髪の色
健康上のリスクを、染髪への懸念、あるいはルールによる染髪禁止の根拠の一つとして挙げる場合、それがどの程度確立された知見なのか、というのをきちんと議論しなきゃいけないだろうな、と考える今日この頃。市販の物を使って自分でやるのとプロにやってもらうのはどう違うのか、とかも考えるべきかな。こういうのは、「良くなさそう」だから、というのでは全く説得力を持たない訳で。少なくともこの部分に関しては、科学の話が重要だろうと感じます。要するに、染髪反対の人は、極めて安全性が高い染髪方法が一般的になった場合(もしくは、それが確認された場合)、少なくとも健康上の理由から反対という根拠を潔く捨て去る準備はあるのか、という問いかけ。
私自身は、染髪を禁止するというルールは、若年の人間に健康上のリスクが大きい場合、以外に正当化は難しいと思っているのですが、どうなのでしょうね。ある所で話題になった、経済的理由というのは、よく解らない。継続的にお金を使って維持する、という面から批判するなら、当然、同様の他のものと比較される訳ですね。で、それへの反論は、「差異」を示すか、同様のものは悉く批判されなければならない、としないと、一貫した意見とは看做されない訳で。でも、前者(差異を示し、それを根拠とする)はおかしいですね。初めに出した論拠を自身で否定する事になるので。じゃあ最初からそれを出せばよかったのに、と。
一昔前によく見聞きした、一見尤もらしい理由としては、染髪する者は問題行動を起こしやすい、などが挙げられるでしょうか。これには疑問を持ちます。そもそも社会的に、若年の内に染髪する事が好ましく無い、逸脱する行為として価値付けられているからそうなる、という論理も考えられるのだから、あたかも、髪を染める行為そのものと緊密に結び付いているかのような見方には、納得はしにくいですね。思考実験として、全ての学校で髪型・髪の色 に関する校則を全部無くしたらどうなるか、と考えた事がありますが、さすがにこれは、極端で非現実的過ぎるかな。←髪を染める事自体を、「どうでも良いもの」と社会的に認知させたらどうなるか、という考えからやってみた
学校によっては、「染髪するな」では無く、「黒髪にしろ」という所もあると思いますが(確か、私が通った中学校はそうだった※ 女子は肩まで、男子は坊主、という奇跡の時代←今もあるみたいだけどね)、さすがに今は、それには反対する人が多いかな、という印象。元々真っ黒い髪では無い人を染髪させなきゃいけない、という論理になりますからね。そして実際、そういう風に言われた事例は、ある訳で(私の身近に、元々髪が赤い人がいますが、その人は、染髪したと疑われた事があるようです。理不尽極まり無い)。
※校則では染髪禁止、だったかも知れませんが(記憶曖昧)、教員は明らかに、「黒髪」を基準としていたように思います
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コメント
久しぶりのコメントとなります。
人間の髪は、人種によって、相対的なもので、東洋人に「黒髪」が多いだけであって、
「茶髪」(染髪)の人間が<反社会的>と考えることは、<排他的>な考えでしか無いと考えます。
世界のグローバル化によって、日本にいわゆる「外人」が多く出入りして来て、「黒髪」は絶対的な位置(髪の毛の色)では無くなっています。
仕事上、建物の絵(パース)を描いてもらいますが、パースに描かれた女の人の髪の色が、全て「黒髪」では、この頃、違和感を感じます。
(自分ではやるつもりはありませんが、男の「染髪」も、見慣れるか、どうか?でしか無いと思います。)
未だ、「黒髪」を基準にする考えは、世界のグローバル化にそぐわないと考えます。
(但し、私は、「世界のグローバル化」を全面的に賛成している訳ではありませんが…。)
投稿: mohariza | 2009年3月20日 (金) 16:25
こんにちは、TAKESANさん、またの名を「想像力」と言うものです。
髪を染めることについて、私は地毛が栗色だったので高校時代に大変苦労いたしました。厳しい学校でしたので、これは地毛なんです!という「頭髪届け」と言うのも出していましたが、頭の色が真っ黒でないだけで、先生方は「悪い子」だという先入観を持つようです。ある日同級生たちが制服で後楽園遊園地に行った写真を学校で落としてしまい、呼び出されたときのことです。そこに私は写っていないのに、シャッターを押したのはお前だ!っていう疑われ方をしました。確かに日ごろから近いグループではありましたが、寝耳に水でした。それ以外の素行があってこういう見られ方をしたといえばそれまでですが、茶髪は軽く見られる、というリスクがあると思います。そういう意味で、自分を無駄に軽く見せることはリスクなので、と禁止するのも1つの理由になるのではないかと私は思います。でも地毛の人はどうしようもありませんが。
投稿: risaki | 2009年3月21日 (土) 00:48
moharizaさん、今晩は。
今はどういう状況なのか把握していないですが、私が学生の当時は、好き嫌いを超えて、「髪は黒色であるべきだ」、と考えていた人が結構いたように思います。白状しますが、私もその一人です。
元から髪の色が真っ黒で無い生徒が目をつけられたり、というのはありましたね。身近の人間でも似たような事があった、のは本文にも書いた通りです。
髪の色がこうあるべきだ、というのは、社会的な論理以外の何ものでも無い訳ですけれども、そこに、何と言うか、まるで黒くないと生物学的に良くないのだ、と言わんばかりの認識を形成していた、という感じでしょうか。
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risakiさん、今晩は。先日はお邪魔しました。
頭髪届け、というのがあったのですか…それは初めて聞きました。なんだかすごいですね。
現状で髪を染めていた場合にはリスクになるから、というのは、一つの理由として考えられると思います。ただ、それは限定的な合目的性による、と言えますよね。つまり、元々髪を染める事にネガティブな評価を下される集団においては、という条件がついている、と言いますか。
その考えは、確かに合理的でもあると思うのですが、出来れば、髪の色という点から素行も含む人格的な部分の評価をされる、という認識自体が解体されれば良いな、と考えています。もちろん、それが途轍もなく困難であるのは承知していますけれども。外見に基づいて行動傾向を推測するのは、かなり強いものだと思いますので。
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私は、髪の色で云々するのは、血液型性格判断と同じくらい不合理だと思っています。
現状で、若年で染髪する者が反社会的な行動に走りやすい、という傾向が仮に(仮に、です)あったとしたら、それはおそらく、「初めから染髪が反社会的な行為の一つと看做されているから」、だと考えます。という事は、そもそもそれが「どうでもいい事(ファッションの側面以外の価値付けがされない)」と認知されれば、そういった関連は無くなり得る、とも推測されますね。
かく言う私は、髪は、もう6・7年は染めて無いですねえ。
投稿: TAKESAN | 2009年3月21日 (土) 01:23
TAKESANさんあらためてこんばんは。
人間社会は血液型同様、不合理なことが
当たり前のように突きつけられる
ケースが多々あるように思われます。
自分の中では不合理だとわかっていても、
不合理的判断をする人たちがまだ
いる以上、こちらも何らかの対応を
迫られることもあるように思われます。
世の中は、無知の人たちが分かっている
人たちを苦しめる構造になっている
気がします。
投稿: risaki | 2009年3月22日 (日) 23:11
risakiさん、今晩は。
そう思います。今回の染髪の話でも、それが不合理的であると解っても、雁字搦めで動けない場合もあるのだと考えています。不合理であるけど従った方がリスクが少ないからそれを選択する、というのを私は一概に責められないと感じています。特に、若年の人の場合だと、立ち向かえ、とはなかなか言えないです。
だから、大人がそういうのをきちんと見ていく必要があるのだろうな、と感じます。
投稿: TAKESAN | 2009年3月23日 (月) 00:08