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2009年3月30日 (月)

「科学的に間違っている」

あぶすとらくつ: きびしくフルイにかけるからこそ良いモノが得られるという当たり前のこと

こちらのエントリーに触発されて。内容がかなりかぶりますが、少し角度を変えて見てみる、というのも意義のある事と思いますので。

まず、「科学的」とはどういう事か。これは、それだけで色々の議論が起こるようなテーマですが……おそらくある程度適切なものとして、統計学入門-第1章にある記述を借りたいと思います。すなわち、

 そもそも科学的研究というものは、一見したところ多種多様な現象から、その奥底に潜む普遍的な原理を帰納的に推理・洞察し、色々な現象を統一的に説明すると同時に、その原理から演繹的に導かれる現象を予測し、実験や観測によってそれを確認・修正しながら理論を確立していく作業です。

このようなものです。ポイントは、

  • 実験・観察・観測 から、帰納的に仮説や理論を構築する。
  • ある仮説や理論が適切であるかを、実験・観察・観測 によって得られたデータによって確認する。
  • (上とほとんど重なるが)ある仮説や理論から導かれた現象が実際に起こるか、を確かめる。つまり予測。
  • これらはサイクルを描き、あるいは行きつ戻りつ、をしながら、より確からしい理論を確立する。

などでしょうか。要するに、経験的に得られる(直接・間接的に観測可能な)データによって理論を構築・検証し、それを現象の予測や制御に役立てて、より良い理論を築き上げていくという営み。

これを踏まえるならば、ある主張なりが科学的に正しい/正しく無い とはつまり、

  • 実験や観察によって、成り立つ事が確認された→正しい
  • 実験や観察によって、成り立たない事が確認された→正しく無い(間違っている)

となるでしょう。この意味で、「科学的に間違っている」というのは、「言える」訳ですね。ただしそれは、「科学的に」言える。そして、「科学的」とはどういう事か、と言うと、観測されたデータによって理論の確からしさを確認する営み、である。

科学的に正しい、とは、常に蓋然的なものであり、近似的なものである訳ですね。人間の観測によって得られたデータによって自然の(取り敢えず自然科学に限定。生命科学や社会科学に広げても同様)在り方を推測して理論を作る(ここに引っかかるなら、「発見」でも良いと思います)のだから、全く自然の在り方と一致する、というのは考えにくい。もちろん、あり得ないとは言えないけれど、想像しにくい(そもそも、理論と自然の在り方が全く過不足無く一致する、とはどういう事か、等の哲学的問いが絡んでくる)。

と、こういう風に考えれば、「科学的に正しく無い(間違っている)」という言明も可能な訳ですね。何故ならば、もとより「科学的」という文脈に乗っかっているのだから。だから、「間違いの証明」は「可能」。ただし「科学的」には。方法的には統計学が絡んでくる。

それで、科学の方法についての説明において、「科学的に(あると)確かめられていない」ものを、取り敢えず「無いものと看做す」、という場合があります。「間違っていると看做す」、もあります。

これは、注意を要する表現なのですね。どういう事かと言うと、「無い」も「間違っている」も、「取り方(解釈の仕方)」によっては誤解を生む可能性がある。要するに、確かめられていないものを「無い」と言ってしまうのは、厳密には誤っている訳です。だけれども、そういう言い方をする。何故か。それが、「科学の文脈」に基づいた、つまり前提とした言明だから(つまり、「無いと看做す」と言っても、「無い事が証明された」と同義では無い事に、コンセンサスがある)。しかし、その文脈を共有しない人にとっては、そんな意味が込められている事を知る由も無いので、誤解する。

ですから、私自身は、確かめられていないものは無い(間違っている)と看做す、という言い方は、あまりしないよう心がけています。言う時は、このエントリーのように、そもそもどういう含意があるのか、を書きつつ説明する。そういう言い方がなされる場合もあるが、それは実は……という風に。

ハブハンさんも仰るように、ニセ科学は、あると確かめられていないものをあると言ってしまえばそう判断出来るものなので、「間違いと解った訳じゃ無いだろう」、というのは、ニセ科学と指摘する批判に対しての反論としては、全くはずれているのですね。有効な反論は唯一、「あるという証拠を示す」事。「間違いと解った訳じゃ無いだろう」という反論に対しては、「はい、その通り。で、あるという証拠は?」となるのですね。不存在が証明されていないからといって、存在が証明される訳では無い。

「ニセ科学」という概念を、「あり得ない事」のように誤解しているようなものも散見されますね。おそらく、「ニセ」の語感から、そのように想像するのでしょう。でも、単に「あり得ない」と言いたいのなら、敢えて「科学」を語に含む必要は無い訳です。「間違い」、「誤り」、「嘘」、「あり得ない」、等で良い。語の構成が「ニセ + 科学」で成っているのは、科学的に(ある/無い と)確かめられていないのに、(ある/無い と)確かめられたかのごとく装うものを指したいから。

そういった誤解は、

  • 科学の方法を知らない。
  • 「間違い」や「正しく無い」が文脈依存的(科学の作法的に)に用いられているにも拘らず、それを認識出来ていない。

などに基づいているのでしょう。後者に関して、説明する側も気をつける必要があると思います。

ちなみに、以前、こういうのも書いてみました(異様に煩雑ですが。一応参考として)⇒Interdisciplinary: メモ:科学・未科学・ニセ科学 どの部分への評価か

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「科学論」カテゴリの記事

コメント

 TAKESANさんこんにちは。こちらでは初めまして,ですね。
 リンク&トラックバックありがとうございました。

 拝見して,いろいろと考えさせられました。なんと言うか,言葉って難しいですね(^-^;
 いや,そんなことは承知の上でブログを立ち上げたんですが,いろいろな方からいただいたコメントを拝見していても,やっぱり難しいなあと,改めて感じている日々です。

 私が抱いていた科学(者)に対するイメージって,「『正しい(間違っている)』と表現することを嫌うモノ」だったんですよね(今でもそうですが)。正しいと言うことにストイックと言うか,正しさを成立させる為の膨大な前提条件を抜きにして「正しい」とした時点で,それはもう正しさを失っていると言うか。

 もし科学の土俵の中だけでやり取りするのであれば,多分「正しい」「間違っている」という表現は全く必要ないのだろうと思います。でもニセ科学を相手にする場合には敢えて使うことが有効な場合もある。
 その場合にも,いろいろな所のやり取りで見られるような「全ての科学理論は仮説にすぎない」とか「科学は近似にすぎない」とか「いったん否定されたが後で正しさが認められた理論もある」とか,その他もろもろ踏まえた上でなお「正しい」「間違っている」と表現する訳ですが,確かにその意味合いを誤解無く伝えるためには注意が必要だなあ。むむむ難しいです・・・

 私のところは一般消費者を想定読者としてやっているのですが,そのような方達に読んでいただいた時に正しく言葉が届けられるよう,これからも試行錯誤しながらガンバリマス。

投稿: ハブハン | 2009年3月30日 (月) 21:54

ハブハンさん、今晩は。

本当に、言葉は難しいですね。
ある語について、特定の集団の中では解釈に共通了解があるけれども、そこから離れると、別の意味で解釈される可能性がある。
で、それがいかにも専門用語ぽいものなら、そもそも「意味が解らない」となったりしますが、そうで無くて、日常語と同じであると、ややこしいですよね。

今回採り上げた、「間違い」に関しても、科学の方法という文脈では、それは「確認されていない」ものを含む場合があるけれども、読む側としてはそうじゃ無く、「文字通り」に取られる可能性がある。
そして、やり取りが噛み合わなくなったり。「間違い」を即「あり得ない」と解釈するのでしょうね。

本当は、科学の文法と言うか作法と言うか、そこが理解される必要があると思うんですね。先日も中谷博士の本を紹介しましたが、このような認識に基づいています。科学というものにも制度があって、そして精度がある。同じ「せいど」ですね(笑)

科学の実証の基本的な部分や、論文の査読の制度の手続き等は、それほど複雑なものでは無いので、噛み砕いた言葉で説明するのは可能だし、また重要なのだと思います。

そこで勉強になるのが、”PseuDoctorさんが書く、『論文の読み方』 ”ですね⇒http://seisin-isiki-karada.cocolog-nifty.com/blog/2007/09/post_ecb7.html#comment-20808409

まだ未完(重複表現)ですけれども、充分有用であります。

投稿: TAKESAN | 2009年3月30日 (月) 23:49

 あ,ひとつ言い忘れていました。

 中谷先生の本,TAKESANさんのエントリで拝見して購入しました。今読んでいる最中です。
 まだ最初の方だけしか目を通していませんが,分かり易くて丁寧に書かれた本ですね。自分の考えがそれほど外れていなくてホッとする部分と,思いもよらなかった論点が出てきてハッとする部分とがあって,ドキドキしながら読み進めています。

 ご紹介ありがとうございました。

投稿: ハブハン | 2009年3月31日 (火) 20:40

こんばんは。

>まだ未完(重複表現)
うぎゃあぁ・・・ごめんなさい。
どういう訳か、書き終わった気になってましたorz
申し訳ないです。

年末年始や年度末は立て込んでいて、今も事実上活動休止(どこにもコメント出来てない)状態ですので、すぐにという訳にはいきませんが、丁度明日から(あ、もう今日だ)新年度にも入る事ですし、近日中に必ず続きを上げたいと思います。

ところで、読み返してたら、私も「サンプルサイズ」の意味で「サンプル数」を使ってますね。「サンプルサイズ普及委員会」のお膝元でやらかしてるとは。
次回の書き込みで訂正しておきます。

投稿: PseuDoctor | 2009年4月 1日 (水) 00:02

ハブハンさん、今晩は。

おお、中谷博士の本を。こちらを読まれたのがきっかけになったのだとすると、私としても嬉しいです。

結構難しい所もありますが、平易な記述につめており、ああ、ここはこういう風に噛み砕いて説明しているのか、というのも見られて、表現の巧みさに唸る事もありますね。

こういう良書は、広く読まれて欲しいものです。

------

PseuDoctorさん、今晩は。

や、これは、なんだか急かしてしまう形になったようで…。もちろん、続きを書いて頂ければ大変ありがたい、というのは本音ではありますけれども。

標本数は、サンプルサイズ普及委員会になる前に私もやらかしてて、エントリーをこっそり修正してたりもするのであります(笑)

投稿: TAKESAN | 2009年4月 1日 (水) 00:36

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