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2009年5月16日 (土)

感じさせるか否か

とある声優がいる。

演技の幅が広く、その才能の高さを認める評をよく目にする。

確かにその人は、バリエーションに富む役をしっかり演じこなしており、平均的な役者とは一線を画すと評価されている事には、頷ける。

しかし、である。

何か違和感を覚える。演技を聞いて。

その違和感が何か、としばらく考えた。

おそらく、

「感じさせる」から、なのではないかと思った。

何を、か。

「努力の跡」を、あるいは「気の遣い方」を、である。

つまり、演技に対する真剣な姿勢、構え、きめ細やかな演じ分けなどの配慮が、演技を通じて見えてくる、ように感じられる。

具体的には、声の出し方などがそう感じさせるのだろうが、ありていに言ってしまうと、「わざとらしさ」が見える。

他に、自分が高く評価する役者がいる。

その人は、「何も感じさせない」。

演技しよう、などの構えたような雰囲気や、淀みというものが全く無い。陳腐な言い回しを用いれば、「自然な演技」といった所だろうか。

自然に、というのは、努力の跡を感じさせない、のと同じで、そのキャラクターそのものが喋っているようにしか思えない、そんな演技。いや、もはや「演技」では無い、と言うのが適切だろうか。

「感じさせる」方は、「二重」に見える。つまり、キャラクターと、それを演ずる役者が。

しかし、「感じさせない」方は、全く同化している、と言うか、まさにそのキャラクターが喋っているとしか思えない、そんな風である。

この違いが、本当に優れた役者であるか否か、の分かれ目、なのであろうか。

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「随想」カテゴリの記事

コメント

中学生が書きそうな、恥ずかしさ全開エントリー。

私の評価が適切じゃ無ければ崩壊しますな、これ(笑)

ちなみに、両方実在の声優ですが、誰かは書きませんぜ。

投稿: TAKESAN | 2009年5月16日 (土) 00:34

演劇は、観客に「感じさせる」のを意識して、演技しているように思えます。
映画では、「感じさせる」演技は、不自然に感じます。(「感じさせる」演技は、大根役者と思っていますが…。)
私はそう感じ、演劇は、あまり好きではありません。(大学入学時は、演劇部があれば、入りたいと思いましたが…。)

「感じさせる」かどうか?の際(いわ)は、ロバート・デ・ニーロが、役によって、身体まで変え、演技しているのを、その役に自然になりきっていると感じるか?
<役のため、演出している>と、観客が「感じさせる」か?
の境と思います。
デ・ニーロは、演劇出身なので、誇張部分がありますが、<特異さ>の中の<自然体>があると思っていますが…。

投稿: mohariza | 2009年5月16日 (土) 00:55

際(いわ)は、際(きわ)と訂正します。

所で、日本の俳優では、志村喬と笠智衆が、自然で、「感じさせない」演技役者と思いますが…。

投稿: mohariza | 2009年5月16日 (土) 01:02

観客のニーズ(現実感の無い萌え声)とか演出意図(メタ性をもたせたい、など)によって条件は変わりますが。

ざっくり言ってしまえば「感じさせる」のは、わりとたやすい技術です。「感じさせない」ことを努力でやろうとすると難しくて、才能の下駄が必要な領域になると思います。
「感じさせ」てはいけない場合にも感じさせてしまう役者を大根と呼びます。大根と説明ゼリフは、作品世界を同じように壊します。

洋画吹き替えのわざとらしさなどは、あれは一つの文化であって、大根とはまた別のモノサシを用意して観るものになります。

「優れた役者」ってのは、ニーズによって変わる概念なのかもしれませんね。

投稿: せんだって日記 | 2009年5月16日 (土) 03:15

おはようございます。

天才型と秀才型みたいな感じでしょうか。

投稿: zorori | 2009年5月16日 (土) 06:55

皆さん、今日は。

いわゆる自然な演技をしようとする努力が見えて、それが逆に目立ってしまっている、という場合なんかがあるように思います。

こういうのって実際、自分の観察は適切か、が関わってくるので、そもそもお前の評価は正しいのかいな、的な話になってきますが…。

投稿: TAKESAN | 2009年5月16日 (土) 12:23

サザエさんの声優陣は「自然」で「感じさせない」典型例のような気がします。

特にタラちゃんの声優をテレビで見たときには「このオバハンがっ!?」と(失礼),今世紀最大の衝撃でしたね。
でも,今見てもタラちゃんはやっぱりタラちゃんなのです。

何十年もの歴史とともに歩んだ声優は,涅槃の境地に立っているのかも…。

投稿: 慶 | 2009年5月16日 (土) 19:13

慶さん、今晩は。

サザエさんクラスになると、物心ついた頃からやってたアニメで、もう、キャラが実在するとすら錯覚したり、というのもあるのかも知れませんよね。だから、声優が変わると、ものすごく話題になったり。

貴家さんの声は変わりませんねー。驚異的。

投稿: TAKESAN | 2009年5月16日 (土) 23:11

管理人様、ご無沙汰しております。コメントするのは久しぶりですが、ロムは続けておりました。

声優は演技の良し悪しではなく、キャラクターと同化できるか否かが問題である、という持論ですので、今回のエントリーには大いに賛同致します。時々アフレコ風景を紹介する番組もありますが、一流の方は『声優がキャラクターの動きに合わせて演技をしている』のではなく、『(アニメの)キャラクターが、実在の人間に声をあてている』ように見えるくらいです(へたくそな説明ですみません)。
声優経験のないタレントさんの演技に自分が違和感を感じることが多いのは、特にこの部分です。とても上手な演技、上手な朗読に聞こえてしまうんですね。あくまで個人の感想ですけど…

ところでサザエさんでいえば、現カツオ君も素晴らしいですが、先代カツオ君が『サスペリア』テレビ放映版で、魔女の手下(アリダ・ヴァリ)をしていたのには驚かされました。思えば声優に興味を持ち始めたのはそれからです。神谷様がルチ将軍をしているのを知った時はショックで泣きましたが…

投稿: キャリン | 2009年5月17日 (日) 15:04

TAKESANさん、こんばんは。

「赤毛のアン」を”男性”の声優さんだけで作成する(もうしたのかな?)そうです。
アンは勿論、ダイアナやマリラも男性だそうです。
・・・買おうかどうしようか迷っています。聞いてみたいような聞きたくないような。リンド夫人もでるのかな。

投稿: うさぎ林檎 | 2009年5月17日 (日) 21:55

キャリンさん、うさぎ林檎さん、今晩は。

ものすごーく直感的な事を言うと、私は「控えめ」の演技が好きです。これは好みの話ですので、それが良いのだ、というものではありませんけれども。声優さんによっては、全く別の評価軸で見たりしますしね。

声優や舞台の経験が無い、乏しい役者さんの演技は、声の通らせ方、あるいは届かせ方、がやはり違うのかな、という感じがしますね。空間的な関係の把握と、それを声で実現させる、という所をつかめるか、と言うような。

赤毛のアン、しばらく前に知りました。なんか、シリーズものではありませんでしたっけ。
……お、ありました、これですね⇒カタログ:モモグレ・オフィシャルサイト
おお、小野Dがキャスティングされてるじゃないですか。

投稿: TAKESAN | 2009年5月17日 (日) 22:20

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