説明でもいいですよ。

ABO FANさん的には、たとえば、Aという組織に属する人とBという組織に属する人の体重を量って、平均値が5g違えば、「体重と所属に関係がある」、と言えるのですか。読んでたら、イエスかノーで答えて下さい。多分無理だろうけど。

こんな意見が、とか、この人は、って、ちょっと前に紹介してるでしょ。わざとらしい。

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2008年8月13日 (水)

血液型で政治を語る

コメント欄にも貼りましたが、エントリーを上げておきましょう。

kikulog経由⇒東京新聞:心理研究家御瀧 政子さん Q 福田さんは典型的なA型?:政治(TOKYO Web)

誰も止める人はいなかったの? て言うか、「心理研究家」ってなんだよ。

この記事の内容を海外へ伝えて、日本の新聞記事の優秀さを知らしめるのも、良いかも知れませんね。

載るか、今時? こんな記事が。稀に見るダメ記事でしょう。

今回は少し軟らかく政治を考えてみようと、血液型を取り上げてみました。

そういう問題か?

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2008年7月18日 (金)

センセイの回答

回答「B型やO型で憧れる行動をちょっと真似てみては」 - OhmyNews:オーマイニュース

こりゃあ、頂けませんね。

まず、色々な説があると紹介していますが、それは、「血液型と性格が連関するか」、という所であって、「血液型がその人の性格を決定的に支配しているかどうか」、という文脈と即絡められるようなものでは無いのです。あたかも、血液型性格判断自体について、まだはっきりとは解っていない、という印象を与えるものですよね。

後は、結構典型的な誤謬が見られます。はっきり言って、結構ダメなレベル。性格判断が広く信じられるには何らかの理由がある、というのはその通りでしょうけれど、(わざとかどうか判らないけれど)その中身はぼかしていて、血液型と性格に生理的繋がりがあるとも読める書き方になっていますね。

質問者さんはあれですね。ああいった質問をする事自体、些細な事を気にし過ぎ、です。しかも、性格を変えられるか、という質問を、何故そこでするのか…。て言うか、斎藤環さんが回答者にいるのに、何ゆえその二人に回答させるんだろう。あ、片山さんの回答は、森永さんと較べると、まともだと思います。

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2008年6月 6日 (金)

B型は血液型性格判断に関心を持ちやすいか

意識調査:B型は4人に3人が「血液型と性格は関係していると思う」 -BLOGCH-

理論的には、ある血液型の人が、より興味を持ちやすい、というのは、あり得る事ですね。特定の血液型の人の性格がネガティブに言われていたりすると、その血液型の人が気にしやすくなる、というのはあるでしょう。

ただ、この調査結果から敷衍して、それが一般的に言える、と結論は出来ませんね。

そもそもが、「同社が提供するサービス会員をパネラーとするリサーチ結果」であるので、サンプルとしては、偏っている訳ですね(日本に住む人の傾向を知りたいという観点からすれば)。

もう一つポイントなのが、質問内容。

3件法で、「大いに関係があると思う」・「多少は関係があると思う」・「関係はないと思う」という選択肢ですね。血液型と性格の関係の度合など、明確に意識している人がいるのかな。「大いに関係がある」と答えるのと、「多少は関係がある」と答えるのが、明確に異なるのか。定義もしにくいですしね。だから、関係はないという答え以外の割合を加算して単純に比較し、それで各血液型ごとの傾向を言うのは、ちょっと難しいでしょう。

もし私がこの質問に答えろと言われたら、困りますね。血液型と性格に「関係がある」という文の意味が判然としないから。まあ、文脈から、血液型で性格が当てられる程度の関連がある、というのを訊いている、と推測は出来ますが、それは措いて、文字通りに読むと、私は、答えられませんね。何故なら、「関係ない」とは言う事は出来ないから。選択肢に「わからない」があれば、まだ良いんですけどね。注意深く考える人なら、「別に信じてはいないけど、関係無いとは言い切れないかなあ…」、という風に考察するかも知れません。

こう書くと、そんなに細かく考えずに答えれば良い、と言われるかも知れませんが、大部分の人がそう思ってて答える事で、調査結果が信用に値しないものになってしまうのですよね。割合など簡単に変わる。

私は、どちらかというと、年代別の傾向に興味があったりしますけど。

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2008年6月 4日 (水)

再び

なかなか絶妙なタイミングでの、ABO FAN氏再登場。

例の連投コメント氏の出現と相まって、見事なカオス空間を作り出しています。

ところで、「血液型と性格3」を偶然読んだ人は、「何故この人達は、”有意であるか否か”というABO FAN氏の質問に答えないのであろうか」、という疑問を持つかも知れません。

その理由は、誰かが「有意である」と言った瞬間に、ABO FAN氏によって、「血液型と性格に関係がある」事を認めた宣言と看做されるから、なんですね。そういう意味で、極めて戦略的な事情である訳です。実際、発言を利用されてしまった方もおられるのですね。

それにしても、私が紹介した本も読んでいるのですね。そういう所の情報収集は手広い。ベクトルの向きがちょっと変われば良いのにね。

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2008年2月 4日 (月)

まだ続くかな

kikulog:血液型と性格3

ついに、3エントリー目に突入。2千余のコメントが蓄積されました。

ABO FAN氏が再登場なさらない事を、祈りましょう。

最近だと、ABO FAN氏に匹敵するつわものもおられますが。再びコメントを入れる予感も。個人的には、完全スルー対象だと思うのですが。

2000コメントを要約するなら、「血液型性格判断は誤り」「血液型性格判断肯定派として有名なABOFAN氏の論理はでたらめ」ということです。

簡潔にして当を得た要約であります。「ABO FAN氏の言っている事は理解不能である」、というのも付け加えておきたいです。

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2007年12月26日 (水)

占い? 科学?

ちょっとした疑問です。

私は、「血液型性格判断は、占いと同様のものである(場合がある)」という主張の、意味がよく解らないのですよね。
一般的に言って、血液型で性格が判る、というのは、ある性格類型なり特性と、生物学的因子である所のABO式血液型とを結び付けた主張です。

ちょっと視点を変えてみて、「占い的な血液型性格判断」というものを考えてみると、それはつまり、「今日、○型の人はこういう運勢だ」、という類のものなんかですよね。血液型選手権みたいな。

ところが、血液型性格判断は、論理的に、分布に関する言及である訳です。要するに、○型の人にはこういう性格の人が多い、という事実があれば、それは成り立つ。

で、ですね。
血液型性格判断を信じている人は、当然、生物学的な連関を前提しているはずです。何故なら、社会心理学的メカニズム、つまり、思い込みや自己成就現象によって分布が偏る事がある、などという知識がある人がそれを信じるというのは、論理的に考えにくい。尤も、星占い等と融合させた主張の場合なんかは、また違ってくるとは思いますが。そういう方向で、何らかの論理体系をなした場合、それは、いわゆる疑似科学的主張だと看做すのが、妥当でしょうか。すなわち、現代科学の体系に全く矛盾する、という意味で。

従って、血液型性格判断を信じている人の多くが、何らかの(自然)科学的論理を前提としているだろう、と推測しています。

で、ここまで読まれて、誤解されるといけないので、補足。
上に書いた話は、「ニセ科学」論そのものではありません。ニセ科学として批判の対象となるのは、そもそも科学を標榜している主張や、マスメディアによる、「実験」や「調査」を行ったと称するミスリーディング等なので、これらをニセ科学と批判するのは、全く妥当です。特に、情報発信の面で非常に強力であるマスメディアによる流布というのは、重要な点です。

何か、文が激しく纏まっていないですね。取り敢えず、このまま上げます。意味不明な箇所のご指摘や、批判歓迎。

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2007年12月25日 (火)

仮定を理解しない人

kikulogへ最初に投稿しようとしたコメントを、載せます。あちらでは、ちょっと書き直しました。青文字は補足。

▼▼▼▼▼こ こ か ら▼▼▼▼▼

もうちょっと訊いてみます。

ABO FANさんへ。
 
 >私には、「有意」を使わずには説明できません。
 
駄目です。統計的推測の話はしていないので、有意という概念を使わなければならない、というのは、通用しません。もう、この答えの時点で、おかしい。統計的推測の概念が無いのだろうか。
 
 >「全数検査」でという意味でしょうか?
 
母集団において、差がゼロで無ければ、とうかがっています。誰も、「過去や未来の人」を全数調査するなどという事は、言っていません。「ある時点」での、ある集団において、血液型ごとの差がゼロで無ければ、「関係ある」と、ABO FANさんは判断なさいますか?当たり前の話ですが、私は、母集団における分布がどうであるか、という事を言っているので、調査がどうのこうのというのは、全く的外れです。仮定ですね。もしこうなら、という。
 
------
 
 >ひょっとして、これだけ引用を渋るところを見ると、統計に詳しく
 >ないのかもしれません。
PseuDoctorさんがこのコメントを読んで、失笑もしくは苦笑を催されるのが、目に見えるようです。ABO FAN氏のお顔の皮膚は、果てしなく厚い、あるいは、相当硬い物質で構成されているのでしょう。

▲▲▲▲▲こ こ ま で▲▲▲▲▲

kikulogでのコメント、あんまりうまく無いなあ。あれくらいしか書けませんでした。仮定や喩えを色々出したいのですが、そこから更に拡散される虞があるので、慎重になってしまいます。

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2007年12月24日 (月)

既視感

相変わらず、堂々巡りです。

私の質問には、答えてくれませんね。

やはり、実際にわずかでも差が存在すれば「関係ある」と看做す、という事なのかな。で、それを言ってしまうとまずいというのを、認識しているのだろうか。

他の方と私は認識が異なっているかも知れませんけれど、私としては、ここら辺(差に関する議論)について、ABO FAN氏は「解っている」、と思っています。でないと、あそこまで頑なに回答を拒むというのは、ちょっとおかしいかなあ、と。もしABO FAN氏が、差が0で無ければ「関係あると言える」、と宣言すれば、議論は終結しますからね、恐らく(←誰がみてもおかしい事が解るので、ABO FAN氏の主張が崩壊する)。

どうやら、まだやり取りは続きそうです。もしかすると、コメント1000を突破するかも知れませんね…。

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2007年12月15日 (土)

停滞

kikulogの件。

ABO FAN氏、ひたすら答えませんね。何故だろう。他の事は、結構すんなり答えたのに。

以下、私のコメント(TAKESAN  — December 15, 2007 @01:03:46)の解説。

ABO FANさん
 >ひょっとして、母集団云々の話ではなく「血液型と性格に関係が
 >ある」の定義ですか?
両方です。

定義は何度も訊いたけど、わざわざあちらから水を向けてこられたので、両方、と答えた。

まずは、全数が調査出来て、割合に違いがあったら、という話です。全部調べたとして、差が0で無ければ、「関係がある」と言って良いのか、と訊いています。

核心かも知れない。ちなみに、常識的に考えれば、「それだけでは関係あるとは言えない」、となるはず。しかしABO FAN氏は、恐らく、そう答える事は出来ない。何故なら、差が有意であったから関係があると言える、という前提が崩れてしまうから。ちなみに――私のこの質問、かなり素朴に見えるかも知れません。何の割合か、とか、母集団は何か、とか、書いていないので。しかしそれは、わざとです。「ABO FAN氏が考える」所の差で良い訳です。私が知りたいのは、差が0で無い→関係あり、と認めるかどうか、なので。詳細をこちらが書くと、そこから拡散される可能性がある。

 >それなら、私だけが認めても意味がありませんので、この質問は無
 >意味です。
いいえ。
初めから、ABO FANさんの定義を知りたいと思っているのです。「関係ある」の定義はお持ちでしょう?

他の方が云々というのは、いつものやり方なので、さらりと流しておきましょう。「”関係ある”の定義」を「持っていない」、とは絶対言えない。定義も無いのに「ある」とは言えない。

 >どういう条件なら他の人が認めるのか、という質問であれば回答し
 >ます。
 >よろしいでしょうか?
よろしくありません。
他の人の事が知りたいのなら、他の人に伺います。ABO FANさんがどう考えるのかを、知りたいのです。

これを認めると、「有意差」という語が、また出てくる。ループしてしまう。

※念のため。
「定義」は、「有意」という語を用いないで説明して下さいね。

ループさせないための念押し。有意差が見られる事が定義だ、というとんでもない事を言わせないようにした。

普通、自身の認識がナイーブに取られないように、注意深く言葉を用い、入念に文の整合性をチェックして、ある程度長文になっても、補足を入れるなどして、文を構成しますが、ABO FAN氏とのやり取りでは、敢えて、ごく短文、質問は少数、他の方から素朴と見られても構わない、という書き方をしています。とにかく、ABO FAN氏が何を考えているのかを、知りたいのです。

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2007年11月30日 (金)

無限ループ

うん、段々、論が崩壊してきましたね。

思った通りで、ほんの少しでも(部分的にでも)「同意」を仄めかした方のコメントを引いて、「同意した」と主張し出した。

私へのレス(穴埋め)、さすがに、誰が見てもおかしいですよね?

ループになるポイントが、解ってきた気がする。

仮想の全数調査の質問を投げようとも思うけど、ややこしい事になりそうなので、やめときます…。

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2007年11月28日 (水)

何の差か

なんで、「小さな差」、「大きな差」について、あれだけしつこく訊くか。

普通、「小さな差が認められた」というのは、「大きな差が認められなかった」という意味なのに、ABO FAN氏は、「小さな差が認められれば自動的に大きな差を認める事になる」、と主張している訳ですね。
という事は、異なる対象について言っている、としか考えられない。
で、訊いてみたのです。「同じものについて言っているのですか?」と。
そしたら、同じものだと仰る。しかし、数行先では、同じ対象とは限らない、と言ってしまっているのですね。これは、なかなか困ります。

母集団の性質に関しては、次のABO FAN氏の回答によっては、ABO FAN氏の認識が、一つ明らかになると思います。つまり、全く理解していない可能性がある。

母集団の平均が50であり、それが判っているとして、そこから標本を採って平均を推測する事に、意味は無いのですね。で、ABO FAN氏は、そういう事を言っている訳です。※正確に言うと、統計的方法によって、平均が50くらいであると推定された。そして、その推測によって得られた情報を、「既知」の性質と看做している、という事です。

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2007年11月27日 (火)

困ったなあ

ABO FAN氏の、私への最新のレスは、読んで、ちょっと困ってしまいました。

日本語として読解するのが難しい。

さて、どう返すべきだろうか…。

私へのレスの部分を抽出しておきます。(血液型と性格2のコメントより)

> 519. TAKESAN — November 19, 2007 @00:53:20

> という事は、ABO FANさんの主張は、
>  「”質問の回答率”に小さい差が見られれば、”質問の回答率”に大
>   きな差が自動的に認められる」
> ですね。

はい、おっしゃるとおりです。

> では、質問です。
> 「同じ対象に関して」、「小さい差が見られれば」、「自動的に大きな差をも認める事になる」、という主張の意味を、教えて下さい。

条件を変えれば、ということです。
例えば、性別、年齢などを変えれば、ランダムサンプリングで「小さい差が見られれば」、「自動的に大きな差をも認める事になる」という意味です。
もちろん、再現性があることが条件になりますが。
そういう意味では、必ずしも「同じ対象に関して」ということにはなりません。

> そもそも、「小さい差」が出た「質問の回答率」と、「大きい差が自動的に認められる」という「質問の回答率」とは、同じものを指していると考えても、良いのですか? 違うとすれば、どう違いますか。

「質問の回答率」ではなく、質問項目、あるいは質問の内容が同じということです。

---------------------------------------------

> 520. TAKESAN — November 19, 2007 @01:03:34

> では、「母集団の性質が既知である」という事を、ABO FANさんご自身の言い方で、ご説明下さい。

例えば、A型の母集団であれば、他の血液型(の母集団)に対して「神経質」や「几帳面」という回答が多いことが予想されます。これは、現実に坂元データで実証されているわけですし、ちがやまるさんとも合意したと考えています。

> それと、他の方々がどういう意味で書かれたか、という部分についての解釈と併せて、説明をお願いします。

う~ん、正直、これは回答に困ります。
私は例えば、上の文章のように考えました。
他の方がどのように考えたのかは、私にはわかりません。

何度か読み直して考えないと。

て言うか、これを読解出来る人がいるのだろうか。

あ、ただ、ABO FAN氏が、「母集団の性質が既知である」という部分について、全く解っていない、というのは、判明しました。

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2007年11月19日 (月)

何がおかしいかって

母集団の性質を調べる方法を使って、母集団の性質を推測したのに、今度は、そこで推測されたものを、母集団の既知の性質と看做して、他のサンプルでは「原理的」に差が出る、と言っている所。

統計的方法によって推測されたものを、「原理」などと言う所。

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2007年11月10日 (土)

メモ:血液型性格判断と血液型性格連関(相関、関連、関係、等)2

Interdisciplinary: メモ:血液型性格判断と血液型性格連関(相関、関連、関係、等)

を、もうちょっと整理します。

基本的な仮説:血液型から性格を言い当てたり、性格から血液型を言い当てる事が出来るくらい、関係がある。

作業仮説:上の仮説から論理的に導出され、定量的に把握出来る仮説。あるいは、作業仮説が検証されれば、上の仮説が確証される。記述的な論証(分布がどうなっているか)。これ自体には、メカニズムに関しての言及は含まれない。

母集団:1)観察した時点での、日本に住むある程度の年齢の人間 2)他の国に住む人間 3)世界中の人間 4)全ての人間  の、いずれか。4)は、血液型と性格の、強い生物学的関連のメカニズムを想定。それ以外は、必ずしも、それを前提としない。

時間的変化:経年によって、著しく研究結果(分布の仕方)が異なっていた場合――1)いずれかの時期の研究が妥当で無かった 2)いずれの研究も妥当な方法であった  2)の場合、時期によって分布の仕方が異なるという事だから、社会科学的メカニズムが強く働いている事を示唆。そして、仮に、「判断」が可能であった事が示されようとも、それは生物学的な普遍性ゆえでは無い、と言える。

作業仮説について:性格類型は、状況によらず一貫しており、それは、いくつかの類型に分けられ、高い妥当性で測定されるとする。そして、各血液型における性格類型の分布がどう違っているか、あるいは、どの様な構成比であるか、というのを設定する。それが設定されたら、後は、推定なりを行う。問題は、どの様な分布であれば、「血液型(性格)から性格(血液型)が高い確率で当てられる」と言えるか、という事。これは、多分に心理学的な問題。他の研究によって、確かめるか?

研究方法:理想的(それはつまり、ほぼ不可能、非現実的である、という事)には、全数調査。全ての対象について、性格検査を実施し、血液型検査をすれば、分布は、ほぼ(様々な理由で誤差が出る)完全に、明らかになる。次に考えられるのは、推定。ここで理想的なのは、各血液型の人から、完全無作為抽出を行い、性格類型の構成比を推定する事。当然これも、非現実的(母集団の全ての要素について、血液型が解らなければならないため。そんな台帳は存在しないはず)。←こちらは、全数調査に較べれば、ほんの少しは、実現の可能性はあるかも知れないけれど…。従って、検定を行う。実際には、多くの性格特性と血液型との連関を検定したが、有意であるものはほとんど無く、あっても、経年によって変化が見られるために、強い関係は無いという事が示された。若干のステレオタイプの形成を示唆するという見方もある。

メカニズムについて:「世間」では、どの様なメカニズムが意識されているか。当然、生物学的な関係だろう。信じている人が、「思い込み」の影響など考慮しているはずは無いからである。従って、上に挙げた作業仮説というのは、一般に言われる所の説から、「言い当てられる」という部分を抽出したものと言える。という事だから、社会一般に浸透している血液型性格判断説とは、「生物学的メカニズムによる強い連関を原因とする分布の異なりによる」血液型性格判断である、と表現出来る。※メカニズムと言えるか解らないが、「偶然」という事もあり得る。極端な例を出すと、何らかの理由で、日本から多くの人が出て行き、結果、高い確率で判断が出来る様な分布が形成されるように日本人が残れば、日本においては、成り立つ(最初、物騒な例を思いついたけど、顰蹙買うのでやめました)。

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2007年11月 5日 (月)

どこがおかしい?

ABO FAN Home Page:懐疑論者の自己矛盾!?についての考察。※強調等はそのまま。

○”結論の要約”について。

ここに、kikulogでも話題によくのぼるグラフが、載っていますね(伊勢田さんがよく言及なさる、アレです)。「性格分布のイメージ図」。

この図が何を意味しているのかは、なかなか解りにくいですね。横軸が比率で縦軸が頻度とは、一体どういう意味だ? と。正規分布だ、というのなら、仮想的に、横軸に、「ルールや慣習や秩序を重視する度」を連続量として置き、クラスをいくつかに分け、縦軸を頻度にしてヒストグラムを書く、とするなら、まだ理解出来ます。しかし、横軸に「肯定率」を取っているのですね。これ、「ルールや慣習や秩序を重視する」という質問に肯定的に答えた人の割合、の事です。おかしな話ですよね。何故、その比率を平均として、正規分布を描けるのか。

さて、ABO FAN氏は、続けて、

平均を中心に正規分布のグラフを書いてみると分かりますが、ある基準以上(または以下)の人の割合は血液型によって数十パーセントは違うからです。具体的には、BやCより大きい部分だけで比較すれば、確かに「強い関係」はあるといえます。下がそのイメージ図です。本当は数学的に厳密にいうと違うのですが(AB型の41.2%のところやO型の57.7%がピークになる保証はありません)、わかりやすくするためにわざとそう書いています。

と主張します。件のグラフを前提にして、論を展開している訳ですね。ここら辺の論理が、読む者の脳を大きく揺さぶります。「BやCより大きい部分」とは、一体何を意味するのか。「ピークになる保証はありません」という部分は、誤差の事を言っているのだとも読み取れるけれど、だとすると、やはりグラフの意味が解らない。

○”懐疑論者の主張…「強い関係」はない?”について。

「ポイントはここです!」の部分。ここで引用されている長谷川氏の文は、両方同じ様な意味ですね。全く関係無いかは解らない、と言うのと、あるかも知れない、と言うのは、同じです。

きくちさんの文章に対する言及を見ても解りますが、きくちさんや長谷川氏の論と、従来の心理学者の主張を異なったものであると、強調している訳ですね。即ち、「関係が無い」という言明の部分。ここに関するABO FAN氏の引用・言及の仕方は、かなり恣意的であると思います。「ニュアンスが違うようです」とか、わざわざ書いてある部分は、そうですね。

○”論理の矛盾?”について。

実は、この程度の差でも「強い関係」と言える差が出ると考えるのが自然です。というのは、平均を中心に正規分布のグラフを書いてみると分かりますが、ある基準以上(または以下)の人の割合は血液型によって数十パーセントは違うからです。具体的には、BやCより大きい部分だけで比較すれば、確かに「強い関係」はあるといえます。下がそのイメージ図です。本当は数学的に厳密にいうと違うのですが(AB型の41.2%のところやO型の57.7%がピークになる保証はありません)、わかりやすくするためにわざとそう書いています。言うまでもなく、細かいところは違っても、大筋で違うことはありません。

またしても、件のグラフ。悩ましいですね。さて、ここでABO FAN氏は、「ある基準以上」と書いています。これは、どう解釈すべきでしょうか。私が上に書いた、「ルールや慣習や秩序を重視する度」的なものを、イメージしているのでしょうか。難しい所です。ABO FAN氏はまた、「具体的には、BやCより大きい部分だけで比較すれば、確かに「強い関係」はあるといえます。」とも書いています。これはどういう意味でしょう。推測するに、これは――追記:コメント欄をどうぞ→例を挙げると、あるテストを□県と△県で実施したところ、□県:平均60点、標準偏差15点 △県:平均67点、標準偏差20点 だった、というデータがあったとして、平均は7点しか違わないが、□県の下位の点数と△県の上位の点数を較べると、その差は大きい。従って、平均の差が小さいとしても、それは、大きな差を否定した事にはならない――というロジックでしょうか。追記:コメント欄をどうぞ精一杯正確に解釈しようとすると、そうなりますが…。もちろん、それは詭弁です。尤も、合っているかどうか、判りませんけれども。

ちなみに、「強い定義があいまい」、という部分についてですが、明確な定義は、誰もしていないですね、確か。ただ、きくちさんは、標準偏差に較べて平均値の差が大きいか、という事を仰っていますね。定義は難しい、とは思います。

○”ホームラン王の血液型”について。

見ればわかるとおり、圧倒的にO型とB型が多く、AB型が1人いないことがわかります。しかし、プロ野球の選手全体の血液型は、ほぼ日本人の血液型に一致しているそうです(否定論者も含めて何回か調査がされています)。しかし、本当にO型とB型はホームラン王になりやすいのでしょうか?

えっと、プロ野球選手全体の血液型分布が、日本人全体のそれと一致しているのが合っているとして(私はよく知らないです)、ホームラン王云々という例を持ち出してどうこうするのは、妥当ではありませんね。よく指摘される所は、「何故上位10名か」、とか、「そもそもホームランをよく打つ人は、性格が似ているのか」、とか。

……出てきた、イメージ図。さて、これは難解です。今度は、横軸が、「ホームランを打つ確率」。まあ、確率にすると、意味が解らなくなるので、打撃力(ホームランに関する)、とでもしておきましょう。横軸に本塁打数をとって、縦軸に頻度をとったヒストグラムを書く、というのでもいいかな。血液型別にそれを書けば、比較は出来るでしょう。試合数とかルールとかが変更されているので、そこら辺は、ややこしいですが。※これを踏まえると、一番上で言及したグラフとは、そもそも性質が違う、と言えるかな。こちらの場合は、ちょっと設定を変えると、比較的まともに考えられるかも知れない。て言うか、横軸を、ホームランを打つ確率、にするって…。

先に引用した所でもそうだったように、この様なグラフをイメージとして出すに至る部分が、ABO FAN氏の思考を知る手がかりになるのかも知れません。

○”結論”について。

出ました(もう出てるけど)、ABO FAN氏の主張の最も肝の部分。

またこういうことも言えるはずです。差が1%程度の「弱い関係」がある可能性を認めてしまえば、「強い関係」がないことを否定することはできなくなってしまうのです。

これです。これはやはり、私が上で推測した様な論理展開からの、帰結なのでしょうか。もしそうだとすると(自信は無いですが)、分散が極めて小さい分布同士でなければ、「小さな差とは言えない」、という事なのか? しかし、そもそもこの議論、肯定者割合の話ですからね。更に、数ある質問の内、有意であったのが少数で、それは、各年で安定している訳では無い、というのが、重要な部分なのですが。そこからいきなり、例のグラフの様なものを出す論理展開。そこがポイントでしょうか。

”おまけ”の部分は、ちゃんと読んで無いです。今度読もうかな…。結構重要な気もする。

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2007年11月 3日 (土)

メモ:血液型性格判断と血液型性格連関(相関、関連、関係、等)

○「血液型性格判断」説:「状態」に関する説。

状態とは:分布のあり方。各血液型ごとの性格傾向の構成比が、大きく異なっている、という状態。つまり、社会が「どうなっているか」、という仮説。これ自体には、血液型と性格との因果関係に関する主張は含まれない。

定性的な定義:各血液型における性格傾向の割合は、大きく異なる。そしてそれは、短時間の行動の観察から、高い確率で血液型を当てたり、血液型から性格傾向が当てられたりする程のものである。

定量的な定義:不明。どの様な根拠で定義を行うか。

○血液型と性格との連関のメカニズム:1)生物学的――ABO式血液型が、遺伝的・生理学的等の機構により、性格の形成に関連している。 2)社会科学的――社会的認知による、ステレオタイプの形成。知識が流布する事によって、その知識が性格形成に関与し、実際に分布が偏る。

血液型性格判断説とは区別して考える必要がある。

○統計解析。

母集団:標本を得た時点での全体。(たとえば、日本に住む○×歳~△□歳の男女) 経年による分布の変化が見出されれば、それは、社会的認知の影響を示唆する。それは論理的に、生物学的関連性の小ささを示す。

推定:各血液型ごとの、性格傾向の構成比を推定する。

検定:血液型と性格傾向との連関を、検定によって調べる。

この本を読んでいて、考え付きました↓

現場で使える統計学 Book 現場で使える統計学

著者:豊田 裕貴
販売元:阪急コミュニケーションズ
Amazon.co.jpで詳細を確認する

結構良い本だと思います。ただ、統計の基本的な文献をある程度読んでいないと、ほとんど意味は解らないですね。直感的な理解を促そうとするあまり、かなり説明を端折っている所もあります(著者はそれを断って書いています)。尤も、何かを勉強しようとする場合に、何冊も参考書を読まないというのは、考えにくい訳ですが。

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2007年11月 1日 (木)

ショットガンみたい

で、「原理」って何?

論述が飛び過ぎて、最早、何について議論しているのか、解らなくなってきた。

これまでのやり取りから、私は、「原理」なるものが、ABO FAN氏の思考の核だと見ているのですよね。物理の法則に準えるくらいだし。だから、そこに焦点を絞るのも良いかと思います。

やっぱり、「差」に関する所が、重要かな…。

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2007年10月25日 (木)

スイソク

ABO FAN氏の主張する「関係がある」、あるいは、「差がある」というものが、母集団におけるわずかな差の事を言っている、というのが明らかになった場合(もうすぐ、はっきりするか?)、その後、どの様に議論が展開されるのでしょうね。

当然、ほんの少しの差などあって当たり前でしょうから、そんな事は別に、誰も否定していない訳です。

で、仮に、ABO FAN氏に、「いや、ほんのちょっとでいいんなら、それくらいの差、あるでしょうよ。」などと言ったとして、果たしてそこから、「程度問題」に関する議論に展開するでしょうか。ここが非常に難しい。ABO FAN氏にとっては、「自身の意見に同調した」、あるいは、「関係がある事を認めた」、と認識されるでしょうから。

簡単な喩え。

A型の人間(全部)の平均身長と、B型の人間(全部)の平均身長に、8mm違いがあった事が判明した場合、「血液型と身長には関係がある」と、言うのだろうか。また、「差がある」と言うのだろうか。

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2007年10月20日 (土)

たとえ話

Interdisciplinary: 思考実験:血液型性格判断 関連

喩えをもう一つ。

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4色の饅頭があります。全部で1300個。内訳は、赤(520)・緑(390)・青(260)・黄(130) 色による味の違いはありません。

で、それぞれの饅頭には、4種類の餡が入っている、としましょう。餡の種類は、こしあん・つぶあん・うぐいすあん・白あん です。

で、饅頭を渡されて、食べたり割らずに(当たり前)中身を当てます。もちろん、饅頭は何度も食べた事があり、その人なりの経験から、「赤い饅頭には、うぐいすあんがよく入っている」、なんて信念を持っている訳です。

で、各色の饅頭におけるあんの種類の割合が、どのくらい ずれれば、「関係ある」、と言えるか。また、高い確率で中身を当てる事が出来るか。

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こんな感じで。

我ながら、しょうもない事に拘るなあ…。

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2007年10月18日 (木)

思考実験:血液型性格判断

血液型性格判断について、論理を単純化し、ある理想的な研究が可能だったと想定して、それから何が言えるのか、どう考えるべきか、というのを、書いてみたいと思います。

まず、いくつかの仮定。

  • 性格は、状況によらず、一貫していると考える。
  • 性格は、性格検査によって、適切に測定出来る、とする。
  • 性格は、4種の類型に分ける事が出来ると仮定する。それを仮に、タイプI・タイプII・タイプIII・タイプIVの4種類とする。それは、誰もが認め、科学的にも妥当な考えだと保証されている、と仮定する。
  • 人は、他人の性格を、行動のパターンから、適切に分類する事が出来る、とする。

次に、ある大規模な研究を仮想する。

  • 日本に居住するある程度(適当です)の年齢以上の人について、血液型の検査と、性格検査を施す。つまり、悉皆調査を行うと仮定する。
  • 調査対象の100%について、適切なデータが採れたとする。
  • そうすると、各血液型ごとの、性格類型の割合が判明する。

さて、この様な研究によってデータが得られたとして、

  • 割合に、どの程度の差があれば、「性格と血液型は関係する」、と言えるか。
  • また、割合にどの程度の差があれば、「血液型から性格を当てる事が出来る(と認識される)」という現象が、成立し得るか。

A型におけるタイプIが○○%だとした場合、他の血液型でどの程度の割合であれば、「関係する」と言えるか。仮に、完全に対応しているとすれば(たとえば、A型-タイプII 100%、B型-タイプIV 100%、O型-タイプI 100%、AB型-タイプIII 100%)、関係がある、と言える。血液型から性格を言い当てる事は、完全に出来る。←あくまで仮想なので。

そもそも、「関係する」、と、「血液型から性格が当てられる(逆も)」というのは、同じであるのか。違うとすれば、どう違うのか。どこに線を引くべきか。

ABO FAN氏が「関係ある」と言う場合、何を想定しているのか。少しでも割合に違いがあれば、関係がある、と看做すのか。そこの所が、非常に解りづらい。「強い関係・弱い関係」云々と発言する事はあるが、とても曖昧な言い方。少しでも違いがあれば「関係ある」と判断するとすれば、「関係無い」と言えるのは、ほとんど考えられない(ここら辺が、ABO FAN氏のロジックなんですかね。0で無ければ「ある」と言える、という類の。よく解りませんが)。

ここまで単純化すると、後は結構簡単な話かな…。

色々ごちゃごちゃ考えている事はあるけど、取り敢えずはここまで。

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と思ったけど、脳に残っている内に、ちょっとメモ。

血液型と性格、とするから、解りにくくなるのかな。

金・銀・銅・木で出来た箱があり、その中に、赤・緑・青・黄の玉が入っているとする。玉の合計は1300個。

それぞれの箱に入っている玉の割合は→金(520)・銀(390)・銅(260)・木(130) 箱には、4色の玉が混合されて入っている。

玉を渡されたとして、色を見て、それがどの箱から取られたものかを当てる。

それぞれの箱に、どういう割合で玉が入っていれば、「高い確率で玉の色から箱の種類を当てる」という現象が成立するか。ベイズの定理を使うのかな。

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その割合を設定出来れば、血液型と性格がその様に分布している、という仮説が、「血液型性格判断」の仮説、と言えるのか。

後は、無作為に抽出したサンプルから、血液型ごとの性格の分布を推定して、あらかじめ設定した割合と著しくかけ離れていれば、血液型性格判断は反証された(いや、反証されてるんですけど)とし、適合していれば、「成り立っている」と結論する。

これが、「血液型から性格を言い当てる」という点を考慮した仮説構築とその検証、と言える…のか?

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2007年10月 7日 (日)

表面は同じようでも

これは、私自身の考えで、他の方とは違っているかも知れませんけれど。

「血液型性格判断」について言うと、たとえ生物学的に、血液型と性格に、ほんの小さな関係しかなくとも、それ(性格判断)が成立する事は、あり得ます。つまり、ステレオタイプですね。○型の人は△△の性格だ、という社会的認知が流布される事によって、実際に、血液型と性格傾向が強く連関する、という論理です。
まあ、そこまで強固にステレオタイプが働くのだろうか、というのは、疑問ではありますが。
もちろんこれは、連続的に変化する社会から、ある時期を切り取って初めて成り立つものですから、母集団をあまり拡張する事は出来ないですね。つまり、社会状況に関わらず成り立つ、という主張なら、ステレオタイプは否定する事になります。なので、主張する人が何を言っているのか、というのが重要な訳です。私が、ABO FAN氏に母集団の事をしつこく訊いたのは、そういう事情からです。

で、たとえば渡邊氏等が仰っているのは、そもそも性格概念を認めないので、血液型と性格が連関するという考え自体が成り立たない、という事なのですよね。性格という一貫したものがあるのでは無く、状況が一貫しているのだ、という考えですね。個人的には、状況論には、頷ける所があります。気質については、また別かも知れませんが。

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2007年10月 3日 (水)

おかしな論法

倉庫の中に、リンゴとバナナとみかんと桃が、500個ずつ無造作に入れてあります。

そこから適当に、取りやすい所から、200個の果物を取り出し、ダンボールに詰めました。

中身は、

リンゴ:130 バナナ:40 みかん:10 桃:20

です。

で、そのダンボールを、知り合いにあげたとします。「これ、ウチの倉庫から持ってきたんだけど、あげるよ。」、とか言って。

すると、貰った人は、中身を見て、「へえ、リンゴが一杯入っているね。倉庫に沢山あったんだ。」、と言いました。

この人がいっている事は、おかしいですよね。

なので、指摘してあげました。

「いや、たまたまリンゴが多くなったんだよね。倉庫には、全部500個ずつあったんだけどねー。」

でも、こう反論してこられました。

「え、だって、倉庫に同じ数ずつあるんだったら、ダンボールに入ってるのが偏るって変じゃない?」と。

これっておかしいですよね。どう考えても。

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多分こんな感じ。具体的にはちょっと違いますけど。

細かい設定に突っ込まないように。

例:誰の倉庫よ。果物が200個入るダンボールってどうよ。八百屋かよ。倉庫に無造作に果物が入れてあるってどうよ。知り合いって、どういう関係よ。適当に取って知り合いにあげるって、どういう状況よ。

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2007年9月19日 (水)

見事な詭弁

皆さん、ちょっと考えてみて下さいませんか。

私が、

「血液型と性格は関係ある」って、どういう意味ですか?

と質問したら、

まず、心理学者の論文をお読みください(笑)。
一応、簡単に示しておくと、

松井さん データに差がない→血液型と性格に差がない
坂元さん データに差がない→思い込みによるもの→血液型と性格に差がない

もちろん、松井さんと同じ論理が大部分です。私も基本的には同じですが、二重三重にデータをチェックしています。

という答えが返ってきました。

これ、凄いですよね(コメントは、血液型と性格の、”TAKESAN  — September 19, 2007 @00:34:40”と、”ABO FAN  — September 19, 2007 @00:45:08”)。

最もシンプルな類の質問をしてみた訳です。「血液型と性格は関係ある」という言明の意味を問う、というかたちで(”「血液型と性格は関係ある」”がABO FAN氏自身の発言だというのが、ポイント)。で、その答えが、ああなのですね。

どうでしょう。かなり解りやすく、「破綻を示せた」と思うのですが。血液型性格判断を全く知らず、日本語がある程度読解出来る人に、上のやり取りを見せれば、「おかしい」と思うはずです。

なんか、鰻を掴もうとしているみたい。やった事無いけど。

ちなみに、もう一回、全く同じ事を訊ねようとしましたが、恐らく、全く同じ答え方をされるだろうから、止めておきました。

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2007年7月27日 (金)

血液型性格判断

私の、現時点での、血液型性格判断(及び、それをニセ科学と看做す論拠)に関する認識を書きます。ご意見を頂きたいです。

血液型性格判断と性格相関の違い。

関連はあって良い、傾向もあって良い。しかし、それと、ABO式血液型の情報のみから性格を当てるというのは、全く別の事だ。

多くの研究で、血液型間の性格差について有意差が見られない、つまり、「差が無いという仮説を否定するだけの充分な根拠が見出されなかった」、という結果が出ているのだから、血液型から性格を当てられるだけの関連は無いと看做すのが、論理的に当然の帰結である。

ステレオタイプの問題がある。社会的に、「○型は△だ」、という認知が形成されていて、それが実際の性格形成に影響を与える、という理論。もしそうであれば、性格形成に環境要因が大きく寄与している事を意味するから、「血液型と性格との間に、(生物学的な)強い関連は無い」という事の論証になる。これは、「ある血液型の人には、特定の性格の人が多く見られる」、という主張とは異なるが(後者は、メカニズムを棚上げにして、分布に言及しているだけだから)、これ自体、上に書いた様に、反証されている。そもそも「ニセ科学」として批判されているのは、「血液型”性格判断”」だという事を忘れてはいけない。否定されているのは、「血液型が性格と生物学的に関連する」という言明では無い。

では、もし今後、多くの研究で、血液型間で、性格の分布に有意差が見られ、それが強く関連する事が見出されればどうするか。その場合には、血液型性格判断が、信頼の置ける科学的理論だというのが示されたという事になる。それだけの話だ。ニセ科学というのは、科学的に実証されていないにも拘らず、実証されたかの如く主張されたり、周知されたりする説の事だから、現時点での「ニセ科学」という評価には、何の関係も無いのである。ところで、上で仮定した、今後の研究で強い関連が見出される、というのは、1)ステレオタイプの効果の強さを認める 2)それまでの研究にことごとく不備があった(ので、生物学的な関連を見落としていた) のどちらかを意味するので、そもそも起こり得るのかは、疑問である。ステレオタイプが性格形成に影響を与えるとして、それが、性格判断が出来る程のものになるかどうか、というのも、難しい問題だが。

実は、ABO FAN氏も、興味深い論点を出してはいるのである。それは、「どの様な研究で、どの様な結果が出れば、”血液型から性格を言い当てる程の強い関連が見出された”と言えるのか」、という事だ。これについては、そもそも、血液型性格判断を主張する人、あるいはその支持者が、統計学的・心理学的にまともなデータを出していないので、批判者がわざわざ出す事でも無いのだが、科学的考察としては、大変興味深いものではある。

ABO FAN氏のロジックはこうです、多分――ABO FAN氏:ある程度信頼のおける心理学的研究において、性格特性と血液型の分布について、有意差が見られた。これは、「関係あるデータ」と言えるのではないか→批判者:少ない項目について有意差が見られただけで、しかも結果が安定していないので、強い関連があるとは言えない→ABO FAN氏:では、「血液型から性格を言い当てられる程の関連」とは何か? どう定義されるか→批判者:そもそも、有意差すら安定的に見出されていないので、強い関連がある事自体、否定出来るのだ→ABO FAN氏:いや、だから、「血液型と性格に関係あるデータ」を示しているのだ……以下ループ

以下、追記

分布に偏りが出る場合、次の三つの理由が考えられる。

  1. 血液型と性格に、生物学的な関連があり、それが現れている。
  2. 血液型と性格に、生物学的に強い関連は無いが、偶然偏っている。
  3. 社会的認知(ステレオタイプ的な)により、自己成就現象が起こり、分布が偏っている。

上記のいずれの理由であっても、大きな偏りさえあれば、「血液型から性格が当てられる(逆も)」という現象は、起こる。血液型性格判断を肯定する主張をする場合、上記のどの論理を根拠にするか。それをしっかり分けて考えているか。一般的には、1.を想定していると思われるが。

思考実験。たとえば、悉皆調査をして、日本に住む全ての人に、信頼性・妥当性の高い性格検査を行い、血液型と性格についての分布に関するデータが得られたとする。その場合、データをどう解釈するか。記述統計の範疇なので、検定などの問題では無くなる。尤も、論理的には可能だが、実際的には不可能な調査であるけれども。

本質的な問題。「性格から血液型を言い当てられる」という現象を、どう定量化するか。難しい。

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2007年6月28日 (木)

いめえじ

全くどうでもいいんですが(実はそうでも無いから書いてる)、

やっぱり、このブログをお読みの方も、「これを書いてる人は○型かな」、とか思ったりしてるんでしょうか。

勿論、血液型性格判断を信用している、という事では無く、何となく○型っぽいな、という程度の、「印象」ですね。

因みに私は、何型がどういう性格か、という事は、知りません。色々調べても、それを記憶に留めない様にしています。さすがに、専門に研究している人なんかは、そうする訳にはいかないと思いますけれど。AB型は二重人格的だ、というよく解らない説くらいですかね、憶えているのは。

で、「○型は△△だ」、と知ってる人は、私(TAKESAN)は何型だと思うのでしょう。ちょっと知りたいです。ミニ調査、というか。それで、血液型と性格の結び付きの知識が共通しているか、というのと、文章の書き方からの人格の推測が、どの程度一致するか、というのが、解る訳ですね。

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2007年6月26日 (火)

「科学的根拠が無い」

神を信じるか科学を信じるかなんて極論は無意味!!|正直しんどい

主に心理学者の人たちなんでしょうけど

「科学的根拠がない」と主張しているんですね

主に心理学者の人、というのが正しいかは判りませんが、心理学者が「科学的根拠がない」、と主張している、というのは、その通りだと思います。

しかし僕には「科学的根拠がない」という否定の仕方が

どうも気に食わないんですよね

成る程。

もちろん「科学的根拠がない」のに

あたかも「科学的に証明された」かのように振舞う「ニセ科学」

というものが世の中にあるのは確かです

これはその通り、ですね。科学的な様でそうでは無いもの、という。

いくら先入観が働いてみんなの気持ちが「関係がある」という風に

流れたとしてもココまで多くの人が「正しい」と結論付けるかな?

そうなのだと思います。それ程、人間の認知というものは、曖昧なものなのでしょう。それを説明する概念の一つが、バーナム効果ですね。FBI効果、というのもありますが。

世の中には「科学で証明されてない事は信じない」だなんて

「科学者気取り」の「科学かぶれ」がいるのがあまり面白くないんですよ

「科学で証明されてない事は信じない」と言う人って、そんなにいますか。探せばいるでしょうけれど。確かに、そういう人がいれば、それは、認識が狭小だと言えるでしょうね。でも、私は、そんな事を言う人って、見た事無いんですよね。

今、「科学的に正しい」とされていることが

100年後には「正しくない」とされていることもあるってことですよ

それはそうですね。ただそれは、分野にもよるし、どの程度研究されるか、という事も関係があるでしょう。尤も、長年正しいとされた説が覆される、というのは、ちょっと考えにくい気もしますけれど。

ところで、(たとえば)「血液型と性格に強い関連があるという説を肯定する科学的根拠は無い」、という主張と、「血液型と性格には関係が無い」、という主張は、全く違います。「科学的根拠が無い」は、科学的研究によって支持されていない、という意味です。で、後者の様な主張をする人も、いるとは思いますが、多分それは、心理学者では無いでしょうね。心理学者にしては、あまりに不用意な主張ですから。

再度引用。

しかし僕には「科学的根拠がない」という否定の仕方が

どうも気に食わないんですよね

気に食わないと言うのは、「科学的根拠がない」という言明に、「何の関係も無い」という含みを感じているから、ですよね。そこの所の見方は、慎重にすべきだと思います。もしかしたら、意味の捉え方が、異なっているかも知れませんよ。

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2007年6月 3日 (日)

ジャコビニ流星打法

なんちゃってサラリーマンの独り言: ボクは血液型マニア

この本に出会ってからの約20年間、独自に人間観察してきた経験からいうと、「血液型による傾向」というのは間違いなく存在する。
(あくまで個人の経験則と感覚的なものなので、反論されても困るからね。。。)

えっと、独自に人間観察してきた個人の経験則と感覚的なものから、”「血液型による傾向」というのは間違いなく存在する。”と言うのは、なかなか大胆ですよね。確かに、反論はしようが無いですが。

よく「血液型なんて信用しない!」という人がいるが、その発言は根本的に間違っている。
そもそも「血液型」は医学的な側面を持ち、決して占いではない。

私は、「血液型なんて信用しない!」という日本語を使った人間を、未だかつて、見た事が無いですね(多分)。血液型の何を信用しないのか、よく解らないです。「血液型が占い」、と言う人がいたら、見てみたいですね、正直。血液型が占いじゃないのは、皆知ってると思いますけれど。※揚げ足取りと言わないで下さいね。文脈を考慮しても、おかしな文章ですので。

目くじら立てて「血液型占いなんて信じない」とか「だったら、私の血液型を当ててください。・・・。ほら、当たらないじゃないか。」などという人がよくいますが、そういう人は根本的に理解していないと思われます。

うーん、「何を」、根本的に理解していないのでしょう。

「この子は父親に似て、几帳面だ。きっと遺伝したのだろう。」という文章と

「この子は父親に似て、几帳面だ。きっとA型だからだろう。」という文章は、

私にとっては本質的に同じことを言っていると感じます。

意味が…全然解らない。

実証はできませんが、かなりの確率で血液型との相関関係があると思っています。(たぶん)

だれか、実証研究して下さい。

性格と血液型に連関はあるかも知れませんけれど。「かなりの確率」は、どこに掛かっているのでしょうね。あ、勿論、「思う」のは、全然構いませんが。それにしても、「だれか、実証研究して下さい」て…。

血液型と組織行動との相関について、実証研究をやりたいのだが、誰もとりあってくれないだろうな・・・。

いや、やってみれば宜しいんじゃないでしょうか。そういう環境におられるのであれば。興味を持つ人は、いるんじゃないですかね。

で、結局の所、何を主張なさりたいのでしょう。

※「ジャコビニ流星打法」は、漫画『アストロ球団』よりの引用です。

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2007年4月27日 (金)

真の連帯って、何よ?

■いま解き「ナゼ信じてしまう!?血液型性格診断」

うーん、『VOICE』、相変わらずGJだなあ。

「血液型性格診断を広める活動を行っているNPO」の、

血液型人間学は人間の本質的な共通性を探ろうとするものであり、その目的は社会の真の連帯と人間愛を育てることにある

これ、余りにも、意味が解らないんですが。

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2007年3月20日 (火)

多分違う

血液型人間学(吉岡英介氏のサイト)

何度か読んだ事があるのですが、ちょっとどうかな(どころじゃないか)、という論理展開です。と言うか、意味がさっぱり解らないです。

吉岡氏って、きくちさんやこなみさんやapjさんが批判しているものを擁護する、というのが、基本姿勢みたいですね。

で、それはともかく、と言うか。

能美正比古

では無く、「能見正比古」氏ですよね? 表記を替えた、という事ではありませんよね。いや、「能美」で統一されているので、もしかしたら、その時期もあったのかと思いまして。ググっても、十数件しかヒットしないし、誤字だとは考えてますが。

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2007年3月11日 (日)

区別

昨日のエントリーについて、返答を下さっていますね⇒研究とか日記とか : 疑似科学(エセ科学?)とか

えっと、「外部に知られる」についてですが、Technoratiとかでブログ検索して、気になったものに言及しています。

やっぱり誤解なさっているかも。
ニセ科学に対する批判は、「科学らしさ」を標榜したり、科学的根拠があると広く信じられている説(だが根拠不充分な説)に対するものですから、民俗科学を現代の実証科学の視点から批判するのとは、ちょっと違う訳です。水伝にしろ、ゲーム脳にしろ、自然科学的に実証されたと主張されており、その点を批判されているのですから。

血液型性格判断については、能見親子等が、実証されたと主張しましたが、それを心理学者が追試2007年11月1日追記:追試、とは言えないかして、反証された訳です。勿論、性格をそもそも測定出来るか、という心理学的問いは成立しますが、それは又、別の文脈です。状況が大きく変わらなければ、性格もある程度一貫していると想定して、それは、性格検査では、ある程度の確度で測定出来る、と、私は考えています。人格心理学的には、色々な議論があるでしょうけれども。

まー結局は反証不可能性?ということでエセ科学ってことになってしまうんでしょうけど,反証不可能な理論って,実は人文系とかにはたくさんあるわけで。

前にも議論になりましたが(Interdisciplinary: 血液型性格判断はニセ科学 コメント欄)、反証不能だからニセ科学、という事では無いですね。ニセ科学は、「見かけは科学のようでも、実は科学ではないもの」(ニセ科学入門)であり、実証されていないのに、実証されたかの如く主張される説、の事です。血液型性格判断は、反証されているのに、実証されているかの様に思われている説(余りにも一般に流布されていて、そこに、明確な「科学性」がイメージされているとは限りませんが、血液型という生物学的因子をもって、性格を説明する、という考えですから、そこに科学的な根拠は意識されている、と見るのが妥当だと思われます。社会心理学等で、そういう実態を調べた研究があるかも知れません)、ゲーム脳は、そもそも主張する側が、充分な根拠を提出していないものです。水伝の場合は、現代科学と著しく整合性を欠く、或いは、価値観を自然科学的論理に求める、という所が、ニセ科学であると批判されている訳です。

人魂とかUFOとか占いとかのしょぼい仮想敵ではなくて

UFOはともかく、人魂とか占いを、「ニセ科学」批判の文脈で語る人は、いないと思います。上記の菊池氏の文章より引用します。

 一方、「ニセ科学」という言葉で超能力やオカルト、心霊現象、あるいは星占いのたぐいを思い起こす向きもあろう。この中で超能力(テレパシーや予知、念力など)については「超心理学」という学問分野まで存在するので「ニセ科学」と呼べるだろうが、オカルト・心霊などはそもそも「科学的」な外観を持たないので、ニセ科学とは呼ばない。オカルト信者自身、オカルトを「科学」とは考えていないだろう。

こういうものをどう扱うべきか、という事に関しては、科学者も、色々な態度を取るのではないでしょうか。それは、ニセ科学批判の文脈とは、異なると思います。私は、少なくとも、テレビ等で、ゴールデンタイムに積極的に流すべきでは無い、と考えていますが。

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2007年3月10日 (土)

対象が判然としない

研究とか日記とか : 疑似科学と科学

仰りたい事は、解らないでも無いんですけどね。大槻氏に対する印象は、私も同じ様なものですし。

疑似科学ではなくて、ニセ科学ですね。「疑似科学」は、ニセ科学批判者が使う「ニセ科学」と同義に用いられる事も、当然ありますが、区別されていない場合もありますね。

血液型占いにめくじらを立てなくても、と書いていらっしゃいますが、これは、血液型性格判断の事でしょうか。それとも、ワイドショーとかでやってる様な、今日の○型の運気はどうこう、というやつでしょうか。後者なら、私も、別に良いかな、と思わないでもないです(ランダムに割り当てられるだけでしょうから)。ですが、ニセ科学批判の文脈で扱われているのは、前者である訳で。それは、ABO式血液型で、その人の行動傾向を決め付ける、という部分がありますから、明らかに問題ですよね。要するに、差別に容易に結び付く、という事です。

”子供のままごとを見て「その泥団子は本当のご飯じゃないんだよ」って大の大人が横から言ってる感じ”という比喩は、当たらないんじゃないでしょうか。ニセ科学を信じるというのは、泥団子を本物のご飯だと思って呑み込む事に、等しいのですから。※この比喩が、「血液型占い」にのみ掛かっていて、「血液型性格判断」を指していないとすれば、話は変わりますが、その場合だと、ニセ科学について誤解しておられる、という事になります。何故ならば、「占い」は、そもそもニセ科学では無いですから。

後、

しかし,この疑似科学を攻撃する科学者のなかに,いまいち攻撃になってないようなことをネット上で発言されている大先生みたいなヒトも多い。

うーん、誰の事だろう、気になるなあ。ネット上でニセ科学を批判する科学者って(「大先生みないな」というのは、実名を出している事を示している)、そもそもそれ程多くないでしょうから、かなり限られてくると思いますが。「攻撃になってない」というのも、よく解らないなあ…。いや、純粋に、誰の事を言っているのかな、と思って。

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2007年2月23日 (金)

今更感

はてブでちょっと話題の話。

そもそも、政治家と性格傾向の関連を調べるのが、先なんじゃないですかね。

血液型と性格が強く関連してるのなら、わざわざ、政治家なんて、特殊なサンプルを選ぶ必要は無いと思うのですが。政治家(しかも、特定の年。他の年では、それ程強い関連は、無いみたいです)に、O型が有意に多かったとしても、「それで?」としかならないかと。と言うか、こんなの、散々指摘されてる事なので、今更、という感じも。参考⇒血液型性格関連説について:竹内久美子氏:補論多重検定によるタイプ1エラー

前は信じていなかったが、竹内氏の本を読んで信ずるに至った、というのは、結構珍しい気が。そうでもないのか? ちょっとググれば、色々出てくるでしょうに。

次は、「交通事故と星座の関係について」らしいですね…。

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2007年2月16日 (金)

血液型性格判断はニセ科学

うろぶろぐ 血液型性格診断について小考察/daily

血液型診断は明確な主張者が存在しない民間の経験的な通説です。

えっと、能見親子は?

科学的証拠が無い事を論拠に批判を繰り広げるのは、新説を独自の非科学的実験を根拠に主張するニセ科学と同じとなってしまうからです。
これが「対ニセ科学」ならばその非科学的実験手法を批判すれば事足りるのですけれど,通説を批判するにはそれでは足りません。反証実験が必要です。

根本的に勘違いなさっている様な。血液型性格判断は、「ニセ科学」ですよ。

それに、血液型診断を信じている人たちは「科学的っぽい説明」があるかどうかではなくて、実際にそれを当たると感じているから信じているのだと思うからです。

いや、違うでしょう。散々、テレビ等で、科学的に根拠があるかのように、扱われてきたのでは? 「実際にそれを当たると感じているから信じている」じゃ無くて、信じているから、確証バイアスなどを掛けて、当たっているかの様に認識を形成するのでしょう(どっちが先とは、厳密には言えないでしょうけれど)。だから、バーナム効果の話が出てくる訳で。

人によっては血液型診断を予断に用いる人がいますが、そういう決め付ける人は例外なく嫌われますよね。これを争いの素とするか、話の種とするかは、個々のコミュニケーションスキルの問題だと思います。

「話の種」、ですか…。「スキル」の問題に、相対化して良いのでしょうか。これは、差別の問題に繋がるのですから、少々素朴だと思います。

「首相官邸のホームページで安倍晋三首相のプロフィルに血液型が書いてあるが、輸血時に必要だからという理由ではないはず。血液型と性格に関係があるという非科学的な考えが根強く残っているのは、科学技術立国として恥ずかしい」と松岡さんは話す。(リンク先記事より引用)

別に恥ずかしくは無いと思いますし、憶測だけでそこまで言い切っちゃう方が恥ずかしいです。

少なくとも、血液型をプロフィールに載せる意味は、解らないですよね。そんな事をする国は、珍しいでしょう(正確には把握していませんが)。「憶測」と仰っていますが、血液型を載せる事に、どんな合理的理由があるのでしょうか。

後段は、ちょっと意味が解らないですね。

理系白書には、

血液型と性格に関係がある、という説は昭和初期、日本の心理学者の研究から生まれたとされる。70年代、関連本が相次いで出版された。

と書いてあるのになあ…。

MSN-Mainichi INTERACTIVE 発信箱:O型大リーガー=元村有希子

ほんと、これ、理系白書に書くべきだと思うんですけど。

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2006年11月22日 (水)

ソフィスト

浮遊でご紹介したブログですが、その後、コメント欄でのやり取りが続いています。

で、それを読んでいて、何となく既視感の様なものを感じていたのですが、判りました。

ABO FAN氏と、心理学者の渡邊芳之氏との論争(畜大心理:ABOFANへの手紙)に、どこか似ているのですね。

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2006年9月27日 (水)

頭痛

ABO FAN Home Page/Matsuoka

えっと、どなたか、ABO FAN氏が一体、何を仰りたいのか、要約して下さいませんか。

いや、これは皮肉とかでは無く、本当に、殆ど意味が解らないのです。一応、「こういう事が言いたいのかな」というのは、考えてはいますが。

因みに、ABO FAN氏は、恣意的(わざとかどうかは判りません)に文章を引用なさる場合があるようです(誤読、あるいは…をご参照下さい)ので、ご注意を。

コメントを頂けると有り難いです…。

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2006年9月26日 (火)

難しい話

血液型性格判断を信じている人に対して、それが科学的には根拠薄弱である事を、どう説明するか、という問題がありますね。※信じている人を説得して回る、という事では無くて、たまたまそういう議論になったりした場合、どう話を持っていくか、というケースです。

数年前、友人と話していて、この話題が出た事があるのですが、私はその際、「そんなの無いよ」と言ってしまいました。でもこれは、かなり頂けませんね。そうでは無くて、もっと丁寧に説明をすべきでした。しかし、この、「丁寧に」が難しい。FBI効果の話をするか、肯定論者のデータの曖昧さを説明するか。相関関係と因果関係の違いを話すか、社会心理学的な自己成就の概念を教えるか、等々。心理学的には、肯定論者に対して、様々な反証が挙げられている訳ですが、その事を説明したとしても、「直感的」に信じている人が、すんなり受け容れるという事は少ないでしょう。実際私も、以前は、「直感的」に、「そんなものは無い」と考えていた訳ですから。そういう人(直感的に信じている人)に対して、「そんなの信憑性無いよ」とか、「血液型と性格には何の関係も無いよ」(この発言は、そもそも科学的に間違いです。強い関連が見出されない事は、「関係が無い」を意味しません)とか、そんな説明をしても、逆効果でしょう。ものを解らせてあげよう、という感じを与えてしまう場合もあるでしょうね。

これは、血液型性格判断に限らず、「ゲーム脳」等の、他のニセ科学的言説全般に言える事ですね。又、あるニセ科学に懐疑的であっても、他の同様の言説に対しても、そうであるとは限りません。「ゲーム脳」は荒唐無稽だと思っても、血液型性格判断は信じている、という事もあります。

なかなか悩ましいですね。

個人的な話。私は、他人に対する行動は、その時の状況によって、様々に変わるのが当たり前だ、という認識を持っていました。又、血液型を聞かれて、それに答えると、ほぼ、「そうは見えない」と言われました(笑) こういう経験から、性格と血液型に、そんな強い関連は無いだろう、と思っていました。遅くとも、高校生の頃にはそういう認識でしたね。今思うと、かなり前から、状況論的なものの考え方をしていたのでしょうね。ですから、「○○型は○○な性格だ」という話を聞いても、意味が良く解りませんでした。「自分はそうでは無いけど、それはどう説明するんだろう。もし血液型から性格が、高い精度で判らないなら、あんまり意味無いんじゃない?」という感じです。で、まあ、どうせ強く信じているのでは無いだろう、と考えていたのですが、どうもそうでは無いらしい。かなり強く信じている人もいて、それが、「ニセ科学」に関する論争の文脈で語られている事を知ったのは、比較的最近です。それまで、別に遊びでそういう話をする分には良いんじゃないか、と思っていたのですが、それは違っていた様です。(そもそもは、「ゲーム脳」について調べたのがきっかけだったと思います)それから、「ニセ科学」という概念に関心を持った訳です。

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2006年9月24日 (日)

誤読、あるいは…

血液型性格判断について調べた事のある方なら多分ご存知の、ABO FAN氏の、ABO FAN Home Pageに、心理学者の大村政男氏についての記述があります⇒ABO FAN Home Page/Prof. Ohmura

他の部分については、良く調べていないので解らないのですが、後半の、「“転向”の謎6  ついに“転向”が事実上確定!~古川説の再検討~」の部分において、ABO FAN氏は、

これを“転向”と言わずして何というのでしょうか? さらに驚くべきことに、一部とはいえ、能見さんをほめる記述さえあります。

  • [能見正比古さんが作成した]この「[血液型]十戒」は非常に優れたアドバイスなのであるから反故にするのは惜しいと思う。(224ページ)

と書き、「血液型十戒」を引用した後で、

読めばわかるとおり、これは「血液型と性格は関係ある」ということが大前提です。そうでなければ、「非常に優れたアドバイス」と言うはずがありません。つまり、大村さんは、“転向”したことが事実上確定(!)したことになります。(引用者註:強調等は、はずしてあります。以下同様)

としています。ABO FAN氏は、(大村氏が)「能見さんをほめる」と仰っており、その根拠を、

  • [能見正比古さんが作成した]この「[血液型]十戒」は非常に優れたアドバイスなのであるから反故にするのは惜しいと思う。(224ページ)
  • という部分に求めた訳ですが、引用元を読んでみると、些か意味合いが異なる様です。以下、同じ箇所を、少し前から引用してみます(解り易くする為に、で示します)。

     これらの発表で能見正比古の「血液型十戒」を批判しておいた。その「十戒」といわれるものは右ページに掲げてあるが、それを作成したのも、それを破ったのも能見正比古なのである。この「十戒」は非常に優れたアドバイスなのであるから反古にするのは惜しいと思う。(大村政男『図解雑学 心理学』ナツメ社 2006 224ページより引用)

    如何でしょう。私は、この部分を、「<血液型十戒>の様な優れたアドバイスを提示しておきながら、能見氏は、自身でそれを破ったのである」と、大村氏が「批判」なさっているのだろうと読み取りました。何故ABO FAN氏は、大村氏が肯定論者へ「転向」したと主張なさるのでしょうか。又、

    これは「血液型と性格は関係ある」ということが大前提です。そうでなければ、「非常に優れたアドバイス」と言うはずがありません。

    この部分は、論理的におかしいと言わざるを得ません。ABO FAN氏のサイトに、「十戒」が引用してあるので、そちらをご参照頂くと解ると思いますが、このアドバイス、要は、「血液型で差別しないように」という内容です。その意味で、「優れたアドバイス」と大村氏は評価なさったのでしょう。つまり、「血液型と性格に強い関連がある事を前提しなくとも、”非常に優れたアドバイス”と言う事は出来る」という意味です。血液型十戒で前提されているのは、「血液型によって性格が判断出来ると信ずる人が存在する」という事です。

    心理学 Book 心理学

    著者:大村 政男
    販売元:ナツメ社
    Amazon.co.jpで詳細を確認する

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    2006年9月12日 (火)

    キャラクター

    「モード性格」論―心理学のかしこい使い方 Book 「モード性格」論―心理学のかしこい使い方

    著者:サトウ タツヤ,渡邊 芳之
    販売元:紀伊國屋書店
    Amazon.co.jpで詳細を確認する

    サトウ・渡邊コンビの本を読むのは初めてですが、私が考える(考えてきた)性格観は、この本に書かれているものに近いと思います。

    本書には、血液型性格判断についての論評もあります。本書で、血液型性格判断についての批判は、言い尽くされていると言えるでしょう。

    何より、文章が非常に解り易いです。平易な言葉で丁寧に説明してあり、するすると読めます。

    「性格とは何か」とか、血液型性格判断に興味のある方に、お薦めの一冊です。

    学生時代に性格検査を受けて、「こんな質問、答えようが無いよ!」と思った経験のある方は、本書の内容に、深く納得なさると思います。

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    2006年8月 9日 (水)

    fishing?

    Yahoo!スポーツ - ニュース - 亀田が持つ几帳面さ 19歳の新チャンプ

    血液型はBだが、まるでA型をほうふつさせるきちょうめんさを併せ持つ。

    ・・・これはギャグですか?記事にこんな事を書く人が未だにいるとは、驚きです。

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    2006年1月14日 (土)

    遺伝差別

    中猫さんの、油小路ニュー中猫屋のエントリー、血液型性格判断のこと再びを読んで。

    中猫さんは、

    血液型性格判断の問題点は、人々を分類することにあるのではなく、根拠のない基準によって性格の分類をするという非科学性に加えて、科学的に特定可能でしかも遺伝的に決定済みである血液型によるいわれなき差別を支え続けているということなのです。少数派であるAB型とB型について、これまで多くの差別的発言が公然と繰り返されてきています。これは多くの差別主義に共通の、少数派の排斥という現象です。

    と仰っています。

    全くその通りであると考えます。

    何故、血液型で性格判断をするという、差別的な事がまかり通っているのでしょう。これは推測ですが、私は、「血液型は視認出来ない」、という事が重要な因子であると考えています。例えば、「肌の色」や「瞳の色」、「髪の色」等で性格を判断する、とすれば、それは直ちに、差別であると看做されるでしょう。しかし、同じく遺伝的に決定される血液型になると、それが目に見えないが故に、差別意識を薄めてしまうのではないでしょうか。

    又、中猫さんは、

    血液型問題は、心理学という学問自体が取り組む、あるいは取り組むべき課題をいくつも含んでいます。科学的であるとは何を意味するのかということに始まり、性格やパーソナリティとはどのように定義されるべきなのかということ、そして、人々が根拠なき似非科学をなぜ信奉し、それがなぜに差別主義や権威主義を支えることになるのかという問題まで含んでいます。

    とも仰っています。

    これは、「ゲーム脳」等の、他の似非科学を考察する際にも共通する問題です。このように視座を広げると、学問全体に亘る、幅広い知識と深い認識力が必要である事が分かります。

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