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2011年2月 4日 (金)

良い?後悔

数学者の瀬山士郎さんのサイト、書評のページより⇒本の談話室

2/3分から ※修飾は引用者

そのことを具体例を引いて語っている第8章、9章の迫力はすごい。全部を引用したい欲求に駆られるが、数学についてだけ、少し。「微積分を学ぶ機会があったならと悔やむ人はまずいないが、そのせいで比類ない楽しみを奪われているのだから、やはり悔やむべきだと思うのだ」(325頁)

私がまさに、「悔やむ人」です。

動機としては、「必要に駆られて」勉強しなくてはな、というきっかけではありましたが、それと共に今は、「解れば楽しいだろうな」という思いもあります。つまり、「数学の世界で遊べれば」ものすごく面白いし、ワクワクするのだろうな、と。

たとえば瀬山さんの『読む数学』を今読んでいますが、それなども――今の自分にはまだ難しい本ですが――数学の面白さの一端に触れられる良書だと思います。なんと言うか、惹かれるのは、徹底的に厳密に組み立てる所なのでしょうね、やはり。それと、組み立て方のエレガントさや、現実の問題への適用という実用性。以前はただ単にややこしいと感じていた事でも、なるほどそうだったのか、と感心し、展開に唸ります。

上にも書いたように、私は「悔やむ人」です。なにしろ高校で微積分自体やらなかったので、習った記憶そのものが無かった訳ですね(形成されようが無かった)。後になって、力学や統計学に興味を持ち始め、それをまともに理解するにはもっと基本的な部分が解っていなくては話にならないと悟り、やっときゃ良かったなあ、としみじみ。
で、悔やんでいたら微積分が出来るようになる、て訳は無いから悔やんでいるだけではどうにもならないので、勉強を始めた、と。そういう意味で、悔やむ事が出来ただけでも良かったです。そうで無ければそもそも志向しないし、「楽しみを奪われている」だろう事にも気づけなかったのですから。

それで、大人になってから取り組み始めたはいいものの、やっぱりなかなか難しい。それは当然で、数学というのは厳密に論理的に積み重ねられた、超膨大な知識の体系なので、それを改めて学ぶのはキツイ。「数学を楽しむ」という趣味を持つ仲間などそうは見つからないですし、数学系のカルチャースクールなどもあまり無い。だから、本を読んだりWEBページを参照するなりして、時には小中学校向けの参考書を読んで、行きつ戻りつして何とかやっていく、と。

WEBの発展・拡大、というのはその意味では本当にありがたいです。良質なコンテンツが沢山あり、知識豊富な人びととも交流し教えて頂けて。これが無ければ諦めていただろうな、と(情けない事ですが)つくづく感じます。

比較的遅蒔きで数学に興味を持った者のささやかなお願いとしては、後から来た者が時間を掛けてでも一人である程度進めるような、階段を用意してもらえれば嬉しいです。大村平さんや新井紀子さん、ここでも紹介した瀬山士郎さんの本などは、その「階段」を作って下さる方々だ、と私は思っています。大袈裟では無く「救われた」と考えているくらいです。

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余談。

瀬山さんの書評

なぜ科学を語ってすれ違うのか――ソーカル事件を超えて Book なぜ科学を語ってすれ違うのか――ソーカル事件を超えて

著者:ジェームズ・ロバート・ブラウン
販売元:みすず書房
Amazon.co.jpで詳細を確認する

この本についてのものです。実は、私も先日(専門知識が無いと読みにくい所を少々飛ばしながら)読了した所です。

感想としては、実に読み応えのある本。お世辞にも、するする読める代物では無いです。科学の哲学(科学哲学、科学史、科学社会学)に関して論じているものなので、それなりに難解なのは当然ではありますが、そこを考えてもなかなかの歯応え。しかし、実に丁寧に論じられているので(粗筋はレビューや目次を参考に)、一読の価値はあるものと思われます。

瀬山さんが水伝に言及されているのは興味深いですね。

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「随想」カテゴリの記事

コメント

数学は、「定理」(原理)の展開なのですね。
「定理」が全てで、あやふやさを許しません。
「定理」が、あやふやだと、数学の論理が生き詰まってしまいます。
人間の論理思考の展開上、必要なもので、
大人になって、その諸々の公式は、忘れても、数学の論理展開は大事で、いつも基となる「定理」が大事になる、と云うことですね・・・。

私は、今でも、算数は好きでありませんが…。
(おつりが少なくなるようにと…、多少、引き算は好きですが…。)

投稿: mohariza | 2011年2月 5日 (土) 01:16

moharizaさん、今晩は。
すみません、レス遅れました。

多分、公理や定理という言葉自体が精確さを要求される用語だと思うので不用意に論じられないですが、いずれにしても、数学は厳密な論証を積み重ねていく学問である事には間違い無いかと思います。

その意味では、面白いし恐ろしい対象だな、と。(あまり恐ろしさを前面に出すとあれですが。)

投稿: TAKESAN | 2011年2月 8日 (火) 22:03

こんにちは

実は、大学の学部で学ぶ数学までなら、手の届くところに整備された多数の階段が用意されているんですよ。大学生用の教科書がそれです。実に良く整備された階段ですよ。登る人の歩幅にうまく合わせて段を刻み、曲がり角には標識を建て、セルフサービスですがエイドステーションも設置してあります。

これって、世界で普く得られる環境ではありません。数学の本が多く書かれている言語は、そう多くはありません。母語で数学の本を読めることは、それだけですごい幸運なんです。マイナーな言語だと、数学の本を書こうにも数学用語が語彙にないということすらありますので。

それでも階段を登ることに失敗する人が多数いることは理解しています。その原因は、おそらく、次の三つのどれかでしょう。

1. 階段がどこにあるかわからなくて、入り口にたどりつけない。
2. 階段を登るための足の動かし方がわからない。
3. 長い階段を登り続ける気力が続かない。

瀬山四郎さんや新井紀子さんの本は、「登った先にはこんな風景が広がっているんですよ」と紹介する観光案内文として読めば、3の人が気力を回復するのに役立つでしょう。2の人に役立つ本としては、『はじめて学ぶイプシロン・デルタ』(細井勉、日本評論社)や『これだけは知っておきたい数学ビギナーズマニュアル』(佐藤文広、日本評論社)など多数あります。

1の人に役立つ道しるべも、最近、手に入れやすくなりました。大学のシラバスです。大学の理学部数学科の講義で採用されているものから教科書を選ぶと、大ハズレはありません。最近はシラバスをWWWで公開している大学も多いですから、そこを覗いて参考にすれば良いのです。ただ、シラバスは積極的に学外に広報しているものではなく、特に秘密ではないから学生以外の閲覧を制限していないだけという扱いが多いですので、探すのに手間がかかることが多いですが、手間をかければ(存在すれば)みつけることはできるはずです。

投稿: かも ひろやす | 2011年2月11日 (金) 01:33

かも ひろやす さん、今日は。

確かに、大学のシラバスは私もしばしば参照しますが、案内として大変有用ですね。そういえば、数学関連ではあまり参考にした事が無かった……盲点でした。

文献のご紹介、ありがとうございます。確か細井氏の本は、前に書店で見かけて、その内に読んでみようと思ったものです。

恵まれている、という言い方が適当かは判りませんが、これだけWEBが充実して、関連書籍も膨大にあるのは、とても良い環境なのでしょうね。

私は多分、かもさんが示された2から3辺りに位置するのだと自覚します。それでも、「0.階段を登る必要性が無いと思っている」(てきとう)状態からここまで(登りたいと認識した)来られただけでも良かったかな、と。

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そういえば、10年ほど前に、長岡亮介 『数学の歴史』という本を手に入れたのだけれど、当時は激しくチンプンカンプンだった。今ならもう少し「読める」かも知れないなあ。読めると面白いでしょうね。もうちょい勉強したら再読してみよう。

投稿: TAKESAN | 2011年2月11日 (金) 12:51

佐藤文広氏の本は大変評判が良いみたいですね。これもチェックしとこう。

投稿: TAKESAN | 2011年2月11日 (金) 12:54

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