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2010年12月19日 (日)

バットマンは達した武術家だったのだ

バットマンになる! スーパーヒーローの運動生理学 Book バットマンになる! スーパーヒーローの運動生理学

著者:E・ポール・ゼーア
販売元:青土社
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この本は実にエキサイティングだ。

言わずと知れたスーパーヒーロー、バットマン。彼の魅力の一つに、彼が「人間」である事が挙げられる。つまり、何か特殊な薬物を用いた訳でも、遺伝子操作をされた訳でも無く、また別の星からやって来たのでも無く、私たちと同じ意味で「人間」という事である。この条件が、彼の長く続く人気を保つものの一つなのだろう。そして、多くの若者に、一流のスポーツ選手に憧れるがごとく「バットマンになれるかも」と思わせているに違いない。

本書は、バットマンをバットマンたらしめているのは何か、私たちが到達する、つまり「バットマンになる!」事は出来るのか、それを、主に運動生理学の視点からアプローチして解明を試みるものである。

著者はE・ポール・ゼーア。運動生理学や神経科学を専門とする科学のエキスパートだ。彼はその豊富な生理学的知識をもって、バットマン――そしてブルース・ウェイン――のパフォーマンスを構成する色々の要素、筋肉の働きや構造、あるいは遺伝の仕組み、などを丁寧に教えてくれる。

これだけなら、「なんだ、要するにトレーニング理論の教科書をバットマンに当てはめて適当に論じているだけか。」と訝る向きもあるだろう。特に、いわゆる西洋科学的トレーニング理論に懐疑的な目を向ける、武術志向の方はそう見るかも知れない。しかし、安心して頂きたい。実は著者のゼーアは、大変面白いプロフィールの持ち主である。すなわち、出版社のサイトに掲載されているプロフィールによれば、

空手と琉球古武術で黒帯。

このような経歴を持っているという。バットマンになる!:目次 - 「ユリイカ」「現代思想」の雑誌発行、人文諸科学の専門書の出版社「青土社」 ここで、更に疑り深い方は、なんだ、「カラテ」や「カンフー」を齧った人間の視点から書いたものなのか、と見るであろう。しかし、この点についてもご安心を。まえがきで紹介されているが、彼は、井上貴勝、千歳強直の各氏をマーシャル・アーツの師として挙げている。「琉球古武術」の語でピンと来た方もあるかも知れない。つまり、著者は20年以上にわたって武器術を含んだ武術の体系を練磨してきた本格派なのである。
本文では、一般への普及過程における、武器術や明確に危険な技の排除など(古流柔術から柔道が興されたり、空手の総合武術的側面が減ったり)についても言及されており、彼の武術に対する造詣の深さを窺わせる。※いわゆる武術のスポーツ化を否定していない事に注意
また、「マーシャル・アーツ」や「カンフー」、漢字の「武術」の語源や字義解釈についても、読者を唸らせる解説をしてくれている。

さて、本書は、文体や扱っている題材(バットマン)から、大変親しみやすくはあるが、しかし、必ずしも「気軽に」読める代物では無い、という事は言っておこう。なにしろ副題が「スーパーヒーローの運動生理学」というだけあって、かなりの部分が、体力科学系学問の教科書的知識の説明に割かれている。その意味で、実に読み応えのある内容だ。とは言え、ゴリゴリの専門知識を整理し列挙している様な風では無く、様々な喩えを用いてなるだけ読みやすくさせる工夫がなされている所に好感が持てる。材料や構造の観点から骨格等を論ずるバイオメカニクス(生体力学)的な説明も押さえてあり、そこから鍛錬法や試割りのメカニズムに迫っていて、実に面白い話の進め方である。運動生理学の入門書の入門書、といった位置付けで考えると、恰好の物であると言えよう。

もちろん、ただ単に運動生理学の知識をシンプルに当てはめてバットマンのパフォーマンスを適当に論ずる、などという事はしていない。ゼーアの視点は、実に多角的でありシステマティックだ。自身が武術を修行しており、老齢の達人の技に触れている事も、彼の見方に何かしらの影響を与えていると推察出来る。加齢によってパフォーマンスはどう低下するか、あるいはどこまで維持出来るか、というのは武術やトレーニングに関心を持つ者が皆考える所であろうが、その部分についても考察されている。

ところどころ、格闘技・武術フリークがニヤリとするに違い無い、様々のトピックが挿入されているのも面白い。「射程距離」という因子によりマーシャル・アーツを分類し(この見方自体も著者の認識力の高さを窺わせる面白い論である)、それぞれを代表する例を映画俳優から挙げる、という所などがそうだ(ジャッキー・チェンやスティーブン・セガール……と書くだけでニヤリとされるであろう)。

本書では、必ずしも「目新しい」視点、読者が度肝を抜かれる様な説明が出てくる訳では無い。科学的な知見に基づいた、実に堅実な記述である。だが、そこがこの本の良さであると私は見る。必ずしも、トリッキーだったりアクロバティックだったりするものが読者の心を掴むのでは無いのである。
とは言ったものの、8章における著者のアプローチはなかなかにトリッキーで面白い。この章では、ブルース・ウェインが取り組んだマーシャル・アーツは何か、というのを題材として、マーシャル・アーツに含まれる要素を見出し、実際の武術・格闘技に当てはめて考察するのであるが、後半においてゼーアは、もしバットマンが無人島に流されたとして、マーシャル・アーツの一流派だけを持って行けるとするならば、と仮定するのである。それについての回答が実に興味深い。その答えとは……おっと、ここで本を読む楽しみを奪ってはいけない。後は読んでのお楽しみ、である。

これは些か余談めいているが。
ゼーアは、試割りのバイオメカニクス的説明の部分で、マイケル・フェルド、ロナルド・マクネイア、スティーヴン・ウィルク、の研究を援用している。どこかで見た記憶があるな、と思い本棚を見ると、彼らの『空手の物理学』(日経サイエンス社)がそこにあった。随分前に古書店で購入した物だ。そういえば持っていたなあ、と感じつつ、マクネイアの悲劇を知り(恥ずかしながら、今まで知らなかった)、考えさせられた次第である。

上にも書いた様に、この本はさくさくと読み進められる本では無い。少なからず専門的な概念が出てくる、なかなかに歯応えのある本だ。いわば知識のトレーニングとなる本で、読み終わった頃には、あなたの知力も鍛えられている事だろう。

間違い無く、お勧めの一冊である。

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この本の事は、別所で ゆんゆん探偵さんが紹介されていたのを見て知りました。教えて頂いて、深謝です。今年読んだ本の中でもトップクラスに面白い本でしたし、武術を科学的に考えるという視点を持っている人にとってもすごく参考になる本だと思います。

また、松浦俊輔氏の訳も大変読みやすいものです。大部の本ですが、読み進めるのは苦になりません。もちろん専門的知識はむつかしいですが、きついけど面白い、という感じです。まるで稽古の様ではありませんか。

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コメント

日本語がおかしかった所を修正。

修正前
▼ 引  用 ▼
「射程距離」によりマーシャル・アーツの因子を考え
▲ 引  用 ▲
修正後
▼ 引  用 ▼
「射程距離」という因子によりマーシャル・アーツを分類し
▲ 引  用 ▲

投稿: TAKESAN | 2010年12月19日 (日) 23:20

もとアメコミ好きのあたくしが参りました。

アメコミのスーパーヒーローってけっこう能力格差が大きいんですよね。ちょっとだけ強い、から、絶大に強い、まで。で、だいたいは当人の強さに見合ったヴィラン(悪役)と闘うことになるわけですけど。

で、その絶対的な能力とは別に、なんと云うか格、みたいなものがあって(ほかのヒーローからのリスペクトの量とか一目置かれ方、とかで決まってくる)。バットマンはたぶん絶対的な能力ではDCユニバース最弱なんですけど、格としては最強と云っていいスーパーマンに並ぶ高さを持ってるんですよね。
武器は知性と財力と鍛え上げた戦闘能力と、せいぜい云って意思の力、くらいなんですが(マーベルのアイアンマンみたいな科学力さえ本人の属性にはない)。

ただ、じっさいにバットマンとスーパーマンが喧嘩したりしたら…パワー的には10,000倍くらいの格差があるはずなのに、バットマンが勝っちゃったりするんですよねぇ。

投稿: pooh | 2010年12月20日 (月) 22:34

poohさん、今晩は。

ほー、アメコミ好きでいらっしゃいましたか。実は私はほとんど知らなかった(笑)

やっぱり、いわゆる「生身の人間」という所が魅力なんでしょうね。身近、というのも変ですが、スーパーヒーローだけど近い、と。

バットマンにしてもスーパーマンにしてもそうですが、70年くらい人気を保ち続けているのって、すごい事ですね。

投稿: TAKESAN | 2010年12月20日 (月) 23:10

最近のアメコミはよくわからないんですけどね。

> やっぱり、いわゆる「生身の人間」という所が魅力なんでしょうね。

DCと並ぶアメコミの会社と云えばマーベルなんですが、こちらでもキャプテン・アメリカと云う「通常人より肉体的にちょっと強い」程度のスーパーヒーローが絶大な格を持っています。マーベルには(今度映画になる)ソーみたいな「本物の神様」もいたりするんですけどね。

で、バットマンやキャップに共通して云えるのは、それがおっしゃるように努力による「達人」であり、その強さの多くがその経験による知性に基づくこと、だったりすると思うんですね。

投稿: pooh | 2010年12月21日 (火) 22:39

あまりにもファンタジックだったりSF的だったりするヒーローって、断絶を感じさせるんですよね。その点、バットマン的なのは、連続性を想起させると言うか。その意味では、ブルース・リーへの憧れなどとも共通しているのかも知れません。

投稿: TAKESAN | 2010年12月21日 (火) 23:05

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