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2008年11月 3日 (月)

ややこしい

脳内汚染からの脱出 (文春新書 573) Book 脳内汚染からの脱出 (文春新書 573)

著者:岡田 尊司
販売元:文藝春秋
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図書館で借りてきて、ざっと再読しました。

やっぱり、ややこしい本ですね。

岡田氏の論は、かなりムチャクチャです。でも、知識に乏しいと、見抜くのはやっぱり難しいかも知れない。ゲーム脳本よりは圧倒的に難しい。

色々ごちゃごちゃ集めて書かれると、尤もらしく見えるんですよねえ。更に、小説風の味付けもしてあり、恐怖感を煽る内容になっている。ややこしい。

この本では、論拠として、大規模な社会調査である(と岡田氏が認識している)寝屋川調査が援用されている訳ですが、それがそもそもおかしいのですね。

岡田氏は、何回も何回も、統計的に有意である事を協調しています。しかも、寝屋川調査のデータを元にした、独立性の検定。そもそも標本の無作為性がとても怪しいのに、検定をして一般化出来るのか、という問題がありますし、また、有意確率を「関連の強さ」の度合として誤認させるような書き方が散見されます。例:「p=0.0000というのは、間違いである確率が十万分の五未満であるということである。こうした強い関連性が、偶然の支配する現実の現象で観察されることは滅多になく、その場合、そこには因果関係が存在することがおおいのである。」(P63)

寝屋川調査では、ゲーム・ネット依存についてのチェックリストが用いられていたそうですが、これも疑問を持つ内容。そもそも信頼性や妥当性が本当にきちんと確認されているのか、というのもそうですが、何よりおかしいのが、その解釈。

そのチェックリストは、全部で8項目。4件法です。一つ挙げると、「ゲームやネットができないことで、イライラしたり、落ち着かなくなることがある。」という質問。回答の選択肢は、「よくある/ときどきある/あまりない/まったくない」という具合。

それで、ですね。「ときどきある」を1点、「よくある」を2点として得点をつける訳なのですが、その解釈が非常に疑問。抜粋しましょう(P65)。

判定基準

0点  依存傾向なし  49.7%が該当
1~3点  要注意  28.6%が該当
4~7点  軽度依存レベル  16.0%が該当
8~11点  中度依存レベル  4.3%が該当
12~16点  重度依存レベル  1.4%が該当

こういう具合です。

これ、おかしいと思いませんか? だって、「ときどきある」が一つでもあれば、「要注意」であると判定されるんですよ。しかもこのチェックリスト、「依存」という精神医学的な概念を調べるものなのです。更に、です。質問項目には、こんなのもあるんです。

止めさせようとしたら、怒り出したり、暴言、暴力になったことがある。

典型的なダブル・バーレルですね。これだと、怒り出したのか暴言を吐いたのか、あるいは暴力に走ったのか、全然解らない。止めさせようとすれば怒り出すというのは、どんなものでも起こり得る訳です。それを、「暴言・暴力」というかなり強い言葉とくっつけている。

こういうのが出てきて、メディアでは数値だけ発表される訳ですね。たとえば、依存の危険がある人が半数もいた、というように。実際岡田氏自身、「逆に言うと、中学生の約半数に何らかの依存症状が認められたことになる。」(P64)と解釈しているのです。「症状」ですよ。そしてその実態は、質問に一つでも「ときどきある」あるいは「よくある」を答えた人が半数いた、という事に過ぎないのです。

岡田氏の著作や主張には、この手の論が散見されます。実にややこしい。

最後に、上で紹介したチェックリストを全部、ちょっと変えて書いてみましょう(P65を元に一部改変して書く)。

  1. ○○や□□ができないことで、イライラしたり、落ち着かなくなる。
  2. 家族や友人と過ごすよりも、○○や□□を優先することがある。
  3. ○○や□□に熱中しすぎて、学校(仕事)のことがおろそかになったことがある。
  4. 時間を決めてやろうとして、守れなかったことがある。
  5. やりすぎて、夜が遅くなったり、朝が起きられなくなったことがある。
  6. していることをごまかしたり、ウソをついたことがある。
  7. やりすぎて、手や目や頭や腰などが痛くなったり、体調が悪くなったことがある。
  8. 止めさせようとしたら、怒り出したり、暴言、暴力になったことがある。

この○○と□□の部分に、ゲームとネットが入る訳ですが……いかがですか? ゲームやネットに限らず、何かを当てはめて、0点を取れますか? 取れなければ、「要注意」だそうですよ。

その前に、「ときどきある」と「あまりない」はどう違うんでしょうね。

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コメント

寝屋川調査の解釈の問題、という意味で言えば、『脳内汚染』の方の文庫版62頁にある、こういう部分もあります。

質問
小さな動物をいじめたり、傷つけたことがあるか

これに、中学生4%が「よくある」、9%が「ときどきある」と答えたことについて、岡田氏は、「約13%の中学生が、虐待行為を稀ならず行っていることを認めている」なんて言ってしまっています。
当たり前ですが、「傷つける」っていうのは、事故であるとか、そういうものも含まれるわけで、虐待行為に当たるのかどうかは判断しがたいのに…。

この当たりなどは、完全に、印象誘導のための恣意的な解釈と批判されて当然だと思いますね。

投稿: たこやき | 2008年11月 3日 (月) 02:05

おはようございます。魚住絹代「いまどきの中学生白書」でも検討してみようかと思ったところ、Amazonなどの書評であまりにボロクソだったので引いてしまいました...;;
ですから、私のはTAKESANさんの記述(順序量として与えられた回答に勝手な数値をあてはめて合計してしまう、など)や様々なサイトの書評の言うところがその通りだとしたら、という話にしかならないのですが、法務関係者はこのようなレベルの解説が世間に広がることを見逃していいと考えているのでしょうか。法務関係者は、世間から総体的にこんなレベルなのだとみなされてしまうことについて平気なのでしょうね。

投稿: ちがやまる | 2008年11月 3日 (月) 08:42

現象解析的な作業において,実験系の統計しか囓ったこと無い人がよく陥る間違いでもあると思います。
 最悪でも,順位変数として扱うべきものを,勝手に点数化しているという部分だけでも,数量評価についての問題を理解しておられませんね。
 さらに,外群比較という概念がないのでしょう。絶対評価できると思っている。

 たとえば,マクロ生物系の学生を沢山見ていると,感情論ではなく,もっと深い哲学として生物を理解して愛している人がたくさん居ますが,必ずしも彼らが少年期に,生き物に対する少年の残酷さを表現する舞台に立っていないというわけではないのです。勿論,小さいときから虫一匹殺せない人だって居ますが,それ自体が,無関心故なら,実際は生き物に優しいかとか粗暴性格なのかどうかなんて分かりません。
 アニマルホルダーとして,捨てられた犬猫を拾い集めて無計画に繁殖させて飼育放棄に近い状態で虐待する人は,浅い価値観で見れば,「犬猫が好きな人間」だと誤解されますが実態は逆です。ましてや,生き物との関わり方や距離の取り方が固まっていない少年期の行動を,単純な軸で評価すべきではありません。

 この手の本を書く輩が許せないのは,自分たちの少年時代の現状をも理解していないこと,そして子供の今の状況を憂いているようで,全く子供のことなど理解したり愛したりする気がないことが透けて見えることでしょうね。また,まともな自然科学系の本を読んでいない教育関係の上の方や議員などが,我が意を得たりとこういう本に飛びつくことが,日本ではありがちではないかと心配します。

 アメリカにもブッシュやペイリンみたいな人はお出でになるので,理想化するつもりはありませんが,読んでいる,読んでいないは別にして,E・O・ウィルソンの“Sociobiology”やドーキンスの“Selfish gene”など,まともな研究者が書いた本が,一政治家の書棚に並ぶ欧米の政治家とは,全く次元が異なる人たちが少なくないと思われる日本において,このような「アホのツール」になるような本を出すことは,噴飯ものだと思っております。「心に暗雲」の方と同様,許しがたいものがあります。

投稿: complex_cat | 2008年11月 3日 (月) 11:29

たこやきさん、今日は。

更に言えば、「小動物」という概念が人によって違う、というのもありそうです。
質問紙に、「小動物とは○○や□□のようなものを指す」とでも書いていない限り、それぞれの知識に従って解釈するでしょうね。ダンゴムシも猫も、「小動物」と解されるかも知れません。

それを考えると、虫を傷つけたりを全くした事が無いというのはちょっとあり得ないでしょうから、ある程度は回答する人が出る、となるでしょうね。
その解釈を「虐待」と持っていくのは、明らかに行き過ぎですね。

私の場合、「小動物」というと、典型として「リス」が想起されるのであります。

------

ちがやまるさん、今日は。

魚住氏の本に関しては、たとえばたこやきさんのレビューなどは妥当だと思います。
構成が実は『脳内汚染』に似ているんですね。小説風の記述で不安を煽り、その後に「データ(とあまり呼びたくはありませんが)」を示している。棒グラフの使い方も変だし、解釈もわがまま。かなりひどい本だな、と。

▼▼▼引用▼▼▼
法務関係者はこのようなレベルの解説が世間に広がることを見逃していいと考えているのでしょうか。
▲▲引用終了▲▲
確かに、そういう関係の人が魚住氏を批判しているのは、私は記憶に無いですね。表に出ていないだけで、批判をしている人自体はいるのかも知れませんが…。

ちがやまるさんの見解は、是非伺いたい所です・・。もし読まれたら、ここでも掲示板でも、書いて頂ければ、大変ありがたいです。

投稿: TAKESAN | 2008年11月 3日 (月) 11:48

complex_catさん、今日は。

確か魚住氏の本だったと思うのですが、件の調査は、専門家の協力を得て作成されたそうです。心理学者も入っていたと記憶していますが、一体どんな専門家だったのか、と。

▼▼▼引用▼▼▼
この手の本を書く輩が許せないのは,自分たちの少年時代の現状をも理解していないこと,そして子供の今の状況を憂いているようで,全く子供のことなど理解したり愛したりする気がないことが透けて見えることでしょうね。また,まともな自然科学系の本を読んでいない教育関係の上の方や議員などが,我が意を得たりとこういう本に飛びつくことが,日本ではありがちではないかと心配します。
▲▲引用終了▲▲
全く賛同します。果たして本当に子どもの事を考えているのだろうか、現状をきちんと見ていこうと思っているのか、と疑問に思います。

後段に関しては、教育再生会議の委員に岡田氏が選ばれたり(※下の追記を参照下さい)、教育関係者から少なからず支持されたり(たとえば齋藤孝氏は支持者)、というかたちで顕れていますね。

教育再生会議(※追記:これは、教育再生会議では無く、「バーチャル社会のもたらす弊害から子どもを守る研究会」の事です。お詫びして訂正いたします)の場合には、極めて理路整然・冷静・慎重に、岡田氏や義家氏の暴走(と言っていいでしょう)を食い止めてくれた方がおられたので、そこは幸いでした。

脳内汚染は、参考文献は学術書並みに参照されていて、これがまたややこしいですね。
主張を根本的に支える論拠の2つ(一つは寝屋川調査、もう一つは、ゲームをやらせた人のドーパミンの分泌を調べた研究)に関しては、ここでも検討し、特に後者については、わがままな援用をした可能性が強い事が、ちがやまるさんやたこやきさんによる検討で明らかになりました。

------

全く余談ですが……。

ゲーム脳を紹介したもので、こういうのもあります(PDFファイル)⇒http://www.morioka-med.or.jp/ihoujin/2006-11.pdf

医師会の会報に載るってのは、シャレにならんよなあ、と。しかも、2006年だから、批判が出尽くした後ですし。

投稿: TAKESAN | 2008年11月 3日 (月) 12:04

TAKESANさん、こんにちは。

盛岡の医師会はすごいですね。

別のところに突っ込みますが、いまだに西洋人を狩猟民族と言うのも問題があります。
西洋の農耕文化は、日本よりも歴史があります。農耕でないと、あの文明は支えられません。
肉食=狩猟民族というのでしょうか。

読売新聞が出しているTOSSの食育テキストにも同じような表現がありますが、どうしてこんな認識が広まったんでしょうか。

投稿: ドラゴン | 2008年11月 3日 (月) 14:58

ドラゴンさん、今日は。

メディアとかでよくそういう言われ方がするから、なのでしょうね。歴史的には、誰かが広く言い出したり、というのがあるのかも知れません。

医師会のパンフレットはアレですね。「魂」という語を用いている事から、なんとなく、誰の意見を参照しているかは判りますが…。括弧で「心の理論」とは、何を言っているのだか。

しかも、アマラカマラの話も出ていますね。タイムリー。

投稿: TAKESAN | 2008年11月 3日 (月) 15:33

えっと……

>後段に関しては、教育再生会議の委員に岡田氏が選ばれたり、教育関係者から少なからず支持されたり(たとえば齋藤孝氏は支持者)、というかたちで顕れていますね。

教育再生会議ではなくバーチャル研究会なのではないでしょうか?

投稿: アルファ | 2008年11月 3日 (月) 21:26

アルファさん、今晩は。

おおっと。

そうです。ごっちゃになってた…。

ご指摘深謝。

再生会議は義家氏でした。バーチャル略が、義家氏&岡田氏、坂元氏。

誤った情報を書いて申し訳ありませんでした。上のコメントに追記を入れます。

投稿: TAKESAN | 2008年11月 3日 (月) 23:49

岡田氏のは単なる私人としての意見発表ではなく、「少年院」という看板をつけてやっていることですから。文春もそういう肩書きに目をつけて売ろうとしているのでしょうし。すると法務省としての見解はどうなのか、「少年院」の看板をつけた岡田氏の発表する意見は法務省の見解とみなしていいのか、という問題につながると思います。
きくちさんや技術開発者さんがそれぞれ違った立場で「科学の受容や普及」に関するテーマを業務の一環として扱うことは何の問題もないと思いますが、岡田氏はそれとは異なった業務上の地位にいる可能性があると私は考えています。刑務も精神科領域も、もともと人権の問題をかかえているわけですから、「マッチポンプ」みたいな仕事はけっしてやってはならず、まじめな着実な仕事をする必要があると考えます。岡田氏がそういう自覚を持って活動しているかどうかは、その影響力に応じて検討の意味が出てくると思います。

投稿: ちがやまる | 2008年11月 5日 (水) 10:41

ちがやまるさん、今日は。

確かにそうですね。岡田氏は少年院勤務で、肩書きとしてそれを前面に出していますね。
魚住氏にしてもそうですよね。医療少年院勤務(岡田氏と同じ所ですが)を経て、大阪府の教委のアドバイザーとして働いている。

魚住氏は少年院勤務を十数年続けていた事を強調しているし、岡田氏は現職ですね。岡田氏の場合には、警察庁の研究会のメンバーでもあった訳ですね。影響力と言うか発言力と言うか、は、かなりのものがあるのかも知れません。

法務省の見解というのもそうですが、岡田氏の意見にについては、同じような職の人はどう思っているのでしょうね。もしかすると、少なからず共感を得ているのかも知れないし、実は批判的に見られているのかも知れない。そういうのは、表に出てこないですね。

------

メモ。

本書関連で、もう一つエントリーを上げるかも。

投稿: TAKESAN | 2008年11月 5日 (水) 14:08

ちょっと気になるのが、岡田氏の主張するものの範囲が、だんだん広くなってきていることです。
元々、岡田氏が、岡田尊司名義で著書を出したのが04年6月(その前の、00年には、小笠原慧名義で小説家デビューをしているわけですが)。
そのときは、『パーソナリティ障害』(PHP新書)、『人格障害の時代』(平凡社新書)という「人格障害とは何か?」というものだったのに、それが『悲しみの子どもたち』(集英社新書)辺りになると、犯罪を犯した少年にそういう問題のある子どもが多い、というようなことになり、さらに、『誇大自己症候群』(ちくま新書)、『脳内汚染』(文藝春秋)辺りになると、若者、社会一般へと広げてしまっています。
そういう意味では、著書を書くことで、どんどん、自分の主張が正しい、と自信を深めて範囲を広げている、というようにも見えます。まぁ、最後の部分については、ただの私見ですが。

もっとも、02年に小笠原慧名義で出した小説『手のひらの蝶』(角川書店)辺りは、外的要因によって子供がおかしくなり、犯罪行為に走る、という内容で、『脳内汚染』に繋がるような部分を見いだすことができるのですが。

投稿: たこやき | 2008年11月 5日 (水) 18:37

たこやきさん、今晩は。

自説に対する確信を深めていっている、というのがあるのでしょうね。そうすると、色々な物事に敷衍したくなるものだから、どんどん一般化が進む。何かについて、強力な影響があると仮定すると、様々な現象が「説明出来てしまう」訳ですから…。

直感補強型の方向で情報を取捨選択する、というのもあると思います。本人は、客観的で信頼性のある根拠によって正確に説明出来ている、と考えているのでしょう。尤も、これは自戒したい所でもある訳ですが。

投稿: TAKESAN | 2008年11月 5日 (水) 20:33

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