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2009年1月26日 (月)

ニセ批判批判 + 代案提示→ニセ科学批判者

昨日のエントリー 2008年1月27日追記:前日のエントリー⇒Interdisciplinary: 申し開き? についたコメントを読んで、前から思っていた事を。多分、この考えを持っている人は多い、と推測します。2008年1月27日追記:出来ればコメント欄も読んでね

complex_catさんの仰る通り、ニセ科学批判活動を批判する人で、ではこうしたらどうか、と具体的な批判活動の代案を示す人は、いませんよね。

実は、私としては、代案を示して現在のニセ科学批判一般を批判するのは無理だ、と思っています。

元々かなり広範囲な批判活動で、テキストも色々あって、向ける対象も様々なので、そもそもニセ科学批判と括って全部を批判するのは、不可能に近いんですよね。今まで誰もやっていない批判の仕方、というのを示すのも、多分出来ない。ああ、それはあの人がやってるよ、となるでしょうから。

で、それ(代案提示)をせずに批判活動一般を批判するとなると、メタメタな次元からものを言うしか無い訳ですよね。論宅さんみたいにならざるを得ない。概念そのものに無理がある、とかね。

もし、自ら批判の方法を具体的に示しながら批判批判をするとなると、その人は自動的に「批判者」に入らざるを得ない訳です。でもそれは、批判活動一般に疑問を懐いている人は、出来ないでしょう、おそらく。だって、批判活動を批判したいのだから。批判する集合に自分が含まれていちゃあ、堪らんでしょう。

※タイトル中の記号は、イメージです

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「科学論」カテゴリの記事

コメント

>>でもそれは、批判活動一般に疑問を懐いている人は、出来ないでしょう、おそらく。だって、批判活動を批判したいのだから。批判する集合に自分が含まれていちゃあ、堪らんでしょう。

これ、重要ですね。何度か言っていることなんですが、「人を批判することはよくないという批判」と謂うのは自己言及ですから、「クレタ人は嘘吐きだとクレタ人は言った」の類のパラドックスになります。

どういう批判が如何なる理由でよくないのかと謂う具体的要件を問う議論でなければ意味はないですね。で、不思議なのは「その批判は良くないよ」と謂う批判をする人は、大概お話にならない批判の仕方をするわけで、さしたる根拠もなく「そう思う」レベルのふんわりした話をするんですよね。その程度の怠惰な姿勢で他人を批判することのほうが、一般論としてよっぽど問題だと思うんですが。

投稿: 黒猫亭 | 2009年1月26日 (月) 00:45

メタメタなものですね。言い得て妙<ふんわり

具体論を含めずに批判するのは、実質的にあまり意味が無いですしね。

○○はこういう理由でけしからん、と言って、その○○に何でも当てはめられるような批判しかしないし、様々な前提が成立して初めて意味を持つものだったり。

後、言ってもいない事をいくつも積み重ねて非難する、というものほど面倒なのは無いですね。された方の徒労感はなかなかです。

投稿: TAKESAN | 2009年1月26日 (月) 01:27

こんにちは。
「批判方法」に関しては、いつも悩んでいる私には、とても興味深いエントリーです。

私の場合は、
まず批判する前に
相手に何を求めているのかを自分で自分に聞きます。
つまり、
相手に警告したいのか、
あるいは相手と、そのテーマに対して考えたいのか、
或いは「ただ言ってみたい」だけなのか。(これは私の場合はあまりありませんが、、、)

次に場の問題。
リアルの知り合いであるか、ネットの匿名人か。

次に獲得目標。
リアルでは、譬えばPTAなどの場合は、実効ある批判をします。また政治のような生活の問題では、実際に政党に電話をかけて政策批判をします。
ネットでは、不特定多数の方に呼びかけることを念頭にいれています。

最後に決裂した場合、自分の実生活にどのような影響を及ぼすか。
リアルで一生を共にする夫や子ども、親戚の場合。
リアルの友人。
そんな相手では、なかなか決裂できないから、批判する前に、よくよく考えることと、最後まで粘る決意をもって話し合いを始めます。
ネットの場合は、私は3回までとしています。
これは私のたんに勝手に決めている回数で、相手によっては変ることもありますが、大方は相手の力量が分かるので、相手が正論の場合は、此方はもう言う必要はない。
相手が依怙地なら時間をかけても労多いだけだから、早々にやめます。


そして、一番最後の「こころがまえ」として、
そのことの批判は一回だけにしておく。
これはリアルでもネットでも同じです。

自分のなした批判が正鵠を得ていたならば、それ以上言及する必要はない。
間違いであれば、自分自身が反省して次に引きずらない。

こんな感じで、自分の中での「批判方法」を原則としています。


投稿: せとともこ | 2009年1月26日 (月) 09:35

せとともこさん、今日は。

個人の中でも色々な批判の方法・あるいは言い方などが、向ける対象によって変わってくるのだと思います。

WEBで情報発信すると、一般的には不特定に近い読者が対象になるので、なかなか難しい所ではあります。
もちろん、それを考え過ぎると、何も書けない、となってしまって、批判そのものが出来なくなりますから、フォローとして、FAQなどを充実させる必要がありますね。

投稿: TAKESAN | 2009年1月26日 (月) 17:26

「そのことの批判は一回だけにしておく。」(せとともこさん)

これは、相手の理解力や自分の表現力も相当の実力がある場合に、その上、場の設定や効果の読みまでうまくできている時でないと成立しませんね。きっと、そういう場合しか批判はできない、ということも言っておられるのだと思います。

私は、相手の立場なども考えて、要所を指摘したら刃を引く、というやり方でいいというつもりでいましたが、通じない場合がよくありました。ニセ科学批判の大物たちの議論を見ているとちゃんと相手を切り倒してあげていることが多いようで、そこまでやる必要があったのか、と勉強になりました。
(ただ、私はギャラリーを前にしたパフォーマンスは向かないようですので、地道路線でいくつもりですが。)

投稿: ちがやまる | 2009年1月26日 (月) 19:06

こんばんは。
示唆に富むコメントを頂き、考えるきっかけが、また増えて、とても嬉しく思っています。

さて、
そもそも批判とはなにか?
何故、相手の論を批判するのか、もう一度私なりに検証を試みました(検証対象は、
私の場合について書かせていただいた先のコメントについてです)。


そもそも批判とは何か?
私の場合は、
ある論に対して自説と、相手のそれとが違うとき、
私は○○と考えているが、あなたは違う。
どこが、どのように違うか、考えて、お互いによりよい説を組み立てましょう、、、という場合に、相手に批判、もしくは意見を求めます。

何故、相手の論を批判するか、
これは、将来的にマイナス、禍根を残すと考えたとき、
批判をします。
が、私の場合、多くはリアルの相手です。
つまり教育方針や政治問題云々での批判と言うか依頼をすることが
多いので行政に申し入れしたり、請願したりということになります。これはかなり精度が高く、意見を反映してもらえることがあります、、、
対個人は、あまり批判の対象にすることはありません。

さてさて、
頂いたコメントに、
「一回のみの言及では批判はできないのでは」と疑義の申し立てがありました。
はい。
批判はできないのではなく、それ以上はしないのです。
ただ、話の中で、流れで別の論点に移ったときは、その論点で話しますが、途中、必ず論点整理を行います。
そうしないと、裾野が広がるだけで曖昧になるからです。
と、言うことで必要最小限、自説を提起するということで対話を始めます。

さてさてさて、ニセ科学。
私が初めてニセ科学を知ったのは物理学会での菊池さんの講演です。
以来、ニセ科学の有り様には注目をしています。
また菊池さんや天羽さんに対しては敬意をあらわすものです。
その粘り強さには教えられる事、大です。
そして、なによりも教えられるのは、科学として検証なさるその姿勢です。
決してニセ科学を批判しているから敬意を表しているのではないのです。
科学者として、論を組み立てているからです。
つまり「論」を支持しているのです。


と、言うことで批判するためには、こちら側の論を盤石のものにすることが肝要ではと考えているのですが、
これが今の私の到達点です。

またお教え頂ければとても嬉しく思います。
では、、、またね!

投稿: せとともこ | 2009年1月26日 (月) 20:33

ちがやまるさん、今晩は。

>ちがやまるさん、せとともこさん

批判というのは、ごく一般的に言えば、ある意見なりの問題点を指摘する事、だろうと思います。

それで、実際に行う場合には、プラスα がある訳ですよね。どういう対象に向けるか、とか。

たとえば、ゲーム脳Q&Aは、(読者による、というのは当然として)ぱっと見、そんなに強い文章ではありませんけど、あれは強烈な批判になっているんですよね。

批判と非難との違い、なんかも結構話題になったりする所ですね。多くの人にとって、興味深いトピックなのでしょう。

------

ところで、ブクマでこのエントリーに、「投げっぱなし」というコメントを頂戴しました。

で、私の語感からは、エントリー内容に関してそういう表現がどう当てはまるのか解りませんでした。

もし、こうでは無いか、というのがあれば、教えて頂きたいです。※ご本人にも伺っています

改めて書きますが、このエントリーは、結局「代案を示す」というのは、ニセ科学という概念の措定(でいいのか?)に一定の賛意を示す事に他ならないから、ニセ科学という概念や、それに対する批判活動一般を批判するならば、具体的に「こうすべきだ」というのを示すのと両立するのは多分無理だろう、という事を書いたつもりです。

端的に言えば、代案や具体例を示しながら批判活動を批判する人は、多分「ニセ科学批判批判」という風には言われないだろうな、という事ですね。実際、具体例はニセ科学を批判している人が、沢山出していて、相互批判もしているのですから。

で、そういうエントリーに、「投げっぱなし」というのは、やっぱりよく解らないのでした。私の語感だと、「投げっぱなし」は、「人任せ」に近いのですが、違うのかな…。

投稿: TAKESAN | 2009年1月27日 (火) 00:31

>>ところで、ブクマでこのエントリーに、「投げっぱなし」というコメントを頂戴しました。

つい最近、似たような文体を見たような気がするんですが、はてなーには多いんですかね。

投稿: 黒猫亭 | 2009年1月27日 (火) 01:40

http://b.hatena.ne.jp/steam_heart/20090126#bookmark-11837589

▼▼▼引用▼▼▼
steam_heart いや、それはちょっと投げっぱなしすぎじゃないの?/いや、それ、「黙れば?」って言われかねんよ。括りがある限り纏めて批判されるよ。批判が正しくされているとは別問題。 2009/01/26
▲▲引用終了▲▲
意味がほとんど取れませんので、出来ればコメント下さい。
ごく短文の文章では特に、代名詞が何を指すか、他者にすぐ通じるとは限りませんので。初めの「それ」は、エントリーの主旨に掛かるのは何となく解りますが、後者は、上の私のコメント(TAKESAN 2009年1月27日 (火) 00:31)の説明に掛かっているのか、それとも前者と同じ事の繰り返しなのか、不明瞭です。

------

黒猫亭さん、今晩は。

あ、そうなんですか。うーん、私は、はてブとかは結構見る方だと思いますが、投げっぱなしという表現に心当たりはちょっと無いですね。

あ、後、皆さんに。

このエントリーで私が何を言っているか解らんとか、それは違うとか、そう思われたら、遠慮無く仰って下さい。

そんなに変な事書いている自覚は無いのだけど…。

投稿: TAKESAN | 2009年1月27日 (火) 01:48

おはようございます、No.4560です。

まずTAKESANさんには年末の僕の増田記事に関して、あらためて謝罪させてください。ごめんなさい。

ただ、反省しているわりには性懲りもなく昨晩2回目、3回目の増田さんになってきたところなんですが(汗 このコメントのURL欄とそのリンク先)。


「はてブ」は、まずそもそも議論には向かないメディア?ですよね。
そこでコメントに対して、質問で返すと、感情的反感を抱かれやすいのかな、という印象を持ってます。
(もちろん、この方については分かりませんが、僕からすると、そういうふうにも読めます。正直に書くと、最初のTAKESANさんのコメントでも見る人から見れば「ケチ付けるな」という感想を持たれやすいように感じました。)

僕自身「はてブ」は使っていないので的外れな意見かもしれませんが、「はてブ」で意味不明なコメントをもらって、そのコメントに対して「はてブ」でレスする場合は、質問形式じゃなくて、同じ主張(今回はこの記事)を繰り返しす形式を採用した方が良いんじゃないかなと思います。

このエントリに関してですが、(ちょっと引用します。)
--
もし、自ら批判の方法を具体的に示しながら批判批判をするとなると、その人は自動的に「批判者」に入らざるを得ない訳です。でもそれは、批判活動一般に疑問を懐いている人は、出来ないでしょう、おそらく。だって、批判活動を批判したいのだから。批判する集合に自分が含まれていちゃあ、堪らんでしょう。
--
これ、僕はたまにしたくなります。というか、たまにしています。

どう書けば良いのかな?
「批判活動一般」には疑問を抱いていなくても、「個別の批判活動」(※『だって、』の次にくる「批判活動」に関しては僕にはこう読むことも可能でした。僕の誤読なら指摘してください)に関してはやっぱり批判したいときは批判したいです。

「批判の仕方批判」だと思われるかもしれませんが、それでも個別のケースに関しては「これはやっぱりひどいんじゃないか?」と思ってしまうことがこれまで何度かありました。

投稿: No.4560 | 2009年1月27日 (火) 04:45

ああ、誤読ですね。最初から読めばこうは読めない。

せとともこさんのコメントを読んでいて思ったのですが、僕は基本的にはリアル世界で(僕自身が)面と向かって相手に言えないようなことはネット上での対話でも書かないようにしています。

投稿: No.4560 | 2009年1月27日 (火) 06:59

はてブは議論の場には向かないですね。
コメントを裏付けるものを示すことができないので(別途ブログとか持っていれば別ですが)。

投稿: pooh | 2009年1月27日 (火) 08:08

No.4560さん、今日は。

いや、もちろん、ブクマコメントで議論するつもりとかは無くて。

えっと、たとえば、「お前はバカだ」と言われて、「どこがバカなんですか?」とは、わざわざ問わない訳です。このエントリーにも「あたまがわるい」タグがついてますけど、一々、どこが頭が悪いんですか、なんて馬鹿な事は訊かないですし。

「投げっぱなし」という感想は意外、と言うか、よく解らないので訊きました。本当に意味が取れないんですよ。

poohさんへのレスに続きます。

poohさん、今日は。

steam_heartさんは、はてダを使っておられるし、ニセ科学論周辺には結構お詳しい方だと思います。

------

て言うか、steam_heartさんのコメントを普段興味深く読んでいるからこそ、どうしてそういう感想を持ったのかな、と思ったんですよね。

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後、このエントリーが前日の続きだというのが、意外と見逃されているような。
後でリンク貼っておこう…。

投稿: TAKESAN | 2009年1月27日 (火) 11:16

参考に、これを貼っておきます⇒http://seisin-isiki-karada.cocolog-nifty.com/blog/2008/08/post_a678.html

「ニセ科学批判批判者」というのは多分、メタメタな議論を重ねて具体論に踏み込まない論者、とうい意味を初めから含んで用いられる事が多いだろうなあ、というのが私の感想。
具体的には、論宅さんや、一人永劫回帰氏などが想起されるでしょう。そういう人達を指す概念として持ち出されてきた、という経緯もありますし。

投稿: TAKESAN | 2009年1月27日 (火) 11:45

こんにちは。

「「ニセ科学批判批判者」というのは多分、メタメタな議論を重ねて具体論に踏み込まない論者、とうい意味を初めから含んで用いられる事が多いだろうなあ、というのが私の感想」。と書かれたTAKESANさん。

そもそものあなたの意図は了解。
OKです。
と、言うか、そうであることは了解していました。
ただ、あなたのエントリーのおかげで私自身は随分と自分の中での整理ができたのですよ(o^-^o)
どうも、ありがとう、と言わせて下さい。


あっ、それと、先日の「細胞の意思」と「かっけ」の話。
本当に面白く読ませていただきました。
実はビタミンCについては、体内での動態について、細胞内での情報伝達やsignalling pathwayについて、その解明を研究している方から講義を受けて来たところなのです。
もう一度、拝見して、認識を新たにしているのす!!!
なお、団先生については、ハハハですぅ。
うううう====ん。

と、言う事で、これからも遊びに来ますので、楽しいエントリー待っていますね。
では、、、またね!

投稿: せとともこ | 2009年1月27日 (火) 12:23

「ニセ科学批判一般」をまとめて批判しようとしたら、メタな議論にしかならないのは、初めから明らかですよね。結果は「いったい、誰のことを言ってるの?」になっちゃう。

「ニセ科学一般」を批判しようとしたら、やはり同じような問題があって、だから「ケーススタディ」は重要なわけです。僕も一般論のようなことを言いますが、結局「そうは言っても、多様です」という話に行き着きます。
「ニセ科学批判批判」の人は、もっと「ニセ科学批判」のケーススタディをするべきなんですよねえ。


ところで、「そのことの批判は一回だけにしておく。」(せとともこさん)は、個人的関係の中では正しいのだと思います。ただ、ネットなどでは、むしろ「同じことを繰り返し言い続けなくてはならない」と痛感しています。消耗するので、嫌ですが。
科学者は「一度言ったから、それでよし」と思っちゃうんだけど、それは科学の論理であって、ニセ科学の論理は違うんですよね。

投稿: きくち | 2009年1月27日 (火) 12:32

>せとともこさん

整理に役立てる事が出来た、というのであれば、ありがたいです。いや、色んな読み方があるみたいなので、そこはちょっと考えどころかな、とも感じます(後述)。

団氏については、難しいです。色々ご教示を頂いて、なるほど、見方によっては、必ずしも意思という語を用いるのは問題では無い、というのも勉強しました。ポイントとしては、想定される読者の層と、具体的な論立てなのでしょうね。

------

きくちさん、今日は。

そうですね。具体性が無いと、反論や応答がちょっと難しいですし。

たとえば、これにはもうちょっとこんな感じで批判した方がいいんじゃないか、というと、解りやすくて有意義になると思います。
で、具体的に何かを採り上げて、それはまずいのでこういう風にすればどうか、という意見があれば、いや、そういうやり方は既にあって……となって、それに対してまた、確かにその分野ではそうかも知れないが、他の分野においては足りないから充実させてはどうか、なんてやり取りもあり得る。

実際、あまりの的外れ批判が見られるようになったから、ニセ科学wikiを充実させよう、という話になった、という経緯もあったりしますしね。

同じ事を繰り返すのは、確かにWEBなんかでは重要だと思います。

------

steam_heartさんから応答⇒http://d.hatena.ne.jp/steam_heart/20090127/p1

idコール使わなきゃ気付かれにくい、というのはその通りですね、確かに。何度か確認されるだろう、と勝手に推測しましたが、それはこちらの思い込みでした。

結局、「投げっぱなし」とは何を指していたのだろう…。

「レイシズム」って、用法はあれでいいのでしたっけ?

▼▼▼引用▼▼▼
「黙れ?」って言われて言うこと聞きます?想定自体が「アホくさい」です。
▲▲引用終了▲▲
これは、何の事を言われているのか解りませんでした。

私が「意味が解らない」と言う時は、5・6回読んで尚解らない場合なので、本当に掴めていないのです。

▼▼▼引用▼▼▼
批判には「代替案を出せ」というのは、相手に求めすぎです。
▲▲引用終了▲▲
言ったかなあ。ニセ科学を批判する人のやり方が大部分ダメだ、と言うのなら、具体的にこうしてみれば良いというのを提示された方が理解しやすい、というのはありますけれど。あまりにメタメタ過ぎるものには、ではどうするべきなの、と言う事は確かにありますね。
別に、批判するからには代案を出さねばならない、とは考えていないです。と言うか、どこかで、代案を同時に出さないと批判は出来ない、という論を否定したと思うんですけどね(多分このブログ。ちょっと記憶曖昧)。

▼▼▼引用▼▼▼
実際に「ニセ科学批判」と言うと、「具体例」ばかり提示されることが多いですが、
▲▲引用終了▲▲
え? いや、割合からするとそうなのかも知れないですが、
▼▼▼引用▼▼▼
「ニセ科学の見分け方をどう伝えるか考える」
▲▲引用終了▲▲
これが考察されていない事は無い、と思うのですけれども。

▼▼▼引用▼▼▼
初めから相手の話から学ぶ姿勢が無いように思えます。
▲▲引用終了▲▲
ここで言われている「相手」とは誰で、「話」とはどれの事でしょうか。
学ぶ姿勢に関しては、思うのは仕方無いですが。

>自分ならの話

私がそれらを実践していないと思われているのだとするならば、私の力不足なのでしょう。
と書くと、卑下みたいですが、はっきり言っておきますけど、私は、やっています。相当やってます。

▼▼▼引用▼▼▼
おおよそあのエントリかなと思っているものがありますが、
▲▲引用終了▲▲
あの……何の事だか判らないのですけど。給湯室の喩えは読みましたけど、そんな設定をされても困る、と思ったくらいです。

ニセ科学批判批判って、Genさんのエントリーとか、水伝騒動周辺の議論も絡んで独特の意味を包含しているのでは、と思って、それを前提にして書いているのですが、そもそもそれが変なのでしょうか?

ちなみに、「NKHH」という略し方をしたのは私ですけど、あまりにもジャーゴンみたいなので、止めました。たかぎFさん(でしたよね? 確かpoohさんの所で、だったかと)にも指摘されましたし。

投稿: TAKESAN | 2009年1月27日 (火) 16:04

レイシズム、は言いすぎでしたね。「身内と認識されるものに対して甘い判断基準」「外部に対しての厳しい判断基準」というものが「見えてしまう」ということを言いたかったんですよ。

「批判」という行動自体には、「代案」は必要なく、余分につけたら論点が広がるだけですよといいたいのです。
批判に付随するものとして、「代案」は具体的な事象でなくてもメタな話でも「作ること」まではは出来ますよね。

その点がご了解いただけないなら、「それぐらい考察してからエントリ書いてくれ、ニセ科学批判批判を『考察』するにはあまりに偏った見方のまま終わっている」という意味の「投げっぱなし」は分かってもらえないということでよいです。

ニセ科学批判の問題点のケーススタディなら、
「タイトルからしてイキナリ対話姿勢を見せていないケース」
http://seisin-isiki-karada.cocolog-nifty.com/blog/2009/01/post-4ad1.html
「ニセ科学批判の方法論についての批判なのだが、エクスキューズとか、「よく読めば分かる」「正しい」前提での話で、「身内への批判の甘さと見える」ケース」
http://d.hatena.ne.jp/lets_skeptic/20090122/p1

無論、正しいことは集団で叫ばれることが多いのですが、
「画面脳レベルのダメさですね、この人」などヘイトスピーチが多数派から漏れやすいので、
人格攻撃についてはキチンと批判でないものを分けないとその集団は人格攻撃を許容する集団に見えますよ。

投稿: | 2009年1月27日 (火) 18:52

>人格攻撃についてはキチンと批判でないものを分けないとその集団は人格攻撃を許容する集団に見えますよ。
失礼、
人格攻撃については、キチンと内部で批判しないと、その集団は人格攻撃を許容する集団に見えますよ。
に訂正いたします。

投稿: | 2009年1月27日 (火) 18:53

ココログフリーは、多分、名前入力必須の設定には出来ないので、出来れば投稿時に再度ご確認下さい。

▼▼▼引用▼▼▼
「タイトルからしてイキナリ対話姿勢を見せていないケース」
▲▲引用終了▲▲
・そもそもあれは、ニセ科学関連のエントリーではありません。ニセ科学関連のやり取りはコメント欄で始まった(端緒は違いますが)のです。

・tittonさんが、通常の議論が出来るような対象だと看做す事は不可能です。

後者に関しては、lets_skepticさんの指摘、あるいはエントリーには、そもそも私は納得もしていませんし、その事をコメント欄で書きました。
それらをもって「給湯室」などと表現するのは、的外れです。初めから賛同すらしていないので、コメンターも含めて給湯室の会話などと言うのは、全然違います。

引用前後します。
▼▼▼引用▼▼▼
ということを言いたかったんですよ。
▲▲引用終了▲▲
ニセ科学を批判するエントリーに対して苦言を呈し、エントリーを削除させた批判者もいましたね。ご存知ですか?

文脈を把握して頂きたいというのはあります。

批判活動に対する批判に関するエントリーを、大分以前から書いているから、というのもありますが、やはりその「投げっぱなし」というのはよく解りませんでした。

もう一度、自分のエントリーを読み返しましたが、特に破綻しているようにも矛盾があるようにも思えません。

投稿: TAKESAN | 2009年1月27日 (火) 19:23

もう一度書きますけど、「詭弁者」は、ニセ科学に関するエントリーではそもそもありません。コメント欄で、それと絡めたやり取りになったのです。
従って、タイトルに対話姿勢が……というのを「ニセ科学批判」のまずい事例と看做すのは、適当ではありません。普段ニセ科学を批判している者が見せた姿勢、というのであれば、全くその通りです。

コメント欄のやり取りそのものに関して言うと、私にとっては、あれが感情をなるべく抑えて書けるギリギリの所です。あらいさんや田部勝也さんの所でのやり取りを見て/参加して それを踏まえたものでもあります。

投稿: TAKESAN | 2009年1月27日 (火) 19:32

直上飛んで、二つ、私のエントリです。
名前が抜けまして申し訳ありません。


上記の件、そのようなお考えおおよそ了解いたしました。
追加して貴殿に言うことはありません。

投稿: steam_heart | 2009年1月27日 (火) 19:41

>TAKESANさん

上の名無しさんはsteam_heartさんだと思いますが、これだけ書いて戴いて漸く通じるようなことを一〇〇字で書けるものではないですよね。

ですから、steam_heartさんのほうもそれが正確にTAKESANさんに伝わることを期待してブコメを書かれたわけでもないと思いますし、そもそもブコメと謂うのはそう謂う位置附けのものでもないんではないかな、と思います。

もう少し気楽な感想と謂うのか、ブログで意見発信するのとはまた違って、その記事をブクマした理由の覚え書きレベルのものではないですかね。なので、個人的な意見としては、個別のブコメを採り上げてエントリを起こすと謂うのはあまり賛成は出来ません。

はてブユーザーじゃないので、オレの理解が妥当かどうかはわかりませんが、たとえば或るブロガーの書いた記事について別のブロガーが記事を書いたとしたら、どっちがどっちの読者と謂う立場でもないですよね。しかし、ブックマーカーと謂うのは、読者と謂う固定的な立場を明示した上で感想を述べていると謂う形になるのかな、と思います。

ネットと謂うのは基本的に双方向のものですから、普通は書き手と読者と謂う固定的な立場はないんですけれど、はてブと謂うシステムは、便宜的に「わたしは読者ですよ」「読者の立場で感想を言いますよ」と謂うエクスキューズが成立する仕組みを提供しているのではないかと思います。

その気楽さの故に、他ブログからの被言及よりは簡単に記事の反響を量ることができる、と謂うメリットを狙ったものなんではないですかね。他人のブログの記事に言及してブログでモノを言うのは本来はけっこうなコストですし、泥沼の喧嘩に発展するリスクが常にありますから、よっぽど言いたいことがある場合以外は言及しないですよね。そう謂う意味で、ブログの被言及だけでは、記事の反響がストレートに量れないところがあります。

その点ブコメだと気軽にコメント出来るから、ちょっと関心があったり引っ懸かった記事についてコメンタリー出来ると謂うことで、これはもうアンケートみたいなもんだと割り切ったほうが好いのだと思います。

そこでブクマされた記事の書き手が特定のブコメを採り上げて質問したり批判したりすると、作者が名指しで読者と議論しているような関係性が生じるように思います。

それがすべてダメだとは言いませんし、今回はsteam_heartさんもブログを持っていたりするわけですから例外でしょうけれど、上記のような感覚でブコメを書いている人が多いとしたら、いきなり直接対話に引き込むと謂うのも、いろいろ問題が出てくるんではないかと思います。

投稿: 黒猫亭 | 2009年1月27日 (火) 19:56

たぶんsteam_heartさんは、こうお考えになったのではと思います。

--以下推測--
いきなりタイトルでtittonさんを評して「詭弁者」とするのは、ニセ科学の定義やこれまでの批判の過程等知らない読者が見たら、「意見が違うと言うだけで非難している」と思うのではないか、それはニセ科学批判活動にとってマイナスではないか。
--以上推測--

と。「画面脳」についても、そのような意味ではないかと。

仮にそうだとして。

「詭弁者」とか「ダメ」といった表現は、はてブとか、例えばlets_skepticさんのところでの誠実さ云々のやりとりとか、さらには他の場所でのやりとりがあって、ここまで来ているわけです。

ただそうした評が、事情を知らない人に与える印象が悪くなる、というお話だとすると、そうかもしれないと思いますが、また、しょうがないとも思います。

というのは、ニセ科学批判は、様々な人が様々な場所で行っているし、テーマも枝分かれしたり、また集合したりして複雑になっているので、なかなか「そのような表現に至った理由」の妥当性を示すことは難しいからです。

難しいので、読者に対しては、「なぜ彼がそのように呼ばれるようになったか」を、積極的に調べていただければ、と願うところです。ニセ科学批判にたいして批判をする前は得に。

あと、「水伝もゲーム脳も知らなかったし信じもしないけど、なんか批判してる人の印象が悪いから私は水伝やゲーム脳を信じる」といった例は、私の知る限りでは、見たことがありません。

しかし、信じていた人が、ニセ科学批判文書を見て、間接的に自分の善意を批判されたと解釈して態度を頑なにしてしまった、という例は、いくつか見たことがあります。

ただ、そうした、間接的な例にどう対処したら良いかは、悩ましいところです。

投稿: A-WING | 2009年1月27日 (火) 21:17

最近の疑似科学批判者に感じるのは、新興宗教の下っ端信者と同じニオイなんだよね。その宗教の教義の深い内容なんてろくに理解しておらず、表面だけのセンセーショナルな部分だけ一生懸命布教している下っ端。大地震の預言とかね。

手軽なので何度も例に出してしまうけれどTAKESANさんなんかその典型だと思うね。一生懸命"疑似科学批判"という信仰のために活動している熱意は評価するけれど、どうも幹部レベルに昇進する実力は無さそうに見える。能力よりも努力をアピールって感じだよね、たぶん自分が一番分かってると思うけど。

宗教が社会とトラブルをおこすのも下っ端の活動が最初だ。もちろん本当の悪は下っ端を巧妙に操っている幹部や教祖なんだけどね。疑似科学批判でいえば菊池さんとかだ。もちろん菊池さんの何から何まで有害だというつもりはない。むしろ尊敬できる部分も多い。しかし残念ながら最近は社会にとって益よりも害の方が上回ってきたな、と思う。

信仰宗教だってまんざら害だけではない。しかし害の部分が批判される。疑似科学批判も同じ。益の部分は確かになる。そもそも疑似科学批判はそれを行う個人にとってはメリットよりもリスクの方がはるかに大きいわけで、にもかかわらずそれを行っている菊池さんはその点立派だ。しかしだからとって有害な部分に目をつぶるわけにはいかない。

投稿: titton | 2009年1月27日 (火) 22:09

>しかし残念ながら最近は社会にとって益よりも害の方が上回ってきたな、と思う。

 感想文だけじゃ意味がないよ。相変わらず具体例が出てこないね。

 害の具体例を、金額込みで見積もってもらいたいんだけど。

投稿: apj | 2009年1月27日 (火) 22:44

tittonさんは、相変わらず下らない煽りがお好きな様ですね。そういう事を言う同じ口で
>だからとって有害な部分に目をつぶるわけにはいかない。
なんて正義派ぶってみせても、それじゃ単に説得力が無い意見というだけの事ですよ。これまでの態度とも整合性が取れませんし。
もし本当に社会正義の実現とかそういう類の事を少しでもお考えなら、まず御自分の文章を何とかすべきだと思いますね。

もっとも、
>だからとって有害な部分に目をつぶるわけにはいかない。
という考え方自体には賛成しますよ。私も、まさに有害な部分に目をつぶる訳にはいかないと考えるからこそ、ニセ科学批判を行っているのですから。

まあ、それはそれとしても、一体、有害な側面を一切持たないものなんて、世の中にあるのかな?
それと、きくちさんの活動にまで言及するのなら、当然「ニセ科学」という概念も「ニセ科学批判」についても良く御存知の筈ですよね?いや、掲示板での発言を拝見した限りでは、到底そんな風には思えなかった訳で。

投稿: PseuDoctor | 2009年1月27日 (火) 23:07

おっと、tittonさんにかまけて、書こうとしていた事を忘れるところでした。

今となってはピンボケかもしれませんが、とりあえず2つの論点について、私の認識を書いておきたいと思います。tittonさんも読んでね。役に立つから。

まず「メタな批判はすべきではないのかどうか」について。
批判活動一般を批判するのがメタな視点になる、というのは必然ですが、必ずしもメタな批判を全否定するものではありません。TAKESANさんもかつて書かれていた様に「メタはスタート地点」なのですね。ですから最初はメタな話から始めても良いのですが、何処かで必ず個別具体例に言及すべきだと思います。
何故なら、もし本当に「ニセ科学批判全般に渡って共通する要素を抽出し、それに対して有効な批判を加えている」のであれば、その批判は全ての(とまでは言わないまでも、殆どの)個別事例に当てはまるからです。ですから、具体例を示そうとすれば、たちどころに多数の例を示せる筈ですし、万が一具体例を示せないとしても、批判された側も「確かに○○の例でも××の例でも当てはまる」と思い当たる筈です。
従って、具体例を示す事も出来ず、言われた側も具体例に思い当たらないのであれば、単にその批判は的外れである、という事になります。これまで、いつまで経ってもメタな立ち位置から動こうとしない人の批判はことごとく的外れであった、というのも、おそらく上記の理由によるものと考えます。

次に「代案を示さなければ批判してはいけないのか」について。
私は、最初から代案が必要だとは考えませんが、最終的には示されるべきというか、必然的にそうなるものと考えています。
何故なら、有効な批判とは問題点を的確に指摘している筈だからです。問題点の的確な指摘と代案の提示とは、極めて近い位置にあると考えられるからです。問題点を的確に指摘しさえすれば、代案とは「その問題点を修正する事」に他ならない。そういう形で代案が示せないとすれば、それはまだ問題点の的確な指摘に至っていないか、あるいは批判そのものがダメである、という事だと考えます。
勿論、最初からその段階に達している必要はありません。だから最初から代案が必要だとは思わないのですね。でも議論が深まれば必ず代案の提示に辿り着ける筈ですし、そこまで深まらないのであれば、有効な批判とは言えないでしょう。

具体例を挙げてみましょう。steam_heartさんは代案を示さなくてもホメオパシーは批判できると仰っていますが、私は、代案を示せない批判は未だホメオパシーの問題点を正しく把握していないが故である、と考えます。
ホメオパシーの最大の問題点は「効果が無いものを効果がある様に言う」事です。もし「おまじない程度しか効果が無い」事が誰の目にも明らかであれば、そしてそれを十分に承知した上で「藁をも掴む」のであれば、それはその人の選択であり、非難する事は出来ません。ですから批判者が行なうべきなのは「ホメオパシーは効果が無い」という事実を広く知らしめる事です。
この点を理解していないと「批判者はホメオパシーの根絶を目論んでいる」という様な見当違いの批判批判につながったりするのです。

投稿: PseuDoctor | 2009年1月27日 (火) 23:20

おはようございます。

tittonさんのコメントで、「TAKESANさん」と「きくちさん」を入れ替えても読めますね。

「あんたって駄目ねえ」なら、誰に向かってでも言えるようなものかと。

投稿: zorori | 2009年1月28日 (水) 06:53

書くつもりではなかったのですが、
>tittonさん
表面的とおっしゃられますが、では教義の深いところでは、何か別のことが言われているのでしょうか?

センセーショナルと言われますが、おおよそ気付いていない人にとって気付かせようとする言動がセンセーショナルでないことはあるんでしょうか?

おおよそ「有益でもあり」「有害でもある」と言ってしまえば、社会の中にあるほぼ全ての事象に言えてしまうので、その主張は何も言っていないのに等しいのですが、それには気付かれているのでしょうか?

他、センセーショナルな新興宗教という喩えを用いて説明されるには、あまりに了解事項が少なく思えます。
そもそも、文意がエントリの主旨に対する反論でも同意でもなく、唐突に「出馬表明」を見せられたような印象です。
これ以上は完全にエントリの主旨から外れますので、ご自分のblogで為された方がよろしいかと思います。

投稿: steam_heart | 2009年1月28日 (水) 08:12

皆さん、今日は。

様子を見ながらやっていきます。ループになりそうなので、途中で止めて頂く可能性大。

------

>steam_heartさん

※これはsteam_heartさんへのメッセージなので、ここに絡めた議論を始めないようお願いします>all

このエントリーの補足を書いたので、よろしければご覧下さい⇒http://seisin-isiki-karada.cocolog-nifty.com/blog/2009/01/post-fd9c.html

後、こちらのブログで、私やtittonさんの考えが参照出来ますので、よければどうぞ⇒http://d.hatena.ne.jp/genb/

http://d.hatena.ne.jp/genb/20090122/1232576082
私のコメントあり

http://d.hatena.ne.jp/genb/20090122/1232576082
http://d.hatena.ne.jp/genb/20090127/1233053809
上記二つはコメント欄も参照

投稿: TAKESAN | 2009年1月28日 (水) 12:16

上の自分のコメント
▼▼▼引用▼▼▼
エントリーを削除させた批判者もいましたね。
▲▲引用終了▲▲
正確には、苦言を呈し、やり取りを経て、結果エントリーの削除に至った、という感じです。

不正確で申し訳ありません>関係した方々

投稿: TAKESAN | 2009年1月28日 (水) 12:26

こんばんは。

最初に、最近ちょっと気になっている点を。

TAKESANさん、最近、お疲れではないですか?
いや、表面的にはいつものTAKESANさんなのですが、何と言うか、少し気持ちがささくれ立っているというか「自分自身を追い込んでいる」様にも見受けられるのです。私の杞憂なら良いのですが。
私が言うのも何ですが、継続的に批判を行っていると、波が来ますよね。例えば何かをまとめた達成感からハイになったり、しばらくすると「どうも思ったより役に立っていないのではないか」とブルーになったり。そういう波が来る事自体は普通だと思います。なので落ち込んだ時は力を抜いて、楽に続けられるレベルに落とした方が良いのかもしれません。やっぱり「継続は力」ですからね。

TAKESANさんは、少なくともゲーム脳批判に関しては(お世辞でも誇張でもなく)日本で有数の人材だと思います。また事実のみを書くのであれば、もしこのブログが無かったら、私がたかぎFさんと連絡を取って「まとめWiki」を書かせてもらう事も無かったでしょう。仮にあったとしても、大幅に時期が遅れるか、あるいはかなり違った形になっていた筈です。
まあ、そういった事柄が逆にプレッシャーになる様では困るのですが、TAKESANさんがこれまでになさってきた事、そしてこれからなさる事は間違い無く有意義であると思いますし、非常に努力なさっているというのも理解しているつもりです。

忙しさに紛れてしまいそうな時は「初心に還ってみる」というのも良いかもしれません。
差し出がましい様ですが、御容赦ください。

----------
さて、一点だけご報告。
TAKESANさんもリンクされている
http://d.hatena.ne.jp/genb/20090127/1233053809
にコメントしてきました。向こうに書いた理由により、私はtittonさんが「今のままなら」今後相手をする事はありません。

ちょっと補足しようかとも思いましたが、このエントリに書くのも何ですし、まだまとまっていないものですから、後日掲示板の方にでも書かせて頂きますね。

投稿: PseuDoctor | 2009年1月28日 (水) 22:12

PseuDoctorさん、今晩は。

あれ、そう見えますか…。

えっと、少なくとも主観的には、ほぼ変わり無いです。
うーん、そう見えるのだとすると、書き方その他に、何か変化があった、という可能性もあるのかな・・。

自分で言うのも何ですけれども、私は、自分が書いた文章がどう読まれるか、という所まで考えながら書くので、(これまた主観的には)心理状態も、文章の書き方も、よくコントロール出来ている方だと思います。

いや、もちろん、感情の波は相当ある訳ですが、それがモロに出そうな時は、「書かない」という選択があるので、それを採ってますね。(多少出そうな時、出してもいいや、とやっちゃう場合はありますけれど、それもメタに認識している、と自覚していま……るつもりです。)

尤も、自身の心理的あるいは認識的な変化に気付かない、というのは一般的にあり得る事なので、こうである、とはっきり言えるものでもありませんけれども。

よろしければ、どこにそのような兆しを見て取ったのか、教えて頂ければと思います。直近の発言であれば、書いた時の心理状態は、ある程度記憶しているはずですので。


一応、こういうコメントが書けるような状態ではあります。ちょっとメタ認知みたいな話ですが。

投稿: TAKESAN | 2009年1月28日 (水) 23:08

お気遣いに感謝します。むしろ、ご心配をお掛けして恐縮です…。

投稿: TAKESAN | 2009年1月28日 (水) 23:12

外野が横から偉そうな事を言うのもナンですけど……。

ABO FANさんみたいにやり取りが(いろんな意味で)楽しい方ならともかく、あの方は「○○も知らずにいちゃもんつけてます。で、こういう主張のようです。以上おしまい」で済む人で(本人に対してもROMに対しても)、しかも典型的「かまって君」だから、こちらが言及の姿勢を見せなければ切る事だって簡単にできる人なのに、なんでそこまで追及するのかなぁ……とは思っていました。TAKESANさんがそれを見極められないわけないのに……とも。
正直、一ファン(笑)としては、あんな実のない不毛なやりとりにTAKESANさんの貴重なリソースを浪費させられているほうが苛立たしい(苦笑)。「困ったら、俺にでも振ってくれれば相手してやるのに」とか、ちょっと思ってました。不遜ですが……。

投稿: 田部勝也 | 2009年1月28日 (水) 23:58

うーん、TAKESANさんの主観として何も無いとすれば、これは私の杞憂でしょうね。元々ごく漠然とした印象に過ぎないので、具体的な根拠を示せる程のものではありませんから。
あ、敢えて言うとすれば「コメントに対するレスが減ってきている様に思えた」点でしょうか。勿論応答しなくても当然なコメントもあった訳ですが「あれ?」と思った事もありましたね。「コメント数が増えてるので見落としもあるのだろうな」とは思っていたのですが。

もしかしたら「心がささくれ立っていた」のは私の方で、その心理状態をTAKESANさんに投影させていたのかもしれませんね。

変な話題を振って済みません。

>田部勝也さん
まあ、私も「不毛な議論にこれ以上のリソースを割くべきではない」と思ったので見切りをつけた訳ですし「構って君」だというのも解っているつもりです。

ただ、genbさんの所のコメントにも似た様な事を書きましたけれど、私は、折角ある程度の知性を持ちながらそれを浪費している人を見ると、頭では本人の自由だと解っていても、無性に腹が立ちます。端的に言えば「勿体無い事すんな」ってところでしょうか。
(そういえば、前にもそういう事がありました)

例えば、この気持ちって、親の金を無駄遣いしているドラ息子を見た時や、食べ放題の店で自分のキャパシティも弁えずに取りまくって大量に食べ残す奴を見た時の気持ちに似ているのだと思います。だからつい、口を出してしまうのですね。
まあ大抵は不毛だと解った時点で止めるのですが、それでも「もしかしたら今度は通じるかも」とか思っちゃうのです。この類の事例に関しては、私には学習能力も足りないし、諦めも悪い様です(笑)。

投稿: PseuDoctor | 2009年1月29日 (木) 00:44

田部勝也さん、今晩は。

なぜ水伝は疑似科学では無いのか、という部分の理由を知りたかった、というのはあります。結果は、むちゃくちゃだった訳ですが。

------

>PseuDoctorさん

▼▼▼引用▼▼▼
「コメントに対するレスが減ってきている様に思えた」点でしょうか。
▲▲引用終了▲▲
ああ、なるほど。

えっと、多分ここ以外のコメント(と言うか・・以下後述)には、ほぼレスしていると思うので、それを前提すると…。

端的に言うと、tittonさんへコメントされた方へのレスを控えた、というのがあります。tittonさんに絡めて私がコメントすると、それにさらにtittonさんがレスして、文章量が爆発するのを懸念しています。もちろん、掲示板で一旦終わらせた、というのも踏まえている訳ですが(アドバイスを下さった黒猫亭さんにはちょっと申し訳無いですが、以下、tittonさんに関して、自分の考えを書きます)。

実は、最初からそれは考えていて、tittonさんに私が基本 短文で応じているのも、それが理由です。
しかしtittonさんの詭弁も大したもので、長文であっても短文であっても、どちらでも、ごちゃごちゃ難癖をつける訳です。

ならば、短文の方が、これ経済的。

それで、長文を物しているtittonさんに短文でしか応じない私の姿勢に疑問符がついたりする訳です。
はっきり言うと、私はそれが一番堪えるんですね。tittonさんとのやり取り自体は、特に何とも思わない訳です。ただ詭弁を弄しているだけなので。それに一理あるみたいな感想を持つ方がいるように見える(見えるだけなのかも知れないけれど)

私は、詭弁な人とやり取りしている際には、自分はこう思う、というのをあまり細かく書きたく無いんですね(もういいかな、と思って、ここでは書きますけれど)。好きなようにとらまえて、それからまた爆発させる訳で。

ある程度詳細に書くと、こういう感じでしょうか。

私が思うのは、tittonさんを買い被り(それなりにまともだと見る)、かつ見くびっている(それほどの詭弁では無いと看做す)方がおられるのかな、と。

という訳で、「詭弁者」も含めて、自分がどういう考えでコメントを書いたか、もし質問等がありましたら、説明をするに吝かではありません。

で、tittonさんは全スルーします。NATROMさんの所も含め、充分示されたので。

このコメントにいかように反応しようが、無駄だよ。

------

余談。

lets_skepticさんの所にも、ちらっと書いたのですが。

発言を部分的に見れば、おかしな事は言ってないのでは、という評価は、あまりすべきでは無いと思います。大概の文章は、そういう風に読めるので。つまり、当たり前過ぎる。特定の人物の文章というは、初めから総合的に読むしか無いのだと考えています。

問題は、発言を「部分的にしか読まない人がいる」事であって、発言を部分的に読めば納得出来る、などと解釈してあげる必要は、全然無いです。

詭弁とは、そういう反応を誘導するものでもあるでしょう。自分の認識が詭弁に引きずられていやしないか、というのは、常に考えておくべき事であると思っています。

※このコメントに関して、tittonさんに対する見解を含めて私にレスされたら、その部分にはレスしないかも知れません。自分はこう考えて書いた、というのは説明します。

投稿: TAKESAN | 2009年1月29日 (木) 03:07

▼▼▼引用▼▼▼
それに一理あるみたいな感想を持つ方がいるように見える(見えるだけなのかも知れないけれど)
▲▲引用終了▲▲
この部分、それに対して私が困惑していた、という風に補って下さい。

投稿: TAKESAN | 2009年1月29日 (木) 03:10

>私が思うのは、tittonさんを買い被り(それなりにまともだと見る)、かつ見くびっている(それほどの詭弁では無いと看做す)方がおられるのかな、と。
いやまさに私がそうでした。実際議論してみてわかりましたがこの不毛感は半端ないですね。なんつーか彼にとっちゃ議論に応じること自体が強化子になってるがこっちはなってない、非対称さからくるイライラというか。
 当初、あそこまで丁寧に対応していたTAKESANさんやNOTROMさんは偉大です。
 

投稿: blupy | 2009年1月29日 (木) 03:35

blupyさん、今日は。

基本的に、やらなきゃ解らないものだ、とはあまり言いたくは無いのですけれど、それでも、やってみないと解らない事もある、的な思いは、やはり持ちますですね。

非対称というのは全くその通りで、あれは、応じる側の責任では全然無く、詭弁を弄する人が「勝手」にそうするんですね。だから、そういう人とやり取りする際は、心構えを持たないと、結構精神的なダメージを食らうかも知れません。これは、ABO FANさんも同様でしょうね。

だから詭弁なんです。相手が制限する言い回し、あるいは論理の飛躍なんかを平気でして、議論におけるルールの共有とかを全く無視するから、初めから対称的になるはずが無いんですね。ですから、応じる側は、「あまり書かない」のも含めて、違う構えをとる必要があります。

投稿: TAKESAN | 2009年1月29日 (木) 11:11

こんにちは。

>ですから、応じる側は、「あまり書かない」のも含めて、違う構えをとる必要があります。

件のようなやりとりでは、読者の理解力に期待するしかないという段階が、やってきますね。手放すタイミングの見極め、というか、諦め、というか。

ウェザリングも、やりすぎると、たんなる「汚い模型」になっちゃいますからね。

投稿: A-WING | 2009年1月29日 (木) 12:40

こんばんは。
一般論に近い部分はこっちに書きますね。tittonさんに特化した感想っぽいもの(勿論tittonさんへの応答ではない)とかは、もしあれば掲示板の方に書きます。

>TAKESANさん
>それに一理あるみたいな感想を持つ方がいるように見える
これ、絶対あると思います。誰一人として納得(錯覚)させられないのであれば、そもそも詭弁ですらなく単なるデタラメになってしまいますので、相手が詭弁である限り、常に、相手にも一理あるとギャラリーに思われる可能性はあります。

もう少し言うと「どの様な主張に対してもそれなりに筋の通った反論をする」のは原理的に可能なのです。何故なら「あらゆる面から見て完璧に正しい主張など、およそこの世の中には存在しない」からです。ですので、誰のどんな言い分に対しても、一見もっともらしい反論は出来るのですし、それを「もっともだ」と思ってしまう人がいる可能性はあるのです。常に。

ではどうするか、というとlets_skepticさんの所で議論なされた通り、正解は無いのですね。万人を納得させるのは不可能ですから、常に手探りでやるしかない。ただいつも思うのは「多様性の強み」というのは大きいでしょう。TAKESANさんがされる様に「徹底的に短文で返す」というのは到底私には真似出来ませんし、ちょっとだけ試してみる事はあっても、基本的に自分のスタイルを変えようという気はありません。それぞれの人が「私は私のやり方でやる」というのに意味があると思っています。勿論その中には「相手に応じて違う方法を試すのが自分のやり方」だという人も居て欲しい訳です。ただ私は、自分のスタイルが非経済的だというデメリットには困ってますが。

>tittonさんを買い被り(それなりにまともだと見る)、かつ見くびっている(それほどの詭弁では無いと看做す)方がおられるのかな
これも、ありがちなパターンです。買い被るというのは相手の動機をある程度は信頼する事であり、見くびるというのは相手の知性と根性を見誤る事です。つまり、買い被りと見くびりは一見相反している様に見えるけれど、実は根っこは一緒なんですね。
その根っことは「議論の為の議論・勝つ為の議論を仕掛けてくる事」です。

今更かもしれませんが、私の考える「詭弁者の典型パターン」を書いておきます。

まず、わざわざ議論の為の議論を目論むくらいだから、概して頭は悪くない。少なくとも、知的能力の一部は平均以上です。その一方で、バトルが目的ですから、blupyさんが実感された様に、長引けば長引くほど勢いを増してくる。議論を「勝つ為の闘い」と看做していますから、消耗戦は望むところなのですね。
言い換えれば、議論それ自体が目的ですから、本人の主張は見せかけのものでしかない。その証拠に、相手が議論に応じると見るや、発言のどの部分にでも噛み付いてくる。上に述べた様に「一見筋の通った反論」は常に可能なのだから、論点が拡散するほど持ちダマが増える訳で、攻勢に立ちやすいのです。たとえ一点で詰まっても、すぐに、かつ、さりげなく論点を変えてしまえれば、殆どダメージ無く戦闘を継続する事が可能です。

ですから、対応としては「相手の主張を確認する」「具体例に言及する」「論点を絞る」というのはいずれも有効なのです。しかし勿論、相手もその事は解っていますから、なかなかこちらの思い通りに素直に主張を述べたり論点を絞らせたりしてくれません。
例えば「最初に自分の主張をきちんと述べない相手とは議論しない」というのはなかなか良い方法なのですが、それも「お前の言う事は間違っている!」としょっぱなから言い出す相手には通じ難いです(念の為書きますが、間違いを指摘するのが詭弁だと言っている訳ではありません。詭弁者にとっては、相手が議論に乗ってくれさえすれば、表面的な理由など何でも良いのです)。

後、余談の部分に反応するのも何ですが。
>発言を部分的に見れば、おかしな事は言ってないのでは、という評価は、あまりすべきでは無いと思います。
これ、基本的には賛成します。更に「そういう読み方をしてしまう人もいるという事も頭に入れておいた方が良い」という意味では、TAKESANさんとlets_skepticさんの間にも、それほど意見の差異は無い様に、私には思えます。
ただ、誤解されがちな点として「発言が矛盾を形成している場合には全体が信用できないので部分を取り上げて評価すべきでない」のと「単に複数の意見を述べている場合には、その一部にのみ賛成という事はありうる」というのは区別すべきだと思います。
ところが、矛盾を形成していないかどうかは、全体を見ないと解らないのですね。ですから「部分的に見れば」という意見に対しては、きちんと全体を見た上で矛盾を形成していない部分について述べているのか、そうでないのかを見極める必要が出てきます。

何だかゴチャゴチャして面倒くさいですよね。ですから結局は「部分的な評価は(なるべく)すべきでない」とした方が現実的です。
但し、議論のテクニックとして「○○という意見はいいよね~。僕も賛成だよ。正しいと思うよ。ところで、そうすると××という部分とは矛盾しちゃうんだけど、その辺はどう思うのかな~?(口調に深い意味はありません)」みたいに使うのは「アリ」だとは思います。つまり、部分的に賛成でも「部分的に見れば」という様な前フリをせずに「○○については賛成」と具体的かつ端的に述べるだけで良いのではないでしょうか。

投稿: PseuDoctor | 2009年1月29日 (木) 22:55

A-WINGさん、今晩は。

▼▼▼引用▼▼▼
読者の理解力に期待するしかないという段階が、やってきますね。
▲▲引用終了▲▲
まさにそう思います。それで、私は最初から、そういう風に考えていたのですね。なぜなら、ここでやり取りする以前に、田部さんや あらいさんの所を見ていたから。

構えというのもなかなか難しいもので、文章というのは、かなり幅広い読み方がなされますしね…。

------

PseuDoctorさん、今晩は。

以下、各段落ごとにレスを。


”これ、絶対あると思います。”
の段落へのレス

まさにそうですね。極端に言えば、誰もが納得しようが無い文章というのは、言語として読解されないに等しい訳で。


”もう少し言うと”
の段落へのレス

言語がそもそも多義的に読まれる、という性質からもそう言えますし、そもそも完全な知識を持つなどというのは不能ですから、そうなるんですよね。


”ではどうするか、”
の段落へのレス

ですね。詭弁者は「何でもあり」であるがゆえに、一般的に適切な方策というのを見出すのは難しい。

私のメソッドは、kikulogにおけるABO FANさんに対するものを、基本的に用いています。ABO FANさんとやり取りした経験というのは、やはり大きいです。おそらく、史上稀に見る詭弁者ですから。


ここから、自分の考えを書きます。

詭弁を弄する人とのやり取りにおいて、「もしかしたら自分の方がおかしい、あるいは相手の方が正しい、と思われるのでは」、という心配は、ほどほどにするべきなのだと考えています。
要するに、「どうしようも無い」と「割り切る」事です。ネガティブに言えば、「開き直る」って事ですね。そもそも言葉は多様に読まれるのだから、誰にも自分の意図が伝えられるのはあり得ない、と。

私はそもそも、詭弁者とやり取りする際にはそういう構えなので、実は、直接やり取りする部分に関しては、心理的な負担は、さほど無いのですね。


”後、余談の部分に反応するのも何ですが。”
の段落へのレス

私は、このようにイメージします。
つまり、一軒の家がきちんと建てられているか、という観点と、住宅が集合している所を俯瞰して見る、という観点。

前者、一軒の家が、という部分は、建築として整合する構造になっているか、とか、材料は破綻無く組み立てられているか、という風に見て、全体として評価しますよね。柱に良い材料を使っているから構わないでは無いか、という評価は不能。少なくとも、「家」という存在の評価においては。
私が詭弁者に対して論ずるのは、このイメージに基づいています。

対して、俯瞰して見る、というのは、あそこの家はよく出来ているが、そっちの家は出来が悪い、という風に見ていく、という感じでしょうか。多少無理矢理な喩えですが、映像的なイメージが沸けば、メタファーとしては成功です。

部分的に見れば、というのを進めていく所を私が危惧しているのは何故かと言いますと、ごくごく一般論であれば、それは正しいとしか言いようが無い、となってしまうからなんですよね。後、「事実」と照らし合わせなければ意味を持たない主張なのに、勝手な前提を設定して話を進める、とかですね。

投稿: TAKESAN | 2009年1月30日 (金) 01:07

zorori さんへ

> tittonさんのコメントで、「TAKESANさん」と「きくちさん」を入れ替えても読めますね。

これは「我が意を得たり!」という評価だね。問題点の本質部分はTAKESANさんが持っているものも菊池さんがもっているものも同じ。まあ菊池さんの場合科学面での検証が加わっているから、一見TAKESANは馬鹿(失礼w)、菊池さんは頭いい!みたいに見えるけれど、社会的な面を非常に安易に考えている点では両者は同レベルなわけだよ。そして俺が問題にしているのはまさにその点。TAKESANさんには益になるものがゼロで、菊池さんは益になる部分と害になる部分がある。しかしだから菊池さんは許される、と言うものではないわけ。

PseuDoctor さんへ

あなたには珍しくわずかに内容がある文章なので突っ込もう。今迄内心はあなたの相手をしてあげたかったのだが、いかんせん内容のない文章に反論するのは難しいので控えていた。

あなたをはじめとするここで疑似科学批判をしている人の多くが陥っている点が以下の言葉に集約されている。

> 誰のどんな言い分に対しても、一見もっともらしい反論は出来るのですし

まあ一理あるのだが、それを認めてしまえばその人の思考力の成長はそこで止まってしまう。なぜなら自分が相手に上手く反論できなくても、自分の至らなさを自覚し精進することを辞めてしまうからだ。問題は自分の主張の側に欠点があり相手を説得できないのか、相手が一見もっともらしいが健全でない手法を駆使しているから、うまく相手を説得できないのか、区別するのは非常に難しい。自分が一方の当事者ならなおのことだ。

自分の主張に至らない部分があり、もっと精進すれば完璧に近づける余地があるにも関わらず、「相手が詭弁を使っているからなんだ」と"楽な道"を選び自分を甘やかしてしまう。現に俺が詭弁を使っているかどうかはさておき、TAKESANさんをはじめとして少なくともここにいる人間は、俺を説得・論破することついては悲観的だろう。それは俺が詭弁が上手だからなのか、あなた方の主張が未熟な段階で頭打ちになっているのか、それは分からない。

しかし俺はいつもこう思ってるよ。相手が詭弁を使おうが何しようが説得できないのは自分が未熟だからであり、もっと精進すべきだ、とね。少なくともそうやって努力したことは自分にとって無駄にならないのだから。もちろん俺も無限に時間があるわけではないから、「この人との議論はここまでだな」と適当なところで打ち切る。しかし議論が終わった後でも俺は「なぜこの相手を説得できなかったのだろう」と暇を見つけては考えているよ。

相手を論破する方法を考えると言うことは、実は相手を理解することだ。相手がどういう考えに基づいてその主張を行っているかを解明しなければ、論破できない。それはしばしば相手の表面的な主張のみならず、相手のこれまでの人生経験や現在の状況や心理にまで言及することになる。それは見方をかえれば相手に対する人格攻撃にも写るかもしれないが、俺はそういうものも必要だと考えている。人は純粋な論理的な理由だけで特定の意見に固執することはありえない。必ずその背景にあるものがあるからだ。

まあ話がそれたけれど、自分を甘やかせるようなルールを導入してしまうと、たとえ自分は自分を甘やかしていないつもりであっても、いつの間にかそうなってしまうという話。だから安直な方法に逃げてはいけない。

> 私の考える「詭弁者の典型パターン」を書いておきます。

ついでに俺も詭弁について述べよう。最近は詭弁のパターンとかがリストアップされ、それに当てはめて「これは詭弁だ!」という人が多い。しかしそれは重大な問題がある。詭弁のパターンに当てはまったからと言って詭弁とは限らない点だ。これはいうなれば「うまい話には罠がある」みたいな注意喚起であって、それ自体は罠があるか否かの判断基準ではないからだ。「警戒すべき」ということであって、「黒である」ということではない。

そもそも詭弁とは健全な論法と区別を付けるのが難しいから詭弁として成り立っているのであって、そんな簡単に判断できるなら誰も苦労はしない。

> 議論を「勝つ為の闘い」と看做していますから、

議論は勝てなければ意味がない。正しい主張ならなおのこと勝たなければならない。論者の議論能力の未熟さで正しい主張が負けてしまったら目も当てられない。結局正しいという証明は議論に勝ち続けることでしか行えないわけで、「俺の主張は正しいんだけど、相手が狡猾な詭弁を使ってきたから負けちゃったよ」というのは、本当に正しい主張なのか誰もわからない。

たぶんその人と仲の良い人たちは「うん、そうだね。あなたの方が正しいと俺も思ったよ」といってくれるだろうけれど、それは証明にならない。それを認めてしまうと、本当は正しくない主張であっても共感者がいれば「自分の主張は正しいんだ」と錯覚し始める。そうなるとどんどん閉鎖的なグループ内で思想の先鋭化が始まり、行き着く先はカルトだ。

「勝ち負けだけにこだわるなんて…」と思うかもしれないが、それが唯一合理的にその主張の正否を判断できる方法なのだから、そうするしかない。負けても自分にはちゃんと理解者がいるからいいんだ、自分の方が本当は正しいんだ、と言い出したら、その理解者ともども間違った認識をもっていたら、どうやってそれに気づくことができるのか。

ここに集っている人たちはそういう傾向が認められる。それが俺が最初の方でいった「疑似科学批判がカルト化している」ということ。

投稿: titton | 2009年1月30日 (金) 05:38

科学なんかさぁ、「そんなことをわかりきってるだろう」とか「そんなの重箱の隅だろう」ということを、手間暇かけて一つずつ確認していくよね。それを「そんなわずかな不備な点をあげつらうのは揚げ足取りだ」とか言ってしまったら、今日の科学はなかったと思うよ。

もちろん人間のやることだから完璧というのはありえないかもしれないが、それに近づける努力は続けなければならない。TAKESANさんやapjさん、菊池さん、その他疑似科学批判をしている人は科学面については神経を使うのに、社会的な側面については科学の発達段階で言えば呪術のレベルの粗雑さだよね。

この前、生け贄を捧げたら雨が降った。だから今度も雨を降らせるには生け贄を捧げればいい。こんな段階だ。詐欺や社会問題を起こしたカルトが疑似科学を使っていた。だから疑似科学は社会にとって良くないのだ、と。

前に書いたと思うけど、性犯罪者の部屋から大量のアダルトゲームが発見された。だからアダルトゲームは取り締まるべきだ。韓国ではネットゲームのやり過ぎで死者が出た。だからネットゲームは有害だ。

こういう大ざっぱな考えで突っ走って良い社会ができると思うのか、もう少し考えるべき。

投稿: titton | 2009年1月30日 (金) 06:11

PseuDoctorさんがTAKESANさんのゲーム脳批判の功績を褒め称えていたので、ちょっとこのサイトのゲーム脳批判の部分を読んでみた。流し読みだけどね。

まあ、一生懸命書いているようだけど、量が多いだけで大味だよね。そして言っていることは基本的にゲーム脳の本から引用しつつ「そう言える保証はない」といってるだけだ。まあゲーム脳自体が根拠の薄弱な主張の連続なのでそういう批判になってしまうのは仕方ない(俺がやっても似たようなものになるだろう)。

しかしちょっとだらだら長すぎない?学生がレポートの枚数を稼いでるんじゃないんだから。あなたも紹介している斎藤環さんの説明で要点は言い尽くされてるよね。この人の文章は非常に簡潔にまとまっている。一方あなたは斎藤環さんの敷いた路線を踏襲しつつ、あなたが付け加えているのは「といえる保証はない」という繰り返しだけだ。

別に悪くはないけれど、これを持ってあなたをゲーム脳批判における有数の人材と呼ぶのはちょっと無理だな。せいぜい評価できるのは「熱意」ぐらいだ。そしてPseuDoctorさんが心の底からそう思っているなら、PseuDoctorさんの他人に対する評価能力がその程度ということになる。


投稿: titton | 2009年1月30日 (金) 06:39

おはようございます。

以前に、例え話の問題点がどこかで話題になったことがありました。

で、ふと思ったんですけど、諺も例え話の一種ですね。

「急がばまわれ」
「善は急げ」

「早起きの鳥は虫を得る」
「早起きの虫は食べられる」

ところが、具体例がどちらの例えに該当するかを説明しようとすると、ものすごく面倒です。簡潔に感覚的に説明しようというのが諺なのにとジレンマに陥ります。

私は、面倒な説明をねちねちと考えることは大事だと思う一方で、具体例がどちらの諺やたとえ話に該当するかは、大抵の人にはわかっているとも感じます。まあ、感じるだけですが。

大雑把に見れば同じような構造をしている具体例の片方が「善は急げ」に、他方が「急がばまわれ」に該当することもあるかなと。でもその説明は大雑把では難しい。

投稿: zorori | 2009年1月30日 (金) 07:14

>しかし俺はいつもこう思ってるよ。相手が詭弁を使おうが何しようが説得できないのは自分が未熟だからであり、もっと精進すべきだ、とね。

tittonさんは未熟だからもっと精進すべきですね。tittonさんはどなたかを説得できましたか?

投稿: NATROM | 2009年1月30日 (金) 11:49

tittonさん

>ここに集っている人たちはそういう傾向が認められる。それが俺が最初の方でいった「疑似科学批判がカルト化している」ということ。

 集っている一人です。
 ニセ科学批判の害があるというご主張ですので、具体的にその害を金額に換算して見積もって欲しいとお願いしたのですが、私のコメントだけ都合よくスルーですか?

 傾向が認められる→tittonさんが主観で勝手にそう思っているだけ、ですよね。
 個人の意見を,一般論のように語るのはあなたの悪い癖です。

 まあとにかく、あなたの仰る害の程度を、被害金額に見積もってもらえませんか?話はそれからってことで。

 水伝だって、悪徳商法に使われているわけで、ニセ科学の害の方は金額換算がある程度は可能ですので。

投稿: apj | 2009年1月30日 (金) 12:12

皆さん、今日は。

かなり予想通りなので、以降は掲示板でどうぞ⇒http://seisin-isiki-karada.bbs.coocan.jp/?m=listthread&t_id=15&summary=on

一旦は終わる、と宣言しましたが、書きたい事がある方もおられるかも知れないので、もうちょっとやりましょう。しばらくしたら終わります。

>さすがに「しつこい」、「くどい」、「面倒くさい」、「やり過ぎ」と思っておられるROMの方へ。

管理をするというのは、なかなか難しいものです。色々探りながらやって行きたいので、しばらく寛容に見て頂ければ、と思います。

投稿: TAKESAN | 2009年1月30日 (金) 12:37

NATROM さんへ

> tittonさんは未熟だからもっと精進すべきですね。

だから、俺はいつもそう思っていると書いてるじゃん?

> tittonさんはどなたかを説得できましたか?

何度か書いてるけどさ。たとえばあなたが中世の宗教一色の時代に、たった一人宗教と科学の相互の不介入を訴えたとして、それってすぐに成果が上がると思うわけ?

こういうことを言っている時点であなたが、いつも他人の尻馬に乗っているだけの人間だということが透けて見えてしまう。

投稿: titton | 2009年2月 2日 (月) 05:09

> 私のコメントだけ都合よくスルーですか?

そっちを読んでなかっただけだよ。

> 個人の意見を,一般論のように語るのはあなたの悪い癖です。

個人の意見として書いてるんだけどね。ん?「一般論と受け取られない誤解を招く表現だ」って?あなたはそういう論法が好きだね。あなたに限らずそういう論法を使う人は多い。「○○という主張は誤解を招きかねない」と。つまりこれを主張する人って「自分は賢いからちゃんと気づいたが、世の中には自分よりも愚かな人が沢山いて、そういう人たちは誤解するだろう」ってことだよね。

考えようによってはすっごい尊大な思考だと思うけどね。「自分が誤解しないなら他人も誤解しないだろう」ぐらいの謙虚さがちょうどいいと思うけどね。なにしろこの論法を使えば何だって正当化できるわけだから。あなたの言い方を借りれば「具体的に誤解する人を上げてください」と言いたいね。こういうのも一種のわら人形論法なんじゃないの?(笑)。

> 水伝だって、悪徳商法に使われているわけで、ニセ科学の害の方は金額換算がある程度は可能ですので。

ん~じゃあ原爆を製造可能にしたアインシュタインもその責任を問われるわけ?こういう水掛け論が好きなの?「無関係ではない」という論法で何もかも都合良く結びつけることの正当性はないと考えるべき。

投稿: titton | 2009年2月 2日 (月) 05:19

こんにちは、皆さん。

私はニセ科学批判について説明する時に、「消防署の方から来ました」といって火災報知器を訪問販売する悪徳業者が出たときに消防署が「消防署は火災報知器を訪問販売したりしません」と消防訓練の後の話で説明するなんて話を出します。

もちろん、消防署の人が言うのはそこまでですね。「訪問販売で高いの買って解約したい人は、1週間ならクーリングオフができます」も言わないし、「消費者契約法の第4条の誤認ある取引として契約を取消すことができます」なんて説明もしない。消防署の人がやるのは、あくまで、「消防署は訪問販売したりしません」というだけなんですね。後はそれを聞いた人が、そういう訪問販売に遭った時に「この販売員は消防署の関係詞やじゃない」と思ってそれなりに対処してくれることを願うだけです。そういう消防訓練に参加した人が家庭で「そんな訪問販売があるらしいから気を付けよう」と話してくれればきっと嬉しいだろうと思いますし、「そういえばお婆ちゃん一人暮らしだけどそんな訪問販売にひっかかったりしないかしら」と心配して何か対処してくれたらもっと良い。

なんていうかな、消防署員が「消防署は訪問販売しません」と言うだけなのが気に入らないという人も、たぶん、世の中には居るのだろうと思います。報知器に関する悪徳商法全てに全面的に責任をもって対処すべきだ、そのためには火事なんか放っておいても悪徳商法撲滅の方をやるべきだ、なんて人もいるのかも知れないと思います。

ただね、社会なんてのは、人の寄り集まりなんですよね。何で寄り集まっているかというと、それなりに助け合うことで楽に生きられるからのハズなんです。誰かが警告を発し、それを誰かが伝達し、必要な所に必要な警告が届くなんてのが社会というものの助け合いの本質の様に思うんですね。消防署員が悪質な訪問販売の撲滅に全勢力をそそがないから
けしからんという人は、たそういう社会の成り立ちをどこかで忘れているきがするんですよね。

投稿: 技術開発者 | 2009年2月 3日 (火) 08:31

その消防署員はニセモノですよ、と言って注意を促すものでもありますね。

投稿: TAKESAN | 2009年2月 3日 (火) 11:45

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