科学コミュニケーション:一撃の威力
昨日紹介した森博嗣氏の本。
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科学的とはどういう意味か (幻冬舎新書) 著者:森博嗣 |
昨日twitterでも書いたのですが、この本は、科学コミュニケーションの領域において大きな意味を持つ本となる可能性を持っているのではないかな、と思います。
というのも、いわゆる科学コミュニケータや専業の科学者が書く物と比較して、想定される、言説が届く広さ、層、総量、などが全く違う、と考えられるからです。森氏は著名な小説家ですので、潜在的に獲得し得る読者層は幅広く、人数も多いでしょう。「科学」にそこまで強い興味を持っていなかったが、森さんが書いたものなら、と思って手にとる、という人もいるでしょうし(森氏の本が好きなら既に科学に興味がある、という人も多いかも知れないけれど)、新刊書として書店に平積みされていれば(私が買った書店ではそうだった)、著者を知らない人でも目に入る可能性も高いでしょう。いわゆる「桁違い」の影響力を及ぼし得るであろうな、と。そして、その結果(及ぼした影響の程度)はデータ、つまり端的には「売り上げ」を指標として評価する事が出来るでしょう。
これは、「名前」「知名度」といったものが普及に大きく働くという現象だろうと思います。構造的には、「ホンマでっか」に出ている武田邦彦氏の本が、「武田先生の本だから」といって手に取られる可能性が高い、というのと似ているのでしょう。内容以前に名前が先にあって言説の普及の度合いに大きく影響する、のは、良し悪しはともかく、現実だと受け取っておく必要があるでしょう。そんな事で左右されるのは気に食わない、と言っていてはしょうが無い部分が確かにある(嘆くのみでは変化は無いので)。
私は森氏の本を、科学という営みを紹介する優れた物だと評価しています。昨日書いたように、位置づけとしては、ファインマンやセーガンのエッセイに近い。日本で言うと、中谷宇吉郎博士の本と共通している、と私は感じました(後、菊池さんとか)。
で、(ニセ科学論を追っている人などは皆そうでしょうが)常々、科学的思考やクリティカル・シンキングの考えが広まるべきだと考えていた訳ですが、その観点から言えば、この本が出たという事実はとても大きい。
もちろん、森氏は自身をマイナーな作家と自覚しており、実際、全分野の中ではそう評価されるのかも知れません。しかしそれでも、科学コミュニケータやライター、専業科学者が書く物と比較すれば、相対的に圧倒的な影響力の違いを持つものと想像します。
そして、その影響が、「もう少し科学の事を知りたい」という動機付けになって、他の科学に関する本を読んだり関連の催しに参加したり、科学もののテレビ番組を観たり、という風に波及していけば、それはまさに、サイエンスコミュニケーションとして好ましい現象だと思うのです。
とは言え、たとえ森氏の本が相当売れたとしても、関心を持つのは一時期・一過性のものかも知れないし、他の科学関連の物に触れて、つまらないと感じて離れる、という事もあるかも知れません。でも、総体として少しでも動いてくれれば良い。そういう意味で、いきなり変わる、みたいな事は望むべくも無いし、また望む必要も無いと思います。そう簡単に社会のあり方が変わらないのは、痛いほど解っていますので。全体として少しずつ動いていけば良い、と。ただ、その動きを生み出す一撃には、それなりの威力が要ります。重い物は動きにくいですからね。森氏の本はそういう役割を果たす本と見る事が出来るのではないかな、と見ているのです。
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