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2009年4月15日 (水)

総括

疑似科学批判・批判について - mzsmsの雑記にコメントしようと思ったのですが、長くなってしまったので、エントリーにしてTBを送ります。※一部、コメントの体裁そのままで。

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今晩は。

まとめ、お疲れ様です。

一点気になる所がありましたので、そこを。
▼引   用▼
ほぼ繰り返しになりますが、「ニセ科学批判」を行う方々が科学と道徳・宗教の関係について真摯に考えればそれしかありえない、少なくとも干渉を積極的に行うべきだとか、罵倒するとかはありえないというお考えならば、前述のようにそうではないというのが私の意見です。
▲引用終わり▲
ここは、依然として誤解があるように思います。

少なくとも私は、「ニセ科学批判をする人が、科学の立場から宗教等を罵倒する事はあり得ない」、と「言ってはいない」、のですね。

じゃあ何を考えるか、というと、「宗教や道徳に対して、それを”ニセ科学”として批判する事は無い」、という事です。なぜならば、宗教などは「ニセ科学」では無いから。で、どうしてそう考えたか、と言えば、mzsmsさんが最初のエントリーで、
▼引   用▼
臆面もなく、科学のみが真理であり、検証可能な事実のみが事実なのであると主張して、宗教や道徳を罵倒するような疑似科学批判をいちど読んでみたいなぁ。
▲引用終わり▲
と言われたからなのですね。これは、「宗教や道徳を罵倒するような疑似科学批判」となっていますから、宗教や道徳を「疑似科学」と看做してそれを批判する、と読めます(たとえば、「擬似科学批判者による宗教批判」、とは明らかに意味が異なる)。しかるに、一連のやり取りで恐らくご理解頂けたと思いますが、「ニセ科学批判として」は、それは不可能です。
で、ここでの「擬似科学」が、今私達が使っている「ニセ科学」で無いとすれば、そういう立場(科学の立場から、宗教等を擬似科学として否定するという事)もあるかも知れない、と言えると思います。なぜなら、そもそも「擬似科学」に込められている意味が異なっているから。(それでも、「科学のみが真理」などと言う人はいないと思うし、そんな事を言う人は、やはり馬鹿だと考えます。)

※「科学のみが真理」と考えるのと、「宗教や道徳を罵倒するような擬似科学批判」は、一応独立

しかるに、mzsmsさんは最初の段落で、「ウェブで見かける疑似科学批判に」と書かれた。ウェブで見かける、という事は、最近よく目にする、等の意味が含まれている、と私は読みました。とすると、最近行われている「ニセ科学」批判を、mzsmsさんが「あらかじめ認識している”擬似科学”批判」に変換してしまった可能性がある、と考えたのです。それで、その場合にどうなるか、というと、たとえば菊池教授や田崎教授、天羽准教授などが行っている批判活動を精読せずとも、「ニセ科学」という語を用いて何かを批判しているのを「見る(知る)だけ」で、「mzsmsさんが認識する”擬似科学批判”を行っている」と「誤認」する可能性があります。※あるシニフィアンを見ただけで、きちんと精読せずに、自分が持ってるシニフィエを一般化する(してしまう)、という事です

ですから私は、「不明確」と評し、ウェブで見かけるものとは何か、等の質問をしたのですね。確認という訳です。そして、その後に「混同」という風に書きました。実は、不明確で、

後、「ニセ科学」について調べるくらいはしてもいいんじゃないかな、と。「ウェブで見かける擬似科学批判」について語るのですから、昨今どのような議論があるか、は押さえておくのが肝要でしょう。もし調べた上で書かれたのだとすれば、調べ直して下さい、と申し上げたいです。

とちゃんと書いているんですよね。

※これは重要な所なのですが、私達は、「”ニセ科学”はこのように使うべきだ」、とは言わないのです。そうで無くて、今私達が使っている「ニセ科学」はこういう意味だから、それを踏まえているのだろうか、と考える訳です。だから、「確認」をしに行く。科学哲学上の「擬似科学」という言葉と同じような意味で「ニセ科学」が用いられる事もあるし、逆に、今私達が使う「ニセ科学」の意味で「擬似科学」が使われる場合もある。だから、その意味を共有しないと、議論が出来なくなったりする。

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「科学論」カテゴリの記事

コメント

mizusumashiです。一連の騒動では、お騒がせして、申し訳ありませんでした。

> ほぼ繰り返しになりますが、「ニセ科学批判」を行う方々が科学と道徳・宗教の関係について真摯に考えればそれしかありえない、少なくとも干渉を積極的に行うべきだとか、罵倒するとかはありえないというお考えならば、前述のようにそうではないというのが私の意見です。

という私の記述は、「~ならば~」という条件法なので、条件法として受け取っていただくようお願いします。

コメントなどをいただいた方々のそれぞれの意見を勘案しても、そう考えている方もいらっしゃるかもしれませんし、またそこまでは言い切らないけども近い方もいらっしゃるかもしれませんし、そう考えていない方もいらっしゃるかもしれませんし… ということになるだろうと思います。その中で、私の意見はそうではないけども、正面から主張して対抗しなかったのは申し訳なかった、ということです。

> しかるに、一連のやり取りで恐らくご理解頂けたと思いますが、「ニセ科学批判として」は、それは不可能です。

例えば、『水伝』を批判する文章のなかで「これは、真言宗のマントラと同じく、ただの妄想だ」と書くとか、そういった文言を多くちりばめるとかしても、全体として『水伝』批判であるのならば、それは「ニセ科学批判」といえるだろうと考えていました。

しかし、いま振り返って、私が最初のエントリで、「臆面もなく…宗教や道徳を罵倒するような疑似科学批判」と書いたのが、上記のような意図だったのか、これは自信がなくなっています。さすがに私も、もっぱら道徳や宗教のみを批判するものを考えていたわけではありませんが、「何か折衷的なもの」くらいに考えていたように思います。少なくとも、上記のような明確な具体例を考えていたわけではありません。

その後、自己弁護・自己正当化にのめり込んで混乱・迷走していましたから、はじめから上記のような意図のものだったと、「そうも読めるのだから」と自分で思い込もうとしていたような気もします。正直申し上げて、そのあたりは、はっきりしません。

> それでも、「科学のみが真理」などと言う人はいないと思うし、そんな事を言う人は、やはり馬鹿だと考えます。

これを擁護していたとき、「科学のみが真理」という見解は、少なくともそれを十分条件の記述とみなした「科学的知識はすべて真理である」という見解は、「科学は可謬的である」という反論には、次のように擁護できると考えていました。

それは、科学が自然の近似であるならば、「~は~である」という命題を科学的知識と考えるのではなく、「~は~である、というのは自然の近似である」という命題を科学的知識と考えれば、その問題は回避できる、という擁護です。

なお、念のためですが、私は「科学のみが真理」という考えにコミットしているわけではないので、これが「それなりに」合理的だったらよかったわけで、そういうものとしてご理解ください。

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自分の雑記に、真理論についてのエントリをアップしましたが、それは一連の「疑似科学批判・批判」とは関係のなく、またここでのやり取りとは関係のないものですので、そのことだけご注意願います。

投稿: mizusumashi | 2009年4月18日 (土) 13:09

mizusumashiさん、今日は。

宗教等への批判、の部分に関してですが。
これは、そういう考えの人もいるだろうし、そうで無い考えの人もいる、という至極当たり前の事を言いたかった訳ですね。
たとえば、mizusumashiさんは、ドーキンスの例を出されましたよね。で、ですね。「ニセ科学」を批判する人には、ドーキンスの宗教批判に賛同する人も、痛烈に批判(反論)する人も、両方いるんです。これは、科学かニセ科学か、という論では無く、合理と非合理、とか、そういうお話になるのだと思います。

つまり、宗教に対して排撃的であっても、親和的であっても、「ニセ科学批判」は「出来る」という事です。

だから私は、「違う話」だと、くどいくらいに言った訳です。
私自身の認識は、先日出した中谷博士に近いですし、あるいはグールドに近いのかも知れません。

水伝に関しては、ニセ科学性や非道徳性が絡み合っているし、そこら辺で、批判のされ方もちょっと複雑になっている、というのはあると思います。ゲーム脳の方が、ニセ科学論として解りやすいかも知れません。よろしければ、このブログのゲーム脳カテゴリーと、ゲーム脳Q&Aをご覧頂ければ。
http://gamenouqa.web.fc2.com/
※「ニセ科学」の語は一つも入れていませんが、内容的には全く、ニセ科学について、です。

ちょっと別の所に書きましたが、私は、他のエントリーをいくつも拝読して、mizusumashiさんが哲学的な考察をしておられるのを把握していましたので、ご自身が「科学を真理」と考えておられるのでは全く無いだろう、というのは認識しておりました。

科学が真理である、という言い方については、誤りうるもので、変容し得る「システム」そのものを「真理」と呼ぶ事は、いくら何でも無いのでは、という考えから、それを言うのは馬鹿な事だ、と書いたのですね。これは今もそう思います。
で、それとは別に、科学こそが真理探究の最も優れた方法である、などの言い方をする人はいるかも知れません。私は、そういった言い方と、真理である、という言い方には、断絶があるのではないか、と思うんですね。

真理観については、実はこういうエントリーを上げた事があります⇒http://seisin-isiki-karada.cocolog-nifty.com/blog/2008/12/post-b998.html

私自身、哲学や科学哲学にうっすら触れた事があるので、と言うか、そうであるからこそ、ニセ科学論をそっちに引き付けると、誤解してしまう可能性がある、というのをいつも注意深く見ています。
※私の「科学」観は、哲学的にはC.S.パースに近い立場なんじゃないかな、と今の所、自分では認識してます。きちんと勉強していないので、こういう曖昧な言い方ですが

ここら辺を踏まえて頂くと、私が最初に言及したエントリーの意図と言いますか、考えも理解してもらえるのではないかな、と思う次第です。

投稿: TAKESAN | 2009年4月18日 (土) 13:52

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