メモ:抜刀局面2
もうちょい具体的に。
※メモ。内容の妥当さは保証しない。力学的、解剖学的な正確さも同様。
- 手。握り締め。
- 拇指球と小指によって刀の時計回りの回転運動を促す。
- 鞘の中に刀があるから、運動として邪魔。
- 木剣を持つ。手で鞘を作ってふんわり握る。抜刀する。右手は握り締めつつ抜いていく。
- 鞘を持っている手が腰から遠ざかるように動く。これを実際の鞘であれば、と想像せよ。
- 刀は薬指と小指でしっかり握る、とよく言われる。抜刀局面と比較する。
- 抜刀時、右手は身体から遠ざかる。そして鞘から離れる。
- 鞘と刀身の位置関係が拘束を受けることを考える。
- 抜刀の際、薬指と小指を意識して握るとどうなるか、想像する(最初に書いた事に繋がる)。
- 抜刀の鞘走り局面には、抜刀後の操法と共通しない事を考える。あるいは、「共通しなくてはならない」理由はどこにも無いと考えよ。
- 鞘離れ局面では、斬る対象に刀は接しない。
- 従って、手は「物を切る」ための持ち方をする必要は全く無い。
- 合目的性。ここでの目的は。
- 「いかにぶつからず、いかに速く、いかに無駄な体力を用いずに」抜くか。
- 回転の支点。
- 鞘をレールと考える。その中を刀身が走行する。
- 抜刀局面において、刀の刃が下を向く事は(通常)無い。
- 刀身は鞘内を「滑っていく」。
- その際、右手で「握る」とどうなるか考える。
- 最初に書いた事が関わってくる。
- 手で刀に近いのは、虎口の方。ここらへんで挟む。
- そうして刀身を引き摺ると、そこを支点としたような運動を刀はする。刃は上向きなので、峰側が重力で鞘に押し付けられ、引っ張れば鞘内を滑る。金属と(油を含んだ?)鞘が滑るので、かなりなめらかな運動となるだろう。それより余計な運動を刀にさせてはならない。
- 鞘の内側の空間の大きさを考えれば、刀身との摩擦を無くす事は不可能。であるから、いかに綺麗に中を接しながら走っていくか、と考える。
- 支点。といっても、ある程度大きい面で柄に接している。手の表面は軟組織であり、緩みがある。そういう意味では、一軸周りの回転運動では無い。手を柔らかく保っておく事で、刀は自動的に適切な角度を保つ。
- 実験。柄を「親指と人差し指で挟むように」持って抜刀(木剣が軽いのでやりやすい)。
- 手全体(人差し指~小指)までを密着させようとすると、手と柄との角度が制限されるため、刀身と鞘の関係が崩れる。手首の撓屈角度にも限界がある事を考慮せよ。撓屈の限界をカバーするには肘関節が屈曲しなくてはならず、それでは刀を充分に前に持って行けず……となり、無理が生ずる。
- 刀は抜ければ良い。柄を「グッ」と持つ必要は無い。それは刀身を素早く動かす運動に寄与しない。
- グッと持つ事で、掌から柄に、色々の方向からの力が加わる。それは単に柄に密着させるために働くだけ。
- むしろ、(手が無駄に刀身を回転させてしまう事は先に書いた)前腕の筋肉を余計に働かせる事で、手首関節の柔らかい運動を阻害する可能性がある(吉福康郎の『武術「奥義」の科学』を参照せよ)。
- 手が柄から滑ってしまわない最小限の力を加えれば良い。
- どちらかと言えば、「鞘離れまでは」手を「振るのと逆側」に運動させる「感じ」。合気道経験者は、小指側の手首付け根辺りを意識して鋭く斬り下ろす正面打ちを想像せよ。手首の返し(尺屈方向)などは「我慢」する事。
- 測定。上のような理由から、上手な達人の抜刀局面、鞘離れまでは、前腕の筋群は強力には活動しない事が想像出来る。
- 当然、刀を振っていく局面では激烈に活動するはず。剣術の達人が、全身はごつく無くても前腕が異様に太い場合がある、というのを考えよ(刀のスイングと静止に働く)。
- 刀が鞘にぶつからずに運動するように身体を奉仕させる。刀が主。腰と左手の引きも、右手の出し方も。そして、刀の為にこの両者が合理的整合的に働いた時に、身体を「割る」操作が実現したと認識される。
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コメント
ちょっと似た話として、ナイフの抜刀技術について。
ナイフを抜く技術や練習というのは、既存のナイフ格闘を含む武術でもほとんど行われていません。私はこれまで習った先生や交流のあった軍人にその点を聞いていますが、居合のように構築された技術はまずありません。
レアケースとして、私が習ったロシア武術ではその種の技法があり、その要諦は「相手にさとられないようにナイフを抜く」ために体の動きに制約を加え、限られた部位を動かすだけでナイフを抜くというものです。
例えば、受け手は目をつぶり、攻め手の両肩に左右の手を乗せます。攻め手は受け手にさとられないようにナイフを抜き、受け手を突く。受け手は攻め手の動きを感じ取ったら、攻め手を突き放して攻撃をかわす、といった練習があります。
ナイフは通常、右利きでは右腰に垂直に装備します。こんため抜く動作では腕を屈曲させ、ナイフを真上に引き上げる動作があり、その点が最も動きに力み、制約が生じる点です。特に順手でナイフを抜くと、左腰の日本刀を抜くのとは違い、手首にかなりの制約が加わります。
それに対応した技術が他のナイフ格闘で詰められているかというとそんな事はなく、ナイフの装着位置(手を伸ばした位置=大腿部、前腕を曲げた位置=腹部等に装着する)で対応されています。
ナイフを抜く技術・練習が広く行われていないのも、道具の側での対応や差異が大きいせいではないか、というのが私の考えです。
投稿: 町田 | 2011年7月14日 (木) 00:16
町田さん、お早うございます。
ナイフには抜刀そのものの技術を発展させた体系は一般には無い、というのは興味深いですね。逆に言えば、そこに着目して一つの武術体系として組み上げた日本武術が特殊であった、という事なのかも知れませんけれど。
理由としては、住環境や作法などの文化的要因、そして刀の長さといった物理的要因、が関連しているのかな、と推察します。それが、いかに速く美しく滑らかに抜くか、という目的意識と技術の練磨・体系化に繋がったのだろう、と。
▼ 引 用 ▼
私が習ったロシア武術ではその種の技法があり、
▲ 引用終了 ▲
大変面白いです。身体が接した状態から相手に気取られないように動く、という課題は、アプローチの方向性の違いとしても興味深いですね。中国武術の聴勁の鍛錬とも繋がってきそうです。
上で物理的要因、と書きましたが、やはり特に、刀の長さが関係しているのだろうと考えます。かなり長い片刃の武器という事で、鞘と接する時間が長いので、鞘と刀の力学的関係がパフォーマンスに大きく影響するでしょうし、全身的な大きい運動を行わなければ抜けていかないという身体運動上の制約も受ける。また、装着する位置の変更で抜きやすくするのも容易では無い、と。
この辺りの条件が、抜刀という局面を対象化した体系構築に繋がったのでしょうね。
投稿: TAKESAN | 2011年7月14日 (木) 09:46