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2009年5月10日 (日)

疑似科学の特徴と科学との違い:前編

昨日のエントリー(Interdisciplinary: 参考資料として)の続き。

そこで、疑似科学の持つ特徴として10の項目を紹介しましたが、さすがにあれだけじゃ解りにくいので、説明も引用します。

で、コメント欄で、ちがやまるさんに、

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この本の原典の一部がgoogle booksで参照出来ると教えて頂きました⇒Science and Pseudoscience in ... - Google ブック検索

それで、訳書の文章が非常に解りにくく、訳に問題がある可能性があるので、原典の対応する部分も一緒に引用します。

引用箇所は、

訳書:P5-9

原典:Science and Pseudoscience in ... - Google ブック検索(P6~)※OCRを使いテキストに変換。改行はそのままで直してありませんが、ご了承下さい。タイポあれば、ご指摘頂ければ超感謝・・

※構成は、訳書の引用―私の感想―原典の引用

※感想は、訳書のみを読んでのものです

※この訳はどう考えてもおかしいだろが、という部分があれば、教えて頂ければめちゃくちゃありがたいです

○1.反証からの主張に対して免疫をつくるためにデザインされた一時的な仮説の濫用

ポッパリアンあるいは新ポッパリアンの観点(Popper, 1959 を参照)からすれば,間違いをおかすことがないという主張は,原理的に,非科学的である(しかしポッパリアンの批判として,McNally, 2003 を参照)。否定的結果をごまかすために,その場限りの仮説を繰り返し考え出すことは,疑似科学的主張の支持者が共通して行っている方略である。さらに最高の疑似科学では,疑問視された理論上の欠点を埋めるためにその場限りの仮説を、ただ単に張りつける。極端なものでは,その場限りの仮説は、論破できない障壁となる。たとえば,眼球運動脱感作とリプロセッシング(EMDR)の支持者たちは,EMDRについての否定的な結果は,ほとんどが忠実に治療手続きに従っていないことに原因があると述べてきた(第9章を参照)。しかし治療忠実度の概念のあてはめには一貫性が欠ける(Rosen, 1999)。

 否定的な事実に直面し,その場限りの仮説を設定することが,時には科学における合理的な方略であることは強調されるべきである。しかし,科学的な研究プログラムにおいてそのような仮説は、理論の内容,予測力,あるいは両者を高める傾向にある。

アド・ホックな仮説を積み重ねて主張を正当化する、という事ですね。そして、他の理論との整合性を無視してしまう。二段落目は、アド・ホックに仮説を出す事そのものが問題である訳では無い、という強調ですね。理論的整合性や現象の予測の精度等を高めるものであるのが望ましい、という感じでしょうか。

1. An overuse of ad hoc hypotheses designed to immunize claims from falsification

From a Popperian or neo-Popperian standpoint (see
Popper, 1959) assertions that could never in principle be falsified are un-
scientific (but see McNally, in press, for a critique of Popperian notions).
The repeated invocation of ad hoc hypotheses to explain away negative
findings is a common tactic among proponents of pseudoscientific claims.
Moreover, in most pseudosciences, ad hoc hypotheses are simply "pasted
on" to plug holes in the theory in question. When taken to an extreme,
ad hoc hypotheses can provide an impenetrable barrier against potential
refutation. For example, some proponents of eye movement desensitiza-
tion and reprocessing (EMDR) have argued that negative findings con-
cerning EMDR are almost certainly attributable to low levels of fidelity
to the treatment procedure (see Chapter 9). But they have typically been
inconsistent in their application of the treatment fidelity concept (Rosen,
1999).
It is crucial to emphasize that the invocation of ad hoc hypotheses in
the face of negative evidence is sometimes a legitimate strategy in science.
In scientific research programs, however, such maneuvers tend to enhance
the theory's content, predictive power, or both (see Lakatos, 1978).

○2.自己訂正の欠如

科学研究プログラムは,その主張の本当らしさにおいて,必ずしも疑似科学的研究プログラムと区別できない。なぜなら両プログラムの支持者たちはしばしば間違った提案を提出するからである。長期的にみると,最も科学的なプログラムは間違った提案を取り除く傾向にある。一方,最も疑似科学的なプログラムはそうではない。要するに,疑似科学的プログラムを最もよく証明する証拠は,知的な面での停滞が起こることにある(Ruscio, 2001)。たとえば,占星学は過去2500年の間に著しい変化はほとんど起こらなかった(Hines, 1988)

間違った提案は両方とも出す事があるが、科学側は間違いを取り除き、疑似科学側はそうでは無い、という事かな。正しいと主張したいものを正当化するためにアド・ホックな説明を重ねていく、とか。

2. Absence of self-correction.

Scientific research programs are not
necessarily distinguished from pseudoscientific research programs in the
verisimilitude of their claims, because proponents of both programs fre-
quently advance incorrect assertions. Nevertheless, in the long run most
scientific research programs tend to eliminate these errors, whereas most
pseudoscientific research programs do not. Consequently, intellectual stag-
nation is a hallmark of most psendoscientific research programs (Ruscio,
2001). For example, astrology has changed remarkably little in the past
2,500 years (Hines, 1988).

○3.再調査の回避

上記に関連し,多くの疑似科学の支持者は,再調査によって問題点が発見されるおそれあがるようなプロセスを避ける(Ruscio, 2001; 例証としてGardner, 1957 も参照)。再調査プロセスが,よく構成されたパラダイムと矛盾するような主張や結果がでるようにバイアスをかけているという根拠で,回避されるかもしれない(たとえば,思考場理論に関連した例証としてCallahan, 2001a を参照;第9章も参照)。標準の科学的方法ではとうてい適切に評価できないということを理由に,再調査を避けるかもしれない。再調査は完璧からは程遠い(代表的な例としてPeters & Ceci, 1982 を参照)。そうだとしても,科学における自己訂正の最高のメカニズムとして,また推論,方法論,分析における誤りを特定し,研究者を援助する最高のメカニズムとしてあり続けている。再調査プロセスから大きく隔絶されたままでいることによって,疑似科学の支持者は,調整的なフィードバックを得る貴重な機会を失う。

追試や再検討を拒む、といった所でしょうか。で、既存の方法ではバイアスがかかって適切に主張を論証出来ない、などと言ったりする。実際、検証への消極的な態度を採れば、「いかにしてそれを確かめるのか」と指摘されるのは当然ですね。

3. Evasion of peer review.

On a related note, many proponents of
pseudoscience avoid subjecting their work to the often ego-bruising pro-
cess of peer review (Ruscio, 2001; see also Gardner, 1957, for illustra-
tions). In some cases, they may do so on the grounds that the peer review
process is inherently biased against findings or claims that contradict well-
established paradigms (e.g., Callahan, 2001a, for an illustration involv-
ing Thought Field Therapy; see also Chapter 9).  In other cases, they may
avoid the peer review process on the grounds that their assertions cannot
be evaluated adequately using standard scientific methods. Although the
peer review process is far from flawless (sec Peters & Ceci, 1982, for a
striking example), it remains the best mechanism for self-correction in sci-
ence, and assists investigators in identifying errors in their reasoning, meth-
odology, and analyses. By remaining largely insulated from the peer review
process, some proponents of pseudoscience forfeit an invaluable opportu-
nity to obtain corrective feedback from informed colleagues.

○4.論破よりは確証の強調

明敏な科学者フェイマン(Feynman, 1985)は,科学の本質は一生懸命になって自分自身の間違いを証明しようとするものだと述べている。バートレイ(Bartley, 1962)も同様に最高の科学は最大の構成的批評主義を含んでいると述べている。理想的な科学者は,論駁の危険を葬り去るために,育ててきた問題を研究テーマにする(Meehl, 1978; Ruscio, 2001 も参照)。逆に,疑似科学者は自分自身の主張にあう事実だけを探そうとする。強固な支持者は,主張に合致する事実を必ず見つけ出すことができる(Popper, 1959)。そのため確証するための仮説―検証方略は,信念に凝り固まっているときには誤りを根絶する効果的な手段とはならない。

 さらに,バンジ(Bunge, 1967)が述べているように,ほとんどの疑似科学者は,彼らの主張の確証として否定的な,あるいは異例な結果を都合のよいように再解釈する(Herbert et al., 2000 も参照)。たとえば,超感覚知覚(ESP)の支持者は,超心理学の課題(”psi missing”として知られる)におけるチャンスレベルの成績よりもさらに悪い個別的なケースを解釈してきた(Gilovich, 1991; Hines, 1988)。

Feynmanをフェイマン、Bungeをバンジ、と表記するのは一般的じゃ無いような気が激しくするのは取り敢えず措いておいて……自分の間違いを一生懸命になって、というのは、長期的・総合的に見た場合、だろうと思います。あるいは、そういう姿勢を採ろうとしない者はほんとうの科学者とは看做さない、とか。一段落目の後半とか、ぶっちゃけ意味が全然解らない。

4. Emphasis on confirmation rather refutation.

The brilliant physicist
Richard Feynman (1985) maintained that the essence of science is a bend-
ing over backwards to prove oneself wrong. Bartley (1962) similarly main-
tained that science at its best involves the maximization of constructive
criticism. Ideally, scientists subject their cherished claims to grave risk of
refutation (Meehl, 1978; see also Ruscio, 2001). In contrast, pseudo-
scientists tend to seek only confirming evidence for their claims. Because a
determined advocate can find at least some supportive evidence for virtu-
ally any claim (Popper, 1959), this confirmatory hypothesis-testing strategy
is not an efficient means of rooting out error in one's web of beliefs.
Moreover, as Bunge (1967) observed, most pseudosciences manage to
reinterpret negative or anomalous findings as corroborations of their
claims (see Herbert et al., 2000). For example, proponents of extrasensory
perception (ESP) have sometimes interpreted isolated cases of worse than
chance performance on parapsychological tasks (known as "psi missing")
as evidence of ESP (Gilovich, 1991; Hines, 1988).

○5.逆転された証明の重み

先に述べたように,科学における証明の重みは,常に,主張にかかっているのであり,批判にあるのではない。疑似科学の支持者はこの原理をしばしば無視し,その代わりに主張が間違っているということを無心論者が論理の限界を越えて言い張ろうとするようなことを行う(たとえばある新しい治療技法の効果に関する言及)。この誤りは,論理学者の無知による誤りに似ている(たとえば,無知による論争)。それに反対する事実が存在しないというためだけで,単純に主張は正しいと思い込んでしまう仮説の誤りに似ている(Shermer, 1997)。たとえば,未確認飛行物体(UFO)の支持者は,空にある変則的な出来事のなかには説明できないものがあるという懐疑論者の主張に対して,すべてが説明できると主張した(Hines, 1988; Sagan, 1995a)。しかし,基本的には,例外なく否定的なものすべてに当てはまりうるような証明は不可能なので,この戦略では主張者よりもむしろ懐疑論者に過度に証明を求めるという誤りをおかす。

かなり意味が取れない文ですね。ここは、ちがやまるさんがコメントで訳して下さったものがあります。Interdisciplinary: 参考資料として:投稿: ちがやまる | 2009年5月 9日 (土) 21:02より引用。

前に述べたように、科学においては必ず、証明の責を担うのは個々の主張を立てる方であって、批判する方ではない。ニセ科学を唱道する人々はよくこの原則を無視して、懐疑者たちがある主張(たとえば新規の治療法の効能に関する主張)が誤りであるという理にかなった疑惑を越えて、実証することを要求する。
この誤りは、論理学者の"ad ignoranthum fallacy" (すなわち、無知による誤謬)に似ている。この誤りは、ある主張が単に対立する証拠がないというだけで正しいとみなしてしまう事である(Shermer, 1997)。たとえば、UFOについて言いふらす人には、懐疑者たちは空中の異常現象に関する報告で説明されてない物をすべて説明すべきだと言い張った人もいた(Hines, 1988; Sagan, 1995a)。しかし、一般的な否定を証明することは本質的に不可能であるから、この戦術は証明の責を主張者でなく懐疑者に誤って負わせてしまうのである。

遥かに明瞭ですね。つまり、科学における立証責任の話。新奇の主張をする側が、説を立証する責任を負う、という事。その転嫁をするのは見られます。無いと思うなら証明してみろ、というやつ。経験科学において、○○は無い、というのを証明するのは一般に不可能ですが、それを求めたりする訳ですね。

UFOの例は、懐疑主義者が変則的な事例を説明出来ないのを衝いて、全部説明してみせろ、と要求する。それは端的に言って、「話が違う」んですよね。確かに変則的なものはあるかも知れないが、それを説明出来ないからといって、それで地球外からの飛行物が存在すると論証される訳では無し、と。

5. Reversed burden of proof.

As noted earlier, the burden of proof in
science rests invariably on the individual making a claim, not on the critic.
Proponents of pseudoscience frequently neglect this principle and instead
demand that skeptics demonstrate beyond a reasonable doubt that a claim
(e.g., an assertion regarding the efficacy of a novel therapeutic technique) is
false. This error is similar to the logician's ad ignorantium fallacy (i.e., the
argument from ignorance), the mistake of assuming that a claim is likely to
be correct merely because there is no compelling evidence against it
(Shermer, 1997). For example, some proponents of unidentified flying ob-
jects (UFOs) have insisted that skeptics account for every unexplained re-
port of an anomalous event in the sky (Hines, 1988; Sagan, l995a). But
because it is essentially impossible to prove a universal negative, this tactic
incorrectly places the burden of proof on the skeptic rather than the claim-
ant.

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続きは次回

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コメント

おはようございます。
「すごい密度で誤訳が詰め込まれている」「本を読めない学生の原稿をつなげただけじゃないか」みたいな事になりそうですけど、そういう発言をしたら編訳者の名誉を毀損する事実を摘示することになってしまわないかどうかがちょっと心配です。もちろんそんな意図はないですが。3も自分で訳してみましたが、逆の意味になっているところが一箇所あり、全体として意味が通じるようでも構文の把握が?なところもあるようです。

▽試訳▽
3. 査読の回避

関連した態度で、ニセ科学の唱道者の多くは、自分たちの仕事をたびたび自我を傷つけることになる査読の過程に持ち込むことを避ける。彼らはある場合には、査読の過程は本来、確立したパラダイムに矛盾する知見や主張を受け入れない傾向を持っている、という事を理由として査読を避けるようである。
別な場合には、自分たちの主張が標準的な科学的方法では的確に評価できない、という理由で査読を避けるかもしれない。査読過程は、完全無欠というにはほど遠いけれども、科学における自己修正の最もいい機構であり続けており、研究者たちが自分の論理、方法、解析の誤りを見出すのを助けている。
査読からほとんど隔離されていることによって、ニセ科学の唱道者には同僚から情報を正してもらうフィードバックを受け取る貴重な機会を逃している者もいる。
△こんなんでどうでしょう△

最近kikulogかどこかで見て気になった発言があったのですが、査読は、してあるから大丈夫、とも、ないから駄目、とも言えない点には注意が必要ですよね。

投稿: ちがやまる | 2009年5月10日 (日) 09:40

ちがやまるさん、今日は。再びありがとうございます。

うーん、訳書、peer reviewを「再調査」とするってのは、どういう事なんだろう…。それ以前に、普通に読み取れない文になってますね。

つまり、パラダイムに反するものを受け入れないという保守的なシステムになっている査読を受け容れない、という事ですね。そうやって、自分達の画期的な主張は現在のピア・レビューのシステムでは適切に評価されない、と。そうして、学界の保守性を仄めかして自身を正当化するのは、たびたび見受けられますね。

査読を通らなければならないという事も無いし、査読を通っているから良い、という事でも無いんですよね。そこをとらまえて、現在の科学のシステムを批判する向きも見られますね。
でも、査読というのは、他の科学者に誤りを正してもらう制度であるし、完全では無いからといってただちに否定するようなものでは無い、と。

ちなみに、1章の担当は、監訳者でもある横田正夫氏です。

投稿: TAKESAN | 2009年5月10日 (日) 12:29

追加です。誤訳道場みたいな方に話を向けるのはいけないかもしれませんが、4.にある次の文も意味がとれませんね。

「理想的な科学者は,論駁の危険を葬り去るために,育ててきた問題を研究テーマにする」

Ideally, scientists subject their cherished claims to grave risk of
refutation.

理想的には、科学者は自分の慈しんで育てた主張を過酷な(grave)反証の危険にさらす。

...ちょっと度がはずれているような。

投稿: ちがやまる | 2009年5月10日 (日) 13:46

さっき、ちょうどそこら辺を見ていた所でした。

ううむ、いよいよアレですね…。

そもそもテーマが、疑似科学は自説の反駁より確証を重視する、というものなのだから、その文脈を鑑みても、訳書のような文は出てくるのはおかしいような・・。

投稿: TAKESAN | 2009年5月10日 (日) 14:14

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