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2008年11月17日 (月)

ニセ科学の見方

lifecrack - Blog: 私もわからんです。:2008/11/16 14:39

こちらのコメント欄でやり取りをしていたのですが、あまり何度も長文を投稿するのは良くないので、エントリーを上げます。

▼▼▼引用▼▼▼
これは、ほぼイコールだと見る事が出来ます。なぜなら、「効果がある」という主張そのものが、「効果の実証」を含意するからです。
見方を変えると、「効果がある」に「実証された」という意味を含ませないとするならば、「効果」が何を根拠に主張されるのか、という事です。
▲▲引用終了▲▲

▼▼▼引用▼▼▼
そうすると、初めから超越的・形而上学的な概念を説明の体系に組み込むものは、基本的にはニセ科学とは看做さない、という事にもなると思います。
▲▲引用終了▲▲


どうもまだよく理解できていないみたいです。
物分りが悪くて申し訳ありません。

「効果がある」というのは論理的に、

  • 多くの人に効く。
  • 効果が安定している。
  • 他の要因を排除しても効く。

などの意味を含んでいますよね。そうで無いと、あるものの「効果」と言う事は出来ない。効く人もいるけど効かない人もいる、という意味合いでは、普通「効果」は謳わない訳で。

後者。

説明原理に、神や気の概念等を持ち込んで、閉じた論理体系を構築すれば、それをニセ科学と看做す事は、私はしません。神の方は検証不能ですし、気の方は、構成概念のメカニズムがブラックボックスの仮説と看做せるからです。気はある種の電磁波だ、などと言ったりすれば、それはアウトでしょうね。

やはり私にはニセ科学とは看做されないものと、ニセ科学と看做されるものを見分ける基準を理解するのが難しいです。

前にも書いたように、基本的には実証の手続きを経たか、という観点から判断されるものなので、それは比較的容易な訳です。グレーゾーンであるものや、説明が込み入っているものを、敢えて「ニセ科学」と判別する必要は無いので。それが、別にニセ科学批判は、説をニセ科学と判断してまわる事では無い、という言い方に繋がってきます。

TAKESANさんは「針治療はニセ科学だとは考えていない」とおっしゃいました。
私は不勉強なので、現在針の効果がどの程度科学的に実証されているものなのか知りません。

確か、一時期アメリカで「針治療を保険の対象に含めるか」で揉めたことがあったと思うのですが、そのときも結局明確な結論はでないままだった気がします。
やはり、東洋医学の根底に流れる、経絡、つぼ、気”の循環などが議論の対象となっていたと思います。

針治療と気功による治療、またつぼを刺激することで「治療効果がある」と主張する治療行為、これら違いは何でしょうか。
東洋医学とホリスティック医療などで用いられるインド医学「アーユルヴェーダ」を分ける差異というのもよくわかりません。

どっちも、いわゆる科学から外れた理論によって構築された医学であるように思えますし、東洋医学の方が広く普及したぶん、科学的な検証も多くなされて解明され実証されたもの多いのでしょうけど、ならばインド医学だって今後普及して行く過程でさまざまな検証が行われていくんだろうから、頭っから否定することも無いのかな? と思ってしまいます。

これについては、そもそも、「鍼治療」や「気」の概念等が多義的である、というのを押さえておく必要があると思います。鍼治療を、気や経絡等の東洋的な思想と絡み合った複雑なシステム総体と看做すなら、それ自体がニセ科学であるか否か、というのを判断するのは難しいでしょう。

ですから、ある部分を取り出したりしてきちんと定義して確認する、という必要があるかと思います。鍼治療であれば、特定の部位に鍼を刺して、体調や心理状態が改善するかどうか、というのを、メカニズムはひとまず棚上げにして(無視する訳ではありませんが)確認していく。そうして効果が確認されれば、鍼治療は科学的である、となるでしょう。現在の所は未科学と見るのが良いと思いますが、これは論者によるかも知れません。

ちなみにニセ科学とは、実状と主張との乖離の度合の評価でもある訳です。どうやら鍼には体調改善効果があるようだ、というエビデンス(証拠)が見つけられたとして、それをそのまま言えば充分科学的ですが、「ガンが鍼によって根治した」などと言ってしまってはいけないのです。

※繰り返しますが、田崎さんの文は読まれましたよね? よくまとまっているので、是非お読み下さい。

余談ですが、私の「気」についての考えは、こちらで書いています。ご参考まで⇒●Interdisciplinary: 気感を科学的に考える ●Interdisciplinary: 気とはシステムである

アーユルヴェーダに関しては、私は知識を持っていないので、何とも言えないです。一般論としては、どのように効果を謳うか、原理として何を用いるか、というのが総合的に検討されると言えるでしょう。グレーゾーンならグレーと言えばいいのですし。温泉の効能書きはニセ科学か、という議論もありましたが、議論があるという時点で、それほど真っ黒とは看做せないのかな、という判断も出来ると言えますね。

ニセ科学批判というものをみていると、オカルトやらスピリチュアルやら時には宗教まで"ニセ科学"の枠のなかに一緒くたに入れられて批判されているものなどもよくみます。

私も見ます。そして、それを批判します。右サイドバーにwikiがありますが、私はその記述と同じ認識です。

でも、ニセ科学に対する批判というのは「"ニセ科学を信じること"そのものが問題だ」という批判だと思います。
「実害がなければ、別に信じてても良いんじゃないの」という話ではないようですし。

一行目。

信じる事はすなわち、ウソを本当だと信じる事なので、それは問題だと思います。要するに、科学ではこうなっているのに、科学では「こうでは無い」と言っている人がいて、それを信じ込む人がいる、という話ですよね。

二行目。

これはよく解らないのです。実害がある/無い をどう分けるか、という問題もありますし、ニセ科学は偽札を本物だと言ってばら撒くようなものなので、それ自体批判の対象となります。偽札を掴まされた人は、本物だと信じて店で使うかも知れない訳で。個人で信じて他者に全く影響を及ぼさない、という状況が、かなり珍しいのではないかな、と。他者と交流せずにニセ科学を信じる、というのが果たして現実的にあり得るのかどうか…。

しかし、「ニセ科学」とそれ以外のものを見分けることが多くの人にとって本当に可能でしょうか?

当然不可能です。不可能であるから、実はニセ科学というものがあるのだ、と周知しようと試みている訳です。重要なのは、「専門家」や「科学者」がニセモノを広める、という事なので、それを知らせているという面があります。

実際のところ、水伝に対する批判がこれだけ盛り上がったのは、"水伝を批判するのに科学的なリテラシーなんてたいして必要ではなかった"からではないでしょうか?

いや、水伝を批判するには、それなりの科学のリテラシーが必要だと思います。自然科学の面では。水伝批判が盛り上がったのは、それが象徴的に批判者によって採り上げられるというのもあるし、「言葉」という人間にとって普遍的で馴染み深い(自然科学より遥かに)トピックに関わるものであり、さらに、それが道徳教育にも用いられた、という事情があるからではないかと考えています。

実害への批判ならば誰にとっても解りやすいし、「"ニセ科学やオカルトや宗教やその他もろもろが一緒くたにされたもの"への批判」であっても、「信じることで発生する実害」に対する批判ということで統一されて、それほどおかしなことにもならなし、混乱も少ないのかな? と思ったのです。

私はそうは思えません。ニセ科学とオカルトが一括りで批判されるのは、レイヤが異なるものを一緒にしていまっていると考えます。ニセ科学は、ある程度対象を狭める事で、問題を解りやすく、論点を明確にしたものです。未だに、ニセ科学批判を科学哲学上の問題とほぼ同じように捉えている人もいるのですが、それは、伝統的な境界設定問題を引きずり過ぎていると思うのです。

「ニセ科学やオカルトや宗教やその他もろもろが一緒くたにされたもの」を批判するならば、それらに共通する要素をきちんと見出して概念を定義する必要があると思います。

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