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2011年10月30日 (日)

印象で評価する

自分のよく知らない分野についての解説を見聞きした「印象」として、解りやすいとか説得力があるとか感じた時は、ちょっと立ち止まって考える必要がありますね。説明が明快な事と、言っている内容がその分野の知識に照らして妥当なのかどうかは、別の話なのだから。

だから本当は、そういうものに触れてすぐ解った気になるのでは無く、他の当該分野の入門書や普及書を複数参照してみるのが肝腎かな、と。

「解りやすさ」というものはおそらく、(ここでは文字で無く話とする)声の質や大きさ、テンポなども関係しているでしょうし、聞き手に形成された様々なバイアスも響いてくるでしょう。もしかすれば、話者の性別や年代が、「聞く気」を増大させ、それが結果としての解りやすさというものに影響を与えるという心理学的な論理も考えられるかも知れない。
また、話の組み立て方が上手く構成がしっかりしていたり、日常的な事柄の比喩を駆使する事などもあるのでしょう。「話している範囲内で整合的」であれば、説得力が増すでしょう。
で、印象としての解りやすさや説得力というものにはそこら辺が関わっていると思うのですが、それは、先にも書いたように、説明しているものが、その分野の知識に照らして適切であるかどうか、とはまた別の話です。
上で、「話している範囲内で整合的」と書きましたが、これは、話者が前提としている条件が「もし正しければ」内容が矛盾せず明瞭、という事で、もしかすれば、その前提そのものが誤っているかも知れない訳です。あるいは、本当ならより広い範囲を考慮しておかねばならないのに、過度に単純化してしまって、説明としては明瞭だが実際とは乖離したものになってしまっている、という場合もあるでしょう。そうであるとすれば、「説明そのものが実は適切では無いのに印象はいかにも尤もらしい」、となる。
話している内容が専門的に妥当かは本来、その専門的な分野の知識が無くては出来ないものですが、しかし今は、専門的な知識を持たない人が、導入として「解りやすい説明」に出会った、というシチュエーションです。その時にちゃんと判断出来るはずが無い。よく知らない分野の知識を仕入れるという段階においては、そういうややこしい事が起きるという訳ですね。

ですから、先に書いたように、いかなる分野の知識でも、複数の資料にあたってそれぞれを比較検討し、咀嚼反芻して自身の知識として吸収するのが重要です。もし正確な知識を得たいと願っているのならば。

え、そんな事するの面倒くさいって?
当たり前ですよ。一つの分野に関して正確な知識を得たいのだから、面倒くさい勉強をするのも時には必要。正確を期する説明というのは、しばしば退屈なものだし、疎い分野の説明だから、「知らない言葉が知らない言葉で説明」されていて、それを理解するのはやっぱり苦痛。楽しくなるには時間がかかります。
でも、たまたま接した明快な解説が、「かつ妥当」である保証はどこにも無いので、より確実さを増すようにするためにも、その程度の努力を惜しんではいられない。今は図書館もたくさんあるし、WEB上では論文も参照出来るのだから、情報に行き着くまでの手間はひと昔に較べて圧倒的に小さくなったのだし。

もちろん、「明瞭で正確」な説明は重要ですが(私自身がそれを求める欲求が異常に強いので)、それが判明するのは、自分が知識をある程度得た後なんですよね。ここが非常にむつかしい所です。他人にものを勧めるという行為にも関わってくる問題なので。

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