理系と文系
せいぜい、研究対象の大まかな分類に使う(人文・社会・自然 の分類に似たように)、あるいはそれに関連して、高校の学科の分類を示す、程度に留めておくべきでしょう(でも、商業系や工業系や情報処理系はどう分類する?)。
そこから一般化して、「文系/理系 それぞれに属する者が一般的に持っている思考の傾向がある」といったような判断は安易に行うべきでは無いでしょう。例:「文系は論理的思考力に欠けている。」 「理系は頭がカタく融通が利かない。」
もし、理系文系それぞれの一般的な傾向を本気で主張したいのならば、「調べる」必要があるでしょう。主に社会心理学的に。○○に属する人間の□□%くらいの割合の者は△△だ、といった具合に。そういう証拠を提示する準備はありますか? もしそういう証拠の提示が必要無く主張出来る、と言うならば、その理由は提示出来ますか?
| 固定リンク
「「文系/理系」について」カテゴリの記事
- 文系ならば非定量的(2011.11.08)
- 理系と文系(2011.05.25)
- 文科/理科(2008.02.19)
- 発言の傾向から推し量る(2008.01.26)
- どこまでも(2008.01.18)
この記事へのコメントは終了しました。


















コメント
最初「工学系」と書いてたけど、もちろん「工業系」です。
投稿: TAKESAN | 2011年5月25日 (水) 10:50
修正
容易→安易
投稿: TAKESAN | 2011年5月25日 (水) 11:53
いや、理系文系問題の本質は「コスト」だと思うよ。
むしろ文系は論理的思考が出来ないとかっていう風に大風呂敷を広げてくるれると文系は助かるんだよ。
最も指摘されるべきで、それを最も文系が嫌がるのは、「そんなので研究と呼べるの」「感想文とどう違うの」「何とでも言えるじゃん」「研究自体が楽に出来るよね」という根本的な、学問としての存在意義にかかわる部分だと思うよ。「実験でそうなるか」や「証明できるか」や「そのように観測できるか」や「実際上の役にたつか」などのテストが用意されてるという意味で理系はより研究に精神的エネルギーというコストがかかる。
文系の論文は総じて少ない緊張感と集中力でも十分理解でき、かつ書くことが出来るものしかない。(ある現象を説明するのに不必要または定義がはっきりしておらずいくらでも”逃げる”ことが可能な概念を出来る限り使わないという当たり前なことを行えばなおさら)
ここで文系の論文を全部または大量に読んだのか、という反論は無意味。民主党を批判するのに民主党の全てを頭に叩き込む必要は無い。擁護できる点があるといわれても、その「コストが低い」という最大の点が残る。そして、こういう時だけ文系は「そのコストはどうやって測るのですか」「コストの厳密な定義は」「それが出来ないならコストなどという概念を使うべきではない」という形で自分を守る場合のみハイレベルなもっともらしさを相手に要求し、いつも愛用している「実感」を封印することが可能。だからどこかで一気呵成に潰さないといつまでも「教養教育の重要性」とかいう屁理屈で生き延びようとし続ける。
投稿: | 2011年5月25日 (水) 12:58
名前書きましょう。
言葉遣いは気をつけましょう。
何を仰りたいのか全然解りません。
投稿: TAKESAN | 2011年5月25日 (水) 13:04
そういう意味で、「文系理系の対立は不毛」「双方の長所を生かすべき」「比較すること自体が愚か」などという主張はとんでもない欺瞞であり煙幕だよ。
それは、例えるなら「公務員の給与が高すぎるから下げろ」「公務員はあまりにも楽過ぎる」
という主張に対して
「公務員バッシングは不毛」とか「民間と役所のチームワークこそ大事じゃないか」とか「官民の対立を煽っても無意味だ」などと反論することに近い。
明らかに分かるように「給料が高い」という個別具体的な問題を指摘しているのにそれに対してわざと、あたかも相手がもっと抽象的な問題に囚われているかのような
前提を持ち出してきて反論にならない反論をしている。
「公務員バッシング」でもなく「官民の対立を煽っているわけでもなく」「チームワークが大切などという当たり前のことを否定するつもりもなく」、ただ「給料が不相応に高い」と言っているだけなんだよね、この場合。
文系理系問題においても、コストの問題という本質を隠すために、無思慮にも「文系は大雑把」のように血液型性格診断的なことを何気なく言っているだけの人間の主張をピンポイントにサンプルとして採取して、文系批判こそ無根拠でありお粗末であり感情的だと印象付ける戦略が常に飛び交っているので注意。
ただ平均給与が高いと言っているだけ、もしくは
ただ論文を書くのが楽だろうなと言っているだけなんだよね
で、「楽」であることの「理由」が致命的となって、学問としての存在意義が疑われるんだと思うよ。
投稿: | 2011年5月25日 (水) 13:17
多分 学際に理想を見てしまうタイプの人は
考察とか解釈とか視点とかが学問になると思ってるんだと思う。でもそれって思い付きと区別が付かない
学際は何も言っていないのと同じだからこそ否定しようの無いことを言うぐらいしか仕事が無いと思う。
専門の人は普段から武器を研いでるから。
投稿: | 2011年5月25日 (水) 13:33
理系文系の類型判断を「正しい」と判断する場合、その根拠の多くは「私が今まで遭遇した理系文系が類型通りの人ばかりだったから」となりましょう。
テキストに書き出してみて気付きましたが、血液型性格診断の正誤判断と非常に似た構造がありますね。
(理系と文系の学部選択をする時点で学習分野に対する嗜好の違いが出てくるので、血液型性格診断ほどの根拠レスでは無いのですが)。
投稿: ゆんゆん探偵 | 2011年5月25日 (水) 16:24
ゆんゆん探偵さん、今日は。
まさに、血液型性格判断と似た所があると思います。
もちろん、分類する事自体が無意味という訳ではありませんが、理系文系という分類から、そこに属する者の思考形態等へ一般化するのはいかにも雑で。
▼ 引 用 ▼
(理系と文系の学部選択をする時点で学習分野に対する嗜好の違いが出てくるので、血液型性格診断ほどの根拠レスでは無いのですが)。
▲ 引用終了 ▲
社会的な何がしかのバイアスが存在し、それが実際に影響して総体的に見れば何らかの傾向がある、といった可能性は論理的にある訳ですね。分野への志向であったり、分野へのイメージであったりが作用しているかも知れない。
本気で主張したいのならば調べて根拠を出すべき、と書いた事にはそういう含みがあります。道具としては社会心理学などでしょう。
もちろん、仮に何らかの傾向が見出されたとして、それを、あるカテゴリに属する個人の評価にどのくらい用いて良いのか、といった論点も出て来るでしょうけれども。
投稿: TAKESAN | 2011年5月25日 (水) 16:49
理系だろうと論理的な思考が苦手な人間もいれば、文系だろうと感情の機微に疎い人間もいる。逆も又然り。
理系・文系というジャンルを一番最初に持ち出して個人の属性を判断しようとする行為は、いかにも「雑」なんですよね。
ある個人をじっくり計るという面倒さを避けてお手軽に人を語ろうとするその行為に透けて見える精神性そのものが「雑」に見える原因なので、理系・文系に限らず、ジャンルで個人を語ろうとする行為一般にこうした「雑」な印象がついてまわるものだと思います。
投稿: ゆんゆん探偵 | 2011年5月26日 (木) 00:32
ゆんゆん探偵さん、お早うございます。
カテゴリ、ジャンル、を持ち出して云々するのはしばしば見られますね。血液型しかり、ゲームハードしかり。あるいは住んでいる国、容姿の傾向、等々。
多分、楽というのもあるのだと思います。個別に判断する面倒さを回避出来るので。
かく言う自分もそれに囚われる可能性はいつでもあるので、気をつけたい所です。
投稿: TAKESAN | 2011年5月26日 (木) 08:06