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2008年11月 5日 (水)

クリティカルシンカーじゃ無い

人を見る目 (内田樹の研究室)

けれども、evidence で基礎づけられないものは「存在しない」と信じ込むのは典型的な無知のかたちである。

そんな人が一体どこにいるのでしょうね。

そこに「何か、私たちの手持ちの度量衡では考量できないもの」が存在すると想定しないと、「話のつじつまが合わない」場合には、「そういうものがある」と推論する。

その仮定は、「手持ちの度量衝では考量できない」か否かを徹底的に考察した上で行うべきでしょうね。考量出来るがそうで無いように思える、という現象はある訳です。それに、まず、人間の知覚や認知のエラーについて思いを馳せる必要があります。

ところが、いま私たちに取り憑いている「数値主義」という病態では「私たちの手持ちの度量衡で考量できないもの」は「存在しないもの」とみなさなければならない。

”「数値主義」という病態”とは、いかにも解りやすい表現ですね。「私たちの手持ちの度量衝で考量できない」のならば、それは取り敢えず存在しないものと看做す、というのは当たり前の態度でしょう。もちろん、存在しないのが証明された、というのとは別の話ですが。

同じように、私たちの現在の自然科学では、「未来はわからない」ということになっている。
だから、「人がなしたこと」については評価は可能だが、「人がこれからなすこと」についての評価は不可能であるということになっている。

ここは意味が解らなかったので、解った方がおられたら、教えて頂きたいです。

しかし、「人がこれからなすこと」については現に高い確率でそれを言い当てている人が存在する。

その「高い確率」というのは、どのようにして調べたのでしょうね。それが偶然で無いという保証はどこにあるのでしょうか。

もちろん、直感的に様々な情報を総合的・合理的に把握・処理し、高い精度で予測を行う、というのはあるでしょう。しかし、それを個人のレベルできちんと確認するのは、凄まじく難しいでしょうね。絡み合う因子の数と、状況のめまぐるしい変化は物凄いだろうから。ちょっと文脈は違いますが、参照⇒大「脳」洋航海記 » Blog Archive » そんな脚光なら浴びたくない

これは当たり前ですが、「高い確率で言い当てている」ように「見えている」可能性を、まず考えるべきですね。

私は「そういう能力が存在する」ということを前提にしないと「話のつじつまが合わない」事例があまりに多い場合には、自然科学の骨法に倣って、仮説として「存在する」ということにして話を進めているのである。

「そういう能力の存在」を仮定しないと「話のつじつまが合わ」せられないのは確かか、その事例が「多い」のは確かか、それまでの理論によって「説明出来ない」事が徹底的に調べられたか、等をきちんと確認した上で、そういう主張をするべきでしょう。剃刀を使うのです(このエントリーに関しては、dankogai氏が真っ当な論評をしていたと思う)。

「自然科学の骨法」(しかし、独特の言い回しが多いな…)に倣うのならば、自然科学の体系を学び、それによって解明していくのが道理で、それによって「解明出来ない」と判断するのは一番最後。もちろん、超能力云々の話だと、心理社会的な要因が関わる、というのは言うまでもありません。

「超能力」とか「霊能力」と呼ばれる能力は現に存在する

言い切っちゃってるし。どういうのがあるかを示して頂きたいものですね。

この後も、なんと言うか、かなり微妙ですね。

関連エントリー⇒○Interdisciplinary: 科学や若者を嫌いな人達 ○Interdisciplinary: 分子生物学的?

なんか、はてブとか見てると、内田氏の主張の一般論的な所を見て、そこが興味深い、だから良いのでは、的な意見もありますね。わたし的には、具体論のレベルでかなりダメな記述が散見されるから、高く評価しようが無い(しかも、主張されている事は、科学としては当たり前の話だったりする)、と思っているのですが、私が間違ってるんですかね?

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「科学論」カテゴリの記事

コメント

結局、「人を見る目のある人は超能力者である」と言っているのですね(直感の鋭い人は超能力者であるとも言いたいのかもしれません)。でもこれは、将棋の何十手先を読める人は超能力者であると言うのと本質的に変わりませんね。

一般論的な所が興味深いと言われているそうですが、超能力を正確に具体的に論じることはしない曖昧なところがかえってうけるのかもしれません。でもこういう一般論しかないとしたら、以下の話も考え合わせると、「高く評価しようがない」というTAKESANさんの評価はむしろ甘いくらいだと思います。

その問題の部分ですが、
『自然科学で未来はわからないことになっている「から」、人がこれからなすことは予測不可能という「ことになっている」』というのは色々な意味で凄まじい文章ですね。

『自然科学で未来の予測ができる対象は多いけれども、「人がこれからなすこと」に関して言えば、その予測は不可能であるということになっている』なら、その妥当性はともかく、論旨としては理解はできるのですが。

ということで、結局答えになっていませんが、正解を出せる人はいるのかな?

投稿: ネット沙代 | 2008年11月 5日 (水) 15:31

「高い確率」とか評価するのは数値主義じゃないんですかね?

投稿: ROCKY 江藤 | 2008年11月 5日 (水) 18:48

参考として、はてブの評判(重いかも)⇒http://b.hatena.ne.jp/entry/http://blog.tatsuru.com/2008/11/03_1337.php

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ネット沙代さん、今晩は。

直感的に色々把握して物事を読み取る能力を、比喩的に、超能力のようだ、と表現するのは、文脈で補えば、まあ、ありなのかも知れませんが、内田氏の書き方は、アウトだと思います。

まさに、
▼▼▼引用▼▼▼
でもこれは、将棋の何十手先を読める人は超能力者であると言うのと本質的に変わりませんね。
▲▲引用終了▲▲
この通りであろうと考えています。

まず、”私たちの現在の自然科学では、「未来はわからない」ということになっている。”というのが何を指しているのか、さっぱりなんですよね。「未来」とは何の事を言っているのか、「わからない」とはどの程度の話なのか。

だから、解釈としては、
▼▼▼引用▼▼▼
『自然科学で未来の予測ができる対象は多いけれども、「人がこれからなすこと」に関して言えば、その予測は不可能であるということになっている』なら、その妥当性はともかく、論旨としては理解はできるのですが。
▲▲引用終了▲▲
という意味なのだろうと思いますけれど、もし、自然科学が直接人間の行動や社会現象について予測出来ない、というのなら、それはもう、「当たり前」の話として捉えられている話ですよね。

いや、もちろんこれも、こうではないか、と解釈した結果であって、一体どういう論旨なのか、実はほとんど解っていない訳ですけれど…。

こういう論者って、ある対象に関して、それに携わっている人が当然の事として踏まえている論理について、「中の人が気付いていない問題」であるかのように指摘するんですよね。

○○は□□だ、と言っていて、批判されている側からすると、いやいや、何を当たり前の話をしているのだ、と。

------

ROCKY 江藤さん、今晩は。

ああ、確かに。あんまり考えていないのでしょうね…。

そもそも、「数値主義」にどういう意味を持たせているのだか。

メタぶってて具体論がほとんど無いものって、何故か受けたりするんですよね。一般論として解りやすいからなのかな。私自身は、具体的にイメージ出来ないと、「解った」と思えなくて、気持ちが悪くなるのですが。

------

finalventさんの所のコメントで、甲野氏との交流が影響しているんじゃないか、という意見があったけど、それはあり得るなあ。

投稿: TAKESAN | 2008年11月 5日 (水) 20:26

まずは、だしに使われた山形浩生氏が気の毒です。

山形氏が言おうとしているのは「学閥や年功序列といった日本独特の因習が、学者の業績を正当に評価することを妨げている。そして、そういう悪しき伝統を打ち破るのは難しいだろう」ということですよね。
ところが、内田氏はそれを正反対の意味に解釈して、かつての日本人には人を見る目があった、ということにしてしまっているわけです。
こういう文脈で「山形氏の言うとおり」などと言われても、ご本人は困惑するだけでは。むしろ、自分の発言をねじ曲げられたと怒り出すかも。
誤読なのか、確信犯的なのかはわかりませんが、とにかくもう、ものすごい超絶論法だとしか言えません。

確か、この人、前にも右脳左脳でトンデモな理論を展開して、とらこさんのところで突っ込まれてましたよね。

その場の思いつきをそのまんま書き殴るだけで、前後の辻褄とか論理的整合性とかまったく気にしないのが、この人の芸風なんでしょうか。それがネットで一定の人たちに受け入れられているというあたりが、また何とも。

投稿: 月森 | 2008年11月 5日 (水) 21:25

月森さん、今晩は。

自分勝手な援用、というやつですね。

昔日の日本人がある種の高度な直感的能力を持っていた、という考えは、しばしば見られますが、内田氏は合気道を嗜むという事もあり、また、武術を研究していると称する甲野善紀という方とも交流をしていますから、そういう認識は強いのだと思われます。

左脳右脳もありましたね。マンガ論とか。まあ、とにかく適当にものを書く方だな、と。

何で受けるのでしょうね。不思議。茂木氏辺りが受けるのと同じような感じにも思えますけれど。

前のエントリーで引用した所を、もう一度貼っておきます。
▼▼▼引用▼▼▼
内田氏:その前にテレビゲームを法律で禁止したらどうかなあ。あれ、ほんとうに身体に悪いと思います。大人まではまるというのは、そのゲームがある種の充足感をもたらすからでしょう。脳内麻薬物質が出るんでしょうね。でも、どれほど快楽を得ても、あれは人間的能力の開発に資するところゼロですからね。

 その点、麻雀はいいですよ。麻雀の効用について話し出すと長くなってしまいますけれど、あれは非言語的なシグナルの感知能力を上げる上ではきわめて有効であることが最近わかりました。記号運用、時間意識、識閾下コミュニケーション……どれをとっても麻雀は人間的能力の開発にすぐれたゲームですよ。最近の若い男性で「場が読めない」人が多いのは麻雀やらなくなったからじゃないかなあ。
▲▲引用終了▲▲『身体を通して時代を読む』(P266)
ああひどい。

ついでに甲野氏のも。
▼▼▼引用▼▼▼
甲野氏:科学者というのは、自説を正しいと信じ込むと、広い立場で客観的に検討することを嫌いますよね。例えば、よく地震の時に「地震雲」という独特の形の雲が出ることが伝承で知られてきているのですが、科学的な地震学者は決して認めようとしません。

 一度私は、高名な地震の専門家が地震雲に対してある所で「地震と雲は関係ありません」と断言したので、「いままでの歴史を調べてみると、人が死ぬような大地震の時、雨が降っていたという話は全く聞いたことがありません。とすれば統計学という学問もあるのですから、天候と地震の間には、何か関係があるのではないかと考える方が、科学的な態度ではないのですか」と尋ねたのです。

 そうするとその人は、「ああ、これだから素人を相手に話すのは嫌なんだよ」といった白けた顔をして黙ってしまいました。
▲▲引用終了▲▲(P252・253)
ああひどい。

もしかするとこれが、「超能力」による洞察なんですかね。

こういうふざけた論を見ていると、つくづく、「気楽なもんだな」と思います。

直感で「解っている」と思い込むのがどれほど危険か、全然認識してないのだろうなあ。菊池聡氏の本でも読めばいいのに。

投稿: TAKESAN | 2008年11月 5日 (水) 23:57

こんばんは。

私の中では、大分以前から内田センセーは「様々な事柄に関して単なる自分の思い込みを無茶な屁理屈で飾り立てて断定的に述べるお爺さん」という評価になっています。

確かに読んでて「小気味良い」部分もあるので、一部の人に受けるのも解ります。しかし何故「小気味良い」のかと言えば、本来断定すべきでは無い事に関して、無謀にも言い切るからなのでしょう。そこに一種のカタルシスがあるとも言えます。

しかしそういう文章は、何と言うか、結局は嗜好品と同じ扱いになってしまいますね。つまり内田センセーの文章は「ちょっと高級な娯楽読み物」なのであって、そこから何らかの有益な情報を得ようとすると肩透かしを喰らう事になる。
まあ、銭の取れる文章を書こうと思って割り切って書いているのであれば、ある意味天晴れかもしれませんが、どうもそうでもなさそうです。

ただ、色々な分野に対して無節操に口をお出しになるので、自分の知っている分野に関する記述の部分を見れば、大抵の読み手はセンセーがいい加減な事を言う人かどうかの判別は出来ると思うのですね。
そこが救いかも。

投稿: PseuDoctor | 2008年11月 6日 (木) 01:32

>ただ、色々な分野に対して無節操に口をお出しになるので、自分の知っている分野に関する記述の部分を見れば、大抵の読み手はセンセーがいい加減な事を言う人かどうかの判別は出来ると思うのですね。
 私なんかも、自分が確実に知っている分野で調べもしないで大間違いを書いていれば、ああこの人は恐らく他の分野でも同じような間違いを犯すのだろうと推測するのですが、信者というかはまってしまう人は、たまたま自分の知っている分野では間違っているが他は正しいのだろう、と好意的に解釈してしまうようです。
あるいは、細かいことにはこだわるな、言っていることは正しいんだから、とか。私からすると、細部の正確さが主張の正しさを担保するのですが。

投稿: ROCKY 江藤 | 2008年11月 6日 (木) 11:05

>こういう論者って、ある対象に関して、それに携わっている人が当然の事として踏まえている論理について、「中の人が気付いていない問題」であるかのように指摘するんですよね。

言われてみればまさに成る程です。「世の中には科学で解明されていないことが山ほどある」はその代表例かも。

一方で、「中の人であるが故に盲点となっている問題」を鋭く指摘できる外部の人もまたいるのでしょうね。そういう人との違いはどこにあるのかというと、多分、論理思考の問題というよりは想像力の欠如なのではないかと思います。

投稿: ネット沙代 | 2008年11月 6日 (木) 11:55

PseuDoctorさん、こんにちは。

多分、認識力自体は高いものをお持ちで、メタでもあると思うんですね。そうであるがゆえに、細部を疎かにしてしまうのかも知れません。

メタはスタート地点てやつですね。実際は、具体論でどういう事を言うかが重要な訳で。その意味で考えれば、内田氏は、ほとんど何も言っていないに近いですね。やはり、茂木氏辺りと似ていると見えます。

確かに、色々な分野にわたってすごく幅広く意見を言っているから、おかしな所は気付けると思います。ただ、これは厄介ですが、ある専門分野の人から、これはすごい、と評価される場合もあるんですねえ。下でネット沙代さんが書いておられる、
▼▼▼引用▼▼▼
一方で、「中の人であるが故に盲点となっている問題」を鋭く指摘できる外部の人もまたいるのでしょうね。
▲▲引用終了▲▲
こういう人のように誤認する、という。ちょっと考えれば、いや、大した事言ってないじゃない、と思えるのですが、他の分野で活躍した人、とか、その分野がなにやら高級そうだ、という情報があると、誤認する。ややこしいですが。

------

ROCKY 江藤さん、今日は。

▼▼▼引用▼▼▼
信者というかはまってしまう人は、たまたま自分の知っている分野では間違っているが他は正しいのだろう、と好意的に解釈してしまうようです。
▲▲引用終了▲▲
これはあるでしょうね。
上にも書いたように、対象の肩書きであるとか専門であるとか、あるいは、本が売れているとか、そういう所の情報にウエイトを掛けているのかも知れません。そうすれば、細部が誤っているかどうかというのを検討しなくていいので、楽になりますしね。

私も、ある分野に関して間違っていれば、他の部分に関しても怪しいぞ、と見ます。それが安全側でもありますし、詳しく無い分野について間違いを平気で書くというのは、細部にこだわらないのをよしとする姿勢を反映している、と見る事も出来ますので。

▼▼▼引用▼▼▼
細部の正確さが主張の正しさを担保するのですが。
▲▲引用終了▲▲
まさにそう思います。

------

ネット沙代さん、今日は。

▼▼▼引用▼▼▼
「世の中には科学で解明されていないことが山ほどある」はその代表例かも。
▲▲引用終了▲▲
そうですそうです。それに対しては、かも ひろやすさんが、簡潔かつ妥当な反論をよくされていますよね。

科学で解明されていない事があるのを科学者が解っていないのならば、一体科学者は何をして過ごしているのか、という話ですね。知識を仕入れて何かを作ったり説明したりする、というくらいしか思い浮かばないのだろうなあ。

▼▼▼引用▼▼▼
一方で、「中の人であるが故に盲点となっている問題」を鋭く指摘できる外部の人もまたいるのでしょうね。
▲▲引用終了▲▲
そうなんですよね。まれにそういう優れた人がいる。そしてそれは、可能性としては非常に低い。

「科学者」という「中の人」なんて、超優秀な頭脳集団で、しかも、ものすごい数の人間がいて毎日研究や議論を行っており、ダメな意見を篩い落とすシステムになっているのだから、中の人が気付いていない欠点に外部から気付く、というのは、確率的にもほとんど無いのだろうと思います。

でも、そう誤認するんですよね。初めからそういう風に評価しているのだから、「この人が言っているのだから何か深い話なのだろう」と先入観を持つ、と言いますか。

実はこれ、私がある論者に対して持った認識でもあります。ここだけの話、甲野氏に対しても、昔はそう思っていたのであります。

反省も込めて言及しているんですよね。

投稿: TAKESAN | 2008年11月 6日 (木) 13:09

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