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2010年12月18日 (土)

ものさし

人間(に限らないのかも知れませんが)というのは、色々のものを「はかる」存在です。長さを計り、重さを量り、嵩を量る。「図る」事もありますが、まあそれは措いておきましょう。

ところで、ものを「はかる」際には、

・はかりたいものをちゃんとはかれているか
・いつどこではかってもちゃんとはかれるか

これがちゃんと出来ているかが大切です。

まず、「はかりたいものをちゃんとはかれているか。」という事を考えてみましょう。

友人や家族に物を贈りたい、オークションで品物を発送したい、とします。大概の宅配は、荷物のサイズで料金が決まるので、前もってサイズを計って、送料がどのくらいかを知っておこうと思います。そこで、長さを計るために定規を使うとしましょう。

そして、送料はこのくらいか、と調べてコンビニに持っていった所……あれ、料金が違う……?
実は、定規を使う前に、どこからともなくいたずらな妖精さんが現れ、気づかれないように定規をすり替えていたのです。そしてその定規は、一目盛が1.5mmの物だったのです。それだと、一目盛につき0.5mmの差が出ますから、ある程度の大きさの荷物のサイズだと、縦+横+高さの合計の長さの差(60cm、80cm、といった段階で料金が変わる)は馬鹿になりません。

この場合は、目盛を読み間違えたのでは無く、計る道具そのものが間違っていた訳ですね。だから、何度使ってちゃんと目盛を読んでも、それは正確な長さとは全然異なってくる。これがつまり、「はかりたいものをちゃんとはかれていない」という事です。

もう一つ考えてみましょう。シチュエーションは先ほどと同様で、荷物を送りたいのでサイズを計る、そういう場面です。
さっきの例と同じように、辺を定規で計りたいのですが、ここで、その定規が温度や湿度などの環境の変化に敏感な材料で出来ていて、荷物を計るには無視出来ないくらいに伸び縮みする、としましょう。

とすると、計る状況によって、随分と結果が違ってくる事が考えられます。つまり、計る場所や計る時間帯によって定規自体が伸び縮みするから、一目盛あたりの幅も変わる。それに、定規を荷物のどこに当てるか、というのも毎回少しずつ違ってくるからそれも相まって、色々な値になってしまう。言い換えると、「ばらつき」が出る。これがつまり、「いつどこではかってもちゃんとはかれている訳ではない」という事です。

このように、「はかる」行為を見ると、大きく分けて、上で述べた様な二つの視点で考える必要があります。はかりたいものはちゃんとはかれるか、いつでもどこでも同じ様にはかれるか、という視点。たとえば、体重計(昔懐かしい、針が数値を指すあれを思い出して下さい)に乗る時、前に乗った人がいたずらで、ちょっと大きめに針を合わせていたとして、それをちゃんと確認せずに乗ったら、「あれ、太った!?」となりますね。たとえ ばらつきが小さくても、常に大きめの数値が出てしまうという意味で、はかりたいものがちゃんとはかれていない。
逆に、最初に0の目盛にきちんと合っていたとしても、違う部屋で量ったら数kgも違ったりとか、室温によって違ったりする場合もある。つまり、ばらつきが大きい。

いきなり話は飛んで。

皆さんは、「こころをはかる」、もっと広げて、「見えないものをはかる」のを、しばしば目にする事があると思います。

え、そんなの見た事無い、って? いえいえ、多分それは、意識していないだけで、何度も見ているはずです。

一番身近で誰もが経験した事があるのが、「テスト」の点数でしょう。あれは、直接見られない、ある種の能力を「はかっている」訳です。表現としては色々あります。「学力」「知力」「頭の良さ」等々。どの言葉を使うにしても、見えないものをはかろうとしています。
新聞記事等で、「○○が攻撃性を高める事が判った」といったものが世間を賑わす場合もあります。これも、直接見えない「こころ」のあり方を「はかる」ものです。この場合は、○○に触れさせた後に何をするか、という実験や観察を頼りにして、見えない「攻撃性」というものの程度を考える。

さて、これらの情報に触れる際に、気をつけておくべき事があります。そうです、これまで長々と書いて説明してきた二点。もう一度書くと、

・はかりたいものをちゃんとはかれているか
・いつどこではかってもちゃんとはかれるか

この二点。

今の話では、「見えない」ものについて考えています。長さや質量といったものは、ある基準によって単位が厳密に決められて、はかる事も非常に精密に行われていますが、「攻撃性」や「学力」といったものは、そもそも直接見たり感じたりする事は出来ないものです。しかもこれらは、言葉に触れる人によって、意味の取り方が違うかも知れない。

ですから、こういった事については特に、はかっている「ものさし」――むつかしい言葉で表すと、「尺度」と言います――はちゃんとしているのか、を注意しなくてはなりません。

巷では、血液型と性格を結びつける話題(以下、「血液型性格判断」と書きます)がいまだ根強いですが、解りやすいので、これを例にとってみましょう。

血液型性格判断では、たとえば、「あなたは○○ですか?」というアンケートに沢山答えさせて、その後に分類して、「あなたはこれこれこういう性格ですね。」と「言い当てて」みせる。そして、それをABO血液型と対応させて、あなたは○○型なので△△な性格です、と教えて、すごい当たった! と思わせる。

ここで「ものさし」について考えてみましょう。たとえば、

・「性格」はそもそもはかれるようなものなのか
・はかれるとして、それはおこなった「アンケート」で判るものなのか
・誰がどこでやってもちゃんと判るものなのか

こういった見方が出来ます。心理学では、大体誰でも持っているだろう考えに当てはまるような質問をして、「当たっている」と思わせるやり方について調べられています。そういうのを使って分類してみせた「性格」が、本当にちゃんとはかれているのか、そんな風に注意深く見る事が出来ます。※そもそも「性格」とははかり得るものなのか、といった問いは、それ自体が大変深い哲学的な問題なので、ここでは触れない事にしましょう。

テストでも同じですね。資格試験や進学進級のためのテストであれば、それは資格を取れるかどうか、を判定するためのものさし、と言えますが、もっと根本的な事を考えると、そのテストでは、「能力」をはかりたい訳ですね。資格試験であれば、ある分野について充分な知識を有しているのか、とか、将来仕事に役立てられるくらいの力があるのか、とか。テストでいい点を取った人が、「頭が良い」と言われる事がありますが、その「頭が良い」とは何だろう? テストではかられているのは本当にそれなのだろうか? と考えるのも出来ます。

私達はついつい、あまり考えずに「見えないものをはかっている」としているのを鵜呑みにしたり、そもそも「はかる」対象を物の重さや長さなど以外で考えなかったり、あるいは、人の能力なんてはかる事は出来ないのだ、と思い込んだりしがちです。でも、それはどれもまずい考えで、見るべきは、「そのものさしはきちんと出来ているか」という所なのです。それをはかるものさしなんてないんだ、と言って、実際に作られているものさしを無視してはならないし、デタラメに作られたものさしをちゃんとした道具だと考えてもいけない。尤も、こういったのをはかるものさしの適切さというのは素人が簡単に判断出来ませんが(定規や量りなどは、直感的にも理解しやすいですし、工業製品としての品質が一定に保たれている。そこら辺で買った定規で安心して長さを計れるって、幸せな事なんですよ)、鵜呑みや毛嫌いをせずにちょっと立ち止まって考えてみる、そういうクセをつけておくのも、色々な情報が流れてくる世の中では大切な事なのではないかな、と思います。

※補足※

機械などでは、ばらつきの方が厄介な事があります。本文で出した体重計の例で言うと、結果の数値は実際の体重とは全然違いますが、初めに指す目盛をダイアルで変化させれば、簡単に調整が出来ます。対して、ばらつきが大きいのは、材料の歪みなどの機械的なトラブルが原因だったりして、そう簡単には対処出来ません。時刻合わせを間違った時計は竜頭で調整すれば簡単だが、指す時刻のばらつきが大きい場合は内部の機械の問題なので厄介、とは大村平さんの説明です。

ただ、学力やこころのあり方(性格)のようなものはそうとも言えなくて、そもそもはかりたいと思っているものがちゃんとはかれているのか、自体が非常に難しい事だったりします。時計なんかだと、少なくとも日常的なレベルでは時報に合わせるなどすれば良いですが、能力などはややこしい。そういうのは押さえておきたい所です。


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