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2009年4月22日 (水)

態度の問題とか

くどいくらい書いた方がいいと思うので。

Interdisciplinary: メモ:ニセ科学批判者

私はここで、「ニセ科学批判者」という言葉は、最も意味を広くとれば、ニセ科学を批判する人達、という意味だし、また、そうとるべきだと書きました。もし「批判者」と括るのならそうした方がいい、と。

で、ニセ科学を批判する一部の人の態度をもって、ニセ科学を批判する人々へ一般化をしちゃダメなのでは、というのも書いた。これは、何度も何度も書いている事です。

コメントでも触れていますが、もしやるなら、まず批判活動一般について論ずるのが適切だろうと思います。その上で、ニセ科学を批判する人々の大部分に共通するものがあり、それが批判という観点から好ましく無いのであれば、「ニセ科学批判者」を批判する、のが意味ある事になるでしょう。しかし、それが可能なのかどうかを、よく考える必要があるのではないでしょうか。

たとえば、ニセ科学を批判する際に手本とすべき態度、というのは考える事は出来ると思ってます。つまり、きくちさんとかですね。かと言って、そういう態度を採って無い人を「ニセ科学批判者」と呼びたくは無い、なんて考えが出てきちゃったりすると、それは言葉を大袈裟に捉えている事になるんじゃないかな、と。なので、このエントリーを書きました。

ニセ科学批判者か否か、というのは、ニセ科学という概念を正確に捉え用いているか、という部分で判断するべきだと思います。ニセ科学概念に誤解があれば、ニセ科学を批判しているとは言えない訳ですしね。

これは、自分のコメントから抜粋したものですが、今もこの考えは変わりません。きくちさんの態度がお手本となるものだと私は考えているし、「ニセ科学批判者」と括るなら、そうであるかどうかは、「ニセ科学」の概念をきちんと捉えているか否か、で考えるべきだと思います(括る必要があるかは別の話として)。批判の態度が一様であるかどうかは考慮しない方が良い、と私は明確に考えています。

というか、逆に聞きたいのです。

こうであるのが望ましい、という批判の態度が、明確にありますか? それは、批判を行う者が一様に、一貫して持っておくべきものですか? 批判の「効果」というが、批判の態度と強く関連しているものですか? それは、対象の多様性を考慮しなくてはならないのではないですか?

私は、はっきり言って(こう言うしか無い)「解らない」のです。このやり方は良く無かったのでは、と後から思う事はあるし、見ていて、それはまずいんじゃ、とも感じる場合がある。でも、こうすれば良かったのでは、と思ったとして、それが本当に良いのか、どうすべきだったか、は、そんなに簡単な話では無いですよね? いや、簡単な話じゃ無いからどうでもいい、という事ではありませんけれども。それと、批判の仕方って、一人の人間のやり方ですら、多様ですよね。

自分も、こういう態度はいかんよな、とか、こういう態度だけは採らない、というのがありますし、多分ここでも書いた事があります(名前も挙げたかも知れない)。しかし、それを指摘する事そのものにどういう意味があるのか、それによって何が改善されるのか、は、難しい問題ですよね。そうじゃありません?

私の考えは、こういうものです。それは、以前から変わっていません。

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「科学論」カテゴリの記事

コメント

> こういう態度はいかんよな、とか、こういう態度だけは採らない、というのがありますし
(略)
> しかし、それを指摘する事そのものにどういう意味があるのか、それによって何が改善されるのか、

ニセ科学を批判する立場の人の態度がマズイと感じられたとき,それが目の前で進行中の話なのであればその場で口をはさめばいいのに,と思いますけどねぇ.「その言い方は反感をまねくだけで逆効果だと思う」とか「ちょっと落ちつけ」みたいな.そしたらヒートアップしてたのがちょっと冷静になって展開が変わるかもしれないじゃないですか.その指摘には意味がありますよね.うっかりすると油を注ぐことになるから大分気を遣いますけど.

後から漠然と「態度が悪い人がいるからなんとかしたほうがいいと思います」といわれると,「いやいや,見てたんならその場で指摘しといてくれないかな」と思うことがあります.

まぁ,そうはいっても割って入るのも簡単じゃないってのは承知の上で,でもやっぱり,その選択肢はあるということと,且つ自分はそれを選択しなかった,ってことくらいは覚えておいてもいいんじゃないかと思ったり思わなかったりする今日このごろ.

投稿: たかぎF | 2009年4月22日 (水) 14:59

たかぎFさん、今日は。

そう思います。何と言うか、批判の態度そのものを後から検討するのも良いけれども、一般論を導き出すのは難しいのではないかな、と。

批判も、それに口を出すのも、ものすごくデリケートですよね。その場で諫めるというのもあるし、でも、それが言い争いになって、却ってややこしくなったりする可能性もあるし。後から検討する人は、色々「やらなかった」のは間違い無いですよね。もちろん、やらない人が口を出すな、と乱暴な事が言いたいのではありませんけれども。

これは、「批判をする事」一般に関わる事で。もし「ニセ科学を批判する人達」という集合について、「まずい批判の仕方」という観点から考えるとすると、それがどの程度まずいのか、とか、その態度が本当に「ニセ科学を批判する人達」に共通するのか、を考えるべきですよね。

本文でも書きましたが、どういう対象を批判するかにもよる訳で、医療従事者がニセ科学を広めるのと、中学生が素朴に信じて書くのとでは、やはり言い方を変えたりすると思うし、自分はそうしてます。

投稿: TAKESAN | 2009年4月22日 (水) 16:54

> もちろん、やらない人が口を出すな、と乱暴な事が言いたいのではありませんけれども。

えぇ,まぁだから「覚えておいてもいいんじゃないかな」くらいのかんじで.

> もし「ニセ科学を批判する人達」という集合について、「まずい批判の仕方」という観点から考えるとすると、それがどの程度まずいのか、とか、その態度が本当に「ニセ科学を批判する人達」に共通するのか、を考えるべきですよね。

それはそうなんですけど.
いかにも「たまたまはてブでhotentry入りしたニセ科学ものに付いたはてブのコメントしか見てない」かんじのそもそも雑駁なことを書いた人にむかって,「それについてきちんと語りたければ…」という話をしても,うれしいことはあまりないんじゃないかと,ものぐさな私は思ったりするわけです.別にきちんと語るほどの関心はないんだろうと.もちろんそういう人も取り込んでいけたらそのほうがいいんですけどね.

投稿: たかぎF | 2009年4月22日 (水) 20:27

でも、雑駁な事を言う声が、結構デカかったりもしますよね。

いや、言及する事で却って話を大きくしてしまう、というのもありますけれど…。

何と言うか、「伝播」が気にかかるんですね。

投稿: TAKESAN | 2009年4月22日 (水) 23:30

>たかぎFさん「いかにも「たまたまはてブでhotentry入りしたニセ科学ものに付いたはてブのコメントしか見てない」かんじのそもそも雑駁なことを書いた人にむかって,「それについてきちんと語りたければ…」という話をしても,うれしいことはあまりないんじゃないかと,ものぐさな私は思ったりするわけです.別にきちんと語るほどの関心はないんだろうと」

心情的にはおっしゃる事に完全に同意。わざわざそんな嫌われ役を、何が楽しくて引き受けなくちゃいけないんだ……とか。血液型人間学もゲーム脳も水からの伝言も、みんなそう。

でも、(私には真似できない・できればしたくない)そういう嫌われ役の人たちを、心の中だけではこっそり応援したい気持ちもあるわけで……。「いい加減な事を言いふらしてはならない」という規範よりも、「気持ちよくウンチクを語ってる人のゴキゲンをわざわざ損ねるような事をしてはならない(そのウンチクの真偽に関わらず――そのウンチクのキャッチーさには依るかも)」という規範のほうが遥かに重んじられる社会に自分は住んでいるんだなぁ~とか思うと、ため息のひとつもこぼれちゃいますよね。

>TAKESANさん「でも、雑駁な事を言う声が、結構デカかったりもしますよね」

良く知ってる人なら「……でも実はこういう問題もあって、……」とか言わずにいる事は結構難しかったりして届ける力が弱くなるけど、雑駁な事を言う声は明快で自信満々で届きやすい――という事はあるのかも知れませんね。いや、まったく根拠のない雑駁な印象論なんですけど……。

投稿: 田部勝也 | 2009年4月26日 (日) 08:41

>>> 田部さん
> でも、(私には真似できない・できればしたくない)そういう嫌われ役の人たちを、心の中だけではこっそり応援したい気持ちもあるわけで……。

「応援したい気持ち」はありますよ.それはもちろん.「テキトーな事を言っている人にわざわざかかわるなんてアホだ.やめたらいいのに」とかそういう事を言いたいわけではないです.
ただまぁ,最近そういう「テキトーな事を言う人への対応」にリソースが割かれていて若干バランスが悪いように思うなぁ,と.

とはいえ,放っておいたらどれくらいまずいのか,直接対話がうまくいって理解を得られるのか,有益な考察が派生してくるか,こじれてしまってかえって「雑駁な話」の増殖に手を貸してしまうのか,結局のところやってみなければわかりませんから,判断が難しいですよね.
…まぁ,いろいろと「程度」の問題なので,結局いろんな人がそれぞれの閾値で反応する以外にないんでしょうね.

投稿: たかぎF | 2009年4月26日 (日) 12:40

田部勝也さん、たかぎFさん、今日は。

実際問題として、あるブログなりに言及して、そこから起こった議論がネガティブな印象を与えたり、また、そんなブログの記述に一々突っ込んでどうするんだ、という非難を受けたり、の可能性はあるし、実際そうされたりもしているんですよね。

かと言って、どこまでするか、放っておいて良いものか、は、やっぱり難しい、と言うか、悩ましいものがあります。

投稿: TAKESAN | 2009年4月26日 (日) 17:26

最近ずっと話題になってる、いわゆる「ニセ科学批判批判批判」っていうのは、自分の中では、「テキトーな事を言っている人にわざわざかかわるなんてアホだ.やめたらいいのに」という「ニセ科学批判批判」に対する心情的な反発なのかなぁ~って気がしてます。「ニセ科学批判」に対する「テキトーな事」じゃなくて、「ニセ科学」に対する「テキトーな事」です。血液型人間学とかゲーム脳とか水からの伝言とか。
で、そういった「ニセ科学批判批判」をしてくる人に限って、たかぎFさんが上で指摘されているような人たちなんですよね(↓)。
http://seisin-isiki-karada.cocolog-nifty.com/blog/2009/04/post-d989.html#comment-55946681

個人的には、「いい加減な事を言いふらしてはならない」という規範よりも、「気持ちよくウンチクを語ってる人のゴキゲンをわざわざ損ねるような事をしてはならない(そのウンチクの真偽に関わらず――そのウンチクのキャッチーさには依るかも)」という規範のほうが遥かに重んじられる社会を、どうにかしたいんですよね。もうそれは切実に。こういう社会である事が本当に本当にムカつく。みんなは、ムカつかないのかな?……って、不思議でしょうがない。

以上、あくまで「自分は」という事であって、他の方々がどうかは知りませんけど。

投稿: 田部勝也 | 2009年4月27日 (月) 00:21

田部勝也さん、今晩は。

やはり、ウソをついてはいけない、騙してはいけない、という気持ちはあります。もちろん、重み付けは行う訳で、そこには個々の判断が入る所だとは思います。
前にも書いたのですが、やはり、小学生がゲーム脳を肯定的に扱っているのと、小学校の先生が授業で使う、と言ってるものは、違う見方をするんですよね。

で、批判活動を批判する場合は、対象の内、より言葉遣いが荒かったり、強い調子であったりするものが印象に残っていて、そこの態度について危惧する、というのがあるのでしょうね。
その危惧自体はよく解るし、なるだけ抑えつつ行うべきだ、と私も考えているのですが、せめてもう少し議論を追う、くらいはして欲しいですよね。書く前に調べなすぎ、というのを散見します。

投稿: TAKESAN | 2009年4月27日 (月) 23:28

なんというか、結局は何度となく繰り返されたいつもの「批判の仕方批判」の結論に戻ってしまうわけですけど……。
「やり方がマズいだけなら、自然に淘汰されていくだろうから、ほっとけ。やり方がマズくて、かつ、自然に淘汰されては困るんだったら、文句を言ってるヒマを使って自分でやれ。それが良いと思えば真似させてもらうから」
「非難してるんだから、それで気分を害する人が出てくるのは当然だ。誰かの機嫌を損ねる事を恐れているだけでは何もできないし、それで社会全体を敵に回したり自然淘汰されるようなら、その程度のモノだったという事」
――それに加えて私は次のようにも主張したいです。
「非難する事で相手が頑なになってカルト化してくれても構わない。むしろ害悪が社会により分かりやすくなって良い。私の(少なくともネット上での)批判の目的は特定の誰か(しかも見ず知らずの誰か)を説得したり転向させたりする事ではなく、“ニセ科学”の蔓延を防ぐ(そして私の大切な人たちが“ニセ科学”の直接的間接的な被害に遭うリスクを少しでも減らす)事であるのを忘れてはならない」

こんな事を臆面もなく言ってしまえるのは、Judgementさんに言わせれば、私がアホで権威に追従して正義面したいだけの下衆だからなんでしょうね。もう気にしない事にしましたが(だって、私一人がコケても「ニセ科学批判」の趨勢には何の影響もないし。(妄想や杞憂や机上の空論でなく)「実際にやってみて、このやり方はダメでした」の貴重なサンプルが1つ増えるだけで)。

態度の問題や、態度を批判される問題については、たかぎFさんの上の指摘(↓)
http://seisin-isiki-karada.cocolog-nifty.com/blog/2009/04/post-d989.html#comment-55946681
とまったく同感で、これは声を大にして言いたいです。
それに加えて、「今の“ニセ科学批判者”のやり方は、誰も惹きつける事ができない、むしろ遠ざける結果になるから、ダメだ・バカだ」などと主張するどんな「ニセ科学批判批判者」の態度も、まったくもって「ニセ科学批判者」を惹きつける事ができない、むしろ遠ざける結果になっている現状がある事は覚えておいて良いと思います。
その事にさえ気づかない人たちに態度の問題を云々されているというのが現状なわけです。

>たかぎFさん「ただまぁ,最近そういう「テキトーな事を言う人への対応」にリソースが割かれていて若干バランスが悪いように思うなぁ,と」

「“ニセ科学批判”の態度」についてテキトーな事を言う人に構っているヒマがあるなら、「ニセ科学」についてテキトーな事を言う人への対応(本来の意味での「ニセ科学批判」)をしなくちゃなぁ……と、今回改めて痛感しました。自分の限られたリソースを何に使うのかという優先順位問題ですね。
『kikulog』だと、このへんからの数コメント参照(↓)。
http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/weblog/index.php?UID=1133802239#CID1134350063
とくに、A-WINGさんのこのコメント(↓)と、それに対するきくちさんの返信に、私は強く共感します。
http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/weblog/index.php?UID=1133802239#CID1134438813
このへんは、TAKESANさんのこのエントリ記事の主旨そのものですね、たぶん。

でもまぁ、楽観的に考えれば、「ニセ科学批判」の「代表的論者」たちが、「(“ニセ科学批判”の態度について)テキトーな事を言う人への対応」にリソースを振り向ける(振り向ける余裕がある)というのは、それだけ「ニセ科学批判」に賛同し、コミットする人が増えたという事かも知れません。本来の戦線を離れて、そっちのほうに対応する余裕ができたというか……それって、実はとてもスゴイ事だと思います。その事がまさに「成果は確実に出ている」という事を示しているわけです。
――って、なんだか、めちゃくちゃテキトーな事、書いてますけど(苦笑)。

投稿: 田部勝也 | 2009年5月 1日 (金) 02:18

※コメント欄でhtmlタグ使えるようにしてみました。リンクするのに手軽じゃ無くなったりするので、もしかすると、その内戻すかも。使えるタグについては、明日エントリーを上げてお知らせします。

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田部勝也さん、今日は。

たとえば、私と田部勝也さんでも、立場と言うか考え方が違っている訳ですよね。お書きの1番目と2番目のご意見には概ね賛同ですけれど、3番目には反対で、そこら辺の意見の相違は結構あると思うんですよね。※言い回しの感じもありますが

私の認識は一貫していて、現状「批判の仕方」の全体的な効果の評価など出来ていないし、それをどう見ていけば良いかも難しい、というものです。
なので、少なくとも文体や言葉遣いの面に関しては、一般にこうすべきでは無い、とは言えず、自分はこれが有効だと考えるからこうする、というスタンスです。その言い方はダメだろう、と思ったり書いたりするのはもちろんありますけど、ふと考えてみると、それは絶対ダメだ、と言えるほどの「根拠」があるのか、と。

他にも、技術開発者さんの論に賛同しない事もよくありますよね。たとえば、今の社会は○○が失われてきている、といったもの。

私はこれらは、「調べなくては判らない」話で、それ無しには意見は言えない、という立場です。だから、文体等については、(一般的に)こうすべきでは無い、というのは主張しないんですよね。万能包丁は無いから色々あって良いだろう、誤解されそうだったらフォローする方が良いだろう、と書くのも、そういう認識からです。

当然、明らかな論理的誤りなどがあれば、それは容赦無く指摘するべきと思ってます。(私はやってる方だと思うんですけど、それでも足りんと見る人はいるんでしょう…)


でもまぁ、楽観的に考えれば、「ニセ科学批判」の「代表的論者」たちが、「(“ニセ科学批判”の態度について)テキトーな事を言う人への対応」にリソースを振り向ける(振り向ける余裕がある)というのは、それだけ「ニセ科学批判」に賛同し、コミットする人が増えたという事かも知れません。


それと、ある程度論点が整理されたり(ある程度、ですが)、まとまったテキストが出来たり、というのもあるでしょうね。私で言えば、ゲーム脳を批判するまとまったテキストを書く、という、このブログそのものの目的の一つは達せられた、と思っています。ゲーム脳を考察する事によって、ニセ科学一般についての認識も整理されたと感じます。

投稿: TAKESAN | 2009年5月 1日 (金) 11:38

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