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2011年9月28日 (水)

高岡英夫と遠当て

はてブで高岡氏の話になったので、少し。

高岡氏は、『空手・合気・少林寺』などで、大変優れた論考を書いていますね。力学的関係が云々、みたいな事もそこで出てきます。私の論は高岡氏の論に拠っている所が大きくある(その上で無駄な所を排除し洗練させようとしている)ので、結構共通しています。

また、近年の合気論においても、かける側とかけられる側との協力関係によって成り立つものを、「人文―社会科学的メカニズム」などと高岡氏は呼んでいます。要するに、師弟関係であるとか、「技を信じたい」心理などが、「自分はわざとやっていない」のに「倒れてしまう」といったような現象を成立せしめる、という論理。そういう現象を経験すれば、「技は本物」との認識が強化され、益々それらの「触れずに倒す」みたいなものを追い求めていく、という循環的な構造が形成される可能性があります。

つまり、合気という「現象」は、純粋に力学的・生理学的なメカニズムと心理社会的な論理とが組み合わさっている、と考えている訳ですね。
その観点、言われてみれば当たり前のものではあるのですが、武術を対象として論理を抽出し整理した事は、やはり高岡氏の業績と言えると思います。ところが……

にも拘わらず、高岡氏は、離れ合気、みたいな事をパフォーマンスとしてやります。離れているのだから当然、力学的な関係は取り結べません。かと言って、心理的な「協力関係」も無い、と主張します。で、どういう論理でその現象を説明するかと言うと、「意識操作」という概念。そこに、高岡氏独特の「身体意識」論が入ってくるのです。それはユング的な論と共通していると思いますが、他者の「身体意識」をコントロール出来る、と称しているのですね。
そこで、それまで穏当で科学的にも妥当だった論が、いきなり飛躍する、という訳です。高岡氏の身体意識論は高岡理論の中核ですから、それを基に体系が組み立てられていて、「遠当てのような現象」についても、「心理社会的協力関係」「力学的・生理学的関係」以外に成立させるメカニズムとして「置ける」訳です。で、当然それは、現在認められていない、いわばニューサイエンス的な主張と共通した概念ですので、「良く言っても仮説」程度の論です(あるいは、超能力のサイ仮説にも似ているでしょうか)。そこの所も踏まえ、注意して見ておく必要があります。力学的でも無い、かといって心理的な協力で成り立っているのでも無い、なら他のメカニズムが……という事を「知りたい」人には実に魅力的に映る論の立て方なので、とても厄介なのです。これは、先日書いた「ゆる体操」の話とも実は繋がってきます。

c_Cさんは見事にこの辺りの論理を看破なさいました。

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武術・身体運動」カテゴリの記事

コメント

その内、高岡氏の初期の本の紹介をするかも。『武道の科学化と格闘技の本質』や、空手・合気・少林寺シリーズとか。明らかに発掘して紹介する価値はあるので。そこから無駄を省いて良質な知見を抽出するのも、私以外にやってくれる人はあんまりいないでしょう(出来る人もあんまりいないと思う。c_CさんやRomi-kunさんくらいか)。

シンクロニシティ(ユング的なのとは少し違う)の概念とかも鮮やかでしたしね。他にも、レフパワー/ラフパワー、メソレフパワーなど。記号論はこういう分析には向いているんだろうと思う(私も「科学」の分析は記号論的な見方でしていますし。誰も気づいていないかもだが)。

投稿: TAKESAN | 2011年9月28日 (水) 10:08

先日のゆる体操の一件からずっと気になっていたので、この話題と関連して私と高岡氏の話を。
私が高岡氏の著作に触れたのは遅く、90年代後半です。当時日本拳法や登山をしていたのですが、足をひどく痛めてどちらも中断することになりました。暇だったので格闘技本も読みまして、その中に高岡氏の恵雅堂出版から出ていた本もあったのです。
当時の私の印象は、科学的な説明というより解釈と実践に寄っていて、説明が衒学的だ、というものでした。特に「解釈と実践」が強く出ているのは『スポーツ・武道のやさしい上達科学』ですね。
私は格闘技・武道について、運用のほうにばかり関心が向いていて(ウチのブログの内容も運用の話ばかり)、技術を成り立たせるメカニズムには無頓着ですが、高岡氏の著作は色々と興味深い内容でした。
しかし、当時から「それをどうやって確かめるのか」というのが気になる話がところどころに見られました。ただ、その頃の著作は高岡氏も検証が必要であることを書いていましたが。
私が決定的に高岡氏の著作から離れたのは、身体意識論について、次第にそこまで検証なしで言えるのか―という点で引っかかるようになったからです。『高岡英夫の極意要談』はもう完全に引っかかる点のほうが多くなっています。自身の主張する理論やトレーニングの効果について、かなり過大視するようになった事もあります。
以上のように緻密に追っていないので、私では高岡氏の主張を丁寧に論じるのは無理ですね。何しろその後は月刊秘伝の記事か立ち読みでしか読んでいないものですから。話題の遠当ての話も、初期の著作の記述しか記憶していません。
話は変わってシステマの「離れた相手を倒す」技についてもちょっと書いてみます。
システマでは、相手の恐怖や反射を通して触らずに相手をコントロールするという鍛錬があります。一番簡単なのは、向かってきた相手に隠し持ったナイフを突きつけること。触れずに相手を止め、さらに下がらせたりのけ反らせたりできます(笑)。
また、「システマの創始者のミカエルは拳を突き出して触らずに相手をコントロールすることができた。前の練習で何分も相手を殴っていたから(笑)」という話もあります。別にこれはパフォーマンスや冗談ではなく、恐怖に反応する体を知ることが自分と相手にとって重要だというトレーニングの一環です。

投稿: 町田 | 2011年9月28日 (水) 12:01

町田さん、今日は。

高岡氏は記号論や現代思想の言葉をよく援用していましたね。人によっては「かぶれていた」と評するだろうと思います。

実際に高岡氏は、ほぼ「理論的考察」によってものを言っているんですよね。東大の院時代に実証したとか実験したとかも書いてあるけれども、結局それは、ちゃんと表に出していないので、学術的には無いも同然、と看做されるものと思います。
最近では合気のメカニズムをバイオメカニクス的に解析してたりするし(試みは非常に興味深く、『合気・奇跡の解読』など読むと、さすがにこの人は相当科学を勉強している、と解る。その意味では「そこら辺の人」とはレベルが違う)、
おそらく「色々やってはいる」のでしょうが、方法としてまだ洗練させる余地はあるし、他者の検討がほぼ出来ないかたちなので、やはり不充分と言わざるを得ません。

二枚舌みたいな所もあって、たびたび「解明した」と言っているけれど、他の所では「厳密科学的に見れば推測的なもの」とも認めています。巧妙だし異様に賢いので、生半可な批判をすると全く的外れになってしまいかねない、という。だからこそ私は、興味深い所は抽出して評価し、無視すべき所はきちんと指摘しながら棄て去るべきである、と考えて考察している訳ですね。科学的に見れば、高岡氏の身体意識論の進んだ所(基本的な部分は充分スポーツ心理学的に解釈可能)は、まさに推測的な仮説に留まっているとしか言えないもので、それに基づいて理論体系を構築していくのは、サイ仮説に基づいてESP等を「あるもの」と前提して話をするかのごとく、だと思います。

そこら辺も踏まえて、私は、『武道の科学化と格闘技の本質』や、空手・合気・少林寺シリーズ、『光と闇』、鍛錬シリーズ、などは大変興味深い論として紹介したりしますが、『天才の証明』や『極意学入門』辺りになってくると、氏独自の身体意識論が前面に押し出されてきていてとても危うくなってきた、と評価しています(出版年は少し離れていますが)。『ハラをなくした日本人』なども、論の立て方は本当に面白く、「今の日本人」は、みたいな事を言いたがる人は目を見張る内容ですが、まったく実証に欠ける、と思っています(これは全般に言える)。

システマの話は面白いですね。いわゆる日本武術的な「気」概念の「一側面」、つまり心理学的関係性(闘争的なコンテクストの情況)による非随意的な運動制御、とでも言えるような事をリアルな現象を通じて教えている、と言うか。

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高岡氏は、自身の立場、あるいは科学的に適切な態度を「関係主義的実証主義」と称していて(氏はホーリズムを「関係主義」と表現する)、実際それは妥当なのだけれど、じゃあ自分はやっているの?と考えると、極めて疑問なのですね。これは、実証や効果研究、あるいは統計解析法などに明るく無い所からきていると推測しています。(当時の)既存のバイオメカニクス的研究をアトミスティックだとして忌避していた節もありますし。
現象を切り取って解析する事は、生態学的妥当性を欠く場合があるとしても、それを踏まえておれば良いデータとなる訳なので。もちろん、あの情況主義的・関係主義的な思想は重要ではあります。私自身が強く影響を受け、今も支柱にしている所ですし。

投稿: TAKESAN | 2011年9月28日 (水) 12:52

余談ですが、私は、ポパー、反証可能性、クーン、ラカトシュ(これは記憶曖昧)、ハンソン、ファイヤアーベント、ポアンカレ、ヒルベルト、ソシュール、パース、記号論、丸山圭三郎、池上嘉彦、ガタリとドゥルーズ、デリダ、バルト、レヴィ=ストロース、等々を、高岡氏の本で、しかも高岡氏の本「だけ」を見て初めて知りました。詰め込まれてるんですね。そういう所が、まさに町田さんが、高岡氏の著作が衒学的と感じられた理由でもあると思います。だから、「ものを知らない人」が下手に読むと、コロッと行く。この人すげー、みたいに。私は行った(笑)

投稿: TAKESAN | 2011年9月28日 (水) 12:57

ご回答どうも。

高岡氏の主張のうち検証に耐えそうなものを抜き出すのは、氏の著作をよく読んでいて、武術の科学的な検証について理解していることが前提ですから、必要な基礎知識も手間もかなりのものになると思います(本格的にやったら論文ができそう)。
日本の武術研究の不幸のひとつは、よく勉強していることが伺える人の意見が地道な検証や学術的な領域からしばしば出ていってしまっていることです(これは甲野氏も含む)。

下はシステマの触ら触らずに倒す技術の動画です。
http://www.youtube.com/watch?v=tEZAVujeLN0
実際にはこれをいきなりやっているわけではなく、こうした相手の反応を引き出す練習を事前にやっています。
触れずに倒す技術という結果よりも、攻め手はどうすればそのような受け手の反応を導き出せるか・受け手はどうすればこのような自分の反応から抜け出せるか、という事がポイントです。
こうしたアプローチは、実際に手を触れずに相手を倒す域にまで至らずとも相手と自分の反応を理解し、対処する戦術へとつながります。逆に相手に意識、反応させない技にもつながります。

思想の引用について。
ちょうど高岡氏の本を読んでいた頃、私は、政治学の抗議で現代思想(特にポスト構造主義)について学んだので、そこも引っかかったポイントの一つです。ソーカル事件についても知っていましたし。

投稿: 町田 | 2011年9月28日 (水) 14:00

上の私のコメントは誤入力が混じってます。失礼しました。

触ら触らずに倒す技術の動画→触らずに倒す技術の動画
政治学の抗議→政治学の講義

余談ですが、この種の反応を簡単に導き出せるのがナイフであるというのは簡単に想像できると思います。同時に反応を起こさせない事を容易にするのもナイフです。
これは技法の問題ではなく、単純にナイフの色を変えるだけで人は反応が変わります。秋葉原殺傷事件の警官もそうでしたが、人は刃物は鉄を磨いた銀色という意識が強く、黒色のナイフには反応が鈍くなります。更にピンク色のナイフ(実在する)のように一般的なイメージからかけ離れた物だと喉元に突き出しても手よりも反応しないことがあります。

投稿: 町田 | 2011年9月28日 (水) 14:21

システマの練習は、黒田鉄山氏の所の方向性に似ている所があるな、という印象を持っています。もちろん、合気道の気の流れの技にも。

ナイフの色の話は、心理学的にも大変面白いですね。武術の本質に関わる事だと思います。

高岡氏の論の検討については、その内にやってみたいと考えてます。いつになるかは判りませんが……。

投稿: TAKESAN | 2011年9月28日 (水) 16:15

これは高岡氏の論を中心的に論じたものでは無いですが、もしやるとしたら、こんな方向性になるかな、と思います↓
http://d.hatena.ne.jp/ublftbo/20100604/1275577589
http://d.hatena.ne.jp/ublftbo/20100605/1275674771
高岡氏の論の内、興味深い概念の抽出、それを既存の科学の概念によって再解釈、配置。怪しげな所は排除。

武術を解明する武器、道具は我々は既に手にしているので、後はその存在に気づき、重要さを認識し、そして使いこなせるようになる、のが重要でしょう。使いこなせないがゆえに「重要さを認識出来ない」、そして「役に立たない」として忌避する向きもありますが、いかにもそれでは勿体無い。

尤も、使いこなせないなどと感ずる以前に、学校勉強の悪しき思い出程度で科学を「毛嫌い」する人も多いでしょうが。武術好き、だが科学嫌悪、みたいな人はいくらでもいる(甲野善紀氏とかね)。

投稿: TAKESAN | 2011年9月28日 (水) 16:30

お久しぶりです。ツイッターのinuchochinです。
>「システマの創始者のミカエルは拳を突き出して触らずに相手をコントロールすることができた。前の練習で何分も相手を殴っていたから(笑)」という話

これは植芝開祖も同じ話があります。一部の合気道家には良く知られてた触れない技の原理ですね。
磯山先生がインタビューで似たような話「(意識的、無意識に関わらず触れない投は)当て身くらうのが嫌で受け身とってる」をしていましたし、私も学生時代(システマがまだ知られてない頃)にこの原理は認識してたので新入生相手に「これが気だ!(笑)」と言ってやってました(笑)
なのでシステマを初めて見たときは外人が合気道から作った武術と思った記憶があります。

ご存知かも知れませんが、この原理についてネット上で十年くらい前に2ちゃんねるで有名な元龍貴さんが解説動画を作ってます

投稿: みんみんぜみ | 2011年10月24日 (月) 16:42

みんみんぜみさん、今晩は。ご無沙汰しております。

いかに、武術においても心理的関係や社会的関係が重要な要因であるか、というのを示すエピソードですよね。磯山先生は、さすがに実戦派?でいらっしゃるので冷静に分析しておられますね。

高岡氏の初期の論に触れた人は、「擁護システム」や「かかり稽古」の話を知っていると思いますが、あの理論的分析というのは、注目すべき価値のあるものだと考えています。

投稿: TAKESAN | 2011年10月24日 (月) 17:59

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