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2008年11月17日 (月)

ニセ科学がニセである事を同時に言えば

ニセ科学は、それがニセ科学だと表明されていれば問題は無い、という類のロジックの話。

これはニセモノですよ、と言いながら説を紹介したりするので、「本物と誤認させる」という意味でのニセ科学では無くなりますね。

ただ、実態としてはニセモノである事には変わり無い。

呼び方として、ニセモノだと皆が解っている、言っている人自身がそう認めている、のであれば、その場合には、価値判断をはずした「疑似科学」とする、というのも出来るかも知れないですね。使用する目的の偽造紙幣を「偽札」と言う事はあるけど、似せて作ったおもちゃのお札を「偽札」とはあまり呼ばないように。

まあ、そう使い分けるべきだ、という事でもありませんけれど、押さえておいても良いかな、と。

だから、SFで世界設定に用いられたりするのを「ニセ科学」と呼ばず「疑似科学」とする、というきくちさんの用法2008年11月18日追記:コメント欄参照の事っていうのは、やはりなかなか考えられたものだな、と思う訳であります。

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「科学論」カテゴリの記事

コメント

こんにちは、TAKESANさん。

SF小説ファンとして言わせて貰うなら、SF小説における「真に迫った自然科学的記述」というのはあくまで道具立てであって、小説として人文学的な意味でのテーマはやはりあるんですよね。それが無ければ、読み捨て小説として直ぐに飽きられちゃう。

例えば、ヴェルヌの時代のSF小説は「自然科学的知識の啓蒙」を目的に書かれた面があって、私に言わせるとあまり面白くないんだけど、E.E.スミスの時代になると自然科学的記述はあくまで道具立てで、騎士道精神にあふれた主人公の活劇とロマンス(スカイラークシリーズとかね)の方が「描きたかった事」になっている訳です。

ハインラインとかの時代になると、テーマは冒険活劇よりもかなり社会性を帯びるよね。そのテーマを際ただせるために、自然科学に架空要素を入れた道具立てが使用されている。

なんていうか、そういう小説としての人文学的要素を理解していると、「SF小説にも疑似科学要素がある」なんて言われても、「でもって、今のニセ科学にはどういう人文的なテーマが表したいの、それが見えない」にしかならないのですよ。

投稿: 技術開発者 | 2008年11月17日 (月) 16:06

技術開発者さん、今晩は。

あ、なるほど。疑似科学的な要素は必ずしも主たるものでは無い、という事ですね。

小説の方には恥ずかしながら疎いのですが、マンガやゲームなんかでも、確かにそうかも知れません。

投稿: TAKESAN | 2008年11月17日 (月) 19:39

SFにおける科学的修飾を「疑似科学」と呼ぶのはSF界ではずいぶんと昔から行われていて、菊池さんはそれと区別するためにあえて「ニセ科学」なる言葉を広めようとされているのだと理解しています。用語としての「疑似科学」「ニセ科学」登場の順番は逆ではありません。

投稿: ROCKY 江藤 | 2008年11月17日 (月) 21:29

ROCKY 江藤さん、今晩は。

あれ?

順序を書いているように読めましたか。

いや、もちろんそうでは無く、単に強調する意味合いで書きました。あの書き方だと、ちと紛らわしいか…。

きくちさんがニセ科学の語を用いられた背景に関しては、こちらでもやり取りしましたね⇒http://shibuken.seesaa.net/article/104100509.html

投稿: TAKESAN | 2008年11月17日 (月) 23:38

「疑似科学」とする、

という部分の前に、「従来通り」とか、「慣例に従って」というのをいれたらもっとはっきりするかもしれませんね。

投稿: やす | 2008年11月18日 (火) 09:33

やすさん、今日は。

確かにそうですね。
本文はそのままにして、コメント欄を参照してもらうように追記しようと思います。丸ごと見てもらった方が参考になるかもなので。

投稿: TAKESAN | 2008年11月18日 (火) 13:57

>順序を書いているように読めましたか。

>いや、もちろんそうでは無く、単に強調する意味合いで書きました。あの書き方だと、ちと紛らわしいか…。

順序を書いているようにも読めましたし、そうではないかもしれないとも思いました。
いずれにしても、第三者のためには概念をはっきりさせて置いた方が良いと思って書き込みました。

投稿: | 2008年11月18日 (火) 15:09

多分ROCKY 江藤さん、今日は。

誤解の余地があれば、より正確に理解されやすい方を採用するのが筋かと思いますので、仰る通りかと。
今回は、コメント欄もまとめて一つのテキストとして見てもらうようにしました。

おそらく理解してもらえるだろう、という認識というのは、過剰に文脈の把握を要求するものであるので、避けるのが安全ですね。省みます。

投稿: TAKESAN | 2008年11月18日 (火) 15:41

こんにちは、TAKESANさん。

>あ、なるほど。疑似科学的な要素は必ずしも主たるものでは無い、という事ですね。

単なる冒険活劇のスペースオペラだって宇宙に飛び出さなきゃ成らない事情というのがあるわけですよ。もともと冒険活劇は「善と悪」の対決にする方が読者を引き込みやすいですよね。アパッチの襲撃をヒロインを守りながら撃退するヒーローとかね。でもね、だんだんと人が賢くなると、「おいおい、アパッチったってアメリカの原住民で、侵入者はヒーローの方じゃないか」なんて意識が出てくると善と悪の対決なんて意識では読みにくいよね。仕方ないので、宇宙に舞台を持っていくと「完全な悪」というのと「善なるヒーロー」が戦い易い訳ですね。という訳で、スカイラーク号は宇宙に飛び出してハロゲンを呼吸する異性物と戦うことになる訳ね(これだと、相手の事情を考えなくて済む:笑)。

でも、単に「宇宙船で宇宙に出ました」じゃ最初からついていけないよね。そこで、重金属の質量を完全にエネルギー変える触媒Xという嘘を一つ作ることで、スゴイ速度の宇宙船であるスカイラーク号を作って飛び立つ事になるのね。描きたいのは触媒Xじゃなくて、読者がちゃんと引き込まれてくれる、善なるヒーローの悪との冒険活劇であるわけです。

投稿: 技術開発者 | 2008年11月19日 (水) 15:59

技術開発者さん、今日は。

よく解ります。

よく考えると、私の世代なんかだと、そういう風に構成されたフィクションが当たり前に浸透していていつの間にか馴染んだ、という感じもしますですね。

投稿: TAKESAN | 2008年11月19日 (水) 16:30

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