違います
きちんとお読み下さい。
自分の発言を思わぬ文脈で読み取られて批判されたとしてもあまり文句は言えないと思うんですよね。
思わぬ文脈で読み取られて、の意味がよく解りません。文脈とは、発言がなされた場がどのようなものであったか、という事なので、文脈の把握そのものが誤っていたのだとすれば、それは単に誤読です。こちらは、どういう文脈であったか、言葉にどういう意味を持たせていたか、などを説明するまでです。文句は言えない、とは? 好きなように解釈されてもしょうが無い、という話ですか? そんな訳無いでしょう。適当に読まれたのなら、文句を言うに決まっています。
まして上の場合、「科学とは何ぞや」という話をしているわけですから、
いや、そこまで一般的な話では無いのでは。と言うか、科学とは何ぞや、という問題なら、初めにそういう論題を設定してからやればよろしいかと。
とても「哲学的論議に持っていくこと自体がナンセンス」とは言えないのではないかと。
何故ですか? 私は、一つの文を採り上げてそれを哲学的に云々し、発言者の真理観まで憶測混じりに推論するのはおかしいだろう、と言ったのですが。ところで、その部分、私のコメントの引用かな。ちょっと探し切れないのですが、多分、最近「哲学的論議」という言葉を使ったのは、
quine10さんのように哲学的論議に持っていくのがいかにナンセンスか、
ここだけだったと思います(http://seisin-isiki-karada.cocolog-nifty.com/blog/2009/04/lets_skeptic-28.html#comment-56085433)。ここではちゃんと、「quine10さんのように」と書いていますね。「ナンセンス」もここ以外で書いた記憶が無いので、もし別の箇所の引用だとしたら、教えて下さい。ともかく、科学哲学の話をする事自体がナンセンスだ、と言った覚えは無いです。
とりわけ「水からの伝言」を科学的な観点から批判している人の発言であれば――、ダブルスタンダードに聞こえます。
判然としません。何がどうダブルスタンダードなのでしょう。それと、何で、”「水からの伝言」を科学的な観点から批判している人”が強調されているのでしょうか。
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コメント
こんにちは。
あちらはコメント欄がないのですね。
「水からの伝言」の提唱者である江本は、明らかに科学を意図しているので、「発言者が意図していないような観点から批評」ではないですね。
また、「水伝」から科学的な部分を取り除くと、良い話として成立しなくなるとは、以前から言われていることです。
つまり、もし江本と無関係な人が、「水伝」を肯定的なたとえ話として紹介しているのならば、科学的な意図を了解した上で紹介しているとみなしても、なんら問題はないと思います。
もしその紹介者が、そうみなされるのを自覚してないのであれば、あなたは江本と「水伝」の意図を読み見落としています、それは危険です、というような批判になるでしょう。
話は変わって。
いまさらながら、「水伝」の理屈は、回帰的だなと思います。
綺麗な言葉の声かけよって出来た結晶の形を「綺麗な形」とする。また、かけた言葉が綺麗と言える理由として、綺麗な結晶になったから、とする。
まぁ、自画自賛というか、ナルシシズム的というか。
投稿: A-WING | 2009年5月 1日 (金) 16:55
A-WINGさん、今日は。
そうですね、水伝では、言葉をかけたら氷の形が変わる、という主張が含まれているし、大概は、実験で確かめられたそうです、と付け加えられていますね。
と言いますか、水伝を批判する人が文脈を捉え損なったらそれを指摘する、というのなら何となく解るのですが、普段水伝を批判するのだから、別の話で文脈を誤解されてもあまり文句は言えない、というのは何か変だな、と単純に思います。
そもそも私は、apjさんご本人に直接伺って、言葉の意味と使われるコンテクストを確認して、quine10さんの言及の仕方が的外れだと言ったんですよね。
投稿: TAKESAN | 2009年5月 1日 (金) 17:08