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2009年1月 7日 (水)

待つ?

FSMさんの所にも書いた事ですが。

論宅さん辺りが、ニセ科学がどのくらい広まっているか、などについて、それは社会調査によって調べられたのか、という言い方をしますよね。

あれってどういう意味?

どのくらい流布されているか、という所の現状把握の目的なら、それは有意義なものでしょう。

でも、論宅さんは、そうは書いていないようにも見える訳です。つまり、大きく広がっているのが確かめられた訳では無いのに批判して云々、という風に書いているように見えます。

素朴な疑問。

批判は、ニセ科学情報が社会に大きく広まるまで待て、って事?

そんな馬鹿な話はありませんよね、

もちろん、教育現場で使われているなどの事実の重みを考えれば、それだけで、問題として重視するに充分です。

論宅さんに関しては、そもそも社会調査論をどのくらい押さえているのか、大変疑わしい訳ですけれども。統計解析についても、果たしてどの程度の知識を持っているのか、と思います。

当然、現状に乖離した主張はすべきでは無いですが。確かめられてもいないのに、日本に住む人の○%はニセ科学的論を信じている、とかね(そういう調査は不可能な気もしますが)。

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「科学論」カテゴリの記事

コメント

相変わらず論宅さんは人の話を一切聞かない人ですね。一年前と主張がまったく変わっていないと謂うのは、一種ブレのない姿勢で清々しいくらいです。

たとえば「社会にニセ科学が蔓延している」と謂う場合、蔓延の程度を定量化しない限り批判すべきではないと謂うのは、まったく筋の通った主張ではないですよね。

論宅さん個人が「蔓延の程度が定量化されない限り、自分はニセ科学の危険性を認めない」と謂うのなら、それは「実際にリスクが現実化しない限りリスクの潜在を認めないし、仮想的なリスクには対応してはいけない」と謂う立場だと謂うことになりますよね。

それが個人の判断基準に留まる限りは、如何に愚かでも個人の自由ですからご勝手に、と謂う話なんですが、他者の批判を掣肘する論理には成り得ないですよ、と何度も何度も言われているはずですよねぇ。

多分この方は、無視出来ないパーセンテージで国民が罹患しない限り、新型インフルエンザに対する対策は講じなくて好い、そんなことに財源を投入すべきではない、と謂うお考えなんでしょう。

投稿: 黒猫亭 | 2009年1月 7日 (水) 18:03

黒猫亭さん、今晩は。

実はこの手の主張、一人永劫回帰氏(うま か とり の時代)の主張でもあるんですよね。

是非とも論宅さんには、ニセ科学を信じる人がどのくらいいるか、というのを調べる調査をデザインして頂きたいものです。

そして、何がどうであれば「ニセ科学を批判しても構わない」と考えているのか、意見を表明して欲しいですね。

いや、論宅流では、ニセ科学という概念自体が無意味なのかも知れませんが。

投稿: TAKESAN | 2009年1月 7日 (水) 18:33

 水伝なんて、浄水器のインチキ宣伝に使われているだけかと思っていたら、学校にまで蔓延しました。

 ニセ科学の「感染力」を甘く見てるのかなぁ>論宅さん。

投稿: apj | 2009年1月 7日 (水) 21:18

apjさん、今晩は。

よく解らないのが、水伝やゲーム脳に関して論宅さんはどう思っているのか、という所なんですよね。
以前書いていたのを見たような気はしますが、結局、あの過度のメタ論から、実際に社会的にどう対処すべきかを、果たして導けるのだろうかと。

あそこまで相対化したら、どんな言説があっても構わない、と言うしか無いと思うんですけどね…。

投稿: TAKESAN | 2009年1月 7日 (水) 22:38

要は、彼にとって現実的な問題ではないんですよ。それが彼自身が社会と隔絶した生活を送っているからかどうかはわからないとしても、少なくとも彼ら自身のリアルな感覚としての「ニセ科学」を経験していないから、わからない。想像力というのは本来ならそういうところで発揮すべきものだと思うのですが、それの欠如した人というのは、なんというか、「オラ、太陽が昇るのを見たダ、沈むのも見たダ。太陽の方こそ動いてるダ」な人からは脱却できないわけですよね。

……と、こういう「例」を書くと、「結局、太陽も動いているわけだから、それはそれで間違っている」的なひとつ先回りしたつもりのメタな反論を喜んでする人がいるわけですが。(^^;

投稿: hietaro | 2009年1月 8日 (木) 01:55

 こんにちは、今年もどうぞよろしくお願いします。

 論宅さんの深遠ぶりっこに引っ掛かってしまう方もおられるようで、ちょっと心配です。
 ブログ名の社会学玄論ですが、玄という言葉は社会学に対して不適当である印象を持ってしまうのですが、TAKESAN(さん)はどう思いますか?
 玄といえば、哲学というイメージがあるもので。
 三浦梅園を意識しているのかしら。
 
 

投稿: どらねこ | 2009年1月 8日 (木) 13:35

hietaroさん、今日は。

論宅さんの文を読んでいると、不思議な感じがします。具体的な話が滅多に出てこず、徹底的にメタぶっていますよね。なんて言うか、身近の事柄との結び付けがあまりにも見られなくて。

あまり想像力を発揮させていないというのは確かですよね。

------

どらねこさん、今日は。ことよろです。

あー、どういう意味でつけたのでしょうね。
由来は、仰るような、昔の文献からなのかな。
深遠な論を展開していく、という感じでつけたのかも知れませんね。

実証主義に凝り固まった社会学を一段メタな次元から語ってみせる、というような意思表示とか。

個人的には、むしろ「幻論」な気がしますけど…。

投稿: TAKESAN | 2009年1月 8日 (木) 15:58

あきらかに「実例に興味なし」でしょう。地に足のつかない話が好きなら、しょうがないのではないかと思います。
それで社会学ができるとは思えませんが。

投稿: きくち | 2009年1月 8日 (木) 21:45

こんばんは。
実例は(頭では)大事だとわかっているけれども、そんなことは下々の者(含む科学)がやればよい、という感じでしょうか。科学は社会学の掌の上で踊っているべき存在なのに、なにをエラソーに、というか。

もはやその結論ありきでなんとか科学を社会学(オレ流社会学ですが)の下に位置付けたいがために、ダメダメな議論が展開されているような気がします。

そうだと思うと、調査云々ということを言いだすのが理解できる気がします(言いがかりだな、ということで)。

それと、やはり私も想像力の欠如が大きいかな、と思います。「これが科学だと自分には思えない」からなぜか批判すべきでない、に飛躍する。社会学を標榜するのであれば、自分がどう思っているかとは別に社会でどう受けとめられているかを分析すべきなのに、なんか自分個人の判断を不当に一般化しているように見えます。それは結局身近にニセ科学にはまっちゃった人を見てないからじゃないかなあ…という気がします。
あるいは下々の者がどうなろうと知ったこっちゃない、なのかもしれませんが。

投稿: FSM | 2009年1月 9日 (金) 00:51

きくちさん、FSMさん、今晩は。

なんだか、パオロ氏が反社会学の(立場から)格好のターゲットにしそうな感じですよね、論宅さんって。(論宅さんはパオロ氏に言及してた気もするけど、忘れました)

実例とか実証とかに目を向けないで、何が社会学か、と思います。

この間も書きましたけど、ニセ科学論、あるいは一般的に科学を批判する人って、実験科学の方法に関する本でも紐解けばいいのに、と。具体的方法への言及が無いですからね。と言うか、出来ないのでしょうけど。

投稿: TAKESAN | 2009年1月 9日 (金) 02:20

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