無理がある
(考え中) : 「水からの伝言」をめぐって #3 - livedoor Blog(ブログ)
引用元文章(「水からの伝言」をめぐって)に対して心情的に共感を寄せる人にとっては、私の指摘は枝葉末節でどうでも良いことに映るかもしれません。なぜならば、心情的に共感していれば、私の指摘した点に対して違和感を抱く理由かないからです。
そういう問題ですか?
どう考えてもその読解は無理矢理だろう、という話なのでは?
水が言葉に反応するというのは、「なんとも驚くべき話」では無いのですか?
それは物理科学的に、「とんでもなく強い主張」では無いのですか?
「どういう意図」も何も無いと思うんですが。
そういうレベルでの読解なら、「何とでも言える」とはなりません? コメント欄の応答もね。
普段、あまりこういう事は言わないですが(批判する事と、実際自分が出来るかどうかは、別の話だから)、ちょっと「手本」を見せて欲しいです。ご自分がなさった指摘を全く受け付けないようなテキストというものを、書いてみて下さい。
書いてみてから、きくちさんの文章より優れているものだ、とアピールした方がいいのでは? 多くの人が、きくちさんのものより優れていると判断すれば、いずれそれが用いられ、きくちさんの文章が用いられる事は少なくなるでしょうから。
共感を寄せる人間は、内容以前に心情で判断する、だから、元々きくちさんに共感する人は、ずっとそうし続けるだろう、なんて言い分は通用しませんよ、当然。そこまでいくと、ソフィストです。
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批判を批判するのもいいですが、批判を批判する暇があるのなら「自分で適切な批判をする」方向を目指しても良いのではないか、と私は思う事があります。
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コメント
TBが届きませんね。
投稿: TAKESAN | 2009年1月11日 (日) 15:15
「きくちさんの文章は、水伝を信じていない者にとっては賛同できるが、水伝を信じている人が読んだら心情的表現が気になって同意することはできない」という単純な主旨の内容の記事に見えますが、何かそれ以外の深い意味でもあるのでしょうか。
投稿: やす | 2009年1月12日 (月) 09:29
やすさん、今日は。
仰るような、単純な意見の表明にしては読みが無理やり過ぎる、というのがポイントだろうと思います。
要するに、何かを批判するテキストは、それ(「何か」)に賛同する人が見れば気になる箇所を「探す」事はいくらでも出来る訳です。
ですから、じゃあ優れたテキストとはどういうものなのか、というのを見せて欲しいと思いました。リンク先のブログ主さんは、水伝を支持しているのでは無いので。
投稿: TAKESAN | 2009年1月12日 (月) 12:50
TAKESANさん、 こんにちは。
リンク先のブログ主のこのエントリに限って言うと、私には、「ニセ科学批判」に対しての悪意はそれほどには感じられず、むしろ建設的な批判であるような気がしましたが。
「どういう意図」というのは、「どういう読者層を想定しているのか」という意味ではないかと思います。そして、もし私が水伝を信じている読者層が厚い雑誌の編集者だったら、リンク先のブログ主さんのいうように表現を押さえてもらいます。違う読者層だったら、そのままにするかもしれません。
まあ、個人的にはきくちさんの文章には問題はないだろうと思いますが、違う印象を持つ人が水伝を信じていない人の中にもいる、ということがわかっただけでも、リンク先のエントリは有益であるような気がしますけれど。
投稿: やす | 2009年1月12日 (月) 18:06
いや、
▼▼▼引用▼▼▼
リンク先のブログ主のこのエントリに限って言うと、
▲▲引用終了▲▲
元々私はこれを前提していません。と言うか、その限定はしてはならないのでは?
そもそもリンク先のエントリーはシリーズですし、コメント欄でも様々なやり取りがある訳で、それを踏まえています。
余談です。
私が書いた、「ゲーム脳Q&A」は、リンク先の方がされたような指摘をなるべく受けないように、強い表現を出来得る限り排除したものです。あの書き方が、今の所の、私の限界です。(水伝関連では、「或る親子の会話」を書いた)
それでも多分、どんな指摘でも出来るでしょう。いかようにでも読めますから。
そもそも、誰に向けるかによって書きぶりは変わって当然で、それは やすさんも仰る通りです。
それで、リンク先では、勝手に読者層を想定して、どのようにでも勝手に読めるような読み方をしていないだろうか、という事です。
だから私は、じゃあどのような文が考えられるか、書いてみたらどうか、と言った訳です。手本はどんなものか、と。
仮に、誰が読んでも反発を覚えないような文を常に書くべきだ、という主張であれば、私はそれには反対、と言うか、それ以前に不可能です。
万能包丁は無い、というのは私がよく書く事ですが、ここでもそれを考えています。
この包丁はこうも使えてしまうではないか、という指摘より、この包丁はこう使うものだ、と見ていった方が、遥かに有意義ですから。
何にでも使える万能包丁は無いが、包丁セットを拵える事は出来るでしょう。
もちろん、誰が使っても怪我をしたり、刃毀れして切れないようなものは、よく見ていくべきですが。
※「万能包丁」って普通、具体的には三徳包丁を指すのでしょうけど、私がこの文脈で用いる時は、どんな食材にでも使える汎用のもの、という風に一般化しています。
投稿: TAKESAN | 2009年1月12日 (月) 18:30
TAKESANさん、 こんにちは。
私は別にリンク先のブログ主の意見に賛同している訳ではなく、ただ参考にはなるのではないか、と思っているだけです。
▼▼▼引用▼▼▼
仮に、誰が読んでも反発を覚えないような文を常に書くべきだ、という主張であれば、私はそれには反対、と言うか、それ以前に不可能です。
▲▲引用終了▲▲
これは仰るとおりですね。でも、「心情的表現」を抑えることによって読者層を広げることは可能だと思います。逆に、もし「心情的表現」が原因で、水伝を信じていない読者の心が離れていってしまったとすれば、「ニセ科学批判」にとって大きな損失といえるでしょう。
私はこの方のブログを見て、賛同はしないものの、「こんな見方もあるのか。」と思いました。賛成しなくても参考にする、というのは「ニセ科学批判」にとって最終的には有益ではないでしょうか。もちろん、TAKESANさんにとっては「参考にするような要素が見つからないから有益ではない」という意見も成り立つでしょうけど。
▼▼▼▼▼▼▼▼▼引用▼▼▼▼▼▼▼▼▼
▼▼▼引用▼▼▼
リンク先のブログ主のこのエントリに限って言うと、
▲▲引用終了▲▲
元々私はこれを前提していません。と言うか、その限定はしてはならないのでは?
▲▲▲▲▲▲▲▲引用終了▲▲▲▲▲▲▲▲
ブログ全体に賛同しかねても、個々のエントリや主張にある一定の共感を示すのは特に問題ないと思えるのですが、どうなんでしょうか。
投稿: やす | 2009年1月12日 (月) 19:54
TAKESANさん、やすさん、こんにちは。
あちらでもコメントしたのですが、私はあえて心情的表現を加えることによって内容が伝わる層も広く存在していると思っています。詳細を考慮するまでもなくトンデモないことなのか、と。明らかなトンデモ説まで同等に接していたら、正しいことが埋もれちゃいます。FAQはFAQとしてどこかに提示されつつ、いかにおかしいかということが伝わればいいのだと思います。
まとまった文章を提示することと、具体的な相手に届くことを目的とした対話は違うと思うのですよね。というか、違うべきです。
TAKESANさんがおっしゃるように、万人が納得するような書き方というのは不可能なんですよね。物を書く時は、どうしても対象を限定せざるを得ない。対象がひろがるほど、内容がどうしても薄くなる(そりゃ物書きのプロであればまた違うのかもしれませんが)。なので、やすさんのお気持(とあちらのブログ主の心情)はわかるんですが、実際は難しいです。
投稿: FSM | 2009年1月13日 (火) 00:02
あちらの方には実際に御自分で経験していただくのが一番だと思いますが、もう一つ期待できることがあると言えば、それはどう違和感を克服していったかを報告していただくことなんですよね。それはとても参考になる。
ただ、いまの流れでそれがどこまで期待できるか。「違和感がある」といつまでもおっしゃるだけでは、「じゃあどうしたらいいのさ!」としか言いようがないんですよねえ。
言うべきことは言ったと思いますので、しばらく私は静観するつもりです。毎回言うことが変わる某論宅氏に影響されて、首尾一貫しない「批判批判」を繰り広げるようにならないといいのですけど、私がこれ以上言っても逆効果になりそうだし。むしろ田部さんのようにストレートな物言いのほうが、あの方には伝わるのかもしれませんね。
投稿: FSM | 2009年1月13日 (火) 00:06
FSMさん、今晩は。
やすさんは、ご自分のコメントと(特に一番目のコメント)、私が書いた事を、今一度読み返して下さい。
私が言いたいのは、FSMさんとほぼ同じ事です。
投稿: TAKESAN | 2009年1月13日 (火) 01:03
>FSMさん
さ、さすがに、あの掲示板をいきなり紹介するのは、負担が掛かり過ぎなような…。
って言うか、統計とかの知識が無い人が見ても、もしかすると、どっちがおかしいのか解らない、という事になるかも。
どうも日本語の構成のレベルでおかしいようだぞ、というのは、ちょっと読み込まないと出来ないかも、と思ったり。
ABO FAN・SSFS・論宅・一人永劫回帰 の各氏は、完全に破綻した日本語を書く訳では無い、というのが厄介な部分かも知れません。
投稿: TAKESAN | 2009年1月13日 (火) 01:49
おはようございます。
ちょっとやり過ぎだったかな。(^^;;
ある程度まとまっていると、破綻しているのがわかるかな、と思ったのですが、初心者にはつらかったですかね。
お詫び(?)に、lets_skepticさんのブログを紹介しておきました。どうなるかな…。
投稿: FSM | 2009年1月13日 (火) 09:32
FSMさん、TAKESANさん、こんにちは。
なんか、また誤解されているようなのではっきり言いますが、私はリンク先のエントリを支持したり、賛同したりしている訳ではなく、その意見に一定の共感を示すことでニセ科学批判批判をしている人がどんなことを思っているのかが解って参考になる、と言っているだけです。ニセ科学批判をしている立場の人達からみれば、このような意見は言ってもらわなければ解らないので、ある意味「貴重な」意見ではないかと思いました。それが「適切な」意見かどうかは別問題で、それの判断基準に関しては私もほぼFSMさんとTAKESANさんのお二人と同意見です。
この方の問題点として、水伝問題に詳しくないのに批判をしている、ということがありますが、いままでのニセ科学批判批判者たちとは本質的に違うと思います。
まず、コメント欄の批判を批判として受け止めています。まあ、すべてに納得しているようではないですが、少なくとも歩み寄りの姿勢はみせていると思いますね。
次に、コメント欄での会話を通して学ぶ姿勢を示し、問題の本質を理解しようと努めています。これも、見ようによっては問題があるとは思いますが、今までのニセ科学批判批判者たちとは明らかに違います。
さらにFSMさんのブログを紹介したりして、風通しの良い環境を作っています。(FSMさんのブログ、拝見しました。すばらしい内容だと思います。)
以上のことから、もしニセ科学批判に疑問を持っている人達がリンク先のブログを読むことがあれば、かえって誤解を解くことができるのではないか、とも考えられます。
きくちさんの文章をブログで公に批判したのはフェアではないと思いますが、批判の内容自体は、表現に関するものなので、問題はないかなと思いました。たとえば、これぐらいの訂正が編集者から依頼されたとしても場合によってはおかしくはないでしょう。それが適切かどうかはまた別問題です。
きくちさんへの個人攻撃と捉えずに、FSMさんのように建設的意見として今後の参考にするという方法もあるのでは。
投稿: やす | 2009年1月13日 (火) 10:01
FSMさん、今日は。
あ、lets_skepticさんの所を紹介するのはベターですね。ちゃんと全体的に読んでくれる事が前提ですが。
私の掲示板は、ちょっとハードルが高過ぎですね(笑)
------
やすさん、今日は。
いや、だから……私がそもそも言っていない事を前提とされても。
▼▼▼引用▼▼▼
なんか、また誤解されているようなのではっきり言いますが、
▲▲引用終了▲▲
していません。そもそも、やすさんがリンク先に賛同したとしても、それは私がとやかく言う事じゃありませんし。
▼▼▼引用▼▼▼
その意見に一定の共感を示すことでニセ科学批判批判をしている人がどんなことを思っているのかが解って参考になる、と言っているだけです。
▲▲引用終了▲▲
あのような読解が存在した、という意味であれば、参考にする事は出来ます。特に共感を示す必要も無いかと思います。
※「あのような読解が存在した」という物言いが気に障る人もいるだろうなあ、とか思いながら書いてる訳です。
▼▼▼引用▼▼▼
ニセ科学批判をしている立場の人達からみれば、このような意見は言ってもらわなければ解らないので、
▲▲引用終了▲▲
ちょっと意味が取れませんでした。
▼▼▼引用▼▼▼
いままでのニセ科学批判批判者たちとは本質的に違うと思います。
▲▲引用終了▲▲
いままでの、というのが、論宅さんやSSFSさんを指しているのだとすれば、私はそもそも、あの方達と同じように看做している訳ではありません。
歩み寄り云々に関しては、また別の問題でしょう。ニセ科学を批判する活動一般を批判するのに、あまりにも無理のある読解に基づいた「違和感」を表明されているので、それは筋が悪過ぎるだろう、と指摘しています。
▼▼▼引用▼▼▼
きくちさんの文章をブログで公に批判したのはフェアではないと思いますが、
▲▲引用終了▲▲
いいえ、きくちさんの文章は元々公開されているので、それをブログで批判する事自体には、何ら問題はありません。
▼▼▼引用▼▼▼
きくちさんへの個人攻撃と捉えずに、
▲▲引用終了▲▲
誰もそう捉えてなどいません。なぜそう表現されるのか、よく解りません。
何度も言っていますが、ある活動そのものを批判するのなら、ある程度全体的に言説を把握した上で行うのが筋であろうという話です。
リンク先のブログは、ニセ科学批判に対する違和感の表明と批判的言及が目的のものなのですから、一つのテキストに関して ああいった読解をした事を披瀝して違和感の根拠とするのは、筋が悪いと指摘されてもおかしく無いと考えます。
投稿: TAKESAN | 2009年1月13日 (火) 12:33
TAKESANさん、こんにちは。
どうやら、私の方が勝手に推測していたようで申し訳ありません。
「ニセ科学批判をしている立場の人達からみれば、このような意見は言ってもらわなければ解らないので、」という部分は、「ニセ科学批判に懐疑的な人達がニセ科学批判文章をどのように思っているのかということは、当のニセ科学批判者には知る由もないので、ニセ科学批判に懐疑的な人達の率直な意見を聞けるのは誤解を解くためにも有効なのではないか。」という意味です。
「きくちさんへの個人攻撃と捉え」てしまったのは、単なる当て推量です。TAKESANさんがなぜリンク先のエントリに対して怒っているのかよくわからなかったので、これしか理由が思いつきませんでした。申し訳ありません。
▼▼▼引用▼▼▼
ある活動そのものを批判するのなら、ある程度全体的に言説を把握した上で行うのが筋であろうという話です。
▲▲引用終了▲▲
あの方は「ある活動そのもの」を批判しているのでしょうか。賛成できる部分もあるが、おかしいと思うところもある。そのおかしいと思うところは何か、というのを綴っているように読めますが。
▼▼▼引用▼▼▼
リンク先のブログは、ニセ科学批判に対する違和感の表明と批判的言及が目的のものなのですから、一つのテキストに関して ああいった読解をした事を披瀝して違和感の根拠とするのは、筋が悪いと指摘されてもおかしく無いと考えます。
▲▲引用終了▲▲
ん〜、どこが「筋が悪い」のかちょっとわかりません。揚げ足取りになっているということですか?それともある特定のテキストを使用して活動全体を一般化することで批判するのは良くない、ということですか。TAKESANさんは表現に非常に気を使っているのに一般化して批判されるのは確かに不公平ではありますよね。
「ああいった読解をした事」に関しては、私はそれまでは思いつかなかったけれども、言われてみれば、そのような読解も可能かなとは思いますね。とくに「無理がある」とは思いませんでした。
まあ、私がきくちさんの文章のようなものを書いたとして(書けないけど)あの方に批判されたら「どうもありがとう」といってしまいますね。実際にこの程度の指摘を受けるのはよくあることなので。これは日頃から文章表現に気を使っていらっしゃるTAKESANさんと、ずぼらな私との違いでしょうね。
投稿: やす | 2009年1月13日 (火) 14:47
堂々巡なので、この辺で。
投稿: TAKESAN | 2009年1月13日 (火) 16:50
お褒めにあずかり光栄です。>やすさん
まあ「大人なんだからさー」で終わる話でもあったのですが、いきがかり上、ちょっとおせっかいを焼きました。
ともかく、そういう層が反応する程度には批判というものが目に触れやすくなってきたのだろう、という指標ではあったのだと思います。
投稿: FSM | 2009年1月14日 (水) 00:50
リンク先に きくちさんが書き込みされたようで、これは良かったと思います。
どういう風にレスをされるかが興味深いです。ご本人とどういうやり取りをされるか。
それにしても、論宅さんが饒舌ですね。
投稿: TAKESAN | 2009年1月14日 (水) 01:05
信者に対する呼びかけとか、半信半疑の人たちに対する呼びかけとか、科学者に対する呼びかけとか、社会一般に対する呼びかけとか、文脈や空気を読めない(読まない)批判の仕方批判はもうお腹いっぱいなんで、私なんかが今更愚痴っても仕方ないんですけど、溜め込んでるのも体に悪そうなんで愚痴らせて下さい。
こういう人たちって、恋人に対して、街中をデートしているときと、気の合う仲間たちと一緒にいるときと、双方の親の前にいるときと、二人きりでベッドの上にいるときと、それぞれ態度を変えるなんて考えられないと思っているのでしょうかね。
山手線とかに乗ってて、「昨日の夜はボクに対してあんなに子猫みたいに甘えてたのに、電車の中ではボクに対して凛として振る舞ってるなんて、どっちのボクに対する態度が本当のお前なんだっ!? お前は二重人格者かっ!?」とか怒り出されたら、かなり嫌だよなぁ……。
投稿: 田部勝也 | 2009年1月19日 (月) 22:56
田部勝也さん、今晩は。
状況に応じて色々変えていくというのは、本来論宅さんのような人が主張するような事だと思うんですよ、実は。状況によってテキストの読まれ方は異なる、という相対性は、多分強く認識しているでしょうから。
なのに、何故だか、こういう風に書くべきである、というのを相当強く言っているんですよね。いや、一般的にこうあるべきだ、という主張はもちろんある訳ですけれど、なんかそれとは違うように思うなあ、と。
投稿: TAKESAN | 2009年1月19日 (月) 23:58
件の Blog に新しいエントリがあがっていますね。それを読んで、どうも eastcorridor さん、自分と水伝批判文書のふたつしかみてないんじゃないかなぁ、と思いました。
もう皆さんわかっていらっしゃることなんでしょうけれど、たぶん。
水伝が社会に与える影響を憂慮して両者の間に割り込むのを目的として作られた文書なのに、そのどっちもみてないとなれば噛みあわないのも当然ですよね。
まぁ、世の中にはそれよりはるかに上を行く、「至高の俺様」と「脳内愚民共」しかみえてないひとがいるようですが。
投稿: Seagul-X | 2009年1月21日 (水) 00:36
Seagul-Xさん、今晩は。
昨日読んで、うーん、となったのでした。
わたし的には、ある言説について述べる際に、1つ2つのテキストを読んだだけで、ひたすらそのテキストに関する感想を書いていく、というのが全く理解出来ないんですよね。
私は、ニセ科学について調べ始めた時に、kikulogのエントリー・コメントをほぼ全て読みましたし、きくちさん、apjさん、田崎さん達のWEBで読めるテキストも、相当読みました。
この人達はどういう主張をするんだろう、と考えた場合、色々参照するのは当たり前だと思うんですけどね…。
投稿: TAKESAN | 2009年1月21日 (水) 02:17