カテゴリー「血液型性格判断」の記事

まだ続くかな

kikulog:血液型と性格3

ついに、3エントリー目に突入。2千余のコメントが蓄積されました。

ABO FAN氏が再登場なさらない事を、祈りましょう。

最近だと、ABO FAN氏に匹敵するつわものもおられますが。再びコメントを入れる予感も。個人的には、完全スルー対象だと思うのですが。

2000コメントを要約するなら、「血液型性格判断は誤り」「血液型性格判断肯定派として有名なABOFAN氏の論理はでたらめ」ということです。

簡潔にして当を得た要約であります。「ABO FAN氏の言っている事は理解不能である」、というのも付け加えておきたいです。

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占い? 科学?

ちょっとした疑問です。

私は、「血液型性格判断は、占いと同様のものである(場合がある)」という主張の、意味がよく解らないのですよね。
一般的に言って、血液型で性格が判る、というのは、ある性格類型なり特性と、生物学的因子である所のABO式血液型とを結び付けた主張です。

ちょっと視点を変えてみて、「占い的な血液型性格判断」というものを考えてみると、それはつまり、「今日、○型の人はこういう運勢だ」、という類のものなんかですよね。血液型選手権みたいな。

ところが、血液型性格判断は、論理的に、分布に関する言及である訳です。要するに、○型の人にはこういう性格の人が多い、という事実があれば、それは成り立つ。

で、ですね。
血液型性格判断を信じている人は、当然、生物学的な連関を前提しているはずです。何故なら、社会心理学的メカニズム、つまり、思い込みや自己成就現象によって分布が偏る事がある、などという知識がある人がそれを信じるというのは、論理的に考えにくい。尤も、星占い等と融合させた主張の場合なんかは、また違ってくるとは思いますが。そういう方向で、何らかの論理体系をなした場合、それは、いわゆる疑似科学的主張だと看做すのが、妥当でしょうか。すなわち、現代科学の体系に全く矛盾する、という意味で。

従って、血液型性格判断を信じている人の多くが、何らかの(自然)科学的論理を前提としているだろう、と推測しています。

で、ここまで読まれて、誤解されるといけないので、補足。
上に書いた話は、「ニセ科学」論そのものではありません。ニセ科学として批判の対象となるのは、そもそも科学を標榜している主張や、マスメディアによる、「実験」や「調査」を行ったと称するミスリーディング等なので、これらをニセ科学と批判するのは、全く妥当です。特に、情報発信の面で非常に強力であるマスメディアによる流布というのは、重要な点です。

何か、文が激しく纏まっていないですね。取り敢えず、このまま上げます。意味不明な箇所のご指摘や、批判歓迎。

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仮定を理解しない人

kikulogへ最初に投稿しようとしたコメントを、載せます。あちらでは、ちょっと書き直しました。青文字は補足。

▼▼▼▼▼こ こ か ら▼▼▼▼▼

もうちょっと訊いてみます。

ABO FANさんへ。
 
 >私には、「有意」を使わずには説明できません。
 
駄目です。統計的推測の話はしていないので、有意という概念を使わなければならない、というのは、通用しません。もう、この答えの時点で、おかしい。統計的推測の概念が無いのだろうか。
 
 >「全数検査」でという意味でしょうか?
 
母集団において、差がゼロで無ければ、とうかがっています。誰も、「過去や未来の人」を全数調査するなどという事は、言っていません。「ある時点」での、ある集団において、血液型ごとの差がゼロで無ければ、「関係ある」と、ABO FANさんは判断なさいますか?当たり前の話ですが、私は、母集団における分布がどうであるか、という事を言っているので、調査がどうのこうのというのは、全く的外れです。仮定ですね。もしこうなら、という。
 
------
 
 >ひょっとして、これだけ引用を渋るところを見ると、統計に詳しく
 >ないのかもしれません。
PseuDoctorさんがこのコメントを読んで、失笑もしくは苦笑を催されるのが、目に見えるようです。ABO FAN氏のお顔の皮膚は、果てしなく厚い、あるいは、相当硬い物質で構成されているのでしょう。

▲▲▲▲▲こ こ ま で▲▲▲▲▲

kikulogでのコメント、あんまりうまく無いなあ。あれくらいしか書けませんでした。仮定や喩えを色々出したいのですが、そこから更に拡散される虞があるので、慎重になってしまいます。

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既視感

相変わらず、堂々巡りです。

私の質問には、答えてくれませんね。

やはり、実際にわずかでも差が存在すれば「関係ある」と看做す、という事なのかな。で、それを言ってしまうとまずいというのを、認識しているのだろうか。

他の方と私は認識が異なっているかも知れませんけれど、私としては、ここら辺(差に関する議論)について、ABO FAN氏は「解っている」、と思っています。でないと、あそこまで頑なに回答を拒むというのは、ちょっとおかしいかなあ、と。もしABO FAN氏が、差が0で無ければ「関係あると言える」、と宣言すれば、議論は終結しますからね、恐らく(←誰がみてもおかしい事が解るので、ABO FAN氏の主張が崩壊する)。

どうやら、まだやり取りは続きそうです。もしかすると、コメント1000を突破するかも知れませんね…。

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停滞

kikulogの件。

ABO FAN氏、ひたすら答えませんね。何故だろう。他の事は、結構すんなり答えたのに。

以下、私のコメント(TAKESAN  — December 15, 2007 @01:03:46)の解説。

ABO FANさん
 >ひょっとして、母集団云々の話ではなく「血液型と性格に関係が
 >ある」の定義ですか?
両方です。

定義は何度も訊いたけど、わざわざあちらから水を向けてこられたので、両方、と答えた。

まずは、全数が調査出来て、割合に違いがあったら、という話です。全部調べたとして、差が0で無ければ、「関係がある」と言って良いのか、と訊いています。

核心かも知れない。ちなみに、常識的に考えれば、「それだけでは関係あるとは言えない」、となるはず。しかしABO FAN氏は、恐らく、そう答える事は出来ない。何故なら、差が有意であったから関係があると言える、という前提が崩れてしまうから。ちなみに――私のこの質問、かなり素朴に見えるかも知れません。何の割合か、とか、母集団は何か、とか、書いていないので。しかしそれは、わざとです。「ABO FAN氏が考える」所の差で良い訳です。私が知りたいのは、差が0で無い→関係あり、と認めるかどうか、なので。詳細をこちらが書くと、そこから拡散される可能性がある。

 >それなら、私だけが認めても意味がありませんので、この質問は無
 >意味です。
いいえ。
初めから、ABO FANさんの定義を知りたいと思っているのです。「関係ある」の定義はお持ちでしょう?

他の方が云々というのは、いつものやり方なので、さらりと流しておきましょう。「”関係ある”の定義」を「持っていない」、とは絶対言えない。定義も無いのに「ある」とは言えない。

 >どういう条件なら他の人が認めるのか、という質問であれば回答し
 >ます。
 >よろしいでしょうか?
よろしくありません。
他の人の事が知りたいのなら、他の人に伺います。ABO FANさんがどう考えるのかを、知りたいのです。

これを認めると、「有意差」という語が、また出てくる。ループしてしまう。

※念のため。
「定義」は、「有意」という語を用いないで説明して下さいね。

ループさせないための念押し。有意差が見られる事が定義だ、というとんでもない事を言わせないようにした。

普通、自身の認識がナイーブに取られないように、注意深く言葉を用い、入念に文の整合性をチェックして、ある程度長文になっても、補足を入れるなどして、文を構成しますが、ABO FAN氏とのやり取りでは、敢えて、ごく短文、質問は少数、他の方から素朴と見られても構わない、という書き方をしています。とにかく、ABO FAN氏が何を考えているのかを、知りたいのです。

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無限ループ

うん、段々、論が崩壊してきましたね。

思った通りで、ほんの少しでも(部分的にでも)「同意」を仄めかした方のコメントを引いて、「同意した」と主張し出した。

私へのレス(穴埋め)、さすがに、誰が見てもおかしいですよね?

ループになるポイントが、解ってきた気がする。

仮想の全数調査の質問を投げようとも思うけど、ややこしい事になりそうなので、やめときます…。

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何の差か

なんで、「小さな差」、「大きな差」について、あれだけしつこく訊くか。

普通、「小さな差が認められた」というのは、「大きな差が認められなかった」という意味なのに、ABO FAN氏は、「小さな差が認められれば自動的に大きな差を認める事になる」、と主張している訳ですね。
という事は、異なる対象について言っている、としか考えられない。
で、訊いてみたのです。「同じものについて言っているのですか?」と。
そしたら、同じものだと仰る。しかし、数行先では、同じ対象とは限らない、と言ってしまっているのですね。これは、なかなか困ります。

母集団の性質に関しては、次のABO FAN氏の回答によっては、ABO FAN氏の認識が、一つ明らかになると思います。つまり、全く理解していない可能性がある。

母集団の平均が50であり、それが判っているとして、そこから標本を採って平均を推測する事に、意味は無いのですね。で、ABO FAN氏は、そういう事を言っている訳です。※正確に言うと、統計的方法によって、平均が50くらいであると推定された。そして、その推測によって得られた情報を、「既知」の性質と看做している、という事です。

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困ったなあ

ABO FAN氏の、私への最新のレスは、読んで、ちょっと困ってしまいました。

日本語として読解するのが難しい。

さて、どう返すべきだろうか…。

私へのレスの部分を抽出しておきます。(血液型と性格2のコメントより)

> 519. TAKESAN — November 19, 2007 @00:53:20

> という事は、ABO FANさんの主張は、
>  「”質問の回答率”に小さい差が見られれば、”質問の回答率”に大
>   きな差が自動的に認められる」
> ですね。

はい、おっしゃるとおりです。

> では、質問です。
> 「同じ対象に関して」、「小さい差が見られれば」、「自動的に大きな差をも認める事になる」、という主張の意味を、教えて下さい。

条件を変えれば、ということです。
例えば、性別、年齢などを変えれば、ランダムサンプリングで「小さい差が見られれば」、「自動的に大きな差をも認める事になる」という意味です。
もちろん、再現性があることが条件になりますが。
そういう意味では、必ずしも「同じ対象に関して」ということにはなりません。

> そもそも、「小さい差」が出た「質問の回答率」と、「大きい差が自動的に認められる」という「質問の回答率」とは、同じものを指していると考えても、良いのですか? 違うとすれば、どう違いますか。

「質問の回答率」ではなく、質問項目、あるいは質問の内容が同じということです。

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> 520. TAKESAN — November 19, 2007 @01:03:34

> では、「母集団の性質が既知である」という事を、ABO FANさんご自身の言い方で、ご説明下さい。

例えば、A型の母集団であれば、他の血液型(の母集団)に対して「神経質」や「几帳面」という回答が多いことが予想されます。これは、現実に坂元データで実証されているわけですし、ちがやまるさんとも合意したと考えています。

> それと、他の方々がどういう意味で書かれたか、という部分についての解釈と併せて、説明をお願いします。

う~ん、正直、これは回答に困ります。
私は例えば、上の文章のように考えました。
他の方がどのように考えたのかは、私にはわかりません。

何度か読み直して考えないと。

て言うか、これを読解出来る人がいるのだろうか。

あ、ただ、ABO FAN氏が、「母集団の性質が既知である」という部分について、全く解っていない、というのは、判明しました。

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何がおかしいかって

母集団の性質を調べる方法を使って、母集団の性質を推測したのに、今度は、そこで推測されたものを、母集団の既知の性質と看做して、他のサンプルでは「原理的」に差が出る、と言っている所。

統計的方法によって推測されたものを、「原理」などと言う所。

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メモ:血液型性格判断と血液型性格連関(相関、関連、関係、等)2

Interdisciplinary: メモ:血液型性格判断と血液型性格連関(相関、関連、関係、等)

を、もうちょっと整理します。

基本的な仮説:血液型から性格を言い当てたり、性格から血液型を言い当てる事が出来るくらい、関係がある。

作業仮説:上の仮説から論理的に導出され、定量的に把握出来る仮説。あるいは、作業仮説が検証されれば、上の仮説が確証される。記述的な論証(分布がどうなっているか)。これ自体には、メカニズムに関しての言及は含まれない。

母集団:1)観察した時点での、日本に住むある程度の年齢の人間 2)他の国に住む人間 3)世界中の人間 4)全ての人間  の、いずれか。4)は、血液型と性格の、強い生物学的関連のメカニズムを想定。それ以外は、必ずしも、それを前提としない。

時間的変化:経年によって、著しく研究結果(分布の仕方)が異なっていた場合――1)いずれかの時期の研究が妥当で無かった 2)いずれの研究も妥当な方法であった  2)の場合、時期によって分布の仕方が異なるという事だから、社会科学的メカニズムが強く働いている事を示唆。そして、仮に、「判断」が可能であった事が示されようとも、それは生物学的な普遍性ゆえでは無い、と言える。

作業仮説について:性格類型は、状況によらず一貫しており、それは、いくつかの類型に分けられ、高い妥当性で測定されるとする。そして、各血液型における性格類型の分布がどう違っているか、あるいは、どの様な構成比であるか、というのを設定する。それが設定されたら、後は、推定なりを行う。問題は、どの様な分布であれば、「血液型(性格)から性格(血液型)が高い確率で当てられる」と言えるか、という事。これは、多分に心理学的な問題。他の研究によって、確かめるか?

研究方法:理想的(それはつまり、ほぼ不可能、非現実的である、という事)には、全数調査。全ての対象について、性格検査を実施し、血液型検査をすれば、分布は、ほぼ(様々な理由で誤差が出る)完全に、明らかになる。次に考えられるのは、推定。ここで理想的なのは、各血液型の人から、完全無作為抽出を行い、性格類型の構成比を推定する事。当然これも、非現実的(母集団の全ての要素について、血液型が解らなければならないため。そんな台帳は存在しないはず)。←こちらは、全数調査に較べれば、ほんの少しは、実現の可能性はあるかも知れないけれど…。従って、検定を行う。実際には、多くの性格特性と血液型との連関を検定したが、有意であるものはほとんど無く、あっても、経年によって変化が見られるために、強い関係は無いという事が示された。若干のステレオタイプの形成を示唆するという見方もある。

メカニズムについて:「世間」では、どの様なメカニズムが意識されているか。当然、生物学的な関係だろう。信じている人が、「思い込み」の影響など考慮しているはずは無いからである。従って、上に挙げた作業仮説というのは、一般に言われる所の説から、「言い当てられる」という部分を抽出したものと言える。という事だから、社会一般に浸透している血液型性格判断説とは、「生物学的メカニズムによる強い連関を原因とする分布の異なりによる」血液型性格判断である、と表現出来る。※メカニズムと言えるか解らないが、「偶然」という事もあり得る。極端な例を出すと、何らかの理由で、日本から多くの人が出て行き、結果、高い確率で判断が出来る様な分布が形成されるように日本人が残れば、日本においては、成り立つ(最初、物騒な例を思いついたけど、顰蹙買うのでやめました)。

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どこがおかしい?

ABO FAN Home Page:懐疑論者の自己矛盾!?についての考察。※強調等はそのまま。

○”結論の要約”について。

ここに、kikulogでも話題によくのぼるグラフが、載っていますね(伊勢田さんがよく言及なさる、アレです)。「性格分布のイメージ図」。

この図が何を意味しているのかは、なかなか解りにくいですね。横軸が比率で縦軸が頻度とは、一体どういう意味だ? と。正規分布だ、というのなら、仮想的に、横軸に、「ルールや慣習や秩序を重視する度」を連続量として置き、クラスをいくつかに分け、縦軸を頻度にしてヒストグラムを書く、とするなら、まだ理解出来ます。しかし、横軸に「肯定率」を取っているのですね。これ、「ルールや慣習や秩序を重視する」という質問に肯定的に答えた人の割合、の事です。おかしな話ですよね。何故、その比率を平均として、正規分布を描けるのか。

さて、ABO FAN氏は、続けて、

平均を中心に正規分布のグラフを書いてみると分かりますが、ある基準以上(または以下)の人の割合は血液型によって数十パーセントは違うからです。具体的には、BやCより大きい部分だけで比較すれば、確かに「強い関係」はあるといえます。下がそのイメージ図です。本当は数学的に厳密にいうと違うのですが(AB型の41.2%のところやO型の57.7%がピークになる保証はありません)、わかりやすくするためにわざとそう書いています。

と主張します。件のグラフを前提にして、論を展開している訳ですね。ここら辺の論理が、読む者の脳を大きく揺さぶります。「BやCより大きい部分」とは、一体何を意味するのか。「ピークになる保証はありません」という部分は、誤差の事を言っているのだとも読み取れるけれど、だとすると、やはりグラフの意味が解らない。

○”懐疑論者の主張…「強い関係」はない?”について。

「ポイントはここです!」の部分。ここで引用されている長谷川氏の文は、両方同じ様な意味ですね。全く関係無いかは解らない、と言うのと、あるかも知れない、と言うのは、同じです。

きくちさんの文章に対する言及を見ても解りますが、きくちさんや長谷川氏の論と、従来の心理学者の主張を異なったものであると、強調している訳ですね。即ち、「関係が無い」という言明の部分。ここに関するABO FAN氏の引用・言及の仕方は、かなり恣意的であると思います。「ニュアンスが違うようです」とか、わざわざ書いてある部分は、そうですね。

○”論理の矛盾?”について。

実は、この程度の差でも「強い関係」と言える差が出ると考えるのが自然です。というのは、平均を中心に正規分布のグラフを書いてみると分かりますが、ある基準以上(または以下)の人の割合は血液型によって数十パーセントは違うからです。具体的には、BやCより大きい部分だけで比較すれば、確かに「強い関係」はあるといえます。下がそのイメージ図です。本当は数学的に厳密にいうと違うのですが(AB型の41.2%のところやO型の57.7%がピークになる保証はありません)、わかりやすくするためにわざとそう書いています。言うまでもなく、細かいところは違っても、大筋で違うことはありません。

またしても、件のグラフ。悩ましいですね。さて、ここでABO FAN氏は、「ある基準以上」と書いています。これは、どう解釈すべきでしょうか。私が上に書いた、「ルールや慣習や秩序を重視する度」的なものを、イメージしているのでしょうか。難しい所です。ABO FAN氏はまた、「具体的には、BやCより大きい部分だけで比較すれば、確かに「強い関係」はあるといえます。」とも書いています。これはどういう意味でしょう。推測するに、これは――追記:コメント欄をどうぞ→例を挙げると、あるテストを□県と△県で実施したところ、□県:平均60点、標準偏差15点 △県:平均67点、標準偏差20点 だった、というデータがあったとして、平均は7点しか違わないが、□県の下位の点数と△県の上位の点数を較べると、その差は大きい。従って、平均の差が小さいとしても、それは、大きな差を否定した事にはならない――というロジックでしょうか。追記:コメント欄をどうぞ精一杯正確に解釈しようとすると、そうなりますが…。もちろん、それは詭弁です。尤も、合っているかどうか、判りませんけれども。

ちなみに、「強い定義があいまい」、という部分についてですが、明確な定義は、誰もしていないですね、確か。ただ、きくちさんは、標準偏差に較べて平均値の差が大きいか、という事を仰っていますね。定義は難しい、とは思います。

○”ホームラン王の血液型”について。

見ればわかるとおり、圧倒的にO型とB型が多く、AB型が1人いないことがわかります。しかし、プロ野球の選手全体の血液型は、ほぼ日本人の血液型に一致しているそうです(否定論者も含めて何回か調査がされています)。しかし、本当にO型とB型はホームラン王になりやすいのでしょうか?

えっと、プロ野球選手全体の血液型分布が、日本人全体のそれと一致しているのが合っているとして(私はよく知らないです)、ホームラン王云々という例を持ち出してどうこうするのは、妥当ではありませんね。よく指摘される所は、「何故上位10名か」、とか、「そもそもホームランをよく打つ人は、性格が似ているのか」、とか。

……出てきた、イメージ図。さて、これは難解です。今度は、横軸が、「ホームランを打つ確率」。まあ、確率にすると、意味が解らなくなるので、打撃力(ホームランに関する)、とでもしておきましょう。横軸に本塁打数をとって、縦軸に頻度をとったヒストグラムを書く、というのでもいいかな。血液型別にそれを書けば、比較は出来るでしょう。試合数とかルールとかが変更されているので、そこら辺は、ややこしいですが。※これを踏まえると、一番上で言及したグラフとは、そもそも性質が違う、と言えるかな。こちらの場合は、ちょっと設定を変えると、比較的まともに考えられるかも知れない。て言うか、横軸を、ホームランを打つ確率、にするって…。

先に引用した所でもそうだったように、この様なグラフをイメージとして出すに至る部分が、ABO FAN氏の思考を知る手がかりになるのかも知れません。

○”結論”について。

出ました(もう出てるけど)、ABO FAN氏の主張の最も肝の部分。

またこういうことも言えるはずです。差が1%程度の「弱い関係」がある可能性を認めてしまえば、「強い関係」がないことを否定することはできなくなってしまうのです。

これです。これはやはり、私が上で推測した様な論理展開からの、帰結なのでしょうか。もしそうだとすると(自信は無いですが)、分散が極めて小さい分布同士でなければ、「小さな差とは言えない」、という事なのか? しかし、そもそもこの議論、肯定者割合の話ですからね。更に、数ある質問の内、有意であったのが少数で、それは、各年で安定している訳では無い、というのが、重要な部分なのですが。そこからいきなり、例のグラフの様なものを出す論理展開。そこがポイントでしょうか。

”おまけ”の部分は、ちゃんと読んで無いです。今度読もうかな…。結構重要な気もする。

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メモ:血液型性格判断と血液型性格連関(相関、関連、関係、等)

○「血液型性格判断」説:「状態」に関する説。

状態とは:分布のあり方。各血液型ごとの性格傾向の構成比が、大きく異なっている、という状態。つまり、社会が「どうなっているか」、という仮説。これ自体には、血液型と性格との因果関係に関する主張は含まれない。

定性的な定義:各血液型における性格傾向の割合は、大きく異なる。そしてそれは、短時間の行動の観察から、高い確率で血液型を当てたり、血液型から性格傾向が当てられたりする程のものである。

定量的な定義:不明。どの様な根拠で定義を行うか。

○血液型と性格との連関のメカニズム:1)生物学的――ABO式血液型が、遺伝的・生理学的等の機構により、性格の形成に関連している。 2)社会科学的――社会的認知による、ステレオタイプの形成。知識が流布する事によって、その知識が性格形成に関与し、実際に分布が偏る。

血液型性格判断説とは区別して考える必要がある。

○統計解析。

母集団:標本を得た時点での全体。(たとえば、日本に住む○×歳~△□歳の男女) 経年による分布の変化が見出されれば、それは、社会的認知の影響を示唆する。それは論理的に、生物学的関連性の小ささを示す。

推定:各血液型ごとの、性格傾向の構成比を推定する。

検定:血液型と性格傾向との連関を、検定によって調べる。

この本を読んでいて、考え付きました↓

現場で使える統計学 Book 現場で使える統計学

著者:豊田 裕貴
販売元:阪急コミュニケーションズ
Amazon.co.jpで詳細を確認する

結構良い本だと思います。ただ、統計の基本的な文献をある程度読んでいないと、ほとんど意味は解らないですね。直感的な理解を促そうとするあまり、かなり説明を端折っている所もあります(著者はそれを断って書いています)。尤も、何かを勉強しようとする場合に、何冊も参考書を読まないというのは、考えにくい訳ですが。

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ショットガンみたい

で、「原理」って何?

論述が飛び過ぎて、最早、何について議論しているのか、解らなくなってきた。

これまでのやり取りから、私は、「原理」なるものが、ABO FAN氏の思考の核だと見ているのですよね。物理の法則に準えるくらいだし。だから、そこに焦点を絞るのも良いかと思います。

やっぱり、「差」に関する所が、重要かな…。

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スイソク

ABO FAN氏の主張する「関係がある」、あるいは、「差がある」というものが、母集団におけるわずかな差の事を言っている、というのが明らかになった場合(もうすぐ、はっきりするか?)、その後、どの様に議論が展開されるのでしょうね。

当然、ほんの少しの差などあって当たり前でしょうから、そんな事は別に、誰も否定していない訳です。

で、仮に、ABO FAN氏に、「いや、ほんのちょっとでいいんなら、それくらいの差、あるでしょうよ。」などと言ったとして、果たしてそこから、「程度問題」に関する議論に展開するでしょうか。ここが非常に難しい。ABO FAN氏にとっては、「自身の意見に同調した」、あるいは、「関係がある事を認めた」、と認識されるでしょうから。

簡単な喩え。

A型の人間(全部)の平均身長と、B型の人間(全部)の平均身長に、8mm違いがあった事が判明した場合、「血液型と身長には関係がある」と、言うのだろうか。また、「差がある」と言うのだろうか。

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たとえ話

Interdisciplinary: 思考実験:血液型性格判断 関連

喩えをもう一つ。

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4色の饅頭があります。全部で1300個。内訳は、赤(520)・緑(390)・青(260)・黄(130) 色による味の違いはありません。

で、それぞれの饅頭には、4種類の餡が入っている、としましょう。餡の種類は、こしあん・つぶあん・うぐいすあん・白あん です。

で、饅頭を渡されて、食べたり割らずに(当たり前)中身を当てます。もちろん、饅頭は何度も食べた事があり、その人なりの経験から、「赤い饅頭には、うぐいすあんがよく入っている」、なんて信念を持っている訳です。

で、各色の饅頭におけるあんの種類の割合が、どのくらい ずれれば、「関係ある」、と言えるか。また、高い確率で中身を当てる事が出来るか。

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こんな感じで。

我ながら、しょうもない事に拘るなあ…。

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思考実験:血液型性格判断

血液型性格判断について、論理を単純化し、ある理想的な研究が可能だったと想定して、それから何が言えるのか、どう考えるべきか、というのを、書いてみたいと思います。

まず、いくつかの仮定。

  • 性格は、状況によらず、一貫していると考える。
  • 性格は、性格検査によって、適切に測定出来る、とする。
  • 性格は、4種の類型に分ける事が出来ると仮定する。それを仮に、タイプI・タイプII・タイプIII・タイプIVの4種類とする。それは、誰もが認め、科学的にも妥当な考えだと保証されている、と仮定する。
  • 人は、他人の性格を、行動のパターンから、適切に分類する事が出来る、とする。

次に、ある大規模な研究を仮想する。

  • 日本に居住するある程度(適当です)の年齢以上の人について、血液型の検査と、性格検査を施す。つまり、悉皆調査を行うと仮定する。
  • 調査対象の100%について、適切なデータが採れたとする。
  • そうすると、各血液型ごとの、性格類型の割合が判明する。

さて、この様な研究によってデータが得られたとして、

  • 割合に、どの程度の差があれば、「性格と血液型は関係する」、と言えるか。
  • また、割合にどの程度の差があれば、「血液型から性格を当てる事が出来る(と認識される)」という現象が、成立し得るか。

A型におけるタイプIが○○%だとした場合、他の血液型でどの程度の割合であれば、「関係する」と言えるか。仮に、完全に対応しているとすれば(たとえば、A型-タイプII 100%、B型-タイプIV 100%、O型-タイプI 100%、AB型-タイプIII 100%)、関係がある、と言える。血液型から性格を言い当てる事は、完全に出来る。←あくまで仮想なので。

そもそも、「関係する」、と、「血液型から性格が当てられる(逆も)」というのは、同じであるのか。違うとすれば、どう違うのか。どこに線を引くべきか。

ABO FAN氏が「関係ある」と言う場合、何を想定しているのか。少しでも割合に違いがあれば、関係がある、と看做すのか。そこの所が、非常に解りづらい。「強い関係・弱い関係」云々と発言する事はあるが、とても曖昧な言い方。少しでも違いがあれば「関係ある」と判断するとすれば、「関係無い」と言えるのは、ほとんど考えられない(ここら辺が、ABO FAN氏のロジックなんですかね。0で無ければ「ある」と言える、という類の。よく解りませんが)。

ここまで単純化すると、後は結構簡単な話かな…。

色々ごちゃごちゃ考えている事はあるけど、取り敢えずはここまで。

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と思ったけど、脳に残っている内に、ちょっとメモ。

血液型と性格、とするから、解りにくくなるのかな。

金・銀・銅・木で出来た箱があり、その中に、赤・緑・青・黄の玉が入っているとする。玉の合計は1300個。

それぞれの箱に入っている玉の割合は→金(520)・銀(390)・銅(260)・木(130) 箱には、4色の玉が混合されて入っている。

玉を渡されたとして、色を見て、それがどの箱から取られたものかを当てる。

それぞれの箱に、どういう割合で玉が入っていれば、「高い確率で玉の色から箱の種類を当てる」という現象が成立するか。ベイズの定理を使うのかな。

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その割合を設定出来れば、血液型と性格がその様に分布している、という仮説が、「血液型性格判断」の仮説、と言えるのか。

後は、無作為に抽出したサンプルから、血液型ごとの性格の分布を推定して、あらかじめ設定した割合と著しくかけ離れていれば、血液型性格判断は反証された(いや、反証されてるんですけど)とし、適合していれば、「成り立っている」と結論する。

これが、「血液型から性格を言い当てる」という点を考慮した仮説構築とその検証、と言える…のか?

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表面は同じようでも

これは、私自身の考えで、他の方とは違っているかも知れませんけれど。

「血液型性格判断」について言うと、たとえ生物学的に、血液型と性格に、ほんの小さな関係しかなくとも、それ(性格判断)が成立する事は、あり得ます。つまり、ステレオタイプですね。○型の人は△△の性格だ、という社会的認知が流布される事によって、実際に、血液型と性格傾向が強く連関する、という論理です。
まあ、そこまで強固にステレオタイプが働くのだろうか、というのは、疑問ではありますが。
もちろんこれは、連続的に変化する社会から、ある時期を切り取って初めて成り立つものですから、母集団をあまり拡張する事は出来ないですね。つまり、社会状況に関わらず成り立つ、という主張なら、ステレオタイプは否定する事になります。なので、主張する人が何を言っているのか、というのが重要な訳です。私が、ABO FAN氏に母集団の事をしつこく訊いたのは、そういう事情からです。

で、たとえば渡邊氏等が仰っているのは、そもそも性格概念を認めないので、血液型と性格が連関するという考え自体が成り立たない、という事なのですよね。性格という一貫したものがあるのでは無く、状況が一貫しているのだ、という考えですね。個人的には、状況論には、頷ける所があります。気質については、また別かも知れませんが。

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おかしな論法

倉庫の中に、リンゴとバナナとみかんと桃が、500個ずつ無造作に入れてあります。

そこから適当に、取りやすい所から、200個の果物を取り出し、ダンボールに詰めました。

中身は、

リンゴ:130 バナナ:40 みかん:10 桃:20

です。

で、そのダンボールを、知り合いにあげたとします。「これ、ウチの倉庫から持ってきたんだけど、あげるよ。」、とか言って。

すると、貰った人は、中身を見て、「へえ、リンゴが一杯入っているね。倉庫に沢山あったんだ。」、と言いました。

この人がいっている事は、おかしいですよね。

なので、指摘してあげました。

「いや、たまたまリンゴが多くなったんだよね。倉庫には、全部500個ずつあったんだけどねー。」

でも、こう反論してこられました。

「え、だって、倉庫に同じ数ずつあるんだったら、ダンボールに入ってるのが偏るって変じゃない?」と。

これっておかしいですよね。どう考えても。

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多分こんな感じ。具体的にはちょっと違いますけど。

細かい設定に突っ込まないように。

例:誰の倉庫よ。果物が200個入るダンボールってどうよ。八百屋かよ。倉庫に無造作に果物が入れてあるってどうよ。知り合いって、どういう関係よ。適当に取って知り合いにあげるって、どういう状況よ。

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見事な詭弁

皆さん、ちょっと考えてみて下さいませんか。

私が、

「血液型と性格は関係ある」って、どういう意味ですか?

と質問したら、

まず、心理学者の論文をお読みください(笑)。
一応、簡単に示しておくと、

松井さん データに差がない→血液型と性格に差がない
坂元さん データに差がない→思い込みによるもの→血液型と性格に差がない

もちろん、松井さんと同じ論理が大部分です。私も基本的には同じですが、二重三重にデータをチェックしています。

という答えが返ってきました。

これ、凄いですよね(コメントは、血液型と性格の、”TAKESAN  — September 19, 2007 @00:34:40”と、”ABO FAN  — September 19, 2007 @00:45:08”)。

最もシンプルな類の質問をしてみた訳です。「血液型と性格は関係ある」という言明の意味を問う、というかたちで(”「血液型と性格は関係ある」”がABO FAN氏自身の発言だというのが、ポイント)。で、その答えが、ああなのですね。

どうでしょう。かなり解りやすく、「破綻を示せた」と思うのですが。血液型性格判断を全く知らず、日本語がある程度読解出来る人に、上のやり取りを見せれば、「おかしい」と思うはずです。

なんか、鰻を掴もうとしているみたい。やった事無いけど。

ちなみに、もう一回、全く同じ事を訊ねようとしましたが、恐らく、全く同じ答え方をされるだろうから、止めておきました。

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血液型性格判断

私の、現時点での、血液型性格判断(及び、それをニセ科学と看做す論拠)に関する認識を書きます。ご意見を頂きたいです。

血液型性格判断と性格相関の違い。

関連はあって良い、傾向もあって良い。しかし、それと、ABO式血液型の情報のみから性格を当てるというのは、全く別の事だ。

多くの研究で、血液型間の性格差について有意差が見られない、つまり、「差が無いという仮説を否定するだけの充分な根拠が見出されなかった」、という結果が出ているのだから、血液型から性格を当てられるだけの関連は無いと看做すのが、論理的に当然の帰結である。

ステレオタイプの問題がある。社会的に、「○型は△だ」、という認知が形成されていて、それが実際の性格形成に影響を与える、という理論。もしそうであれば、性格形成に環境要因が大きく寄与している事を意味するから、「血液型と性格との間に、(生物学的な)強い関連は無い」という事の論証になる。これは、「ある血液型の人には、特定の性格の人が多く見られる」、という主張とは異なるが(後者は、メカニズムを棚上げにして、分布に言及しているだけだから)、これ自体、上に書いた様に、反証されている。そもそも「ニセ科学」として批判されているのは、「血液型”性格判断”」だという事を忘れてはいけない。否定されているのは、「血液型が性格と生物学的に関連する」という言明では無い。

では、もし今後、多くの研究で、血液型間で、性格の分布に有意差が見られ、それが強く関連する事が見出されればどうするか。その場合には、血液型性格判断が、信頼の置ける科学的理論だというのが示されたという事になる。それだけの話だ。ニセ科学というのは、科学的に実証されていないにも拘らず、実証されたかの如く主張されたり、周知されたりする説の事だから、現時点での「ニセ科学」という評価には、何の関係も無いのである。ところで、上で仮定した、今後の研究で強い関連が見出される、というのは、1)ステレオタイプの効果の強さを認める 2)それまでの研究にことごとく不備があった(ので、生物学的な関連を見落としていた) のどちらかを意味するので、そもそも起こり得るのかは、疑問である。ステレオタイプが性格形成に影響を与えるとして、それが、性格判断が出来る程のものになるかどうか、というのも、難しい問題だが。

実は、ABO FAN氏も、興味深い論点を出してはいるのである。それは、「どの様な研究で、どの様な結果が出れば、”血液型から性格を言い当てる程の強い関連が見出された”と言えるのか」、という事だ。これについては、そもそも、血液型性格判断を主張する人、あるいはその支持者が、統計学的・心理学的にまともなデータを出していないので、批判者がわざわざ出す事でも無いのだが、科学的考察としては、大変興味深いものではある。

ABO FAN氏のロジックはこうです、多分――ABO FAN氏:ある程度信頼のおける心理学的研究において、性格特性と血液型の分布について、有意差が見られた。これは、「関係あるデータ」と言えるのではないか→批判者:少ない項目について有意差が見られただけで、しかも結果が安定していないので、強い関連があるとは言えない→ABO FAN氏:では、「血液型から性格を言い当てられる程の関連」とは何か? どう定義されるか→批判者:そもそも、有意差すら安定的に見出されていないので、強い関連がある事自体、否定出来るのだ→ABO FAN氏:いや、だから、「血液型と性格に関係あるデータ」を示しているのだ……以下ループ

以下、追記

分布に偏りが出る場合、次の三つの理由が考えられる。

  1. 血液型と性格に、生物学的な関連があり、それが現れている。
  2. 血液型と性格に、生物学的に強い関連は無いが、偶然偏っている。
  3. 社会的認知(ステレオタイプ的な)により、自己成就現象が起こり、分布が偏っている。

上記のいずれの理由であっても、大きな偏りさえあれば、「血液型から性格が当てられる(逆も)」という現象は、起こる。血液型性格判断を肯定する主張をする場合、上記のどの論理を根拠にするか。それをしっかり分けて考えているか。一般的には、1.を想定していると思われるが。

思考実験。たとえば、悉皆調査をして、日本に住む全ての人に、信頼性・妥当性の高い性格検査を行い、血液型と性格についての分布に関するデータが得られたとする。その場合、データをどう解釈するか。記述統計の範疇なので、検定などの問題では無くなる。尤も、論理的には可能だが、実際的には不可能な調査であるけれども。

本質的な問題。「性格から血液型を言い当てられる」という現象を、どう定量化するか。難しい。

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いめえじ

全くどうでもいいんですが(実はそうでも無いから書いてる)、

やっぱり、このブログをお読みの方も、「これを書いてる人は○型かな」、とか思ったりしてるんでしょうか。

勿論、血液型性格判断を信用している、という事では無く、何となく○型っぽいな、という程度の、「印象」ですね。

因みに私は、何型がどういう性格か、という事は、知りません。色々調べても、それを記憶に留めない様にしています。さすがに、専門に研究している人なんかは、そうする訳にはいかないと思いますけれど。AB型は二重人格的だ、というよく解らない説くらいですかね、憶えているのは。

で、「○型は△△だ」、と知ってる人は、私(TAKESAN)は何型だと思うのでしょう。ちょっと知りたいです。ミニ調査、というか。それで、血液型と性格の結び付きの知識が共通しているか、というのと、文章の書き方からの人格の推測が、どの程度一致するか、というのが、解る訳ですね。

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「科学的根拠が無い」

神を信じるか科学を信じるかなんて極論は無意味!!|正直しんどい

主に心理学者の人たちなんでしょうけど

「科学的根拠がない」と主張しているんですね

主に心理学者の人、というのが正しいかは判りませんが、心理学者が「科学的根拠がない」、と主張している、というのは、その通りだと思います。

しかし僕には「科学的根拠がない」という否定の仕方が

どうも気に食わないんですよね

成る程。

もちろん「科学的根拠がない」のに

あたかも「科学的に証明された」かのように振舞う「ニセ科学」

というものが世の中にあるのは確かです

これはその通り、ですね。科学的な様でそうでは無いもの、という。

いくら先入観が働いてみんなの気持ちが「関係がある」という風に

流れたとしてもココまで多くの人が「正しい」と結論付けるかな?

そうなのだと思います。それ程、人間の認知というものは、曖昧なものなのでしょう。それを説明する概念の一つが、バーナム効果ですね。FBI効果、というのもありますが。

世の中には「科学で証明されてない事は信じない」だなんて

「科学者気取り」の「科学かぶれ」がいるのがあまり面白くないんですよ

「科学で証明されてない事は信じない」と言う人って、そんなにいますか。探せばいるでしょうけれど。確かに、そういう人がいれば、それは、認識が狭小だと言えるでしょうね。でも、私は、そんな事を言う人って、見た事無いんですよね。

今、「科学的に正しい」とされていることが

100年後には「正しくない」とされていることもあるってことですよ

それはそうですね。ただそれは、分野にもよるし、どの程度研究されるか、という事も関係があるでしょう。尤も、長年正しいとされた説が覆される、というのは、ちょっと考えにくい気もしますけれど。

ところで、(たとえば)「血液型と性格に強い関連があるという説を肯定する科学的根拠は無い」、という主張と、「血液型と性格には関係が無い」、という主張は、全く違います。「科学的根拠が無い」は、科学的研究によって支持されていない、という意味です。で、後者の様な主張をする人も、いるとは思いますが、多分それは、心理学者では無いでしょうね。心理学者にしては、あまりに不用意な主張ですから。

再度引用。

しかし僕には「科学的根拠がない」という否定の仕方が

どうも気に食わないんですよね

気に食わないと言うのは、「科学的根拠がない」という言明に、「何の関係も無い」という含みを感じているから、ですよね。そこの所の見方は、慎重にすべきだと思います。もしかしたら、意味の捉え方が、異なっているかも知れませんよ。

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ジャコビニ流星打法

なんちゃってサラリーマンの独り言: ボクは血液型マニア

この本に出会ってからの約20年間、独自に人間観察してきた経験からいうと、「血液型による傾向」というのは間違いなく存在する。
(あくまで個人の経験則と感覚的なものなので、反論されても困るからね。。。)

えっと、独自に人間観察してきた個人の経験則と感覚的なものから、”「血液型による傾向」というのは間違いなく存在する。”と言うのは、なかなか大胆ですよね。確かに、反論はしようが無いですが。

よく「血液型なんて信用しない!」という人がいるが、その発言は根本的に間違っている。
そもそも「血液型」は医学的な側面を持ち、決して占いではない。

私は、「血液型なんて信用しない!」という日本語を使った人間を、未だかつて、見た事が無いですね(多分)。血液型の何を信用しないのか、よく解らないです。「血液型が占い」、と言う人がいたら、見てみたいですね、正直。血液型が占いじゃないのは、皆知ってると思いますけれど。※揚げ足取りと言わないで下さいね。文脈を考慮しても、おかしな文章ですので。

目くじら立てて「血液型占いなんて信じない」とか「だったら、私の血液型を当ててください。・・・。ほら、当たらないじゃないか。」などという人がよくいますが、そういう人は根本的に理解していないと思われます。

うーん、「何を」、根本的に理解していないのでしょう。

「この子は父親に似て、几帳面だ。きっと遺伝したのだろう。」という文章と

「この子は父親に似て、几帳面だ。きっとA型だからだろう。」という文章は、

私にとっては本質的に同じことを言っていると感じます。

意味が…全然解らない。

実証はできませんが、かなりの確率で血液型との相関関係があると思っています。(たぶん)

だれか、実証研究して下さい。

性格と血液型に連関はあるかも知れませんけれど。「かなりの確率」は、どこに掛かっているのでしょうね。あ、勿論、「思う」のは、全然構いませんが。それにしても、「だれか、実証研究して下さい」て…。

血液型と組織行動との相関について、実証研究をやりたいのだが、誰もとりあってくれないだろうな・・・。

いや、やってみれば宜しいんじゃないでしょうか。そういう環境におられるのであれば。興味を持つ人は、いるんじゃないですかね。

で、結局の所、何を主張なさりたいのでしょう。

※「ジャコビニ流星打法」は、漫画『アストロ球団』よりの引用です。

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真の連帯って、何よ?

■いま解き「ナゼ信じてしまう!?血液型性格診断」

うーん、『VOICE』、相変わらずGJだなあ。

「血液型性格診断を広める活動を行っているNPO」の、

血液型人間学は人間の本質的な共通性を探ろうとするものであり、その目的は社会の真の連帯と人間愛を育てることにある

これ、余りにも、意味が解らないんですが。

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多分違う

血液型人間学(吉岡英介氏のサイト)

何度か読んだ事があるのですが、ちょっとどうかな(どころじゃないか)、という論理展開です。と言うか、意味がさっぱり解らないです。

吉岡氏って、きくちさんやこなみさんやapjさんが批判しているものを擁護する、というのが、基本姿勢みたいですね。

で、それはともかく、と言うか。

能美正比古

では無く、「能見正比古」氏ですよね? 表記を替えた、という事ではありませんよね。いや、「能美」で統一されているので、もしかしたら、その時期もあったのかと思いまして。ググっても、十数件しかヒットしないし、誤字だとは考えてますが。

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区別

昨日のエントリーについて、返答を下さっていますね⇒研究とか日記とか : 疑似科学(エセ科学?)とか

えっと、「外部に知られる」についてですが、Technoratiとかでブログ検索して、気になったものに言及しています。

やっぱり誤解なさっているかも。
ニセ科学に対する批判は、「科学らしさ」を標榜したり、科学的根拠があると広く信じられている説(だが根拠不充分な説)に対するものですから、民俗科学を現代の実証科学の視点から批判するのとは、ちょっと違う訳です。水伝にしろ、ゲーム脳にしろ、自然科学的に実証されたと主張されており、その点を批判されているのですから。

血液型性格判断については、能見親子等が、実証されたと主張しましたが、それを心理学者が追試2007年11月1日追記:追試、とは言えないかして、反証された訳です。勿論、性格をそもそも測定出来るか、という心理学的問いは成立しますが、それは又、別の文脈です。状況が大きく変わらなければ、性格もある程度一貫していると想定して、それは、性格検査では、ある程度の確度で測定出来る、と、私は考えています。人格心理学的には、色々な議論があるでしょうけれども。

まー結局は反証不可能性?ということでエセ科学ってことになってしまうんでしょうけど,反証不可能な理論って,実は人文系とかにはたくさんあるわけで。

前にも議論になりましたが(Interdisciplinary: 血液型性格判断はニセ科学 コメント欄)、反証不能だからニセ科学、という事では無いですね。ニセ科学は、「見かけは科学のようでも、実は科学ではないもの」(ニセ科学入門)であり、実証されていないのに、実証されたかの如く主張される説、の事です。血液型性格判断は、反証されているのに、実証されているかの様に思われている説(余りにも一般に流布されていて、そこに、明確な「科学性」がイメージされているとは限りませんが、血液型という生物学的因子をもって、性格を説明する、という考えですから、そこに科学的な根拠は意識されている、と見るのが妥当だと思われます。社会心理学等で、そういう実態を調べた研究があるかも知れません)、ゲーム脳は、そもそも主張する側が、充分な根拠を提出していないものです。水伝の場合は、現代科学と著しく整合性を欠く、或いは、価値観を自然科学的論理に求める、という所が、ニセ科学であると批判されている訳です。

人魂とかUFOとか占いとかのしょぼい仮想敵ではなくて

UFOはともかく、人魂とか占いを、「ニセ科学」批判の文脈で語る人は、いないと思います。上記の菊池氏の文章より引用します。

 一方、「ニセ科学」という言葉で超能力やオカルト、心霊現象、あるいは星占いのたぐいを思い起こす向きもあろう。この中で超能力(テレパシーや予知、念力など)については「超心理学」という学問分野まで存在するので「ニセ科学」と呼べるだろうが、オカルト・心霊などはそもそも「科学的」な外観を持たないので、ニセ科学とは呼ばない。オカルト信者自身、オカルトを「科学」とは考えていないだろう。

こういうものをどう扱うべきか、という事に関しては、科学者も、色々な態度を取るのではないでしょうか。それは、ニセ科学批判の文脈とは、異なると思います。私は、少なくとも、テレビ等で、ゴールデンタイムに積極的に流すべきでは無い、と考えていますが。

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