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2009年5月 9日 (土)

参考資料として

とりあえず作ってみた :: Archivesのコメント欄の話ともちょっと関連して。

『臨床心理学における科学と疑似科学』から、疑似科学の特徴が挙げられている部分を参考資料として。

(前略)多くの科学哲学者(たとえばBunge, 1984)と心理学者(たとえばRuscio, 2001)は,最もよく認められる疑似科学の特徴を概説した。それらの特徴は次のようなものである(さらなる議論のためには,Herber et al., 2000;Hines, 1988; Lilienfeld, 1998 を参照)。

とあり(P5)、いくつかの項目があります。取り敢えず、10個挙げられている項目を紹介します

  1. 反証からの主張に対して免疫をつくるためにデザインされた一時的な仮説の濫用
  2. 自己訂正の欠如
  3. 再調査の回避
  4. 論破よりは確証の強調
  5. 逆転された証明の重み
  6. 関連性の欠如
  7. 逸話的な事実への過信
  8. 反啓蒙主義の言語使用
  9. 境界条件の欠如
  10. 全体論のマントラ

※ここはどういう事が書かれてあるのか、などありましたら、コメント欄でどうぞ。要約してご紹介します(引用するには長過ぎるので)。

これはどちらかと言うと、「方法を備えているか」という観点ですよね。あるいは、「態度」がどうか。ですから、「ニセ科学」とは、共通する部分がありつつも、異なる所がある。

ニセ科学の話では、たとえば、○○治療というのがあるとして、それをどう謳うか、という乖離の度合いが関わってくる訳ですね。そのままでは、単に実証途中の理論(apjさんのテキストでの「非科学」)であったとしても、エビデンスが充分で無いのに「ガンに効く」などと言ってしまうとニセ科学とされる、といった具合に。

ですから、上の条件を多数満たしていない場合に即「ニセ科学」と呼ぶ、という事でも無い。あるいは、上の条件を満たしているからといって「ニセ科学で無い」とは限らない、と。そこら辺に異なりがあるのだと思います。

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「科学論」カテゴリの記事

コメント

こんにちは。10項目を拝見したところで、個人的には5がどういうふうに扱われているのかに興味を覚えました。他の項目も、大体内容が予測できそうなのや想像つかないのやがあります。

サブタイトルか、1文くらいの内容説明を捕捉していただくとわかりやすいかもしれません。勿論、ボランティアでやっておられる事に対してですので、お願いなんかではありません。

そこをわきまえずに、オレ様にオレ様が期待するサービスをしろ、という人がkikulogに現れたのを見て、ちょっと自分の襟を正した、というのはあります。

投稿: ちがやまる | 2009年5月 9日 (土) 16:50

ちがやまるさん、今晩は。

あ、いえいえ。あれだけじゃピンときませんよね。

そうですね。要約か引用か、まとめてから明日エントリーを上げる事にします。

えーと、5に関してですが……訳が悪いのか私の読解が不足しているのか、ちょっと意味が捉え辛いです。ですので、この部分だけ取り敢えず、丸ごと引用してみます(『臨床心理学における科学と疑似科学』(P7) )。


先に述べたように,科学における証明の重みは,常に,主張にかかっているのであり,批判にあるのではない。疑似科学の支持者はこの原理をしばしば無視し,その代わりに主張が間違っているということを無心論者が論理の限界を越えて言い張ろうとするようなことを行う(たとえばある新しい治療技法の効果に関する言及)。この誤りは,論理学者の無知による誤りに似ている(たとえば,無知による論争)。それに反対する事実が存在しないというためだけで,単純に主張は正しいと思い込んでしまう仮説の誤りに似ている(Shermer, 1997)。たとえば,未確認飛行物体(UFO)の支持者は,空にある変則的な出来事のなかには説明できないものがあるという懐疑論者の主張に対して,すべてが説明できると主張した(Hines, 1988; Sagan, 1995a)。しかし,基本的には,例外なく否定的なものすべてに当てはまりうるような証明は不可能なので,この戦略では主張者よりもむしろ懐疑論者に過度に証明を求めるという誤りをおかす。


シャーマーやセーガンの本が手許にあれば、参照しながら補えると思うのですが、あいにく無いので・・。
シンプルに言うならば、証明の重さを逆転させて批判者にかぶせる、というような感じでしょうか。立証責任の転嫁や、現象が無い事の証明を求める、とか。

kikulogに出現したお方は、さっき見たら、「特別にあなたのコメントにだけお答えすることにします。」という素晴らしいまでの低姿勢を見せ付けてくれていました。

投稿: TAKESAN | 2009年5月 9日 (土) 18:49

ありがとうございます。本の著者名で検索をかけたらgoogle booksでその箇所が読めたので、貼り付けてみます。私は「重み」というのがウエイトのことかと想像してましたが、「責務」と言う方の話だったようです。

Reversed burden of proof. 証明の責務の逆転

As noted earlier, the burdenof proof in science rests invariably on the individual making of claim, not on the critic. Proponents of pseudoscience frequently neglect this principle and instead demand that skeptics demonstrate beyond a reasonable doubt that a claim (e.g., an assertion regarding the efficacy of a novel therapeutic technique) is false. This error is similar to the logician's ad ignorantium fallacy (i.e., the argument from ignorance), the mistake of assuming that a claim is likely to be correct merely because there is no compelling evidence against it (Shermer, 1997). For example, some proponents of unidentified flying objects (UFOs) have insisted that skeptics account for every unexplained report of an anomalous event in the sky (Hines, 1988; Sagan, 1995a). But because it is essentially impossible to prove a universal negative, this tactic incorrectly places the burden of proof on the skeptic rather than the claimant.

前に述べたように、科学においては必ず、証明の責を担うのは個々の主張を立てる方であって、批判する方ではない。ニセ科学を唱道する人々はよくこの原則を無視して、懐疑者たちがある主張(たとえば新規の治療法の効能に関する主張)が誤りであるという理にかなった疑惑を越えて、実証することを要求する。
この誤りは、論理学者の"ad ignoranthum fallacy" (すなわち、無知による誤謬)に似ている。この誤りは、ある主張が単に対立する証拠がないというだけで正しいとみなしてしまう事である(Shermer, 1997)。たとえば、UFOについて言いふらす人には、懐疑者たちは空中の異常現象に関する報告で説明されてない物をすべて説明すべきだと言い張った人もいた(Hines, 1988; Sagan, 1995a)。しかし、一般的な否定を証明することは本質的に不可能であるから、この戦術は証明の責を主張者でなく懐疑者に誤って負わせてしまうのである。

投稿: ちがやまる | 2009年5月 9日 (土) 21:02

おおっと、これは大変ありがたいです。google booksとは盲点でした。

ちがやまるさんの訳だと普通に明瞭ですね。うーむ、後から再び私が引用した箇所を見ると、やはり読みづらい…。特に、


たとえば,未確認飛行物体(UFO)の支持者は,空にある変則的な出来事のなかには説明できないものがあるという懐疑論者の主張に対して,すべてが説明できると主張した


この辺なんかは相当。文意が全然変わっちゃうような。

て言うか、この項目、まさに「詩人」さんの事を指しているような。なんとタイムリーな。

投稿: TAKESAN | 2009年5月 9日 (土) 21:21

本書に対する辛口レビューにおいて、翻訳に突っ込みが入れられていました⇒臨床心理学における科学と疑似科学/リリエンフェルド - 裕’s Object Relational World

うーん。こりゃ結構アレですね。

明日のエントリーでは、長文になっちゃいますが、丸ごと抜粋する事にしましょう。翻訳に不安があるものを私が要約すると、意味がどんどんずれる可能性があるので。と言いますが、読みづらくて要約しにくかったりするのです。

投稿: TAKESAN | 2009年5月 9日 (土) 21:36

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