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2009年3月 2日 (月)

ニセ科学批判の効果についてとか色々

この所、特にはてな界隈で、ニセ科学批判と、それに対する批判についての議論が、かまびすしい(別にネガティブな意味合いではありません)ですね。

さて、今日こちらのエントリーを拝読いたしました⇒科学の名のもとの邪悪/およびニセ科学批判者の罠 - touhou_huhaiの日記

※touhou_huhaiさんの記事を参照していますが、当エントリーは、touhou_huhaiさんに向けて書いたエントリー、という訳では無いので、よろしくお願いします。ヒントにして整理して書いてみた、と取って頂ければ。

私は、関連のエントリーは一通り読んでいますが、こちらのエントリーを読んで、少し思う所がありましたので、書いてみます。既出の論点もあるでしょうけれど、自身の思考の整理の面もありますので、ご容赦下さい。

○「ニセ科学を批判する事」と、「現状のニセ科学批判活動に効果があるか否か」は異なる。

まず、「ニセ科学」の概念のおさらいです。ニセ科学とは、科学で無いにも拘らず、科学を装っている(意図的か否かは問わない)ものです。

そして、それを批判する、つまりニセ科学批判とは、科学で無いにも拘らず科学を装っているものを批判する、となります。

ここで、「ニセ科学批判は是か非か」という論点が現れます。つまり、そもそも科学を装っているものを批判して良いのかどうか、という見方。

この点に関しては、私は、科学で無いのに科学であるかのように情報が流布されているので、それを批判するのは当然だ、という考えです。少なくとも、「科学で無いのに科学であるかのように看做されている」ものなので、それは違う、というのは認められるべきだ、と。天羽さんがよく出されて私も援用する、ニセブランド品の喩えが解りやすいかと思います。

※ニセ科学という概念の立て方は適切か、などには触れません。議論が広がり過ぎるので

次に、「現状のニセ科学批判活動」。

これは、近年なされている、ニセ科学に対する批判の活動の仕方に着目する、と考える事が出来ますよね。要するに、「どのように」という観点。ニセ科学に肯定的な言説に対して、いかにして、それがニセ科学であるかを指摘するか、あるいは、ニセ科学を主唱する人に対してどう批判していくか。

まず、ニセ科学批判を批判する方々には、そのどちらを批判しているか、を明らかにして頂きたい、というのがあります。その方が、議論がごちゃごちゃになりにくいと考えます。

前者の観点、つまり、ニセ科学を批判する事そのものを批判する、という方もおられます。見方は色々です。ニセ科学などと判定するのは可能なのか、とか、どんな事を主張しようが自由ではないか、とか。極度に物事を相対化してしまう方もおられます。

後者の観点は要するに、「そういう批判の仕方で上手くいくの?」という見方ですよね。はっきり言ってこれは、ものすごく重要な部分だと思います。ただ、難しいと言うか、非常に複雑でもある。

前者と後者を混ぜこぜにしてしまわないようにしたいものです。たとえば、今のニセ科学批判の活動に効果があるかは判らないから、ニセ科学を批判する事そのものまで否定的に見る、等ですね。ニセ科学を批判するのは良いが、現状のやり方では……という風に主張するのかそうで無いのか。そこら辺をきっちり整理して論じて頂きたい、と思っています。

さて、ここからは、この論点の切り分けが出来たと仮定し、ニセ科学を批判するのは良いが、現状の批判の仕方が適切かどうかは……という観点から物事を見る、というのを前提して進めます。

○ニセ科学批判には効果があるのか

発端と言いますか、議論のきっかけ的なエントリーでは、こういう疑問が提出されていた訳ですね。ニセ科学を(科学的事実であると)信ずる人に、それが「ニセ科学」であると解らせる、という目的はどの程度達成されているか、という視点。

○「効果」とは何か?

上と重なりますが、そもそも、「ニセ科学批判の効果」とは何か。いかに定義し、どう数量化するか。ニセ科学批判の目的は、最も一般的には、ニセ科学をニセ科学だと理解させる(事に成功する)、とでもなるでしょうか。言い方を換えると、「科学で無いのに科学を装っているものを”科学的事実”だと思い込んでいる人に、それが”科学を装ったもの”だと”解らせる”」。それと、科学を装った科学で無いものが存在するという事実そのものを知らしめる。そして、それを数量化して実態を把握する。

touhou_huhaiさんは、案として、このように書いておられます。

どのような証明が可能だろうか。やはり実地調査しかない。

1.ニセ科学批判としてネット上にあふれている代表的なテキストを知らない人を、無作為抽出して2グループに分け、テキストを読んだあとでニセ科学を判断し警戒する能力が向上したかどうかを図るテストを実施する。

2.ニセ科学と分類できる主張に基づく詐欺事件を、警察発表の資料や報道ベースで集計し、ニセ科学批判運動の活発化と相関をとる。

一つの案として出されているものですが、敢えて詳細に検討するならば、

  • 「ネット上にあふれている代表的なテキスト」をどう選別するか。
  • 「ニセ科学を判断し警戒する能力が向上したかどうかを図るテスト」をどう作成するか。そもそも、「ニセ科学を判断し警戒する能力」とは何か。ニセ科学一般を判別する力か、それとも個別のニセ科学か。
  • 普通テキストは、ごく一般的な観点から書かれたものと、より個別具体的なものがあり、さらに、情報を知らしめたい特定の対象に書かれたものもある。その機能的側面に目を向けなくて良いのか。
  • ニセ科学とは、必ずしも詐欺に直結している訳では無い(例:ゲーム脳)が、それはどう考えるか。
  • 相関を取ったとして、その結果をどのように解釈するか。ネガティブな結果が得られたとして、それは批判の仕方が悪いのか、それとも量的な問題なのか。それをどう分析するか。

などの考察すべき点があります。

繰り返しですが、ニセ科学批判は、科学を装っている あるものが実は科学では無いのだと知らしめる目的もありますし、もっと一般的には、「世の中には科学を装っているものが色々ある」という情報そのものを流布させたい、という目的も持っていると思います。そこら辺の成果も「効果」と取るならば、どのようにしてそれを拾っていくか、という問題もある事でしょう。

と、このように、ニセ科学批判、もっと一般的には、何ものかを批判する活動の効果をどう評価するか、というのは、大変難しいと言えるでしょう。社会学的にも社会心理学的にも。

もちろん、それを分析していくのは、ものすごく重要な事だと思います。ここで改めて自分の考えを書いておきますと、ニセ科学批判がどのような影響を及ぼすかを確かめるのは極めて大切な部分だし、それを社会科学的に研究するのは大変有意義である、と思っています。少なくとも私は、効果について疑念があるならそっちが調べろよ、というような態度は採りません。

ただ、です。

ニセ科学批判を批判するもので、効果があるかどうか解らないという観点から、その活動そのものにあまり意味が無いかのように看做す、という意見もやはりあるから、その場合には、もうちょっときちんと考察して欲しい、と思う事はありますね。一般論的過ぎて何にでも当てはまる、とか、ニセ科学概念を押さえていない、とか、そういう書き方だとね。ちょっと困惑します。

それと、上でも検討したように、「効果」と言っても、それは結構難しい問題である、というのも考えるべきだと思うのです。「効果」と一言で表現しているけれど、それにはどういう意味合いがあるのか、具体的に考察してみたのか、批判の実例と照らし合わせてみたのか、と。※touhou_huhaiさんの事ではありません。追々々記でも、色々な観点から見ておられますし。

○率直な意見

ニセ科学を批判するテキストを練ったりするのに手一杯で、その効果を自分で検討するまでとても手が回らない、というのはあります。外部からそれを評価しよう、という動きがあれば、(その手法が適切であれば)むしろ歓迎すべき事と言えます。再三言っているように、おそろしく難しいとは思っていますけれども。

それと、上で書きましたが、あるニセ科学を批判するテキストを複数用意しているのもあります。私の場合だと、ゲーム脳関連。そもそも想定読者が異なっているテキストの役割をどう考えるか、というのは重要ですよね。

追記:後、一々ダメなニセ科学批判を指摘しない、というのもありますね。ニセ科学を批判しているのを優先しているので。もちろん、その過程で、こういうのはまずいかも、という話になる事はありますが、あまりそれが主たるテーマになる事は無いですね。あれはダメだ、と言うよりも、自分はこうする、というのを見せるのが、個人的には大切だと考えているので。

○余談:観測範囲

ニセ科学批判を批判するものを見て、非常に気になっている所。

はてなブックマークのコメントを、「ニセ科学批判の典型例」として扱っては いませんか? それは観測範囲が極めて狭いので、注意を要します。ニセ科学を批判していて はてなを使っていない、という人もいる訳ですので。

ここら辺、「具体例を出して下さい」という指摘と関わってきます。ニセ科学を批判する人が、他の批判者のやり方に全て同意している訳ではありませんから、具体例を出されれば、ああ、確かにそれは好ましいやり方では無いかもね、となる可能性もあります。それが仮にはてブコメントだとすれば、いや、それを典型例として出されても、と返す事も、また、確かにあの書き方は、となる場合もあるでしょうね。

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コメント

http://d.hatena.ne.jp/touhou_huhai/20090303

私の文章が正確に読まれていない箇所もあるかも知れない、と思う所もありますけれども、しかし興味深い論点と見方であると感じます。

細部には意味が取りにくかったり、異論があったりする部分があるものの、総論としては反論の余地は無いと思いました。一言で言うならば、「ご尤も」である、と。決して疎かにしてはならない観点。

少なくとも、じゃあやってみろよ、などと投げ返すようなものでは無いし、そうすべきでも無い。物事を批判しているのに間違いは無いのですから。

ちなみに、私は、代表的なテキストをどういう観点で選ぶかは難しい、と書いた訳で、自分でそういうものが挙げられない、という事では無いです。
考え方としては、ニセ科学を批判する人達にアンケートを採って、というのもあるけれど…。

まあ、wikiに集められているものが挙げられるだろう、という推測は出来ますね。

投稿: TAKESAN | 2009年3月 3日 (火) 10:06

こんにちは、TAKESAN さん。

なんていうか、ニセ科学批判の効果への疑問を考えていると、前提条件からして違うのじゃないか、という気がして仕方無いんですね。poohさんの所で書いた「防衛戦」論なんですけどね。

なんていうかな、例えばそれほど悪政を引いた事のない国が、他国の侵略を国境付近で食い止めて戦っているのだと、国内というのは、「我が軍よ、がんばれ」なんて意識で盛り上がるんだけど、油断している間に国土のほとんどに侵攻を許してしまって、首都の周りで防衛戦をしている状態だと、国民の間に「勝ち馬にのりたい心理」というのは働くのね。なんていうか積極的に防衛軍を応援しない程度のものから、侵攻軍に「あなたたちは解放軍です」みたいにすり寄るものまであるけどね。

ニセ科学は社会に充分蔓延している「勝ち馬」であり、ニセ科学批判はそういう「負け戦」の状態から反撃をはじめた「負け馬」であるという認識で見るべきじゃないのかなと思うんです。そう見たら「ニセ科学だろうがなんだろうが楽しんで居るんだから、そんな五月蠅い事言うなよ」という話がでてきたり、「ニセ科学批判をしているのはおかしな人たちだ」というニセ科学批判の批判が出てくるのは当然なんだと思うところから始めないといけない気がするんです。

投稿: 技術開発者 | 2009年3月 4日 (水) 09:49

負け戦である、というのは、kikulog等でも以前から主張しておいででしたよね。私も、とても大切な観点だと思っています。それは自覚していたい所ですね。

批判活動の効果に関しては、やはり重要な部分なのだろうと思います。再三言っているように、その数量化と適切な分析は、とても難しい事でしょうけれども(ちょっと想像して考え付けるようなものでは無いと)。こういう社会現象の「効果」をはかるのがそもそもどの程度可能か、という根本的な問題もあるでしょうしね。

投稿: TAKESAN | 2009年3月 4日 (水) 11:54

こんにちは、TAKESAN さん。

>批判活動の効果に関しては、やはり重要な部分なのだろうと思います。再三言っているように、その数量化と適切な分析は、とても難しい事でしょうけれども

何らかの形でやるべきだけど、なんていうか、ニセ科学批判をやっている人が個々でやっても仕方ない気がするし、時には有害かも知れない気もします。もともと、それぞれの人がそれぞれでできることをやっている訳で、じゃあ自分のやり方の目の前の効果が薄いからと言って、トータルから見た効果が薄いかどうかは、たぶん分からないんです。目の前の効果に一喜一憂して欲しくないななんて思ったりします。

別な所でT型の横棒なんて話をしていますが、普通の人が雑談をしていて、例えばゲーム脳の話になりかけた時に「それって、嘘だって言っている専門家がいるよ」の一言が、その場では何の効果も発揮されている様に見えなくても、その後、何かでゲーム脳批判の記事とかを見たときに「あの人が言っていたのはこれか」とそれまでなら、読み飛ばしていたのを読んでくれるかも知れない訳で、あくまで効果の評価というのは社会全体におけるニセ科学批判の普及度合いみたいなもので測るしか無いわけです。

というか、個々のそれなりにニセ科学の蔓延に問題を感じる人たちが「効果」という事に意識を向けてしまう動機みたいなものに、少し危機感を感じて、「負け戦」論をしている面があるんですね。私も人の事は言えないんだけど、ニセ科学批判をはじめたばかりの時は、「自分の言っているのが正論なんだから、みんな直ぐに分かってくれるだろう、賛同もしてくれるだろう」みたいな安気な気分というのはある訳です。でも現実には、充分にニセ科学が蔓延した後で抵抗戦をやっている負け戦ですから、そんなに簡単に分かって貰えなかったり、賛同してもらえるものでも無いんですね。その「とまどい」が「自分のやり方に何か効果的じゃない面があるのかな?」みたいな疑問に結びついているとしたら、それは前提条件の違いに過ぎないわけです。

投稿: 技術開発者 | 2009年3月 4日 (水) 16:09

そう思います。私も上で書いたように、効果と言うけれど、その内容をきちんと考えてみた事があるのだろうか、と疑問に感じる時もあるんです。
ニセ科学批判は社会的な事象で、ある概念を立ててそれを批判していく活動ですから、その効果を定量的に把握するという事自体、ものすごく難しい訳で。

何と言うのか、効果そのものが多義的、とも言えるかも知れません。

投稿: TAKESAN | 2009年3月 4日 (水) 18:00

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受信: 2009年3月 3日 (火) 03:47

» ニセ科学と社会 [瀬戸智子の枕草子]
このところ忙しくしていたのですが、今日は久しぶりにTAKESANさんのエントリー [続きを読む]

受信: 2009年3月 3日 (火) 11:51

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