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2011年1月に作成された記事

2011年1月30日 (日)

結びつける:ヒラメキパズル

ヒラメキパズル マックスウェルの不思議なノートVideo Gamesヒラメキパズル マックスウェルの不思議なノート

販売元:コナミデジタルエンタテインメント
発売日:2011/01/27
Amazon.co.jpで詳細を確認する

・オフィシャルサイト⇒ヒラメキパズル マックスウェルの不思議なノート(DS)オフィシャルサイト

これ、めっちゃ面白そうです。言葉で説明するより実際観てもらって……という典型なので、動画↓

元々海外のヒットゲームで、それをコナミがローカライズしたものだそうです。

ゲームシステムとしては、ある目的が与えられて、それを色々な道具を使ってクリアしていく、という流れですね。思いついた物の名前を入力したら画面に現れるので、それを動かしたり工夫していく、という。

で、その自由さと言うか柔軟さ、つまり、ある課題に一つだけ答えが用意されていてそれを当てればクリア、というのでは無くて、色々な道具を組み合わせて複数のやり方で解決出来る、というのがとても面白いですね。用意されている言葉も英語と日本語を合わせて20,000種類もあるそうですし、ローカライズがコナミだけあって、コナミならではの言葉もあるという。

友達とアイデアを出し合いながらやるとか、子どもと一緒にやるなどする、のも楽しそう。

価格も3,980円と手頃ですし、これはじわじわ来たりするかも知れません。

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2011年1月29日 (土)

メモ:鍼

※走り書き的。推敲も全くしない

鍼治療の特異性:鍼という物体を用いるという事

◆鍼療法の要素

  • 時間的
  • 空間的
  • 鍼(構成する物質)の物性

▼時間的要素

  • 刺したままにしておく長さ
  • 時間的順序関係

▼空間的要素

  • 位置
  • 深さ
  • 太さ

▼鍼の物理学的特性

  • 力学的
  • 化学的
  • 形態的(太さなど)

これらの要素の組み合わせ。入力はその組み合わせによって身体に「鍼が打たれる」事、出力は、打たれた人の変化。

従って、「原理」――生理学的機序であろうが形而上学的概念であろうが、生気論的自然観であろうが、何を想定しようが――をひとまず措き、入力と出力との関連を見、因果関係を探り、「効く」かどうかを確かめる事が出来る。

◆鍼治療における、鍼に非特異な要素

心理社会的要因

列挙

  • 効くと信じる
  • 効かないと信じる
  • 施術者の服装
  • 施術者の容姿
  • 施術者の話術
  • 施術者の経済
  • 家族や友人の働きかけ
  • 医療への不信
  • フィクションなどから得られた情報
  • マスメディア(テレビ・ラジオ・新聞)の情報
  • 雑誌などでの宣伝

これらの絡み合い。

◆鍼に特異的な効果

特殊な道具を用いた療法。その「道具に特異的」な効果を確かめたい。薬剤などで、ある物質なり「に特異的」な効果を確かめたいのと同様の問題意識。

▼効果研究

「確かめたいものを切り離して評価したい」

痩身に良いと称する方法で考える。

これをすれば痩せる、と謳う方法があったとして、「その方法を試したら”痩せた”」という報告があった→「その方法で」痩せた?:因果関係への問い

実態:その方法を行いつつ、

  • 食事量を減らす
  • 通学・通勤の方法をかえた(自動車・電車→自転車・徒歩 など)

などを行っていた→「どの要素が効いていたか判らない」

以下、これらの要素を「要因」あるいは「変数」とする。

痩身の例で言えば、

  • 方法
  • 食事
  • 運動

などの要因が同時に変化したために、どれが効いているか、つまり、今確かめたい「その方法は効いたのか」という文脈で考えれば、「方法に特異的」であったかが判らない。

▼どうやって調べるか

  • 集団を集めて確かめる
  • 確かめたいもの以外を揃える

などが必要。

集団を、というのは、沢山調べてみないと、一般的にそれが効くか、が確かめられないから。ある例外的な個人に強く作用するとしても、それが一般化出来るとは限らない(痩せる方法などのメソッドというのは普通、沢山の人に効く、と匂わせるものだ――取ってつけたような、胡麻のような文字で書かれた但し書きがあるにしても。

確かめたいもの以外を揃えるという事

先に書いたように、複数の要因が同時に変わった場合、「どれが効いているか」が判らない。だから、「確かめたいもの以外を一定にする」。

調べる人の性質を揃える事。より多様な人を集める事

ある年齢の人達だけ、女性だけ・男性だけ、特定の疾患を持っている、似たような体型の人ばかり、などだった場合、そういう性質の人びとだけにしか効かない可能性がある。「層別」に考えると言う。もちろん、特定の人達によく作用する、というポジティブな面もある。ひとかたまりにしたら見えない効果が層別したら出現する、という可能性もある。

より一般的な人びとに効くのか、を調べたいとしたら、より多様な人達を集めて調べる必要がある。ある選挙に出馬した候補者の全体での支持割合を調べたいのに、時間的空間的に固まった所を調べては無意味、という所に想いを馳せる事。

比較する事

先ほどの、痩せると称する方法、に戻る。

ある人が

  1. その方法を試す
  2. その方法を試さない

というのを同時に行う事は出来ない。(しまりすのような)タイムマシンを我々は持ちあわせていない。

「試してみたら痩せた」としても、「試さなくても痩せた」かも知れない(がそれは知りえない)。

だから、「試した人」と「試さない人」を「比較」する。「対照」と言う。

▼比較対照

2人集めて

  • 方法を試させる
  • 方法を試させない

として結果を見、前者が痩せ後者が痩せなかったとして、「方法は効いた」と言えるか。

言えない。

何故なら、「確かめたい」要因以外の様々な要因の変化が揃っていないから。

どうするか。前に戻る。「沢山の人を集めて比較対照する」

  • 方法を試させる沢山の人びと
  • 方法を試させない沢山の人びと

を対照する。

前者が痩せ後者が痩せなかったとして、「方法は効いた」と言えるか。

言えない。

何故なら、「確かめたい」要因以外の様々な要因が揃っていないから。

たとえば、方法を試した人びとがほぼ50代で、試さなかった人びとが大部分30代だったとする。その場合、年齢に絡んだ何かの要因が実は関わっているのかも知れない。あるいは、他の生活スタイルなど、確かめきれないものがあるのかも知れない。

▼ばらけさせる

調べたいもの以外を揃えると言っても、何か関わりそうな要因を悉く見出して全てを制御(統制:コントロール)出来る訳では無い。

→それぞれのグループで、確かめたい要因以外を揃えるために、グループへの「属し方をばらばらにする」

→それを「割り付け」や「割り当て」と言う。ばらけさせると言っても偏りは出うるが、その誤差を数学的に調べて結果を評価出来るように、ばらけさせ方にも工夫がある(くじ引きして、どのグループに入るかが偶然決まるようにする、など)。そのようなやり方を、無作為割付と言う。

直感的に、より沢山の人が参加する事で正確な結果が得られるだろう、と考えられる。例数を多くする、あるいは標本を大きくする、という。※それをどう採るか、というのも属性のばらけ方に影響するのは、先ほどの選挙の話から理解出来る。

▼もう一度、調べたいもの以外を揃える

調べたいのが、あるもののヒトに対する影響、というのは曲者。なぜならば、ヒトは与えられたものに対して色々考え、あるいは気づかない内に、「与えられたという現象そのもの」に対して反応する可能性があるから。そして、それが実際に身体に良い・悪い影響を与え得るから。

▼プラセボ効果

効かないと判っている物体を効くと称して与えられると、実際に病気なりが改善する、という現象が知られている。このような現象を「プラセボ効果」と称する。

その他実験の状況が与える作用としてホーソン効果なども知られている。

つまりこれは、調べたいもの以外を揃えたと考えていても、与えられるという実験の状況そのものが大きく働く要因になっている可能性がある、という事。

▼特異的効果と非特異的効果

あるものを確かめたい。「それ特有の」という事。「特異的」と言う。それ以外の作用を、「それ」について「非特異的」と言う。

そうすると、薬剤を与えるという実験で考えれば、薬を与えられたという「状況」の及ぼす作用は、「薬には非特異的」なもの、と言える。

▼盲検法

与えられる状況が影響するのならば、「偽物」を与える方法が考えられる。つまり、

  • 薬と称して薬を与える
  • 薬と称して偽物(味やにおいなどで区別のつかない、調べたい物質の含まれていない物体:プラセボと言う)を与える

グループの比較対照。

そうすると、「薬と称してものを”与えられた”」という条件が同じなので、

 (薬の作用+薬に期待した心理の作用(プラセボ効果)+その他諸々)
- (偽物の作用+薬に期待した心理の作用(プラセボ効果)+その他諸々)

と考れば、(偽物の作用は0だから)

薬の作用-偽物の作用

となり、薬の純粋な作用が確かめられる、という寸法。※上の数式めいたものは、現象を極めて単純化したもの

違う集団同士なのに

薬に期待した心理の作用(プラセボ効果)+その他諸々

を差し引けるの? と疑問を感じる場合は、上の「揃える」の話を見返す事。

この方法を、「盲検法」と言う。

▼引っ掛け

▼二重盲検法

沢山の人を集めた、きちんとグループに割り付けた、一方には薬を与えて一方にはプラセボを与えた、これで、

 (薬の作用+薬に期待した心理の作用(プラセボ効果)+その他諸々)
- (偽物の作用+薬に期待した心理の作用(プラセボ効果)+その他諸々)

と考えて薬の作用が測れる・・・のか?

厳密に考えるならば、

薬に期待した心理の作用(プラセボ効果)+その他諸々

が揃わない可能性がある。つまり、「与える側」の問題。

上で、ヒトの微妙な心理の話を書いた。これは、与える側にも言える事。

つまり、「本物と称して偽物を与える」人が、無意識的に態度を変える可能性がある。いや、「本物と称して本物を与える人」でさえも、なにがしか影響を受ける。手厚くなるか冷たくなるかはともかくとして。

であるから、「与える側もどちらか判らない」ようにする。そうする事で、調べたいもの以外の要因を揃えるという状況としてはほぼ理想的なものを設定出来る。このように、与える側も与えられる側も、どちらも判らないようにするのを、「二重盲検法」と言う。

※もっと言えば、データ解析者や診断を下す者にも偏り(バイアスと言う)が生じる可能性はある。その人達も目隠しすれば、三重盲検・・・という風に言う事は出来る。

※正確には、与えられる人も、「自分がどちらかのグループに割り当てられる」事は通常予め教えられる(倫理的な条件)。

▼難しさ

薬剤などは、ある物質が含まれた物体を与えるのであるから、何を調べたいかははっきりしている。飲ませるなりして、後を「揃える」事で確かめられる。※簡単だと言っている訳では無い。話としては比較的シンプルという事。

鍼はまず、「何を調べたい」のか、それが必ずしもはっきりしていない。先に挙げた、時空間的、あるいは物質の特性などの要因が絡み合っていて、それぞれの組み合わせのヴァリエーションにより流派をなしており、基本的な部分は共通しつつも(まさに「鍼を身体に当てる」)、かなり幅広いと言える。だから、「刺す深さ」「刺す順序」「刺す位置」などにも色々な違いある。

▼明確に

何を調べればいいか、何を調べれば体系が有効か無効か評価出来るか、それらを、支持者も懐疑者も研究者も、明らかにしなければならない。「何に特異的か」。位置か深さか時間か物体か。それぞれの相互作用か。

▼複雑化

これら条件を複雑なシステムと考えると、

  • メソッドとしての汎用性
  • 評価の可能性

の問題が出てくる。

しばしば、伝統的療法は複雑故科学では確かめられない、と嘯く者がいる。そういう者には、

そこまで複雑なものを何故習得出来るのか

と問う事が出来る。

そこに、長年の練磨により、複雑なシステムを体得する。それは非言語的であり、必ずしも分析的に記述出来ない

と反論される可能性がある。それに対しては、

それほど習得に苦労するものが、記述しにくいものが、なぜメソッドとして広く伝承されるのか、あるいは積極的にそうしようとするのか

と更に返せる。

初めから、現状明らかな解剖学的生理学的メカニズムと綺麗に対応してはいない体系なのだから、その知的体系に沿ったマニュアル化は出来ていない。

であるからこそ、観察可能な、手技としてコントロール可能な部分をいかにマニュアル化してあり、効果をきちんと評価出来る可能性に、苛烈な批判に開かれた態度をとるか、が重要。

▼発展? 融合? 吸収? 縮小? 消滅?

生理学的な機序も見出されている、と主張する人もいるだろう。

その場合には、「そもそも鍼治療とはシステマティックなもの」なのだろう、と問う。

仮に、伝統的に用いられる鍼のような形状の物体を刺すなりして、それに応じた生理的反応(特に好影響を与えそうな)が見出されたとしても、それは機械的刺激の及ぼす生理学的メカニズムの支持であって、「鍼療法体系」の支持では無い。部分的な解明の可能性は、体系全体の肯定を意味しない。

論理的にも科学的にも、ある範囲(時間的にしろ空間的にしろ)「にのみ」特異的な効果がある、というのは考えられる。全身には様々の神経や筋肉やその他組織が分布しているのだから、鍼状物体の機械的刺激が作用する可能性はある。

仮に、部分的な効果が認められたとして、言い方をかえて、「効果が”部分的でしか無かった”」事が判ったとして、もしくは、「効果が全く無かった」と判明したとしたら。

それを受け容れる事は出来るか否か。主張を狭め、あるいは現代医学体系に融合させる、または吸収させるのをよしとするか。あるいは療法体系自体を潔く棄て去る、その覚悟はあるか否か。

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2011年1月28日 (金)

ねたばれ

皆が放送直後に観る訳じゃないんだから、ブログや掲示板のタイトルに物語のネタバレ書いたりするの止めようよ。見出しに書かれるとちょっと防ぎようが無い。

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2011年1月25日 (火)

論宅さんの混乱

論宅さんのエントリー、偽薬効果を前提にしたニセ科学批判はニセ科学である。 を読みました。色々誤解やら混乱やらがあるように見受けられますので、指摘いたします。

 偽薬効果とは、偽薬であっても、本当に効く薬や治療法だと患者が思い込めば、一時的に本当に病気が改善するという効果である。

プラセボおよびプラセボ効果の概念の説明を、『シリーズ治験』:プラセボ効果のメカニズム(第1回) - 幻想第一 より引用します。※リンクなどははずした。強調は引用者による。以下同様

治験業務にまつわるガイドラインを策定する「日米EU三極医薬品規制調和国際会議(以下、ICHと略する。)」はプラセボを、「色、重さ、味及び匂いといった物理的特性を可能な限り被験薬に似せた、試験薬を含まない「ダミー」の治療」*1と明記し、「プラセボ効果」についても、「薬を使用していると考えることによって被験者に改善が見られること」と明確に定義しています*2。

プラセボとは要するに、確かめたい対象などに似せたものです。狭義には薬剤の試験に用いられる物体を指すでしょうし、もう少し広げると、シャム手術なども「プラセボ」と言われる場合もあるでしょう。「プラセボ効果」は、それらが与えられると認知する事による改善、という事ですね。※具合が悪くなるのをプラセボ効果に含める事もあるし、それを特に「ノセボ効果」と呼ぶ場合もある。参考に⇒プラセボフォルダ開放: Interdisciplinary

論宅さんが「一時的」と書いてあるのは、どこからそれが出てきたのか解りませんが、現象の記述としては、この部分のみで見るとそんなにおかしいものでも無いようです。

心理学でいうピグマリオン効果や社会学でいう予言の自己成就と似ているのである。つまり、ウソが本当をつくりだす現象である。このような現象は、意味システムである心理現象や社会現象のみで可能であると考えていたが、生命体システムにも起こりうる現象であるというのが興味深い。

「ウソが本当をつくりだす」という表現には何となくの違和感を覚えますが、それはともかく、心理現象を「意味システム」とし、「生命体システム」と切り離して論じているのはよく解りません。後、そんなにピグマリオン効果に似てますかね?

 言葉の意味内容が物質的世界たる身体に影響を与えるというのは、ある意味、神秘的であり、スピリチュアルである。言葉(意味付与作用)が物質世界たる身体に影響を与えるという因果関係を認めてしまえば、これまでの科学的知識を否定することになり、ニセ科学になっしまうのだろうか?※原文ママ

それは、勝手に因果関係を短絡させて考えるからで。与えられた行為について意味を認知し、それが身体的な反応をも齎す事がある、というのは、特に心理学的な論理に反する訳でも無いでしょう。というか、水伝さえもが、量子力学だの水の記憶だのを援用して物質科学的なメカニズムで説明をつけようとしている(そして失敗している)訳で、科学に絡めて現象の理路をそこまで単純化して論じている人自体があまり思いつきません。

 言葉の世界の出来事が身体現象に影響を与える偽薬効果という現象を認めることは、かえって非科学的ではないだろうか?偽薬効果のメカニズムに科学的根拠がないのなら、偽薬効果を認めることは非科学的である。科学的に完全に解明されていない偽薬効果こそが神秘的なのであり、その神秘的現象に基づいてホメオパシーを否定することで、かえって自らが非科学的になっているのである。

ここに関しては、

  • プラセボ効果は再現的に認められている現象である事。
  • 現象の説明として、必ずしもメカニズムが解明されている概念を用いなくとも構わない事。
  • ホメオパシーに効果が無いとは即ち、「レメディに効果が無い」という事。
  • レメディに効果が無いという事は、「レメディはプラセボに等しい(プラセボにしかならない)」という事。
  • ホメオパシーは、レメディが効くと称して与える体系なのだから、ホメオパシー全体として見て、そのアプローチで改善があったとしても、それは「プラセボ効果でしか無い」と言える事。

これらについて思いを馳せて頂くと良いでしょう。ここを踏まえるならば、

 ニセ科学批判者が、ホメオパシーは偽薬効果しかないとして批判することは、非科学的なことである。むしろ、ホメオパシーには、偽薬効果も治療効果もどちらもないという批判が純粋科学主義による批判なのである。ニセ科学批判者たちには、徹底せよと言いたい。

この批判は当たりません。ホメオパシーに対する批判は、効果らしきものが観察されたとしてもそれはプラセボ効果でしか無いであろう、という論ですし(レメディがプラセボに等しいから)、そもそも、調べたいものとプラセボとを与えた群、そして無介入の群を較べる事があるのは、無介入による自然変動とプラセボを与えた場合との差を見たいから、というのもある訳です(無介入の対照を心理学などで特に「統制群」と呼ぶ事もある)。それから、ホメオパシーのセッション部分に何らかの意味があった事を示唆する研究を、kumicitさんが紹介しています⇒忘却からの帰還: ホメオパシーは効く。ただしレメディではなく会話が。

 それは、偽薬効果が、言葉の意味内容→感情的反応→神経系・ホルモン系の反応→自然治癒力の向上→症状の改善というプロセスからなるという仮説である。さらに、多少の改善の兆候の認識によって、さらなるプラスの感情的反応が起こり、それ以下の過程もプラスになっていくと考えられる。例えば、偽薬を使用して少し改善したところで、周囲の人たちが偽薬の効き目が出て来ていると、集合的評価をすることで、益々偽薬への信じ込みによるプラスの感情が起こり、症状が好転するのである。偽薬効果においては、このようなプラスの循環をつくる社会心理的過程が重要なのである。

ご自分でメカニズムに関して仮定を置いて論じておられるではありませんか。その現象は「神秘的」であり「スピリチュアル」であったのでは? 要するにこれは、論宅さんが、ご自分では現象のメカニズムについて理論的に考察出来ているが他者はそうで無い、と思っておられるから書けるものなのでしょう。

ここで、「そのような事は既に考えられている」という論拠を示しましょう。

このように、既に心理学的な論理が想定され、そのアプローチによる研究がある訳です。そもそも、Wikipediaの「偽薬」の所にすら簡潔に触れられているのを、論宅さんはご存知無いのでしょう。

 偽薬を単独に取り出して分析するだけでは不十分で、偽薬を演出する治療共同体のコミュニケーション過程による患者の感情的反応の分析こそが必要なのである。偽薬効果には、このような社会心理過程が介在していることを忘れてはならないのである。

(強調と下線は私がつけました。)えっと、「偽薬効果には」と、現象の成立を前提しているではありませんか。「社会心理過程が介在」については、それをこそ専門家は研究している、という話です。研究が妥当かは別議論なので措くとして、そういうアプローチをしているものはいくつもあります。たとえば、プラセボと共に提示された「値段」の情報が与える影響であるとか、プラセボと教えて与えるのに改善されるのを示唆したもの、など。※念を押すと、ここでは、そういう方向からのアプローチの例として紹介。研究デザインの評価は措く

 ただ、科学を信じていない患者には、お守りなどのスピリチュアルなもののほうが偽薬効果はあると思われる。

理論的には充分あり得ます。それを「プラセボ効果」と呼べるかはともかくとして。というか、やはり現象の存在は前提としているのですね。という事は、

 以上のような心理・身体過程は、まだ科学的に十分に解明されていないわけであり、仮説にしかすぎないが、この仮説でもって他者を批判すること、すなわち偽薬効果でもってニセ科学批判をすることは、非科学的である。時折、ニセ科学批判者は仮説を科学的真理と思い込み、他者を批判するので要注意である。

やはりメカニズムが明らかで無いから批判者はおかしい、と主張されたいのでしょう。もちろん論点は違います。ホメオパシーへの批判は、レメディがプラセボでしか無い、だからホメオパシー全体を見れば、何かあってもそれはプラセボ効果だけだ、というものですし(レメディ以外の部分がどのくらいの強さで影響するかは批判自体には関係無い)、そこで論宅さんが言われている「仮説」というのは、「プラセボ効果のメカニズムに関する仮説」であって、プラセボ効果とされる現象が存在する事にかかっている訳では無いでしょう。とするとやはり論点が違います。

再び引くと、先に紹介したブログ 『シリーズ治験』:プラセボ効果のメカニズム(第1回) - 幻想第一 でも、

 治験業務にまつわるガイドラインを策定する「日米EU三極医薬品規制調和国際会議(以下、ICHと略する。)」はプラセボを、「色、重さ、味及び匂いといった物理的特性を可能な限り被験薬に似せた、試験薬を含まない「ダミー」の治療」*1と明記し、「プラセボ効果」についても、「薬を使用していると考えることによって被験者に改善が見られること」と明確に定義しています*2。

このことから、新薬開発の現場においてプラセボは、それなりの治療効果を持つものとして公式に認められていることが分かります。

こう書かれています。レメディはプラセボである、ホメオパシーにはプラセボ効果しか無い、ホメオパシーはプラセボ効果だ、等のそれぞれの表現をして、特に問題は無いでしょう。(最後はちょっと変ですが)ホメオパシーのセッション部分のここがこう心理社会的に作用している、と言い切って説明するのならともかく。

 さて、ニセ科学批判者には次のように考える者もいる。
 ホメオパシーは、希釈によって物理的に身体に影響を与える可能性がほとんどないので、物理的因果関係がなく、偽薬効果しかないが、一方、鍼灸、漢方薬、指圧などの東洋医学は、直接的に物理的身体に影響を与えており、科学的根拠が解明される余地があるので、偽薬効果だけではないというのである。従って、ホメオパシーと東洋医学を同列に扱ってはならないというわけである。

レメディは「効果が無い事が判った」ものです。当然、対象の機序に関して、科学の知見から「尤もらしそう」かどうか、が考えられる事はありますが、それを措いても「効果があるか否か」が臨床的に確かめられるかどうかが肝要です。ホメオパシー(レメディ)は、メカニズムとして有り得そうにない+実際に効果が無いと判った という事を考え合わせて、他の伝統的な療法と同列に扱う訳にはいかない、となるのです。それから、「偽薬効果だけではないというのである。」は誤りです。偽薬効果しか無いかどうかは、「確かめなければ判らない」のです。※私は、伝統的な療法だろうが何だろうが、効かないと判明したものは排除していくべき、という立場なので。他のCAMにしても、今医療に含まれているものでも、例外は無い

そして、

 科学的根拠が解明される余地は、物理的な直接的接触によって区別されるかどうかは、議論が起こることであろう。

ここから始まる部分も的を外しています。

 もし物理的な直接的接触のみが科学的である条件ならば、臨床心理学における心理療法などは非科学的だとして全て否定されることになるのである。

前提が誤っているので、ここなども当を得ません。飛躍しています。if が大きく誤っていればその後の論を意味あるものとして扱うに値しない、という好例と言えます。※それ以前に、効果研究が臨床心理学方面でも盛んに行われているのをまず知るべきでしょう。(『エビデンス臨床心理学』など)

 身体現象に影響を与える心理的はたらきかけは、全て偽薬効果と同じメカニズム(因果経路)をもつということを臨床心理士たちに公言して欲しいものである。いずれ臨床心理学は、精神分析学と同様に、ニセ科学として魔女狩りされる運命にあるのである。その危機感をもつ臨床心理士はまだ少ない。精神病棟に多くの臨床心理士が勤務しているが、ニセ科学批判者によって、心理療法が偽薬効果として断罪され、精神科医による投薬治療のみが生き残るのである。

非常に混乱しておられるようです。心理療法的アプローチと、プラセボが与えられる→改善される という現象とが部分的に同様のメカニズムを持つと考えられるからといって、「心理療法が偽薬効果」とはならないのは、先に挙げたプラセボ効果の定義からも明らかでしょう。尤も、心理療法はプラセボ、という言い回しもたまに見かけますが、それはもう、言葉の用い方が乱暴と言わざるを得ないでしょうね。※心理療法を批判する人は確かにいるでしょうし、心理療法の特異的効果を切り分けて評価出来るデザインの難しさもあるでしょうけれど、それはまた別の文脈です

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将来が現在に

ソニー、新型「PSP」を年内にも国内で販売へ=報道 (ロイター) - Yahoo!ニュース

まだSCEオフィシャルのプレスリリースなどは出ていないので、続報が待たれますが、前から情報は色々出ていましたね。

以前、

携帯ゲームの将来: Interdisciplinary

やっぱあれですか。PSPとか、

  • 有機ELディスプレイ搭載
  • 燃料電池搭載
  • 光ディスクメディア廃止
  • ダウンロード購入が主

てな感じになるんですかね。

こういうのを書きました。下二つは、PSPgoで実現されましたが、どうでしょう。コンシューマゲーム市場においては、現行のPSPの光ディスクメディア(UMD)での普及のされ方や、中古販売の定着ぶりから考えて、ダウンロード販売が一般的になる(光ディスクメディア廃止というかたちで)にはまだ時間がかかるのかも知れませんね。昨年に(SCE)平井CEOの発言の話が出た事もありますね。

有機ELディスプレイについては、ほう、と思いました。何となく、LCDよりも高コストなイメージがあったもので。モバイル等ではよく使われているようだから、そこまで違わない、というのもあったりするのでしょうか。

燃料電池に関しては、さすがにまだなのかな。先日、燃料電池関連でiPhoneに絡んだ情報が出はしたものの、さすがに噂の域を出ないでしょうから…。いずれにしても、長持ちするバッテリの開発は、この種の製品においては最重要の問題なのでしょうね。

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2011年1月23日 (日)

mechanics

洗い物をした。堆く積まれた食器が、干渉し、崩折れた。力学とはかくも壮麗な体系であったのか。

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2011年1月19日 (水)

はてブ追加

各記事のタイトル部分に、はてなブックマークへの追加のボタンを設置しました。

ココログフリーに、はてブアイコンを追加してみる: トグサ秋月の電脳設計室

こちらのブログを参考にしました。大変ありがとうございます。

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【自分用】今クールアニメ一覧的な何か

「えっと、今日更新されるアニメはどれだっけ…。」

最近は、WEB上で無料配信されるアニメも多くなり、良い時代になったものですが、配信サイトがバラバラなので、どれがいつ更新されるかよく解らない事もあると思います。

そこで、各曜日ごとに、その曜日に更新されるアニメ配信のページを貼ります。せっかくなので、観ていない/観るか不明 のものも貼りましょう。
※ニコニコ動画は要会員登録

日曜日

○『カードファイト!! ヴァンガード』

カードファイト!! ヴァンガード トライアルデッキ 聖域の光剣士 (ブラスター・ブレード) Toy カードファイト!! ヴァンガード トライアルデッキ 聖域の光剣士 (ブラスター・ブレード)

販売元:ブシロード
発売日:2011/02/28
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・公式サイト:カードファイト!! ヴァンガード|テレビ愛知
・配信サイト:カードファイト!! ヴァンガード - ニコニコチャンネル

月曜日

○『みつどもえ 増量中!』

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販売元:アニプレックス
発売日:2011/03/23
Amazon.co.jpで詳細を確認する

・公式サイト:みつどもえ
・配信サイト:みつどもえチャンネル - ニコニコチャンネル

○『レベルE』

レベルE 1 [DVD] DVD レベルE 1 [DVD]

販売元:アニプレックス
発売日:2011/02/23
Amazon.co.jpで詳細を確認する

・公式サイト:あにてれ:レベルE ※FLASH注意
・配信サイト:番組視聴 レベルE[テレビドガッチ]

水曜日

○『お兄ちゃんのことなんかぜんぜん好きじゃないんだからねっ!!』

お兄ちゃんのことなんかぜんぜん好きじゃないんだからねっ!! 1 [Blu-ray] DVD お兄ちゃんのことなんかぜんぜん好きじゃないんだからねっ!! 1 [Blu-ray]

販売元:キングレコード
発売日:2011/03/09
Amazon.co.jpで詳細を確認する

・公式サイト:StarChild:お兄ちゃんのことなんかぜんぜん好きじゃないんだからねっ!!
・配信サイト:お兄ちゃんのことなんかぜんぜん好きじゃないんだからねっ!!チャンネル - ニコニコチャンネル

木曜日

○『魔法少女まどか☆マギカ』

魔法少女まどか☆マギカ 1 【完全生産限定版】 [Blu-ray] DVD 魔法少女まどか☆マギカ 1 【完全生産限定版】 [Blu-ray]

販売元:アニプレックス
発売日:2011/03/30
Amazon.co.jpで詳細を確認する

・公式サイト:魔法少女まどか☆マギカ
・配信サイト:魔法少女まどか☆マギカチャンネル - ニコニコチャンネル

○『とある魔術の禁書目録II<インデックスII>』

[予約先着外付け特典DVD付] とある魔術の禁書目録II 第1巻 〈初回限定版〉 [Blu-ray] DVD [予約先着外付け特典DVD付] とある魔術の禁書目録II 第1巻 〈初回限定版〉 [Blu-ray]

販売元:ジェネオン・ユニバーサル
発売日:2011/01/26
Amazon.co.jpで詳細を確認する

・公式サイト:とある魔術の禁書目録II<インデックスII> 公式サイト ローマ数字は直した
※動画再生注意 

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2011年1月17日 (月)

ホメオパシーはプラセボだと言っている?

前回のエントリー http://seisin-isiki-karada.cocolog-nifty.com/blog/2011/01/post-2f12.html において、批判者が指摘するように『代替医療のトリック』では「鍼はプラセボに過ぎない」と断定的に言われているのかを、シンらが実際に言及している文を引用しつつ検討してみました。
そして、全体的に見て、鍼には概ねネガティブな評価ではあるものの、それが全てプラセボ(あまり正確な表現では無いですが、『代替医療のトリック』の記述に合わせます。ここでは、○○はプラセボである/に過ぎない といった表現は即ち「効かない」事を指している、と考えて下さい。また、タイトルの「ホメオパシーは」は正確にはホメオパシー・レメディは、です)であると断言はせず、出版当時の研究の状況を鑑みつつ慎重な記述に留められている、と示しました。

恐らく、エントリーを読まれ(そこでも触れましたが)、あれは単に慎重そうに書いただけで、結局は鍼がプラセボであると言っているも同然なのでは? と訝る方もおられたでしょう。たとえばはてなブックマークで、

BigHopeClasic 医療 まず、英語は断定的な物言いを避ける傾向があるので、こういう表現は実は断定的な事が多い。/加えて、科学は反証可能なものだから、100%の断定はこの手のことではしない。 2011/01/16 http://b.hatena.ne.jp/entry/seisin-isiki-karada.cocolog-nifty.com/blog/2011/01/post-2f12.html

このような意見を下さった方もおられます。しかし、実は「そういう話では無い」のです。と言うのも、『代替医療のトリック』の著者は、別のものについては「断定的な物言いをしている」からなのです。※1 本を既読の方は、ははあ、とピンときたかも知れませんね。そうです、ホメオパシーについての記述です。その部分は、鍼への言及の所とはまさに対照的です。という訳で、該当する部分を引用してみましょう。

※1 ちなみに、英語は断定的な物言いを避ける傾向がある、という話は初めて見ましたが、それが本当かは知りません。ブクマコメントの後段についてはこれから書く事が応えになりますが、一般論として、科学的な命題が覆される可能性があるのは当然だが、文脈的に、効果研究によって「効かない」と断定的に判断される場合がある、というのも基本的でしょう。別に論理学的厳密な証明の話をしているのでは無いのだから

※引用文献:『代替医療のトリック』
※修飾は引用者による

 以上、ホメオパシーの歴史を概観し、この治療法の有効性を判定するために行われてきた多くの取り組みを紹介するために相当の紙幅を割いてきたが、結論は簡単だ。これまでに何百件という臨床試験が行われてきたが、どの病気に対しても、ホメオパシーを支持するような、有意の、ないし説得力のある科学的根拠はひとつも得られていない。逆に、ホメオパシー・レメディにはまったく効果がないことを示す科学的根拠なら多数あると述べておくのが公正だろう。(後略 P182・183)

いかがでしょう。これは「結論」部分ですが、非常に強く、断定的な表現です。しかも、「結論は簡単」とまで言い切っています。

※以上は「第III章 ホメオパシーの真実」より引用。以下は「第VI章 真実は重要か?」より引用。

 ホメオパスは、自分たちのレメディにはたしかに効き目があると言うだろうが、もっとも信頼できる厳密な科学的根拠によれば、ホメオパシーのレメディには中身がなく、患者に及ぼす効果は全面的にプラセボ効果によることがわかっている。(P314)

ここでもはっきりと書いています。「全面的にプラセボ効果による」というのは、「レメディに特異的な効果は無い」、即ち「レメディは効かない」と同義です。

 花粉症の患者に対しても、有効性の証明された、眠くならない抗ヒスタミン剤に加えて、おまけとしてついてくるプラセボ効果を用いるほうが、プラセボ効果だけしかないホメオパシー・レメディを使うよりずっといいだろう。(―中略―)通常医療の風邪薬には、実証された効果に加えてプラセボ効果もあるのだから、プラセボ効果だけしかないホメオパシーの飲み薬よりはましなのだ。(P320)

これは、「プラセボ効果だけしかない」ホメオパシー・レメディを使うのなら、薬効+プラセボ効果(薬を与えられる文脈による心理的な作用とでも考えて下さい)の期待出来る標準薬を用いた方が良いだろう、という主張ですが、やはりレメディは全く効かないと言っています。続けて、アメリカにおける「スネークオイル」の例を出し、

 スネークオイルも超高度希釈のホメオパシー・レメディも、有効成分は含まれておらず、プラセボ効果だけしかない。(P321)

こう論じます。

ホメオパシーはプラセボ効果しか期待できない純粋な偽薬の典型で、ホメオパシーの効果はすべてプラセボ効果であり、科学的根拠にもとづいて判断するなら、この治療法を用いることは正当化できない。(P349)

いかがでしょう。「純粋な偽薬」「すべてプラセボ効果」というのは強烈な表現です。「全く効かない事が判っている」のと同義なのですから。
※これは、医療においてプラセボを用いる事は正当化出来るか、という文脈での文ですが、その議論についてはひとまず措いておきます

最後に引用するのは、ディラン・エヴァンズが著書で行った、ホメオパシー・レメディに、エビデンスを正確に反映したラベルを貼ってみてはどうか、という提案にシンらが同調し、それを他の代替医療について当てはめてみた場合にどうなるか、と想定している部分です。つまり、ホメオパシーにしろ鍼治療にしろ、臨床的根拠に従った情報開示を正確に行うというのは興味深い試みなのではないか、と同調している訳ですね。そこに端的に、ホメオパシーと鍼に対する見方の違いが現れています。まず、レメディ(の容器なりに)にこのラベルを貼ってはどうか、というエヴァンズの提案です(『代替医療のトリック』P369)。

 注意:この製品にはプラセボ効果しかありません。ホメオパシーを信じていて、症状が痛みや抑鬱などである人にのみ効果があります。その場合でも、通常医療の薬のような強い効果は得られないでしょう。通常医療の薬よりも副作用は起こりにくいですが、効果も少ないでしょう。

※このエヴァンズの提案に乗るかはまた別問題。受け容れるにしても、「プラセボ効果概念」自体についての詳細な情報提供が必要になる、と思われる

次に、シンらによる、鍼の場合にどう書けるか、という例です。

 注意:この治療法については、いくつかのタイプの痛みや吐き気には効果があるという、わずかな科学的根拠が得られているのみです。それらの症状に効いた場合も、効き目は長く続かず、非常に小さなものとなるでしょう。通常医療の治療にくらべて費用がかかり、効果は小さいとみてまず間違いありません。この治療法の主な効果はおそらく、痛みや吐き気に対するプラセボ効果でしょう。それ以外のすべての病気に対して、鍼にはプラセボを上回る効果はありません。鍼は、訓練を受けた施術者に打ってもらえば、かなり安全な治療法といえます。(P370)

どうでしょう。ホメオパシーに対する書き方(エヴァンズのものだが、それを援用しているので賛同していると見て良い)とは全然違うと言えるのではないでしょうか。極めて慎重です。ちなみにこの後に、ハーブ療法についても同様の想定がありますが、そこでは例が二つ出されています。即ち、イブニングプリムローズオイルとセントジョンズワートが例に出され、前者は「プラセボ効果しかありません。」(P371)とし、後者には、「軽いか、または中程度の抑鬱状態に効果があるとの科学的根拠があります。」(P371)としています。いかにホメオパシーについて容赦の無い、断定的な物言いをしており、他のものは慎重に記述しているか、というのが解るでしょう。※ホメオパシーは、慎重に考えても効かないとしか言いようが無いと判断している、と見る事が出来る

ここまで見てきた事から、より一層、「鍼はプラセボに過ぎない」という判断を著者がしていない、と考える事に納得が行くのではないか、と私は考えるのですが、読者の皆さんはいかがでしょうか。

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2011年1月16日 (日)

「鍼はプラセボに過ぎない」と本当に言ったのか?

サイモン・シン&エツァート・エルンスト 『代替医療のトリック』といえば、臨床的・疫学的な証拠に基づいた方法に関して実に明瞭に説明し、その観点から、代替医療の中でもよく知られたものに関して、果たしてそれは効果があるのかを、丁寧に分析・評価している良書です。

そんな優れた本ではありますが、(本の構成から当然の事ながら)実際に検討された療法に関わる人びとから、様々な反論が提出されています。
今回採り上げるのは、その中でも鍼治療に関する部分です。

大まかに言って、本書では、採りあげた各種代替療法に関して、大部分にネガティブな評価が下されています。ですから、実際に従事している人から反論があるのは当然であると言えます。鍼に関しても同様で、実践家や学術研究者からも、色々の内容の批判が投げかけられているのですが、その中でしばしば見かけるのが、

鍼はプラセボに過ぎない

と、シンとエルンストが評価しており、その分析は不当である、というものです。
しかしながら、私はこの種のものを目にするたびに、何となくの違和感を覚えるのです。果たして筆者は、「文字通りに」そう言っていたのだろうか、と。

このエントリーでは、上記のような反論が実際に行われている例を引き、そして実際に『代替医療のトリック』にはどう記述されているのかを検討していきます。

ちょっとの言い回しの違いがそんなに拘るべきか、と訝る向きもあるかも知れませんが、ここは今対象としている議論においてはとても重要な部分と考えられますので(ある療法を効かないと言い切っているかどうか)、検討する価値はあるものと信じます。

では見ていきましょう。尚、このエントリーでは、各批判の詳細に立ち入る事はしません。あくまでどういった記述があるかを検討するのが主旨なので、ご了承下さい。

まず、『代替医療のトリック』に対する反論の内、当該書が「鍼はプラセボに過ぎない」と評価を下していると看做し、それに基づいて論を進めている、研究者による文章を引用します。その他に、実践家による(研究者と実践家が重ならないと言っているのでは無い)同様の批判は沢山見られますが、研究者が学術的な知見を押さえつつ批判を展開している事、実践家はその批判を援用しているのも多くある事から、実践家によるものは紹介しません。検索するなどすれば容易に見つかるでしょう。
※強調は引用者による
※PDFファイルでの改行を適宜修正した

▼川喜田健司 『「代替医療のトリック」の鍼治療に関する記述の問題点』(PDF) http://www.jstage.jst.go.jp/article/jjsam/60/2/252/_pdf/

鍼の効果には科学的根拠がなくプラセボ効果に過ぎないという結論を導いています。

------

これらの事実は、本書の主張する鍼の効果がすべてプラセボ効果とする見解とは相容れないものである。

▼小川卓良 ”「『代替医療のトリック』に答える”(PDF) http://www.harikyu.or.jp/gakuzyutsu/201004-shouroku.pdf

『トリック』での鍼についての結論は「鍼治療効果はプラセボに過ぎない」というものである。

▼小野直哉 『「代替医療のトリック」での鍼に対する批判的吟味への批判的吟味』(PDF) http://blogs.shiminkagaku.org/shiminkagaku/csij_lecture_101006.log.pdf
※上記の川喜田、小川の論の援用だが、互いの主張がコンパクトにまとめられていて参照しやすいので紹介。内容は先の引用文献と同様

------------

このように、鍼治療研究の専門家は、シンとエルンストが「鍼はプラセボに過ぎない」と評価していると捉え、その見解に反撃を加えています。

では、実際に『代替医療のトリック』ではどうように記述されているのでしょうか。

初めに結論を書きます。私が読む限り、当該書においては、

著者は「鍼はプラセボである」と断定してはいない

と考えます。全体の書き方から見て、そう判断します。
ただ、書き方にブレがある、と感じられるのも確かです。そこで、関連すると思われる部分を、なるべく文脈が把握出来るように長めに引用して検討を試みましょう。
※以下、『代替医療のトリック』から引用。文末に引用元ページを示す。強調等の修飾は引用者

 はじめに、鍼治療師にとって悪い知らせから見ていこう。コクラン共同計画の系統的レビューによると、次に挙げる症状のどれについても、鍼の有効性を示す根拠はない。タバコ中毒、コカイン依存症、分娩誘発、ベル麻痺(顔面神経麻痺)、慢性喘息、心臓発作のリハビリテーション、逆子、鬱病、てんかん、手根管症候群、過敏性腸症候群、統合失調症、関節リウマチ、不眠症、非特異的腰痛、上腕骨外上顆炎、柔組織肩損傷、つわり、採卵(体外受精の成功率を高めるために鍼療法が行われている)、緑内障、血管性認知症、月経痛、むち打ち症、脳卒中。コクラン共同計画のレビューは、数十件の臨床試験を調べた結果、これらの症状に対する鍼の効果は単なるプラセボ効果であると結論している。(―中略―)しかし、それぞれの臨床試験の信頼性はどうであれ、最終的に得られた結論はこうだ。中国で数千年にわたり使用され、多くの国々で何十年ものあいだ科学的に研究されてきたにもかかわらず、右に挙げた病気のどれに対しても、鍼の使用を支持する確固とした科学的根拠はない。(P106・107)

ここで、「単なるプラセボ効果である」という表現が出てきます。しかし、前後を見れば解るようにこれは、挙げてあるいくつかの症状について書かれているものです。

 次に、鍼治療師にとって良いニュースをみていこう。症状によっては、コクラン・レビューで多少肯定的な結果が得られているものがある。妊娠中の背中から腰にかけての痛み、腰痛、頭痛、手術後の吐き気および嘔吐、化学療法により引き起こされた吐き気および嘔吐、首の疾患、夜尿症がそれだ。これらの症状については、コクラン・レビューは多少前向きだ。要するに、鍼について肯定的な結論が出ているのは、夜尿症を別にすれば、ある種の痛みと吐き気だけなのである。(P108・109)

このように著者は、コクラン・レビューにおいて肯定的な結果が見出されているものも紹介しています。ただし、「コクラン・レビューがこれらに対して鍼で治療することを強く支持しているわけではないことに注意しよう。」(P109)と釘を刺してはいますが。

続いて著者は、これらの証拠に必ずしも十分な説得力がある訳では無い事を指摘し、エルンスト(本書の著者の一人)のグループによる研究を紹介します。即ち、エルンストのグループのメンバーである朴が開発した偽鍼(伸縮型で皮膚に刺さらない。シングルブラインドテストが可能)を用いた研究です(ドイツのチームも同様の鍼を開発)。そして、

 初期の結論は、鍼治療師にとってはおおむね残念なものだった。慢性的な緊張性頭痛、化学療法による吐き気、手術後の吐き気、偏頭痛の予防などの治療について、本物の鍼の方が、偽鍼よりも効果があるという説得力のある根拠はただのひとつも得られなかった。つまり、これら最新の結果は、より肯定的なコクラン・レビューの結論と矛盾するものだったのだ。(P111)

と論じます。つまり、刺す深さを変えたり位置を変えたりするよりも正確に判断が出来る朴らの伸縮鍼による研究で、肯定的であったコクラン・レビューの結果が覆された、と見る訳です。続けて著者は、この展開が意外では無いとし(より質の高い臨床試験がデザインされればそれまでの知見と相容れない結果が新しい研究により見出される事はあり得る)、

研究者たちが過去の臨床試験からバイアスを取り除けば取り除くほど、鍼はプラセボにすぎないことが示唆されるようになったのだ。もしも研究者が完全無欠な臨床試験を行えるようになれば、そして、もしも臨床試験の質が上がるにつれて鍼の効果が消えるという傾向がこのまま続くなら、最終的には、実は鍼にはほとんど効果がないということになりそうだ。(P111)

こう考察します。ここでは、「示唆」という慎重な言い回しを用いています。かなり注意深い表現だと言えるでしょう。ただ、次に理想的な研究があれば、と仮定し、ネガティブな展望を語ってはいます。※そこでも「ほとんど」と入っている事に注意

そして著者は、理想的な臨床試験(ダブルブラインドテスト)は不可能であろうと論じ(※ここは後ほど触れます)、続けて、大きな例数をとってアプローチした研究、つまりドイツにおけるメガトライアル、の検討に移ります。

 メガ・トライアルはなにしろ規模が大きいため、実施にも長い年数を要した。実験が終了したのはごく最近で、得られたデータは今も解析中である。しかし二〇〇七年には、メガ・トライアルのそれぞれの試験から結論が出はじめた。それによると、本物の鍼のほうが、偽鍼よりもごくわずかに成績が良いか、または同じだった。どのレポートにもほぼ次のような文言が含まれている。「偏頭痛の改善に関しては、鍼には偽鍼と同程度の効果しかなかった」。つまり、それまでの傾向が続いたということだ。臨床試験の精度が上がり、信頼性が高まるにつれて、鍼の効果はプラセボにすぎないようにみえてくるのである。(P112・113)

ここでも「プラセボにすぎない」という表現が出てきます。しかし、そこに続けて、「ようにみえてくる」と付け加えられています。これは、「敢えてつける事によって逃げをうっている」ように捉える人もいるでしょうが、私は、まだメガ・トライアルの結論が出切っていない事、理想的なデザインの臨床試験が行われていない事を踏まえた「留保」の表現と見ます。これは、鍼の章におけるまとめ(結論)で、非常にネガティブだけれども慎重でもある記述が書かれている所からも窺えます。

 鍼に関する研究の歴史は、過去三十年にわたって紆余曲折があり、今後も研究論文は出続けることだろう。とくに、最近開発された伸縮型偽鍼による臨床試験の結果や、ドイツのメガ・トライアルの結果がより完全な形で報じられるはずだ。しかし、これまでに行われた研究の結果は高い水準で矛盾なくひとつにまとまっている。したがって、鍼についてすでにわかっていることは、真実にかなり近いように思われる。(P113)

ここの主張を簡潔にまとめると、

  • 今後も研究は進められ知見は蓄積される
  • 最近の伸縮型の鍼やメガ・トライアルの結果がより明らかになる
  • しかし、現状の知見は質が高く整合性がある

といった所です。確かに非常にネガティブな評価ではありますが、しかしそれでも留保的な表現、「かなり近いように思われる。」といった表現が付け加えられています。これは非常に慎重であるように見えます。そして、

3 質の高い研究だけに絞って行われた信頼できる系統的レビューから、幅広い病気について、鍼にはプラセボを上回る効果がないことが示された。したがって、鍼治療院の宣伝を目にしても、実際には効果はないと思ってよい。ただし、いくつかの種類の痛みや吐き気には効く可能性はある。

4 いくつかのタイプの痛みや吐き気について、鍼を支持する質の高い臨床試験もあるが、質の高い臨床試験で、それとは逆の結論を出しているものもある。つまり、そのような症状の治療法として鍼を支持する科学的根拠には、一貫性も説得力もなく、どちらとも言いかねる状況である。(P144)

こうまとめます(「結論」部におけるまとめの内二つ)。この後には、効果が吐き気や痛みに限られているとしても、効果は小さいであろう、そして安価な鎮痛剤を使う方が経済的であろう(英国の状況を前提)、という批判者の見方を紹介していますが、それでも、効果が全く無いと断定はしていません。あるとしても、喧伝されているほど広い対象には効かず、それほど効果は大きくも無いだろう、という判断だと言えます。※この見方は専門家もよく考えるべきでしょう。まさか、「現在宣伝されている効果の範囲を狭めるべきでは無い」などという信念は持っていないであろう事を願います。全ては良質な臨床的証拠に委ねるべきなのですから。

そして著者は、想定される反論に対して答えつつ、

 本章では、鍼はプラセボにすぎないという可能性が極めて高いことを明らかにした。

こう結びます。ここにおいても、「可能性」という語を用いているのです。尤も、この後には、プラセボ効果(ここでは、鍼に非特異的な効果の内、「鍼」という道具に対する心理社会的な反応によるものを指す)しか期待出来ない療法を用いるのは是か非か、という問題に踏み込んでいて(詳細は後の章で論じられる)、それに鍼を当てはめている風ではありますが。

------------

さて、いかがでしょうか。本書に対する反論、および本書での記述を比較して、どのような感想を持たれたでしょう。
もしかすると、「留保しているような表現ではあるが、全体の流れを見れば、結局の所”プラセボに過ぎない”と同等ではないか」と評する方もおられるかも知れません。しかし私は、「全体を見て」本書における留保は、まさに「臨床的証拠に基づいた」留保である、と判断しました。当然、著者がより良質な証拠を見逃していた、などの「可能性」はあります。しかし、本書で紹介されている証拠に基づいて、極めて慎重に論が進められている、というのが私の印象です。

追記
ちょっと抜けがありました。『月刊 医道の日本』における『代替医療のトリック』に関する座談会において、ダニエル・チャーキン氏の研究について触れられていたようですが( http://twitter.com/#!/akimi_o/status/26305833776185345 )、該当の部分を引用してみます(P116)。

たとえば、本書が印刷所にまわされようという時点で、慢性の腰痛に関して、六百四十人の患者を含む臨床試験の結果が出た。アメリカの国立衛生研究所から研究資金を受けて、ダニエル・チャーキンが進めているその研究によれば、偽鍼には本物の鍼とまったく変わらない効果がある。この結果は、鍼療法は強力なプラセボにすぎないという見解を支持している。

これを見れば解るように、「プラセボにすぎないという見解を支持」と書いてありますが、それは、「慢性の腰痛に関して」行われたチャーキン氏による研究(の一部?)、にかかっている訳ですね。

座談会では2009年のチャーキン氏の見解に触れられていない所が指摘されているようですが(私は座談会未読)、引用文にも「本書が印刷所にまわされようという時点」とありますので、当然、言及しようも無いです(原書は2008年出版)。

------------

余談。 鍼のダブルブラインドテストについて。

著者は111ページにおいて、

 しかし残念ながら、完璧な鍼の臨床試験を行うのは不可能だろう。なぜなら、理想的な臨床試験は、二重盲検でなければならないからだ。

と論じています。つまり、理想的にはダブルブラインドによる臨床試験が行われるのが望ましいが、しかしそれは鍼では不可能であろう、としている訳です。

ですが、実は日本の研究者が、ダブルブラインド用の鍼を開発しています。

プラシーボ鍼及びダブルブラインド用鍼セット http://webcache.googleusercontent.com/search?q=cache:znNGSc-62xwJ:patent.astamuse.com/ja/granted/JP/No/4061397/ ※エントリー執筆時点でリンク切れなのでgoogleキャッシュ

これは、安全性を考慮した鍼および、ダブルブラインドに用いられるようにデザインされた偽鍼のセットの特許情報です。詳細を見ると解りますが、実に周到に考えられた、唸らされるデザインです。現在、この偽鍼を使った研究も進められているようです。既存のものよりも更に質の高い知見が得られる事が期待出来るでしょう。この観点から見れば、シンとエルンストは些か早計な判断を行ったと言えます。

代替医療のトリックBook代替医療のトリック

著者:サイモン シン,エツァート エルンスト
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2011年1月13日 (木)

コンテクスト

プラセボもホメオパシーレメディも「ただの効かない物体」ですが、
ホメオパシーレメディは「ただのプラセボ」では無いですね。

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使い方のパターン

さすがにこのテンプレートでは崩れまくったので、はてなの方で改めて……。

http://d.hatena.ne.jp/ublftbo/20110113

どう考えても無理のある書き方ですけど…。

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2011年1月11日 (火)

「代替医療」概念の捉え方と考察の仕方について。それから僭越な補足

伊勢田哲治さんが書かれた『疑似科学と科学の哲学』といえば、科学と疑似科学との「線引き問題(境界設定問題)」を主題として科学哲学の案内をするというユニークな本であり、科学哲学の入門書としても良書で(ただし簡単では全く無い)、いわゆるニセ科学(や疑似科学)に関心を持つ人の中でも参考文献として読まれた方は多いと思います。

さて、そんな良い本ですが、先日から再読していて、代替医療について書かれている部分の記述が少し気になりました。これは、「代替医療」という概念をどう捉えるか、そしてそれについてどう考察するか、という一般論に関わる部分なので、ここで引用しつつ論じてみたいと思います。

参考文献:伊勢田哲治 『疑似科学と科学の哲学』(2003年 初版第1刷)「(第4章)1.代替医療と機械論的自然観」 P152-168 までの範囲。

この節は、「代替医療」と呼ばれるもの(および、それと標準医療との対立)の考察を通して、哲学的な自然観、すなわち生気論・目的論的 自然観と機械論的自然観との対立の構図(が現代に持ち越されている)を炙り出す、という流れで書かれています(その後に、政策問題を絡めた論があるが、それはここでは言及しない)。いきなりまとめ部分から引用してみましょう(P166)。

 生物学の歴史をこのようにまとめなおすなら,正統医学と代替医療の対立は,実は機械論的生命観と生気論的生命観の間の対立が現代にもちこしてきたものだと見ることが出来る。

このように伊勢田さんは、「正統医学」と「代替医療」の歴史的な背景としてそれぞれ、「機械論的生命観」と「生気論的生命観」とを当てはめ、その対立が現代に持ち越されているのだと考察します。流れとしては、代替医療について「多くのものにあてはまる特徴」(P153)を挙げ、具体的な療法(鍼治療やホメオパシー)の方法や原理(と支持者が主張するもの)を紹介した上で、それらの主張が基づいているであろう世界観(生気論・目的論 的自然観)を解説し、現代の標準医療(とそれが依拠する機械論的自然観)との対立を見る、という感じでしょうか。

この議論の前提として、伊勢田さんは、

当然ながらこれほど多様な代替医療すべてに共通する性格というのを挙げるのは無理だが

------

正統医学でもこうした治療が腰痛などに効果があることは否定していない。しかし,正統医学の側から代替医療が批判されるのは,代替医療の主張ががそういう穏健なものからかなり極端で「いかがわしい」ものまで連続的につながっていて,穏健な主張がいかがわしい主張を正当化するために使われがちだという点である。

------

以下本書では簡潔さを重んじて「代替医療は」などとひとくくりにするが,正確にいえば「代替医療の中でも疑似科学として批判される部分」について論じていくつもりなので,一応それは念頭に置いて読んでほしい。

と書いています(P153・154)。つまり、代替医療の内に含まれる疑似科学的な部分を抽出して「代替医療は」と論じていく、という事です。
私が違和感を持つのはここです。要するに、こういった前提を置いていたとしても、「代替医療」はと一般化して論ずるのは少々危ういと言うか、誤解を呼ぶ可能性があるし、何より、それを見て、「代替医療の実践者や研究者」は必ずしも納得はいかないのではないか、と思うからなのです。端的に言えば、「代替医療の背景に生気論や目的論のような世界観を設定」されるのに納得行かない人もいるのでないかな、と。

なにしろ、「代替医療と機械論的自然観」というタイトルの節です。中にいる人にとっては、「極端なのがあるのは確かだがそれと一緒にしてくれるな。」とか、「なぜ”代替医療”の中の”疑似科学として批判される部分”がピックアップされねばならないのか。」などと感ぜられるのではないでしょうか。伊勢田さんが注意深く書いていたとしても、「ひとくくり」にするという所にもやもやしたものを感ずる人がいるかも知れません。

たとえば、今ここを読むまで、「代替医療はそもそもアヤシゲ」と思っていたり、そう論じている意見を見た事があったり、という人、いません? 場合によっては、そういう認識を強化してしまう、という不安を少し持った訳です。※読み手の読解力に帰せられる問題かが微妙な所なので

という事で、ここでは、「代替医療」という概念はどんなものか、というのを、色々の資料を参照しつつ見て行きたいと思います。伊勢田さんの本を併せて読み、何らかの参考になれば幸いです。

まず、この種の議論で最も重要な、「定義」の問題です。
代替医療の専門家の見解の前に、伊勢田さんの記述から見てみます。伊勢田さんは、この概念について特に定義はせずに、

 代替医療(オルターナティブ・メディシン)という言葉は非常に広く,西洋近代医療の枠におさまりきらない医術的な行為全体をカバーするような使われ方をしている。

と書き(P152)、『代替医療ガイドブック』からいくつか代替医療の例を引いた上で、それらに共通するであろう内容を4つ挙げて論じていく、という(列挙型とでも言いましょうか)流れです。

では次に、具体的にどう定義されているかを見てみましょう。

▼日本補完代替医療学会 http://www.jcam-net.jp/info/what.html

日本補完代替医療学会では、[現代西洋医学領域において、科学的未検証および臨床未応用の医学・医療体系の総称]と定義しています。

日本補完代替医療学会の定義は、大学で代替医療を研究する所の説明などでしばしば引用されるもので、CAM(補完・代替医療)に関する主要な学会のものでもあるので、代表的なものとして挙げても構わないでしょう。

▼[SUCRA] - わが国の代替医療の現状とその市場規模 http://sucra.saitama-u.ac.jp/modules/xoonips/detail.php?id=KY-AN00109186-24 ※PDFで参照可能

代替医療と総称されるようになったのは 1970年代に入ってからで, アメリカに端を発する。現在, 国立補完代替医療センター (National enter for Complementary and Alternative Medicine:以下, NCCAM と称する) を中心として様々な研究が行われているが, NCCAM は次のように定義している。

Complementary and alternative medicine, as
defined by NCCAM, is a group of diverse
medical and health care systems, practices,
and products that are not presently consid-
ered to be part of conventional medicine.
While some scientific evidence exists regard-
ing some CAM therapies, for most there are
key questions that are yet to be answered
through well-designed scientific studies -
questions such as whether these therapies are
safe and whether they work for the diseases or
medical conditions for which they are used.

要訳すると, 「NCCAM の定義によれば, 補完代替医療というのは, 現時点で従来の医学の一部であると看做さない, 種々の医療やヘルスケアシステムの分野, 諸慣習および製品である。 補完代替医療の中には, いくつか科学的な根拠に基づくものもあるが, これらの治療が安全かどうか, それらが疾病そのものや治療で利用されるときの病状に作用するのかどうかというような重要な質問に対して, しっかりデザインされた科学的研究を通して未だに答えられていないものが殆どである」となろう。 すなわち, 現代西洋医学領域において科学的未検証および臨床未応用の医学・医療体系の総称としている。

ここでは、前述の補完代替医療学会の定義とともに、国立補完代替医療センター(NCCAM)の定義が引かれています。(強調は引用者による)
※NCCAMによる定義と分類は
What Is Complementary and Alternative Medicine? [NCCAM CAM Basics] http://nccam.nih.gov/health/whatiscam/#definingcam

再び、両方の定義を見てみましょう。

現代西洋医学領域において、科学的未検証および臨床未応用の医学・医療体系の総称

補完代替医療というのは, 現時点で従来の医学の一部であると看做さない, 種々の医療やヘルスケアシステムの分野, 諸慣習および製品である。

これらの定義を見て分かるのは、「代替医療(あるいは補完・代替医療)」の概念が、「現時点で」「標準医療」<では無い>というかたちで定義づけられている事です。つまり、今は標準的な医療に含まれていない療法の総体。
※その他、色々の定義の例について、
「情報:農と環境と医療」(北里大学学長室通信):代替医療とeCAM http://www.kitasato-u.ac.jp/daigaku/noui/newsletter/noui_no09.html#p04
で紹介されているので、参照下さい。

このような定義からも明らかなように、CAMには実に様々なものが含まれ得ます。なにしろ、今標準医療で無い療法が全部含まれるし、それは次々に生み出される可能性があるのですから。例を挙げてみましょう。※強調は引用者による

▼臨床研究開発補完代替医療学講座|大学院医学系研究科・医薬保健学域医学類 [金沢大学] http://www.m.kanazawa-u.ac.jp/outline/gaiyou/dep05/dep5-02.html

補完代替医療とは,【現代西洋医学領域において,科学的未検証および臨床未応用の医学・医療体系の総称】と定義されており,「通常の医学校では講義されていない医学分野で,通常の病院では未だ実践していない医療のこと」である。補完代替医療の範囲は広く,世界の伝統医学はもちろん,ハーブ療法,ビタミン・微量元素等のサプリメント,栄養補助食品(抗酸化食品群等),アロマセラピー,食事療法,精神・心理療法,温泉療法,音楽療法等々すべてが包含されている。

▼健康・栄養ニュース(独立行政法人 国立健康・栄養研究所) http://www.nih.go.jp/eiken/info/pdf/kenkoeiyonews30.pdf ※PDFファイル

 補完代替医療とは「現代西洋医学領域において、科学的未検証および臨床未応用の医学・医療体系の総称」と定義され、日本においても、がんを含めた慢性疾患に対して食品由来の生理活性成分が、補完代替医療成分として利用されています。しかし、多くの場合、その効果について科学的検証がなされていません。 補完成分プロジェクトでは、現在健康食品成分としては未利用であるが、生理活性が強く、慢性疾患(特にがん)の補完代替医療成分として有望な成分の特定と将来の臨床応用の可能性を考慮し、研究を行っています。

▼教室検討会:補完代替医療について(新潟大学医学部産婦人科学教室) http://www.med.niigata-u.ac.jp/obs/medical/meeting/file/2006/06-06.pdf ※PDF

・ 医療機関において医師により施行される科学的根拠にもとづいた西洋医学、あるいは科学的根拠に基づいた漢方療法ではない治療をまとめた総称。

・ 日本補完代替医療学会の定義によれば、『現代西洋医学領域において、科学的未検証及び臨
床未応用の医学・医療体系の総称』とされている。

・ 具体例を表1に示す。漢方や鍼灸、指圧、マッサージ、オステオパシー、ホメオパシー、カ
イロプラクティック、さらには宗教的ヒーリングまで、ありとあらゆる治療法を含む。

・ 最も簡便なもの:健康補助食品、サプリメントの服用

▼金沢大学 補完代替医療学講座 がんの補完代替医療ガイドブック http://web.kanazawa-u.ac.jp/~med67/guide/book02/02.html

「補完医療(コンプリメンタリー・メディシン)」というときは、従来の医学的な治療に加えて「補足的に」他の施術・療法を行うというときに用いられます。

「代替医療(オルターネイティブ・メディシン)」というときは、「何かの代わりに(例えば現代西洋医学・医療の代わりに)」という意味で用い「通常医療に取って代わる」という意味になります。

しかし、両者は、実際にはあまり区別されないで用いられています。日本補完代替医療学会では補完代替医療を「現代西洋医学領域において、科学的未検証および臨床未応用の医学・医療体系の総称」と定義しています。

表1:補完代替医療の分類(米国NCCAMによる) 分類と名称 内容
代替医療体系
(Alternative Medical Systems) 伝統医学系統、民族療法
東洋伝統医学、アーユルベーダ、ユナニ医学など
精神・身体インターベンション
(Mind-Body Interventions)  瞑想、祈り、心理・精神療法、芸術療法、
音楽療法、ダンス療法など

生物学に基づく療法
(Biologically Based Therapies) ハーブ、食品、ビタミン、ミネラル、
生理活性分子など

整体や身体を基礎とした方法
(Manipulative and Body-Based Methods) 脊椎指圧療法、整骨療法、マッサージなど
エネルギー療法
(Energy Therapies) 気功、レイキ、セラピューティックタッチ、
電磁療法など

※ 表1の内容以外にも、「免疫療法(免疫細胞療法など)」、「再生医療」、「遺伝子治療」、「ナノテクノロジーを用いた医療」など高度先進医療も通常医療の範囲でないことから補完代替医療として扱う場合もあります。

非常に色々なものがありますね。由来も様々であると見る事が出来ます。とりわけ、「がんの補完代替医療ガイドブック」で引かれている、NCCAMによる代替医療の下位分類は興味深いものがあります。つまり、CAMを、現在標準医療では無い、というように定義づけた上で、それを更に分類する、というやり方。CAM自体はものすごく広い範囲を捉える概念として扱っている訳です。NCCAMによって代替医療に分類される事がある「再生医療」や「遺伝子治療」などは、完全に現代科学の知見に基づいているものですしね。

これらを踏まえるならば、伊勢田さんによる

 生物学の歴史をこのようにまとめなおすなら,正統医学と代替医療の対立は,実は機械論的生命観と生気論的生命観の間の対立が現代にもちこしてきたものだと見ることが出来る。

このまとめは、P153・154の前提があるにしても、やはり書き方として少々おっかないように思うのですね。

全体的な種類に占める割合、あるいは取り組んでいる(研究や実践に)人びとの総量を考えれば、正統科学と全く相容れない原理を謳う伝統的療法に関わる人が多い、というのは、もしかするとあるかも知れません。それを前提として、鍼やホメオパシーや気を「代替医療」の象徴的な例として採り上げるのは、文脈によってはよくある事でしょうし、特に否定されるものでも無いですが、(「代替医療は」と書いて)一般論として哲学的な位置づけを行うのは、なるだけ慎重にいきたい所です。

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余談。

「西洋医学」という表現に関して。

CAMの定義や説明において、しばしば出される表現です。これは、基本的には西洋において発展せられた方法に基づいて確立された療法体系一般、というような意味合いで用いられます。また、東洋などにおける伝統的療法に対置させるかたちで使われる事もあります(しばしば「西洋医学」に批判的な文脈で)。

私は、この表現は、歴史的な事情を鑑みればある程度は妥当な言葉であるものの、現状の、現代科学的方法を基盤とする医学体系の理念からすれば、ズレを生じさせるものであるとも考えています。つまり、科学を土台にした現代医学の立場は、

効けば良い

です。※コストの問題、リスクと便益の兼ね合い、原理部分の正統科学との折り合いなどはひとまず措く

即ち、そもそも医学は、ヒトを対象にした臨床研究において効果が確認されれば、「何でも取り入れる」という基本姿勢を持っている訳です。そこでは、由来や原理はある程度捨象されます。そして、「効果」があるかどうかが判断されるのです。※「効果研究」やEBMという考え
それを念頭に置くならば、空間的な範囲を限定させる「西洋」という語を含ませるのは、現状に合っていないと言えるでしょう。ホメオパシーのように、「西洋由来」であるが否定されたものもある、という所に思いを馳せてみるのも良いでしょう。

その事を鑑みて、私は「標準医療」の語を今は用いています。これは、疫学的あるいは臨床的に効果が確かめられ、有効であるとコンセンサスを得ている療法全体、という意味で「標準的」であるのを示しています。

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2011年1月10日 (月)

疫学の専門家がホメオパシーを支持していたという状況

別所でうさぎ林檎さんが書いておられたのを見て知った情報です。

日本ホメオパシー医学協会

このページから引用します。

ホメオパシーは体系的な知識であると同時に、長い間の経験が蓄えた人類の知恵でもある。よりよく生きるために一人でも多くの方にこの豊かな世界にふれてほしいと 願う

このコメントを寄せているのは三砂ちづる氏。プロフィールの紹介にあるように、疫学の専門家です。ベストセラーの本を出しているので、名前を知っている人も多いでしょう。かく言う私も、高岡英夫氏との共著など、二冊を持っていました。

ホメオパシー方面の議論を追っている方には今更言うまでも無い事でしょうが、疫学は、医学や公衆衛生、あるいはもっと一般的には、効果研究や因果推論に欠かせない、科学における最重要の方法です。その疫学の専門家たる三砂氏が、臨床的に効果が無いと判明しているホメオパシーについて積極的に支持する意見を出しているのは、大変問題であると考えます。

当該ページは2009年のものですが、昨年に様々の問題が明るみに出たホメオパシーについて(しかも、コメントを寄せている当の由井氏の組織が関係している大きな事件があった)、三砂氏は果たして、現在いかなる認識を持っているのでしょうね。

私であれば、ホメオパシーについて、次のように説明する事でしょう。

ホメオパシーは着想された当時はユニークで興味深い説であったが、長い間に蓄えられた人類の体系的な知識によって、誤っている事が判明したものである。よりよく生きるために、一人でも多くの方に、この説を現在も支持する事の危うさを認識して欲しいと願う。

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2011年1月 8日 (土)

疑似科学とニセ科学との違い的な何かについて

別所でそこそこの量書いて考察しましたので、ちょっとまとめてこちらに載せてみます。ちょこちょこ省略して、内容は手直しせずにそのまま。やっつけです。読みにくいでしょうけれど、ご容赦をば。

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ニセ科学論のポイント的な。菊池さんは、敢えて価値判断を含めるという意味で「ニセ科学」の語を用い、「疑似科学」はネガティブな価値判断を含めない語として取っておきたい、という立場。伊勢田さんは、「疑似科学」の語に否定的な意味合いが含まれるから出来れば避けたかった、という立場。

菊池さんは「ニセ科学」の語を、シャーマーの訳書にヒントを得て使い始めたという。※はてなキーワードの「ニセ科学」とか見てね。情報源としては、亀さんのブログとか私のブログとかから探して下さい。

@kikumaco 個人的な語感ですが、「的」をつけると、益々ネガティブに感じないですね。疑似的、とか。似ているけど違う、というくらいの意味合いで、必ずしも否定的・攻撃的な内容は含まれていないという。ただ、科学哲学上の議論を意識すると、伊勢田さんの考えも分かりますね。

おっと、補足。先ほどの伊勢田さんの見解は、『疑似科学と科学の哲学』7・8ページを参照して書きました。

まずあるのは、「科学のようで科学でない」言説。で、これは、既存の科学的知見を用いているか、とか、科学者集団のコンセンサスは得られているか’(手続きを満たしているかなども)、とかを考えて判断される、と。

で、言説の構造の評価として、「科学のようで科学でない」ものと判断される。そして次。そういう言説が生まれる場。これは、1)事実であると主張される 2)仮構だと主張される  この二種類が考えられますね。前者は実証したとか言うやつで、後者はフィクションの設定で使われるものなど。

敢えて単純化すると、前者をニセ科学と呼び、後者を疑似科学と呼ぶ、とすることは出来ます。しかし、一応便宜的にはこう分けられるのですが、実態はもうちょい連続的というか。お互いに飛び越えることは論理的にも実際的にも可能ですね。

考えてみると、フィクションの設定で、「全ての設定が仮構」と取る人はいないし、「どこからどこまでが仮構か完全に分かる」人もそうはいない訳です。だから、フィクションの設定として創られたものであっても、その部分的な情報が伝達されて、「事実のように」扱われる、てのはあり得る。

思考実験として。ある人がフィクションで、「ゲームをやると脳機能が破壊される」という設定を創ったとしますね。で、それがヒットしたと考えます。そうすると、伝言ゲームよろしく、その設定部分が真実のように受け取られる可能性はある訳ですね。社会心理学的な論理として。

そうすると、由来、あるいは提唱者(作者)の意図としては仮構の「つもり」で創ったのに、いつの間にか真面目に受け取られる、となると。私はSFに全然詳しくないんですが、もしかしたら既にいくつも例があるやも知れませんね。で、そういうものは、両義性を持ち得ます。

つまり、言説の構造として「科学のようで科学でない」ものが、「真実と思われる」かつ「仮構と思われる」社会的状況は実現し得る、と。今の言葉遣いで考えると、ある言説が、「疑似科学」かつ「ニセ科学」であることがあり得ます。そういう意味では、強く社会的文脈に依存する言葉だと考えられます。

て訳でですね。私はしばらく前から、「科学のようで科学でない」ものをまず「ニセ科学」と呼び(ここに、「否定されるべき」という意味合いを込めない)、その内で「仮構として設定されたもの」を「疑似科学」として「おくことが出来る」と考える方がすっきりする、と認識するに至ったのですな。

フィクションてのは許容される嘘で、それを社会的に維持するには、「フィクションと分類されるものの設定は基本ウソだ」と一般に認識される必要がある訳ですね。そうすると、他者に情報を伝える際の構えが出来る、と。ひろーい意味で科学リテラシーでありクリシンなのかも知れません。

ちなみに、「否定されるべき」と「正されてしかるべき」にニュアンスをつけています。

@katot1970 たとえば、ニセ科学の要件として、「多くの人に信じられる」とか、仰るような、差別に使われるようになる、という風な判断を含める、という考え方がありますよね。私はしばらく前から、それを「含めるべきではない」と考えるに至りました。というのも(続く

@katot1970 続き)「多くの人」や「専門家以外の人びと」に信じられる。あるいは、こういう風に使われる、というのを、疑似かニセか、を分ける条件にすると、恣意の部分が強くなるし、「広がるまでニセと判断出来なくなる」と思うからなのです。

なので、血液型性格判断で言うと、仮説提示→テスト のプロセスは当然科学で、仮説自体は未科学。そして、研究が進み、仮説が誤っていることが判明し、その説は非科学となり、それでも意固地に科学的だと言い続ければ、それは「ニセ科学」。この時点でもうニセ科学と看做します。

そして、「多くの人が信ずる」「社会的影響力を持つ人が信ずる」などは、ニセかどうかを判断する条件じゃなく、「積極的に批判するかどうか」を判断する条件、と考えるべきだと思います。ニセは、ニセであるが故に正されてしかるべきで、後の「何」を批判するかは個人や組織の動機に任されると。

@katot1970 どちらかというと、集合的関係に書けない、という感じかも知れません。つまり、「基本的に正されてしかるべき」であり、それが配置された(社会的)文脈により「許容される可能性があり得る」と。考察が逆向きになっているのは確かです。追記:ここの前段保留

随時追加します。

@katot1970 さっき、「正されてしかるべき」と「否定されるべき」を敢えて分けた、と書いたのですが、それはつまり、「フィクションであっても信じる人はいるだろうからそういう場合には事実でないと指摘されてしかるべき」という意味合いですね。つまり、「咎める」意味ではない、と。

前に考えたのは、「フィクションの設定でも情報伝達の過程で事実と信じる人がいる」可能性で、そこから、「疑似科学→ニセ科学に”なる”」のだろうか、ということだったんですね。で、それは違う気がしたと。それより、「ニセ科学を疑似科学(フィクション内の設定)に仕立てる」がすっきりする。

@katot1970 フィクション内の設定を仮構かどうか見抜くのって、完全に既有知識に依存しますよね。てことは、たとえば、SFフリークが「こんなのねーよw」的に思う設定であっても、疎い人は信じる可能性があると。そういう人がいれば正されてもいいよね、という感じです。

@katot1970 んで、正されたのちに、「こりゃフィクションなんだから云々」という情報が与えられて、なるほどそうかー、的になったり。その場合には、クリエイターの意図(事実と言っていない)を護りつつ、そこから乖離した思い違いを正す、となる訳ですね。

追加

@katot1970 詳しくない人にとっては、真っ黒な非科学とグレー的な未科学を区別するのも困難だったりします。そこら辺が既有知識に依存するということですね。

ここでの私の主張の核としては、「科学のようで科学でないもの」を一律ニセ科学と呼び(これを疑似科学としても良い訳です、当然)、その内特殊な文脈におかれたものを疑似科学と呼ぶことも出来る(疑似科学の代わりに作っても良い)、という感じですね。

@katot1970 それが、「正されてしかるべき(否定的意味合いが入っている)」と同じ意味です。要するに、科学のようで科学でないという条件だけで、訂正されてしかるべきのものである、と。で、その中で疑似科学を「特別待遇」にすることが出来る、という感じで。

@katot1970 そして、「多くの人に広まった」「具体的な害悪が発生している」などの条件を、批判の強さを増幅させるものとして捉えます。科学を装っている条件のみで正すに値し(既に弱く否定的)、広まり具合により強く否定する。先ほど二つの表現にニュアンスをつけた、というのはそれ。

@katot1970 まず、科学のようで科学でない言説を、全て「正されてしかるべきもの」と否定的な意味合いで捉えます。その時点で、そういったものは全て潜在的に批判される可能性を持ちます。そして、フィクションの設定として創られたものなどを、仮構として許容する余地を残します。
そうすることで、そういった言説をフィクションに組み込むという創作行為を正当化することが出来ます。つまり、嘘だと知ってて楽しむという行為ですね。しかし、そこから出たものだとしても、「本当として信じる」人は出てくる可能性があります。そうした場合、信じた人に対して、それは誤りだと正すことが出来る(最初の前提により)とともに、創作者の責任(受け手が事実と信じることをコントロール出来ないので)を回避させることも可能になる、と考えられます。

@katot1970 思いつく所を列挙すると、1)言説は一人歩きをする 2)受け手の理解の幅が広い 3)同じ言説を複数の人間が違う意図で思いつく可能性がある 4)「フィクション専用の」科学のようで科学でない言説、は有り得ない  といった所だろうと思います。

従って、「SFの様な創作著作物と、本人が科学のつもりでやっている言説」(かとうさん)を前もって、あるいは論理構造のみで決定することが不能。このことにより、「全てニセ科学としておく」のが論理的にも実際的にもすっきりする、と考えています。

追加

@tiseda たとえばフィクションの設定が広まって、説そのものが切り取られて世間に流布される、という可能性はありますよね。その場合、クリエイターと受けとった側との捉え方に乖離が出ると思います。「道具立て」と認識しない層に伝播する、というか。

@tiseda その場合、同じ説が同時的に前者と後者の両方の意味合いで認知され得る、ということですよね。二重性のような。そして意図的な仮構であるという区別は、創作者の意図が届く範囲に限定される、というか。これは言わば、「エイプリルフールの嘘」に似ていると思います。

私の主張は、「ニセ科学と疑似科学に本質的な区別はないし出来ない」というものですね。これは、「嘘とネタに本質的な区別はないし出来ない」のと同型だと思います。出来るのは、嘘をネタとして許容し楽しむ余地であり、そもそも「まず嘘がある」。そして、嘘は嘘であるが故に正されてしかるべし、と。

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2011年1月 5日 (水)

ホメオパシーとプラセボと一貫性

昨日の続き。コメント欄の流れも踏まえているので、そちらもお読み下さい。

昨日のエントリーでは、本文でホメオパシーの話をしています。これは、プラセボ使用と密接に関わる事柄です。

ホメオパシーを批判する論者を訝る意見として、プラセボである(←不正確だが言い方を真似る)ホメオパシーがダメというのなら、ホメオパシージャパンのごとき団体だけで無く、他団体も等しく批判するべきであろう、だのに何故ある種の団体については寛容なのだ、というものがあります。

それに対するNATROMさんをはじめ、幾人かの論者は、ある種のホメオパシーや他の代替療法の一部は許容出来る、その理由として、「標準医療を忌避しない」から、というのを挙げて反論します。※NATROMさんについては、「日本のホメオパシー」については違う、あるいは過去形として扱った方が良い、のかも知れません。

つまり、実質的にはプラセボを使用した心理療法もどきであっても、それが標準医療における重大なケースにまで積極的に関わらないのであれば、容認する事は出来るだろう、というもの。

しかし私は、これを容認や許容とは見ません。それは現代科学に基づいた医療の立場からすれば、まったき「妥協」であり、「解っている」医療従事者による、情報の非対称を意識した上でのコントロールと言えるでしょう。

ホメオパシーは、事の初めから、「標準医療を忌避」しています。それは、理論的な部分について、という意味です。既にメカニズムやその他説明原理の部分で、完全に現代医療(とその土台たる現代科学の体系)と相反します。では消極的容認を言う論者が何を主張しているかというと、それは上にも書いたように、重大な場合には身を引く、手を出さない、という態度です。その判断には標準医療のある程度の知識が必要ですから、容認意見に、医師が使うなら良いであろう、といったものがあるのも、ここら辺を踏まえてのものなのでしょう。
要するに、理論的には全く整合しないどころか相反するもの、という意味での標準医療忌避と、実際の医療行為レベルにおける標準医療の方法との折り合いの程度、の二面があると考えられます。そして、「容認」意見はその背景に、「(広い意味での)プラセボ効果による軽微な状態の改善」許容がある、のだと見る事が出来ます。

臨床的な証拠は不充分だが、メカニズム的にはあるかも知れない、あり得そうだ、といった他の代替療法とは違い、ホメオパシー(レメディ)は、メカニズムとしてはどう考えてもあり得ず、実際臨床的にも効かない事が確かめられたものですから、当該方法を容認出来るとすれば、それは明らかに、妥協です。特異的効果がレメディには無いからその意味で害も無い。だから、予防接種忌避やガンに効く、などという強烈な主張とセットにならなければ、消極的に容認出来るだろう、という意見は、インフォームド・コンセントとEBMを根本とする医療においては、明らかに妥協。そして方法的あるいは制度的に矛盾を抱え込むのをよしとする態度です。

私はそもそもプラセボ使用に反対なので、当然、ホメオパシーそのものにも反対です。率直に言って、医療からホメオパシーを排除するべきだと思っています(学術会議会長談話はそういう立場。ただし、ホメオパシー及びレメディ、以外のプラセボ使用については特に何も言っていない――「例えプラセボとしても」とあるので、そこから何かを読み取る事は可能)。というか、効かないものを効くと称して与えてはならない、という原則なので、効かないと判明しているものは、一切医療に組み込んではならないと考えている訳です。そして、仮に標準医療で広く用いられているものが、後で「実は効かない」と判った場合にも、情報を周知させ排除していくべきでしょう。それが一貫した姿勢だと思われます。

その辺を踏まえると、ホメオパシーの一部は容認出来る、という論者には、私には隙があるように思えます。何故ホメジャだけ?→それはホメジャが強い標準医療忌避だからだ→じゃあそうじゃ無ければ、効かないと判ってても、理論が妄想でもいいの? となるでしょう。少なくとも、整合的・一貫的では無い、と考えます。効かないと判っているものは排除する。効くと判ったものは積極的に取り入れる。これが一貫した態度なのですから。

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2011年1月 4日 (火)

プラセボ許容

kikulogなどでも、ホメオパシーに絡んで議論が出ましたが、医療においてプラセボが用いられる事を許容する、出来る、という意見があります。

私にはそれが理解出来ません。プラセボを使用する事など、臨床試験において試験協力者の同意が得られる等の状況を除いて、一般的な医療から排除すべきだと思っています。

一体、どういった理路で医療におけるプラセボ使用が許容出来ると考えられるのか、教えて下さい。

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2011年1月 1日 (土)

あけおめー

ことよろー

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