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2009年1月31日 (土)

水之巻を読む

最近、はてブ界隈において、Yahoo!知恵袋での武術・武器関連で超絶クオリティの回答がついている質問が話題になっていたので、私も何か書いてみようかな、と思いました。

ネタは、宮本武蔵の五輪書。中でも身体操法や刀の扱いが詳しく書かれている「水之巻」。これを読み進めながら、自分なりの解釈を書いていきます。

参照サイトはこちら⇒五輪書 水之巻1

宮本武蔵関連の様々な情報が収蔵されているサイトです。このようなコンテンツが手軽に参照出来る事に、感謝しなければならないでしょう。

今回は、こちらを引用しながら書きます。リンク先の註解も興味深いので、そちらも参照すると良いと思います。※引用部はそのままにしますが、地の文においては、適宜かなづかいや漢字表記を変更します。例:兩の肩→両の肩

3.目つき・顔つき・姿勢 より

 身のなり、顔は俯むかず、仰がず、傾かず、ひずまず、目を見出さず、額に皺をよせず、眉間〔まゆあひ〕に皺をよせて、目の玉の動かざるやうにして、瞬きをせず、目を少しすくめるやうにして、うらやかに見ゆる顔、鼻すじ直にして、少し頤〔おとがひ〕を出す心なり。首は後ろの筋を直に頸に力を入て、兩の肩をさげ、脊すじをろくに、尻をいださず、膝より足の先まで力を入て、腰の屈まざる樣に腹をはり、楔をしむると云て、脇差の鞘に腹を持たせ、帯のくつろがざるやうに爲す可しと云ふ教へあり。

目を見出さず、額に皺をよせず、などは、表情筋をリラックスさせていく事の重要性を説いているのでしょう。これは、表情筋の具合と心理状態に関連があると武蔵が経験的に感じてた事を示唆しています。あるいは、それが首から下の運動に関わる影響をも考慮していたかも知れません。これが心理学的・バイオメカニクス的にどの程度明らかになっているかは解りませんが、あまり凝視しない、などはよく武術で言われる所です。

首は後ろの筋を~、の部分以降には、中国武術における姿勢の要訣に共通する記述があり、大変興味深いです。すなわち、

  • 首は後ろの~→虚領頂勁
  • 両の肩~→沈肩(墜肘)
  • 背すじをろくに→立身中正※これは、むしろ全身に関するものでしょうか? 詳しい方がおられれば、教えて頂ければ幸い
  • 尻をいださず→尾呂中正

といった具合に。腰の屈まざる様に~、の部分は、丹田や腰の廻りの作りに関する教えと読めます。これらを、特に特殊な用語を造語せずに、あくまで日常的な言葉遣いで説明しようとする所に、武蔵の特徴があるようにも思えます。

膝より~、の部分は、少し解釈が難しい所。この書き方だと、なんとなく、脚~足全体に力が充実しているかのような感じがイメージされるように思いますが、武蔵は、おそらく「線」のような意識を持っていたのではないか、と考えます。

5.太刀の持ち方 より ※この部分に関しては、Interdisciplinary: 手の裡も参考にして頂ければ幸い

太刀の取り樣は、大ゆび人さしゆびを浮ける心にもち

手の内の基本。親指と人差し指はふわりとさせる。

丈高指はしめずゆるまず、藥指小指にて十分しむる心にして持なり。手の内にはくつろぎの有る事あしゝ。

中指はほどほど、小指と薬指をもって締める。そして、「くつろぎ」があってはならない、という事。これは、手の内と柄に隙間をもうけるな、という意味で、柔らかく剣を扱い、充分に剣の性能を発揮するよう操作するための教え、と見る事が出来ます。相手に超接近して刀で撫でるように斬る操法において、敵の身体と自身の刀との力学的関係を感じ取りつつ、より合理的に刀を操作するためには、掌と柄を充分密着させ、よりフレキシブルに運動させる用意が出来ていなければならないのでしょう。

これは個人的な見解ですが、刀を持つ際、指先に意識を持たず、指の一番先の関節(遠位指節間関節)で押さえるように持つ、という意識が肝要ではないかと考えています。即ち、柄を「挟む」ようにして持つ、という事です。手で刀をクリップする、とでも言いましょうか。

その後の部分では、太刀を扱う事の気構えと、どんな道具においても同様の操作が重要だ、という一般性の問題を書いています。「敵を切る時も、手の内に變りなく、手の竦まざるやうに持べし。」というのは、掌の筋肉に無駄な緊張をさせずに柔らかく馴染ませるのが重要だ、というのを示しています。

6.足さばき より

足のはこびやうの事、爪先を少しうけて、踵〔きびす〕を強くふむべし。足の使ひやう、時によりて大小遲速はありとも、常にあゆむが如し。足に飛足、浮足、ふみすゆる足とて、是三つ、嫌ふ足なり。

超重要事項。「爪先を少しうけて、踵を強くふむべし」の部分。これは要するに、足首の底屈(足の裏側に曲げる)を先行させてしまう事の戒め。あるいは、大腿骨の伸展を促す教え、とも言えるでしょうか。「あゆむが如し」というのは、心理的な事でもあるでしょうが、おそらく、すっすっ、と腹から脚を挙げる事の重要性を言いたいのだと思います。つまり、身法も含んでいる。

「陰陽の足」というのは、きちんと足を交互に踏む事で腰を切っていく、という重要性を言っているのかも知れません。また、居付くのは、剣術では即斬られるのを意味するので、いつでも身体全体を移動出来るようにする、という所も含んでいるでしょう。※合気道開祖口伝に、「腰の働きは両足にあり」、というものがある。

8.太刀の軌道 より

いわゆる太刀筋の話ですね。

ある程度の重量を持つ真剣だから、軽い棒を振るが如く振り回そうとすれば、刃筋が通らないし、身体にも無理がかかる、というのを言いたいのでしょう。肘を伸ばすというのは重要。新陰流においてもそういう教えがありますね。もちろん、解剖学的厳密に、全く屈曲しない、という話では無いですが。バイオメカニクス的な論理の指摘でありながらも、むしろ心理学的な話でもあろうと思います。つまり、肘関節をやたらに曲げ伸ばしして振ろうとするのを防ぐために、学習的に、「伸ばせ(曲げるな)」と指示した方が良いだろう、という論理。

18.流水の打ち より

一 流水の打と云ふ事
 流水の打と云ふは、敵合ひになりて競合ふ時、敵早くひかん、早くはづさん、早く太刀をはりのけんとする時、我身も心も大きになつて、太刀を我身のあとより、如何程もゆるゆると、よどみの有るやうに、大きにつよく打事なり。
 此打ち、習ひ得ては、慥〔たしか〕に打ちよきものなり。敵の位を見分くる事肝要なり。

※かなり独自の解釈を含むかも知れませんが、「動く」人にとっては、私の解釈も捨てたものでは無いのでは、と勝手に思ったので、敢えて書いてみましょう。リンク先の註解とは異なっています。

これは、おそろしく示唆に富む部分。武術において、身体をゆるめて崩れるようにする身法が重要だと知っている方には、

太刀を我身のあとより、如何程もゆるゆると、よどみの有るやうに、大きにつよく打事なり。

この部分の表現のあまりの適切さに驚かれると同時に、深く納得される事でしょう。

つまり、太刀は我が身体の後についてくるように操作する、というのが肝要。刃物で斬るという場合、どうしても、道具に意識が向いてしまい、剣先を早く相手に到着させたい、と思うものですが、それでは手打ちになる。そうでは無くて、身体を充分使い、滑落するようにし、鍔元から剣先を全て用いて斬るようにする。

ここでちょっと、イメージの活用を。

両手を刀の柄に縛り付けたまま、前にこけてしまったとイメージして下さい。前には、大きな障害物――岩とでもしましょか――があります。自分の身体が岩にぶつからないように、刀を用いていきましょう。

刀は薄い物体です。それを立てて身体を支えます。ほんのちょっとずれれば、刀身がパタンと倒れてしまいます。だから、薄い刀を、あたかも自転車で左右のバランスをとるかのように使っていきます。これが即ち、「刃筋を立てる」という事。こけながらだから、全身を使っていますね。鍔元から押し付けつつ滑らせるように(刺身を切るように)斬るのは、おそらく刀にとっても力学的に負担の少ないものだと思いますが、そこら辺を分析的・定量的に把握出来るほどの科学的・工学的認識を、今の所は持ち合わせていません。

最後の段落(「此打ち、」~)は、威力は大きいが隙もあるので、使い所には注意したい、といった感じでしょうか。

私は、「ゆるゆる」も「よどみ」も、バイオメカニクスの教えだと考えます。要するに、身体操作の問題。合理的に身体を用いた際の知覚をメタフォリカルに表現した、と見るのが妥当でしょう。よどみ無い、では無く、よどみのある、というのがすごく重要と見ています。つまり、さらっと水が流れるというようなイメージだけでは無く、もっと粘度の高い物がどろりと動くようなイメージ。

20.石火の当り より

我が太刀は少しも上げずに、

ここが非常に重要なポイントであると考えます。これは、刃物であるがゆえに出来る事でしょうね。南瓜に包丁の刃を当てたまま、それを両断する事は出来ますが、南瓜に木槌を当てたまま、それを離さずに南瓜を粉砕するのは、多分無理でしょう。

太刀の運動があまり見えないから、隙も生じにくいのだと考えられます。動きも読まれにくい。

22.太刀に替わる身 より

これは、上の石火の打ちと通ずる部分ですね。道具を振り回すというより、自身の身体を充分に動かしつつ、刀はそれに随うように運動していく、という事。ここら辺の論理は、高岡英夫 『究極の身体』に詳しいです(※学術書ではありませんので、あくまで、興味深い参考資料として捉えましょう)。

24.手を出さぬ猿 より

重要。手を出して何とかしようとし、全身の運用が疎かになるのを戒めています。秋猴の解説は、大変参考になりますね。私も今まで、腕の短い猿の事であろうと思っていました…。身法の観点からは、腕の短い猿とされれば、すんなり納得出来るんですよね。腕を先行させて使わない、という所と通ずるので。

25.漆膠の入身 より

超重要事項。

一 しつかうの入身と云ふ事
 漆膠なり。此の入身は、敵の身に我身能くつきてはなれぬ心なり。敵の身に入る時、かしらをも付、身をも付、足をも付、つよく付く所なり。
 人毎に顔足は早く入れども、身の退くものなり。敵の身へ我身をよくつけ、少しも身の間〔あひ〕のなきやうに着くものなり。能々吟味有べし。

斬り合いにおいて、漆や膠のように自分の身体を見立てて使う、という教え。敵に密着する。まるで体術の教えのようでもあります。ここでも、自分の身体を刀より先行させて運用する、という基本が見て取れます。密着した間合いで斬るには、刀を振るのは無理がある訳で、それこそ刺身を切るが如く、刀をズズズとスライドさせるように斬る、というのが肝腎なのでしょう。

28.体当たり より

これは、完全に体術の話。「行合ふ拍子にて」に関して、リンク先の解釈(「いきなり激突するという調子で、」)が妥当なのならば、敵の姿勢や心持ちの虚をついて入る、という重要な部分を示唆している、と読み取る事も出来ましょう。単にぶつかる、という意味だけでは無くて。ちょっと深読みし過ぎかも知れませんが。

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34の、多敵の位の所は、要研究。二刀の用い方とも関わってくる。図示されているような持ち方は、果たして合理的かな?

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取り敢えず、こんな所でしょうか。現代語に訳す際の誤訳というのは、なかなか難しい問題なのでしょうね。それによって解釈が全然変わってしまう可能性がある、というのは押さえておかなければ。

それにしても、武蔵はすさまじい天才ですよね。当時にこれほどのテキストを物したというのは、信じがたい事です。身法などに関しても、その具体性、あるいは明快さは、群を抜いていると思います。日常的な言葉を用い、メタファーを駆使して語る、という書き方。

参照して損は無い、または、私が参照した文献達↓

武蔵とイチロー (小学館文庫) Book 武蔵とイチロー (小学館文庫)

著者:高岡 英夫
販売元:小学館
Amazon.co.jpで詳細を確認する

宮本武蔵 実戦・二天一流兵法―「二天一流兵法書」に学ぶ Book 宮本武蔵 実戦・二天一流兵法―「二天一流兵法書」に学ぶ

著者:宮田 和宏
販売元:文芸社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

究極の身体 Book 究極の身体

著者:高岡 英夫
販売元:講談社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

後、昔DS社が販売していた、高岡氏のビデオ、私は一本しか見た事は無いですが、ものすごく参考になります。高岡氏の動きって、すごいです。なるほど、二刀はこう使えるのか、と思えます。ただし、入手困難かも。

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コメント

ちょうど良い機会なのでこっちも。

▼ 引  用 ▼
足のはこびやうの事、爪先を少しうけて、踵〔きびす〕を強くふむべし。足の使ひやう、時によりて大小遲速はありとも、常にあゆむが如し。足に飛足、浮足、ふみすゆる足とて、是三つ、嫌ふ足なり。
▲ 引用終了 ▲
ここなど新陰流の好習とやはり一致している訳ですね(浮足之位の所)。こういった部分の考察を重ねて探っていくのが肝要な訳です。そして、こちらでは「浮足」を戒めているけれども、全体を参照すると、明らかに同じ内容を言っている。という事は、同じ語を使いつつ意味合いが異なっていると考えられる。

投稿: TAKESAN | 2011年5月20日 (金) 23:37

続き。

その事について書いたのがこちら⇒http://seisin-isiki-karada.cocolog-nifty.com/blog/2007/04/post_c566.html

まあ、端的に言うと言語の恣意性です。同じ語が(バイオメカニクス的に)実は結構異なる現象を指している可能性に目を向ける。外形的に同じような姿勢でも内実は違う、てのが起こ得るのですね。
たとえば、上腕と前腕のなす角度が同じだとしても、そのポジションを維持するには色々な運動の形態があり得る(遠くから見るほど、あるいは衣服を着ていると、筋収縮の具合の異なりが視認しにくくなってくる)。

だからこそ、語の厳密な定義のコンセンサスをとって論理的に突き詰める科学の言葉が重要となる訳なのであります。

投稿: TAKESAN | 2011年5月20日 (金) 23:43

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