メモ:鍼
※走り書き的。推敲も全くしない
鍼治療の特異性:鍼という物体を用いるという事
◆鍼療法の要素
- 時間的
- 空間的
- 鍼(構成する物質)の物性
▼時間的要素
- 刺したままにしておく長さ
- 時間的順序関係
▼空間的要素
- 位置
- 深さ
- 太さ
▼鍼の物理学的特性
- 力学的
- 化学的
- 形態的(太さなど)
これらの要素の組み合わせ。入力はその組み合わせによって身体に「鍼が打たれる」事、出力は、打たれた人の変化。
従って、「原理」――生理学的機序であろうが形而上学的概念であろうが、生気論的自然観であろうが、何を想定しようが――をひとまず措き、入力と出力との関連を見、因果関係を探り、「効く」かどうかを確かめる事が出来る。
◆鍼治療における、鍼に非特異な要素
心理社会的要因
列挙
- 効くと信じる
- 効かないと信じる
- 施術者の服装
- 施術者の容姿
- 施術者の話術
- 施術者の経済
- 家族や友人の働きかけ
- 医療への不信
- フィクションなどから得られた情報
- マスメディア(テレビ・ラジオ・新聞)の情報
- 雑誌などでの宣伝
これらの絡み合い。
◆鍼に特異的な効果
特殊な道具を用いた療法。その「道具に特異的」な効果を確かめたい。薬剤などで、ある物質なり「に特異的」な効果を確かめたいのと同様の問題意識。
▼効果研究
「確かめたいものを切り離して評価したい」
痩身に良いと称する方法で考える。
これをすれば痩せる、と謳う方法があったとして、「その方法を試したら”痩せた”」という報告があった→「その方法で」痩せた?:因果関係への問い
実態:その方法を行いつつ、
- 食事量を減らす
- 通学・通勤の方法をかえた(自動車・電車→自転車・徒歩 など)
などを行っていた→「どの要素が効いていたか判らない」
以下、これらの要素を「要因」あるいは「変数」とする。
痩身の例で言えば、
- 方法
- 食事
- 運動
などの要因が同時に変化したために、どれが効いているか、つまり、今確かめたい「その方法は効いたのか」という文脈で考えれば、「方法に特異的」であったかが判らない。
▼どうやって調べるか
- 集団を集めて確かめる
- 確かめたいもの以外を揃える
などが必要。
集団を、というのは、沢山調べてみないと、一般的にそれが効くか、が確かめられないから。ある例外的な個人に強く作用するとしても、それが一般化出来るとは限らない(痩せる方法などのメソッドというのは普通、沢山の人に効く、と匂わせるものだ――取ってつけたような、胡麻のような文字で書かれた但し書きがあるにしても。
確かめたいもの以外を揃えるという事
先に書いたように、複数の要因が同時に変わった場合、「どれが効いているか」が判らない。だから、「確かめたいもの以外を一定にする」。
調べる人の性質を揃える事。より多様な人を集める事
ある年齢の人達だけ、女性だけ・男性だけ、特定の疾患を持っている、似たような体型の人ばかり、などだった場合、そういう性質の人びとだけにしか効かない可能性がある。「層別」に考えると言う。もちろん、特定の人達によく作用する、というポジティブな面もある。ひとかたまりにしたら見えない効果が層別したら出現する、という可能性もある。
より一般的な人びとに効くのか、を調べたいとしたら、より多様な人達を集めて調べる必要がある。ある選挙に出馬した候補者の全体での支持割合を調べたいのに、時間的空間的に固まった所を調べては無意味、という所に想いを馳せる事。
比較する事
先ほどの、痩せると称する方法、に戻る。
ある人が
- その方法を試す
- その方法を試さない
というのを同時に行う事は出来ない。(しまりすのような)タイムマシンを我々は持ちあわせていない。
「試してみたら痩せた」としても、「試さなくても痩せた」かも知れない(がそれは知りえない)。
だから、「試した人」と「試さない人」を「比較」する。「対照」と言う。
▼比較対照
2人集めて
- 方法を試させる
- 方法を試させない
として結果を見、前者が痩せ後者が痩せなかったとして、「方法は効いた」と言えるか。
言えない。
何故なら、「確かめたい」要因以外の様々な要因の変化が揃っていないから。
どうするか。前に戻る。「沢山の人を集めて比較対照する」
- 方法を試させる沢山の人びと
- 方法を試させない沢山の人びと
を対照する。
前者が痩せ後者が痩せなかったとして、「方法は効いた」と言えるか。
言えない。
何故なら、「確かめたい」要因以外の様々な要因が揃っていないから。
たとえば、方法を試した人びとがほぼ50代で、試さなかった人びとが大部分30代だったとする。その場合、年齢に絡んだ何かの要因が実は関わっているのかも知れない。あるいは、他の生活スタイルなど、確かめきれないものがあるのかも知れない。
▼ばらけさせる
調べたいもの以外を揃えると言っても、何か関わりそうな要因を悉く見出して全てを制御(統制:コントロール)出来る訳では無い。
→それぞれのグループで、確かめたい要因以外を揃えるために、グループへの「属し方をばらばらにする」
→それを「割り付け」や「割り当て」と言う。ばらけさせると言っても偏りは出うるが、その誤差を数学的に調べて結果を評価出来るように、ばらけさせ方にも工夫がある(くじ引きして、どのグループに入るかが偶然決まるようにする、など)。そのようなやり方を、無作為割付と言う。
直感的に、より沢山の人が参加する事で正確な結果が得られるだろう、と考えられる。例数を多くする、あるいは標本を大きくする、という。※それをどう採るか、というのも属性のばらけ方に影響するのは、先ほどの選挙の話から理解出来る。
▼もう一度、調べたいもの以外を揃える
調べたいのが、あるもののヒトに対する影響、というのは曲者。なぜならば、ヒトは与えられたものに対して色々考え、あるいは気づかない内に、「与えられたという現象そのもの」に対して反応する可能性があるから。そして、それが実際に身体に良い・悪い影響を与え得るから。
▼プラセボ効果
効かないと判っている物体を効くと称して与えられると、実際に病気なりが改善する、という現象が知られている。このような現象を「プラセボ効果」と称する。
その他実験の状況が与える作用としてホーソン効果なども知られている。
つまりこれは、調べたいもの以外を揃えたと考えていても、与えられるという実験の状況そのものが大きく働く要因になっている可能性がある、という事。
▼特異的効果と非特異的効果
あるものを確かめたい。「それ特有の」という事。「特異的」と言う。それ以外の作用を、「それ」について「非特異的」と言う。
そうすると、薬剤を与えるという実験で考えれば、薬を与えられたという「状況」の及ぼす作用は、「薬には非特異的」なもの、と言える。
▼盲検法
与えられる状況が影響するのならば、「偽物」を与える方法が考えられる。つまり、
- 薬と称して薬を与える
- 薬と称して偽物(味やにおいなどで区別のつかない、調べたい物質の含まれていない物体:プラセボと言う)を与える
グループの比較対照。
そうすると、「薬と称してものを”与えられた”」という条件が同じなので、
(薬の作用+薬に期待した心理の作用(プラセボ効果)+その他諸々)
- (偽物の作用+薬に期待した心理の作用(プラセボ効果)+その他諸々)
と考れば、(偽物の作用は0だから)
薬の作用-偽物の作用
となり、薬の純粋な作用が確かめられる、という寸法。※上の数式めいたものは、現象を極めて単純化したもの
違う集団同士なのに
薬に期待した心理の作用(プラセボ効果)+その他諸々
を差し引けるの? と疑問を感じる場合は、上の「揃える」の話を見返す事。
この方法を、「盲検法」と言う。
▼引っ掛け
▼二重盲検法
沢山の人を集めた、きちんとグループに割り付けた、一方には薬を与えて一方にはプラセボを与えた、これで、
(薬の作用+薬に期待した心理の作用(プラセボ効果)+その他諸々)
- (偽物の作用+薬に期待した心理の作用(プラセボ効果)+その他諸々)
と考えて薬の作用が測れる・・・のか?
厳密に考えるならば、
薬に期待した心理の作用(プラセボ効果)+その他諸々
が揃わない可能性がある。つまり、「与える側」の問題。
上で、ヒトの微妙な心理の話を書いた。これは、与える側にも言える事。
つまり、「本物と称して偽物を与える」人が、無意識的に態度を変える可能性がある。いや、「本物と称して本物を与える人」でさえも、なにがしか影響を受ける。手厚くなるか冷たくなるかはともかくとして。
であるから、「与える側もどちらか判らない」ようにする。そうする事で、調べたいもの以外の要因を揃えるという状況としてはほぼ理想的なものを設定出来る。このように、与える側も与えられる側も、どちらも判らないようにするのを、「二重盲検法」と言う。
※もっと言えば、データ解析者や診断を下す者にも偏り(バイアスと言う)が生じる可能性はある。その人達も目隠しすれば、三重盲検・・・という風に言う事は出来る。
※正確には、与えられる人も、「自分がどちらかのグループに割り当てられる」事は通常予め教えられる(倫理的な条件)。
▼難しさ
薬剤などは、ある物質が含まれた物体を与えるのであるから、何を調べたいかははっきりしている。飲ませるなりして、後を「揃える」事で確かめられる。※簡単だと言っている訳では無い。話としては比較的シンプルという事。
鍼はまず、「何を調べたい」のか、それが必ずしもはっきりしていない。先に挙げた、時空間的、あるいは物質の特性などの要因が絡み合っていて、それぞれの組み合わせのヴァリエーションにより流派をなしており、基本的な部分は共通しつつも(まさに「鍼を身体に当てる」)、かなり幅広いと言える。だから、「刺す深さ」「刺す順序」「刺す位置」などにも色々な違いある。
▼明確に
何を調べればいいか、何を調べれば体系が有効か無効か評価出来るか、それらを、支持者も懐疑者も研究者も、明らかにしなければならない。「何に特異的か」。位置か深さか時間か物体か。それぞれの相互作用か。
▼複雑化
これら条件を複雑なシステムと考えると、
- メソッドとしての汎用性
- 評価の可能性
の問題が出てくる。
しばしば、伝統的療法は複雑故科学では確かめられない、と嘯く者がいる。そういう者には、
そこまで複雑なものを何故習得出来るのか
と問う事が出来る。
そこに、長年の練磨により、複雑なシステムを体得する。それは非言語的であり、必ずしも分析的に記述出来ない
と反論される可能性がある。それに対しては、
それほど習得に苦労するものが、記述しにくいものが、なぜメソッドとして広く伝承されるのか、あるいは積極的にそうしようとするのか
と更に返せる。
初めから、現状明らかな解剖学的生理学的メカニズムと綺麗に対応してはいない体系なのだから、その知的体系に沿ったマニュアル化は出来ていない。
であるからこそ、観察可能な、手技としてコントロール可能な部分をいかにマニュアル化してあり、効果をきちんと評価出来る可能性に、苛烈な批判に開かれた態度をとるか、が重要。
▼発展? 融合? 吸収? 縮小? 消滅?
生理学的な機序も見出されている、と主張する人もいるだろう。
その場合には、「そもそも鍼治療とはシステマティックなもの」なのだろう、と問う。
仮に、伝統的に用いられる鍼のような形状の物体を刺すなりして、それに応じた生理的反応(特に好影響を与えそうな)が見出されたとしても、それは機械的刺激の及ぼす生理学的メカニズムの支持であって、「鍼療法体系」の支持では無い。部分的な解明の可能性は、体系全体の肯定を意味しない。
論理的にも科学的にも、ある範囲(時間的にしろ空間的にしろ)「にのみ」特異的な効果がある、というのは考えられる。全身には様々の神経や筋肉やその他組織が分布しているのだから、鍼状物体の機械的刺激が作用する可能性はある。
仮に、部分的な効果が認められたとして、言い方をかえて、「効果が”部分的でしか無かった”」事が判ったとして、もしくは、「効果が全く無かった」と判明したとしたら。
それを受け容れる事は出来るか否か。主張を狭め、あるいは現代医学体系に融合させる、または吸収させるのをよしとするか。あるいは療法体系自体を潔く棄て去る、その覚悟はあるか否か。
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