疑似科学批判批判批判批判:王様は裸だ!Annex:So-net blog
量が膨大なので、引用しつつ簡潔に書きます。文体は、で・ある調にします。
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なお、mizusumashiさんの発言を読む限りに置いて、「ウェブで見かける疑似科学批判」=「ニセ科学批判」と捉えてよさそうなので、以後そう読み替える。
→議論が進むにつれ、この部分に関しても誤解があった事が判明した。
mizusumashiさんの主張を端的に言えば、「ニセ科学批判は論理実証主義者に志の高さを感じる自分にとって物足りなく感じられる」という事を言っているだけだ
→「だけ」では無い。そもそも「ニセ科学批判」と、論理実証主義のような科学哲学上の立場を混同しているように思えたので指摘した。論理実証主義とは、科学哲学において重要な概念であり、その主張はニセ科学を批判する者が共通して持っているものでは無い。
さらにものすごく意訳すれば...
(引用者註:途中略。リンク先参照の事)
...てな感じではないだろうか(「あっはっは」はともかく)。
→違う。ウェブで見かける擬似科学批判とは何か、と問われ、菊池教授のテキストを挙げた、にも拘らず、菊池教授らが主張する「ニセ科学」概念を正確に理解されていなかった。という事は、「ウェブで見かける擬似科学批判」が、「菊池教授らが行っている活動」であるのは認識していたが、その内容を正確に理解していなかった、というずれがあった事になる。
それに対し、「ニセ科学批判の枠組みではそれはおかしい」と文句を言うのも適切ではないだろう。何故なら、「ニセ科学批判」の枠組みを批判するために、それより大きな枠組みを示しているのだから。
→私は、「ニセ科学批判」の立場から、「ニセ科学として」宗教等を罵倒する事は出来ない、と書いた。「擬似科学批判」が菊池教授らの活動を指すのなら、その立場からは、宗教・道徳批判は導かれない。「総括」を参照の事。
と言うだろう。それだけの話だ。
→違う。私は、較べられた事を批判したのでは無い。「混同」している可能性を指摘した。
TAKESANさんとこの掲示板のやり取りでmizusumashiさんが「セクショナリズム」を撤回してしまったのは非常に残念な事だと思う(本気で間違ったと思って撤回したのか、ヒートアップを怖れて撤回したのか知らないけれど)。
→私は、「セクショナリズム」という概念は、少なくとも一般に用いられるような馴染みのあるものでは無い、と認識した。だから、その意味内容を問うた。そして、「支配」や「独占」等を含意しているという答えを得、法的な概念としては、必ずしもネガティブな意味合いでは無い、というのを教わった。が、私はそれは(法的な用法)、一般的では無い使い方だろうから、そう解釈が可能だとしても、セクショナリズムという語を使う事に賛同は出来ない、と書いた。※ここは掲示板ではありません。
その上で、「ニセ科学批判」とは、ひとつの思考形態と言うよりも、ある種の『排斥運動』ではないかと感じた。
→「語」に「批判」と入っているので、それ自体が思考形態と解釈出来ないのは確かにそうだろうと思う。科学を騙っているものを指摘するのだから、論理的には排斥と解釈し得る。そう呼ぶかは人それぞれだろう。※「菊地」じゃ無く「菊池」さんですね
『ニセ科学批判を行う人々をまとめて「一派」のように看做すことは全くの間違いである』とアナウンスしているのが「ニセ科学批判”まとめ”」と題したページである事に非常に矛盾したものを感じざるを得ない。
→私の解釈だが。「一派」と看做すべきでは無い、というのは、ニセ科学を批判する事以外の思想的部分についても「軌を一にする」ようなものでは無い、という意味だと考えられる。ニセ科学を批判する人達、という意味で「一派」であるのは当たり前である。しかし、「一派」とすると、別の含みが持たされる、という可能性にも思いを馳せるべきと考えている。※「思想的部分」には、「宗教を否定する」等も含まれる訳です
「一派とみなすのは全くの間違い“という事にしたい”」というニセ科学批判側の欲求を察する事はできるけれど、これはあまりにも一方的ではないだろうか。
→違う。ニセ科学批判をしている人に対して異論を唱えるものの中に、「批判の態度や人格、その他の思想的な方向性」をも共有しているかのように主張するのがある。だから、そのような認識は改めて頂きたい、という事である。当該wikiは、関心を持った人の「案内」の役割を果たすものでもある。
確かに動機は人それぞれだ、しかし、その動機と「ニセ科学批判」を組み合わせなくてはならない理由が、私には見えない。
→ここは読み取りにくい。動機とニセ科学批判を「組み合わせなくてはならない」とは、どこかで主張されているのだろうか。
ニセ科学批判者っぽい人達は、「ニセ科学批判をどう捉えて欲しくないのか」という話を好むが、「どう捉えて欲しいのか」について、あまり語りたくないような素振りを感じる。
→どう捉えて欲しく無い、という主張は、どう捉えて欲しい、という主張の裏返しであるようにも思うし、そもそも、「語りたくない」と評価されるほど、「素振り」を疑わせるほど、「書いていない」のだろうか。
「ニセ科学批判」をする数々の動機を示されても、かえって「ニセ科学批判」とは何か分からないし、何故その動機で行われているものを「ニセ科学批判」と捉えなくてはならないのかも分からない。
→違う。ニセ科学批判とは「文字通り」、ニセ科学を批判する事であって、動機は概念に含まれない。「捉えなくてはならない」という解釈がどこから来たのか知りたい。
何故細々とした線引きをするのだろう?
そして、その線引きをそこに置く理由は何だろう?
それが良く分からないのだ。
→「細々とした線引き」とは? 「そこに置く」の「そこ」とは?
線を引いているのは「ニセ科学批判」側であり、それによって「科学とニセ科学」を区分しようとしている。
それは端から見れば「矢が当たったところに丸を書く」の如くではないか。
→「端から見れば」というのが「どこから」という問題もある。ニセ科学を主張する人から見れば、そう思われるのも当然。当たり前だが、「ニセ科学」と判断する側も、それを批判される余地があるし、批判に対しては開かれなければならない。
「科学-非科学間のグレーゾーン問題」だってそうだ。
シメに『どれも (専門家の目から見れば)「明らかに真っ黒」なものばかりである。』と言われても、「その“専門家”って、結局排斥したい側でしょ」という気持ちがわき上がってしまう。
→「科学-非科学」という文脈からいけば、専門家集団がそれを判断するのは当然。それを否定すると、「科学的」という言明は不能になる可能性がある。科学的という判断が出来るなら、非科学的という判断も出来る。※「非科学的」とは、必ずしも「起こらない事」、を指さない
それに比べれば、「ラベル貼りか剥がしか」とか「アナロジーとして寿司と江戸前のどっちが妥当か」という話なんて正直どうでもいい、と私は思う。
→よくない。寿司のアナロジーは、意味が明らかに違う、というのを指摘したものである。※「比べ」る必要がありますか?
「批判する以上は批判する相手をよく知れ」、こう言いたくなる気持ちは『批判される立場』に立てば良く分かる。しかし、この物言いは、極端な話、「知らないヤツは口を挟むな」と言っているに等しいと感じられた。
→「極端な話」、としているが、そもそも私は極端な話はしていない。調べた上で書いたのだとしても、おそらく概念に混同があるから、調べ直してみた方がいい、という意味で言った。「知らないヤツは口を挟むな」については、どの程度知らないか、どの程度口を挟むか、による。
さらに、「もし調べた上で書かれたのだとすれば、調べ直して下さい、と申し上げたいです。」なんて、「批判が不当であると自分で分かるまで調べろ。」と言っているのと同じに聞こえる。
→私は、同時に「質問」をした。コメント欄でも何度もやり取りをし、ニセ科学概念について説明している。「聞こえる」とすれば、私はそのような認識は持っていない、と返すしか無い。もし私が、解るまで調べろ、と思ったなら、「そのままそう書く」。
このような言い振りがどれだけ虚しいかは、某氏の「まずは心理学の入門書を読んで下さい」発言に眉をしかめた事のある人にとっては知っているはずだろうに。
→さすがにこれは無いわ、と思った。ベクトルの向きが同じだからといって、長さが同じ訳でも無いでしょう。ABO FANさんがどういう流れであんな発言をするかは、Jさんが一番よく知っているはずなのにね。
それに、調べているのは、「自分が押さえるべきと判断した情報」でしかなく、「信奉者側が押さえて欲しいと思う情報」ではないのではないのでしょうか。
→ニセ科学や擬似科学の話なのだから、その概念について調べるのが大切なのが当然。「調べながら批判する」事は否定しない。しかし、「調べながら批判している事を批判する」のも否定されない。
となれば、否定されたニセ科学支持者だってこう言いたいはずです。
『もし調べた上で書かれたのだとすれば、調べ直して下さい、と申し上げたいです。』
→当たり前。訊かれれば、どこまで調べたかを示す必要もある。それは、「批判」が関わるもの一般に言えるでしょう?
だからこそ、そんなニセ科学批判側が、批判される側になった途端に「批判する以上は批判する相手をよく知ってからしろ」といった発言をしてしまう事に非常に身勝手さを感じました。
→いいえ。批判するなら相手をよく知ってから、というのが妥当だと私は思っている。訊かれて答えられるか、という問題。混同していると思われるものに対して、調べるのを促すのがそんなに問題ですか? 上にも書いたが、私は質問込みでエントリーを上げた。最初から説明する気があった、という事です。書き方が足りない、初めからある程度の説明を入れておくべきだった、などの指摘はあるだろうし、それは甘んじて受けるけれども。
あと、「ウェブで見かける疑似科学批判」とは何かを聞き出す事に拘っていたようですが、そもそも、「出典」を知ればmizusumashiさんの主張の何が分かるのでしょう?
→出典を知れば、何を参照したかが判る。それが判れば、用語の概念についてどう認識しているか、の手がかりを得られる。
それ以前に、「ウェブで見かける擬似科学批判」というのはかなり一般的な言い回しなので、具体的にどのようなものを指すのかを訊くのは、当たり前である。これが、私達の言う「ニセ科学」を指していないのが判明すれば、それを踏まえた方向に進む可能性があった。拘っていた、としているが、ここはそもそも、「最も注意深く見るべき」部分である。「擬似科学」が、科学哲学上の境界設定問題において出てくるような概念であれば、話が変わってくるから。※「論理実証主義」を出しておられたでしょう? これは、ものすごく重要な点なのです。他のエントリーも見て下さい。哲学的な論考をいくつも書いておられますので。だから、「混同」の可能性を考えた訳です
また、そう言う意味ではmizusumashiさんは“自分の言及に必要な範囲”で、ニセ科学批判側の実態を的確に把握していたと言えるのではないのか?
→違う。「そうしていない」の解釈が異なる。哲学的な立場なら、「しない」かも知れないが、ニセ科学批判の立場でれば、「出来ない」、になるから。
すごい失礼なもの言いになるけど、そんな事に拘るのは「出典は何だ」としつこく聞く某氏に似てしまっている。
→これは無いわ、と思った。失礼、と言うか、喩えとして不適当と思う。
だからといって、mizusumashiさんはその類の人だったのでしょうか?
やくたいも無い事をいってイチャモンをふっかけるような人?
→私は、mizusumashiさんを、「その類の人」と看做したのですか?
私にすら普通に読める文章だったし、筋も通っていたと思う。
→おそらく筋が通っていないと読めたから、指摘した。
「ハイハイ、また例の如くの疑似科学批判批判ね。」
なんて軽く捉えてはいなかっただろうか。
題材となった人の意見を理解する事よりも
仲間と共感し、共感される事に意識の大部分が行っていなかっただろうか。
もしそうであれば、それは別な意味で「排他的なセクショナリズム」を感じさせる。
また、ステレオタイプ的な相手の見方をする一方で、自分達に関しては「ニセ科学批判だからといって一派とみなすな」と要求するのは勝手としか言えない。
何より、ニセ科学批判者がそんな判断をしているかのように受け取られるという事は、ニセ科学批判者の「ニセ科学」の認定の妥当性自体、色眼鏡で見られる事になってしまうだろう。
→三言
Jさんがそう思うのは自由
そもそも私はそう考えていない
考えていないのを前提とされて論を展開されるのは不本意
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なんか「読み取れました。」とか”勝手な問いかけ”とか”仮定”ばかりですまぬ。
→はい、仮定はほどほどに。当たっていない仮定なので、本当に、不本意としか言いようが無いです。その上で、そうで無かったら無視してね、というのは、何と言うか、勘弁して欲しい。自分への言及なので、私は本気で読んでいるのだから。
そんな方々の発言に、「ニセ科学側」チックな物言いが混じってきたような気がして、なんだがいたたまれなくなったんです。
→”「ニセ科学側」チック”、というのは、説明を読んでもよく解らない。
「ニセ科学批判」とは何か?
→ニセ科学を批判する事。
何か目的があるのか?誰を対象にアナウンスしているのか?
→科学を装っているのに科学で無いものが存在するのを周知させる目的。科学という概念を知っている人、それに信頼を(意識的・無意識的に拘らず)置く人に対して知らしめる。
罵倒されても蔑まれてもいいから、
何 で そ ん な 書 き 方 す る の ?
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