苺の恣意性
ショートケーキの苺は最初に食すべきか、それとも最後までとっておくべきか。
この問いは、数多の人間を悩まし、喧々囂々・侃々諤々の議論を巻き起こす、究極の問いの一つであろう。
筆者は「最後までとっておく」派である。主な理由は、目立つ、あるいは主役級の存在は最後にとっておく、という志向による。これは、唐揚げを最後に食べるのと同様のメカニズムであると推測される。
さて、そのような主張に対し、「最初に食す」派からは、次のような反論が寄せられる事であろう。
「苺を最後に食べるのでは、それまでに食べたケーキの甘さによって、苺の甘さが損なわれてしまうではないか。」
と。
これは一見、尤もらしい主張である。理路としては、本来苺の甘さを楽しみたいにも拘らず、はじめに砂糖たっぷりの生クリームが掛かったケーキを食べると、その甘さに舌が馴れてしまい、後に食べる苺の甘さが著しく減衰してしまう、というものである。確かにこれは、知覚心理学的にも妥当な見解であろう。
しかし、「最初に食す」派は、重要な点を見過ごしている。それは即ち、「苺の甘さを楽しむ」という目的が果たしてそれほど普遍的であるか、という所である。あたかもその事が自明であるかのように主張する論者は、自らの価値観に囚われてしまっている、と見る事が出来るのではないだろうか。
考えても見給え。苺の甘さを楽しみたいのなら、初めから苺のみを食せば良いのである。後から食べたのでは苺の美味しさが損なわれてしまうではないか、という御仁は、「口に残った生クリームの若干のくどさを苺によってさっぱりさせる」、あるいは「生クリームに馴らされた舌で苺を食した際の、甘いのだか酸っぱいのだかよく解らない味を楽しむ」というヴァリエーションがあるのを理解出来ないのであろう。
つまり、「ショートケーキに載った苺」は初めから、苺単体で食す際のような「機能」を期待されているとは限らないのである。
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…。
……。
ごめんなさいごめんなさい。
ぶっちゃけ、どっちでもいいです。私は最後に食べますけど、理由は、最初に書いた、主役は最後にとっておく人だから、です。
まあ、でもあれですよ。実際、後から食べたんじゃ甘く無いだろ、て人には、「別に甘く無くてもいいだろ」、とはなりますですよ、正直。いや、甘さを尊重したい、てのも解るんですけどね。
次は、「西瓜に塩を振るべきか」、という難問でも採り上げますかね。ちなみに、私は「絶対に振らない」派、です。何故かって? 決まってるでしょう。西瓜の本来の甘さを損なうからですよ。……あれ。
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コメント
苺タルトを食べれば悩まなくて済むじゃない^o^
投稿: apj | 2009年3月14日 (土) 01:58
この際、私がはっきり言っておきますですよ。
苺は甘くありませんです。酸っぱいのです。
だから苺大福が存在できるのだし、苺に練乳をかけて食べるわけです。
苺のショートケーキも、甘い中に甘いものを置くのではなく、甘いものに酸っぱいものが入るからバランスが取れるのです。大枠では苺大福と同じってことです。
なので、イチゴショートケーキの正しい食べ方は、「苺大福のように1口で食べてしまう」です。
何? 「それでは口の周りがクリームだらけになるではないか?」とな? そんな人には「別にクリームだらけになってもいいだろ」となるわけです。(^O^)
というわけで、TAKESANさんには、フジタ画伯の言葉をお送りしてご挨拶に代えさせていただきます。
☆ 大皿の上に御馳走が盛られたら、一番おいしそうなものから先に食べるのだ。凡人はおいしくないものから食べて、おいしいものを後でゆっくり食べようとする。だけど満腹になってからおいしいものを食べたって、もううまいとは思わないぜ、絵も同じだ。感動した所から描くのだ、おいしい所から描くのだ。モデルの瞳に感動したら瞳から描け、首すじに感動したら首すじから描くのだ。その時手や髪や足が画面からはみ出してしまったっていいではないか。
★ 藤田嗣治。『芸術新潮』より。
投稿: hietaro | 2009年3月14日 (土) 03:41
「苺のショートケーキ」を食べるのであって、苺を食べるのではありませんね。
したがって、まず徐にスポンジとクリームを大きくすくいとってその味をたしかめます。次 ---とは限らず全体のバランスを考慮してしかるべき時に苺へ向かいます。味の変化を楽しみたいですね。苺の次のひと口は豊潤な背側のクリーム、ということになるでしょう。
う~ん。なんかエロチック。(←バカ)
投稿: ちがやまる | 2009年3月14日 (土) 05:47
感覚的にはhietaroさんと同意する部分があるけど苺あんまり好きじゃないからべつにいいや。
投稿: pooh | 2009年3月14日 (土) 06:33
今度、一口で食べてみよう。
投稿: zorori | 2009年3月14日 (土) 06:46
ビジュアル系
はじめに食べてしまったら、いちごのない見た目がちょっと情けない。だから外で食す場合には、鋭角から食べ始め、いちごまで侵攻した時点で口の中に放り込みます。
お菓子は見た目も重要なのでございますデス。
家で食べる場合は真っ先にたべます。しかもクリームを沢山からめてです。
苺とクリームは相性が良いのですよ。食品科学業界でも油脂の味覚に与える影響は見直されてきているようです。
投稿: どらねこ | 2009年3月14日 (土) 08:39
こんにちは。
私は「真ん中あたりで食す派」です。ちがやまるさんやどらねこさんと一緒ですね。特に、どらねこさんの仰る食べ方
>鋭角から食べ始め、いちごまで侵攻した時点で口の中に放り込みます。
と全く同じであります。
但し、私は家でも同じ様に食べます。何故なら、私にとっての主役は「生クリームのたっぷりかかったスポンジ」であり、苺はその引き立て役だからです(これはこれで物議を醸しそうな)。
つまり、生クリームをずっと食べてると徐々に味覚が麻痺してきてしまう。だから、鋭角部から食べ始め、味覚が麻痺し始める真ん中あたりで苺の酸味を入れる事によってクリームに対する感覚を回復させ、フィニッシュに向かいます(多くのケーキに於いて、背面部が最も生クリームの比率が高いのです)。その意味では「主役を最後に取っておく派」といえるでしょう。
私にとって苺ショートケーキに於ける苺とは、レストランで出されるアイスクリームに付いてるウェハースの役割と似たものだったのですね。今回始めて気付きました。
貴重なエントリを挙げてくれたTAKESANさんありがとう(爆)。
投稿: PseuDoctor | 2009年3月14日 (土) 11:18
こんにちは。
「なんで苺が一つだけなんだろう、もっとたくさんのってればいいのに」と子供の時に思いませんでしたか?
・・・思ったんですね、私は。それで大人になって「苺のショートケーキ」を焼いたときに、これでもかとばかり大盤振る舞いに苺を使ったですよ。
結果はどうだったかって?・・・まぁ過ぎたるは及ばざるがごとしってことで(ちゃんちゃん)。
投稿: うさぎ林檎 | 2009年3月14日 (土) 11:47
最初に食べないと、途中でショートケーキが横倒しになってしまうじゃないですか!
最後に食べるというのは、ショートケーキ上部から別のポジションに一旦横モチするということでしょうか。
これは、いただけません。
ちなみに私はショートケーキの上にのっている苺は、ようするに飾りなので、別になくてもいい派です。(間に挟まっている分で、味的には充分。)
投稿: トンデモブラウ | 2009年3月14日 (土) 13:25
皆さん、今晩は。
やはりこの問題、多くの方の関心事であるのですね。おそるべし苺。
ちなみに、間に挟んである苺の存在を今思い出した、というのはここだけの話です。
残念ながら、上品なセレヴたる私には、 hietaroメソッドである所の「一口」で食べる術は、不可能なのであります。て言うか、構造的に無理なのであります。
フジタ画伯の持論については、私は反論の理路を数十通り、容易に用意出来ますが、公開は見送る事にいたしましょう。
なんか、カツカレーの時とデ・ジャヴュな感じが……苺を途中で食べる事がある気がものすごくする。
ああ、そうか。私の立場は厳密には、「苺を最後に食べる派」では無くて、「苺を最初には食べない派」、だったのだ。何という論理の罠。とすると、私にとっては、苺は唐揚げとは位置づけが異なる、という事になるのか。
投稿: TAKESAN | 2009年3月14日 (土) 19:30