« KAKURITSU | トップページ | レス1 »

2009年2月16日 (月)

言葉を理解する

dlitさんのとこのエントリー読んだりして、言葉の認識っていうか、そこらへんの論理をわかりやすく説明するのがあればいいかな、と思って色々考えたんだけど、なかなかまとめるのは大変そうなんだよね、、、

ほう。

そうそう、でも、それを噛み砕いてまとめて説明する、というのは骨が折れそう。認知心理学者とか、あと、工学方面の人なんかの詳しい人が、文字を読む、言葉を理解する、というのをわかりやすく解説した本なんかがあればいいんだけどねえ、、、

だね。なんか難しそう。

で、私が思うに、こういうのは、トップダウン的というか、「言葉を理解するにはどういう仕組みがあればいいか」、という方向から説明したほうがいいんじゃないかな、と。

ほう。

普段から言葉というのは駆使してるわけで、まあ、大部分は無意識でやってるんだろうけど、こういう風になってるでしょ、といわれたら、けっこう納得する気がする。馴染み深いからね。

うむ。

んで、それをちょっと考えてみようと思うんだが、時間は大丈夫?

おk。今日は特にやることもないし、面白そう。

おお。んじゃ、ちょっとやってみよう。

おう。

まず、われわれは、文章を見るなり話してるのを聞くなりして、言葉を理解するわけだね。

うん。

それには、書かれたものや聞いた音を単語に分けて認識する、というのがまず必要。

うむ。

で、他の部分と比較して、この単語はここではこういう意味かな、とか考える。

うむ。文脈ってやつか。

そうそう。で、文全体の意味を考えて、理解していく。同音異義語なんかはわかりやすいね。それから、ちょっと違うけど、「カネヲクレタノム」なんて例があるよね。

何それ?

同じ文字でも読み方が色々あるってやつだね。「金をくれた、飲む」とも読めるし、「金をくれ、頼む」とも読める。書いたやつなら、まあ、こんな電報打つかってツッコミもあるかもだけどw

今の電報の話だと、点が打ってないし、漢字じゃないから、それまでの出来事とかとあわせて、意味を推測するわけだよね。音を聞く方に近いのかな。

うむ。誰に送ったか、とか、送られた人の生活のしかたとか。

たったこれだけの短い文なのに、ちゃんと読むには相当の情報がいるってことだね。

カネヲクレタノム、という文だけでは意味を確定出来ないって感じか。

だね。で、それが、文字や音と意味がきつく結びついてるわけじゃない、という話につながってくる。

ほう。

さっきの同音異義語もそうだね。同じ音なのに、いくつも意味があったりする。これは言い方をかえると、音だけじゃ意味を決められないということ。さっき出てきた文脈がわかってないといけない、という話だね。

うむ。そういえば、代名詞なんかも、単に「あれ」と言ったって、どれだよ、となるな。その人がどういう場所にいるか、とかわかってないと、意味不明だね。

そう。で、これをどんどん進めていくと、言葉のかたちっていうか、文字や音と意味の結びつき自体が、そもそも必然的には結びついてない、という話になってくる。

どういうこと?

たとえば、りんごは、あの植物を指すわけだね。赤とか青の実をつけるやつ。

うむ。

で、それは、別に「りんご」と呼ぶ必然性はないわけだ。んで、「りんご」←この文字で書く必然性もないわけだね。明日から、あの赤い実を「ろんぎ」と呼んでも、別に世界は崩壊しないw

ww

もちろん、言葉ってのは社会の約束事だから、誰かがどっかで、明日から俺はろんぎと呼ぶからみんなそうしろ、と言っても、はいはいさようなら、ってなるんだろうけどね。

うむ。そういうのは、小学校あたりでけっこうあったねえ。

だね。略語とかもそうのなかもだけど、なんかのきっかけで広まれば、それが浸透して、普通の使い方になったりする。そういう意味でも、きつく結びついてるんじゃない、と言えるね。まあ、一番簡単に言うと、世界には沢山言語があるだろって話なんだけど。別に「apple」と呼んでもいい。で、それを言いかえても世界は崩壊しないw

www

あ、もちろん、全部の言葉で、意味とかたちに何の関連もないってことじゃないけどね。擬音語とかもあるし。

ああ、確かに。

それで、これは「縦」の関係と言えるね。

言葉の意味をかたちの結びつきを矢印でつなぐようなイメージだね。上下に意味とかたちを並べて。

ああ。ってことは、横もあるわけか。

うん。これは、網の目を考えるといいかな。網が、ある言語を表してるとして、網の目が、言葉の意味の範囲や広さを表す。まあ、普通は網ってのは、目の大きさは均一だけど、あくまでたとえとして。で、その網の形は、色々な言語によって違うわけだね。

うーん、ちょっとよくわからんなあ、、、

うーん、そうだなあ、、、たとえば、四足でワンワン吠える動物をまとめて「犬」というよね。で、犬の中でも色んな種類がいて、それぞれに名前がある。この分類のしかたは色々ある。これは、網の目を細かくしたり、ということだね。まあ、動物の分類には生物学の考えが入ってくるだろうから、ちょっと単純に見すぎだけど、遠い昔の分けかた、というのをイメージするといいかな。犬と山犬と狼の区別でたとえるのもあるし、箱に入った風船でたとえた人もいたね。

ふむ。つまり、時代によっても網の形は変わるし、それは、言語の種類の違いにもよる、ってことか。

うん。ただ、今書いたみたいに、自然がどうなっているかと全く関係ない、という話ではないけどね。ただ、きつく結びついてるわけじゃない。

なるほどね。

そう。だから、まず前提として、言葉の意味とかたちに必然的な結びつきはないし、意味にどういう仕切りをつけるか、というのも必然的な決まりがあるわけじゃない、というのがある。

うむ。

んで、言葉を見たり聞いたりして理解するには、このシステムっていうか、そのルールみたいなものを知ってなくちゃならない、ということだね。

お、いいたとえを思いついたぜ。

ほう。

長い木の棒は、武器にもなるし、つっかえ棒にもなる。木の棒だけでは意味は確定出来ない、みたいな。

おお、なかなかいいね。そんな感じ。で、考え方としては、ある文字と意味とか、文字と音とか、そういう所にも応用出来るよね。

ほう。

たとえば、「あ」という文字があるね。

うむ。

これって、違う人間が「あ」と発音しても、同じ「あ」として理解出来るよね。

つまり、AさんとBさんが「あ」って発音したら、その音は、物理的には全く同じ、じゃないよね。

うむ。

でも、「あ」として認識される。これ、よく考えたら不思議じゃない?

うーん、確かに。

全く同じ音、じゃないのに、同じ意味として理解出来る。これって、元々どういう言語を使うか、とか、他の言葉との差というか違いで、それが認識されるんだろうね。あんまり詳しくないけど。ま、でも、ある音が意味と必然的につながってるんじゃない、とは言えるね。

ふむ。

境界っていうか、どこから分けるかってのもあるよね。「あ」とそれ以外の音はどう分けるか、って。物理的に測定して、こっからは「あ」だ、とも多分言えないだろうし。だって、聞く人がどうか、というのも関係してくるしね。日本語を知らない人が聞いたら、というのも。

ああ、なるほど。

文字もそう。「あ」←この文字が「あ」と認識される。でもこれ、「ア」でもいいわけだね。形でいうと、楷書・行書・草書で「あ」という文字を書いても、わかる人には全部、それが「あ」だと認識できる。でも、その文字は全然違うよね。ていうか、私は草書読めんしw

ああ、あるね。急いで書いた字だと、自分が書いた字なのに後から読めないってのもあるわw その時はわかってたはずなんだけどねえ。これも文脈的なものか。

多分そうだろうね。これも音と一緒で、どこからを「あ」とするか、というのは難しいね。ていうか、文字読み取り装置なんかは、ここらへんを研究してるんだろうね。どのくらいの精度なのかは知らんけど、違う人が書いた文字を同じものとして分類するってのは、よく考えるとすごい。

うむ。数字は比較的シンプルそうだけど、漢字あたりになると難しそうだねえ。電子辞書だと、候補が出てきて自分から選ぶ、というやつだしね。

そう。しかも、これにもやっぱ、知識というか、その人がどういう字を書くか、という癖なんかも関係してくるよね。ミミズのはったような字でも身内なら読めるってのもあるし。

あー。ノート貸したら読めなかったって言われるとかねw いや、自分じゃ読めるんだけど、的な。

そうそうw だから、言葉を理解する、というのは、他の色んな知識とかが関係してて、それがないと考えられないんだよね。で、積み上げていく方向から考えると、文章を見たり話を聞いたりして、まずそれを文字に分けて認識する、という段階がある。

うむ。

「あ」という文字ならそれを認識して、その音ならそれだと認識する。文字だと、インクとか光の形を読み取って、それを脳内辞書みたいなのと照合して、これはどの文字だな、と認識する。その認識のしかたについては、いろんな説というか、考え方があるみたいだけどね。

ほう。

んで、文字が認識出来たら、脳内辞書から単語の意味を引っ張り出したりする。でもそれだけじゃ意味が確定できないから、他の部分も見て、それで推測したりする。それがうまくいかないと、誤解されたりするよね。

うむ。

逆に、空耳アワーみたいなのは、それを利用してるって感じだけどね。

あー、確かに。

で、こういうのが、かなり短い時間で、しかも行ったりきたりを一瞬で繰り返しながらなされるわけだね。ものすごい情報処理。

うむ。一々そういうのを考えなくても、勝手に言葉は出るしねえ。

そうそう。あまりにも当たり前だから、実はその仕組みのすごさってのは、あんまり意識はされないんだろうね。

それを考えると、水が言葉を、ってのはやっぱり変だね。

そだね。中には、水が情報を保存して、、、なんてこと言う人もいるけど、仮にそういうのがあるにしても、言葉を理解するには、そんなんじゃ全然足りないわけで。文字を認識して、文脈を読んで意味を決めていって、、、ってのを水がどうやってやるの、という話。

うむ。相手がどういう人か、とか、どの言語を使うか、というのも絡んでくるから、その難しさっていうか膨大さっていうかは、ちょっと途方もないね。

そう。で、こういう所を理解すれば、水が言葉に反応するって話についても疑ってかかれる可能性はあるね。

うん。特に、意味とかたちに必然的な結びつきがないってのは重要そうだ。

だね。それをかなり華麗に表してるのが、田崎さんのおなじみのたとえだね。「shine」を見せたら?ってやつ。

ああ、あれはいいね。でもあれだね。そういうのを説明しても、わからないひとはわからないだろうね。

まあ、それはそうだねえ、、、てか、理屈をショートカットして、波動やらなにやらを持ってくるから、初めからそこらへんに耳を貸さないって人はいっぱいいるだろうね。ただ、こういうのを説明するのも大事だと思う。

うむ。信じるか信じないかの半信半疑の人とか、あまり深く考えずに信じてしまったって人には、効くことがあるかも。

うん。後、水伝が検証できる、という意見について、こういう考えもあるよ、というのを出す意味もあるね。私なんかは、水伝はそもそも検証は絶対不可能だと思ってて、まあそれは、言葉のかたちと意味に必然的な結びつきがないという所からきてるわけだけど。

そういえば、菊池さんや田崎さんや天羽さんも、物理方面からだけじゃなくて、言葉の問題としても批判してたね。

そうそう。で、そっちから詳しく見ていくと、水伝は検証はできない、となるわけだね。だから、時折出る、水伝は検証はできるけれどもされてない、というのは、本当は、水伝側にものすごく譲歩してるんだよね。実際は、検証しようがないのを実験で確かめたっていってるから、はいそれ無理、検証できないのを検証したと言ってるからニセ科学だよ、とけっこうシンプルに言えるんだね。

------------

参考にした人々。

dlitさん、池上嘉彦、ソシュール、丸山圭三郎氏、高岡英夫、J.J.ギブソン、等々。

鍵になりそうな概念達。

恣意性、アフォーダンス、記号、有契/無契、シンボル・イコン・禁書目録インデックス、音声学、音韻論、音素、形態素、二重文節、等々。

私の知識は、言語学や記号学(論)、あるいは認知心理学の入門書に書いてある基本的なものくらいしか無いので、これくらいが限界。古くなっている所もあったりするかもですが、あまりはずさないように配慮したつもりです。不備や誤りがあれば、ご指摘を頂けると幸い。

そして、誰かが、

  • やる夫で学ぶ言語学
  • やる夫で学ぶ記号論
  • やる夫で学ぶ文字認識
  • やる夫で学ぶ文字読み取り装置の仕組み
  • やる夫で学ぶ認知心理学~文字認知をテーマに~

などを書いてくれるのを祈ります。

後、こういう内容のものって、そんなの言ったって水伝を信じている人は考えを変えないよ、とか、論理で信じてる訳じゃ無いだろ、的な反応がしばしば見られますけど、そんなの言ったって、あんまり意味無いですからね。これは、水伝が検証不能だというのを示すものでもあるし、言語をどう認識するか、というのを考えた文章でもあります。

水伝の信じ方にも色々あるのだし、「どうせ考えを変えやしないよ」、なんて言うのは、かなり的外れだったりします。

|

« KAKURITSU | トップページ | レス1 »

「科学論」カテゴリの記事

コメント

うーん、オレの理解が足らないのかもしれませんが、このロジックの結論が検証不能性なのは、少し噛み合っていない印象を持ちました。

これは「水が言葉に影響を受けると謂う理論の原理的な不審さ」を指摘するプレゼンテーションとしてはわかりやすいと思います。

しかし、「検証不能性」と謂う問題については、原理的に不審だろうが何だろうが、「そう謂う現象がもし存在するとして、それを科学的に確認することが出来るのかどうか」と謂う論点になるんだと思います。

たとえば科学プロパーの瀬名秀明さんまで「とにかく実験してみれば?」と仰っているわけですが、そう謂う意見に対して、「何故水伝批判では実験の必要を認めないのか」と謂う辺りを説明するロジックになるのではないかと思います。

ただ、この方向性のロジックでも「言葉と謂うのは有効なパラメータになるのか」と謂う観点からなら、その落とし所に繋がらないわけでもないと思いますが、ちょっと結論に至るまでのプロセスで何段か段数が抜けているので整合していないように見えるのかな、と。

投稿: 黒猫亭 | 2009年2月16日 (月) 10:28

ああそうか、全体の論旨が、「物理的実体としてのパロールの意味性における恣意性(TAKESANさんが統計について仰っていたような意味での)」の説明に偏しているから、論点がブレているんじゃないかと思います。

ここはおそらく、言葉の持つ意味性が文脈や文化コードに依拠するダイナミックなもので、客観的に定量化も定性化も出来ない、また、結果判定の基準もまた美・醜と謂う主観的且つ動的な概念であるが故に、客観的な検証は不可能である、こう謂うロジックなら検証不能性に繋がるのではないでしょうか。

投稿: 黒猫亭 | 2009年2月16日 (月) 10:43

黒猫亭さん、今日は。

ありがとうございます。

多分、読んでいて、結論がスキップしたかのように感じられたのではないかと思います。

このエントリーの主眼は、基本的には文字認知と言語の解釈にはどういう仕組みが必要か、というのを論理的に考えていく、という所にあって、実は、水伝の検証不能の問題というのは、最初は一言も書かないようにしようかと思いました。「それを考えると」以降は蛇足、という見方も出来るかも知れません。

ですが、初めにdlitさんのエントリーの話題を出して、水伝の話と繋がっているのを示しているので、書いておこうと思いました。

配慮としては、

▼▼▼引用▼▼▼
後、水伝が検証できる、という意見について、こういう考えもあるよ、というのを出す意味もあるね。
▲▲引用終了▲▲
や、
▼▼▼引用▼▼▼
私なんかは、水伝はそもそも検証は絶対不可能だと思ってて、
▲▲引用終了▲▲
と、これがキャラクターの認識であるという風に書いて、このエントリーで書いた内容の延長線上で水伝の検証についての議論を考えると見えてくるものがあるのではないか、という仄めかしというか、含みを入れてあります。

水伝の検証不能性には、おおまかに2つの観点があると思います。

一つは、言語の恣意性の問題。語形と語義に必然的な結びつきが無い、という論理で、言語は本質的に無契的に構成し得る、という所から、水伝の主張する、ある言語体系で、良い・好ましい とされる「機能を担わされている」語に選択的に反応して結晶を構成する、というのが原理的に成り立たない、というのが導けます。

なぜならば、言語の機能は物理的実体と必然的な結びつきが無い故に、あらゆる言語に通底する「良い言葉」が定義・定量化不能であるから。

そして、この論理を無視すれば、観測不能な概念を持ち出して理路を短絡して説明するしか無い訳で、そうすると今度は、検証不能であるのを自ら示している、という風にみる事が出来ます。

もう一つは、水伝が普遍的価値判断との結びつきを主張している所。

上で、言語体系内である機能を持たされている言葉が美しい結晶を作る、というのを水伝が主張していると書きましたが、江本氏の主張は実はそれより遥かに強く、善や美そのもの、と言うか、それが普遍的に存在する概念であるように看做している。ある体系内での価値あるいは機能では無く。

これは、自然科学は価値判断を扱えない、というのと全く相容れなく、検証が不能ですね。

結局、水伝は自ら二律背反を抱えていると見る事が出来ます。

つまり、江本氏は本来、文化によらない「美」や「善」の話をしている。だけれど、それは絶対実験などで確かめる事が出来ないから(検証不能)、ある言語体系でよいとされる言葉を見せたり聞かせたり(この表現も変ですが)して、結晶の美しさを評定させて実験したと称する。

しかしそうすると、そもそも普遍的な価値観の話をしていたはずなのに、心理社会的に規定された価値的な概念との結びつきを確かめる事になって、自分で主張を変化させていると看做せます。(江本氏的には)問題を矮小化している訳ですね。

つまり、

・文化によらない普遍的価値

・心理・社会的に、つまり体系内での機能として持たされている価値

は本質的に異なっているという事ですね。普遍的価値を、文化的に被せた網としての言語から論ずるのは不可能だ、と言えるでしょう。

このエントリーは、主に一つ目の観点から書いていて、言語を認識・解釈するという所の情報処理の複雑さを理解し、また、言語の恣意性から、物理的実体と意味あるいは機能に必然的な結び付きが無いという原理を紹介して、結局水伝は検証する事が不可能だ、という部分に気づいてもらうように導こうと考えて書きました。

投稿: TAKESAN | 2009年2月16日 (月) 12:29

これははdlitさんの水伝批判を読んだとき最初に感じたことでもあるのだけど、
「水も学習する」っていったら簡単に反論できませんか。言葉が文脈で決まるという指摘は、水に文脈を判断する中枢系がないといえてはじめて有効な批判になるのです。でも「いや水にも流動的で見えない中枢系があってそこで今までの日本人の会話から学習して判断できるんだよ」いわれれるたら意味無いですよね。学習する中枢系があるという反論に弱いというのが一点。
 第二に、TAKESANさんが最初にあげた検証不可能性の根拠ですが、こういう主張をするなら認知心理学の一部や社会心理学の大半の命題が検証不能ということになりまえんか。
 「蜜の味」のエントリの不幸とか、妬みという言葉も、物理的なものと必然的な繋がりがありませんよね。いくら学者が客観的な尺度を作ったところであらゆる言語体系に共通な「妬み」や「不幸」や定義不能ですよね。その尺度は便宜的に決めたものであって、実際にわれわれが使う「妬み」や「不幸」とはずれてるかもしれない。
 社会心理学では、刺激を統制するために全く同じスクリプトを使ったりします。しかし、そのスクリプトと意味は必然的な結びつきはないのだからそもそも検証できないことになりますね。せいぜいスクリプト*に対して○○な行動がとられたと言えても、「権威」「喜び」「不幸」「良い関係」「愛情」だとかとの関連は何も言えなくなってしまします。
 TAKESANの議論だと、実験者が特定の意味を持たせた言語刺激に選択的な反応を調べる実験はすべて検証不能ということになってしまいます。だってその言語刺激とその意味とに必然的な関係はないのだから。
 もちろん、こういう立場もあって当然だと思います。でもTAKESANさんがそれだけ強い立場にコミットしている自覚があるのかと。


投稿: blupy | 2009年2月16日 (月) 15:14

こんにちは。横からですが

>blupyさん
>「水も学習する」っていったら簡単に反論できませんか

面白い視点だと思います。ただその場合、水は言語文化圏を日本人と共有していることになりますね。で、その共有している言語文化に則って「返事」をしている、と。
であるなら、以下引用
「江本氏は本来、文化によらない「美」や「善」の話をしている。」
 引用終わり。
この江本氏の主張は成り立ちませんね。と言うより、そもそも水に答えを聞く必然性が無いですねその辺にいる人に聞くのと原理的に変わらないから(^_^;)。
道徳教育に使われる事もなくなりますね。
後段については、私は専門外なのでヒョッとしたら的外れかもしれませんが。「認知心理学の一部や社会心理学」は自然科学なのかなぁ、と思います。あんまり自信ないですけど。

投稿: T-3don | 2009年2月16日 (月) 16:11

blupyさん、今日は。

えっと、これだけ色々書いてその読解は、さすがに無いと思いました。

私の立場についてのその解釈は、完全に間違っています。こういう立場もあって当然、と言われますが、私はそんな立場ではありません。

言語の恣意性というのは、そういう意味ではありませんって。

------

T-3donさん、今日は。

水も学習する、と言うのが簡単に反論になる、というのでちょっとガクッときてしまいました。そういう反論が出来ないよね、というのを示すために、言語認識のプロセスの複雑さを書いたつもりだったのに…。

書き方がまずいのかも知れません。色々考えてみます。

心理学あるいは心理学の具体的な分野を自然科学と看做すかどうかは、色々議論のある所なのだと思います。むしろ、心理学の歴史というのは、そういう議論を常に含んでいる、と言えるかも知れませんね。

投稿: TAKESAN | 2009年2月16日 (月) 17:35

>「江本氏は本来、文化によらない「美」や「善」の話をしている
 だったらいろんな文化で実験すればいいことです。今、人格論はビックファイブという理論が定説ですが、これは様々な文化で人格が五つの因子
で構成されるいうものです。
 あと認知心理学や社会心理学が「自然科学」かどうかは議論がありますがここではどうでもよいことです。検証不能かどうかについて話していますから。
 実験心理学の研究では再現性や反証可能性は必要条件にしているので、検証可能な科学である自らを考えているのは議論の余地がないでしょう。TAKESANさんの話だと大半が「疑似科学」だったということになりますが。

投稿: blupy | 2009年2月16日 (月) 17:51

>言語の恣意性というのは、そういう意味ではありませんって。

じゃあどういうものですか。
軽くでいいので私の理解とどう違うのか説明してもらえませんか。
 TAKESANさんが心理学に対してそういう立場でないことは重々承知してますよ。
 「言語の恣意性」を用いて水伝を批判する問題点について指摘しています。
 まあとにかく説明お願い。

投稿: blupy | 2009年2月16日 (月) 17:58

水伝と性格の特性論とを比較するのは、全く適当ではありませんよ。
行動や感情等の傾向について、文化を超えた共通の因子を見出すのと、言葉の問題とは全然違います。論の混同です。

▼▼▼引用▼▼▼
TAKESANさんの話だと大半が「疑似科学」だったということになりますが。
▲▲引用終了▲▲
なりません。さすがにそれは、誤読も甚だしいです。

---

恣意性というのは、語形と語義に「必然的な結び付き」は無い、という事です。そうなっていなくてはならない、という関係には無い、という論理です。

それは、ある文化で「妬み」という言葉が感情のあり方を指示する記号になる、という論理を否定するものではありません。

▼▼▼引用▼▼▼
 TAKESANさんが心理学に対してそういう立場でないことは重々承知してますよ。
▲▲引用終了▲▲
え…。

▼▼▼引用▼▼▼
 もちろん、こういう立場もあって当然だと思います。でもTAKESANさんがそれだけ強い立場にコミットしている自覚があるのかと。
▲▲引用終了▲▲
では、この部分は何だったのですか? ここは、
▼▼▼引用▼▼▼
 TAKESANの議論だと、実験者が特定の意味を持たせた言語刺激に選択的な反応を調べる実験はすべて検証不能ということになってしまいます。
▲▲引用終了▲▲
この文章に掛かっていたのでは? 私はこんな立場ではありませんよ。

投稿: TAKESAN | 2009年2月16日 (月) 18:11

う~ん。理解してないようなので確認すると私が問題にしているのは言語の恣意性の観点から水伝が検証不能といえるいどうかです。
 私の主張の骨子は、言語が恣意的だから水伝が検証不能と言えるとすると、言語を扱っている認知や社会心理の命題の多くも検証不能になる。しかしその立場は間違っている。だから言語が恣意的だから水伝が検証不能とは言えないという背理法的なものです。
 TAKESANが自分の立場を示すだけでは全く反論になってない。反論したいなら水伝を言語の恣意性から検証不能といてえかつ、社会心理などの命題は検証不能にはならないことを示す必要があります。

それで言語の「恣意性」ですが
>恣意性というのは、語形と語義に「必然的な結び付き」は無い
ということですがそこからなぜ水伝は検証不能ということになるのか。
TAKESANさんによると
> ある言語体系で、良い・好ましい とされる「機能を担わされている」語に選択的に反応して結晶を構成する、というのが原理的に成り立たない
のは
>言語の機能は物理的実体と必然的な結びつきが無い故に、あらゆる言語に通底する「良い言葉」が定義・定量化不能であるから。
だとしていますね。
だとすると
>ある文化で「妬み」という言葉が感情のあり方を指示する記号になる
が、言語の機能が物理的実態と必然的な結びつきがない故に、あらゆる言語に通底する「妬み」は定義、定量化が不能じゃないんですか?
もし可能だというなら、「良い言葉」
の場合とどう異って可能になるのか示してもらえませんか?
 
ちなみに、人に「良い言葉」をかけると免疫機能が上昇する、という命題は検証可能ですか?
免疫機能は白血球の量で測るとします。
可能だとしたらそれも水伝の場合とどう異なって可能か示してください。

投稿: blupy | 2009年2月16日 (月) 22:37

あとここではどうでもよい点ですが
>行動や感情等の傾向について、文化を超えた共通の因子を見出すのと、言葉の問題とは全然違います。
人格は言葉で表すので当然言葉の問題が絡みますよ。ビッグファイブは、その言語の辞書などから性格を表す語を抜き出してどんどん絞っていったらどの文化でも5つになったというものです。
もっとも人格論は単なる例で、各文化で実験して確かめれば「日本の言語文化だけの話」でないことは言えるという話には全く返ってませんが。

別に攻撃しているわけでもないし、急ぎませんので、以上の点を落ち着いて考えてみてください。
 

投稿: blupy | 2009年2月16日 (月) 22:40

残念ながらと言うか、あまりにもきちんと読まれていないので、この辺で。これ以上の説明は、ちょっと私には無理です。

もちろん、他の方とはやり取りされて構いませんので、よろしくお願いします。

取り敢えず、
▼▼▼引用▼▼▼
言語が恣意的だから水伝が検証不能と言えるとすると、言語を扱っている認知や社会心理の命題の多くも検証不能になる。しかしその立場は間違っている。だから言語が恣意的だから水伝が検証不能とは言えないという背理法的なものです。
▲▲引用終了▲▲
ここが全く的外れという事です。

投稿: TAKESAN | 2009年2月16日 (月) 23:26

きちんんと読まれてないだ?
 
「水伝を言語の恣意性から検証不能といてえかつ、社会心理などの命題は検証不能にはならないこと」は結局示せなかったね。
 議論ができないようなの手順つけたらそれも拒否する始末。

まぁあとはギャラリーの判断力にまかせるけどね。
 まさか自分に不利になると議論に応じないほど不誠実な人だとは思わなかったが。
 
あとはギャラリーにまかせる。


TAKESANさん、私の言ってることがそれほどトンチンカンなことか自分の頭でもう一度考えてみてください。一応さっきの私の問いの順番に考えれば整理できるようになっています。時間がかかってもよいので。
 それでは。 

投稿: blupy | 2009年2月17日 (火) 00:06

「水も学習する」「水にも流動的で見えない中枢系があってそこで今までの日本人の会話から学習して判断できる」という反論がありうる――という主張は(誰もが心の中では思っていても実際に衆人の前に提示するかどうかという意味で)初めて見たので、ちょっと驚きました。もちろんこの主張について異論はありません。
(でも一応念のため、lets_skepticさんのこのエントリ記事(↓)へのリンクを張っておく)
http://d.hatena.ne.jp/lets_skeptic/20081216/p1

あと、もしも本当に「水も学習する」「水にも流動的で見えない中枢系があってそこで今までの日本人の会話から学習して判断できる」が正しいとすれば、確かに、そのときにのみ、TAKESANさんの言い方では「言語を扱っている認知心理学や社会心理学の命題の多くも検証不能になる」と言えるのかも知れない――という気はしてきました。
つまり、「水も人間と同じく文脈を理解できるが、TAKESANさんは“言語の恣意性”を理由に“水からの伝言”の検証不可能性を主張している。ならば、同じく文脈を理解できる人間を相手とした認知心理学や社会心理学も“言語の恣意性”を理由に検証不能となってしまうのではないか」というロジックですね。
あまり真面目に考えてるわけではありませんし、たぶん私は大変な誤解をしているのだと思うので、あまり真剣に受け取られると困るのですけど、ちょっと思いついたんで書いてみました。ギャラリー(の少なくとも一人)がどう判断したのか――のサンプルにはなるかな……と。

投稿: 田部勝也 | 2009年2月17日 (火) 00:17

ああ、やっぱり危惧した通りの流れに。

前述の通り、この本文のロジックの流れではそのままストレートに検証不能性と謂う結論には繋がらないと思うのですが、blupyさんはそこを指摘しておられるのかな、と思います。

先般こちらにTBを送られたblupyさんの某エントリは拝読していますから、そこからblupyさんの問題意識の置き方を類推するなら、「水に神経中枢はない」と謂うことを自明視しない、前提に置かない、そう謂う仮定においてはTAKESANさんのロジックには反論可能であると謂うお話かと承りました。

「水も学習する」と謂うことは、ここで論述されている「言葉の意味の恣意性」とはまた別の話になるので、当然このロジックの流れの中では論証されていませんよね。自明な前提として踏まえられています。

ですが、このロジックで一切論証されていない以上、「水も学習する」と謂う立場に立つ論者は十分このロジックに反論可能だと謂うことになるでしょう。

実際、「言葉には未解明の波動がある」「水はそれを記憶するのだ」と謂う主張が現実にありますが、今回のロジックではそれが馬鹿げたことであると謂うことが自明の前提として織り込まれているように思います。

しかし、水伝の信奉者はまずそれを馬鹿げたことだとは考えていないのですから、それを前提視した立論は容易に反論されてしまうと謂うことになります。

blupyさんは、直接の論述の対象となっていない事柄の真偽は一旦捨象すると謂う仮定の下に、それでも尚この言明が成立するのか、と謂うことを問うておられるのかな、と思います。

なので、TAKESANさんの真意を説明するのではなく、ロジックと結論の間の飛躍を埋める説明を加える、と謂うのが噛み合った議論になるのかな、と思います。

投稿: 黒猫亭 | 2009年2月17日 (火) 00:37

これだけでは具体性を欠きますのでもう少し補足説明を。

どうもこの件に関しては「恣意性」と謂うタームが誤解の種だったのかなとも思いますし、オレが不用意にこのタームを持ち出した責任もありますので、ちょっとその点について説明させて戴きます。

TAKESANさんが仰っている恣意性と謂うのは、かなり砕けた言い方をすると「人間の精神活動において発生したルール」と謂うほどの意味ですね。ルールと謂っても、みんなでこうしようと話し合って決めた約束事と謂う意味ではなく、人間の精神活動において自ずから発生する規則性のようなものを謂うのだと思います。

一方では、音波としての言葉が物理的実体として蒙る法則性と謂うのは、人間が決めたルールではなくて無前提にそう在る自然の法則性ですよね。これは人間の精神活動とはまったく無関係に、天然自然にそう在るものです。難しいことを言い出せば、そうと決まったものでもないわけですが、大略このように受け取られているわけですね。

そして、この二者の法則性の間には連絡がないわけで、人間が取り決めたルールで物理的実体が何らかの影響を蒙るわけではありません。物理的実体に影響を及ぼすのは飽くまで物理的法則性であって、言葉が水に対して影響を与えるとすれば、その物理的特性においての話になります。たとえば声かけを例にとれば、音波としての言葉の持つ物理的特性と謂うことになりますね。

で、音波としての言葉と、言葉の持つ意味性の相関と謂うのは、物理的にそう決まっているわけではなくて、人間の精神活動に伴って発生するルールに則っている、それ故に、言葉と意味の間の関係が「恣意的」なものである以上、言葉の意味が水に対して物理的な影響を与えると謂うことはない。

「恣意性」と謂うタームはこのような文脈で使われているわけですね。物理法則と精神活動に伴う規則性の間の断絶を示す言葉としてそのようなタームが機能しています。

対するに、認知心理学などではそのような人間の精神活動それ自体を扱う分野ですから、「影響を与える」と謂っても物理的な実体が何らかの変化を蒙ると謂う話ではありません。これも細かい話をすれば、人間の精神活動に伴って脳内の物質環境が影響を受けるわけですが、たとえば言葉が直接物質に作用してそのような影響を及ぼしたわけではありません。

ですから、ひとまず「言葉と意味の間の関連は恣意的だから水に物理的影響を及ぼすことはない」と謂う言明と認知心理学等の人文科学における成果とは矛盾しないことになると思います。

投稿: 黒猫亭 | 2009年2月17日 (火) 02:12

>どうもこの件に関しては「恣意性」と謂うタームが誤解の種だったのかなとも思いますし、
 いいえ。恣意性は「語形と語義に必然的きまりがない」ことだとTAKESANに明確に説明されているので誤解はないです。むしろ音波とか新しいもの出す方が混乱しますよ。
 ああと、語形や音波と語義に必然的な決まりはないですが、ある程度のきまりはありますよね。だからわれわれは他人が書いた文字や出した音波を聞いて理解できるのです。
 で、ここで問題になっているのは音波と語義に必然的な決まりがあるとか、音波が水に影響を与えるとかではなく、「音波や語形と語義に必然的きまりがないと検証不能か」かどうかです。
 音波と語形が必然的な決まりがないとか、物理的な影響を与えないとかは論点ではない。それだけなら確かに認知心理学を否定する必要はないでしょう。でも「物理的な刺激と必然的な決まりがないから検証不能だ」といってしまうと、認知心理学の大半が検証不能になるといってるのです。

投稿: blupy | 2009年2月17日 (火) 02:50

>黒猫亭さんへ。

ちょっとびっくりしたので、黒猫亭さんにお聞きしたいのですけど、blupyさんの主張がそのようなものだと、黒猫亭さんはすんなり読解されたのでしょうか。

――いや、実はネタばらししますけど、上の私のコメント(↓)
http://seisin-isiki-karada.cocolog-nifty.com/blog/2009/02/dlit-c755.html#comment-54917878
は、「blupyさんに対する」揶揄・皮肉のつもりでした。つまり……。

私には、blupyさんが、「“水も学習する/人間と同様に文脈を判断できる”という反論がありうる」という論点と、「TAKESANさんの言い方では、言語を扱っている認知心理学や社会心理学の命題の多くも検証不能になる」という論点を、それぞれ独立のものとして述べている――としか読めないのです。
だって、blupyさんの一番最初のコメント(↓)
http://seisin-isiki-karada.cocolog-nifty.com/blog/2009/02/dlit-c755.html#comment-54908625
で、「“水も学習する/人間と同様に文脈を判断できる”という反論がありうる」という事を「~というのが一点」とし、「第二に、~」として「こういう主張をするなら認知心理学の一部や社会心理学の大半の命題が検証不能ということになりまえんか」と、わざわざ分けて述べ始めたじゃないですか。
しかもその後、議論が噛み合わない事態になり、お互いにどこを誤解しているのか模索する段階になっても、「“TAKESANさんの言い方では、言語を扱っている認知心理学や社会心理学の命題の多くも検証不能になる”という主張は“水も学習する/人間と同様に文脈を判断できる”という前提に立っての話である」というニュアンスの文章はまったくないわけです(少なくとも私にはそう思えます)。

さらに言えば、TAKESANさんのこのエントリ記事での主張が「人間と同様に文脈を判断する事がいかに複雑な過程かを述べる」→「“水が人間と同じように文脈を判断するという事を実証できるのか”という疑問を提示する」という論理になっていて、「中には、水が情報を保存して、、、なんてこと言う人もいるけど、仮にそういうのがあるにしても、言葉を理解するには、そんなんじゃ全然足りないわけで。文字を認識して、文脈を読んで意味を決めていって、、、ってのを水がどうやってやるの、という話」とまで書いているわけですよ。
だから私は、TAKESANさんのこのエントリ記事はまず何より「“水も学習する/人間と同様に文脈を判断できる”という事は有り得ない」という主張を展開しているものだと思いました。
――なのに、blupyさんは「水も学習する/人間と同様に文脈を判断できる」という前提がなければ成り立たない主張を、その点を一切明示せずに議論がすれ違っているまま延々述べ続けている……。

それで私は先のコメントで、「blupyさんの“TAKESANさんの言い方では、言語を扱っている認知心理学や社会心理学の命題の多くも検証不能になる”という主張は、“水も学習する/人間と同様に文脈を判断できる”という前提がなければ成り立たない主張なのに、本人だけがそれに気づいていない」という事を皮肉った(つもりになっていた)わけですね。

もしも、blupyさんの主張が黒猫亭さんのおっしゃる通りなのだとしたら、TAKESANさん(と私)はblupyさんの主張を誤解していた事になります。でも、その責をTAKESANさん(と私)に帰するのは、かなり無理があるよなぁ……というのが、一ギャラリーの率直な感想です。

--------------------
余談ですけど、当初は、TAKESANさんの「水伝は検証はできない」という言葉を、そのまま「水伝の真偽は検証できない」と読まないで、「(ロジックは違うけれど“白いカラスはいない”みたいに)水伝が正しい事は原理的に実証できない」と読み替えてみたら、どうだろう……とも思ったのですけど、そうしてみたところで事態が好転する事は何もないようだなぁ……と思い直した次第。

投稿: 田部勝也 | 2009年2月17日 (火) 03:44

念のため一応整理しとくと、最初に田部さんが指摘してくれたように私の批判は2段階で、黒猫亭さんがいうように「水も学習する」と「言語の恣意性」の話は別です。
 まず、「水も学習する」ですが、これは主にdlitさんに当てたもので、言語の恣意性や文脈依存性を用いて水伝を批判するには、「水が学習する中枢を持たない」という前提とセットではじめて有効だという指摘です。でも中枢系の有無なんていわばOSで、目に見えませんから直感的にわかるものじゃない。人でさえ、行動主義心理学者はそうした内的概念を用いた説明を否定するように微妙い。仮に中枢系がないことを納得してもらえてるなら、それで十分で言語の話など冗長です。もっとも感覚器や入力器がないと指摘するほうがたやすいし、それで十分でしょう。黒猫亭さんの音波の話も、水に感覚器がないといえてはじめて成立しますよね。
 こうした「学習する中枢」の問題点も吹っ飛ばすような議論の仕方があって、それは田部さんが指摘してる通り、中枢のあるかないかに関係なく、言語「に」問題点があるから、水伝は検証不能だという議論です。
 言語が恣意的、つまり意味が物理的な刺激と必然的な関係がないのは自明です。でもだから検証不能だというと言語を用いた心理学実験の大半が検証不能になってしまいます。
 たとえば、TAKESANさんの議論だと『人に「良い言葉」をかけると免疫機能が上がる』という命題が検証不能だということになります。
 もっとも行動主義など割りとこういった立場で、明瞭に定義できる概念しか使わず、内的概念を一切認めません。一方、今の認知や社会心理学は、内的な概念や日常の概念を受け入れる変わりに、それが日常概念とズレるリスクを背負いつつぎりぎりのところでやっています。いくら実験で「妬み」の条件を統制したとしても、それが日常の「妬み」の概念と完全に一致する事はないでしょう。
 TAKESANさんは自分のいってることが租借できてないから自分が極端な主張をしていることに気づかないのですよ。 

投稿: blupy | 2009年2月17日 (火) 03:46

>blupyさん「たとえば、TAKESANさんの議論だと『人に「良い言葉」をかけると免疫機能が上がる』という命題が検証不能だということになります」

よく分からないんですけど、
■人間の場合:物理的な刺激と意味に必然的な関係はないけれど、人間には想像を絶するほどのとても微妙で複雑な処理過程を経て、文脈的に意味を読み取る能力があるから「良い言葉」を判断する事ができる。だから、「人に“良い言葉”をかけると免疫機能が上がる」という命題は(厳密には「その人が“良い言葉”と判断した言葉をその人にかけると、その人の免疫機能が上がる」と言い直すべきでしょうが)検証可能である。
■水の場合:物理的な刺激と意味に必然的な関係はない上、水が想像を絶するほどのとても微妙で複雑な処理過程を経て、文脈的に意味を読み取る能力をもっているなど到底有り得ないから、「水に“良い言葉”をかける事で、水になんらかの変化が生じる」という命題は(水がどのように“良い言葉”を判断しているのか知り得ない以上)検証不可能である。
――というロジックのどこに間違いがあるのでしょうか。

※なお、ここで言う「有り得ない」は、lets_skepticさんのこのエントリ記事(↓)の意味で使っています。
http://d.hatena.ne.jp/lets_skeptic/20081216/p1

投稿: 田部勝也 | 2009年2月17日 (火) 04:03

コメントがかぶりましたね。
>なのに、blupyさんは「水も学習する/人間と同様に文脈を判断できる」という前提がなければ成り立たない主張を、その点を一切明示せずに議論がすれ違っているまま延々述べ続けている……。
いや、「水も学習する」の話は「言語の恣意性」の話の前提でなくて独立してます。だから第二にってわけたじゃないですか。

 
 まあdlitさんもそうだけどそんな複雑なことができる中枢系が水にないことを示すために言語の複雑さを示した面もあると思います。だから最初の点は、TAKESANさんが言語が恣意的だってはなしがあまりに冗長だったのを茶化した面もあります。まああまりどうでも良い点で、この議論をフックにして中枢系の話とかもうちょっとしたかっただけ。しかし反論がなく私もそこにふれなかったので誤解されたということですね。
 私が批判したいのは「言語の恣意性」から検証不能性を指摘してる点ね。
ここに反論があるなら「水伝を言語の恣意性から検証不能といてえかつ、社会心理などの命題は検証不能にはならないこと」を示してくださいな。

投稿: blupy | 2009年2月17日 (火) 04:10

>田部さん
またかぶりましたね。
で、その議論は中枢系があるから人は検証可能で、水はないから無理ってことですよね?
 それじゃ意味が違いますよ。
水に中枢系がないのがあきらかなら、検証不能なんじゃなくて検証するまでもなく間違ってるってことでしょ。検証不能ってのは命題的に「正しいか間違ってるか」検証し得ないということですよ。

TAKESANさんの議論をもう一回見てみると
>ある言語体系で、良い・好ましい とされる「機能を担わされている」語に選択的に反応して結晶を構成する、というのが原理的に成り立たない
のは
>言語の機能は物理的実体と必然的な結びつきが無い故に、あらゆる言語に通底する「良い言葉」が定義・定量化不能であるから。
だとしていますね。
 「良い言葉」の意味が言語文化によって変わりうるので、定義定量化できず、検証不能だとしてますよね?
 こういう議論が理解できますか。
 たとえば同じ「良い言葉」αの刺激を使ったとしましょう。それで有意な結果がでたと。でも「良い言葉」αとその意味とに必然的な関係がないのに、それが良い言葉によってっ出た結果だといえますか?
そういったとして、それを聞いた人が「良い言葉と免疫に関係があるらしい」といったとします。でもその意味はその人が「良い言葉」ときいて頭に浮かべたもので、もとの「良い言葉」αの意味とも違ってくるわけです。ならば、「良い言葉」αによって免疫が上がったという実験をしても、「良い言葉によって免疫が上がった」かなんてわからないといえませんか?これをいえない!、検証不能だ!というのがTAKESANさんが(本人が意図せず)いってることです。
  

投稿: blupy | 2009年2月17日 (火) 04:37

>blupyさん「だから最初の点は、TAKESANさんが言語が恣意的だってはなしがあまりに冗長だったのを茶化した面もあります」

「だから私は、TAKESANさんのこのエントリ記事はまず何より「“水も学習する/人間と同様に文脈を判断できる”という事は有り得ない」という主張を展開しているものだと思いました」と書いてあるコメントへの返信にそのような事を書くわけですか……。

TAKESANさんが最初に「えっと、これだけ色々書いてその読解は、さすがに無いと思いました」と書かれた時点で、「冗長なんじゃなくて、まさにその話をサルでも分かるように丁寧に書こうとした、まさにその話がメインであるエントリだったのかも……」と考える想像力がなかった点は、責められても不当ではないような気がしてきました。

なんとなく、さすがの私にも、どこに齟齬があって話が通じていないのかが分かってきたかも知れません。「“水も学習する/人間と同様に文脈を判断できる”という事は有り得ない」(けど人間にはそれができる)という事を読者に納得させる事が第一目的――水伝の検証不可能性の話は、あくまでそれがきちんと納得できているかどうかを試す例題の一つである――という事がまったく伝わっていないようですよ。>TAKESANさん

――いや、私の読解のほうが間違えているかも知れないわけですけど、blupyさんがお望み(2009年2月17日(火)00:06のコメント)の通り、一ギャラリーとして、TAKESANさんのこのエントリ記事をどう読んだか、正直に書かせていただきました。

投稿: 田部勝也 | 2009年2月17日 (火) 04:40

私の批判は、彼のエントリでなくて、彼が最初にした検証不能に関するコメントに対する批判が主だからね。
 そこはズレがあったといえますね。
多分、検証不能について、TAKESANさんの表現の問題、ということになるんだろうけどもっかいよく読んで見てください。
私は出かけるので数日書き込めません。

投稿: blupy | 2009年2月17日 (火) 04:52

ああ、なるほど。blupyさんはもしかして「水からの伝言」の主張をご存じないのかな。

>blupyさん「で、その議論は中枢系があるから人は検証可能で、水はないから無理ってことですよね?」

いえ、中枢系の有無は関係ありません。
検証に用いた言葉を当事者(当事水?)が「良い言葉」と判断しているかどうか、第三者が知る手段の有無を言っています。「水からの伝言」は結果と原因を分離できないので、水が綺麗な結晶を作った原因が「良い言葉」にあるのかどうか検証しようがない――という事です。

人間ならば、様々な「良い言葉」(とその人が判断する言葉)を使う事で、様々な形の対照実験が可能です。結果が、「良い言葉」(とその人が判断する言葉)に因るものか、別の要因に因るものか、原理的には判別可能と思われます。たとえば、「“良い言葉”(とその人が判断する言葉)が本当の原因ではなくて、音素の平均周波数の高低が結果の原因なのでは?」という仮説も検証可能です。「良い言葉」とその人が判断する多くの言葉(これはあらかじめ第三者が知る事ができます)と、同じく「良い言葉」とは判断しない多くの言葉(これもあらかじめ知る事ができます)を使って、それぞれ音素の平均周波数と結果とを比較してみれば良いわけです。
でも、「水からの伝言」の場合、《言語が恣意的である以上》、「綺麗な結晶ができた」という結果と、「水がその言葉を“良い言葉”と判断した」という原因を分離して、因果関係を検証する事が原理的に不可能に思われます(「綺麗な結晶ができたから、即ち、水はそれを“良い言葉”と判断した」というのが「水からの伝言」のロジックですから、循環論法から抜け出す手掛かりがありません)。

――というのが、先の私のコメント(↓)
http://seisin-isiki-karada.cocolog-nifty.com/blog/2009/02/dlit-c755.html#comment-54919430
の主旨だったのですけど……。

--------------------
余談ですけど、チャット状態でこんな時間まで夢中になってしまっていましたが(苦笑)、もう寝ます。それと私もしばらく仕事の都合でコメントできないかも知れません。blupyさんが「別に攻撃しているわけでもないし、急ぎませんので、以上の点を落ち着いて考えてみてください」「時間がかかってもよいので」といった事を何度もおっしゃってくれていますので(私宛ではないですけど)、それに甘えさせてもらいたいと思います。

投稿: 田部勝也 | 2009年2月17日 (火) 05:27

>田部勝也さん

寝ている間にすでにいろんなことが起こっていたようで、今から口を挟むのも何だなと思いますので、お訊ねの件について。

>>ちょっとびっくりしたので、黒猫亭さんにお聞きしたいのですけど、blupyさんの主張がそのようなものだと、黒猫亭さんはすんなり読解されたのでしょうか。

最初のコメントはそんなにわかりにくいものではなかったと思いますよ。それはつまり、今回のエントリのロジックは大まかに言うと「言葉の意味を理解すると謂うのはこれほど複雑なプロセスを経ている」と謂う話ですから、水にそんなことが出来るわけがないと謂うことを直接論証しているわけではなくて、それはまず在り得ないだろうと謂うのは常識的に抱く不審と謂うことになりますよね。

なので、今回のお話は「水が言葉に影響を受けると謂う理論の原理的な不審さ」を指摘したもの、と最初に表現させて戴いたわけです。この場合、何故不審を覚えるのかと謂えば、「水も学習する」と謂う別の論点の話を前提として否定しているからですよね。

だから「水も学習する」と謂う話に疑問を持たない人なら不審を覚えないだろう、と謂うのは割合筋の通ったご意見だろうと思いました。このテクストが、バックグラウンドを共有したニセ科学批判者だけに向けて書かれているのでなければ、そう謂う反論は在り得ますよね。

ですが、それはそれで別途説明すれば済むことで、「水も学習する」と謂う論点が別の問題である以上、別の説明を充てれば済む話ではあるだろうとも思います。一つのロジックで全方位の反論に対して対処可能なものではないですから、その都度別途説明していくと謂うプロセスが重要だろう、と。

また、このロジックだと検証不能性と謂う結論にストレートに繋がらないだろうと謂う指摘も最初にさせて戴きました。それに対してTAKESANさんは、

>>このエントリーの主眼は、基本的には文字認知と言語の解釈にはどういう仕組みが必要か、というのを論理的に考えていく、という所にあって、実は、水伝の検証不能の問題というのは、最初は一言も書かないようにしようかと思いました。「それを考えると」以降は蛇足、という見方も出来るかも知れません。

…と仰っていますので、ああプロセスが主であって結論が主じゃないのか、だったらこれは一種の示唆と謂うことだからこれで好いのかな、と思いました。ただ、プロセスと結論の間の飛躍をロジックの瑕瑾と視て、そこを批判する意見は出てくるだろうな、と謂うふうにも危惧したわけです。

実際、blupyさんも検証不能性を中心的な論点として議論されていますので、TAKESANさんが「蛇足」と表現されたものがやっぱり引っ懸かったわけで、その意味で不安が的中したな、と思った次第です。

そのままでは繋がらない結論を附け加えるリスクと謂うものもあるわけで、形式上必要なだけの蛇足や示唆的なニュアンスのものなのであれば、なくても好かったのではないかな、と思います。

ただまあ、この議論は結局解きほぐしようもなくこじれたのだと思いますしが、それはやっぱり噛み合わない理由を探り論点を共有しようとする議論になっていなかったからでしょう。どうも最初から、お互いに相手の発言の瑕瑾を指摘し合う性格の議論になっていたと思います。

投稿: 黒猫亭 | 2009年2月17日 (火) 08:15

皆さん、今日は。

レスを書いていたら、相当長くなってきたので、後でエントリーを上げると思います。

投稿: TAKESAN | 2009年2月17日 (火) 11:54

一段落されたようなので、改めて。こんにちは>みなさん
私は、水が例え言語を学習できたとしても、水伝の主張は成り立たないと考えます。これはblupyさん宛に上の方で――何だか一日で遙か彼方に行ってしまいましたが、確認される方はガンバってスクロールして下さい――書いた事ですが、blupyさんのお返事に返答してなかったので、「言葉の恣意性」の問題とはやや離れますが、お返事します。

最初に、どうも私や恐らくTAKESANとblupyさんとの間に水伝に対する解釈の喰い違いが見られるので御指摘させて頂きますね。
私の「言語文化に則って水が返事しているなら、江本氏の主張である『文化によらない「美」や「善」を水は明らかにする』は成り立ちませんね。」という疑問(大意)に対するblupyさんのレスが以下。
  ▼引用▼
>「江本氏は本来、文化によらない「美」や「善」の話をしている
 だったらいろんな文化で実験すればいいことです。
 ▲引用終了▲
 blupyさんは「文化によらない」を文化横断的な、と解釈されたようですが、これは水伝の主張とは微妙にずれています。水伝の主張はそんな常識的な物ではなく、TAKESAN言う所の
  ▼引用▼
江本氏の主張は実はそれより遥かに強く、善や美そのもの、と言うか、それが普遍的に存在する概念であるように看做している。ある体系内での価値あるいは機能では無く。
  ▲引用終了▲
むしろ文化超越的な価値判断を水が示さなければならない。むろん、「文化横断的」と「文化超越的」な反応は現象として同じになるのですが、それを「超越的だ」と無理くりねじ込んでいるのが水伝だ、という解釈です。「何が良い物か水で判定できる」という考えはまさしく水になにかしら超越的な反応を期待してのことだと考えます。思うに、順番が逆なんですね。先ず最初にあるのが「言葉は力を持っている」という確信です。で、水の結晶が言葉で変容した、これは言葉が物理的に力を持っている証拠だ!というのが水伝の主張の根幹で、良い言葉を使ったら綺麗な結晶ができた、美しい物には相関関係がある。そうか、言葉も必要ない、美しい物良い物には特有の波動が……に繋がる訳です。
 水が言葉を理解して「自ら」形を変えているなら、それは彼らの主張をかなり矮小化するでしょう。その場合、言葉は単に言葉として機能しているだけですし、真善美が介入する隙もありません。ただ単に、今までここは地球だと思っていたけど惑星ソラリスだった、と言うだけの話です。
 私が面白い見方ですね、と言ったのは、それが水伝に対して有効な「反論」になり得るんじゃないか、と思ったからです。上記したように「文化横断的」と「文化超越的」は観測される現象としては同じですから、「言葉に力? それ単に超知性水が空気読んで答えているだけだから」という主張に反論できないんじゃないかと思いまして(^_^;)。
 恐らくblupyさんの主張とは真逆になると思いますので、それがどうして「反論」になるのか、長くなりましたのでいったん切って、次で述べたいと思います。

投稿: T-3don | 2009年2月17日 (火) 13:50

続きです。
予めお断りしておきますが、ここ並びに上のコメントは、TAKESANのエントリー及びコメント欄で問題になっている言葉の恣意性とは直接関係ありません。私がここで論じていることは、一言で言うならblupyさんの
>「水も学習する」っていったら簡単に反論できませんか。
これに対し、例えそう(水が学習する中枢を持つ)であっても水伝は成り立たないのでは、と言う応答です。長くなりましたが、もう少しお付き合いください>みなさま。
さて。上では水伝の本質が「言葉(言霊)が物理的影響力を持つ事の証明」であり、水が言葉を理解して自ら結晶を変化させているのだとしたらその主張を矮小化する、と述べました。一番最初のコメントで私はより端的にこう表現しています。
  ▼引用▼
そもそも水に答えを聞く必然性が無いですねその辺にいる人に聞くのと原理的に変わらないから(^_^;)。
 ▲引用終了▲
 blupyさんには正しく伝わらなかったようですが、これは
  ▼引用▼
でも「いや水にも流動的で見えない中枢系があってそこで今までの日本人の会話から学習して判断できるんだよ」いわれれるたら意味無いですよね。
 ▲引用終了▲
このblupyさんの仮定を受け入れた場合、水伝がどのように扱われるかを表した物です。
 TAKESANのレスエントリーでも言われてますが、言語文化を共有することは同じハードを持った人間同士でも難しいものです。まして水がどのようにして共有できるのか大変疑問ですが、その点は置いておきます。その上で、言語を共有すると言うことがどういう事か考えてみました。
 まず、「共有」している以上お互いの中に同質な部分が含まれていなければなりません。最低でも人間あるいは水の考え、相手の言語文化をエミュレートできる必要があります。重要なのは「相互理解」で、これが一部でも成立しなければ、有効な情報を取り出すことができません。名状しがたい呻き声を分析した所でsan値が下がるだけ、と言うことです。
 瓶に張られた文字を読み取り、それがよい言葉かどうかを判断する、と言うのは相当に高度な理解が必要です。人間以外の動物では不可能でしょう。同じ人間であってさえ条件によっては困難です。そういった中枢存在をなんと呼べばいいでしょうね?
 簡単です。「人間」。水伝によると、水は江本氏に非常に近い価値観を持っているようですので江本氏とお呼びすればいい。
 それ以上の者だと仮定する根拠はありません。例え「色んな文化で実験」し、結果あらゆる言語に反応を示したとしても、結論は変わりません。全ての言語に精通した、翻訳蒟蒻的な、人間。
 「良い言葉」と価値判断している事から、その中枢は価値観を持っていると推定できます。その価値観が公正・中立であると誰が保証できますか? どういった方法で中枢「江本氏」の公正さ―あるいは、人類に対する有効度でもいいですが―を実証し得るでしょうか。答えは自明ですよね。
 公正でも中立でも有効でもない水が人間と同じように振る舞うと考えていけない理由もまたありません。綺麗な結晶写真を撮るのに苦労したこともむべなるかな、ですね。その「人間」に文字を見せること、つまり水伝でやっていることに、どんな意味があるのでしょうか。瓶に実際江本氏を詰めた時と反応は変わらないですよね(^_^;)
 言語文化を共有する、できると言うことは、そう言うことだと考えます。
 

投稿: T-3don | 2009年2月17日 (火) 19:03

T-3donさん、今晩は。

ちょっと話は違いますが、水伝って、綺麗な結晶を江本氏が選んでいるんですよね、そもそも。もちろん、別の所では、評定させたりしている訳ですが。祈りの実験でもそうでしたね。

投稿: TAKESAN | 2009年2月17日 (火) 20:02

TAKESANさん、今晩は。
瓶のどちらかに一人江本氏がいれば良いという話ですね(^_^;)。
例え水が言葉を理解していたとしても、結晶文字とかアタゴオルっぽいギミックを棄却して水伝レベルに現象を限定するなら、結局のところ結晶の形を人間が恣意的に判断するしかないんですよね。インプットはともかく、アウトプットの検証ができないと言う。水が言葉をどう理解しているのかは、やっぱり検証不能だと思います。
 思ったのは、江本はじめ水伝を受容している人は「言葉・愛・祈り、私たちの心がどれだけ万物に影響を与え、新しい世界をつくりだしているか」と考え(主張し)ている訳で、教義はあくまで「思いは実現する」何ですよね。水が答えを知っていると言っても、別に水が超知性体だと思っている訳じゃないし、むしろそうだと困るんじゃないか。
 だから、学習する中枢があって云々という反証は、荒唐無稽でもあるし、水伝の教義に対する後ろ弾にもなるんじゃないかと疑っています。

投稿: T-3don | 2009年2月17日 (火) 21:05

水伝は、アド・ホックな主張を繰り返し、論理的一貫性が無いんですよね。想念波動も波動も、水の記憶の可能性への言及も、全部アド・ホック。で、そういう説明をつけていくと、そもそもの主張と整合性が取れなくなる。もちろん、初めから整合性なんて無いんですよね。

それで、コンテクストを完全無視して言葉が影響を与える、というのを見るのは、出来ない。なぜなら、意味というのはコンテクストがあって初めて決まるから。

後、記号表現の実体的側面の多様性というのもありますね。インクで書こうが石を並べようが、あるいは血で書こうが、記号を構成する実体に関わらず、同じ記号表現として認知される。ここら辺についても、dlitさんが書いておられますよね。

ちなみに、「アタゴオル」という言葉を初めて目にしました。氷か何かを想起しました。これも恣意性のなせる業ですね(笑)

投稿: TAKESAN | 2009年2月17日 (火) 21:54

すいません。一晩経って自分のコメントを読み返してみたら、脊髄反射的な思いつきを無秩序に書き散らしているだけで、論理的一貫性や主張の一貫性にかなり瑕疵があるような気がしてきました(個々のコメント・文章だけ抜き出して見れば、さほど変ではないかも知れませんけど、一連のコメントでの自分の立場とか論理とかがその場その場のものだけになっている感じがするんですね……)。

――そんなわけで、このコメント欄に書いた私のコメントは一度すべて取り下げます。

自分が何を主張したいのか、すべきなのか、もう少し筋道立ててまとめられれば改めてコメントするかも知れませんし、都合良く忘れて、何もなかった事にするかも知れません。大変傍迷惑な事をしでかしたのも、えらく都合のいい事を言っているのも自覚しているつもりですので、その点についての非難は甘んじて引き受けます。とりあえず、しばらく、「1日1コメント以内。または1コメントに最低1時間」を自分ルールとして課す事にします。

投稿: 田部勝也 | 2009年2月17日 (火) 22:18

すいません、注釈無しに使って言い言葉じゃなかったですね。
アタゴオルというのは、ますむらひろし著『アタゴオル物語』他のマンガの舞台です。人間大で二足歩行するネコと人間が森の中で繰り広げるファンタジーもので、もしファンタジーがお好きなら、読んで損はしないと請け負える作品です。
作中には波を文字にした「波文字」や、物体が旋律に見えるめがね等のギミックが登場します。
他には、アニメ版「銀河鉄道の夜」の原作がますむらひろしです。ネコが主人公だったので覚えている方もおられるかと。
失礼しました。

投稿: T-3don | 2009年2月17日 (火) 23:02

>田部勝也さん

まあ、コメントは、修正や撤回などについて融通を利かせられるので、そんなに厳し目のルールを課さなくとも良いかと。私が言う事でもありませんが。

特に、論理的に一貫性を欠いていた、と私は思いませんでしたが…。

>T-3donさん

あー、世界の名前なんですね。なるほど。

ネコが主人公だったのは、強烈に印象に残ってますね。

投稿: TAKESAN | 2009年2月18日 (水) 00:51

ここと「レス1」のやり取りは、終了します。もし、どうしても言い足りない事などがありましたら、掲示板にスレを立てましたので、そちらにお願いします⇒http://seisin-isiki-karada.bbs.coocan.jp/?m=listthread&t_id=19&summary=on

投稿: TAKESAN | 2009年2月19日 (木) 02:29

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/13103/28117850

この記事へのトラックバック一覧です: 言葉を理解する:

» [ブログ][ニセ科学批判][議論]言葉を理解することは、斯様に難しい。 [みつどん曇天日記(仮)]
 はじめに。TAKESANのコメント欄についての見解(と私のコメントの補足)は中見出し後です。頭の部分は馬鹿話ですので、興味ない方はいいから読め読み飛ばしてください。    先ずはお詫びと近況  えー、全国百人くらい? の風呂上がりのビールと当ブログが生きる糧であ... [続きを読む]

受信: 2009年2月18日 (水) 23:58

» [心理学]水伝「は言語の恣意性」の観点から検証不可能とはいえない [blupyの日記]
ことの発端はこのエントリにTAKESANさんが補足してつけたこのコメントでした。 Interdisciplinary: 言葉を理解する 水伝の検証不能性には、おおまかに2つの観点があると思います。 一つは、言語の恣意性の問題。語形と語義に必然的な結びつきが無い、という論理で、言語は本... [続きを読む]

受信: 2009年2月25日 (水) 13:44

« KAKURITSU | トップページ | レス1 »