« 嘯くからには | トップページ | 赤池弘次と身体運動とイメージ »

2011年10月14日 (金)

せかいかん

「世界観」が、フィクションの世界設定や舞台設定の意味合いで使われる事はよく見られる。「あの世界観が良い」みたいに。
世界観という言葉は、哲学的な、世界の在り方に対する考えや見方、みたいなのが元々の意味だろうけれど(「自然観」などより広汎な概念として)、それが、フィクションの舞台として意図的に構築された設定、という意味合いで用いられていて、「世界観が好き」という風に表現されているのだと思う。その観点から、誤用と見る人もいるだろう。
それが誰かの創造したもの、手がけられたもの、だという所を強調したいのならば、世界設定とでも表現出来るし、作られた舞台全体の話をしたいのなら、単に「”世界”が好き」と言えばいいのだから。

で、こんにち「”せかいかん”が好き」と言った場合には概ね、作者によって構築された自然や社会の在り方、その設定やバランスが好ましい、という意味が込められているだろうから、字としては、「世界観」よりむしろ、「世界感」とした方が、語感としてはしっくりくるような気もする。その設定された世界の構造に「感ずる印象」が気に入った、という事なのだから。
「私はこの作品、世界感が好き」
みたいにね。

|

« 嘯くからには | トップページ | 赤池弘次と身体運動とイメージ »

「随想」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/13103/42504839

この記事へのトラックバック一覧です: せかいかん:

« 嘯くからには | トップページ | 赤池弘次と身体運動とイメージ »