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2009年1月に作成された記事

2009年1月31日 (土)

水之巻を読む

最近、はてブ界隈において、Yahoo!知恵袋での武術・武器関連で超絶クオリティの回答がついている質問が話題になっていたので、私も何か書いてみようかな、と思いました。

ネタは、宮本武蔵の五輪書。中でも身体操法や刀の扱いが詳しく書かれている「水之巻」。これを読み進めながら、自分なりの解釈を書いていきます。

参照サイトはこちら⇒五輪書 水之巻1

宮本武蔵関連の様々な情報が収蔵されているサイトです。このようなコンテンツが手軽に参照出来る事に、感謝しなければならないでしょう。

今回は、こちらを引用しながら書きます。リンク先の註解も興味深いので、そちらも参照すると良いと思います。※引用部はそのままにしますが、地の文においては、適宜かなづかいや漢字表記を変更します。例:兩の肩→両の肩

3.目つき・顔つき・姿勢 より

 身のなり、顔は俯むかず、仰がず、傾かず、ひずまず、目を見出さず、額に皺をよせず、眉間〔まゆあひ〕に皺をよせて、目の玉の動かざるやうにして、瞬きをせず、目を少しすくめるやうにして、うらやかに見ゆる顔、鼻すじ直にして、少し頤〔おとがひ〕を出す心なり。首は後ろの筋を直に頸に力を入て、兩の肩をさげ、脊すじをろくに、尻をいださず、膝より足の先まで力を入て、腰の屈まざる樣に腹をはり、楔をしむると云て、脇差の鞘に腹を持たせ、帯のくつろがざるやうに爲す可しと云ふ教へあり。

目を見出さず、額に皺をよせず、などは、表情筋をリラックスさせていく事の重要性を説いているのでしょう。これは、表情筋の具合と心理状態に関連があると武蔵が経験的に感じてた事を示唆しています。あるいは、それが首から下の運動に関わる影響をも考慮していたかも知れません。これが心理学的・バイオメカニクス的にどの程度明らかになっているかは解りませんが、あまり凝視しない、などはよく武術で言われる所です。

首は後ろの筋を~、の部分以降には、中国武術における姿勢の要訣に共通する記述があり、大変興味深いです。すなわち、

  • 首は後ろの~→虚領頂勁
  • 両の肩~→沈肩(墜肘)
  • 背すじをろくに→立身中正※これは、むしろ全身に関するものでしょうか? 詳しい方がおられれば、教えて頂ければ幸い
  • 尻をいださず→尾呂中正

といった具合に。腰の屈まざる様に~、の部分は、丹田や腰の廻りの作りに関する教えと読めます。これらを、特に特殊な用語を造語せずに、あくまで日常的な言葉遣いで説明しようとする所に、武蔵の特徴があるようにも思えます。

膝より~、の部分は、少し解釈が難しい所。この書き方だと、なんとなく、脚~足全体に力が充実しているかのような感じがイメージされるように思いますが、武蔵は、おそらく「線」のような意識を持っていたのではないか、と考えます。

5.太刀の持ち方 より ※この部分に関しては、Interdisciplinary: 手の裡も参考にして頂ければ幸い

太刀の取り樣は、大ゆび人さしゆびを浮ける心にもち

手の内の基本。親指と人差し指はふわりとさせる。

丈高指はしめずゆるまず、藥指小指にて十分しむる心にして持なり。手の内にはくつろぎの有る事あしゝ。

中指はほどほど、小指と薬指をもって締める。そして、「くつろぎ」があってはならない、という事。これは、手の内と柄に隙間をもうけるな、という意味で、柔らかく剣を扱い、充分に剣の性能を発揮するよう操作するための教え、と見る事が出来ます。相手に超接近して刀で撫でるように斬る操法において、敵の身体と自身の刀との力学的関係を感じ取りつつ、より合理的に刀を操作するためには、掌と柄を充分密着させ、よりフレキシブルに運動させる用意が出来ていなければならないのでしょう。

これは個人的な見解ですが、刀を持つ際、指先に意識を持たず、指の一番先の関節(遠位指節間関節)で押さえるように持つ、という意識が肝要ではないかと考えています。即ち、柄を「挟む」ようにして持つ、という事です。手で刀をクリップする、とでも言いましょうか。

その後の部分では、太刀を扱う事の気構えと、どんな道具においても同様の操作が重要だ、という一般性の問題を書いています。「敵を切る時も、手の内に變りなく、手の竦まざるやうに持べし。」というのは、掌の筋肉に無駄な緊張をさせずに柔らかく馴染ませるのが重要だ、というのを示しています。

6.足さばき より

足のはこびやうの事、爪先を少しうけて、踵〔きびす〕を強くふむべし。足の使ひやう、時によりて大小遲速はありとも、常にあゆむが如し。足に飛足、浮足、ふみすゆる足とて、是三つ、嫌ふ足なり。

超重要事項。「爪先を少しうけて、踵を強くふむべし」の部分。これは要するに、足首の底屈(足の裏側に曲げる)を先行させてしまう事の戒め。あるいは、大腿骨の伸展を促す教え、とも言えるでしょうか。「あゆむが如し」というのは、心理的な事でもあるでしょうが、おそらく、すっすっ、と腹から脚を挙げる事の重要性を言いたいのだと思います。つまり、身法も含んでいる。

「陰陽の足」というのは、きちんと足を交互に踏む事で腰を切っていく、という重要性を言っているのかも知れません。また、居付くのは、剣術では即斬られるのを意味するので、いつでも身体全体を移動出来るようにする、という所も含んでいるでしょう。※合気道開祖口伝に、「腰の働きは両足にあり」、というものがある。

8.太刀の軌道 より

いわゆる太刀筋の話ですね。

ある程度の重量を持つ真剣だから、軽い棒を振るが如く振り回そうとすれば、刃筋が通らないし、身体にも無理がかかる、というのを言いたいのでしょう。肘を伸ばすというのは重要。新陰流においてもそういう教えがありますね。もちろん、解剖学的厳密に、全く屈曲しない、という話では無いですが。バイオメカニクス的な論理の指摘でありながらも、むしろ心理学的な話でもあろうと思います。つまり、肘関節をやたらに曲げ伸ばしして振ろうとするのを防ぐために、学習的に、「伸ばせ(曲げるな)」と指示した方が良いだろう、という論理。

18.流水の打ち より

一 流水の打と云ふ事
 流水の打と云ふは、敵合ひになりて競合ふ時、敵早くひかん、早くはづさん、早く太刀をはりのけんとする時、我身も心も大きになつて、太刀を我身のあとより、如何程もゆるゆると、よどみの有るやうに、大きにつよく打事なり。
 此打ち、習ひ得ては、慥〔たしか〕に打ちよきものなり。敵の位を見分くる事肝要なり。

※かなり独自の解釈を含むかも知れませんが、「動く」人にとっては、私の解釈も捨てたものでは無いのでは、と勝手に思ったので、敢えて書いてみましょう。リンク先の註解とは異なっています。

これは、おそろしく示唆に富む部分。武術において、身体をゆるめて崩れるようにする身法が重要だと知っている方には、

太刀を我身のあとより、如何程もゆるゆると、よどみの有るやうに、大きにつよく打事なり。

この部分の表現のあまりの適切さに驚かれると同時に、深く納得される事でしょう。

つまり、太刀は我が身体の後についてくるように操作する、というのが肝要。刃物で斬るという場合、どうしても、道具に意識が向いてしまい、剣先を早く相手に到着させたい、と思うものですが、それでは手打ちになる。そうでは無くて、身体を充分使い、滑落するようにし、鍔元から剣先を全て用いて斬るようにする。

ここでちょっと、イメージの活用を。

両手を刀の柄に縛り付けたまま、前にこけてしまったとイメージして下さい。前には、大きな障害物――岩とでもしましょか――があります。自分の身体が岩にぶつからないように、刀を用いていきましょう。

刀は薄い物体です。それを立てて身体を支えます。ほんのちょっとずれれば、刀身がパタンと倒れてしまいます。だから、薄い刀を、あたかも自転車で左右のバランスをとるかのように使っていきます。これが即ち、「刃筋を立てる」という事。こけながらだから、全身を使っていますね。鍔元から押し付けつつ滑らせるように(刺身を切るように)斬るのは、おそらく刀にとっても力学的に負担の少ないものだと思いますが、そこら辺を分析的・定量的に把握出来るほどの科学的・工学的認識を、今の所は持ち合わせていません。

最後の段落(「此打ち、」~)は、威力は大きいが隙もあるので、使い所には注意したい、といった感じでしょうか。

私は、「ゆるゆる」も「よどみ」も、バイオメカニクスの教えだと考えます。要するに、身体操作の問題。合理的に身体を用いた際の知覚をメタフォリカルに表現した、と見るのが妥当でしょう。よどみ無い、では無く、よどみのある、というのがすごく重要と見ています。つまり、さらっと水が流れるというようなイメージだけでは無く、もっと粘度の高い物がどろりと動くようなイメージ。

20.石火の当り より

我が太刀は少しも上げずに、

ここが非常に重要なポイントであると考えます。これは、刃物であるがゆえに出来る事でしょうね。南瓜に包丁の刃を当てたまま、それを両断する事は出来ますが、南瓜に木槌を当てたまま、それを離さずに南瓜を粉砕するのは、多分無理でしょう。

太刀の運動があまり見えないから、隙も生じにくいのだと考えられます。動きも読まれにくい。

22.太刀に替わる身 より

これは、上の石火の打ちと通ずる部分ですね。道具を振り回すというより、自身の身体を充分に動かしつつ、刀はそれに随うように運動していく、という事。ここら辺の論理は、高岡英夫 『究極の身体』に詳しいです(※学術書ではありませんので、あくまで、興味深い参考資料として捉えましょう)。

24.手を出さぬ猿 より

重要。手を出して何とかしようとし、全身の運用が疎かになるのを戒めています。秋猴の解説は、大変参考になりますね。私も今まで、腕の短い猿の事であろうと思っていました…。身法の観点からは、腕の短い猿とされれば、すんなり納得出来るんですよね。腕を先行させて使わない、という所と通ずるので。

25.漆膠の入身 より

超重要事項。

一 しつかうの入身と云ふ事
 漆膠なり。此の入身は、敵の身に我身能くつきてはなれぬ心なり。敵の身に入る時、かしらをも付、身をも付、足をも付、つよく付く所なり。
 人毎に顔足は早く入れども、身の退くものなり。敵の身へ我身をよくつけ、少しも身の間〔あひ〕のなきやうに着くものなり。能々吟味有べし。

斬り合いにおいて、漆や膠のように自分の身体を見立てて使う、という教え。敵に密着する。まるで体術の教えのようでもあります。ここでも、自分の身体を刀より先行させて運用する、という基本が見て取れます。密着した間合いで斬るには、刀を振るのは無理がある訳で、それこそ刺身を切るが如く、刀をズズズとスライドさせるように斬る、というのが肝腎なのでしょう。

28.体当たり より

これは、完全に体術の話。「行合ふ拍子にて」に関して、リンク先の解釈(「いきなり激突するという調子で、」)が妥当なのならば、敵の姿勢や心持ちの虚をついて入る、という重要な部分を示唆している、と読み取る事も出来ましょう。単にぶつかる、という意味だけでは無くて。ちょっと深読みし過ぎかも知れませんが。

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34の、多敵の位の所は、要研究。二刀の用い方とも関わってくる。図示されているような持ち方は、果たして合理的かな?

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取り敢えず、こんな所でしょうか。現代語に訳す際の誤訳というのは、なかなか難しい問題なのでしょうね。それによって解釈が全然変わってしまう可能性がある、というのは押さえておかなければ。

それにしても、武蔵はすさまじい天才ですよね。当時にこれほどのテキストを物したというのは、信じがたい事です。身法などに関しても、その具体性、あるいは明快さは、群を抜いていると思います。日常的な言葉を用い、メタファーを駆使して語る、という書き方。

参照して損は無い、または、私が参照した文献達↓

武蔵とイチロー (小学館文庫) Book 武蔵とイチロー (小学館文庫)

著者:高岡 英夫
販売元:小学館
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宮本武蔵 実戦・二天一流兵法―「二天一流兵法書」に学ぶ Book 宮本武蔵 実戦・二天一流兵法―「二天一流兵法書」に学ぶ

著者:宮田 和宏
販売元:文芸社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

究極の身体 Book 究極の身体

著者:高岡 英夫
販売元:講談社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

後、昔DS社が販売していた、高岡氏のビデオ、私は一本しか見た事は無いですが、ものすごく参考になります。高岡氏の動きって、すごいです。なるほど、二刀はこう使えるのか、と思えます。ただし、入手困難かも。

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2009年1月30日 (金)

二律背反~♪

用意周到に策略を練り、かつ簡潔に(短文で)文章を書きたい。

しかし、短文にすると、そもそもその「用意周到さ」が隠れてしまう。それを知っているのは、基本的には自分だけ。自分の脳内にしか証拠が無い、という事。

だから、いかに用意周到なのかを表現する、つまり、それ自体を書きたくなる。後から言って、後づけだと言われるのは嫌だから。

そうすると、必然的に文章は長くなってくる。

従って、簡潔に自分の意見を言う、というやり方自体が成り立たなくなる。

というのがありますですね。なかなか難しいものです。頭の中を色々なものが渦巻いている人ほど、それを吐き出したいものだし。短いものを書くと、それだけしかものを考えていないのだろうと思われる、というのが頭をもたげる。

割り切ると楽になるんですけどね。

タイトルに何故♪が入っているか、解った人は天才。

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2009年1月29日 (木)

ミク氏ポーズ100(ウソ)選

今までMMDで作った、ミクさんの武術のポーズの画像を、いくつかまとめてみるよっ。

そして、ここは変なのでは、という所を指摘したりするよっ。

Battou1

↑抜刀準備。右手が返り過ぎ。

9

↑真っ向の切り下ろしの極め。左足首がおかしい。右手も変かな。

Yokomen1

↑横面の受け。このまま下方へ呼吸力で押し出せば、即呼吸投げになる。

Yokomen3m

↑上面図。外側へ流すから、足が前に出て上半身は外に流れるようになり崩れる。だから、素早く入れば、それだけで投げがうてるという寸法。 合気道で何が重要か、知ってます? 「角度」です。

Tukisankyo6

↑三教。実は、右手のポーズがコダワリ。鏡音氏の目もポイントなのだけど、これはどうでもよろしい。

Tukisankyo7

↑三教から投げをうつ所。順突きのような体捌き。実は、全身を波打たせるように動かすのと腰をひねるのがポイント。「螺旋」と表現する事も可能でしょう。

Tukisankyo2

↑順序が違いますけど、突きを避けて入身する所。先を取って、斜め前方に入る。大腿の関節はペン立てのような構造(ボールとソケットの関係、という部分が)である、というのを意識しましょう。剣と体捌きは同じ。足裏の操作重要。

Aikiage

↑合気上げ風。決して猫背ではありません。胸鎖関節の構造を考える事。肩は、背骨のポジションを維持したままでも、前後方向に相当動く。

Tatikote4

↑太刀取り小手返し。何気に、受けのポーズに凝った。太刀取りの時は、手を太刀ごと取るのがポイントポイント。

Musasi

↑ラスト。宮本武蔵の自画像とされているもの風。何? ただ眠そうでやる気が無いみたいだって? ふ・・・そんな事を言ってると、斬られるよ? ぶっちゃけ、ミクさんのモデルでは、これくらいの再現が限界。

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2009年1月28日 (水)

ニセ批判批判 + 代案提示→ニセ科学批判者(補足)

昨日のエントリーの補足。青文字が補足の部分です。

2段落目から。

complex_catさんの仰る通り、ニセ科学批判活動を批判する人で、ではこうしたらどうか、と具体的な批判活動の代案を示す人は、いませんよね。ほとんど見かけない、という事。「いない」というのが「全く無い」を示さない事は、日常的な使い方から補って下さい。

実は、私としては、代案を示して現在のニセ科学批判一般を批判するのは無理だ、と思っています。ここで「代案」とは、上の段落と対応している。「具体的な批判活動の代案」の意味。それを示しながらもニセ科学の批判活動全般(一般)を批判するのは無理だろう、と考えている。理由は下に。

元々かなり広範囲な批判活動で、テキストも色々あって、向ける対象も様々なので、そもそもニセ科学批判と括って全部を批判するのは、不可能に近いんですよね。今まで誰もやっていない批判の仕方、というのを示すのも、多分出来ない。ああ、それはあの人がやってるよ、となるでしょうから。要するに、「具体的な代案」を出して「こうすべきだ」と言いながら、「現状の批判活動一般」を批判するには、現状の批判活動の悉くが「まずいやり方」であるのを示さなくてはならないが、既に多様な角度から批判がなされているので、おそらくそれは無理(どういう具体例を示しても、どこかの分野でそれは既出だ、と言われる)だろう、と書いている。

で、それ(代案提示)をせずに批判活動一般を批判するとなると、メタメタな次元からものを言うしか無い訳ですよね。論宅さんみたいにならざるを得ない。概念そのものに無理がある、とかね。

もし、自ら批判の方法を具体的に示しながら批判批判をするとなると、その人は自動的に「批判者」に入らざるを得ない訳です。でもそれは、批判活動一般に疑問を懐いている人は、出来ないでしょう、おそらく。だって、批判活動を批判したいのだから。批判する集合に自分が含まれていちゃあ、堪らんでしょう。

私は、代案を示さなければニセ科学批判活動を批判してはならない、などとは言っていない。示さないで一般論に終始するのは非常に解りにくい、というのは思うけれども。そもそもこのエントリーは、代案を示しつつ一般的にニセ科学批判活動を批判するのは難しいだろう、と言っているのだし。

コメント欄で書いている、具体例を出せばそもそも「批判批判」とは呼ばれないのではないだろうか、という主張は、「ニセ科学批判批判」が、単に「ニセ科学を批判する活動や人間をさらに批判する」、という「文字通り」の意味では無く、ある独特の意味を持たされている言葉だと考えているから。田崎さんの水伝批判文書が発表された直後にそういう言葉が出てきた事に、思いを馳せるのが良いと思う(意味は当初は「文字通り」のものに近かったように思うけれども、時間を掛けてきて、意味が狭まった、つまり条件が付加された、ように思います)。例⇒甲虫ブログ: ニセ科学批判批判

元々このエントリーは、前日の続きでもあり、complex_catさんのコメントとも関係しているもの。ニセ科学批判批判と呼ばれるような言説が、悉く一般論過ぎて具体例(これは「代案」の意味では無い)に乏しいのは、そもそもそういうものが括られて「ニセ科学批判批判」と呼ばれているからだろうと、改めて考えた(前から考えていた)。だから、仮に、現状の批判活動を批判しつつ(ニセ科学批判批判)、代わりになるような批判の仕方を提示したとするならば(+ 代案提示)、それはもう、今の意味内容から鑑みるに、「ニセ科学批判批判」とは呼ばれず、実質的に「ニセ科学批判(者)」となる(→ニセ科学批判者)のだろう、という考えを書いた。

※タイトル中の記号は、イメージです

一応言っておきますけれど、ニセ科学批判批判という言葉はメタ論に終始して具体例が無いものを指しているから、それを踏まえて用いるべきだ、と主張してはいません。

初めはニセ科学批判を批判するもの、程度の意味だった言葉が、おそらく色々の意味を付加されて用いられるようになったのではないか、という考えに基づいて、このエントリーは書かれている訳です。具体例や代案を出して言及した時点で、「ニセ科学批判批判」とは呼ばれず、「ニセ科学批判者が内部の批判活動を批判した」と看做されるのではないだろうか、と。それくらい、「ニセ科学批判批判」という言葉には独特の意味が持たされている、と私は考えています。

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2009年1月27日 (火)

ピッカピカ

以前考えた、銀メッキ風の塗装。

やり方のベースとしては、黒の鏡面仕上げの下地に、あるものを擦り付ける、というもの。

この方法、「パール石川」こと石川雅夫氏が発表していたものを参考にしました。そのやり方、こちらでも紹介されています⇒模型新思想大系

石川氏のやり方は、黒の鏡面仕上げに、

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これの粉末を擦り付けて光沢を出す、というものです。

私は、メタルカラーのフタを開けっ放しにして溶剤を完全に揮発させ、それを叩いて粉末にしてパーツに擦り付ける、というやり方をしました。石川氏の説明にもある通り、しっかり磨き上げれば、かなり強い塗膜が出来ます。

で、この方法、結局は、いかに美しい下地を出すか、というのがポイントだと思います。吹き放しで光沢を出すのは結構難しいし、研ぎ出しするのは手間が掛かる。

そこで、色々試してみたのですが…。

こういうものに辿り着きました↓

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これ、模型用途ではありませんが、なかなか使えます。吹き放しで非常に良いツヤが出る。このシリーズ、ツヤが出やすいように思います。少々塗膜が厚くなりがちなので、使い所を考えたり、一度缶から出してエアブラシで吹く、というのを考えるのも良いかも知れません。

環境にもよるでしょうが、硬化も良好でした。きちんと乾燥させれば、爪で引っかいても全く大丈夫でしたね。

これに、メタルカラーアイアンの粉末を擦り付ける。かなりイイ感じです。光沢出した後の塗膜も強靭。

で、テストピースの画像をアップしようと思ったんですが、思いっ切り失くしてしまった…。どこに行ったんだ?

結構使えると思うので、良かったら試してみて下さい。

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追記かつ余談。

今は手許にありませんが、私が塗装関連で参考にした本↓

Book 塗料のおはなし―塗料の性質と機能

著者:植木 憲二
販売元:日本規格協会
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趣味が高じて学問的知識にも足を踏み入れようとする(踏み入れた、などとは全く言えないので)良い例ですな。たまに、模型誌上で化学の概念が踊る事もあるしねえ。

ついでに。

アサヒペンの商品紹介ページ⇒アサヒペン|製品情報 クリエイティブカラースプレー

こういうのはそもそも多用途だから、模型用途では無い、というのは当たって無いですね。クレオスとかモデラーズ、フィニッシャーズのような、模型に特化させた塗料では無い、といった所か。

メタルカラーアイアンが黒鉛の粉末なのだとすれば、分野によっては、安価で大量に購入出来そうですよね。石川氏だったか、カギ屋で買えるのでは、と書いていた人もいましたが。

そういう風に、模型専用以外の物で何か使えないか、と考えて試すのも、模型の醍醐味ですな。と言う私、模型を中断して、4年以上経ちますが…(どうせ一生やるだろうから、後回しにしている、というのもある)。

自動車塗装用のホワイトパールの粉末が唸るほど余っている、というのはここだけの話。単価が模型用より圧倒的に安いので、つい100g ほど…(MGだと、軽く数十体塗れると思う・・)。確かこちらで購入したのだったかな(記憶曖昧)⇒1616ネットショッピングカートカスタム関連

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2009年1月26日 (月)

ちょーかっこいー

昨日、某店の模型コーナーに向かおうと、トコトコ歩いていたら、ポスターがちらりと目に入った。

ちょっと遠めだったから、はっきりとは見えなかったけど、ガンプラのよう。何やらかっこ良さげ。

最近、ガンプラのラインナップは全然把握していなくて、どんなのが出ているか知らなかったから、ちょっくらガンプラコーナーに行って、件のポスターのやつも確認しつつ、どんなのが出てるか眺めにいくかー、と歩を進めた。

到着。

お、ショーケースがある。これは、さっきのポスターのやつでわ、と思い、よく見てみた。

…。

……。

やばい。

超カッコ良い。

これは久々に惚れた。

これは良い、非常に良い。いわゆる、どストライク。

いいなー、欲しいなー、と思いつつ、しばらく眺めていたのだった。

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さて問題。

私が惚れたガンプラは、一体何だったのでしょうか。

これが当てられたら天才。

…。

……。

………。

はい、冗談です。解る訳無いですな。

私が惚れたのは、これでした↓

MG 1/100 シナンジュVer.Ka Toy MG 1/100 シナンジュVer.Ka

販売元:バンダイ
発売日:2008/12/27
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このプロポーションは見事だと思います。

これを真紅のパール塗装で仕上げてみたいぜ…。

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ニセ批判批判 + 代案提示→ニセ科学批判者

昨日のエントリー 2008年1月27日追記:前日のエントリー⇒Interdisciplinary: 申し開き? についたコメントを読んで、前から思っていた事を。多分、この考えを持っている人は多い、と推測します。2008年1月27日追記:出来ればコメント欄も読んでね

complex_catさんの仰る通り、ニセ科学批判活動を批判する人で、ではこうしたらどうか、と具体的な批判活動の代案を示す人は、いませんよね。

実は、私としては、代案を示して現在のニセ科学批判一般を批判するのは無理だ、と思っています。

元々かなり広範囲な批判活動で、テキストも色々あって、向ける対象も様々なので、そもそもニセ科学批判と括って全部を批判するのは、不可能に近いんですよね。今まで誰もやっていない批判の仕方、というのを示すのも、多分出来ない。ああ、それはあの人がやってるよ、となるでしょうから。

で、それ(代案提示)をせずに批判活動一般を批判するとなると、メタメタな次元からものを言うしか無い訳ですよね。論宅さんみたいにならざるを得ない。概念そのものに無理がある、とかね。

もし、自ら批判の方法を具体的に示しながら批判批判をするとなると、その人は自動的に「批判者」に入らざるを得ない訳です。でもそれは、批判活動一般に疑問を懐いている人は、出来ないでしょう、おそらく。だって、批判活動を批判したいのだから。批判する集合に自分が含まれていちゃあ、堪らんでしょう。

※タイトル中の記号は、イメージです

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2009年1月25日 (日)

申し開き?

2009-01-24 - 「で、みちアキはどうするの?」:ニセ科学はなくなんないよ~

ちょっとよく解らないですね。

その実践者は、自分で、ホメオパシーが、まじないか何かと同程度のものと看做している、って事なんでしょうか?

気休めで、効くかどうか解らん、と思っているんなら、まあ良いのではないでしょうか……と言いたいですが、そう単純でも無い気はしますね。

「あなただってもし知り合いが亡くなったら葬式に行くんじゃないですか? それって、科学的な行為なんですか?」とホメオパシー実践者に問われたら、ニセ科学批判者はどう申し開きをするのだろう?

「科学的な行為」って何ですか?

誰が、「科学的な行為」しか認めない、と言ったんですか?

ホメオパシーは、科学的で無いと認める、という事ですか?

という風な疑問は出るでしょうね。

というわけで、「ホメオパシーは科学的ではない」みたいなやりかたは、説得力に欠ける。「あなた、だまされていますよ」なら解るのだけど、それならわざわざ科学的説明を持ち出す必要もないわけで。

ここは意味が取れませんでした。解った方がいらしたら、教えて下さい。「だまされていますよ」という説明を、どういう風にするんでしょう。「どう」だまされているのかを解説するのでは?

一応言っておきますと、「科学的ではない」=「ニセ科学」、では無いです。

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2009年1月24日 (土)

今まで書いたもの

Interdisciplinary: 水からの伝言批判

もっかい上げときます。

水伝のポイントを一つ。

水伝は、検証可能であり、検証不能でもある。それは観点による。

ちょっとここは押さえておきたい所ですが。

検証不能であればニセ科学には含まれ得ない、という事は無いですからね。検証不能である事を検証した、と言えば、それは非常に解りやすいニセ科学。本質的には水伝はそれです。要するに、普遍的な「良い言葉」や「綺麗な結晶」を前提している時点で、それは本来検証不能。

で、水伝を検証可能であると看做すのは、その主張を、「言葉によって水の構造は変わるか」という風に解釈した場合。

追記:もう少し書きます。

水伝が、実験した、などの主張をしているのは、これは明らかな事です。さすがにこれを否定する人はいないでしょう。

それで、上にも書いたように、本来水伝は、検証不能です。検証可能であると言われる場合もありますが、それは、メカニズムは措いておいて、入出力の関係を見て統計解析をすれば・・・という風に見るのは一応出来る、という話です。実は、それが確認されたとしても、水伝が証明されたとはならない訳です。なぜなら、水伝はそもそも、「良い言葉」が「綺麗な結晶」を作る、という「普遍的」(社会的な共通了解としてでは無い)価値判断を論に含むから。

という訳で、そもそも検証不能なものを実験して確かめた、などと言っているのですよ、水伝は。これのどこが曖昧なのか、と思います。しかも、江本氏のサイトに「科学」と書いてあるのは、NATROMさんが採り上げられた通りです。

ところで、水伝はそもそも検証不能である、というのは、そんなに多く見られない気もしますが、どうでしょうね。

ここら辺の論理を、他にもdlitさん辺りがヴァシッと書いて下さったりしないかなあ、とか、他人任せな事を考えたり・・。

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2009年1月23日 (金)

武術系はてなー

はてなの人達(はてダ&はてブをしている人達)で武術関連のエントリーやブクマをよく書く方をチェックしてみようかな、と思う今日この頃。

結構前から、はてブの新着エントリーの、タグで「武術/武道/合気道」がついたのをRSSリーダでチェックしているのですが、上がるの少ないんですよねえ。最近で頻度が高いのは自分なんじゃないか、と思ったり(笑)

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2009年1月22日 (木)

死がふたりを分かつまで

死がふたりを分かつまで(1) (ヤングガンガンコミックス) Book 死がふたりを分かつまで(1) (ヤングガンガンコミックス)

著者:たかしげ 宙,DOUBLE-S
販売元:スクウェア・エニックス
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死がふたりを分かつまで 7 (ヤングガンガンコミックス) Book 死がふたりを分かつまで 7 (ヤングガンガンコミックス)

著者:たかしげ 宙
販売元:スクウェア・エニックス
Amazon.co.jpで詳細を確認する

先日コメント欄で、梨さんに教えて頂いた作品。

これ…。

……。

超面白いです。

いやー、良いものを紹介して頂きました。

剣術を上手く組み込んでますね。

途中飛ばして7巻まで読んだのですが(いつもは飛ばし読みはしないのだけど、止まらなかった)、7巻傑作。画もいい感じに向上していると思います。

剣に興味を持っていて、マンガも好きな方は、是非。個人的には、他の設定含めて、どストライク。

深謝>梨さん

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2009年1月21日 (水)

和風オムレツ

筆者がよく作る料理。

  1. 卵三つくらいを溶く。
  2. そこに、だしの素、味醂、淡口醤油、水 を適当に加える。
  3. オムレツの如く焼き上げる。
  4. 終了
  5. 食べる
  6. ンマイ!
  7. 食器を片付ける。
  8. エトセトラ

だしにとろみをつけて餡を作って、それを掛けて食しても美味である。

筆者は、数年前にこの料理法を開発したのであった。

何? 何ゆえそのような料理を思いついたのか、とな?

それは、筆者の想像力が想像を絶しているから、ではあるまいか。

------

というのは冗談で、単に、「だし巻き卵を作るのがめんどくさいからオムレツ風にしたらどうよ?」と思ったからでした。

しかもこんな料理、創造性のかけらも無いポピュラーなものですな。

”和風オムレツ” - Google 検索

うむ、一万件以上ヒットしたぞ。

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予告

「詭弁者」ですが、もし沢山のコメントがついて、コメント下さる皆さん同士のやり取りが活発になったら、掲示板にスレ立てるかも知れませんので、よろしくお願いします。

コメンター同士のやり取りは掲示板の方がやりやすいでしょうし、最近のコメント欄が流れるのはやっぱり好ましく無いので。

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2009年1月20日 (火)

発勁 - Wikipedia(※このエントリー、1/20の午前1時頃に書いています)

なんだか、吉丸氏の論の影響を受けてると言うか、参考にしているっぽいですね。

歴史的な部分は知識不足で解らない所がありますので措いておいて、下手に解剖学や力学の概念を用いずに記述した方が良いと思います。伸筋云々とかは、ちゃんと、こういう論を主張する論者がいる、という風に、あくまで資料として紹介するに留めて、それが一般的な論理であるかのように説明するのはよした方がいいかなあ、と。

澤井翁の水銀の喩えは、以前見た事があります。太気拳の佐藤氏の本だったかな。興味深いものだと思いました。

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2009年1月19日 (月)

詭弁者

はてなブックマーク - tittonのブックマーク - 2009年1月18日

titton ゲームが「学業に専念できない」という意味で有害なのは確定的に明らか。その欠点を克服しない限り有害論は栄えるであろう。それはそうと良いデータベース

画面脳レベルのダメさですね、この人。何を的外れな事を言っているのか。

追記。箇条書き。

  • 学業に専念できないとは具体的にどういう意味か。
  • 有害とはどういう意味か。
  • 確定的に明らかとはどういう意味で、根拠は何か。それは単なる主観か、実証的なデータに拠るものか。
  • 欠点を克服するとはどういう意味か。それは、ゲームによって「学業に専念できない」のを克服するという事だから、「ゲームによって学業に専念できる」のを指すのか。
  • 有害論が栄えているのが、そのゲームの欠点故なのか。
  • その欠点とやらは、ゲーム特有のものなのか。

一般的に言えば、学業そのもの以外に打ち込めば、学業には専念出来ん訳です(ちょっと考えれば、「並行」させるのは可能だけどね)。それは当たり前。スポーツだろうがケータイだろうがアニメだろうがマンガだろうが恋愛だろうが。で、そんな中学生でも解りそうな事を改めて書いている? それとも、なにがしかの根拠や考察すべき理論なりがあって書いている?

追記2

http://b.hatena.ne.jp/titton/20090119#bookmark-11722375

titton ただのオチョクリになにをマジになっているのやら。こういう余裕のない排斥姿勢が疑似科学批判自身がカルト化している証拠。いや正直こんなことにマジレスされるとは予想外。こんど水の結晶にでも相談してみよう

http://b.hatena.ne.jp/titton/20090119#bookmark-11721832

titton なにをただのネタにピリピリ神経質になってマジギレしているのやら。ネタなんだから意味不明なの当たり前じゃん。何かの宗教にでも入信して心安らかになるといいんじゃないの?

本当に面白い人ですね。

マジギレと看做してもらって結構。人が真剣に取り組んでいるものについて、ネタだのオチョクリだので訳の解らない事を言っているのを見れば、マジギレもする。

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2009年1月18日 (日)

手字手裏見

 さて手字は、敵の斬る太刀がどのようであろうとも、敵と正対してその太刀と十文字に合して必ず上太刀となって勝つ術技をいう。十文字に正しく合して斬り込めば、わが身に敵の太刀が当たることはほとんどなく、多少の害は蒙っても、その時には敵の拳は全く斬り落としているのである。これを十文字勝または転勝といい、当流の極意とするところである。
柳生延春 『柳生新陰流道眼』 (P60)

ここで「手字」とは、縦横5本の線分からなる格子状の図形の事で、手指を縦横に組み合わせた姿を象徴したものだそうです。

 この截相に於ける最重要点は目付である。この際の目付は、敵の手裏――太刀を執る柄中、手の内をよく見て、敵の太刀を斬り出す拍子を明確にとらえ、敵の手裏を斬り落とす。要するに、敵の手裏を明観して、敵の斬り込む拍子にぴたりと節を合わせて、十文字勝にわが人中路を斬り透すことを「手字手裏見」というのである。兵庫助利厳の兵法歌に「十字こそ此の一流の大事なれ魔法に心かけな行く末」とある。
柳生延春 『柳生新陰流道眼』 (P60)

引用部は、「上泉伊勢守信綱の口伝を整理して体系化した柳生石舟斎宗厳が、孫の柳生兵介長厳――後の兵庫助利厳へ慶長八年(1603)に伝授した目録」(P24)である『新陰流截相口伝書事』に書かれている部分です。

やはりポイントとしては、相手がいかように打って来ようとも、こちらは自分の人中路(中心線や正中線と同様のものでしょう)を斬るようにすれば必ず勝つ、という所でしょうか。要するに、「まっすぐ斬り落とせば良い」という事で、ものすごい汎用性を持っているという意味ですね。色々の認知を巡らす必要も無い。ある意味究極的な術です。

もちろん、袈裟で斬られようとも変わらないようで、そこら辺に関しては、「あばら(引用書では別の字)一寸」という教えがあるそうです。すなわち、相手が剣で薙いでこようとも、こちらは敵の拳をちゃんと見て、相手の剣に合わせて斬り落とせば、太刀は十文字に交わり、自分の剣が上になって、敵の拳を切り落として勝つ事が出来る(十文字勝)。敵がこちらのあばらを一寸斬ったとしても、こちらは敵の拳を切り落として勝つ、いわゆる「肉を切らせて骨を断つ」、の論理。

私は合気の剣を知っているので、この論理は大変親しみやすいです。いや、そもそも合気の剣が、古流の技法を採り入れている訳ですから、当然と言えば当然なのかも知れませんが。合気の剣では、合わせは基本なので、より具体的に認識しやすいというのはありますね。

参考資料

斉藤守弘先生による、合気道の剣術の示範。合気の剣においては、相討ちにならないために、「腰のひねり」による極めが重要とされる。

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2009年1月17日 (土)

SG

ゲームで社会問題を解決 高い教育効果、進む研究や開発(産経新聞) - Yahoo!ニュース

藤本氏や馬場氏は頑張っていらっしゃいますね。

シリアスゲーム専用のソフトっていうのは、制作が難しそうですね。特に、エンターテイメントゲームに慣れた目の肥えた人達にも高評価を受けるソフトを作るのは、困難かも。

もちろん、学術なりのシリアスな部分の学習効果をも達成させねばならない訳ですね。なんとなくシリアスとゲームを組み合わせたようなのでは、話にならない。

ゲームやる人の価値観は、ある程度はっきりしていて、「面白く無ければやらない」、ですからね。まあ、惰性でやったり義理でやったり、というのはありますけれど、ゲーム好きを自認する人には、つまらないゲームに時間を割く事が我慢ならない、という妙な感情があったりするかも。自分はつまらないゲームを見抜けるのだ、という自尊心もあったりね(笑)

理想的には、自分がシリアスゲームをやっているなどとは全く気付かないのに、クリアしたら学術的知識体系の構造が身に着いていた、というのがあればいいですね(私の持論です)。言うは易しだけどね。

この件に関しては、シリアスゲームをどう分類するか、とかのアイデアがぼんやりあったりするんですけど(主に、武術論や、高岡英夫氏の論考の概念の援用)、専門的にどういう概念があるかを押さえておかないとなあ。新しい分野なので、文献もまだまだ少ないですよね。日本語で読めるのは数冊とかかな?

シリアスゲーム―教育・社会に役立つデジタルゲーム Book シリアスゲーム―教育・社会に役立つデジタルゲーム

著者:藤本 徹
販売元:東京電機大学出版局
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D-Moment(Dモーメント)~巨大地震編~ダウンロード版 Software D-Moment(Dモーメント)~巨大地震編~ダウンロード版

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発売日:2008/12/20
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2009年1月16日 (金)

テレ朝で血液型性格判断(一応否定的)

kikulogの「血液型と性格3」で、先日(テレビ朝日の)医学系の番組で血液型性格判断が採り上げられていた事が話題になっていました。

皆さん、ゲストの女性の反応が印象に残ったようです。私もそうでした。

で、録画してましたので、ちょこっと文字起こしをば。※詳細な流れは書きませんので、先にkikulogを読んで下さい⇒血液型と性格3(785辺りから)

司会(アナウンサー):まあ、医学的にはもう関係が無いんだと。
 
女性:えー、やだあ……ショック…。

※司会の発した「もう」の部分は、「既に」の意味というよりは、単に次の言葉につなぐために発したような感じ。

途中飛ばして、コーナーの締めのナレーション。

ナレーション:とはいえ、日本では大流行の血液型性格判断。遊び感覚で楽しむ程度がいいようです。

これはひどい。「抜け抜けと」と言うのがぴったりでしょう。
 
観直してたら、太田さん、いや、根拠はあります、的な事も言ってますね。全体的に茶化している印象ではありますけれども。

でもあれですね。医師の方で、じゃあ、骨髄移植したら性格が変わるのか云々、という、ある意味定番な反論を言っている方がおられました。まあ、血液型と性格に強い関連があるのならば、というのが仰りたいのでしょうけれども。

医学の番組でしたけど、血液型と性格の問題は、多分に心理学的なものでもあるんですよね。そこら辺を総合的に扱う番組なんかがあればいいんですけど、今のテレビがそこまでは踏み込まないでしょうね。

ナレーションで、どうやら医学的には、血液型と性格に関係は無いようです、というのがあって、危ういっちゃあ危ういなあ、とも感じました。

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2009年1月15日 (木)

追加しました

ゲーム脳Q&Aに、新しい質問を追加しました。

質問:ゲームをやめさせたら子どもがおとなしくなり、勉強も出来るようになりました。これはゲーム脳があって、それが治ったということではないのでしょうか。

回答:そうではありません。ゲームをやめたら勉強が出来るようになったり、性格が変わったように見えたり、といったことがあった場合、ゲームをやめさせただけではなくて、他のことも変わった可能性があります。たとえば、ゲームが怖いと思って、勉強しないと脳が壊れてしまう、という気持ちになって、勉強の時間が増えたり、ということもあるかも知れません。ですから、何かをやめたら良いことが起こった、という時に、そのやめさせたものが原因だったと、すぐに言うことは出来ないんですね。

そもそも性格の変化等が気のせいである可能性も考えられる訳ですが、それは書きません。

ここら辺、三た論法と関わる部分ですね。

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追加するかも

ゲーム脳Q&Aに、一つ書き加えるかも知れません。あるページを見て、これは書いとかなきゃいかんかな、と思ったので。

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2009年1月14日 (水)

ニヤニヤ

最近、幾人かの方が引用文を三角形的な記号で括っているのを目にするようになって、ちょっとニヤニヤしているのであります。

いや、私のゲシュタルト理論(←冗談ですよ)がそれなりに説得力あったのかなあ、なんて思っちゃったりして。

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相対主義を護れ

なんとなくキャッチィなタイトル。

前も書きましたけど、水伝って、相対主義を許さない主張なんですよ。

そこをちゃんと押さえて下さいね。

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2009年1月13日 (火)

ケータイDE学力低下

<学力・生活実態調査>携帯電話で学力低下 持ち込み禁止対応も--尼崎市教委 /兵庫(毎日新聞) - Yahoo!ニュース

記事に、いくつか突っ込み所が。

  • 「携帯電話で学力低下」の、携帯電話”で”というのが何を意味するのか。それが原因となると読めるが、どういう論理か。
  • つまり、仮に、携帯電話を使う事で勉強時間が減る、といった理由があるとして、それを「携帯電話”で”」と表現する事に問題は無いか。
  • 分布のどこに位置するか、という指標の「偏差値」を、即「学力」の尺度と考えても良いのか。
  • 偏差値の数ポイントの差を、実質的な差と考えても良いか。偏差値の変化を「学力の変化」と考えるのは適切か(て言うか、何が下がったのでしょね。どのデータをどういう風に処理しているのか※)
  • 学力と携帯電話所持に関連があるとして、携帯の持込を禁止して、果たして学力が向上するか。強い因果関係が無ければ、そうはならないはず。
  • 仮に、他の干渉変数があり、それが「勉強時間」だとするなら、携帯電話所持を禁止したとしても、学力は向上するとは限らない。携帯電話が無ければ勉強をする、とはならないから(ケータイと勉強以外にする事が無いならともかく)。

※どんな方法なんでしょうね。尼崎市のサイトを見ても、資料はありませんでしたので、未確認。まさか、偏差値を平均したとか? 記事からは全く判らんですが。

他に何か突っ込みあります?

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2009年1月12日 (月)

メモ:剣の持ち方

  • 拇指丘で柄をくるむようにする。すなわち、拇指の中手骨で挟む。
  • 指先では無く、二番目の骨(中節骨)で挟み込むようにして持つ。指先は浮いても、柄は恰もきっちり手の内に吸い付いているように。
  • 指先を使わないという意味では無い。先行させないという事。
  • 合谷の部分を柄の中心に合わせる、という目安もあるが、あまり手を反らすと窮屈になるので、気をつける。
  • 左右どちらの手に力を入れるか、という所にはあまり拘らない。剣がどのように運動するかを認識し、それを助けるように手を用いていく。

これらは経験的に見出した骨(コツ)。

本質的に重要なのは、剣がいかに運動するか、という所。最も剣が合目的的合理的(剣をどのような目的で用いるか、によって、剣が力学的にどう運動していくのが合理的であるかが決まる)に運動するように剣を用いる。それは本来、バイオメカニクス的にも考究すべき事柄。

もちろん、剣が力学的にどう運動するか、というのは、他の様々な論理と整合するように考える必要がある。すわわち、体捌きなど。いかに美しく斬れるか、という部分だけでは、「武術」としては不足しているという事である。

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2009年1月11日 (日)

無理がある

(考え中) : 「水からの伝言」をめぐって #3 - livedoor Blog(ブログ)

引用元文章(「水からの伝言」をめぐって)に対して心情的に共感を寄せる人にとっては、私の指摘は枝葉末節でどうでも良いことに映るかもしれません。なぜならば、心情的に共感していれば、私の指摘した点に対して違和感を抱く理由かないからです。

そういう問題ですか?

どう考えてもその読解は無理矢理だろう、という話なのでは?

水が言葉に反応するというのは、「なんとも驚くべき話」では無いのですか?

それは物理科学的に、「とんでもなく強い主張」では無いのですか?

「どういう意図」も何も無いと思うんですが。

そういうレベルでの読解なら、「何とでも言える」とはなりません? コメント欄の応答もね。

普段、あまりこういう事は言わないですが(批判する事と、実際自分が出来るかどうかは、別の話だから)、ちょっと「手本」を見せて欲しいです。ご自分がなさった指摘を全く受け付けないようなテキストというものを、書いてみて下さい。

書いてみてから、きくちさんの文章より優れているものだ、とアピールした方がいいのでは? 多くの人が、きくちさんのものより優れていると判断すれば、いずれそれが用いられ、きくちさんの文章が用いられる事は少なくなるでしょうから。

共感を寄せる人間は、内容以前に心情で判断する、だから、元々きくちさんに共感する人は、ずっとそうし続けるだろう、なんて言い分は通用しませんよ、当然。そこまでいくと、ソフィストです。

------------

批判を批判するのもいいですが、批判を批判する暇があるのなら「自分で適切な批判をする」方向を目指しても良いのではないか、と私は思う事があります。

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2009年1月10日 (土)

新人

最近、ABO FANさんやSSFSさん、論宅さんに匹敵する奇跡の論客が出没中。

逸材は居るものですね。

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2009年1月 9日 (金)

無いのにある?

友人からワイヤレスヘッドホンを借りて使っています。

なかなか具合がよろしい。なにしろ、コードの取り回しに気を遣う必要がありませんから。

……。

がしかし。

使っていて、ふと、首元を気にしている自分を発見するのであります。気にすると言っても、何となく考えるのでは無く、首にコードが纏わりつくような、「感じ」を覚える訳です。

これはまさに、身体意識のスキーマのずれと言えるでしょう。要するに、有線のヘッドホンを使っていた時の知覚の「体制」が残っていると考えられるのであります。

まさに、記憶と認知と知覚のコラヴォレート。

実に面白い(声:福山雅治)

ほら、腕時計でも眼鏡でもいいですけど、着けていないのに、「そこにあるかのように感ずる」事、あるじゃないですか。

これは、認知神経科学的にも興味深い事象でしょう。

運動心理学辺りに、ピノキオの鼻の実験ってのもありましたね、確か。

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2009年1月 8日 (木)

ミラーズエッジ Video Games ミラーズエッジ

販売元:エレクトロニック・アーツ
発売日:2008/12/11
Amazon.co.jpで詳細を確認する

ちょっと体験版をやってみたのですが…。

やばい。

超面白い。

これは良いアクションですね。

グラフィックも美しい。モーションも素晴らしいと思いました。

私は3D酔いしやすいので、かなりきましたけど…。

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2009年1月 7日 (水)

待つ?

FSMさんの所にも書いた事ですが。

論宅さん辺りが、ニセ科学がどのくらい広まっているか、などについて、それは社会調査によって調べられたのか、という言い方をしますよね。

あれってどういう意味?

どのくらい流布されているか、という所の現状把握の目的なら、それは有意義なものでしょう。

でも、論宅さんは、そうは書いていないようにも見える訳です。つまり、大きく広がっているのが確かめられた訳では無いのに批判して云々、という風に書いているように見えます。

素朴な疑問。

批判は、ニセ科学情報が社会に大きく広まるまで待て、って事?

そんな馬鹿な話はありませんよね、

もちろん、教育現場で使われているなどの事実の重みを考えれば、それだけで、問題として重視するに充分です。

論宅さんに関しては、そもそも社会調査論をどのくらい押さえているのか、大変疑わしい訳ですけれども。統計解析についても、果たしてどの程度の知識を持っているのか、と思います。

当然、現状に乖離した主張はすべきでは無いですが。確かめられてもいないのに、日本に住む人の○%はニセ科学的論を信じている、とかね(そういう調査は不可能な気もしますが)。

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2009年1月 6日 (火)

伝書

私は古流を習った訳ではありませんが、剣の操法や身法については、古流の伝書を色々参考にしました。中でも、

 柳生新陰流道眼<OD版> 柳生新陰流道眼<OD版>
販売元:TSUTAYA online
TSUTAYA onlineで詳細を確認する

(文字化けしてる? OD版っていうのがあるんですねえ。)

この本は、非常に参考になりました。新陰流柳生派の伝書と解説がいくつも収められていて、かなり良い本だと思います。

この本を読んだのは、もう10年くらい前なので、図書館で借りて再読し、ここで記事でも書いてみようかなあ、と思う今日この頃です。認識力も知識も、今とは比べ物にならないから、新しい読み方が出来るかも。

昔は武術書をよく読んでいましたねえ。他にも、天狗芸術論とか五輪書なんかは、とても良い本だったように記憶しています。

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2009年1月 5日 (月)

やはり答えは容易に出ない

COMPLEX CAT : 剣術と近代剣道

うーん、さすが。専門誌でもほとんど見られないレベルの論考。

こういった、比較文化論的な問題に関しては、記号論辺りが考察の役に立つでしょうね。前にも書いたように、高岡英夫氏の初期の本のような。そういった認識を持てば、どれがより強いか、という問いにはそう簡単に答えられない、というのが解ってくる。

紹介されているドイツ剣術は、面白いですよね。やはり、長い刃物を使うという目的に向かって技術が発達していく場合、ある程度収斂するのでしょう。

ところで、ここでは、合気道の剣技については、あまり紹介してきませんでしたね。良い機会なので。

斉藤守弘先生。40秒辺りから、合気の剣。※映像と音声がずれています

注目は、1:11辺りの剣の合わせ。動きが小さ過ぎて気づきにくいかも知れませんが、ものすごい事をしています。剣の合わせは基本であり、かつ奥義でもある、というのがよく解ります。

合気道で重要とされるのが、「腰のひねり」と言われるもので、バイオメカニクス的には骨盤を回転させていくのを部分的に含みますが、それだけでは説明が不充分である、全身的な運動を指す言葉でもあります。上の斉藤先生の剣の受けに、私は中国武術的な、化勁による無力化に通ずるものを感じるのですが、いかがでしょうか。おそらく、古流における「切り落とし」や「合撃」の理合いとも通ずるのでしょう(合気の剣は、新陰流柳生派鹿島新当流の剣が採り入れられているようですが)。※確か柳生流も研究されていると思うのですが、具体的にどのような剣術の影響をどのくらい受けたか、というのは、歴史的な考察や比較技術論も入るので、知識不足の私には詳しい事は論じられません。

特殊な用語を用いず、「腰のひねり」という解りやすい説明を原理的概念として使われる所は、斉藤先生らしい部分なのかも知れません。徒に神秘的な言葉を使ったりするのを嫌われたようですしね。

個人的には、3:47秒辺りの「突き入り身投げ」もオススメ。

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2009年1月 4日 (日)

結局答えは出なかった

内海さんに頂いたコメントへの返信兼ねて。

※武術に興味の無い方は、読まない方がいいです。長文・乱文の上に、結論は出ていませんから(それが結論なのだけど)

内海さんの問いは、武術論でもしばしば話題になる、非常にむつかしくて議論も盛んなものですね。

まず前提として、古流の剣術が現代剣道(竹刀を用いて競技を行う)を非難し、現代剣道が古流(剣術や居合)を非難するのも結構見られる、というのを押さえておきたいと思います。

たとえば、古流の剣術をやる人は、現代剣道を「当てっこ」などと揶揄する事がありますね。つまり、竹刀を用いてちょこちょこ当てる練習や試合ばかりしていて、実際に真剣を扱う事は出来ないであろう、という論法ですね。内海さんがご紹介下さった評論家氏も、そういう方向性で考えていたのだろうと思います。

逆に、剣道家が古流の人を非難する場合には、型ばかりやっていて、結局動き回る相手に対応出来ないだろう、という言い方が見られますね。据物切り、つまり巻藁などを真剣で切る練習などについても、止まっているものを切ってどうする、という風な非難があります。
空手なんかで、静止している瓦を十何枚割ってなんになる、というのがありますが、それと似ているでしょうか。

さて、本題の、現代剣道と古流剣術の操法・身法の違いについてですが。

まず言えるのは、具体的な運動の形態はかなり違う、という所ですね。これはもう、剣道の試合と剣術の型とを見比べれば、すぐに解ります。

それで、古流剣術が真剣を扱うに特化した体系である、というのは言うまでも無い訳ですね。真剣を用いて自身の身を護り、場合によっては相手を斬り殺す、という目的に従って、長年をかけて構成されてきた体系。だから、体系を変容させないようにして保持されてきたと前提すれば、(元々の体系の完成度によるけれど)そもそも真剣を扱うという合目的的体系になっているのは間違い無いと言えます。

対して現代剣道は、競技化されて久しいので、竹刀を用いて競技の構造(ルール)に従って有効打を決めて試合に勝つという目的に最適化されるように発達してきた、と見て良いと思います。

そこで、考えるべきポイントとしては、そのように発達してきた現代剣道の体系が、実際に真剣を扱う方法として高度に機能するか、という所でしょうね。

これは非常に難しい問題です。と言うのも、実証がほとんど不可能だからですね。

つまり、剣道家と古流剣術家に真剣を持たせて戦わせる、というような実験が絶対に無理だ、という事です。

ですから、たとえば異種格闘技戦のような実践は不可能。防具を着て模擬刀で試合をしてみる、というのも、あまり意味が無い訳ですね。真剣を使えるかどうか、という文脈なので。模擬はどこまで行っても模擬。もちろん、異種格闘技戦においても、ルールをどうするか、という問題はある訳ですが、真剣で戦うかどうか、といった場合、質的な違いがあると言えます。

従って、どうしても、理論的に考察していくしか無い訳ですね。どこまで行っても推測の域を出ない。基本的に、確定的な事はほとんど言えないだろうと思います。

なんか、一般論と曖昧な言い方に終始していますが、そこまで慎重にならないと語れないほどに難しい問題だと思って頂ければ。

ちょっと内海さんのコメントを引用してみます。

少し前に、マンガ関連の本(マンガのブックガイド的なものだったと記憶してるんですが)をたまたま読んでいたら、るろうに剣心の事を語っているページがありまして、そこで評者(これも評論家だったとしか記憶してないんですが)が「るろうに剣心の劇中に描かれている剣術は「竹刀剣術」であり、真剣を使用する実戦の型とは根本的に違うものだ」という風に発言していたんです。
で、その後に「作者の和月伸宏氏は学生時代剣道部だったので、その時の感覚で真剣を使った戦闘シーンを描いたんだろうが、竹刀を使う時の剣術の技法と真剣での剣術の技法とでは、剣の握りや体の使い方一つとっても全く違うものであり和月氏の描写は間違いである」とも書いてあったんです。

ここでは、

  • 真剣の扱い
  • 実戦とはどういう状況か
  • 体の使い方とはどういう意味を持つか
  • 剣の握りの違い

このような、いくつかの論点を見る事が出来ます。

真剣の扱い方という面で言うと、・金属で構成された ・ある程度の反りを持ち ・鍔元まで刃のついた 日本刀という武器を用いるにはどうするのが合理的か、という論と見る事が出来ます。

その観点から考えると、現代剣道はそのような目的に沿って作られてはいない、というのは一応言えると思います。要するに、真剣を用いていた「としても」有効な打突に競技上の有効打の評価を与える、という風にはなっていない、という意味です。それは、剣道において有効とされる打突の箇所が限定されている事からも、そう言えます。競技として普及するには、評価のシステムを、ある程度厳密に、明確に判断出来るように構成する必要がありますから、あまりにも超複雑にすると、競技が成り立たなくなるからです。

そしてそれは、技術の汎用性を下げる事になります。具体的に言うと、真剣だと、場所によっては刃が少し擦れただけで恐ろしいダメージを食らう事になるが、競技だと、ある程度無視出来る訳です。有効打突というのは記号なのですね。

次は、実戦の場面について考えます。

約束事の試合で無い真剣を用いた戦い、というのを想定すると、それは当然、一対多の戦い、あるいは多対多の乱戦というのが考えられます。

その意味で言えば、やはり現代剣道は、多数の相手を初めから想定している訳では無い、というのは一般的に言う事が出来るだろうと思います。見方を変えると、仮に、多数を想定したような動きや認識で剣道の試合に出たとするならば、現代剣道の体系での激烈な動きには全く対処出来ない、となるでしょうね。

体の使い方について。

まず、具体的な動きがかなり違うので、そういう意味では、「体の使い方」が異なる、というのは一般に言えると思います。空手の流派の違いによって異なる、というのと同じような意味です。

足捌きなどは相当違うので、それに関わるバイオメカニクスは当然異なる、と言えると思います。特に後ろ足のポジショニングが異なるでしょうか。

ただ、どちらも細長い物体を振る運動ですので、腕や肩甲部の具体的な動きに共通性が出てくる、というのもあるでしょう。これは、剣の持ち方とも関わってくるでしょうね。つまり、竹刀であれ、より速く正確に相手を打つという目的に従って技を練磨するならば、結果的に、真剣を扱っても合理的に使えるようになる、というのはあるかも知れません。これは、優れた剣道家に真剣を持ってもらい、剣道の動きのままに動いてもらって、それを科学的に解析して見ていく、というのが出来るかと思います。静止しているものを切ってもらうのも良いかも知れません。

ちなみに、古流を積極的に研究する人でも、現代剣道の高レベルの人は刃筋も通り、きちんと「切れる」操法が出来る、と主張する人もいます。私もそう思っています。

上にも書いたように、現代社会において、真剣を用いた実戦が実現する可能性は、ほぼ無いと言っていいんですよね(もちろん、そんな事が実現する社会であってはならない訳です)。そういうのを知っている人もどんどん亡くなってしまって、もはやほとんど存在しないのではないでしょうか。当然、剣での斬り合いがあったのは、ビデオの存在しない時代の話ですので、記録は文字によるものしか存在しません。

ですから、本質的にこの問題、誰も出来ない事に関して推測を積み重ねる、という面が大きいのですね。現存する体系から、おそらくこうであろう、という風に言っていくしか無い。特に、現代剣道家が真剣を用いて戦った事など、絶無と言っていいだろうと思いますので、剣道の操法では真剣は合理的に扱えるか、というのは、推測しか無いと言っても過言では無いでしょう。

また、真剣で斬ると一言で言っても、それには様々なシチュエーションがあります。静止しているものを正確に切る。動いている物を切る。動いている人を斬る。こちらを攻撃してくるのを避けながら相手を斬る。

当然、ここで話題にしていているのは、人と人が自由に真剣で斬り合う戦いですが、それは究極的です。真剣で勝つというのはつまり、相手を戦闘不能にするという意味であり、真剣で相手を戦闘不能にするとはすなわち、斬って重傷を負わせるか、もしくは死亡させるのを意味するのですから。その段階でどうなるか、というのを考えるのは、やはり難しい。

もちろん、剣道家の動きを見て、これは他人数には向いていないかな、と思う事はあったりするのですが、しかし、あのスピードにはやはり目を見張るものもあります。真剣に持ち替えたとしても、高レベルの人はものすごい動きをするでしょう。古流の人を見て、固すぎてまともに動けていないじゃないか、と思う事もあったり。

ちなみに、真剣には拘らず、剣道家に、硬い木で出来た、竹刀と同じくらいの長さの棒を持たせたら、おそらくすさまじい強さでしょう。そういう意味で「実戦性」を考えると、また違った見方が出来る訳です。つまり、おそろしく複雑です。※剣道三倍段、とかの話じゃ無いですよ。念のため

今の所言えるのは、古流の剣術は、真剣を用いるという目的、現代剣道は、竹刀を用いて競技を成立させる、という目的に従ってそれぞれ構成・洗練された体系であるのは間違い無いだろう、という事です。そして、それぞれ合目的的に構成された体系が、実際真剣を持って戦う場合にどうなるかは、推測するしかありません。

非常に歯切れが悪いですが、こんな感じです。むしろ、この問題に関して歯切れ良く断定する論は、疑ってかかった方が良いのではないかと思います。そういう論は、想像をたくましくし過ぎている可能性がありますので。

いくつかの、書いておくべきポイント

  • 私の触れた剣術が、現代剣道でも古流剣術でも無い、という所(だから、これほど歯切れが悪くなる。よく知りもしない体系について語る際は、極めて慎重になる必要がある)。
  • 剣道家が、居合や他の剣術を稽古して研究する場合もしばしばある、という所。
  • 剣術と言っても、木剣の型中心の所もあれば、真剣や模擬刀での居合を並行してやる所もあり、また、真剣や模擬刀での組太刀をやる所もあるので、そういう意味でも多様のバリエーションがある、という所。
  • 竹刀を扱う操法が、重量の大きい刀の操作についてどの程度の汎用性を持つか、という所。中間からの打ち込みでどのくらい斬れるか、とか。
  • 型だけをやる流派が「実戦性」を論ずるのにどれほどの説得力があるのか、という所。
  • 剣術と言っても、甲冑を着て戦う武術と素肌武術では異なる、という所。※新陰流柳生派の伝書なんか見ると、そこら辺が詳しいですね。その面でも、「実戦」というのは色々考察出来る。
  • 古流をやっている人が、そのまま現代剣道の試合に出て優秀な成績を修められる、と豪語している場合、それは相当疑った方が良い、という所。
  • 剣道でも、大会によっては、ルールが異なったりする所。
  • そもそも、体系の特性を語る際、何を基準とすべきかをよく考える必要がある、という所。構成員の実力を見るか? それは最大値か、平均値か、ばらつきか。あるいは、体系の構造を科学的に分析して特性を記述するか。それはいわゆる「実戦」とどのような関係を持つか、その分析の尺度は妥当か、などの問題が出てくる。
  • 医学・医療が発達した現代において、「剣が触れれば終わり」という考えが通用しない可能性。
  • 逆に、ちょっと指を擦るだけでも、真剣なら指が落ちるから、それで終わり、という事も出来る。場所にもよるか。

どうでもいいですけど、私は、木剣を基本的に使っていますが、鉄で出来た棒状の物や、模擬刀も使います。で、全く同じ動きが出来ます。剣術には廻剣動作がありますが、剣道では、多分一般的に無いですよね? そういう所を見ると、剣術の操法はやはり、重い剣を扱うよう特化されているとは言えますね。

要するに、違いを述べる事は出来るんですね。でも、真剣を持った戦いを想定すると、簡単にものが言えなくなってくる。くどいようですが、ここは重要です。

基本的に、古流の立場から現代剣道を馬鹿にするような態度を採る人は、疑ってかかる方が良いと思います。もちろん、舞台が江戸時代なのに、当時存在しない動きをしていた(たとえば、今の剣道のような動きを)、というような考証の文脈なら、そこで描かれているのはおかしい、と指摘するのは可能です。

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2009年1月 3日 (土)

NAZE

今日、このブログが始まって以来、最高のアクセスが…。

すさまじく認識力を使ったニセ科学論よりも、基本的な所をゆるく書いた(もちろん、正確は期しましたが)剣の持ち方のエントリーの方が遥かにアクセスされるというのは、なんか複雑だなあ(笑)

おそるべし、はてブ(はてな)パワー。

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【便乗】アニメ・漫画でこれだけは見過ごせない刀の間違い 指・手編【エントリー】

アニメ・漫画でこれだけは見過ごせない銃の間違い 指・手編 - 火薬と鋼

超便乗です。

銃火器の取り扱いには詳しくありませんが、それでも、この持ち方はそれっぽく無いな、と思う事はありますですね。

で、私が見る所としては、日本刀を扱うキャラが、どういう風に刀を持っているか、という部分。

machida77さんに倣って、この描写はどうよ、と思う持ち方を、ちょっと語ってみたいと思います。

注意事項

剣術の流派は、数え方によっては数百もあると言われており、当然、かなり特殊な操法を採用しているものもあるでしょう。ここでは、平均的に見られる操法を基準として書きました。

もちろん、知っている人から見て甘い描写があるからといって、即その作品の価値が下がる訳ではありません。それは、剣を扱う事に関して、作品中でどういう重み付けがされているか、という部分と関わってくるでしょう。

▼まずこれ↓ ※画像を加工してありますが、あまり気にしないように・・。

_r   

定番。野球のバット風の持ち方。手の間を空けないんですね。

▼次、これも定番。

_r_2

左右の手が逆。

ものの本に、こういう風に持つ流派があったらしい、という記述があったような気もしますが、まあ、一般的には、日本刀はこう持たないです。

▼次は、町田さんによる、

 銃を握る場合(特に片手で持つ場合)、銃の中心を通る線と前腕の中心を通る線が一直線になるように持つ。

に対応すると思われる部分。さあ、段々マニアックになって参りました。まずはダメな例↓

_r_3

手首の関節が、ほぼニュートラル~掌屈(掌側に曲げる)気味に持っています。力学的に細かい事は把握していませんが、これは一般に悪い持ち方とされます。(余談。この持ち方だと、簡単に太刀取りされる。体術の諸手取りも同様)

で、良いのはこちら↓

_r_4

若干背屈(手の甲側に曲げる)気味ですね。こんな所まで見る奴がいるのか、と言われそうですけど、多分、剣を使う人は、普通に見ます。

▼もはや、ついてくる人がほとんどいなくなる予感がしますが、そんな事はお構い無しなのであります。

まず悪い例↓

_r_5

いわゆる「ベタ掴み」。柄と掌・指の関係を全然考えずにベタッと持つ訳ですな。もうちょっと極端にやった方が解りやすかったかな。

良い例↓

_r_6

これが適切な握り方ですが……上とどこが違うんだ、という突っ込みが絶対入るなあ、これは。撮った角度が悪かった。まあ、ポイントとしては、小指と薬指で締め、人差し指はふわっとさせる、という所。(余談。剣を打ち込む局面で、手がベタ掴みのような形になる場合はありますけど、それはまた、別のお話。基本の持ち方の文脈です)

刀の柄の断面は小判状なので、まず中手骨間違い。基節骨でした。を側面に沿わせるようにして、指を柔らかくまとわりつかせるように持つのがポイントでしょうかね↓

_r_7

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……さすがに、後の方は細か過ぎるぞ>自分

まあ、結構見られるのは、左右の手が逆なのと、手を密着させる描写かな。さすがに手首の返しはマニアック過ぎるか。でも、知っている人ならまず見るだろうなあ。

ベタ掴み云々は、ほとんどマニア向けの余談のレベルですので、あまり気にしないように。

逆に、良い描写としては、アニメだと、るろうに剣心のOVA版(追憶編)なんかは非常に上手に描けていたように思います(私が知る限りでは、最高レベル。て言うか、あの作品自体が大傑作だと思っている訳ですが)。

マンガだと、やっぱ、川原さんの描く、ファン・ガンマ・ビゼンのニホントウの扱いは大変美しいと思うのですが、どうでしょうか。

2008年1月4日追記:画像を追加します。以前ブログに載せたもの。元々MMDを使って画像を作ろうと思ってたのですが、指の微調整があまりに面倒なので、上のような画像にした次第。

Keng

剣の把持。ベタ掴みを避けます。

9

古流の素振りのようなものをイメージしてます。後ろ足首のポジションはちょっとおかしくなってます。

7

側面から。

2011年1月18日追記:画像を差し替えました。それから、両手で持った画像を↓

_r_8

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追記:上に挙げた作品とか、参考になる資料とか。

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これは傑作だと思います。

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カヴァーイラストで、ファンが剣を掴んでいるのを選んでみました。やっぱり上手いと思います。

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言わずと知れた(どこで?)黒田鉄山氏のビデオ。山本貴嗣氏も参考にしたんでしたっけ?

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観た事無いですが、資料として良さげ。歴史群像―学研デジタル歴史館-「日本の剣術DVDセレクション 術技詳解」

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2009年1月 2日 (金)

サンプル(標本)サイズ(大きさ)とサンプル(標本)の数

タイトルの事について、掲示板に色々書いたのですが、これは多分、統計の話の中でも重要な所だと思うので、こちらにも、適当に編集して載せてみます。

誤用や解釈の違いなどがあれば、ご指摘頂ければ幸いです。

了解しました。
じゃあ、帰無仮説が真の場合、有意水準5%で検定をやるとしたら、標本が100セットあったら、何セットぐらいは差が有意(帰無仮説が真にもかかわらず←もちろんこのことは検定をする人は知りません)となってしまってもおかしくないことになりますか?1000セットだったら?10000セットだったら?

# 「セット」という言葉は適当なんですが、検定理論ではなんというべきなんですかね?

このFSMさんの投稿(#567より引用)へのレスから書き始めたものを再構成します。

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この場合、標本「数」1000、標本「数」10000、となるのかな。「標本」とはそもそもデータの集合を指す訳ですしね。
なので、「標本サイズ(大きさ)」と分けるのですね。

だから、n が大きいのは、「多数」の標本では無く、「大標本」ですし、「少標本」では無く「小標本」。

標本に含まれる要素の数を表す時、「数」が入った語は、「データ数」とか「例数」が使われるようにも思います。

正確に考えると、そうなるのだと思います。間違っているかも知れませんけれど。

標本の大きさを n で表すように、標本の数を k で表す場合もあるようです。この場合、反復回数の1000とか10000とかですね(いくつかの統計の本で確認しましたが、ソース失念)。

でも、標本数と標本の大きさはごちゃごちゃ使われているので、セットとするのが解りやすいですよね。

青木氏@群馬大の掲示板を見ると、標本の大きさの意味で「標本数」という語を用いていたら、まずそこを指摘されるのを見ますね。

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ちなみに、「標本の大きさ」を使うべきなのは、単に、それがデータ数を指す語として使われているから、というだけでは無く、「標本数」が「別の概念を指す語」であるから、という理由もあると思います(青木氏の掲示板でのやり取りを参考にしました)。「標本」がデータの集合を指す訳ですので、そうするのが用法としても整合的であるように感じられます。

もちろん実際的には、文脈を考慮すればどちらの意味で用いているかは判別は出来ますけれども(場合によってはすごく混乱します)。

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参考資料として、この問題に言及したものをいくつか。

また見つけたら追加するかも。

最後のは、かなり強烈なエピソードが紹介されていますね。

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あー、後。

サンプルサイズを「N」とする場合がありますが、これも「n」を用いた方がいいんだと思います。「N」は母集団サイズですね。厳密にはそれが正しいのだ、と強く言っていいのかは判りませんけれども。

ちょっと、解りにくい例を考えてみました。軽くわざとらしいですが。

 ある母集団から、標本を1000個採る

データ数が1000で、ワンセットの標本? それとも、いくつかのデータのセットを1000採る?

みたいな。普通は前者でしょうけれど、標本分布の話をする場合には、後者の事もありますね。

これを、

 ある母集団から、大きさ1000の標本を採る

とすると、かなり明確ですね。

尤も、1000セット採る場合は、わざわざ「1000個」とはせず、「1000回」とするかと思いますが…(だからわざとらしい)。

追加

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数学的には、集合は英語で「set」のようですから、むしろセットが解りやすくて良いような気もするのですが、どうなのでしょうね(詳しい方がいらしたら、教えて頂ければありがたいです)。

少なくとも、私は敢えて「標本数」とする事は無いですね、FSMさんと同じく。誤解もしくは混乱させる可能性大、なので・・。

だから、「セット」を使ったり、上にも書いたように、データ数は標本サイズとして、標本数は「k ”回”抽出する」、としたりするのがいいのかなあ、と今の所は考えています。

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2009年1月 1日 (木)

アニソン三昧

今日は一日 ○○三昧(ざんまい)

ほぼ全て聴いた……さすがに疲労したぜ。

昼食を作りながら聴き、夕食を作りながら聴き、洗い物をしながら聴き、お茶を淹れながら聴き……携帯ラジオよありがとう。

それにしても、水木一郎さんのバイタリティは異常。尋常じゃ無いと思う。だって、14時間くらいMCをやって、その後ライブですぜ?

さすがに1000曲ライブを達成した漢は違うね。あれで60歳とか、あり得ない。

なんか、聴き終わった後は、妙に物悲しいですな。映画を観終わった後のようであります。

やっぱ、アニソンはすごいね。

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AKEOME☆

KOTOYORO☆

今年もよろしゅう。

しっかし、水木一郎アニキは驚異的だゼーット!

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