調べる。何かが解る
知らない言葉があったら、ドラッグして、検索窓に、入れてみよう。
みたいな。なんか標語のようですが。もちろん、トップに出たのが信頼出来るとは限らないですが。
はてブつけたりした人で、改めてニセ科学とは何ぞや、というのを調べた人はどのくらいいたのだろうな、と思ったりするのでした。
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ニセ科学に関しては、きくちさんの『ニセ科学入門』と、ニセ科学批判まとめ %作成中 - トップページ(執筆時点でメンテ中)の内容は、押さえておくべきだと思います。wiki周知されな過ぎ。最高に優れたコンテンツの一つなのに。
昨日のエントリー関連で、色々な反応があったようです。いくつか見ていきます。
まず、科学とニセ科学の境界について、それは反証可能性の有無によって判別される、という意見がありました。反証可能性は大変重要な概念ですが、それだけでは基準とはならない、というのが、今の科学哲学的な見方だと思います。伊勢田哲治氏の論考を参照。
次に、「ニセ科学」が「詐欺」を含意している、という所。これはどうなのでしょう。「詐欺」というのは、一般的には、故意である事が含意されるのかな。だとすれば、ニセ科学は必ずしも詐欺とは言えないと思います。正しいと思い込んでいる場合があるから。で、わざとだろうがそうじゃ無かろうが、間違った主張をしているので、批判の対象になる訳です。
▽ここから追記部分▽
はてなブックマーク - 科学とニセ科学と宗教 - 不動産屋のラノベ読み
2008年11月15日 filinion 読み物, これはすごい, 科学 科学はその主張の真偽を検証できる。宗教は検証できないが故に反証不可能である。疑似科学は、検証可能でしかも誤っている。/人間の理性も有限で、常に正しいとは思えない。が、もっとマシな道具がないのも事実。
「ニセ科学」論として見ると、ニセ科学は、検証可能か否かは条件では無く、「間違っている」事が必要条件という訳でも無いですね。ニセ科学は、まだ解っていないものを「解った」といったり、既に解りきっているものに「間違っている」と言ったりするもの。
後者は、前者と裏表だったりもしますね。たとえば水伝は、物質の振る舞いについての新しい論理を見出したと主張すると同時に、これまで積み上げられてきた知識が全て間違っているのが解った、と言っているに等しい。それは、理論の部分の修正によって取り入れる事が可能な主張では無く、自然科学の体系を崩壊させるものですから。
△ここまで追記部分△
ブログでの反応について。
大筋で同意ですが、細かい所をいくつか。
「ニセ科学批判」というのは,社会的に有害な疑似科学を問題とすることです。
これは、Wikipediaの「疑似科学」の項の記述を踏まえたものだと思います。ですが、もう少し丁寧に見ていく事も出来ます。
まず、一般的に言って、「ニセ科学批判」というのは、「社会的に有害か否か」という部分が必要条件では無いと思います。というのも、ニセ科学というのは、科学を騙っているというその部分が批判される所であるからです。有害か否か、というのは、社会的な評価が関わってきますよね。当然そこには、論者の価値観が影響してきます。私が何よりもゲーム脳説を優先して採り上げているのも、私なりの理由があります。
また、有害性を批判の根拠にすると、有害で無ければ批判出来ないという事になってしまうので、それはちょっと異なると思います。
もちろん(これは重要です)、これは有害である、と多くの人が判断する対象、というものに傾向が見られるのはあると思います。たとえば、教育現場に持ち込まれる(水伝、ゲーム脳)、医療現場に持ち込まれる(ホメオパシー)、それ自体が差別的構造を持っている(血液型性格判断)、等。後、今どのくらい流布しているか、という量的な観点も考慮されるでしょう。
だから結果として、高い有害性を持っていると思われやすいものに対する批判が目立つ、というのはあるでしょうね。ただそれは、有害だから批判する、というのとは、少し異なるかと。いわゆる「優先順位問題」とも関わるかも知れません。
それで、
科学であると偽っていることではなく,社会に対して害があることを批判しているのです。
この部分については、まず批判されるのは「偽っている事である」、となるかと思います。その上で、有害性が高いと思われるものが優先して批判されている、と。
そして、これがかなりポイント。
Wikipediaの「疑似科学」の項は、ある人が編集した形跡があるので、そのまま信用は出来ないので、ご注意を。
他の部分については、とても丁寧に論じておられて、参考になります。中でも、
ただ,一つ言えるのは「ニセ科学批判をする科学信者たちが集う唯一の純粋な科学教団」みたいなものは存在しませんよ,ということです。
ここは重要ですよねえ。
▼2008-11-15 - trash Box eXchange
読み違いをされているという事では無いと思うのですが、一応説明しておきますと、
この観点の違いは、「ちょっとくらい調べてみて」わかることがらではないと俺は思う。
私は、ちょっとくらい調べてみれば解る、という含みは持たせたつもりはありませんでした。むしろ、ちょっと調べてみれば、そんなに簡単に論ずる事が出来ないのが「解る」かも知れない、という意味を含ませたかな。だから、さっぱりわからないと書いたからには「説明」出来ますよね、と指摘した訳です。ニセ科学のどこが問題か解らないという意見の表明は、ニセ科学など別に問題では無い事が解っている、という主張と、あまり変わらないので(文脈を考えると、「この数学の問題はさっぱり解らない」というのと同じ用法とは考えにくいので)。
変な言い方ですが、ニセ科学論がちょっと調べたくらいで理解出来ないのは、私は多分、よく解ってます(笑) 私自身、物凄く調べたという経緯があったりしますしね。
他の部分は、興味深いですね。個人的には、哲学からのニセ科学論への言及なんかは、もっとあってもいいんじゃないかと。
余談ですが、はてブでの反応で、これだから文系は、的なコメントがありましたね。そういうのは止めましょうよ。哲学とか、徹底的に概念を突き詰めていくめちゃくちゃ厳しい分野じゃないですか。まるで、文科系学問の議論が基本的に粗雑であるかのような物言いはね…。自然科学に詳しく無いという意味で「文系」が用いられる事もあるけれど、ニセ科学論は、もうちょい広いですからね。それも妥当じゃ無いと思います。
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コメント
エントリーのタイトルの意味が全く解りませんね。まあいいか。
色々見ていて、ニセ科学という言葉についてほとんど調べて無いのだろうな、というのが沢山見られました。
今ニセ科学とされているものが将来実証されたとしても、今のニセ科学という評価は変わらん訳です。
尤も、今ニセ科学とされているもので将来実証されるのがあるとは考えにくい気も。
投稿: TAKESAN | 2008年11月16日 (日) 01:15
こう云う議論に際して文系・理系の差異を持ち出して来るひとは、仮にほんとうに理系であったとしても、ご自分の専門とする学問分野に対する理解をご自分で疑ってみたほうがいいんじゃないか、みたいに思ったりします。
朴斎先生の論考みたいなものも存在してるんですけどねぇ。
投稿: pooh | 2008年11月16日 (日) 08:45
poohさん、お早うございます。
私が見たのは、自分も文系だけど、的なものでしたね。自虐も含みつつ、という事だったのかも知れませんけれど、それでもやっぱり使うべきじゃ無いよなあ、って思います。
投稿: TAKESAN | 2008年11月16日 (日) 10:38
現状の科学の体系と相容れない、「現象を説明する知識の体系」を、一般に「疑似科学」と呼べる。
そして、その内の、「事実だと主張」するものが、「ニセ科学」と言われる。
大雑把すぎるか。
投稿: TAKESAN | 2008年11月16日 (日) 11:15
ここにお邪魔するようになって,文系からのアプローチによる水伝批判など知ることになり,流石というか,目から鱗というか随分勉強になりました。
理系であれ,文系であれ,理論的な考え方が出来るできないというのは,その人自身の問題であると思います。
食トンデモとか,環境トンデモとか,進化系トンデモとか理系の人も結構居ます。というか,多いですよね。
投稿: complex_cat | 2008年11月16日 (日) 12:21
TAKESANさん、こんにちは。
前にも書いたけど、水伝の場合は、いろいろな要素が複雑に絡まっていて相対的なニセ科学度が低いと思うんですよ。
それに対して、「マイナスイオン」とかはニセ科学度がすごく高いんじゃないかなあ、と思ったりして。
水伝の場合、専門的科学知識がゼロに近くても間違いに気づくことができるが、なかなか「マイナスイオン」に潜むニセ科学は一般人には見破ることができない気がしますね。
不思議なのは、水伝みたいに、考えればすぐにわかりそうなものの方が逆にはびこってるような気がするんですが、もしそうだとしたら、何が原因なんでしょうかね。「マイナスイオン」の場合は科学的間違いを指摘されたら、「なんだ、そうだったのか。」ってすぐ納得しそうだけど、水伝信者にそれをやったら、延々と反論されそうな気がします。ただの印象にすぎませんけど。
投稿: やす | 2008年11月16日 (日) 18:02
complex_catさん、今晩は。
文科系学問を専門とする方々の優れたテキストがありますものね。水伝の場合には、その方面からの批判が重要である事は、そもそもきくちさんやapjさん、たざきさんが初めに仰っていた事ですしね。
文系/理系 の枠組みで言うならば、血液型性格判断の論理を全然理解していない理系の人とかいる訳で、やっぱり、当該分野についての興味の度合や知識の量、また、他の分野との繋がりの意識、というものが関わってくるのだと思います。
投稿: TAKESAN | 2008年11月16日 (日) 18:30
やすさん、今晩は。
「ニセ科学度」というのが、「自然科学として見て判別が難しい度合」という意味でしたら、そういうのは言えるかも知れません。水伝の場合には、本質は言葉の問題ですしね。
ただ、観点の問題もあるので、一概には言えない気もします。
▼▼▼引用▼▼▼
もしそうだとしたら、何が原因なんでしょうかね。
▲▲引用終了▲▲
推測としては、前者は没価値的であるから、なのではないかと。
マイナスイオンの場合、その概念が存在しなくても、「代わり」がいくらでも出てきていい訳ですよね。しかるに水伝は、言葉という文化の根本についての性質の言明であり、「価値判断」を正当化するものだから、反発があるように思います。
マイナスイオンという概念は、それが定義されなくても身体に良い影響など与えなくてもいいですけど、「ありがとう」は、ある言語体系において感謝の意味を持つという機能を持たされた語ですから、「ありがとう」の良さを言って何が悪い、となるのかと。
もちろん、信じ方の度合にもよりますね。ホメオパシーで病気が治ったと確信している人なんかは、容易には説明に納得しないでしょうし。
だから、マイナスイオンでガンが治る、なんて主張が広まったら、また話が変わるかも知れません。
投稿: TAKESAN | 2008年11月16日 (日) 18:42
お久しぶりです。
最近のニセ科学批判批判関係のやりとりおつかれさまです。
自分のブログでも時々言及しますが、ニセ科学と同じような問題点、構造を持った言説というのは人文系の領域でも結構見られますすね。ニセ学問、というか。
そちらは社会的な不利益という点から見ると自然科学系のニセ科学に比べて相対的にそれほど問題でもないか、と思うので(自分の観測範囲内では)直接利害が関係する研究者が細々と批判していけばいいかな、なんて考えていますが。
投稿: dlit | 2008年11月16日 (日) 23:30
dlitさん、今晩は。
先ほど、そちらにお邪魔してコメントを書いた所でした。
人文・社会系でもありますよね。言語学関連でも色々あるものと推察します。
▼▼▼引用▼▼▼
最近のニセ科学批判批判関係のやりとりおつかれさまです。
▲▲引用終了▲▲
今回は、発端の私に対する反応があまり無かったり…。ニセ科学の話題のはずだったのに、どんどんメタになってしまっているし。
投稿: TAKESAN | 2008年11月17日 (月) 00:28
めちゃくちゃ余談なんですけど……。
>「ニセ科学批判」というのは,社会的に有害な疑似科学を問題とすることです。
これって、ふま君じゃないですかね。ふま君が唯一明言している主張がこれだけで、これだけがふま君のレーゾンデートルですから。ABO FANさんの血液型や、SSFSさんのドライヤーと同じように。
投稿: 田部勝也 | 2008年11月18日 (火) 00:42
そうですそうです。ある人が編集した、というのはあの人の事ですね。
その主張が一人永劫回帰氏を象徴するものであるというのは、kikulog読者には周知ですよね。
投稿: TAKESAN | 2008年11月18日 (火) 00:59