いかにして解明し得るか
・日本刀によってどう戦い得るか、という問題。
あるいはそれに関連して、
・日本刀によっていかに戦ってきたか、という問題。
様々な視座とアプローチの方法。
○体験談A:試斬や、動物の試し切り。人間以外の物体を日本刀で斬ってきた人々の証言。
○体験談B:人間を斬ってきた人々やその目撃者の証言。戦争や反社会的暴力場面(犯罪や抗争)において。
○武術古来の伝承:構えや操法などに関する知識と実践の体系。現在伝承されている型など。あるいは、伝書など古い資料にある逸話(屍体による実験や、達人のエピソード)の検討。
○上記の整合性:比較的近年の体験談的証言と、武術的な遣い方の伝承や資料との整合性。相容れない場合の理由も考える――いずれかが正当もしくは合理的なやり方であると判断出来るのか。それとも全体的な操法の体系(持ち方、体捌き、振り方、等々が複雑に絡み合って構成されている)に依存して、「どちらも合目的的合理的」であると看做せるのか。体系同士の比較には慎重でシステマティックなアプローチが必要となる。格闘技における、「何が最強か」の議論を考えよ。
○日本刀の製法とそれに関する科学的・工学的なアプローチ:製法のバリエーションと、刃物としての日本刀の物理的特性に関して。金属工学や材料力学等の視点。
○上に関連して、もっと動的な場面における力学的な特性へのアプローチ:衝撃工学など。計算力学的シミュレーションや衝撃実験。構造的にどこに弱点があるか、などを見る。
○「刃物」にクローズアップ:機械工学的に、日本刀のごとき形状の刃物が、「何をどのように斬ることが出来るのか」の一般的な部分の解明。刀のバリエーションによる合目的性も考慮する(包丁のバリエーションを考えよ)。
○「人間はどのように刃物によって傷つき得るのか」の部分の一般的な解明:インパクトバイオメカニクス的な視点。鋭的外力による傷つき方の検討。屍体実験や動物実験(志願者実験は倫理的に不可能。なので、上記の「体験談」が傍証となる)による違いはあるのか、あるとしてどのような質的な差異が見られるのか。シミュレーションによる補助的な考察。衣服や防具などの条件がどのように現象に関わってくるかも重要。
○各武術の技術体系構造の具体的解明:バイオメカニクス、心理学(特にスポーツ心理学など)、認知科学、情報処理やシミュレーション(一対多の立ち回り――宮本武蔵が遺したがごとき戦法の解明など――の解析にはこのような分野も重要だろう)等々を総動員しつつ、これまで書いてきた様々なアプローチからの知見を応用する。日本刀という独特の形状を持った刃物を操って敵を殺傷せしめる技術体系なので、動き方は道具(刀)の形状に規定あるいは拘束される。従って、出来る限りシステマティックに、インターディシプリナリに解析していく事が望まれる。当然、既存の武術の分析から基礎的な分野へフィードバックされ新しい知見が生まれる事もあるだろう。
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コメント
はてブの反応を見てると、日本刀の遣い方がここの本文中にあるような視点から解明され、それが一般的な知識になる、というのは遠い先なんだろうな、などと思わされますね>町田さん
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だって、文献の一編、あるいは動画の紹介すら提示されていないじゃないですか(ここではあの回答に限る)。にも拘らず、「体験」と「伝聞」の書き方の印象をもってあのように評価するってのは、すごい危ういと思うんですね。
あれに迫力を感ずるのって、関連の話を見慣れていないから、というのもあるかも知れませんしね。秘伝あたりを読んでいればよく出て来そうな話だし。
※ちなみに私は、あの回答者の別質問での回答も参照してます
何事も慎重に、懐疑的に。そして提示された証拠に応じた評価を行う、のが大事って事です。
投稿: TAKESAN | 2011年5月18日 (水) 00:18
持ち方について。
戦時に実際に斬った人の証言に、いわゆる手を離した持ち方では斬れない、と断言しているものもある(私のエントリーでも紹介して頂いた。mobanamaさんが最近ブクマされてた)。
しかし、では何故古流やその流れをくむ剣術においてはその「斬れない」持ち方が採用されているか、という話になる。
古流などはそもそも不合理だった?
その証言が不正確?
実は刀の性質に依存して、どちらも合理的であり得る?
実は操法に依存して、どちらも合理的であり得る?
型と実践で持ち方が違った?
などの問いが立てられる(そこら辺も意識して本文に書いた)。
それらを洗い出すのが科学であり工学であり歴史的文献研究であり、古来の武術を伝承している人達のリサーチ。
駒川改心流などではびっくりするくらい離して持つみたいで(柄より手を余らせるくらいに)、そういうのはどう見る? 他の古流でもそう。古流では無いが、私が習ったものもそう。
※持ち方は、単に斬つける操作だけで無く、他の操法一般に大きく関わってくる。廻剣や、剣を合わせる防御を遣う人は、手を離して持つのがいかに重要かよく解るでしょう。
ちなみに、私が前、人を斬ったら脂で切れなくなるから云々(実戦では突きが重要になる)、という話を紹介しましたが、これ自体「体験談」の紹介であったりします。開祖の話ね(多分、塩田先生の本経由)。
それ自体も誤りであった可能性から検討する。洗い出す。誰の証言であろうが、懐疑から逃れる事は出来ない。
投稿: TAKESAN | 2011年5月18日 (水) 08:45
この問題は厄介で、材料集めだけでも難儀です。
話題になったYahooの回答は、あまりにありふれた情報しか含まれていません(それこそナイフショーのようなイベントで交わされる愛好家の刀剣に関する会話ではあれより科学的・実例について情報量の豊富な場合もあります)。
現代日本で日本刀の実用経験が豊富で、聞き取り調査までして…そんな人がありえるのかという問題もありますが、そこまで実践している人の話がWebで分かるような質・量の情報しかないというのが最大の疑問です。
Webで読める成瀬関次『戦う日本刀』の引用で同じ事が書けますし。
持ち方については、甲野善紀氏がコンバットマガジン誌で古流では本来は鍔近くで両手を寄せて握る、という主張を記事に書いていました。例によって情報源を出さないので、検証困難な話ですが。
投稿: 町田 | 2011年5月18日 (水) 12:57
町田さん、今日は。
本質的に非倫理的な現象を対象にしている、というのもこの問題を複雑にしているのでしょうね。先日出したインパクトバイオメカニクスの話と共通していますが、さらに歴史的な流れも考慮する必要があるという。
様々な、玉石混交な情報が飛び交うので、実に厄介です(だからこそ調べがいがあるのもあるでしょうけれど)。
▼ 引 用 ▼
甲野善紀氏がコンバットマガジン誌で古流では本来は鍔近くで両手を寄せて握る、という主張を記事に書いていました。
▲ 引用終了 ▲
なるほど。それは未見でした。
甲野氏はいわゆる資料的知識は豊富に持っておられるでしょうから、関連の記述なりはあったのかも知れませんね。そういう意味では興味深いです(それがコンテクストとどう関わるのかがもちろん一番重要ですが)。
たとえば手首や肘の遣い方でも、新陰流などではそれら関節の運動を制限させるなど(黒田鉄山氏によってこの種の遣い方は知られていると思いますが)あり、その辺が刀の特性とどう関わっているのか、など考察すべき部分はいくらでもありそうです。※その意味で、「遠心力を意識させる」などという遣い方は、私などは絶対にやってはならない操法だったりします(遠心力の用語の使い方が適切かは措いといて)。
投稿: TAKESAN | 2011年5月18日 (水) 13:17
一つ書いておくと、ここら辺の発言、自戒を込めて、もあるし、反省を踏まえて、というのもあります。
自分自身、色々なものに「飛びついた」苦い経験がある訳で。ここのログにも微妙な事を沢山書いているし。
投稿: TAKESAN | 2011年5月19日 (木) 08:57
横から失礼します。
甲野さんの言っている柄手を近づける持ち方は結構いろいろな文献に出てきています。
簡単に見ることができるのは北斎漫画でしょうか。
投稿: inuchochin | 2011年5月22日 (日) 22:14
inuchochinさん、今晩は。
ご教示頂いて、ありがとうございます。参考にいたします。
投稿: TAKESAN | 2011年5月22日 (日) 23:18
剣の持ち方について、甲野氏と北斎漫画、確認出来ました。
あれは慎重に見ておく必要がありそうです。
投稿: TAKESAN | 2011年5月23日 (月) 08:51