「代替医療」概念の捉え方と考察の仕方について。それから僭越な補足
伊勢田哲治さんが書かれた『疑似科学と科学の哲学』といえば、科学と疑似科学との「線引き問題(境界設定問題)」を主題として科学哲学の案内をするというユニークな本であり、科学哲学の入門書としても良書で(ただし簡単では全く無い)、いわゆるニセ科学(や疑似科学)に関心を持つ人の中でも参考文献として読まれた方は多いと思います。
さて、そんな良い本ですが、先日から再読していて、代替医療について書かれている部分の記述が少し気になりました。これは、「代替医療」という概念をどう捉えるか、そしてそれについてどう考察するか、という一般論に関わる部分なので、ここで引用しつつ論じてみたいと思います。
参考文献:伊勢田哲治 『疑似科学と科学の哲学』(2003年 初版第1刷)「(第4章)1.代替医療と機械論的自然観」 P152-168 までの範囲。
この節は、「代替医療」と呼ばれるもの(および、それと標準医療との対立)の考察を通して、哲学的な自然観、すなわち生気論・目的論的 自然観と機械論的自然観との対立の構図(が現代に持ち越されている)を炙り出す、という流れで書かれています(その後に、政策問題を絡めた論があるが、それはここでは言及しない)。いきなりまとめ部分から引用してみましょう(P166)。
生物学の歴史をこのようにまとめなおすなら,正統医学と代替医療の対立は,実は機械論的生命観と生気論的生命観の間の対立が現代にもちこしてきたものだと見ることが出来る。
このように伊勢田さんは、「正統医学」と「代替医療」の歴史的な背景としてそれぞれ、「機械論的生命観」と「生気論的生命観」とを当てはめ、その対立が現代に持ち越されているのだと考察します。流れとしては、代替医療について「多くのものにあてはまる特徴」(P153)を挙げ、具体的な療法(鍼治療やホメオパシー)の方法や原理(と支持者が主張するもの)を紹介した上で、それらの主張が基づいているであろう世界観(生気論・目的論 的自然観)を解説し、現代の標準医療(とそれが依拠する機械論的自然観)との対立を見る、という感じでしょうか。
この議論の前提として、伊勢田さんは、
当然ながらこれほど多様な代替医療すべてに共通する性格というのを挙げるのは無理だが
------
正統医学でもこうした治療が腰痛などに効果があることは否定していない。しかし,正統医学の側から代替医療が批判されるのは,代替医療の主張ががそういう穏健なものからかなり極端で「いかがわしい」ものまで連続的につながっていて,穏健な主張がいかがわしい主張を正当化するために使われがちだという点である。
------
以下本書では簡潔さを重んじて「代替医療は」などとひとくくりにするが,正確にいえば「代替医療の中でも疑似科学として批判される部分」について論じていくつもりなので,一応それは念頭に置いて読んでほしい。
と書いています(P153・154)。つまり、代替医療の内に含まれる疑似科学的な部分を抽出して「代替医療は」と論じていく、という事です。
私が違和感を持つのはここです。要するに、こういった前提を置いていたとしても、「代替医療」はと一般化して論ずるのは少々危ういと言うか、誤解を呼ぶ可能性があるし、何より、それを見て、「代替医療の実践者や研究者」は必ずしも納得はいかないのではないか、と思うからなのです。端的に言えば、「代替医療の背景に生気論や目的論のような世界観を設定」されるのに納得行かない人もいるのでないかな、と。
なにしろ、「代替医療と機械論的自然観」というタイトルの節です。中にいる人にとっては、「極端なのがあるのは確かだがそれと一緒にしてくれるな。」とか、「なぜ”代替医療”の中の”疑似科学として批判される部分”がピックアップされねばならないのか。」などと感ぜられるのではないでしょうか。伊勢田さんが注意深く書いていたとしても、「ひとくくり」にするという所にもやもやしたものを感ずる人がいるかも知れません。
たとえば、今ここを読むまで、「代替医療はそもそもアヤシゲ」と思っていたり、そう論じている意見を見た事があったり、という人、いません? 場合によっては、そういう認識を強化してしまう、という不安を少し持った訳です。※読み手の読解力に帰せられる問題かが微妙な所なので
という事で、ここでは、「代替医療」という概念はどんなものか、というのを、色々の資料を参照しつつ見て行きたいと思います。伊勢田さんの本を併せて読み、何らかの参考になれば幸いです。
まず、この種の議論で最も重要な、「定義」の問題です。
代替医療の専門家の見解の前に、伊勢田さんの記述から見てみます。伊勢田さんは、この概念について特に定義はせずに、
代替医療(オルターナティブ・メディシン)という言葉は非常に広く,西洋近代医療の枠におさまりきらない医術的な行為全体をカバーするような使われ方をしている。
と書き(P152)、『代替医療ガイドブック』からいくつか代替医療の例を引いた上で、それらに共通するであろう内容を4つ挙げて論じていく、という(列挙型とでも言いましょうか)流れです。
では次に、具体的にどう定義されているかを見てみましょう。
▼日本補完代替医療学会 http://www.jcam-net.jp/info/what.html
日本補完代替医療学会では、[現代西洋医学領域において、科学的未検証および臨床未応用の医学・医療体系の総称]と定義しています。
日本補完代替医療学会の定義は、大学で代替医療を研究する所の説明などでしばしば引用されるもので、CAM(補完・代替医療)に関する主要な学会のものでもあるので、代表的なものとして挙げても構わないでしょう。
▼[SUCRA] - わが国の代替医療の現状とその市場規模 http://sucra.saitama-u.ac.jp/modules/xoonips/detail.php?id=KY-AN00109186-24 ※PDFで参照可能
代替医療と総称されるようになったのは 1970年代に入ってからで, アメリカに端を発する。現在, 国立補完代替医療センター (National enter for Complementary and Alternative Medicine:以下, NCCAM と称する) を中心として様々な研究が行われているが, NCCAM は次のように定義している。
Complementary and alternative medicine, as
defined by NCCAM, is a group of diverse
medical and health care systems, practices,
and products that are not presently consid-
ered to be part of conventional medicine.
While some scientific evidence exists regard-
ing some CAM therapies, for most there are
key questions that are yet to be answered
through well-designed scientific studies -
questions such as whether these therapies are
safe and whether they work for the diseases or
medical conditions for which they are used.要訳すると, 「NCCAM の定義によれば, 補完代替医療というのは, 現時点で従来の医学の一部であると看做さない, 種々の医療やヘルスケアシステムの分野, 諸慣習および製品である。 補完代替医療の中には, いくつか科学的な根拠に基づくものもあるが, これらの治療が安全かどうか, それらが疾病そのものや治療で利用されるときの病状に作用するのかどうかというような重要な質問に対して, しっかりデザインされた科学的研究を通して未だに答えられていないものが殆どである」となろう。 すなわち, 現代西洋医学領域において科学的未検証および臨床未応用の医学・医療体系の総称としている。
ここでは、前述の補完代替医療学会の定義とともに、国立補完代替医療センター(NCCAM)の定義が引かれています。(強調は引用者による)
※NCCAMによる定義と分類は
What Is Complementary and Alternative Medicine? [NCCAM CAM Basics] http://nccam.nih.gov/health/whatiscam/#definingcam
再び、両方の定義を見てみましょう。
現代西洋医学領域において、科学的未検証および臨床未応用の医学・医療体系の総称
補完代替医療というのは, 現時点で従来の医学の一部であると看做さない, 種々の医療やヘルスケアシステムの分野, 諸慣習および製品である。
これらの定義を見て分かるのは、「代替医療(あるいは補完・代替医療)」の概念が、「現時点で」「標準医療」<では無い>というかたちで定義づけられている事です。つまり、今は標準的な医療に含まれていない療法の総体。
※その他、色々の定義の例について、
「情報:農と環境と医療」(北里大学学長室通信):代替医療とeCAM http://www.kitasato-u.ac.jp/daigaku/noui/newsletter/noui_no09.html#p04
で紹介されているので、参照下さい。
このような定義からも明らかなように、CAMには実に様々なものが含まれ得ます。なにしろ、今標準医療で無い療法が全部含まれるし、それは次々に生み出される可能性があるのですから。例を挙げてみましょう。※強調は引用者による
▼臨床研究開発補完代替医療学講座|大学院医学系研究科・医薬保健学域医学類 [金沢大学] http://www.m.kanazawa-u.ac.jp/outline/gaiyou/dep05/dep5-02.html
補完代替医療とは,【現代西洋医学領域において,科学的未検証および臨床未応用の医学・医療体系の総称】と定義されており,「通常の医学校では講義されていない医学分野で,通常の病院では未だ実践していない医療のこと」である。補完代替医療の範囲は広く,世界の伝統医学はもちろん,ハーブ療法,ビタミン・微量元素等のサプリメント,栄養補助食品(抗酸化食品群等),アロマセラピー,食事療法,精神・心理療法,温泉療法,音楽療法等々すべてが包含されている。
▼健康・栄養ニュース(独立行政法人 国立健康・栄養研究所) http://www.nih.go.jp/eiken/info/pdf/kenkoeiyonews30.pdf ※PDFファイル
補完代替医療とは「現代西洋医学領域において、科学的未検証および臨床未応用の医学・医療体系の総称」と定義され、日本においても、がんを含めた慢性疾患に対して食品由来の生理活性成分が、補完代替医療成分として利用されています。しかし、多くの場合、その効果について科学的検証がなされていません。 補完成分プロジェクトでは、現在健康食品成分としては未利用であるが、生理活性が強く、慢性疾患(特にがん)の補完代替医療成分として有望な成分の特定と将来の臨床応用の可能性を考慮し、研究を行っています。
▼教室検討会:補完代替医療について(新潟大学医学部産婦人科学教室) http://www.med.niigata-u.ac.jp/obs/medical/meeting/file/2006/06-06.pdf ※PDF
・ 医療機関において医師により施行される科学的根拠にもとづいた西洋医学、あるいは科学的根拠に基づいた漢方療法ではない治療をまとめた総称。
・ 日本補完代替医療学会の定義によれば、『現代西洋医学領域において、科学的未検証及び臨
床未応用の医学・医療体系の総称』とされている。・ 具体例を表1に示す。漢方や鍼灸、指圧、マッサージ、オステオパシー、ホメオパシー、カ
イロプラクティック、さらには宗教的ヒーリングまで、ありとあらゆる治療法を含む。・ 最も簡便なもの:健康補助食品、サプリメントの服用
▼金沢大学 補完代替医療学講座 がんの補完代替医療ガイドブック http://web.kanazawa-u.ac.jp/~med67/guide/book02/02.html
「補完医療(コンプリメンタリー・メディシン)」というときは、従来の医学的な治療に加えて「補足的に」他の施術・療法を行うというときに用いられます。
「代替医療(オルターネイティブ・メディシン)」というときは、「何かの代わりに(例えば現代西洋医学・医療の代わりに)」という意味で用い「通常医療に取って代わる」という意味になります。
しかし、両者は、実際にはあまり区別されないで用いられています。日本補完代替医療学会では補完代替医療を「現代西洋医学領域において、科学的未検証および臨床未応用の医学・医療体系の総称」と定義しています。
表1:補完代替医療の分類(米国NCCAMによる) 分類と名称 内容
代替医療体系
(Alternative Medical Systems) 伝統医学系統、民族療法
(東洋伝統医学、アーユルベーダ、ユナニ医学など)
精神・身体インターベンション
(Mind-Body Interventions) 瞑想、祈り、心理・精神療法、芸術療法、
音楽療法、ダンス療法など
生物学に基づく療法
(Biologically Based Therapies) ハーブ、食品、ビタミン、ミネラル、
生理活性分子など
整体や身体を基礎とした方法
(Manipulative and Body-Based Methods) 脊椎指圧療法、整骨療法、マッサージなど
エネルギー療法
(Energy Therapies) 気功、レイキ、セラピューティックタッチ、
電磁療法など
※ 表1の内容以外にも、「免疫療法(免疫細胞療法など)」、「再生医療」、「遺伝子治療」、「ナノテクノロジーを用いた医療」など高度先進医療も通常医療の範囲でないことから補完代替医療として扱う場合もあります。
非常に色々なものがありますね。由来も様々であると見る事が出来ます。とりわけ、「がんの補完代替医療ガイドブック」で引かれている、NCCAMによる代替医療の下位分類は興味深いものがあります。つまり、CAMを、現在標準医療では無い、というように定義づけた上で、それを更に分類する、というやり方。CAM自体はものすごく広い範囲を捉える概念として扱っている訳です。NCCAMによって代替医療に分類される事がある「再生医療」や「遺伝子治療」などは、完全に現代科学の知見に基づいているものですしね。
これらを踏まえるならば、伊勢田さんによる
生物学の歴史をこのようにまとめなおすなら,正統医学と代替医療の対立は,実は機械論的生命観と生気論的生命観の間の対立が現代にもちこしてきたものだと見ることが出来る。
このまとめは、P153・154の前提があるにしても、やはり書き方として少々おっかないように思うのですね。
全体的な種類に占める割合、あるいは取り組んでいる(研究や実践に)人びとの総量を考えれば、正統科学と全く相容れない原理を謳う伝統的療法に関わる人が多い、というのは、もしかするとあるかも知れません。それを前提として、鍼やホメオパシーや気を「代替医療」の象徴的な例として採り上げるのは、文脈によってはよくある事でしょうし、特に否定されるものでも無いですが、(「代替医療は」と書いて)一般論として哲学的な位置づけを行うのは、なるだけ慎重にいきたい所です。
------------
余談。
「西洋医学」という表現に関して。
CAMの定義や説明において、しばしば出される表現です。これは、基本的には西洋において発展せられた方法に基づいて確立された療法体系一般、というような意味合いで用いられます。また、東洋などにおける伝統的療法に対置させるかたちで使われる事もあります(しばしば「西洋医学」に批判的な文脈で)。
私は、この表現は、歴史的な事情を鑑みればある程度は妥当な言葉であるものの、現状の、現代科学的方法を基盤とする医学体系の理念からすれば、ズレを生じさせるものであるとも考えています。つまり、科学を土台にした現代医学の立場は、
効けば良い
です。※コストの問題、リスクと便益の兼ね合い、原理部分の正統科学との折り合いなどはひとまず措く
即ち、そもそも医学は、ヒトを対象にした臨床研究において効果が確認されれば、「何でも取り入れる」という基本姿勢を持っている訳です。そこでは、由来や原理はある程度捨象されます。そして、「効果」があるかどうかが判断されるのです。※「効果研究」やEBMという考え
それを念頭に置くならば、空間的な範囲を限定させる「西洋」という語を含ませるのは、現状に合っていないと言えるでしょう。ホメオパシーのように、「西洋由来」であるが否定されたものもある、という所に思いを馳せてみるのも良いでしょう。
その事を鑑みて、私は「標準医療」の語を今は用いています。これは、疫学的あるいは臨床的に効果が確かめられ、有効であるとコンセンサスを得ている療法全体、という意味で「標準的」であるのを示しています。
疑似科学と科学の哲学 著者:伊勢田 哲治 |
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コメント
詳細なコメントをありがとうございます。
まず、ご指摘のように、166ページの「生物学の歴史をこのようにまとめなおすなら」ではじまる文は、今読み返してみると、前の断り書きがあるにせよ、不快に思う人がいるかもしれないかなと思います。ただ、実際にそう言われたら、ご指摘の通り、「あくまで154ページの限定の下での話ですから」と答えることはできるとおもいますが。
なお、この一文は、代替医療とは何かということについての「結論」ではありません。「機械論的世界観と代替医療」という節の最後の補足的な記述です。代替医療を生物学の歴史というちょっと違った角度から見たらこう見えるよ、という話です。ただ、たしかに読み流していると結論っぽく見えますね。代替医療とは何かという問いにあまり意味がないということはすでに152-154ページで断っていて、それが代替医療とは何かということについての結論です。当然読者はそれをふまえてここを読んでいる、という前提で書いています。
次に、日本補完代替医療学会の「現代西洋医学領域において、科学的未検証および臨床未応用の医学・医療体系の総称」という定義ですが、わたしもたぶん『疑似科学と科学の哲学』を書く際にこの定義は目にしていたと思います。採用しなかったのは、定義が広すぎて機能しないと思ったからだと思います。ご指摘のとおり、高度先進医療もこの定義を満たす可能性があるわけですが、それはむしろこの定義の欠点ではないでしょうか(たぶん遺伝子治療などにとりくんでいる本人たちは自分たちのやっている医療を代替医療だとは位置づけていないと思います)。もちろん、この定義を採用しなかったもう一つの理由として、この本の本来の目的である科学哲学的な話題の導入としては、もう少し内容のある特徴付けが必要だったという面もあるわけですが。
投稿: iseda | 2011年1月12日 (水) 12:46
isedaさん、今晩は。
代替医療に関心を持つ人、特に積極的に、中立に、そして科学的に追究しようとする人、にとっては、不快、とは言わないまでも、少々納得が行かない記述に映るかも知れないな、と思ったのが、このエントリーを書くきっかけでした。
もちろん、たとえば伊勢田さんの論旨自体について欠陥を指摘するような意図では無く、あくまで、実際に代替医療とはこういう風に捉えられている、と補足出来ると良いかな、と考えて書いた次第です(タイトルの、「僭越な補足」)。
定義については難しい所があると思います。
元々が「標準」や「正統」に対する概念ですし、やはり一般的には、療法であるが標準的なものに組み込まれていないもの、という風に排他的?に定義するしか無いのだろうな、と。それがあまりにも含む対象を広げすぎるものだというのはその通りであろうとも思いますが、特に、「科学を志向する代替医療従事者」としては、概念の設定に慎重になる事を求めるかも知れない、と考えました。
------
はてなブックマークにコメントがあったので、別所にも書きましたが、ここでも説明しておきます。
このエントリーは、伊勢田さんの論が間違っているとか観点が誤っているとか、そういうのを書いたものではありません。あの部分を見て、もしかすると「代替医療の典型」のような認識を形成した人もいるかも知れない、あるいは、代替医療従事者の中には(慎重な前提が書かれているにしても)少々不満を持つ人もいるかも知れない、と考えたので、実際に専門家はどういう定義で使っているか、具体的にどういった療法が含まれるのか、などを紹介しました。
投稿: TAKESAN | 2011年1月12日 (水) 18:32
初めまして。鍼灸大好きacupunと申します。
twitterの「鍼治療の特異性を構成する因子は…」のtweetが興味深くて、立ち寄らせて頂きました。
鍼灸は、適材を適所に活用して頂ければ、とても有効な医療です。
語りたいことは、テンコ盛りですが、ピント外れにならない様に、
先生のブログよくよく学ばせていただきます。
ご指導ご鞭撻のほど、宜しくよろしく。
投稿: acupun | 2011年1月13日 (木) 11:29
acupunさん、今日は。
私は現状、鍼治療に関しては懐疑的な立場ですが、なるべく客観的に考えていきたいと思っております。
後、私は専門家では無いので、「先生」はちょっと…。
投稿: TAKESAN | 2011年1月13日 (木) 13:20
おもしろいですね。
私は、臨床試験で効果が検証されていない段階の遺伝子治療などは、(実施されていれば)代替医療だと考えますし、効果が十分に検証されていない段階の先端医療(変な表現ですが)は代替医療である、ということに、違和感はありません。
私の場合、原理の説明は科学的だけど、さっぱり効果のない代替医療に目がいくのと、効きさえすれば、浄霊でも標準医療になると考えるので、
伊勢田さんの
***引用開始*****
生物学の歴史をこのようにまとめなおすなら,正統医学と代替医療の対立は,実は機械論的生命観と生気論的生命観の間の対立が現代にもちこしてきたものだと見ることが出来る。
***引用終了*****
という説に、実は違和感があります。
ただ、浄霊ではさすがにまずいので、科学的な説明をひねり出すでしょうけど、私には、臨床医学は、生物学とはかなり様子が違っているように見えます。
投稿: counterfactual | 2011年1月15日 (土) 14:58
counterfactualさん、今晩は。
やはり、「代替」あるいは「補完」が対応するのは「標準」や「正統」であり、現代医学的に「標準」とは、臨床的疫学的に効果が認められ取り込まれたものを意味し、そして効果が確かめられれば原理は問わない、という立場ですので、一般的な定義としては本文で紹介したようなものが適切である、と思っています。
その観点で言えば、潜在的に(原理や由来を問わず)あらゆる方法が標準医療に取り込まれる可能性を持っている、と考えられますね。
浄霊の場合にはまず、それを心理療法的なものと見るか、もしくは、そこに含まれるなんらかの物理的アプローチが作用している、という可能性がありますね。その見方で解体され、正統科学的に再解釈、再構築、再配置、されていくのだろうと思われます。
そして、「浄霊そのまま」では恐らく標準医療に組み込まれないだろうと思います。
というのも、その方法に含まれる「霊」などの概念が、定義からして正統科学的概念と相容れないからですね(整合性が取れなすぎる)。
メカニズムは問わないと言っても、根本では正統科学(物理や化学、生物学)に則っている訳なので、そこに完全に対立するものは、やはりそのままでは無理で、取り入れられるにしても、含まれる心理療法的要素が抽出されるのだろうと思います。
伊勢田さんによる自然観の対立構図の考察は、恐らくその辺りも念頭に置かれているものなのではないかな、と見ています。
※本文でも出来るだけ引用しましたが、趣旨を損なっている虞はやはりあるので(伊勢田さんの記述は周到です)、可能であれば、伊勢田さんの本を参照する事をお勧めします(参照済でしたらすみません)
------
余談
たとえば鍼治療にしても、立場としては、
1)生気論的背景を支持し維持したい
2)自然観はともかく方法的には、経験的に合理的な方法が構築されてきたのであろうから、それを上手く正統科学的な体系で解釈・再構成したい
というアプローチがあると思われます。鍼灸の関連学会などは2で、伝統固守的で臨床的証拠を無視した効果を謳ったりするものが1ですね。
投稿: TAKESAN | 2011年1月15日 (土) 18:14
科学というものは、最終的に一つの理論だけが残るのです。ですから、医学が科学であるならば疑似科学は排除されるべきであるが、西洋医学・東洋医学とか、現代医学・代替医学、機械論・生気論などが対立的であったり、並立することはありません。ですから、都合のよいところをつまみ食いするような統合医療ということも有り得ない。科学とは最終的に物理学のことです、この世界で物理法則に反することは有り得ないのです。しかるに、現代医学は分子生物学や統計学などが科学的方法であり、科学的根拠とされています。ここに理論的な欠陥があるのです。我々は物質から構成されています、ところが現代医学は、現代物質科学の基本法則である量子力学とつながっていないのです。医学理論が統一されないのは、このようなことを言うと攻撃される状況にあるからです。それが分かれば、ほとんどの病気は、薬を使わずとも、物理的に即効的に治癒可能であることが理解できるでしょう。
伊勢田さんの本は、科学の階層構造や体系性について、認識不足のように思われます。
投稿: tondemo-igk | 2011年4月25日 (月) 02:45