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2011年10月に作成された記事

2011年10月31日 (月)

科学的思考

「科学的思考」のレッスン―学校で教えてくれないサイエンス (NHK出版新書)Book「科学的思考」のレッスン―学校で教えてくれないサイエンス (NHK出版新書)

著者:戸田山 和久
販売元:NHK出版
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伊勢田さんが紹介なさっていたのを見て知りました。

戸田山さんの本という事で、着目する価値があると思います。まだ内容紹介等がオフィシャルサイトに無いっぽいので(見落としているのかも)、どういう構成かは判りませんけれども。

やはり戸田山さんだから、論理学や科学哲学方面のアプローチが強いのかと想像しますが、どんな風でしょうね。

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2011年10月30日 (日)

印象で評価する

自分のよく知らない分野についての解説を見聞きした「印象」として、解りやすいとか説得力があるとか感じた時は、ちょっと立ち止まって考える必要がありますね。説明が明快な事と、言っている内容がその分野の知識に照らして妥当なのかどうかは、別の話なのだから。

だから本当は、そういうものに触れてすぐ解った気になるのでは無く、他の当該分野の入門書や普及書を複数参照してみるのが肝腎かな、と。

「解りやすさ」というものはおそらく、(ここでは文字で無く話とする)声の質や大きさ、テンポなども関係しているでしょうし、聞き手に形成された様々なバイアスも響いてくるでしょう。もしかすれば、話者の性別や年代が、「聞く気」を増大させ、それが結果としての解りやすさというものに影響を与えるという心理学的な論理も考えられるかも知れない。

また、話の組み立て方が上手く構成がしっかりしていたり、日常的な事柄の比喩を駆使する事などもあるのでしょう。「話している範囲内で整合的」であれば、説得力が増すでしょう。


で、印象としての解りやすさや説得力というものにはそこら辺が関わっていると思うのですが、それは、先にも書いたように、説明しているものが、その分野の知識に照らして適切であるかどうか、とはまた別の話です。

上で、「話している範囲内で整合的」と書きましたが、これは、話者が前提としている条件が「もし正しければ」内容が矛盾せず明瞭、という事で、もしかすれば、その前提そのものが誤っているかも知れない訳です。あるいは、本当ならより広い範囲を考慮しておかねばならないのに、過度に単純化してしまって、説明としては明瞭だが実際とは乖離したものになってしまっている、という場合もあるでしょう。そうであるとすれば、「説明そのものが実は適切では無いのに印象はいかにも尤もらしい」、となる。

話している内容が専門的に妥当かは本来、その専門的な分野の知識が無くては出来ないものですが、しかし今は、専門的な知識を持たない人が、導入として「解りやすい説明」に出会った、というシチュエーションです。その時にちゃんと判断出来るはずが無い。よく知らない分野の知識を仕入れるという段階においては、そういうややこしい事が起きるという訳ですね。

ですから、先に書いたように、いかなる分野の知識でも、複数の資料にあたってそれぞれを比較検討し、咀嚼反芻して自身の知識として吸収するのが重要です。もし正確な知識を得たいと願っているのならば。

え、そんな事するの面倒くさいって?

当たり前ですよ。一つの分野に関して正確な知識を得たいのだから、面倒くさい勉強をするのも時には必要。正確を期する説明というのは、しばしば退屈なものだし、疎い分野の説明だから、「知らない言葉が知らない言葉で説明」されていて、それを理解するのはやっぱり苦痛。楽しくなるには時間がかかります。

でも、たまたま接した明快な解説が、「かつ妥当」である保証はどこにも無いので、より確実さを増すようにするためにも、その程度の努力を惜しんではいられない。今は図書館もたくさんあるし、WEB上では論文も参照出来るのだから、情報に行き着くまでの手間はひと昔に較べて圧倒的に小さくなったのだし。

もちろん、「明瞭で正確」な説明は重要ですが(私自身がそれを求める欲求が異常に強いので)、それが判明するのは、自分が知識をある程度得た後なんですよね。ここが非常にむつかしい所です。他人にものを勧めるという行為にも関わってくる問題なので。

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2011年10月28日 (金)

有意

これは何度も書いていますが。

「有意」という言葉を使いつつ、実は統計学の本を一冊も読んでいない、みたいな事は無い方が良いですね。統計の本を読んで勉強していないなら、そもそもその言葉は使わないのが無難です。

確実に、「有意」の語に対して、統計学的な意味以外の意味を付与して用いている人がいます。つまり、「科学的に決定的な証拠」みたいな、重要だけと抽象的な感じで捉える、とか。詳しくは解らないが、そうなれば決定的なのだろう、と考えるとか。何故そういう人がいる事が確実か、と言うと、かつて自分が曖昧な理解のままそんな使い方をしていたからです。

そもそも科学の話という文脈なので、「有意」とは統計学的な概念として限定して用いなければなりません。にも拘わらず、辞書的な意味に引きずられて(辞書的には非常に抽象的な意味)、あるいは字面から何となく解釈して、それを「科学の話に持ち込んで」しまっていませんか?

統計的検定における「有意」とは、母集団と標本、帰無仮説、検定統計量、有意水準の設定、などの概念を理解しておかないと適切に使いようが無い言葉です。しかも、そういう基本的な所を理解していてさえ、その解釈については統計学的な色々な議論があるので、注意深く用いなくてはならないものなのです。

単に、「○○と△△を比較したら有意差があった(無かった)。」という話が出てくるだけでは、その「有意」という語はあまり有用な情報をもたらしません。実験のデザインはどうだったか、どのような統計解析を用いたか、などと併せて検討しないと何の意味も無い訳です。この解析法では有意にならなかった、でも別の方法だと有意になる、なんて話もあります。これとこれを比較するのにどうしてこの解析を行ったのか、みたいな議論も出てきます。多重比較の問題もあります。

何となくで「有意」の語を用いている人は、一度、周りの人に「有意って何ですか?」と質問される事でも想定してみて下さい。どのくらい解っていてどこが理解不足なのか……と考えられるのはまだ良くて、「そういえばちゃんとした意味は全く解っていない」となったりするのは話になりません。せめて、「帰無仮説」の語や意味を押さえておくくらいで無いと、使っちゃいけないと思います。

お前は充分に説明出来るのか、と問われれば、まだきっちりと理解しているとは残念ながら言えませんが、少なくとも、統計的仮説検定の手順や、それぞれの概念の意味と関係くらいは解説出来ます。それは前提で、その上で、数理的な部分を厳密に理解するのが望ましいのでしょうが、悔しい事に、そこには至っていません。ここは精進のしどころです。

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著者:大村 平
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2011年10月27日 (木)

歯車

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面白すぎて鼻血が出そうな勢い。非常に良く出来ていますね。

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2011年10月26日 (水)

疫学とメカニズム

タイトルはちょっと大袈裟です。

えっと、津田敏秀氏の本のレビュー Amazon.co.jp: 医学と仮説――原因と結果の科学を考える (岩波科学ライブラリー)の多忙な暇人さんのレビュー で、

ピロリ菌の感染は94年に国際がん研究機関で「明らかに発がん性がある」に分類されましたが、日本の学者は「動物実験で確認されていない。」と否定的に受け止めました。著者はこの日本の反応の方が間違っているとします。

このような記述があったのですが(強調は引用者による)、この強調部分、つまり、”日本の学者は「動物実験で確認されていない。」と否定的に受け止めました。”というのは、事実なのでしょうか?

もちろん、学者と一口に言っても色々な立場があるでしょうから、そういう人がいた、というのはあるだろうけれども、ここではそういう話では無く、文脈を考慮すれば、ある程度一般的な傾向としてそれがあった、と主張していると読めます。で、本当にそうなのかな、と。今の時代に(1990年代は結構最近だと思う)、日本の医学界がそういう所に固執して学説を認めない、という「構図」が本当に成り立っていたのだろうか、とピンとこないものがあったのでした。

ここら辺の事情にお詳しい方がおられれば、資料等を教えて頂ければ幸いです。

この記述は、日本という、科学、あるいは医学医療が非常に発達している国における、ある分野に関わる学界全体の傾向をネガティブに(要するに、日本の医学者達は疫学の見方を弁えていない偏狭な考えだった、と評価しているのだから)論じているという意味で、かなり重要な部分と思います。

たとえばこのページ 北大を特徴づける研究分野および研究テーマ(PDF) を読むと、

○医学研究科の消化器内科分野はわが国で最も早くヘリコバクター・ピロリと胃疾患との関わりについての研究に着手し多くの業績を挙げ、世界をリードしてきた。浅香正博教授は、1996 年から 2000 年にかけ、文部省の科学研究費がん重点研究“ヘリコバクター・ピロリと胃癌の発生”班の班長としてヘリコバクター・ピロリと胃癌の関わりを疫学的観点から明らかにした。日本ヘリコバクター学会ガイドライン作成委員会委員長としてわが国最初のガイドラインを作り上げた。今年度から厚労省研究班(班長は加藤元嗣准教授)、10 年以内にわが国から胃癌で亡くなる人が激減する活動を開始している。

このようにあります(強調引用者)。津田氏の本の書評(私は未読なので、実物を確認出来ていません)を踏まえるならば、この研究というのは、「世界に遅れて」行われたと評価しなくてはならないと思うのですが、引用文によれば、「世界をリードしてきた」となっていますね。あるいは、浅香氏の研究班が日本の医学界としては「異端」だった、という事なのでしょうか。それもちょっと変な気がします。実際の所はどうなのでしょうね。どの辺りの本を読めば事情が解るのかな。

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2011年10月22日 (土)

今クールアニメ

まさか、『Fate/Zero』と並んで『gdgd妖精s(ぐだぐだふぇありーず)』が毎週の楽しみになるとは思いもよらなかった秋の日。




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2011年10月18日 (火)

赤池弘次と身体運動とイメージ

調べ物をしていて、このようなものを見つけました。
納度の概念の利用について(PDF)
著者は故・赤池弘次氏。AIC(赤池の情報量規準)で知られる統計学界の偉人です。
この論文では、赤池氏が、モデル比較の規準として「納度」という概念を提出しています。そして、その中で、「ゴルフスイング」についての言語的イメージやモデルが検討されているのです。
その取り扱っているテーマの内容と書き方を見て、少々驚きました。と言うのも、たとえば

 コルクの栓をスクリュー型の栓抜きで引きぬく時の両足の動きを,足の「螺旋」の動きと呼ぶ.この脚の動きで体と地球の結びつきが固まる.両膝と両脚の体勢を固めれば,体の動きが脚の「螺旋」の動きを通じて地球に直結する.

このような、まるで武術関連誌に書かれてあるような表現、動きを行う際の「イメージ」への言及があったからです。
なんだそんな事か、と思われるかも知れませんが、私にとっては、統計学の大家(どころでは無いくらいの方)が、このような、自分の志向に合致するような事柄について書いておられた、というのは、かなり興味深い事だったのです。そして、赤池氏について調べてみると、晩年には、ゴルフスイングについてよく研究されていたとの事。これは、今の自分の方向性、つまり、統計学的な論理の習得と、身体運動の科学的追究、という志向に見事に一致しているので、これは面白い、と感じた次第です。
実は、AICやモデルの当てはめのような観点は、幾度かYJSZKさんがやりとりの際に言及なさっていて、私もいずれきちんと勉強したいと思いつつも後回しにしていたのですが(と言うか、そう簡単に理解出来るものでは無く、習得には基本的な数学の勉強が必要だから、後回しにせざるを得なかった)、まさか赤池氏が身体運動方面の研究に従事しておられた、というのは考えてもいなかったという訳です。
そして、その流れで色々調べていたら、なんと赤池氏、アメブロでブログを書いておられたとの事。これにも驚きました。
ゴルフ直線打法
統計学の巨人がアメブロでゴルフについて連載なさっていた、というのは、なんと言うか、不思議な感じがしますね。しかもその内容は、「イメージを駆使」したようなものです。ゴルフでそういう表現がよく用いられるというのは聞きますが、武術などの書き方にも通ずるものもあり、大変興味をそそられます。この興味深さというのは、厳密な論理性を重んじる数学(数理統計学)と、主観的なイメージを多用する身体運動文化、の両方に興味を持たない人にはなかなか解らないのかも知れませんが、私は、かなり「ニヤリ」としました。ブログの記事もいずれ読み通してみたいと考えています。
と、ここで注意しておかねばならないのは。
いくら、統数研の所長をつとめた数理統計学の巨人が言及しているからといって、すぐにその書かれてある内容を受け容れるには慎重にならねばならない、という所です。その内容が、既存のスポーツ心理学、運動制御、スポーツバイオメカニクスなどの知見とどう整合するか、あるいは具体的な精密科学的研究によってどのくらい支持されているか(evidenceがあるか)、をきちんと検討しつつ見ていく必要がある訳ですね。
とは言え、赤池氏がこういう論考をなさっていた事自体が非常に面白く、具体的に検討してみる価値はあろうかと思います。数学や自然科学に親しんだ人があの論考群を見ると、「?」となるやも知れませんが、私にとっては、主観的な身体運動に関するイメージを展開していく文章というものは、実に馴染み深いものなのです。

という経緯があって、これはひとつ、赤池氏が書かれた論文などを色々読んでみよう、と思って、検索して探して見ました。これが実際、とても面白いものでした。やはり、確率・統計に関するテキストというのは、「哲学」が入っていると面白い。哲学が大袈裟なら、考え方、でも良いでしょう。という事で、ここで、赤池氏に関するページをいくつかご紹介したいと思います。名前は知っていても論文はあまり読んだ事が無い、という方もおられるでしょうから、参考資料として。統計学のみならず、科学の考え方はどういうものか、という観点からも、見ておく価値はあるものと考えます。

※時系列順になっていないのでご了承下さい。

科学の目・統計学の目 Part 3 赤池弘次博士に聞く(PDF)
赤池氏と堀田凱樹氏の対談。赤池氏の経歴や逸話、考え方などが、自身の口から語られている。

赤池弘次(京都賞2006受賞者)からのメッセージ※動画再生注意
京都賞受賞時のメッセージ。大変に示唆的。

シリーズ:統計学の現状と今後 「ノーベル賞と統計学」
大阪大学、狩野裕氏。赤池氏の講演に触れ、対象とする現象を深く考察する事の大切さを強調。

第 22 回京都賞記念ワークショップ 基礎科学部門 「統計的推論とモデリング」 赤池弘次(PDF)
京都賞ワークショップ。情報量概念の説明や、ゴルフスイング研究が紹介されている。

CiNii 論文 - モデリングによるゴルフ新打法の展開(特別講演)
ゴルフスイング研究の概要。

CiNii 論文 - モデリングの技 : ゴルフスイングの解析を例として(<特集>モデリング-広い視野を求めて-)
ゴルフスイング研究。少し詳しめ。

統計的思考と統計モ デルの利用(PDF)
統計の考え方を説明している。興味深く読める。

カルナップ 確率の論理學的基礎(PDF)
カルナップの著作についての書評。かなり批判的(私は内容を詳細に検討出来ない)。科学哲学的にも興味深い資料なのではないかと思う。

統計学研究の方策について(PDF)
統計史的な部分の記述やAICの意義の説明があり、大変面白く読める。

ゴルフと統計と科学
生体・生理工学シンポジウム論文集所収。本文参照出来ないので概要を。抄録に書かれてある問題意識はとても賛同出来るもの。

エッセイ風の連載。これはとても面白い。

特集 赤池統計学の世界(PDF)
赤池氏の理論の紹介と、様々な分野での応用例の実際。私にはむつかしいけれども、参考資料として良いと思います。後半は、先述の対談。

赤池弘次元所長のご逝去を悼む(PDF)
北川源四郎氏による、赤池氏への追悼文。赤池氏の経歴や業績が紹介されている。

故赤池弘次先生記念ウェブサイト 赤池記念館
赤池氏の業績を讃えて開設されたサイト。経歴の紹介や、論文など著作一覧が掲載されており、大変に有用。

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2011年10月14日 (金)

せかいかん

「世界観」が、フィクションの世界設定や舞台設定の意味合いで使われる事はよく見られる。「あの世界観が良い」みたいに。

世界観という言葉は、哲学的な、世界の在り方に対する考えや見方、みたいなのが元々の意味だろうけれど(「自然観」などより広汎な概念として)、それが、フィクションの舞台として意図的に構築された設定、という意味合いで用いられていて、「世界観が好き」という風に表現されているのだと思う。その観点から、誤用と見る人もいるだろう。

それが誰かの創造したもの、手がけられたもの、だという所を強調したいのならば、世界設定とでも表現出来るし、作られた舞台全体の話をしたいのなら、単に「”世界”が好き」と言えばいいのだから。



で、こんにち「”せかいかん”が好き」と言った場合には概ね、作者によって構築された自然や社会の在り方、その設定やバランスが好ましい、という意味が込められているだろうから、字としては、「世界観」よりむしろ、「世界感」とした方が、語感としてはしっくりくるような気もする。その設定された世界の構造に「感ずる印象」が気に入った、という事なのだから。

「私はこの作品、世界感が好き」

みたいにね。

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2011年10月13日 (木)

嘯くからには

「科学哲学的には~」とか「疫学は~」みたいな事を言う人。

その内、「科学哲学」「疫学」をタイトルに冠する本を数冊でも読んだ事のある人は、どのくらいいますかね。

そういう分野の考えは大事だよね、くらいの話をするのならともかく(それなら普及書・入門書、あるいはWEBでの解説等を見れば良いでしょう)、その学問分野全体の考え方や傾向を云々したりするには、相当勉強しておかなければ出来ないはずですが。

しかも、これら分野はそもそも、集中して勉強してもきちんと理解するのは大変なくらい難しいものなので、そうそう簡単に ものを言えやしないのです。

たとえば、「疫学」と強調しておきながら、「信頼区間」という用語を知らないとか、まさか無いですよね?

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2011年10月12日 (水)

社会調査入門

Book社会調査入門 (社会事業新書)

著者:井垣 章二
販売元:ミネルヴァ書房
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このような名著をこれまで押さえていなかったおのれの不明を恥じ入るばかりである。

古本屋で見かけて、100円だったしその内買って読むかな、と思いつつも読まずにいたのだが、実に勿体無い事をした。文体は固いものの、社会調査の論理が実に明瞭に説明されている。各種方法を羅列した単なるカタログ的な本もしばしば見られるが、本書はそうでは無く、調査論に関する本質的な事柄についてきちんと説明している。新書なのでコンパクトにまとめてあって読みやすい。コンパクトであるがゆえに、統計処理の説明などについては簡潔で、初学者にとっては解りにくいやも知れないが、これは統計学そのものが難しい事もあるので、致し方の無い所だろう。ところで、簡潔ではあるが、信頼区間や有意概念についてもちゃんと説明されていて(量的に充分、という事では無く、概念的な説明を押さえている、という意味)好感が持てる。

社会調査の考えをひとつ勉強してみたい、とお考えの方は、この本を手に取ってみたらいかがだろう。たとえば盛山和夫氏の本も名著だが、読むには少々ハードルが高いので、その前に本書に目を通しておけば、ある程度見通しがついて、他の本も読みやすくなるのではないかと思う。中谷宇吉郎博士の『科学の方法』が、科学一般の考えを紹介する名著であるとすれば、井垣氏の本は、科学の内、社会調査という具体的な分野の方法を丁寧に解説した名著である、と言えるだろう。

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