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2009年5月 6日 (水)

禁ずる

ゲーム禁止を「強要」するのはおかしいと思う。 姪っ子は小学3年生。新学期に入り... - Yahoo!知恵袋

なんと言うか、愕然としますよね。

禁止の理由も、どれも主観の域を出ていないですよね。いわゆる「起こり得る」事であって、コンピュータゲームに特有のものとは言いがたい。要するに、他の文化に較べてそういう悪影響を顕著に与える、というのは明確では無い。(ゲームが視覚の機能低下をもたらすというエビデンスは充分にあるのでしたっけ?)

今までは宿題をした後、30分~1時間程度ゲームをしていた様ですが、妹は納得したのでしょう。
先日「ゲーム機」「ソフト」を全て売り払いました。

子供は泣きながら「やめて」と言ったそうですが、これは親の考えですので私は何も言えません。

これはなあ。お子さんはどんな気分だったろうなあ…。質問者さんの意見が柔軟で適切ですよね↓

が、それは各家庭で取り決めをし、子供に理解・納得をさせた上で、時間を決めてゲームをさせる。
約束を破ったら、数日禁止。

これでいいと思うのです。

担任の先生が家庭の教育方針にまで踏み込んでゲームを禁止する(させる)、というのは やり過ぎでしょう。

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コメント

ここまで踏み込めるのに、懲戒権はダメなんですかね。

投稿: トンデモブラウ | 2009年5月 6日 (水) 18:06

トンデモブラウさん、今晩は。

これはすごく嫌な想像なのですが、こういう教師の考えに、児童の保護者の多くが賛同したりする場合も、可能性としてはあり得るのかな、と。

今回は、きょうだいに話をしたという事で情報が伝わった訳ですけれど、実際、他の保護者はどう考えているのだろうと思ったり。

元々保護者がゲーム嫌いであったら、教師に言われた事を口実にして止めさせるのが可能になるんですよね。それで、保護者によっては、まあ、先生のは言い過ぎかも知れないけど、ゲームばっかりやってるのは嫌だからしょうが無いか、的な軽い気分で表面的に賛同するとか。

ゲーム脳がウソでもホントでも、ゲーム止めさせるためなら使っていいじゃないか、なんて言った人も存在するようですし。

他の部分で信頼出来るような人だった場合には、先生の言う事だから、と従うのもあるかも知れません。それはとても怖い事ですね。

それにしても、コンピュータゲームというのは目の敵にされるものですね。子どもだと、人格もろとも否定されたように感じる事もあると思います。

投稿: TAKESAN | 2009年5月 6日 (水) 19:01

TAKESAN、こんばんは。

子供達は大人の理不尽さという人生における第一関門を経験したわけですね。

私はこの領分は教育ではなく、躾の方だと思います。質問者さんの提案内容が穏当かどうかがこの際問題ではなく、”子供が自分の生活時間をどう配分するか”が核心ですから、家庭内のローカルルールとして決めるべきことです。
他所の家でゲームを許しているからと言って、自分の家でそれを追認する必要は全くないはずで、「他所は他所、ウチはウチ」。家庭という一番小さな単位で約束事を学ぶのも、大事な社会勉強だと思います。
そして教師の方も大変なんだと思います。おそらく親の方からそんな質問を投げかけられる経験からの一括対応なんじゃないでしょうか。私が高校の時に小遣いをいくらやればいいかと父兄会で質問した人がいたそうで、私の父は「それぞれの家庭の経済状態と常識で決めればいいのでは」と発言したそうです。
このケースは、親の側が躾の問題まで学校に丸投げしているから生じた事態だと、私は思います。

勿論、この問題を考える上で”ゲーム脳”を持ち出すのが埒外なのは言うまでもありませんケド。

投稿: うさぎ林檎 | 2009年5月 6日 (水) 20:46

うさぎ林檎さん、今晩は。

ちょっと考えてみたのですが、重要な部分として、先生の確信の程度、というのがあると思います。要するに、保護者からの意見を聞いての対応、なのか、それとも、ゲーム脳や脳内汚染の言説の内容に共感あるいは納得していての事なのか。

これは、お触れを出すに至った経緯、の論点で、仮に先生の方針に疑問をいだき、改善させたいと思ってコミュニケーションを取っていくと考えた場合には、重要なのだろうと思います。

(私自身は、いかなる経緯でも、ゲームを家庭で禁止してもらう、という先生の考えは、完全に論外だと思っています)

ちなみに、危惧するのは、ゲームにネガティブな認識を持った人が指導する側にいて、その人に児童・生徒が一定の信頼を置いていた場合に、その先生の認識が子どもに反映され、そして、ゲームを愛好する人そのものに対してネガティブな印象を懐く事です。
これは、自分がそうであった(ゲームをする人間は馬鹿だと思っていた)、という経験からも、危うい事だと思っています。

ゲームをする人間を馬鹿だと思っていて、自分はその集合に入っていた訳ですね。そうすると、ものすごくいびつな、他人を見下しつつ自身を卑下する、といった認識を持ったり。
そういうのもあって私は、ゲームをほとんどやらなかった時期があるのであります。

※もちろん、それが多く起こる、と考えている訳では無いですけれども

投稿: TAKESAN | 2009年5月 7日 (木) 00:25

TAKESAN、こんにちは。

そうですね。先生の単なる偏見(無知)による指導の場合は、別の問題が発生していると思います。学校は時に子供を人質に取るので、親がその権威を無視するのは中々難しい事だと思います。一方的な”通達”でコトが進んでいるようにも読み取れるので、その教師の指導方針には注意が必要でしょうね、大抵の場合は一事が万事の筈ですから。

学校は集団生活でもあるわけで、今は”みんなと同じにしとく”のを学ぶ事が重要視(というか死活問題)になっていますが、もっと多様性を身につけて貰いたいです。これを早めにクリアしとかないから、大人になってから個性を過剰に重視する方向に暴走したりするんですよ、”自分探し”なんかし始めて(笑)。

これだけゲームが浸透している時代ですから、家庭内で「ゲーム」とどう向き合うのかを話し合うのは、(親子ともに)良い経験になる筈なんですけどねぇ。

投稿: うさぎ林檎 | 2009年5月 7日 (木) 11:21

こんにちは。

私は、教師の件ももちろんですが、質問者の方の「部外者」という姿勢も気になりました。
その子供が大人になって社会に出、さらに将来親になったときに、学校や教師にどういった予断をもつか等考えたら、遠慮せずに突っ込んでもいいんじゃないかな、と。

投稿: A-WING | 2009年5月 7日 (木) 18:18

TAKESANさん、こんばんは。

元の Yahoo!知恵袋 の質問で列挙されてる禁止の理由は、もはや屁理屈の域に達してますね。こんな理由で禁止するなら、何でも禁止できてしまいそうです。

この件では石田は「ゲームとの付き合い方」を考えたり教えたりするのが面倒なとき、「禁止」っていうのはラクな方法なんだろうなぁ、とか考えてしまいました。
禁止してしまえば、考えることも教えることも不要になりますからね。

ほかにも「生活時間の配分を約束して守ること」を教えるときなども、ゲームとかテレビとか、子供がハマり込んでしまいそうな物を、予め排除しておけばラクなのかもしれません。
けど、これは教育の一部を放棄してるってことだよなぁ、とか石田は考えています。

子供はどうせゲームにもネットにもケータイにも、いずれは出会うし使うようになります。とすると、それらとの上手な付き合い方を教えるのは、現代の教育では重要なテーマなんじゃないかとか、石田は考えとります。
もちろん、子供の年齢などから「まだネットは早い」とか「まだケータイは早い」とかの判断はあって然るべきですが、それを判断する主体は親であって、教師はせいぜい助言する程度の立場だろうと考えています。

とりあえず、石田がもしこのような教師に出会ったら、当然に「ゲーム禁止令」は拒否します。売り払うなんてもったいなくて、とうていできません。子供がそのゲームを楽しんでいるならばなおさらです。

投稿: 石田剛 | 2009年5月 7日 (木) 22:46

皆さん、今晩は。

こういう事例が出てくると思い出されるのが、坂元章教授による、「ゲームリテラシー」ですね。一般には「メディアリテラシー」。端的に言うと、皆さん仰るように、「上手く付き合っていく」のが重要かと思います。保護者と一緒に考える、のは大切ですよね。

(坂元氏のゲームリテラシーの話が話題になった時の元記事が消えてしまったので引用は出来ませんが、色々言及されていますので、調べるのも良いかと。)

なんでしょうね、メタに見ていかせるのを促す、と言うか。
ゲームは非現実なんだよ、でも人間の想像力創造力が注力発揮された、素晴らしい文化なんだよ。でものめり込むのはダメだよね、そればかりやってるのは肉体的にも好ましく無いから程ほどにしようね。ゲームは色々な文化が組み合わさった総合文化なんだよ。映像や音楽のプロフェッショナルが協調し、ゲームとしてのバランスが上手く調整出来て初めて、芸術的な名作が生まれるんだよ。プログラムが組み立てられて初めてゲームが出来るんだよ、それは論理の仕組みが厳密に使われていて……
等々を一緒に考えていくと、随分色々な事が学習出来るし、良いと思うんですよね。

これは何度も書いているのですが、ゲームは見縊られている、と感じます。もちろん、好き嫌いはあっていいですが、これだけ普及・浸透し、産業も拡大している文化なのだから、もう少し考えてみてもいいのにな、と。

この点、自分の周りには、ゲームをひどく嫌悪した人間は(自分以外は)いなかったので、それは幸運だったと思います。

投稿: TAKESAN | 2009年5月 7日 (木) 23:53

こんにちは。

いろんなことが渦巻いてしまいますが、ひとつだけ最近気づいたことを(いや、思いついた、かな?)。

親や教師には「その問題は先送りにしたい」という欲求がしばしば起きるのかもしれません。「禁止」というのは、体のよい先送りで(そう思い込んでいて)監督者の責任が問われる間はその問題から逃げようとしているとか、そんな感じ。

たとえば「3ない運動」って、高校の3年間はって話ですよね。性的な事柄についても似たようなものです。携帯電話もそうなりつつあるかな。子どもが子どもじゃなくなって、ドジを踏んでも自己責任だよねって言われるようになるまで、その問題と直面しないでいたい、そういう逃げなのかな、って(大きくなってからだって「育て方が間違っていた」とか言われるリスクはあるんですけど)。

もちろん、だから大目に見るべきだとかいう話ではまったくありません。むしろ、そうだとすれば「それは先送りになってないよ」とか「先送りになってたってマズイよ」とかいう話なのですが。ただ、そういうことだとすると、ひょっとすると「自分が体験してこなかったことまで子育てや教育で背負いきれない」とかいう思いが背後にあったりするのかなあとか。

あああ、やっぱり思いつき以上の話にならない(汗

投稿: 亀@渋研X | 2009年5月 8日 (金) 03:29

こんにちは。

実はデスね私自身は、親が「ダメといったらダメ」で子供に対応するのはアリだと思っているのです。日和らずにそれが貫ければソレはソレで教育だろうと。

私の幼少の頃は、実にシンプルでした。「ウチにはお金がない」でお終いで、物わかりの良い子供であったワタクシメはそれで納得していました。妹が生まれた頃は、我が家も経済的にそれなりに安定していたはずですが、物わかりの良い上の子供に味を占めた両親は、さらにバージョンアップして「お金を拾ったら買ってあげる」とやったんです。そして素直な妹は”そっかウチにはお金がないんだ”と信じて納得したわけです。でも因果応報ですヨ、妹はこともあろうにデパートで「おかあしゃん、おカネひろったらコレかってくだしゃいね!」とやって、見事に(本人は本気で言っただけですが)復讐を遂げたのでした。
この手が使えない家庭が多くなった今は幸いですが、大変だと思います。

私は今「立体ピクロス」に填ってます・・・月曜締め切りの仕事があるのに(笑)。

投稿: うさぎ林檎 | 2009年5月 8日 (金) 12:19

亀@渋研Xさん、うさぎ林檎さん、今晩は。

多分、「理由付け」の問題があるんだと思います。
この例だと、一部の保護者や教師にとっては「尤もらしく」、実際に愛好している子どもにとっては「尤もらしく無い」、つまり理不尽な理由、なのだろうな、と。
生理的・心理的な理由付けをされても、いや、それ当てはまってないから、と感じたり、内容が好ましく無いという指摘には、ゲームにも色々あるのに、となったり。
そういう風な所から、「はなから理解しようとする姿勢が感じられない」というのがあるのではないかと。

ゲームって、理論的にも実証的にも、「禁止」をするほどの有害性は認められていない訳ですよね。(考え方によっては、そこそこ研究がなされて、大きな害は無い事が確認された、と見る事も可能かも知れませんが、そこは慎重にいきたい所。)自分が子どもだった頃の体験を思い出すと、見ずに嫌う、のは非常な反発を呼ぶだろうなと感じます。

投稿: TAKESAN | 2009年5月 8日 (金) 20:50

ゲーム脳か………。様々な意見があるかもしれないが、俺はゲーム脳を見かけ倒し的な天ぷら学生ならぬ天ぷら理論としか捉えられないです。ゲーム禁止ですって!?俺だったら3日も持たないでしょうね。

投稿: 名無っしーⅩ | 2009年5月 9日 (土) 22:49

名無っしーⅩさん、今晩は。

天ぷら学生という言葉を今初めて知った、というのはここだけの話です。

ゲーム脳は、理論ですら無いですね。なにしろ定義らしい定義がありませんし。

投稿: TAKESAN | 2009年5月10日 (日) 03:18

TAKESANさん、お久しぶりです。ゲーム脳は、理論と言うよりは個人的な意見なんでしょうか?テレビゲームと外遊びを両立することは誰だって出来ると思っています。 論より証拠、それが俺の持論です。

投稿: 名無っしーⅩ | 2009年5月10日 (日) 09:41

名無っしーⅩさん、今日は。

多分、理論だという思い込み、なんでしょうね。

投稿: TAKESAN | 2009年5月10日 (日) 11:48

TAKESANさん、今日は。理論だという思い込み、か…。わかりました。すこし話が変わりますが、俺は「ゲームは人をダメにする」という考え方は間違っていると思います。ゲームをやったら皆、ダメな人間になるのか、と思っているからです。皆さんの意見を聞かせていただけますか。

投稿: 名無っしーⅩ | 2009年5月10日 (日) 13:08

間違っている、と言うより、不正確である、と言った方が良いように思います。つまり、「程度」の問題をきちんと見ないと、この種の話は先に進まない、という事かと。

・ダメとは何か

・ダメに”する”、とは何か

・どのくらいの確率でそうなるのか

などを考えるのが重要かと思います。

投稿: TAKESAN | 2009年5月10日 (日) 13:50

TAKESANさん、有難うございました。

投稿: 名無っしーⅩ | 2009年5月10日 (日) 22:54

個人的に、こういう意見でいつも思うのは、こういうゲーム規制とか、そういうのを主張する人の「健全な子供」「子供らしい子供」とは何なのか? という疑問なんですよね。

ここで題材になっている先生の主張する「時間の使い方がわからなくなる」なんていうのは、では、「使い方がわかる子供」というのは「どういう風に時間を使うものなのか?」というのを小一時間問い詰めたい、とでも言うか…(笑)
「将来が不安」なんて、余計なお世話だ、っていう感じですし(良いじゃないですか、ゲームが大好きで、それを買うために、毎日、一生懸命働くような大人になったって。それはそれで立派な社会人でしょう)

名無っしーXさんに対する「ダメにする」の「ダメ」が何なのか? というのもそうなのですが、なんか、こういう規制論などの中にある最大の問題点って、「これだから悪い」という個別の部分だけ(しかも、時折、ただの偏見が入る)連呼して、では具体的に、「どういう子供が良いのか?」を示さないところにあるように感じます。
無論、「私は、こういう子供が理想的な子供であると思う」と出したところで、今度は、それが万人にとって「理想的な子供」と言えるのか? という議論は残るわけですが。

投稿: たこやき | 2009年5月11日 (月) 00:26

たこやきさん、今晩は。

良い、健全、望ましい、こうあるべき ……というのを、無反省に前提する、というのがあるのだと思います。初めから「疎外する側」にいる、と言いますか。自明、とまでは言いませんが、「当たり前」になっているのだろうな、と。

自分は、ゲームを嫌っていた時期がありましたので、それをトレース出来るのですが、思い返してみると、悪いと思われる部分をクローズアップする、というのがありましたね。件の先生の意見のごとく、これがこうなったらこんな悪影響がある、と、証拠も無しにどんどん進め、それが当然、と認識する。
で、何事も、量的な問題を無視すれば、悪い面は探し出せる訳ですから、いわゆる直観補強的に、ネガティブな部分を抽出して、「やってはいけないのだ」、となってしまうのでしょうね。

何かを嫌悪しているとして、「嫌うのは正当な理由があるからだ」、と認識したい、というのがあるかも知れません。つまり、「嫌い」と「悪い」を結び付けたい、という。自分があれを嫌いなのは、あれが悪いものだからなのだ、と。
ゲームに大きな害があるのならば、それを嫌っている自分は正当性がある、と考える。で、前提をよく確かめもせずに、それが正しいと決め付ける訳ですね。

投稿: TAKESAN | 2009年5月11日 (月) 02:15

はじめまして、たこやきさん。TAKESANさん、今晩は。テレビゲームだけじゃなくどのジャンルも、何々=悪と決め付ける考え方はやはり許せないものがあります。どういった理由で悪なんだ、と。もしテレビゲームに明確な悪影響があれば何にも言いません。「確かにその通りです」と素直に認めますが。

投稿: 名無っしーⅩ | 2009年5月11日 (月) 19:00

こんちは。たこやきさんのお話にちょっと反応。「理想の子ども」というのはちょっと違うのですが。

思い返すと、アシモフのロボットもの小説で「ロボットって感情がなくて金属製で冷たいとかっていうけど、冷静で頑健って考えれば、市民権がない以外は最も理想的な『善良な市民』とほとんど変わらないじゃないか」とかなんとかいう話があったなあなんて。で、そこらとからんで最近気になってるんですが、たとえば「草食系男子とかって、昔なら紳士的な若者ってほめられてたりしなかった?」とか「アスペルガーの特徴って、裏表がない性格ってことで美徳とされてもよいようなものだったりもするよなあ」とか。

なんかこう、なにかいやだなっていう部分があると、反射的に「その逆が理想/善」みたいに思ったりする割に、どんなのが理想とか善なのかってぜんぜん考えていなかったりしますよね、普段のぼくらって。で、実は、そのいやなものの中に、いつもは理想みたいに言ってる要素が入ってたりしても気づけないみたいで。実は「いやなもの=悪いもの」「好きなもの=善いもの」ってこともないはずなんだけど、それも忘れがちだし。「不気味の谷」みたいなもので、「近いけど違うから気持ち悪い」もあるのかもしれないけど、それ以前に「子どもって昔からこんなもんだよね」とか「よき市民ってどんなんだろう」とか、そういうことを忘れがちな気が。

つい先日テレビでアシモフ原作の「アンドリュー」を放映しているのをちらと見たせいもあって、そんなことを思い出しているのでした。

投稿: 亀@渋研X | 2009年5月12日 (火) 06:28

名無っしーⅩさん、今日は。

どんな影響がどのくらいあるのか、をきちんと調べていくのが重要なのと、「ゲーム」の影響をどう考えるのか、というのが大切だと思います。
「ゲーム」は入れ物みたいなもので、何が入るかは、時代(コンピュータゲームが出来てまだ数十年ですが、時代と言って構わないと思います)によって全然違う訳ですね。そこら辺も見ていかないといけない、と。

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亀@渋研Xさん、今日は。

「どっちとも取れそうなもの」について、先入観によって解釈を変える、というのがあると思います。初めからバイアスをかけて見る、と言うか。ある行動の傾向なり何なりの説明があるとして、その他の条件によって価値付けを変えるんですよね。

見てていい気分はしない表現の一つですけど、「ただしイケメンに限る」なんて言い回しは、容姿にウエイトをかけて、それに基づいて他の部分に価値をつけていく、という心理を揶揄皮肉混じりに表した、解りやすいものだとは思います。
これは外見の話ですけど、一般的には、あらゆる属性に関してそういうのは起こるだろうと思います。

昔ならポジティブに解釈したんじゃ? というのは、「世代」属性によってステレオタイプを形成しているのかも知れません。昔なら、自己を律する好ましい態度、と解釈されたのに、今は、積極性の欠如、と看做したり。本当は、その一般的な行動の傾向自体をきちんと検証しなきゃならない訳ですけれど、そうはしない、と。

私自身は、そこら辺のステレオタイプをすさまじく強固に形成していて、それを大分破壊してきたのですが、それでも「はっとする」事があります。属性に基づいた印象形成を先に立たせて色々評価する。で、いかんいかん、となるんですよね。
この、「はっとする」のは大切だと思います。死ぬまではっとし続けないといかんな、と。

て、なんか話がずれちゃいましたね。

投稿: TAKESAN | 2009年5月12日 (火) 12:11

個人的にTVゲームのない少年時代を過ごして、物心ついてからTVゲームにはまった口ですが、TVゲームは面白すぎるという弊害はやっぱあるかなぁ、という感想です。
はまると夢中になりますよね、大人でも。
中途半端に中断されるとイラっとするけど、よく考えたらクリアする前は常に中途半端状態。
いいおっさんなのに。
まして、少年時代だと・・・
でも、別に禁じませんけど。

投稿: トンデモブラウ | 2009年5月12日 (火) 20:55

確かにTAKESANさんの言うとおりです。まず、どんな影響があるのか、ということから調べなくちゃいけないと思いました。本当に有難うございました。ゲームが与える影響は強いのは分かっていました。「見る」「聞く」に加えて「操作する」の三つの要素があるのですから。

投稿: 名無っしーⅩ | 2009年5月12日 (火) 21:00

トンデモブラウさん、今晩は。

確かにありますね。と言いますか、制作者はそれを狙っているのかな、と。すごく変な言い方ですけれど、創作物って、いかに夢中にさせて時間を奪うか(敢えての表現)、というのが勝負の所もあると思います。

私自身は、若い頃より、やる時間が数分の一になりましたね。均すと、一日一時間もやっていないかも。でも、注目タイトルが出たら、すごく集中してやっていますね。楽しみ方が変わってくる、と言いますか。

それと、友人が、我々はチェーンゲーマーだから、と この前言ってたんですが、まさにその通りだな、と思いました。明らかに、色んな種類を楽しむ、という方向性なんですね。で、たまに深くやりこむのがある、と

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名無っしーⅩさん、今晩は。

ゲームにおける操作性、よくインタラクティビティ(双方向性)の一種として考えられると思いますが、やはりそれは重要な部分と思います。私としては、心理的にも生理的にも「影響は大きい可能性がある」と思っているのですが、しかしそれは、「バリエーションが豊富な影響」と思ってます。

同じゲームをそれだけひたすらやる、という条件は通常考えにくいですし、初めから色々あるものだ、として捉えないと、ちゃんとした評価は出来ない、と。

ある意味、「ゲームをやる」って、色々なものをやるという意味が元々入っているので、そこも考えないとな、って。付随するコミュニケーションもありますし、攻略のために費やすもの(頭を使ったり)もあると思うので、とても複雑なのだろうと考えてます。

投稿: TAKESAN | 2009年5月13日 (水) 00:28

TAKESANさん、今晩は。トンデモブラウさん、今晩は。テレビゲームと言うのは、良くも悪くも大きな影響を与えているのは間違いないと、俺だけでなく皆も思っていると考えています。例えば、良い面はコミュニケーションをとったり、新しい知識や考え方を身に着けたりすると思いますが、悪い面だと一人用ゲームを一人でずっと何時間もやり続けていた結果、他の事にあまり関心を向けなくなってしまうこと。ゲームをやって良い場所と悪い場所の区別は親が躾をしっかりして教えるべきなのではないか、と俺は思っています。

投稿: 名無っしーⅩ | 2009年5月13日 (水) 20:11

名無っしーⅩさん、今日は。

そうですね。あまりちゃんと見ない人は、ゲームというと、単にコントローラを握っている状況だけ切り取るような感じです。

場所の区別は、養育者がきっちり教え込むべきですよね。

投稿: TAKESAN | 2009年5月14日 (木) 12:42

TAKESANさん、今晩は。                          TAKESANさん達だけでした。俺のゲームに関する考え方を真正面から聞いてくれたことが、本当に嬉しかったです。有難うございました。                                   これからもよろしくお願いします。

投稿: 名無っしーⅩ | 2009年5月15日 (金) 21:24

名無っしーⅩさん、今晩は。

いえいえ、なんだか恐縮してしまいます。

なかなか難しい問題なので、考え続けるのが大切かな、と思ってます。

投稿: TAKESAN | 2009年5月16日 (土) 00:29

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