古流武術の伝書にはしばしば、いわゆる「身体の使い方」に関する記述が見られます。
武蔵の五輪書もそうですが、こういった伝書を現代の人が参照する際、心法的な、つまり心構えの部分がよくクローズアップされます。しかし、身体操作的な所に関する記述も極めて具体的で大変興味深く、中国武術の姿勢に関する要訣にも通ずるものがあり、よくよく考察する価値があります。
そこで、新陰流に伝承されている伝書に書かれてあるものの内、身法に関する部分を引用し、現代的な視点ではどう解釈出来るかを考察していきます。
参考文献は、
本書は、新陰流の伝書を繙き、著者による丁寧な解説が加えられている良書です。今回は、その解説も引用しながら、私自身の考察も付け加えていく、という形式をとります。各伝書に関しては、その由来の説明も一部引用します。
※ルビ、強調、返り点等は省略
■新陰流截相口伝書事
「新陰流截相口伝書事」は、上泉伊勢守信綱の口伝を整理して体系化した柳生石舟斎宗厳が、孫の柳生兵介長厳――後の兵庫助利厳へ慶長八年(一六〇三)に伝授した目録であり、上泉師の兵法の考え方及び刀法を具体的に示すものである。(P24)
○身懸五箇之大事
△身懸五箇の大事
第一 身を一重に可成事
第二 敵のこぶし吾肩にくらぶべき事
第三 身を沈にして吾拳を楯にしてさげざる事
第四 身をかかりさきの膝に身をもたせ跡のえびらをひらく事
第五 左のひぢをかがめざる事
右随分心懸稽古あるべし
重々口伝有之也
〔註〕 身懸――太刀を構えたり、斬り込んだりした時の姿勢、身の動き、そなえ、位についての五箇条の習訓である。これに関する最も古い文書は宗厳より丹下総八郎への天正七年(一五七九)のもの、次いで三好左衛門尉への天正八年のものが残されている。(P25)
※以下、五箇之大事についての引用はP25・26より
▽身を一重に可成事
「第一」は、敵に対し真正面の身になることをさけて、偏え身になることを重視する意である。偏え身、横見は防ぐところも少なく、切り込んだとき太刀も能く伸びるからである。
偏え身―― 一重身と書かれる事もある――が大事という教え。正面から見て横幅が狭くなるような体勢ですね。半身と分けて考える流派もあると思います(半身より一重身の方がより細い)。防ぐところも少なく、とは言い方を換えれば、狙う所が少ない、という事。太刀がよく伸びる、というのはどういう論理でしょうね。より肩が前方に突き出るから剣も大きく前に出しやすい、という感じでしょうか。
▽敵のこぶし吾肩にくらぶべき事
「第二」は、太刀を切り込んだとき大股になり身を低くすることによって、敵の拳とわが肩が同じくらいの高さになることをいう。
後でも引きますが、この五箇条は、介者剣法(鎧の着用を前提とした剣法)時代の教えとの事です。敵の拳の位置に我が肩の高さを、というのは、文字通りに取ると、相当に低い姿勢です。力学的な優位さ、あるいは鎧を着た敵の弱点を狙いやすい、などといった理由があるのでしょうか。一重身で低い姿勢ととる、という操法は、駒川改心流の黒田鉄山氏などの動きで確認出来ますね。
▽身を沈にして吾拳を楯にしてさげざる事
「第三」も、「第二」と関連して身を低くすることである。身を低くして、わが拳を差し出し太刀を伸ばせば、鍔にてかくれ、太刀中に身が入って隙がない。これを「刀中蔵の身」という。
しばしば出て来る表現ですが、「鍔を楯にする」というのは大変興味深い言い回しです。ここでは、身は沈めるが腕(拳を下げねば腕も自動的に下がらない)は伸びやかに上げる、という所が肝要なのでしょう。腕が縮こまってしまっては、刀に身が隠れず、「刀中蔵の身」が実現されない。
▽身をかかりさきの膝に身をもたせ跡のえびらをひらく事
「第四」は、例をあげれば、撥草から大きく袈裟に切り込んだとき身が前の膝に充分にかかり、偏え身となって腰が開く身勢になることである。
これはつまり、重心から降ろした垂線が落ちる位置が前側の足寄りになる、という教えですね。よく言われる、重心を前に出す、というもの。これについては、力学的にどう重要なのかを解明したい所です。今の所、この身法が、回転運動する刃物による攻撃にどう有効に働くのか、あるいは前後の体捌きとどう関連しているのか、私には充分認識出来ていません。えびらをひらく、というのは調べても今一つよく解らないのですが、腰に着ける道具なので、ビジュアル的な目安としてその語を用いているのでしょうか?
▽左のひぢをかがめざる事
「第五」は、太刀を斬り込んだときの注意で、左臂がかがめば太刀が伸びない。これを避けるための注意である。
これは経験的にもよく解るアドバイスです。剣は、前側(大抵は右)の腕でコントロールしようとし過ぎて、左腕が疎かになりがち。左腕が縮こまると、きちんと前に出て行かないですからね。両腕を上手く協調させて刃筋太刀筋をコントロールするのが大切。
以上の五つの教えは介者剣法時代の当流の基本的な刀法・身勢であり、この五箇条を完備したものを「五箇之身」といって重要視したのである。この身を現在の自然体を主眼とする「直立たる身」に対し「沈なる身」という。介者剣法の刀法、身勢を考えるのに、よい手がかりになる教えである。
これは非常に大切な部分。つまり、装備に応じて身法・身勢が大きく異なる、というのを意味しています(直立たる身に関しては後で出てきます)。力学的な事も関係しているでしょうし、装備の隙をつけるような方法にもなっているのでしょう。
○一、小太刀一尺五寸迦の事
ここは小太刀の遣い方の解説ですが、興味深い部分があるので引いてみます(P53)。
そもそも小太刀での截相の極意は、決して小太刀を執っての截相を主眼としてはいない。あらゆる手段をつくして入り身して敵の身に近接し相手を手搏して直ちに二刺し、その場を一歩も動かさずに殪すことである。 当流には「仕者の大事」といい、是が非でも一命を捨て討ち取らねばならぬ敵に対する重々の口伝があり、それには先ず第一に敵を何としてでも確実にわが手で捕え、神速に二刺しして直ちにその場に殪すとある。
面白いですね。小太刀の真髄は、入り込んで動きを抑えて仕留める、と。ミッション遂行の確実さにも関わっているという。
■始終不捨書
元和六年(一六二〇)九月吉日、尾張権大納言善利のちの義直侯に一流の紀綱によって一国一人の柳生新陰流兵法正統第四世を、兵庫助利厳が印可相伝の時に、柳生石舟斎宗厳よりの古目録三巻とともに、利厳が自己一代の工夫公案の「始終不捨書」を進上した。
この兵法書は、その昔、流祖上泉伊勢守信綱が当時の甲冑武者剣術即ち介者剣術を革新して新陰流の極意を編み出し、それを継承した石舟斎宗厳の教えを「昔」の教えとして、その術技の悉くを最も明らかに評伝・解説するとともに、慶長・元和期の「今」の教えを新たに確立して、昔の古い教えを改革して、真に新しい時代に即した兵法の大本とその術・理の極意を示したものである。
これは上泉流祖が身をもって兵法革新の大道業を成就して、重々の口伝をもって第二世石舟斎宗厳に訓示した――「兵法は時代によって、恒に新たなるべし。然らざれば、戦場戦士の当用に役立たず。また忠孝節義の道を践み行うことはできない。」――との遺訓を顕したものである。
本書の内容は大きい条目は凡そ十九箇条、小さい箇条は凡そ四十九箇条で、合わせると六十八箇条に及ぶ記述になる。これこそ甲冑武者の剣法――沈なる身の兵法から太平の時代に即した平常服のままのより自由な剣法――直立たる身の兵法への大改革をなし遂げたものといえる。このように当流はその淵源が古くして広く、然も新しく、古今一貫の兵法の純正な道として現在に相伝しているのであり、その本源と術・理の総ては刀法・身勢にわたりこれを具現しているのである。(P164)
重要な部分を強調表示しました。つまり、その時の情況に応じて実用的な体系が作られるべきである、という上泉伊勢守の教え。ここは心得ておきたい所です。
●十禁習之事
〔註〕 上泉流祖が新陰流を創案した「転」(引用者註:「まろばし」と読む)の道の象徴として具現化した「三学円之太刀」がある。「三学」とは禅でいう戒・定・慧であり、戒は戒律であって、兵法の禁戒・禁習で、三学の第一学として重んずるところである。兵法を学ぶ者はこれを肝に銘ずるべく稽古しなければならない。以下十箇条につき解説をする。(P168)
つまり、「やっちゃいけない事」ですね。で、この十箇条(と、後の十好習之事)が、専ら身法に関する非常に具体的な教えで、それが大変興味深いのです。
※以下、引用部はP169-179より
○一、面ヲ引ク事
〔註〕 兵庫助利厳の兵法歌、「面引ククセハワズカノコトナガラ心ノ引クヲキラヒコソスレ」とあるように合打(引用者註:がっしうち、と読む)の如くきびしく相手と太刀を斬り合わせた時に、顔が思わず後ろに引けたり、身体ものけひけたり、また相手の太刀に相懸ける時は、自分の太刀ばかり前へ出して、身体は腰がひけてしまう。このような身勢では、しっかりと見るべきところが見えず、心も身も居付いてしまい、当然それにより身の働きも不自由になり、丁度ものに縛られたようになってしまう。自縄自縛とはこのようなことをいう。
またわが方から太刀を斬り込む時は、上半身が反り、折角斬り込んだ太刀も伸びない。截相に於ける多くの悪いことは、皆この面を引くことから出るのである。これは敵に対し心の引くことが形に現れたのであり、初心者によく見るくせである。兵法では何もまして是が最も悪いこと故に、第一番にこれを禁戒して直さなければならない。
顔が引ける。心理的な部分と大きく関わる事ですね。武術に限らず色々な分野にも共通しているものであるでしょう。特に剣術においては、刃物による攻防なので、身体が強ばり伸びやかさを失うというのがあるのだと考えられます。
面を引く、とはつまり頭部を後ろに回転させる事ですから、当然それに連動して、肩や腕も同時に下がる。そして腰が引ける、と。その状態でいくら剣を前に出そうと頑張っても、身体はバラバラになってしまう。そこには力学的な合理性も関わってくるはずです。武術の用語を使うと、正中線を保つ、となるでしょうか。
○二、身ト手ノ別ル事
〔註〕 兵法歌に、「打チ込ムニ身ト手分ルルソノトキハ切リ留リツツ太刀モノビエズ」とある。わが方から斬り込むとき、頭首、両肩、胸の状態と、太刀を執った両臂とが、互いに反撥運動をして別れ別れになってしまうことで、そのときの斬り方は、斬り留りになって太刀が伸びず、太刀が手前に廃ることになる。切り留るとは、太刀の腰、つば元、両手の握り拳の手もとから斬り出すので、きわめて手前斬りに打ち下ろされるので、堅い凝り固まった斬り方になってしまう。このような斬りは真直ぐの斬りだけではなく袈裟斬りのような順・逆の斜斬りにもある。
「互いに反撥運動」というのは、「各部分が協調出来ない」とでも解釈出来るでしょう。で、協調するとは、ある目的に向かって各部が連動して合理的に働くのを意味します。そしてここで言う目的とは、剣を上手く運動させる事。それには力学的な論理が関わってくるでしょう。剣の運動について力学的に合理的な軌道があり、それを達成せしめるには身体各部がそれぞれ絶妙に連動する必要がある、と。一般的な言い回しとして、手打ちとか小手先の技、といったものがありますが、それとも関わるのでしょう。
○三、胸反レバ手太刀展ビザル事
〔註〕 斬り込んだときに、胸が反れば折角前に斬り込むという運動に対して相い反撥して、斬り込む手太刀が伸びずに相手に届かず、かたより全身が凝り固まり居付いて不自由になる。全て太刀は全身の調和のうちに遣わねばならない。
ニ、と同様ですね。解剖学的に見ると、どうでしょう、胸を反らすというのは、脊柱を後屈さて、肩甲骨も後ろに寄せるようになる、という感じでしょうか。胸郭の動きも関わっていそうです。そうなると、心理的な部分とは別に、物理的にもかなり、剣の前への出方の距離(どこの距離をとるかの問題もありますが)に差異が出そうです。また、剣の威力という力学の面にも関連するのでしょう(具体的には不明)。
○四、胸ニ肱ノ付ク事
〔註〕 兵法歌に、「白徒ノ截合ヲ見ヨヤカナラズヤ胸ニ肱ツキ手前ギリナル」とある。手の内の握りが堅く、胸に肱を付けて太刀を遣うと斬り出す太刀が伸びずに、手前斬りに廃る。石舟斎宗厳の「截相口伝書」に「打三ツの事」――ナマル、トマル、ハナルル也。ハナルルガ吉。二ツハ悪シ。――とあった。ナマルとはゆるく物を捨てたように、冴えたところのない打をいい、トマルとは物を押さえたように堅くてはずみのない打であり、二つともよくない打である。ハナルルは能く澄んで充実し冴え渡ってはずんだ打をいう。これは手の内もおのずから能くやわらかくしまって打が中庸に叶ったもので、最も望ましい打である。
腕肩の運用に着目したものですね。文字通りに肘が胸につくと考えれば、上腕を過剰に内転している、と見る事が出来ます。つかないまでも、ギュッと内側に締めるような感じ、といった所でしょう。端的には剣が前に出ませんね。手の内、つまり手と剣との関係性にそれがどのくらい連動しているか、は難しい所があります。生理学的な連関を別にすれば、腕を伸びやかに使えるようになった頃には手の内も柔らかく剣にフィットするよう遣えるようになっている、といったような、稽古期間という変数が関わっていると見る事も出来ます。ナマル、トマル、ハナルル、とは巧い表現です。
○五、腰ノ折レ踞ル事
〔註〕 兵法歌に、「腰ノ折レマタスワルノヲキラフナリ折レテスワルハナホアシキナリ」とある。斬り込んだ体勢にて腰がよい意味ですわるのはむしろ望ましいことである。しかしここにていわれているのは、腰柱の後屈の者に多く見うける現象で、腰が前へ出過ぎて折れ屈んでしまうので、足が居着くようになることである。こういう体勢ではやはり太刀は手前斬りに廃る。
「腰柱の後屈」とあるので、ここに言う「腰が”前へ出過ぎて”」というのは、臍下辺りが突き出る(臍下側が凸のカーブ)、という意味でしょう。まず、そのポジションが他の部分といかに連動しているか(つまり弊害を齎すか)、といった生理学的あるいは解剖学的な視点がありますが、それとは別に、骨盤を大きく後方に回転させた姿勢というのは、整形外科的な視点などからも好ましく無いような気もします(要するに健康に悪いのではないか)。少なくとも個人的には絶対に取らない姿勢。腰背部の筋肉も不合理に使いそうです。
○六、膝ノ踞ル事
〔註〕 兵法歌に、「懸ケ退キニ膝ノスワルニ二ツアリツカレ足ヲバワケテイマシム」とある。膝が踞るのは、居着く足と疲れ足によっておこるのである。居着く足は身体が前に懸かり過ぎて動きがとれない状態をいい、疲れ足は疲れきったときの足のように、踏ん張るところを踏ん張れない足であり、こうなると全身まで居着くようになる。
ここの解説は、兵法歌と別のものも参考にしているのでしょうか、居着く足と疲れ足というものの詳細は兵法歌自体には書かれていないようです(他ページに解説あって見落としているかも知れません)。膝や足の遣い方というと、昨今のハムストリングスや腸腰筋の働きに注目した論がありますが、ひとまず措いておきましょう(前側重心の時の身体運用にも大きく関わる――脚・膝を抜く遣い方)。
○七、前ヘ及ビ懸ル事
〔註〕 兵法歌に、「截合ニ心ヒカレテトニカクニ及ビカカルハ初中後ノクセ」とある。前条で説いた通り(引用者註:六、の解説で引かれた、柳生厳長氏による考察の事。今回は省略した)、現今の剣道の習風と異なり、昔は初心は誰でも一足一刀の定法の足の踏み込みが足りず、とかく「手・太刀」――太刀を執る両臂を前へ伸ばし過ぎ――上体を前へおよび懸かり、身法が居着いて崩れる、初心はただ相手を打とうとばかりすることが著しいので、この戒めが重要なのである。
ここまでは、引いてしまう事への戒めがありましたが、これは、前へ出過ぎるな、という教えですね。出過ぎる、とは、きっちりと身体全体が出ていないのに腕肩だけが先走ってしまうと。上体もぐしゃっと潰れて軸が壊れてしまう。これもいわゆる手打ちや小手先の技といった所でしょう。手と胴体と足が一致して動く事の重要さは、色々の武術で言われる所だと思います(合気道を知る人は、一教を思い浮かべるといいでしょう)。
○八、手ノ下ル事
〔註〕 兵法歌に、「截合ニ手ノ下ルノハ直スベシセツカク勝テ負ニコソナレ」とあり、また「脇の下すかすが好し」と教えている。
続けて厳長氏の解説を引いたものが載っているのですが(省略)、この部分はちょっと解釈がむつかしいですね。
○九、両足一度ニ踞ル事
〔註〕 兵法歌に、「両足ノ一度ニスワル不自由ハヌカリ砂原倒レヤスサヨ」とある。両足を一所に踏み揃えること、また特に前後・左右に踏み開いて一度に踏みすわること、こうしたものはこれも前掲のもろもろの禁習からおこるが、特に前の二箇条の通り、丹田・腰の廻りの力が上にあがって「上ぞり」、両肩・臂へむやみに力をこめて、足のはたらきが居着くものである。
「踞る」をどう解釈するか。私としては、脚裏を使えず膝関節伸展系を先行させる方向性の運動の戒めではないか、とも解釈したい所ですが(浮くような身体の遣い方が出来ていない)、今ひとつピンと来ないものがあります。「一度に」と敢えてつける所とかですね。柳生延春氏の解説は、腰回りの運動が疎かになり、同時に下肢も動けなくなり結果居着く、というものですね。
○十、拳ニテ太刀ヲ使フ事
〔註〕 兵法歌に、「拳ニテ太刀ヲ使フハヨワミニテ手ノ内マハリ打チ合ヒニ負ク」とある。先師厳長は次の如く註をしている。 ――拳にて太刀を使うというのは、手の内や、手さき(うで先)で太刀を使うことで、そのときは、肝腎な手の内で太刀の柄が廻って、好習とする教えなる『肩、かいな、惣身より太刀を使う』ことなく、ただ手さきの技巧――虚勢にはしって、相手の太刀との打ち合いに打ち負けること。(後略:後の部分は(厳長氏当時の)剣道と古流とを対比して考察)
これはまさに、小手先の技、といった所でしょう。肘関節先行、手首関節先行、の動きを戒め、全身を用いて打つのをよしとする、と。この禁習と併せ、肩、かいな、惣身、を使う、という表現で(これは後で出て来る)、身体の先端側を先行させない動きをするように促している訳ですね。手先をいそいそと動かして体幹が合理的に働いていない、というのはしばしば起きます。せっかく複雑な構造をしてかなり自由に運動出来る身体なので、それを使わない手は無いのですね。そこにも(生体)力学的合理性が関わっているのでしょう。手の内については、よく手と剣を密着させ柔らかく遣っていかないと刃筋が狂うという事でしょう。手は多数の骨と筋肉から構成されていて、相当自由に変形するので、それと剣(の柄)とは、複雑な力学的関係を取り結ぶのだと考えられます。特に真剣をもって物を斬る、という場面においては、対象の材料的構造的性質も絡んだ、工学的な考察が必須となる現象を呈するのでしょう(手の内に関しては、現代剣道のスポーツ科学的研究がよくなされていると想像します ※何度か目にしましたがあまり憶えていない。先日も発見したけど読めず)。
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長くなりましたので、続きは別エントリーとして、近日アップします。
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