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2009年2月18日 (水)

のーかがく

茂木氏って、テレビなんかで「脳科学的には~」って結構言いますね。

思う訳です。

脳科学的云々と言う前に、脳科学がどんなものか説明してもいいんじゃないかな、と。

モギケンの脳科学講義って事で、観る人も多いだろうし、内容が適切なら絶賛されるんじゃないですかね。

もちろん、こういう意見が予想されますが…。

故意的に、敢えてぼかして具体的な説明をせずに「脳科学」と言って説得力を持たせてるんだから、そんな事を積極的にやるはず無いじゃないか。

と。まあ、伊勢田さんとの対談とかを見ると、多分に「分かっててやっている」風ですからね…。何て言うか、初めから、専門家以外の学問分野への理解に期待していない、あるいは普及するという意識は無い、というようにも見えますね。

中身はブラックボックスのまま「脳科学的には~」と言うのなら、せめてエビデンスが不充分なものは気をつけて紹介しない、というくらいの配慮は欲しいものですが。

今更モギケンに何を求めるか、てのは無しの方向で。

あ、茂木氏に神経科学を代表させるような言動をさせるな、という強い批判もあるかもですね。

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このエントリーを書くきっかけ:A-WINGさんのはてブコメント

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「科学論」カテゴリの記事

コメント

ぼく個人としてもうひとつあるのは、その「脳科学的には」と云う言い方をすることがらのうち、どれくらいがご本人の研究に基づくものなのかあきらかにして欲しい、と云う部分だったりします。

すぐ「社会学の考え方では」と云う言い方をしたがるわりに、その意見がどう読んでも「オレ社会学」に基づいたものでしかない、と云う論者をぼくは知っているのですが、なんか同じ水準に見えてしまいます。

投稿: pooh | 2009年2月18日 (水) 12:13

こんにちは。なんか呼ばれた気がして(笑)

茂木氏は、テレビのやりかたに染まってしまったのでしょうね。

「脳科学者の茂木健一郎」が司会やゲストに選ばれた意味を考えたり、ゲストをいい気分にさせようとして、「脳科学では〜」と喩えるのだと思いますが、使命感が妙な方向にいっちゃってるんじゃないかなぁ、と思います。

ご自分の発言が、世の中の現象はすべて脳科学で説明できる、みたいな雰囲気を醸し出していて、それではまずいということに、お気づきになっていらっしゃらないんでしょうね。

投稿: A-WING | 2009年2月18日 (水) 12:33

poohさん、今日は。

ああ、確かに。

学問分野的にスタンダードな知見と、個人の業績と、推測を多分に含む私見とに分けて明示しながら言う、ってのがいいかもですね、理想的には。

▼▼▼引用▼▼▼
と云う論者をぼくは知っているのですが、
▲▲引用終了▲▲
私もそういう人を知っています。その人は、ブログで色々書いている、というものですけれども、茂木氏の場合は、マスメディアを通して相当広い情報流布を行っていますから、神経科学方面の専門家は、堪ったものでは無いのかも知れない、と思います。
きくちさんが たびたび仰いますけれど、実際、神経科学の専門家で茂木氏の言動に危惧を懐いている方もおられるようですね。WEB上でも、そういう意見を表明される方がいらっしゃいます。

投稿: TAKESAN | 2009年2月18日 (水) 12:36

A-WINGさん、今日は。

好意的に見れば、あのやり方が何らかの社会的な貢献に繋がる、と確信しておられるのかな、と。それは伊勢田さんとの対談の発言の傾向からも推し量れますけれども。

しかし、それにしては、ちょっと言葉の用い方が不用意と言いますか、危うい。「脳科学的には」というのは本来、当該分野について具体的な知識を持っている人が経済的にコミュニケーションするように使うものなんだと思います。そもそも一般に周知されたもので無いのであれば、その具体的な部分やらを紹介していくのが順序として肝要かな、と。

専門家外では、脳の画像に色がついた所が活性化してうんちゃら……という程度の漠然としたイメージがあって、それが「脳科学」を象徴するものになっているのだろうな、と。

投稿: TAKESAN | 2009年2月18日 (水) 12:43

モギケンの危うい部分と謂うのは、たとえば「脳科学」と一言で言った場合に、多くの人は解剖学的な実験をメインにした医学系の実証的な学問だろうと考えると思うんですね。大脳生理学とか神経科学とかあの辺の感覚で。

しかし、実は茂木健一郎の専攻分野と謂うのは、意識のハードプロブレムを主要な対象とした学際的な学問で、脳細胞の切片を切り刻んだり電気刺激を与えて実験したりと謂うような実験主義的な学問ではなくて、そう謂う学問から得られた情報を元にして、物理的な実体としての脳がどうやって意識のような抽象的なものを構成しているのかとか、物理的な法則性と精神的な法則性が接続可能なのかとか、そう謂うことを考える学問なわけですよね。

これは、その実態を門外漢が具体的に視れば物凄く胡散臭い学問に見えるわけですが、その辺の胡散臭さを曖昧にぼやかす効果が「脳科学」と謂うザックリしたタームにはあると思います。

たしかに、細胞片を切り刻んだり電気刺激を与えたり脳のマッピングを行うような、非常に現場主義的な学問と接続はあるんですが、茂木健一郎はその実証的な学問の直接の専門家ではなくて、そこから得られた知見を利用して理論を組み立てる学問の専門家なわけですね。これは彼の経歴を視てもわかると思います。

で、この種の学問と謂うのは、研究者の姿勢次第で幾らでもトンデモ方向に振ることが出来るわけで、どうも茂木健一郎の公的な言説と謂うのは、我から自分の学問の胡散臭さを増幅しているようにしか見えないわけです。

投稿: 黒猫亭 | 2009年2月18日 (水) 21:11

脳科学と言われれば、象徴的には脳画像診断が思い浮かぶと考えられます。「脳波」という概念は、(分野外の人にとって)その分野を象徴する最たるものと思われます。

脳科学(神経科学)というのは本質的に学際的な分野なので、ある意味、かなり幅広い現象をカバー出来てしまう、と言えます。しかしそれは、説明のしかたによっては一般論過ぎる、とも見られます。茂木氏の言っている事について、「当たり前じゃないか」という感想を持つ人もいるでしょうけれど、それは、茂木氏が一般論に「脳科学的」をくっつけているだけ、という風に感じられるからでしょう。

あるいは、脳の生理学的な部分を付け加えれば何とでも言える、とも見られます。たとえば、あそこで行動したのはなんちゃらという神経伝達物質が分泌されて云々……。
こういう言い方だと、間違いようが無いが別に説得力も無い、というものになるはずなのですが、ここら辺に一定の説得力を感じてしまう人もいるのでしょう。専門用語を出されるのに弱い、とか。

神経科学は、哲学とも関わってきて非常に複雑な議論が行われているはずですが、そもそもそういう実態があるのに「ライトに」脳科学という語を連発するのは、危ういかな、とは思います。

投稿: TAKESAN | 2009年2月19日 (木) 01:58

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