« マンガでダーウィンを読む | トップページ | 科学コミュニケーション――噛み砕け »

2011年11月17日 (木)

何が釣りだ

はてなブックマーク - Twitter(別名デマッター)でネットジャーナリストを釣る方法(フリージャーナリスト) - 愛・蔵太のもう少し調べて書きたい日記

見知った名前もいくつか見られますし、訊きますが。

あなた達は、この種の「釣り」も時には重要な役割を果たすのだ、みたいな認識を持っているんですか?

そんな行為によって何が齎されるのです? 浅はかな事をしてきた人達の本質的な不用意さが炙り出される、とかそんなのですか?

それとも、本人が不用意さに気づいて自戒する、みたいな事が期待される、とか思っているのですか?

こんなの、そもそも(挙げられた対象の)浅はかさを知っている人々が、実際に対象が釣られたさまを見て嘲る、以外に何かあるのですか。何らかの生産的な方向に行く可能性があるのですか?

本人達が自戒する? そんな事があり得るのですかね。あんなやり方で。私には想像も出来ませんが。

まさか、人の無様な振る舞いを見て自分も気をつけよう、と思わせる効果がある、とかそんな事ですか? 他人を利用して?

解ってる人は見て笑い、対象、及びその支持者は怒り狂う。そんなもん、充分予想出来た事じゃないですか。だって、そもそも対象を、どうしようも無いくらいに不用意な行動をする人々と看做していた訳でしょう。これを焚きつけると言わずに何と言いますか。そして、実際にそうなり、また嗤う。思い通りになって、さぞ快い事でしょうね。

あなた達は、自分や、自分が親しんでいる事とか人とかに同じ行為されても、許容出来るのでしょうね? 文脈によっては仕方無い、と寛容になれるんですよね? あまりにも不用意な人間は、あのくらいされて然るべきであろう、とでも思っているのでしょうか。

まさか、自分達はあのような失態は起こさない、などと考えてはおられますまい。

えっとですね。あんな事されたら、「普通怒る」(「怒り方」には色々あるだろう)。あったりまえじゃないですかそんなの。で、怒ったら(そもそも「怒らせようとしている」)、見ている人は引っかかったと嗤う。いや、大したものですよ、実際。狡猾さと悪質さのレベルという意味で。しかも、まさか釣られるとはねえ、みたいに言い抜けられるような書き方をしている(そしてブクマでは、あんなのに引っかかるなんて、みたいな反応が多数)。

皮肉も冗談も、押し付けるものでも一方向で成り立つものでも無いですからね。皮肉だと解れよ、という物言いがどれほどか暴力的なものかを認識する事です。

「ネタにマジレスとかアホか」みたいな事をどれくらい受け容れるべきかどうか、とかよく考えてみましょうね。

物事を「面白い」と思った時、そこにどす黒いものが渦巻いていないか、一旦落ち着いて内側を見つめたい所です。

|

« マンガでダーウィンを読む | トップページ | 科学コミュニケーション――噛み砕け »

社会論」カテゴリの記事

コメント

あのやり方を肯定しちゃったら自分に同じものが来ても文句は言えないでしょうな。僕なんかあそこまで仕込まれたら、ものによっては釣られかねないし。
見知った名前がいくつかあれを肯定的に捉えていたのもなんというか微妙でした。いつも僕らは“なんの分野”に関わっていたのかな?と。ニセ科学批判などに関心の高い人たちだったので。

投稿: | 2011年11月17日 (木) 12:13

こんにちは。

件の記事は、釣りにはなってないですよね。そしてネタでもない。
こうするとこの人たちはきっとひっかかるよ、という内容であり、あからさまに馬鹿にしたのであって、キツイ皮肉ではあると思いますが、釣りやネタではないと思います。

ふまえて。

私は、かのネットジャーナリストの人たちも、べつに面白がっていい加減な情報を流しているわけじゃなくて、彼らなりの正義とか、リスク評価の上でやってるんだろうな、と思ってました。自分だって、そうですし。
でも、怒り方が予想外だったので、少し驚きました。

投稿: A-WING | 2011年11月17日 (木) 12:36

皆さん、今日は。

>梨さん

私達は散々、ネタにマジレス上等、という風に言ってきた訳ですよね。今までどういう事を議論してきたんだっけ、て。そこら辺とどう整合をつけるのかな、とは思います。
「釣り」って、本気の反応を受け付けないような返しを正当化する、という構造がありますね。何ネタにマジになってんの?とか、こんなもんに釣られるなよ、とか。ある程度クローズな場で冗談を言い合っている所に乱入してどうこうというのならともかく、不特定多数が見る場に発信しておいて、てのはおかしいんじゃないかと思います。

>A-WINGさん

私もそう思っています。一応、書き手が「反応を誘う」という意味で釣りという風に表現は出来ますが(なので私も今の所そう書いてはいます)、WEB上で言われる所の用法(誤りを混入させてそれを本気だと思わせる)とはちょっと違ってるかな、と。広義でそう表現する事は出来なくも無いのかな、といった感じでしょうか。
で、実際的には、ブクマでもあったような「挑発」とか、私がここで書いたような、焚きつける、といったようなやり方だと表現出来ますね。

後段、つぶやき群からは私もそう推測しています。
多分、正義感等からやっているんでしょうね。そして、自身の浅はかさを認識しつつとか、拙速かも知れないが取り敢えず出す、というのでは無く、「充分出来ている」と認識した上での行動なのだろうと。あくまで推論ですが。
で、そういう人々に「解ってもらう」のに、ああいうやり方はどう考えても逆効果でしょうね。そして、kuratan氏はそもそもそんな事は目指していないでしょう。それよりも、対象をダメだと思っているギャラリーの認識を強化させようとするとかそんな感じかも知れません。

投稿: TAKESAN | 2011年11月17日 (木) 12:58

こんにちは、TAKESANさん。放っておいても出てくる話がありそうなので、書いてしまいますね。

レベルは大きく違うんだけど「ソーカル事件」を思い浮かべてしまったんですね。TAKESANさんに説明する必要は無いと思うけど、お読みの方のために説明すると、フランス哲学というのは、デカルトとか輩出したみたいにもともと数学との関係が結構深いのね。でもって数学がその難解さを深めるにつれて、フランス哲学の一部に「数学の概念を引用して自説を述べながら、その数学の意味を理解していないのではないか」という論者もいた訳ですね。そこに物理学者のアラン・ソーカルがでたらめな数学理論をでっちあげて、それに哲学論の衣を着せた論文を哲学雑誌に投稿したら、載ってしまったという事件です。偽論の投稿という倫理問題も含めて結構大きな議論になった訳です。

まあ、今回の話はたぶんレベルが低すぎてソーカル事件と比較する話ではないと思うんですけどね。

投稿: 技術開発者 | 2011年11月17日 (木) 15:42

実は、以前にこういうエントリーを書いた事があります⇒http://seisin-isiki-karada.cocolog-nifty.com/blog/2006/08/post_ee63.html

私自身は、ソーカルの行為は科学者としての倫理に悖るものではないかと思っていますが、これは色々評価が分かれる所でしょうね。
もちろん、「『ソーシャル・テクスト』誌の能力は別の話として」。

投稿: TAKESAN | 2011年11月17日 (木) 17:18

あれを読んでの感想は「困った、溜飲が下がっちゃった」です。
釣りにはベタで対応すべき、釣りはすまいなどと考えていますが、「釣りがいけない」と考えたことは一度もありません。
釣りをしない理由もベタの時にベタと受け取ってもらえないと困るというだけの話で。

投稿: objectO | 2011年11月17日 (木) 18:32

objectOさん、今晩は。

多分私は、「釣りはいけない」と思った事は無いと思います。あれを昨今言う釣りと呼べるかは知りませんが。

最後の段落に書いたような事を言っている訳ですから。
要するに、「ざまあ」となった人は、一旦立ち止まって考えてみた方が良かろうという話です。

投稿: TAKESAN | 2011年11月17日 (木) 18:49

私は「虚構新聞も許しがたい」と言った事はたぶん無いと思うんですが、どうなんでしょうね。
自分で忘れているかも知れないので、文字通りそういう発言してたのを見つけたら教えて下さい。

投稿: TAKESAN | 2011年11月17日 (木) 19:47

こんにちは、TAKESAN さん。

>私自身は、ソーカルの行為は科学者としての倫理に悖るものではないかと思っていますが、これは色々評価が分かれる所でしょうね。

変な話をすると、中島誠之助が「自分の養父の時代には、骨董屋が骨董屋を偽物の骨董で騙す事は悪い事と思われていなかった」みたいな事を書いています。「目利きの腕比べ」みたいな意識があったそうです。と、同時に中島誠之助は「自分は養父が同業者を騙すのを見るのが嫌でたまらなかった」といった事も書いていますし、そういう雰囲気が骨董商全体を世間から「詐欺師と紙一重の商売」に見られるもとともなってっていたのではないかという事も書いています。

単純に考えると「目的は手段を正当化しない」の一言に集約されて仕舞うわけです。骨董商の目利き能力を切磋琢磨するという目的や、劣悪な哲学評論家あるいは評論誌の正体を暴くという目的があっても、手段として取るべきでない事というのはある訳です。

投稿: 技術開発者 | 2011年11月18日 (金) 08:07

技術開発者さん、お早うございます。

私は、社会制度としての科学をより良く運用していくには、やはりそこの所は健全に保つべきであろうと思います。論争や苛烈な批判は大いにやるべきですが、釣り(ソーカルはまさにこれ)行為は好ましく無いと。

で、それは別にして、論文を検討した人々の浅はかさや能力の程度は批判されてしかるべきなのでしょうね。前に、かも ひろやす さんだったと記憶していますが、ソーカルの論文は、当該領域の知識を持つ人ならば簡単に見抜いてしかるべきレベル(つまり簡単)のものであった、という評を見た事があります。そうであるとすれば、良質なもの以外を篩い落とすという、学術的に適切なクオリティを保つ機能が無いという事なので(あるいは、理科系の知識の、文科系分野における不当な援用を許す流れを作る)、それは強く批判されて良いと考えます。

・ソーカルの論文投稿のやり方は科学者倫理に悖る
・ソーシャルテクスト誌や他の論者の不用意さは責められてしかるべきである

この両方は同時に成り立つ、と思います(ソーカルとブリクモンが書いている論旨自体には賛同するものです)。

投稿: TAKESAN | 2011年11月18日 (金) 09:54

こんにちは、TAKESANさん。

>それは別にして、論文を検討した人々の浅はかさや能力の程度は批判されてしかるべきなのでしょうね。

ちょうど今、私が投稿した論文に査読者からのコメントが返ってきていて、その回答に悩んでいたりするんですね(笑)。どうやら、ソーカル事件の頃にはソーシャルテクスト誌には査読制度が無かったみたいですね。人文学の世界を自然科学の目で批判するのは良くないかも知れないけど、自然科学の世界では査読のない雑誌への記載は基本的に発表とは認められないくらい評価が低いので、そういう評論誌が哲学評論として価値を持っていた事の方に驚いたりするんですね。

私はある学会が論文誌を創刊し、それが二十数年かけて名の通った論文誌に成長する姿を見てきたという経験があるんですね。初期の頃に編集に携わる先生が学会の口頭発表の会場を回りながら「君、今の発表を論文投稿する先はもう決めているかね、もし決まっていないならこの雑誌に」なんて「一本釣りしていたのも知っています(というか私も釣られた)。「お声がかり」の投稿だと楽に掲載されるかもという色気で投稿したら、非常に真面目で緻密な査読を受けて粗雑な論文しか書けない私にはとても辛かったんですけどね(笑)。でも、たぶん、その初期の頃の非常に真面目で緻密な査読こそが、その論文が名の通った評価の高い論文誌に成長した要素だったんだろうと思っています。

それに比べて今回の査読者ときたら・・・いや、これはただの愚痴です(査読者の指摘に愚痴を言わない投稿者に逢った事がない:笑)。

投稿: 技術開発者 | 2011年11月18日 (金) 11:23

制度としての科学はどうあるか、またどうあるべきか、というのは科学社会学等の対象でしょうけれど、その観点から言うと、ここは守らねばならない、というラインみたいなものはきっちりしとく必要があるんだろうな、というのを思いますですね。知の体系としてのクオリティを保つためにも。

投稿: TAKESAN | 2011年11月18日 (金) 12:31

twitterで、このエントリー、常用漢字外の漢字が使われていて(調べたら、漢字136字中、常用漢字外が8文字)読めない、というご意見がありましたが、それについては、この種のエントリーでは、読みやすさを考慮して漢字をなるだけ使わない、という事はしないので、ごめんなさい、です。読めない所はググるなりするか、文章自体を無視してもらうか、いずれかにして頂ければ。

投稿: TAKESAN | 2011年11月21日 (月) 09:58

もし、@tozp氏の知り合いの方がいれば、↑ コメントを教えて差し上げてください。

投稿: TAKESAN | 2011年11月21日 (月) 10:00

はい、ソーカルの例のインチキ論文は、とてもわかりやすいインチキです。論文のいたるところに、これがインチキであることを示す手がかりが埋め込んであります。巧妙なインチキを仕組んで編集者を騙したように伝えられていたのに、実際に読んだらバレバレなインチキで、拍子抜けしました。

投稿: かも ひろやす | 2011年11月21日 (月) 13:46

かも ひろやす さん、今日は。

あ、ありがとうございます。やはりそうでしたか。

確かその論文は、『知の欺瞞』に収録されていますね。

---------

ところで、はてブより。
▼ 引  用 ▼
aoi_tomoyuki twitter, はてな 釣りというよりは辛辣な皮肉。相手を小馬鹿にして反応をニヤニヤしながら待っているような記事だった。反省を促したいのなら真正面から批判記事を書くべきだと思う。馬鹿にするなら綺麗事は言うべきではない。
▲ 引用終了 ▲
これ、最初、私に向けて書かれたものかと思ったのですが(「綺麗事」がこのエントリーの事かと思った)、よく読んでみると、kuratan氏を指していると認識しました。
私の話だと思ってidコールでaoi_tomoyukiさんに質問をしたのですが、私の誤読のようなのでブクマコメント書き直しました。わざわざコールしてしまってすみません。失礼しました。

投稿: TAKESAN | 2011年11月21日 (月) 15:02

はてブより。
▼ 引  用 ▼
filinion メディア, web, 賛成できない "実際に対象が釣られたさま"って、あの記事のような形では釣れてないのでは。あれで激高したネットジャーナリスト諸氏が"推進派のデマ"に警戒して情報の信憑性を確認するようになることはあり得るしあって欲しい。
▲ 引用終了 ▲
「釣られたさま」とは、「挑発に乗った」みたいな事でしょう。kuratan氏が書いたようなかたちでは無い、というのは解り切った上でこのエントリーは書かれています。そもそも私は、はてブのページにリンクし、ブクマつけた人、とりわけ、私が知っている人に対して、ああいうやり方を許容出来るんですね?と問うている訳です。
あのやり方で、対象が
▼ 引  用 ▼
"推進派のデマ"に警戒して情報の信憑性を確認するようになることはあり得るしあって欲しい。
▲ 引用終了 ▲
こうなると言うのは、あまりにも希望的観測が過ぎるでしょう。そもそも攻撃的であったり他人の(批判的な)話をあまり聞き入れなかったりといった態度がしばしば見られる人に対しあのやり方をするのは、可能性としては改善する事はあるかも知れないね、というくらいでしょう、せいぜい。
後、ああいうの(kuratan氏のエントリーのごとき)がまかり通るのは端的にまずいんじゃないですかね。不用意な人に皮肉を言う、というのはまああると思いますが、度を越している、というのが私の認識です。結局、「恥をかかせる」方略なんですから。

今の所、相手は強く怒り、特に反省の徴候等は見えないようですね。その点では功を奏しているようには思えません。尤もこれは結果論ですが。
「こうなるかも」というのを幾らでも重ねれば、何とでも言えますので。

ちなみに私は、仮にあのやり方で対象が反省し、行動を改めたとしても、その方法に賛成はしませんからね。ある点で合目的的であれば方法自体を正当化する、というのはごめんなので。どんな議論であれ、基本的な態度としてあれはいかんだろう、と言っている訳ですし。
なので、もし反省があったとして、ほら、ああいうやり方でも通じたじゃないか、て言われたとしても、だからどうした、となります。で、あなたはああいうやられ方をしていいんだね?と問うでしょう。

投稿: TAKESAN | 2011年11月22日 (火) 00:37

上の方で
▼ 引  用 ▼
>A-WINGさん

私もそう思っています。一応、書き手が「反応を誘う」という意味で釣りという風に表現は出来ますが(なので私も今の所そう書いてはいます)、WEB上で言われる所の用法(誤りを混入させてそれを本気だと思わせる)とはちょっと違ってるかな、と。広義でそう表現する事は出来なくも無いのかな、といった感じでしょうか。
▲ 引用終了 ▲
こう書いてます。
で、「釣られた」ってしばしば、「反応した事」自体を指したりしますね(「煽りに釣られる」など)。ブクマコメントでもそういう用法なんでしょう。

つまり、あのエントリー、釣り指南という体裁でありつつ、「これにマジに反応したらみっともない」とギャラリーに思わせる、という構造になってる訳で。そして対象は、実際に本気で怒って(いるように見える)攻撃的な発言、という反応をした、つまり「釣られた(kuratan氏からすると釣れた)」。だから私はブクマコメントで多重釣り構造と書いたのでした。

投稿: TAKESAN | 2011年11月22日 (火) 00:59

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 何が釣りだ:

« マンガでダーウィンを読む | トップページ | 科学コミュニケーション――噛み砕け »