理系に興味を持ってもらう
野尻ボードを覗いたら、女子高生に、理系に興味を持ってもらうにはどうすれば良いか、という話題が出ていて、エントリーを何か書こうと思って考えていたけど、思いっ切りはずしているような気がして、結局、一般的に「理系に興味を持ってもらうには」、という部分について書こうと思った今日この頃。
特に根拠も無く、自分の経験に基づいて書きますが、たまにはそういうのも良いでしょう。
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ここで「理系」とは、たとえば、そうイメージされやすい職業、技術者とか企業の研究者とか、そういうのでは無くて、自然科学的な知識、とします。理系に興味を持つとは、自然科学を志向する、毛嫌いしない、という事。
個人的に思うのは、理系に興味を持ってもらうために、それをイメージさせるいかにも「典型的」な職業などに関心を持たせる、というのは、どうなのだろうな、と。
うーん、何て言うんでしょうね。ほら、友人にしろ家族にしろ、その人が興味を持っている事について、良さをプレゼンテーションされる、というのがあるじゃないですか。いかにそれが素晴らしいかを、熱くなって語る。
でもそういうのって、言われる側としては、結構冷めたりしませんか? 場合によっては引く。その人が熱意を持ってそれに取り組んでいたり興味を持っているのは解るんだけど……と。
だから、理系の知識一般に興味を持ってもらうのがいいんじゃないかと。そういう一般的な所に興味を持てば、総体として、理系の分野の職業にも関心を持たれる事が期待される、と言いますか。
で、一般的な所に興味を持たせるにはどうするか、と考えると、「元々興味を持っているもの」について徹底的に突き詰めるよう促す、というのがポイントかと思っています。
要するに、ほら、科学は素晴らしいだろう? と直接的に言うのでは無くてですね、いつの間にかそれに興味を持たざるを得ない状況に持っていく、という方向性。
大概の物事を突き詰めていくと、自然科学の知識に行き着く訳ですね。具体的な所を学ぶという所にまでは行かなくても、仕組みがどうなっているか、つまり「メカニズム」を意識するという所には行くと思います。
ホント、なんでもいいと思います。どうしてそうなっているのか、というのを考えさせる。ケータイの仕組みでも、ゲームの仕組みでもPCの働きでも、何でも。化粧品の仕組みでもいいし、料理の構造でもいい。模型とかでも。
思うにですね。
理系(の知識の体系とか職業とか)そのものに興味を持たれないという前に、物事の仕組みを考える事を避けたりする、というのがあると感じるんですよ。まずそこら辺から考えていくべきなんじゃないかと。
以上、武術の事を知りたいのが高じて解剖学や生理学・心理学等に興味を持ったり、模型の塗装について勉強していて結局化学的な論理が働いている事を実感したり、昔やっていたプログラミングが実は論理学等の数学的論理に基づいているのだと知ったり、とか、ゲーム脳が何故おかしいかを考える内にニセ科学論に触れ、理論の妥当性を考える際に統計学的方法が重要になる事を知り、それを勉強するに至った、等の経験からの考えを書きました。
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コメント
私の場合,基礎物理系,応用工学系,ミクロ生物系,マクロ生物系とか考えていくだけでも,全然ちゃうやんと云う思いですね。
これらを全部,理系とくくると齟齬が生じると思っています。特に,自然科学そのものに近い基礎系と応用系は,研究者の資質による部分も大きいのですが,感性としての乖離が,文系,理系のそれ以上に感じる場合があります。だから,二軸構造で対比すること自体,無理があると思っています。
多くのトンデモ系知識人に言えることですが,自分自身が興味があること以外,関連領域以外,全く興味がないのが透けて見えます。それは,個人の勝手ですが,それにより,僅かな知識が有れば,絶対にしない勘違いを引き起こすという罠にいとも簡単に填ります。
自戒を込めて。
投稿: complex_cat | 2008年11月14日 (金) 10:38
関連領域以外× 関連領域であっても○
でした。失礼しました。
投稿: complex_cat | 2008年11月14日 (金) 10:39
complex_catさん、今日は。
私自身、理系/文系 という分類にはあんまり意味が無いと思っています。ですので一応、自然科学の知識に興味を持ってもらうには、と、ある程度解りやすいようにしてみました。
仰るように、関心の幅を少し広げて「具体的」にちょっと勉強してみれば解るにも拘らず、勘違いをしてしまったり、大袈裟に語ったり、というのがなんと多い事か、と思います。
最近だと内田氏なんかが典型ですね。それが受けてしまってるのがなんともアレですが。
これは何度も書いているのですが、自分が考えた程度の事は他に考え付いた人がいるだろう、と思っておいた方がいいんですよね。そうすれば、他の領域に関心を持って、色々知ろうとする「構え」が出来ますし。
このブログのタイトルは、そういう所も考えてつけた訳ですけれども。
投稿: TAKESAN | 2008年11月14日 (金) 11:35
エントリの真意については理解しております。ちょっと書き方が拙かったのですが,私も繰り返し同じことを書いていて,ここを目にされる方に訴えたかったところがあります。失礼しました。
内田氏の書くものは興味が無くて,今までまともに読んだことがなかったのですが,ノーベル賞や甲野さんの武技関係のテキストを見て,この人,かなり危ういなと云うのを始めて感じました。考えたら目に触れても,すっと入ってこないから,読む気が起きなかったのだと分かりました。
投稿: complex_cat | 2008年11月15日 (土) 07:43
complex_catさん、今日は。
内田氏、危ういですね。
定期的に読んではいないのですが、時折はてブ経由で見るエントリーが、むちゃくちゃだったりしますね。知識が無い人からすると、そういうものなのか、と思われるかも知れないのが、かなり怖いです。
投稿: TAKESAN | 2008年11月15日 (土) 11:42
「特定の誰かに対して理系に興味を持ってもらうにはどうしたらよいか」と「相対的により多くの人がより理系に興味を持つ社会にするにはどうしたよいか」という別々の視点からの問題意識をバランス良く議論する必要があると思っています。
「○○の傾向を持つ事」に関する議論に対して、「特定の誰かに○○の傾向を持たせる事」と「より多くの人がより強く○○の傾向を持つ社会を築く事」という2つの視点がありうるかと思いますが、後者の視点が完全に欠落した人が、「さっぱりわからんそうです」の人のような視野狭窄に陥り、前者の視点が足りないと、「1000人の中から育った優秀な10人より、10万人の中から育った優秀な10人がいる社会のほうが良い。負け組の事など知らん」といった大学院政策を立案する事になるのでしょう。
「さっぱりわからんそうです」の人は、一度、自分以外のすべての人が、科学を「信じていない」世界に住んでみれば良いと思います。何を「信じる」かは自由であるべきらしいですから、きっと理想的な世界と思ってくれるでしょう。
投稿: 田部勝也 | 2008年11月18日 (火) 00:28
田部勝也さん、今晩は。
▼▼▼引用▼▼▼
別々の視点からの問題意識をバランス良く議論する必要があると思っています。
▲▲引用終了▲▲
仰る通りだと思います。
多分、後者の問題意識が強い方と自覚しています。
私は、学習科学的な考えにかなり影響を受けているので、社会制度の整備、つまり教育制度の充実とともに、理科系の知識を「当たり前」の知識であると認識されるように、社会全体に埋め込んでいくようなアプローチが考えられるべきと思っています。
これはよく書くのですが、「嫌わせない」のが肝要と感じます。そしてそれには、身近なものと理解させる。
思えば私達は、たとえば相加平均という数学的な概念を当たり前のように使っている訳で、それは間違い無く教育の成果であり、学問的な知識の社会への浸透を示している訳ですよね。
もちろん、私達が生きている世界にいかに科学や技術の知識や方法が用いられているか、というのを実感するのも重要と思います。
poohさんの所にたざきさんが携帯電話の話を書かれていましたが、携帯電話のメカニズムに思いを馳せるだけでも、色々な所に繋がってくると思うのです。ちなみに、私が円周率の意味や割り算の意味を知ったのは、20歳を過ぎてからですが、これは、学問を「積極的に嫌ってきた」成果と言えます。
これはすごく象徴的な例ですが、どこかの地域で、色々な店なんかに数学の問題が貼ってあって、そこで解答が出来る、というのが、以前テレビで紹介されていたんですね。それはさすがに象徴的過ぎる例としても、そういう方向性を考えるのも大切かな、と。
▼▼▼引用▼▼▼
一度、自分以外のすべての人が、科学を「信じていない」世界に住んでみれば良いと思います。
▲▲引用終了▲▲
多分、それを想像する事はなさらないでしょうね。ごくごく一般論を語る方のようですから…。
投稿: TAKESAN | 2008年11月18日 (火) 00:56
>多分、後者の問題意識が強い方と自覚しています。
私の場合、自分が教員をしていた頃はもちろん、「今目の前にいる子たちをどうにかしなくちゃいけないっ!」というのが最大の関心事なわけで、そのためにいろいろと空回っていたわけですけど、教員を辞めて、差し当たってそういう相手もいなくなったので、相対的に後者の問題意識が大きくなってきたという感じでしょうか。
それにしても、教員をしていてよく思ったのは、社会からの孤立無援感というか疎外感というか、「理科に興味をもってもらおう」とする自分の気持ちに対して、社会全体が「そんな余計な事すんなっ、バカ野郎!」と言ってるような被害妄想に襲われたものです。
なんというか、「汚い言葉遣いをしてはいけません」「えー、だって、みんなしてるじゃん。ほら、あの大人も、テレビに出てる偉い人も、みんなしてるよー。きれいな言葉遣いしてるなんてカッコ悪いよー」というのと同じ感じでしょうか。
>これはよく書くのですが、「嫌わせない」のが肝要と感じます。そしてそれには、身近なものと理解させる。
これはまったく同感です。
自分は、教員採用面接のとき、毎回「自分は子どもたちを理科好きにできるかどうかは分かりまし、無理にしようとも思いませんけど、“あの先生は本当に理科好きなんだなぁ”“あの先生は本当に楽しそうだなぁ”と思ってもらう自信はあります」と答えて、それを実践してきたつもりです(……と、口で格好いい事を言うのは簡単なのですけど、本当にできたのかどうかは正直分かりません)。
投稿: 田部勝也 | 2008年11月19日 (水) 00:44
田部勝也さん、今日は。
私は、ただ嫌っていただけでは無く、嫌う事に正当性を持たせようという認識を持っていました。まあ、あれです。勉強ばかりしたら頭が固くなる、的な。単に興味が無いより厄介ですね。積極的に嫌う訳ですから。
誤解を恐れずに言えば、勉強はゲーム感覚で取り組むのが良いと思っています。知的好奇心を満たすために勉強するのは、ゲームを先に進める悦びととても似ていると思います。内発的な動機付けですね。それ自体が面白いという。
私がプログラミングに興味を持ったのは、多分10才か11才の頃ですが、誰にも教えられず、ポケコン(懐かしい…)のマニュアルをひたすら読んで、一応走るプログラムは組めるようになったんですね。誰に褒められるとかじゃ無く、憶えて完成させる事そのものが楽しいのでした。模型を作ったりゲームをクリアするのと一緒ですね。
投稿: TAKESAN | 2008年11月19日 (水) 12:21
>私は、ただ嫌っていただけでは無く、嫌う事に正当性を持たせようという認識を持っていました。
これはごく自然な反応でしょう。学校の勉強が嫌いなのに、それを何の正当化もせずに自分を保てるような強い人は(特に日本では)少ないはずで。だからこそ、TAKESANさんが強調されるように「“嫌わせない”のが肝要」なのだと、私も思います。
好き嫌いのある子に「食べなきゃダメでしょ。食べないと大きくなれませんよ」みたいな事を言っても、余計嫌わせてしまう場合が多いわけで(↓)。
http://homepage2.nifty.com/k-tabe/lab/privat02.htm
でももしかしたら、ただ「きもい」とかヒかれて、さらには理科そのものへの悪印象を与えていただけかも知れないわけで、本当に本当に難しいです……。
>誤解を恐れずに言えば、勉強はゲーム感覚で取り組むのが良いと思っています。
これは(まともな)教員の永遠のテーマですよね。TAKESANさんがおっしゃるような「内発的な動機付け」をいかに子どもたちに持たせる事ができるか──それが教員の評価のすべてであり、唯一の存在意義です。
その究極の目標を断念・放棄して/見失って、いつのまにか、目先の損得で子どもに勉強させるよう仕向ける事だけに追われるようになってしまった教員たちは、間違いなく「水からの伝言」に飛びついただろうと思います。
>知的好奇心を満たすために勉強するのは、ゲームを先に進める悦びととても似ていると思います。
>誰に褒められるとかじゃ無く、憶えて完成させる事そのものが楽しいのでした。
本来「ゆとり教育」や「総合的な学習の時間」というのは、そういう悦び・楽しみを子どもたちに少しでもたくさん体験させてあげるためのものだったのですよね。そのへんの話はドラゴンさんが詳しいのでしょうけど。
私は当初から「方法論が確立されていないまま見切り発車されても、全体としてはうまくいかないだろう」「マスコミを始め社会全体はそのような本来の目的ではなく、キャッチーなコピーから勝手に連想するエセ“ゆとり教育”が流布するだけで終わらないだろうか」と危惧していたわけですけど……どうしたら、それが実現できるのかというのは本当に本当に難しい問題です。
野尻さんも言っていたように、「周期的に無限ループが再開する先生方の教育論」なんですよね(苦笑)。
投稿: 田部勝也 | 2008年11月19日 (水) 23:42
▼▼▼引用▼▼▼
学校の勉強が嫌いなのに、それを何の正当化もせずに自分を保てるような強い人は(特に日本では)少ないはずで。
▲▲引用終了▲▲
ああ、これはなるほどです。
そうですね……何というか、マスメディアであったり周りの身近な人であったりが、勉強(と一般化しますが)を重視しない事を、奨励とはさすがに言いませんが、促したりするのは感じました。あくまで経験的な話ですが、かっちりとした学校の勉強を学ぶ、という所への嫌悪、と言うか。
自分の子どもの頃を思い出すと、学校の先生というのは大変だったろうな、と思います。本当に、心からそう感じるのです…。
いい先生とそうで無い先生、っていますよね。小学生くらいの頃は、怒らないのがいい先生、って感じでしたけど、高校辺りになると、話が解りやすいとか面白いとか。
これは前書いたのですが、テストで出る問題を、テスト直前にやらせて、平均を90点近くに持っていく、という先生がいたんですよね。今考えると、最高に愚かしい話なんですよね。テストの意義というものを蔑ろにして、平均の高さを誇る、という。
そういうのは、勉強をつまらなくさせる一つの原因なんでしょうね。テストで高い点を取らせるために範囲を狭めて完全に暗記させる、というのばっかりでした。
そうですね……RPGの経験値稼ぎだけさせられている、という感じでしょうか。面白く無い事この上ない。
大人になってから、「勉強しとけば良かった」と言う人を、しばしば見かけますね。学歴がどうこうというのは置いておいて、自分がものを知らない事を思い知ったり、知的好奇心が湧いてきたりして、ああ、あの頃やっとけばなあ、となる。
私もそのクチでして、最初の方は、武術を理解するために色々本を漁って、そこから心理学や解剖学に興味を持ったんですよね。後、身近の機械なんかの構造機能にも関心を持って。そうすると、必然的に、自然科学と、それを記述する数学に興味を持たざるを得ないんですよね。
何か目的を達成するために、ある能力を身に着けなければならない、というのがあると、何かを学ぶのが苦で無いんですよね。それで、しばらくすると、学ぶ事自体が楽しくなって、あらゆる現象について興味が出てくる。この楽しさというのは素晴らしいです。
そういうのを思い返すとやっぱり、「嫌わせない」のが重要だなあ、と。それで、そうするためには、自分がある程度知っておかなくちゃならないんですよね。知りもしないものの大切さとか面白さとか、教えようが無い訳で。
だから、「大人がまず勉強すべき」と考えているのであります。
投稿: TAKESAN | 2008年11月20日 (木) 00:51