STS
なぜ私が、STSに関わると称する論外な人達を幾人か観察した事をもって「STSは~」と一般化する、という物言いに対し、過度の一般化は危険だから止めた方がいい、と くどいくらいに言い続けるかと言うと。
自分自身が、少数事例の観察から即「○○は~」と理不尽に決めつけらているのをいくつも見聞きしているし、また自分もそのように決めつけられる事があるからなのです。それこそ、「科学者は」「理系は」「文系は」という、このブログを読んでおられる方ならしばしば見ているであろう表現を思い浮かべれば良い。あるいは、「ゲーマーは」「オタクは」みたいなもの。自分が関わっている分野でそう評されるのを見れば、おいおい待ってくれよ、てなるでしょう?
科学関連だと、科学哲学や科学社会学なんかもそうだろうと思います。科学哲学者は科学を相対化してメタな事しか言わない連中だ、みたいな一般化とかね。実際は、一口に科学哲学と言っても、色々な立場の人がいる訳です。たとえば伊勢田さんのように、実際の科学者の活動にも目を向けて極めて慎重で綿密な考察を行う優れた科学哲学者もおられるのですから。
しかし、色々な立場の者がいるといっても、何か「平均的」な、いわば「傾向」のようなものはあるのではないか、と考える人もいるでしょう。それはおそらくその通りでしょう。分野の通説みたいなものもあるだろうし、中心的な論にコミットする論者が多ければ、そこには「山」のようなものが出来ているのでしょう。
だけれど、その事を本気で主張したいのであれば、「確かめなければならない」のです。ある学問に関わる論者の全体像を捉え、そのありさまを精確に写しとって分析し、傾向や志向を客観的に明らかにする必要がある。そして、そのやり方自体が高度に学問的(社会科学的)な営みであるのです。
その事を踏まえ、小標本の観察に基づいて分野全体を云々する人に問いたいのは、本当にそう主張して良いだけの強い「証拠」はあるのか、主張を補強する説得力のある論を展開せよ、と要求された場合にすぐ応じられるだけの構えはあるのか、という事です。STSを標榜して訳の解らない事を主張している人が数人いるのを見て、「STSは……」と言う人は、そんな「主語の大きな」主張をするだけの知識を持っているのか、つまり、「あなたは自信を持って”STS”なる分野について語れるほどその分野全体を知っているのか?」と問われて的確に説明が出来るのか、と。
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コメント
方法としては、STSを標榜する研究者からアンケートを採って分析するとか、その分野で主要とされるテキストを精査して代表的な論の傾向を明らかにする、などがあると思うけれど、それ自体がちょっとやそっとじゃ出来ない大仕事。
調査論的な視座を持っていない人は足をすくわれる危険があるので、注意しましょう。それもくどいくらい言ってきた事だけど、こういうのは何度でも繰り返し言い続けないと。聞かない人は聞かないから。
でも、「ああ、あの時言ってたのはこういう事だったか」となる時がくる(かも知れない)ので。心の片隅に置いてもらえれば儲けもの、くらいでやれば良い。
これだけ書いてるのを何度も読んでる人の中にも、未だに統計の本や社会調査の本を一冊たりとも見ていない、て人はいるでしょう。本当は、それはお話にならないのです。だけど、コストかかるし、他人が勧めているのをすぐ自分も、とはなかなかならない。よほど尊敬してたり好きだったりする人が言ってるものでもなければね。
だから繰り返す。
------
医学領域ではEBMの重要さを力説しておきながら社会方面では思い切り不用意な一般化をする、では笑い話にもならないので。
投稿: TAKESAN | 2011年11月 2日 (水) 19:40
たとえば、大槻教授のテレビでの振る舞いをもって「物理学者」「科学者」「学者」という風に一般化して語られる(例:私)のを苦々しく見ていた人はたくさんいると思うんですよね。要するにそういう話です。
投稿: TAKESAN | 2011年11月 2日 (水) 19:55
不完全性定理をまるっきり誤解してとんちんかんなイチャモンをつける哲学っぽい人をつい最近みつけちゃいました。
http://hdl.handle.net/2297/27082
私の感想は、「数理哲学でもスタージョンの法則が成り立っているんだ」です。
そういう話ですよね。
投稿: かも ひろやす | 2011年11月 2日 (水) 21:51
かも ひろやす さん、今晩は。
何の偶然か、ちょうど昼に、こちらを見た所でした⇒http://d.hatena.ne.jp/nuc/20100716/p1
ほんの数時間前に目を通したSTSの本の記述がひどくてそっと閉じたりした、なんて事もありますが(実話)、それでもステレオタイプ(ネガティブな意味を含めている)形成は避けなければならぬ、という事で。
でも、業界自体が狭ければ、網羅的に検討する事は可能なので、それが出来るかどうかもポイントではあろうと思います。言及範囲を狭めて、たとえば「大手新聞社の報道は概ね○○だ」みたいな評価も、期間を区切れば、そこそこの労力で達成出来るでしょうし。
もちろん、STSがどうかは知りませんけれども。個人的には、STS関連の本や論者の意見で参考になったと思った事はありません。まあ狭い経験の話です。出来れば10%に含まれるものに出会いたいのですが。
投稿: TAKESAN | 2011年11月 2日 (水) 22:45
と、今の書き方だと、90%はダメだ、と私が考えているみたいに見えてしまう。
もちろんそんな事は無いですので(そもそも本格的に勉強しようと思うほど興味を持っていない)。あまり考えずに書いてしまった。
投稿: TAKESAN | 2011年11月 2日 (水) 22:50
ちなみに、STS周辺のやり取りを見て持った感想はこれです。
http://b.hatena.ne.jp/ublftbo/20111031#bookmark-65614537
多分「市民」に属する者、としては、平川さんや春日さんの意見は、何ら参考にならないし同意も出来ませんでした(超絶穏当表現)。
そもそも、そこで言う「市民」がどういう概念か解らないのもありますが。直感的に、市民バカにしすぎだろ、みたいな事は思いましたけど。
ところで、余談。
欠如モデルを科学者が想定していてそこに批判が起こった、という話がありますが、日本でそんな事実は本当にあったんですかね(他国の話は今は興味無い)。素朴にもそんな単純な構図を設定している科学者など見た事無いんですが(よく、かも ひろやす さんもkikulogで、単純な話じゃ無い、と仰っていましたね。オウムの話題で、でしたっけか)。
http://togetter.com/li/145435
ここ見ても全然解らないし。てか、平川さんは、「科学界」(随分広いが)は今もって欠如モデルである、と言っているのかな。
市民としては、より正確な科学の知識が欲しい。それによって色々な情報を選別出来るようになる、と思っているんですけどね。だって知識は大事なんだから。
投稿: TAKESAN | 2011年11月 2日 (水) 23:15
「科学者以外への、正確な科学知識の普及が重要である」と主張・宣言する事は、「それさえ出来れば充分である」と主張するのと同じでは無いですよね。
えっと、さっきのtogetterで平川さんが、小林氏の言葉として、
▼ 引 用 ▼
・・・世界の流れからいって、市民に科学リテラシーを与えるだけでは話にならないということは分かっているわけで、
▲ 引用終了 ▲
て書いてますね。これ首を傾げた。だって、「科学リテラシーを与える”だけ”」て。科学リテラシーてのはそもそも、科学的な方法や知識を得る事と共に、与えられた情報をそれらの知識に基づいて上手く選別する能力、をも含んだような概念ですよね。じゃあ、それが得られれば「充分」じゃあないですか。そもそも複合的な能力を含んでいるんだし。
揚げ足とり?
投稿: TAKESAN | 2011年11月 2日 (水) 23:26
>TAKESANさん
お久しぶりです。ご指摘の問題については、オレは個人的にはいつも「〜と世間から視られるよ」と謂う観点で話をするようにしていますね。で、STSと謂う学問の性格からして「世間の視る目」って大事じゃないの?と謂う理路ですね。
投稿: 黒猫亭 | 2011年11月 3日 (木) 12:06
福島原発事故関連で一部のSTS専門家の発信が注目されています。
私も自分のブログで特定のSTS専門家を批判しました:
http://blog.livedoor.jp/kamokaneyoshi/archives/53049475.html
福島原発事故以前には私はこの世にSTSなる学問があるとは全く知りませんでした。最近、ウェッブ上でやや系統的に調べましたが、私の現在の結論としましては、私が批判した方のスタンスはむしろSTSの主流と考えていいということです。代表的例として、藤垣裕子氏の論説を挙げておきます:
科学と社会のインターフェイスのために:
http://www.natureinterface.com/j/ni03/P74-75/
http://www.natureinterface.com/j/ni04/P100-101/ http://www.natureinterface.com/j/ni05/P92-93/
http://www.natureinterface.com/j/ni06/P90-91/
もちろん、私が「主流」呼んだものを批判する専門家もおります:
http://blogs.dion.ne.jp/surontiko/archives/10325855.html (福島真人)
http://kenjiito.org/xoops_jp/modules/Research/index.php?content_id=5 (伊藤憲二)
また、理系の人によるSTS批判の論説も見つけました:
http://cse.niaes.affrc.go.jp/minaka/files/minaka-ss.html (三中信宏)
おおむね首肯できますが、全面的に賛成ではありません。
投稿: kamokaneyoshi | 2011年11月 6日 (日) 13:06
追伸
先ほどのコメントにURLを入力したときに、そのサイトの主のお名前をURLの後に全角スペースを挟んで括弧に書き入れたところ、コメント欄の表示ではURLに繋がってしまいました。以下に、URLのみを記します:
http://blogs.dion.ne.jp/surontiko/archives/10325855.html
http://kenjiito.org/xoops_jp/modules/Research/index.php?content_id=5
http://cse.niaes.affrc.go.jp/minaka/files/minaka-ss.html
投稿: kamokaneyoshi | 2011年11月 6日 (日) 13:13
私がいくつか参照したSTS関連の書物でも平川氏の論考を見かけました。当該領域において著名な方なのかな、という感じはします。
個人の観察範囲内の言説(twitter上の幾人かの主張)においては、「要するに一体何がしたいのだ?」としか思えないものばかりですが(参考にする価値などどこにも無いとすら思いました)、分野総体として評価するには知識が足りていないというのが現状です。
STS、あるいは科学論と言うと、金森や村上辺りも絡む議論になってくるのかな、という印象も持っています(目立つ論者という意味で)。
私自身は、「科学自体」を、つまり様々な科学の分野の具体的な知識を専門書や普及書を読んで勉強する事が、科学の営み(あるいは社会的な位置づけ)をより合理的に理解出来る道なのではないかな、と考えます。ベタより先にメタなものを見ると碌な事が無い、というのが経験則なので。やるとしても、科学哲学や科学史のガチガチの学術書を読むのが先でしょうね。
三中さんの文をざっと眺めてみましたが、さすがに面白いですね。いいものを紹介頂きました。ありがとうございます。
投稿: TAKESAN | 2011年11月 6日 (日) 16:14
福島原発事故関連での一部のSTS専門家の発信を単純化すると次のようになります。
すなわち、
1.原子力発電は科学の応用である。
2.福島原発事故によって国民は多大な被害を受けた。
3.従って、科学および科学者に罪がある。
ところが、原子力発電が可能であることは科学で示せるが、原子力発電を採用するか否かあるいは安全対策をどこまでやるべきか、は科学の問題ではありません。
どこに責任があるかをさておいても、放射能が拡散した以上、それに対してどのように対処するのが合理的かについて科学者が発信することは重要です。ところが、一部のSTS専門家は、問題を科学者と市民の対立と捉えて、一貫して科学者に対して「自己批判」を迫っているように見受けられます。私から見れば、彼らは「敵」を見誤っていると言わざるを得ません。
投稿: kamokaneyoshi | 2011年11月 6日 (日) 18:30
レス書いてたら、まとまった意見になったので、エントリーとして上げてみました。
http://seisin-isiki-karada.cocolog-nifty.com/blog/2011/11/post-d0ba.html
投稿: TAKESAN | 2011年11月 6日 (日) 18:58
そういえば、「社会は専門家と素人だけで構成されているのではない。その中間に位置する多種多様な人々を無視した議論は粗雑すぎる」をどこかに書いた記憶があります。kikulogだったかな。
たとえば、震災直後からしばらくの間、NHKでは山崎淑行科学文化部記者と水野倫之解説委員が交代ででずっぱりで、当時、お二人の一言一言が全国に大きな影響を与えていました。お二人とも、地震についても原発についても専門家でも素人でもないですよね。専門家でも素人でもない人の影響力がはっきり見えた実例のひとつです。
逆に、専門家でも素人でもない人が影響力を発揮できなくて事態を悪化させた例のひとつが、水伝問題です。あの時、「小学校で理科を教えている先生たちは何をしているんだ」という声がありました。小学校で理科を教えている教員も、専門家でも素人でもありません。その人たちが影響力の発揮に失敗した学校で、一気に水伝汚染が広まったのです。専門家でも素人でもない人の役割の重要性を、失うことによって裏付けています。
ということで、「科学者」と「市民」の二分法をとっているだけで、粗雑すぎてダメダメな議論ですね。学術的にも社会的にも無価値です。
投稿: かも ひろやす | 2011年11月 7日 (月) 17:22
かも ひろやすさん、今晩は。
▼ 引 用 ▼
そういえば、「社会は専門家と素人だけで構成されているのではない。その中間に位置する多種多様な人々を無視した議論は粗雑すぎる」をどこかに書いた記憶があります。kikulogだったかな。
▲ 引用終了 ▲
kikulogかpoohさんの所で見た気が。
ああいうやり取りを見てて、私はまず、「自分」の事を考えた訳ですね。
つまり、私は自分の立場を、「科学の専門家では全く無いけれども、たまたまあるきっかけで強く科学に興味を持ち、少し知識を得た」という位置づけだと認識しています。
恐らく平均からすれば、かなり科学を「知った」部類で、そこにいる人間で、かつ「多分、市民」である者としては、じゃあ私みたいな、専門家じゃ無いけど科学が好きで(今や、「好き」と言えます)、実際に、WEB上ではあるけれど科学者と直接やり取りして色々教えてもらい(しかも「無料」で。これは非常に大きな要素)、その真摯な姿勢に感心している、というような心理の人間はどう看做されるの? と疑問に思わないではいられないのですね。
そういった自覚の人は、少なく無い、と推測します。果たして、そういう人なども入り乱れる現状の社会というものをどこまで単純化して良いものなのかな、と。
私としては、生意気にも、科学者への誤解や偏見を取り除くべく、科学者の発言をフォローしたり、というのを心がけていますが(当然、批判もします)、それは、自分自身の持っていた偏見等の思い込みがあるのは、好ましい情況じゃ無い、と思っているからなのですね。そうする方が、徒に専門家とそうで無い人々との対立の構図を設定していくよりも、よりポジティブだし合理的なのではないかな、と考えています。
---------
こう言うのを見ると、科学者を擁護したいのか、と批難されそうですが、その通り、私は科学者を擁護しています。不当に評価されているのであれば、当然そうする。私がやりたいのは、正確な評価と位置づけであって、それは証拠に基づかなくてはならない。証拠無しに決めつけられるようなものがあれば、それは証拠不十分だとして反論します。エア御用然り。
投稿: TAKESAN | 2011年11月 7日 (月) 18:02
科学者と言えども人間ですから、科学者集団は世の中の他の集団と比較して倫理的に特に高いとは言えないし、逆に低い訳でもありません。業績、地位(ポスト)の獲得、研究費の獲得などでの競争もありますし、不正だってあります。高い倫理を持った人からどうしようもないほど利己的な人までいるという点でも世の中の他の集団と同じです。従って、科学者集団を一まとめにしてそれが善とか悪とか議論することは無意味です。この点で一部のSTS専門家はナイーブ過ぎると思います。
投稿: kamokaneyoshi | 2011年11月 7日 (月) 23:55
kamokaneyoshiさん、今日は。
科学者達の倫理性が他集団に比較してどの程度なのか、というのは多分社会心理学的な事でしょうから、それについての知見を持たない私としては気の利いた事は言えませんが、科学者にしろ医師にしろ弁護士にしろ、それぞれの職業において倫理性は要請され、各集団内でも色々な人ある訳ですね。
科学研究上の不正のニュースもしばしば見かけますし、論争の仕方にもバリエーションがあって、まあ様々だよな、とは外から見てて思います。
投稿: TAKESAN | 2011年11月 8日 (火) 13:19
なんかちょっと吹き出してしまったんですが。
STSの資料に、「欠如モデル」の定義として、
http://eprints.lib.hokudai.ac.jp/dspace/bitstream/2115/18943/1/JJSC-57-71.pdf (PDF)
▼ 引 用 ▼
欠如モデルとは「専門家と非専門家を固定的に対置し,科学知識が前者から後者へと一方向的に流れ,後者はそれをただ受け取るだけ,ととらえる」考え方である(杉山 2005, 263).
▲ 引用終了 ▲
こういうのが援用されていました。
「専門家と非専門家を固定的に対置し」って、どこかで見るような主張ですね。
うーんと、この引用部について、後でエントリーを上げますかね。読者の方に協力を仰ぐ系の。
投稿: TAKESAN | 2011年11月11日 (金) 17:00