« コンテクスト | トップページ | ホメオパシーはプラセボだと言っている? »

2011年1月16日 (日)

「鍼はプラセボに過ぎない」と本当に言ったのか?

サイモン・シン&エツァート・エルンスト 『代替医療のトリック』といえば、臨床的・疫学的な証拠に基づいた方法に関して実に明瞭に説明し、その観点から、代替医療の中でもよく知られたものに関して、果たしてそれは効果があるのかを、丁寧に分析・評価している良書です。

そんな優れた本ではありますが、(本の構成から当然の事ながら)実際に検討された療法に関わる人びとから、様々な反論が提出されています。
今回採り上げるのは、その中でも鍼治療に関する部分です。

大まかに言って、本書では、採りあげた各種代替療法に関して、大部分にネガティブな評価が下されています。ですから、実際に従事している人から反論があるのは当然であると言えます。鍼に関しても同様で、実践家や学術研究者からも、色々の内容の批判が投げかけられているのですが、その中でしばしば見かけるのが、

鍼はプラセボに過ぎない

と、シンとエルンストが評価しており、その分析は不当である、というものです。
しかしながら、私はこの種のものを目にするたびに、何となくの違和感を覚えるのです。果たして筆者は、「文字通りに」そう言っていたのだろうか、と。

このエントリーでは、上記のような反論が実際に行われている例を引き、そして実際に『代替医療のトリック』にはどう記述されているのかを検討していきます。

ちょっとの言い回しの違いがそんなに拘るべきか、と訝る向きもあるかも知れませんが、ここは今対象としている議論においてはとても重要な部分と考えられますので(ある療法を効かないと言い切っているかどうか)、検討する価値はあるものと信じます。

では見ていきましょう。尚、このエントリーでは、各批判の詳細に立ち入る事はしません。あくまでどういった記述があるかを検討するのが主旨なので、ご了承下さい。

まず、『代替医療のトリック』に対する反論の内、当該書が「鍼はプラセボに過ぎない」と評価を下していると看做し、それに基づいて論を進めている、研究者による文章を引用します。その他に、実践家による(研究者と実践家が重ならないと言っているのでは無い)同様の批判は沢山見られますが、研究者が学術的な知見を押さえつつ批判を展開している事、実践家はその批判を援用しているのも多くある事から、実践家によるものは紹介しません。検索するなどすれば容易に見つかるでしょう。
※強調は引用者による
※PDFファイルでの改行を適宜修正した

▼川喜田健司 『「代替医療のトリック」の鍼治療に関する記述の問題点』(PDF) http://www.jstage.jst.go.jp/article/jjsam/60/2/252/_pdf/

鍼の効果には科学的根拠がなくプラセボ効果に過ぎないという結論を導いています。

------

これらの事実は、本書の主張する鍼の効果がすべてプラセボ効果とする見解とは相容れないものである。

▼小川卓良 ”「『代替医療のトリック』に答える”(PDF) http://www.harikyu.or.jp/gakuzyutsu/201004-shouroku.pdf

『トリック』での鍼についての結論は「鍼治療効果はプラセボに過ぎない」というものである。

▼小野直哉 『「代替医療のトリック」での鍼に対する批判的吟味への批判的吟味』(PDF) http://blogs.shiminkagaku.org/shiminkagaku/csij_lecture_101006.log.pdf
※上記の川喜田、小川の論の援用だが、互いの主張がコンパクトにまとめられていて参照しやすいので紹介。内容は先の引用文献と同様

------------

このように、鍼治療研究の専門家は、シンとエルンストが「鍼はプラセボに過ぎない」と評価していると捉え、その見解に反撃を加えています。

では、実際に『代替医療のトリック』ではどうように記述されているのでしょうか。

初めに結論を書きます。私が読む限り、当該書においては、

著者は「鍼はプラセボである」と断定してはいない

と考えます。全体の書き方から見て、そう判断します。
ただ、書き方にブレがある、と感じられるのも確かです。そこで、関連すると思われる部分を、なるべく文脈が把握出来るように長めに引用して検討を試みましょう。
※以下、『代替医療のトリック』から引用。文末に引用元ページを示す。強調等の修飾は引用者

 はじめに、鍼治療師にとって悪い知らせから見ていこう。コクラン共同計画の系統的レビューによると、次に挙げる症状のどれについても、鍼の有効性を示す根拠はない。タバコ中毒、コカイン依存症、分娩誘発、ベル麻痺(顔面神経麻痺)、慢性喘息、心臓発作のリハビリテーション、逆子、鬱病、てんかん、手根管症候群、過敏性腸症候群、統合失調症、関節リウマチ、不眠症、非特異的腰痛、上腕骨外上顆炎、柔組織肩損傷、つわり、採卵(体外受精の成功率を高めるために鍼療法が行われている)、緑内障、血管性認知症、月経痛、むち打ち症、脳卒中。コクラン共同計画のレビューは、数十件の臨床試験を調べた結果、これらの症状に対する鍼の効果は単なるプラセボ効果であると結論している。(―中略―)しかし、それぞれの臨床試験の信頼性はどうであれ、最終的に得られた結論はこうだ。中国で数千年にわたり使用され、多くの国々で何十年ものあいだ科学的に研究されてきたにもかかわらず、右に挙げた病気のどれに対しても、鍼の使用を支持する確固とした科学的根拠はない。(P106・107)

ここで、「単なるプラセボ効果である」という表現が出てきます。しかし、前後を見れば解るようにこれは、挙げてあるいくつかの症状について書かれているものです。

 次に、鍼治療師にとって良いニュースをみていこう。症状によっては、コクラン・レビューで多少肯定的な結果が得られているものがある。妊娠中の背中から腰にかけての痛み、腰痛、頭痛、手術後の吐き気および嘔吐、化学療法により引き起こされた吐き気および嘔吐、首の疾患、夜尿症がそれだ。これらの症状については、コクラン・レビューは多少前向きだ。要するに、鍼について肯定的な結論が出ているのは、夜尿症を別にすれば、ある種の痛みと吐き気だけなのである。(P108・109)

このように著者は、コクラン・レビューにおいて肯定的な結果が見出されているものも紹介しています。ただし、「コクラン・レビューがこれらに対して鍼で治療することを強く支持しているわけではないことに注意しよう。」(P109)と釘を刺してはいますが。

続いて著者は、これらの証拠に必ずしも十分な説得力がある訳では無い事を指摘し、エルンスト(本書の著者の一人)のグループによる研究を紹介します。即ち、エルンストのグループのメンバーである朴が開発した偽鍼(伸縮型で皮膚に刺さらない。シングルブラインドテストが可能)を用いた研究です(ドイツのチームも同様の鍼を開発)。そして、

 初期の結論は、鍼治療師にとってはおおむね残念なものだった。慢性的な緊張性頭痛、化学療法による吐き気、手術後の吐き気、偏頭痛の予防などの治療について、本物の鍼の方が、偽鍼よりも効果があるという説得力のある根拠はただのひとつも得られなかった。つまり、これら最新の結果は、より肯定的なコクラン・レビューの結論と矛盾するものだったのだ。(P111)

と論じます。つまり、刺す深さを変えたり位置を変えたりするよりも正確に判断が出来る朴らの伸縮鍼による研究で、肯定的であったコクラン・レビューの結果が覆された、と見る訳です。続けて著者は、この展開が意外では無いとし(より質の高い臨床試験がデザインされればそれまでの知見と相容れない結果が新しい研究により見出される事はあり得る)、

研究者たちが過去の臨床試験からバイアスを取り除けば取り除くほど、鍼はプラセボにすぎないことが示唆されるようになったのだ。もしも研究者が完全無欠な臨床試験を行えるようになれば、そして、もしも臨床試験の質が上がるにつれて鍼の効果が消えるという傾向がこのまま続くなら、最終的には、実は鍼にはほとんど効果がないということになりそうだ。(P111)

こう考察します。ここでは、「示唆」という慎重な言い回しを用いています。かなり注意深い表現だと言えるでしょう。ただ、次に理想的な研究があれば、と仮定し、ネガティブな展望を語ってはいます。※そこでも「ほとんど」と入っている事に注意

そして著者は、理想的な臨床試験(ダブルブラインドテスト)は不可能であろうと論じ(※ここは後ほど触れます)、続けて、大きな例数をとってアプローチした研究、つまりドイツにおけるメガトライアル、の検討に移ります。

 メガ・トライアルはなにしろ規模が大きいため、実施にも長い年数を要した。実験が終了したのはごく最近で、得られたデータは今も解析中である。しかし二〇〇七年には、メガ・トライアルのそれぞれの試験から結論が出はじめた。それによると、本物の鍼のほうが、偽鍼よりもごくわずかに成績が良いか、または同じだった。どのレポートにもほぼ次のような文言が含まれている。「偏頭痛の改善に関しては、鍼には偽鍼と同程度の効果しかなかった」。つまり、それまでの傾向が続いたということだ。臨床試験の精度が上がり、信頼性が高まるにつれて、鍼の効果はプラセボにすぎないようにみえてくるのである。(P112・113)

ここでも「プラセボにすぎない」という表現が出てきます。しかし、そこに続けて、「ようにみえてくる」と付け加えられています。これは、「敢えてつける事によって逃げをうっている」ように捉える人もいるでしょうが、私は、まだメガ・トライアルの結論が出切っていない事、理想的なデザインの臨床試験が行われていない事を踏まえた「留保」の表現と見ます。これは、鍼の章におけるまとめ(結論)で、非常にネガティブだけれども慎重でもある記述が書かれている所からも窺えます。

 鍼に関する研究の歴史は、過去三十年にわたって紆余曲折があり、今後も研究論文は出続けることだろう。とくに、最近開発された伸縮型偽鍼による臨床試験の結果や、ドイツのメガ・トライアルの結果がより完全な形で報じられるはずだ。しかし、これまでに行われた研究の結果は高い水準で矛盾なくひとつにまとまっている。したがって、鍼についてすでにわかっていることは、真実にかなり近いように思われる。(P113)

ここの主張を簡潔にまとめると、

  • 今後も研究は進められ知見は蓄積される
  • 最近の伸縮型の鍼やメガ・トライアルの結果がより明らかになる
  • しかし、現状の知見は質が高く整合性がある

といった所です。確かに非常にネガティブな評価ではありますが、しかしそれでも留保的な表現、「かなり近いように思われる。」といった表現が付け加えられています。これは非常に慎重であるように見えます。そして、

3 質の高い研究だけに絞って行われた信頼できる系統的レビューから、幅広い病気について、鍼にはプラセボを上回る効果がないことが示された。したがって、鍼治療院の宣伝を目にしても、実際には効果はないと思ってよい。ただし、いくつかの種類の痛みや吐き気には効く可能性はある。

4 いくつかのタイプの痛みや吐き気について、鍼を支持する質の高い臨床試験もあるが、質の高い臨床試験で、それとは逆の結論を出しているものもある。つまり、そのような症状の治療法として鍼を支持する科学的根拠には、一貫性も説得力もなく、どちらとも言いかねる状況である。(P144)

こうまとめます(「結論」部におけるまとめの内二つ)。この後には、効果が吐き気や痛みに限られているとしても、効果は小さいであろう、そして安価な鎮痛剤を使う方が経済的であろう(英国の状況を前提)、という批判者の見方を紹介していますが、それでも、効果が全く無いと断定はしていません。あるとしても、喧伝されているほど広い対象には効かず、それほど効果は大きくも無いだろう、という判断だと言えます。※この見方は専門家もよく考えるべきでしょう。まさか、「現在宣伝されている効果の範囲を狭めるべきでは無い」などという信念は持っていないであろう事を願います。全ては良質な臨床的証拠に委ねるべきなのですから。

そして著者は、想定される反論に対して答えつつ、

 本章では、鍼はプラセボにすぎないという可能性が極めて高いことを明らかにした。

こう結びます。ここにおいても、「可能性」という語を用いているのです。尤も、この後には、プラセボ効果(ここでは、鍼に非特異的な効果の内、「鍼」という道具に対する心理社会的な反応によるものを指す)しか期待出来ない療法を用いるのは是か非か、という問題に踏み込んでいて(詳細は後の章で論じられる)、それに鍼を当てはめている風ではありますが。

------------

さて、いかがでしょうか。本書に対する反論、および本書での記述を比較して、どのような感想を持たれたでしょう。
もしかすると、「留保しているような表現ではあるが、全体の流れを見れば、結局の所”プラセボに過ぎない”と同等ではないか」と評する方もおられるかも知れません。しかし私は、「全体を見て」本書における留保は、まさに「臨床的証拠に基づいた」留保である、と判断しました。当然、著者がより良質な証拠を見逃していた、などの「可能性」はあります。しかし、本書で紹介されている証拠に基づいて、極めて慎重に論が進められている、というのが私の印象です。

追記
ちょっと抜けがありました。『月刊 医道の日本』における『代替医療のトリック』に関する座談会において、ダニエル・チャーキン氏の研究について触れられていたようですが( http://twitter.com/#!/akimi_o/status/26305833776185345 )、該当の部分を引用してみます(P116)。

たとえば、本書が印刷所にまわされようという時点で、慢性の腰痛に関して、六百四十人の患者を含む臨床試験の結果が出た。アメリカの国立衛生研究所から研究資金を受けて、ダニエル・チャーキンが進めているその研究によれば、偽鍼には本物の鍼とまったく変わらない効果がある。この結果は、鍼療法は強力なプラセボにすぎないという見解を支持している。

これを見れば解るように、「プラセボにすぎないという見解を支持」と書いてありますが、それは、「慢性の腰痛に関して」行われたチャーキン氏による研究(の一部?)、にかかっている訳ですね。

座談会では2009年のチャーキン氏の見解に触れられていない所が指摘されているようですが(私は座談会未読)、引用文にも「本書が印刷所にまわされようという時点」とありますので、当然、言及しようも無いです(原書は2008年出版)。

------------

余談。 鍼のダブルブラインドテストについて。

著者は111ページにおいて、

 しかし残念ながら、完璧な鍼の臨床試験を行うのは不可能だろう。なぜなら、理想的な臨床試験は、二重盲検でなければならないからだ。

と論じています。つまり、理想的にはダブルブラインドによる臨床試験が行われるのが望ましいが、しかしそれは鍼では不可能であろう、としている訳です。

ですが、実は日本の研究者が、ダブルブラインド用の鍼を開発しています。

プラシーボ鍼及びダブルブラインド用鍼セット http://webcache.googleusercontent.com/search?q=cache:znNGSc-62xwJ:patent.astamuse.com/ja/granted/JP/No/4061397/ ※エントリー執筆時点でリンク切れなのでgoogleキャッシュ

これは、安全性を考慮した鍼および、ダブルブラインドに用いられるようにデザインされた偽鍼のセットの特許情報です。詳細を見ると解りますが、実に周到に考えられた、唸らされるデザインです。現在、この偽鍼を使った研究も進められているようです。既存のものよりも更に質の高い知見が得られる事が期待出来るでしょう。この観点から見れば、シンとエルンストは些か早計な判断を行ったと言えます。

代替医療のトリックBook代替医療のトリック

著者:サイモン シン,エツァート エルンスト
販売元:新潮社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

|

« コンテクスト | トップページ | ホメオパシーはプラセボだと言っている? »

科学論」カテゴリの記事

コメント

補足ですが、鍼の効果について言及しているのは、ここで採りあげた鍼の章以外にも数カ所あります。いずれも大体同じような感じです。
たとえば、P360-とかP370-とか。後何カ所かですね。

投稿: TAKESAN | 2011年1月16日 (日) 19:25

私は、(何)年に数回、会社から歩いて近くの、(薬屋としての)内科の診療所で、風邪薬を買い、
首と腰痛のため、中国古来の秘術の診療所の<王診療所>に行き、ブロック注射を打つのですが、
<プラシーボ鍼>か、どうか?は、分かりませんが、注射後、確かに(一時)、利き、併用の痛み止め薬で、快方に向かいます。

整形外科の結局は、リハでしか無い診療等よりは、身体的に、反応があるのは、事実関係なので、首と腰 他が、痛くなったら、そこに行くように心掛けています。
健康保険も利き、痛み止めの薬を含めても、保険が利かない診療所(?)、及び、保険が利く診療所(病院)に比べ、結局、安上がりです。

(なお、そこは、首、腰の引っ張り装置も完備していますので、単なる3000年の秘術の<中国医療>のみでは、ありません…。
そのリハの料金も安く、注射を打つほどの、待ち時間はありません。但し、そのうち、通う時間が無くなり、結局、通うことが無くなり、痛みは忘れてしまいます…。)

要は、痛みが直れば、<プラセボ効果>でも、患者にとっては、どうでも良いことで、
<ブラボ!>になる、と思っています…。

但し、この頃、懐に、自由に使う金が少なくなり、(医療費は、結局、カミさんに請求するのですが…、)通う暇も無く、針では無く、
自己流の首、腰のストレッチを、パソコンがすぐ起動しない時など、時間を持て余している時、やって、<自己治癒>して、治療費を掛けない方法で、誤魔化しています。

投稿: mohariza | 2011年1月16日 (日) 20:36

moharizaさん、今晩は。

注射だったらプラセボ鍼にはならないような…(プラセボを注射した、なら解りますけれど)。

よくなればプラセボ効果でもいいじゃないか、というのは、個々の経験を振り返った場合にそう認識出来る、というものなので、一般論的社会的にどうするか、はまた別の問題かと思われます。

投稿: TAKESAN | 2011年1月16日 (日) 22:15

こんばんは。つい先ほどこちらを知りました。

「断定していない」という考え方もできるの
だと初めて知りました。

私を含め、鍼灸師は断定されていると思っ
ていますが。座談会でも「結論付けてし
まっている」ことが問題の一つだと言われ
ています。

投稿: kassy | 2011年1月17日 (月) 17:51

kassyさん、今晩は。

続きのエントリーを読んで頂くと、ここでの私の意見がより説得力を増すのではないか、と思っています。つまり、ホメオパシーのごときとはまるで扱いが違っている訳です。

本書を読んだ時に率直に思ったのは、限定的には弱い効果があるのやも知れない、という事でした。プラセボに過ぎない、という風に文字通りには取らなかったのですね。書評を見ていてしばしば違和感を持ったのが、ここについて断定しているのを前提で話を進めているものでした。
ちなみに、川喜田氏や小川氏の論評のような感想を見て違和感を持ったのは、ニセ科学論に興味を持つ人の中でも私だけでは無かった、というのを申し添えておきます。

投稿: TAKESAN | 2011年1月17日 (月) 18:34

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 「鍼はプラセボに過ぎない」と本当に言ったのか?:

« コンテクスト | トップページ | ホメオパシーはプラセボだと言っている? »